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この本は、いまから27年前の1995年に刊行されたSF小説だ。1巻から3巻までで
構成されており、この本は第1巻だ。
内容は、1962年に発生したキューバ危機を題材にしているようだ。
キューバ危機というと、1962年のキューバ危機を思い起こすのだが、この作品でも記
されているように、その前の1961年にも「ピッグス湾事件」という危機があったよう
だ。
それは、大統領に就任したばかりのケネディが実行した作戦で、カストロ政権転覆を狙っ
て亡命キューバ人が組織した反カストロ軍が進める作戦というかたちで、ピッグス湾への
上陸作戦を行うというものだったようだ。だが、最初の空爆が失敗し、上陸を予想したキ
ューバ政府軍の反撃に遭い、上陸部隊は海岸で孤立し、作戦は完全に失敗に終わったとい
う。このことから、1961年の危機を「第一次キューバ危機」、1962年の危機を
「第二次キューバ危機」とも呼んでいるようだ。

第二次キューバ危機に際して、この作品では、ケネディ大統領に対して国防長官が次の6
つの選択肢を提示している。
・軍事侵攻
・空爆
・海上封鎖
・カストロと極秘交渉
・ロシアと外交的交渉
・何もしない
現実では、ケネディ大統領は「海上封鎖」を選択して、キューバ危機は回避されたのであ
るが、この作品では「軍事侵攻」を選択するのだ。
その理由は、「空爆」や「海上封鎖」では、完全にはキューバから核ミサイルを一掃でき
ないと国防省が考えていたからであった。それよりも「軍事侵攻」のほうが確実であると。
しかも、米国とキューバの軍事力の圧倒的な差があることから、短時間でキューバを制圧
できるだろうとの見込みであった。ところが、実際に軍事侵攻してみると、それがまった
くの見込み違いとなる。このあたりは、なんだか現在、ウクライナに突然侵攻したロシア
の判断と似たところがある。
米国は、キューバに軍事侵攻しても、ソ連は米国と同じように対応を徐々にエスカレート
するはずで、その前にキューバの制圧を完了させればよいと考えていたのであるが、ソ連
の対応は米国の考えとはまるで違い、いきなり全面核戦争へと突入してしまうのである。
一般的に戦時局面は、段階的にエスカレーションさせていくものだと考えられているが、
かならずそうなるとはかぎらない。いきなり全面核戦争に突入する場合もあるのだという
のが、この作者の主張のようだ。

非常に衝撃的な内容なのだが、じつは、この作品は宇宙開発がメインなのだ。そのため、
内容の四分の三ぐらいは、ドイツのV2ロケットから始まる、米国、ソ連そして日本のロ
ケット開発競争の歴史が延々と語られている。その熱量たるやすごいものがある。
おそらくこれは、2巻、3巻への足がかりとなるものなのだろう。ロケット開発の歴史に
関心のある人には、なかなか興味深い内容なのだが、そうではない人は、ちょっと閉口す
るかもしれない。

先般、イプシロン6号機が打ち上げられたが、失敗に終わった。原因は機体に姿勢を制御
する制御装置の不具合が原因だったようである。
イプシロンロケットは、この本にも出ているペンシル・ロケットから日本が独自に開発し
た固体燃料型のロケットである。固体燃料型ロケットは液体燃料型ロケットに比べて制御
が難しいとこの本で述べられていたが、はからずも今回はその制御がうまくいかなかった
ようである。

ところで、この本に「王城寺原」という地名が出ていて驚いた。王城寺原には陸上自衛隊
の大規模演習場がある。こころでは、陸上自衛隊だけでなく、在日米軍もやってきて演習
をするのだ。榴弾砲の演習では、そのドカンドカンという音が仙台市内まで聞こえてくる。
ところで、この本に「王城寺原」という地名が出ていて驚いた。王城寺原には陸上自衛隊
の大規模演習場がある。こころでは、陸上自衛隊だけでなく、在日米軍もやってきて演習
をするのだ。榴弾砲の演習では、そのドカンドカンという音が仙台市内まで聞こえてくる。
また、この本の中に「東北大学農学部」というのが出て来るが、この本が書かれた当時の
農学部は雨宮キャンパス時代の農学部だと思われる。現在の農学部は2017年に青葉山
新キャンパスに移転している。
この作品に「王城寺原」や「東北大学農学部」といった宮城県の地名が出て来るので、
作者は宮城県になにか関係があるのだろうかと調べたが、出身は石川県のようだし、学生
時代は東京だったようで、あまり関係はなさそうだ。それなのに、どうして宮城県のロー
カルな地名を知っているのか、なんだか不思議な気がした。


第505回国家安全保障会議(ホワイトハウス、1962年10月20日)
・周囲の者たちを、意表を突いた行動で驚かせることを彼は好んでいた。35人目の合衆
 国大統領としての宣言を終えてからしばらくの間はことにその傾向が強かった。
・彼がそのような子供じみた行動をとる理由について、実に好意的な解釈をした。大統領
 はそれにより、本来なら彼が直接かかわりを持たないはずの部署に配置された人々の能
 力を把握しているというのだった。
・こうした見解に対し、もっと皮肉な解釈を示すべきであると信じる者もホワイトハウス
 の一部には存在し、彼らは大統領の行動が一種のリクリエーションであると考えた。
・しかし、彼らの見解にはひとつの欠陥があった。たとえば大統領が周囲を驚かせる手段
 のひとつとして電話を好んでいること、その電話が俗に黄金色の電話機と呼ばれている
 ものであることを忘却していた。
・1961年のある日、彼はそれを用いて、オマハのオファット空軍基地に設けられた半
 地下式の戦略空軍指揮所へ電話をかけ、電話の当直についていた軍曹の胃潰瘍を一気に
 悪化させることがあった。軍曹は、それが鳴るときは世界の終わりが定められた瞬間だ
 と教えられていたのだった。  
・この事件は、通信連絡担当将校直通電話の受話器を握った軍曹が震える声で上官を呼び
 出したことで、いささか面倒な問題へと発展しかけた。生真面目な男であった当直将校
 は、かけられてきた電話の内容を確認する前に最先任の当直将校、つまり、この司令部
 へ常に一人は配属されている空軍少将へ自動機械のように電話が鳴った事実を伝えた。
・少将は軽くうなずくと五段階に分かられている戦略空軍の防衛態勢を現行のデフコン
 から3へとあげた。
・この命令は全世界の戦略空軍基地へ即座に伝達され、数百機の戦略爆撃機にあわただし
 く乗員が乗り込み、あちこちの司令部で待機中だった要因が増強され、地上に配置され
 たタイタンやアトラスと呼ばれる液体燃料型大陸間弾道弾に推進剤と酸化剤の注入が開
 始されるという結果をもたらした。  
・本来、デフコン3は司令部要員の増強を意味している。だが、戦略爆撃機や液体燃料型
 ICBMといった準備に手間のかかるシステムを運用する部隊は、貴重なリーディング
 タイムとしてそれを認識していた。
・ICBMを運用する戦略ミサイル大隊にとっては特にそうだった。彼らの扱うタイタン
 やアトラス、特に後者は、規定通りに燃料を充填したまま常時待機していた場合、いつ
 燃料漏れで爆発をおこすかわからない代物である。タイタンは、規定では燃料を二カ月
 間充填したままでも安全をたもてるとされていたが、そのような言葉を信じる者は、誰
 ひとりとして存在しなかった。基地の将兵たちは、事故の恐怖に24時間さらされるよ
 り、ごく一部の”素性”のよいICBM以外、酸化剤と推進剤のタンクを空にしておくこ
 とで安全を確保していた。
・すべてが悪戯であると判明したのは、少将が警報を発した五分後のことだった。  
・額に青筋を浮かべて立ち上がった少将は、あわててデフコンを4に戻す命令を発した。
 この五分間のあいだに、すでに数10万ドル近い国防予算が消費されており、その影響
 は世界に向けて波及しつつあった。
・定置型水平線超過レーダーは何も探知していなかったが、その他のセンサー群は、東ド
 イツや極東で空中目標の数が急速に増加したことを確認していた。他の諸国でも、特に
 空軍の行動が活発になっていた。
・少将の「すべては誤認」という解除命令は、五分間かけて全世界へ伝達された。彼は、
 脂汗をたらしつつ指揮所の大型ディスプレイに投影された世界、いたずら電話によって
 最終戦争へと一歩踏み出してしまった世界が多少はまともな状態へと復帰してゆくさま
 をみつめつづけた。
・多くの者たちが、到来しないことを望んでいる瞬間はついに訪れず、爆撃機からは乗員
 が降り、ミサイルからは燃料が抜き出された。
・全身汗まみれになって椅子に座り込んだ少将は、ことの次第について戦略空軍司令官へ
 と報告した。電話に出た司令官は、ことの次第にしばらく絶句した後、忘れちまえと言
 った。 
・「大統領に何か言わなくてもよいのですか?」と少将はたずねた。
・「何をいっておるんだ。彼は国民の支持を受けている。その割には選挙の得業率がニク
 ソンとたいして差があったわけじゃないが、とにかく、支持を受けている。彼は毎年の
 ように国防予算を増額してくれているんだ」
・第35代合衆国大統領、ジョン・F・ケネディのリクリエーションが引き起こした大騒
 ぎは、軍組織の内部で処理され、外部に漏れることはなかった。
・ソヴィエトはこの事件から数日して真実を察知したが、それを政治的に利用しようとは
 しなかった。  
・この年の夏の終わり以来、合衆国は徐々に増大する恐怖に意識を染め上げられつつあっ
 た。キューバと呼ばれる旧スペイン帝国領を民衆の絶大な支持を受けて支配している共
 産主義者が、ソヴィエトとのあいだに大規模な軍事援助協定を締結してからだ。
・モスクワは協定を完全に履行するつもりがあることを行動で示した。協定調印からさほ
 ど日のたたぬうちに、さまざまなソヴィエト製兵器がカリヴ海へ流れ込みはじめた。
 1959年のフィデル・カストロによる政権奪取いらい、合衆国にとってキューバとは
 脇腹に突きつけられた刃の同義語だった。 
・それがいま、ミンスクやロストフにある兵器工場から送り出された兵器を備えることで
 さらに危険な存在に変化しようとしていた。少なくとも合衆国にはそう思われた。彼ら
 の判断は必ずしも過剰なものとは言えなかった。ロシア人はその島へ、反応弾頭を備え
 た準中距離弾道弾を持ち込んでいたからだ。
・「我々の意見は大きく二つに分かれています」ディーン・ラスク国防長官が大統領の後
 ろ姿に向けて口をひらいた。
 「空爆か侵攻か、です。それ以外の方法では、キューバからロシア人のミサイルを一掃
 できません」 
・ラスクは知性、能力、品性等々、ケネディ政権の中核ポストを占めるにふさわしい資質
 を備えた男だったが、そうであるがゆえに円満な人物でありすぎた。決定者よりも調整
 者たらんとする姿勢を示すことが多く、現状のような事態ではあまりあてにはならなか
 った。彼は、景気のよい、あるいは明快さにあふれすぎている意見にひきずられる傾向
 をたぶんに持っているのだった。ことに最近は、国防総省の意見にひきずられることが
 多かった。
・ケネディはたずねた。「大将、君の意見はどうなのだ?」
・総合参謀本部議長、マクスウェル・テーラー大将は応じた。
 「空爆は有効ではありますが、単独の手法、国家安全保障を預けきるものとしてはいさ
 さか頼りない面があります。目標を100パーセント中立化できるわけではありません」
・「空爆と侵攻、それ以外に解決策はないのか?」
 大統領はつぶやくように発音した。
・「他に四つの選択肢が考えられます。何らかの手段をもちいてあの島を封鎖するか、カ
 ストロと極秘交渉を行うか、ロシア人と直接話すか・・・何もしなか、です」
 そう応じたのはロバート・マクナマラ国防長官だった。
・「海上及び航空封鎖は可能だと海軍及び空軍は明言しています。ただし、その効果につ
 いては判断の難しいところがあります。海軍は、ソヴィエト船が封鎖突破をはかった場
 合、どのレベルまでの阻止行動が許されるかによって効果が異なるだろうと判断してい
 ます。これは空軍も同様です」
・「阻止行動?」
・「つまり、脅かすだけか、射撃してもよのか、そういうことかね?」
・「射撃を無視した場合、破壊してもよのか、という問題も含まれます。もし阻止行動を
 制限し、封鎖突破を許した場合、封鎖作戦は失敗に終わるでしょう。また、破壊が許さ
 れた場合、ソヴィエト船の護衛についていると思われる彼らの潜水艦、あるいはキュー
 バから発信してくる航空機との戦闘が発生する可能性が高くなります。これはこれで封
 鎖の意味を失わせるでしょう。ソヴィエトが対応をエスカレートさせた場合、全面戦争
 へ拡大するかもしれません」 
・「君はどの程度まで事態が拡大すると考えているのだ?」
・「お互いに適当な被害を受けたところで理性を取り戻すことができれば、と」
・「つまり、君たちはこういいたいわけだね?いかなる手段を用いても、それがもたらす
 結末は予測不可能であると。そういうことだね?」
・カストロとの秘密交渉等々の他の選択肢について、彼は質問しなかった。それらはすべ
 て合衆国の負けを認めることにつながるからだった。
・カストロの本質がアナーキストであると認識しているロシア人とならば交渉が可能であ
 ったかもしれないが、彼らが新たに中距離弾道弾までキューバへ持ち込もうとしている
 現状ではそれも無益に思えた。
・「的確な要約です」
・「この問題については本日午後に召集する国家安全保障会議の正式議題として扱い、合
 衆国の解決策を決定したい」 

まるで玩具のような(1956年〜61年)
・昭和31年7月、屋代幸男は家族の目を盗むようにして店の自転車を持ち出した。
 仙台市内の、東北大農学部からさほど遠からぬ場所にある彼の生家から目的地まで、お
 そらく30キロ以上ある。
・御所山東側の裾野に沿うようにしてはしる道路には舗装などほどこされていなかった。
 いちおう、この道路も国道であるはずなのだが、10年前の敗北によって三等国へ転落
 した幸男の祖国には、だれもが満足できるだけの社会資本を整備するだけの余裕はなか
 った。合衆国の占領は終わり、多くの人々は日毎に戦争の後遺症から抜け出しつつあっ
 たけれども、それはあくまでも漸進的なものであり、一夜にしてすべてを実現できるわ
 けではない。
・例えば幸男の父親などは、昭和19年末に乙種合格で陸軍へ引っ張られた経験を持つだ
 けあって、帝国という呼称を捨てた祖国がこの先どれほどのものになってゆくかについ
 てかなり懐疑的な言葉を漏らすことが少なくなかった。
 「国は信用できない」
 彼の父はそう信じていた。
・地元の連隊ではなく、満州の要塞砲兵に配属された幸男の父が復員してきたのは祖国が
 敗北した3年のちのことだった。シベリアで彼は、労働者だの同志だのという言葉を用
 いたがるやからがどのようにふるまっていたか、嫌なほど目撃していたのだった。
・あの地の果てでは、同胞をロシア人へ売った人間だけが楽なおもいをしていた。理解な
 ど示せるはずもなかった。  
・そ「の点においては、帰還前に収容所で共産党への入党を誓わされ、復員船から祖国へ
 降り立つと同時にその約束を放り投げて家路についた多くの抑留将兵と同じ、生活者と
 しての健全さを彼は持っていた。
・幸男の父親の場合、仙台市内に付き合いの古い得意先をいくつも持つ雑貨卸商を生業と
 していたことがそうして判断を導いたのかもしれなかった。
・幸男の父親は教師という人種もまた信用しかねる連中だと捉えている男だったが、幸男
 の担任教諭の意見だけはかなり素直に受け入れた。いや、教師というより、予備将校と
 して陸軍に入り、国後島で辛うじて生き残り、その後3年、モスクワの近くにある収容
 所で辛酸をなめた歩兵小隊指揮官の言葉を信用したというべきかもしれない。
・幸男の父親は、学生あがりの予備士官が往々にして陸軍士官学校出身者よりすぐれた将
 校としてふるまう場面に何度も居合わせたことがあった。
・収容所においても、すべてを失ってしまった陸士出将校より、おおもとにおいて娑婆の
 人間である予備士官のほうが人間としての良識を維持していた。
 
・幸男はペダルを踏み込みつつ、親父がこのことを知ったらどうするかな、と思った。彼
 の内心は後悔や迷いという形容がなされるもので埋まりかけていた。だが、肉体はその
 影響を受けず、彼を目的地に運ぶべく単純な運動を継続していた。
・彼の自転車の前輪が先の尖った小石の上に乗り上げたのはその数分後だった。
 
・陸上自衛隊仙台駐屯地を30分ほど前に出発したウェポン・キャリアーの隊列は、かな
 りくたびれたウィリス社製の野戦車に先導されて国道を北上した。目的地では前日から
 技官や学者、そして整備隊員たちの一団が準備をおこなっており、予定では、彼らが到
 着した1時間後に実験が開始されることになっていた。
・原田三佐は前方を注視した。道路脇を自転車を押した学生が疲れ切った足取りで歩んで
 いた。 
 「パンクしたようです」
 それまでなかば呆れながら沈黙していた運転席の隊員がこたえた。
・「時間にはいささかの余裕がある。おい、あの学生の横に停めろ」
・「君、どうしたんだ。困っているようだが?学校へゆく途中かね?」
・「いや、あの、王城寺原へ」
・「王城寺原?」男は面食らった顔で聞き返した。
・「ロケットの実験があるんです」と幸男はこたえた。
・「おい、一番荷物の少ないカーゴはどれだ」
・「おい、この坊やを乗せてやれ、自転車もだ」
 男はトラックの運転席にいた隊員に命じた。
・「変わっているな、君は。ロケットが好きなのか?」
・「はい、好きです」
・男は大きな声て笑い、そうか、まぁ、公開されてる実験だからね。どこか、邪魔になら
 ないところで見ているならいい。新聞の人たちがほかにも来るから、連中と一緒に見物
 していなさい、といった。  
・「王城寺原とは、なんとも凄い名前の場所ですな」
・「ここが、以前は陸軍の射撃練習場だったことは知っているね?」
・「第二師団。強い部隊でしたね」
・「ここは、その以前から歴史がある。昔は”おおじょう”といっても大往生のほうの往
 生寺原だった」
 「伊達政宗の軍勢が、一揆勢相手に大合戦をおこなった戦場、というか、その中継地点
 だ」
 
・「妙なものが好きなんだな。坊主」と、彼を連れた隊員はいった。
 「だが、あんまり期待していると、肩すかしをくらうぞ。ほら、あれだ。我が自衛隊初
 のロケット、タンゴ・マイク・アルファ・ゼロ、TMA−0だよ」
・幸男がそれを見て落胆しなかったと言えば嘘になる。おそらく専用のものではない架台、
 どうにか角度変更ができるだけの発射レールに横たえられたロケットはあまりに小さか
 った。 
・ただ、おそらく150センチもないと思われるロケットのスタイルそのものだけが、ひ
 どく魅力的なものに感じられた。
・幸男は、この小さなロケットの後部が継ぎ足されたものであること、分離されるように
 なっていることに気づいた。ロケットの真ん中より少し後方と、後尾の噴射口の手前に
 は、ひどく角張った形状の翼が4枚ずつつけられていた。
・「あれを思いつくまでに、ずいぶん時間がかかったそうだぜ。あの小さな翼をつけない
 と、飛び上がってもふらふらしてどこに落ちるかわからない」と案内してくれた隊員が
 いった。
・「TMA−0は東大のベビーを手直ししたやつだ。とにかく、こいつの場合、加速が速
 いし、最初はあの発射架台にのっているから、発射時の安定は大した問題にはならない」
・「しかし、アメ公や露助の大きなロケットはそうもいかん。そのために、ほかの方法で
 初期の安定を得ることになる。回転だ」
・「あれじゃ、写真を載せたらかえって読者ががっくりきちまう。まるで玩具のようだ」
・あらためて考えるまでもなく、ひどく小さなロケットだった。ブースターが追加され、
 小さいながらも多段式となったことで到達高度がのび、貧相とはいえテレメトリ・シス
 テムも搭載されたから、計測されるデータはペンシルのころよりよほど増加している。
 少なくともペンシル・ロケットのように、水平発射し、一定の間隔をあけて配置された
 紙を突き破らせてデータをとる必要はない。
・確かに、合衆国やソヴィエトが人工衛星を打ち上げるべく開発しているそれと比べれば、
 玩具、いや、それ以下だろう。おそらくは、ロバート・ゴダードが行っていた実験ほど
 の意味もないのではあるまいか。効率的に、より大きな力を発揮可能な燃料(推進剤と
 酸化剤)は液体だ。ゴダードが先駆者として味わった苦労のひとつは、扱いの難しいそ
 れに挑戦した点だ。
・これに対して、TMA−0は固体燃料だ。無駄だとはいえないにしても、これから先、
 固体燃料でもってロケットを飛ばしはじめたという原点は、大きなマイナスになるので
 はないか。
・いまはコングリーヴの時代ではない。そして自衛隊は、直接的な兵器開発を目的として
 この実験にかかわっているわけでもない。予算はたかが知れている。はたして、そのよ
 うな状況で固体燃料ロケットに金を使い続けることが正しいといえるのだろうか。
・もちろん、原田にも、なぜ固体燃料が選択されたか、よくわかっていた。敗戦後、合衆
 国によって航空産業をねこそぎにされた日本には、構造の面倒な液体燃料ロケットを制
 作するだけの設備が存在しない。
・研究者や技術者がいないわけではない。事実、戦時中、軍で研究にあたっていたものは
 かなりの数にのぼる。しかし、彼らだけでロケットを開発することはできない。設備と、
 そして何より資金がいる。液体燃料のほうが性能面で優れていることを知りつつ、構造
 の簡単な固体燃料ロケットを開発した理由はそれだ。
・TMA−0は戦時中に実戦投入された有人飛行爆弾”桜花”のそれにもとづいて開発さ
 れた固体燃料を使用していた。それならば、戦時中にとられたデータを参照して手直し
 してゆけばよい。つまり、開発費が安くあがるからだ。
    
・それから数カ月のあいだに、この演習場では合計9回の発射実験が行われた。実験その
 ものは成功したが、研究は継続されなかった。
・自衛隊がロケットにかかわることについて、国民に非難されたからではない。おもに予
 算の問題と、省庁の縄張り争い(つまり東大ロケットを握る文部省との争いに防衛庁が
 負けた)、そして合衆国の軍部から「非公式」に伝えられた懸念によるものだった。
   
・1945年1月の終わり、第三帝国最後の日々において最も重大な私的決断がなされた。
 バルト海岸沿いのペーネミュンデに置かれていた、もっとも先進的な弾道飛翔体開発機
 関北方試験兵団を実質的に支配していたウェルナー・フォン・ブラウン博士が、多数の
 同僚とともに、戦後、合衆国へ身をよせることを決断したのだった。
・彼らは、1944年9月以降、それまでの比較的低速な報復兵器1号とともに、ロンド
 ン、パリ、アムステルダム等を襲うようになった液体燃料型準中距離弾道弾、集合体4
 号の開発チームだった。 
アドルフ・ヒトラーが報復兵器2号、つまりV2と呼んだ兵器について、連合国は過大
 ともいえる評価をおこなっていた。V2の実態は、ミスディスタンスのきわめて大きな、
 その割に生産と運用にひどく手間のかかる1トン爆弾にすぎなかった。
・事実、最盛期でさえ、ロンドンに到達したV2の数は平均して1日あたり10発をこえ
 ていない。 
・V2主要部品およびジェット・エンジン等の主力工場は、合唱国、英国、ソヴィエトの
 順に戦利品回収部隊が訪れ、ありとあらゆるものを持ち去った。
・合衆国はそこから250基のV2と関連設備を持ち出した。英国は150基のV2を入
 手した。もっとも遅れたソヴィエトの場合は、まともな完成品はほとんど手にいれられ
 なかったほどだった。
・合衆国陸軍と契約を結んだフォン・ブラウンと100名をこえる専門家たちは、テキサ
 ス州フォート・プリス陸軍基地へ送り込まれ、新たなロケット研究を開始した。V2も、
 ニュー・メキシコ州ホワイト・サンズ試射場へ持ち込まれ、発射実験が行われることに
 なった。 
・合衆国は、ドイツから獲得したこの頭脳集団に何を行わせるべきか明確な方針を持って
 いなかった。また、彼らの存在は、これまでのところまともな成果をあげていない合衆
 国のロケット研究者たちからも快く思われていなかった。結局のところ、1945年か
 ら51年までの6年間、彼らはほとんど飼い殺しの状態に置かれた。
・一方、連合国に含まれるもうひとつの大国、ソヴィエトの対応は合衆国とまったく対照
 的だった。グルジア人独裁者に支配されたロシア人たちは、ドイツが科学技術の先進性
 という点で自分たちをはるかに凌いでいることを痛いほど承知していた。 
・彼らは、フォン・ブラウンにしたがわなかったV2計画の主要研究者ヘルムート・グル
 ートルップを雇い入れ、研究を再開させた。
・ロシア人は完成品のV2をほとんど手に入れられなかったけれども、彼らの手元にはソ
 ヴィエト占領地区となったドイツ各地から集められた1000基分を超えるV2の部品、
 試作ロケット、そして各地に散っていたペーネミュンデの各級技術者が存在していた。
・ロケット技術を軍事的優位に利用しようという明確な意思を抱いていたロシア人は、当
 初から彼らの頭脳と知識を徹底的に利用した。
・後に西側で、”宇宙機主任設計官”という呼び名のみで知られるようになったセルゲイ・
 パヴロヴィッチ・コロリョフ
こそ、ソヴィエトにおけるフォン・ブラウンというべき人
 物だった。    
・1945年以降の中国人と同様に、ありとあらゆる技術的成果は、自国で最初に開発さ
 れたと主張したがる癖をロシア人は持っている。それはたいていの場合あやしげな根拠
 しか持たないが、こと宇宙旅行に関する限り、まったくの真実だった。
・順風満帆に思われたコロリョフの人生は、1937年になって表面化した新たな粛清に
 よって危機を迎える。(トハチェフスキー事件
・スターリンが、徐々に勢力を強めつつある軍部を支配下におさめるべくしかけたそれが、
 彼の美にも災いをもたらしたのだった。ロケット兵器を通じて軍部ともつながりのあっ
 たコロリョフに災いがおよんだのは1938年のことだった。  
・ある日の朝、リムジンと軍用トラックに乗った男たちが彼の家を訪れ、簡単な尋問の後、
 彼を強制収容所へと放り込んだ。彼は、それから6年間をそこで過ごし、いちおう釈放
 されたときは、健康をひどく害していた。
・しかしながら、その後のコロリョフは自らの健康をほとんど顧みることなく、中断を余
 儀なくされていたロケット開発の道を突き進んでいった。
・スターリンは、反応兵器をすでに保有している合衆国こそが主敵であると思い定めてい
 た。その合衆国に対して優位を獲得するには、反応兵器とそれを彼らの本土へと運び込
 む運搬手段、つまりロケットが不可欠だった。
・コロリョフとその開発チームが最初に実用化した準中距離弾道弾R−5はV2の改良型
 で、外見はその原型とほとんど見分けがつかなかった。
    
・1957年10月、セルゲイ・コロリョフがR7と呼ぶSS−6ICBMの先端に取り
 付けられた82キログラムの球体が大気圏を離脱したとき、ヴェルナー・フォン・ブラ
 ウンはアラバマ州のレッドストーン陸軍工廠で情宣活動にこれつとめていた。相手は新
 任の国防長官である。
・アドルフ・ヒトラーでさえ魅了してしまった彼の売り込みは見事の一語につき、フォン・
 ブラウンをはじめとする旧V2開発チームを嫌っていると知られるアイゼンハウワー政
 権、その新任国防長官でさえ洗脳されてしまいがちだった。
・前年、フォン・ブラウンはICBM弾頭大気圏再突入耐熱シールドの試験用に、レッド
 ストーン・ロケットの改良型三段式ロケット、ジュピターCを打ち上げていた。彼にい
 わせるなら、このロケットを多段式に改造してしまえば、合衆国は即座に人工衛星打ち
 上げ能力を保有することになるのだった。しかし、アイゼンハワー政権、というより、
 アイゼンハワー大統領の持つ個人的な正義感がその実現を阻んだ。彼はかつてロンドン
 を攻撃した非道な兵器の開発者たちが合衆国の後押しによって栄誉を手に入れることに
 我慢ならなかった。また、戦争を軍人によって争われるものから、一般市民の殺戮競争
 へと変えてしまう反応兵器やICBMを好んでいかなった。
・国家元首としてなおその種の意識を保っていられるアイゼン・ハワーは、合衆国が生み
 出した良識のもっとも強固な擁護者として、まったくもって尊敬にあたいする民主主義
 者だった。おそらく彼は、旧来の意味でいうアメリカン・デモクラシーを体現する最後
 の一人だったかもしれない。
・アイゼンハワーは、少なくともロケット開発を合衆国の人間によって推進したいと考え
 ていた。 
・しかし、コロリョフがニキータ・フルシチョフの全面的な支援のもとで打ち上げた82
 キログラムの球体、スプートニク1によって、すべてが変化した。
・アイゼンハワーは、自分の政権下で推進された大量報復戦略により、合衆国が反応兵器
 戦力においてソヴィエトをはるかに引き離していることを知り尽くしていた。ロケット
 は、慎重に、将来を見定めて開発すべきものであると考えていた。
・だが、合衆国の政治機構はそう捉えなかった。スプートニクは紛れもない脅威であり、
 その電力が二週間で消耗した後も、遅れていると信じられていたロシア人の科学技術が
 合衆国に優越しているという明確な証拠物件であり続けた。政治家と官僚、そして国民
 の多くが自分たちがナンバー・ワンでないことを知らされてパニックに近い反応を示し、
 大統領を批判した。
・それでもなお、ロケット開発の積極的推進に賛成しかねていたアイゼンハワーを屈服さ
 せたのは、スプートニク1号から一ヶ月後にコロリョフが打ち上げたスプートニク2号
 の衝撃だった。ロシア人はそれに犬をのせ、ロケット打ち上げ、そして軌道飛行から生
 物に与えるデータを収集したのだった。
・アイゼンハワーは宇宙計画の積極的推進を指示した。最初に衛星打ち上げを命じられた
 のは、合衆国の自前の技術で開発したヴァンガード・ロケットだった。
 そして、1957年末に行われたその打ち上げは、みごとに失敗した。ロケットは発射
 台からわずかに浮き上がっただけで横倒しになり、巨人の手でつかまれたように折れ曲
 がり、爆発した。
・合衆国海軍の注文によってマーチン社が開発したこの三段式ロケットは、あまりにも高
 い性能を追い求めて開発されたため、技術開発において重要なトータル・システムとし
 てのすり合わせができていなかった。ひらたく言ってしまえば、ヴァンガードは、戦後、
 ヴィジョンを持たぬまま合衆国陸・海・空軍、そして科学陣がそれぞれ独自におこなっ
 てきた合衆国のロケット開発を象徴するような存在だった。
・合衆国は挽回せねばならなかった。しかし、もっとも進んでいるとみられたヴァンガー
 ドは失敗作であり、空軍がICBM用に開発しているアトラスはいまだ現実の存在では
 なかった。
・となれば、最後の可能性は、陸軍、ドイツ人科学者を擁している彼らのロケットにしか
 ない。フォン・ブラウンへすべてがゆだねられた。
 彼はしまい込まれていたジュピターC三段式ロケットを持ち出し、それに彼の熱望して
 いたもう一段ぶんのブースターを取り付けると、先端に約14キロの重量を持つ科学衛
 星を載せ、翌年1月末、第一宇宙速度へ向けての加速を命じた。
・フォン・ブラウンの提言を受け入れていたならば、遅くともロシア人よりも半年はやく
 人工衛星打ち上げを成功させていたであろう。ジュピターCは、合衆国政府がその開発
 者を無視した事実を隠蔽するため、ジュノー1と改名された。ロシア人に遅れること4
 ヶ月で衛星の軌道投入を実現した。
・衛星はエクスプローラー1号と名付けられ、あやしげなドイツ人科学者であったフォン・
 ブラウンは、合衆国を危地から救い出した国民的英雄へとその社会的立場をかえた。
・この成功に合衆国、そして、西側世界は驚喜し、東側は恐怖した。こうして、宇宙競争
 として知られる、やがてロケットの発展を皮肉なかたちで証明する結末をまねく短く熱
 い戦争が世界の両側で開始された。
・もちろん、フォン・ブラウンはその戦争の勝者になる決意を固めていた。彼の目標は、
 まず有人飛行、そして月、最終的には、人間が火星へ降り立つ姿をこの目で見ることだ
 った。  
・こうして、すべてが宇宙へ向けて動き出した、はずだったが、現実はおとぎ話よりよほ
 ど複雑であり、希望や熱意ですべてがうまくゆくわけでもなかった。
・当初、一人乗りのマーキュリー宇宙機が空軍が開発したアトラスで打ち上げられる予定
 だった。政治的な都合によってさまざまな名がつけられた陸軍のロケットでも友人宇宙
 機の打ち上げは可能だが、軌道に投入し、地球を周回させるだけの力はない。弾道飛行
 と呼ばれる砲弾や野球のボールのような飛行がせいぜいだ。もともと戦術弾道弾として
 開発されたロケットを原型にしているだけあって、たとえ段数を増やしても、それが大
 気圏外へと運びあげることのできる重量はたかが知れていた。
・だが、期待のアトラスはいまだに未完成なシステムだった。無人のマーキュリー宇宙機
 を載せて発射されたアトラスは、エンジン点火指令が送られると同時に爆発し、粉々に
 吹き飛んだ。さまざまな技術的問題が解決されるまで、これが使い物にならないことは
 明らかだった。 
・フォン・ブラウンとNASAは妥協した。まず、弾道飛行を目指すことにしたのだった。
 たとえ10数分の飛行であったとて、「宇宙旅行」であることには、変わりがない。
 こうしてマーキュリー計画の第一段階が実働した。
・実のところ、妥協してさえ計画は順調に進まなかった。エンジン点火指令が送られると
 同時に、宇宙機の先に取り付けられた脱出用ロケットが作動してしまう珍事すら発生し
 た。 
・1961年、宇宙とミサイルについてのソヴィエトとの格差解消と逆転を公約のひとつ
 として選挙戦を勝ち抜き、第35代合衆国大統領に就任した、ジョン・F・ケネディは
 フォン・ブラウンの強力な後援者だったが、それと同時に、失敗は許されないという制
 約をされに強めることになった。
・1961年4月、R7改良型のロケット・ブースター、その第一段が点火された。すべ
 てのブースターが役目を終えて切り離されたのは発射から14分後。そのときには、ブ
 ースターによって得たエネルギーで、ヴォストーク1号と名付けられた有人宇宙機は地
 球周回軌道に乗っていた。そして、1時間48分のあいだただ一人でそこを支配した
 ガーリン
は、地球の美しさについて述べたあまりに有名な言葉を下界へと送信した。
 
・意外に思われるかもしれないが、合衆国空軍は第二次大戦が終わった何年か後になって
 も、いわゆる長射程弾道弾を有効な装備とはみなしていなかった。
・たとえ、どれほど大きな威力を持っていようと、まとまった数を生産できないほど価格
 が高くては意味がない。先進的な技術を採用した結果としての高性能を有していても、
 それゆえに故障しやすいようでは、やはりつかえない。
・合衆国空軍が長射程弾道弾に関して抱いていた不信とはこれだった。大洋を飛び越え、
 はるか敵国の中心部に向けて打撃を加えるべき兵器システムとして、弾道弾はあまりに
 も不安定な部分があった。
・このほかに彼らが重視したのは、一般にいう命中率に存在する問題だった。もう少し突
 っ込んで表現するならば、ある目標に対して弾道弾一発を発射した際に期待できる破壊
 能力の低さだった。頭文字を取ってSSHPと称されるこの概念はパーセンテージで表
 され、当然ながら100パーセントなどという兵器は存在しない。常に完全な状態で制
 作され完全な環境で運用され、完全な手順を踏んで使用されることなどあり得ないから
 だ。
・弾道弾の誘導方式が持つ欠点もSSHPを下げた。ほとんどの弾道弾は、ジャイロ・ス
 コープで方位を、加速度計で飛距離と速度を測定・計算しつつ飛行コースを修正して
 ゆく慣性誘導を採用していたが、その誘導方式には飛行時間が長くなればなるほど誤差
 が増大するという欠点があった。
・合衆空軍にいわせるならば、SSHPが低すぎた。
・ケネディ政権成立後、何が何でも全面報復という従来の隊長報復戦略にかわり、敵が使
 用した兵器に合わせた兵器で報復を行う、通常兵器には通常兵器で、戦術反応弾には戦
 術反応弾で、エスカレーションの概念を取り入れた柔軟反応戦略が採用されたため、
 SSHPの低さはさらに問題となった。
・弾頭の運搬体たるロケット・ブースターはあてにならず、うまく飛んでも効果を発揮す
 るかどうかわからない。これでは信用できるはずがなかった。
・合衆国空軍が、長射程弾道弾を必ずしも重視しなかった理由は、こうした要素がからみ
 あい、そこに従来の兵器、戦略爆撃機という空軍の既得権が影響を与えたからだった。
 彼らは長射程有翼ミサイルや、爆撃機を手放そうとしなかった。V1の発展型ともいう
 べき長射程有翼ミサイルは弾道弾よりSSHPが高いとされていた。
・古典的な戦争目的とは、戦勝国が、そこから何らかの利益を得ることだ。敵国が本当に
 滅びてしまったのでは意味がない。ローマがカルタゴを滅ぼしたように、長期的に、段
 階的な手順をもってそれを行うのならまた別だが、事態の展開が急速になっている20
 世紀で、それを行うことは不可能といってよい。
・こうした意味において、ただひたすら大威力の兵器をもとめる人々は、究極の反戦主義
 者ともいえる。彼らは、戦争の意味を消失させるほどの兵器をつくり出すことで、戦争
 に備えているつもりになっているからだ。
・そしてもちろん、軍人たちは反戦主義者ではない。戦争を嫌い、おそれてはいるが、そ
 れが現実となったときに誰が戦うべきであるのかは心得ている。彼らの信じる軍事戦略
 上の戦争目的とは、なるべく味方の損害を少なくおさえて、敵国の戦意を早期に喪失さ
 せることだ。  
・軍人たちの考える敵国から戦意を奪う単純な方法とは、彼らの軍事力を無力化してしま
 うことだ。より小さなレベルでいえば、軍事力を運用する組織、指揮機能と、もっとも
 強大と思われる戦力、を機能できなくすることである。
・いたずらに威力の大きな反応兵器は、周辺の都市その他、壊す意味のない、いや、戦争
 目的からいえば残っていなければ困るものまで吹き飛ばしてしまう。これは往々にして
 敵国を逆上させ、無意味な戦争を拡大に走らせる結果をまねく。つまり、反応兵器は、
 目標を一撃で破壊できるだけの威力を持っていればよい。それならば、あてにならない
 弾道弾より戦略爆撃機のほうがよほどましだった。 
・ただし、戦略爆撃機重視論にも多少のあやしさはあった。はたしてそれがソヴィエトの
 防空網を突破できるものかどうか、疑問が持たれたのだ。
・合衆国はこれに搭載兵器の変更で対抗した。敵の迎撃圏外から発射できるスタンド・オ
 フ・ミサイル、長射程空対地誘導弾を開発したのだった。1959年に実戦配備の始ま
 ったGAM77ハウンド・ドッグなどがそれだ。
・興味深い点は、このハウンド・ドッグの誘導方式があやしげなものとされた慣性誘導で
 あったことだが、誰もその点を批判しなかった。弾道弾に比べて飛行距離が短いため、
 誤差が小さくてすむという理由もあっただろうが、軍隊もまた政治的存在であることを
 証明するような話であった。
   
・1961年6月、北崎重工業株式会社代表取締役社長北崎望は、彼らの部下たちが、二
 段式空中発射型宇宙ロケットRA01の発射実験に成功したことを発表した。到達高度
 285キロは、もちろん大気圏外だった。この数字は、地球軌道型到達まではいまだほ
 ど遠いものの、高層観測用ロケットとしては、そして一企業が開発した試作品としては
 きわめて満足のゆくものだった。
・報道各社をまねき、RA01の実物まで公開した御披露目だったにもかかわらず、反応
 ははかばかしくなかった。 
・数ヶ月前、東京大学生産技術研究所が、秋田県道川海岸の射場から、カッパ9L型を打
 ち上げ、到達高度350キロを記録していたからだった。いったい、私企業が何を考え
 て性能の低いものをあえて打ち上げるのか、そう質問した記者すらあった。
・RA01は慣性誘導装置を搭載し、液体燃料ロケット・ブースターを使用していた。そ
 して、打ち上げ費用はカッパ・シリーズを試験段階で大きく下まわっていた。誘導、液
 体燃料ロケット・エンジン、費用。それらはいずれも、日本のロケット開発のネックと
 されている技術ばかりだった。 

日常(1962年1〜9月)
・「日本は戦争に敗北し、降伏し、占領されただけであって、植民地化されたわけではな
 い。それに、サンフランシスコ条約により、すでに国家主権は回復されている」
・「認めていない国もあるわ」
・「そうした国は、こちらがポツダム宣言受諾を通告した後も戦争行為を継続した」
・「なぜ独立国の軍隊、いえ、自衛隊ね、が外国軍の命令を受けるの?」
・「国民生活に過大な負担をかけずに国土を防衛する、そのためだね」 
・「そのために街を焼き払う練習をしているの?」
・「僕がやっているのはミサイルだよ」
・「どこかを攻撃するために」
・「いや、日本を爆撃にきた連中を撃ち落とすミサイルだ」

・原田克也陸軍中尉が日独連絡業務のためにドイツへと赴いたのは1940年末のことだ
 った。
・当初、一年ほどですむはずだったがドイツ駐在は長引いた。彼がそこにいるあいだに、
 海軍が真珠湾を奇襲し、独軍が対ソ侵攻を開始したからだった。この結果、原田は戦争
 の残りの期間のほとんどを欧州で過ごすことになった。
・「みろ、これこそが戦車と呼べるべき兵器だ」
・ベルリン郊外の陸軍兵器試験場で少佐がいった。彼は原田をともない、ドイツ陸軍が同
 盟国武官たちに公開した戦車を見学していた。
・「Y号重戦車E型ティーゲル。装甲はどうか知らんが、我々の九七式や一式などくらべ
 ものにならん」  
・「ドイツ人たちはこの戦車を何のためにつくったのだろうか」
 「自分がおたずねしたいのは、この戦車が想定している戦術的な運用環境というべきも
 のです。一見したところ、このティーゲルは機動性が高いように感じられません。機動
 性よりも砲力と防御力を重視してつくられていると表現すべきでしょうか」
・「であるならば、ドイツ人が最初に何を考えてこの戦車を開発したのであろうと」
 「運用される環境はただひとつということになります。防御戦です。いわゆる電撃戦に
 は、まったく向いていません」
・「値段が高く、生産性の低い戦車を、損耗の多い陣地突破戦闘に投入するなどという贅
 沢な真似がたびたび行えるでしょうか?」
・「ドイツ人はこの戦争に負けかけているのです。そうでなければ、防御戦闘にしか使え
 ないこのような戦車を開発するはずがありません」
・ドイツ人が優れた戦車を開発し、生産するのは彼らの戦力がそれによりかかっているか
 らだ。陸軍国であるから、それもまた当然だといえる。
・これに対して自分の祖国は、おのずと別の立場に立たざるをえないのではないか?確か
 に我々にはこんな戦車はつくれないだろう・その点に留意し、研究は進められるべきだ。
・日本のような、決して豊かとはいえない国で、あの強大な艦隊、歴史的な視点でいえば
 瞬く間につくり上げられた世界第三位の海軍を維持し、運営し、強化してゆくことがど
 れほどの重荷になることか?それに加えて、現在の日本は数百万の陸軍を保有し、それ
 に作戦行動を行わせている。 
・限られた国力、乏しい資源、強大な敵、これだけの負の要因を向こうにまわして、すべ
 てに一流であれというのは、何とも独善的な、愚かしい態度だ。
・大抵の連中は忘れているのだ。自分の祖国が重工業を手に入れてから、ほんの半世紀あ
 まりに過ぎないということを忘れているのだ。日本帝国陸軍が日露戦争以後、軍事技術
 的には二流の軍隊でありつづけた理由はそこにある。陸軍に分配される国家資源、技術
 者、物資、その他諸々、がつねに制限され、大部分は海軍にまわされてきたからだ。そ
 してそれは正しい方策だった。海軍国、いや海洋国が海軍の整備を主たる目標とするの
 はまったくもって正しい。陸軍装備が遅れているのは、ある意味で必要なのだ。
・第一次大戦後、長いあいだ空軍の保有を禁じられていたドイツは、その代用品としてロ
 ケット兵器に注目した。さびれた漁村を秘密実験場兼研究開発センターとして改造する
 には、4年の時間と5億5千マルクの巨費が必要とされた。一時期、ヒトラーの無理解
 から開発優先順位をさげられ、計画が停滞するという時期もあったが、後にV2として
 使用されるA4の研究進展、それを知ったヒトラーの変心などを受け、施設の規模、人
 員は拡大の一途をたどった。最盛期といってよい1944年には13基の試験発射台が
 長く東西に林立し、やく2万人もの人員を抱えた世界最大のロケット・センターとなっ
 ていた。原田克也がペーネミュンデを訪れたのはそうした時期のことだった。
・原田がここ数年の経験で、ドイツ人の持つ独特の性癖を嫌というほど思い知らされてい
 た。つまり、彼らは現に独裁体制のもとで戦っていながら、強烈な個人主義の持ち主で
 あるということだった。 
・当然、強烈な個人主義にはその暗黒面として独善的な部分が付随している。独善的なこ
 とにかけては人後に落ちない日本人の原田であっても、辟易することがたびたびあった。
 つまり彼らは、何もかも自分たちがもっとも優れていると考えており、他者が自分たち
 より優れている場合があるとは絶対に認めなかった。軍事技術という側面において、こ
 れは特に顕著なものがあった。ドイツ人にとっての日本とは、いまだに、サムライが奇
 声をはりあげて日本刀を振りまわしている国なのだった。
 
・「右手にありますのがペーネミュンデ第7試験発射台、いわゆるA4ロケットのもっと
 も見栄えのする実験が実施されておる場所であります」
 「あまり近づかぬほうが身のためですぞ。あれはすでにこの世に存在するアルコール中
 毒者の半分を幸福にするだけのエチル・アルコールをのみ込みつつありますからな」
・「液体水素やケロシンではなくて?」
・「それらのいずれも昨今ではとんと手に入り難くなりましてね。あれはエチル・アルコ
 ールと液体酸素を燃料にして飛びます」
・「紹介します。ヴェルナー・フォン・ブラウン教授です」
・「貴官はずいぶんと熱心に私のロケットを御覧になっておられますな、中尉」
 フォン・ブラウンが角張った顔を原田に向けた。
・「あれを見ているうちに、思い出したことがあるんです。教授」
・「聞かせていただけますか?」
・「この戦争が始まる前に読んだ何冊かの本を思い出しました」
 「あなたのロケットをもう少し大きくしたならば、そんな本に描かれていた情景を現実
 のものにできるかもしれない、そんな空想を抱きました」
・意外な発見をした表情にフォン・ブラウンはなった。
・それは宇宙へ人類を送り込めるようなものになるのではないかと」と原田はおさえた声
 でいった。
・「あなたは私の友人であるらしい。中尉」
・数時間後、名残惜しそうに原田に別れを告げたフォン・ブラウンと、いささか心配そう
 な表情を浮かべたドルンベルガーに敬礼をおくり、原田と技術少佐はペーネミュンデを
 後にした。   
 
・ロケット、あるいはミサイルというものについて、ほとんど技術的素養を持たぬ原田が
 戦後、ミサイルにかかわって、特にその非技術的側面での支援にかかわってきた理由は、
 1944年のあの一日、ペーネミュンデで見聞きした現実が直接的原因となっていた。
 フォン・ブラウンは、父親がコレクションしていた合衆国の特殊なファンタジーの情景
 を部分的に実現していたのだ。原田は中学に上がった段階で英語を読むことに不自由を
 感じなくなっていたから、高校生になって家を出るまで、それを何冊も読んだものだっ
 た。現実のA4発射を目撃したことが、彼が無意識のうちに自分へ施していたすり込み
 を表面化させた。そう考えるべきかもしれなかった。
 
・「爆撃機に積み込んで高空へ持ってゆくというのは悪くない考え方だ。その点では、連
 中、合衆国よりも進んでいる」
・「合衆国は、地上から打ち上げることばかり考えているからね」
・「もしかしたら彼らは、東大の学者たちより先に衛星の打つ上げに成功するかも。科学
 技術庁はすでに目をつけている。宇宙開発推進委員会は、北崎を取り込もうと必死だよ。
 連中は国の後ろ盾と予算を持っている。だが、技術がない。何を開発すべきかというこ
 とすらわからない。糸川英夫のような指導的人物もいない、加えて、東大と喧嘩までし
 ている」

・屋代幸男が丸ノ内のはずれに本社ビルを持つ小さな商事会社に就職したのは去年の春の
 ことだった。
・駅に置かれているTVは、午前中に航空機事故があったことを伝えていた。自衛隊機が
 民家に墜落、死者3名、重軽傷者3名の被害を出していた。マスコミは、パイロットは
 なぜ海上に離脱するまで機体を維持できなかったのか、その点に問題が感じられると伝
 えた。
・幸男は、航空雑誌の熱心な読者であったから、航空機事故について、その種の日常的な
 意識での論評がまったく意味を持たぬこと、場合によっては真実を覆い隠す傾向すらあ
 ることを理解していた。確かに、墜落した自衛隊機によって命を奪われた人々、その瞬
 間まで、何の疑問もなしに続けられていた日常を失ってしまった人々の不行には同情を
 禁じ得ない。自衛隊の責任も追及されなければならない。また、国家が彼らに対して補
 償を行うべきだとも思った。 
・しかし、事故を引き起こした故にそれを一般の自衛隊問題に連結して批判することには
 まったく賛成できなかった。権利のみを愛する人々にありがちな無責任さを象徴する態
 度だった。まずは事故を調査し、その原因を究明し、そのうえで責任の所在を明らかに
 し、問題点を改善する。その他のすべてはそれからのことだった。
 
・コロリョフの主導するソヴィエトの宇宙計画は、合衆国のそれに対する優位を維持し続
 けている。8月には2基のヴォストークが打ち上げられる予定だった。ヴォストーク3
 号、4号と呼ばれるであろう2基の宇宙機は、一日あたり一機という間隔で打ち上げら
 れ、軌道上で編隊飛行を行うことになっていた。感覚をあけて打ち上げられた宇宙機が
 軌道上でランデヴー可能なこと、その実証はソヴィエトが予定している将来の宇宙計画
 にとっての安心材料となるはずだった。
・首相執務室に過剰な装飾は施されていなかった。人間的な精力にあふれている目を持ち、
 独特のユーモア感覚を有しているこの部屋の持ち主は、その心根においていかにもロシ
 ア的な人物だった。ソヴィエト連邦首相ニキータ・フルシチョフは、政治的ライヴァル
 を何人も排除して権力の階段を登りつめたのちも、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世
 の即位と同時に生まれた鉱山労働者の息子としての資質を失っていなかった。
・確かに、泥棒で、臆病で、大食らいで、嘘吐き、というフォルスタッフ的要素はフルシ
 チョフの人格の一部に存在した。だが、コロリョフに言わせるならば、政治家とは皆同
 じようなものだった。  
・コロリョフのみるところ、フルシチョフとは複雑という形容では表現しきれない要素を
 併せ持った支配者だった。
・「今日は、君に正直になってもらわなければならん」
 「君の得意分野の話だ。軍用ロケットをどれだけ増産できるものか、それについて意見
 を聞かせてもらいたい」
・「しかし、そのようなことは工場の連中にたずねればわかることでは?」
・「連中は真実を言わん」
 「我々には、どの程度のロケット量産が可能なのか?モスクワからワシントンに届くよ
 うなロケットだ」
・「月産数基というところでしょう」
 「多くても、5基は越えません。さらに、そのうち確実に飛ぶものは2基程度でしょう
 か。いまのところ、何メガトンもの威力を持つ反応弾頭を運搬できるロケットは、工業
 製品というより芸術品なのです。あるいは、固体燃料、つまり、火薬、で飛ぶ大型ロケ
 ットが実用化されたならば、事情はかわるかもしれませんが、それにしても、信頼性を
 得るにはかなる苦労せねばならないでしょう」
・「どれほどあれば実用化できるのだ?」
・「おそらく、最短でも10年、悪い場合はその倍は必要となるでしょう」
・「我々はロケット技術で優越しているのではなかったのか?」
・「問題は制御なのです」
 「一度反応させてしまった火薬の燃え具合をあやつるのはきわめて困難な技術といえま
 す」 
カチューシャも君のいう固体燃料だったはずだが」
・「カチューシャは精密誘導を必要としません。あれは、数ですべてを包み込み、押し潰
 してしまうロケットです。これに対して、現在我々が扱っているものは、8千キロ彼方
 の百メートルの円内に、発射されたうちの半数が落下せねばならない新時代の兵器なの
 です。ある意味で、ロケットそのものの推力よりも、その推力を制御する技術のほうが
 重要になります」
・「それについてはいささかの進展がみられたのではなかったか?参謀本部情報部がチト
 ーから手にじれたとかいう日本製の」 
・「あれは我が国では実用化するには、さまざまな問題がありました」
・フルシチョフが口に出したのは、ユーゴスラヴィアが”科学研究”用と称して日本から買
 い付けたカッパ6型ロケットのことだった。本来、ソヴィエトが注目すべき対象ではな
 い。彼らは、より大型のロケットを実用化している。この小さなカッパ6型にソヴィエ
 トが価値を見いだし、ユーゴスラヴィアを通じて現物の入手と調査をおこなった理由は、
 追跡レーダーと使用燃料に興味が抱かれたためだった。ただ、この日、フルシチョフが
 コロリョフにたずねたのは、追跡レーダーではなく、カッパ6型ロケット、特にその固
 体燃料についてだった。
・固体燃料、つまり火薬を用いるロケット・エンジンの有効性は、ほとんど常識論の範囲
 におさまる。単純な構造にできるため、安全性、経済性、の面で液体燃料ロケット・エ
 ンジンに対して圧倒的な優位を有しているシステムだった。
・軍用ロケット、ICBMは、命令あり次第発射というのが理想であることはいうまでも
 ない。このためには、ロケット内部へ常に燃料を充填しておける固体燃料の優位はあき
 らかだった。ソヴィエトで問題となったのは、その固体燃料についてだった。彼らは、
 大型ロケットに適した固体燃料の開発に苦労していた。
・固体燃料には大きくわけて二種類が存在する。ダブルベース毛糸コンポジット系だ。前
 者はニトロセルロースとニトログリセリンを主成分として混合したもので、酸化剤と推
 進剤が同じ分子の中に存在している。ダブルベース系には欠点があった。熱や圧力が加
 えられた環境では圧伸がおこるため、大型ロケット用燃料として使用できないのだった。
・このため、ある程度以上の大きさの固体燃料ロケットでは、コンポジット系を使用する
 ことになる。酸化剤として過塩素酸アンモニウム、推進剤として合成ゴムがおもに用い
 られる。燃焼温度の上昇によって推力を高めるため、全重量の16パーセントものアル
 ミニウムを混合する場合もある。
・コンポジット系固体燃料は、その酸化剤と推進剤が別の物質であるという性質上、燃料
 としての混ぜ合わせ方が難しい。たとえばどこかに気泡や割れ目が存在しただけでも、
 燃料はまともに反応しなくなってしまう。強度の面でも問題が出てくる。
・「我が国は最初の人工衛星を送り出し、最初の有人宇宙機打ち上げにも成功した。とな
 れば、月に人間を送り込むのも最初でなければならん。合衆国が、例のドイツ人に予算
 と人材を与え、月ロケットの開発を任せている現状では特に重視すべき問題だ」
・「我々はまず無人探査機による探査を行います。これにはR7改良型のブースターを用
 いる予定です。月計画そのものには、非対称ジメチルヒドラジンを推進剤に用いた超大
 型ロケット・ブースターを用います。これは将来的に、100メガトン級の大威力反応
 弾頭、融合弾頭の運搬にも使用できるでしょう」
 
・まったくゼロから始めようとしている科学技術庁のロケット開発、それには三つの選択
 肢があった。
 ・東大と協力する
 ・外国技術を導入する
 ・新たに国産技術を開発する
 の三つだ。
・最初の選択肢はもちろん論外。宇宙開発において、これかでどおり、東大、ひいては文
 部省の優位を認めることになるからだ。科学技術庁には、文部省の風下に立つつもりな
 ど毛頭ない。
・二番目の選択肢は、つまり、合衆国の技術を導入するということになるが、これも問題
 はあった。国産技術の発展がひどく遅れることになるのは目にみえているからだ。日本
 で液体燃料ロケット開発競争の先頭にいる黒木も、その点の不安は理解できた。しかし、
 大もとの技術面での初期開発リスクを持たないものが導入されるという無力には抗しが
 たい部分がある。
・三番目の選択肢は、いうまでもなく、もっとも困難な道だった。まず、科学技術庁独自
 で、という選択は自殺行為に近い、彼らは何も持っていない。となれば、企業と協力し
 て、ということになる。ではどの企業と?北崎しかなかった。というより、黒木のみが、
 いまだに画餅に等しい科学技術庁の計画を現実へとかえる力を持っていた。
・糸川英夫がこれまで手動してき日本のロケット開発を、自分の手に奪い取ろうとしてい
 る。その自信はあった。糸川は確かに行動力にあふれた天才だが、それゆえに敵が多す
 ぎる。ロケットのためには手段を選ばないというその行動と、天性の目立ちがりという
 性格が災いして、東大の中でさえ、数多くの敵をつくり出していた。学者は、注目され
 過ぎる同類を嫌うものなのだ。俺とあいつとどこが違うのだ、という意識の裏返しとし
 て、彼らはあまりにも目立つ同類を批判する。あれは学者ではない、と。
・これに対して、黒木には北崎重工というバックがあった。加えて、国家機関による宇宙
 開発、それを早期に現実のものとせねばならない科学技術庁も彼を支援せざるをえない。
 国家事業という性格からいって、ひとたびそれが動きはじめた後は、滅多なことで過ち
 を認めるわけにはいかない。つまり、黒木が最初に実権を握ってしまえば、少なくとも
 10年、うまくいけばその倍は好き勝手ができることになる。本来、頭がよく、非常に
 高度な教育を受けているはずの官僚たちとうまくつき合うことさえできるなら、それは
 決して不可能ではない。  
・ユングは、人間の性質について次のように述べた。
 「閉鎖された社会に参加すると、どれほど優秀な人物でも、巨大な石頭になる」
 日本の官僚たちはその実例だ。彼らは、個人として出会った場合、素直に感心してしま
 うほど優れた人物の場合が少なくない。ところが、その彼らがつくり上げている組織の
 行動は、ときに、信じがたいほどに愚かなものとなる。
・黒木はその欠点を徹底的に利用するつもりだった。利潤という絶対的な基準を持った大
 企業の切れ者相手なら難しいかもしれないが、自分の所属する官庁の縄張りを本能的に
 守ろうとする官僚の場合、それなりのつき合い方があるはずだった。
・黒木は、自分の能力の限界を知っていた。たとえば彼は、天才的な理論家でも、技術者
 でもない。その才能は、おもに可能性を現実へと誘導する過程において発揮された。礼
 儀を知らぬようでありながら、彼には、いつのまにか全体の調整をとってしまうという
 能力があった。組織者としての才能というべきかもしれなかった。  
・糸川英夫のように、ツィオルコフスキー、ゴダード、ドルベルガー、フォン・ブラウン
 といった人々の役割を、一人で果たそうとは思わなかった。裕福とはいえない環境で育
 った彼は、日本のような国で、その種の人物が受け入れられないこと、それどころか排
 除される傾向にあることをよく知っていた。

発射命令(破局の日)
・破局は、誰もが予想したような形で始まらなかった。それは劇的でもなければ、納得で
 きる手順を踏んでもいなかった。どちらかといえば、すべての人々が状況をつかみきれ
 なくなったために引き起こされたのだった。
・「連中、本気だ」
 「やる気だ。ケネディが決断した。日本中の基地でデフコン2が出ている。こっちもつ
 き合わざるをえん。海のほうでも何か始めたらしい。沖縄も妙だ」
・日米安保体制とは、合衆国の軍事力によって日本の安全保障をおこなうシステムだと説
 明される場合が多い。しかし、その実態は、特に緊急時は、別の姿が明らかになる。そ
 れは、日本を合衆国の安全保障の材料として組み込むことで、日本の安全を確保すると
 いうシステムだったのだ。そこから生じるリスクと利益を考えた場合、非常に合理的な
 取引といってよかった。日本は、滅多に発生しない緊急事態を除き、合衆国が世界規模
 で展開する戦力によって経済活動の安全を確保されるからだ。
・だが、現在のような情勢の場合、あえて受け入れたリスクがさまざまな問題を引き起こ
 す。一例をあげるならば、ほとんど誰も知らぬうちに、合衆国軍に合わせ、自衛隊の戦
 闘準備態勢が整えられてしまうということがあげられる。
・ケネディは、キューバに配備された反応弾頭ミサイルの排除、空爆と上陸作戦によるキ
 ューバ侵攻を決定した。戦力は、いうまでもなく合衆国側が圧倒的に優位にあり、電撃
 的な勝利が可能、そう考えたに違いない。
・ケネディは、短期間のうちにキューバを失えば、ソヴィエトは外交的な批判以外、何も
 行うまいと判断した。 
・ケネディにキューバ侵攻という決断を下させたのは、ようやくのことで実用の域に達し
 つつある偵察衛星がもたらした写真情報と、西側がソヴィエト軍部に持っていたもっと
 も貴重な”資源”、参謀本部情報部のオレグ・ペンコフスキー大佐が流したソヴィエト
 軍事力の詳細な情報だった。
・それらは、貴重な真実をケネディに教えた。コロナ偵察衛星は、ソヴィエトのICBM
 がこれまでの予想していた数よりはるかに少ないことを証明した。ペンコフスキーのも
 たらした情報は、キューバ問題について恫喝的な発表を繰り返すフルシチョフが、実際
 のところ、軍をまともな準備態勢においていないことを伝えていた。
・ケネディは正しい判断を下しているのか?どうもあやしげなところがある。
・確かに、ケネディに伝えられた情報、そのほとんどのすべてが真実だった。と同時に、
 真実の一端を示しているにすぎなかった。コロナ衛星はソヴィエトが配備したICBM
 すべてを撮影できたわけではなかった。ペンコフスキーもすべての文書に目を通すこと
 はできなかった。さらには、ソヴィエトがここ数年で建造した弾頭弾搭載潜水艦がどれ
 だけ海に出ているかもわからなかった。
・たとえば、ソヴィエトが120基のICBMを実戦配備していることを彼らは知らなか
 った。フルシチョフが戦略ロケット軍さえ高度な準備状態においておけば、いかなる状
 況にも対処できると信じていたことも知らなかった。ソヴィエト海軍が、30隻近い
 SSBを出撃させていたこともつかんでいなかった。
・どうも信用できない、と原田は思った。だいたい、合衆国とは、競争相手のドクトリン
 を根本から誤解し続けてきた国ではないか。これは、歴史上の大国が必ず有していた一
 種の中華思想に起因するものだ。つまり、彼らもまた大国であるかぎりは、我々と同様
 に考えるだろう、という発想だ。
・合衆国という国は、この種の意識が特に強い。彼らは、自分たちの正しさを信じている。
 このため、地球上の全国家が、自分たちと同じ判断基準を持っているものと考えがちに
 なる。 
・彼らが打ち出す対外政策はすべて、このような意識から決定されている。彼らは彼らな
 りに綿密な分析をおこない、方針を決定する。こちらはこうしたのだから、我々と同様
 に考えるはずの相手はこのように対応するはずだ、と考え、それを実行に移す。自分た
 ちがゲームをしかける相手が、自分とは生まれも育ちも違い、それゆえに物の見方も違
 っているとは絶対に考えない。
・今回、ジョン・F.ケネディがホワイトハウスで下した決定も、合衆国が過去に下して
 きた判断とさしてかわるところはない。彼ら誤った世界観によって導かれた決断である
 可能性が、大いにある。
・特に、ソヴィエトの軍事ドクトリンに関する認識があやしい。柔軟反応戦略が採用され
 て以来、合衆国はソヴィエトとの戦争が”エスカレーション”するものと信じている。
 エスカレーション。用語を初めて教えられて以来、原田は不思議に思っていた。
・確かに、合衆国がそう考えている、と主張するのは彼らの自由だ。しかし、ソヴィエト
 が同じように第三次世界大戦を戦う腹づもりだという証拠はどこにあるのだ?
・原田は、陸軍士官学校にいたころ、陸軍の主敵とされていたロシア人についてあれこれ
 と教育を受けた。そこから得た彼の認識によれば、ソヴィエトの軍事ドクトリンに、エ
 スカレーションという概念は存在していない。ロシア人の伝統的な発想からいってそれ
 はあり得なかった。  
・ロシアは、伝統的に砲兵を重視してきた国だ。その運用の基本は、目標に向けて、短時
 間のうちに、どれだけ多量の砲弾を送り込めるかにある。
・当然、味方の損害を抑えるためには、敵より先に撃ってしまうことが望ましい。彼らは、
 過去のあらゆる戦争で、その実現に努力してきた。
・ロシア人は、もっと強大は破壊力を持つ兵器、ICBMを、もっとも強力な砲兵として
 認識しているはずだった。つまり、そのもっとも効果的な用法は、先制全面攻撃という
 ことになる。先制と集中。ロシア人は彼らの信奉するその二つの要素を、反応兵器にお
 いても実現しようと考えているはずだった。  
・そしてロシア人たちは、合衆国もまた、自分たちと同様の判断をおこなっている、まち
 がいなくそう考えている。合衆国と同様の、大国としての独善が彼らにそう考えさせて
 いる。
・当然、ケネディの唱えるエスカレーションなど、欺瞞に過ぎないと決めつけている。相
 手の使用する兵器に合わせて、自分の側も用いる兵器や兵力を強化してゆく、という柔
 軟反応戦略は、彼らにいわせるならば、まったくの絵空事だ。戦争がただ長引くだけの
 結果に終わりかねないからだ。
・ソヴィエトは、合衆国が自分たちの勢力圏に手を出した瞬間、反応兵器全面使用に踏み
 切るつもりだ。そしてもちろん、キューバは彼らの勢力圏内に存在している。
・あまりにも巨大な国同士の対立、そしておそらく、不可避の全面反応兵器戦。日本が、
 自衛隊がそこで何かを行うことなど不可能といってよい。おそらくこのまま、ただ恐怖
 におびえ、ソヴィエトの弾道弾、その弾頭がノーズコーンを赤く輝かせつつ落下してく
 る瞬間を待つほかない。日本には、弾道弾を迎撃する戦力はないし、攻撃を手控えさせ
 る戦力もない。この列島は、第三次世界大戦において単なる標的にすぎない。
・原田は自分の腹の底にわいてきた考えに笑い出しそうになった。日本が現在の苦境を回
 避し得た選択肢はただひとつだけであることに気づいたからだ。独自で大規模な反応兵
 器戦力を保有し、米ソ双方の安易な対立の抑止力を果たすこと。つまり、日本が自らの
 望むかたちの平和を達成するには、地球上のすべての国家がこの国の力でねじふせられ
 ていなければならないのだった。 

・大統領によって対キューバ侵攻が決断され、合衆国軍は行動を開始した。
・合衆国の戦力は圧倒的だった。
・合衆国軍の行動は、世界最強を自称するにたる、完璧なものだった。それもそのはず、
 彼らは「サバタ作戦(ピッグス湾事件)」「マングース作戦」の失敗と中止を受け、有
 事想定のひとつとして研究されてきた「エクスレイ作戦計画」にしたがって行動して
 いた。それは、キューバ問題で成果をあげたためしのないケネディ政権が、それを一挙
 に解決する方策、その選択肢のひとつとして考えていた全面侵攻計画だった。
・10月、大統領命令に従って行動を開始した全兵力が所定地点への終結を完了した。誰
 もが、48時間以内にキューバ、そこに存在する反応兵器は消滅するであろうと考えて
 いた。その中には、目標から2千2百キロの海中に潜む9隻の反応推進型弾道弾搭載潜
 水艦も含まれている。
・一方、ソヴィエトも臨戦態勢を完成していた。フルシチョフの政策にもとづき、地上部
 隊は東欧に置かれたものだけが動員されたにすぎなかったが、反応兵器を運用する戦略
 ロケット軍、長距離空軍、前線航空軍、そして海軍潜水艦隊はその全力に動員がかけら
 れた。  
・フルシチョフは、彼が有する反応兵器戦力のほとんどすべてをキューバ問題についての
 最終的カードとして手元に握った。ただし、フルシチョフにとってちょっと頭痛の種と
 なったのは、IRBM及びMRBMの配置を変更しなければならなかったことだった。
 彼は増産されたものをキューバへ持ち込もうとしたが、それは、コロリョフによって否
 定された。このため、もっとも戦略的重要度が低いと判断された正面、日本を目標とし
 て配置されていたIRBMとMBBMをキューバへとふり向ける必要が発生した。
・彼はそれを実行した。その代り、日本へは、合衆国を狙うはずだった弾道弾搭載潜水艦
 のうち1隻を割りふった。潜水艦から発射される弾道弾は命中精度が悪いが、その代わ
 り、弾頭威力が大きくなっている。日本に関する限り、フルシチョフはそれを最初から
 用い、合衆国軍の基地ともども東京周辺を絶滅させることとした。合衆国がキューバを
 叩くのと引き替えのつもりだった。
 
・海上自衛隊大湊地方隊の第5駆潜隊に所属する「うみたか」と「おおたか」は、徐々に
 陣容を整えつつある海自対潜艦艇群の中でも特殊な位置づけをなされるべき新鋭艦だっ
 た。彼女たちにおいて評価されるべきことは、おそらく日本の戦闘艦艇としてはじめて、
 居住性の改善を目的とした排水量の増加が行われたことだった。
・「うみたか」は、駆潜隊を編成している「おおたか」とともに、津軽海峡を航行中だっ
 た。津軽海峡と日本海が接する海域で不審な磁気異常を探知したとの通報が、八戸基地
 から発進した第二航空群のP2V7対潜哨戒機から入ったのだった。
・「うみたか」艦長の倉田康平三佐は、海防艦乗組の海軍中尉として敗戦を迎えた。彼の
 商売はそのころから水雷で、潜水艦だけをひたすら追いかけてきた。日本帝国は、機雷
 と潜水艦によって海洋通商路を破壊され、崩壊した、彼はそう考えていた。戦略爆撃機、
 反応兵器といったものは、機雷と潜水艦によって生じた破局を目に見えるかたちで示し
 たにすぎない。
・数年前、当時の合衆国太平洋艦隊司令官だったチェスター・ミニッツ元帥は、回想録の
 中で、戦略爆撃機も反応兵器も、日本に対する勝利には必要はなかったと主張していた。
 それらは一般に市民をいたずらに傷つけ、街を破壊するが、目に見えるほどの現実的効
 果があるわけではない。反応兵器についても、ミニッツは使用に賛成していなかった。
 
・倉田は自分が現在遂行している任務の難しさについて、はっきりとした緊張と、いくら
 かの恐怖をおぼえる。これが、通常の不明水中目標、つまりソヴィエト太平洋艦隊の潜
 水艦を追いかける任務であれば、どうということはない。向こうが、日本領海付近での
 行動を諦めるまで、刺戟し過ぎない程度の距離をあけつつ追尾を続ければよい。しかし、
 今日は普段と状況が異なっている。世界は緊張に満ち、第三次世界大戦の勃発はいつか
 と固唾をのんでいる。
・ここ数日のあいだに、超大国の兵力展開に呼応し、自衛隊も高度な作戦準備態勢に入っ
 ていた。海自は空自ほど素直ではないから、デフコンで直接的な指示を行うことはしな
 い。だが、実際にはいつでも戦闘を開始できる準備を整えている。「うみたか」と「お
 おたか」も、弾庫は実弾でいっぱいだった。上空を飛行しているP2V7も、Mk34
 対潜誘導魚雷とロケット弾を搭載しているはずだった。
 
・すべては艦隊司令部の滅茶苦茶な命令変更ゆえんだ、アレクセイ・フェドロヴィッチ・
 コーズレフ中佐は腹の底でそう毒づいた。彼の指揮する潜水艦の発令所は、唾をのみ下
 すことすらはばかえるほどの静寂に支配されている。
・コーズレフの指揮する弾道弾搭載潜水艦に搭載されている弾道弾は、なんとも不気味な
 代物だった。それは、まともな固体燃料を開発できないソヴィエトの現状が生み出した
 もの、液体燃料ロケット・エンジンを使用しているからだ。つまり、それを発射するに
 は、艦内でケロシンと液体酸素を充填しなければならない。いうまでもなく危険きわま
 りなかった。静電気の火花がひとつ発生しただけで爆沈してしまうことを意味している
 からだ。
・実際に発射するとなると、我が国の弾道弾潜水艦の何割かは事故によって爆沈するさだ
 めではないか、コーズレフはそう考えていた。

・「海面付近に不明音響発生」とソナー員が報告した。
・「同志艦長」と顔面が青く引きつってしまった政治将校がたずねた。彼の声は、潜水艦
 の、敵に発見されかけている潜水艦の艦内で発するにはあまりにも大きすぎる声だった。
・「声を抑えたまえ、同志政治将校」とコーズレフは低く、小さく、そう言った。軍艦に
 乗り込んだ政治将校は艦長と同格、実際は艦長以上の権限を持っていたため、はっきり
 と命令することができないのだった。 
・「ヴェルチンスキー」が日本人に発見されたのは、コーズレフの命じたシュノーケル航
 行に原因があった。指令塔上から望遠鏡のようにして水面に突き出されたディーゼル吸
 排気筒が、敵哨戒機の水上捜索レーダーに探知されてしまったのだ。
・だがそれも、もとはといえば無理な命令変更のおかげだ、とコーズレフは思った。本来、
 北米のどこかを攻撃する任務が与えられていた「ヴェルチンスキー」。それが2週間前
 になって急に日本近海での隠密行動へ任務を変更された。そのときすでに「ヴェルチン
 スキー」は洋上にあり、合衆国西海岸へ航行している途中だった。
・指定された期日までに待機位置へ進出するため、コーズレフはかなり無理な航行を行わ
 なければならなかった。日本の対潜機が監視している海域でのシュノーケル航行も、そ
 の無理のひとつとして、危険を承知で行ったものだ。
・「このままでは、非常命令8項を実施せざるを得なくなるぞ」と政治将校が噛みつくよ
 うに言った。 
・弾道弾搭載潜水艦は、その任務の性格上、他の艦艇とは異なるさまざまな行動規則が定
 められている。そしてそれらはすべて、”非常命令”と大きく記された命令書のかたち
 で、出撃のたびに艦長と政治将校に手渡される。
・その内容は、できることなら絶対に陥りたくない事態、それが発生した場合にとるべき
 行動の羅列だった。
 ・第1項:指揮官はいかなる場合においても非常命令を遵守すべし
 ・第3項:非友好国領海内において航行不能に陥りたる場合、当該非友好国に対する攻
      撃命令の有無を確認せよ。攻撃命令なき場合、艦長は政治将校と共同し、艦
      に搭載されたもっとも強力な兵装を自爆装置として使用し、艦を自沈せしめ
      ること。この措置は乗務員脱出より優先せられるものとす。
 ・第6項:非友好国領海内で攻撃を受け、脱出が可能であると判断される場合、自衛戦
      闘を実施すべし。
 ・第8項:攻撃命令を受領したる非友好国海面で発見・攻撃を受けた場合、ただちに命
      令書及び目標地図に記載された攻撃目標へ最大規模の攻撃を実施すべし。
・どうやら日本人は、彼の「ヴェルチンスキー」を包囲するつもりらしかった。コーズレ
 フは現状が非常命令第6項に該当するものと捉えていた。だが政治将校は、第8項のほ
 うを相変わらず重視している。
・何とか逃げ出すことができれば、コーズレフは思った。だが、彼はこの付近の海域で待
 機せよという命令を受けているし、基本的には大して優れた性能を持っているわけでは
 ないディーゼル・電池推進潜水艦の「ヴェルチンスキー」は、対潜機や水上艦の追跡を
 ふり切るほどの高速力を発揮できるわけではない。
・「非常命令第8項の実行を考慮すべきだ、同志艦長」
・「いや、現状では早計だ」
・コーズレフは首をふった。遅すぎる。彼に言わせるならば、非常命令第8項には根本的
 な矛盾があった。 
・液体燃料弾道弾の発射は、命令あり次第直ちに行えるものではない。普通は危険を避け
 るために空にされている弾道弾のタンクに、酸化剤と推進剤を充填した後に、はじめて
 発射が可能となる。ソヴィエト海軍では、弾道弾に関するその種の作業を、15分で行
 うように訓令を施していた。
・15分は、あまりに長い時間だ。コーズレフはそう思っていた。敵艦に探知された後の
 15分。それも、二つの危険な液体を流し込むあいだ。回避運動は行えない。おそらく、
 発射態勢を整える以前に撃沈されるか、爆沈するはめになる。そうした意味において、
 非常命令第8項は、軍隊にありがちな、実行不可能な命令なのだった。
   
・どうすべきなのだと、倉田は思った。発見するまではいつものとおり。で、発見した後
 はどうする。アクティブ音響を浴びせ続ける。それも可能だ。いや、問題はこちらの行
 動ではない。不明水中目標、ロシア人の潜水艦が逃げ出さない場合、こちらは何をなす
 べきなのだ。たとえば、爆雷で威嚇攻撃し、どこか浅海面へと追いつめ、行動の自由を
 奪って強制浮上させ、拿捕すべきなのか。  

・コーズレフはあがき続けていた。彼は「ヴェルチンスキー」を変温層の下へ潜り込ませ、
 何とか日本人の追尾をかわそうとした。しかし、うまくゆかない。ある程度の速度を出
 すたびに発音弾の音響がどこからか響いてくる。
・現状は第6項に該当する。それ以外にあてはまるものはない。彼はそう判断し、準備を
 命じた。  
・「水雷戦用意。一番発射管は事前調定。二番発射管、音響ホーミング」
・「攻撃をかけるのか?」顔面をさらにひきつらせて政治将校はたずねた。
・「すぐに、ではない。非常命令の実行は、限界まで控える」

・倉田はとるべき行動について地方隊総監部へ問い合わせていた。
・「威嚇のみ許可、だと?」
 総監部から伝えられた命令を受取った倉田は呆れたようにつぶやいた。
・誰も困惑し、怖がっているのだ、彼はそう思った。みな、第三次世界大戦の引き金を引
 くことを恐れている。それにしても、威嚇のみ許可とは。潜水艦がその威嚇に従わなか
 った場合、どうするのだ。 
・おそらくは、弾道弾を搭載した潜水艦であるに違いない。そうでなければ、これほどし
 つこくこの海域に固執するはずがない。潜水艦の持っている発射データがこのあたりの
 ものしかないことがその理由だろう。ほかの海域では、弾道弾にどんなデータを入力し
 てよいかわからないのだ。 
・この潜水艦は、日本を狙うべく行動していたものに違いあるまい。それも命中精度の低
 い潜水艦発射弾道弾の特性から考えて、都市攻撃任務だ。 
・許し難い。倉田は決断した。だが、とりあえずは威嚇だ。もし潜水艦がそれを無視する
 ようであれば。
・P2V7から通信が入った。
 「これよりピンガー投下、不明水中目標の位置を特定する」
・「了解。威嚇攻撃許可はすでに発令。位置特定後、それを実行する」
・「対潜戦闘。爆雷の威嚇だぞ」倉田は命じた。
・「爆雷投射準備。三発。浅深度に調定」
 水雷長から応答があった。
・倉田は隊内電話で「おおたか」に呼びかけた。
 「これより威嚇爆雷攻撃を実施する。貴艦は当方をバックアップせよ」 
  
・ソナー員が叫ぶように報告した。
 「水上艦音響発振。こちらへ向かってくる!」
・「面舵一杯。一番、二番発射管注水」
  
・ソナー室から報告が響いた。
 「潜水艦は回頭中。本館に反航しつつある。発射管注水音確認」
・「やる気か」
 倉田は低くうめいた。それならそれでよい。彼の口元には奇妙な笑みが浮かんでいた。
 できることなら、先に発射してくれないだろうか、と思ったのだ。それならば、完全に
 自衛戦闘の名目が立つ。
・「総監部へ報告。不明潜水艦は発射管に注水。攻撃を受けた場合、自衛戦闘を実施する」

・「注水確認」
 コーズレフはちらりと政治将校をみつめた。彼は両眼を閉じ、何かをつぶやいていた。
・「発射管前扉解放」 
・「一番発射」
 
・ソナー員が報告した。
 「不明潜水艦魚雷発射!左舷前方より本艦に向かう」
・「取舵一杯」 
・「うみたか」は傾斜した。間髪入れずに回避命令を出してはみたものの、その判断が正
 しいものかどうか、倉田には自信がなかった。しかし、指揮官たるもの、拙速をもって
 よしとしなければならない。
・彼は隊内電話を取り上げ、「おおたか」に伝えた。
 「不明潜水艦の攻撃を受けた。これより自衛戦闘を開始する。全兵装使用自由」

・日本艦は大きくコースを変えた。コーズレフの予想通りの行動だった。これで、しばら
 くは攻撃ができなくなるはずだ。加えて、こちらにさらしている面積も増大している。
 彼は命じた。
 「二番発射」
・二番発射管から放たれた魚雷は、音響ホーミング型だった。とは言っても、西側の潜水
 艦が採用しているような、ワイヤード・ホーミング、発射した艦のソナーからデータを
 受取って敵艦へ接近、最終段階のみ、自前のソナーを用いるという魚雷ではない。第二
 次大戦中もドイツ海軍の開発した音響追尾魚雷を改造したストレートなホーミングを行
 う魚雷だった。発射から命中まで、頭部に備えられた小型のソナーしか用いない。一定
 の海域で周回し、そのあいだに発見した目標めがけて突っ込むという能力もない。
・コーズレフが最初に無誘導で魚雷を放った理由はそれだった。対して命中の期待できな
 いそれによって、敵艦に回避行動を強い、ソナーに対する反射面積を増大させるために
 発射していた。 
  
・「潜水艦は新たな魚雷を発射」
・「畜生」
 倉田は短く毒づくと、瞬きをする間だけ思考をめぐらせる贅沢を味わった。慎重な、手
 順をふんだ攻撃などしてはいられない。
・「これより伏在海面に全速で突っ込む。やれるか?」
・「奴が本艦の右舷側、200メートル付近にいるようにしてください」  
・「面舵一杯」
・アクティブ確認。本艦に接近中」
・「ロックされたか?」
・「まだです」 
・「前進一杯」
 倉田は滅多に発せられることのない命令を発した。機関に最大出力を短時間で発生させ、
 とにかくパワーを得ることを指示している。当然、機関が壊れる可能性もあるため、よ
 ほどの場合でない限り、発することを禁じられている。
・「うみたか」は強引に海面をダッシュした。当然、それまで得ていた音響データは無意
 味になっている。相対位置は変化し続けているのに、「うみたか」は自分の航走雑音で
 まともな音が拾えなくなっているからだ。
 しかし、「うみたか」の上空には、自前のソノヴイとピンガー・ヴイで潜水艦を捕捉し
 続けているP2V7が飛行している。
・「こっちは耳が聞こえない。誘導頼む」
・「ヘッジホッグ攻撃始め」
・「敵魚雷本艦を追尾せず」
・「オオタカ回避運動。追尾された模様」
・ヘッジホッグの方位、仰角と発射間隔を、攻撃指揮装置が伝える針路と発射時期に合わ
 せて放てば、24発の対潜爆弾は広がりをもって海面に弾着、潜水艦を包み込むように
 して沈降する。 
・確率的にいえば、そのうち一発が潜水艦を直撃する可能性は決して低いものではない。
 大威力ではないが、海中に潜み、水圧を受けている潜水艦には致命的な損害を加えられ
 るはずだった。倉田はその点に疑問を持っていなかった。大戦後半、帝国海軍の潜水艦
 を次々と撃沈したのは、このヘッジホッグだったからだ。
  
・「海面付近に連続した音響が発生!」
・「命中確認はまだか」
 コーズレフはたずねた。内心に、あまりに攻撃的に行動し過ぎたか、という後悔があっ
 た。俺は、自分がどんな任務を与えられた潜水艦を指揮しているのか、しばらくのあい
 だ忘れていたかもしれないな。
・「追尾継続中」
 しかたがない。コーズレフは戦果確認をあきらめた。
・「電池群直列、全速前進。潜横舵下げ。総員、衝撃に備えよ」 
・「貴様の責任だぞ!俺の言ったとおり、第8項に従うべきだったのだ!」
 自制心を完全に失った男に冷たい視線を向けたコーズレフは、右手で拳をつくると、そ
 の唾棄すべき生物を殴り倒した。
・「ヴェルチンスキー」は貴重な電池から盛大に電力を取り出し、艦首を下げつつダッシ
 ュした。だが、水中最大速力まで加速するには幾らかの時間が必要だった。
  
・「取舵一杯!」
・命中するかな、と倉田は思った。大戦中の合衆国海軍の戦果を分析した結果、電池推進
 潜水艦に対するヘッジホッグの命中率は10パーセントに達している。現在は、探知
 手段や攻撃指揮装置がさらに改善されているから、それより高い値を示してもおかしく
 ない。
・あれこれと努力している割に、ロシア人は潜水艦をつくるのがうまくない。先進的な技
 術採用していない、というわけではない。それどころか、その点については世界の海軍
 の中でもっとも熱心だろう。問題は、その熱意が、他の部分とすり合わされていない場
 合が多い。このため、ロシア人のつくる潜水艦には妙なところがある。速度は速いが、
 まるで楽隊が行進しているような雑音を立てたり、射程距離は長いが、射撃統制装置は
 そんな距離での目標指示ができていなかったり、まぁ、そんな具合だ。
・「じかーん」
 対潜指揮室から報告があった。予定通りであれば、命中が発生する時刻だ、そういう意
 味のものだ。
・倉田は海面を注視した。何も起こらない・駄目か。
・その数秒後、海面にさほど大きくない水柱が発生した。ほぼ時を同じくして、「うみた
 か」の後方でも爆発音と水柱が発生する。「うみたか」の回避したホーミング魚雷を回
 避しきれなかった「おおたか」が被雷したのだった。
 
・「うみたか」から放たれた対潜爆弾のうち一発だけが、「ヴェルチンスキー」を直撃し
 た。命中部分は、艦の後部、ちょうど、発令所の後ろに設けられた後部兵員区画の左舷
 中央付近だった。
・ソナー員が耳を守るためにレシーバーを外した。その直後に衝撃が発生、轟音が響き、
 衝撃が指揮所をゆさぶった。照明が何度かまたたき、消えた。
・「被弾確認!非常灯つけろ」
 コーズレフは命じた。後方から悲鳴と轟音、水の流れ込む音が聞こえる。
・「後部兵員室浸水!」
・「直ちに退避。各部隔壁扉閉鎖」
・「機関停止。潜横舵上げ。前部バラスト・タンク、排水」
・「深度は?」
・「現在、97メートル。徐々に増大中」
・このままではだめだ。彼は艦の現状をそう判断した。
・「浮上する」
・「主タンク排水」
・「先任、海面に出た後で、本艦はどれほど浮いていられると思う?」  
・「せいぜい10分、というところでしょう」
・浮上までの時間と合わせれば、20分あることになる。最初は、3基の弾道弾を圧搾空
 気だけで発射し、艦を軽くすることも考えた。しかし、いざとなれば義務感のほうが先
 に立った。
・「非常命令第8項に従う。燃料注入開始」
・「こちらは艦長だ。本艦は知っての通りの状況となった。諸君は士官の指示に従い、脱
 出準備に備えよ。艦長は非常命令第8項実施のため、最後まで艦にとどまる。これまで
 の諸君の任務精励に感謝する。以上だ」
・「さぁ、同志。我々は任務を遂行せねばならない」
・政治将校は判断力を失った表情で大きく何度もうなずき、コーズレフに助けられて立ち
 上がった。 
・彼と政治将校は弾道弾用の射撃指揮装置に近づき、自分の首に襲い鎖でかけられていた
 鍵を取り出した。射撃指揮装置の上に取り付けられた二つの金庫に、それぞれの鍵を差
 し込む。金庫が開き、中から二つの封筒が出てきた。一方はかなり小さい。
・コーズレフは、まず小さな封筒を破り、中身を取り出した。そこに入っているのは、
 射撃指揮装置用の新たな鍵だった。やはり、細い鎖がつけられている。発射の際、艦長
 と政治将校は、自分に与えられた発射用の鍵を、それぞれの鍵穴へ差し込むことになっ
 ていた。鍵穴は、幅2メートル以上ある指揮装置の両端に設けられている。一人では発
 射できないようにするための措置だった。
・コーズレフは新たな鍵の鎖を手首に巻きつけた。政治将校も同じ動作を行っていること
 を確認し、もうひとつの封筒をあけた。そこには指揮装置を起動させる暗号が記されて
 いた。これもまた打ち込み用のキーボードが離れた場所に二つ設けられており、一人で
 は入力できない。入力が終われば、それにしたがって指揮装置は始動、弾道弾の誘導装
 置を作動させ、そこへデータを流し込む。反応弾の信管も作動可能な状態となる。
・コーズレフと政治将校は暗号数字を読み合わせつつ、打ち込んでいった。指揮装置の始
 動には5分しかかからなかった。最終ページに指揮官を得心させるために示されていた
 目標は東京及び横須賀だった。
・「ヴェルチンスキー」の弾道弾3基は、皇居、府中の航空自衛隊/合衆国第五空軍防空
 指揮所、横須賀軍港施設に向けられそれぞれ800キロトンの反応弾頭を放り込むこと
 になっていた。爆発方式は皇居のみ空中爆発、他の二つはいずれも施設破壊を重視した
 地上爆発だった。もしすべてが完璧に推移するならば、日本最大の政治・経済敵中心地
 は死滅することになるだろう。
・同じころ、弾道弾の発射塔が三本縦に並んだ弾庫に入った先任士官は、水兵たちにせわ
 しなく指示を出しつつ弾道弾へ燃料を充填していた。蒸発の度合いと危険度に合わせ、
 注入はケロシンのほうが先に行われていた。思ったよりも手間がかかるな、先任士官は
 作業を見つめつつ焦った。艦が浮上し、再び沈むまであまり時間が残されていないとい
 うのに、この百姓あがりの水兵どもは機敏に動かない。  
・「急げ」彼は部下に気合いを入れた。
・水兵たちの動きが慌ただしくなった。知性の感じられない顔つきをした水兵が液体酸素
 注入用ホースに断熱処理の施された長手袋をはめた手を伸ばした。彼は、先任士官の急
 げという命令を、すべての作業を行えという意味に受け取っていた。
・先任士官が、その水兵の行っている作業に気づいたのは、水兵が液体酸素弁のバルブを
 ゆるめ、注入を開始した後のことだった。
・「貴様、何をしている」
・「急いでおります」
・「馬鹿者!これから浮上の衝撃があるというのに、液体酸素注入は浮上後だ!はずせ」
・水兵は先任士官の言葉に従った。彼は命令どおり、バルブを閉じるより先にホースを注
 入口からはずした。液体酸素が弾庫に噴き出した。それを避けるために、先任士官は後
 ろへとびのいた。彼の身体は隔壁に激突した。火花が発生し、それはホースから噴き出
 す液体酸素に化学反応を発生させた。 

・「おおたか」は致命的な損害を受けていた。すでに艇体は大きく傾いている。艦長は総
 員退艦を命じていた。
・「おおたか」の被雷によって彼の「自衛行動」は完全に正当性を確保していたが、その
 ことによる安堵を感じる暇はなかった。倉田は戦果確認を途中で放り出し、「おおたか」
 の救援に向かわねばならなかった。
・さきほどまで行動していた海面が盛り上がり、巨大な水柱を発生たせたのは「おおたか」
 乗員すべてを無理矢理飛び移らせた後だった。
・「左舷海面に水柱!水中爆発らしい」
・「全速前進!面舵一杯」
・「衝撃に備えよ」
 倉田はなおも成長しつつある水柱に視線を走らせ、命じた。水中衝撃波というのはひど
 く厄介なものであるからだ。「うみたか」は舳先を左にふり、衝撃波を真正面から受け
 ようとしていた。
・倉田はわずかに視界のすみに入った「おおたか」の傾斜した姿に注意を向けた。衝撃波
 に耐えられそうもないことはあきらかだった。
・衝撃波は「うみたか」に大した損害をもたらさなかった。しかし、「おおたか」はこれ
 で沈んだ。  
・「潜水艦の撃沈を確認。爆発したようだ」
・「反応兵器か?いや、そんなわけないな。こんなものですむはずがない。おそらく、弾
 道弾用燃料か何かが爆発したんだろうな」
・「うみたか」による「ヴェルチンスキー」撃沈は、日本人たちが怖れていたほどの問題
 とはならなかった。ソヴィエト太平洋艦隊は短距離専用回線でおこなわれた日本側の通
 信を傍受できなかったし、「ヴェルチンスキー」は潜水艦に共通する沈黙の掟にしたが
 い、自分が陥っている状況について報告を送っていなかった。
・このとき、カリブ海では、ケネディの命令にもとづいて合衆国軍がエクスレイ作戦を開
 始していた。それを察知したキューバ派遣のソヴィエト軍事顧問団は、モスクワからの
 命令に従い、すでに発射準備を完成していた3基のIRBMと6基のMRBMを、合衆
 国に向けて発射していた。むろん、そのすべてが反応弾頭を備えている。
 このうちMRBM3基とIRBM1基がエンジンの異常と誘導装置の不調で空中で爆発、
 あるいは墜落したが、他の合計5基は合衆国本土へ向けて飛行を継続した。
・ハバナの郊外に設けられた軍事顧問団司令部は、合衆国軍機の爆撃を受けて破壊される
 2分前に、モスクワへ弾道弾の発射を報告していた。
・合衆国軍の予測どおり、キューバの軍事力は爆撃開始と同時にその攻撃力を喪失した。
 まったくもって圧倒的な戦力差がもたらした必然だった。
・だが、同じころ、彼らの本国では空襲警報が鳴り響き、すべての公共放送は緊急放送へ
 と切り替えられていた。また、8千キロ彼方の凍った大地では、モスクワからの命令を
 受けた120発以上のICBMが続々と発射されつつあった。
・大洋でも同様の状況が展開されていた。危険な燃料充填作業に成功した21隻の弾道弾
 搭載潜水艦が、合衆国の大都市に向けて次々とSS−N−5を発射していた。
・欧州全域でも同様の状況が発生していた。西欧に存在するすべての軍事施設に向けて東
 欧からMRBMとIRBMが発射されていた。加えて、ソヴィエト空軍機の展開する各
 航空基地から一斉に航空機が発信を開始したことが探知された。
・日本の同様の事態にみまわれていた。樺太とソヴィエト本土から発進したソヴィエト空
 軍機が全速で日本へ飛来しつつある模様をレーダーサイトが探知していた。
・北海道千歳の最新鋭機F104を装備する第二航空団に迎撃が命じられ、これに各地の
 F86Fを装備した航空団が段階的に加入していった。本土が混乱している合衆国軍は、
 事前に受けていた命令の許す限りこれに協力したが、防空戦を主導することはできなか
 った。
・第三次世界大戦において、自衛隊は合衆国軍の指揮を受けるものと信じられていた。し
 かし、その現実は戦前の予想と異なっているようだった。
・合衆国は事態をコントロールする能力を失っていた。エスカレーションなどという概念
 は、どこにも存在しなかった。日本の防衛関係者たちが不思議に思ったのは、ソヴィエ
 トによる日本を目標とした弾道弾の発射がいつまでたってもおこなわれないことだった。
 彼らは、国土の中枢を破壊する予定だった敵潜水艦を先制攻撃で撃沈してしまったこと
 に、この段階では気づいていなかった。
  
・ここはホワイトハウス地下の戦略指揮センター。ケネディとそのスタッフは、昨夜来、
 この地下施設にこもって状況の推移を見守っていた。
・「大統領閣下、5分以内にすべてを決定してください。そうでなければ、なにもかも間
 に合わなくなります」
・「ICBM襲来には、15分の予告時間があるのではなかったか?」
・「それはあくまでもICBMの場合です」
・「まさかロシア人がSLBMまで一斉に発射するとは思わなかった。あと4分です」
・「彼らは我々のエスカレーションにつき合うのではなかったのかね?」
・「現実は異なっています。我々が間違っていたのです。アイゼンハワー政権の、大量報
 復戦略が正解だった。連中、何もかも一斉に発射したに違いない。あと3分しかありま
 せん」
・「ソヴィエト交渉はできないのか?」
・「いまさら何を?たとえ無条件降伏の交渉であっても、間に合いません。ただちに報復
 攻撃の命令を出してください。少なくとも、ICBMは全弾発射してしまうべきです」
・「戦略爆撃機部隊にはすでに自分の権限で空中待機命令を出しました。しかし、それで
 も、生き残る戦力は10パーセントに満たないでしょう。報復攻撃命令を!」
・「しかし、合衆国のどこにもまだ・・・」
・「ホームステッド空軍基地からの通信が途絶えました。ああ、何てことだ」
・「マクディル空軍基地からの報告です。キーウエストの方向に閃光を確認・・・」
・「マクディルからの通信も途絶えました」
・「大統領閣下!」
・ケネディは大きく首をふり、手を震わせつつ、”合衆国大統領”とプレートがつけられ
 た自分のコンソール、その上に置かれた受話器に手を伸ばした。傍らに控えていた海軍
 士官が自分の腕と鎖でつながれているアタッシュケースを持って近づき、ロックを解除
 した。仲から何の変哲もない茶封筒を取り出し、ケネディの前に置く。
・「中佐、君があけてくれ」
・「いいえ、カッカが自らあけ、確認する規則になっています」
・ケネディは震えがさらに大きくなった手で、封筒をあけた。中から一枚のカードが出て
 きた。   
・ケネディは受話器を顔にあてた。それは、かつて悪戯を試みたことのある回線につなが
 っていた。彼はカードに記された内容を読み上げた。
・「これで満足か、テーラー総合参謀本部議長」 
・「いえ、5秒遅かった」
・「大統領の指令からICBMの発射まで、少なくとも2分は必要とします。全弾発射に
 はさらに5分。発射されたICBMすべてが完全に機能したとしても、我々はソヴィエ
 トを完全に叩き切ることはできません。まぁ、あなたの手もとに残される9隻の弾道弾
 搭載型の反応推進潜水艦、50機程度の爆撃機で第二撃をかけることは可能ですが。そ
 れだけです。我々が生き残っていれば、という条件つきで、ですが」
・テーラーの口調は投げやりだった。彼はディスプレイを見つけ、傍観者的な声でいった。
・「ほぅ、ロシア人は大陸中国も攻撃していますな。うまい手だ。どのみち連中は北京と
 仲違いしていた。ならば、国の半分が吹き飛ばされる前に痛めつけておこうというので
 しょう」 
・「どれだけの被害が出るのだ?」
・「最大で1億5千万は死亡します。直接的な被害は1億ていどにおさまるかもしれませ
 んが、被曝によって社会システムが崩壊しますし、放射線の影響も出ます。
 我々は1945年のドイツや日本以下の国家へ転落します。あるいは、国それ自体が崩
 壊してしまうかもしれません」
・「神よ、許したまえ」
・「いえ、無理でしょう」
・「神はあなたとフルシチョフに、サタンに代わりに地獄をおまかせするに違いありませ
 ん」