人間失格  :太宰治

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最近、「人間失格 太宰治と3人の女たち」という映画が公開となったようだ。「人間失
格」といえば、もうずいぶん古い時代の小説だ。なんでいまさら映画化されたのかと、ち
ょっと不思議な気持ちにさせられた。
この映画は、太宰治を取り巻く3人の女性たちとの関係を中心に、小説「人間失格」の誕
生の秘話を描いているらしいのだが、3人の女性たちの大胆な演技が見どころであるらし
い。しかし、この小説「人間失格」そのものの内容は、そんな艶めかしいものではないは
ずだというのが、私のいままでの印象だった。そこで、再度、ほんとうに久しぶりにこの
小説を読み直してみた。
太宰治のこの「人間失格」という作品は、あの終戦から3年後の1948年(昭和23年)
頃に書かれたものとされている。その頃は、まだ、戦後の荒廃した社会が色濃く残ってい
る暗い時代だったはずと想像する。
この作品は、太宰治の代表作の一つとされ、この小説を書き終えた直後に太宰治が自殺し
たことから、太宰治の「遺書」として、ことさらに注目を集めたようだ。
私自身は、太宰治の小説は、あまり好きではない。全体的に暗く、読むと、なんだか重苦
しい気持ちにさせられるからだ。それに、太宰治の小説は、同じ東北人が共通に持つ、あ
る「弱さ」を照らし出しているような気がして、「自分にも同じような弱さがある」と思
わさせられるところがあり、なんだか身震いさせられてしまうのである。

この小説の主人公である”私”は、いまで言うところの慢性鬱病になっていたのではなか
ろうかという気がする。生まれつきの鬱病というものがあるのかどうかはわからないが、
とにかく、生きることへの執着心がすっかり失われてしまっている気がする。それと同時
に、極度の対人恐怖症だったと思える。生まれてこのかた、信用できる人間というのが、
ひとりとしていなかったのだろう。それは生まれつきのものであったのか、それとも何か
のきっかけでそうなったのかはわならない。
ただ、気にかかる部分が、小説の中に出てくる。それは「第一の手記」章に出てくる、下
男や下女に関する記述の部分だ。「その頃、既に自分は、女中や下男から、哀しい事を教
えられ、犯されていました」というくだりがある。これはどういうことを意味しているの
か。その内容を、正直にそのまま受け止めれば、これは「性的虐待を受けていた」という
ことを告白していることになる。実際、海外では、この作品を「少年への性的虐待を表現
した小説」であるとの論評もあるようだ。これは、今の時代ならば、大問題となる内容を
孕んでいることになる。太宰治が人間不信に陥った最大の原点は、幼少期に受けたこの性
的虐待にあったような気がするからだ。

主人公が、「世間とは、いったい、何の事でしょう」と悩む場面が出てくる。この悩みは、
昔も今も、この日本においては一貫して、常に市井に人々を苦しめてきたものではないか
と、私は思っている。太宰治が生きた戦中戦後の時代はもちろん、現代においても、この
「世間」というものが、多少は薄れては来たものの、まだまだ重く我々の上にのしかかり、
我々を拘束しているのは否定できないだろう。よく、世間とは、隣人や自分の住む地域の
コミュニティだ、と言われることもあるが、世間とは、複数の人間との関係ではなく、個
人との関係だと、主人公は思い始めるのであるが、私もそうだと思うのだ。「世間が許さ
ない」というは、それを言うそのひと個人が世間なのだと思うのだ。
主人公は、とにかく、自分の弱さから逃れるために、酒におぼれる。これも、現在でもよ
くありがちなことである。辛い現実を直視することができず、酒に逃れてしまう。これは、
アルコール中毒者の多くが抱えている問題なのかもしれない。しかし、酒に逃れれば逃れ
るほど、現実はますます厳しいものになっていく。
それでも、一時は、なんとか普通の幸せな生活が送れるチャンスがあった。それは、妻、
ヨシ子との出会いである。主人公にとって、純粋無垢な心の持ち主であった妻のヨシ子は、
生まれて初めて心を許せる人間だったのかもしれない。しかし、それも、自分の目の前で、
その妻が他人に犯されてしまうという事件に遭遇して、決定的なダメージを受けてしまう。
自分の愛する妻が、他人に犯されてしまった時の夫が受けるショックというのは、計り知
れないものがあるようだ。このことは曽野綾子の小説「天上の青」でも描かれているよう
に、その夫は、もはや、立ち直ることができないほどの精神的ダメージを受けてしまう。
もはや元の生活には戻れないのだ。男とは弱いものだと、言ってしまえばそれまでだが、
しかし、男とはそういう弱さの中で、辛うじて生きているところがある。
結局、この事件が最終的な引き金となって、主人公の人格は廃人に向かって崩壊していく
のである。
この小説においては、主人公がこのような性格になったのは、非常に厳格な父親の存在が
あるということになっているようだ。主人公にとって、きわめて厳格な父親はあまりに偉
大な存在であったのだろう。男にとって父親は、乗り越えていく存在なのだが、その父親
があまりに偉大だと、父親の偉大さに負けてしまい、息子がぐれてしまうというケースは、
少なからずあることである。父と息子の関係は、昔も今も、とても難しい関係なのだろう
と、この小説を読んで改めて思わされた。
映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」を観たわけではないが、この小説の内容とはか
なり違うのではないかと思っている。この小説のなんとも言えない重苦しさは、映画では
なかなか表現することは難しいのではと私は思うのだ。
若い頃、よく、太宰治の小説ぐらい読んでおけ、などと言われたが、あの若い時では、と
てもこの小説を理解することはできなかった。今の年齢になって、改めてこの小説を読ん
でみて、少しばかりわかったような気がする。

はしがき
・私は、その男の写真を三葉、見たことがある。一葉は、その男の幼年時代、とでも言う
 べきであろうか。十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひ
 とに取りかこまれ、(それは子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちと想像され
 る)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑
 っている写真である。
・まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪い
 ものが感ぜられる。どだい、それは、笑顔ではない。この子は、少しも笑ってはいない
 のだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶ
 しを固く握りながら笑えるものでは無いのである。
・第二葉の写真の顔は、これまた、びっくりするくらいひどく変貌していた。学生の姿で
 ある。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、
 おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感
 じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗かせ、籐椅子に腰
 掛けて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑
 いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。
 血の重さ、とでも言おうか、生命の渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも
 無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑
 っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。
・もう一葉の写真は、最も怪奇なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭は
 いくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋の片隅で、小さい火鉢に両手をか
 ざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。いわば、坐って火鉢に両手をかざし
 ながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であ
 った。 

第一の手記
・恥の多い生涯を送ってきました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないの
 です。自分は東北の田舎に生まれましたので、汽車ははじめて見たのは、よほど大きく
 なってからでした。
・自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から
 案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風変わり
 で面白い遊びだから、とばかり思っていました。
・自分は、空腹ということを知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない
 家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という
 感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。自分だって、それは勿論、大
 いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありませ
 ん。めずらしいと思われたものを食べます。豪華とおもわれたものを食べます。また、
 よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の
 頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
・田舎の昔気質の家でしたので、おかずも、たいてい決まっていて、めずらしいもの、豪
 華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、自分は食事の時刻を恐怖しました。
 人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食
 べている。 
・めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞
 こえませんでした。しかし、いつも自分に不安の恐怖を与えました。人間は、めしを食
 わなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど
 自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったの
 です。
・つまり、自分には人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になり
 そうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食い違
 っているような不安、自分はその不安のために夜々、輾転し、呻吟し、発狂しかけた事
 さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしば
 しば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、
 自分を仕合せ者だと言った人たちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安
 楽なように自分には見えるのです。
・自分には、禍いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が背負ったら、その
 一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありまし
 た。つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないの
 です。
・それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望をせず、屈せず生活の
 たたかいを続けて行ける。苦しくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかも
 それを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事がないんじゃないか?それなら、楽
 だ。しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら。
 わからない。夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見ているのだろう。
・人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がする
 けれど、金のために生きている、という言葉は、耳にしたことが無い。いや、しかし、
 ことによると、いや、それもわからない。考えれば考えるほど、自分には、わからなく
 なり、自分ひとり全く変わっているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自
 分は隣人と、ほとんど会話ができません。何を、どう言ったらいいのか、わからないの
 です。 
・そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
 自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなか
 ったのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たの
 でした。絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合い
 とでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサービスでした。
・自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼らがどんなに苦しく、また
 どんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その
 気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、い
 つのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
・また自分は、肉親たちに何か言われて、口答えした事は一度もありませんでした。その
 わずかなおこごとは、自分には霹靂の如く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころ
 か、そのおこごとこそ、いわば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自
 分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかし
 ら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないの
 でした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしてい
 るような気がして来て、いつもその攻撃を黙して、受け、内心、狂うほどの恐怖を感じ
 ました。
・それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気がするものではないかも
 知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子よりも鰐よりも竜よりも、もっとお
 そろしい動物の本性を見るのです。普段は、その本性を隠しているようですけれど、何
 かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾をピシッと
 腹の虻を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りによって暴露する様
 子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄を覚え、この本性もまた人間の生きて行
 く資格の一つなのかもしれないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。
・人間に対して、いつも恐怖に震えおののき、また、人間としての自分の言動に、みじん
 も自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナーバ
 スネスを、ひた隠しに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人
 として、次第に完成されて行きました。 
・とにかく、彼ら人間たちの目障りになってはいけない。自分は無だ、風だ、空だ、とい
 うような思いばかりが募り、自分はお道化によって家族を笑わせ、また、家族よりも、
 もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサービスをしたのです。
・人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事もできま
 せんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、
 極めてにがく味い、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、
 二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に至り、いよいよじぶんの所謂「恥の
 多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。
・その頃、既に自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました。幼少
 の者に対して、そのような事を行なうのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等
 で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。こ
 れでまた一つ、人間の特質を見たというような気持ちさえして、そうして、力無く笑っ
 ていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼らの犯
 罪を父や母に訴える事が出来たのかもしれませんが、しかし、自分は、その父や母をも
 全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも
 期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡り訴えても、政府に訴えて
 も、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言い分に言いまくられるだけの事では
 ないかしら。
・人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思わ
 れるのですけど、現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホ
 バも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。
・互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている
 事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな
 不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざ
 むき合っているという事は、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化によ
 って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、終身教科書的な正義とか何
 とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。
・自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る
 自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分のその妙諦を教え
 てはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、
 必死のサービスなどしなくて、済んだでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々
 の地獄のこれほどの苦しみを嘗めずに済んだのでしょう。つまり、自分が下男下女たち
 の憎ぬべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、人
 間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。 
・そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性に、本能によって
 嗅ぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もする
 のです。つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなの
 でした。

第二の手記
・自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女
 性のほうが男性よりも数が多く、また親戚も、女の子がたくさんあり、また例の「犯罪」
 の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言で
 はないと思いますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひと
 たちとつき合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、
 そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から
 受ける笞とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒し難い傷で
 した。
・女は引き寄せて、突っ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分を蔑み、邪慳
 にし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる。女は死んだように深く眠る。女は眠るた
 めに生きているのではないかしら。その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自
 分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全
 く異なった生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きも
 のは、奇妙に自分をかまうのでした。
・「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはち
 っとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に
 適しているかもしれなせん。
・女は、男よりもさらに、道化には、くつろぐようでした。男はさすがにいつまでもゲラ
 ゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとりに対し、調子に乗ってあまりお道化
 を演じすぎると失敗するという事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要
 求し自分はその限りでないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。女は、男よ
 りも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。 
・自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、そ
 れを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験によって、知っていま
 した。
・自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できず
 に終わりました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。自
 分や、やがて画塾で、ある画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らさ
 れました。妙な取り合わせでしたが、しかし、それは事実でした。  
・その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生まれ、自分より六つ年長者で、私立
 の美術学校を卒業して、家にアトリエがないので、この画塾に通い、洋画の勉強を続け
 ているのだそうです。 
・自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちが
 いない。しかし、遊ぶには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその
 時、生まれてはじまて、ほんものの都会の与太郎を見たのでした。それは、自分の形は
 違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸惑いして
 いる点においてだけは、確かに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せず
 に行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色
 のところでした。 
・はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自
 分も全く油断して、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。ひとりで東
 京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日いっぱい家の中で、ごろごろしていたという 
 内情もあったのでした。
・酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずい
 ぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるた
 めには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持ちさえ、抱くようになりました。 
・自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、
 そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事ができました。み
 んな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、
 同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか。自分は、いつも、その淫売婦たち
 から、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算もない好意、押し売りで
 はない好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴が狂人の淫売
 婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。 
・自分は、淫売婦によって女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、
 淫売婦によるのが一番厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分に
 は、あの「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能によっ
 てそれを嗅ぎ当て寄り添ってくる。そのような、卑猥で不名誉な雰囲気を、「おまけの
 付録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立って
 しまっているらしいのでした。
・日陰者、という言葉があります。人間の世において、みじめな、敗者、悪徳者を指差し
 ていう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日陰者のような気がしていて、
 世間から、あれは日陰者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい
 心になるのです。そして、その自分の「優しい心」は、自分でうっとりするくらい優し
 い心でした。 
・所詮、自分には、何の縁故もない下宿に、ひとりで「生活」していく能力がなかったの
 です。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまに
 も誰かに襲われ、一撃せられるような気がして来て、街に飛び出しては、地下運動の手
 伝いをしたり、あるいは堀木と一緒に安い酒を飲み回ったりして、ほとんど学業も、ま
 た画の勉強も放棄し、高等学校へ入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の夫
 人と情死事件などを起こし、自分の身の上は一変しました。
・その頃、自分に特別の好意を寄せている女が、三人いました。ひとりは、自分の下宿し
 ている仙遊館の娘でした。この娘は、自分が地下運動の手伝いでへとへとになって帰り、
 ごはんも食べずに寝てしまってから、必ず用箋と万年筆を持って自分の部屋にやって来
 ました。「下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手紙が書けないのです」と言って、
 何やら自分の机に向かって、一時間以上も書いているのです。早くこのひと、帰らねえ
 かなあ、手紙だなんて、見えすいているのに。「見せてよ」と死んでも見たくない思い
 でそう言えば、あら、いやよ、と言って、そのうれしがる事。ひどくみっともなく、興
 が覚めるばかりなのです。そこで、自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。
 用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に
 用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分はちゃんと知っているのでした。
 もうひとりは、女子高等部の文科生の所謂「同志」でした。このひととは、地下運動の
 用事で、いやでも毎日、顔を合わせなければならなかったのです。打合せが済んでから
 も、その女は、いつまでも自分について歩いて、そうして、やたら自分に、ものを買っ
 てくれるのでした。「私を本当の姉だと思ってくれていいわ」そのキザに身震いしなが
 ら、自分は、とにかく、怒らせては、こわい。何とかして、ごまかさなければならぬ、
 という思い一つのために、自分はいよいよその醜い、いやな女に奉仕をして、そうして、
 ものを買ってもらっては、うれしそうな顔をして、冗談を言っては笑わせ、ある夏の夜、
 どうしても離れないので、街の暗いところで、そのひとに帰ってもらいたいばかりに、
 キスをしてやりましたら、あさましく狂乱のごとく興奮し、自動車を呼んで、そのひと
 たちの運動のために秘密に借りてあるらしいビルの事務所みたいな狭い洋室に連れて行
 き、朝まで大騒ぎという事になり、どんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。
・同じ頃また自分は、銀座のある大カフェの女給から、思いもかけぬ恩を受け、たった一
 度逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、やはり身動き出来ないほどの、心
 配やら、空おそろしさを感じていたのでした。秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子に
 言いつけられたとおりに、銀座裏の、ある屋台のお鮨屋で、少しもおいしくない鮨を食
 べながら、そのひとを、待っていました。本所の大工さんの二階を、そのひとが借りて
 いました。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯らしが吹いて、落葉だけが舞い狂い、
 完全に孤立している感じの女でした。一緒にやすみながらそのひとは、自分より二つ年
 上であること、故郷は広島、あたしには主人があるのよ、広島で床屋さんをしていたの。
 昨年の暮、一緒に東京へ家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京で、まともな
 仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、などと物語るのでした。
・侘しい。自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟きのほうに、共感をそ
 そられるに違いないと期待していても、この世の中の女から、ついに一度も自分は、そ
 の言葉を聞いた事がないのを、奇怪とも不思議とも感じております。けれども、そのひ
 とは、言葉で「侘しい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘しさを、からだの外
 郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのか
 らだもその気流に包まれ、自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け
 合い、「水底の岩に落ち付く枯葉」のように、わが身は、恐怖からも不安からも、離れ
 る事が出来るのでした。 
・あの白痴の淫売婦たちのふとことの中で、安心してぐっすり眠る思いとは、また、全く
 異なって、その詐欺罪の犯人の妻と過ごした一夜は、自分にとって、幸福な解放せられ
 た夜でした。しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄
 な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪
 我をするのです。幸福に傷つけられる事もあるのです。傷つけられないうちに、早く、
 このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。
・それから、ひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。別れて、日が経つ
 につれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事がかえってそらおそろしく、自分
 勝手にひどく束縛を感じて来て、あのカフェのお勘定を、あの時、全部ツネ子の負担に
 させてしまったという俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘
 や、あの女子高等師範と同じく、自分を脅迫するだけの女のように思われ、遠く離れて
 いながらも、絶えずツネ子に脅えていて、その上に自分は、一緒に休んだ事のある女に、
 また逢うと、その時にいきなり何か烈火の如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うの
 に頗るおっくがる性質でした。しかし、そのおっくうがる性質は、決して自分の狡猾さ
 ではなく、女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つ
 の、塵ほどの、つながりをも持たせず、完全に忘却の如く、見事に二つの世界を切断さ
 せて生きているという不思議な現象を、まだよく呑み込んでいなかったからなのでした。
・自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持ちはあっ
 ても、その所有権を敢然と主張し、人と争うほどの気力が無いのでした。のちに、自分
 は、自分の内縁の妻を犯されるのを、黙って見ていた事さえあったほどなのです。
・自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りなくないのでした。その渦に巻き込まれるの
 が、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分の
 ものではありません。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価しない、た
 だ、みずぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。自分は、これまでの例の無かったほ
 ど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合わせ、
 哀しく微笑み合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだ
 けの女だな、と思うと同時に、金の無い者同士の親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ
 子がいとおしく、生まれてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ならが恋の心の動
 くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒を飲んで、こんなに我
 を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。
・眼が覚めたら、枕元にツネ子が坐っていました。本所の大工さんの二階の部屋に寝てい
 たのでした。それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじ
 めて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の
 中への恐怖、わずらわしさ、金、地下運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえ
 て生きて行けそうもなく、その人の提案に気軽に同意しました。
・袂からがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥よりも凄惨の思いに襲われ、たちま
 ち脳裡に浮かぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、
 あとはもう、質草になるそうなものの一つもない荒涼たる部屋、他には自分のいま着て
 歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっき
 り思い知りました。  
・銅銭三枚は、どだいお金ではありません。それは、自分が未だかつて味わった事の無い
 奇妙な屈辱でした。とても生きておられない屈辱でした。所詮その頃の自分は、まだお
 金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。その時、自分は、
 みずからすすんでも死のうと、実感として決意したのです。その夜、自分たちは、鎌倉
 の海に飛び込みました。
・女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。自分は海辺の病院に収容
 され、故郷から親戚の者がひとり駆けつけ、さまざまの始末をしてくれて、そうして、
 くにの父をはじめ一家中が激怒しているから、これっきり生家とは義絶になるかも知れ
 ぬ、と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が
 恋しく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの貧乏く
 さいツネ子だけを、すきだったのですから。

第三の手記
・鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二階の、三畳
 の部屋で寝起きして、故郷からは月々、極めて少額の金が、それも直接に自分宛ではな
 く、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、それっきり、あとは故
 郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、人間というものはこんなにも簡単に、そ
 れこそ手のひらをかえすが如くに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽
 に思われるくらいの、ひどい変わり様でした。
・ヒラメの話し方には、いや、世の中の全部の人の話し方には、ややこしく、どこか朦朧
 として、逃げ腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われ
 るくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさい駆け引きとには、いつ
 も自分は当惑し、どうでもいいやという気持ちになって、お道化で茶化したり、または
 無言の首肯で一切おまかせという、いわば敗北の態度をとってしまうのでした。
・自分は都会人のつましい本性を、内と外をちゃんと区別していとなんでいる東京の人の
 家庭の実体を見せつけられ、内も外も変わりなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から
 逃げ回ってばかりいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取り残され、堀木にさえ見捨てら
 れたような気配に、狼狽し、たまらなく侘しい思いをしたという事を、記して置きたい。
・女は、甲州の生まれで二十八歳でした。五つになる女児と、高円寺のアパートに住んで
 いました。夫と死別して、三年になると言っていました。はじめて、男めかけみたいな
 生活をしました。シヅ子が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とそれからシゲ子と
 いう五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事になりました。
・あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。いつ
 も、おどおどしていて、それでいて、滑稽家なんだもの。時たま、ひとりで、ひどく沈
 んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。シヅ子に、
 そのほかさまざまの事を言われて、おだれられても、それが即ち男めかけのけがらわし
 い特質なのだ、と思えば、それこそいよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女
 よりは金、とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、工夫しているもの
 の、かえってダンダンシヅ子にたよらなければならぬ羽目になって、家出の後始末やら
 何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世話を受け、いっそう自分は、シヅ子
 に対し、所謂「おどおど」しなければならぬ結果になったのでした。
・シヅ子の取り計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成立して、自分は、
 故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下腫れて」同棲という事になり、これ
 また、シヅ子の奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お
 酒も、煙草も買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりな
 のでした。
・自分は、どれほど皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちら
 は好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、この不幸な病癖を、
 シヅ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。
・人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友
 のつもりでいて、一生、それに気付かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんか読んでいる
 のではないでしょうか。
・世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間とい
 うものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、と
 ばかり思ってこれまで生きて来たのです。「世間というのは、君じゃないか」という言
 葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。けれども、
 その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つよう
 になったのです。そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてか
 ら、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。
・京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事
 になりました。世間、どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気が
 しました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばい
 いのだ、人間には決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえし
 をするのだ。だから、人間にはその場の一本勝負による他、生きのびる工夫がつかぬの
 だ。大義名分らしいものを称えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えて
 また個人、世間の難解は、個人の難解、大洋は世間ではなく、個人なのだ、と世の中と
 いう大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限のな
 い心遣いする事なく、いわば差し当たっての必要に応じて、いくぶん図々しく振る舞う
 事を覚えて来たのです。 
・けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。バアの向かいの、
 小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子で
 した。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
・薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジ
 ニティ(処女性)は尊いものだ。自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない。
 結婚しよう、どんな大きな悲哀がそのために後からやって来てもよい。荒っぽいほどの
 大きな歓楽を、生涯一度でいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の
 幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ。結婚して春
 になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝
 負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
・そうして自分たちは、やがて結婚して、それによって得た歓楽は、必ずしも大きくあり
 ませんでしたが、その後に来た悲哀は、凄惨と言っても足りないくらい、実に想像を絶
 して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろ
 しいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうよう
 な、なまやさしいところでもなかったのでした。 
・自分があの京橋のシタンド・バアのマダムの義侠心にすがり、(女のひとの義侠心なん
 て、言葉の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験によると、少なくとも都会の男女
 の場合、男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持ってい
 ました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そうして、ケチ
 でした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして、築地、隅田川近
 く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、
 そろそろ自分の定った職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映
 画を見に出かけたり、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、
 いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、動
 作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人間らしいも
 のになる事が出来て、悲惨な死に方などせずに済むのではなかろうかという甘い思いを
 幽かに胸にあたため始めた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。 
・ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分
 が鎌倉で起こした事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘が
 うまいからというわけでは無く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、
 ヨシ子には、それがみな冗談としか聞き取れぬ様子でした。 
・忘れもしません、むし暑い夏の夜でした。堀木が日暮れの頃、よれよれの浴衣を着て築
 地の自分のアパートにやって来た。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、
 例によって、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせて、お金を作り、
 堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎を買わせ、アパートの屋上
 に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼
 の宴を張りました。
・「おい!とんだ、そら豆だ、来い!」堀木の声も顔色も変わっています。堀木は、たっ
 たいまふらふら起きて下へ行った、かと思うとまた引き返して来たのです。「なんだ」
 異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階下の自分の部屋へ  
 降りる階段の途中に堀木は立ち止まり、「見ろ!」と小声で言って指差します。自分の
 部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が見えます。電気がついたままで、二
 匹の動物がいました。
・自分は、ぐらぐら目まいがしながら、これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、
 おどろく事は無い、などはげしい呼吸と共に胸の中で呟き、ヨシ子を助ける事も忘れ、
 階段の上に立ちつくしていました。
・堀木は、大きい咳払いをしました。自分は、ひとり逃げるようにまた屋上に駆け上がり、
 寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、
 嫌悪でも無く、神社の杉木立てで白衣の御神体に逢った時に感ずるかも知れないような、
 四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、
 いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対す
 るいっさいの期待、よろこび、共鳴などから永遠に離れるようになりました。実に、そ
 れは自分の生涯において、決定的な事件でした。自分は、まっこうから眉間を割られ、
 そうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近する毎に痛むのでした。
・自分は起き上がって、ひとりで焼酎を飲み、それから、おいおい声を放って泣きました。
 いくらでも、いくらでも泣けるのでした。いつのまにか、背後にヨシ子が、そら豆を山
 盛りにしたお皿を持ってぼんやり立っていました。「なんにも、しないからと言って・
 ・・」「何も言うな。お前は、ひとを疑う事を知らなかったんだ。お坐り、豆を食べよ
 う」並んで坐って豆を食べました。
・相手の男は、自分に漫画をかかせては、わずかなお金をもったい振って置いて行く三十
 歳前後の無学な小男の商人なのでした。さすがにその商人は、その後やっては来ません
 でしたが、自分には、どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、最初に見つけたす
 ぐその時に大きな咳払いも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上に引き返して来
 た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむら起こって呻きました。
・ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとって
 その後永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。自分のような、いやらし
 くおどおどして、ひとの顔色ばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっている
 ものにとって、ヨシ子の無垢な信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思わ
 れたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変わってしまいました。見よ、ヨシ子は、そ
 の夜から自分の一顰一笑にさえ気を遣うようになりました。 
・自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ
 子ほど、悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも無いと思いました。どだい、これは、
 てんで物語にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋
 に似た感情でもあったなら、自分の気持ちもかえって助かも知れませんが、ただ、夏の
 一夜、ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分に眉間は、ま
 っこうから割られ声が嗄れ若白髪がはじまり、ヨシ子は一生おろおろしなければならな
 くなったのです。たいていの物語は、その妻の「行為」を夫が許すかどうか、そこに重
 点を置いていたようでしたが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大問題では無い
 ように思われました。許す、許さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸いなるか
 な、とても許す事が出来ぬと思ったら、何もそんなに大騒ぎせずとも、さっさと妻を離
 縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう。それが出来なかったら、所謂「許して」我慢
 するさ。いずれにしても夫の気持ちひとつで四方八方がまるく収まるだろうに、という
 気さえするのでした。 
・つまり、そのような事件は、確かに夫にとって大いなるショックであっても、しかし、
 それは「ショック」であって、いつまでも尽きることなく打ち返し打ち寄せる波と違い、
 権利のある夫の怒りでもってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われた
 のでした。けれども、自分たちの場合、夫に何の権利もなく、考えると何もかも自分が
 悪いような気がして来て、怒るどころか、おごごと一つも言えず、また、その妻は、そ
 の所有している稀な美質によって犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあ
 こがれの、無垢の信頼心というたまらなく可憐なものなのでした。
・無垢の信頼心は、罪なりや。唯一のたのみの美質にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや
 何もかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになりまし
 た。自分の顔の表情は極度に卑しくなり、朝から焼酎を飲み、歯がぼろぼろに欠け、漫
 画もほとんど猥画に近いものを画くようになりました。いいえ、はっきり言います。自
 分はその頃から、春画をコピイして密売しました。焼酎を買うお金がほしかったのです。
 いつも自分から視線をはずしておろおろしているヨシ子を見ると、こいつは全く警戒を
 知らぬ女だったから、あの商人と一度だけでは無かったのではなかろうか、また、堀木
 は?いや、あるいは自分の知らない人とも?と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切って
 それを問い正す勇気もなく、例の不安と恐怖にのた打ち回る思いで、ただ焼酎を飲んで
 酔っては、わずかに卑屈な誘導尋問みたいなものをおっかなびっくり試み、内心おろか
 しく一喜一憂し、うわべは、やたらにお道化して、そうして、それからヨシ子にいまわ
 しい地獄の愛撫を加え、泥のようなに眠りこけるのでした。
・ジアール。自分はその頃もっぱら焼酎で、睡眠剤を用いてはいませんでしたが、しかし、
 不眠は自分の持病のようなものでしたから、たいていの睡眠剤にはお馴染みでした。ジ
 アールのこの箱一つは、確かに致死量以上のはずでした。自分は、音を立てないように
 そっとコップに水を満たし、それから、ゆっくり箱の封を切って、全部、一気に口の中
 にほうり、コップの水を落ち着いて飲みほし、電燈を消してそのまま寝ました。
・三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見なして、警察に届け
 るのを猶予してくれたそうです。覚醒しかけて、一番先に呟いたうわごとは、うちに帰
 る、という言葉だったそうです。うちとは、どこの事をさして言ったのか、当の自分も、
 よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。  
・「ヨシ子とわかれさせて」自分でも思いかげなかった言葉が出ました。京橋のバアのマ
 ダムは身を起こし、幽かな溜息をもらしました。それから自分は、これもまた実に思い
 がけない滑稽と阿呆らしいとも、形容に苦しむほどの失言をしました。「僕は、女のい
 ないところに行くんだ」うわっはっは、とまず、ヒラメが大声を挙げて笑い、マダムも
 クスクス笑い出し、自分も涙を流しながら赤面の熊になり、苦笑しました。
・女のいないところ。しかし、この自分の阿呆くさいうわごとは、のちに至って、非常に
 陰惨に実現せられました。ヨシ子は、何か、自分がヨシ子の身代りになって毒を飲んだ
 とでも思い込んだらしく、以前よりもなおいっそう、自分に対して、おろおろして、自
 分が何を言っても笑わず、そうしてろくに口もきけないような有様なので、自分もアパ
 ートの部屋の中にいるのが、うっとうしく、つい外へ出て、相変わらず安い酒をあおる
 事になるのでした。
・東京に大雪の降った夜でした。自分は立って、とりあえず何か適当な薬をと思い、近く
 の薬屋に入って、そこの奥さんと顔を見合わせ、瞬間、奥さんは、フラッシュを浴びた
 みたいに首をあげ眼を見張り、棒立ちになりました。しかし、その見張った眼には、驚
 愕の色も嫌悪の色も無く、ほとんど救いを求めるような、慕うような色が現れているの
 でした。ああ、このひとも、きっと不幸なひとなのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏
 感なものなのだから、と思った時、ふと、その奥さんが松葉杖をついて危なかしく立っ
 ているのに気がつきました。駆け寄りたい思いを抑えて、なおもその奥さんと顔を見合
 わせているうちに涙が出てきました。すると、奥さんの大きな眼からも、涙がぽろぽろ
 とあふれて出ました。
・奥さんは、未亡人で、男の小がひとり。千葉だかどこだかの医大にはいって、間もなく
 父親と同じ病にかかり、休学入院中で、家には中風の舅が寝ていて、奥さん自身は、五
 歳の折、小児麻痺で片方の脚が全然だめなのでした。
・奥さんは、自分のために、いろいろと薬品を取り揃えてくれるのでした。最後に奥さん
 が、これは、どうしても、なんとしてもお酒が飲みたくて、たまらなくなった時のお薬、
 と言って素早く紙に包んだ小箱、モルヒネの注射液でした。
・酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、久し振りにアルコールと
 いうサタンから逃れる事の出来る喜びもあり、何の躊躇もなく、自分は自分の腕に、そ
 のモルヒネを注射しました。一日一本のつもりが、二本になり、四本になった頃には、
 自分はもうそれが無ければ、仕事が出来ないようになっていました。
・「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです」薬屋の奥さんにそう言
 われると、自分ももうかなり中毒患者になってしまったような気がしてきました。
・深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来
 た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。既に自分は完全な中
 毒患者になっていました。真に、恥知らずの極みでした。自分はその薬品を得たいばか
 りに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおり
 醜関係をさえ結びました。
・自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにま
 かせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、自分にすすめ、自分は意志も判断も何
 も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら言いつけに従うのでした。ヨシ子も入れて、
 四人、自分たちはずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中
 の大きい病院の、玄関に到着しました。
・ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換
 えの衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯びの間から注射器と
 使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとあかり思っていたのでしょ
 うか。「いや、もう要らない」実に、珍しい事でした。進められて、それを拒否したの
 は、自分のそれまでの生涯において、その時がただ一度、といっても過言ではないくら
 いなのです。自分の不幸は、拒否の能力が無い者の不幸でした。進められて拒否すると、
 相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖
 に脅かされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めて
 たモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子のいわば「神のごとき無智」に撃たれ
 たのでしょうか。
・若い医師に案内せられ、ある病棟に入れられて、ガチャンと鍵をおろされました。脳病
 院でした。女のいないところに行くという、あのジアールを飲んだ時の自分の愚かなう
 わごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。
・いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってな
 どいなかったのです。一瞬といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人
 は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院に入れられた者は
 気違い、入れられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
・父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜けたようになりました。父が、もうい
 ない。自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐かしいおそろしい存在が、もういない。
 自分の苦悩の壺が空っぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かっ
 たのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張り合い
 が抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
・長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生まれて育った町から汽
 車で四、五時間、南下したところに、東北には珍しいほど暖かい海辺の温泉地があって、
 その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥げ落ち、柱は
 虫に食われ、ほとんど修理の仕様もないほどの茅屋を買い取って自分に与え、六十に近
 いひどく赤毛の醜い女中をひとり付けてくれました。
・それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方
 をして、時たま夫婦喧嘩みたいな事をはじめたりしました。
・自分は今年、二十七になります。白髪がめっきり増えたので、たいていの人から、四十
 以上に見られます。