奪われる日本の森  :平野秀樹、安田喜憲
            (外資が水資源を狙っている)

この本は、いまから14年前の2010年に刊行されたものだ。
この本のサブタイトルは「外資が水資源を狙っている」となっており、なかなかドキッと
するタイトルである。
日本人は「空気と水と安全はタダ」だと思っていると言われることが多い。
特に、空気があるのは当たり前だと思うように、川を水が流れているのは当たり前だと思
っている。
地球は水の惑星だと言われる。しかし、地球上に存在する水のうち97.5%が海水で、
人間が利用できる「淡水」は地球上の水の総量のたった2.5%にすぎないという。しか
もそのうち約70%は南極や北極地域の氷雪だという。
そう考えると、われわれが当たり前のように思っている川を流れる水は、本当に貴重な資
源なのだと思う。そしてその貴重な水の源は奥山の森の地下水なのだ。
その奥地の森林に外国資本が触手を伸ばしてきているというのだ。
今の日本の法律では、外国人でも自由に日本の土地が買える。
また、奥地の森林を購入し、そこで無制限に地下水を汲み上げることも可能なのだ。
上流で水が汲みあげられれば、下流地域は今まで利用できた地下水が枯渇してしまう。
これは、水資源について日本はまったくの無防備であると言える。

今の日本では、国家防衛を高々に叫ぶ人たちは戦争準備に前のめりだ。
敵基地攻撃能力ということで米国から型落ちのトマホークミサイルを大量に購入しり、ス
タンド・オフ防衛能力だということで、目標探知のための多数の小型人工衛星を打ち上げ
るという。このために多額の国税が投入される。すでに返しくれない多額の借金を抱えて
いるというのにである。
しかも、他方では、外国人が日本の森などの土地を購入することについてはまったく無頓
着だ。敵国といわれる国に計画的に水源地を押さえられたら、どうするのか。
島の土地をまるまる購入されたらどうなるのか。
戦わずして占領されることになるのではないのか。
また、日本の子どもの貧困率は13.5%、さらにひとり親家庭の貧困率は48.1%と、
先進国の中でも最悪な水準だと言われている。
満足に食事が与えられず学校昼食でなんとか命を食つなぐ子どもや「子ども食堂」でなん
とか食いつないでいるひとり親家庭も少なからず存在するという。
そういう問題を置き去りにして、防衛費ばかりに多額の税金を投入する場合なのだろうか。
もはや正気の沙汰とは思えない。
日本は、かつての戦前の軍拡時代に回帰してしまっていると感じるのは私だけだろうか。
これこそまさに平和ボケの日本と言える。
防衛費を倍増してアメリカから型落ちのミサイルを購入したり、鼻息を荒くして敵基地攻
撃能力だと息巻いても、足元がこれでは領土や国民は守れない。

過去に読んだ関連する本:
水戦争

<日本を買え>:平野秀樹

外資に買収されていく日本
・すでに日本上陸を果たしている水メジャー・「ヴェオリア」(フランス)は、技術力の
 ある水環境企業「西原テクノサービス」の株式の過半を手に入れた。
 水道インフラの包括管理に不可欠な技術を日本の先端的な中小企業が持っているからだ。
・海や山のリゾート資源も外資による投資対象になっている。
 全国のゴルフ場は欧米系のほか、中国、韓国を中心にアジア勢に買収されている。
 ホテル、スキー場のみならず、資源面で新たな価値が見込まれる物件、農地、森林、水
 などの天然資源も魅力的な投資対象に映っているようだ。
 もちろん、いずれも合法的な経済活動である。
・気がついてみたら資産や国土が多国籍化し、日本という存在さえ消えかかってしまう、
 そんな未来が来ないよう、何かが起きるかえに備えておきたい。
 グローバル化は避けて通れないけれど、すべての分野で例外なく、しかも何の規制もな
 いままグローバル化が盲目的に進むのがいいとは思えない。
・国土が余すところなく買収されてしまえば、主権はどこにあるのかわからなくなってし
 まう。 
 日本の私的財産権(不動産所有権)はおそらく世界一強い。
 何人も不動産の私的権利をどこまでも主張できる可能性がある。
 これらの事情を知悉した上で、買収を進めているとすれば、深謀遠慮。
 仮に国家ファンドが主役だとすれば、優れた国家戦略である。
 かつては武器が領土を奪い、植民地化していたが、今ではマネーがそれを可能にしてい
 る。

・国境離島として、韓国に一番近い島・対馬竹敷地区の港湾周辺が、島民名義で韓国資本
 に買収された。
 現在は韓国資本が100%出資のリゾートホテルになっている。
 隣接地は海上自衛隊対馬防備隊本部。
 当地区は国境の重要港湾でもある。
 これらの買収により、港湾の出入りが常時監視されることを懸念する識者も現れている。
・これに対し、時の総理(2008年)は次のように語って話題になった。
 「土地は合法的に買っている。日本がかつて米国の土地を買ったのと同じで、自分が買
 ったときはよくて、人が買ったら悪いとはいえない」 
・外務省も静観する。
 「合法的な取引について、政府として何か言う立場にない。規制できるものかどうかわ
 からない」
・島民にしてみれば、買い手がつくから売りに出す。
 仕事がない対馬で生き延びるために山林を切り売りしたり、島を離れる際に所有する不
 動産を手放していく。
 これらはごく自然な経済行為である。
 売り手は買い手を問わない。
 過疎化して日本人が減る一方、韓国人の居住者が増え、売りに出された不動産を所有し
 ていく。
・なにせ我が国は、土地収用法が実質的に機能しないほど強い国だ。
 この私的財産を盾に公共事業に協力しないことも想定される。
・古くから韓国への玄関として交易を続けてきた対馬。 
 平成15年には小泉構造改革の「特区」申請によってビザなし渡航も始まった。
 現在、訪れる観光客は、日本人より韓国人のほうがはるかに多く、韓国人抜きで対馬経
 済は成り立たなくなっている。
 島にはハングル文字が並び、韓国人向けの民宿、釣り宿が並ぶ。
・五島列島の姫島は、かつて300人が暮らしていたが、1965年に無人島になった。
 この姫島に外資が進出する話がひと頃持ち上がった。
 計画だといわれ、豊富な黒御影石を採掘するためだといわれ、対象は全島の四割に及ぶ。
・日本の牧場やリゾート地にも買いが入っている。
 北海道日高市では外資が牧場を買収し、サラブレッド競走馬を繁殖させている。
 牧場(農地)や厩舎を所有するのは中東マネーの「ダーレー・グループ」だ。
 アラブ首長国連邦ドバイの首長モハメドが代表と務める。
 ダーレー・ジャパンの株式は、ダーレー・オーストラリアが100%保有する。
 負債を抱え、経営意欲が低下した牧場が買収ターゲットとなる。
 借金返済に苦しむ地元牧場を次々と買収していく。2008年には西山牧場もダーレー
 の所有となった。
・スキー場もついても日本は買われている。
 北海道ニセコには中国資本(香港)やオーストラリア資本が入っている。
 長野県白馬村はオーストラリア資本だ。ニセコから飛び火した形で、2004年から投
 資が始まった。 
 廃屋化したホテル・ペンションを買収したり、更地化した場所に分譲マンションを建設
 する。 
・このほか青森県、新潟県、群馬県、山梨県、静岡県、鳥取県などのリゾート温泉施設等
 にもこうしたアジア系外資が進出している。
・沖縄の主だったホテルもほとんど外資になった。
 コールドマンサックスとローンスターなどが約0のホテルを買収していたが、ここもで
 もその後上海、香港、シンガポールのアジア勢が入れ替わって買収している。
 近年、最も投資活動が熱いのが沖縄だ。
 
狙われる日本の森
・山持ち(森林所有者)たちにとって、現在は無常な時代になった。
 50年以上も手塩にかけて育ててきたスギの値段が50年前の粘弾の半値になった。
 これでは林業は続けられない。
・こうした中、積極的に山林を買い続けている新興企業がある。
 代表的な企業として、大手町地所がある。
 買収した森林を長期保有し、目減りしない資産ストックとして運用していくというのが
 同社の方針のようだ。 
・わが国の山林王はランキングでいうと、第一位が王子製紙、第二位が日本製紙、第三、
 第四が三井物産と住友林業、そしてその次のグループにこの大手町地所がつづく。
・森林売買は相続税対策や譲渡にかかる所得税対策など、それぞれ個別の事情があり、
 秘密裡に契約を進めることが少なくない。
 持ち主が不在村の売り手であることも多い。
 しかも、該当する森林のほとんどは普段は人目につかないところに所在する。
 国土調査(地籍調査)もほとんど手つかずだから、登記簿に記載された面積や所有者が
 正確であるとは言い難い。
 面積はたいてい縄伸び(過小記載)で、所有者名義が相続前の記載のままであったりす
 る。
・森林の評価額もまちまちだ。
 たとえ基準地価や公示地価に山林(林地)が登場していても、その価格は参考にならな
 い。ほとんどが、多用途(宅地等)への開発含みの価格であり、高い設定になっている。
 相続税評価時の国税庁の評価がおどろくほど高かったりする一方、実際の売買では二束
 三文で投げ売りされることも少なくない。
 公正な取引価格や市価というものが公開されていないから、不動産として一般の人には
 扱いにくい。
・森林の買収問題について、初めて外資というテーマが公の席で投げかけられたのは、
 2008年6月。自民党の小委員会においてである。
 口火を切ったのは岐阜県を地盤とする「藤井孝男」参議院議員だ。 
 「外国資本が山林を買い占める動きはないか」
 「地下水は土地所有者の権利になってしまう。森林売買や地下水の権利に法規制がない
 のは盲点だ」
 「温泉法など地下の権利には不備が多い」
・このほか、複数の国会議員メンバーが、水源林の売買と地下水の権利について、外部資
 本が参入してくることの問題点を指摘した。
 「米国投資顧問会社の本法人は国内森林を買収している。あなたたちは知っているのか。
 森林法に所有権移転の制限がないのが問題だ」
・外資に買収事例を政府はつかみきれていない。
 明らかな売買自自鎰が登場してこないかぎり、行政府は動けない。
 懸念という動機だけでは行政府は踏み出せない。
・2006年、三重県大台町の奥地森林に外国資本が触手をのばしてきた。  
 中国名の男性が役場を訪れ、現地を見に来た。
 林道もつながっておらず、20年以上、林業目的で人が入ったことのないような切り立
 った岩山がつづく。林業プロなら手を出さない山だ。いったい何の目的でこの山を買お
 うというのか。そのけれども結局、これらの売買は実現しなかった。
 山林は何度か転売され、2008年、大手町地所が所有者となった。
・埼玉県西部の有名林業地・西川林業の中心は飯能市だが、2005年頃から地元の山に
 関心を示す外資の話が出てきた。
 大手商社マンは、中国からの要望があることを地元林業関係者に伝えた。
・山梨県東部の都留市でも、同じような事例がある。
 2008年の年始め頃、地元の不動産業者は東京の同業者から頼まれたという。
 林地売買などここ10年間動きがなかった地域だけに、その申し出は新鮮に聞こえた。
 驚いたことに、里山より奥山のほうがいいらしく、しかも、話は海外からだという。
・買受人が外資であった場合、警戒感をもって売らなかったり斡旋しなかったりした人は、
 自信をもってその顛末を他人に明かしてくれる。
 けれども、実際に林地売買に結びついたケースだと教えない。
 その情報は表に出ることもなく、そのまま静かに伏せられたままになるだろう。
 外資が林地を手にしたと言う具体例がなかなか出てこないのは、そういった傾向による
 ことも否めない。
・とはいうものの、関係者の間で噂も含め、外資の話は途切れない。
 林業不振のなか、同じような山林買収や原野買収の話が、北海道東地区、青森県三八上
 北地区、九州の阿蘇・都城地区などで聞かれる。
・本来の林業は、50〜60年サイクルで伐採し、伐採後には植林、下刈、除伐を行うも
 のだが、それらの作業を全うしようとすれば経営は成り立たない。
 しかし伐採後、これらの植林や手入れをしないことにすれば十分儲かる。植林放棄で、
 「あとは野となれ山となれ」というわけだ。
 そういう森林法違反の荒技が各地で発生している。
・森林買収のもうひとつの動機は「水」である。
 明らかに、木材とは関連のない山林原野の場合、狙いは水資源ではないかと考えるのが
 自然である。 
 この水狙いではないかという説の信憑性を高めているのは、世界の水需給が逼迫してき
 たことだ。 
 中国や日本ではペットボトルの水に対する需要が急速に伸びており、特に中国では、
 1997〜2004年の間に需要が四倍となった。
 世界の需要がタイトになっていくなか、各国の水源地を覚悟しようとする動きが活発化
 している。
・近年、山林取得など森林との関連を深めているのは、複数の外資系飲料メーカーだ。
 日本のおいしい水を世界市場へ出していく構造である。
 我が国の軟水は、軟水が手に入らない国としては貴重なブランド水となる。
 有望な資源を購買力のあるところが買っていってしまうというのは世界の常で、水も例
 外ではない。
・豊富な淡水資源は、日本人が気づいていない資源のひとつだが、逼迫する世界の水需給
 のなかで、日本の地下水は魅力的な天然資源の筆頭である。
 地表水(河川、水路、ため池)のように法的な位置づけがしっかり整っていないから、
 新規参入者にとってはなおさら魅力的に映る。
 ルール化されていない地下水は、無制限に揚水できる余地が残っている。
・森林買収の目的は他にはないのだろうか。
 一つは、カーボンオフセットだ。国際的なCO2の排出権(吸収源)取引を先読みして
 の先行投資なのかもしれない。
・西欧や産油国、中国等は世界の農地を積極的に求め、支配下に置いている。
 英国、カナダの企業は、ウクライナの土地を借り受け、大豆と麦を栽培している。
・サウジアラビアは地下水を汲み上げ砂漠を灌漑し、食料自給率100%を誇ってきたが、
 方針転換した。
 2008年、地下水(化石水)が尽きるからと国内での小麦生産の減産を決めた。
 2016年までに全量を輸入に切り替え、自給率を0%にするという。
 その代わり、オイルマネーによって、国境を越えた農地と水源を確保しようとしている。
・中国も水対策の一環で、農地を海外に求める。
 農業用取水量の増加を抑えるためだ。
 北京北部では現在、地下水の水位が下がり、黄河では水が干上がる「断流」の再来が懸
 念されている。黄河の水が渤海までとどかなくなっては困るのだ。
・囲われていく農地はアジア、アフリカそして南アメリカに集中する。 
・これらの動きは、
 「自国の食糧安全保障強化のために開発途上国の農地を横取りしている」
 「新たな植民地システムを作り上げている」
 と批判されているものの勢いは衰えない。
・15世紀後半は火力・兵器による軍事力が植民地を囲い込むことに力を発揮してきたが、
 21世紀は、マネーという非人称の経済力が他国の農地支配をすすめ、グローバルな主
 従関係をつくり出している。ランド(土地)・ラッシュ、農地争奪戦である。 

日本の水が危ない
・地球的規模で見ると、水は現在、農地、レアメタルと並ぶ貴重な天然資源に位置づけら
 れている。
 水メジャーは豊富な資金をバックに利権を確保するため、水道事業の買収活動をさらに
 活性化させている。
・最新の水道システムを擁した一部の先進国が、その技術と運営システムを武器に海外へ
 進出していく。
・水道覇権をめぐる列強が争うその姿は、差ながら15世紀の植民地占有政策のようだ。
 各国は国益を見据え、水戦略に力こぶを入れる。
 進出先としてターゲットになるのは、先進国である。
・こうした活動が活性化していくのは、世界的な水需給が将来タイトになっていくことが
 確実に見込まれているからだ。
 今や水は、水道関連企業や大手飲料メーカーにとって大いなる利権の対象となっている。
・空気と水と安全はタダだと思ってきた日本人には驚異だ。
 世界の投機マネーは天然資源や穀物へなだれ込み、水関連企業も活況である。
 このような投資は世界的潮流となり、その結果、世界の大手水関連企業の株価への注目
 はつづく。  
・わが国の水道事業は官主導で、民間が補完する位置づけにあるが、海外では水道施設が
 民営化されている事例が少なくない。
 すでに130箇国で民間企業が上下水道事業を行っており、水道事業は今や行政サービ
 スではなく、ビジネスの時代に入っている。
・水道事業の民営化で最も歴史がある国はフランスだ。
・米国では、水道事業の民営化は全体で38%(2002年)。
 そのほとんどをフランスとドイツの大手水企業が買収している。
・反面、民営化をよしとしない国家もある。
 オランダでは水道事業の民営化そのものを違法とする法律を持っているし、デンマーク
 は水の売買や水道事業によって利益を上げることを禁止する法律を制定(2007年)
 した。
 だが、こういった事例は世界ではむしろ例外的である。
・日本の水道事業は、自治体が公営で運営するのが当たり前という状況だったが、この慣
 例は2002年に崩れた。
 広島県三次市がジャパンウォーター社に浄水場の運営業務を委託したのだ。
 水道事業民営化の第一号である。
・その後の2006年には海外からの参入もはじまった。
 広島市と埼玉県の下水処理場の運転・維持管理である。
 2007年には大牟田市(福岡県)と荒尾市(熊本県)が、水道事業全般の運営に海外
 資本を加えた。いずれの事例も参入したのはヴェオリア・ウォータージャパンである。
・千葉県も2009年からの3年間、我孫子市にある下水処理施設の包括委託維持管理業
 務をヴェオリア・ウォータージャパンに委託していた。
・日本は少子高齢化で、今後の水需要が右肩下がりとなる。
 なのに、なぜ参入してくるのか。
 一つは、維持管理だけとなった水道事業が確実な利益をもたらすからである。
 我が国の生活用水の原価は約6兆円。対する上下水道の雑収入は10兆円。その差益が
 期待できるのである。  
・ともあれ、日本の水道事業が大変なのは今後の10年だ。  
 布設後30年以上経過した管路は、全体の41%、耐用年数からして8年後の2020
 年に更新期が集中している。
 経年劣化が次々と進み、莫大な更新コストの発生が避けられない。
・道路と並んで危ぶまれる水道の維持補修だが、特に地方の小都市、過疎町村はたいへん
 になる。 
 そういったエリアには採算性を第一義とする民間はまず入ってこない。
 その結果、公共投資が先がれしてしまう日本では、効率的な水管理ができず、見捨てざ
 るを得ないエリアを生んでしまうことになるだろう。
 水道施設は最低限の生活インフラだが、効率管理の名のもとに、今後はきびしい現実が
 待っている。
・超高齢化と人口減少のなか、自立できずに社会全体の動きのなかからこぼれ落ちてしま
 う自治体は、このままではバラバラになってしまいかねない。
 地方分権の名のもとに、自治体ごとのアンバランスがますます進んでいってしまうが、
 それよいのだろうか。
 国家活動が中心部だけの狭いエリアで成り立ち、しかも要所の基本インフラは、外資も
 含めた民間が担っていく・・・。
 そんな日本の未来を考えるときがめいる。
・10年後、20年後のしっかりとした構想をもち、日本の基本インフラをどう維持して
 いくか。 
 とりわけ、水道事業の外資化については、情勢のその先を間断なく見据えておきたい。
 
・地上を流れる水(河川、水路)は、河川法などによってその扱いがルール化されている。
 しかし、地下水には、地番沈下にかかる規制があるだけだ。
・不思議なことだが、地下水は便利な資源である。
 いくら揚水しても、地盤沈下などの直接影響が心配されないエリアでは基本的に無制限
 で自由だ。しかも無料である。
・大量に水を使う法人は、専用水道(自家用の井戸)を敷地内に併設するようになってき
 た。そうしたほうが2割以上も安上がりになるからだ。
 大規模な病院、大学、企業などでは、コスト削減の観点からこの方式を採用する動きが
 広まっている。 
・ゆゆしきことだが、無制限の用水ではいずれ地下水位は下がり、枯渇していくだろう。
 地盤沈下、塩水浸入も懸念される。
 なによりも、地下水を私的に囲い込み、下水道管を使用しているにもかかわらず、下水
 道のメンテナンスコストたる下水道料金を正確に払っていないとするならば、フリーラ
 イダーになる。
・地下水への依存度は、国によって違う。
 水道水源に占める地下水の割合は、ドイツ72%、フランス65%、スイス84%であ
 る。
・日本は、約3割を地下水に依存している。
 地域によっては7割以上の依存率のところもある。
・地下水はだれ所有なのか。その解釈については、各国ごとに違っている。
 地下水を公水と捉える考え方は、イスラエル、ギリシャ、ポーランドのほか、ドイツ、
 スイスの一部の州に立法例がある。
 イスラエルでは「地下水は土地所有件に含まれない」とされている。
 ドイツ・バイエルン州では「地下水の公共利用優先」が規定されている。
 イタリアの場合は、「所有地内の家庭用地下を除き、水は公(国家)のもの」と考えら
 れている。  
 米国では英国式の考え方を受け継ぎ、「地下水は原則としてその地権者に権利がある」
 とする考え方が一般的だ。
 日本もアメリカ型の解釈で、「地下水は原則として、その土地の所有者に権利がある」
 との考え方が一般的だ。
・不幸なことに、規制緩和が金科玉条とされるこの日本においては、よほど困ったこと、
 深刻な地盤沈下等が起こらない限り、新しい規制強化策を経済界も個人も受け入れよう
 とはしない。 
 個人がもつ財産権の保全は、とんでもない事件が起こらない限り、公共公益に優先して
 しまうというのがこの国の慣例的な扱いになっている。
・水をめぐる地域住民と企業との対立は、各国で見られる。
 米国コカ・コーラ社は、インドのケララ州でペットボトル用に大量の水を汲み上げてお
 り、その結果、50以上の州内村落では日常的な水不足が問題になった。
 ボリビアでもフランス大手水企業のスエズが、生活用水の古湯汲をめぐり地域住民と対
 立してきた歴史がある。 
・土地、水、緑などの国土資源が有する機能には本来、市場原理に100%ゆだねられな
 いところがある。 
 土地そのものに公的な機能が備わっているため、その私的所有については権利とともに
 義務も発生してくる。
 当然、法令遵守は必須だが、法的に問題にならないからといって、なし崩し的に私的な
 所有権がどこまでも強調され、それが進んで、外資による治外法権的な主張がまかり通
 るようになってくると悲劇だ。
・交易を無視した個別利益ばかりが優先されていく現状や制度を放置していてはならず、
 また社会問題を誘発しかねない企業の反環境的・反社会的な活動があったとすれば無頓
 着は許されない。
・ところが、日本の場合、地下水にはルールがなく、森林についても自由な売買と過分な
 占有権が所有者(個人・法人)に保障されており、将来にわたっての公平な便益が国民
 (地域住民)に保障されなくなる恐れがある。
 調整ルールがない地下水を、その上部に所有権を持つ森林所有者が好き勝手に占有して
 しまっては、交易との調整ができなくなってしまうだろう。
 そうなると共有資源たる地下水の持続的な利用もできなくなる・・・。
 
・先進国だけでなく途上国にあっても、ボトル・ウォーターは当たり前に飲まれるように
 なってきた。
 地球の裏側で採取された水は、贅沢品から生活必需品になろうとしている。
 しかし、そもそもその水は大地から湧き出てきたものなのだ。
 人間の生存権に直結する水は、企業によって独占的に汲み上げられ、有料で販売される
 べきものなのか。根源的な不可解さをともなっている。
・このような疑問に対して、海外で始まったミネラル・ウォーターの不買運動が、一縷の
 望みをつないでくれる。 

森が買われることの何が問題なのか
・林地や地下水にかかるルール化をなぜ急ぐ必要があるのか。
 それは「人と国土」のグローバル化がこのところ急速に進展しているからにほかならな
 い。
・処分に困る物や国家にとって不利益となる施設(核廃棄物、軍事用施設等)を土地所有
 者が搬入したり、建設したとき、あるいは法的解釈がグレーとなるモノが投棄されたり、
 施設が建設されたとき、きちんと監視し、チェックし、排除命令を発することができる
 だろうか。 
 慢用され、やがて他者による実効支配が完了したとき、政府は国家的見地から返還する
 ことの正当性を主張できるのだろうか。日本はこの点が弱い。
・仮に、派遣を有した国家や財力に優れた国家が他国に対し、経済進出のみならず国境ま
 でも曖昧化していった場合、また実効支配という姿が長期間に及び、そのエリアが他国
 の一部に組み込まれていった場合、このような事態に至ってしまった場合の想定はなさ
 れているのだろうか。
 日本各地が竹島的になっていくことへの懸念が残る。
・諸外国に比べ、我が国におけるして私的土地所有権はすこぶる強い。世界一だろう。
 国家の公権が私的土地所有に及ぶ力は、日中韓で比較するなら、共産圏の中国が最も強
 く、韓国がそれに次ぐと考えられる。
 それゆえに、彼の地の公共事業は必要とあれば突貫工事で瞬く間に終了する。
・土地収用法は伝家の宝刀と言われるが、実質的に大いに機能したという話は聞こえてこ
 ない。   
 外環道(東京外郭環状道路)は日本国が必要と認める事業だが、計画が出来上がってか
 ら数十年を経ても、未だ地権者の合意が得られず完成できていない。
・欧州では建物は独立した不動産として認められておらず、建物は土地に属するという原
 則が貫かれている。 
 土地所有権は土地利用権に近いもので、土地そのものは公的な資源だと考えられている。
 日本のように、土地所有者が最終処分権をもつような考え方はない。
・欧州でいちばん土地私権が強いとされるフランスでさえ、土地は公的に有利な利用がな
 されるべきものという原則が貫かれていて、私権に優先している。
 農地なら農業を行う人に返すべきもので、それゆえ、わが国にある耕作放棄地などフラ
 ンスではありえない。 
 土地収用権が強く、ユースホステルの建設でさえ、「公益」的利用として土地収用の対
 象となる。ゴネ得は許されず、収容裁判所が裁く。
・日本における土地所有権(私的財産権)は実質的に絶対不可侵に近く、土地という財産
 を保持することの効力はおそらくどの国よりも強いと考えられる。 
 その私的所有権は政府の公権に対抗し得るまで強くなっている。
・何人も土地さえ持っていれば「地下水も温泉も自分のものだ」と、私的権利をどこまで
 も主張できる可能性がある。 
 もし、この国内事情に通暁した組織が土地買収を計画的に進めているとするならば、す
 ぐれた支配戦略であり、その組織はたしかな未来の繁栄を手にすることだろう。
 もし、国土が余すところなく買収されてしまえば、主権はどこにあるのかわからなくな
 ってしまう。
・しかも境界線を引き直され、占有されたとしても発言を控えつづける国民性だ。
 実効支配が長期化すると、実質的にその支配下にあるとの声が大きくなってしまうおそ
 れがある。
 残念なことだが、この国には前例がないわけではない。
 事実上の占有が日本に対して効果的であることは、数々の国境離島の現状が示している。
・農地には農地法がある。
 売買規制が定められ、所有権の移動には地域ごとに置かれた農業委員会(農業関係者で
 構成された組織)のチェックが入る。
 運用面では甘いとの批判はあるものの、少なくとも農地を売買する際、当事者の二者だ
 けでは事は運べない。 
・ところが林地の場合、制限は全くない。売り方、買い方の二者が通常の経済行為として
 売買する。
 唯一のルールは売買が成立後、二週間以内に市町村を経由して知事あてに届け出を行う
 ことだけだ。許可も何もない。実態は、その届出さえ十分に行っているかどうかわから
 ない。しかも買い方はだれでもよい。国籍ももちろん問わない。
・所有権を手に入れた者は、かなり強い私権をもつことになる反面、義務は驚くほど安い
 固定資産税を納めるだけだ。 
・林地の開発についても、保安林等の法的規制がかかっていなければ、比較的自由に所有
 者は開発ができる。
 だから、森林の所有者は伐ってもよいし、温泉や井戸も掘れる。
 掘って思う存分、温泉や地下水を汲み上げることができる。その量に制限はない。
 森林(林地)の扱いに対して、これほど自由な先進国はないのではないか。
・森林法に定められた伐採方式を守ることなど、一応規則はある。
 その規則を遵守したなった場合、地元市町村長が勧告することにもなっている。
 けれども、市町村長がまったく勧告しないわけだから、その制度も実質的に機能してい
 ない。所有者にとって森林の扱いは、いわばフリー。やりたい放題になっている。
・地元に居住する森林所有者であれば、周りの目があり、伐りっぱなしで放置することな
 どできないはずだが、遠く村外に住む人に売り払ってしまったら、そのような社会的道
 義もない。不在村地主が増えていくということは、地域の自治、つまり地域監視が機能
 しなくなってしまうということでもある。  
・現実には、そういった「無関心資源」や「無責任な放置資源」になり下がった森林が各
 地で増えており、買い手がつけば売られていく。しかも、公的に知られることもなく。
・フランスでは、農地の場合、経営規模のコントロールがなされ、農事創設土地整備会社
 のための農地先買権がある。  
 こう裂き状態が不十分であった場合には農地を公共当局が回収してしまう制度である。
 つまり、農地が農地としての本来の目的に沿った使用形態となっていない場合、耕作不
 十分地の所有者は、耕作が可能な別の者へ引き渡すよう強制されるのである。
・総じてフランスでは、日本に近い土地所有権の考え方があるものの、土地収用権は強く、
 日本の土地制度のように所有者がオールマイティの権利をもってはいない。
 土地には本来、その用途たる使用目的があるわけで、土地所有者は「どこまでも自由に
 管理し、また管理しないことができる」ものではない。
 フランスでは、土地所有者たる個人の利害は公共的な経済政策に服すべき、という流れ
 ができている。 
・英米にあっては、土地に対する公的権利がフランスよりもさらに強い。
 所有権は持つものの、最終処分権(底地権)はもたない。
 単に土地の保有権をもつにすぎない。
 その土地自体について、公的権限に逆らって処分してしまう権利は与えられていない。
・こうした英国の土地に関するコモン・ローの考え方を米国もおおむね踏襲している。
 米国では土地の絶対的所有権が容認されているものの、私権としての所有権は土地課税
 権、警察権、優越的領有権、国家帰属権の四つの強力な政府の権限の下に位置づけられ
 ている。 
・国土に住まう国民は、国家との契約行為を通じて、自分たちの生命と財産を守ってもら
 っているわけで、個々の国民は完全に独立して成り立っているわけではない。
 その国土に住まうということは、一国に属することであり、一国の権利、交易に沿った
 行動を取らなければならないのである。
 とてもざんねんなことなのだが、日本人はこのことを忘れてしまっている。
・日本の山村辺境や離島は放置され過ぎで、さまざまな誘惑や地上げ話に、判断力を持ち
 えないほど疲弊し、諦めが次第に優勢になってきている。
 それを責めることは都会の人にもできないはずだ。
 だからこそ、問題を共有したい。
 森だけの問題ではない。
 水だけの問題でもない。
 もっと大きな問題が含まれていることを多くの人たちが気づかなければならない。
・国土資源は暮らしの基盤であり、社会資本インフラとして政府と自治体が赤持つべき資
 産である。  
 日本は資源のない国だと言われるが、それは無思考にすぎない。
 我が国は森や水に恵まれた有数の資源国であり、そのことを根本的に見直し、自覚して
 いく必要があるだろう。
 森や水は21世紀の資源、日本の国家資産である。
・日本の森林は正確な所有実態はもとより、面積把握すらできていない。
 地籍調査が進んでいないため、不動産登記簿も正確な山林状況を表していない。
 所有者の登記漏れ、相続時の名義変更漏れは珍しくない。
 登記件数が膨大なこともあり、登記簿だけでは所有の状況を把握することは不可能に近
 い。
 つまり、国内の森林資源について、誰がどこを、何の目的でどれだけ所有しているか、
 国家として現状をきっちりと把握する仕組みがないのである。
・ドイツはちがう。
 ドイツにとって山岳地帯は国境だから、森林情報はきちんと整備され、そこには戦略的
 な傾斜地対策が農業とともに実践され、森林用機械もその観点で発達していった。
・世界比較してみると、ドイツのみならず、フランス、オランダ、韓国も地籍が100%
 確定している。
 日本は1951年から地籍調査を開始しているものの、52%が未了(2009年)で
 ある。
・これだけ土地の所有権と所有意識が強い国であるにもかかわらず、その基本となる地籍
 が確定していないという現実を直視すべきである。
 このまま時間ばかりが経つと、境界線が確定できず代替わりが進み、調整未了で使えな
 い不動産や触れない土地が増えていく。 
 調整に膨大な行政コストがかかる不動産は、いわば官製の不良債権になりかねない。
 
日本には国家資産を衛るためのルールがない
・森林と民間ファンド(特に外資)との関係を心配していたら、
 「そもそも外資の定義は何なのか。我が国の上場企業でいうと、株式の外国人持ち株比
 率は、日東工業で40%、栗田工業で36%、ソニーは42%。これらは外資であるわ
 けで、森林に対して外資が投資することを問題視するのは、グローバル化にする金融経
 済の流れに逆行しています」
 と論された。確かに一理ある。
 ヤマダ電機の外国人持ち株比率は53%で、ラオックスは中国・蘇寧電器の傘下になっ
 ている。社長が外国人の企業だって少なくない。
・仮に、国境というものがなくなるのであれば、軍事も外交も必要なくなるであろうが、
 それは21世紀の世界では現実的な予測ではない。
・自由貿易の世界とはいえ、国家の安全保障にかかわる分野や国民生活の安心に密接にか
 かわる分野が、グローバル投資の対象となることについては避けるべきであろうし、広
 域に影響を及ぼす可能性のある重要資産や代替性がないインフラなども同様である。
 つまり、国民の基盤インフラ(港湾・空港・水道・道路など)や、国土を構成する資源
 (土地・水・森林)の扱いをグローバルな金融経済活動と同格に扱うことについては慎
 重であるべきと考える。
・そういった基盤インフラや国土資源が、ダミー企業や日本の現地法人を介在させつつ実
 質的に外資の管理下に置かれ、それが占有され、運営管理されていくことについて、国
 家として一つのルールと監視の仕組みを持つことが必要ではないか。
・米国では、外資規制ルール「エクソン・フロリオ条項」によって、国家安全保障上の問
 題があれば、外国企業による国内企業の買収にストップをかけられる仕組みになってい
 る。 
 対米外国投資委員会(CFIUS)が米国の安全保障を脅かすと判断した場合、大統領
 にその取引を阻止する権限があると定めている。
・韓国も2008年から、この「エクソン・フロリオ条項」と同じ制度を導入している。
 この制度によって、サムスン電子などの国内大手企業に対する海外からの敵対的買収は
 困難になると韓国では見られている。
・一方、日本の現状はどうか。
 羽田空港ターミナルビルに対する外資参入については、当時の論議が日本の危機管理に
 対する未熟さを表していた。  
 つまり、「中枢空港という国家の基盤インフラの管理の在り方」と「市場開放努力を一
 層進めるという対日投資活動一般のあり方」とが、同次元で論じられてしまっていた。
・国として判断を下すべきテーマの優先順位や論点の整理が、一部の為政者やマスコミに
 できておらず、国交省としても組織としての所掌事務の範囲上、安全保障など国全体の
 対応方針をはっきり表現できず、きわどい判断を先送りしていたように見えた。
 国防に関わる積極的な発言は、防衛相の専管ということなのだろうか。
 省庁縦割りの弊害はこういうところに出てくる。
・米国ではさらに2007年には、外国投資国家安全保障法(FINAS)が圧倒的多数
 で可決成立した。  
 これはエクソン・フロリオ条項を修正したもので、対米投資に対するCFIUSによる
 規制をさらに強化するものだ。
・新法FINSAは、規制対象として国家安全保障の観点のみならず、「重要インフラ」
 の概念を追加している。
 この「重要インフラ」の定義は、
 「物理的なものと仮想のものを問わず、合衆国にとって重大なシステムおよび資産であ
 って、それらの機能不全や破壊が、合衆国の安全保障、経済安全保障、公共の衛生又は
 安全、または以上のいかなる組み合わせに対しても劣化をもたらすもの」 
 というものである。
 FINSAによって、国家安全保障上の観点と重要なインフラの観点の二つからチェッ
 クが入り、衛られる対象が広がったと解釈できる。
・フランスは、戦略11産業(武器、テロ対策、暗号通信、警備等)に対する外国からの
 投資をブロックする法的手段「通貨金融法典」を有している。
 これは日本の外為法と同じ事前届出方式で、外国投資家がフランスで行う活動が公共秩
 序、公衆衛生、治安・防衛の行使に影響を及ぼす場合、経済財政産業大臣が取引の中止・
 変更を命令することができるものである。
・一方、英国はフランスの動きとは異なり、経済開放政策を独自に推進する。
 英国は電気事業も水道事業も外国企業(フランス、豪州等)に委ねている。
 安全保障や基本インフラという分野に対する国家としての防衛策を、米仏ほど露骨に問
 耐えているように見えない。 
 しかし一方で、十分なチェックシステムを持っている。
 民営化しても運営権まで任せっきりというわけではない。
 例えば水道偉業では、水質検査と機材の安全性監視に加え、財政状況や投資計画を精査
 し、事故に際して迅速に対応しなかった場合には、 罰則を科した上でインターネット
 上でも公開することとしている。
・総じて英国は、行政システムの完成度が高く、集めた税を合理的かつ効率的に分配する
 国家情報インフラを整えている。
 地理空間情報(GIS)と基盤統計情報の活用システムは、日本の30年先を走ってお
 り、最も優秀なものが政治家になるというキャリアアップシステムも定着している。
 今の日本は、さしずめ1980年代のサッチャー前夜の英国だっろう。
 
・もし、地下水の無秩序かつ過度な揚水によって予期せぬ環境悪化がいったんはじまると、
 その修復には100年単位の時間を必要とする。
 森林が予想外の地権者の手に渡り、乱開発や過度な揚水などによって周辺住民の安心・
 安全が脅かされるようになってからでは手遅れなのである。
・こうして懸念に対し、根本的に解消できる方法はないのであろうか。
 もっともストレートなブロック策として、「外国人土地法」という法律がある。
 日本でも古くからある。
 1925年に制定され、外国人又は外国法人の日本国内における土地(国防上、必要な
 地区)に関する権利について制限(禁止を含む)を課すものだ。
 ただし、まったく機能していない。
 制限区域の基準や要件などが、政令によって定められていないからだ。
 眠れる法律であるといえよう。
・韓国では同法の適用がされている。
 現在、外国人が韓国内で土地を所有する場合は、「外国人土地法」により、許可もしく
 は、申告が必要となっている。
・中国では、土地所有権は国に帰属し、私的所有権は認められていない。
 個人や法人が取得できるのは、土地使用権だ。
 この使用権を外国人(法人を含む)が得るには、自らが中国国内に法人を持つか、ある
 いは中北国内法人の代理人を置く必要があり、その後に国による用途審査を受けなけれ
 ばならない。しかも、その土地の使用は許可された用途に限定される。
・ベトナムも土地は国有で、個人所有は一切認めていない。
 国は常に処分権を有しつつ、土地使用権を外の主体(民間人など)に移転させることが
 できる。
 外国人は、原則としてベトナム企業との合弁の場合のみ開発が可能で、土地使用権を得
 ることができる。期間は50年。永久使用権は取得できない。
・インドネシアも外国人の土地所有を認めていない。
 全国土の最高管理権は国家に属している。
 土地の所有権はインドネシア人名義を使った間接所有の形態しかとれない。
 ただし、この方法はかなりリスクがあり、名義を借りたインドネシア人とのトラブルの
 懸念が少なくない。 
 外国人が取得できるのは土地の利用権(建築権、事業権)である。
 これは定期借地権に近い権利で、期間は30年。さらに20年延長できる。
・タイも原則として、外国人の土地所有を認めていない。
 土地はタイ人名義でなければ取得できない。
 外国法人の場合は、外国資本の割合が38%以下ならば、「タイの企業」として土地を
 取得し、登録することができる。 
 ただし、土地購入の目的が政府に対して説明できるなど、いくつかの条件をクリアしな
 ければならない。
・フィリピンも外国人の土地所有を認めていない。
 しかし2009年、条件付きで外国人の土地所有を認めようとする動きもあった。
 ただし、不動産価格の急騰を招きかねないとの反対論も根強く、規制なき開放をめぐっ
 ての議論がつづいている。
・シンガポールでは、外国人の不動産所有について一定の制限がある。
 原則として法務大臣から制限の適用免除を受けていない外国人がシンガポール国内で土
 地を所有することは認められていない。
・インドでは外国人の土地所有は、原則不可である。
 外国人は、開発予定地など認められた地区で業務目的が国の審査経て認可された場合に
 限り、土地取得が可能となる。
 なお、インド国内で外国人が未開発の土地の販売等を行うことは認められていない。
・ところが日本にあっては、「外国人でも土地が所有できる」のである。
 外国人だからという理由で特段の制限もない。
 アジアにおいて、外国人による土地所有を全面フリーにしている国は日本だけだ。
 もっと言えば、境界そのものが曖昧なままでも、売り方・買い方の二者さえ合意すれば
 取引は成立する。 
 しかも、日本の土地所有権は最終処分権まで含む極めて強いものであり、公がもつ土地
 収用権も実質機能していない。
 この事実を十分認識しておかなければならない。
 彼我の隔たりを痛感し、来るべき係争の可能性を憂えてしまう。
 できれば、問題が現実化する前に、少しでも早く布石を打っておきたい。
・水源林の問題や対馬の問題は、辺境のわずかなほころびにすぎないことなのかもしれな
 い。が、それを看過することもまた、国家の意思である。
 資源放棄、辺境放棄の傾向に流れる社会は危ういと私は思う。
 何よりも無頓着は改めたい。
 山岳辺境や外界離島に対し、もっと関心を持ちたい。
・国土領域や境界係争の問題はタイミングが遅れれば遅れるほど、かかるコストが倍加し
 ていくことを忘れないでおきたい。  
 いったん、問題が発生してしまったならば、その後は傷が癒えるように薄皮を一枚ずつ
 再生させ、相手国とのしこりを解消していく努力をつづけなければ平穏にはならない。
 しかもほとんどの場合、元通りには戻せない。
 そういう選択はしたくないが、放置し、国土を放棄するのは最後の手段。いつでもでき
 ることである。

日本の森と水を衛るのはだれだ
・本来、土地は公的な性格を有し、公益につながるよう活用されるべきだが、地租改正に
 よって、日本はそれが叶わない国家になってしまった。
 この歪みを是正できないまま時間ばかりが経ち、今日に至っている。
・そして今や、土地という資産は金融機関にとっても担保資産の最上位に位置づけられ、
 その私的所有権は政府公権にまで対抗できる権利となっている。
・このような日本の特殊性に鑑みれば、よからぬ目的で森林を所有し、その所有権を盾に
 抵抗すれば、政府や自治体を困惑させ得る可能性も否定できない。
 非現実な妄想は小説世界に委ねるが、かといって草食系の国際協調、国際交流だけで国
 家としての経済活動や国民の生活環境が保障されるものでもない。
・その時はその時で何とか工夫すればよいというのではなく、いざという時のために備え
 ておきたい。 
 国益を脅かす買収があるとするならば、無防備であってはならない。
・森林には国家の基本インフラとしての要素が多分にある。
 その土地に代替性がないからだ。
 しかも、不可逆性を持つ。
 一度開発されてしまうと、回復に気の遠くなるような年月を要する。
・ところが農地に比べ、森林は目に触れることが少なく、これまで問題視されることが少
 なかったせいか、売買もフリーで、快八規制も保安林以外はないに等しい。
 見方によっては穴だらけになっている。
・すでに日本の労働力人口はピークを過ぎ、坂道を下りはじめた。
 しかも、2030年の日本は、社会資本インフラの更新・維持・補修コストが新規投資
 も含めた全体コストの過半を超え、新規投資にはしだいに振り向けられなくなっていく
 と推計されている。
・おそらく、これからの日本は今まで以上に過疎地及び小都市からの撤退をつづけるだろ
 う。このままだと、山村や離島の相対的地位はされに低下する可能性が高い。
 今後は議員にとっても辺境部は票田にはなりえず、政治的な活力が低下し、政策精度も
 下がっていくことが懸念される。 
・限界集落の増加は、神厳の居住域が狭まり、逆に野生獣の居住域が拡がっていくことを
 物語っている。
 実際、植林放棄地は、耕作放棄地とともに外部不経済をもたらしかねない国土劣化資源
 としてデッドストック化(不良在庫化)している。
 そういった低・未利用地は、どうじに価格の下落を招き、売り物件としての予備軍を増
 やしている。
 これに対して、さまざまな狙いからそういった辺境資源に触手を伸ばす新しい主体が登
 場してきている。
・山に投資する人たちの目的は、まず値上り待ちだろう。
 林業だけではなく、水、二酸化炭素、生物多様性なども視野に入れているはずだ。
・「水が目的なら、そういう下流部で掘ることが一般的です。大量に取水できわけですか
 ら。わざわざ十流に土地(山林)を買って取水などしません」
 事情通は、訳知り顔でそうコメントする。
・しかし、地質構造を把握分析できる優秀な地質屋がいれば、話は別だ。
 山でも水は抜ける(揚水できる)し、何よりも山は目立たないからいいという。
 しかも一旦、操業を始めてしまえば、たとえ地盤沈下や水位低下の現象が現われ、下流
 域で反対運動が起こったとしても、因果関係が証明されるまでは操業を続けられる。
 立証には数年以上かかるからだ。
 また。こういった問題が起こったとしても、下流住民が係争で勝てる可能性は低い。
 自分が所有する土地で揚水することは、土地所有者に認められた一つの財産権であり、
 判例をみるように日本ではその権利がすこぶる強いからだ。
・考えてみれば、もはや、かつてのような村社会的な時代ではない。
 辺境山村が対峙するのは世界、グローバル企業である。
 隣地や裏山を所有するのは同じムラに暮らす遠い血縁ではなく、外資や無国籍のファン
 ドかもしれない。
 予定調和の性善説では、国際的に通用しないことを忘れてはならない。
・事実、一国の国益と他国の国益は、一致しないことがしばしばである。
 国際社会において、お人好しの国家など存在しない。
・懐古的かもしれないが、これまでは森林所有者たちの善意によって森林は維持されてき
 たようだ。黙々と苦労を厭わず、けなげでつつましい古い時代の人はいう。
 「裸になった山をそのまま放置するのは忍びない。まわりの皆さまに申し訳ない。無理
 をしてでも植えたい・・・」
・けれども、超高齢化とともに経済的にぎりぎりまで窮してきた山村では、もはやそうい
 った余裕はなく、かつてあった愛郷心のような視点をもてなくなっている。
 周りに人がいなくなり、公共交通機関もなく高齢者にとっては日々の移動もままならな
 い。 
 山村部は、まるで高度成長期以前に時代が逆戻りしていくようである。
・こうした中、中東諸国や中国、シンガポールなどは国の富を「国家ファンド」として、
 戦略的な投資に振り向けている。
 そうした投資マネーの受け皿に天然自然がなってきた。
 忍び寄る外資は、日本の森と水をすでに射程に収めている。
・水源となる森は、非常に重要な国土だが、現状では売買の実態がつかめていない。
 奥山の水源林には目が行き届かず、しかも、いざという時、個別に国土をブロックする
 制度をわが国は持っていない。 
・一方で、日本の土地所有権は諸外国に比べて極めて強く、土地所有者はオールマイティ
 の機能を持つ。土地所有権がグローバル化していくことの課題は大きく重い。
・日本は国土の戸籍をもたない先進国であり、世界でも稀な存在だが、このままでは使え
 ない土地、係争だらけの土地が国内に蔓延してしまうことになる。
 地籍が未確定なままでは伐採や植林に手をつけられず、きちんとした森の管理ができな
 いままになる。 
 公共公益事業の用地買収も困難を極め、効率性は約束されない。
 多大な行政コストを要してしまう。
・わが国の地籍調査は48%(2009年)しか終わっておらず、林地については六割が
 手つかずだ。
 不動産登記簿には所有者の申告漏れ、名義変更漏れがかなり混じっている。
 大半の林地は正確な所有実態が記載されておらず、面積把握すらできていない。
 実際、測量すると、縄伸びで面積が二倍、三倍に増えることも珍しくない。
・考えたくもないが、近未来の山は様変わりしている可能性がある。
 かつてのように山の境界をめぐって、ムラにすむ隣同士が争っている時代はまだよかっ
 た。  
 隣接地の森林所有者は、都会へ出て行った村内の血縁者ではなく、やがて海外のグロー
 バル資本になるのだ。
 私たちは、そういう時代に生きていることを認識しておくべきだろう。
・打開策が有効でなかった場合、最後の選択肢になるのが、森林を「公有林化」すること
 を考えなければならない。
 私有林のうち、とくに公益的機能の高度発揮が求められる森林については、所有権を移
 転(公有化)させ、公的主体(自治体等)の関与を強める必要が出てくる。
・公共公益精政策として考えるとき、森林管理事業は水道事業とおなじように考えてよい
 のではないか。
 住民生活にかかわる必須の自然系基本インフラとして、基盤施設(森林そのもの)は公
 有とし、管理の実践は民間が広域で担う。
・こうした公有林化は、固定資産税や相続税などの税収減につながる。
 しかし、明日が見えない無間地獄の補助金支出は減るため、トータルでは合理的な森林
 経営が期待できよう。森林の危機に対する一つの処方箋である。
 この対策は、土地への私権が世界一強い私権国家・日本の盲点をカバーするものでもあ
 る。
・すでにフランスでは、公有化方式が少しずつだが、50年にわたって続けられている。
 その場だけを繕い、易きに流れてしまう政策ではなく、長期の公益、国益を見据えた政
 策が選択されなければならない。
・国際的には、日本林業はコスト面で太刀打ちできていない。
 世界最高のコストをかけているものの、木材は国際商品であり、国際価格のため、林家
 にとっての販売収入が増えることはない。
 業が業として成り立たないため、森林の管理が疎かになり、山が荒れている。
 木材価格と林地価格はさらに下がり、その間隙をぬってブローカーが暗躍する。
 外資やファンドが流れ込む素地はこうやって醸成されている。
・冷静に分析すれば今や、日本林業のコストは間違いなく世界一である。
 路網インフラは不備で、地形は急斜面。
 気候は多雨で、年に二度(梅雨期と台風期)の雨量ピークをもつ。
 欧州の山に比べ、日本の山には襞が多く、尾根と沢が複雑に入り組み。雨量が多いから
 だ。 
 路網が曲がりくねり、その開設とメンテナンスに多大なコストを要する。
・欧州の場合、少雨で冬に雨が降る。夏はさほど降らないから下草は繁茂しない。
 それゆえ下草刈りは不要でコストがかからない。この差は大きい。
・エネルギー危機の中、木質バイオマスに期待する声もある。
 その成否も原油価格見合だが、そもそも木材は重量固形物が超広域の傾斜地に散在して
 いる。まず、この点を考慮するだけでもハードルは相当高いと言わざるを得ない。
・結局、合理的かつ省力的な林業は時代の必然であり、10年、30年後の林業ビジョン
 をしっかりと持ち、これに近づけていく政策が地味だが王道なのである。

・地下水を公水と位置づけ、共有の資源として管理していくことが急務なのだが、現在、
 そういったルールを国は持たず、地方ごとの対応もバラバラで定まっていない。
 だから、条例の緩い自治体に揚水目的の事業者は流れる。
 また始末の悪いことに、いざ問題が表面化したとき、この地下水揚水と諸環境の悪化と
 の因果関係を立証するには多大なコストと時間がかかり容易ではない。 
・有限の地下水資源を無限に揚水してしまっては、誰が考えても尽きるとわかる。
 地下水資源がグローバルな水ビジネスの貴重な原料になっている昨今、いつまでも無政
 府状態のままでは済まされない。
 市町村や都道府県は条例を根拠に、海外ファンドと国際法廷で闘えるだろうか。
 枯渇していく地下水のことを想定せず、法的な整備を先送りするばかりであってはなら
 ない。監視するシステムや利用調整のルールがほしい。
・ナショナルミニマムとして、地下水をどう位置付け、対策を講じていくか。
 限られた淡水資源は日本にとっての重要な天然資源である。
 これに対して、私たちはもっと切実にシャアするすべを考え、その情報を共有していく
 べきだろう。 
・森は隠れた巨大プールを地下に擁している。
 また川につながる森は、「緑のダム」として水を養い育て、下流へこんこんと流し続け
 る。地域住民や下流の都市住民の生活そのものを育んでいる。
・私たちは、そのことになかなか思い至っていない。
 水が貴重な資源であり、国際的には著しく逼迫してきているという事実にも日本人は気
 づいていない。 
・地下水につながる森は、いわば社会的共通資本であり、国家の基本インフラの一つなの
 だが、採算性が規定できないため山持ちたちは林業に見切りをつけている。
 山の価値は低く、その韓使や勧告体制も、市町村合併を契機に自治体では手薄になるば
 かりだ。
・辺境社会でのローカルな現象について、グローバルな視点で考えなければいけない時代
 になっているが、このさき10年は1950年以降の古い体制から脱却すべき過渡期に
 あたり、財政収支は悪化していく。
 世界最速の人口減少と超高齢化への移行期間ともダブっている。時間的余裕はあまりな
 い。
 国力低下が避けられない時に、それらをどう凌いでいくか。
・海外に目を転じれば、微妙な外交ポリティカルバランスの中、膨らむと見は国境を越え
 て流入し、観光需要のみならず、億ションなど数々の不動産を取得する動きが活発だ。
 一連の投資活動の中、日本の資産、リゾート施設やマンションばかりでなく、森や水に
 対しても新しい価値が先読みされ、投資が進んでいったとしても、何ら不思議ではない。
 合法であり、経済活動として何の問題もないことである。
・ところが国家として、また次世代まで思いを巡らせたとき、ふと森を喪っていく、国土
 喪失への不安がよぎるのである。  
 この国には、基本インフラを国家としてブロックする術が備えられてないのではないか。
 外国人土地法が機能せず、国土資源そのものにかかる包括的な外国投資国家安全保障法
 もない。
 おまけに、一旦取得された土地所有権は世界一強い。
 整序する法律も、審査する機関もプロセスも持たず、一方で私権が極めて強い国がこの
 日本なのだ。
・日本の遅れは、世界のチャンスになるだろう。
 この国では国家の基本インフラでさえ、近い将来、草刈り場になっていく可能性が高い。
 膨らんでいく国家群にとっての格好の標的が、いまそこに並んでいる。
 
外資が国土を占有する日
・辺境の今は、自分たちが持つ資源の買い手を探すまで疲弊してしまっている。
 「わずかな資産でもかんきんできるのなら手放したい」
 「将来が見込めない辺境資源など持っていてもしかたがない」
 「未来のない林業に見切りをつける。明日が見えない辺境をはなれ、子らが暮らす都会
 へ近づきたい・・・」
・山岳辺境の限界集落からト枚までの道のりは遠く、地方では沈滞感と閉塞感が慢性化し
 ている。
 地域資産への関心を興味も無くし、森林資源は無価値化するばかりだ。
 買い手があれば売り急ぐ。投げ売りもはじめている。だから価格はますます下がる。
・日本国中で、限界集落の臨界線が都市の中心部へ向かってどんどん前進しており、地方
 都市の駅前でさえ、限界集落が見られる。
 山岳辺境や外海離島では、生き残り策が見当たらず、世間からは見放されたとの孤立感
 が蔓延している。 
・これからの世界は、私たちが生きてきた50年や100年という人生の経験知からは及
 びもつかない未来が待っているのではないか?
 安心できない、落ち着きがない社会になってきたということである。
 安心と平和は人類が普遍的に求めてきたものだが、それらが見えづらくなり、新しい時
 代に入っている。その潮目に、いまが位置しているように思われる。
 

<ニッポンの漂流を回避する>:安田喜憲

縄文が一万年以上持続した理由
・日本の地政学の研究の現状はお寒い限りである。
 いや、研究者がほとんどいないと言っても過言ではない。
 しかし、この地政学の欠如が、21世紀のグローバル化に直面したニッポンの国益を大
 きく損ねる事態を招きはじめている。
 「ニッポンの漂流の」の原因はこの地政学の欠如にあるのではないか。
・「安全と水はタダである」
 「国境は不可侵で誰も犯しはしない」
 「資源や食糧はいくらでも海外で手に入る」
 などという神話は、もはや完全に通用しなくなった。
 それなのに、地政学を完全に欠如した国際政治論や、平和ボケした国際協調論がいまだ
 にマスコミで報道されている。
 日本周辺の国々が虎視眈々と日本の領土と富を狙っているというのに。
・とりわけ地球環境問題と資源の枯渇によって、この小さな地球が住みにくい窮屈なとこ
 ろになりつつある現在、資源や領土の奪い合いがこれからますます頻発するようになる
 であろう。  
・水資源と食料を巡る紛争が多発する。
 世界はこれからますます紛争が多発し、住みにくい時代を迎えることになる。
 そのとき、地政学的観点を欠如した外交論や資源論は、絵に描いた餅にひとしい。
 地政学的観点に立脚した国際政治や資源論を展開していかなければ、日本の国益を大き
 く損ねる事態が生まれ始めている。
 東シナ海のガス田の問題も、竹島問題も、地政学的戦略を欠如した日本のリーダーたち
 の失策である。
・そして40億の人々が水の危機に直面する2020年を目前にして、日本の周辺の諸国
 は、日本列島の豊かな水資源に目をつけはじめた。
 中国や韓国の経済発展を阻害するものがあるとすれば、それは水資源である。
 日本の水資源と水源林が今、狙われ始めている。
・日本民族は、周辺の大陸や海洋諸島の民族が日本列島に逃れてきて形成された人々の集
 団である。
 しかも、日本列島に逃れてきた人々は、お互いがお互いを殺し合うことなく、この美し
 い日本列島で慈しみ合いながら旧石器時代以来生き続けてきたのである。
 一つの民族が他の民族を皆殺しにすることがなかったのである。
・なぜ日本列島にやってきた人々は心優しくなれたのか。
 それは、日本の自然の力、風土の力の賜だと思う。
 日本の美しい自然、風土の力が、日本人の慈悲に満ちた優しい心を作り上げたのである。
 そしてそのことが、自然との共生、生きとし生けるものと共存する世界を作り上げるこ
 とを可能にした。  
・見本民族はユダヤ民族のように血によって結ばれた民族ではない。
 日本民族の中には様々な血の系統をもった人々が入り混じっているのである。
 日本民族を日本民族たらしめているもの、それはこの美しい日本列島と日本の国土と日
 本語である。
・美しい日本列島に暮らし、日本語を話せば、誰でも日本人になれる。
 皮膚の色は白でも黒でも黄色でもかまわない。
 日本語を話し、日本食を食べ、日本文化を愛し、そしてこの美しい日本列島に住み続け
 れば、誰でも日本人になるのである。
 皮膚の色、血統に関係なく、日本人とはきわめて門戸の広い国際的な多民族集団なので
 ある。
・日本は今後、これまでのようにアメリカ型の小さな政府を目指し経済効率のみを追い求
 めていくのか、それともスウェーデン型の大きな政府を目指し、国民の福祉と環境保全
 を目指していくのか、選択をせまられている。
・縄文文化は一万年以上も続いた。
 なぜそれほどの長さに渡って持続できたのか。
 これまでは、縄文文化が発展性を欠如していたので、一万年以上も同じことを繰り返し
 ていたにすぎないとみなされてきた。 
 だが、一万年も自然を破壊しつくすこともなく、豊かな暮らしを持続するのはとてつも
 なく大変なことだ。
 しかも縄文人は一万年以上にわたって人と人が殺し合うことのない、戦争のない世界を
 維持することができたのだ。
・そこには現代人が見失った自然との関係、人と人の関係に置変える叡智が隠されている
 はず出る。
 何よりも、日本人と日本の国土の枠ぐみが形成された時代である。
 その縄文時代を無視して、私たちの本陣の未来を語ることはできないのである。
・縄文の持続性を担保したその第一は、縄文人が地球に対して祈る心をもち、生きとし生
 けるものの生命に対して畏敬の念をもったことがあげられる。 
・縄文人の地球に対して祈る心をもっとも端的に表現しているのは青森県八戸市風張遺跡
 から出土した縄文時代後期の祈る土偶である。
 両膝の上に手を置き、口を開き一心に祈る。
 実なこの土偶は今まさに子供を出産しようとする女性なのである。
 この地球に新たな生命を誕生させるその瞬間に、縄文人は地球に対して、生命に対して
 祈ったのである。
・そして縄文人の生命への限りないまでの愛情と慈しみ、そして畏敬の念をあらわすもの
 に、北海道函館市南茅部遺跡群の垣ノ島A遺跡から出土した6000年前の縄文の子ど
 もの足型がある。
 小さいものは5センチメートルにも満たない本当に今、まさに生まれたばかりのような
 小さな小さな赤子の足型もある。私はその足型を見た時、体の震えがとまらなかった。
・その足型をよく見ると、足の裏全体が写り、とくに指が強く刻印されている。
 もし元気な子どもが軟らかい粘土を踏んで足型を取ったとすれば、土踏まずが写らない
 はずである。
 しかしこの足型は足の裏全体が写っている。
 しかも穴をあけ、ひもを通して壁にかけたり、ペンダントにしたり、修理して補修した
 あとさえある。
 そしてその子供の足型が発見されたのは大人の墓からであった。
・このことからこの子供の足型は、死んだ子どもの足型であるとみなされる。
 縄文時代の子どもの死亡率は高かった。
 親にとって自分よりも先に子どもが死ぬことほどつらい悲しいことはない。
 その悲しみをじっと抱きしめて、縄文人は子どもの足型をとり、それを子供の形見とし
 て大切に一生保持し、死ぬときにその形見と一緒に埋葬されたのである。
・ここにこそ縄文人の生命に対するかぎりないまでの慈しみと、畏敬の念が発露している
 と思うのである。  
 この縄文人の生きとし生けるものの生命に対する畏敬の念と地球への祈りの心に、縄文
 が一万年以上もじぞくできた理由が隠されているように思う。
・そして縄文人はその生命を生み出す女性を大切にした。
 土偶の大半が女性であるように、縄文時代の社会は声明を生み出す女性中心の社会であ
 った。
 そして、集団で人と人が殺し合うことを回避する社会システムを構築した。
 大量殺戮のない、戦争のない社会を、一万年以上も持続したことは、人類文明史の軌跡
 であると言ってよい。
・なぜそれが可能であったのか。その謎は、まだ完全には解明されていないが、その理由
 の一つは、生命の畏敬の念、女性中心の社会の存在が考えられる。
 そしてお互いがお互いを助け合い、慈しみ合い、自らの欲望をコントロールする方策を
 身につけていなければ、このような平和な自然と共生する社会を、一万年以上にわたっ
 て維持することは不可能である。

・一万年以上も同じライフスタイルを維持することがいかに難しいかは、かつて文明が繁
 栄したメソポタミアや黄河の大地に立てばすぐにわかる。
・今、メソポタミアや黄河の大地は砂漠である。
 しかし、この大地がもともと砂漠であったわけではない。
 メソポタミアの大地には一万年前には豊かな落葉ナラとマツの混交林が生い茂っていた。
・私はメソポタミアや黄河の大地には、かつて豊かな森があり、それが文明の発展のなか
 で破壊され尽くしたことを科学的に実証してきた。  
・20万年前にアフリカで誕生したわれわれホモ・サピエンスにとって、「右肩上がりの
 発展」は、その性癖に合致した必然のなりゆきだった。
 豊かな食糧を求めて活動範囲を広げ、さまざまな地で収奪を繰り返してきたのがホモ・
 サピエンスの歴史である。
・ホモ・サピエンスが1万3千年前に新大陸アメリカに渡ったとたん、新大陸アメリカの
 オオナマケモノやマンモスなどの大量虐殺が起こり、8千年前には氷河時代の大型哺乳
 動物の多くは絶滅してしまった。
・そしてメソポタミアや黄河の森が破壊されたのも、豊かさを求め続けた「右肩上がりの
 発展」の結果であった。
 その森の破壊と砂漠化をもたらしたのは、食料として飼った家畜のヒツジやヤギ、ウシ
 だった。
・人間が寝ている間にもヒツジやヤギは草を食べる。
 もっと激しく自然を食べ尽くすのはヤギである。
 ヤギは草をねこそぎ食べ尽くす。
 最初は森の下草を、つづいて森の木の樹肌を食べ尽くす。
 さらに木に登って若芽さえ食べる。
 森を破壊したのは人間と家畜なのだ。
・こうした家畜を飼い、パンを食べミルクを飲みバターやチーズを食べる人々が畑作牧畜
 民である。 
 その畑作牧畜民のライフスタイルはメソポタミアではじまった。
 この畑作牧畜民こそが文明を最初に手にした人々であるとみなされてきた。
 しかし、その文明は森を破壊し尽くし、大地を砂漠に変える文明だった。
・メソポタミアにつづいて、地中海沿岸のギリシャやローマの森が徹底的に破壊された。
 そして12世紀以降は、アルプス以北の大開墾によって、スイスの森の90パーセント、
 ドイツの森の70パーセント、イギリスの森の90パーセントが、17世紀の段階で破
 壊されてしまったのである。 
・1620年にアングロサクソンがヒツジとヤギとウシを連れてアメリカ大陸にわたると、
 たった300年で、アメリカの森の80パーセントが失われた。
 さらに、1840年、ニュージーランドに、アングロサクソンがヒツジとヤギとウシを
 を連れてわたると、森は瞬く間に消滅し、1880年から1900年のたった20年の
 間にニュージーランドの森の40パーセントが消滅。
 7世紀には国土の90パーセントが森で覆われていたニュージーランドは、現在、国土
 のわずか30パーセントが森で覆われているにすぎない。
・森の破壊は、森の中に暮らす生きとし生けるものの生命の殺戮であり、命の水の循環系
 の破壊でもあった。  
 畑作牧畜文明の蔓延によって、この地球の無数の生命が失われたのである。
・同じように明治以来たった140年の間に、北海道の森の40パーセント近くが破壊
 された。
 江戸時代まで北海道の大地は100パーセント森におおわれていたと言っても過言では
 ない。
・ではなぜこんな短期間に北海道の森が破壊されたのか。
 それは明治以来の大規模農耕地の開拓と、開拓使顧問だった「ケプロン」がアメリカか
 らヒツジとヤギと乳業を連れてきたからである。
・北海道の森の破壊・消滅とともに、そこに住むアイヌの人々の権利は奪われ、その文化
 は踏みにじられていった。
 ようやく近年、アイヌの人々が北海道の先住民であることが認められたが、それは遅き
 に失した観がある。
・北海道は右足をケプロンに、左足を縄文文化と稲作漁撈文明においている。
 そして日本国もまた明治以降、右足を近代欧米文明に置かれていた。
・だが地球環境危機のこの時代に、もうケプロンの視点だけでやっていけないのではない
 か。 
 これからは縄文文化や稲作漁撈文明により重きを置く「森の環境国家」の視点で、未来
 を見直す必要がある。

稲作漁撈文明の持続性に学ぶ
・ユーラシア大陸の文明史には、ムギを栽培してパンを食べ、タンパク質をヒツジやヤギ
 の家畜の肉に求め、乳用家畜を飼い、ミルクを飲んでバターやチーズを食べる「畑作牧
 畜民」の文明と、コメを栽培して味噌汁などの発酵食品を食べ、魚にタンパク質を求め
 る「稲作漁撈民」の文明が存在することが明らかとなった。
・大陸の暮らすのは百戦錬磨の稲作牧畜民の文明の伝統を持った人々である。
 ヒツジやヤギの家畜を飼うことになれた動物文明を発展させた人々である。
 それゆえ、彼らはヒツジやヤギを飼う牧草地を持溶けて他所を侵略し、いったん領土を
 手にしたら囲い込むのが通例である。
 領土の拡張は彼らの発展の原動力なのである。
・畑作牧畜文明は、森を切り開き、水の循環系を破壊して大地を不毛の砂漠に変えた。
 そして資源を搾取しつくすと、豊かな大地を求めて移動を繰り返してきた。
 そのため、何千、何万という森や水のなかで暮らす無数の生き物たちも殺されてしまっ
 た。  
・森を破壊し、大地を砂漠に変えた後に、彼らが手をつけたのは石炭や石油などの化石燃
 料だった。
 化石燃料の使用によって人類は物質エネルギー文明を手にすることができ、近代工業技
 術文明の繁栄を手にすることができた。
・しかし、それは森が石炭に、鯨が石油に替わっただけで、自然の資源を一方的に搾取す
 るという畑作牧畜文明の文明原理はなにも変わってはいない。
 その化石燃料の使用によって、今度は地球温暖化が引き起こされ、今や人類はその線損
 基盤まで危機に陥れられようとしている。
・また移動を繰り返す畑作牧畜文明が作ったのは、争いの社会だった。
 「拡大と発展」こそが彼らの文明のエートスで、それは男性中心の「力と闘争の文明」
 にならざるをえない。
 その社会は侵略戦争を生み、また昨今はテロリズムを呼んで、復讐の連鎖を招いた。
・そんな彼らを支えているのは唯一の超越的存在、一神教の神への信仰である。
 それは砂漠の牧畜民の宗教だった。
 生命の輝きがまったくない砂漠の世界で、砂嵐がやめば、あたりは闇と静寂に包まれる。
 その時天上にはキラキラと輝く星だけが見える。
 砂漠の民は、そこに超越的神の存在を見出したのだった。
 こうした超越的秩序の宗教は、自然を不完全で、劣等なものとみなす。
・しかしながら、世界には、こうした畑作牧畜民の世界観やライフスタイルとまったく異
 なった文明を育んできた人々がいた。  
 それが、縄文時代の人々であり、その伝統を受け継いだ日本の稲作漁撈民なのである。
 この縄文文化と稲作漁撈民の文明の延長線上に開花する新たな生命文明こそ、地球環境
 問題を解決できる切札ではないかと、私は考えている。
・縄文文化は自然と共生する文明を一万年以上にわたって維持し、日本の森を守りとおし、
 大地の豊穣性を維持し、森と共生する文明を構築した。
 そして驚くべきことに、一万年以上にわたって人と人が殺し合うことのない世界を維持
 した。 
・こうした縄文文化の心を受け継いだ稲作漁撈民は、急傾斜地に自らのエネルギーを投入
 し、不毛の大地を美しい棚田を造成した。
 不毛の大地を豊かな大地に変えること喜びを覚える文明を構築した。
 稲作漁撈文明のエートスは「持続と循環」である。
 だから、稲作漁撈民は大地の豊穣性を食いつくすヤギやヒツジなどの食肉用の家畜を導
 入しなかった。
・そして森と水の循環系を守るために、上流・中流・下流の人々が水を核とした森里海の
 連環に立脚する運命共同体を構築してきた。
 水によって人と人がつながる文明社会を構築し、生命の循環系を維持してきた。
・水を美しく利用するためにはたえず他者の利益を考えなければならない。
 日本文明を特色づける「慈悲の心」と「利他の心」は、この水を美しく利用することか
 ら生まれた。 
・そして稲作漁撈民は、生物多様性を守った。
 水田は生き物たちの楽園であるだけでなく、地下水を浄化し気候を穏やかなものにした。
 生きとし生けるものとともに、この美しい地球でともに千年も万年も持続的に生きるこ
 とに最大の価値をおき、人と自然を信じる持続型の文明社会を構築したのだ。
・持続型の文明社会を維持するためには、自然を貪らず、欲望をコントロールする心が必
 要である。
 欲望をコントロールする心をたたき込むために、勝手なことをした人を、村八分や打ち
 首にするなど、厳しい制裁を加えた。
 その掟によって、ホモ・サピエンスの右肩上がりを指向する欲望はコントロールされて
 きたのだ。
・言うまでもなく日本は島国である。
 島国で暮らす人々は、自分たちの住む世界が有限であることを体験的に知っていた。
 それゆえ、限りある資源をどう持続的に利用して社会を構築するかに知恵を絞ってきた。
・我われの本当に幸せは、川に美しい水が流れ、森の中には生き物たちが命を輝かせ、
 生きとし生けるものの命が輝くその中で、美しい大地とともに千年も万年も淡々と持続
 的に生きることなのである。 
 ほかには何もいらない。
 この美しい大地と森と水と生き物たちの世界があれば、この地球で生きていくことがで
 きる。
・生きとし生けるものの生命の輝く世界をこの地球に実現する。
 それが生命文明の根幹を形成する思想であり、曽於ルーツは縄文人と稲作漁撈民が構築
 した「森と環境国家ニッポン」にある。
 
欧米文明による日本人の心の破壊
・福島県会津の「勝常寺」で「徳一」菩薩坐像を間近で拝見した。
 頭部が異様に大きく作られたその像には、山の霊力が凝集していた。
 徳一菩薩の再発見は、日本の山岳信仰の再発見であり、神仏習合の世界の再発見である。
・明治維新政府が近代化を推し進める上で、もっとも邪魔になったのは、「神仏習合」と
 「修験道」だった。
 神と仏が融合した迷妄の世界をもつ日本人の心を単純化し、一神教を背景とした近代欧
 米文明を受け入れやすくすることが必要だった。
・何よりもキリスト教にとって、山は悪魔の棲むところ、魔女の暮らすところであった。
 そうした山を崇拝する日本人の心は近代化の障害になると考えたのである。
・こうして神仏分離令と修験道廃止令によって、日本では廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、神仏
 習合と修験道は壊滅的打撃を受けた。 
・しかし、この明治新政府に最後まで抵抗を試みたのが、徳一菩薩が山岳信仰の拠点とし
 た会津の人々だった。
 なぜ会津の人々は、明治新政府が断行する近代化による欧米文明の危険性をいち早く感
 じとることができたのか。
 それは徳一菩薩以来の山岳信仰の心が、その危険性を感じさせたのである。
・それは会津戦争で自刃した「西郷頼母」の妻千重子の辞世の句、
 「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそきけ」
 によく表現されている。
 会津の人々が涙なくして読むことのできないこの千重子の辞世の句こそ、日本人の魂が
 語られている。
 「たわまぬ節」こそ日本人の魂なのである。
・会津の人々は、近代化によって生きとし生けるものを崇拝し、利他の心や慈悲の心をも
 ったおだやかなにほんの伝統社会が崩壊することを、敏感に感じとっていたのである。
 そして、その後の日本の歴史は、この千重子の歌のとおりとなった。
・21世紀、われわれ日本人はやっと欧米文明の限界を知った。
 物質エネルギー文明の欧米に従う生き方が行き詰った現在、再び神仏習合や修験道が見
 直され始めている。 
 山の力が見直されているのである。
・なぜ日本人は山を崇拝するのか。
 それは山が稲作漁撈にとって必要不可欠の水の源であるからである。
・その山は森におおわれ、その森の林床からはこんこんと和泉があふれ、田畑を潤す。
 水田は、生物の多様性に満ち溢れ、水を張った水田はミクロな気候を穏やかにし、地下
 水まで浄化していた。   
・そして、その水はふたたび川を流れて海に流れ着く。
 湯田中森の栄養分をいっぱいに含んだ水は海のプランクトンを育て、そのプランクトン
 を食べて魚が大きくなる。
 その魚を人間がタンパク質として食べる。
 時にはその魚は水田の肥料にさえなった。
・稲作は連作が可能だった。
 山に森があり、川に水が流れ、林里海水の循環系が維持されている限り、稲作漁撈民は、
 この美しい地球で、千年でも万年でも、持続的に生き続けることができたのである。
・そして稲作漁撈民は死んだら山に帰ると考えていた。
 あらゆる水の源である山に帰るのである。
 そしてその山から自分たちの子孫の繁栄を見守るのである。

・しかし、こうした縄文時代以来の日本人の心は、近代化の過程において、キリスト教に
 立脚した欧米文明を受け入れるなかで、大きな痛手を被った。
 日本人の魂の原典とでも言うべき伝統的な神道や仏教は、欧米のキリスト教の世界観と
 の対決のなかで、壊滅的打撃をこうむった。
 この明治維新こそ、「ニッポンの漂流」が始まった時代である。
・西欧のキリスト教の精神世界に立脚した近代文明をいち早く受け入れるためには、神と
 仏が融合する多神教的世界ではなく、一神教的世界を持つほうが、受け入れやすいとい
 う、時の為政者たちの思惑があった。
・しかし、強制的には廃仏毀釈をし、山頂の仏像を破壊しても、日本人の心から山への崇
 拝を消し去ることはできなかった。   
 それが風土が生み出した歴史と伝統の重みである。
・明治維新につづく二番目の大きな「ニッポンの漂流」は、第二次世界大戦の敗戦で引き
 起こされた。 
 今度は神道が壊滅的打撃を受けた。
 マッカーサーは日本を共産主義に対決するキリスト教の理想郷にしたいという野望に燃
 えてやってきた。
 彼はまず手をつけたことは、神道から魂を抜き去ることであった。
 以来、神官はみずかの哲学をかたることなく、仏教は葬式儀礼の宗教に堕落していった。
・マッカーサーは、一つの民族を根絶やしにするには、その民族の歴史を奪うことがもっ
 とも効果的であることをよく知っていた。 
 なぜなら、彼はアングロサクソンがネイティブ・アメリカンを侵略し、その文化を破壊
 し、民族の自律を崩壊させたアメリカの過去の成功事例から、そのことをよく学んでい
 たからである。
 伝統文化を否定し、歴史を消し去ることが、その民族の力を削ぐもっとも効果的な手法
 であることを知っていたのである。
・こうして日本に知的エリートたちは、伝統的な神道や仏教への信仰を捨て、マルクス史
 観の信奉者になった。
 知的エリートたちがマルクス史観に心酔する中で、日本古来の伝統的な神道や仏教の世
 界観は古臭いもの、封建的、非人道的な宗教と見なされ、「宗教はアヘンだ」とまで言
 われた。
・今になって思えば、キリスト教徒になり、マルクス史観の信奉者になった知的エリート
 が、ほんとうに日本の知的エリートであったかどうかは、はなはだ疑わしい。
 彼らこそマッカーサーの手先となって、「ニッポンの漂流」を加速させた人々であった
 のではあるまいか。
・1989年のベルリンの壁の崩壊によって、マルクス史観を臆面もなくとなえるエリー
 ト集団は、しだいに影をひそめていった。
 1990年代から顕著となる地球環境問題の出現によって、やっと日本人は自らの足元
 の歴史と風土が生んだ神道や仏教の持つ世界観の重要性に気づきはじめた。

グローバル市場原理主義による破壊が始まった
・21世紀の地球環境問題は、事前を一方的に搾取し欲望の暴走を止めることのできない
 畑作牧畜民の文明と、その延長線上に誕生した物質エネルギー文明によって引き起こさ
 れたものである。つまり欧米型の文明の限界を示しているのだ。
・市場原理もまたこの畑作牧畜民が創造したルールである。
 もしこのまま市場原理主義の社会を貫徹するならば、日本民族の存立の基盤となる日本
 固有の領土を喪失し、日本はお金儲けのために日本民族そのものを根絶やしにすること
 になるであろう。 
・日本の若者にかわって外国人労働者を大量に導入することによって、一時的には富裕層
 は生き延びることができるかもしれない。 
 しかしそれは結局、富裕層にとってもプラスにはならず、日本は大きな社会的変革を被
 ることになるだろう。
・日本列島に暮らし、日本語を話せばだれでも日本人になれる。
 それはこれまで日本列島にやってきた人々の数が少なかったからである。
 圧倒的に在来の日本人の数が多く、そこに少数の異邦人がやって来ても、いつかは日本
 人に同化することになった。
 ところが、これからは市場原理主義の下に他国からさらに大量にやってくるのだ。
 しかも彼らは稲作漁撈民ではなく畑作牧畜民なのである。
・さらに恐ろしいのは、市場原理主義の下、お金を手にした富裕層が日本の水源の森を買
 い占めることである。 
 そして日本の土地所有の制度では、所有者に極めて大きな権限が与えられる。
 土地を所有したものはその土地をいかようにも使用できる。
 買い占めた土地は柵で囲い込み、その中で何をしようと自由な治外法権の天国がつくれ
 るのである。
・とりわけ21世紀は水の危機が深刻になる。
 その水の資源を求めて水源の森を買い占め、その森のなかで地下水を汲み上げて販売さ
 れても、現在の日本の法体系の下ではなんら違法ではないのである。
 
・中国で何ゆえに森林が荒廃したのか。
 それはヒツジやヤギを飼う畑作牧畜のライフスタイルに起因しているが、同時に中国人
 の自然に対する接し方が大きくかかわっていた。
・中国では清朝に大規模な森林荒廃が進行した。
 その背景には棚民とよばれる山岳地帯への漢民族の移民が深くかかわっていた。
 彼らはもともとそこに暮らしていた人々ではなく、大地に愛着もない移民集団だった。
 彼らは極めて短期的に森林資源を収奪し、現金化することを目指した。
 まず山地の森林を伐採して売り払い、つぎに売却不可能な雑木はキノコ類を生産するほ
 た木として利用し、伐採跡地はではトウモロコシ、タバコ、アヘンなどを栽培し、わず
 か数年で山地の地力を使い果たすと、その山地を放棄して他の山へと移動して同じこと
 を繰り返した。こうして中国の森林の荒廃は極端に進行したのである。
・同じ山岳地帯においても、古くから山岳地帯に暮らしていたミャオ族やトン族などの少
 数民族は、大地を愛し植林をし、代々森林資源を守ることに最大の価値をおく暮らしを
 つづけていた。 
・棚民はミャオ族やトン族が神の暮らす聖なる森として守ってきた森もお金のために破壊
 した。 
 ミャオ族やトン族にとっては「まさかこんなことをするとは思わない」ことを、棚民は
 おこなった。
・おなじことが日本の近未来にも引き起こされるかもしれない。
 なぜなら、日本列島に暮らす日本人は、今やミャオ族やトン族などの小民族と同じ立場
 におかれているからである。
・新たに水源の森を購入した外国人には、日本の森への愛着はない。
 お金儲けが彼らにとっては最も重要なのである。
 こうして日本の森林が外国人の手に渡ったとき、日本の森は極度に荒廃するのであろう。
・日本人にとっては、人を信じ、自然を信じ、自らを慎み、世のため人のために働くこと
 が最高の美徳であった。
 しかし、この地球上にはそんなことを歯牙にもかけない民族が暮らしているということ
 も事実である。
 そして市場原理主知の荒波の中、お金儲けに最高の価値観を求める人々によって、日本
 の水源の森が狙われているということに、われわれ日本人は気づかねばならない。
 
・日本民族を見本民族足らしめている固有の領土が今、危機に瀕している。
 構造改革によって、例えば対馬は韓国人がビザなしで自由に往来できる「しま交流人口
 拡大特区」になった。
 すると大量の韓国人がやって来て、瞬く間に対馬の主要部が韓国人によって買い占めら
 れたのである。
 私は、この韓国人による対馬の土地の買い占めを早くから問題にしてきた。
 しかし、日本人は私の提言には全く無関心だった。
・日本固有の領土の買い占めは日本国家の危機であり、日本民族の存亡にかかわる重大事
 であるにもかかわらず、日本のリーダーたちは「バブルのときに日本人がニューヨーク
 の摩天楼を買い占めたり、テーマパークを買い占めたのと同じ現象である」という認識
 を持っているにすぎない。 
 すでに韓国内では韓国与野党の国会議員50名による「対馬返還要求決議案」が提出され、
 「竹嶌はもとより対馬も韓国の領土だ」という主張が出始めているというのにである。
・日本の官僚や政治家の子の能天気さと、市場原理主義に毒された平和ボケぶりは、「ニ
 ッポンの漂流」を引き起こし、日本民族を滅ぼし、日本の国家を滅亡に導くのは間違い
 ない。 
 そうした日本国家の衰亡と破滅への第3の序曲は、すでに市場原理主義を極端に推し進
 めた構造改革から始まっていたのである。
・明治維新と第二次世界大戦の敗戦に次ぐ「ニッポンの漂流」の第3の序曲が、市場原理
 主義を極端に推し進めた構造改革から奏でられ始めたのである。
・20世紀はアメリカの世紀であった。
 大量生産、大量消費の文明を創造し、地球の資源を限りなく搾取し、金持ちだけが幸せ
 になれると社会を構築し、誰でも努力すればお金持ちになることができ、幸せになるこ
 とができるという共同幻想を現実のものにしたのが、アメリカ文明であった。
 アメリカ文明の繁栄は市場の自生的秩序を神の命令と見なし、神厳の道徳的倫理的感情
 を一切排除した市場原理主義に立脚していた。
 そのアメリカの後を追い続けたのが構造改革であった。
・「日本はアメリカに後れを取っている。いま、構造改革をやらなければ、いま、規制緩
 和をやらなければ世界に遅れる」と主張して、巧みに島国根性の日本人の心の弱みに
 つけこんで、日本のすばらしい伝統的な社会や文化、道徳的倫理感を切り捨てて、明治
 維新と第二次世界大戦の敗戦に次ぐ、「ニッポンの漂流」第3の危機をもたらしたのが
 構造改革であった。 
 その構造改革はお金持ちや大企業にはいくつかの功の面もあったが、弱者にはほとんど
 負の側面しか残らなかった。
・市場原理主義に立脚した構造改革の結果、弱者が疲弊する社会になってしまった。
 道徳的倫理観が荒廃する社会になってしまった。
 とりわけ日本の未来を担う若者に希望を失わせる社会を構築した責任は極めて大きい。
 それは日本国家100年の大計に大きな負の遺産を残したのではないか。
・今や日本の未来を担う若者が明日からの生活の糧さえ奪われており、年収が150万未
 満の非正規雇用の若者では結婚しても子供を作り育てることもできない。 
 数年伊那に数百万人の非正規雇用者が命の危機にさらされ、長期的には日本人の人口は
 減少し、日本人は叙の地上から根絶されてしまうと日本の若者は感じ始めているのであ
 る。
・構造改革の断行によって東京が繁栄し、地方が崩壊する社会になってしまった。
 地方が疲弊した結果、「限界集落」という言葉が生まれ、美しい日本の山野は人の住ま
 ない二束三文の土地になって荒れ果ててしまった。
 東北のブナの森は世界にもまれな美しい森である。そして大切な水がめである。
 しかし、構造改革の結果、地方が疲弊し山村が放棄され、その土地は無住の地となり、
 地下は極端に下落した。
 しかし、その地価の下落した美しいブナの森は生物多様性の宝庫であり、水源林なので
 ある。
 こんな美しい日本のブナの森をお隣の韓国や中国で見ることはきわめて困難である。
・中国も4000年以上前は国土の90パーセント以上が森に覆われていた。
 しかし、文明の進展のなかで森は破壊し尽くされ、いまではわずかに14パーセントの
 森があるにすぎない。 
 しかもその森を見ようと思ったら、北京から4時間近く飛行機に乗り四川省の成都には
 いり、それから車で岷江の源流部を半日以上さかのぼって、やっとパンダのいるツガの
 森にたどり着けるのである。
・韓国はどうか。
 オンドルの使用によって韓国の森は荒廃し、6000年前に全土を覆っていた森の荒廃
 が始まり、アカマツ林とはげ山の国になってしまった。
 そのはげ山の国に植林をしたのは第二次世界大戦以前の統治時代に韓国を植民地として
 いた日本人だった。
・その韓国によって対馬の土地が買い占められている。
 また、首都圏に近接する千葉県のゴルフ場の約2割は今や韓国資本である。
 これはほんの氷山の一角に過ぎない。
 空港の意地に悩み韓国人の観光ツアーを受け入れている福島県も、いずれは韓国人のも
 のになるかもしれない。
・そういう事態を引き起こしてしまっている地方の人たちを「自分たちの生活を維持する
 ために自らの故郷を売っている」とバカにすることはできない。
 なぜなら、今や、日本国民全体が、経済力を維持するために、売ってはならない日本列
 島の水源の森までも危機にさらしているからである。
 それは市場原理主義の荒波に翻弄されはじめた日本の国家が抱える構造的欠陥なのであ
 る。そうした構造的欠陥が、日本列島のなかの弱い地域に端的に表れ始めただけなので
 ある。
・かつて林野庁が大きな過ちを犯したことがある。
 伝統的な森の文化を切り捨て、ドイツの一斉造林の手法を取り入れて、ブナの森を破壊
 して金になるスギの木を植えた。
 それはひとえにスギが金になるという、まさに市場原理主義と同様の考えを林野行政に
 導入したために引き起こされた。
 その結果が現在の林野の荒廃と花粉症の頻発である。
 この林野行政における大失敗は、伝統的な日本の森の文化を切り捨てたために引き起こ
 された。
・金儲けに目のくらんだ林野行政のつけは50年後に顕在化してきた。
 同じように、この構造改革のつけはあと50年後に顕在化してくるだろう。
 日本の未来を担う若者に希望を失わせる社会を構築した責任は極めて大きい。
・日本の政治家は、もっと日本人の心の気高さに強さに、そして柔軟性に自信を持つべき
 である。
 そして未来のビジョンは日本人の過去の歴史に学ぶことによってしか生まれないことを
 自覚し、その素晴らしい日本文化や日本社会の伝統に立脚した政治を実施し世界に発信
 すべきである。
・生命の誕生と死。
 これが縄文人の人生にとって最大の出来事だった。
 生きとし生けるものの命を畏敬し、生命を生み出す女性中心の社会を構築し、生命の連
 鎖が続くようにと、縄文人は地球に祈った。
 だから自然と共生し、皆殺しや、戦争のない平和で穏やかな世界を一万年以上にわたっ
 て持続させることができた。
 生きとし生けるものとともに生き、自然と醸成する生命文明の根幹を作ったのは縄文人
 だった。
・その歴史と伝統をもう一度思い起こし、過去に感謝し、祖先の叡智に感謝することがま
 ず必要である。
 そして今、自分が生きているということは、未来への責任を伴うことを知らなければな
 らない。
 祖先が残してくれた美しい緑あふれるこの日本列島の大地を、子々孫々に伝えるべき責
 務を、私たちは負っているのである
・畑作牧畜民は、森を破壊し無数の生命を奪い、最後には大地を声明のない砂漠に変えて
 きた。
 どうしてこんな無謀なことをしたのか。
 それは繰り返される民族移動の荒波に翻弄される中で、「旗抱く牧畜民は人びとを信じ、
 自然を信じる心を失った」からである。
・民族移動の嵐の中で、一つの民族の皆殺しさえ引き起こされた。
 一昔前の人々は、自分たちとは全く無関係の人々である。
 言葉や文化の違う異民族が入り乱れる流動性の高い社会では、他人を信じることができ
 ない。  
 ましてや人間世界の外側にある自然を信じ未来を信じることなど考えることもできない
 ことであった。
・「過去への感謝と未来への責任」より、自分たちがいまどのようにして生き残るかで精
 一杯だった。
 目先の現金が重要であって、いまもらわなければいつもらえるかわからない。
 だから祖先の叡智に感謝し、美しい自然を守り、それを未来へ伝えることなど考えも及
 ばないことなのである。
・こうして過去との断絶と、未来への責任感を持たない畑作牧畜文明のなかで生まれたの
 が、グローバル化と市場原理主義の経済理論である。
・それは「過去への感謝と、未来への責任」を全く欠如した経済理論だった。
 ましてや自然への感謝、生きとし生けるものへの畏敬の念など微塵もない。
・その市場原理の経済理論の根本にあるのは、いまある自分の欲望だけである。
 今ある自分の欲望を最優先し、お金儲けを最優先にした経済理論によって、生きとし生
 けるものの生命に満ち溢れた美しい山河は破壊されてしまった。  
・そして今、グローバル化した市場原理主義のなかで、日本人が縄文時代以来、培ってき
 た森里海の連環が危機にさらされ始めた。
 それはグローバル資本による水源林の買い占めである。
 水の危機に直面したグローバル資本が、水源を獲得して、ひと儲けするために、水源林
 を買いにやって来る。

あとがき
・2011年、群馬県嬬恋村でちょっとした騒ぎになった。
 44ヘクタールがシンガポール人に買収されたが、このとき隣接地の「湧水量4分の1」
 を使用する権利もついていたからだ。
 村は慌てて保全条例を制定したけれど、地主が元にもどることはない。
・別の自治体では、二つの水道水源林が外資(中華系)から買い戻そうとしていたが、か
 なわない。 
 2011年から2年越しの交渉を続けているが、価格面で折り合いがつかないのだ。
 町民向けの飲料水は、外資から水源地を借りながら供給していくしかない。
・北海道倶知安町では、陸上自衛隊駐屯地から3キロメートルの距離にある香港資本が購
 入した。 
 57ヘクタールでいわば基地の喉元を押さえた格好だ。
 価格は相場の数倍だったというが、その外資への連絡はつかないし、ペーパーカンパニ
 ーなのかどうかよくわからない。買収したのは2008年だった。
・いずれの場合も倍祐吾はそのまま放置で、今のところ、買戻しが成功した例はない。
 しかも集計された事例は、氷山の一角であることもわかってきた。
 外資は騒がれることを厭い、売買を表に出さなくなっているからだ。
 秘匿し続けるといろいろ有利なこともわかってきた。
 すでに外資から外資へ転売された事例も出てきているが、しだいに負えなくなっている。
 本国で転売を繰り返して行けば、やがて日本では徴税ができなくなるだろう。
・ところが肝心の国会内では意見が割れたままだ。
 「グローバル化の一環だから・・・神経過敏になる必要はありません」
 「倍祐の用途が別荘用や資産保有などで、脅威論的なとらえ方はしていません」
・外資の森林買いを恐れない勢力がまだまだ根強い。
 土地は一度買われたらおしまいなのだが。本当に大丈夫なのか。
 「落ち着いてください。ただちに皆さんの〇〇に影響が出るものではありません」
 こう論じながら、あとになって修正していくやり方をこのケースでも当てはめるつもり
 だろうか。