楢山節考 :深沢七郎

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この作品は、1957年(昭和32年)に発表された作者の処女作であり、当時、ベスト
セラーになったようだ。これまでに2度、映画化もされているようだ。
作者は、山梨県の農家の年寄りから、口減らしなどのために高齢の親を山に捨てるという
「姥捨山伝説」を聞き、それをもとにこの作品を創作したと云われている。
ただ、民話にある「姥捨て山」とは、内容的には少し違う部分がある。民話では、結局は、
老母を捨てることができず、連れ帰り密かに家の床下にかくまって世話をするのだが、こ
の作品では、楢山に捨ててきたことになっている。
私が、この作品で一番気になったのは、この作品の最後の部分である。楢山に老母おりん
を捨てて自分の家に帰って来た辰平が、戸口に立ったまま家の中の後妻の玉やんの姿を探
したが、どこにも見えなかった。この玉やんは、おりんがとても情が深くいい人と聞いて、
この家に後妻に来たようであるが、そのおりんが楢山に行っていなくなってしまった。
そして、後に残った辰平の息子夫婦は、現代っ子らしく、薄情そのものだ。
これは私の想像だが、玉やんは、この家に残っても、ろくなことはないと悟り、姿を消し
たかもしれない。
ところで、長野県の冠着山が俗称を「姨捨山」と呼ばれ、姥捨て伝説と結び付けられてい
るらしいが、現地調査の結果などからこの地に姥捨て伝説はなかったと結論付けているよ
うだ。
しかし、この「姥捨て山伝説」にある思想には、徹底した合理主義があると言える。そし
て、経済至上主義である現代社会は、この合理主義こそが「正義」となっている。そのよ
うな現代社会が、何かのきっかけで、絶望的な危機に見舞われたとき、この作品のような
社会が出現しなければいいが、と私は危惧している。単なる私の杞憂で終わることを祈る
のみである。いや、もうすでにそういう「姥捨て」の社会に入っているかもしれない。

・山と山が連なっていて、どこまでも山ばかりである。この信州の山々の間にある村、向
 う村のはずれにおりんの家があった。家の前に大きい欅お根の切株があって、切口が板
 のように平たいので子供達や通る人達が腰をかけては重宝がっていた。だから村の人は
 おりんの家のことを「根っこ」と呼んでいた。
・嫁に来たのは五十年も前のことだった。この村ではおりんの実家の村を向う村と呼んで
 いた。村には名がないので両方で向う村と呼びあっていたのである。向う村といっても
 山一つ越えた所だった。
・おりんは今年六十九だが亭主は二十年も前に死んで、一人息子の辰平の嫁は去年栗拾い
 に行った時、谷底へ転げ落ちて死んでしまった。後に残された四人の孫の面倒を見るよ
 り寡夫になった辰平の後妻を探すことの方が頭が痛いことだった。村にも向う村にも恰
 好の後妻などなかったからである。
・その日、おりんは待っていた二つの声をきいたのである。
  楢山祭りが三度来りゃよ
    粟の種から花が咲く
 この歌は三年たてば三つ年をとるという意味で、村では七十になれば楢山まいりに行く
 ので年寄りにはその年の近づくのを知らせる歌であった。
・おりんは歌の過ぎて行く方へ耳を傾けた。そばにいた辰平の顔を盗み見ると、辰平も歌
 声を追っているように顎を突き出して聞いていた。だがその目をギロッと光らせている
 のを見て、辰平もおりんの共で楢山まいりに行くのだが今の目つきの様子ではやっぱり
 気にしていてくれたかと思うと「倅はやさしい奴だ!」と胸がこみあげてきた。
・おりんが待っていたもう一つの声は、実家から飛脚が来て向う村に後家が一人で来たこ
 とを知らせに来てくれたのである。その後家は辰平と同じ年の四十五で、三日前に亭主
 の葬式がすんだばかりだそうである。
・どこの家でも結婚問題などは簡単に片付いてしまうことで、好きな者同士が勝手に話し
 合って決めてしまったり、結婚式などという改まったこともなく、ただ当人がその家に
 移ってゆくだけである。仲人が世話をすると云っても年齢が合えばそれで話がきまって、
 当人がその家へ遊びになど行っているうちに泊まりきりになって、いつからともなくそ
 の家の人になってしまうのであった。盆も正月もあるけれども遊びに行く所もないので、
 ただ仕事をしないだけである。御馳走をこしらえるのは楢山祭りの時だけで何事も簡単
 にすんでしまうのである。  
・あの飛脚は実家からの使いだといっていたが、嫁に来る人の近い身の者だろうと思った。
 亭主が死んで三日しかたたなぬのに、すぐとんできて話をきめたいという様子は後家の
 後始末がよくよく心配だったのだろう。うちの方でも急いで来てくれた有難いことだと
 思った。
・来年は七十で楢山まいりに行く年なのだから、この年になっても嫁がきまらなかったら
 どうしようと焦っていたところに、丁度年恰好のうまい話があったものだ。もう少した
 てば嫁が向うの方から来るだろうと、肩の荷が降りたように安心したのである。
・孫は総領のけさ吉が十六で男三人、末が女でまだ三つである。辰平も後添えがなかなか
 決まらなかったのでこの頃は諦めたらしく、ぼんやりしてしまい、何かにつけ元気がな
 い様子は、おりんも村の人も気づいていたが、これでまた元気を取り戻すだろうと、お
 りんはでが活気づいてきた。
・楢山は神が住んでいるのであった。楢山へ行った人は皆、神を見てきたのであるから誰
 も疑う者などなかった。  
・楢山祭りは、盆の前夜の夜祭りであった。初秋の山の産物、山栗、山ぶどう、椎やカヤ
 の実、きのこの出あきのほかに最も貴重な存在である白米を炊いて食べ、どぶろくを作
 って夜中御馳走をたべる祭りであった。
・白米は「白萩様」と呼ばれてこの寒村では作っても収穫が少なく、山地で平地がないの
 で収穫の多い粟、稗、とうもろこしが常食で白米は楢山祭りの時か、よくよく重病人で
 もなければ食べられないものであった。
・おりんの家は村はずれにあったので裏山へ行く人の通り道のようになっていた。もうひ
 と月もたてば楢山祭りであった。歌が一つ出ると次から次へと唄い出されて、おりんの
 耳に聞こえてきた。
  塩屋のおとりさんは運がよい
    山へ行く日にゃ雪が降る
・村では山へ行くという言葉に二つの全く違った意味があるのであった。どちらも同じ発
 音で同じアクセントだが、誰でもどの方の意味だかを知りわけることができるのである。
 仕事で山に登って薪とりや炭焼きなどに行くことが山へ行くのであって、もう一つの意
 味は楢山へ行くという意味なのである。楢山へ行く日に雪が降ればその人は運がよい人
 であると云い伝えられていた。
・この歌にはもっと別な意味をも含んでいたのである。それは楢山へ行くには夏はいかな
 いでなるべく冬行くように暗示を与えているのであった。だから楢山まいりに行く人は
 雪の降りそうな時を選んで行ったのである。
・雪が降り積もれば行けない山であった。神の住んでいる楢山は七つの谷と三つの池を越
 えて行く遠いところにある山であった。雪のない道を行って到着した時に雪が降らなけ
 れば、運がよいとは云われないのである。この歌は雪の降る前に行けという、かなり限
 られた時の指定もしているのである。
・おりんはずっと前から楢山まいりに行く気構えをしていたのであった。行くときの振舞
 酒も準備をしなければならないし、山へ行って坐る筵などは三年も前から作っておいた
 のである。 
・もう一つすませておかなければならないことがあった。おりんは誰も見ていないのを見
 すますと火打石を握った。口を開いて上下の前歯を火打石でガッガッと叩いた。丈夫な
 歯を叩いてこわそうとするのだった。ガンガンと脳天に響いて嫌な痛さである。たが我
 慢して続けて叩けばいつかは歯が欠けるだろうと思った。
・おりんは年をとっても歯が達者であった。年をとっても一本も抜けなかったので、これ
 はおりんに恥ずかしいことになってしまったのである。息子に辰平の方はかなり欠けて
 しまったのに、おりんのぎっしり揃っている歯は、いかにも食うことには退けをとらな
 いようであり、何でも食べられるというように思われるので、食料の乏しいこの村では
 恥ずかしいことであった。   
・おりんはこの村に嫁に来て、村一番の良い器量の女だと云われ、亭主が死んでからもほ
 かの後家のように嫌なうわさも立てられなく、人にとやかく云われたこともなかったの
 に、歯のことなんぞ恥ずかしい目にあうとは思わなかった。楢山まいりに行くまでには、
 この歯だけはなんとかして欠けてくれなければ困ると思うのであった。楢山まいりに行
 くときは辰平のしょ背板に乗って、歯も抜けたきれいな年寄りになって行きたかった。
・おりんの隣りは銭屋という家だった。銭屋の老父は又やんと云って今年七十である。お
 りんの方は山へ行く日を幾年も前から心がけているのに、銭屋は村一番のけちんぼで山
 へ行く日の振舞支度も惜しいらしく、山へ行く支度など全然しないのである。だからこ
 の春になる前に行くだろうと噂されていたが夏になってしまい、この冬には行くらしい
 のだが行く時はこっそり行ってしまうだろうと、陰では云われていた。だがおりんは又
 やん自身が因果な奴で山へ行く気がないのだと見抜いていたので、馬鹿な奴だ!といつ
 も思っていた。おりんは七十になった正月にはすぐに行くつもりだった。
・銭屋の隣は焼松という家であった。その隣りは雨屋という家であった。その隣が歌で有
 名な榧の木という家である。村はみんなで二十二軒であるが、村で一番大きい木がこの
 榧の木である。 
  かやの木ぎんやんひきずり女
   せがれ孫からねずみっ子抱いた
・おりんが嫁に来た頃はぎんやんという老婆はまだ生きていた。ぎんやんはひきずり女と
 いう悪名を歌に残した馬鹿な女だった。ねずみっ子というのは孫の子、曽孫のことであ
 る。ねずみのように沢山子供を産むということで、極度に食生活の不足しているこの村
 では曽孫を見るということは、多産や早熟の者が三代続いたことになって嘲笑されるの
 であった。きんやんは子を産み、孫を育て、曽孫をだいたので、好色な子孫ばかりを産
 んだ女であると辱められたのである。ひきずり女というのは、だらしのない女とか、淫
 乱な女という意味である。    
・けさ吉は父親が近いうちに後添を貰うことになっているのが大反対であった。おりんに
 顔を向けて「向う村からおっ母なんて来なくてもいいぞ!」と怒鳴った。続けて辰平に
 顔を向けて「俺が嫁を貰うから後釜なんいらんぞ」と喧嘩腰である。おりんは驚いた。
 持っていた二本の箸をけさ吉の顔のまん中に投げつけた。
・そうすると十三になる孫がおりんに加勢するように「けさあんやんは池の前の松やんを
 貰うのだぞ」とけさ吉に恥をかかせてやれという気でみんなの前で発表したのである。
 けさ吉が池の前の松やんと仲がよいことを次男は知っていたのである。
・けさ吉は、次男の顔のまん中を平手でぴしゃっとなぐった。「バカー、黙っている!」
 辰平も驚いた。けさ吉の嫁などということは考えたこともなかった。この村では晩婚で
 二十歳前では嫁など貰う人はないくらいだった。
  三十すぎてもおそくはねえぞ
   一人ふえれば倍になる
 この唄は晩婚を奨励した歌であった。倍になるということはそれだけ食料が不足すると
 いうことである。  
・昼頃、家の前の根っこに、向うをむいて腰をかけている女があった。そばにはふくらん
 だ信玄袋を置いて誰かを待っているらしい様子である。おりんはさっきからあそこにい
 る女は向う村から来た嫁じゃあないか?とも思ったが、それなら家の中へ入ってきそう
 なものだと思ったので、まさかそれが嫁だとは気がつかなかった。だが、ふくらんだ信
 玄袋はやっぱり普通の客ではないと気になったので、おりんはたまりかねて出ていった。
 「あんたは向う村から来たずら、玉やんじゃねえけ?」「ええ、そうですよ。こっちへ
 きてお祭りをするようにって、みんなが云うもんだけん、今日きやした」
・おりんは天にのぼったように走りまわってお膳を持ち出して祭りの御馳走を並べた。朝
 めしなんぞ食って来たからと云ってもよいものを、こっちの方では食って来たと云って
 もすぎめしを出すものをと思った。
・玉やんは食べながら話し始めた。「おばあやんがいい人だから、早く行け、早く行けと
 みんなが云うもんだから」うまそうに食べている玉やんを、おりんはうれしそうに眺め
 ていた。  
・おりんは玉やんに早く云いたいことがあった。それは来年になったらすぐ楢山まいりに
 行くことだった。「わしも正月になったらすぐ山へ行くからなあ」玉やんは一寸黙った
 が「あれ、兄やんもそんなことを云ってだけど、ゆっくり行くように、そう云っていた
 でよ」「とんでもねえ、早く行くだけ山の神さんにほめられるさ」
・玉やんが来てひと月もたたないのに、又、女が一人増えた。その日、池の前の松やんは
 根っこに腰かけていて、昼めしのときにはおりん達の膳の前に坐り込んでめしを食べた
 のである。けさ吉と並んで坐って黙々として食っていた。夕めしの時も二人は並んで坐
 った。夕めしのときは松やんはけさ吉の頬っぺを箸でつついたりして二人はふざけてい
 た。おりんも辰平夫婦も別に嫌な気もしなかった。おりんはけさ吉がこれ程に大人では
 ないと思っていたことが恥ずかしくてたまらなかった。夜になると松やんはけさ吉のふ
 とんの中にもぐり込んでいた。おりんは昼めしの時に松やんの腹のあたりが普通ではな
 いと睨んでいた。おりんだけが一人で気をもんでいた。松やんが子を生めばおりんはね
 ずみっ子を見ることになるのであった。
・松やんは火を燃やすことは下手で忽ち家の中を煙だけになってしまった。玉やんが「あ
 っちの方だけは一人前だが、火もしの方は半人足だなあ」と云って笑った。
・女が二人増えたので、おりんは手持ちぶさたになってしまい、気丈夫の働き者のおりん
 が暇になったことは物足りない、淋しいくらいなものだった。松やんも何かと役にたつ
 時もあった。
・おりんは楢山まいりのことばかり考えていた。強風が一日中吹いて、夜も夜どおし吹き
 まくった夜明け、不意に、あの奇妙な叫び声が起こった。
 「楢山さんに謝るぞ!」
 そう叫びながら村の人達が方々で騒ぎ出した。おりんはその声を聞くと蒲団の中からす
 ばやく這い出して、転がるように表に出た。年はとっていても棒を掴んだ。横から玉や
 んが末の子を背中にしばりつけるようにおぶって出て来た。もう手に太い棒を握ってい
 た。おりんは「どこだ?」と叫んだ。玉やんは物を云うひまもないというように返事も
 しないで真っ青になって駆けて行った。もう家中の者がいんな飛び出してしまった後で
 あった。
・盗人は雨屋の亭主であった。隣の焼松の家に忍び込んで豆のかますを盗み出したところ
 を、焼松の家中の者に袋だたきにされたのであった。
・食料を盗むことは村では極悪人であった。最も重い制裁である「楢山さんに謝る」とい
 うことをされるのである。その家の食料を奪い取って、みんなで分け合ってしまう制裁
 である。分配を貰う人は必ず喧嘩支度で駆けつけなければ貰うことが出来ないのである。
 若し賊が抵抗していれば戦わなければならないので一刻も早く駆けつけることになって
 いた。駆けつける方でも死にもの狂いである。これは食料を奪いとられるということが、
 どれだけ重大な事であるかが誰もの神経にきざみつけられているからである。
・雨屋では二代に続いて楢山さんに謝ったのであった。先代の時は山の根を掘って食べて
 冬を越したというが、冬をうまく越せたのはどこかへ、山のどこかへ、食い物を隠して
 おいたかも知れないと、その当時は云われたのである。
・「雨屋は血統だから、泥棒の血統だから、うち中の奴を根絶やしにしなけりゃ、夜もお
 ちおち寝られんぞ」と小声で云い合っていた。雨屋の家族は十二人である。
・辰平は足を投げ出して頭をかかえていた。「この冬はうちでも越せるかどうか?」と思
 っていた。雨屋のことは他人ごとではなく、辰平の家でも切実に迫っていることなので
 ある。雨屋の事件はそれを眼の前に見せつけられたのである。食料は足りないし、そう
 かといって盗むことも出来ないし、雨屋は十二人で辰平の家族は八人であるが、食い盛
 りの者が多いので困り方は雨屋と同じである。
・おりんは辰平の側に坐っていた。やっぱり冬のことが心配であった。冬を越す悩みは毎
 年のことであるが、今年は人数が多くなった上に子供達が大きくなっているので、いつ
 もの冬を過ごすよりえらいことだと思った。それに松やんが特別ひどいのである。おり
 んは松やんのことを「けさ吉の嫁に来たんじゃねえ、あのめしの食い方の様子じゃあ、
 自分の家を追い出されて来たようなものだ」それに違いないと気がついていた。松やん
 は女ではあるが食い量が多いのである。
・寝ころんでいた辰平が突然云った。「おばあやん、来年は山へ行くかあ」おりんはそれ
 をきくとほっとした。辰平はやっとその気になってくれたのだと安心したのである。  
・おりんは辰平の顔を流し目で眺めた。そうすると急に辰平が可哀想に思えてきた。冬を
 越すことも苦しい事だし、楢山まいりの共もえらいことなのである。「来年は山へ行く
 かなあ」とさっき云ってくれたけど、いままでずっと気にしていてくれたのだ、そう思
 うと可哀想になってきたのだった。
・おりんは辰平のそばにすり寄って、雑巾をそっと、とった。辰平の目が光っているよう
 に見えたので、すぐ後ずさりをしてまた離れたが「目のあたりが光っているけど、涙で
 も出ているじゃあねえらか?そんな気の弱いことじゃあ困ったものだ」と思ったが、
 「わしの目の黒いうちによく、見ておこう」と横目で辰平の目のあたりをじっと睨みつ
 けた。
・石臼の音が止まって、玉やんが飛び出して、前の川へ行って顔を洗っていた。さっきも
 玉やんはひくのを止めて顔を洗いに行ったのである。「あいつも、まさか泣いてでもい
 るんじゃなえらか?困ったものだ、気の弱い奴等ばかりで困ったものだ」
・あと四日で正月になるという日、おりんは朝早く辰平の起きるのを待って外に連れだし
 た。辰平の耳に口をつけて「山へ行った人達を今夜呼ぶから、みんなにそう云ってきて
 くりょ!」おりんは明日楢山まいりに行くことをきめたのである。だから今夜山へ行っ
 た人達を呼んで振舞酒を出そうとしたのだった。
・「まだ早いらに、来年になってからでなきゃ!」辰平は明日行くのだと云われると面食
 らってしまったのだった。来年になったら行くつもりでいたのである。
・おりんは「バカ!ちっとばかし早くたって、早い方がいいぞ、どうせならねずみっ子の
 生まれんうちに」辰平は気が進まなかったので返事をしなかった。「早くみんなに云っ
 て来い、みんな山へ行って留守になってしまうぞ」「いいか、云って来なきゃ!、明日
 おれ一人で山へ行くぞ」
・その夜、呼ばれた人達は集ったのである。山へ行く前の夜、振舞酒を出すのであるが、
 招待される人は山へ行って来た人達だけに限られていた。その人達は酒を御馳走になり
 ながら山へ行くのに必要な事を教示するのである。それは説明するのであるが、誓いを
 させられるのであった。
・「雄山え行く作法は必ず守ってもらいやしょう」
  一つ、お山へ行ったら物を云わぬこと
  一つ、家を出るときは誰にも見られないようにでること
  一つ、山から帰る時は必ずうしろをふり向かぬこと
・それから無言のまま甕が廻って酒を飲み終えるのであるが飲めるだけ飲むとその人は黙
 って消えるように去って行くことになっていた。
・頭の照やんだけは最後に帰るのである。みんな帰ってしまって照やんも席を立ったので
 あるが、立つ時に辰平を手で招いて戸外に連れだした。小声で、「おい、嫌ならお山ま
 で行かんでも、七谷の所から帰ってもいいんだぞ」そう云って、誰もいないのに暗い方
 を見廻しておどおどしている様子である。
・「変なことを云うな?」と辰平は思ったが、おりんはあれ程一心に行こうとしているこ
 とだから、そんな馬鹿なおとには用はないのだと気にもとめなかった。照やんはすぐ
 「まあ、これも、誰にも聞かれないように教えることになっているのだから、云うだけ
 は云っておくぜ」そう云って帰って行った。
・夜も更けて丑三つの刻だろう、おりんは外の方で誰かが泣いている声を聞いたのである。
 わあわあと男の声であった。おりんは床の中で頭をもち上げて耳をすませた。あの声は
 銭屋の又やんの声だと感づいた。そして「馬鹿な奴だ!」と思った。
・少したって、人の足音がしてきたようだった。そしておりんの家の戸をがりがりと爪で
 かじる音がした。「何だろう?」と起き上がって縁側に出て、かじられているあたりの
 戸をはずした。顔をかくして身体を震わせながら又やんが、うずくまっていたのである。
・そこへ、ばたばたと飛んで来た男があった。又やんの倅だった。倅は手に荒縄を持って
 又やんを睨みつけて立っていた。「どうしたんだ」と辰平がきいた。「縄ぁ食い切って
 荷が出しゃあがった」と倅が云った。「馬鹿な奴だ!」と銭屋の倅に無謀さに驚いた。
 おりんは又やんを「馬鹿な奴だ!」と呆れて眺めた。
・その次の夜、おりんはにぶりがちな辰平を責め立てるように励まして楢山まいりの途に
 ついたのである。家の者達が寝静まるのを窺って裏の縁側の戸をそっとはずした。そこ
 で辰平のしょっている背板にのったのである。
・おりんと辰平が出た後で玉やんは蒲団の中から起き上がった。そして戸をあけて外に
 出た。根っこのところに手をかけて暗闇の中を目をすえて見送ったのである。
・頂上について辰平は目を見張らせたのである。向うに楢山が待っているかのように見え
 たのである。この山と楢山の間は地獄へ落ちるかと思われるような谷で隔てられていた。
 楢山へ行くには頂上から少し降りて尾根づたいのような道を進むのであるが、右は絶壁
 で左はそそり立つ山の坂である。楢山が見えた時から、そこに住んでいる神の召使いの
 ようになってしまい、神の命令で歩いているんだと思って歩いていた。そうして七谷の
 所まで来たのである。
・七谷を通り越すと、ここからは道はあれども道はないと云われたので上へ上へと登って
 行った。そして到頭、頂上らしい所まで来たのである。大きな岩があってそこを通り過
 ぎた途端、岩かげに誰か人がいたのである。辰平はぎょっとして思わず後ずさりをして
 しまった。岩のかげに寄りかかって身を丸くしているその人は死人だった。両手を握っ
 て、まるで合掌しているようである。
・辰平は立ち止まったまま動けなくなってしまった。おりんが背の方から手を出して前へ
 振った。前へ進めという手ぶりである。辰平は進んで行った。また岩があってそのかげ
 には白骨があった。足は二本揃っているが首はさかさになってそばに転がっていた。あ
 ばら骨だけはさっきの死人のように岩によりかかったままである。
・おりんは、手を出して前へ前へと振った。岩があると必ず死骸があった。進んで行くと
 木の根元にも死骸があった。まだ生きているように新しい死人である。そこで辰平はま
 たぎょっとして立ち止まってしまった。眼の前の死人が動いたのである。その顔をよく
 よく見たが、やはり生きている人ではなかった。すると又、その死人が動いたのである。
 その死人の胸のあたりが動いたのである。そこにはカラスがいたのであった。辰平は足
 でばたっと地を蹴った。だが、カラスは逃げもしないのである。何げなしに死人の方を
 ふり向くと胸のところにはまだ一ぴきのカラスがいた。「二ひきいたのか」と思ったら
 その下からもう一ぴきの頭が動いていた。死人は足を投げ出しているのだが、腹の中を
 カラスが食べて巣を作っていたのだ!
・道はまだ上がりぎみであった。進んで行くと死骸のない岩かげがあった。そこへ来ると
 おりんは辰平の肩をたたいて足をバタバタさせたのである。背板から降ろせと催促をし
 ているのだ。辰平は背板を降ろした。おりんは背板から降りて腰にあてていた筵を岩か
 げに敷いた。 
・おりんは筵の上にすっくと立った。両手を握って胸にあてて、両手の肘を左右に開いて、
 じっと下を見つけていた。おりんの顔は家にいる時とは違った顔つきになっているのに
 気がついた。その顔には死人の相が現れていたのである。
・おりんは手を延ばして辰平の手を握った。そして辰平の身体を今来た方へ向かせた。辰
 平は身体中が熱くなって湯の中に入っているようにあぶら汗でびっしょりだった。頭の
 上からは湯気が立っていた。  
・おりんの手は辰平の手を堅く握りしめた。それから辰平の背をどーんと押した。辰平は
 歩み出したのである。うしろをふり向いてはならない山の誓いに従って歩き出したので
 ある。十歩ばかり行って辰平はおりんの乗っていないうしろの背板を天に突き出して大
 粒の涙をぽろぽろと落した。酔っ払いのようによろよろと下って行った。
・少し下って行って辰平は死骸につまずいて転んだ。その横の死人の、もう肉も落ちて灰
 色の骨がのぞいている顔のところに手をついてしまった。起きようとしてその死人の顔
 を見ると、細い首に縄が巻きつけてあるのを見たのだった。それを見ると辰平は首をう
 なだれた。「俺にはそんな勇気はない」とつぶやいた。
・楢山の中ほどまで降りて来た時だった。辰平の眼の前に白いものが映ったのである。立
 ち止まって目の前を見つけた。楢の木の間に白い粉が舞っているのだ。雪だった。雪は
 乱れて濃くなって降ってきた。普段おりんが、「わしが山へ行く時あ、きっと雪が降る
 ぞ」と力んでいたその通りになったのである。
・辰平は猛然と足を返して山を登り出した。山の掟を守らなければならない誓いも吹っ飛
 んでしまったのである。雪が降ってきたことをおりんに知らせようとしたのである。
・おりんのいる岩のところまで行った時には雪は地面をすっかり白くかくしていた。岩の
 かげにかくれておりんの様子を窺った。お山まいりの誓いを破って後をふり向いたばか
 りでなく、こんなところまで引き返してしまい、物を云ってはならない誓いまで破ろう
 とするのである。    
・辰平はそっと岩かげから顔を出した。そこには目の前におりんが坐っていた。背から頭
 に筵を負うようにして雪を防いでいるが、前髪にも、胸にも、膝にも雪が積もっていて、
 白狐のように一点を見つめながら念仏を称えていた。
・辰平は大きな声で「おっかあ、雪が降ってきたよう」おりんは静かに手を出して辰平の
 方へ振った。それは帰れ帰れと云っているようである。「おっかあ、寒いだろうなあ」
 おりんは頭を何回も横に振った。
・雪が降ってきてよかった。それに寒い山の風に吹かれているより雪の中に閉ざされれて
 いる方が寒く無いかも知れない、そしてこのまま、おっかあは眠ってしまうだろうと思
 った。      
・「おっかあ、雪が降ってきて運がいいなあ」おりんは頭を上下に動かして頷きながら、
 辰平の声のする方に手を出して帰れ帰れと降った。「おっかあ、ふんとに雪が降ったな
 あ」と叫び終わると脱兎のように駆けて山を降った。
・誰もいないはずの七谷の上のところまで降りて来たとき、銭屋の倅が雪の中で背板を肩
 から降ろそうとしているのが目に入った。背板には又やんが乗っていた。荒縄で罪人の
 ように縛られている。 
・辰平は「やッ!」と思わず云って立ち止まった。銭屋の倅は又やんを七谷から落とそう
 としてからだった。四つの山に囲まれて、どのくらい深いかわからないような地獄の谷
 に又やんを落とそうとするのを辰平は目の下に見ているのである。「ころがして落とす
 のだ」と知った時、昨夜、照やんが「嫌なら七谷の所から帰ってもいいんだぞ」と云っ
 たのを思い出した。「あれは、これのことを教えたのだな」と初めて気がついた。
・又やんは昨夜は逃げたのだが、今日は雁字搦みに縛られていた。芋俵のように、生きて
 いる者ではないように、ごろっと転がされた。倅はそれを手で押して転げ落とそうとし
 たのである。だが又やんは縄の間から僅かに自由になる指で倅の襟を必死に掴んですが
 りついていた。そのうち倅が足をあげて又やんの腹をぼーんと蹴とばすと、又やんの頭
 は谷に向かって仰向きにひっくり返って毬のように二回転するとすぐ横倒しになってご
 ろごろと急な傾斜を転がり落ちていった。
・辰平が谷の底の方を覗こうとした時、谷底から竜巻のように、むくむくと黒煙りが上が
 ってくるようにカラスの大群が舞い上がってきた。湧き上げるように舞い上がってきた
 のである。    
・この谷のどこかに巣があって、雪が降ったのでそこに集まっていたのだと思った。きっ
 と又やんはそこに落ちたのだと思った。舞い乱れていたカラスはだんだんまた谷底の方
 へ降り始めたのである。「カラスの餌食か!]あんな大変のカラスじゃあと身ぶるいを
 したが、落ちた時は死んでしまっているだろうと思った。倅の方を見ると、やっぱりカ
 ラスを見て気味が悪くなったのであろう、空の背板をしょって宙を飛ぶように駆けだし
 ていた。   
・雪は牡丹雪のように大きくなってきた。辰平が村に帰り着いた時は日が暮れて暗くなっ
 てしまった。「うちへ帰ったら、末の女の子はおりんがいなくなったので淋しがってい
 るにちがいない」と思った。「おばあはいつ帰って来る?」などときかれたら、なんと
 答えようかと困ってしまった。
・家の前まで来たが戸口の外に立って中の様子をみた。家の中では次男が末の子に歌を唄
 って遊ばせていた。
   お姥捨てるか裏山へ
    裏じゃ蟹でも這って来る
 留守に子供達はおりんのことを話していたのだ。もう知っているのだと思った。
   這って来たとて戸で入れぬ
    蟹は夜なくとりじゃない
・この歌は、村では昔は年寄りを裏山に捨てたものだった。或る時、老婆を捨てたところ
 が這って帰ってきてしまったのである。その家の者たちは「這って来た、這って来た、
 蟹のようだ」と騒いで戸をぴったりと閉めて中に入れなかったのである。老婆な一晩中、
 戸の外で泣いていた。その泣き声を聞いて子供が「蟹が泣いている」と云ったのである。
 蟹の歌はそれを唄ったのである。
・辰平は戸口に立ったまま玉やんの姿を探したがどこにも見えなかった。