集団的自衛権とは何  :豊下楢彦

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安倍首相は、日本が集団的自衛権を行使できるようにならば、日米の関係は圧倒的に対等
になり、日本はアメリカにたいして、もっと主張できるようになると主張していた。多く
の憲法学者から「憲法違反だ」と指摘され、多くの国民からも反感をかいながらも、安倍
首相は姑息なやり方で、集団的自衛権行使容認の解釈変更を行い、安保関連法を成立させ
た。
あれから2年。それでは日本は、アメリカと肩を並べる対等な関係になったのだろうか。
アメリカに主張できる関係になったのだろうか。北朝鮮の核・ミサイル問題に対して、ト
ランプ大統領にすり寄り、トランプ大統領と一緒に、北朝鮮を「対話ではなく制裁だ」と
制裁一辺倒の主張を繰り返し、さらに緊迫な状況を煽ることが、アメリカと対等な主張を
することなのだろうか。本来は、中立的立場に立てる日本は、アメリカと北朝鮮との間に
入り、両国が軍事衝突に向わないような調整役に回るのが、「真の独立国としての日本」
の立ち振る舞いではないだろうか。
北朝鮮のミサイルに対して政府は、日本のミサイル防衛体制は2段構えで、まずはイージ
ス艦に搭載されているSM−3で宇宙で迎撃する。それで撃ちもらしたものは、地上に配
備されたPAC−3で向かい撃つから完璧だと説明する。そして、安倍首相は、米国に向
けて発射された北朝鮮のミサイルを日本で撃ち落とすのは、「集団的自衛権」の行使容認
で可能になったと、気勢を上げている。しかし、よく調べて見ると、北朝鮮の訓練発射と
言われる「火星ー12号」の弾道を見ても、日本上空を通過するときの高度は500km
以上だったと言われている。片や、SM−3の最高迎撃可能高度は120km程度だ。つ
まり、当てられるかどうかの問題以前に、いくら頑張ってもぜんぜん届かないのだ。これ
は、日本が新たに導入を検討しているイージスシステムを陸に揚げたものと言われる「イ
ージス・アショア」とて同じことだろう。しかも、北朝鮮は”スカッド”や”ノドン”と呼ば
れる中距離ミサイルを保有し、すでに実戦配備している。米国の軍事情報研究機関によれ
ば、その数や1100発以上とのことだ。そしてそれらのミサイルのほとんどは、日本に
向けられているという。いざ、米朝戦争ともなれば、米国と一体化した日本は、ただでは
済まないだろう。
安倍首相は、たとえ集団的自衛権の行使が容認されても、日本は米国の戦争に巻き込まれ
ることはない、日本はその行使にあたっては「主体的に判断する」と主張していたが、も
うすでに巻き込まれているのが現実ではないのか。それにもし、米国から集団的自衛権の
行使を求められた際に、「主体的な判断」をくだして「ノー」と言えば、米国側からみた
らそれは、「日本の裏切り行為」となる。この集団的自衛権の行使容認の解釈変更によっ
て、日本という国は、実質的に米国の「手下」に成り下がったのだ。たとえアメリカのた
めに日本の自衛隊が血を流しても、アメリカに何も主張できない、アメリカの意向に振り
回されだけの、「なさけない国」に成り下がってしまうだろう。

はじめに
・みずからの敵がだれなのか。だれに対して自分は戦ってよいのかについて、もしも他者
 の支持を受けるというのであれば、それはもはや、政治的に自由な国民ではなく、他の
 政治体制に編入され従属させられているのである。
・国連憲章では、次の三つの場合にのみ武力行使が認められている。その一つが、「平和
 に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」の発生に対し、安全保障理事会(安保理)の
 決定に基づいてとられる「軍事的措置」の場合である。この措置は、国連の名において
 実施される点で「公権力の行使」にたとえられ、集団安全保障と呼ばれる。あとの二つ
 は、加盟国に対する「武力攻撃が発生」し、安保理が必要な措置をとるまでの間に認め
 られる、個別的自衛権の行使と集団的自衛権の行使の場合である。個別的自衛権は、自
 らの国が攻撃された場合に自衛する権利であるが、集団的自衛権については、様々な定
 義づけがなされてきた。しかし、日本においてもほぼ通説とされているが、「自国と密
 接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないにもかかわら
 ず、実力をもって阻止するkと」という定義である。これは、何よりも軍事同盟の場合
 に当てはまるものであって、事前に想定された「敵」が同盟国を攻撃した場合に、自ら
 が直接攻撃を受けていなくても、武力を行使して「共同対処」しようとするものである。
 この点で、「仮想敵」を想定せず安保理の管轄下で実施される集団安全保障と、共通の
 「仮想敵」を設定し、安保理が機能するまでの間においてのみ認められる集団的自衛権
 とは、根本的に異なった概念なのである。
・集団的自衛権は国連憲章に規定された権利であり、国連加盟国である日本もその権利を
 保有している。しかし、国際紛争を解決する手段としての武力行使の放棄と、国の交戦
 権の否認を規定した憲法九条によってその行使は認められないというのが、自衛隊の発
 足以来、政府の一貫した解釈となってきた。
・日本が集団的自衛権を行使するという場合、「自国と密接な関係にある外国」とは、言
 うまでもなく、安保条約を取り結んでいる米国である。つまり、日本と米国が「共通敵」
 を設定して「共同対処する、ということになる訳である。ところが、北東アジアに限っ
 てみても、米国が設定する「敵」は、これまでしばしば変化してきた。1960年代に
 入ると、それまでの旧ソ連に代わって中国が「主要敵」とされ、「中国封じ込め政策」
 が米国のアジア政策の根幹にすえられた。日本国内では批判も強かったが、自民党政権
 はひたすら忠実に米国の「中国封じ込め」に「貢献」した。ところが、ある朝眼が覚め
 てみると、日米の「共同敵」であったはずの中国と米国が、突如として和解したことを
 知らされることとなった。
・安倍首相は、集団的自衛権に取り組まなければならない理由として、「日本をとりまく
 安全保障環境の大きな変化」を挙げた。ここで首相の念頭にあるのは、中国の軍事大国
 化であると共に、何よりも、北朝鮮によるミサイル発射と核実験に示される新たな脅威
 の増大であろう。
・米国の国防関係者はかねてより、あくまでも北朝鮮を当面の「敵」に設定しつつ、米国
 に向う弾道ミサイルを日本が迎撃できる「法的・軍事的体制の整備」強く要求してきた。
 この「法的体制の整備」と言われるものが、他ならぬ集団的自衛権の問題なのである。
・「軍事的体制の整備」については、実は現在配備されているイージス艦搭載のSM−3
 では、高高度を飛翔する長距離ミサイルを迎撃することは技術的に不可能なのである。
 そこで米国の要求に応ずるため、新たに膨大な税金を投じなければならないのである。
・そもそも集団的自衛権の問題は、武力行使の領域にかかわる、すぐれて軍事レベルの問
 題である。だからこそ、日本の”頭越し”に、北朝鮮が米国にミサイル攻撃をかけるとい
 う軍事的「最悪シナリオ」も想定されるのである。しかしそこでは、何のために北朝鮮
 が米国を攻撃するのか、という政治レベルの根本的な問題は一切問われることはない。
 従って当然のことながら、日本の”頭越し”に、北朝鮮と米国が和解するという政治的
 「最悪シナリオ」が進行する場合には、ただ狼狽する以外にはないのである。
・岸政権が達成できなかった日本の軍事的貢献度を高めることによって、米国に対して
 「帯刀性」を確保しようというのが、安倍政権による集団的自衛権の解釈変更なのであ
 る。しかし、米国による「友・敵」関係の設定は固定的なものではなく、いつでも日本
 が”はしごを外される”という事態が予想されるのである。
 
憲法改正と集団的自衛権
・2005年当時、自民党幹事長だった安倍晋三は「改憲してその制約(武力行使の禁止)
 を取り去ると、その先にある日本の行動としては、米国とともに武力行使をする、テロ
 リストを排除するということが可能になるということです」と率直に述べている。
・安倍晋三は、著書「美しい国へ」で「戦後体制からの脱却」を唱えたが、それを象徴す
 るものが憲法九条の改正であり、集団的自衛権の行使なのである。なぜなら、集団的自
 衛権を行使できない日本は「禁治産者」にも比されるべき国家であり、集団的自衛権を
 行使できるようになって初めて、日本は日米安保条約において「双務性」を実現し、米
 国と「対等」の関係に立つことができるからなのである。
・1972年当時の田中角栄内閣は、「わが国が、国際法上、集団的自衛権を有している
 ことは、主権国家である以上、当然といわなければならない」と、国際法のうえで日本
 も集団的自衛権の権利を有していることの立場を明らかにした。しかし問題は憲法との
 関係である。九条については、「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止し
 ているが、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置とす
 ることを禁じているとはとうてい解されない」と、個別的自衛権の行使を認めている。
 ただその場合も、「だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、自衛のた
 めの措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで国の武力
 攻撃によって国民に生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急
 迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、
 はじめて容認されるものである」と、個別的自衛権であっても、その行使に厳格な”制約”
 がはめられていることを強調している。そして個別的自衛権であっても”制約”が課せら
 れるのである以上、「そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許され
 るのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、した
 がって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自
 衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」とした。これが集団的自衛権に
 ついて、今までの政府解釈の「原点」なのである。
・1981年当時の鈴木善幸内閣は、集団的自衛権について、「わが国が、国際法上、集
 団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法九条の下に
 おいて許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するための必要最小限にとどまる
 べきものと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであっ
 て、憲法上許されないと考えている」との論理を展開した。
・ところが安倍晋三は、「私は、(集団的自衛権を)現行憲法でも行使できると思ってい
 ます」と主張した。その根拠は、「内閣法制局は集団的自衛権も「必要最小限を超える」
 と言っているわけです。それは量的な制限なわけで、絶対的な「不可」ではない。少し
 の隙間があるという議論もある。であるならば、「必要最小限の行使があるか」という
 ことについては、議論の余地を残しているといえる」との考えを示した。
・集団的自衛権に関する従来の政府解釈に対して安倍晋三が批判を加えた場合、つねに真
 っ先に俎上にのせるのは、「国際法上保有、憲法上行使不可」という論理である。「権
 利があっても行使できない。それは、財産に権利があるが、自分の自由にならない、と
 いうかつての”禁治産者”の規定に似ている」「権利を有していれば行使できると考え
 る国際社会の通念のなかで、権利があるが行使できない、とする論理が、はたしていつ
 まで通用するのだろうか」と主張した。世に「俗論」と言われるものがある。一見する
 と説得的に思われるが、冷静に分析すると根拠のない議論のことである。安倍晋三の議
 論はその一つの典型であろう。
・2004年に公明党の魚住議員は、「持っているけれども行使できないというのはこれ
 はもう矛盾じゃないかというような立場から批判がありますし、また解釈の変更を求め
 るという意見もあります。けれども、その意見は、やはり国際法上の次元と各国の憲法
 とか国内法の次元という問題とを混同しているのではないかというふうに私は考えてお
 ります」と述べた。
・東京大学の国際法を担当する大沼教授も「国際法上も、自分が本来、自国が本来持って
 いる権利を自国の決断、判断によって拘束するということは十分あり得ることであって、
 国際法上持っている権利を日本が憲法上それを制約するということは法的に全くあり得
 ることで、それを矛盾と言うことの私は意味が全く理解できません」と述べている。
・今日の日本において、「使用できない権利は権利でない」といった法律論の「常識」を
 疑いしめるような議論が、なぜ政界の指導者や著名な有識者、メディアにおいて影響力
 を持つようになったのかという問題は、軽薄さが支配する論壇状況の分析も含め、別個
 に検討されなければならない。ただいずれにせよ確認されるべきは、「国際法上保持、
 憲法上行使不可」という集団的自衛権に関する政府解釈は、法律論としてその妥当性が
 議論される問題では全くなく、国家が採るべき基本的な選択にかかわる問題なのである。
・安倍首相は、集団的自衛権に関する「有識者懇談会」の設置に前後して、内閣法制局に
 対して憲法解釈の変更を求めた。こうしたことが許されるならば、政権交代が起きる度
 ごとに、政権の圧力によって解釈が変更されていくという、異常な事態が生じることに
 なる。  
  
憲章五一条と「ブッシュ・ドクトリン」
・安倍晋三が国連憲章五一条について、個別的自衛権と集団的自衛権をまったく同じレベ
 ルにおいて共に自然権であると主張するのは結局のところ、条文の字面を表面的のみ捉
 えて議論を次々と飛躍させた結果にすぎないのであって、そこでは五一条の成立の経緯
 が実証的に踏まえられていないのである。
・集団的自衛権を行使するためには、攻撃の犠牲者たる国家が武力攻撃を受けたことを自
 ら宣言することと、当該国家からの要請という二条件が要件となるのであって、犠牲者
 たる国家の要請がない場合に集団的自衛権の行使を容認するような規則は慣習国際法上
 存在しない。そもそも集団的自衛権は、反政府勢力への武器への供与など「重大さの程
 度において劣る武力行使」に対しては行使できず、それはあくまで武力攻撃がなされた
 場合に限られるとし、個別的自衛権に比して集団的自衛権の行使に厳格が要件を課して
 いる。 
・イラク戦争において、これまで日本の政府や外務省は、米国のイラクに対する侵攻につ
 いて、イラクの大量破壊兵器をめぐる一連の国連安保理決議を法的根拠として挙げてき
 た。たしかに開戦にあたって米国政府は、戦争の正当化の大部分を安保理決議において
 いる。しかし、実に皮肉なことに、ブッシュ大統領自身が、こうした前提を否定してい
 るのである。ブッシュ大統領は、安保理の枠内でイラクに対する長期的な要求を実現す
 るため努力してきたが、「しかし、安保理常任理事国の中には、イラクに武装解除を強
 制するいかなる決議案にも拒否権を発動すると公然と表明した国がある。これらの政府
 は我々と危険の認識を共有しているのに、危険に対応する決意は共有していない。国連
 は安保理は責任を全うしなかった。それゆえに、我々の責任に応じて立ち上げる」と明
 確に言い切った。ブッシュ大統領が「武力解除を強制する」決議案を安保理に提出して
 ”安保理のお墨付き”を獲得しようとしたが、フランスが拒否権の行使を主張したため、
 採択に至らなかったのである。
ブッシュ政権は、「我々の責任に応じて立ち上がる」「米国には自国の安全保障のため
 に武力を行使する権限がある」、つまりは自衛権の発動としてイラクに武力行使するこ
 とを内外に宣言したのである。言うまでもなく、ここでは国連憲章五一条が規定する
 「武力攻撃の発生」も、あるいはそれに至る「差し迫った脅威」も前提とされていない。
 「恐ろしい日が来る前に、行動するのが手遅れになる前に、危険を排除する」というこ
 とが強調されているように、それは「予防戦争」と定義づけるほうが正しいであろう。
・つまりその論理とは、「サダム・フセインは武器を製造する能力を持っていた」「彼は
 世界の危険な領域における危険な人物であった」「狂人であった」ということであり、
 さらに「こうした脅威が切迫したものとなった時には遅すぎるのである。新しい戦争の
 時代においては遅すぎるのである」というものであった。ブッシュはさらに、「私の心
 の中ではサダム・フセインは疑いもなく米国にとって危険であった」とさえ述べた。ブ
 ッシュにあっては、「敵」が大量破壊兵器を製造する「能力」を持ち、その指導者が米
 国にとって「危険」とみなされるならば自衛権を発動できる、という論理にたっている、
 ということなのである。
・このような自衛権概念は、2002年に発表された「米国の国家安全保障戦略(ブッシ
 ュ・ドクトリン)」で展開された概念に基づいたものと言える。ここから導き出される
 結論は、「脅威が増大すればするほど行動しないことの危険性が増大し、かくて、たと
 え敵の攻撃の時間と場所が不確定な場合であっても、我々を防衛するために先制的に行
 動することがいよいよ求められることになる」ということであった。
・1981年、イスラエル空軍はイラクのバグダード近郊にあるオシラク原子炉に奇襲攻
 撃をかけ、空爆によって原子炉をほぼ完全に破壊した。イスラエル政府は特別声明にお
 いて、この原子炉はイスラエルを国劇目標におく原爆製造を目的としたもので、核燃料
 の注入によって1カ月以内、あるいは遅くとも3カ月以内には稼働する状況にあったも
 のであり、イスラエルの安全をはかるためには事態を座視することはできず作戦行動
 に踏み切った、と主張した。国際的に非難の声が高まるなかで国連安保理が召集され
 と、イスラエル代表は、オシラク空爆は「道徳的にも法的にも自己保存のための本質的
 な行為」であり、一般国際法と国連憲章五一条に基づいた「固有かつ自然権としての自
 衛権の行使である」と言明した。
・こうしたイスラエルによる自衛権の主張に対し、日本の西堀代表は「イラクによるイス
 ラエルに対する武力攻撃」がなかった以上、一般国際法においても国連憲章においても
 イスラエルの武力行使を正当化する余地はない、と非難した。またスペイン代表は、イ
 スラエルは「将来の仮定としての脅威を防ぐための予防的行動として自らの攻撃を正当
 化しようとしているが、「こうした予防的行動の権利」が認められるならば「ジャング
 ルの法」に立ち戻り、国連の「基本原則が破壊」され、「絶対的な無法状態が生み出さ
 れるであろう」と警告を発した。
・自衛権を主張するためには「即時の、圧倒的な、手段の選択の余地がない、熟慮の時間
 もない自衛の必要」が証明されなければならない、という定式がある。これが「ウェブ
 ター・フォーミュラ」よ呼ばれ、先制的自衛権の行使が正当化される要件として、国連
 が武力行使禁止原則を掲げて設立されて以降も、特に英米系の国際法学者において広く
 言及される定式となってきた。
・ウガンダ代表は、今回のオシラク空爆はイスラエル当局自体が言明したように、何カ月
 にもわたって準備されてきたものであり、「フォーミュラ」定式に照らしても、イスラ
 エルが主張する一般国際法とは「明白に矛盾している」と指摘した。さらに、こういう
 ケースでイスラエルが自衛権を主張することは、あたかもナチス・ドイツが1940年
 にノルウェーやデンマークに対する侵攻を自衛権の行使と主張したことを想起させるも
 ので、「まったくばかげたこと」と断じた。
・イスラエルが結論的に主張した自衛権の論理を整理すると、核の時代においては、数年
 後のことであれ「敵」が持つであろう「核兵器を製造する能力」と、「敵」が「無責任
 で残忍で好戦的な体制」である、という条件が満たされるならば、国家の生存と国民の
 安全を守るために自衛権の行使が許される、という論理なのである。
・「ブッシュ・ドクトリン」は、テロリズムといった非国家的行為主体に対して、現実に
 いかなる効果を持っているのであろうか。2005年のロンドンでの地価手智同時テロ
 といったテロを考えた場合、仮に事前に「能力と意図」が把握されたとして、いったい
 どこに先制攻撃を加えるのであろうか。そもそも、アルカイダというテロ組織が国土の
 大半を実質的に支配していたアフガニスタンの場合は、まさに例外的な事例であって、
 それは基本的には治安対策の対象なのである。「テロの時代」であるから「ハイテク兵
 器」を駆使した先制攻撃が必要という定式化それ自体が、致命的な欠陥をはらんでいる
 のである。
・そもそも、いかなる主権国家が、史上最大の軍事力を擁する米国に武力攻撃を加えると
 いう「自殺行為」に走るのであろうか。理性と合理的判断力を喪失した「ならず者国家」
 であろうか。さしあたり指摘できることは、クリントン政権の時代に「ならず者国家」
 と言われる概念が”登場”して以来の経緯をみるならば、これら諸国の最大の問題関心
 は「体制の生き残り」であって、自爆テロも辞さないテロ組織とは、その行動様式を根
 本的に異にしている、ということである。
・むしろ検討すべきは、「ブッシュ・ドクトリン」が、「核の拡散」ならぬ「先制攻撃の
 拡散」をもたらす現実的な危険性である。すでに、フランスやロシア、英国、オースト
 ラリアなども事実上「先制攻撃」の権利を主張し、皮肉にもイランや北朝鮮までもが
 「米国の排他的権利ではない」などと、同様の主張を行うまでになってきた。
・「悪の帝国」であったはずのソ連の指導者がいつから「合理的な人物」になったのか不
 明であるが、いずれにせよ重要なことは、「ブッシュ・ドクトリン」の先制攻撃論が各
 国に採用されて「拡散」することを防ぐために、イラクの「非合理性」を強調し、その
 反面として、インド・パキスタン、さらには中国・台湾などを「合理性」をもった国々
 として扱わざるを得なくない、ということなのである。
・本質的に異なった文化や価値観、認識レベルによって構成される国際システムにおいて
 は、「ある主体の自己確信的な信念に基づいた先制的自衛の行動」は、他の主体にとっ
 ては重大な判断ミスと思われ、さらに別の主体にとっては「あからさまな侵略」と受け
 とられる。
・安倍晋三が、日本も集団的自衛権の行使に踏み込む必要があると主張する場合の「類型」
 の一つは、公海上の自衛隊の艦船が米軍の艦船と行動を共にしている際に米軍艦船が
 「敵」から「武力攻撃を受けた」場合に、現在の憲法解釈では、自衛艦は米軍艦船を守
 るために応戦できないではないか、というケースである。しかし、ここで何より重要な
 ことは、これらの想定が、米軍に対する「武力攻撃の発生」という国連憲章五一条を大
 前提においている、ということなのである。つまり、五一条に基づいて米軍が自衛権を
 行使するにあたって、日本の自衛隊も”参戦”する必要があるのではないか、という議
 論の組み立てなのである。しかし、「ブッシュ・ドクトリン」の検討に従えば、こうし
 た想定それ自体がまったく成り立たないであろう。かぜなら、「テロの時代」において
 は、国連憲章五一条はもはや「時代遅れ」とされているからである。
・「ブッシュ・ドクトリン」に基づけば、「敵国」に米軍艦船を攻撃する「能力と意志」
 が確認されるならば、その段階で「敵国」対して先制攻撃を加えることができるのであ
 る。それではこお場合、仮に自衛艦が米軍艦船と行動を共にしているならば、日本は
 「集団的自衛権」なるものを行使して、「敵国」に対する先制攻撃に加わるのであろう
 か。

第一次改憲と60年安保改定
・実は、安倍晋三の論理と自民党結党当時の改憲の論理には、重大な相違が存在するので
 ある。自民党検討当時の改憲の論理には、注目すべき二つの特徴があった。一つは、占
 領軍は憲法や境域基本法だけでなく、安保条約それ自体も日本に「押しつけた」、とい
 う認識である。従って、再軍備による「自主防衛体制」の整備は、少なくとも論理的に
 は、米軍撤退・米軍基地の撤去と密接にリンクされていたのである。二つは、日本の
 「真の独立」を達成するためには「自主外交」の展開が不可欠の課題である、という論
 理である。これは「対米一辺倒」と評された吉田外交からの重大な方向転換であり、吉
 田外交と決別してソ連や中国との国交正常化を図っていくことは、米国によって作り出
 された戦後体制からの離脱を意味するもの、とみなされていたのである。これに対して、
 安倍晋三の論理は、「憲法九条を変えても、安保条約の条文を変更する必要はないと思
 います」と明言しており、「押しつけられた」憲法とともに安保条約も変える、という
 論理とは全く異なっているのである。 
・小泉や安倍の路線は、米国との関係さえ緊密さを維持しておくならば日本の安全は確保
 されるという意味において、基本的に吉田の外交路線の継承と言えるのである。つまり、
 自民党の結党当時に、「真の独立」と「戦後体制からの脱却」をめざすにあたって、決
 別の対象とされたはずの吉田外交が、奇妙なことに安倍外交の前提をなしているのであ
 る。 
・安倍晋三は軍事面においては、1953年に吉田が自衛隊発足をめぐる国会質疑のなか
 で、「戦力を持つ軍隊にはいたさない」と述べて、「戦力なき軍隊」論を展開したこと
 を、「この矛盾に満ちた無理な説明は、後に日本の安全保障にとって大きな障害となる
 可能性をはらんでいた」と批判し、経済優先・軽武装路線が「国家にとってもっとも大
 切な安全保障についての思考をどんどん後退させてしまった」と、いわゆる「吉田ドク
 トリン」をきびしく指弾した。
・1955年に当時の外相の重光葵が訪米してダレス国務長官と会談した。重光にとって
 この訪米の最大の目的は、日本には基地を提供する義務はあるが米国には日本を防衛す
 る義務はないという、不平等きわまりない駐軍協定としての旧安保条約の改定を要請す
 ることであった。このため彼は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約(試
 案)」という、具体的な安保改定案を準備していた。ダレスとの公式会談の場では出さ
 れなかったが、実は当時の安保条約を相互防衛条約に改定するという重光案の最大の眼
 目は、米国の全面撤退を実現させるところにあった。こうした重光の狙いにダレスは激
 しく反発した。ダレスにとっては、日本が集団的自衛権を行使して「米国を守る」こと
 よりも、米国が日本の基地を特権的に維持し続けることのほうが、米国の戦略にとって
 はるかに重要な意味をもっていたのである。
・1951年からの吉田首相とダレスとの間で展開された交渉について、焦点は日本の再
 軍備問題であったという「通説」に対し、日米の資料を再検証することによって、当時
 のダレスにとって再軍備問題は副次的な課題であり、交渉における彼の最大の獲得目標
 は、「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」の獲得であった、
 ということである。つまり彼にとっては、日本を独立させて以降も、占領期の米軍の特
 権の維持を保障するような条約を締結することこそが、死活的な意味をもっていたので
 ある。 
・1957年の外務省によってまとめられた安保改定案では、「軍隊を配備する権利が一
 方的に米国に与えられているのであるから、防衛についての義務が一方的になるのは当
 然のことである。日本の防衛は、日本に駐屯する米軍の自衛にほかならない。したがっ
 て防衛さるべき区域を日本以外まで拡げることによって、無理に「双務的」する理由は
 ない」とした。
・このように、安保改定案が、「にほんの防衛は、日本に駐屯する米軍の自衛にほかなら
 ない」という前提にたっていることを踏まえておかなければならない。つまり、米軍が
 日本を防衛するということは、日本にある米軍基地を防衛するという意味において米国
 にとって個別的自衛権の行使であり、同時に他国としての日本を防衛するという意味で
 集団的自衛権の行使でもあるのであって、日米関係における集団的自衛権はこうした関
 係性において成立する、ということなのである。
・1958年、当時の駐日大使であった甥のマッカーサー大使は、安保改定にあたって、
 安保条約区域を日本の施政下にある領域に限定することで日本側に譲歩する”代償”とし
 て、「”極東”における国際の平和と安全の維持が相互の関心事である」という文言を挿
 入することによって旧条約にあった「極東条項」を堅持することを提案した。こうして、
 改定された安保条約(つまり現行条約)において、米軍が日本の基地を使用する目的を、
「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」
 と規定した安保条約第六条(”極東条項”)が生み出されることになったのである。   
・この「極東条項」の導入は、米国の行なう戦争に日本が巻き込まれるのではないかとい
 う世論の批判を招き、当時の岸政権としても「独立国」としての体面をはかる上からも、
 在日米軍の行動に対して日本側としての”発言権”を確保する必要に迫られた。それが
 ”事前協議制”である。@米軍の日本への配置における重要な変更、A米軍の装備におけ
 る重要な変更(核兵器の持ち込み)、B日本からの戦闘作戦行動のための基地使用、の
 三つが、日米政府間における「事前協議」の主題と規定された。
・当時日米間においては、核艦船の寄港問題や朝鮮半島有事などをめぐって、事前協議制
 を骨抜きにする様々な「密約」が取り交わされていた。とはいえ、重要なことは、「密
 約」はあくまで「密約」であって、政府や外務省は国会などの場で国民に対して公式に
 行なった答弁や約束に縛られているのであり、「密約」に基づいて履行された事態が明
 らかになった場合には、たちまち苦境に立たされることにならざるを得ないのである。
・集団的自衛権に関する岸政権の立場は、岸首相の国会答弁によく示されている。岸は、
 「実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろ議論がありまして、
 広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係
 にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、そ
 の侵略される他国まで出かけて行ってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中
 心的な問題になると思います。そういうものは、日本国憲法においてそういうことがで
 きないことは、これは当然」と答えたのである。
・当時の赤城防衛長官も「日本が集団的自衛権をもつといっても集団的自衛権の本来の行
 使というものはできないのが憲法第九条の規定だと思う。たとえばアメリカが侵害され
 たというときに安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、
 そうしてこれを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば日本はそういうもの
 はもっていない。であるので国際的に集団的自衛権というものは持っているが、その集
 団的自衛権というものは日本の憲法の第九条において非常に制限されている」と表明し
 た。
・集団的自衛権に関する岸政権の立場は、それを「広義」と「狭義」に峻別し、他国(米
 国)を守るために海外まで行って武力を行使することを、「本来の」あるいは「中心的
 な」集団的自衛権の行使ととらえ、こうした「狭義」の集団的自衛権については憲法上
 認められない、ということなのである。
・1960年、当時の林法制局長官は、衆議院安保特別委員会において、「個別的自衛権
 は当然認められるが、普通に考えられる自衛措置を越えて他国に対して出ていくという
 ことは、やはり、憲法第九条の容認するところではないと考えている」と述べて、九条
 全体として集団的自衛権は否認されているとの見解を表明した。他方において、基地提
 供とか経済援助などは、いわば「広義」の集団的自衛権とみなして容認されているとい
 うことであり、このような意味において、日本の集団的自衛権は「非常に制限」された
 ものにならざるを得ないという立場なのである。
・また林法制局長官は、「在日米軍に対する攻撃については、(米軍が)日本にいる以上、
 日本の領土、領海、領空を対する攻撃をせずに、これを攻撃することはできませんから、
 日本においては、これを個別的自衛権の発動として排除できる。しかし米国の立場に立
 って見た場合は、自国に対する攻撃と見て、その場合には個別的自衛権、しかし同時に、
 日本を守るという意味においては集団的自衛権、この両方の自衛権の発動ということに
 なる」との見解を表明した。
 
政府解釈の形成と限界
・1969年、佐藤栄作首相とニクソン大統領の会談によって沖縄の「核抜き本土並み」
 返還が合意されたが、同時に、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」
 「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとってきわめて重要な要素である」
 という「韓国・台湾条項」が確認された。かくして、例えば韓国の安全が脅かされたと
 きには、それが日本の安全に直結するものとみなされ、集団的自衛権の行使にまで踏み
 込むのではないか、という危惧がひろがった。 
・1972年、佐藤首相は「韓国が侵略された、あるいはとにかく韓国に事変が起きた、   
 それが直ちに日本の侵略あるいは日本の事変と考える、これは行き過ぎだと思う」と明
 言した。 
・1983年、中曽根首相は「救援、来援するアメリカの艦船に対して、その日本に対す
 る救援活動が阻害されるという場合に、日本側がこれを救い出す、こういうことは領海
 においても公海においても、憲法に違反しない個別的自衛権の範囲内である」と答弁し
 た。また、シーレーン防衛に関して、日本への物質を輸送している第三国の船舶が攻撃
 を受けた場合について、「その攻撃を排除することは、わが国を防衛するために必要最
 小限のものである以上、個別的自衛権の行使の範囲に含まれると考える」との見解を発
 表した。中曽根政権は、様々な事態を個別的自衛権の解釈の範囲を拡大することによっ
 て「日本有事」に絞り込み、集団的自衛権への踏み込みを回避しようとしたのである。
 現に1983年に中曽根首相は国会において「集団的自衛権の行使は、もとより憲法上
 許されない」と明言していた。
・1990年のイラクにおけるクウェート侵攻による湾岸戦争の勃発は「日本有事」ある
 いは「極東有事」を対象とした日本の安全保障をめぐる議論の前提を、根底から揺り動
 かすものであった。当時の海部政権は、「集団的自衛権は行使しない」という原則にた
 ちつつ、「武力行使と一体化」することなく、「あらかじめ戦闘が行われていないと見
 通される地域」に自衛隊を派遣して「後方支援」にあたらせる、という内容を盛り込ん
 だ国連平和協力法案を提出した。
・1959年、当時の林内閣法制局長官は「燃料の販売や病院の提供といった非軍事行動
 の業務はすでに朝鮮戦争の際に行っており、憲法上禁止されていないが、極東の平和と
 安全のために出動する米軍と一体をなすような行動をして補給業務をすることは、これ
 は憲法上違法ではないかと思います」と答弁した。
・海部政権が提出した国連平和協力法案は、戦闘行為と「一線を画された」ところでの
 「後方支援」を前提としており、従来の憲法解釈をこえるものではないとの主張であっ
 たが、「一体化」するかしないかの”線引き”について説得的な説明をなし得ない中で、
 世論と野党の強い反対によって、この法案は廃案となった。
・湾岸戦争は「多国籍軍」によって担われ、正式の国連軍が組織された訳ではなかった。
 とはいえ、とにかくも安保理決議に基づいた軍事的制裁であり、基本的には集団安全保
 障の問題であって、集団的自衛権そのものにかかわる問題ではなかった。
・1990年代の後半から集団的自衛権それ自体が正面から問われる事態が日本の周辺で
 展開された。それが、1994年の「戦争一歩手前」と言われた北朝鮮の核危機であり、
 1996年の台湾史上初の民主的な総統選挙に前後する中台危機であった。
・1996年、橋本首相クリントン大統領との首脳会談において日米安保共同宣言が出
 された。これが「安保再定義」であり、安保条約の果たすべき目的が、それまでの「極
 東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に一挙に拡大
 され、策定された「ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)の見直しが明記され
 た。この「旧ガイドライン」は実は、1955年からおよそ20年間にわたって、歴代
 首相にも秘密裏に自衛隊と在日米軍の間で毎年つくりあげられていた「共同統合作戦計
 画」が、当時のソ連の脅威を背景に、米国側の圧力によって「オーソライズ」されたも
 のであった。つまりは、シビリアンコントロールの根幹をゆるがす秘密計画が、公式に
 追認されることになった。
・1999年、小渕首相は、そもそも、「ガイドライン」のもとでの対米支援については、
「その実施を条約で法的に義務づけられたものではありません」と国会で述べたように、
 安保条約のいかなる条文にも法的根拠をおいたものはなかった。しかし、米国が「周辺
 事態」と認定すれば、日本は”無条件”で協力するという立場を公然と打ち出したこと
 は、日米関係においても、日本の防衛外交政策においても、重大な転換点を意味してい
 た。 
・「事前協議」制について歴代の政府は、「イエスもあればノーもある」という「拒否権」
 行使の可能性という立場を、建前であれ堅持してきた。「韓国条項」についても佐藤首
 相は、韓国有事と日本有事を峻別して対処する姿勢を明確にさせた。そこでは、当事者
 たちの信念は別としても、日米間において国際情勢の認識や追求すべき国益が異なり得
 る、ということが前提となっていた。
・2001年9月1日の米国における同時多発テロ事件は、国際社会に大きな衝撃を与え
 たばかりでなく、日米関係にも重大な影響を及ぼした。米国がアフガニスタンへの攻撃
 を開始する前夜に小泉政権がまとめたテロ対策特別措置法案は、実質的にはイージス艦
 のインド洋派遣を根拠づけるものとなったが、極東でもアジア・太平洋でもなく、しか
 も米軍による戦争が行われている領域に自衛隊が派遣されるという、従来の枠組みを大
 きく突破する内実をはらんでいた。しかし小泉首相は、「武力行使はしない、戦闘行為
 には参加しない、戦場になっていないところでできるだけの支援を行なう」という”論
 理”を展開し、一カ月も経ることなく法案は成立を見たのである。
・2002年、さらに小泉政権は、武力攻撃事態法を国会に提出した。これは、政府与党、
 防衛庁が長年にわたって実現を求めてきた「日本有事」における法制の整備をはかるも
 のであった。しかし、同法案の本質的な意味は、「武力攻撃」の定義に「武力攻撃予測
 事態」という類型が組み込まれたところにあり、これによって集団的自衛権の問題と密
 接な関係を持つこととなった。「武力攻撃予測事態」とは、「武力攻撃には至っていな
 いが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と定義される。つまり、武
 力攻撃はおろか「明白な危険が切迫している」段階よりもさらにそれ以前の段階におい
 て、しかも地理的には、日本の領域外で発生するであろう事態を想定するものであった。
・「武力攻撃予測事態」が認定されると、首相は「戦争権限」と掌握し自衛隊に出動を命
 じることができるのであるが、注目すべきは、地方公共団体や民間との関係である。周
 辺事態法では、これら団体や民間に対して「必要な措置の実施を求めることができる」
 と任意規定になっていたところが、この法案では、「責務を有する」と義務規定になっ
 ている。つまり、「武力攻撃予測事態」が認定されると、周辺事態法と「連動」するこ
 とによって、実質的に「周辺事態」において活動する米軍を後方地域支援するために、
 自衛隊ばかりでなく「官と民」も動員される体制が構築される、ということなのである。
・2003年、米国のブッシュ政権はイラクに対する戦争に踏み込んだ。小泉政権は直ち
 に戦争への支持を表明したばかりではなく、米軍による「イラク占領」が開始されると、
 自衛隊をイラクに 派遣するためのイラク特別措置法案を国会に提出した。地上部隊の
 派遣が最大の任務とされるイラク特措法では、実質的に現地米軍当局の「同意」さえあ
 れば外国領域(イラク)に足を踏み込むことが許されることとなった。イラク特措法は
 成立し、自衛隊が「非戦闘地域」とされるサマワに派遣された。こうして、現に「戦闘」
 が展開されているイラクに、しかも時に陣地内や周辺に迫撃砲弾が撃ち込まれる地域で、
 現憲法のもとにおいて陸上自衛隊が活動するに至ったのである。とはいえ、イラク特措
 はあくまで「復興支援」の活動が目的であって「武力行使と一体とならない措置」が前
 提とされており、なお集団的自衛権の「中核」には踏み込めていないのである。だから
 こそ、大幅な解釈変更や憲法改正が要請されることになるのである。その際に、サマワ
 における自衛隊の活動のあり方を”口実”として、集団的自衛権の必要性を説く議論が
 よく見られる。つまり、サマワで自衛隊を守っている外国軍(英豪軍)が攻撃された時
 に、集団的自衛権を行使できないがために自衛隊は事態を”傍観”しているといったこ
 とが果たして許されるのか、という議論である。しかし、ここには大きな”落とし穴”
 がある。なぜなら、イラク特措法案の提出にあたっては、「非戦闘地域」に派遣される
 自衛隊が外国軍に守られるであろうといった事態については、具体的な説明も議論もま
 ったくなされなかったあらである。仮に継続的かつ長期的に外国軍によって防衛されね
 ばならないような地域であれば、直ちに自衛隊を撤収させるのが同法の基本的な趣旨の
 はずであった。
・2005年に、防衛大綱の見直しにあたって設置された小泉首相の指摘諮問機関「安全
 保障と防衛力に関する懇談会」がまとめた報告書をみると、その報告書を全体として貫
 く論理は、「米国の世界戦略の変革の中で、積極的に日米の戦略的な対話を深めること
 によって、両国の役割分担を明確にしつつ、より効果的な日米協力の枠組みを形成すべ
 きである」という一節に象徴されている。しかも驚くべきことに、この報告書では、米
 国の戦略展開を左右するばかりではなく、今後の国際政治の動向に決定的な影響を及ぼ
 すであろうイラク戦争の評価が、何ひとつなされていないのである。イラク戦争を評価
 し総括することなしに、なぜ米国の世界戦略との「一体化」を志向し米軍再編を語るこ
 とができるのであろうか。
 
「自立幻想」と日本の防衛
安倍晋三は、祖父の岸信介が「一方的な条約」であった旧安保条約を改定し「双務性」
 を高めるために、当時の政治状況の中「でぎりぎりの努力」を行ない「祖父の世代の責
 任を果たした」と高く評価したうえ、「われわれは新たな責任というのがあるわけです。
 新たな責任というのは、この日米安保条約を堂々たる”双務性”にしていくということで
 す」「双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の行使だとおもいます」
 と述べている。集団的自衛権を行使することが、なぜ「双務性」につながるのであろう
 か。それは、「集団的自衛権を行使できるなら、日本は圧倒的に対等になります。日米
 が対等になれば、アメリカに対してもっと主張できるようになる」からなのである。
・安倍晋三は、「同文同族同盟」と言われる英米関係の場合は「つねに肩を並べる関係に
 なる」のに対し、「日本の場合、現状は集団的自衛権が行使できず、肩を並べて行動す
 ることはできません。英国のように米国と「肩を並べる関係」の構築を目標としている
 ことを明確にさせた。
・英米関係の「対等性」「双務性」を検証する格好の例は、イラク戦争であろう。
 2002年半ばに英国のブレア政権はブッシュ政権のイラク進攻計画に「パートナー」
 として加わる決断をしたが、英国の根本的な誤りは、英国が払った軍事、政治、財政的
 な犠牲にもかかわらず、ブッシュ政権に対していかなる重要な意味においても影響力を
 行使できなかったことである。つまり、欧米の関係改善でも、中東和平問題でも、イラ
 ク戦争の展開それ自体についても何ら影響力を発揮できなかった、ということである。
 「イギリス抜き」でも戦争を遂行できるとの確信にたっていたブッシュ政権の路線を、
 「軍事貢献」によって修正させるといったことは、そもそも無理な相談であった。
・安倍首相は、日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、米国に対して発言権を確
 保でき、日米関係は「圧倒的な対等」になると”期待”を抱いているようである。しかし、
 ブレア外交の顛末を見るとき、それが”幻想”以外の何ものでもないことは明らかであろ
 う。イラク戦争における英軍の死者は150人を数えた。日本が「軍事貢献」によって
 ブッシュ政権に発言権を確保するためには、この何倍の戦死者が必要なのであろうか。
・ところで安倍晋三は、集団的自衛権を行使することによって、日本が米国の戦争に巻き
 込まれるのではないか、という世論の危惧を念頭におきつつ、「日本人は早とちりをす
 るのですが、「できるようにする」ことと「やる」ことの間には大きな差があるんです。
 集団的自衛権を行使するかしないかは、政策的判断です」と強調した。つまり、政府の
 解釈変更や改憲によって日本が集団的自衛権を行使できるようになったとしても、それ
 を行使するか否かは米国の思惑ではなく、あくまで日本の主体的な判断に基づいたもの
 である、ということなのである。しかし現実の日米関係は、日本に「主体的判断」を
 許すような状況にあるのであろうか。
・安倍晋三が憲法改正や集団的自衛権の行使を「対等性」とか「双務性」といったターム
 で位置づけているのに対し、米国は「目上のパートナー」として日本をそのコントロー
 ル下におきつつ、その「軍事貢献」を最大限活用しようとしているのである。このよう
 な米国側の”期待”を前にして、日本が「主体的判断」を行使できる余地は、どこに見
 出せるのであろうか。
・改めて今日の状況を見るならば、今や米軍再編において、「国家戦略」のレベルまで
 「日米一体化」が進められようとしている。さらに、国際的にはもちろん米国内におい
 ても「愚かな誤った戦争」とお評価が定まりつつあるイラク戦争について、日本は開戦
 時の「支持」の立場を、日米関係に配慮していささかも修正することができない。こう
 した「現実」において、安倍晋三が主張するように、仮に日本が、米国から集団的自衛
 権の行使を求められる際に「主体的判断」をくだして「ノー」と言えば、いかなる事態
 が生ずるであろうか。それは言うまでもなく、米国側からすれば、日本の”裏切り行為”
 そのものであろう。そもそも集団的自衛権の行使にあたって「主体的判断」を主張する
 というのであれば、こうした事態を覚悟しておかなければならないはずなのである。
・2001年当時、「ショー・ザ・フラグ」という言葉で日本に自衛隊の派遣を促した、
 当時国務副長官であったアーミテージは、その後、全く別のスキャンダラスな問題で
 ”渦中の人”となっている。それは、2007年、ブッシュ政権が大量破壊兵器疑惑をで
 っち上げてイラク戦争を始めたと批判した元駐ガボン米大使の問題をめぐり、その妻が
 CIA工作員であるという身元情報をメディアに提供した張本人、としてである。戦争
 批判を抑えるためには国家の「重大機密」も漏洩するという、こういう政治家を「日米
 同盟の守護神」とみなし、集団的自衛権の問題をはじめ内外政策全般にわたって「勧告」
 を受ける日本とは、いかなる国家なのであろうか。
・安倍晋三が集団的自衛権の行使を強く主張する背景には、安保条約に関する次のような
 認識が重要な位置を占めているようである。いわく、「いうまでもなく、軍事同盟とい
 うのは”血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を
 流します。しかし今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻
 撃されたときに血を流すことはないわけです。実際にそういう事態になる可能性は極め
 て小さいのですが。しかし完全にイコールパートナーと言えるでしょうか」と。空前の
 軍事力を誇る米国と「完全なイコールパートナー」の関係を結べる国が世界のどこに存
 在するのかという問題は別として、米国は日本を守るために「血を流す」のに対し、日
 本は米国のために「血を流す」体制になっていない安保条約は、いわゆる日本の「ただ
 乗り」であり「片務性」によって規定された条約に他ならない、という認識なのである。
・日本はイギリスと並んで、米軍の全世界的展開を支える最も重要な戦略拠点と位置づけ
 られている。それは価値観が近く、政治的に安定し、高度の技術と経済力を持ち、既に
 相当な規模で米軍基地のインフラが存在するという条件を有しているからに他ならない。
 すなわち米国は日本を、米軍の世界展開における、太平洋を越えた最重要前進拠点の一
 つと位置付けられている。在日米軍部隊のほうは、冷戦時代の日本防衛という役割はほ
 とんどなくなった。近い将来に、例えば5年以内に、日本の安全保障を大きく脅かすよ
 うな具体的な脅威が登場する可能性はない。日本は少なくとも10年程度は、米国の軍
 事力がなければ日本の安全保障が確保できないという条件にはない。米国は日本を必要
 としているのに、日本はそれほど差し迫った形で米国の軍事力の助けを必要としていな
 い。今の日本は、太平洋戦争後初めてと言える、米国と対等な立場に立てる安全保障・
 戦略環境にある。
・日本がペンタゴン(米国防総省)最大のオイルターミナルであること、佐世保の弾薬庫
 が地球半分のエリアに米海軍が置く最大の陸上弾薬庫であること、あるいは嘉手納の弾
 薬庫を管理する米空軍中隊が米軍で最大の弾薬整備中隊であること、そして世界最大最
 強の艦隊である米第七艦隊は、ほかならぬ日本がその全存在を支えている。
・日本に展開するアメリカの空軍、海軍、海兵隊の航空機(戦闘機や攻撃機)のうち防空
 任務についているものは一機もありません。在日米軍基地をテロやゲリラの攻撃から守
 るのは陸上自衛隊です。さらに海上自衛隊は日本のシー連を防衛しているだけではなく、
 補給物資を運び込む米軍おシー連をも守っている。つまり、在日米軍とその基地は、日
 本の防衛のためにあるのではなく、世界の半分をカバーする米軍の戦略展開のための最
 大拠点であり、むしろ自衛隊が米軍基地の防衛にあたっているのである。あえで安倍晋
 三のレトリックを使うならば、米国の若者は日本を守るために「血を流す」のではなく、
 逆に日本の若者が在日米軍を防衛するために「血を流す」構造になっているのが安保条
 約の現実に他ならない。米国に対する”劣等感”に苛まれているであろう安倍晋三の認識
 とは、文字通り対極に位置しているのである。こうした”劣等感”の由来は、おそらく安
 倍晋三が、祖父の岸信介が首相であった古い冷戦時代の日米関係のイメージを、そのま
 ま引きずっているところにあるのだろう。
・通常兵器による侵攻やテロ攻撃に関しては、日本の防衛は在日米軍に依ることなく、基
 本的に自衛隊によって対処できる訳であるが、問題は弾道ミサイルによる攻撃である。
 ここでいう弾道ミサイルとは、ロケット推進システムで「大気圏外を弾道飛翔するミサ
 イル」のことであるが、この攻撃に対しては、「核の傘」かミサイル防衛といった米国
 主導のシステムに依存せざるを得ない、と言われている。しかもミサイル防衛の問題は、
 実は集団的自衛権の問題と密接な関係をもっている。2006年、安倍晋三は、「日本
 がミサイル防衛を行なう時に、日本本土に落ちるものについては撃ち落とせるけれど、
 米本土に向かうものは撃ち落とせない。しかし、論理で、理屈でそれを本当に米国に通
 告するんですか、ということです」と述べている。ここで言う「論理」「理屈」とは、
 日本が集団的自衛権を行使できないということである。
・2003年、民主党の前原議員も、「アメリカに届くミサイルが発射された場合、日本
 が直後のブースと段階、もしくはミッドコース段階でこれを撃ち落とす。地理的には日
 本が担える役割はかなり大きく、アメリカも日本との同盟を捨てきれなくなるでしょう」
 と述べ、集団的自衛権を認める場合の最優先課題として、「ミサイル防衛での協力」を
 あげているのである。
・「核抑止」とは、仮に相手が核攻撃を加えてくれば強力な破壊力を持つ第二撃によって
 相手社会を壊滅させるという(脅し)によって第一撃を撃たせない、という論理にたっ
 ている。一般にこうした「核抑止」は「懲罰的抑止」と呼ばれる。つまり、懲罰的な報
 復核攻撃(第二撃)の「脅し」によって相手の第一撃を抑え込む、ということである。
 この「核抑止」を他国、例えば日本まで「拡大」したものが「拡大抑止」、つまり「核
 の傘」である。具体的には、仮に北朝鮮が東京に核攻撃を加えてくるならば米国は平壌
 を壊滅させる報復核攻撃を加えるという「脅し」によって、北朝鮮による第一撃を撃た
 せない、という防衛の論理である。冷戦時代は、米ソ双方が壊滅的な第二撃の「脅し」
 を「理性」をもって認識することで「相互核抑止」が成立し、この「核の均衡」によっ
 て全面核戦争が起こらず「長い平和」が維持された、と言われる。もっとも、「核の均
 衡」と「長い平和」の関係を立証することは困難である。実際、こうした「抑止」効果
 を疑い、ソ連が現実に核攻撃を加える場合を想定し、宇宙空間で迎撃兵器を発射して撃
 ち落とすという、今日のミサイル防衛の前身とも言える戦略防衛構想(SDI)が、
 ーガン政権
の時代に具体的に展開されようとした。しかし、技術面と財政上の困難に直
 面して挫折した。ところが、1991年の湾岸戦争でイラクが弾道ミサイルをイスラエ
 ルなどに発射したことを契機に、クリントン政権の時代から弾道ミサイルに対する防衛
 政策が重要課題として位置づけられた。
・ミサイル防衛は「拒否抑止」と呼ばれ、相手が撃ってきた弾道ミサイルを迎撃する防衛
 能力を保持することで、「相手の目標達成を阻止し、相手にそうした攻撃が無益である
 と認識させその実施を思いとどませる」というものである。冷戦時代に支配的であった
 「懲罰的抑止」は、破滅的な報復攻撃の「脅し」によって相手に撃たせないという論理
 にたったものであったのに対し、「否定的抑止」では、相手が撃ってくる場合にそれを
 飛翔段階で迎撃することを前提として論理が組み立てられている。
・それでは、なぜ報復攻撃も恐れずに相手は弾道ミサイルを撃ってくるのであろうか。そ
 れは、「ならず者国家」と呼ばれるような国々が、「理性的または合理的でない」とさ
 れるからである。つまり、核攻撃の「脅し」を「理性」によって認識できず、「懲罰的
 抑止」も機能しないような相手が登場してきたから、という訳なのである。
・ブッシュ政権が日本に対して、「核の傘」の堅持とミサイル防衛の推進を同時に唱える
 ことは、その論理において根本的に矛盾をきたしていることは明らかであろう。「核の
 傘」を強調すればするほどミサイル防衛の必要性は減じ、ミサイル防衛の重要性を強調
 すればするほど「核の傘」の信頼性は減じていく、ということなのである。もちろん、
 「核抑止」が失敗した場合の「補完」としてミサイル防衛が存在する、という議論も成
 り立つかもしれない。しかし、核攻撃によって自らが破滅することも覚悟してミサイル
 攻撃をかけてくるような「理性」のない相手が、なぜミサイル防衛体制が整備されるま
 で攻撃を控えるのであろうか。「狂気」をもって攻撃をしかけようとする相手であれば
 当然のことながら、防衛体制の「完成」を待つことなくミサイルを撃ってくるであろう
 し、あるいはすでに撃ってきていたかもしれない。とすれば問題は、ミサイル防衛の有
 無とは関係ない領域である、と言わざるを得ないであろう。
・なお、一つの選択肢として、北朝鮮がミサイルを発射する前にその基地をたたくという
 先制攻撃が考えられる。しかし、1994年に、北朝鮮が報復として韓国側に仕掛けて
 くるであろう全面戦争を考えた場合、死者は百万人にも上り、うち米国人も八万から十
 万人が死亡するであろう、という恐るべき結末の予測が出された。今日においても、北
 朝が報復攻撃に打って出ないであろうといった根拠なき楽観論は論外として、この予測
 が大幅に下回る可能性は皆無である以上、先制攻撃は現実的な選択肢とはなり得ないで
 あろう。 
・問題は、はたして相手のミサイル攻撃を迎撃できるか、ということである。今日の計画
 では、イージス艦搭載の迎撃ミサイルSM−3と、地上発射のPAC−3の組み合わせ
 による迎撃体制が整備されようとしている。「日本のミサイル防衛」によれば、迎撃可
 能高度は「200Km以上」とされる。もっとも軍事評論家によれば「100〜160
 Km程度」であり、過去8回実施された発射実験での「成功例」において迎撃高度が明
 示されているデータにおよれば「137Km」である。それでは、当面する最大の脅威
 と言われるノドン・ミサイルの高度はどのくらいのものなのだろうか。防衛庁によれば、
 「最高高度で300Kmぐらいに達する」とのことである。飛翔段階にもよるが、SM
 −3はノドンに届かない恐れが大きいのである。しかも、ノドンの発射台は移動式であ
 り、多数のミサイルが同時に発射されると、イージス艦で捕捉することは困難と言われ
 ている。要するに、そもそもSM−3ノドンを迎撃できる可能性はきわめて低いのであ
 る。
・それでは、PAC−3によってノドンを迎撃できるのであろうか。PAC−3は、ミサ
 イルが落下してくる「終端段階」での迎撃に備えて配備されるが、実はその有効迎撃範
 囲は15Kmから20Kmに過ぎない。
・仮に、報復攻撃を無意味とし、自らが壊滅することを覚悟して、北朝鮮が保持するノド
 ンのすべてをもって攻撃してくる場合を想定するならば、日本海沿いの原子力発電所が
 最大のターゲットとして狙われることになるであろう。日本の原発は、震度8の地震に
 も耐えうる設計と言われるが、「原子力発電所に対するミサイルなどの兵器による攻撃
 についての設計基準は設けられておりません」とのことである。「有事における原子力
 施設防護対策懇談会報告書」にも、「弾道ミサイルに有効に対処し得るシステムは未整
 備」と明記されている。つまり、完全な無防備状態なのであり、ノドンが直撃した場合
 の惨禍は想像を絶するものであろう。ところが実に奇妙なことに、すでに配備が完了し
 たと言われている沖縄の嘉手納基地と埼玉県の入間基地を含め、PAC−3の配備計画
 によれば、霞ヶ浦、習志野、武山など米軍や自衛隊の基地が対象であって、原発周辺へ
 の配備は全く計画されていないのである。
・それでは、仮にPAC−3が迎撃に「成功」するとした場合、いかなる事態が生じるの
 であろうか。ここでは当然「最悪シナリオ」として、ノドンに核弾頭が搭載されている
 ことを想定しておかなければならない。それがプルトニウム型の核弾頭の場合は、「爆
 縮方式」と呼ばれる複雑な起爆装置が使われているため、迎撃の衝撃で核爆発を起こす
 可能性は少ないと言われるが、プルトニウムが広範に飛散する事態となろう。またウラ
 ン型の場合は、「鉄砲方式」という単純な起爆装置のため、プルトニウム型に比べはる
 かに核爆発を引き起こしやすいし、それを免れてもウランによる汚染が広がることにな
 る。
・仮に、「理性」をもたず「核抑止」も機能しない北朝鮮が核搭載のノドンによって攻撃
 をかけてきた場合には、SM−3であれPAC−3であれ迎撃できる可能性はきわめて
 小さく、たとえ迎撃に「成功」したとしても、日本の国土で核爆発が起こるか、広範な
 核汚染にみまわれるのである。
・とすれば、集団的自衛権の行使によって米国に向かう弾道ミサイルを日本の上空で迎撃
 すべき、という安倍晋三のような主張をいかに理解すればよいのであろうか。そもそも
 米国に到達可能な長距離ミサイルの場合は、飛翔高度が700Kmをはるかに超えるた
 めに、日本のミサイル防衛では撃ち落とすことは不可能なのである。また仮にブースト
 (上昇)段階で迎撃できたとしても、日本の国土は惨澹たる事態に直面するであろう。
・日本は米国の世界戦略を支える十二分の「貢献」を果たしており、従ってそれを「カー
 ド」として「対等の立場で交渉できる条件」にある。にもかかわらず、ここまでの惨状
 を覚悟して、米国にさらなる「貢献」を行なうという議論は、理解をこえていると言わ
 ざるを得ない。  
・仮に、北朝鮮によるミサイル攻撃を具体的な脅威と捉え、かつ真に国民の安全を考える
 のであれば、米国に向かうミサイルを迎撃するためのシステム整備に膨大な税金を投じ
 たり、集団的自衛権の解釈変更を求める前に、まずやるべきことは、日本海側の「原発
 銀座」をミサイル攻撃から防衛する体制を急ぎ構築することではないのであろうか。そ
 れこそが、「自主憲法」を制定しようとするにあたっての、最低限の「気概」なのでは
 なかろうか。さもなければ、集団的自衛権の”全面解禁”を軸にすえた「自主憲法」も、
 結局のところは、今日の米国の国益を背景とした新たな「押しつけ憲法」という評価を
 受けることになるのではなかろうか。 
・PAC−3で「全土防衛」を行いためには、約500カ所に配備が必要とされており、
 その総額はかつで試算された30兆円をはるかに越えるであろう。文字通り「国家財政
 破綻してPAC−3残る」という事態である。太平洋戦争開戦の年に海軍大将井上成美
 は「大鑑巨砲の建造を求める軍令部の膨大な予算要求」を鋭く批判した。しかし、ミサ
 イル防衛こそ、「現代版大鑑巨砲」に他ならないのである。
・ミサイル防衛の開発を合理化するためには、「核抑止」も機能しないという「最悪シナ
 リオ」で脅威感を煽らねばならないが、膨大な税金を投入する以上は迎撃可能性も提示
 しなければならない。そこで、SF映画のような迎撃場面を誇示した「想像図」が喧伝
 される訳である。しかし、具体的に「最悪シナリオ」を突き詰めていくと、国民の安全
 を守るうえでは、滑稽なほどリアリティを欠いた”無用の長物”と化してしまうのである。
 さらに言えば、仮にミサイル防衛によって抑止が機能すると仮定しても、相手はそれを
 上回る兵器の開発にのりだし、際限なく軍拡競争がもたらされることになる。
・それでは、北朝鮮の脅威にいかに対処すべきなのであろうか。中国は1964年に初の
 原爆実験を行ない、1966年に早くもアジア全域を射程内におく核ミサイルの実験を
 成功させ、翌年には水爆実験も敢行した。さらに1960年には「無通告」で初の人工
 衛星を打ち上げ、大陸間弾道弾の開発がっ時間の問題であることを世界に知らしめて衝
 撃を及ぼした。この中国が、当時は毛沢東による文化大革命の最中であり、日本は米国
 と並んで最も敵対的な国と位置づけられ、戦争も辞さない「好戦的言辞」が繰り返し発
 せられた。しかも毛沢東は、「米帝国主義は張子の虎」と断じ、仮に核王劇が行われて
 も8億の中国人民は生き残るであろうと豪語した。つまり、現実は別として、少なくと
 もレトリックにおいては、「核抑止」が全く機能しない「攻撃的な核保有国」が登場し
 たのである。当時の日本が直面した中国の脅威は、今日の北朝鮮と比べるならば、軍事
 的にも政治的にも、およそ比較にならないほどに重大なものであった。中国の脅威とい
 う問題が具体的に「解決」を見たのは、言うまでもなく、1971年の衝撃的なニクソ
 ン声明による「米中和解」であった。つまり、中国を国際社会に組み入れるなかで、そ
 の脅威を取り除いていくという道が選択されたのであり、日本もそのあとを追ったので
 ある。とすれば、北朝鮮の体制も戦後世界における最もおぞましい体制の一つに間違い
 ないが、毛沢東の中国お場合と同様の対応策が、現実的と言わざるを得ないであろう。
・21世紀に入って国際情勢に混乱をもたらしている原因の一つは、ブッシュ政権による
 過度にイデオロギー的な世界戦略であろう。それを象徴するのが、2002年の年頭教
 書でブッシュ大統領が掲げた「悪の枢軸」論である。この「悪の枢軸」については、北
 朝鮮に加えてイラク、イランの三カ国であると広く認識されている。しかし、ここには
 重大な二つの過りが導き出されることになる。例えば、当時のイランのハタミ大統領は、
 改革と自由を志向する穏健派の指導者として知られ、「文明の対話」を掲げて西欧諸国
 からも高い評価を受けていた。さらに北朝鮮の金正日について言えば、彼の究極目標は
 自爆ではなく「体制の生き残り」であろう。現に彼と直接会談を行った安倍晋三自身が、
 「その交渉のしかたを観察したが、一部の評論家がいうような愚かな人間でもなければ、
 狂人でもない。合理的な判断のできる人物である。では金世日委員長にとっての合理的
 な判断とは何か。それは自分の政治的な権力を保持することにほかならない」との評価
 を下したのである。イラクのフセイン体制について言えば、彼が独裁者であり侵略者で
 あることは、1980年から周知のところであった。にもかかわらず、米国は、長く
 事実上の「同盟国」として扱ってきたのである。このように、これらの三国の行動原理
 とアルカイダのようなテロ組織のそれとは、根本的に異なっているのである。それをブ
 ッシュ政権は「同盟者」として同列に扱うことによって、外交交渉の「主体」とはみな
 さず、体制打倒の対象に設定してきたのである。
・「悪の枢軸」論は、さらに自己展開を遂げて”硬直性”を増し、遂には泥沼のイラク戦
 争を招き、イランでは反米強硬派の権力奪取をもたらし、北朝鮮に対しては長らく門戸
 を閉ざしている間に核開発をゆるし、挙句の果てに「交渉相手」として認知する、とい
 う事態となったのである。「悪の枢軸」論の第二の誤りは、あらゆるテロ組織やテロ活
 動を、アルカイダと同列に扱うところにある。
・「テロとの戦い」を遂行するという場合、アルカイダのような「革命的テロ」と「土着
 的テロ」を峻別することは決定的に重要である。なぜなら、提起される対応策が根本的
 に異なるからである。後者に対しては、政治的、社会的なアプローチが基本であり、そ
 れを通じて「革命的テロ」を孤立化させる方向性が追求されねばならない。意識的か無
 意識的かは別として、これら両者の混同こそが、ブッシュ政権が展開してきた「テロと
 の戦い」の重大な誤りを生み出してきたのである。
 
「脅威の再生産」構造
・米国による「友・敵」関係の設定をめぐって深刻な問題は、冷戦時代も含めてしばしば、
 当面の「国益」の判断から、「敵の敵は友」という短絡的な戦略・戦術を採用すること
 によって同盟諸国を振り回すばかりでなく、結果的に、新たな脅威を生み出すという悪
 循環を引き起こしてきたことである。
・1991年の湾岸戦争は、前年90年のイラクによるクウェート侵攻に対して国連安保
 理が撤退要求を決議したが、イラクが期限である1991年に至るまでこれに応じなか
 ったため、多国籍軍が組織されクウェートを「解放」した戦争であった。
・1981年当時、侵略国家やテロ支援国家、さらにはテロ組織と目されていたのは、ソ
 連、リビア、イラン、シリア、北朝鮮、キューバ、ニカラグア、レバノン、パレスチナ
 解放機構(PLO)などであった。
・1979年に本格的に開始されたアフガニスタン侵攻に関するソ連側の「公式の立場」
 は、「アフガニスタンに対する帝国主義者たちの武力干渉を撃退」するために、ソ連・
 アフガニスタン友好条約に基づき、当時のアフガン指導部の「支援と協力の要請」を受
 けて、国連憲章51条に規定された集団的自衛権を行使する、というものであった。当
 時のブレジネフ書記長は「3〜4週間で終わるであろう」と楽観的な見通しを持ってい
 たが、このアフガニスタン侵攻作戦は、10年にもおよぶ泥沼の戦争と化したのである。
・米国は、ソ連の侵略行為に対する国際的な包囲網を組織するとともに、かねてから遂行
 してきた路線に基づき、アフガニスタン内部のムジャラヒディン(イスラム聖戦士)に
 援助を与えることによってソ連軍の消耗をはかった。
・1985年、レーガン大統領は重大な三つの措置をCIAに実行させた。まず第一に、
 それまで直接供与していなかった米国製の兵器をムジャラヒディンに提供した。第二に、
 パキスタンのISI(軍総合情報部)とCIAが協力して、ソ連の軍事物資の補給経路
 であったソ連邦のタジキスタンとウズベキスタンの両共和国に対するゲリラ攻撃を組織
 させた。第三の措置として、世界中からムスリム急進派をパキスタンに結集させ、アフ
 ガン・ムジャラヒディンとともに戦わせる、というプロジェクトをCIAが本格的に支
 援すること。実は、世界中からムスリム急進派をパキスタンに結集させるというこいし
 たプロジェクトの組織者の一人が、あの”オサマ・ビン・ラディン”であった。
・今日から振り返るとき、さらには今後長く続くであろうとされる「テロとの戦い」とい
 う視点から見るとき、1986年は、歴史を画した年であったと言わざるを得ないであ
 ろう。それまでムスリム急進派の国際的なネットワークは整備されていなかったが、世
 界中から彼らをパキスタンに結集させ、テロ活動のノウハウを教え込み、武器を供与し
 資金を与えてアフガニスタンに送り込むという路線にCIAが本格的に踏み切ったこと
 によって、ムスリム急進派の広範な組織化が一気に進むことになったのである。こうし
 て、新たなモンスターの登場が準備されることになった。その後、ビン・ラディンは、
 母国サウジアラビアへの米軍の駐留を「異教徒の軍隊によるイスラムの聖地占領」とし
 て激しく非難し、やがて反米テロリストのカリスマ的指導者に変身していったのである。
・2006年、ブッシュ大統領は「今日我々が闘っている戦争は、単なる軍事闘争ではな
 い。この戦争は、21世紀における決定的なイデオロギー闘争である」と述べ、「今日
 のテロリストは、ファシスト、ナチス、共産主義者の後継者たちである」と決めつけた。
・イラクのフセインと、アルカイダを率いるビン・ラディンという「脅威」は、まことに
 皮肉なことに、レーガン政権が掲げた「国際テロリズムとの戦い」における最も重要な
 「同盟者」であった。その「同盟者」が、結局は米国も制御不能なモンスターに”成長”
 したのである。つまり、我々が直面してきた現代の「脅威」は、ファシズムやナチズム
 や共産主義といった「脅威」とは、その歴史的性格を根本的に異にしている。ある「脅
 威」に対抗するために、米国が”手段”として離党した主体が新たな「脅威」として登場
 するという、「脅威の再生産」の構造にこそ、問題の本質があるのである。
・アルカイダなどのテロリストが化学・生物・放射能兵器などの獲得に懸命に動いている
 が、なかでも核攻撃の脅威がかつてなく高まっている。テロリストが核兵器を入手する
 方法としては、「盗み出すか、購入するか、自ら製造するか」という三つの可能性があ
 るが、「製造」については、核分裂物資を入手してもその後の段階に多くのハードルが
 ありきわめて困難であろう。「盗み出す」というケースについては、米国を始め五大国
 の場合は、通称PALと呼ばれる安全・認証コードを解除しないかぎり核兵器が作動し
 ないようになっているが、ロシアの戦術核とパキスタンの核兵器については、PALの
 ような安全メカニズムのもとに置かれていない可能性がある。より現実的な危険性とし
 て懸念するのは、核兵器を「購入」、あるいは「譲渡」される場合であって、そのルー
 トとしては、核兵器の管理者側の腐敗、闇市場、そしてテロリストにシンパシーをもつ
 勢力によるクーデターがあげられる。これらの点からして、最も懸念される国として指
 摘されるのが、パキスタンなのである。
・今世界で大量破壊兵器とテロリズムが結合する最も危険な地域はどこかといいますと、
 それは北朝鮮でも、イラクでもイランでもリビアでもなくて、パキスタンです。パキス
 タンは間違いなく核保有国であり、強力なミサイルを持っており、しかも他の国に核技
 術を輸出しており、しかも国内ではアルカイダの残党がばっこしている。仮に今大統領
 が暗殺されるということになればどんな事態が起こるかと、想像を超えるわけです。
・パキスタンは1998年5月に、相次いで6回にわたる初の核実験を決行しました。パ
 キスタンの核開発はあくまでインドのそれに対する自衛手段であると主張している。当
 時のクリントン政権は、インドの核実験を抑えることができなことを受けて、”飴とム
 チ”のあらゆる手段を使ってパキスタンの実験を何としてでも阻止することに全力を挙
 げたが、その試みは失敗に終わった。
・インドとパキスタンの相次ぐ核実験を受けて、当時の国連安保理の非常任理事国であっ
 た日本は核の拡散に重大な危機感をいだき、米国と提携しつつ非難決議のとりまとめに
 奔走した。その結果、全会一致の決議が採択され、日本は米国などとともに経済制裁に
 踏み切ったのである。パキスタンでは1999年に軍事クーデターが起こり、軍事政権
 が権力を掌握し、軍事政権が核を保有する事態となった。
・2001年にブッシュ政権が発足し、その9月の同時多発テロ事件が発生したことによ
 って、状況は大きく転換することとなった。アフガニスタンに対する戦争を遂行するう
 えでパキスタンを戦略拠点と位置づけたブッシュ大統領は「安全保障上の利益にならな
 い」との理由で、インドとともにパキスタンへの制裁を解除する決定を下したのである。  
・1998年、日本政府はパキスタンの核実験の実施は「核兵器のない世界を目指す国際
 社会全体の努力に対する挑戦であり、全く容認できない」と断じ、日本が今後とも「国
 際的な場で核拡散体制の堅持」にむけて積極的に取り組むことが強調された。ところが
 2001年になると、「核・ミサイル関連物資・技術の輸出管理についても、その厳格
 な実施を表明している」「今次テロとの闘いにおいてパキスタンの安定と協力は極めて
 重要であり、国内的に大きな困難を抱えているパキスタンを中長期的な観点から支援し
 ていくことが必要である」としたのである。
・小泉政権は、パキスタンを核保有国としての存在を事実上黙認したうえで、その「安定」
 のために「支援」を行う方針に踏み切ったのである。この決定は、「非核三原則」とと
 もに「核不拡散強化」を「国是」としてきた日本の根本原則の重大な  転換を印すも
 のであった。ブッシュ政権の圧力を前に、熟慮に熟慮を重ねることもなく、被爆の歴史
 を踏まえた「国是」を軽々しくも放棄し去ったのである。
・2002年、パキスタンから北朝鮮に対して、高濃縮ウランの製造に必要な遠心分離機
 などの資材が供与されていることが明らかとなった。パキスタン政府自体が、北朝鮮か
 ら弾道ミサイルの部品を受け取る見返りとして遠心分離機の取引に関わっていたのであ
 る。すでにイラク開戦を前にした2002年の段階で、正真正銘の核保有国であるパキ
 スタンが、その核管理においてきわめて不安定な状況にあり、さらには「悪の枢軸」の
 一国である北朝鮮の核開発いかかわっていることが明確になっていたのである。大量破
 壊兵器が残存しているか否か”不明”といったイラクのレベルとは比較にもならない深
 刻で切迫した危機が、他ならぬパキスタンに存在していたのである。
・しかし、「敵の敵は友」というブッシュ政権の選択によって、パキスタン問題は事実上
 放置されたまま、イラク戦争に突き進んでいった。そしてこのことのツケが、イラク開
 戦から半年後に明らかとなった。2003年に、イタリア当局がリビアに向かう貨物船
 を臨検したところ、ウラン濃縮用の遠心分離機の部品が発見されたのである。この摘発
 によって明らかとなってきたことは、「核の闇市場」が活発に活動しており、そのネッ
 トワークはリビアやイランなど多数の国々に張り巡らされていることであった。つまり、
 米国がイラク戦争の泥沼にはまり込み、あてどもなく大量破壊兵器を探し回っている間
 に、パキスタンから「ならず者国家」や「悪の枢軸」の国々への核拡散が進行していた
 のである。   
・パキスタンがかかえる脅威とは、核の管理と核の拡散という双方にかかわっているので
 あって、この恐るべき脅威に比するならば、イラクの砂漠で大量破壊兵器を探し求める
 などということは”牧歌的”と言っても過言ではないであろう。しかもこれらの大量破壊
 兵器が、仮にブッシュ政権が主張したようにイラクで「発見」されたとしても、それは
 すでに見たように、米国を始め西洋諸国が供与し、湾岸戦争で「隠蔽」もかねで破壊も
 試みられたが、完全には破壊し切れなかった”残存物”に他ならないのである。
・昨今、政府や与党を始め論壇においても、「国家の情報機能強化」や「大概情報機能の
 強化」の必要性が叫ばれている。しかし、日本が歩むべき基本戦略が定まっていないな
 らば、どれだけ秘密の情報が収集されても意味をなさないであろう。仮にその基本戦略
 が、「米国の敵は日本の敵、米国の友は日本の友」というものであれば、いかに情報能
 力が強化されても、その時々の米国による「友・敵」設定の変更によって日本が振り回
 される、という構図は今後とも繰り返されることになるだろう。改めて指摘するまでも
 なく、この「友・敵」設定のありかたこそが、集団的自衛権の核心に位置しているので
 ある。   
・フセイン政権を打倒した後のイラクの再建戦略をもたないままに戦争に突入することが
 いかに愚かなことかを日本が的確にブッシュ政権に忠告できなかった問題や、誰もがア
 クセスできる情報に基づいても容易に判断できるパキスタンという脅威を事実上放置し
 てきた問題などを正面から総括することが、日本の情報戦略を強化していく際の大前提
 とならねばならないのであろう。

日本外交のオルタナティヴを求めて
・集団的自衛権という課題の重要性は、それによって安保条約の「片務性」を脱却して
 「双務性」を実現し、「発言権」を獲得するところにある、とされている。それでは、
 「発言権」が獲得されたとして、一体何を「発言」しようとするのであろうか。イラク
 戦争を例にとれば、米国と「肩を並べて」武力行使をなすことが可能となった場合、日
 本は米国に対し、この戦争について、どのような「発言」をなそうとするのであろうか。
 これまで通りの「支持」を繰り返すのであろうか。
・いま安保条約をいかに位置づけるかという問題は、それがグローバルな性格を帯びるほ
 どに、「テロとの戦い」や大量破壊兵器の拡散といった課題について、日米同盟がいか
 なる国際的な戦略や展望をもっているのか、その評価をめぐる問題である。集団的自衛
 権の解釈変更と憲法の改正によって、「同盟国」たる米国とともに、イラク戦争のよう
 な戦争に”参戦”することを通じてこの課題の解決をめざすのか、あるいは別の戦略を構
 想するのか、いずれが世論を獲得できるか、という問題なのである。
・「イラク・ゲート」事件の検討からも明らかになったように、いかに相手側の需要があ
 っても、不安定きわまりない途上地域に兵器を売り込むことは「紛争拡大外交」に他な
 らない。仮に、イラン・イラク戦争が勃発したときにカーター元大統領が行った両国へ
 の兵器輸出禁止措置が、レーガン政権やブッシュ・ジュニア政権においても堅持され、
 英国やフランス、旧西ドイツなどの国々もそれに従っていたならば、フセインがモンス
 ターに”成長”することはなかったでろうし、今回のイラク戦争の口実となった大量破壊
 兵器問題も生じなかったであろう。とすれば、湾岸戦争から引き出される教訓は、フセ
 インに兵器を供給した国々の責任を問う、「兵器輸出国責任原則」といった基本的な理
 念を立ち上げていくことにあったはずである。この原則に立つならば、フセインのクェ
 ート侵略に対処するにあたっては、あくまでこれらの国々が第一義的な責任を背負い込
 まねばならないのであって、日本がカネを出すかヒトを出すかといったことは問題の外
 なのである。
・問題の重要性は、仮に日本が兵器輸出に乗り出したときに、供給した兵器が使用された
 当該地域に紛争が生じた場合に、日本は責任を負う覚悟があるか、という問いかけを発
 することによって明らかになるであろう。
・武器輸出三原則によって、少なくとも公的には兵器輸出を行ってこなかった唯一の国と
 言える日本のユニークな立場こそが、「兵器輸出国責任原則」といった理念を掲げ、紛
 争地域への兵器輸出を規制する国際的な枠組み形成に乗り出す十二分の資格を日本に付
 与しているのである。何よりも、こうした「国際貢献」こそが、広く国際社会から歓迎
 されるはずである。
・2001年9月11日の同時多発テロは世界に大きな衝撃を与えたが、実はそれから一
 カ月も経たない時期に、さらに世界を震撼させる事件が起きていた。それが10月から
 11月にかけて発生した「炭疽菌テロ事件」である。結果的には死者は5人に止まった
 が、手紙には十万人を殺害できるような「驚くべき高純度」に精製された菌が封入され
 てた。この事件を受けて、欧米の製薬大手が治療薬の緊急増産に乗り出すなど、世界中
 がパニックに見舞われた。ブッシュ政権は、この事件をアルカイダやイラクのフセイン
 と結びつける発言を繰り返していたが、やがて検出された遺伝子が、メリーランド州の
 「米陸軍感染医学研究所」が保管していた炭疽菌の遺伝子と一致することが明らかにな
 った以降は、事件についてはほぼ沈黙を維持することとなった。否、より正確に言えば、
 「テロとの戦い」を呼号しながら、今日に至るまで、事件の全容を解明し犯人を追及す
 るどころか、事実上は政治の表舞台から消し去ろうとしてきたのである。
・疑いなき事実は、2001年秋に発生した米国の炭疽菌テロ事件が全く未解明のまま放
 置されている、ということである。問題の重大性は、仮に日本においてサリン事件の犯
 人が未だに逮捕されていないとすれば、いかなる事態が生じているかを考えて見ると、
 容易に想像がつくというものである。恐るべきサリン事件を経験した日本であるからこ
 そ、政府は米国に対して、炭疽菌事件の解明を急ぐことを厳重に求めるべきであろう。
・北朝鮮が核開発を進めるに伴い、日本も独自に核武装に踏み切るべき、という主張が見
 られる。日本の核武装論については「独立国家の証し」といった”精神論”も含め様々
 な議論があるが、軍事レベルで言えば、仮に北朝鮮が米本土に届くような核ミサイルを
 開発した場合に、米国は自国の一部を犠牲にする危険を冒してまで日本を守るであろう
 かという、「核の傘」への根本的な不信感に基づいて必要性が論じられる。つまり、日
 本を守るために米国が北朝鮮に対して核を止揚したり威嚇したりすると、北朝鮮が米本
 土に報復攻撃をかける恐れがあり、こうした危険を冒してまで米国は日本を防衛しない
 であろうから、日本独自の核武装が必要だ、という論理なのである。しかし、こうした
 考え方は、歴史的な視野を欠いたものと言わざるを得ない。なぜなら、中国の場合を考
 えて見ると、すでに1966年には、日本や韓国を含むアジア全域を射程内におく東風
 二号と呼ばれた核ミサイルの開発に成功していた、さらに、グアムにまで届く東風三号
 やハワイを射程内に入れる東風四号を経て、遂に1981年には、核武装論者の論理に
 従えば、遅くとも1981年の段階から、日本に対する米国の「核の傘」は機能してい
 なかった、ということになる。さらに旧ソ連の場合を考えると、米国に二年も先んじて、
 1957年には世界発のICBMであるSS−6の開発に成功していたのであるから、
 冷戦時代の長い期間を通じて、実は米国の「核の傘」は無きに等しかった、ということ
 になる。それでは、中国や旧ソ連は、なぜ日本に核ミサイル攻撃をかけてこなかったの
 であろうか。
・どうやら問題は、ミサイルの射程距離や破壊力といった軍事技術的なレベルの問題では
 なく、すぐれて政治外交的レベルの問題であることが明らかになってきたようである。
 この問題は、テロリストの場合と対比させると一層明瞭になってくる。「敵」の脅威を
 意思と能力という二つの側面から見た場合に、「土着的テロリズム」とは違い、「失う
 国」を持たないアルカイダのようなテロリストにあっては破壊活動を展開することが自
 己目的であり、その意味で意思についてはきわめで明確である。従って、破壊の手段さ
 え獲得できるならば、自滅をも覚悟して直ちに攻撃にうって出るのである。要するにこ
 こでは、いかに大きな破壊力をもった軍事的能力を獲得できるかが決定的な問題なので
 ある。これに対し主権国家の場合は、いかに「ならず者国家」とか「悪の枢軸」といっ
 たレッテルは貼られた国家であっても、テロリストとは違い、最重要の課題は「体制の
 生き残り」にある。従って、獲得される軍事的能力はあくまで、「体制の生き残り」の
 ための手段なのである。北朝鮮がミサイル開発や核開発について、常に「自衛の手段」
 と主張していることは、過激なレトリックは別として、事の本質を示しているのである。
 とすれば、北朝鮮のミサイル攻撃の可能性が議論される場合には、いかなる意思に基づ
 いたものであるかが、「体制の生き残り」という課題の関係で突き詰める必要があろう。
・日本の核武装に至るまでの”過度期において、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませ
 ず」という非核三原則のうち「持ち込ませず」の原則を見直し、米国の核の「持ち込み」
 を”公的に”認めることによって北朝鮮に対する抑止力を持ってしても抑止できず、
 「核の傘」も機能しない相手に対し、日本に持ち込まれる程度の核によって、なぜ抑止
 が可能なのであろうか。結局のところ、北朝鮮という貧弱な国が開発するかもしれない
 核ミサイルによって「核の傘」が機能しなくなるという「最悪シナリオ」を前提とする
 限りは、少なくとも論理的には、いかなる手段を講じようとも抑止は不可能であるとい
 う結論にならざるを得ないのである。
・こうした「最悪シナリオ」よりも、日本の核武装がもたらすであろう真に恐るべき「最
 悪シナリオ」を検討しておかなければならない。日本が核武装に踏み切るということは、
 NPTから日本が脱退することを意味する。唯一の被爆国であり、非核三原則を「国是」
 として掲げ、世界に核不拡散を訴えてきた日本が脱退するということは、NPTに加盟
 する多くの国々もそれにならい、核武装の権利を主張する突破口を作り出し、NPT体
 制は名実ともに崩壊に向かうであろう。日本が核武装するならば、北朝鮮はもとより、
 韓国や台湾や中東諸国をはじめ、各国が核武装に走ることを止める論理は一切失われる
 であろう。いかに北朝鮮という「ならず者国家」の脅威に直面していることを訴えでも、
 韓国は日本の脅威を喧伝するであろうし、中東諸国は「国家テロ」のイスラエルやシー
 ア派イランの脅威を持ち出して核武装を正当化するであろう。
・問題はそこに止まらない。仮にサウジアラビアやエジプトなど、事実上の独裁体制を維
 持する一方で、国内に多くの過激派を抱え込んでいる国々が核を保有するならば、テロ
 リストにとって核にアクセスできる機会は飛躍的に高まるであろう。核とテロとの結合
 という、今日における最も恐るべきシナリオが、現実性を帯びる可能性が一気に増大す
 るのである。日本における核武装論は、北朝鮮や中国との関係においてしか問題を見て
 いないという、致命的な視野の狭隘さによって特徴づけられているのである。
・過去の安保理決議に遡ることがなぜ重要かといえば、核不拡散の論理にたてば、北朝鮮
 が核を保有してはならないのと同様に、イスラエルも保有してはならないからである。
 さらに、米国が時々の”ご都合主義”によって、こうした安保理決議が事実上反故にされ
 る事態を黙認してきた経緯を見るならば、北朝鮮についても決議に謳われた核の「放棄」
 ではなく、「凍結」で譲歩する恐れがあるからである。NPTを再構築するためには、
 これらの安保理決議の明確な履行が、改めて求められなければならない。
・「戦後体制からの脱却」が叫ばれる場合、そこでは沖縄はいかに位置づけられているの
 であろうか。そもそも、ここで言われる「戦後体制」とは何であろうか。憲法改正が最
 大の課題と位置付けられていることから見れば、「戦後体制」とは第九条を軸とした憲
 法体制であり、その憲法体制からの脱却が急がれている、ということであろう。半世紀
 前の自民党結党当時は、「戦後体制」とは、憲法体制とともに、米軍占領によって「押
 しつけられた」安保体制も含まれており、この両体制からの脱却が課題となっていたの
 である。
・現在の憲法は、1946年2月の上旬にマッカーサーの指示のもとに、GHQが10日
 間ばかりの”突貫工事”でその草案をまとまあげ、日本側に”押しつけた”ことは良く知ら
 れている。しかし、なぜマッカーサーはそれほど急がねばならなかったのであろうか。
 それは、同月からワシントンにおいて、極東委員会が発足することになっていたからで
 ある。マッカーサーにとって、委員会の発足は決定的な意味を持っていた。それは、
 1945年末のモスクワにおける英米ソ三国外相会議において調印された「モスクワ協
 定
」によって、極東委員会が日本占領の最高政策決定機関と位置づけられ、「憲政機構
 の根本的変更」も同委員会の権限に属するものとされたからである。「憲政機構の根本
 的変更」とは、明治憲法を改正し新憲法を制定することを意味しており、同委員会にこ
 の制定作業が委ねられることになったのである。極東委員会を構成する11カ国の中に
 は、ソ連はもちろんカナダ、オーストラリアなどを始めとして天皇制に批判的な国々が
 多く、制定作業が開始されれば天皇制の維持はきわめて困難になることが予想された。
 だからこそマッカーサーにあっては、”突貫工事”によって憲法改正草案をまとめて日本
 側に示し、あたかも日本政府が策定した草案のように”装う”ことが至上命題となったの
 である。こうして、日本政府が「日本案」を閣議決定したのは、まさに極東委員会が発
 足するその日であった。以上の経緯を明らかにしたように、天皇制を支持する立場に立
 つならば、マッカーサーに心から感謝を捧げこそすれ、非難する根拠は皆無なのである。
 マッカーサーによる「押しつけ」がなければ、憲法改正作業は極東委員会に委ねられ、
 おそらく天皇制は廃止されていたであろう。
・ところで、マッカーサーは日本占領の最高司令官であるはずなのに、なぜワシントンに
 最高政策決定機関が設けられたのであろうか。それは、連合国間において、彼の日本占
 領における排他的管理権が正式に承認されていなかったからである。
・マッカーサーは、占領を円滑に遂行するうえで昭和天皇の「権威」を利用するために、
 天皇制の維持に執念を燃やした訳であった。しかし、天皇制を残すことについて国際社
 会の了解を取りつけるためには、日本の非武装が不可欠の前提となった。この意味で、
 憲法九条と一条は”ワンセット”として位置づけられたのである。しかし実は軍事的なレ
 ベルを見ると、マッカーサーにあっては日本の非武装は沖縄の米軍支配と表裏の関係に
 あった。マッカーサーは「沖縄諸島は我々の天然の国境である」「沖縄に米国の空軍を
 置くことは日本にとって重大な意義があり、明らかに日本の安全に対する保障となろう」
 と述べた。さらに、沖縄を要塞化すれば「日本の本土に軍隊を維持することなく、外部
 の侵略に対して日本の安全性を確保することができる」と主張した。
・マッカーサー発言に鮮明に示されているように、実は憲法九条は沖縄の犠牲のうえに成
 り立ってきたのである。同じく、安保体制が、在日米軍基地の75%近くを、狭い沖縄
 に押しつけて維持されてきたことも周知のところである。安倍首相は安保体制について、
 米国は日本を守るために「血を流す」のに、日本は米国のために「血を流す」体制にな
 っていないと「片務性」を強調するが、こうした認識は、沖縄の歴史と現実を捨象した
 うえに成り立っている、と断ぜざるを得ない。
・そもそも沖縄は、本土防衛の「捨て石」として4人に1人が「血を流す」という悲惨な
 沖縄戦を体験した。そればかりでなく、戦後の米軍支配のもとで、強制的な土地収用、
 米軍の作戦行動や演習に伴う「事故」、米兵による凶悪犯罪、基地「公害」などによっ
 て、大量の「血を流す」という歴史を歩んできたのである。
・つまり、「戦後体制」とは、憲法体制においても安保体制においても、沖縄の犠牲のう
 えに成立してきた「体制」に他ならない。とすれば、真の意味での「戦後体制からの脱
 却」とは、このような沖縄を犠牲にしてきた「体制からの脱却」でなければならないは
 ずである。沖縄に犠牲を押しつける枠組みを残したままでの「脱却」とは、実はその本
 質において、「戦後体制の継続」そのものなのである。
・たしかに米軍再編プロセスにおいて「負担の軽減」が強調され、一定の基地の返還と一
 部海兵隊のグアムへの移転が計画されている。しかし、実態は、沖縄北部への基地の
 ”集中化”と”恒久化”である。自衛隊の”肩代わり”も含め、沖縄のもつ軍事基地としての
 機能は、将来的にも維持されることは明らかである。そもそも一つの島や地域が60年
 以上にわたって過重な軍事的負担を一方的に押しつけられる事態が続くということは、
 世界的にも”異常”であり、このままいけば「戦後体制」は、一世紀にも恐れさえ予測さ
 れる。    
・戦後の沖縄の法的地位に触れておくならば、対日講和条約第三条において、米国を「唯
 一の施政権者とする信託統合制度の下におく」という提案を米国が国連に提出するまで
 の間、米国は沖縄に対して全権を行使できる、と規定された。ところが、アイゼンハワ
 ー政権は、1953年の国家安全保障会議において、沖縄の信託統治化を国連に提起し
 ないとの決定を下した。さらに、1956年には日本は国連加盟を果たしたが国連憲章
 78条は、「信託統治制度は、加盟国となった地域には適用しない」と謳ってる。つま
 り、米国が沖縄の軍事支配を続ける国際法上の根拠は、少なくともこの時点で失われて
 いたのである。にもかかわらず日本の政府は、無人島であればいざ知らず、80万人近
 い人々が暮らす「固有の領土」の返還を、自ら求めることはなかったのである。
・悲惨な沖縄戦が最終段階を迎えた1945年6月に、昭和天皇はそれまでの徹底抗戦方
 針を自ら転換し、ソ連を介して連合国側と平和交渉に入る決断を行ない、近衛文麿元首
 相を「天皇の特使」としてモスクワに送る手はずを整えた。その際、近衛がまとめた和
 平交渉の「条件」には、「固有本土の解釈については、最低限沖縄、小笠原島、樺太を
 捨て・・・」と明記されていた。つまり、本土防衛のための「捨て石」という選択に踏
 み切ったのである。結局、近衛の訪ソは実現せず敗戦を迎えたが、戦後になって米軍が
 沖縄を支配すると、昭和天皇は1947年に米側に送ったメッセージでは「25年から
 50年、あるいはそれ以上」、吉田が1951年にダレスに提示した案では「99年」
 もの長期にわたって沖縄を米国に”貸し出す”、という方針が明示されていたのである。
 日本本土の政府から半植民地のように扱われてきた沖縄は、植民支配をうけた朝鮮半島
 や侵略をうけた中国に相通ずるような歴史を体験してきたのである。
・憲法改正によって初めて「自主憲法」が制定される、と喧伝されている。それでは、は
 たして「自主憲法」の誕生によって、沖縄の何が変えわるというのであろうか。沖縄に
 外交「自主」権でも付与されるのであろうか。イラク戦争の総括もされずに進められる
 沖縄再編による、新たな恒久基地の設置を拒否する「自由」が認められるのであろうか。
 いずれは”ハシゴを外される”であろう新たな「中国封じ込め」政策の軍事拠点となるこ
 とを、拒否する「自由」が与えられるのであろうか。嘉手納に配備されたPAC−3の
 「迎撃」によって、核爆発や核汚染にさらされる危険から逃れる「自由」が生み出され
 るのであろうか。そもそも、沖縄が基地のない「ちゅら(美しい)島」となって初めて、
 日本は「美しい国」になり得るのではないだろうか。
・集団的自衛権は日本の場合、具体的には米国との「共通敵」の存在を前提とする。しか
 し、米国による「敵」の設定は、たえず変動する。政権交代の場合に限らず、同じ政権
 期にあっても、「敵の敵は友」という短絡的な対応によって、「昨日の敵は今日の友」
 となり、その度に日本は”はしごを外され”振り回される。仮に集団的自衛権の行使が
 容認されることになれば、米国が次々と設定する「敵」との戦争に日本も参加を強いら
 れることになるだろう。こうした事態が生じるのは、結局は日本の外交が、安保条約に
 象徴される日米二国関係という、戦後を規定してきた枠組みによって呪縛され続けてき
 たからである。
    
おわりに
・2006年、安倍政権が発足しる前夜に、ワシントン・ポストが掲載した社説、「日本
 の未来、そして過去−−新首相は歴史に誠実でなければならない」と題されたこの社説
 は、「もし日本が過去の誤りを認めるならば、責任ある民主主義国家として認められる
 であろう」、しかし、「南京における少なくとも十万人の中国人の虐殺を含む自らの過
 去」を認めないなら、周辺諸国との緊張が高まり、地域的安全保障が損なわれるであろ
 う、と主張した。
・安倍は、「普遍的価値観」を共有する日米豪印の四カ国による戦略的提携という、「一
 周遅れのネオコン」とも評される価値観外交を持論としている。その「価値観」の中に、
 米国の保守派が、歴史認識問題を捉えるように求めたのである。つまり、歴史に誠実で
 なければ、安倍政権の日本を「責任ある民主主義国家」として認めない、との”通告”
 を発した訳である。     
・安倍はかねてより、「歴史の評価は後世の歴史家に任せるべきで、政治家は慎重でなけ
 ればならない」とする立場を堅持してきた。ところが、彼は「美しい国へ」において、
 「ナチスドイツの侵略」と明言しているのである。歴史というのは、善悪で割り切れる
 ような、そう単純なものではないのである」といのが、安倍の基本的な立場であるにも
 かかわらず、なぜ他国の歴史については、かくも明確な判断を下せるのであろうか。
 「村山談話」を踏襲すると言いつつ。改めて「後世の歴史家」論などを持ち出して、
 ”逃げ”を打つということは、その本音としては、ナチスドイツとは違い日本の戦争は
 「侵略」ではなかった、という「信念」を持っているのではないか。これが、周辺諸国
 なかりではなく、これまで日本の歴史認識問題に”寛容”な態度を取ってきた米国の保守
 派さえもが、警戒を抱く背景となっているのである。仮に戦後ドイツ(旧西ドイツ)の
 政治家たちがナチスドイツの評価について、「後世の歴史家に任せるべき」といった態
 度を取っていたならば、その無責任さは批判の嵐を受け、間違いなく戦後の西欧社会か
 ら排除されたことであろう。ところが、戦後60年も経って、こうした無責任な態度が、
 日本において政治の指導部で公然と表明され、それが”異様な”ことと受け取られない空
 気が支配しているのである。このような政治状況において、自衛隊の武力行使の領域が
 飛躍的に拡大されるであろう集団的自衛権の解釈変更が進められ、その先には憲法改正
 が具体的な日程にのせられようとしているのである。とすれば、日本国内ばかりではな
 く、周辺諸国が重大な警戒を抱くのは当然のことであろう。