昭和新山  :新田次郎

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この作品は、いまから50年前の1971年に発表されたものである。私がこの作品を知
ったのは、先般読んだ「科学者の心」という本に収録されていた中谷宇吉郎氏の「天地創
造の話」というエッセイが、この昭和新山に関するもので、このエッセイを読んで、もう
少し詳しいことが知りたいと思い探したところ、この本に出会ったのであった。
私がこの話に惹きつけられたのは、この昭和新山が火山活動によって出来たのが昭和19
年から昭和20年にかけての戦争中だったときの出来事であったことと、地元にその出来
事の一部始終を克明に記録していた、まさに「科学者の心」を持った人物がいたというと
ころにあった。
この人物は、この作品の中では美松五郎となっているが、実際には「三松正夫」さんとい
う人だったようだ。三松氏は、荒廃から守るために私財を投げ打ってこの昭和新山を土地
ごと購入し私有地としたというからすごい。世の中にはこういう人もいるんだと感激した。
そしてそれは娘婿である三松三朗氏に引き継がれ、三松三朗氏は昭和新山の山麓に「三松
正夫記念館
」(昭和新山資料館)を開館し、観測記録「ミマツダイヤグラム」を含む資料
類を展示しているという。この昭和新山は、現在でも三松家の私有地であり、このように
“私有地の火山”というのは世界でも珍しいようだ。
私は、まだ学生だったとき、北海道旅行をした折りにこの昭和新山に立ち寄ったことがあ
るのだが、そのときは残念ながらこの三松正夫記念館の存在を知らなかった。もし、今度
また北海道を旅行する機会があったら、ぜひ立ち寄ってみたいものだ。



・最初の地震はひそかな音を立てて去った。外を歩いていたら気がつかないでいる程度の
 地震であった。電灯がかすかに揺れた。
・美松五郎は郵便局舎の彼の椅子でその地震を感じた。小さな地震だが、比較的長い地震
 だなと思った。揺れ方の周期が短い地震だと思った。遠くに起きた大きな地震を感じた
 ときのように、ゆるやかに揺れるのではなく、かさこそとせせこましい揺れ方に彼は震
 源地は意外に近いところにあるのではないかと思った。
・年の暮になって割当てられて来た多額な戦時国債をどう消化しようかとその計画を立て
 ていたところであった。割当額の半分もまだ売れていなかった。現金収入の少ない農民
 を対象に売りさばこうとしても、なかなか困難であった。あと三日で昭和十九年になる。
 年が変わればまた新しい国債の割当てが来るであろう。
・美松五郎は北海道有珠郡壮瞥の郵便局長であった。戦争が進展するにつれて郵便局長の
 本来の仕事より貯蓄奨励の仕事の方が多忙になった。
・震源地は有珠岳だ。それ以外には考えられなかった。有珠岳が新しい活動を始めたこと
 によって起こる地震だと考えればすべてが了解できた。
・有珠岳火山の寄生火山として「明治新山」が活動を起こしたのは明治四十三年だった。 
 明治新山が新生するときもやはり今夜のような地震が続いた。
・記録に載っている有珠火山の大噴火は、寛文三年(一六六三年)、明和五年(一七六八
 年)、文政五年(一八二二年)、嘉永六年(一八五三年)、そして明治四十三年(一九
 一〇)の五回であった。文政五年の噴火はものすごく、熱雲のために多くの死傷者を出
 した。 
・その有珠岳は美松五郎の家から四キロのところにあった。
・地震は、五分間、間を置くことがあるかと思うと、十分間、間を置くこともあった。二
 分か三分の間隔で、繰り返すこともあった。
・五郎は、大地の底で桶の箍を叩くような音を聞いた。同時に揺れた。音と振動とは同時
 に彼を衝いた。 
・彼は三十三年前の明治新山のときのことを思い出した。その折も彼は、これと同じよう
 な音と振動を同時に聞いたのだ。忘れもしない明治四十三年の七月二十一日の午後だっ
 た。地底で大砲を打つような音と共に大地が動いた。壁土が落ち、戸障子が外れた。古
 い家は崩壊した。有珠火山のもっとも近い有珠村では畑地の中から泥水を吹き出した。
 道路の真中に泥水の噴水が上がった。
・そして、地震が始まってから五日目の七月二十五日に有珠火山の西北麓に爆発が起こっ
 たのである。ひとたび爆発が始まると、次々と新しい火口が現われ、噴石、降灰をこの
 辺一帯に降らせ、住宅、農地に大被害を与えた。
・活動は三か月余にわたって続き、この間、爆発口付近の大地が隆起して、海抜二百二十
 メートルの明治新山が出現したのである。
・美松五郎は明治新山のとき「大森房吉」博士の助手を務めて以来、この地を訪れる多く
 の火山学者と知り合った。彼自身も火山に興味を持って、暇を見ては、有珠火山帯を歩
 き廻って地形を調べたり、地温を測定したりした。
 

・年が変わって一月一日になってから、有珠岳西北西方向の金毘羅山麓にある上水道に小
 亀裂が起こって洞爺湖温泉町が一時的に断水した。地形に変化はやはり起こったのであ
 る。
・一月五日になって、国有鉄道「胆振線」が、壮瞥村伊達町との境界柳原地区で普通に
 なった。海鼠状の隆起ができたからであった。一夜にして、大地が盛り上がり、レー
 ルを浮かした原因が、大地の底にあることはもはや疑うべくもないことであったが、な
 ぜ、そこに隆起が生じたか、その隆起がなにを示唆するものか判断できなかった。線路
 は盛り上がった部分だけ掘り下げて汽車が通れるようにした。
・美松五郎は室蘭測候所に電話して、至急専門家の派遣を乞うた。室蘭測候所の答えは積
 極的ではなかった。 
・「局長さん、有珠岳の山麓にへんな雲が出ていますよ」郵便配達員が入って来て、五郎
 に告げた。フカバ地区の上空から有珠岳の中腹にかけて、霞に似た薄い層ができていた。
・翌朝、彼は単独で有珠岳へ登山した。今度の地震が有珠岳と関係ある以上、なんらかの
 徴候が有珠岳に見られるかもしれないと思った。比較すべき資料は揃っていた。少なく
 とも、年に三回彼は有珠岳に登って、観測結果を記帳していた。火山観測は長い年月に
 わたって続けないと意味がないということを大森房吉博士に教えられて以来のことであ
 った。
・大有珠岳にも小有珠岳にも銀沼にも異常は認められなかった。
・地震は相変わらず続いていた。湧き水が出たの、井戸水が出なくなったの、という異変
 を告げに来る者はふえる一方だった。
・「局長さん、うちの井戸の水が熱くなりました」北条忠良の顔は雪焼けして黒くたくま
 しかったが、眼には落ちつきがなかった。
・北条忠良の家は壮瞥村のフカバにあった。フカバという名称は、明治の中ごろ、そこに
 鮭の孵化場があったからそう名付けたものであった。北条忠良の家はフカバ地区の中で
 も西のはずれにあった。井戸は中庭にあった。井戸から濛々と湯気が立ち昇っていた。
 井戸水の温度は三十五度あった。だいたい、その付近の井戸水の水温は十七、八度であ
 った。それが突然、三十五度になったのである。
  

・地震が発生してから二十日目に洞爺湖に異変があった。異変を見たのは、ホテルの経営
 者の成田留吉であった。成田はこの夏この地に来たばかりだったので、洞爺湖が不凍湖
 だということを知らなかった。彼は桟橋の先に立って、湖面に向って石を投げる真似を
 した。湖面を見た瞬間に彼は、彼の心の中での投石の着水点のあたりに異常を発見した。
 水柱が上がらないかわりに、着水点を中心として、それまで、よどんでいた水が動き出
 したのである。成田は眼の錯覚だと思った。何度か瞬きして見たが、水はやはり廻って
 いた。それは次第に速度を増し、はっきりと渦巻の形をなして行った。彼は轟音を湖底
 に聞いた。渦巻ははげしい勢いで回転した。桟橋がぎしぎし鳴った。桟橋がそのまま渦
 の中に吸い込まれそうな勢いだった。
・成田は桟橋の上に這った。彼は宗教をなにも持っていなかったが、口の中でしきりに、
 神仏の名を唱えていた。 桟橋の振動が止まり、おそるおそる頭を持ち上げると、渦巻
 の速度はゆるやかになり、やがて、もとどおりの静かな湖面になった。無数の泡沫が、
 そこに突然起きた異常現象のすさまじさを物語っていた。
・測候所長は困った顔をした。「軍は極度に神経質になっているようです。北海道に地異
 が起こったということが、悲観的デマにつながることを怖れているようです」
 だから今度の地震に関するニュースは一切新聞紙上にも載らなかったし、ラジオも放送
 されないのだなと思った。
・軍という言葉が出ると、五郎は、去年の秋、相次いで出征して行った正一と健次のこと
 を思った。正一は結婚して六カ月目に召集を受けた。彼は身ごもった愛妻を札幌の実家
 に残して出征して行った。一度、昭南島から手紙が来たが、その後の消息はなかった。
 健次は満州にいた。五郎は二人の息子を通して戦争を身近に感じていた。
・「軍がなんと言おうと、火山の活動が戦争にどのように影響があろうとも、誰かがこの
 地震と地形の変化を見守っていなければならないでしょう」五郎は室蘭測候所長にはっ
 きり言った。


・フカバ部落に次々と異常が起きた。大地の亀裂と、地皺がふえた。今までなんでもなか
 った農家の庭の一部に亀裂が起こり、その亀裂は日を追って幅をひろげて行った。いま
 まで、馬鈴薯の畑地であったところに畔のような高まりができた一条や二条ではなく、
 数条も並行して走るものもあった。遠くから見ると、それは大地の皺であった。亀裂と
 皺は数えきれないほど出来た。
・フカバ地区に亀裂と地皺が始まると、洞爺湖温泉町の方の地震は減った。洞爺湖温泉町
 の人たちは愁眉を開いた。
・鉄道は毎日工事がなされていた。掘り下げても掘り下げても、鉄路は持ち上げられた。
 この鉄道の奥地に鉄山があったので、この鉄道の停止は許されなかった。鉄道工夫は、
 眼に見えない敵と昼夜戦っていた。電話線の障害、電灯線の障害も起きた。軍は鉄路の
 厳守命令を出していた。
・北条忠良が、五郎の家を訪れて、どうしても不安だから一度来て見てくれと言った。彼
 の家の下に亀裂ができたために、家が傾いたのである。彼の家はそれだけではなかった。
 井戸から溢れだした泥水が、彼の家の庭を池にしていた。
・地下でなにかが起こっていることは間違いなかった。フカバ地区に特に地震が多くなっ
 た。フカバ地区から九万坪付近にかけて大地が変動していることは、素人目にも明らか
 であった。 
・五郎は噴火を恐れていた。地震と隆起が噴火の前提としての地殻反動でないというより、
 あると考えたほうが、はるかに納得しやすかった。
・五郎は学者の到来を待ちわびた。彼一人ではどうにもならなかった。専門の学者が来て、
 はっきりとしたことを言って貰いたかった。彼は、いままで、有珠火山を訪れた学者た
 ちに、この変動を手紙で知らせて、一日もはやく来てくれることを願った。だが、三月
 に入っても専門家は一人もやって来なかった。
・五郎は特定地区の大地がいちじるしい変動を起こしつつあることがわかった以上、その
 推移を測定しようとした。幸い、彼の居住しているところには変動がないから、彼の家
 から変動地区の地盤の高さを観測しようと思った。それには経緯儀が必要であった。彼
 は室蘭測候所に電話を掛けて経緯儀の借用を申し込んだが、測候所には予備がなかった。
・彼は目測をすることにした。その日その日の状況をスケッチすることによって、高さの
 変動を記録しようとした。彼は裏庭の一箇所に観測点を設けた。都合がいいことに、そ
 の観測点から五百メートルほど先に観音堂が見えていた。彼は観音堂を図に写生し、そ
 の背後に、フカバ、九万坪地区の地物を写生し、更にその背後に有珠岳外輪山を写し取
 った。
・こうする以外に変動を記録する方法がなかった。彼は写真機を持っていたが、戦時中だ
 からフィルムを自由に買うことはできなかった。
・地形変動の観測を開始すると同時に、定期的に変動地を巡回する仕事を続けた。すべて
 筆記、写生であった。
・五郎は、中学を卒業したら、東京の美術学校に行きたいと父に願ったほど絵が好きだっ
 た。結局郵便局の仕事を父から引き継いだが、絵の勉強は忘れなかった。その絵の技術
 が、役に立つとは思っていなかった。
・六月になってすぐ、五郎は田口博士を迎えた。田口博士は南方にいっていたが、身体を
 悪くして日本に帰ったばかりであった。田口はひどく痩せていた。田口は、五郎と共に
 現地を歩き廻り、五郎がそれまでに残しておいた観測記録を見て言った。「かなり危険
 だな。フカバ地区の住民は避難させた方がいいかもしれない」
・田口は、地震計や測定器機を取りに一時壮瞥を去った。


・昭和十九年六月二十三日、その日は快晴だった。五郎は九万坪と松本山との境のあたり
 になにか動くものを見たような気がした。眼をこらしてよく見ると、それは一条の白い
 煙だった。煙は真直ぐ立ち昇った。誰かが焚火をしているような煙だった。煙の色が白
 すぎることが気になった。
・その地点は昨日昼頃、調査に行ったところであった。その付近には大きな亀裂があり、
 亀裂の中に数個の穴があった。穴に鼻を寄せて嗅いで見たが臭気は感じられなかった。
・一条の白煙は、間もなく三条の煙になって、ほとんど垂直に立ち昇った。もはや焚火の
 煙ではなく、白煙の下にエネルギーを潜在させたなにかであることに間違いがなかった。
・五郎は噴煙のスケッチにかかった。その概略や形をやっと紙に写し取ったとき、爆発が
 起こった。 
・空に向って吹き上げた赤い炎の柱を彼は美しいと思った。轟音が天と地を揺すぶった。
 赤い炎の上に黒い無数の小物体が見えた。それらの黒い物はしばらく空中に浮遊してい
 るかのように見えた。爆発は数回にわたって繰り返され、次第にその高さを増して行っ
 た。高さを増すにつれて、火柱は細くなり、その高さは一キロメートルに達した。
・噴煙は一キロメートルの高さで停止し、漸次その高さを縮めて行くようであった。二時
 間後に爆発はおさまり、一条の白い煙がそのあとに残った。
・五郎は支度を整えると、噴煙を目掛けて小走りに急いだ。五郎はあたりに眼をやった。
 たった二時間の間に地形はすっかり変わっていた。セメント状の降灰が二十センチほど
 積もっていた。五郎は松本山の中腹から火口を見た。直径五十メートルほどの火口湖が
 でき、泥水をたたえていた。湖面から湯気が濛々と上がっていた。火口湖は一面に泡立
 ち、中央から一条の白煙が立ち昇っていた。
・五郎は松本山の中腹を降りると、真直ぐに火口湖に向った。危険だとは感じなかった。
 行って見なければならないという使命感もなかった。彼の足は無意識にそっちに向って
 いた。
・足が熱かった。靴の底を通して、熱気が伝わって来た。だが、五郎にはたいして気には
 ならなかった。とにかく火口湖がいかなる形態をなしているか見とどけなければならな
 いと思った。
・火口が近づくと足がぬかった。火口の周辺は泥水に覆われていた。くるぶしのところま
 で泥にもぐった。彼はちょっとためらった。それ以上進むことは危険のように思われた。
 ルックザックから細引きと温度計を出した。火口湖の温度を測定するつもりだった。火
 口湖はすり鉢型になっていた。温度を測定するには、そのすり鉢の縁に立たねばならな
 かった。
・火口湖のすり鉢の縁に立って見ると、火口湖には汁粉状の泥水がたまっていた。ぶつぶ
 つと無気味な音をたてていた。彼はすり鉢の縁に沿って温度計を火口湖の中に滑りこま
 せようとした。そう思って腰をかがめた瞬間、彼の身体が火口湖に向って、移動し始め
 た。同時に彼の身体は泥の中に吸い込まれた。彼はもがいた。懸命に泥の中を泳いだ。
・泥土は熱していた。衣服を通して焼けるように熱かった。泥土の火口湖がぶつぶつと泡
 を立てているところを見ると百度を越える温度であろう。落ちたら、それまでだった。
 彼は最後のあがきを試みた。足も手も火傷を負ったように熱かったが、どうやらすり鉢
 の縁まで上がることができた。火口湖の縁から二十メートルほど離れたところで彼は焼
 石を踏んだ。思わずとび上がったほどの熱さであった。そのとき彼は危機を脱し得たこ
 とを知った。
 

・美松五郎は九万坪に爆発が起こったことを関係方面に電報で知らせた。折り返して、問
 い合わせの電報や電話が殺到した。
・その電報の中に、喜びと悲しみを同時に知らせてきた一通の電報があった。孫の誕生と
 その母の死であった。妻のつね子はその日のうちに札幌に発った。
・五郎は戦地にいる正一に女児誕生、母子共に健全と手紙を書いた。嫁の不幸は知らせて
 やらないほうがいいと思った。新生火山のことも書きたかったが、軍の検閲にかかって
 もし正一に迷惑がかかってはいけないと思って止めた。爆発の直後に、憲兵隊から電話
 がかかって来て、爆発の事実を、火山学者以外には知らせてはならないという厳重な申
 し入れがあった。
・火山爆発に関する一切の報道は禁止された。
・新生火山の爆発以来、五郎は彼の生涯のうちでもっとも多忙な日を送った。火山の観測
 と、火山を訪れる人たちの応接であった。戦時中であり、交通は困難であったが、火山
 学者や気象台関係者がつぎつぎと壮瞥を訪れた。五郎はそれらの人が来るたびに経過を
 報告し、案内にたった。その新生火山を見守っている者は自分ひとりだけではないと考
 えるだけで、元気が出た。田口博士がいちはやく駆けつけてくれたことは五郎にとって
 大きな心の支えとなった。田口は五郎と共に火口湖近くまで何回か行った。
・爆発と同時に招かざる客の一団がやって来た。隣町の伊達町警察署長が十三名の警察官
 をつれて来て、フカバ地区に本部を設けて警戒に当った。彼らは、隆起地区に非常線を
 張って、人が火口湖に近づくことを警戒し、余力の人員を付近の農村の見廻りに当てた。
・しかし農民たちは、その警官の後姿に向ってつぶやいた。「いったい警察と火山がなん
 の関係があるのだ。ばかばかしい」
・ばかばかしいのは、それだけではなかった。招かざる客の食糧は壮瞥村でいっさい負担
 しなければならなかった。壮瞥村は水田が少なかった。非農家も少なくないから村の保
 有米は僅少であった。村は取りあえず、この米を招かざる客の炊き出しに使った。労力
 は婦人会員が交替で当った。
・被害村落にとって食糧は貴重であった。「おれたちはジャガイモを食べ、頼みもしない
 のにやって来た人たちが白い飯を腹いっぱい食うということはどう考えてもおかしなこ
 とだ」そういう不平が出たが、だからと言って、白米を出さぬわけにはいかなかった。
 招かざる客は一週間ごとに交替した。火山見物と食いだめを兼ねて出張して来ているの
 だと陰口をたたく者があった。 
・警察署長は、ある朝、いつもよりやや高く上がっている白煙を見て、大爆発があるから
 一時避難せよとフカバの住民に命令した。学者たちは五郎のいうことならともかく、署
 長のいうことだから村民は信じなかった。署長はサーベルを抜いて、避難せよと叱咤し
 た。フカバの地区民はやむなく一時的に家を離れたが、爆発はついに起こらなかった。
・間歇的な爆発が、数回続くうちに、五郎は爆発の前兆をある程度掴んでいた。爆発が起
 る前には、突き上げるような地震が頻発し、そして、それまで立ち昇っていた白煙が一
 時的に停止するのである。署長はそういうことを知らずに、口から出まかせを言って、
 村民を避難させたのである。
・「戦時中でなにかとお忙しいでしょうから、火山のことは、私達に任せて、お引き取り
 ください」田口博士が、村の苦衷を察して、警察署長に言った。署長は真っ赤になって
 怒鳴った。「お前たちは火山のことを調べておればそれでいいのだ。治安を所掌するお
 れの仕事に口をだすな」
・五郎は、招かざる客たちの眼の仇にされた。彼等にとっては、中央からやって来る学者
 たちの先頭に立って火山の調査に歩き廻っている美松五郎の存在が眼ざわりであった。
 彼等は、非常線をたくみに突破して火口近くに日参する五郎を、つけ廻した。そんなこ
 としか彼等のする仕事はなかったのである。
・調査団が来ている最中でも、大爆発はしばしば起った。大爆発が起るたびに新しい火口
 ができた。地形の隆起は、その速度を増したようであった。八月に近くになるとフカバ
 地区は家のほとんどは倒壊寸前の状態になった。農家は、家を解体して、安全な場所に
 次々と移築した。
・九万坪地区は地皺と地割れと降灰と落石で、ほとんど全滅に近い状況になっていた。し
 かし、フカバ地区の住民の半ば以上は、その農地と家に執着して、熱灰をかぶりながら
 も頑張っていた。
・八月に入って間もなく、夜の十一時を過ぎたころ大爆発が起った。世界の終わりかと思
 われる大爆発は参事官連続し、五分間置いてまだ一時間噴いた。この大爆発による降灰
 は遠く苫小牧まで及んだ。火口から二・五キロ離れている郵便局の屋根にも二十センチ
 の厚さに灰がつもった。
・大爆発と同時にフカバにいた招かざる客たちは伊達町に逃避した。サーバルを置いて逃
 げた者があった。フカバ地区の農民のほとんどは風の向きを見て、伊達町とは反対方向
 に逃げた。混乱の最中だったが、農民たちには風上に向って逃げるだけの智恵があった。
・「村民を守る立場にいる警察官が、村民を置いて真っ先に逃げるとはなにごとです」翌
 日になってすごすごやって来た署長に向って田口博士が言った。田口はその夜の警察官
 の行動にはなんとしても我慢できなかった。
・招かざる客たちはこの大爆発がよほどこたえたと見えて、二度と村には現われなかった。
・八月の半ばになって、つね子が突然札幌へ行くと言い出した。孫の顔を見たいというの
 がその理由だった。五郎は強いて止めなかった。三日後につね子は、孫の照子を抱いて
 帰って来た。「どうしたのだ、お前」「私が育てるのよ。照子はうちの孫娘だもの」
・つね子はなにか思いつめたような顔をしていた。その方がいいのだと五郎は思った。亡
 くなった嫁の実家にこれ以上の負担は掛けたくなかった。つね子は照子を立派に育て上
 げるだろう。
・この前の大爆発のとき、幼児が一人死んだ。降灰のために窒息したのである。爆発にお
 びえて、老人と幼児は安全地帯に退避しているのに、逆に照子を連れて来たつね子の複
 雑な心情を察すると五郎はなにも言えなかった。つね子に抱かれた照子はまだよく見え
 ない眼を窓の外の新生火山に向けていた。
 

・九月になっても爆発は続いた。夜だとすさまじい景観を呈した。火口付近に紅の幕を張
 ったような明るさが走ると同時に大地を揺り動かすような爆音が走り、日の円柱が吹き
 上がり、無数の赤い星が飛び散り、黒雲を雷光がつらぬいた。昼間の爆発では竜巻が望
 見された。火口で爆発が起った直後、周囲の空気は火口に吸いよせられて渦を巻きなが
 ら、一キロも二キロも昇騰した。
・壮瞥川は隆起のためにせき止められ、湛水地ができた。その水を排水するための運河堀
 りが続いていた。鉄道の保線には毎日百人近くの人が当っていた。大地の隆起を人力で
 食い止めようとする果敢な戦いは昼夜にわたって続けられたが、自然の威力には勝てな
 かった。回避線を作ったが、その回避線も、地盤隆起の影響をまぬがれることはできな
 かった。
・軍はいかなることがあっても、鉄道を止めることのないように厳命を下した。農地を失
 ったフカバ地区の住民の一部は、この鉄道路線の工事に従事した。
・動物は、噴火とともに、ほとんど、他の山へ逃げたが、逃げずにいる動物も若干いた。
 野兎はその土地に固執した。
 

・十月三十一日の夜の大爆発は、それまでの爆発と類を異にして、華麗であった。爆発が
 起ると、黒雲の中で火球が入り乱れて飛び、その間を縫うように電光が走った。爆発は
 一時間後に熄んだ。そしてこの第十七回目の大爆発が、新生火山の最期を飾るものとな
 った。
・大爆発があった翌日、五郎は健次の戦死の公報を受けた。彼が乗っていた輸送船が敵潜
 水艦の攻撃を受けたのである。五郎は戦況が不利になるにつれて、増加していく郵便事
 務の処理と火山観測の整理に一日、三、四時間しか睡眠できない日が続いた。彼は仕事
 に没頭することによって悲しみから逃れようとした。妻のつね子も、健次の死を口に出
 さなかった。
・「まだ正一がいるし、この子もいる」妻は照子を抱きあげて言った。照子はたくましく
 成長して行った。引き取って以来一度も病気をしたことがなかった。
・新山はそのころから急に肥り出した。毎朝の観測でその生長ははっきりしていた。新山
 の頂はもとの畑の面より百五十メートルほど隆起していた。
・火山は活動を続けていた。大爆発はないが、小爆発は間歇的に繰返されていた。
・昭和十九年十二月四日の朝、五郎は白煙の中に突き出ている三角形の岩塔を見た。熔岩
 塔は日に日に生長を続けた。  
・昭和二十年に年が変わると、岩塔の発達はいちじるしくなり、その存在が多くの人々の
 眼にとまった。新生火山は新しい活動を始めたのである。爆発を停止したかわりに、爆
 発に相当するエネルギーを岩塔という固体にかえて押し出して来たのである。岩塔が推
 上するにつれて、それまでの七つの火口はおしつぶされ、それまでに形成されていた新
 山の崖は音を立てて崩れていった。
・三月になると熔岩塔自体の長さが五十メートルになり、更に、その近くに副岩塔が現わ
 れた。
・新山は日に日に変貌していった。五郎は新生火山が突然に爆発を止めて、熔岩塔推上と
 いう新たな活動に入ったことを戦況に比較して考えていた。それは、日本軍が攻撃から
 守備に作戦を変更せざるを得なくなったのと通ずるものがあった。およそ、その時期も
 相似していた。一月に米軍はルソン島に上陸した。三月に硫黄島の守備隊が玉砕した。
 敵はじりじりと本土におしよせて来ていた。東京がB29の大空襲を受けて十数万の死
 傷者があったことが伝えられた。
・熔岩塔は一日に一・五メートルの速さで生長して行った。
・六月に沖縄本島の日本軍が玉砕した。
・室蘭から懸章をつけた参謀が三名の部下をつれて来て、五郎に火山のことを聞いた。新
 生火山の火が敵機の目標になっては困るからなんとかならないものかと言った。五郎は
 参謀を新生火山に案内した。噴煙と地熱と地底から発する怪光と、むせかえるような異
 臭の中に参謀は無言で立っていた。参謀の口から溜息が洩れた。
・七月に入ってから、グラマン機が室蘭を襲った。七月十五日には、室蘭の工場地帯は敵
 の艦砲射撃を受けた
。 
・八月十五日、五郎は逓信報国隊結成のため、伊達局に有珠郡の郵便局の十七局長を集め
 て自ら議長となって会議を進めていた。その途中で終戦の重大ニュースを聞いた。
・敗戦の知らせで虚脱したような顔をしている人々の顔を見ているのがやり切れなかった。
 敗戦後、じぶんたちはどうなるかと話かけて来る者に答えるのも億劫だった。
・新山にいけばなにかがあった。少なくとも敗戦の重苦しい気持ちをはねのけることはで
 きるだろうと思った。
・終戦後一カ月経った、九月二十日の朝、五郎は新生火山の停止を観測した。その朝の観
 測には変動は認められなかった。地震発生以来一年九カ月にわたって活動を続けていた
 新生火山は、その頂上において、元の地面より、二百六十四メートルの背丈に達したと
 ころでその生長を停止した。
・正一の戦死の公報が入ったのは更に二カ月ほど後であった。


・終戦後も五郎の火山観測を続けられた。それまで彼が観測した新生火山の生長の過程を
 完全なものにするには、予後の観測が大事であることは、火山学者に言われるまでもな
 く彼はよく知っていた。
・彼は新生火山の観測に尽瘁することによって、戦後に生きる価値を求めようとした。
・戦時中、新生火山に関する記事は軍の命令によって掲載は禁止されていたが、戦後の混
 乱の中では、まだまだ世人の眼がこの新生火山に向かうまでには至っていなかった。
・真っ先にこの新生火山に眼を向けたのは、鉱山師であった。彼等は次々と鉱区を申請し
 て、その許可を待たずに、昭和二十一年の春ごろから硫黄の採掘にかかった。まだ熱い、
 良質の硫黄が多量に搬出された。
・新生火山はまだ生きていた。その身体に傷をつけるような行動に五郎は我慢できなかっ
 た。活動中の火山に人が立ち入ることも危険であった。しかし五郎のできることは、危
 険を説いてやるぐらいのものであった。それ以上立ち入ったことを言うと彼等は怒って
 ツルハシをふり上げた。
・「照子もおじいちゃんと山へ行く」と、つね子の傍にいた照子が言った。照子は満二歳
 になっていた。なんでもしゃべるし、足もしっかりしていた。照子は五郎におんぶして
 行くと言った。甘えているのである。危険だからと、つね子が言いきかせても承知しな
 かった。ついには泣いた。泣かれると五郎は負けて照子を背負った。
・新山の近くまで行って引き返そうと思った。その照子が、新山の真正面に経って、赤い
 岩肌と白い噴煙を見上げたとき、「あれはおじいちゃんと照子の山」と言った。五郎は
 背中の照子が洩らした言葉を神の啓示のように聞いた。
・五郎は札幌の鉱山監督局の係官が言ったことを思い出していた。そうだ、鉱区の許可が
 おりないうちに、新山を買い取ってしまう手がある。自分の山になれば、地上権を主張
 して、鉱山師たちの立ち入りを防ぐことができるのだ。
・「おれはあの新山を買うぞ」五郎は帰るとつね子に言った。つね子はだまって五郎の顔
 を見ていた。正気かという顔であった。
・美松家には、山林と若干の畑があった。彼の父が残したものであった。彼の父は延岡内
 藤藩
の藩士であった。明治になって、内務省の役人になり、北海道に来て、内務省直営
 の製糖所の所長を務めていたが、上司と意見が合わずに辞して、この地に帰農したので
 ある。彼の母は、旗本の娘であった。五郎は末子として生まれ、父の跡を継いでこの地
 に留まったのである。戦後の農地解放によって農地の大部分を失い、売られるものと言
 ったら山林だけだった。父が生きていたならば、黙って彼の話を聞いていて、学問のた
 めに必要なら止むを得ないと言うだろうと思った。
・元フカバ地区の地主たちに、もはや農地としてなんの役にも立たなくなった、焼けただ
 れた土地を買いたいというと、すぐその話に乗った。だが、いざその価格になると彼等
 は意外なほどねばり強いところを見せた。五郎は山林の三分の二を売って六十五町歩の
 新山を買い取った。
・「あなたほど、ばかな人はいないね。なんにもならない土地を買ってどうするのです」
 北条忠良は、彼の土地の代金を五郎から受け取るときに言った。
・昭和二十三年、オスローで世界火山会議が開かれることになった。田口博士はこの席上
 で、五郎が一日も欠かさずに観測をつづけた新山の生成過程について発表したいが、山
 に名がなくてはこまる、美松新山はどうだろうかと相談に来た。五郎は田中博士の顔を
 しばらく見詰めていたが、だまって首を横にふって、「昭和新山がいいでしょう」と言
 った。五郎の頭の中には照子の顔があった。彼女がおじいちゃんと照子の山と言ったこ
 とを思い出していた。昭和の昭と照子の照とはどこかで通じていた。
・オスローの火山会議における田中博士の昭和新山に関する講演は、最も注目すべき課題
 とされた。最後に田中博士は、美松五郎が観測した新山生成の過程を図にして示した。
 一目で新山の生成過程が分かった。 
・「未だ地球上において為し得られなかったことが、日本のミマツ氏によって完成された
 ことを記念するために、このダイヤグラムにミマツダイヤグラムと名付けよう。そして、
 このミマツダイヤグラムはわれわれ火山学者のもっとも貴重な宝物となるであろう」と
 議長が発言した。その提案は満場の拍手によって迎えられた。
・ミマツダイヤグラムのことが日本の新聞に報道されてから、新聞記者、雑誌記者がつぎ
 つぎと壮瞥を訪れて、戦時中に新生した火山に驚異の眼を見張った。昭和新山の名はよ
 うやく一般に知られるようになった。
・昭和二十六年の六月、彼は郵便局長を辞した。この日から彼は、誰にも気兼ねすること
 なく彼の新山の調査を続けることができた。

10
・昭和新山が観光の対象となったのは、昭和三十年以後であった。このころは、物好きが
 見に来る程度だったが、三十五年を過ぎて、やがて観光ブームが訪れると、昭和新山を
 訪れる人が急にふえた。洞爺湖を訪れる人は例外なしに昭和新山を見たがった。美松五
 郎が戦時中ずっとこの火山の観測を続け、研究のために私費を投じてその山を買ったと
 いう事実も、観光客たちの旅愁を揺さぶった。
・洞爺湖を一巡する国道から、昭和新山観光用の完全舗装道路が北海道庁の手によって完
 成かれてからは、年間五十万人を優に越す観光客が昭和新山を訪れるようになった。
・五郎は著名な観光業者の訪問を受けた。昭和新山を売らないかという交渉であった。業
 者は三千万円という値をつけた。五郎の言い方次第ではまだまだ値をつり上げるつもり
 のようであった。
・「私は火山の研究のためにあの山を買ったのです。儲けるためでも観光の用に供するた
 めでもありません」五郎はその話をことわった。
・その話が新聞に出ると、次々と山を買いたいという人が現われた。三億円出すから売れ
 という人が現われたという噂まで出た。
・北条忠良は観光道路が昭和新山に通ずると同時にバスの停留所の近くに土産物屋を開店
 した。北条が儲けたと聞くと、次々と土産物屋が軒を並べるようになった。北条忠良は
 店を拡張して、群小土産屋の追従をふり切った。
・昭和新山は二十一歳を迎えていた。降灰のために枯死した付近の森林が当時に勝る生長
 ぶりを見せたばかりでなく、昭和新山の麓の山林一帯も、樹木が生い繁っていた。これ
 らの植物の生長の速さを驚異に値した。
・五郎には新山と照子が姉妹に見えた。照子は美しく成人した。両親を戦争中に失った照
 子であったが、どこにも暗い翳はなかった明朗で常に輝きに満ちた娘だった。高校を卒
 業して、大学に入ってからは更に美しさを増した。近所のおかみさんが、照子さんはあ
 まりお綺麗だから女優にしたらいいと不用意に洩らした言葉に、つね子が腹を立てた。
・五郎が新山を手放す気持ちがないことを繰返し表明しても、新山の買手はなかなかあき
 らめなかった。彼等は五郎の家計が決して豊かでないことを知っているからであった。 
・照子は大学を卒業した年の秋、結婚した。婿の紫郎は大学の助手で、生物学を専攻して
 いた。新居は東京に持った。翌年の夏、紫郎と照子は壮瞥で一夏を過ごすことにした。
 紫郎は五郎の昭和新山の資料の整理を手伝った。紫郎は、新生火山の生成中に五郎が観
 測した動物や植物に対しての綿密な記録を見て感激した。若い紫郎はその夏の終わるこ
 ろには、昭和新山に魅せられた一人になっていた。紫郎は五郎の残した厖大な観測資料
 や写生資料を如何に整理して後世に残すかを考えていた。
・その夏の終りごろ、五郎は紫郎を誘って昭和新山に登った。昭和新山の頂上に登る道は
 一つしかなかった。それ以外の道は危険であった。安全ルートを知っている者は数名に
 過ぎなかった。 
・紫郎は既にその頂上まで何回か登っていた。紫郎と五郎はザイルにつながれて昭和新山
 を大きく捲くようにして登って行った。
・「昭和新山は二十四歳になった。だがこれ以上この足で登って見てやるわけにはいかな
 いだろう。此処まで来るのもこれが最後かもしれない」五郎はそう行って眼を山麓に投
 げた。
・紫郎は、これが最後かもしれないと言う言葉を聞いたとき、はっとした。昭和新山は青
 年になった。だがまだまだその先がある。その先を誰かに見とどけて欲しいという気持
 ちがあっても、それを口に出せない五郎の心境が紫郎の胸を打った。「ぼくが、あとを
 つづけましょう」「えっ!大学は?」「やめるんです。照子もそのほうを喜ぶでしょう」
 二人はそれ以上話さなかった。話をしないでも心は通じていた。