天上の青(上下):曽野綾子

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この小説が発表されたのは1990年頃だ。大久保清の連続婦女暴行殺人事件を下敷きに
して極限の愛を描いた犯罪小説であると言われている。この作品は、クリスチャンでもあ
る曽野綾子という作家の作品の中では、ちょっと異質と言えるものではないだろうか。
この小説には、婦女暴行殺人事件という内容だけに、性的にかなりきわどい内容が出てく
る。例えば「女は歩く性器」などという表現が出てくる。これは、クリスチャンだという
作家のイメージからは、ちょっと想像できない言葉である。クリスチャンという立場にあ
る人から見たら、きわめて低俗であろう内容を、筆者はどのようにして会得したのであろ
うか。興味深いところだ。
ただ、女子高生の山根ヨシ子の処女を奪うシーンの表現は、まったく理解ができなかった。
「樹海の真っ只中を突っ走るような感じ」とか「戦争ごっこをしているような」気分だ、
という表現をしているのだが、なにを表現したかったのか、これは私にはまったくわから
ないのであった。
この小説のほんとうの主人公は、雪子なのであろうが、内容の多くは富士男という連続婦
女暴行殺人者について描かれている。富士男が、どんな背景から連続婦女暴行殺人者にな
ったのかが、詳しく描かれている。
富士男は、両親に大切に育てられたようだが、母親からは過度に甘やかされて育てられた
ようであった。そのため、挫折というものを知らず、何でも自分の思い通りになることし
か知らないまま大人になったのであろう。しかし、大人になればそうはいかない。最初に
きっかけは、妻との離婚だったようだ。妻がこっそり不倫をしていたのである。それ以来、
富士男にとって女性は信用できない憎悪すべきものとなった。富士男の連続婦女暴行殺人
は、女性全般に対する富士男の復讐だったのかもしれない。
しかし、そんな女性たちのなかで、雪子は唯一、異質ともいえる存在であった。雪子は多
くの女性の対極にいる存在であった。富士男にとって雪子は、まさに聖母的存在だったの
だろう。富士男は雪子とは性的関係を持てなかったのである。富士男にとって、雪子は
「心の止まり木」であったのだろう。
富士男が連続的に犯行を重ねたのは、一番最初の犯行で、ヨシ子という女子高生を殺害し
ても、それが明るみに出て、恐れていたような騒ぎにならなかったということにあるよう
だ。一人の女性を殺害しても、世の中は何事もなかったように普段どおりの生活が続いて
いくのをみて、富士男は「なんだ、人を殺しても大したことがないんだ」とそのとき感じ
だのだろう。人を殺すということに、怖れをあまり感じなくなってしまったのだ。
女子高生が一人、行方不明になっても、警察はすぐには公に発表しない。誘拐事件などの
おそれもあることから、最初は非公開で捜査するのであろう。しかし、そのことが、富士
男に連続で犯行を重ねさせる原因にもなったようだ。
この本の中で、自宅マンションの自室で、突然、見知らぬ男にレイプされ、妊娠した女性
の話が出てくる。そのことに対してクリスチャンである雪子は、「その人がそんな事故で
できた子供でも、命は命だから、生んでくれて、そして旦那さんも、辛い思いをしながら、
でも何の責任もない子供が幸せになるように、一生かけて自分の心と闘う、っていうよう
なことにならないかしらね。私、地球上のどこかにそういう人っていると思うわ。誰にも
知られず、ただその子供に憎しみを持たずに、むしろ心から愛せるようになることだけを、
自分の生涯の仕事だ、って自分に命じて生きた人が、どこかに必ずいると思う」と語る場
面がある。しかし、これは、あまりにも理想的過ぎるのではないだろうか。自分で子供を
育てたことのない女性で、しかも他人のことだから言えるのだと思う。こういうふうにあ
らねばならないとするその理想的すぎる価値観が、かえってそう被害に合った人を苦しめ、
命を奪うのではないかと個人的には思ってしまう。
雪子と富士男に間には、ほのかな愛情が芽生えていたのかもしれない。それはまだ若い男
女の初恋のような純愛とも呼べるような恋だったかもしれない。ひとりひっそり暮らす雪
子にとって、富士男はこの世の中で唯一の恋の対象だったかもしいれない。一方、富士男
にとっても、憎悪の対象であった女性の中で、雪子は唯一心を許せる聖女であったのだろ
う。
それにしても驚いたのは、この本の中に出てくるラブホテルの描写である。実にいろいろ
なラブホテルを細やかに描写している。筆者はこのラブホテルの知識をどうやって入手し
たのであろうか。いろいろなラブホテルを観て周ったのであろうか。これは興味深々な点
である。
人間は、その生涯が生きるに値したものであったかどうかは、最期の一日で決まる。その
人の生涯が、どんなに不運続きの人生であったとしても、最期の一日が、誰にでもいいか
ら愛されたという実感を持ち、かつてない幸福の中で息絶えることができたら、その人の
生涯は生きるに値した人生だったと思えるのだろう。しかし、この世の中には、運に恵ま
れ輝くような人生を送ってきた人が、晩節を汚して惨めな深淵に沈んでしまう人も決して
少なくない。人間は、ともかく「晩節を汚さない」ように生きなければならない気がした。

この小説を読み終えて、想起させられたのは、1999年に発生した光市母子殺害事件だ。
その残虐さは、この小説の内容に勝るとも劣らないものだったと感じている。そしてそれ
と同時に思い出されるのは「死刑廃止論」だ。
死刑廃止は世界的な潮流のようだが、私はどちらかというと、廃止論には否定的な立場の
考えを持っている。死刑反対の根拠として、人間が人間の生命を奪うことに対する人道主
義的な疑問が挙げられているようだが、それは理想論に過ぎないのではと思う。人間はそ
ういう理想的な存在ではない。死刑に反対する人が、もし自分の肉親が残虐に殺されても
なお、死刑反対を唱え続けられるだろうか。私自身は到底できないと思う。人を殺したら、
自分の命で償うのが人間世界での基本ではないのかと思う。この小説においても、クリス
チャンである雪子でさえ、最終的には、富士男の死刑については自ら容認したのである。
それが人間なのだ。人間は神にはなれないのだ。死刑反対論を唱える人は、被害者遺族に
対して「神」になれと唱えているようなものだと私は思う。それは到底無理な話なのだと
思えた。

朝陽の中から
・その男は、道の向こう側から、煙っている朝陽の中を、垣根の傍にしゃがみこんで朝顔
 の手入れをしていた波多雪子の方へ、道を斜めに横切って歩いて来た。
・男は、三十を少し越しているように見えた。もしかすると三十五になっているかもしれ
 ない。死んだ弟がもし生きていると、こんな年になっているはずだ、と考えたのは、男
 が眉の濃い優しい整った顔立ちをしていて、それがどことなく六十歳で死んだ父の面影
 とも似ていたかもしれなかった。 
・男は雪子に「この朝顔、何て名前なんです?」と尋ねた。雪子は軽い当惑を覚えながら
 立ち上がった。ほんとうは人に会いたくなかった。今日はまだ起き抜けで、櫛さえも通
 していなかった。「ヘヴンリー・ブルーっていうんです。「天上の青」っていうような意
 だそうです」と雪子は応えた。
・庭先の雪子を呼んだのは、二つ年下の妹の智子であった。とは言っても誰もが、言われ
 なければ二人を姉妹とは思わなかったし、そう説明されても智子の方が姉だと思う人の
 方が多かった。二人とも、三十八歳と三十六歳になった今日まで独身であった。ほんと
 うはその下に、博文という弟がいたのだが今から五年前、穂高に登る途中、まだ二十五
 歳で、心筋梗塞で急死したのである。
・雪子が独身でもどうやら食べて来られたのは、和裁の腕があるからであった。十年近く
 税務事務所に勤めていたが、人中で働くのがどうしても性に合わない上、もともと手仕
 事が好きだったので、うちで和裁の仕事だけをするようになったのが、弟の死の直後で
 ある。 
・妹の智子は、反対に、一日として家にいられない性格であった。智子は共学の私大を出
 て、すぐ雑誌社に勤めたが、こちらは仕事が性格に合っていたようで、今も男と同じよ
 うにマスコミの中で働いている。 
・智子は大分前から、都内に、小さなワンルームマンションを持っていた。週のうち、三
 晩はそこへ泊まっている。だから、品川から京浜急行で一時間と少しかかるこの海辺の
 家に帰る時は、単身赴任の男が家に帰って来る時と同じであった。
・六年ほど前、姉妹は横須賀の母の家から離れて、二人でここに家を持ったのである。父
 の死後、母は再婚していたので、姉妹が家を出た時期としては、遅すぎるくらいであっ
 た。 
・雪子も僅かの貯金の中から頭金を出し、それに、知子の貯金も加えて、足りないところ
 は智子がローンを引き受けている。家を買った時点で、姉妹は将来も常識的な形をとっ
 た結婚はしないという見極めをつけていたのかも知れなかった。
・智子自身の生活も、文字通り自由なものであった。夜は飲みに行く時もあるし、急に徹
 夜の麻雀に誘われることもある。自分のマンションに泊まったようなことを言っている
 が、実はそうではない場合も今までに何度もあった。智子には気の合った男が何人かい
 る。雪子は妹の生き方を、口には出さなかったが、積極的に肯定しているつもりだった。
・朝顔の種を採集した時も、雪子はあの男のことを思い出した。あれ以後、道の方を見る
 度に、あの男がいそうな気がしている。しかし姿を見かけたことはなかった。採集した
 種は半分に分けて、二つの封筒に入れた。雪子は表に「天上の青」と書き、裁縫をする
 部屋の書き物机の引き出しにその封筒をしまった。
・別にあの男にぜひ会いたいと思っているわけでもない。しかしいつの間にか、道路の方
 に眼をやる時は、彼の姿を期待するようになっていた。冷静に考えると、種を取ってお
 いてやったことさえ、甘かったような気はする。男は行きずりに雪子と言葉を交わすよ
 うになったので、いわばあの場のお愛嬌で「種を取っておいてください」などと言った
 のかもしれないのである。
・玄関の戸を開ける音がした。「朝顔の種を、取っておいてくれました?」間延びした声
 に聞き覚えがあった。男は「宇野といいます」と名乗った。
・「日曜日に教会へ行く時もあります。いつもじゃないんですけど、クリスチャンですか
 ら」と雪子が言うと、宇野は一瞬激しい目付きをした。   
・隣家は岩村ハツという一人住まいの老女の家で、この人は七十九歳でまだ足腰は立つの
 だが、耳はひどく遠く、眼も白内障で最近は不自由になって来ている。雪子は、岩村家
 の中のことまで手伝っているわけではないが、門の外くらいは時々掃いてあげることに
 している。道路の向こう側の田んぼの一隅に、捨ててもいい場所があった。雪子は塵取
 りの落葉をいつものようにそこに捨てに行きながら、塵の山の上に小さく四角に折り畳
 んだ紙片が落ちているのに気がついた。もしや、と思いながら拾ってみると、果たして
 昨日宇野に渡した朝顔の種であった。「天上の青」と書いたフェルトペンの文字が、滲
 んで消えかかっている。雪子はぼんやりとその場に立ち尽くした。一体どうしたことだ
 ろう。わざわざここまで、この種をもらいに来たというのに、その種は明らかに捨てら
 れている。
・人は、いい人だけ付き合う、というものでもないだろう。雪子は、自分が出会った数人
 の男たちのことも考えた。宇野は彼らと大差のない程度の人物のように思えた。
  
遠出
・三浦半島の冬はいつ見ても明るく楽しげだと思う。楽しげだ、ということと、実際に楽
 しい、ということとは違う。しかし、同じような傷だらけの現実に耐えるなら、楽しげ
 な光の中の方が、やはり楽なような気がする。
・雪子は、大人なら運命を選ぶのは自分以外にない、と普段からそう思っている。
・雪子は、宇野からドライブを誘われて京浜急行の長沢駅で待ち合わせをした。種のこと
 は、あの瞬間、ぱっと「あなた、ほんとうに今、種持ってる?」と言わなければならな
 かった。今となっては、何と言っても、相手を重く咎めることになってしまう。たとえ、
 嘘でも、朝顔くらいのことで手酷く相手をやっつけることはない。つまり彼と自分は他
 人なのだから、そんなことで相手の非をならす必要は少しもないのである。
・宇野は約束の時間に遅れた理由を「途中が混んでいたものだから」と言ったが、横須賀
 からここまでの間に、こんな時間に混むようなところがあろうとは思われない。 
・宇野と二人で昼飯のために葉山の御用邸のすぐ近くのてんぷら屋に入った。
・そのてんぷら屋から見える五階建てのマンションについて、雪子は以前の婚約者とのこ
 とを思い出し宇野に話した。あの建物のどこかの部屋に、雪子は結婚して住むはずだっ
 た。その住宅供給公社のマンションは、婚約者があれば、家族持ち用の広いとこの抽選
 を受ける資格があるというので、雪子が彼の婚約者として名前を書いて申請した。そし
 たら、その彼は運の強い人で、一度で当たった。しかし、その彼が欲しかったのは、雪
 子じゃなくて、広いマンションだった。家が決まると、その彼は有頂天で、「僕は住む
 ところもあるから」といって別の女の子に近づいた。それから半年で、その彼は別の女
 の子と結婚した。そして今でもあそこに住んでいるはずだ。
・宇野は「ここを出たら、どこかホテルに行こう」と雪子を誘った。しかし、雪子は「ホ
 テルに行くのと、お食事に行くのとは違うのよ」と断った。「世の中は、なかなか思っ
 た通りにはならないわ」と雪子は宇野に言った。 
・後味のいいデートとはいえなかった。宇野という男は、最初からホテルへ行く目的で雪
 子を誘ったようにも思える。
・「人のせいにするのはおよしなさい。あなたがいい人なら、あなたの手柄だし、あなた
 がろくでもない生活をしているなら、それはあなたの責任よ」と雪子は言った。
・騙されているのではない。もうあの男が、少なくともある程度いい加減な人間だという
 ことは、わかっているのである。 

屋上の変質者
・「宇野青果店」は横須賀の繁華街のはずれにあった。鉄筋二階建てで、屋上には本来何
 もなかったのだが、今はそこに小さな六畳一間のプレハブが乗っかっていた。宇野富士
 男は離婚以来、この小さな小屋を作ってもらって自分の時間のほとんどをそこで過ごし
 ていた。
・富士男はほんとうはまだ三十二歳なのだが、三十五歳と雪子には言った。女に近付く時
 は、いつも偽名を使うのに、雪子には本名を名乗ってしまった。あれが大した女じゃな
 い、と宇野は思った。宇野の好みは、やはり若い女なのである。せいぜい二十五、でき
 れば十代の終わりの方がいい。
・富士男の姉の夫は、森田三郎といい、ずっと父の店で共同経営者として働いている。森
 田三郎と富士男は、もっか犬猿の仲であった。
・富士男は昔から団体ですることは何でも嫌いだった。「人間は一人だ」という言葉が富
 士男は好きなのである。高校を出て以来今まで、いろいろな仕事をしたが、全部人に使
 われる立場だったので続かなかった。高校を出たての時、まず、横須賀の小さなホテル
 に就職した。八百屋よりはいいと思ったのである。そこを三月でやめて、それからは、
 寿司屋の見習い、葬儀社の社員、土木の作業員、バーテン、種苗屋の臨時雇い、など、
 何でもやった。その中で、半年続いたのは、種苗屋で植物に水をやったり、苗を植え付
 けたりする仕事だけだった。 
・俺には、普通の意味で、暖かい、心の休まる家庭なんかない、と富士男は思った。
・三郎はテレビ番組で見た「鳥はどんなふうにものを見ているか」という話をした。鳥が
 見ている世界はモノクロで、ただ食物に適したものだけに、色がついて見える、という
 のである。黙って聞いていた富士男は、鳥と自分はよく似ていると感じた。自分にとっ
 てたいていの人間はモノクロで意味を持たない。しかしモノクロの群衆の中から、富士
 男にははっきりと色がついて見える存在がある。それは若い女であった。もっと端的に
 言うと、性器の外側を見え透いた人間ふうの肉体や衣装で覆った女たち、つまり歩く性
 器である。その性器は、鳥にとっての着色された果実のように、確かに強烈に色づくこ
 とで信号を送っているように感じられた。
・強烈に色がついて見えたのは、髪を長く伸ばし、ポニーティールのように後ろで縛った
 女の子だった。富士男はその娘の傍でするすると車の速度を落としながら声をかけた。
 「久里浜図書館はどっちの方向でしょうか」
・後ろ姿では十代に見えたが、前から見るともう少し年をくっていた。二十三にはなって
 いるだろう。 
・富士男は身を伸ばして反対側のドアのロックを内側から押し上げた。それだけで、この
 青いコートの娘は、身軽に乗り込んで来たのである。シートに座る時、短めのスカート
 が、下着が見えるほどめくれた。「図書館なんて、ずいぶんつまらないところへ行くの
 ね」とその女はくすくす笑った。
・作り話をする時、役に立つのは、ホテルに三カ月勤めていた時と、種苗屋に勤めていた
 半年間の、社会との接触であった。ホテルでは、そこへ出入りする客の噂話を仲間がし
 ているのをもっぱら聞いていたから、あらゆる職業の裏話に精通した。大学の教授とい
 うものが意外と貧乏で金と名声に弱いということや、医者に薬物中毒者が多い、などと
 いうことも、その時知ったことである。 
・種苗屋にいる時に覚えたのは、富士男の父親に相当する男の同僚の一人だった。彼の唯
 一最大の人生の目標は、病気にならないことだった。病気を防ぐために、彼は一切の出
 世を拒否し、浮世の義理を欠いて生きて来た。その男が、さまざまな病気の話をし、本
 も貸してくれたのである。 
・女は陽子と名乗った。この女は濡れ方と崩れ方が何ともちょうどいい。厳しい親たちと
 一緒に住んでいる、とは言っているが、富士男の勘では、自由奔放なOLの経験もある
 に違いないのである。 
・女が金を払う時、富士男は陽子の財布をじっと見ていた。別に金をどれくらい持ってい
 るか、探ったわけではない。富士男は人の生活を覗き見るのが大好きなのである。自信
 はないのだが、陽子はどうも未婚の女ではないような気がする。財布が別に古びている、
 というものでもない。ブルーと緑の二色づかいの華やかな財布だった。しかし、未婚の
 娘のものとしては、どうも中身がふくれ過ぎているように思ったのである。富士男は、
 主婦の財布というものはどうしてああ嵩張っているのだろう、という印象を持っていた。
・富士男を捨てて行った妻の緑も、やはり安売りの品を綿密に買う女だった。緑はしかも、
 もっともらしく家計簿までつけていた。その家計簿に書き込まれた支出の額はことごと
 く不正確であった。緑は、家計簿に少し高めに書いて、そこで浮いた金を、男と出歩く
 時の費用に使っていたのであった。
・富士男は親切に、後ろのドアまで開けてやったが、心の中は煮えくりかえっていた。何
 が厳格な家庭だ。陽子はつまり女房なのである。男と遊びに行くという時にも、安い醤
 油を見ると買わずにはいられない。しかも行きずりの男の車を利用しての買い出しであ
 る。こいつは、火遊びに馴れた女なのだ。
・女は猫と同じで、そこをくすぐってやれば喜ぶ、というポイントがある。それを間違え
 ると、猫の尻尾をいじった時のように、噛みつかれるから用心しなければならない。
・富士男はほんとうは「雰囲気」という言葉そのものを嫌いだった。「雰囲気」という言
 い方は、とうてい悪魔的にさえなり得ない。強いて言えば、頭の悪い、脳味噌に靄がか
 かった奴の使う表現だ。  
・こういう時になると、やたらに雰囲気を問題にする女というのは世の中にけっこう多い
 ものなのだ。富士男は初めから、食べようと思うレストランを決めていた。海岸の縁に
 建っていて眺めがいい。木造のリゾートハウスふうだが、窓辺にいつも花が飾ってある。
 女というのは、何故か窓辺に花があると、ころりとまいる。しかし、ここ料理は「いま
 いち」どころかてんでだめであった。前にも、女の子を連れて来たことがあるのだが、
 その時、偶然外から調理場の裏を覗いてしまって、巨大な業務用のスープの缶と、フラ
 イ粉までつけた冷凍の海老フライの箱が捨ててあるのをみたのである。
・「人間を勉強することは、読書に勝る」
・「まあね。それほどでもないけど」という奴に限って金なんかないんだ、と富士男は心
 の中で思った。  
・陽子にどんなホテルがいいかと聞くと、それらしい所ではなく、最近この辺にいくつか
 建ったペンションふうのプチホテルがいいという。かねて眼をつけていた一軒に乗りつ
 け、車を降りる時、ぱっとサングラスをかけた手順がもの馴れていたので、富士男は思
 わず「用意してるな」と陽子の肩に手をかけると、ものも言わずにはねつけられた。
・ここも窓から海が見える。海さえ見えりゃ、部屋の調度が貧相でも、飯がまずくても済
 む、と思っているホテルやレストランが多すぎる。  
・スリップはレースの辺りが、少しくたびれてよれよれになっている。しかしピンクの小
 さなパンティの下のヒップは富士男の予想をほんの少しはずれただけで、充分「食欲」
 をそそるものだった。
・その日、別れる時になって、女は三木陽子と名乗ったが、この日のことは、富士男の欲
 望に火をつける結果になった。実は富士男は、ここのところ、女に飢えていたのである。
 
なだれた時計
・自分はまだ「青春のはずれ」という感じを持っていたのだが、若い娘から見ると、けっ
 こうな「中年」なのだろう。誘った相手はセーラー服の二人連れだったのだが、げらげ
 ら笑い出したあげく、「だって、小父さん・・・」と言ったのである。富士男には、実
 に不愉快なことだった。
・しかし久し振りに三木陽子の若い肉体にありついて、富士男は心ならずも遠ざかってい
 た快楽の味を耽溺した。ただ陽子自身に関しては、富士男は屈折した思いを持たざるを
 得なかった。陽子はなかなかの美人だと思ったが、そのセックスも彼女の言動も、富士
 男を苛立たせることが多かったのである。
・海の見える小さなホテルの一室での性行為は、陽子が大胆に挑発的な姿勢を見せ、長い
 髪を振り乱して喘いだので、体臭の強さはどうしても少し気になったが、その大サービ
 スに応えて富士男の方も、相手の日焼けが残っている二つの腕に歯あとを残して大試合
 を果たしたような気になった。しかしことが終わってみると、富士男はふと、今のあの
 陽子の興奮は、どこか空々しかったような疑念に捉われた。つまり、陽子はほんとうは
 まったく不感症なのだが、男漁りの体験と、一種の耳学問と、くだらない虚栄心から、
 ことさらにあんなふうに振る舞ったのではないか、とかんぐったのである。それはとり
 もなおさず、自分の技巧もまた、陽子の過去の男たちの能力の範囲を全く出なかったと
 いう証拠なので、富士男はそれを必要以上に屈辱として心にしこらせていた。
・あの程度の女、今どき町を歩けばいくらでもいる。亭主の眼をかいくぐって寝ると思う
 からこそ、やっとスリルになる。そしてあの女が、このくだらない情事を、自分が美人
 でもてた証拠と思い、夫にも世間にも必死で嘘をつき続けることを考えた時だけ、富士
 男はにやりと笑えるような気がした。
・富士男に体験によれば、誘いやすいのはのろのろ歩いている女であった。つまり目的が
 ない証拠なのである。しかしこの娘は普通に歩いていたから、当然断られると思ったの
 に、その娘はぴたりと足を止め、富士男の言葉を聞くとためらいもせずにうなずいたの
 である。ドアを開けてやるまでの数秒の間に、富士男は一瞬このまま逃げてしまおうか
 と思ったくらいだった。誘った以上一時間や二時間は付き合わなければならないと思う
 と、早くもうんざりしたのである。
・最近人気のグループザウンズのファンだというセーラー服の娘は山根ヨシ子と名乗った。
 父親は中学校の教員をしているという。
・この娘は多分、親にも先生にも、何も大切なことは報告しない性格なのである。一種の
 体験として、富士男は、おとなしい人間ほど、何の予告もなく、何でもすることを知っ
 ていた。その点、お喋りは、黙っていられないから、あまり大きな事をしでかさない。
・高校生の娘がいるところみると、その父親というのは、普通なら四十代の半ばである。
 そういう男が、家に帰っても、家族とあまり話すこともなく、少女漫画を読んでいるの
 だという。
・富士男は娘をセーラー服のままモーテルに連れ込むのは、ちょっと憚れるような気がし
 始めた。娘は「着替え、持ってるんです。駅のロッカーに入れてあるんです」と言った。
 「お前はずいぶん悪いことをやってるな」と言うと、その娘は「まあね」と否定もしな
 かったが、その言葉は人から教わった台詞という感じで、とってつけたような不自然さ
 を拭い切れなかった。
・「ホテルに行く前に、服着替えなよ」と富士男はヨシ子に言った。富士男は、片方が何
 かの研究所の長い塀で、片方が住宅地なのだが、人通りがごく少ないという道に車を停
 めた。車を停めたのが、服を着替えるところを観賞するためだったのだが、それもある
 意味では裏切られた。胸も貧相だったし、赤いセーターの趣味もやぼったいものだった。
 それでもヨシ子は、スカートまではき替えた。寒風で鶏の足のようにひび割れた脛が見
 えた。
・この山根ヨシ子と比べると、三木陽子はなかなかのものであった。プチホテルでなきゃ
 いやだとか何とかいうわがままを聞いてやっても仕方がないと思う。しかしこのヨシ子
 は、情緒も何もないのだから、ごくありきたりの、その辺のモーテルでいいのだ。
・しかしこのあたりも、都会に近いようでいて、けっこう田舎であった。横須賀の男が逗
 子近辺のラヴホテルまで遠征して、ここまで来ればもう知った人には会うまい、と思っ
 ていたら、ホテルから道に出ようとしているところでばったりと親戚の男と顔を合わせ
 てしまったというような話を、義兄の三郎がしていたこともある。 
・専用のドアから二階い上がると、ダブルベッドの右手の壁は、摩天楼の夜景と、その手
 前を流れる川と、すぐ近くに迫る大きな橋の光景があった。
・女が服を脱ぐところはもう何度も見たけれど、何度見てもおもしろいショーだと思うの
 で、富士男は椅子に坐って見物の姿勢を取った。普通、女は上着を脱ぎ、スカートを取
 り、上から下へと交互に脱いで行く。それがこの娘はいささか変わっていた。スカート
 を脱ぎ、小さなピンクのパンティを取った。上半身の赤いセーターは着たままで、その
 下によれよれのピンクのスリップがのれんのように垂れている。
・「おい、それでもう脱ぐなよ」どうせ胸が貧弱なことはさっき見て知っているのである。
 それくらいなら、今のようなアンバランスの方がおもしろい。いっそのこと、ここでも
 う一度、制服を着せるか。と富士男は思ったが、それほどにしても大した効果はなさそ
 うであった。
・ヨシ子に何も言わせないうちに、富士男はヨシ子をベッドに押しやった。この娘は髪を
 量がないと思っていてが、下腹部の陰影も淡く薄い。痩せた鶏を見るようである。
・それから先の富士男の体験は、全くあり得ないものであった。富士男は娘の顔を眺めな
 がら、指先の探検をしばらく味わうことにしたが、彼女の貧相な瞼が歪み、薄い眉の部
 分に縦皺が寄るほどになるとヨシ子は身をよじって富士男をはねのけようとした。
・「おい、ヨシ子、お前まさか・・・」「そんなこと、ないよお」ヨシ子は言いながら、
 富士男の体の下から逃れようとしたが、富士男はこの頃少し太り気味の体重を利用して、
 痩せた娘を押さえ込んだ。
・突如として、富士男は、自分が藪だらけの空間にいるような気がしたのである。富士の
 裾野の樹海の話は聞いたことがあるが、行ったことがない。しかし今富士男は樹海の真
 っ只中を突っ走っているような感じであった。戦争をしているような、演習をしている
 ような、戦争ごっこをしてるような、おかしな気分だが、とにかくむちゃくちゃに走り
 続けねばならないということだけ、富士男は知っていた。
・弾丸が飛んで来るから止まることができない。弾の音がすると、ヨシ子を体の下に庇っ
 て身を屈める。ヨシ子が暴れて何か喚いた。やがて、弾は次第に近くへ落ちるようにな
 って、二人は息を切らせていた。もうどちらへも逃げられない。二人は立ち止まり、弾
 を避けようとして身をよじる。それにもかかわらず、轟音と共に至近弾が落ちた時、戦
 争ごっこの騒音は止んだ。
・「お前が初めてだとは思わなかったぜ」富士男は浴室にいるヨシ子に言った。処女を
 「ものにした」のは初めてであった。離婚した妻はスナックで働いていた女で、過去の
 男関係など、気にする方が野暮という感じであった。それに富士男自身、別に処女をあ
 りがたがってもいない。実際、糠味噌の樽だって、作りたてがいいなどということは全
 くないのである。しかしこれは、思いもかけない儲けもの、というのだろう、という気
 がして、富士男は一人にやにやした。

いぶりだし
・処女をものにしたということが、一部の世間で言うほどおもしろいことでも何でもなか
 ったということを、富士男は自分に承認させることが癪であった。
・人間は理由なくして喧嘩はしない。するには必然があるのだ。そしてその必然をむりに
 押さえ込むと、体にも悪いし、第一嘘つきになったような気がする。人は富士男のこと
 を嘘つきというかもしれないが、富士男は無意識の嘘などついたことがない。どれもこ
 れも、ちゃんと創作だ、と意識してついている。それが悪いなら、小説家などという連
 中も、一網打尽にひっくくらなければならない。
・義兄の三郎から車を手放せと言われて、興奮して火のついた石油ストーヴを蹴り倒した。  
 車は今や、富士男の性的生活を確保するためには、必要欠くべからざる手段であった。
 性の吐け口をとざすと言ったから、自分は権利として興奮したのである。
・興奮していたせいか、富士男は車を運転して、あの朝顔の女の家に着くまで、どうして
 も彼女の名前を思い出せなかった。家がわからなくなりはしないか、とさえ彼は勘ぐっ
 ていた。朝顔がなかったら、あの家は全く目立たないだろうし、第一、自分は何事でも、
 真剣にやっていないのである。あの女にだって思いつきで声をかけただけだから、家だ
 ってわからなくなっているかもしれない。 
・一旦坐りこんだ車の座席から立ち上がろうとした時、例のモノクロームの世界で食物の
 なるものだけが色づきで見えるという鳥の眼に似た富士男の特殊な感覚に、かなり離れ
 たところを歩いている一人の女の姿が映った。
・普通だったら、その女は決してと富士男の注意を引かなかっただろう。何よりも、その
 女はかなり遠い所を歩いていた。服装はグレーのコートを着て、手に黒いハンドバック
 と手提げ袋を持っている。どこにでもいそうな格好であった。
・しかし富士男の眼には、その女の歩いている方向が問題だったのである。彼女が歩いて
 いる道の前方には、海しかなかった。数年後には途方もない海岸の行楽施設になるかも
 しれない、ということはあっても、目下のところは何もない荒れた海岸のしか行かない
 ことを富士男は知っていたのであった。 
・富士男が冗談めかして「入水でもするつもりなら」と言った言葉は当たっていたとしか
 思えない。正直にばかがつくような女だと、富士男は誘っておいてすぐ後悔しかけた。
 女は、どうしたら自分を取り戻せるか、必死になっているようだった。
・年頃は三十代の半ばに見えた。遠目には、うんと野暮なその辺りお小母さんに見えたが、
 こうして見ると、ちょっとおもしろい人種のようでもある。
・女は「瞳」と名乗った。
・片手をハンドルから話して瞳の手を握った。女の顔は見ていない。ひっこめようとする
 小心な動きが、やがてゆっくりと富士男の手の温もりと湿りの中に自分を預けるという
 サインに変わってきた。それから横浜の港の傍のホテルに着くまでの間、富士男がやっ
 たことは、ただべたべたと女に触ることであった。走りながらも触り、交差点で停まる
 度に触った。肉づきを楽しんだのでもない。胸の膨らみなど、どこにあるかわからない
 ような女であった。
・女にはおごらなくても買ってやらなくてもいいのである。ただ身の上話を聞いてやるだ
 けで、たいていの女はめろめろになる。
・瞳は「主人に女ができたんです。しかも向こうには堕どもができたんです。私は子供が
 できない体だから、仕方がないと思わなきゃいけないんでしょうけど」と話した。
・人の不幸は、見ていて辛い時もあるが、確かに楽しい時もある。
・「あんたは全く病人みたいな顔をしているよ。薬はビフテキとセックスだよ」と富士男
 は瞳に言った。先にバスをお使い、とむりやりに瞳にブラウスとスカートを脱がせて浴
 室に送り込んだ後、富士男は二人分のベッドカヴァーをたらしなく剥ぎ取って、その一
 つに横たわりながら、今見たばかりの瞳の体の輪郭のようなものを思い出していた。と
 言ってもそれはスリップの上からだから、痩せた腰骨の線に下着がひっかかっていて、
 少しも滑らかではない、という貧相な印象であった。
・世の中には、本や漫画が書いているほど、セックス好きの女は多くはない、というのが
 富士男の実感である。むしろセックス嫌いさえけっこういる。予感だが、瞳もそうでは
 ないか、という気がする。
・もう何人の行きずりの女と寝たか知れない。もちろん声をかけても返事もせずに逃げて
 行った女もいるのだが、それは、こちらもそれほどお呼びではなかったから逃がしてお
 いたまでて、本気になれば必ずものにしていた、と富士男は思う。本気だったのにうま
 く行かなかったのは一人もいない。そうはっきり思おうとしているのは、そうでない存
 在があるからなのだが、富士男はそこの部分を意識の明るみにまで持って出ないように、
 わざと心の中で泥水の底を掻き回すような操作をしていた。
・富士男は、指先が届く限りの瞳の体を隅々までまさぐった時、つぶった瞳の上を接吻で
 覆いながら、改めてねちっこく囁いた。「お前の体が泣くのは、許してやるよ。もっと
 泣いていいよ」

反攻
・女運に関しては、富士男はその年決して不運続きだと感じてはいなかった。むすろ数だ
 けから言えば、ついている年、といいたくらいだった。名前を聞く気にもならなかった
 女子大生や人妻など、数だけはけっこう釣れたのである。
・それらゆきずりの情事、と言いたいところだが、情事とさえも言いかねるほどの無責任
 な性行為は、女など、皆性器が着物を着て歩いているに過ぎない、と普段から言ってい
 る富士男でさえも、嫌悪を覚えるほど後味の悪いものであった。
・その理由の主なものは、彼女たちがろくすっぽまともな「日本語」も喋れないほど頭が
 悪い癖に、人並み以上にしょっていたからである。そして富士男との性行為を、自分た
 ちの魅力が彼を惹きつけたのだ、というような態度を示したから、富士男は胸が悪くな
 ったのである。しかしばかほどしょっているし、しょっている奴に限ってばかなのであ
 る。変な法則もあるものであった。
・しかし質を考えずに、量だけで戦果を判断すれば、かなりいい率である。ことに情事に
 使った金と、純粋に性的な楽しみの量や度数を考えると、全くうまく金を使っている、
 と自己満足する他はなかった。 
・富士男は思いついて山根ヨシ子に電話した。駅裏で待ち合わせて車に乗せ、自然の岩風
 呂が自慢だと書いてあるホテルに入った。湯加減を按配したのは富士男だった。この娘
 は、栓のある場所も、お湯の温度を調節する方法もわからなかったのである。
・この前この娘を抱いた時には、耳もとで突撃ラッパが鳴っていた。しかし今日はそんな
 ものは全くなかった。娘は眼をつぶり、眉をしかめ、軽く身をよじるだけである。
・事が終わった後、ヨシ子は、富士男にヴァージン代のお金を要求してきた。 
・富士男は短時間のうちに事態を分析しなければならない、と感じた。何より腹立たしい
 のは、この白痴的と見えた娘が、誰に教わったか知らないが、結構まともな攻撃に転じ
 て来たことだった。
・ヨシ子は今や完全に優位に立ったような口調で言った。この露天風呂ふうのホテルの部
 屋を出る時、富士男は、その部屋のありさまを入って来た時とは全く違った心の姿勢で
 眺めていた。ここへ着いた時、富士男は身も心も軽やかな思いであった。しかし今は違
 う。この眼の細い、眉も薄い、印象の弱い娘に、富士男はほっておけば決定的にやり込
 められることになる。
・富士男は、自分がこれから取ろうとしている行動が、現実のものになるとは信じていな
 かった。ヨシ子にははっきりと脅しをかけるためには、「怖い思い」くらいさせる必要
 がある。だからどうしても寂しい所へは行かなければならない。それで、ヨシ子が思い
 なおせば、手荒な真似はしたくないのである。寂しい所といえば、あの眼の大きな、瞳
 という女を拾った海岸、波多雪子が住んでいるほんの近くでもある、あの人のいない荒
 涼とした一帯が、一番適していると思われた。
・「おしっこしたい」とヨシ子が言った。ヨシ子のろのろと車を下り立ち、枯葉を踏む音
 をさせながら林の中に入って行ったが、突如として早足で駆け出す気配が、富士男の耳
 に刺さった。富士男は音のする方へ突進した。今、逃がしたら、それは相手に決定的な
 今後の攻撃の方途を与えることになる。
・ヨシ子は林の中を走ることは不可能と思ったのか、表通りに躍り出ると、突然、富士男
 の心臓を凍らせるような声で絶叫した。「助けてぇ!誰か助けてぇ!」
・凍りかけた心臓が、富士男の怒りの蒸気に押し出されて、口もとまで出てくるように感
 じられた。富士男は筋肉を鳴らして走った。
・富士男は即座に、よろめいて倒れたヨシ子の上に襲いかかった。一瞬の間に、富士男に
 はこれで相手を取り押さえられた、という気の緩みが出たかもしれなかった。しかし不
 覚にも、地面に倒れたまま蹴り上げたヨシ子の足の一撃を受けて、彼は腿に激しい痛み
 を感じた。凄まじい力であった。これが、女の力かと思う。富士男は改めて攻撃の体勢
 をとり戻していた。ヨシ子は立ち上がったが、今度は富士男は攻められる前にヨシ子の
 みぞおちの辺りを拳で突き上げた。 
・ヨシ子は既に声を立てる力はなかった。富士男は娘の顔を一方の手で押さえ、反対の手
 で首を絞めると、自分の全体重をそれに委ねる姿勢で、荒い呼吸をしながら時間を稼い
 だ。
・ヨシ子をここへ連れ込んだ時、既に自分の頭の中には、事が最悪の事態にまでなった時
 の計画が、おぼろけながらあったような気がする。富士男は、この藪というか茂みの奥
 に、昔、肥料置き場にされていた所があるのを知っていたのである。そこは今でも掘る
 のに柔らかいだろうし、多少の臭気がしても人に疑念を起こさせない。
・富士男は車を出した。頭の中でぼんやりと、ヨシ子の鞄やノートを捨てる場所を考えて
 はいたが、死体の始末をしてしまうと、それはそんなに緊急の必要事とは考えられなく
 なった。
・富士男の心はむしろ、波多雪子のことを考えていた。それはこれまでの、文字通り「殺
 人的」な激しい仕事の後では、甘美な安らぎをもって思いつくことのできる最高の存在
 だった。
・雪子のところに行ってみよう、と富士男は考えた。雪子の家まで車で走れば1分である。
 家に近づいた時、ヘッドライトの光芒の中に、一人の黒ずくめの体格のいい女が、こち
 らに向かって歩いて来るのが見えた。偶然と言えば偶然だが、勘のいい富士男は自分の
 神経の警報装置が喧しく鳴るのを感じた。あれは雪子の家に帰ってきた妹ではないか、
 と思い、富士男はそのままゆっくりと車を走らせ続けた。そして女の姿が波多家の門に
 入るのを見極めると、諦めてそのまま走り去った。
・スボンを洗濯籠に入れる時、富士男は尻のポケットにあるヨシ子の定期券入れに気がつ
 いた。洗濯に出す前に、律儀のポケットを探る癖がついたのは、百円玉1個でも惜しい
 のと、コンドームの包みなど見つかるといやだからであった。
・定期券の写真の下の住所を見ると、富士男の好奇心はむらむらとかきたてられた。富士
 男はその住所も、そこに建っているマンションもよく知っていたのである。かつて富士
 男はそこに住んでいた少年に自転車を盗まれたことがあった。
・今頃もう既に、あの娘が家に帰って来ない、というので、親は大騒ぎしているかもしれ
 ない。その気配を富士男は確かめたくなった。幸いにも、自転車を盗んだ少年を殴りに
 行ったことがあったので、富士男は傍までいかなくてもそのマンションの特殊な立地条
 件がよくわかっている。それは三浦半島によくある谷間から立ち上がったかなり急な傾
 斜地に建てられているもので、その崖下をくねくねと巡っている道から、その全貌がま
 るで舞台の上にある大道具のようによく見えるのである。
・あの谷間の道を通ると、既にヨシ子の家のあたりには、赤いライトをぴかぴかさせた数
 台の警察の自動車が停めっている光景を富士男は覚悟した。その時初めて悪夢が現実に
 なるだろう。ヨシ子の家は一階だが、そこには煌々と明かりがついているのも見えるは
 ずである。しかし、十分ほどで現場に着いた時、富士男は我が眼を疑った。警察の自動
 車もいなければ、煌々と明かりをつけている一階の部屋は一戸も見えないのであった。

春の凍土
・当節の娘たちが一晩や二晩帰って来なくたって、親たちは殺されているかもしれない、
 などとはもう考えなくなっている、ということは便利なことである。なぜかと言えば、
 ヨシ子ほどの札付きなら、今までにだってどこかにしけこんで帰って来ないような日は
 ざらにあったのだろうから、それでいちいと警察などに届けていたら、むしろ帰って来
 た娘に叱り飛ばされるのが落ちなのであろう。
・富士男は家を出た。車で走り出したが、前々から眼をつけていた場所に、花を調達する
 ために立ち寄った。そこは、海の見える岡の上の畑の一部で、そこにちょうどいい水仙
 が植えられているのを知っていたからである。三浦半島の水仙は、一月から二月にかけ
 てほとんど咲いてしまう。ことに海に面した斜面などに群生する野生の房咲き水仙は、
 香りは最高なのだが、もうとっくに花期は終わっていた。この畑の一部に植えられてい
 るのは、野生の房咲き水仙と極めてよく似ているのだが、花の時期も違うし、大きさも
 色もほんの僅かに違う。ただ香りのよさは同じであった。
・雪子の家の近くまで来た時、富士男はつくづく自分はついている、という感じがした。
 妹が出勤するところに出会ったのであった。十時半近くである。ずいぶん遅く家を出れ
 ばいい職業もあるものであった。これで東京まで行けば、ちょうど昼頃になってしまう
 だろう。しかも凄まじい出勤用の服装である。晴れた日だというのに、袖も身頃も、ど
 んなふうに裁ち合わせてあるのかわからないような不気味な真っ黒いコートを大コウモ
 リのようになびかせ、煙草をのみながら歩いている。いくら都会に近い所だとは言って
 も、ああいう態度ではさぞかし評判はよくないであろう。
・しかし評判などというものは、よくしておこうとするからエネルギーがいるので、最初
 から悪くしておけば、こんな爽快なものもない。善人と言われる人が少し悪いことをす
 れと、世間はすぐに非難するが、悪人と評判の人間が、取るに足らないほどの僅かな善
 行でもすれば、世間は「あの人も案外、いいところがあるのね」などという。だからほ
 んとうは、まずさっさと悪評を取ることがこつなのだが、あの妹も案外、そういう点が
 わかっているのかもしれない。
・一日、一日、新聞を開ける度に、富士男は、山根ヨシ子のことは、これっきり表ざたに
 なることはないような確信をますます固めて行った。朝飯を食べる時、食卓の傍に放り
 出してある新聞の存在が、指先の棘のように視線にも肌にも突き刺さって感じられる時
 もあった。新聞は読まないでも、誰も変に思わないが、つけっ放しになっているテレビ
 を消すことはできない。そこにいつ、行方不明の娘のことが報道されるかと、富士男は
 恐れながら構えていたのだが、全くそれらしい気配はなかった。
・普通なら、学生など出歩いている時間ではなかった。しかし今はちょうど春休み中であ
 る。時間を持て余し、金はなく、どこかにうまい話はないかと思いながら、もの欲しげ
 に歩き回っている若い娘が、いくらでもいる時期だと富士男は判断したのであった。 
・若い娘は、映画や買物には友達と連れ立って歩くのを好むが、身すらぬ男を漁る時には、
 一人がいいのである。噂になることを恐れているということもある。しかし彼女たちは、
 一人ならもしかすると靴の一足くらい男は買ってくれるかもしれない、と計算している。
 しかし二人連れになれば金の面ではそういうことはしてもらいにくくなる、とちゃんと
 知っているのである。
・団地というところもまた、富士男の絶好の女漁りの場所であった。人目が多いようでい
 て、実はお互いの生活はわかっていないのである。富士男はしばらく、車を流して歩い
 たが、やがて一人の赤ん坊を抱いた女が団地の階段を上がっていき、二階の一番端のド
 アに入るのを見極めると、次のブロックを曲がったところまでわざわざ車を停めに行っ
 た。
・富士男は自分の車を下りる時、車の中を見回して、いつかプレハブ住宅の展示場を冷か
 して歩いた時、係員がくれたパンフレットの袋が捨てもせずそのままになっているのを
 見ると、ほとんど天才的な素早さでそれを小道具に使うことを思いついた。
・「ちょっと、アンケートに関するお願いがあって伺いました」富士男は慎み深さを装っ
 て言った。靴脱ぎに一歩入る動作の間で、富士男はごく自然に、まるで悪い意図など一
 切ないような滑らかな動作で、入口の掛け金をかけてしまった。
・女は立ったままでは悪いと思ったのか、あがりがまちの所に膝をつくようにした。その
 途端、富士男は相手に襲いかかった。富士男は自分の骨が鳴るのを聞いた。当然恐れた
 のは、相手が叫び声を上げることであった。しかしあまりにも突然だったので、女は息
 さえも止めてしまったように富士男は思った。女がどんな目鼻だちをしているとか、胸
 の肉付きがいいとか、そんなことを一切考えている間はなかった。スカートのウェスト
 を荒々しく引っ張ったので、ボタンが跳ね飛ぶ音がした。自由になったスカートで、富
 士男は相手の顔を覆いながら言った。「声を立てるな!皆が来て、こういう恰好を見られ
 ていいのか」女は自由になっている下半身で抵抗した。しかしその動作は却って富士男
 に次の仕事をし易くした。
・富士男は、自分の恐怖が、興奮で煮え立つのを感じた。その沸騰の中では、感覚は麻痺
 しているから、普通の人間がまともに体験する一切の感情は、逆に凍結した。それは軽
 く重く、熱く冷たく、病的な体は何かによって何億年も前から一切の行動を司令されて
 いるという感じの、奇妙な自己の希薄な時間であった。総ての感覚が生煮えなことに富
 士男はあらがい怒り、その抵抗がようやく快楽の一端と結びついているという感覚があ
 った。女はそういう形で富士男を侮辱しているのであった。  
・しかし最後には、女は死んだように静かだった。殺してはいないはずだ、と富士男は思
 いながら、顔を覆っていたスカートをはずした。女は遠くに視線を凝固したまま、息は
 していたが、表情はなかった。
・赤ん坊はいつから泣きやんでいたのだろう。富士男は立ち上がり素早く身繕いをした。
 その時、富士男は、すぐ次の間のおいてあるベビーベッドの柵の間から、はっきりとこ
 ちらを見ている赤ん坊が、顔を歪めるようにしながら、天使の笑顔を自分に向かって見
 せているのを見た。「あ〜あ」赤ん坊は親しげに、こちらに向かって呼びかけた。
・車を走らせながら、富士男が不愉快になったのは、女が全く声を立てなかったことだっ
 た。もちろんこれは、身勝手な論理であった。声を立てられたら、とんでもないことに
 なっていたのである。富士男は即座に首を押さえていたであろう。それは女の息の根を
 止めることになるのはまちがいなかった。しかしこんな昼日中に、団地のアパートで人
 を殺していたら、置いて逃げる他はない。
・約束の時間に三木陽子を拾い上げた時、富士男はまだ深い疲労が残っていて、寡黙にな
 っていた。 
・仕事を持たない男が一人前扱いされないことくらい、富士男はさんざん思い知らされて
 来たことであった。しかし陽子がその言葉を、気がきいた台詞のように口にするのを聞
 くと、富士男はこめかみが膨らんで来るように感じた。しかし目下のところ、陽子とホ
 テルへ行くということが、辛うじて富士男の忍耐の支えになっていた。
・昔田んぼの中の道だっただろう、と思うような覚えにくい道を少しも間違わずに、陽子
 は富士男の車をそのホテルに誘導した車を停めると、富士男がドアを閉めるのにぐずつ
 いている間に、ナンバー隠しの衝立を持って来る動作も、陽子は馴れたものであった。 
・陽子の亭主に義理立てするつもりは少しもない。不倫をするような女房を持ったのは、
 亭主の責任とも言えるし、不運とも言える。それだけのことであった。しかしいつの間
 にか、富士男は、陽子の中に別れた妻の緑の面影を見ていたのであった。別れる直前の
 泥沼の頃、緑が蔭で何をやっていたのか富士男は知らない。しかし陽子の行動を見てい
 ると、憶測がつくような感じになるのであった。
・それは夫のいないところでは、信じられないほど生き生きとした表情を見せる妻であっ
 た。夫の前では生きている死体なのに、夫以外の男に対しては、性的に燃え上がること
 のできる妻であった。そういう妻はまた、行きずりの男なら、明るくはしゃぐのに、夫
 とは喋るのも気だるいという態度を示すのであった。彼女は行きずりの男と夫を残酷に
 も笑いものにした。夫を騙して夫の稼いだ金を隠し、行きずりの男に使った。自分に無
 責任な声をかける男がいることで、自分は魅力のある女と信じ、もてない夫のもとにい
 てやることをお慈悲が恩恵のように思う、高慢ちきな女であった。
・富士男は別れた妻の緑のことを考えていたのであった。彼女と離婚した時、まだ自分は
 若くて、いろいろなことが見えていなかった、という思いが胸を締めつけた。もちろん
 当時も、富士男には外で関係のあった女がいないではなかったし、職も定まらなかった。
 しかし妻を食うに困らせたことはなかった。緑は他の女とは比べようのない存在だと思
 っていたし、性的にも十分に満足させているという自覚もあった。だからどうして緑が
 自分と別れたいというのか、富士男にはわからなかったのである。
・それが、何年も経った今になって、はっきりとその時の緑の行動と心理が再現されたよ
 うな感じになった時、富士男は初めて総てを理解したのであった。 
・陽子の夫がどんな人物かわからない以上、彼と自分を比べることはできない。また比べ
 てみても仕方がないことであった。しかしはっきりとしていることは、不満を理由に、
 女は平気で夫を裏切り、しかもそのことを、いささかも悪いとは思わないどころか、一
 種の懲罰と考えていることであった。
・引き寄せられるように、富士男はあの地点に向かっていた。それは墓場であった。現実
 に、富士男が殺した娘の墓場であると同時に、この世でついぞ自分が与えられなかった
 何かまっとうなもの、陰の墓場であった。
・妻が誠実だったら、と富士男が言えば、総ての人々は嘲笑し、富士男を責めるであろう。
 それなら、お前は誠実だったのかね、と。それと同じような形式の幾つかの問答を、富
 士男は心に感じていた。
・もっと自分を保てるような忍耐心のある教育を受けていたら、状況は変わっていたんだ、
 と言えば、人は、いい年をして何をたわけたことを言っている、と言い返すおとは必定
 であった。一人の人間の教育に関し、誰が責任がるかと言えば、子どもででもない限り、
 それは当人じゃないか。
・富士男は笑いながら言ったので、陽子はそれを富士男の冗談ととったようだった。富士
 男は突然女の上に覆いかぶさり、その顔をしばらく眺めた後で、胸の下部を激しく突い
 た。笑顔はまだ残したままであった。女が声を立てたのか立てなかったのか、富士男に
 はわからなかった。ただ、富士男は、空気を切り裂くような肺の音を聞いた。肺の音か
 もしれなかったし、心臓の響きかもしれなかった。

或る遭難
・まだ寝ているだろう、とばかり思っていた妹の智子が、外出の仕度をして、玄関に下り
 立つところだった。会社にいた川原美津子という女性のところに行くと言う。雪子は妹
 の有能な「手下」だった娘の名を、久しぶりに思い出した。彼女が通り魔に襲われたと
 う。しかも自分のマンションで。
・「そういう形で傷ついた妻を救えるのは夫だけよ」「何でもない、気にするな、全く問
 題にせずに生きよう、と言える男だったら、すてきだわ」と雪子は言った。
・「旦那がしっかりしてくれるといいけどね。何しろ、あの旦那、このままでは、とても
 明日から勤めには出られない、と言っているんだもの」と智子は言った。
・雪子は買物に出てマーケットを歩いている時、後ろから声をかけられた。振り返ってみ
 ると、小柄なくるくるした眼をした少女のような女が立っていた。彼女は、坂田瞳とい
 う結婚する前、一時、教会のコーラスに来ていた娘であった。結婚を機にぷっつりと教
 会には来なくなった。旦那があまりキリスト教会に出入りするのを好まないと言ったか
 らだ、というような噂もしていた。 
・瞳は雪子を自宅へ誘った。瞳の家は、マンションの最上階にあった。小網代湾から相模
 湾が遠くにではあったが一望に見える。
・「一カ月前に、私、主人が他の女の人との間に、子供を作っていることを知ったんです」
 と瞳は言った。「結婚して一年半くらい経った時、私、お医者さまに見て貰おうと思っ
 たんです。そしたら、主人が、そんなことをするのよそうって。相手に責任を負わせる
 感じになっていやだ。二人の間に起こったことは、二人の責任にしたい、って。私もそ
 う思っていました。でも、浮気の結果、子供ができなかったのは、私のせいだってこと
 がわかってしまったわけです。二人の責任にするなんてこと・・・おきれいごとだった
 んですね」と瞳は言った。
・「私、海に入るつもりだったんです。あの先の浜なら、人目にもつきにくいからと思っ
 て、歩いていたんです。その人、私が何も言わないのに、この道を真っ直ぐに行くと海
 で、入水するつもりならいいけど、それ以外の目的だったら、だめですよ、って笑った
 んです」「その人も、私のいろんな嘘をついてくれたんです。港の見えるホテルで美味
 しい食事をさせてくれて、私をきれいだ、って褒めあげてくれて、あげくの果てに、あ
 んたの亭主くらいの男、どこにでもいっぱいいるんだから、女にくれてやるおは惜しい
 なんておもいなさんな、と笑ったんです」と瞳は言った。
 
飾り窓の女
・富士男は、誰でも、信念を持って行動したり喋ったりしているのを見ると、昔から胸が
 悪くなるたちであった。女がこうして実力者に尻尾を振る姿を見ていると、富士男は不
 快感が煮えたぎってくるのであった。
・富士男は時々、手をかけた女たちのことを考えた。なぜか知らないが、二人の女が既に
 この世から消えているというのに、世間ではいっこうに騒ぎが起きていない。そんなも
 のなのかな、と富士男は意外な気がした。
・日が経つとともにあの二人を殺してしまって惜しかったという思いも強くなっていた。
 ヨシ子は事を起こしそうだったからやってしまったのだが、あの娘は、学校帰りに風呂
 に入るのをあんなに喜んでいた。勉強は嫌いでも、風呂に入ることが好きなら、また何
 か生き方もあったような気がする。陽子の方は、富士男あたりが手を出せる範囲として
 はかなり上等な女だった。しょっているのは気にくわなかったが、生かしておいて、時
 々会ってもよかったような気がする。富士男は陽子の首を絞めた時、ヨシ子と違ってあ
 んなに簡単にこと切れてしまったのが意外だった。陽子はヨシ子より、もっとしぶとく
 生きることに執着しそうな気がしていたのである。
・瞳と名乗ったあの女のことを考えると、富士男は自分が全くどじな男だったと思わざる
 を得なかった。いい気分になりすぎて、住所も電話番号も聞いておかなかったのである。
 あれはほんとうに初で気分のいい女だったのに、連絡が取れないとは全く惜しいことを
 してしまった。偶然が働いて、あの女だけは富士男を命の恩人だと思っている。少なく
 ともあの女を自殺から救ったのは自分だったし、女も帰り際に「朝と今とは違う人間み
 たいです」と言っていた。お世辞もあろうけど、本気の部分が多かったと思う。しかし
 連絡の方法もないし、道でまた偶然に出会うことなど期待できない。
・富士男が結局、家に帰るために電車の乗ったのは、九時半頃であった。途中で人がたく
 さん下りる駅が幾つかあって、車内が空いて通路を歩けるようになって来た時、富士男
 は自分の下りる時に便利なように、席を移すことにした。
・この私鉄は横揺れが激しいという評判であった。そのせいだったかもしれないが、富士
 男は電車の通路を歩きながら足もとにあった何かに蹴つまずいた。彼は斜めに数メート
 ルぶざまにふっとんで、出入口の近くの金属棒い手首をいやというほどぶつけてしまっ
 た。
・富士男がつまずいたものは、一瞬置かれた荷物だったと思ったが、振り返ってみると、
 それは座席に坐っていた制服姿の女子高校生が前に突き出していた足であった。彼女は
 きょとんとした顔でこちらを見ていたが、まだ白いソックスをはいた太い足をひっこめ
 ようともせず、両脇に半人前分ずつ座席の空き間を残してぼんやりと坐っていた。
・富士男が倒れそうになった瞬間には、一斉に注目した数人の人たちも、富士男が穏やか
 に腰を下ろすと、もう誰もことらを気にもしていなかった。 
・今、初めて富士男は、自分のたった一人の子供を殺した犯人に出会ったように感じてい
 た。妊娠中だった妻は、電車の中で、今日の富士男と同じように転び、その時激しく腹
 を打って、それがきっかけで流産した、と言っていたのだ。夫婦は既に心理的に半分壊
 れかかっていたから、転んだ原因が何であったか、どんな状況だったのか、富士男は詳
 しい説明も受けてはいなかった。
・しかしこの娘は何という鈍感な奴なのだ。高校生といいながら、電車の中で席を詰めて
 座ることも知らない。富士男のようにはっきりと席を詰めてくれ、と言う人が現われな
 い限り二人前の空間の真ん中に平気で坐って気にもならない図太い神経なのである。
・富士男が妻帯者を匂わせたので、娘は少し安心したようだった。富士男は気の弱い夫を
 演じ続けたので、娘は納得したようだった。
・娘は青木佳代と名乗った。富士男は佳代を車に乗せエンジンをかけた。
・「お前だって、高校にもなってたら、わかるだろ。俺とちょっと、ここでいいことして、
 それで金のことはなしってことにしたらどうだい」と佳代に富士男は言った。「もうき
 れっきりで、このことについては、後で慰謝料なんか要求しないって、一筆かいてくれ
 るならかまわない」と佳代は言った。
・潮騒の聞こえそうな海からの距離にいながら、富士男が車を停めて窓を開け、あたりの
 様子を窺った時、闇のかなたには、人の声もなく、海の息遣いもなかった。
・「シートを倒せよ」と佳代に言った。どすん、と大きな音をさせて、佳代はシートを水
 平近くまで倒した。そして富士男がバケットシートになっている境を乗り越えて、佳代
 の方へ体を近づけようとすると、佳代はぱっとその手を払いのけた。「先の約束のもの
 を書いてよ」  
・富士男の心の一隅に、今まで青い小さな口火だった火が、突然、煽られるような大きな
 炎に燃え上がるのを感じられた。 
・娘が最後の、訝しげな視線をこちらに投げたように思われた時、富士男は佳代の方に身
 を伸ばす代わりに、拳で激しく娘のみぞおちを襲った。佳代が首根っこを押さえる富士
 男の手の下で激しい痙攣を止めるまでに、やはり長い時間がかかった。静かになった時、
 富士男は今までになく息を切らしていた。 
・幸か不幸か、あたりは真っ暗で、隣の席で死んでいる佳代の顔はほとんど見えなかった。
 もう埋葬の穴堀だけはまっぴらだ、と富士男は突如として震えが来そうなほど、あの作
 業を嫌悪した。それにこのあたりなら、海へ向かって自然林がいくらでもある。その中
 は富士の樹海と同じで、土地の人だってほとんど立ち入ることもないのだ。その中に捨
 てれば、すぐに見つかることなど考えられない。 
・眼は次第に暗闇に馴れて来始めた。富士男は足を踏みしめながら急な斜面を下りた。痩
 せているとは見えなかったが、小柄な佳代はそれほど重くはなかった。そしてやがて斜
 面が、崖と言いたいほど急になり、富士男の足もとに踏切板にも似た岩が突出している 
 ところまで来たことを本能的に感じると、富士男は満身の力を込めて、佳代の体を放り
 出した。危うく自分自身の重心を失いそうになるほど投げても、佳代の遺体はただ崖を
 転がり落ちる気配しか示さなかった。富士男は再び車のところに戻り、佳代の鞄を取っ
 て来た。そして今度ははずみをつけて大きく放り投げると、鞄を数秒後に、はるかかな
 たで着地した音を立てた。

おだまき
・富士男はその翌日、久し振りに雪子を訪ねようと思い立った。今日は手土産まである。
 前日、横浜のデパートで万引きして来た染めつけの小皿である。富士男はいつになく気
 を使い、それをごく普通の新聞紙に包み直したほどであった。
・雪子の家に着いたのはちょうどお昼頃だった。玄関の戸を開けようとして鍵がかかって
 いることを知った時の富士男の失望は大きかった。
・富士男はシートを精いっぱい倒し、その高さから後ろが見えるようにバックミラーの角
 度を調整した。それから、こうなったら、何時間でも彼女が帰ってくるまで待とう、と
 いうつもりで体を横たえた。
・昨日はこの隣のシートには、青木佳代の死体が、寝ている猫に似た姿勢で横たえられて
 いた。しかしそれがどうしたというのだ。今まで手がけた三人の女は間違いなく、彼女
 たちの家族も知らないところで死んでいるというのに、そのうち誰一人として社会的な
 問題になっていない。新聞も警察も、人間の命は大切だと言いながら、社会の一隅でこ
 ういう形で人間が消えているというのに、全く何の異変も嗅ぎつけてはいないのだ。そ
 して世間の人はよく、人殺しをすると、後、寝覚めが悪くて大変だ、というようなこと
 を言うが、そんなことも全くの迷信だということがわかった。
・バックミラーを見た時、富士男は一瞬緊張が体中に走るのを覚えた。白いキュロットに
 赤いジャンバーを着て、一見娘のように見えるは、確かにあの瞳という女であった。そ
 れが、雪子の家に入って行くのである。富士男はじっと息をひそめるような思いで、玄
 関口を見守った。一分ほどして果たして瞳は門から出て来たが、その時、ちょっと富士
 男の車の方を不思議そうに見た。彼女は二、三度振り返りながら、元来た道を戻って行
 ってしまった。
・瞳が雪子の知人だということを知っただけで、驚異ではあるが、もうけものであった。
 今後、連絡をつけたい時には、瞳の居所にしてもうまく聞き出せるかもしれない。
・富士男は結局、車の中で一時間近く待った。「今日、小さなプレゼントを持ってきた」
 富士男は新聞紙包みを取りに行った。奇妙な快感を覚えながら、富士男は部屋に戻った。
 何も知らない雪子を、初めて汚れた行為に巻き込んでやった。しかしそれは、初めて雪
 子の肩を抱いたような気分であった。
・雪子はレイプされた知り合いの女性のことを話し出した。その話を聞いて「かえってよ
 かったじゃないか。亭主が大した男じゃない、ってことがはっきりわかっただけでも」
 と富士男は言った。「わかっちゃいけないのよ。私たち誰だって愚かなのよ。その愚か
 さを、わからせるようなことに追い込むってほんとうに残酷だわ。一生、手足に後遺症
 が残るような肉体上の傷を負わせることくらい、残酷なことだわ」と雪子は言った。
・「もしね、その人が妊娠してしまったら、どうするかしら、思ってね。あなただったら、
 どうすると思う?」と雪子は言った。富士男はその時ほど、驚愕を感じたことはなかっ
 た。あの女に、もし自分の子ができていたら、などということは考えてもみたことがな
 かったからだった。
・「その人がそんな事故でできた子供でも、命は命だから、生んでくれて、そして旦那さ
 んも、辛い思いをしながら、でも何の責任もない子供が幸せになるように、一生かけて
 自分の心と闘う、っていうようなことにならないかしらね。私がこんなことを言うと、
 いちも妹が笑うの。ばかじゃないかって。でも、私、地球上のどこかにそういう人って
 いると思うわ。誰にも知られず、ただその子供に憎しみを持たずに、むしろ心から愛せ
 るようになることだけを、自分の生涯の仕事だ、って自分に命じて生きた人が、どこか
 に必ずいると思う」と雪子は言った。
・食事をごちそうになって雪子の上を出た後も、富士男は上機嫌だった。心の中まで踏み
 込むような話ができたことは爽快な楽しみである。それについ、食後の出されたキンツ
 バという菓子まで食べてしまった。この手のあんこを主体とした和菓子を、富士男は普
 段それほど好きではなかったはずなのである。
・富士男は、書籍売場に行ってみた。本は時々思いつきで買うのだが、めったに読み通し
 たことがない。その癖、富士男は漫画も嫌いであった。電車の中で漫画雑誌などを読ん
 でいる背広を着た男を見ると、その恥知らずをなじるために、唾を吐きかけてやりたく
 なった。
・本と名のつくものは文庫本一冊でも買うつもりはなかった。ただ本の売場にいると、自
 分も知的な人間になったような気がするし、そこにいる連中を意地悪な眼で眺めるのも
 嫌いではなかった。 
・その日、富士男が眼をつけたのは、一人の眼鏡をかけた女だった。もう、三十になって
 いるかもしれない。
・女は「五島花子」と名乗った。
・女は「遊民です」と言った。「翻訳をしていますから、私これでも、自分で稼いでいる
 んです。でも時間に制約がないですからね。仕事は昼でも夜でも、今日でも明日でも、
 好きな時にしればいいんですから、遊民でいられるんです」と言った
・富士男には勘のいいところがあって、今この高慢ちきな女の気に入るには、知性を張り
 合うより、ばかを演じた方がいい、ということがわかるから、そうしたのであった。
・「ヴェネツィアがすてきかどうか、人によって違うと思いますけど、あそこへ行くと麻
 薬的な頽廃のすばらしさを感じるっていう人もいますし、あんな海に沈みかかっている
 ような町、救いようがない。あそこへ行くと、イタリアがどうして近代化しないかよく
 わかる、っていう人もいます。いずれにせよ、ヴェニスの商人の本場ですし、あそこは、
 道徳的にも、いい町じゃなかったようですから」と女は語った。
・花子によると、ヴェネツィアの運河の水の汚さは凄まじかった。家の玄関に当たる船着
 場の石には、淡のような水垢のようなどろどろした汚物が引っ掛かっており、時々は水
 そのものが臭気を放った。建物はいちもその裾を水に浸していたという。 
・それからしばらく、花子のヴェネツェア談義が続く間、富士男は感心して聞いているふ
 りをしながら、実はずっと別なことを考えていた。それはこの女と、はたして寝る気に
 なるだろうか、またそれだけの価値があるだろうか、ということであった。こういう女
 はお高く止まっていて、誘ったって簡単に応じないだろう、ということは想像に難くな
 い。  
・この女は富士男が知らないようなろくでもないことをいっぱい知っているのである。し
 かし最も富士男が興味を引いたのは、十六世紀までのヴェネツェアには奴隷制度があっ
 たおかけで、この小さな町には、一万人以上の娼婦がいたというような話であった。女
 性の地位は非常に低く、しばしば女は富豪階級の財産目録の項目になった。カサノヴァ
 が興味を抱いた対象の中には、修道女もいた。修道女はしばしば高級娼婦の役割も果た
 していたのである。またヴェネツェアの歴史を、濃厚な汚名で塗り立てたのは、男色と
 獣姦の流行であった。
・女はそれらのことを、歯が浮くほど、冷静で上品な抑制の効いた言葉で喋っている。男
 色や獣姦などというようなあからさまな表現は決して使わない。ソドミーという婉曲な
 言葉遣いである。しかしそれが「自然ではない性関係」を示しているのだから刺激的な
 のである。
・「ヴェネツェアの場合、むしろ乱れたのは、男と男の間じゃなくて・・・つまり娼婦と
 お客の間だったみたいに記録されてますよ。娼婦を買ったのは、貴族階級に富裕な外国
 人でしょう、それからカトリックの司祭たちですから。宗教的な戒律は別として、貧し
 いから異性への関心が歪んだ形を取るというわけじゃないんです。むしろ彼らは普通の
 ことではもう楽しめなくなってたみたいですね」と花子は語った。

第二楽章
・富士男は何気なく、店を覗いた時、本能的に、自分の神経に何かが無礼にひっかかって
 来るのを感じた。開店間際の、いつもと同じ店内である。しかし富士男の勘は正しかっ
 た。入口近くの壁に一枚のポスターが貼り出されていたのである。それは色つきではな
 かったが、確かに富士男の知っている顔が、三十センチ角うらいの大きさで刷り込まれ
 ていた。「尋ね人」写真の下に大きな字であった。人妻に違いないのに、家事手伝いだ
 と称していた三木陽子であった。
・「このポスター、誰が貼った。こんなもの、客商売の店が貼っていいものかよ」富士男
 はそう言うとつっかけを履いて土間に下り、荒々しくそのポスターを破り取った。
・富士男は何かが動き始めた、と感じていた。まだ正面切って仕掛けられた闘いではない。
 敵が背後に忍び寄って来るという気配であった。
・横浜に向かう電車の座席に座った富士男の前には、数人の女子中学生が立って周囲の人
 の存在も無視してひっきりなしに喋っていた。「「教会のバザーの時、トモちゃんちの
 お母さんがさ、島田食品のジャムなんか色々だしてくれてさ」という話が聞こえた。
・こういう瞬間、富士男は自分が異常な天才ではないか、と思うことがあった。世の中の
 肝心なことはあまり記憶力がよくない。しかし全くくだらないことで、いつまでもしぶ
 とく覚えている部分があるである。つまりトモ子が、島田食品という会社の経営者の娘
 だとすると、その会社の製品のジャムは、波多雪子の隣のおばあちゃんが、どうしても
 びんの蓋を開けられなくて、数日パンにつけるものなしで暮らした原因になったものだ、  
 ということを記憶していたのである。
・富士男はまさにトモ子に会ったことを奇遇だと感じた。普通だったら、開かないジャム
 のびんに腹を立てても、「あれは何とかいう会社の製品だった」というだけで、その名
 前さえ忘れてしまうだろうと思う。しかし富士男の性格として、昔から憎しみの対象の
 名前を決して忘れないたちであった。島田という会社はいったい何を考えて製品を作っ
 ているのだ。これから、老齢人口はどんどん増える。高齢者は指先の力が、幼児と同じ
 くらいしかなくなっている。その力で開けられないようなびんや缶やパックを作るとい
 うことは、老人を餓死させるのと同じことだ! 
・富士男はトモ子に、ジャムのびんの蓋が開けられず、おばあちゃんが栄養が取れなくて
 死んだという嘘の話をした。富士男が現実とからないほどの感情移入で喋ると、人は嘘
 つきだというが、それは、たとえば小説家などいう職業の奴らが平気でやっていること
 と同じではないか、と思う。ふと見るとトモ子は顔を俯けて泣いていた。
・富士男は次第に車をいつかの断崖のある海岸に近づけていた。こいつのうちは、年寄り
 を餓死させるような欠陥商品を造りながら、一月六千万円も稼ぐのだ。一生かかったっ
 て六千万円稼げない人間も多いというのにだ。年間にしたら七億円以上になる。如何な
 る人間も一年間に七億円に値する働きなどするわけがない。 
・あの断崖に眠らせたしつけの悪い娘は何という名前だったろうか。そうだ、やっと名前
 を思い出した。あの娘は、青木佳代という名だった。今この崖の下で淋しくしているだ
 ろう。間もなく仲間を送ってやる。そうすれば、今夜から同じ年頃の二人で仲良くやれ
 る。
・「脱げよ。服を。脱がないと殺すよ。その代り、脱いだら殺したりしないよ」と富士男
 はトモ子に言った。トモ子はセーラー服を脱いだ。富士男は娘が脱いだ衣服を一つ一つ
 受け取ると、後ろの席に投げ込んだ。靴と靴下も投げ込んだ時、富士男は胸に新たな思
 いつきが浮かんだ。
・「ドアを開けてやっから、外へ出な」富士男は言いながら、ドアのロックを操作して開
 くようにした。トモ子は言われるままに下り立ったが、裸足で馴れていないので、地面
 を歩くのは痛そうだった。
・トモ子は今がチャンスだと思ったらしかった。富士男が車を動かしている間に、トモ子
 の白い裸体が踊るように茂みに駆け込むのを富士男は見ていた。トモ子は富士男が気が
 ついていないと思っているようだったが、富士男はそれらのことを総てバックミラーの
 中で見ていた。
・富士男は運転席で声を立てずに笑った。車が完全に方向転換した時、富士男はトモ子に
 当てつけるように、大きくエンジンをふかして現場を離れた。富士男は笑いが止まれな
 かった。今頃、あの娘は素っ裸でどうしているのかと思う。
・後部座席に散乱しているトモ子の着衣のことを考えると、富士男は1キロほど走って車
 を停め、それをまとめてトランクの中に入れてあった紙袋に押し込んだ。それから、そ
 れを捨てるために海岸線を東に向けて走った。三浦海岸の長い砂浜に出ると、富士男は
 車を停め、浜で遊ぶ人たちのために置いてある大きな塵屑箱の中にそれを捨てた。ここ
 は、東京からも横浜からも、あらゆる人たちが遊びに来るところであった。そのために
 塵もそうぞうできないほど多様なものが捨てられているのとを、富士男はいつか回収の
 男が作業をしているのを見て知ったのである。
・富士男はその後で雪子のところを訪ねた。富士男は、一日に百万円税金を払うほど、稼
 ぐ奴がいるという話をした。それを聞いた雪子は「それは幸運もあると思うわ。でも、
 私ずっと見ていると、何かを得ている人は、それだけの辛い思いをしていると思うわ。
 事業のために、何十年も、自分を犠牲にして働いて来ているのよ。その蓄積に対する報
 酬でしょう。一朝一夕に、そんな大金が儲かるような甘い世の中じゃないもの」「あな
 たは妙に理想主義的ね。誰だって自分や自分の子が一番可愛いの。皆が自分の責任の範
 囲で、子供をきちんと教育して利己主義者に育てていれば、ふと気がついてみると、社
 会全体がよくなっていると思うわ。それを無理して、自分の子より人の子のことを大切
 に思わなければならない、なんて思うと不自然になるでしょう」と雪子は語った。
・「人間社会には無駄がいるのよ。無駄がないとこせこせしちゃうでしょう」と雪子は言
 った。 
・「ねぇ、お願いがあるんだけど。一度でいいから膝枕をさしてくれないかな。そうする
 と、とてもあんしんできるような気がするんだ」と富士男は目をつぶったまま、見下ろ
 している雪子の心配そうな視線を受け止めながら言った。
・しばらくそのままいてから、富士男は突然涙をこぼした。「あんたとセックスしたいっ
 てずっと思っているのに、それが怖いんだ」「長く会いたかったから、いやなことしち
 ゃいけない、って・・・」富士男は雪子の着ているブライスおボタンを一つだけはずし
 たが、その指には力はなかった。
・「お願いだから、ほんとうの君を一度でいいから見せてよ」富士男は雪子に懇願するよ
 うに言った。「あなたがしたいようにして」雪子は言った。富士男は黙って雪子のブラ
 ウスのボタンをはずし続けた。その動作は単純なものだったにもかかわらず、滑らかに
 はいかなかった。ブラウスを脇に置くと、富士男は左手で雪子を抱きながらぎこちなく
 スリップも脱がせようとした。左手も使えばもっと滑らかにやれるはずだが、富士男は
 雪子を離したくなかった。
・「よかったわ。つきさっきお風呂に入ったところなの。いい匂いがしない?」雪子は囁
 くように静かな声で言った。富士男は答えの代わりに、雪子のブラジャーをむしりとる
 と、慎ましく引き締まった二つの丘の間に顔を埋めた。しかししばらくそうして雪子の
 胸に顔を埋めていたあげく、富士男は声を上げて泣いた。「僕、できないんだ。あんた
 をめちゃくちゃにしてやりたいと思っているのに、できないんだ」雪子は富士男の髪を
 撫で続けた。 
・「ねぇ、お願いがあるの。あなたの腕に頭を置いていい?さっき膝枕をさせてあげたけ
 ど、ほんとうは私が誰かの腕の中でいつも眠りたいの。そうしたことがないんだけど、
 そんなふうにしたら、きっと落ち着くと思うの」と雪子は言った。雪子は伸ばされた富
 士男の脇のあたりに半ば顔を埋めた。目は閉じられ、その頬には微笑があった。

半人間
・富士男はそろそろ薄手の下着を買わなければならないことを思い出し、駅前のスーパー
 にでかけた。富士男はCDの売場をぶらぶらと通りかかって、ちょっと興味のある人物
 に眼を止めた。それは富士男好みの、まだどう見てもハイティーンの娘だった。
・娘はやたらに人なつこかった。弓月ジョンで十七歳だという。弓月ジュンは冷静だが、
 実は嬉々として歩いているようだった。知らない人が見たら、仲のいい兄妹に見えるだ
 ろうか、富士男は勝手な想像をした。
・二人は車にところへ来ると、ドアを開けて乗り込んだが、記憶にある限り掃除をしてい
 ない不潔で乱雑な車内には、何か腐敗したものでも落ちているのか、すえたような匂い
 がたちこめていて、富士男をがっくりさせた。 
・富士男は車を走らせながら、浮き上がった気持ちだった。声をかけた時には、当然のこ
 とながら、この娘を連れて、どこか比較的金のかからない見場だけはいいレストランに
 行き、どこか斬新な趣向のラヴホテルを探検しようと考えていたのである。しかしこう
 して娘を喋り始めると、富士男はなぜかそういう気にならなくなっていた。
・「おじさん、ちょっと車停めて」何か買いたいものでもあるのだろうか、と思いつつ、
 富士男は言われるままにブレーキを踏んだ。ジュンはひらりとドアを開けて外へでると、
 開けられていた窓越しに富士男に言った。「おじさん、さよなら。わたしこれからうち
 に帰るわ。ここからすぐだから」ジュンが、子供の身のこなしで素早く駆け出して行く
 のを、富士男はあっけにとられて眺めていた。
・翌朝、目を覚まして弓月ジュンのことを考えた時、富士男はばからしくなった。登校拒
 否くらいのけちな反社会性に、別に感動することもなかったのに、自分はやけにあの娘
 に心理的にいれあげたものだ、と思う。そんな愚かしい感情の回り道をせずに、ひたす
 ら自分らしい遊びに邁進するべきであった。いつもの通りホテルに行って、学校嫌いく
 らいで悩んでいるあの娘に、CD以外の快楽を教えてやるのも、いい人助けだったのだ。
・新聞は、島田食品社長の長女トモ子(十五歳)が、松輪近くの海岸の崖の途中で、変死
 体で見つかったことを報じていた。そんなことがあるだろうか。富士男は呆然とした。
 置いて来た時には、トモ子は確かにまだ生きていたのである。しかし警察は、そのあた
 りに着衣がないところから、自殺よりも他殺の線で捜査を開始した、という。
・突然、富士男は自分の自動車のトランクの中に、まだ入れたままになっているトモ子の
 鞄のことに気付くと、心臓が縮上がるような気がした。どうしてそのままにしておいた
 かというと、とにかくトモ子は殺してはいなかったのだし、裸に触りさえしなかったの
 だから、いつかあの鞄は返してやってもいいように思っていたのである。  
・車のトランクに入れてある鞄を捨てることが急務なのだが、島田の娘が死んだことは大
 事件だから、あちこちで証拠になるようなものに対する一般市民の神経がひりひりし始
 めているのは間違いない。こういう事件が起きると、普段なら見過すような、捨てられ
 ているノートひとつでも、ゴミ収集人までが、注意を払うようになる。富士男が到達し
 た結論は、ほとぼりが冷めるまで、鞄はむしろ家においておいた方が安全だ、というこ
 とであった。 
・こういう日に自動車事故を起こしたら負けだ、と富士男はそれでも思慮を巡らせていた。
 用心するのだ。目立たず、ひっそりと、どこを見ても特徴のない庶民として暮らすのだ。
 そうして時を稼いでいれば、崖の途中や土の下で眠っている女たちは、皆土に還る。こ
 の地球ができてから、人間として生息して死んだ人の数は何億人になるのか富士男には
 計算することもできないが、どんな土木工事をしても、遺跡を発掘しても、その数だけ
 骨が出た、という実感はない。だから、あの女たちも、その無数の歴史上の死者たちと
 同じようにおとなしく土に還ってくれるだろう。
・雪子にまた何かブレセントをしたい。富士男は一時間近くかかって横浜のデパートに着
 いた。そうだ。エプロンなどどうだろう。富士男は女店員にエプロン売場を尋ねた。彼
 女はレジの机の所に行って、何か台帳のようなものを見ていたが、戻ってくると言った。
 「エプロン売場は三階です」富士男は三階に行って、軽薄なレースが波うって見える下
 着売場の周囲を一巡したが、エプロン売場は見当たらなかった。通りすがりの男の店員
 に尋ねると、エプロン売場は六階のタオル売場の裏側だという。富士男は再び六階に戻
 って、女店員にエプロン売場は六階のタオル売場の裏側と言われたと言った。富士男は
 女店員に「同じ階でどんなものを売っているか見たことないの?」と言った。
・その夕方から、夜にかけて、雨は激しく降り続いていた。富士男は決して待ち伏せして
 いたわけではなかった。全く偶然に、雑路の中に、富士男はそこだけ信号を放っている
 ような存在を感じだのである。あの六階にいた女店員であった。 
・その女は菅麗子と名乗った。その日、富士男が菅麗子を連れて行ったのは、追浜から少
 し西に入った岡の中腹にある、竹藪の中のラヴホテルであった。一軒一軒が離れ式にな
 っていて、車を停めるスペースにも一応はカラートタンの屋根がついているから、こう
 いう降る日には濡れないていいだろうと思ったのである。小さな玄関を入ると、そこは
 六畳の居間で、掘り炬燵が切ってある。今は、足もとには火の気はないが、恐らく冬な
 らそこで二人は膝を突き合わせて、なにかこちょこちょできるという風情だった。 
・自然な選択だったのだが、普段から母親にお茶をいれさせるのに馴れていた富士男は、
 赤い魔法ビンと丸い茶道具入れの置いてある席から、遠い方の座蒲団に坐った。
・およそ愚かしいお世辞を使って、菅麗子にお茶をいれさせようとする試みに失敗した後、 
 富士男は赤い魔法ビンと茶道具を押しつけられて、自分で茶を入れる羽目になってしま
 った。麗子は、下手だから遠慮するという形で、がんとして富士男のためにお茶をいれ
 るということをしなかったのである。
・風呂場そのものの構造は、他のラヴホテルと違って、田舎の商人宿ふうであった。広く
 もなく、奇抜な趣向もなく、強いて言えば田舎の農家の浴室のような造りだった。しか
 しそうは見えても、さすがに商売柄、それだけではなかった。寝室と浴室との間が壁で
 はなく、襖になっているのを見た時から、富士男は素早くその構造上の特徴を推察でき
 た。麗子が脱衣場に入って、一、二分した頃を見計らって、富士男はその襖を急に引き
 開けたのである。寝室と浴室との境は、壁ではなく、大きな全面ガラスになっていた。
 それを隠すために、一見押入れに見えるように襖が嵌めてあるのである。そしてその襖
 を引き開けさえすれば、浴室にいる相方を蒲団に横になりがなら、水族館の魚を見るよ
 うに、観賞することもできる仕組みなのであった。
・富士男がさっと襖を開けて素通しガラスのからくりを見せた時、麗子はちらりとこちら
 を見たが、そこで、驚くでも、恥ずかしがるでも、嬉しがるでも、おもしろがるでもな
 かった。「あら!」という顔くらいしてもいいのに、と富士男はうんざりした。知って
 て知らぬふりをしているというのも、この際不細工極まる。しかも、見られている、と
 いう意識が、いささかも行動の変化になって現われない。いつもと同じ、という手順で、
 恥かしげもなく体の隅々を洗い、年寄りのように腰をかがめて浴槽に浸かった。 
・こんな時、富士男はつくづく酒も煙草も飲めない自分がばからしくなった。脚の短い、
 腹に肉のつきかけた女でも致し方ない。とにかく女を観賞する時には、酒か煙草がつき
 ものなのだ。それをストレートで、女だけを見ているなんてしみじみみじめまのである。
 しかしみいめなのは、連れ込んだ女の肉体がお粗末だからだけではなかった。富士男は
 今まで、自分の得た女は、雪子を除いて、すべてくだらない女だったことを思い出して
 いた。
・彼女らは、嘘つき、尻軽、鈍感、強欲、利己的であった。もっとはっきり言えば、奴ら
 は皆、半人間だったのだ。自殺未遂の女は少しましだったと思うけれど、あの日は彼女
 の異常心理に付け入った、という自覚がないでもない。あのヴェニスについてやたら知
 っていた小生意気な女や、やたらに陽気な登校拒否の娘は、かなりましだったと思うが、
 その気にならなかったり、あっと言う間に逃げられてしまったりした。悪口を言われよ
 うが、ばかにされようが、一向にお構いなく、逃げ出すもせず図々しく残っているのは、
 男の視線の中でも、気取る能力さえなく、短い脚で風呂に入っている女だけなのである。
・富士男は浴室でシャワーの栓をひねった。ろくでもないホテルだと思っていたが、シャ
 ワーの水圧だけはみごとなものであった。シャワーの音に混じって、時々雨の中に坐っ
 てるような感じにもなる。こうしていると、三木陽子の家族が必死で彼女を探している
 おとも、島田トモ子の遺体が発見されたことも、警察が動き出したことも、丸っきり遠
 い世界のおとのような気がした。その時富士男は、この破廉恥な女をやっつけるばかば
 かしい計画を思いついた。 
・ありがたいことに、昔から富士男は、性行為には侮蔑と何かを破壊しようという情熱、
 が主たるエネルギーだという自覚があった。だから、雪子を腕の中に抱きながら、富士
 男は不覚にも思いを遂げられなかったのである。
・話しているうちに、富士男はこの麗子という女が「ぞっこん嫌い」になって来たのであ
 る。体の不自由な子供たちがバンディキャップに耐えて学ぼうとする施設ができるとい
 うのに、そんなものを近所に作られては地価が下がるからいやだ、などということを、
 内心でちらっと思う程度ならまだしも、公然と口にして憚らない神経に、富士男は腹を
 立てたのである。
・雨の音は相変わらず激しく、富士男は化粧っ気もない頑丈な骨格の顔と、枕に乱れた女
 の短い髪をおぞましく思いながら、女から体を離して、やれやれという気分で隣の寝床
 にひっくり返った。「お客さんは、ずいぶん遊んでいるっていう話だったけど、いつも
 そんななんですか?」やがて麗子は言った。
・富士男は、半年前までサンフランシスコに住んでいて、エイズで死んだ男と関係を持っ
 ていた物語を麗子に話して聞かせた。
・富士男は麗子の横顔を見た。暗い車内だが、それでも一瞬、対向車のヘッドライトに浮
 かび上がった麗子の顔から、彼女が異常に興奮に取りつかれているらしいことを富士男
 は見て取った。「あんたに病気がうつった、かどうか、まだわからないんだから、それ
 はその時に考えるということにしたらどうなのさ」と富士男は言った。「そんなのんき
 なことを言ってられるか、この詐欺師!」麗子は突然、男言葉になって喚いた。
・麗子は急に狂ったように富士男の首を絞めようとした。危うくハンドルを取られそうに
 なって、辛うじて富士男は道端に車を寄せて停まった。「人殺し」と言われたことで、富
 士男も逆上していた。富士男は女の顔を力まかせにひっぱたいた。女の唾が、富士男の
 頬まで飛んだ。それから前後の見境なく喚き始めた女を黙らせるために、不自由な角度
 の中から、精いっぱいの力で、女のみぞおちに拳で一撃を食らわせた。
・富士男はおとなしくなった女を見ながら、額の汗を拭った。椅子の背をできるだけ倒す
 と、女は避けに酔って眠っているように見えた。これで解決したのだ、と富士男は考え
 た。この間のように、うっかり持ち物を捨てないでおいたりするから後で困る。だから
 ハンドバックごと、道に捨てていけばいいのである。そうすれば、気がついた時に起き
 て、何とかして家に帰るだろう。
・訴えてやるとか何とか言っていたけれど、訴えられる心配はほとんどない、と富士男は
 高をくくっていた。横浜の駅の辺りを歩いていて、仮にあの女に出会ったとしても、エ
 イズのことを世間に知らせては困るから、あの女は決して声をかけたりしないだろうと
 思う。そしてさんざん心配して、それから医者に行き、何でもないことを知らさせる。
 富士男が狙ったのは、まさにその愚劣な経過であった。
・ただ、麗子を捨てて逃げる、という作業を人に見つからずに行なうためには、数分間の
 暗黒の時間を利用する必要があった。そのためには、いささか車通りのないところを選
 ばなければならない。富士男は再び帰巣本能のように、三浦半島を南に向かって走り出
 した。

虚空
・人間は避けられなかった衝撃に遭うと、そのまま身と心をかがめて、丸めて、と言った
 ほうがいいかもしれないが、ひたすらそれに耐える。心の傷の治療は、麻薬はあっても
 薬はない。自然の治癒力を待つほかはないのである。
・雪子は人生の持ち時間というものに対して、自分の場合を考えた。結婚には適齢期など
 ない、とよく人は言う。そしてその言葉は、決して嘘ではなく、誰かを安易に慰めよう
 とする意図を持つ者でもなかった。むしろそれは確固とした真実であった。しかしそれ
 にもかかわらず、雪子は心のどこかで、一生結婚のチャンスなどなく生きる自分の姿が、
 眼に見えるように感じていた。 
・しかし、それならそれでしかたがないのである。なぜなら、それ以外に方法がないこと
 について、人間は深く思いをかける必要はないのであった。自分が努力をしなかったか
 ら、ことがならなかった、というなら、反省も必要であろう。しかし現世には、れっき
 として、運に左右される部分があった。今、学校では、運というものの存在を認めない
 ような教育をしているという。運が悪い、と言って諦めるような姿勢は、政治の貧困や
 社会悪を認めることになる、と教えるのだと。しかし雪子は運の影響を受けない人生が
 この世にあるなどとは、想像することもできなかった。
・ある雑誌社が、ちょっとした心がけで事態はよくなるのに、年寄りの頑固さが周囲の人
 を困らすケースには、どんなのがあるだろう、と調査したことがあった。その結果、
 「人の領域まで口を出す」「汚い」「自分でお金を持っているのに、自分にかかった出
 費にも気がつかないふりをしてお金を出さない」などという項目がかなり上位を占めた。
・「人の領域に口を出す」というのには、孫の子育て法から、息子夫婦の生活のテンポや
 金の使い方や交友関係まで、自分の思うようにしたい年寄りが多すぎるのだという。 
・「汚い」はちょっとした生活習慣の問題であった。シーツを一月も洗わない、肌着を換
 えない、吐いた淡を取った紙をその辺に散らかしておく、とかいう苦情もあった。
・「お金を出さない」背後には、年寄りなりのる理由はある。収入もないのに、今、金を
 使ってしまったら、結局は後で若い者の世話にならなければならない、という思うので
 ある。しかし親も尊敬の眼をもって見られたかったら、何でも子供の世話になればいい
 などという甘さを捨てなければならない。首相が外国に行って饗応に与れば、必ず返礼
 の宴を開く。子供にごちそうになれば、今度はうちで、という思想を持つのが当然であ
 る。しかし世の中には、そうでない、気を許した親子が多すぎる。必ず子供に金を出し
 てもらえばいい、と思い込んでいる老人や、一緒にご飯を食べに行けば、必ず親が払い
 をするものと決めている「中年の子供」もいる。
・雪子は、どうしても岩村ハツのことが気になってしかたなかった。入院というものは、
 世の中にはそれが逃避だったり趣味だったりする人がいないではないと言うが、普通の
 人にとっては一種の拘禁状態に入っているようなものである。拘置されている人だって
 差し入れというものはあるのだし、馴れない環境に一人おいて置かれてほんのちょっと
 したことに不便したり、心細い思いをしたりすると可愛そうだから、見に行ってあげな
 ければ、と思わずにはいられなかったのである。
・老年というものはヒビの入った茶碗のようなものだ、という表現は当たっていると思う。
 そのままていねいに扱えば、壊れるということもない。しかし少しでも無理をさせたり、
 環境を変えたりすると、ぽろりと壊れてしまう。
・雪子は「一日一善」という感覚が好きであった。倫理的な意味で、一日に一つはいいこ
 とをしようと思っているのではない。一日に一つだけ積極的にものごとを片づけること
 を自分に命じていたのである。たとえば今日は懸案になっていた歯医者へ行く。明日は
 前々から気になっていた門の前のドウダンツツジの伸びた新芽を摘む。それだけででき
 ればめっけもの、という具合に、自分を甘く甘く許す。一つでいいのだ。二つも三つも
 余計な仕事をしようと張り切ると、却ってろくなことがない。しかし一つすれば、それ
 だけは確実に片づいているのである。それに該当することを一つもしなかったら、精神
 がぶよぶよになったような気がするのである。
・「知り合いの人が、車で人を轢いちゃってね。デパート勤めのOLだったらしいけどね。
 新聞にもちょっと出たんだよ。事故を起こした人が小学校の先生だから」「ほんとにま
 ともに轢いちゃったんだってよ。相手が道に寝てたんだってから、仕方なやね」と酒屋
 が言った。
・「しかも悪いことが二つも重なったんだ。轢いた時、しまったと思ってそこから逃げ出
 すみたいに2キロばかり走ったんだって。その間に他の車が轢かれた女の人を発見しち
 ゃった。轢き逃げだよね。しかも、先生、出先でビールをたったコップ1杯飲んでいる
 んだ」と酒屋が話した。
・「この頃、正義バカみたいな奴って多いよなあ。正義正義って言ってさえすれば、自分
 が上等になったみたいに思ってる奴。だけど、俺は、人生の半分は運だと思ってるね。
 あの事故の日だって、ひどい降りだったから前が見にくかったんだよ。雨でなかったら、
 あの先生、見えて避けられたと思う」と酒屋は言った。
・菅麗子の事件に関しては、富士男はほっとしたのと、怒ったのと両方であった。怒った
 理由から言うと、菅麗子が殺されたり、彼女は過失で死んだりする、ということは、富
 士男の計算にはなかったのだから、「誰が余計なことしたんだ」という気持ちだったの
 である。あの厚かましく利己主義的なデパートの女店員は、生かしておいて、しばらく
 の間エイズの恐怖で、キリキリ舞いをさせるだけが悪戯の目的であった。それを、どこ
 かのトンマな教師が車で轢いたらしい。ほっとした理由というのは、島田食品の娘と違
 って、今度は、彼女を轢いたという人が明確になっていることだった。そうでなければ、
 万が一の場合、この事件の容疑者にさせられてしまう恐れがある。  
・誰にも文句を言えることではないが、富士男はここ数日に起きた偶然の結末が不気味で
 たまらなかった。しいて言えば、その「偶然の悪意」を雪子に相談したかったが、そん
 なことは口にできる話ではない。島田食品の娘も、裸にはしたが、崖に突き落したりは
 しなかった。デパートの女も、少し雨の中で寝て頂こうと思っただけだ。それが二人と
 も全く違った理由で、富士男が直接手を下したのでもないのに死んでいる。女たちが運
 が悪いのかもしれないが、富士男自身も迷惑な話である。

崖の上の家
・富士男は、長田譲治という医師の名前を雪子の家で見た瞬間から、その家のことを思い
 出すことができた。普段、めったに店の仕事など手助けしないのに、ある日たまたま店
 の奥にいた時、かなりの美人が入って来て西瓜を一個買い「重くて持てないから、長田
 さんというお宅まで届けてちょうだい」と言ったので、富士男は思いつきでそれを引き
 受けたのであった。西瓜を届けた時、富士男の店に立ち寄った美女は出て来なかった。
 その代わり、ピーナッツのような顔の輪郭の野暮ったい女が現われたのである。あれが
 長田医師の女房だったのだろうか。雪子に長田医師の年の頃を聞いて来なかったのは迂
 闊だったが、どうも女房としては不釣り合いという感じである。
・いつかゆきずりに見かけた赤ん坊を抱いた若い女のアパートに押し入って、有無を言わ
 さず暴力的に抱いた時の興奮を富士男は反芻した。相手は襲われた、と言っているだろ
 うが、富士男は今となっては発作的に愛したという気がしている。あの女は問答無用に
 初々しかったのだ。そしてそこまではっきりとあの短い時間の間を分析して考えたわけ
 でもなかったのだが、つまり、自分は彼女の夫に嫉妬したのだ。
・あれが人並みの生活というものなのだろう。世間の人間は「あなたも人並みに努力すれ
 ば人並みくらいの幸福なら手に入れられるのよ」という説教をする。しかしそんなこと
 はないのだ。人並みな暮らしをしようにも、それができない要素を抱えた人間は、決し
 て稀ではないのだ。
・富士男は例によって車のシートを後ろに倒して、眠ったふりをしながら、時々薄目を開
 けて通りを見ていた。窓の外を、犬を連れて散歩をしている中年の女や、買物帰りの主
 婦らしい女が通った。富士男がそれら女たちを観察していて思ったことは、もし、自分
 に結婚する日があるとしたら、決して美人をもらおうとは思わないだろう、ということ
 だった。美人はろくなことはなかった。自分のような男が狙うとしたら、美人なのだか
 ら、危険も多い。少しばかりの器量を鼻にかけた女は鼻持ちならないし、年をとった時、
 その変わりようも無残である。その点、普通の女はもちがいい。
・その夕方、新聞は、海岸の塵箱の中から集められて、焼却場に運ばれて行くはずだった
 島田トモ子の着衣が、もったいないと思った作業員によって、密かに分けられていたこ
 とを報じていた。その作業員は、島田トモ子が全裸で死んでいたことをニュースで知っ
 て初めてそのことを届け出て、島田家がその制服が娘のものであることを確認したのだ
 った。 

復讐ごっこ
・「自分は正義をやっている、って思ってる人より、自分は悪いことをやってる、って思
 ってる人の方が、ずっと優しくて好き」と雪子は言った。「あんたは変わっているね。
 今は「正義の時代」なんだよ」と富士男は言った。 
・この頃、とんと横浜にも足を踏み入れなくなった。今となっては、あの菅麗子が懐かし
 くさえある。あの強欲、あの利己主義、あの愚かしい自信、あの恥ずかしげのなさ、総
 てが懐かしいような気さえする。あれは日本の女の原形であった。感情的で、損が何よ
 り嫌いで、人の目など気にしないバカがつくほどの正直者だ。だから信頼することがで
 きる。その菅麗子もいなくなって、世の中はとんとおもしろくなくなってしまった。も
 う横浜にも行く気もしない。 
・まるで、神の掲示のように、おもしろい言葉があった。「ローマの歴史を見よ。カリグ
 ラ帝は言っている。「皇帝には一切が許される」と。しかしただローマ皇帝にだけでは
 なく、あらゆる狡猾漢や卑劣漢にも、四つ足の畜生にも一切が許されている」富士男は
 大いに感心した。獣になれば解決することは、現代に多い。自然を破壊するのも、人間
 が獣でなくなったからだし、原爆を作ったのも、人類が動物以上に小利口になり過ぎた
 からだ。
・突然富士男は、車に何かがぶつかるのを感じた。それは、大きなショックではなかった
 が、微かに金属と金属がぶつかり合う不愉快な響きが、心理的に胎児のような安逸をむ
 さぼっていた富士男の神経を逆撫でした。
・それは、小学校の高学年と思われる子供であった。富士男はことの次第を総て察してい
 た。子供はランドセルを担がずに手に持っている。ということは彼はそれを担がずに、
 振り回して遊びながら、道を歩いて来たに違いないのだ。 
・「車を傷つけたろう」「大したことないよ」少年は整った目鼻立ちで、ちらと富士男の
 車を見ながら、こともなげに言った。「大したことがないかどうかは、こっちの言うこ
 とだ」富士男は車から下り立って、車の傷を点検しながら言った。ほんの5センチほど
 の細い浅い傷が、ドアの、少年の肩の高さほどの所に見えた。
・「謝らないのか?」「誤ったっていいよ。ご希望なら」少年は人を食った調子で言った。
・「君は将来、どこの大学を受ける気なんだ?」「それはもちろん、東大ですよ」富士男
 の気分の中には、先刻までだらけていた血管の隅々に、いつもの自分らしい怒りや興奮
 が、音を立てて流れ始めるのが感じられた。
・たとえ誘っても、この生意気な「ガキ」はついて来るまい、というのが、富士男の予想
 だった。しかし、予想に反して、少年は動かなかった。「早く、車出せよ」逆に少年は
 言った。 
・「僕のお父さん、検事なんだから」と少年は言った。富士男の胸の奥に、海底の火山の
 ように凶暴に突き上げてくるものがあった。それでも富士男は凍りつくような笑って見
 せた。
・「悪い奴は罰するのは当たり前だよ。そうでなかったら、何もしないいい人が殺されち
 ゃうだから」「そうか。悪い奴は殺されて当たり前か」富士男は言った。
・少年は素早く富士男の内心を察したようだった。少年はシートに埋もれていた体を立て
 直すようにしながら、落ち着いた明晰な調子と威厳を保とうとするように言った。「僕
 を殺したりすると、国家的損失だよ」 
・富士男は躍り上がるようにして隣の席の少年に襲いかかって、その首を絞めようとした。
 少年の抵抗が意外に強かったので、富士男はちょっと虚を衝かれた。少年は助手席の前
 に付いていた。バックミラーに縋ることで富士男から逃れようとしたが、その狂的な力
 によってそのものをむしりとってしまった。
・富士男は戦法を変えた。喉から手を放し、少年が、下水管が水を吸い込み終わった時の
 ように、ごぼごぼと喉を鳴らしているのを聞くと、みぞおちに一撃を食らわせた。
・もはや、彼を生き返らせることほど危険なことはなかった。父親は検事なのだ。富士男
 は改めて少年の喉にしっかりと両手を当て、怒りに任せて全身の重みをかけて絞め上げ
 た。 
・富士男は、車を出した。今は一刻も早く、少年の遺体を捨てることだけしか富士男の念
 頭にはなかった。
・前後を見回して、車が来る気配がないのを見ると、富士男は助手席のドアを開けて、少
 年を引きずり出した。ともかくも竹藪に引きずり込んでしまいさえすれば、たとえそこ
 へ誰かが通りかかっても、車を停めて一人の男が立ち小便をしているとしか思わないだ
 ろう。
・あたりの散り敷いた竹の枯葉が、一種のそりの役目をしてくれないか、と期待しながら、
 少年を突き落したが、果たして密生した竹が、すぐその落下をほんの五十センチほどで
 防いでしまった。しかし、考えてみれば、あと三メートル深く落ちることに成功したと
 しても、ここに足を踏み入れた人がその気になれば、簡単に死体を発見することができ
 る。
・富士男は喘ぐように車で戻った。キイを回してエンジンをかける時、手がいつものよう
 に滑らかに動かないのを発見した。足首をしなやかさを失っていたので、車は細かく、
 しゃくりあげるような不自然な走り方をした。
・家の方向に向かって、数キロ走った時に起こった小さな異変は、ここ数分の間の手足の
 ぎこちなさに起因しているものではなかった。まったく偶然に一人の男が、自転車に乗
 ってT字路の細い道から猛スピードで走り出してくると、富士男の車に当たって放り出
 されたのである。「ばかやろう!」思わず富士男はどなった。
・ぶつかった時の接触の感じは固くはなかった。タイヤの先が当たったという程度の感触
 であったし、派手に倒れたのは、こちらの車のスピードに煽られたという手応えでもあ
 った。これで金属部分をぶち当てられた、という手応えがあったのなら、すぐさま車を
 停めて、相手に謝らせ、修理費の請求先も確認しておくところである。しかし今富士男
 はそんなおとはできないのを知っていた。 


・時計を見ると七時半だった。誰かが玄関に訪ねてきた様子である。富士男が聞き耳を立
 てていると、やがて母親が年齢の割には軽い足どりで上がってきた。「なんだかわから
 ないんだけど、今、下に警察の人が来たんだよ」と母親は言った。
・巡査は「昨日交通事故があったんですが、その頃、その辺を通らなかったですか?昨日、
 どこか車で外出しましたか」とたずねきた。 
・富士男は巡査からの要請に応じて三浦署に出頭した。取調室の中の人工的な静寂には、
 ほとほとうんざりしかけていた。しかしもし、富士男が外の物音を聞くことができたら、
 富士男は自分が今置かれている立場が、決して静かでも穏やかでもないことを知ったは
 ずであった。横須賀市に住む横浜地方検察庁検事の長男が、塾から出たまま帰宅しない、
 という知らせが横須賀南警察署に届けられたのである。
・事件はさらに急ピッチで新しい段階に入っていた。富士男が少年を殺害して捨てた竹藪
 に、その土地の持ち主である原正吉が農作業の途中、小用を足しに入ったのである。そ
 の日、原正吉は、竹藪に入りながら、素早く小さな異変を感じていた。最初の印象は、
 誰かが、藪の奥の方に、ものもあろうに蒲団か古着の丸めたものを投げ捨てて行った、
 という印象であった。もっとも蒲団にしてはひどく小さく、柔道着を緩くまとめたくら
 いの大きさに見えた。
・正吉は小便をする場所を考えながら、その蒲団ふうのものを見極めようとして、斜面に
 近づいた時、手足が硬直するのを感じた。手足だけでなく、正吉はその瞬間、舌も硬直
 してしまった。大声を出せば聞こえるくらいの距離に女房もいるのだが、全く呼ぶこと
 もできなくなっていた。それは、向こう向きに転がされていた子供の死体であった。
・昼間までの段階で、三浦署では、道交法違反、業務上過失傷害によって、富士男に対す
 る逮捕令状請求に踏み切っていた。署長室では出頭した交通課長が、当分の間、富士男
 を轢き逃げの線で追求することを打ち合わせたが、課長は署長から「逃がすな」とも言
 われていたのである。 

朝の会話
・「殺人事件捜査本部」が三浦署にできたのは、昨日の午後、遺体発見の直後である。三
 浦署始まって以来の騒ぎであった。少年の誘拐事件という大きな事件は今までに例がな
 かった。しかし、それだけではなく、今回の事件は、奇妙にスタートを切ったという感
 触があった。
・普通ならホシを割り出すまでの経過が長引く場合が多い。しかし今度はもしかすると、
 ホシは既に挙げているのかもしれない。こんなケースは稀である。しかしそれだけに奇
 妙な予感も玄人にはないではなかった。
・既にホシを挙げていれば、それで半分はかたがついたように外部の人は思う。しかしそ
 ういう場合に限って、自白と証拠がためと、両方から落とすことが、意外と手間取るの
 ではないか、という予感が捜査本部の空気の中に生まれたのである。

幾つもの横顔
・外は雨であった。庇を打つ雨の音が、誰もいない森閉とした家の中に滲み通っていた。
 普通の家庭というのはこういう夜、何をしているのだろう、と雪子は考えた。富士男と
 いう人も、妻と離婚などせず、平凡に子供のいる家庭を持っていたら、この雨の日曜日、
 テレビゲームをしたり、狭い部屋の中で子供と取っ組み合いをして奥さんに叱られたり
 していたかもしれないのだ。自分が少なくとも、富士男ともう少し距離を縮めていたら、
 富士男も轢き逃げをするような運転をしなかったかもしれない。しかし雪子はそう思う
 とすぐ後から、少女のような甘い空想にふける自分を恥じていた。そしてその時、驚く
 ほど大きな音で電話が鳴った。
・「波多さんですか。私、金谷美津子です」雪子は美津子の名前を決して忘れてはいなか
 った。夫の留守の間に変な男に押し入られてレイプされた、かつての智子の部下である。
 「小学生殺しのニュースが、さっきからずっとテレビで出てますけど、うちに押し入っ
 て来たのは、その犯人の富士男、っていう男です。私どうしたらいいでしょう」雪子は
 受話器を握ったまま、心理的な混乱に耐えていた。富士男は、けちな轢き逃げ事件の容
 疑で捕まっているはずであった。それがいつから、どうして小学生殺しの容疑者になっ
 たのだろう。 
・人間は一生に何日、どん底にいる思いで、こうして雨の音を悲しみの底から聞くのだろ
 う。いつか智子が教えてくれた、一つの話を雪子は突然思い出していた。それは、アウ
 シュヴィッツのあの悲惨な抑留生活の中で起こったことだという。どんな病気か雪子に
 は正確にはわからないけれど「飢餓浮腫」と呼ばれる病状に苦しんだ病人がいた。収容
 所の中には、食料も薬も、彼を治癒させてやる何の手段もなかった。しかし、彼は、不
 思議とその恐るべき状態から抜け出した。その理由を同じ囚人だった一人の精神科医が
 聞いた時、彼は答えた。「それは、私がそのことに泣き抜いたからです」
・その患者は、どこからか密かに食物を手に入れるようになったから、飢餓から来る浮腫
 が治ったのではなかった。ただ彼は、その苦しみを直視した。そのことについて泣くこ
 とを、恥かしく思いながら承認するようになった。本来、それは恥ずかしいことでさえ
 なかったのだ。苦悩し尽くすという誠実が、救いの源泉になるからであった。  
・「時が経つと、総ての意味が変わって来る、っていうのが、私たちの気持ちだったわ。
 忘れられるし、重い意味を持っているように思えたことも、大したことではない、って
 ことがわかって来ることもあるし」と雪子は言った。「時が経ったら、大したことでは
 なくなる、なんて言わないでください。私、妊娠したんです。あの男の子供を妊娠した
 んです!でもそれは同時に私の子供なんです!」と美津子は叫ぶような声で言った。雪
 子の卑怯な沈黙を、暴きたてるような雨の音があたりを覆った。
・今、良識ある行動というのは、一切黙っていることであり、富士男に関することは総じ
 て忘れることだということは、わかっている。しかしそう思う傍ら、雪子はそのような
 自分の判断に恐怖を抱いた。その人は確かにこの世にいるのに、その人の存在が都合悪
 くなると、あたかもその人がいなかったように無視せよ、と言う。それが良識、という
 ものなのだろうか。それが、正しい、人間的な行為なのだろうか。
・薄曇りの日であった。マーケットで食料品を買い、外へ出たところで、雪子は呼び止め
 られたのであった。雪子を呼び止めたのは、坂田瞳であった。一時、教会の聖歌隊で歌
 うことを楽しみにしていたのが、結婚してからは、夫があまり教会に出入りするのを好
 まないというので、ふっつりと来なくなったあげく、夫に女ができ、そこには子供が生
 まれていたことを知って、自殺さえ考えた、と打ち明けられた以来であった。
・「いつか、私、自殺をしようと思った日に、知らない男の人に車に乗せられて、横浜へ
 行って、そして・・・つまりそんなことがきっかけで死ぬ気を失った、てお話したでし
 ょう。その、名前を覚えていなければ、住所も知らない人、私の命の恩人かもしれない
 わけでしょう。ところが、私はその人が誰だかわかったんです。その人、あの人でした。
 小学生殺しの人・・・宇野とかいう人でした」瞳は俯いた。その数秒前から、雪子は漠
 然とその名前を予測していた。そして現実に、その名前を確かめた時、雪子は目が眩む
 ような思いだった。

蜘蛛の糸
・雪子が富士男に宛てて出した手紙は、周囲の状況から、思いがけず富士男に手渡される
 ことになった。
・富士男は雪子の書いた文章というものを初めて見たのであった。裁縫がうまい割には稚
 拙な字だと思った。しかしそれだけに、富士男は暫くの間、雪子の声を聞いているよう
 な気がした。
・雪子の手紙は、いつか通りがかりに押し入った横須賀のマンションで、若い母を犯した
 日のことを思い出させた。あれは春爛漫と言いたい日であった。桜は散りかけていた。
 どこかで花の匂いがした。それで俺はセックスをしたくなった。セックスをしたくなる、
 ということは、人を信じているということじゃないのか。それが少し強引だっただけだ
 が、強引ということが男の役目だったのだ。苦しめ、だと。大きなお世話だ。俺はずっ
 と苦しんでいるのだ。富士男は胸がむかつくのを感じた。
・そうだ、確かにもう一人女に会っていた。海へ向かって歩いていたから、方向を転換さ
 せて、横浜のホテルへ連れ出した女だった。痩せて小柄で、あっちの方はあまり熱心で
 はなかった。しかしあの時、俺は上機嫌だった。自殺なんてヤブなことをしちゃいけね
 えよ、と思っていた。
・「子供はなぜやった。殺されなければならないほどの何を、あの子はしたんだ。勉強好
 きで意欲的な子だったんだぞ」と警部が問うた。「そこが困るんだよ。あの子、何て言
 ったと思う?「僕のような子を殺すと、国家的だか、社会的だかの損失ですよ」って言
 ったんだよ。その瞬間、俺は、ああいうのを生かしておくと、社会の癌になると思った
 んだ」と富士男は答えた。
・巡査部長が雪子のところへ行く目的は、今のところ、雪子がもっとも宇野という人間を
 知っているように見えたからであった。調べてみると、宇野という男には交友関係がな
 い。学校友達で親しい人もいなければ、趣味や地域の付き合いもない。酒を飲まないか
 ら、バーや赤提灯に行きつけの場所もないらしいし、特定の女関係も浮かんで来ない。
 しかし、巡査部長は長年の経験から、常にうそぶいているような宇野富士男の犯行の背
 後にはもっと深いものがある、と感じていた。
・雪子は、富士男が、自分に弁護士を探してもらいたい、と言ったことの真意を測り兼ね
 ていた。親や義兄が相談の上でよこした弁護士を断ったということの背後には、あの人
 のことだから、きっと一悶着あったのだろう。週刊誌によると、父親は引き取られた先
 の老人ホームで、誰が何を言っても口をきかなくなり、母親は心臓が悪くなって入院中
 だという。宇野青果店は店を閉め、姉の一家も地方の知人のもとに身を寄せているとい
 う。もうそういう配慮をしてくれる人もいないのかもしれない。
・自分は今や、宇野富士男の蜘蛛の糸なのだ、と雪子は思った。自分が人を助けに来た釈
 迦如来なのではない。蜘蛛の糸くらいの細々とした繋がりでしかないが、富士男にとっ
 てはその端にいる雪子目当てに這い上がる他はない状態を示していた。 
・雪子は重い心でその日を暮らした。三日の間、考え続け、その間にも心を打ち上げられ
 ると思う人に出会ったなら、弁護士を知らないか、と尋ねてみよう。そう思いながら、
 しかし雪子はその可能性をほとんど信じられなかった。実は、と切り出した時の相手の
 顔に浮かぶ驚きと恐怖を想像すると、その後の台詞まで聞こえてくるからであった。
・雪子はひたすら、縫物に精を出した。弁護士を探すよりも何より、この仕立てを間に合
 わすことの方が重要だ、と雪子は自分に言い聞かせた。しかし根を詰めて仕事をすると、
 肩が凝る。二日目になって雪子はやっと薬屋へ貼り薬を買いに行くことで、運動を兼ね
 ることにした。  
・狭い曲りくねった露地である。そこで遊んでいた幼稚園くらいの年頃の男の子が、ハイ
 ティーンと思われる若者がかなりのスピードで走り抜けた自転車にあおられて転んだ時、
 雪子はすご男の子を助け起こした。それでも泣かないで我慢しているところを見ると、
 普段から耐えることをしつけられている子供らしかった。
・ほんとうなら、おんぶしてやりたいところである。しかし雪子の心の中には用心する気
 分が働いていた。うっかり抱いたりおんぶしたりしようものなら、誘拐犯人に間違われ
 かねない最近の空気であった。
・男の子は足を棒のようにして引きずっている。雪子の掴んでいる手の強さに、雪子は小
 さな信頼を感じていた。やがて白いモルタル塗りの建物のところまで来ると、子供はド
 アを開けて「お母さん!」と呼んだ。雪子の足をその家の玄関の前に釘づけにしていた。
 「風見法律事務所」という表札が玄関の戸のところにかかっていたのである。出てきた
 のは、痩せて眼鏡をかけた雪子とほぼ同じくらいの年に見える女だった。 
・「私は必要があって、弁護士さんを探していたんです。ご主人は今、ご在宅ですか?お
 目にかかって話を聞いて頂けるでしょうか」と雪子は言った。女の顔に一瞬、悪戯っ子
 のような色が流れた。「私が弁護士で、風見渚と申します」「あなたが・・・」一瞬雪
 子は意外さに口ごもった。
・「私、結婚する時、主人に言われたんです。弁護士をやるなら、一生、道楽でやれ、っ
 て。最低食うだけは俺が引き受けてやる。だからお金になるかならないか、ということ
 じゃなくて、この事件の弁護に自分が関わることが、自分にも相手にも意味がある、と
 思うものだけやれ、って言われたんです」と風見渚は言った。「すばらしいお言葉です
 ね」雪子は静かな羨望の思いに駆られながら言った。
・「あなたは、まともに言えば、弁護士の報酬というのは、やはり、お菓子の一箱、スー
 ツの一着分というような値段では済みません。そんなお金を、行きずりに声をかけて来
 た人にすぎない、職業まであなたに嘘をついていたような人に対して、どうして払おう、
 となさるの?」と風見渚は言った。
・「それは宇野さんのために払うんではなくて、多分、自分のためなんだと思います。私
 はお金の使い方の趣味が人とは違うのかもしれません。着物とか、旅行とかにお金を出
 すより、宇野さんの裁判に使うなんていうのは、もっと使いがいのあるような気がしま
 す。だって私たちはめったなことでは、人の命のためとか、この世でわからないことを
 解明して行く作業をするためとかにお金を使う機会なんかありませんもの。こんな形で、
 一人の人の運命に関わったことは、今までにもなかったし、将来もないと思うんです。
 その成り行きを知るために、お金を出すのは、不謹慎な言い方をするなら、これほどの
 ドラマを見せて頂くのに、高い切符代をお支払いするのと同じようなきがするんです」 
 と雪子は答えた。
 
死を待つ人の家
・ここ数日、雪子は疲れ果てていた。妹に富士男の弁護士費用の費用を払うかもしれない、
 と言った時、雪子は生まれて初めて妹に頬を殴られたのであった。その時、雪子がびっ
 くりしたのは、自分が殴られたことではなくて、普段冷静な判断を失わない智子が、姉
 を殴ったという事実に深く逆上したことであった。おかしな言い方になるが、智子が自
 分を殴った後、逆上して震え出したのを見た時、雪子は改めて言葉を失ったのであった。
・智子の意見は常識的に見て全く妥当なものだと雪子自身が思っている。智子が言うには
 、雪子はずっとうちにいるので、世間知らずになるのは仕方がないと思っていた。宇野
 といううんさ臭い男と付き合うのも、ほんとうは反対だったのだが、子供ではないのだ
 から、雪子の判断に任せるより仕方がないと思っていた。しかし宇野富士男の犯罪がは
 っきりした後で、ことに何の関係もない赤の他人でありながら、恐らくは何百万もかか
 る彼のための弁護士の費用を出すなどというのは、正気の沙汰とは思えない。第一もし
 世間にそれが洩れたら、その事実だけで、必ず雪子は宇野の女だと思われる、というの
 である。
・雪子は毎週必ず教会に行くでもなかった。祈るのもミサに出るのも好きなのだが、教会
 で知った人に会って、社交的な会話をしなければならないのが苦痛だからであった。も
 ちろん、教会を預かる神父はよく知っていた。五十歳代の、釣りの好きな穏やかな人柄
 である。難を言えば、少しでも暇があると釣りに行ってしまうから、宗教上の儀式をし
 てもらえなかった、とぼやいている人の言葉を聞いたことがある。  
・町の教会の神父は、苦労人でなければ勤まらない、といつかこの神父は言ったことがあ
 る。雪子はできるだけかい摘まんで宇野富士男の経緯を話した。
・「常識的に言えば、宇野さんは一つの家庭から完全に未来を奪ったんです。それも過失
 じゃなくて、意図的に、・・・だからあの人は死んでお詫びをしてもいいと思います」
 この三浦教会でも、死刑廃止の運動をしている人があったのを思い出しながら、雪子は
 言った。死刑を執行する制度も人も共にない方がいいとは思いながら、宇野富士男が刑
 務所の中ですっかりその生活に馴染んでボスのようになって生きていたり、いつか娑婆
 に出て来て、自分を何年か閉じ込めた司法制度をなじったりする姿を想像すると、「死
 んでお詫びする」という日本的な姿勢のかぐわしさも見えて来るような気がして、雪子
 は自分の分裂した心を扱いかねていた。 
・人間が死ぬことは自明の理なのである。死ぬこと自体は異常なことでも何でもない。た
 だその生涯が、生きるに価するものだったかどうかだけが問題なのだ。生きるに価した
 というのは、その人が、誰にでもいいから愛された、という確固とした保証を持つこと
 であった。投げ捨てられ、生きている人間か死体かわからないような状態で放置されて
 いた人たちが、最期の一日にせよ、看護の眼差しを受けて、かつてない幸福の実感の中
 で息絶えることが必要なのである。
・社会の正義はそれに反した人を、裁き、生贄として要求しているように見える。「裁い
 てはいけない」「人を罪に定めてはならない」という言葉も、正義を要求する高らかな
 叫びの前にはほとんど力を持たない。それだけでなく、叫ばなければ逆に、正義を認め
 ていない罪人の同類になりそうだ、ということを雪子は発見したのであった。
・「僕はあなたに、宇野富士男の弁護士費用をお出しなさいとも、やめた方がいいとも言
 えない。それは、はっきり言うと、あなたと神の間とに何があるか、ということだから。
 正義の義の根本は、人間社会の公正にあるのではなくて、神と人間との関係が端正であ
 ることだとユダヤ人たちは考えたんですよ。そしてその関係を見据えるには、祈るしか
 ないんだと僕は教わってきた」と神父は言った。
・神父の客間にいる時、雪子は神父を微かに卑怯だと感じていた。神父は何も答えてくれ
 なかった。「司牧」という特殊な表現がある。羊飼いが羊の群れを追うように、信徒を
 率いるという神父の役目を示した言葉である。しかし神父は何も進路を教えてはくれな
 かった。雪子はたまらなくなって、防波堤の堤の前にしばらく立ち止まった。 
・「何という愚かなことを」雪子は口に出しては言わなかったが、今初めて、その言葉を
 心の中で呟くことができたような気がした。宇野富士男の心には、一体どんな愚かさが
 潜んでいたのだろう。愚かさと言っても、それは、学校の成績が悪かったというような
 ことではない。数字の能力や、世間の知識から言えば、雪子は、何度か富士男がさすが
 に男で物事をよく知っていると思うことがあった。
・しかし、富士男は、自らの道を閉ざした。人間はいつかは死ぬのだが、その日までどれ
 だけでもすることはある。何も、金を儲けたり、職場で出世をすることだけではない。
 死ぬまでに人は何をできるか。
・雪子はその時、海風の中で涙が零れるのを感じた。富士男が雪子の語った限りでは、彼
 はまだ、一度もふくよかな人生を味わったことがない人のように見えた。しかしそんな
 ふうに人を気の毒がったら、そういう雪子がまた笑い物になるだろう。たった一人本気
 に愛した男にさえ、みじめに裏切らせた雪子が、人に同情する資格などあるわけはない。
・しかし雪子は、自分は富士男と違って、どうしてかふくよかな人生を知っているような
 気がした。それは、最期だった一日しかまともな人間として生きられなかったマザー・
 テレサの「死を待つ人の家」に運ばれた人が、その死の直前に、ただ笑み零れるような
 深い満足を味わうのと、一脈に通った思いのような気もした。
・どんなに現世が悲しみに満ちていようとも、海はおおらかに息づき、花や樹の営みは絢
 爛と続いている。その超然とした関係にどんな人間も招かれているというのに、そして
 その密かな宴の中で、それぞれの思いを醸す時間もあるはずなのに、富士男はその運命
 を愚かにも自分から拒んだのであった。  
・富士男はもはや這い登れない深淵に沈んでいた。雪子が手を伸ばして助けようとしても、
 その手はとうてい届かない深みにあった。富士男の不幸からみたら、すべての人は光の
 中にいる。そのことを富士男はどんなふうに受け止めているのだろうか。
・雪子はしかし神父のあしらいを、実はやはり深い配慮の下にあるものだ、と思えるよう
 な心理になっていた。意見も聞いていないのに、人の進路にちょっかいを出したがる人
 が多い中で、神父は雪子に余計な指示は出さずただよく祈って決めるように、と言って
 くれたのだ。 
・「あの人はね、人がどう思うかなんて、全く考えないんじゃないかしら。自分の機嫌が
 よければ人にも優しくする。自分が不愉快なら、人を無視するか抹殺する。そういうこ
 とができるのは、生まれつきの性格なのか、それとも、その面だけ全く教育されなかっ
 たか、どちらかね」と弁護士の風見渚は言った。
・「そういうことは、言われなくたって、人間の本性の中に内蔵されている、と私は思っ
 てましたけど」と雪子が言うと、「私も、こういう商売をしなかったら、そんなふうに
 思ったかもしれない。だけどこの頃、少し違ってきましたね。昔はどんなに教養のない
 親でも、「人が見ていないとこで悪いことしたら、地獄へ落とされる」とか、「それで
 も男か」なんて台詞も堂々と言ったもんだわ。でも今は勇気のない時代だから、誰も何
 も言わないの。そういう点では、子供を野犬同様に放置している野放しの時代ね」と渚
 は言った。  
 
払暁の散歩 
・暗くても、海は生き生きとした色をまとい、流動する気配に満ちていた。そしてそのま
 さに生きている暗黒の一部を突き破るように、瑞々しい夜明けを告げる微かな黄金色の
 変化が溢れ出ているのを見ると、富士男は胸を衝かれるほどの感動を覚えた。
・海は自分を無視していた。ということは、海は富士男を褒めもしなければ、責めてもい
 ない、ということであった。自分の過去は、感情の過剰な高まりの中でいつも溺れそう
 であった。母は甘やかし、友達や先生は富士男をばかにするか嫌った。もちろん無視し
 たのも多かったが、それは冷酷という一つの情からでたものであった。

乱入
・その日、雨は一日中かなり激しく降り続いていた。その雨の中を傘をさして門の前で待
 っている人影が見えた。一瞬雪子の中に、この人にはこのままお引き取り頂いた方が無
 難だという思いが浮かんだが、激しい降りが雪子の心を揺らした。
・手動かしながら、雪子は時々、心の奥底の方に、小砂利が落ちたように引っ掛かってい
 るものを、感じてはいた。あの「週刊誌の記者は何のために来たのだろう。その後もち
 ろん、何の音沙汰もないし、それとなく新聞の広告に気をつけてはいるのだが、なぜか
 その週刊誌の広告自体が目に入らない。
・人間は、知らなければそのことが存在しなかったのと同じなのだ。しかし、胸の奥の小
 砂利が、痛みを伴なわないで「沈黙の石」と呼ばれている胆石の石では済まないことを、
 ある日、雪子は知らされたのであった。
・教会で何度か会って口をきいたことがあった人が、ある日突然、玄関先に現れたのであ
 る。玄関先では言いにくい話という感じであった。その人は手提げ鞄の中から週刊誌を
 出して雪子の前に差し出した。表紙に「宇野富士男をめぐる女たち」という見出しが、
 かなり大きく刷り込まれている。「この中で、例の宇野富士男をめぐる女の一人、とし
 て出ているのが波多さんのことじゃないの?っていう人がいるんです」
・雪子は、目次でページを探して、記事の中身に目を落とした。心を落ち着けようとした
 が、それでも動転していたに違いない。「Yさんは、宇野が「最後の女」と呼んでいる
 人である。」というような内容が書かれていた。これを雪子のことだと読んだ人を非難
 できないのは、あの週刊誌の記者が雪子の家の外観の写真を撮って行き、明瞭ではない
 ようにしてはあるが、とのかく家の写真を載せているからだった。
・雪子が驚いて言葉も出なかったのは、あの「朝顔の詩」がそっくりそのまま引用されて
 いることだった。宇野富士男は殺人犯だが、これは著作権侵害ではないか。しかもまる
 で、雪子がこれを週刊誌に「売った」としか思えない。雪子は指先が冷たくなるように
 感じた。 
・雪子は、あの神父から、愛についての定義を説教の時に聞いたことがあった。キリスト
 が人間に期待する愛というものは、自然に相手を好きになることとは全く違っていた。
 新約聖書の原文では、自然に好きなる感情に対して、別の「友愛」という言葉を使い、
 「愛」とははっきり区別しているという。しかし「あなたの敵を愛しなさい」と聖書が
 言う場合、当然それは、敵を愛することはできない、という人間の悲しさの上に成り立
 っている。ただ、自然に愛することはできなくても、それどころか、そこには、激しい
 嫌悪や悲しみしかなくても、意志の力さえあれば愛しているのと同じ行動をとることだ
 けは、むずかしくはあってもできなくはない。聖書はそのような分裂した心をむしろほ
 んとうの愛と規定し、その困難な道を人間に命じているのであった。
・日は暮れて来たが、雪子は夕食を作る気にもならなかった。世間から後ろ指を刺される
 ということがどんなものか、雪子は初めて実感した。マーケットに買物に行くと、そこ
 にいあわせた人たちが「ほら、あれがあれなの、よ」よ囁くような気がする。もちろん
 それは、全くの思い過ごしであろう。世間が雪子をマーケットの中で判別することなど
 できはしない。

誕生日の贈り物
・「あなたが私への手紙にお書きになった「赤ん坊を抱いたマンションのマドンナ」につ
 いても知りたいだろうと思います。彼女は殺されなかったけれど、明らかにあなたの被
 害者で、警察は彼女からあなたのことについて話を聞けば、まだ遺体の出ない二人の女
 性を発見することに、何らかの参考になるに違いないと考えているに違いありません。
 でも、私は彼女が誰であるか、どこにいるか、決して言いません。私は最近、彼女の家
 を訪ねました。そして彼女の家庭が事実上崩壊したことを知りました。彼女の夫は、精
 神病院に入っています。私ははっきりした病名を彼女から聞くことはできませんでした。
 病気の原因はもっと前からあったんだろう、とあなたはおっしゃるでしょうが、病気に
 素質と誘因があるとすれば、誘因は確かにあなたです。家の中は散らかり放題で、台所
 の生ごみも捨てていないで、部屋の中にいやな匂いが漂っていました。カーテンが、一、
 二カ所、輪から糸が切れて垂れ下がっているのも、直してありませんでした。あのマド
 ンナは決してそういう人ではなかったのです。美人ですが、ばりばり働いていた人で、
 私の知人が彼女のその頃をよく知っていて、あれこそ女性が男と同じに職場に進出して
 男女同権を要求しても当然な人だと言っていました。私はあなたの行動が、あの父母を
 傷つけただけでは済まず、あの子供の一生までめちゃくちゃにしたのではないか、と怖
 くなるのです。あの子は大きくなった時、人の話では自分が生まれた頃までは、まとも
 に順調に暮らしていた父と母が、なぜ或る時から急に廃人のようになってしまったかを、
 探ろうとするのではないか、と恐れています。あなたの行動をあの日、あの子はじっと
 見ていた。あんな赤ん坊が、何も覚えているはずはないさ、とあなたはおっしゃるでし
 ょう。けれど私は、人間は異常な経験に関してだけは、信じられないほど幼い時のこと
 で記憶しているような気がしてならないのです。あなたはあの子供の眼前で、母を犯し
 たのですから。私がもっと悲しんだことも、あなたのお伝えしなければなりません。彼
 女はその結果妊娠しました。あなたの子供です。私は愚かにも、彼女が妊娠を続けてく
 れないか、と一瞬夢見たものです。そのきっかけが何であれ、その子供は、あなたの子
 なのですから。私はあなたがいつか、別れた奥さまとの間にできた子供さんを亡くされ
 たという話を伺って、それにこだわったのです。今あなたの血を引く子供さんが一人で
 もこの世に残されれば、あなたはどんなに幸せかと思ったのでした。私はほんとにばか
 ですね。憎しみの種になるような子は誰も育てないのです。それが世の中の人は賢さと
 いうかもしれません。彼女はやはり、中絶しました。当然ですね。自分の家庭を崩壊し
 た原因となった人の子供ですから。あなたは若い女性や子供を殺しただけでなく、自分
 の子供も殺しておしまいになりました。あなたは報復を受けた、と言うべきなのでしょ
 うか。でもあなたご自身が報復を受けたなら、私はわかります。しかしあなたではなく、
 あなたの子供さんが代わりに殺されたのです。でもそのことで、彼女を非難することは
 できません。子供に罪はない、というのは理論です。人間はそんな理性的なものではあ
 りません。その子もし生きていて、そしておいたをして叱る度に、マドンナはあなたへ
 の憎しみの故にその子を叱っているのではないか、と恐れるでしょう。そんな重荷に人
 はなかなか耐えられないのです」と雪子は富士男への手紙の中で書いた。
・「あれは先日の未明でした。私はまだ眠っていましたが、ただならぬ音に目が覚めまし
 た。数台の車両が同じ方向に、つまり海岸の方向に端って行くのです。町の方へ向かう
 なら火事かと思います。しかしその先はほとんど何もない海岸への道を行く車の音を聞
 いた時、私は不思議な気がしました。それからまもなく私はニュースで、遺体が二体、
 ほとんど同時に出たことを知りました。それが私への贈り物なら、どんなに辛くても、
 私はあなたの私への「ご厚意」にお礼を申し上げます。二人の女性のご家族がどんなに
 して二人の娘たちを迎えたか。三木陽子さんという方のご主人は「こんなことになるの
 だったら、もっと自分が構ってやればよかった」とお泣きになったとか。ご自分で上下
 水道の工事をする会社をやっていらっしゃる方らしくて、日曜も働いていらしたのです
 って。陽子さんという方は、明るくて家庭的で、家計の無駄遣いもしなかったし、あん
 な男に引っ掛かるなんて魔がさしたとしか思えない、とご主人は言っているそうです。 
 山根ヨシ子さんの方が何だかもっとかわいそうです。家庭は少し分裂しておられるよう
 だし、お母さんの再婚相手は、学校の先生だったらしいのですが、毎日、義理の娘とは
 ほとんど口をきいたことがない。恐らく女というものは、再婚の相手を考える場合でも、
 学校の先生なら子供を可愛がってくれるのではないか、と思って決断するのでしょうね。
 でもその人は継子には全く無関心で、自分は家に帰って来ると、少女漫画を読むのが趣
 味という人だったようです」と雪子は富士男に手紙で書いた。
・「弁護士の風見先生の所で、私はあなたに殺された二人の女性と対面しました。もちろ
 ん写真です。私は心を整える時間がかかりました。私はそういう写真をまだ見たことが
 なかったのです。初めは山根さんのが、数枚、差し出されました。地面の上に、二つ折
 れに倒れた人がいるように見えるものでした。地面、と思いましたが、それは掘られた
 穴の手前でした。あなたに最初にお話ししておきたいことがあります。あなたの手にか
 かって殺された女性たちは、掘り出された時、その姿が、例外なく、年をとってしまっ
 ていたことです。その驚愕が少し私の心を麻痺させたくらいでした。腐敗や損傷という
 こともありますが、どの方も、半ば人形のようになり、そして人形とは違うことはその
 どこかに老婆を思わせる無残な姿が現われていたことです。死がその人にとって究極の
 老化なのだということがはっきりとわかります。ことにこうして殺されたような場合、
 まだ若いその人の体に、急に不自然に訪れた突然の老化が、まるでモザイクのように混
 ぜって現われているということに、私は息をのみました。私はあなたに現実を、はっき
 りとお教えする義務があると思います。山根さんはもう人間ではありませんでした。そ
 れはどろどろしたものの塊でした。そしてそれほど土に還りかけている遺体でありなが
 ら、写真にははっきり写っているのは、開けられた口の中から飛び出している舌でした。
 最後の最後まで呼吸しようとしたのでしょうか。私は自分も息を詰めていました。三木
 陽子さんという方の遺体も同じようでした。その顔はもう、人間のものというより、
 ETみたいでした。鼻は沈み、眼は、梅干しのような二つの虚ろな眼窩になってそして
 この方は歯をむき出していました。きれいな方でしたね。あなたが声をかけたくなるよ
 うな。当然です。人妻の彼女と、ご主人に隠れてお茶を飲んだり遠出をしたりすること
 がいいかどうかは別としても、どうして、そのきれいな生き生きとした女のままの彼女
 を愛されなかったのですか?あなたはあの二人の姿を見るべきだったと思います」と雪
 子は富士男への手紙に書いた。
 
岡の上の大木な木
・「あんたは俺の女じゃない。誰のだかわからないが、とにかく俺の女じゃなかった。俺
 の女にしたかったが、強いて言えば、あんたは神さまの女という感じがして手が出なか
 った。俺は神さまとは張り合えねぇよ。俺は木が好きだった。木登りじゃない。木その
 ものが好きなんだ。おとに岡の上の大きな木が好きだ。夏になって、空に白い雲が飛ぶ
 頃、その下に、牛何匹分も休ませられるような大きな木かげを作る木が好きだ。俺は死
 んだら木になるよ。そして俺は子供を生まなかったから、俺の木かげで、子供や労働者
 を昼寝させてやるよ」と富士男は雪子への手紙で書いていた。
・「人間ってものには、魂がある、とあんたはいつか言ったっけな。ばか言え、と俺はあ
 の時思ったよ。それよかセックスの方が大事だからな。これは今でもそう思っている。
 あんたを抱きたかった。一度でよかったから。深い、深い、深い、俺の後悔だ。あんた
 ともし所帯を持っていたら、俺はあんたとセックスもできたし、その魂の話とやらもで
 きた。魂の話なんか腹の足しにもならないと思うけど・・・まあ子供にはいいやね。子
 供ってのは多分に霞を食って生きているところがあるからね。俺はこの世で体験しなか
 ったこともたくさんあるけど、魂の話をする生活ってのも、その一つだった。しかし俺
 は別に後悔していない。それというのも、いつかあんたが、「誰でも思い残して死ぬの
 よ」と言ったことがあるのを、今、毎日思い出しているからだ。俺はその言葉を言った
 時のあんたの横顔まで思い出せる。俺はびっくりしたが、さわやかな気分にもなった。
 そうか、そんなものなのか、と思ったんだ。今、あんたのその言葉だけが慰めだ。他の
 言葉は全部忘れちまっても、この言葉さえ覚えていればいいと思う。感謝しているぜ」
 と富士男は雪子への手紙に書いた。
    
岐路
・「宇野さんが仙台へ移されたことは、つい先日、知りました。それがあの方の最後の旅
 になりましたでしょう。「これが最後の」旅に、あの方はどんな花を見たのでしょうか。
 この三浦の土地にも穏やかな夏が戻ってきました。こういう時には、死刑廃止論は影も
 形も見えません。どうなっているのでしょうか。社会の増悪を浴びる人が差し当たりい
 ない時だけ死刑廃止は論じられ、誰か兇悪な犯人が出ると、被害者の遺族の「犯人を死
 刑にしてもらいたいと思います」という言葉が、マスコミによっていささかのためらい
 もなく伝えられます。今そこに血まみれの無残な死体があり、その前で殺人鬼がせせら
 笑っている瞬間にでも、私たちは死刑廃止を唱えなければ、ほんものではありませんで
 しょうに。許しには必ず苦痛が伴うのですから。私が宇野さんに控訴をやめさせて、裁
 判を早めに切り上げさせるように働いても、私の行為は社会の「正義」からも「良識」
 からもだぶんあまり外れてはいなかったのです。しかし許しには、苦しみがつきまとう
 ように、愛には死が代償となりました。この時になってもまだ「あんな奴、死んだ方が
 いいんだ」とおっしゃる方がいらっしゃるのでしょうね。私は今までの生涯で、人を殺
 す直接の原因になったことはなかったのです。これが今度、私ははっきりと、私の選択
 において、一人の人を死に渡しました。私はそのことを二日の間に決めなければならな
 かったのです。率直に申上げますが、私はどう考えても性的な対象としての宇野さんの
 相手ではありませんでした。もっともたった一度、私は宇野さんを受け入れようとした
 ことがありました。その日、私はあの方も自分も哀れで哀れでならなかったのです。私
 はその現実を避けそうになりましたので、自分をあえてその運命に引きずり込むために、
 宇野さんの望まれる通りにしようと思ったのです。宇野さんの手紙が私に要求したこと
 は、一つだけ答えを出してくれ、ということでした。彼が私に選ぶことを任せたのは、
 命をとるか、愛をとるか、ということでした。宇野さんはそれほど明瞭に意識されては
 おられなかったと思いますが、あの手紙は、悲鳴のような響きで、愛が上位にいること
 を告げておりました。もし私があの時、「あなたを愛していませんから、控訴なさい」
 と言ったとしても、彼は縋るように、そこに私の愛が込められている、と思ったかもし
 れません。しかし私が贈った愛は、無残なものでした。私は彼の死と引き換えに愛を贈
 ったのです。死と引き換えに愛したのではありません。どうせ死刑になる人だから、と
 安心して愛したふりをしたのでもありません。私はずっと以前から同じでした。私は深
 い悲しみを込めてあの方の不思議な存在の前に頭を垂れ続けていました。あの方は何の
 ためにこの世に生まれて来られたのでしょう。人を殺すためだけに生まれて来たような
 人が、この世で何らかの任務を持っていたなどとは誰も考えないものなのです。けれど
 彼がああいう人だからこそ、神の愛の対象になることを、私は知らされておりました。
 神はこう言われ、私はその言葉をいつからか知ってしまっていたのです。「医者を必要
 とするのは、健康な人ではなく、病人である。私が望むのは生贄ではなく憐れみである。
 私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と」雪子は弁護士
 の風見渚への手紙に書いた。
・テレビの画面に、富士男の顔が出ている。一瞬、雪子は、富士男がまた何をしたのだろ
 う、と思った。しかしそれは、宇野富士男の処刑が今朝行われた、という報道であった。
 あれほどの事件でも人々はもう半ば忘れかけているのか、富士男が直接間接に殺した六
 人の写真と、当時の模様が淡々と報じられていた。 
・雪子は椅子の背につかまって両手で体を支えた。それは何時だったのだろう。自分がこ
 の上ない、健康な安らかな眠りを続けている間に、富士男は死と向かい合い、その厳か
 な心臓を切り込まれるような一線を超えた。その数時間か数分を思った時、雪子は自分
 の胸にほとんど純粋な肉体的と言っていいような痛みを感じた。
・富士男は、もはや痴呆のように宇宙を漂う他はなかった。憎しみも、愛も、そこは全く
 届かない世界だった。星の通過する音だけが静寂を噛み砕き、数億光年のかなたから流
 れる微光の冷笑だけが荒々しく吹いている空間で、じっと子供のように身を丸めた富士
 男が、雪子の前に見えるようであった。雪子は何をしていいのかわからなかった。寒い
 のでもないのに、体の芯の震えが止まらないような気がする。
・喪失という言葉の意味を、雪子は今理解した。それはただ純粋に苦しいことであった。
 雪子はテレビを消し、悪夢のように穏やかな秋の日と対した。今日も昨日と同じように
 普通の日でなければならない、とやっと雪子は自分に言い聞かせた。富士男の死を、殺
 人鬼の処刑ではなく、ただ一人の平凡は人の死とするためには、今日が穏やかな日であ
 る必要があった。地球始まって以来、どれだけ多くの人が死のうと、日々はいつも何気
 ないものだったから、雪子は今日も昨日と同じように針を持てばよかった。しかし雪子
 の心臓の鼓動は収まらず、指先も震え続けていた。