読むクスリ PART2  :上前淳一郎

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この本は、「読むクスリ」のPart2であり、今から33年前の1988年に出版され
たものだ。
私がこの本のなかで特に面白いと感じたのは、温水洗浄便座の開発秘話である。温水洗浄
便座は、いまではどこの家にも当り前のようにある代物だが、それがこんなふうにして開
発されたんだと知って、とても面白くもあり、おかしくもあった。
後楽園球場の診療所の話も面白かった。巨人軍選手の悩みは、なんだかとても身につまさ
れる話だなとも思えた。それにしても、あの長島選手がビタミンB12の注射を愛用してい
たとは初めて知った。私も加齢にともなって体力の衰えを感じたころから、ビタミンBの
複合錠剤を服用するようになった。確かに効果があるような気がしている。

発想は柔かに
・戦時中から終戦直後のころ、ラジオが聞こえなくなるとどんどん叩いたものだった。叩
 いているうちに、うんともすんともいわなくなっていたラジオが、また聞こえだす。あ
 れは、なぜだかわかりますか。
・ハンダづけされている金属部分に腐食が起きてはがれ、電流が流れなくなっていたから
 だ。叩いてやるとその振動で、はがれた部分が一時的にくっついて、機能が回復してい
 たというわけだ。
・その当時使われていたハンダは、塩化亜鉛を溶剤にして、金属板に配線をくっつけるも
 のだった。ところが、この溶剤に含まれている塩素が、金属板を腐食させる。そのため
 に配線が、ぼろっ、とはげ落ちてきていたのである。
・このごろ、ラジオやテレビを叩かなくてもよくなったのは、戦後イギリスで松やにに塩
 素を混ぜたものを溶剤として使う方法が開発されたおかげだ。この溶剤だとよくくっつ
 き、しかも塩素の量が少なくてすむので、腐食や剥落がうんと少なくなった。
・イギリスで松やにハンダが開発されて間もない1956年「日本アルミット」という小
 さな会社が、東京・中野に誕生した。
・「これが、絶対不可能とされていたアルミニュウム用ハンダの開発に成功したのです。
 私の父が数人の仲間と始めた町工場でした」と社長の沢村さん。
・父の仲間の技術陣が工夫を重ね、アルミ・ハンダの実用化に成功する。世界で初めての
 ことだった。  
・町工場は、小粒だがぴりっとした技術を持つ企業としてぼつぼつと知られ、アルミ・ハ
 ンダでは国内シェアの90パーセントを握るようになっていた。
・1976年、日産自動車の電装部品メーカーである関東精器から、相談を持ちかけられ
 た。聞いてみると、ニクロム線の抵抗やバイメタルなどの接合が、従来の松やにハンダ
 ではどうしても無理なのだという。それに、松やにハンダにも塩素が入っているから、
 やはり昔のように腐蝕や脱落がときどき起きる。
・それまでの利益で、零細企業には不似合いなほど立派な研究所ができていた。そこで大
 学の教授陣を交えて研究開発が始まる。やがて、塩素を抜いた特殊な溶剤を松やにに混
 ぜたハンダが完成した。
・作業しやすく、これまでの三分の一の時間ですみ、接着面にむらがなく、しかも決して
 腐蝕したり剥落したりしない、素晴らしいハンダだった。KR−19と命名した。
・世界で初めての塩素抜きハンダに、国内の自動車部品メーカーから注文が殺到した。
・日本車の高い信頼性は、じつは資本金たった一千万円、従業員四十人、いまでも町工場
 にすぎない「日本アルミット」の創意工夫から生まれた、といえるのである。
・翌年、父を継いで沢村さんが社長になったころから、小型だが技術力のあるペンチャー
 ビジネス、として世間の注目が集まりはじめた。 
・その経営哲学がまたへそ曲がりで、小さな会社のくせに、大企業しか相手にしない。
 KR−19の販路を電機業界にも広げようとセールスに行くのだが、訪ねるのは名の通
 った大手ばかりだ。「大企業が使ってくれれば、その下請けがそろって買ってくれます。
 そのほうが効果的じゃありませんか」
・しかし、このセールスは無残に失敗した。訪問した先の現場段階では、このハンダの優
 秀さを認めてもらえる。ところが、話が上へ行くと必ずだめになるのだ。「そんな海の
 ものとも山のものともわからん町工場の製品は信用できない」これで終わりだ。
・だが沢村さんは、負けていなかった。日本の大企業がだめなら、アメリカの大企業を訪
 ねてみよう。アメリカにも塩素抜きの高性能ハンダは、まだないはずだ。
・アメリカでは、最初に訪問したヒューズ・エアクラフトが、すぐ採用してくれた。つぎ
 にヒューレット・パッカードへ行き、ニューズに採用してもらった、というと、相手は
 その場でヒューズの工場へ電話をかけた。詳しく性能をたずねている。やがて電話を切
 った相手は、にこにこしながら沢村さんに言った。「わかりました。うちへもすぐ送っ
 てください。このハンダを使わないと後悔することになるよ、とヒューズの工場ではい
 っていましたよ」驚くべき単刀直入、また、なんというフランクさだろう。
・おかげで、アメリカの航空、電子産業につぎつぎと認められ、電子産業では上位五十社
 のうち二十八社がKR−19の採用を決めることになっていった。
・アメリカへの売り込みの最大の成果は、KR−19がスペースシャトルの電装品機器の
 ハンダづけに採用された、ということだった。 
・さてそうなると、がらりと態度の変わったのが日本の大企業だ。押すな押すなの大騒ぎ
 だ。いまでは松下電器、シャープ、キャノン、カシオなどそうそうたる企業が、これを
 使っている。
・「日本アルミット」の本社は東京・代々木の小さなビルの六階にあるが、このオフィス
 がまた風変わりで、ドアを開けて入るとそのすぐわきに社長の机がある。そこから中の
 ほうへ部長、課長、係長と順に机が並ぶ。いちばん奥の、ふつうの会社なら社長が坐っ
 ているところにいるのが平社員だ。
・これじゃ、社長は受付か、ガードマンみたいなものじゃありませんか、というと沢村さ
 ん、わが意を得た顔で笑った。「いちばん上がもっともドアに近いところにいて、客の
 ご用をうけたまわる。これこそ、ベンチャー企業のあり方です。客の要件を聞いて、誰
 が対応すればいいか、いちばんよくわかるのは社長ですからね」
 
・「お尻だって洗ってほしい」というコピーに乗って、温水洗浄便座が最近ヒット商品に
 なった。 
・トイレット・ペーパーが出現するまで伝統的な新聞紙で拭われてきた日本人のお尻も、
 革命的洗礼をうけることになったのだが、その演出者たちには聞くも涙の物語があった。
・日本へは昭和30年代末から、アメリカ製洗浄器が月二百台ぐらいずつ入ってきていた。
 その輸入販売にあたっていたのが東陶機器だ。当時は主として痔疾の人のための医療器
 と考えられていた。値段も1台12万円。大学卒の初任給が2万円そこそこの時代だか
 ら、べらぼうに高かった。
・しかも、シート(便座)がアメリカ人用では大きすぎて、日本人のお尻は穴の中へ落ち
 込んでしまう。水道の水圧が日本は低いために、吹き出すはずの温水はちょろちょろと
 しか出ない。かと思うと温風装置からは、ぶわあ、とものすごい音が出て、びっくりし
 て飛び上がらされる。
・「なんとか日本人向きに、もっときめ細かく快適なものに改良できないだろうか」「ま
 ずケツ紋から調べろ」 
・指紋に個性があるように、シートに腰を下ろしたときの肛門の位置にも個性があるはず
 だ。そのばらつきを調査して日本人の平均な位置を探し出そう、というのだ。
・チーム全員が自分のお尻に水をかけ、濡れると感光するかみの上に坐る。肛門のあとが
 記録されていく。だが、十人そこそこでは平均値を求めるには足りない。「おい、ちょ
 っとすまんが尻を貸してくれ」みなで呼び込みをやりはじめる。工場の人たちは気味悪
 がり、「シート製造本部へは近寄るな。ズボンを脱がされるぞ」とささやき合うように
 なった。それでも百人を越えるケツ紋を集め、ようやく肛門がどのあたりに来るのかが
 わかってきた。
・位置が決まったら、今度は温水を命中させるにはどうするか。マイコン・スイッチを押
 すとノズルが出てきて、温水を吹き出し、洗浄するのだが、吹き出し角度をうまく決め
 ないと狙いが外れてしまう。鋭角から鈍角まで三十種類のノズルをつくり、実際に温水
 を噴出させてテストする。
・ベニヤ板で囲っただけの、にわか実験室だ。風が強い日、この囲いが吹き飛ばされて、
 中でかがんでいた人があわててズボンを引き上げる騒ぎもあった。
・駆り集められた被験者三百人。そのデータをもとに、シート面に対して43度という噴
 出角度が決められることになった。 
・プロジェクト・チームの計画では、ノズルをもう一つ別の穴をつけて、女性用ビデとし
 ても使えるようにすることになった。
・ところがこれは、位置のばらつきを調べるわけにはいかない。チームは全員男性で、い
 ったいどこへ向けて、どのくらいの角度で温水が出てくればいいのか、見当がもつかな
 い。
・「ともかくモデルをたくさんこしらえて、テストしろ」拝まんばかりにして女子社員を
 集めてきても、どうしてもベニヤ囲いに入りたがらない娘さんが少なくない。
・ビデにこびりついている避妊のイメージが、拒否反応を起させてしまうのだ。のちに商
 品化に成功して 「ウオッシュレット」の名で夏梅されたときにも、「なんですか、こ
 の装置は。少女に悪影響を与えるじゃありませんかッ」と関西の主婦連からクレームが
 出されている。
・そのくらい日本では、ビデとは避妊の目的で事後洗浄するためのもの、という考え方が
 抜き難かった。
・「そんなこと、ありませんよ。フランスでは下半身を清潔に保つため、女の子は幼いこ
 ろからビデで洗浄するようにしつけられるんですから」必死で説得するのだが、女子社
 員たちは怒ったような顔で引き揚げていってしまう。
・「工場内でワイセツなことを強要された、という苦情が出ている、どういうつもりか、
 説明してもらいたい」労働組合から抗議がきた。事情を説明し、ようやく既婚女性に限
 ってテストに協力を求める、ということで了解をもらった。
・それでも男子社員と違って、試用中にそばから、どうですか具合は、とたずねることが
 できない。質問状に記入してもらおうにも、恥ずかしがるばかりで、なかなか率直な回
 答が得られない。
・お尻のほうよりうんと時間をかけてやっと、肛門の3センチ前方へ53度の角度であて
 るのが最良、とわかってきた。 
・水が吹き出る小さな穴の問題は解決したが、もっと大きな穴、つまり腰かけるシートの
 開口に、思わぬ落とし穴があった。
・「あのう、お尻がシートの穴に落ち込みそうなんですが・・・」ノズルのテストに協力
 してくれていた女子社員たちから、そんな声が出てきたのである。
・東陶には研究所があって、従来から日本人向きの便座に人間工学的な研究を積み重ねて
 きている。輸入品と違って今度は大丈夫、と思ったのに、なぜだろう。ことは基本設計
 にかかわるだけに、チームは頭を抱えた。
・そんなある日、考えあぐねたチームの一員が、奥さんにいった。「おい、ちょっと便器
 に坐ってみてくれ」 
・わけがわからないまま奥さん、憑かれたような夫の表情に押し切られて、トイレへ。結
 婚して初めて、便座にまたがるわが妻の姿をまのあたりにした夫は、巣頓狂な声をあげ
 た。「そうだったのか。わかったぞ!」
・問題は、足の開きにあった。ふつう男性は、便座に腰かけるとき、足を開く。だから便
 座のうえでの安定がいい。ところが女性は、つつしみ深く足を閉じている。そのため腰
 かけ方が不安定になって、お尻が落ち込む感じになるのだ。
・「なるほどなあ。じゃ、足を閉じた女性の安定がよくなるところまで、シートの幅を縮
 めよう」問題は見事に解決した。
・かつて気味悪がった女子社員たちも、いまはマニアに近いファンになった。「あたし、
 まず洗浄するんです。すると、とてもスムーズになって・・・。ライオンの赤ちゃんは、
 うんちの前にお母さんにお尻をなめてもらう、っていうでしょ。あれと同じです」
 
人の心をとらえる
・太平洋戦争に敗れた直後の昭和二十年代前半、日本は極度の食糧不足に見舞われた。ぼ
 ろをまとった人びとは、すし詰めの列車に乗って田舎へ行き、農家の庭先でほとんど土
 下座して、持ってきた着物と交換にわずかな米や芋をもらった。それでも、明日の食べ
 ものが手に入る人は幸運だった。今日食べるために、盗みや人殺しが横行した。
・当時日本の人口は七千万だったが、昭和二十一年の夏を前に吉田茂首相は、「一千万人
 が餓死、または栄養失調で死ぬだろう」と見ていた。
・政府が手を打とうにも、生産力が落ちてしまった国内には絶態的に食糧がなかった。
・戦勝国アメリカにも余裕は十分ではない。やはり飢えたヨーロッパをまず救いたかった
 からだ。
・侵略国日本への食糧配分はいちばん後回しと決められ、国民はまさに瀕死の淵に立たさ
 れていた。
・このワシントン連邦政府の決定に不満なアメリカ人が、ひとりだけいた。占領軍最高司
 令官として日本に乗り込んできたマッカーサー元帥である。
・彼は食糧援助が日本占領にあたってもっとも緊急な課題だと考え、アメリカ下院歳出委
 員会に極秘電報を打った。「もっと食糧を送れ。さもなければもっと軍隊を」
・この名文句は、連邦政府を動かさずにはおかなかった。食べものがないと日本人は狂暴
 になり、またなにをやり出すかわからない。そうなれば再び大軍団を送る必要が出てく
 る。ワシントンはこの極秘情報に、そういう警告を読みとったのだ。
・日本への食糧を送るための予算はどんどん膨らみはじめ、ついには連邦政府の商務、司
 法、労働の三省の予算を合わせた額より大きくなった。
・昭和二十一年六月、東京で配給される食糧の実に七七パーセントがアメリカから送られ
 てきた物資が占めた。 
・コーンビーフ、ピーナッツバター、トマトジュース・・・。食べられないものばかりだ
 ったが、ともかくも日本人はおかげで餓死しないですんだのだった。
・いったいなぜマッカーサーは、連邦政府の決定に不満だったのだろう。人道主義者の彼
 は、かつてのフィリピンであれほど日本軍から苦しめられながら、なお飢えた日本人を
 見るにしのびなかったのだろうか。それともほんとうに、食糧がないと暴動が起きる、
 と思っていたのだろうか。
・答えははっきりしている。マッカーサーは、民主主義という新しいイデオロギーを日本
 人に植え付けるため、巧みに飢餓状況を利用したのである。
・「飢餓に直面した国民は、食べさせてさえくれれば、どんなイデオロギーにも容易に屈
 してしまう」下院歳出委員会に送った声明の中で、彼は明確にいっている。
・つまり、食べものによって民主主義のありがたさを日本人に教え、ほかのイデオロギー
 に走らせずに、こちらへひきつけておこう、とマッカーサーは考えたのだ。
・彼がとったこのアメ玉作戦は、正しかったかも知れない。というのも当時日本にもう一
 人、飢餓状況を利用して日本を支配しよう、と狙っていた男がいたからだ。日本共産党
 の指導者徳田球一である。
・「食糧の統制が日本支配の鍵だ。だから共産党は、この食糧供給制度への浸透に力を注
 ぐ」徳田はそういい、芋や魚の配給を受けるために行列する国民の間に監視員を送り込
 んだ。不正な配給があれば、そのつど摘発して点数を稼ぎ、飢えた国民の味方としての
 共産党のイメージを浸透させていこう、という作戦だ。
・ただ、徳田は自前では、一粒の米も国民に与えることはできなかった。そして勝負の結
 果は、今日日本人なら誰でも知っている通りになった。
・とすると、もしあのとき日本共産党がソ連にでも極秘電報を打ち、国民に日々腹一杯食
 べさせることに成功していたら、いまごろ日本は共産主義国になっていただろうか。
 
海のかなたの知恵
・北欧の主婦の生活にふれ、交歓する旅に出た東京・世田谷の主婦石山さんはコペンハー
 ゲン郊外に住む初老の夫婦を訪ねて、おや、まあ、と思った。
・居間、台所と見せてもらって寝室へ来てみると、夫婦のベッドがL字型に置いてある。
 つまり、ひとつのベッドを壁に沿って置きこれと直角の壁に沿ってもう一つベッドがあ
 る。寝たときには、頭と頭がとが近づくかたちだ。
・ツインベッドはお行儀よく二列に並べるものとばかり思っていた石山さんは、いぶかり
 ながらたずねた。 
・「このほうが部屋を広く使えるでしょう。うちは、ずっとこうですよ」奥さんは、にこ
 にこと答えた。 
・なるほど、さして広くない寝室だが、ベッドを隅に寄せたので部屋の中央にたっぷり空
 間ができ、そこにしゃれたテーブルが置いてある。
・日本の主婦は、寝室、というとベッドを優先して考え、それを見た目よく配置すること
 だけにとらわれて、空間を無駄にしがちだ。
・さすが、ベッドを長く使ってきた民族は違う。頭が柔かい。それに、こういうふうに空
 間を生かすのが、北欧の人たちのデザイン感覚だろうか、と石山さんは感心した。
・そのあと、近くのアパートに住む息子さん夫婦を訪ねた。この若夫婦の寝室がまた変わ
 っていて、出入口は一つなのだが、中が二つに仕切ってあり、そこにドアがついている。
 すなわち、一つの寝室の中に個室が二つあるのだ。
・「どちらかの帰りが夜遅くなるようなときには、先に帰ったほうが奥の個室で寝るんで
 す。そうすれば、あとから帰ったほうに安眠を妨害されないですみますからね」と若夫
 婦。女性の地位が高いデンマークでは、奥さんが男性なみの仕事を持っていて、帰りが
 遅くなることがしばしばある。石山さん、こんどは二人の生活感覚に感心した。
 
・香港では、地下鉄でもエレベーターでも、乗る人が先だ。ドアが開くやいなや、待って
 いた人たちが勢いよく乗り込む。そのあとから、降りる人が出てくる。
・狭い箱の中で押し合いへし合い大混乱、かと思うと、意外にそうでもない。乗ってくる
 人たちの間を巧みに縫って、降りる人は出ていく。
・乗降ルールがないようでいて、じつは乗車優先がルールになっているわけだから、降り
 るほうもなれていて、べつにあわてないのである。
・とにかく乗物が来たら早く乗る、という習慣は、タクシーを拾うときにいちばんよく出
 る。通りでタクシーを待っている。空車が来たので手を上げて止める。ところがブレー
 キが遅くれて、三メートル先まで行きすぎた。と、駆け寄る間もなく、横にいた客が、
 さっ、とドアを開けて乗り込んでしまう。ちなみに香港のタクシーには、日本のように
 自動ドアはついていない。
・運よくドアが目の前へくるようにタクシーが止まってくれないかぎり、何台でも横取り
 される。逆にいえば、待っている順番なんておかまいなし。タクシーが止まったら、先
 に乗り込むものの勝ちになる。
・日本から来ている駐在員たちは、口惜しい思いを繰り返させられたあげく、だんだん香
 港流タクシーの乗り方を身につけていく。
 
・外国旅行中も、日本人らしい人を見かけることがある。ただ、日本人なのか、中国人、
 あるいか韓国人なのか、見分けるのがむずかしい。
・韓国の人に日本語で話しかけるのは失礼だし、日本人に英語で声をかけるのはばかげて
 いる。
・では、どうやって見分けるのか。
・会った瞬間、まっすぐ相手を見る。きっ、と見返してくれば韓国人。にこっ、とするの
 が中国人。そして日本人は、すっ、と視線をそらせるそうだ。
・なんとなく、わかる話である。

世間のはざまに学ぶ
・帝国ホテル・タワー新館が昭和五十八年春オープンした。このタワーは三十一階建て、
 てっぺんから眺める都心の夜景はさぞかしきれいなはずなのに、上のほうにレストラン
 をつくらなかった。
・サルと日本人は高いところがすきだそうで、たいていの高層ホテルが最上階か、それに
 近いところにレストランをもっている。いや、外国の一流ホテルにも、トップ・バーや
 トップ・レストランが自慢のところは少なくない。外人も高いところは好きなのである。
・外人客が多い帝国ホテルが、なぜそれをつくらなかったか。
・「あれはね、ゴキブリがこわかったからですよ」業界雀は取り沙汰する。
・つまり、高いところにレストランがあると、食べものや飲みものをエレベーターで運ば
 なければならない。その容器にしばしばゴキブリがくっついていて、一緒に運ばれてし
 まう。エレベーターが上下するうち、ゴキブリは外へはい出す。その結果、客室がある
 各階にゴキブリがまき散らされることになる、というのだ。
・「ほんとうの理由は、ゴキブリよりもっとこわいものがあるからですよ」
・日本のホテルは、世界でもっとも安全だと評判が高い。部屋に押し入られたり、置きっ
 ぱなしにした金品がなくなるようなことは、めったにない。
・そもそも日本の都市そのものが、外国に較べればはるかに安全だ。夜遅く歩いていても、
 危険な目に会うことはごく少ない。
・そのせいだろう、日本の建築家がホテルを設計するときには、人間性善説に基づいて構
 造を考える。不特定多数の人たちが、どこからでも自由に出入りできるような、外に向
 って開かれた建物としてホテルをつくる。
・一方、欧米の建築家は、性悪説に立ってホテルを設計する。外からふらりとは入りにく
 い、閉ざされた建物を建てる。従業員の出入口も少なくし、そこから客室のほうへは勝
 手に行けないようになっているところが多い。ホテル内部の従業員さえ性悪だ、という
 考え方なのである。
・しばらく前、ロックしたドアのシリンダー錠をペンチのようなものでねじ切って侵入す
 る泥棒に、都内のホテルが軒並みやられたことがあった。日本のコソ泥には考えられな
 い力仕事で、アメリカあたりから流れてきたプロのしわざに違いない。
・あまりやられるので、客になりすました刑事が各ホテルの部屋に張り込んだが、ついに
 捕まらなかった。 
・合鍵で侵入する怪盗に荒らされて、手を焼いたこともある。チェックインして鍵をもら
 い、部屋へ入ると、三十分くらいのうちに鍵をコピーし、フロントへ戻っていう。「あ
 の部屋は景色が悪い。代えてもらいたい」
・あとからコピーした鍵を使ってその部屋に忍び込む、という寸法だ。
・これは、手口から東南アジア系の男が浮かび、御用となった。逮捕されたとき男は、コ
 ピーしたいろいろなホテルの鍵を三十本も持っていた。
・こういう外人泥棒に較べれば、日本人はわるさをしてもまだどこか可愛げがあって、い
 ちばん多いのが無銭飲食だ。
・チェックインして鍵をもらうと、そのままレストランへ行く。そこへ友だちが数人集ま
 ってきて、高いものを食べたり飲んだりする。計十万円くらいの金額になっている勘定
 書に鍵を見せてサインをし、はい、さようなら、を決め込むわけだ。
・「ゴキブリよりもこわいもの」というのは、むろん人間、それも日本人だ。「各国のホ
 テルがだんだん危なくなってきている現状からすると、このよくない傾向が十年後、
 二十年後には日本にも及んでくるのではないか、と見越してのことなのです」
・つまり、いまは性善な日本人も、いつか性悪に変わって、開かれたホテルで悪いことを
 するようになるかもしれない。そのときに備えて、不特定多数が入り込めないように、
 レストランをつくるのをやめた、というのだ。
・じつはホテル戦争も、建物や部屋の設備、あるいは毛布やシーツといったハード面での
 戦争は終わった。
・一流にランクされるホテルどうしを比較しても、そうした面での差はほとんどなくなっ
 ている。となると、あとはサービスなどソフト面での戦争だ。そして、もっとも重要な
 ソフトが「安全」なのである。
・帝国ホテルはべつに、近い将来日本人が性悪になる、と思っているわけではない。「こ
 こまで宿泊客の安全を考えていますよ」ということをかたちで示し、激しいソフト戦争
 に勝ち抜くために、最上階にレストランをつくることをやめたのである。
 
・昭和五十九年六月、国際美容外科学会が北京で開かれた。女性を美しくする世界の医師
 たちが人民服の中国に集まったのは妙な光景だったが、これに先立って昭和五十八年、
 中国の外科医三人が、東京・新橋の十仁病院へ、先進国の先端技術を研修にきた。
・「お国でも、ほんとに美容外科が必要なんですか」いぶかりながらたずねる病院側に、
 六十歳代の中国人医師は答えた。「中国の女性には、いまは美容整形のゆとりなどあり
 ません。でも、美しくなりたい、と願うのは女性の本能ですからね。二十年、三十年後
 にはきっと必要になるでしょう。そのときのために、勉強しておきたいのです。私はも
 う生きていないかもしれませんが、技術は若い人たちが継いでいけますから」聞いて病
 院側は感嘆した。
・イデオロギーは違っても、女性の本質は同じ、と見抜いているあたりも立派だが、二十
 年、三十年先を見ているところがすごい。さすが中国人のものを見る眼は、レンジが長
 い。今日、明日の目先にとらわれがちない本人とはスケールが違うのである。
・十仁病院が開院したのは昭和十三年だが、戦前の日本の整形手術は眼と鼻がほとんどだ
 った。いまもその傾向、すなわち眼もとをぱっちりさせ、鼻すじを通したい、という女
 性の願いは変わらず、この二つの手術がいぜん主流になっている。
・「それでも、すっきりした鼻がそのひとの顔とうまくバランスするようになるまでに一
 週間、ほんとに自分の鼻になるには三カ月かかります」
・つまり、あたし、ほんとにきれいになったかしら、という不安と落ち着きのなさが消え、
 新しい鼻がまわりの口や眼と調和してくるまで一週間。ほう、美人だな、という眼で周
 囲の男性から見られる回数をふえ、自信がそなわってくるまでに三カ月かかるものだと
 いう。
・かつでは、男性に愛されたい、ひいては幸せな結婚をしたい、というのが、眼鼻の手術
 を受ける動機だった。しかし最近は、就職試験で面接官の印象をよくしたい、という女
 子大生がふえてきた。結婚はしなくてもいいが、仕事を持つキャリア・ウーマンであり
 たい、と考える女性が多くなった世相の反映だろう。
・どんなかたちにせよご本人が美しくなって幸福を手に入れることができるなら、それで
 手術の目的は達成されたことになる。
・戦争が終わった昭和二十年代の花形は処女膜再生だった。すさんだ世相の中で強姦され
 たような娘さんに処女を取り戻してあげるのが、目的だった。処女であることが、結婚
 の条件とされた時代である。
・この手術は日本独自のものだったので、アメリカの週刊誌「タイム」などが大きく報道
 し、世界に知れ渡った。
・その反響が国内にはね返って、さんざん遊びつくしたプレイガールたちが結婚前に、し
 おらしい顔でやってくるようになる。
・いまでは日本女性の希望はまったくないという。少女たちが先を争って処女を捨てたが
 る時代とあってみれば、再生手術がすたるのは当然だろう。
・豊胸手術がふえたのは、昭和三十年代に入ってからで、いまも希望者は減らない。反面、
 このころからボディの脂肪を取る手術も多くなった。日本は豊かになり、食べ過ぎて太
 る女性がふえたのだ。
・最近多くなったのが、笑ったときに歯ぐきが見えないようにしてほしい、というのと足
 首を細くしてください、というのが希望だ。足首が細いと、くるぶしがきれいに見える、
 ということらしい。
・眼、鼻から始まった整形美容も、胸、処女膜とだんだん下がってきて、とうとう足首ま
 で来てしまった。このあと女性は、美しくなるためにどこにメスを入れてもらおうと考
 えるようになるのだろう。
・最近のもうひとつの特徴は、女性専門だった美容外科に一割ぐらい男性が混じってきた、
 ということだ。
・スマイルが女心をつかむ、というのがわかって、質実剛健が売りものだった日本男性も
 男っぽさを捨てる決心をしたのである。とりわけ、かおのしわを取りたい政治家と、脂
 肪を抜いてほしい企業の管理職が、あとを絶たない。つくづく、日本は平和である。
 
・後楽園球場には診療所があって、試合中けがをした選手や、気分が悪くなった観客の応
 急手当てのために、お医者さんが詰めている。
・昭和四十五年からこの診療所の主で、巨人軍選手のけがの手当てばかりでなく、健康管
 理から悩みごとの相談まで乗っているのが、東京慈恵会医科大学の柴医博だ。
・巨人軍がV9時代を築きつつあったころのこと、ある主力選手が思い詰めた顔で診療所
 を訪ねてきた。 
・どうしたのか、たずねるのだが、なかなか答えない。やっと、ほかの選手たちがいなく
 なったところで、ぼそぼそ、といった。「じつは、あっちのほうが全然だめになってし
 まったんです」
・よくよく聞いてみると、十日程前薬局へコンドームを買いにいった。ふだんは奥さんに
 押しつけている照れくさい買物なので、サングラスをかけ、わざわざ家から遠い薬局へ
 行ったのだが、「あっ、〇〇選手だ」と薬局の主人に見破られてしまった。
・さあ、いけない、恥ずかしいのを通り越し、なにか悪いことでもしたような気持ちにな
 って、そのまま逃げ帰ってきた。
・その夜から、ベッドに入るたびに薬局のことを思い出しで、まったく男性機能が萎縮し
 てしまったのだという。
・「なに、病気じゃないですからね。くよくよ考えず、気分を楽にしていれば、じき治り
 ますよ」選手の気持ちをリラックスさせてやるために、できるだけ朗らかな調子で柴さ
 んはいった。 
・ところがしばらくして、その選手の打率がどんどん下がってきていることに柴さんは気
 づいた。三割打っていたのに、二割そこそこまで急降下してきている。
・これは、まだあの問題に悩んでいるな、放っておいたら彼はますます深刻に考えて、泥
 沼にはまってしまう、と思った。
・「どうです?よくなりましたか」診療所に呼んでさりげなくたずねてみた。「だめです。
 もう、情なくなってきました」見るも気の毒なほど落ち込んでいる。
・「よし、それじゃ特効薬を注射してあげよう」柴さんは赤い注射液が入ったアンプルを
 大切そうに取り出した。
・「内緒だけどね。これは長島選手がアメリカから買ってきた秘薬です。これを注射すれ
 ば、必ず打てます。もうひとつの悩みのほうも、よくなること間違いありません」
・「あっ、なんだか身体じゅうに力があふれてくるみたいです」注射がすむなり、選手は
 はずんだ声でいった。 
・長島選手の秘薬、という暗示がきいて、これで治るぞ、と柴さんはにやにやした。
・しかし、その年のシーズンが終わるまで、彼の打撃不振は両方とも完治しなかった。よ
 ほどの重症といえた。 
・ところが日本シリーズがすんだころ、うれしそうな声で電話がかかってきた。「嘘みた
 いに、よくなりました。女房も喜んでいます。来シーズンはきっと、ばりばりやって見
 せますよ」
・柴さんは考えた。きっと彼は、グラウンドにいる間ずっと、あの薬局店主がこれを見に
 来ているんじゃないか、とおびえて、打撃不振におちいったのだ。そして今度はそれが、
 ベッドでの機能不全にはね返るという悪循環を招いていった。だからシーズンが終わっ
 て薬局店主に見られる不安がなくなった瞬間、機能は回復したのだ、と。
・それにしても、ごっつい身体をしていながら、プロ野球選手の神経はなんとデリケート
 なのだろう。ほんの、なんでもないことが心理的圧力になって、彼は一シーズンを棒に
 振ってしまったのだ。
・それからというもの、柴さんは巨人軍選手の顔を見るたびにいうようになった。「いい
 かね、打率を上げたかったら、決して自分でコンドームを買いにいくんじゃないよ」
・ところで、柴さんが選手に注射した赤いアンプルは、ほんとうに長島選手秘蔵の特効薬
 だった。ビタミンB12液で、アメリカの知人からすすめられた長島選手が、特に頼んで
 診療所に置いていたのである。
・ビタミンB12には、神経を活発にし、増血をうながす作用がある。だから、ベッドでは
 ともかく、グラウンドへ出る前に注射しておくのは効果的だ。
・とくに、引退がささやかれだし、長島選手自身体力の衰えを自覚しはじめていたころに
 は、試合前のこの注射を欠かさなかった。
・ふつう注射は腕か肩にする。ところが、どちらも野球選手にとっては生命のような部分
 だから、そこへは医師も看護婦も針を刺さない。お尻に射つ。
・「それはともかく、長島さんののはいいお尻でした。少女のそれのように白く、ふんわ
 り柔かく、それでいて少年みたいに弾力がある。名選手というのは、お尻までいいなあ、
 と感嘆させられたものでした」