性と暴力のアメリカ  :鈴木透

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この本は、今から15年前の2006年に出版されたものである。著者はアメリカ文化研
究を専門としている大学教授のようだ。
アメリアかという国を性と暴力という観点から解説している。アメリカは、海外からの移
民流入によって、異なる背景を持つ人びとが寄り集まってできた多民族国家だ。そのため、
日本などとはかなり異質の、実験的な国家だと言われており、性の問題一つをとっても、
日本では想像もつかない複雑な問題を抱えているようだ。もっとも、そのために、改革も
進んでおり、性の問題に関しては、日本などよりはかなり先を行く国と言えるのだろう。
しかし、暴力という観点では、アメリカは未だに開拓時代を引きずっている銃社会であり、
他の先進国から見たら、驚くほどの後進国であると言えるだろう。
私がこの本を読んで、とてもユニークだと思ったのは、アメリカの暴力を「リンチ」とい
う見方をしている点だ。こういう見方をすると、これまでにアメリカが関わってきたアフ
ガニスタン戦争やイラク戦争などについても納得できる気がする。
戦後、日本人は、アメリカの価値観こそ世界標準だと思い込んでいるところがあるが、こ
の本を読むと、そのアメリカの価値観は、世界的に見ると、かなり異質であることがよく
わかる。日本とアメリカは同じ価値観を持つ国なのだと思い込むことは、とても危険なこ
とではないかと感じた。
この本を読んで、以前読んだ「もうアメリカ人になろうとするな」(柴田治呂著)という
本を思い出した。そのときは、ずいぶんアメリカ嫌いの人が書いた本だなと思ったが、ま
んざらまちがいでもいないような気がしてきた。


はしがき
・アメリカは、銃が野放しで凶悪犯罪も頻発しているにもかかわらず、銃規制は刻々とし
 て進まず、銃の所持を擁護する勢力が根強い。また、アメリカが先進国のなかで唯一、
 犯罪を犯した段階で未成年だった者への死刑執行をつい最近まで容認してきたという事
 実も、尋常ではない。
・性や暴力をめぐる問題が持ち上がる頻度、それに対する国民の関心の高さ、その際の論
 争や街頭活動の激しさのどれをとっても、アメリカは他国に比べて際立った存在と言わ
 ざるをえない。 
・元来アメリカは、国家も国民も未完成な状態から出発した、いわば人為的な集団統合を
 宿命づけられた実験国家である。
・建国後も領土拡張や移民の流入によって巨大化し続けたアメリカは、いつ達成されるか
 わからない、完全なる統合の実現という遠大な目標と、自由と平等という崇高な理念の
 実現に向けて試行錯誤を続けている。
・だが、異なる背景の人びとが寄り集まって国をつくるという作業は、自己と他者との間
 にどのような関係を築くべきかという課題を絶えず投げかけている。  
・実は、性をめぐる問題は、他者との関係をどう築くか、また暴力の問題は、紛争をどう
 解決するかという、ともに人為的な統合や理念先行の国家というアメリカが背負った宿
 命と深く関係している。
・人為的な統合を宿命づけられた理念先行の実験国家であるアメリカは、性や暴力の問題
 が大きな社会的争点となるような構造をもともと内に抱えていると考えるべきなのだ。
・そもそも、この国はピューリタンの植民地という宗教的世界を重要な起源に持ち、武装
 闘争によって独立を勝ち取ったという軍事国家の面を持っている。宗教に通ずる性の問
 題と、軍隊に通ずる暴力の問題は、この国が民主主義を打ち立てようとする以前からア
 メリカの大地に深く根を下ろしているのである。
・世界最高峰の科学技術を誇りながら、ほかの先進国と違い宗教の影響力がいまだに強く、
 性の問題で大きく揺れ続けるアメリカ。禁欲主義の倫理と「性革命」が交錯するアメリ
 カ。民主主義の理念を掲げながら、前近代的な銃社会であるアメリカ。こうした、一見
 矛盾する不可解なアメリカをつくり上げている性や暴力の問題こそ、この国を理解する
 ための需要な道標である。  

「処女地」の凌辱
・アメリカ文学研究者のアネット・コロドニーは、性と暴力とアメリカの大地という三者
 を結びつけるような思考が植民地時代から形成されてきたことを示唆し、いわばアメリ
 カ史の精神分析というべき議論を展開している。
・コロドニーは、直民地時代から開拓時代にかけてのさまざまな人びとが残した日記、旅
 行記、文学作品などの多種多様な文献を調査した。彼女によれば、男性が残した当時の
 文献には、新大陸の自然の風景を女性にたとえた言い方がよく登場するという。
・アメリカの文献に特徴的なのは、母に抱かれるように自然の恵みに浸っていたいという
 想いよりは、未開の自然を切り拓き、土地を所有したいという願望だという。それゆえ、
 アメリカの大地は、同じ女性でも「母」ではなく、「処女」になぞらえられる傾向にあ
 ると指摘する。つまり、開拓の名において自然を破壊・改造し、土地を所有しようとす
 る衝動は、未開の自然としての処女を男性が暴力的に制服・支配したいという願望のア
 ナロジー(類比関係)に見立てられることが多かったというのである。
・コロドニーによれば、アメリカという大地そのものが、実は女性化された存在であり、
 それを暴力的に制服していく営みこそ、アメリカの軌跡だったという。また、森林伐採
 など環境破壊の側面を持つ開拓が、男性による処女の支配という発想とつながってると
 考えれば、現代アメリカにいまなお残る環境破壊と女性への抑圧は、双子の関係にある
 と解釈できるだろう。
・性も暴力も、他者の身体を支配し、異端を排除しようとする欲望と結びつきやすい。こ
 のことは、背景の異なる人間同士が、どのように絆をつくり上げるかという問題を提起
 する。それは同時に、解決が困難な課題を安易に処理しようとする衝動も生み出す。ア
 メリカが性の特異国であるという事実は、市民が政治権力にアクセスしやすい参加型民
 主主義の仕組みや、この国が持つ旺盛な実験精神と深く関連している。だがその反面、
 「暴力の特異国」の現実は、紛争を暴力なしに解決できずにいる。この国のデモクラシ
 ーの未完成さを体現している。そうした安易な排除の手段と訣別できずにいるアメリカ
 が、いまや唯一の超大国として世界に君臨しているのだ。


「性と暴力の特異国」の成立

「性の特異国」の奇跡
・日本人にとって、アメリカが性の特異国に見える一因は、性道徳への公然かつ広範囲に
 わたる挑戦が繰り広げられている点にある。こうした現象は、ポルノの氾濫や妊娠中絶
 の合法化、同性愛者の権利の拡大などをはじめてとして、1960年代頃から顕著に見
 られるようになったものであり、一般に「性革命」と呼ばれている。
・だが、厳格な性道徳からの解放を求める動きが強まったとはいえ、ピューリタン的な倫
 理観を現代アメリカには根強く残っている。勤勉や倹約を奨励し快楽を戒めるピューリ
 タニズムは、禁欲主義的な性道徳を掲げてきた。婚姻関係以外の性交渉は否定され、異
 性愛の妨げとなる同性愛は異端とされてきた。
・性の抑圧と解放は一見正反対の思想のようでいて、実は根底には共通の精神を宿してい
 る指摘されている。それは、性の問題をうやむやにせず、それに体当たりして格闘しと
 うとする一途さである。  
・しかし、なぜそもそもアメリカ社会は性を直視するようになったのだろうか。これは、
 アメリカという国が、未完成な状態から出発したがゆえに、完全なるものへの執着心と
 ともに歩んできたことと深く関係している。
・ピューリタンとは、イギリスの宗教改革がイギリス国教会の設立という形で決着した際、
 それに異を唱え、さらなる改革を求めた人びとである。ヨーロッパで迫害された後、信
 仰の自由を求めて新天地に赴いた彼らは、自分たちは神から人類の再出発のチャンスを
 託された選民だと考えていた。彼らは、堕落したヨーロッパ世界に代わる理想郷を新大
 陸の未開の荒野に建設することこそ、自分たちの使命だと信じていたのである。それは、
 まさに完全なる社会を建設するための挑戦であった。
・ピューリタンにとっては、性の問題は、自分たちが道を誤ることなく前進しているかど
 うかを見極める重要なバロメーターの一つとなった。性的快楽に溺れることは、楽園建
 設の使命を放棄することにほかならなかった。逆に、性の誘惑を断ち切ることができ
 れば、それは理想の社会に近づいていることの証となった。
・ピューリタニズムと啓蒙思想は、一見すると正反対の思想である。ピューリタンにとっ
 ては、救われるかどうかはあらかじめ神が決めることであり、神に選ばれなかった人に
 救いはない。一方、啓蒙思想は、理性の力によって努力を重ねていけば、誰しも幸福に
 なれる可能性があると考える。
ベンジャミン・フランクリンは、ピューリタニズムでは神の掟とされた勤勉や倹約の精
 神を、人間の努力目標としての「徳」へと緩和し、それを一つずつ身につけていくこと
 で、より完全な市民になろうと試みた。つまり、啓蒙思想の合理主義の精神でピューリ
 タニズムの中身を読み替えつつ、完全なるものの獲得に向けた新たな挑戦に着手したの
 である。  
・ピューリタンは、人間を堕落させかねない誘惑は、神が自分たちに与えた一種の試練だ
 と考えていた。性の誘惑は、その最たるものの一つであり、これに打ち勝つことこそ、
 神を喜ばせるに違いなかった。それゆえ、ピューリタン社会では、性の誘惑に敗れた者
 には厳しい処罰が待っていた。実際、姦通は死刑であった。
・ピューリタンが厳格な性道徳を掲げたのは、性の誘惑を十分認識したうえで、それを駆
 逐できるような、崇高な精神的愛情によって支えられた婚姻制度を追求しようとしたか
 らなのである。つまり、ピューリタンの禁欲主義は、専ら性を忌み嫌うものというより
 は、むしろ、理想と現実の不一致を克服するための手段としての意味合いを持っていた。
・一方、フランクリンは、純潔の美徳を尊びながらも、それに抗しがたい衝動にも駆られ
 てしまう現実を受け入れた。現に彼は、純潔の美徳を獲得しようと努力したが、達成で
 きなかったと告白している。事実、彼には私生児がいた。
・また、フランクリンは、抑えがたい情欲を解決する最善の道は結婚だが、それが不可能
 な場合には、年上の女性を愛人にするのがよいとも記している。妊娠の可能性が少ない
 し、情欲を満たすことが目的なら、どうせ暗い場所で行為に及ぶのだから、あまり若さ
 にこだわる必要はないというのである。このように、フランクリンが到達したのは、婚
 姻関係以外の性交渉は慎むのが理想だが、その衝動を理性の力で克服しようとしても限
 界があるという境地だった。
・ピューリタンが、性をあくまで婚姻の枠内に閉じ込めようとしたとすれば、フランクリ
 ンは、婚姻外の性的衝動を容認した。
・ピューリタンとフランクリンを起源とする、厳格な性道徳と性解放の並存状況は、現代
 アメリカにまで通じている。しかし、19世紀と20世紀ではやや様相が異なる。19
 世紀のアメリカでは、性に対する法的規制が強化され、厳格な性道徳が社会の表舞台を
 席捲した。しかし、性解放の側にも、「フリー・ラブ」と呼ばれる、性交渉の自由を擁
 護する考え方が生まれ、異端視されながらも、性的衝動を尊重する発想は20世紀へと
 引き継がれていく。 
オナイダ・コミュニティは、ジョン・ハンフリー・ノイズが1848年にニューヨーク
 州北部に創った、性の楽園と言うべき共同体の建設に挑戦する実験的共同体であった。
・ここでは、自給自足の共同生活が営まれ、世間の常識からかけ離れた規範が導入された。
 多夫多妻というべき複合婚である。男女の合意があれば、不特定の相手との性交渉が許
 された。 
・これが認められたのは、ノイズが性行為を純然たる子孫繁栄のための道具とはみなさず、
 人間同士の絆を高めると考えたからである。楽園を建設するなら、それは、自然な性的
 衝動が踏みにじられない、性の楽園でなければならないというわけだ。
・また、ノイズは、「汝の隣人を愛せよ」というキリスト教の教えを忠実に実践するなら、
 すべての男女が互いに愛し合い、いわばあらゆる男性があらゆる女性と結婚しているよ
 うな、また共同体全体が一つの家族であるような状態こそ、理想の社会であると考えて
 いた。 
・オナイダ・コミュニティは、その子の父親が誰かということは問題にされず、自分の子
 どもに対する独占欲を放棄することがメンバーには求められた。その点、決してフリー・
 ラブの実戦の場ではなく、むしろ、「性の共産主義」の舞台であった。
・性交渉の相手を選ぶ際には、年長で、より信心深い相手が奨励されるなど、性交渉もま
 た、より完全な社会を実現する手段であった。
・オナイダ・コミュニティは、内紛により創設からほぼ30年後の1879年に複合婚を
 廃止し、翌々年に解散する。経済的安定がもたらされるにつれ、一夫一妻制への回帰を
 求める声が強まったためらしい。
・このオナイダ・コミュニティの人口は、最盛期でも300人程度であった。
・19世紀に性道徳が社会でいっそう強く意識されるようになった背景には、産業革命へ
 の戸惑いから、西洋世界で中世が再評価されたことも関係していた。産業革命によって
 貧富の差が広まり、都市の生活環境の悪化や労働者の疎外といった問題が顕在化してく
 ると、近代以前の中世のほうがむしろ優れていたという考え方が登場してくる。
・中世に対する郷愁は、当然ながら中世の騎士道精神やマリア信仰に対する関心を呼び起
 こした。名誉を重んじる騎士たちにとって、純潔は欠くことのできない重要な美徳であ
 った。また、こうした中世的精神では、女性は守られるべき存在であるとともに、崇
 拝の対象でもあった。 
・アメリカ的な行動規範として、「レディー・ファースト」を思い浮かべる人も多いと思
 うが、実はこうした発想は、民主主義の理念というよりは、明らかに中世的な女性観に
 近い。   
・19世紀に入ると、性を婚姻関係の内面に限定して、精神的な愛を破壊しかねない性的
 衝動を抑制し、男女の行動に節度を求める気風が社会に定着する。これを一般に「ヴェ
 クトリアニズム
」と呼ぶ。
・ヴェクトリアニズムの性道徳がもっとも浸透したのは、中産階級以上の白人だった。
・ヴェクトリアニズムの性道徳のもとでは、人前で性を話題にすることは戒められた。性
 は、夫婦間の性交渉のなかに閉じ込められるべき問題とされたからだ。男性は、人前で
 女性に対する礼節を重んじることが求められる一方、女性には、貞操を貫き、良き妻、
 良き母として夫に尽くすことが求められた。女性が肌を露出するなどもってのほかであ
 り、女性には性的にナイーヴな存在でなければならなかった。
・こうした道徳的拘束力は、家庭内にまで及んだ。夫婦間であっても、性の話題は慎むべ
 きものとされ、ある程度の階層以上の家では、夫と妻の寝室が別々になっているのが普
 通であった。夫といえでも、妻に対してあからさまに性交渉を求めるのは、マナーに反
 することであり、妻の側も性に対して積極的な姿勢を見せるのは、はしたないこととさ
 れた。
・西洋世界における同性愛の歴史は古く、古代ギリシアにまで遡るが、その後キリスト教
 世界では否定されてきた。
・アメリカでは、19世紀に各州で同性愛を禁止する法律、ソドミー法がつくられ、違反
 者は禁固刑か罰金を科すようになった。1870年代以降になると、従来のアナル・セ
 ックスに加えて、オーラル・セックスまでも処罰の対象とするようになる。
・ただ、法的処罰の強化の対象は、あくまでも肉体的な同性愛関係に限られていた。性を
 婚姻関係に限定するヴィクトリアニズムは、性欲よりも精神的愛の優越を説くものであ
 り、精神的な次元での同性間の友愛的関係は、必ずしも不純なものとはみなされなかっ
 た。 
・現に、19世紀のアメリカには、女性たちの間に同性同士の友愛的絆が存在していた。
 女性同士の友愛は、精神性が確保されていれば、決して結婚生活と矛盾するものではな
 く、処罰されることもなかった。
・ソドミー法は、20世紀になっても廃止されず、1961年までは、アメリカのすべて
 の州に存在し続けることになる。
モルモン教は、ジョーゼフ・スミスが、1830年に開いたプロテスタントの一派であ
 る。モルモン教は、一夫多妻制を唱えたことから各地で迫害に遭う。一夫多妻制容認の
 背景には、スミス自身が多数の女性と関係を持っていたことに一因があるようだが、ス
 ミスの後継者をめぐる内紛もあり西部ユタにようやく安住の地を見つけたのは1847
 年のことであった。  
・しかし、モルモン教の共同体は、連邦政府から一夫多妻制を廃止するよう圧力を受け続
 けた。法的圧力に加え、連邦政府が軍事的圧力をもかけた結果、1890年にモルモン
 教会は、半世紀以上にわたって続いていた一夫多妻制の廃止を余儀なくされる。モルモ
 ン教会に対する弾圧は、教派間の対立というよりは、ヴィクトリアニズムの性道徳の基
 盤を揺るがす異性愛は断固として認めないという、アメリカ社会の強い意志を反映した
 ものだった。 
・法的規制の対象となったもう一つは、妊娠中絶である。中世のカソリックの世界は中絶
 を禁止していた。子どもを望まない者は、妊娠中絶ではなく、出産後に殺めるという手
 段を選んでいたらしい。17世紀頃になると、ヨーロッパでは孤児院がつくられるよう
 になるが、これは、人道的な見地から嬰児殺しを少しでも防ぐという狙いがあった。妊
 娠中絶が実用化されていくのは19世紀以降である。
・妊娠中絶を禁止する法律のなかでも、その後の重要なモデルとなったのは、1828年
 にニューヨーク州が定めた規定だった。それは、胎動以前の中絶は軽犯罪、胎動が確認
 できた後の中絶は第二級殺人とし、ただし、母体を守るために必要な中絶は合法とした。
・19世紀後半になると、次第に胎動が確認できる以前と以後という区別がなくなり、
 中絶はどの段階でも重罪とみなされるようになっていく。「堕胎士」が公然と活動する
 ようになり、新聞などのメディアにも堕胎士の広告が掲載されるほど、妊娠中絶が表面
 化してきたからである。  
・たしかに、堕胎士による医療事故は少なくなかった。また、白人中産階級の出生率が鈍
 化してきたという事情もあった。つまり、性道徳に照らしても、医学的・人口学的見地
 からも、妊娠中絶は好ましくないものとされたのである。ちなみに、妊娠中絶が連邦最
 高裁判所によって容認されるのは、1973年のロー対ウェイド判決を待つことになる。
・実は、19世紀は、ヴェクトリアニズムの時代であったと同時に、売春産業の拡大期で
 もあった。植民地時代からアメリカでは、男性の移住者数が女性の数を上回り、アンバ
 ランスがなかなか改善されなかった。そして、ヴェクトリアニズムの時代になると、男
 性は、家庭内においてもあからさまに妻に性交渉を求めることは慎まなければならず、
 はけ口が外に向けられるようになったのである。
・一方、19世紀後半になると、貧しい移民の増加によって都市部にはスラム街が形成さ
 れ、生活苦に悩む下層階級の移民女性が、新たな売春婦の供給源となったのである。こ
 の時期、大規模な港湾都市では、法律上は売春が禁止されていたにもかかわらず、公然
 と売春街が形成されていく。19世紀の末には、アメリカの多くの都市が売春地区の存
 在に目をつぶり、売春を黙認していたのである。
・人為的な集団統合を宿命づけられた多人種国家アメリカでは、性の問題は、男女関係の
 次元だけでなく、白人男性と黒人女性、あるいは、黒人男性と白人女性といった、性と
 人種の複合した問題でもあったのだ。 
・アメリカ英語には、「ミンジネーション」(miscegenation)という単語がある。この言
 葉は、白人と黒人との間の人種混交や性的接触を意味する。日本語にはないし、英語の
 母国であるイギリスにもなかった。
・ミンジネーションの歴史は、植民地時代に遡る。南部のプランテーションには、アフリ
 カから連れてこられた大量の黒人奴隷がいた。奴隷は、金銭で売買される。いわば「モ
 ノ」同然の存在であり、主人は奴隷たちを意のままにすることができた。そのため、黒
 人奴隷の女性は、しばしば白人の主人から性的虐待を受けてきた。
・こうした慣行が珍しくなかった様子は、第三代大統領トマス・ジェファソンでさえ、黒
 人奴隷に子どもを産ませたことからもわかる。ジェファソンは、自由と平等を謳った
 「独立宣言」の起草者でもあるが、実際には多くの奴隷を所有する大農園主であった。
 39歳で妻に先立たれた彼は、サリー・ヘミングスという混血の黒人奴隷の女性との間
 に5人の子どもをもうけている。
・奴隷は主人の私有物であり、その処遇について他人が口をはさむことはできなかった。
 白人男性が黒人奴隷の女生徒と結婚することは許されなかった。奴隷はあくまでも私有
 財産である以上、「ヒト」ではない存在の「モノ」を妻とすることはできなかったので
 ある。
・白人男性と黒人の女性との性的接触が、許容される一方、異人種間の結婚は禁止という
 風土は、植民地時代から形成される。それは、南北戦争を経て奴隷制度が廃止された後
 にも受け継がれる。実際、異人種間の結婚を禁止する法律が完全に廃止されるのは、
 1967年のことである。
・白人男性が黒人奴隷の女性に対して性的虐待を行っても処罰されない風土は、南北戦争
 期にかけて多くの混血児を誕生させる結果となった。
・当時、アメリカでは、黒人の血が一滴でも混じっていれば、肌の色がどんなに白くとも、
 黒人として差別された。黒人奴隷の女性を性的に虐待することが白人の主人の特権であ
 った一方で、生まれた子どもは白人社会から忌み嫌われる存在となったのである。「
 滴ルール
」と呼ばれる差別の背景には、性的快楽を享受したい欲望とはうらはらに、混
 血児の誕生はできるだけ阻止したいという、白人男性側の葛藤があった。
・一方で、白人男性は、黒人男性が白人女性と性的関係を結ぶことを、極度なまでに警戒
  した。これは、黒人男性に対するリンチに象徴的に表れることになる。  
・白人女性が黒人男性に狙われているという噂が広まると、白人社会は集団ヒステリーの
 ような状況に陥り、結束して黒人男性に暴力を加えることが、しばしば見られた。現に、
 リンチでは、餌食となった黒人男性の性器を最後に切除することさえ行われることがあ
 った。 
・黒人男性と白人女性が接近することに対して、なぜ白人男性は神経過敏になったのだろ
 うか。多くの研究者が唱えているのは、白人男性側の倒錯した性的コンプレックスに原
 因があるという説だ。白人女性が黒人男性との間で野性味あふれる性体験をすると、白
 人男性には見向きもしなくなるという不安を抱くようになる。黒人男性を見下しつつも、
 性的には恐れるというジレンマを、多人種国家アメリカの白人社会は抱えることになっ
 たのである。 
・混血に対する白人男性の恐怖の背景には、劣等人種とみなしてきた黒人の血が白人と混
 ざることで、優等人種としての白人の地位が揺らぐのではないかという不安もあった。
・「適者生存」の原理こそがこの世を支配しているのなら、それは人間社会にも当てはま
 るはずであった。だが、現実のアメリカ社会では、19世紀後半にかけての工業化にと
 もない、貧しい移民労働者が大量に流入し、下層階級の増大は、とどまるところを知ら
 なかった。しかも、移民の下層階級は、避妊の知識も乏しく、子だくさんのため一向に
 貧困から抜け出せない者が大半を占めていた。当時のアメリカ社会の中枢を握っていた
 アングロ・サクソン系白人たちは、適者生存の原理が機能不全を起こし、自分たちの数
 的優位が崩れるのを恐れはじめた。
・こうしたなか、人間の性関係そのものの危機を訴える人物が登場してくる。小説家・評
 論家として活躍したシャーロット・パーキンズ・ギルマンである。彼女は、文明社会の
 発展には有能な女性が不可欠だと主張する。なぜなら、子孫は男女の性行為でしか生ま
 れない以上、女性の能力が退化していけば、いくら男性が努力したところで、子孫に進
 歩を望むことなどできない。したがって、人類の?栄のためには、女性を過程に閉じ込め
 ず、自己実現の機会を女性にもっと与えなければ、男も女も退化の危険にさらされると
 警告した。
アルフレッド・C・キンゼーは、人間の性行動をフロイトのような心理学的見地からで
 はなく、生物学的見地から解明することに関心を抱き、10年ほどの間に1万人以上の
 性行動のデータを収集し、その分析結果を「男性の性行動」と「女性の性行動」として
 出版した。
・彼の分析によれば、アメリカの成人男子の9割程度、成人女性では約半数が、自慰行為
 をし、同様の割合で、婚前交渉を行い、また、男性の3分の1、女性の6分の1以上が、
 何らかの同性愛体験を持ち、常習的な同性愛者も、人口の1割程度いるという数字だっ
 た。
・実際、キンゼーのデータは、偏った性体験を持つ人びとが多く含まれていた形跡があっ
 た。しかし、1万人以上というサンプル数であったため、批判は迫力を欠いていた。
 「キンゼー報告」は、厳格な性道徳というものがいかに偽善的であるのかを暴露するに
 十分だった。
・第二次世界大戦以前の女性たちの運動は、1920年に婦人参政権を勝ち取るほど、女
 性の権利を追求してきたとはいえ、良き妻、良き母というヴェクトリアニズムの女性像
 に真正面から挑戦したわけでは必ずしもなかった。これに対し、既婚女性を中心とする
 1960年代の女性解放運動は、過程に埋没することへの不安を強烈に意識しつつ、性
 表現の自由とは異なる次元からヴェクトリアニズムを攻撃した。それは、女性の経済的
 自立や人生の選択肢を確保して、良妻賢母というヴェクトリアニズムの女性像を打破す
 ることであった。
・女性解放運動は、次第に女性のためだけではなく、女性の視点を生かしながら社会全体
 の意識を変える方向へと向かい、フェミニズムという思想的潮流を強化していった。
・フェミニズムは、その内部にさまざまな立場の違いを残しながらも、全体としては、性
 差が抑圧の道具になっているという認識に立って、性の呪縛から男女双方が解放される
 ことを目指しはじめた。その見地からすれば、性表現の自由や性の商品化は、女性の尊
 厳を傷つけ、女性に対する抑圧をむしろ強化しかねないものだ。フェミニズムからのポ
 ルノグラフィ批判は、性表現の自由が実際にはいかに反動的であるかを告発するものだ
 った。

「暴力の特異国」への道
・アメリカにおける暴力は、植民地時代から、紛争解決手段として欠かせないものになっ
 ていた。17世紀のピューリタンたちは、先住インディアンの殺戮をしばしば神の名に
 おいて正当化した。
・ピューリタンたちは、当初は作物の栽培方法を教わるなど、先住インディアンと友好関
 係にあった。しかし、土地は神聖な共有物であると考える先住インディアンには、土地
 を私有するという観念がなかった。そのため、ピューリタンたちが土地を私物化してい
 くにつれ、両者は次第に対立するようになる。
・ピューリタンは、しばしば非戦闘員である先住インディアンの女性や子どもまでをも殺
 戮することを厭わなかった。 
・ピューリタンは、自分たちの集団内部の紛争解決にも暴力的手段を用いることが多かっ
 た。体外的にも内政的にも、ピューリタンの社会は、実は暴力とは不可分の関係にあっ
 たのである。
・18世紀後半にアメリカが独立を達成するに当たっても、やはり戦争という暴力が必要
 とされた。むしろ、独立戦争は、暴力による紛争解決の枠組みに、より多くの庶民を巻
 き込んだとさえ言える。
・独立戦争がはじまった当初、植民地側には常備軍がなく、人びとは正規軍が編成される
 まで、民兵組織をつくり、自ら武器を取って当時の世界最強であるイギリス軍に戦いを
 挑んだ。独立戦争は、民間に武器を普及させ、アメリカ合衆国は、いわば一般市民によ
 る暴力の発動を起点として建国されることになったのである。
・暴力による紛争を解決する伝統は、着実に19世紀に引き継がれている。現に、奴隷制
 度をめぐって南北に分裂したアメリカは、空前の内戦である南北戦争を体験する。
・そもそも、アメリカの独立は、イギリスの絶対王政の専制政治に反旗を翻したものであ
 った。独立革命期の人びとは、巨大な権力の出現を嫌い、権力の抑制と均衡を重視する
 姿勢を強く持っていた。連邦政府や正規軍は、一種の必要悪であり、その権限が突出し
 ないように最小限にとどめておくほうがよいという考え方が、当時のアメリカでは支配
 的だった。
・19世紀の開拓時代、開拓のスピードに行政や司法の整備が追いつかないことが珍しく
 なかった。開拓民たちは、やみなく自警団を結成する。自警団は、基本的には共同体内
 の犯罪の抑止力としての意味を持っていたが、犯罪が起れば、警察のない辺境の地では、
 警察に代わって犯人を捕らえた。しかも、裁判所がないところでは、その役割も担う場
 合が珍しくなかった。
・自警団の結成は、民間に武器を普及させることにつながっていく。合掌国憲法には、
 「自由州の治安を維持するためには、民兵組織が必要であり、人びとが武器を所有し、
 かつ携帯する権利は侵害されてはならない」という規定が盛り込まれている。
・この規定は、軍部の暴走を回避するためには民間の武装態勢を維持することが望ましい
 という、軍へのシビリアン・コントロールの考えを反映したものだ。しかし、この規定
 は、重火器の回収を連邦政府が事実上放棄したことを意味し、いまでは銃規制反対派の
 重要な論拠にもなっている。銃が氾濫する現在のアメリカを出現させる遠因となった点
 で、この規定はきわめて重要な歴史的意味を持っている。
・中世の騎士道には、個人の名誉を守るため、決闘によって決着をつける慣わしがあった。
 この決闘には一定のルールがあり、ある種のスポーツ感覚がそこにはあった。話し合い
 に基づく民主主義を掲げたはずのアメリカでも、しばしば名誉と命を賭けた決闘で紛争
 を解決しようとした形跡が見られる。
・決闘の伝統は、北部では次第に廃れていったが、法律で禁止されていたにもかかわらず、
 南部では、その慣習は残り続けた。南部の決闘の記録は数多く残っている。
・決闘の伝統は、西部開拓とともに、西部へと広がっていく。行政・司法の整備が追いつ
 かなかったフロンティアでは、決闘は、個人間の紛争解決手段として利用され、数々の
 記録は、のちに西部劇映画の格好の題材ともなった。
・19世紀の西部の決闘は、拳銃の早撃ちで決着をつけるものが多かったが、その場合に
 は、審判となる人物が同席し、一定の離れた距離から振り向きざまに互いに撃ち合って
 勝負を決めるのが一般的だった。単なる暴力の行使ではなく、一定のルールに則って勝
 負を決するというスポーツ感覚は、騎士道に通ずるものがある。
・フロンティアでは、暴力は紛争解決には必要悪だった。だが、フロンティアの時代が過
 ぎ去ろうとしたとき、秩序維持のための暴力のみならず、秩序を破壊する暴力までもが
 新たに意味づけをされ、美化されるようになった。
・アメリカ独立革命後、各地に民兵組織である自警団の結成を促した。拡大するフロンテ
 ィアに行政や司法が追いつかず、共同体の自衛手段として、自警団による死刑が横行す
 るようになった。この民間人による超法規的な暴力の伝統が、その後のアメリカ社会に
 受け継がれていく。
・自警団が警察に代わって犯罪者を捕らえ、裁判所に代わりに暴力で刑罰を与えることを、
 「リンチ」と呼ぶ。 
・本来逮捕権を持たない集団が、容疑者の身柄を拘束し、即決の裁判で処罰してしまうリ
 ンチは、実は法治国家の根幹を揺るがすものである。だが、警察も裁判所も整備されて
 いないフロンティアの小さな共同体では、留置場や監獄をつくる財政的、人的余裕はな
 く、リンチが広く行わるようになった。
・リンチは共同体の多数意志に従って、一部の少数の人間を排除するものであった。自警
 団は、犯罪の有無を厳格に立証することは、ほとんど関心を寄せない。リンチの正当化
 は、共同体の側が危害を加えられるかもしれないという脅威を感じているかが基準であ
 って、犯罪の匂いさえあれば、共同体はリンチの大義名分を確保できた。「疑わしきは
 罰する」のがリンチなのである。
・リンチは、共同体の安全という大義名分を掲げて、共同体の多数意志を代弁する自警団
 が、超法規的に集団で少数の人間に対して行う「私刑」であった。だが、住民が根拠の
 ない噂で扇動され、リンチに発展することもあった。また、本当に共同体の多数意志を
 代表しているか微妙な場合ももちろんあった。
・黒人へのリンチに関連して暗躍した組織が、クー・クラックス・クラン(KKK)であ
 る。KKKは、白人の秘密結社である。だが、白人至上主義の団体というよりは、当初
 は自警団の性格を強く持っていた。KKKは、白装束で身を包み、黒人や黒人に協力的
 な白人に対して主に夜間に襲撃するのを得意とし、多くのリンチを行った。
・KKKは、それまでの自警団とは異質の面を持っていた。
・奴隷解放は、それまでの白人優位の南部の社会秩序を根底から覆す可能性があった。そ
 れに脅威を感じた南部の白人のなかからは、黒人の社会進出を恐れて、暴力に訴えてで
 も黒人を抑圧しとうとする発想が浮上してきた。KKKは、共同体の多数派を占めるそ
 うした白人の願望を代弁する組織であった。共同体における白人の優位を脅かすかもし
 れない理由さえあれば、リンチの大義名分となったのである。
・黒人に対する抑圧政策の一つに、「ジム・クロウ」と呼ばれる法律があった。ジム・ク
 ロウとは、公共の場所で白人と黒人の施設の分離を定めた法律の総称である。ジム・ク
 ロウは、南部のみならず、全米で半世紀以上にわたって合法とされた。
・ジム・クロウは、空間的に黒人の住む世界と白人の暮らす世界を分離しようとする精神
 を具現化したものであり、黒人男性と白人女性との性的接触は、そうした空間秩序への
 挑戦と受け取られたのである。
・そもそも、人種隔離という発想自体が、黒人の身体的自由を拘束するという意味を持っ
 ている。人種隔離は、リンチのように直接身体に危害を加えるものではないが、身体の
 自由を奪うという意味では、暴力と似た効力を持っている。
・こうした人種隔離とリンチの関係は、アメリカ的暴力の特質を考えるうえで示唆的であ
 る。なぜなら、しばしばアメリカ社会は、黒人に限らず、マイノリティに物理的暴力を
 加えるだけでなく、隔離することに並々ならぬ精力を傾けてきたからである。
・先住インディアンは、武力弾圧に屈服させられると、「リザベーション」と呼ばれる連
 邦政府が指定した土地に押し込められてきた。現在でも先住インディアンの多くは、そ
 うした土地に暮らしている。
・黒人たちもジム・クロウによって人種隔離され、現在でもアメリカの大都市では、白人
 居住区と黒人居住区とは、多くの場合地域的に隔絶している。
・また、第二次世界大戦中には、スパイの疑いがあるとし、西海岸在住の日系人10万人
 以上が強制連行され、僻地の強制収容所に隔離されている。
・興味深いのは、多くの先進国が死刑制度を廃止したなかにあって、アメリカがいまだに
 死刑に対し積極的な姿勢を見せていることである。実は、死刑の適用者は圧倒的に黒人
 に多い。黒人の人口は、アメリカ社会の1割程度にすぎないが、アメリカでは、逮捕者
 の過半数は黒人で、死刑判決を受けた者の過半数が黒人である。しかも、黒人に対する
 死刑判決の罪状には、リンチの口実と同じく、レイプがかなりの割合を占め、レイプ犯
 として処刑されたのは、圧倒的に黒人である。
・元来、アメリカは性犯罪には厳罰を科する傾向があった。ピューリタンの植民地では、
 姦通や同性愛などと並んで、レイプも死刑と決められていた。しかし、独立革命後、北
 部の州では死刑の適用範囲を、殺人や反逆罪など、ごく一部の重大な犯罪に限定するよ
 うになった。ところが、南部では、レイプは死刑であり続けた。
・マイノリティからも巨大な暴力集団が登場する。そのなかには、プロの犯罪組織として
 成長していくものがあった。その代表的存在が「マフィア」である。マフィアという言
 葉は、現在ではギャングの別称のように使われているが、狭義にはシチリア島でつくら
 れた暴力集団を言う。
・マフィアの力が巨大化するにつれ、マフィア同士の内部抗争や暴力事件もエスカレート
 していった。連邦政府は、マフィアに対抗するための強力な組織を整備する必要に迫ら
 れた。その中核と期待された組織こそ、FBI(アメリカ連邦捜査局)であった。
・FBIが、マフィアに対抗する強大な組織へと成長したのは、1924年にJ・エドガ
 ー・フーバー
が長官に就任してからであった。 
・一方でフーバー長官は、この強力な組織を次第に私物化していった。彼は、長官の職に
 とどまりたい一心から、政治家たちに巧みに取り入っていく。政界との癒着は、フーバ
 ーの発言権を強め、彼の権限はFBI内部では絶対的なものとなった。権力者も、フー
 バーの報復を恐れ、FBIには手をつけようとしなかった。結局フーバーは、48年間、
 8代の大統領のもとでFBI長官職に君臨し続けることになった。
・政府の捜査機関のトップに、同一人物が半世紀近くも在職したことは、きわめて異常と
 いうほかない。強力な捜査機関が、絶対的権力を持った者に私物化されたことは、本来
 マフィアを取り締まるべき立場の政府そのものの腐敗を意味していた。
・FBIという組織の暴走を考えるうえでは、キング牧師暗殺事件がきわめて重要な意味
 を持っている。キング牧師暗殺事件に関するFBIの捜査では、いくつかの未解決の疑
 問が残っている。当時の事情を知る元FBI幹部は、キング牧師暗殺事件の捜査はひど
 くずさんであり、誰でもいいから犯人を挙げて捜査を一刻も早く終えることが第一目的
 だったと証言している。
・フーバー長官は、公民権運動に脅威を感じ、ベトナム反戦まで口にしはじめたキング牧
 師を社会の表舞台から葬り去ることに躍起になり、暗殺までの8年間、FBIはキング
 牧師を逐一尾行し、会話を盗聴していたという。
・一方、暗殺される前夜にキング牧師が教会で行った演説も、暗殺を覚悟していた様子を
 暗示する。キング牧師が宿泊していたロレイン・モテルは、消防署と目と鼻の先だった
 が、当日、そこにはキング牧師の行動を監視するために大勢の警察官が詰めていた。し
 かも、警察署も消防署も、ある一人の男の管轄下にあった。それは、警察本部長と消防
 部長を兼務していたフランク・ホロマンだった。彼は、元FBI幹部で、フーバーの側
 近である。
・司法取引によって実質的な裁判が行われなかったため、キング牧師暗殺事件の真相は、
 いまだに闇に包まれている。それだけに、国家機関によって実行された暗殺だったので
 はないか、長年キング牧師を監視していたはずのFBIは事件に関して何か重要な事実
 を隠しているのではないかという疑問を、いまだに払拭することができないのである。
 仮にこの事件が、FBIによって仕組まれたものだとすれば、リンチの構図を彷彿させ
 るものであろう。
・国内の暴力すらうまくコントロールできないアメリカが、冷戦終結後、いまや唯一の超
 大国として、対外的に圧倒的な軍事力を行使できる立場にある。暴力を許容する風土か
 ら完全には脱却できないている国が、他国を凌駕する軍事力を手にしているという、考
 えれば、21世紀とはきわめて危険な時代なのである。
・リンチやマフィアの事例からも明らかなように、アメリカは組織的暴力に十分対応でき
 なかった過去を持つ。だが、軍隊とは、組織的暴力の頂点に位置する集団だ。しかも、
 現在の米軍は、世界中に展開している。FBIがフーバーに私物化されたように、米軍
 の暴走に対する歯止めが失われれば、世界は深刻な影響を受ける。
・アメリカは、元来は孤立主義的で、巨大な軍事力を持とうとはしていなかった。だが、
 転機が訪れる。第一次世界大戦の勃発である。このときアメリカは孤立主義を一時的に
 放棄し、ヨーロッパの同盟国を助けるべく参戦したからだ。しかし、戦争が終結すると、
 再び孤立主義に戻る。
・ヨーロッパで第二次世界大戦がはじまっても、参戦か否かでアメリカの世論は二分され
 ていた。だが、日本による真珠湾攻撃を機に世論は一気に参戦に傾く。そして、戦後の
 アメリカは、二つの世界大戦での教訓から、孤立主義を放棄し、世界秩序の構築に積極
 的に関与しはじめるのである。
・冷戦時代の幕開け当初、アメリカは共産圏の拡大を阻止するため、「封じ込め政策」を
 遂行した。共産圏の増長を抑え込むためには、軍事的包囲網を強化することが有効だと
 考えられたのだ。NATOの設立や、日米安全保障条約の締結は、こうした文脈のなか
 で行われた。
・共産圏に対する軍事的包囲網の強化は、米軍の海外展開を必要とした。対共産圏包囲網
 の強化は、ヨーロッパやアジアに恒常的な米軍基地を確保して、安全保障をアメリカが
 事実上肩代わりするしかなかった。そして、海外の軍事基地は、植民地を持たないアメ
 リカが衛星国を手に入れ、軍事力を背景に”帝国”として君臨することを可能にした。
・米軍の兵力は、冷戦終結後も100万をはるかに超えたままであるが、現在でもそのう
 ち 40万程度は、海外に派兵されている。しかも、海外の米軍基地は、いわば治外法
 権的な特権的地位を与えられてきた。米軍兵士が犯罪に及んでも、アメリカの軍事法廷
 でなければ裁けないといった、植民地のような支配構造がつくられていった。現在の沖
 縄や韓国で、米軍兵士による性的犯罪が後を絶たない一因も、アメリカ側が米軍兵士を
 保護できる制度が撤廃されていない点にある。
・だが、共産圏包囲網の整備は、アメリカの軍事的優位を保証することにはならなかった。
 ソ連が原爆の製造に成功し、すでにアメリカの軍事的優位は揺らいでいた。1957年
 には、ソ連が世界ではじめて人工衛星スプートニク1号が打ち上げに成功し、軍事技術
 の開発競争で、アメリカがソ連に先を越されたことも露呈した。
・スプートニクの打ち上げに衝撃を受けたアメリカは、政府組織の一部である軍と、経済
 界の一部である軍需産業の協力関係を強化することで対応しようとした。共産主義国ソ
 連は、国家の総力を上げて軍事技術の開発を行っていた。アメリカとしては、もはや資
 本主義の市場原理に任せて個々の企業に開発競争をさせている時間的猶予はなかった。
・米軍の海外展開と米ソの軍拡競争の激化にともなう軍産複合体の登場は、アメリカの軍
 事大国化の流れを決定的にした。連邦政府の予算に占める軍事費の総額は10%を超え、
 軍需産業は、アメリカ社会に巨大な経済効果をもたらしはじめた。
・第二次世界大戦後、アメリカが軍事大国化し、軍の海外展開という新たな事態に直面し
 たとき、軍隊のレベルを下げることなく対応できた背景には、軍学協調路線のもとで民
 間人を有能な兵士に養成するシステムがすでに確立されていたからであった。
・軍人養成がアカデミズムの世界と共存したことは、軍人の社会的地位を下支えする効果
 も発揮した。
・実際、アメリカでは、軍人は尊敬されているし、経済的、社会的地位が低い人びとにと
 っては、エリートコースへの扉にもなっている。また、退役軍人を厚遇し、敬意を払う
 傾向も強い。
・民主主義の理想を掲げた国が暴力の特異国となり、連邦政府の軍事力の巨大化をあれほ
 ど敵視していた社会が、世界最強の軍事力をつくり上げ、孤立主義を掲げていた国が海
 外に多くの基地を抱えてしまった。いまやアメリカは、軍なしには成立しえない国家と
 なっている。
・かつて、独立戦争の将軍を務め、初代大統領となったジョージ・ワシントンは、退任に
 あたって、連邦の常備軍の存在がこの国の屋台骨に多大な影響を与えるだろうと警告し
 た。第二次世界大戦の指揮官で、戦後同じく大統領に就任した、ドワイト・D・アイゼ
 ンハワー
も、退任の「告別演説」では、軍産複合体がこの国の民主主義を脅かしかねな
 いと警鐘を鳴らした。
・われわれ日本人にとっては、問題はそれだけではない。アメリカという世界最強の軍事
 力を持つ暴力の特異国と、日本は強固な同盟関係にある。日本が攻撃されたら、自国に
 対する攻撃と同じとみなすと言っているのは、世界中でアメリカだけである。
・運命共同体的存在である相手が、暴力とどう関わってきたのか、日本人はどれだけ関心
 を払ってきたのだろうか。米軍基地の存在は、日本人がいかに目を背けようとしても、
 避けて通れない現実である。暴力の特異国としての歴史を持ち、いまだに紛争解決手段
 として暴力を用いる風土を完全には断ち切れない国の強大な軍事力を、いざというとき
 日本はもっとも頼りにしているのである。
 

現代アメリカの苦悩

「性革命」が生んだ波紋
・現代アメリカが同性愛の問題を無視できなくなったのは、人権問題として再認識され、
 同性愛を家族の一形態として認めざるをえない状況にあるからだけではない。異性愛の
 制度を支えてきた、男性優位の原理に対するフェミニズムの告発が、性関係という人間
 の絆そのものの見直しを提起しはじめたからである。
・同性愛をめぐる問題は、もはや一部の人だけの問題ではない。厳格な性道徳、性解放、
 フェミニズムという三つの考えが錯綜し、性を直視する伝統がさらに強化されつつある
 なか、同性愛の問題は、人為的な集団統合という人間の絆をどうつくり上げるかをめぐ
 るアメリカの永遠の課題へと、あらためて社会を立ち戻らせようとしているのである。
・20世紀に入ると、経口避妊薬(ピル)が研究開発され、ピルの普及は、性革命の時期
 とも重なり、権利意識に目覚めた女性たちに、子どもを産むか産まないかの選択権を与
 えることになった。ピルの開発、普及によって、女性は自らの意志で、母体への影響と
 は無関係に、出産するかどうかを決められるようになったのである。
・ピルの普及は、新たな考えを生み出した。ピルは「妊娠しない自由」を保証したが、結
 果的に合法的に「子どもを産まない自由」を女性に与えたことになる。それは、妊娠後
 も認められるべきではないかというのである。つまり、「妊娠しない自由」が認められ
 るなら、「中絶する自由」も女性の権利として認められるべきだという考えである。
・こうして女性解放運動は、女性の権利拡大の一環として、妊娠中絶の自由を主張するよ
 うになった。性行為がプライバシーなら、その結果である妊娠もプライバシーの概念を
 適用すべきであり、妊娠中絶を禁止する州法自体がすべて違憲だというのである。
・妊娠中絶に対する人びとの態度は、大きく三つに分けられる。
 第一:胎児が人間でないとされる範囲内の妊娠中絶はすべて賛成である(約25%)
 第二:妊娠中絶には基本的に反対だが、場合によってはみとめてもいい(約60%)
 第三:どのような場合でも中絶は認められない(約15%)
・同性愛の場合と比べると、妊娠中絶の問題では、中絶禁止を求める宗教的なメッセージ
 が多くの人に届くようである。それは、妊娠中絶が最終的には”命を奪う”という倫理的
 問題を避けて通れないからであろう。
・だが、1980年代以降に生じた妊娠中絶をめぐる環境の変化や出産形態そのものが多
 様化した。具体的には、10代の妊娠中絶が劇的に増えたことである。1989年には、
 150万人以上の女性が合法的な妊娠中絶手術を受けているが、その約80%は未婚の
 女性で、全体の約60%が25歳以下、10代だけに限れば全体の約25%である。
・また、レイプが原因に妊娠中絶や、麻薬中毒者の妊娠中絶が増加している。妊婦の6分
 の1程度にコカインの陽性反応が見られたという。
・妊娠中絶をめぐる新しい状況は、経済力のない10代の女性に中絶を認めず産ませるの
 が得策なのか、また、母親からの麻薬の影響で障害が出るとわかっていても妊娠中絶を
 禁止すべきなのかという、新たな問題を突きつけているのだ。それは、妊娠中絶の一律
 禁止という妥協を許さない考え方が、問題の根本的な解決につながるかどうかという疑
 問を浮かび上がらせることにもなった。
・妊娠中絶の一律禁止という派は、救われた胎児が満足な環境で幸福に暮らせることまで
 責任を負おうとしているわけでは必ずしもない。妊娠中絶を思いとどまらせることに関
 心が集中し、当事者が抱える問題や長期的な視点にはあまり興味を示していないからだ。
・妊娠中絶を取り巻く環境の複雑化によって、「産まない権利」か「生命の保護」かとい
 う、単純な二者択一では、この問題に終止符を打つことはできなくなっている。妊娠中
 絶や出産形態をめぐる環境の変化のなかで、極端な立場を取ることに慎重な人が多い。
 それは、ある意味では健全なことでもある。
・そもそも妊娠中絶を行うことは、女性だけの問題ではない。だが、妊娠中絶をめぐる是
 非が、女性の権利の拡大という文脈のなかで議論されてきたことは、不幸だったかもし
 れない。なぜなら、女性解放に敵意を抱く側にとって、妊娠中絶の問題は格好のターゲ
 ットであったからである。妊娠中絶に賛成・反対の双方とも、女性の権利の拡大をめぐ
 る攻防に縛られてしまったのだ。
・妊娠中絶する権利に代わって、妊娠中絶にいたる状況をつくった男女の責任について、
 命の保護だけでなく、養育の義務について、双方が視野を広げるべき時期にきているよ
 うに思える。
・妊娠とは、人間同士の結びつきと新たな生命の誕生を意味する営みである。それは、人
 為的な集団統合というアメリカの永遠の課題と根本的に結びつくものだ。その意味では、
 アメリカ社会で妊娠中絶論争が激化しているのも不思議ではない。そこには、権利や原
 理を振りかざすだけで、人間の絆を強めることはできるのかという問いが横たわってい
 る。
・人種と性をめぐる問題には、まだ超えるべき関門があった。人種と性をめぐるタブーの
 なかでもっともデリケートな問題である黒人男性と白人女性との結婚である。白人男性
 と黒人女性という組み合わせは、直民地時代から存在してきたものである。だが、それ
 が完全に合法化されてもなお、アメリカ社会には抵抗感が残っていた。そのような状況
 で、黒人男性と白人女性の性関係、まして、その結婚を白人社会が是認することは、か
 なり高いハードルであったことは間違いない。
アニタ・ヒル事件O・J・シンプソン裁判は、黒人男性と白人女性という組み合わせ
 に対して、アメリカ社会がいまだに神経を尖らせている様子を浮き彫りにした。また、
 こうした偏見に対して、黒人男子の側が、自分は差別の犠牲者だと開き直ったことは、
 アメリカの人種対立の根深さをかえって印象づける結果ともなった。差別があれば、そ
 の差別を逆手にとって自分の立場を有利にしようとする、二つの事件に共通する”戦術”
 は、性と人種をめぐる呪縛からアメリカ社会がまだ解き放たれていない様子を物語って
 いるのである。

悪循環に陥ったアメリカ社会
・アメリカには、2億挺をはるかに超える銃が存在し、全世帯の約半数が銃を持ち、銃の
 所有者は数千万人とも言われている。このような社会では、先進国ではアメリカだけで
 ある。銃による犠牲者は、年間3万人を超える。どれも尋常ではない数字ばかりだ。こ
 のような現実の前に、銃社会からの脱却には、諦めムードさえ漂っている。
・行政や司法の整備が追いつかなかったフロンティアでは、人びとはしばしば自衛する必
 要に迫られたが、そのときもっとも頼りになるのが銃であった。銃があれば力の弱い者
 でも、相手を倒すことができたからだ。それゆえ、銃は、「平等化装置」と呼ばれるよ
 うになり、肯定的なイメージを帯びていたのである。
・自由と平等を掲げた国の「平等化装置」が、人を殺す「銃」であることは、なんという
 矛盾であろうか。銃社会の根底には、いつ無法者が現れるかわからないという他者への
 不信感と、銃があれば安全だという考えがあるのである。
・有名無実化した銃規制法しか連邦議会がつくれなかった背景には、銃規制に反対する圧
 力団体の存在があった。その代表的存在がNRA(全米ライフル協会)である。
・NRAは、もともとは銃に対する知識や訓練の提供を目的とした組織だった。南北戦争
 で北軍が苦戦したことから、民間人の武装能力の向上を意図してつくられたと言われて
 いる。その後、NRAは、警察官の拳銃発射訓練など、公的機関の下請けもこなすよう
 になり、政界とのパイプを築いていく。そして、訓練を受けた人やハンティングを楽し
 む人などが会員として加わっていった結果、会員数は300万人を超えるまでになった。
・現在、NRAは、銃規制反対派のなかの最大の団体である。銃が人を殺すのではなく、
 あくまで人が殺すのだとして、銃の規制に強硬に反対している。銃の抑止力こそが社会
 の安全を守っているのであり、銃で自衛できなければ、かえって人びとは危険にさらさ
 れると主張する。
・アメリカでは、1980年代に銃の販売を請負うガン・ディーラーの数が増え、25万
 人近くにまで達し、さまざまな銃が扱われるようになっていた。銃を扱う業者の数は、
 全米のガソリンスタンドの数を超えたとも言われた。
・殺傷能力が高い銃が簡単に手に入り、実際に銃を用いた凶悪犯罪が頻発していたにもか
 かわらず、本格的な銃規制に腰を上げなかった。1981年に自ら暗殺未遂事件に遭遇
 したレーガン大統領でさえ、銃規制反対の立場を鮮明にしていた。
・ところが、そうしたアメリカの状況に一石を投じる事件が、1992年に起きた。いわ
 ゆる服部剛丈君射殺事件である。日本からルイジアナ州の高校に留学していた服部剛丈
 君(当時16歳)は、車で友人と二人でハロウィーンのパーティーに出かけた。しかし、
 訪問する家を間違える。呼び鈴を鳴らしたが応答がなく、車に戻ろうとしたとき、家の
 なかから男性が現われ「Freeze!」(動くな!)と叫んだ。それに対して服部君
 は、「パーティーに来たのですが」と話しかけながら男性に近づこうとしたらしい。そ
 の瞬間、服部君は、その男性によって射殺されたのである。
・玄関先に現われた不審者に家の住人が発砲する事件は、アメリカでは決して珍しくない。
 そのため、当社アメリカでは、この事件は特に注目を浴びなかった。ところが、日本で
 の反応はまったく違っていた。玄関先に不審者が現われたとはいえ、いきなり射殺する
 とは常軌を逸していると感じたのである。しかも、犯行に使用された通称44口径マグ
 ナム
は、自衛という範囲を超えた殺傷能力の高い拳銃であった。
・アメリカが驚いたのは、日本での過熱した報道や反応だった。アメリカでは、不審者に
 対しては自衛する権利があり、仮に射殺したとしても、正当防衛の範囲内だと考えるの
 一般的だった。だが、自分たちの常識が、ほかの国から見ると、きわめて異常であるら
 しいことに気づいたのである。
・1995年にオクラホマ州オクラホマシティーで連邦ビルが爆破され、168名の犠牲
 者が出た事件は、アメリカ国内で起ったはじめての大規模なテロである。この爆破事件
 は、ミリシャと呼ばれる民兵組織や銃規制反対運動に共感する人間による、愛国心の表
 明でもあった。
・愛国心を表現するために、無差別テロに走るというのは、倒錯した愛国心だと思うが、
 この事件は、愛国心の表明と暴力の行使が、独立戦争以来の自警団の伝統では重なるこ
 とを示している。むしろ、この事件は、アメリカという国が抱えた、愛国心と暴力との
 抜き差しならぬ関係をあらためて示したとも言えよう。
・服部剛丈君射殺事件やオクラホマシティー連邦ビル爆破事件は、アメリカ社会が暴力の
 特異国としての自らの姿をふり返るチャンスだった。だが、その機会を生かし切れない
 ままに、アメリカ社会の関心は2001年9月11日以降テロとの戦いへと移ってしま
 った。
・アメリカにおける銃の蔓延は、自衛こそ安全を維持するもっとも現実的な選択肢である
 という考えのうえに成り立っている。だがそれは、他者への不信感に根差したものであ
 る。銃の被害者が、必ずしも銃規制に賛成せず、被害に遭った後、自分も銃を積極的に
 所持しようとするケースが後の絶たないのはこのためである。
・だが、仮に同時多発テロのような事件に遭遇したら、銃を所持していたとしても身の安
 全を守れる保証はない。そこには、他者に対する不信感に神経をすり減らしながら、安
 全神話にすがり続けるのが果たして本当に得策なのかという問いが横たわっている。
・アメリカでは、子どもをめぐる性や暴力の問題に対しては、社会の関心が高い。
 1996年にコロラド州で起った、ジョンベネ・ラムジーちゃん殺害事件や、2003
 年に12歳の少年への猥褻行為で逮捕されたマイケル・ジャクソンなどは、記憶に新し
 い。
・アメリカでは、子どもに関して他国とは一線を画してきたものがある。性的虐待と未成
 年者への死刑執行である。二つの問題に共通しているのは、本来、社会のなかで守られ
 るべき地位にある子どもが、”生贄”になっているということである。
・アメリカでは男性の6人に1人、女性は4人に1人が、18歳になるまでに何らかの性
 的虐待を受けていることが明らかになった。
・アメリカで子どもへの虐待が注目されるようになったのは、1960年代のことである。
・一方、ほとんどの先進国では死刑制度が廃止されるなか、アメリカでは約4分の3の州
 で死刑制度が存続し、ごく最近まで犯罪を犯した段階で未成年だった者にも死刑が執行
 されてきた。先進国で未成年者への死刑執行を容認してきたのは、アメリカだけである。
・18歳未満で私刑を1執行された者は、約300人にのぼる。未成年者という事情を考
 慮しても、極刑をもって臨まなければならない凶悪犯罪が、それだけアメリカには多い
 のである。
・子どもへの性的虐待や未成年者への死刑制度の直接の原因は、離婚率の上昇に伴う家族
 崩壊や、野放しになっている高性能の銃など、現代アメリカの問題と関連しているよう
 に見える。しかし、そこには歴史的要因もなる。
・中世には子どもという概念はなく、「小さな大人」として、大人と一緒に働き、行動を
 ともにする存在だった。ところが、近代に入ると、労働を分業化し、社会を個別の領域
 に分割することで、生産性を高めようとする発想が強くなる。それによって、男女の役
 割分担はもとより、一人前の労働力ではない子どもを大人の空間から分離して管理する
 傾向が強まった。
・しかし、子どもを大人と区別する発想は、保護と抑圧というまったく正反対の思想が同
 居している。一人前でない子どもに対して、労働の役割分担を免除してやることは、子
 どもを世の中の危険から隔離して保護するという面を持っている。しかし、同時にそれ
 は、あくまで子どもを半人前の存在として管理し、大人とは別の空間に閉じ込めるもの
 であり、大人と子どもの不平等を固定化する。
・一般的には、大人こそ成熟した存在で、子どもは未熟な存在とみなされることが多い。
 しかし、ヨーロッパからの文化的独立を強く意識してきたアメリカでは、子どものほう
 がむしろ肯定的価値を持つ。アメリカでももっと代表的な娯楽施設がディズニーランド
 であるという事実は、それを暗示している。ディズニーランドは、大人になっても子ど
 ものような無邪気な心を忘れないための装置としてデザインされたものだという。
・アメリカでは、子どもが神聖視されるようになった結果、子どもを社会の汚れから守る
 ことが、共同体の需要な使命となった。
・その反面、アメリカには、子どもの冷遇に通じる文化も存在した。フロンティアの歴史
 は、個人主義や自助の精神を尊ぶ気風をつくり、その結果、親は子どもに対して援助せ
 ず、早くから自立を求める考え方が生まれたのである。
・アメリカの大学生は、親に学費を全面的に依存せず、奨学金で学費を工面するのが普通
 である。学費が高額なために、そもそも親が支払えないという事情も少なからず関係し
 ているが、大学生は、勉強を続けたければ優秀な成績を修め、よりよい条件の奨学金を
 獲得して、自分の力で人生を切り拓くことが期待されているからだ。
・いわば半人前の状態であっても、あえて親が手を引くという、社会的弱者である子ども
 に対する態度は、自立を促す措置とはいえ、アメリカでは子どもが放置されやすいこと
 も意味する。つまり、アメリカは、一方では子どもを礼賛し手厚く保護する風土をつく
 りながら、子どもを放置し虐待を誘発しかねない風土も育んできたのだ。
・虐待通報制度は、子どもへの虐待を示す兆候や証拠を発見した場合、その報告を医療機
 関に義務づけるもので、1960年代半ばに全米で導入された。報告義務の範囲は、
 1970年代以降、教師や福祉活動家などにも拡大される。これによって、それまでよ
 くわからなかった子どもの虐待の実態が把握できるようになったのである。
・さらにアメリカは、虐待を受けた子どもを救済する試みに果敢に挑戦してきている。虐
 待の事実が判明した親に対しては、親権を停止し、治療プログラムが実施される。そし
 て、その成果が芳しくなく、実の親が親権を停止された場合には、子どもを里親に出す
 制度がつくられている。
・虐待のなかでも、性的虐待は、いわば密室で行われる傾向があり、当事者以外の目が行
 き届きにくい。 
・実際には、虐待通報制度の導入以来、幼児虐待のなかでも、性的虐待の報告件数がもっ
 とも増加率が高く、虐待通報制度が性的虐待の実態の把握に一定の役割を果たしている
 のはたしかである。だが、同時に、虐待報告制度が導入されても、現実には性的虐待は
 依然として存在することを示している。
・重罪を犯した青少年への死刑制度は、共同体が危険分子を暴力で強制排除する点で、リ
 ンチの代替機能を持っている。死刑公開を求める人びとが一部に存在することも、かつ
 ての群衆リンチと死刑制度が近い関係にあったことを思い起こさせる。未成年への死刑
 執行は、実質的に未成年さえもがリンチ的暴力を適用されてきたことを示すものであり、
 リンチの伝統がこの国に深く染みついていることを物語っていると言える。
 
「暴力の特異国」と国際社会
・アメリカにおける暴力の伝統の重要な要素であるリンチには、戦争との類似性が見られ
 る。まず、両者とも、何らかの大義名分を掲げて法規を無視し、暴力を正当化する傾向
 がある。リンチも戦争も、共同体の多数の支持があれば、正義の名のもとに正当化され
 やすい。また、両者とも、人権無視の集団的暴力と言える。
・そもそもリンチは、自警団という民兵組織がはじめたものだった。つまり、リンチは、
 「私刑」とはいえ軍事行動の一形態でもあった。アメリカの戦争犯罪は、国際法や政治
 や外交のレベルのみならず、リンチの系譜に照らして考える必要があるのだ。
・もっとも、リンチと戦争には、重要な相違点がある。リンチが共同体内部の緊急の紛争
 解決手段であるのに対し、戦争は、対外的な軍事力の行使だからだ。しかし、だからと
 いって、リンチと戦争の間に厳然たる境界線が存在するわけではない。
・リンチの場合、共同体にとって脅威となる人物やマイノリティが標的になりやすい。こ
 の人間を排除すれば、共同体は安泰だという感覚がその根底にはある。リンチの残虐性
 は、共同体の多数を味方につけているため、暴力を発動した側が決して罰せられないこ
 とと深く関係している。リンチとは、支配者の側が発動する、”弱い者いじめ”でもあ
 るのだ。
・したがって対外軍事力の行使もまた、標的となる勢力が国際社会では少数派で、アメリ
 カの軍事力のほうが圧倒的に優位なら、リンチの特性を帯びることになる。
・国際社会を巧みにコントロールできさえすれば、アメリカにとって不都合な少数派勢力
 に言いがかりをつけて戦争を行う、いわばリンチ型戦争は十分に可能なのである。
・実際、冷戦終結以降のアメリカが関わってきた戦争には、少数派の排除、軍事力の圧倒
 的優位、正当化のための大義、戦争犯罪の軽視など、リンチとの類似性が数多く見られ
 る。
・もっとも、リンチ的暴力の対外的行使は、冷戦終結によって突如出現したものではない。
 その原型は、アメリカ史における対先住インディアン戦争にすでに見ることができる。
 植民地時代のピューリタンにとって、先住インディアンは、楽園建設の障害物であり、
 排除すべき対象だった。そもでは、先住インディアンの排除こそが重要であり、先住イ
 ンディアンの側の落ち度や犯罪を証明する必要などなかった。
・アメリカのリンチ的軍事行動が、本格的に海外で行われたのは、ベトナム戦争だった。
 ベトナム戦争中のアメリカによる戦争犯罪は、リンチ的暴力との類似性をうかがわせる
 ものが見られる。そのもっとも顕著な事例は、ソンミ村虐殺事件であろう。村民がほぼ
 丸腰であるにもかかわらず、近代兵器で武装した軍隊が、「疑わしきは罰す」の論理に
 よって、戦争法規無視の強制排除を行ったのである。
・圧倒的な軍事力を背景に、法規を無視し、自分たちの論理のもと、邪魔者を排除するリ
 ンチ的軍事行動は、1989年12月のパナマ侵攻で転機を迎える。ベトナム戦争では、
 リンチ的な軍事行動は、作戦全体の一部にすぎなかった。ところが今度は、外国へのリ
 ンチ的暴力の発動そのものが、戦争の主目的となったのだ。
・アメリカとパナマとの外交関係が緊張するなか、パナマ運河を警備していたアメリカ兵
 がパナマ国防軍に狙撃される事件が発生した。これを口実にアメリカは、パナマに海兵
 隊を派遣しパナマの最高実力者であったノリエガ将軍を逮捕する作戦を展開する。
・この事件は、国際法の見地からすれば異常である。曲がりなりにもその国の議会が承認
 した指導者を、自分たちの大義のもと、軍隊を派遣して連行し、自国で裁判にかけたの
 だ。
・パナマ侵攻は、冷戦の崩壊とほぼ同時に起った。こうした論理は、冷戦後の唯一の超大
 国として、アメリカが本格的にリンチ型戦争をはじめたことを示している。軍事力の圧
 倒的な差を背景に、共同体にとって脅威となる国外の特定の個人を、自分たちの大義を
 掲げて排除したこの事件は、アメリカ社会が手を染めてきたリンチの論理の延長線上に
 あるのだ。
・1991年の湾岸戦争は、リンチ型戦争の新たな展開の仕方をアメリカに教えたと言え
 る。イラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争では、アメリカは国連を通じた多数
 派工作という手続きを踏んだ。このケースでは、侵略という事実に加えて、イラクから
 欧米や日本と関係の深い産油国を守るという共通の利益が存在していた。明らかにイラ
 クに非があるという主張には説得力があり、アメリカはイラクを孤立させることに成功
 した。編成された多国籍軍は、圧倒的軍事力を持つアメリカが中心であった。国際社会
 に大義があり、軍事作戦を米軍が主導するという状況は、リンチ型戦争を国際基準に適
 合させる格好のモデルとなった。
・湾岸戦争は、必ずしもアメリカの勢力圏でない地域で、アメリカにとって不都合な事態
 が生じた場合、リンチ型戦争を合法的に遂行するための重要なヒントをもたらした。国
 際社会を味方につけながら、相手を孤立させ、ほかの国を交えながらも、あくまでアメ
 リカの軍事力で邪魔者を排除できる時代になったのだ。
・だが、アメリカと国際社会の考え方には、ある一点で大きな隔たりがあった。リンチの
 伝統では、共同体の多数派が脅威を感じれば、犯罪の証拠がなくても法規を無視した暴
 力が正当化される。つまり、「疑わしきは罰す」なのだ。しかし、アメリカ以外の国に
 とっては、脅威や疑念だけでは、戦争をはじめる理由としては不十分である。それは、
 リンチを緊急措置として正当化する発想と、戦争はあくまでも最後の選択だと考える発
 想の違いである。
・2001年の9.11同時多発テロ事件以降に本格化した「テロとの戦い」で明らかに
 なったのは、アメリカと世界との認識の差である。アメリカは、特定に個人の排除を目
 的とした緊急のリンチ型戦争を正当化できると考えた。アメリカがアフガニスタンに侵
 攻
したのは、同時多発テロの翌月の10月7日という早さであった。
・だが作戦では、タリバン政権を崩壊させることはできたが、肝心のウサマ・ビンラディ
 ン
は取り逃してしまう。民間人の死傷者も多数出たが、テロの首謀者を捕まえるための
 やむをえない犠牲という認識であった。
・アメリカには、国際的なテロ組織を崩壊させるために多大な犠牲を払っている、感謝さ
 れていいぐらいだという感覚があった。テロとの戦いは国際的な合意のうえに行われ、
 アメリカの単独行動でもない。テロの首謀者がそこに隠れ、再犯の恐れが否定できない
 以上、緊急に軍事力を行使しても、国際社会から非難を浴びる理由はないという感覚が
 そこにはある。
・しかし、国際社会には、犯罪者を匿っているという疑惑だけで一国の政府を軍事的に亡
 ぼしてもいいのか、その際、多くの一般市民を巻き添えにしてもいいのかという違和感
 が残る。それは、共同体が脅威を感じれば、「疑わしきは罰す」というリンチの伝統を
 許容できるかどうかの問題なのだ。
・2003年3月、イラク戦争がはじまった。大量破壊兵器の査察を求める国連決議に従
 わなかったイラクが、テロ支援国になっているというのが、戦争の口実であった。だが、
 戦争開始の時点で、イラクに大量破壊兵器が存在するという明確な証拠はなく、疑惑の
 域を出ていなかった。しかし、リンチの伝統からしてみれば、これは暴力を行使しるに
 十分であった。
・イラク戦争でもアメリカは、サダム・フセイン大統領という特定の個人に狙いを定めた。
 実際、この戦争は、大統領が潜んでいると目される施設への攻撃ではじまった。アフガ
 ニスタン侵攻も、イラク戦争も、巨大な軍事力を持つ超大国が外国の特定の個人の拘束
 に血まなこになったという共通の構造を持つ。それは、「組織的で巨大な軍事力」対
 「個人」という、非対称な戦いであり、二国間の戦争というより、共同体にとって好ま
 しかざる人物を排除するリンチに近かったのである。
・イラク戦争開戦直後、米軍は、行方不明になっていたジェンシカ・リンチという白人兵
 士をイラク南部の病院から救出したと大々的に報じた。女性兵士は、イラク軍との戦闘
 で勇敢に戦ったものの重症を負い、イラク側の捕虜となったというのが当初の公式発表
 だった。しかし、のちに彼女は、自分への報道が真実ではないことを告発する。彼女は、
 補給部隊の兵士にすぎず、イラク兵を一人も殺していなかったのである。彼女は、実際
 には味方同士の車両の衝突で負傷し、病院で目を覚ますまで意識を失っていたという。
・ブロンドの若い女性がイラクの捕虜になったという噂がイラク駐留の海兵隊に届いたと
 き、隊員たちの想像は膨れ上がり、復讐に燃えたという。残酷なイラク兵によって彼女
 が性的虐待を受けているに違いないという推測が、舞台の士気を高めたのだ。
・白人女性には手を出させないという強い意志を軍が示せば、国民の士気も高まると米軍
 は踏んだのだろう。そのためには、補給部隊の事故では格好がつかない。敵と勇敢に戦
 った末の囚われの身という設定こそ、彼女の悲劇性と救出作戦の意義をいっそう高める
 に違いないからだ。
・イラク戦争は、当初からリンチ的暴力と関連していた。のちに発覚したアブ・グレイブ
 刑務所
での米軍によるイラク人捕虜への虐待は、その延長線上の出来事だったと言える
 だろう。捕虜になったイラク兵は、全裸のまま屈辱的な仕打ちを受けるなど、性的虐待
 とも言える被害に遭う。しかも、米軍の女性兵士も、こうした虐待に関与していた。
・かつての群衆リンチが、性の問題で因縁をつけ、犠牲となった黒人男性の性器を切除す
 るなど、暴力のみならず性的な制裁をともなう傾向にあった点を想い起せば、米軍女性
 兵士の救出劇を経て、イラク人への性的虐待へと向かったイラク戦争は、性と暴力との
 関わりという面でもリンチの構図を連想させざるをえない。
・短期間で集結したイラク戦争であったが、その後のイラク復興の難航と米軍の駐留の長
 期化によるアメリカ人犠牲者の増大は、ブッシュ政権への求心力を低下させた。アメリ
 カが開戦の理由の一つに挙げた大量破壊兵器が見つからなかったことは、イラク戦争の
 大義をあらためて考えさせるものとなった。アメリカ社会は、このリンチ型戦争の正当
 性に疑問を抱きはじめる。これは本当に緊急にリンチ的暴力の発動に値するものだった
 のかという疑問と向き合わざるをえなくなったのだ。同時多発テロの際には90%にも
 のぼった大統領支持率は、30%台にまで落ち込むことになった。
・アメリカでは、大半の人が原爆投下は正しかったと信じてきた。これにはいくつかの理
 由がある。第一に、日本に原爆を落とすだけの大義がアメリカのあると考えられてきた。
 戦争をはじめたのは日本であり、アメリカ、フィリピン軍の捕虜1万7千人が死んだ
 「バターン死の行進」などの日本軍による残虐行為や、執拗な抵抗を考えれば、原爆投
 下はできるだけアメリカ側の犠牲者を出さずに日本に復讐する手段とみなされた。
・実際、太平洋末期には、日本という非白人の国だけが国際社会から孤立し、アメリカの
 強大な軍事力に対峙していた。日本さえ降伏させれば、国際社会は安心するという排除
 の論理があてはまりやすい状況にあった。それは、マイノリティの排撃に使われてきた
 リンチの構図と一致する部分を持っていたのであり、そのような状況で超法規的に原爆
 を使用することは、リンチの伝統からすれば必ずしも違和感がなかったと言える。
・終戦直後の1945年8月に行われた世論調査では、原爆投下を肯定する人が85%、
 否定する人は10%にすぎなかった。しかし、広島、長崎での被爆の実態が報道される
 と、アメリカ国内にも動揺が広がる。
・危機感を抱いたアメリカ政府は、被爆状況に関する情報管理を強化し、占領軍による事
 実上の検閲を導入した。これによって、被爆の実態を記録したフィルムも非公開になっ
 た。
・さらにアメリカ政府は、世論を巧みに誘導するために、戦争長官を務めたヘンリー・ス
 ティムソン
に、原爆正当化の論文を書かせた。スティムソンは、仮に原爆を投下せずに
 本土上陸作戦に突入していたならば、100万に及ぶ米兵が死傷だろうとの見解を示し
 たのである。
・スミソニアン航空宇宙博物館の企画は、アメリカの原爆観を大きく揺さぶるものであっ
 た。原爆を投下した爆撃機B29、「エノラ・ゲイ」の機体とともに、広島や長崎の資
 料館から、原爆の被害の凄まじさを物語る、焼け爛れた衣服や壊れた時計などを借り出
 して展示しようとしたからだ。原爆の被害の実態に対して無関心であったアメリカ人に
 とって、それは本格的に触れるはじめての体験となるはずだった。
・この企画は物議を醸すことになった。原爆の被害を物語る史料の展示に対しては、原爆
 投下が間違っていた印象を与えるとして、退役軍人協会を中心に猛反対の声があがった。
・博物館側が意図していたのは、エノラ・ゲイと被爆資料を対置することで、核の時代の
 はじまりの持つ意味を改めて問い直すことだった。ところが、アメリカ社会は、そのよ
 うな問いかけを発すること自体を封印し、原爆投下は正しいという「公式の物語」を死
 守する道を選んだ。
・自国が行使した暴力によって国境の外で何が起ったのかに目を瞑るアメリカの姿勢は、
 アメリカが自らを「暴力の特異国」であると認識することがいかに難しいかを感じさせ
 る。世界一の核保有国の国民が、核兵器の使用でどのような被害が出るのかについてほ
 とんど無知なのである。この事実は、恐ろしいことである。
・原爆によって広島や長崎で何が起ったのか、被爆者の記憶に接するのをアメリカ社会は
 拒み続けている。その一方で、暴力の犠牲となったアメリカ人に対しては、忘却の彼方
 から救うことに並々ならぬ熱意を傾けてきている。
・9・11同時多発テロ事件以降、テロリストたちを悪魔に見立てたアメリカ社会では、
 たしかに求心力が強化された。だが、愛国主義の高まりは、なぜ事件が起きたのか、イ
 スラム世界ではアメリカはどう思われているかといった、事件をより広い視野から眺め
 る発想を脇に追いやってしまった。
・テロとの戦いの時代は、アメリカによるリンチ型戦争が海外で繰り返され、それに対す
 る報復テロが広がっていく危険性を秘めている。しかし、リンチ型戦争が、アメリカに
 とっての敵を効率よく排除てきる保証はない。民間人の犠牲者が出れば、アメリカへの
 憎悪が深まり、新たなテロリスト予備軍が生まれるからだ。アフガニスタンやイラクに
 対して取ったのと類似の軍事行動が、イランや北朝鮮といったアメリカが敵視する国に
 対して発動されれば、テロの応酬へと国際社会は引きずり込まれていくに違いない。
・アメリカ自身が、「暴力の特異国」であることに気づき、性と暴力の問題を結びつける
 ことで軌道修正しようとする動きは、まだ弱い。これを打ち破るには、外国と自国を比
 較するという発想が有効なのだが、アメリカ社会はそれが苦手だ。
・本来アメリカの責任で成し遂げるべき作業を、アメリカが自力で進められないとすれば、
 残る選択肢は、国際社会の側から記憶の扉をこじ開けるしかない。ただし、これは、一
 歩やり方を間違えると、かえってアメリカ国民をかたくなにさせ、軋轢を増幅しかねな
 い。
・原爆について謝罪しろという言い方をしても、かえってアメリカ社会の内向き志向を強
 めかねない。原爆投下が正しいかどうかはさておき、とにかく原爆の被害という国境の
 外の現実について無知であることは許されないことをアメリカ社会に冷静に自覚させる
 ことが、重要な入口なのだ。