もうアメリカ人になろうとするな :柴田治呂

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この本の筆者は、アメリカ流を徹底的に批判し、日本は昔ながらの日本的社会に戻るべき
であると主張している。筆者は、とにかく、アメリカがお嫌いらしい。異常とも思えるほ
どのアメリカ批判が綴られている。よく、外国生活経験者は、徹底的に外国かぶれになる
か外国嫌いになるかのどちらかだと言われるが、筆者は徹底的に外国嫌いになったタイプ
のようだ。
筆者は、「個人主義」が嫌いなようである。筆者は個人主義を、「自分のことが第一だと
自己中心的な考えで他人のことをあまり考えず自己を貫くもの」、と理解しているようで
あるが、私の理解する個人主義とはちょっと違うような気がする。
筆者は、アメリカは自己中心的な個人主義社会であり、日本は和と平等を尊ぶ集団主義の
社会であると言うが、筆者の言う日本とは、いったいいつの時代の日本を言っているのだ
ろうか。明治時代から昭和の戦前までの時代の日本をイメージしている感じがする。
この本が出版されたのは、今から10年ちょっと前のの2009年なのだが、古いと言っ
てもそんなに昔ではない。この年代においても、筆者のような社会感覚を持った人という
のは、もう少数派になっていたのではないかと思われる。
筆者の主張のように、なんでもアメリカ流を追いかける風潮には、私も賛同できないが、
だからといって、筆者の主張のようにアメリカ流はすべてダメだというのも、極端のよう
な気がする。
確かに日本は、従来の日本的価値観を無視して、盲目的にアメリカ的価値観を取り入れて
きた傾向があった。いままでのそういうやり方には、問題も多かったように思う。しかし、
もうすでに、今の日本社会の中に、アメリカ的価値観はかなり浸透していると感じる。今
更、戦前のような価値観に戻ろうと言っても、賛同する人は少ないのではないだろうか。
ただ、「自分の自由を求めれば、その分、不自由になる他人が存在する。それが自由の本
質だ」、という言葉は重いと思う。我々は、「自由、自由」と自由を求めるが、自分の自
由を強引に求めれば、その分、不自由を強いる他人が出るということを、常に認識してお
かなければならないのだと思う。
これらの日本に求められているのは、革新的な新しいものへの挑戦できる人材であり組織
である。これには、自分の主張や自分らしさを貫き、人と違ったことをする勇気を持ち、
他人の評価を気にしない、アメリカ流の「個人主義」がどうしても必要である。しかしそ
れは、「和と平等」を基本とする日本人には、なかなか相容れられない。
この問題を解決するためには、「エリート組織」を創ることだというのが筆者の主張であ
る。しかし、このような組織はすでに存在するのではないだろうか。大きな企業では、研
究所というものを持つところが多い。その研究所が筆者の言うところの「エリート組織」
にあたるような気がする。しかし、それでも、なかなか革新的なものを生み出すというの
はむずかしいことは、現実を見ればわかると思う。それは結局、結果が出るまでには長い
期間と多額の研究費を要するため、経営陣がそれを待つことに耐えられないということが
原因であるような気がする。結果がでない研究をいつまでも続けさせられない、短期的な
視点でしか見ることができないということだ。これでは、いくら「エリート組織」をつく
っても、よい結果を出すことができないだろうと思う。こういう点においては、以前の日
本的な経営のほうが、まだ良かったのではと思える。
つまりは、アメリカ流とか日本流とか言って、どちらかを選択するのではなく、その両方
の利点と欠点のバランスを取りながら、という方法しかないのではと思えるのだが、どう
だろうか。
それにしても、筆者は、東京大学工学部原子力工学科を卒業し、オックスフォード大学留
学経験もある、通産省大臣官房審議官まで務めた超エリート官僚だったようだが、アメリ
カ的な価値観に対して、これほどまでに偏った考えを持っていたことに、ちょっと驚いて
しまった。もっとも、こういう上層にいる人たちにとっては、昔の日本流のやり方のほう
が、いろいろと都合がよかったのだろうと思う。

はじめに
・「改革なくして成長なし」という素直でわかりやすく、国民の心をつかむ小泉元首相の
 言葉によって、しばらくの間、日本は改革流行りであった。しかし、その多くは外国制
 度の移植であり、とりわけアメリカ的考え方とやり方を日本社会に導入するものであっ
 た。
・グローバリゼーションのなか、改革という勇ましい掛け声によって、日本社会の根本が
 アメリカ文化で脅かされている。
・日本人とアメリカ人は違うし、違う人間がつくっている社会もおのずと異なっている。
 これまでの日本の文化、伝統を無視して、形だけアメリカ的な制度、システムを日本に
 入れようとしても、うまくいくのか、大いに疑問である。
・日本人の基本的な意識、行動の基準などの価値観を十分に理解したうえで改革を実行し
 ていかないと、改革が改悪に変じる恐れが十分にある。

動揺する日本社会
・80年代までは増加の一途をたどっていた従業員給与は、90年代半ば以降は横ばいな
 いし減少気味。特に2007年度は従業員給与だけ大幅に減少しており、国民には富が
 回らず、相対的に貧しくなっている。
・こうなってしまった原因の一つは、日本の企業が外国に生産拠点を移す「海外直接投資」
 である。本来なら日本で生産され、輸出されるものが、アジアで生産され、アジアから
 輸出されるようになったので、日本国内の輸出向け生産がアジアの生産によって取って
 代われれることとなったわけだ。 
・結果的には、国内産業の空洞化を深刻化させ、国内に大量の失業者を生み出し、経済活
 動を悪化させている。これが、右肩上がりの成長がくずれ、日本経済が不振になった最
 大の原因である。
・工場の海外移転は、個々の企業が経済的に判断したものだが、大規模に展開するように
 なった背景には政府の後押しもあった。
・当時は、海外進出は、総合的には国内経済を悪化させ失業率を増大させることが産業関
 連表の分析などで次第に明らかになりつつあったとはいえ、国内経済全体にはマイナス
 の効果を与えるとのはっきりした結論は出ていなかった。
・今となっては、過度の海外進出は国全体としては、経済的にマイナスであることが確実
 になっている。かつては、企業が利益を求めて努力することは国家の利益と合致してい
 たが、残念ながら、今や、個々の企業が汗水たらして手に入れる利益と国家全体の利益
 とが対立する時代となってしまったのだ。
・日本経済が慢性的不況となるもう一つの大きな理由は、韓国、台湾といった新興勢力が
 急激に発展し、日本の産業を脅かしていることである。
・経済社会がうまくいかなくなると、なんとか手を打たなければならないと、せっつかれ
 るようになるのが世の常である。金融部門については、護送船団方式を改めなければな
 らなしとして金融ビックバンを実施し、公務員を減らすため国立大学までをも独立行政
 法人に移行させた。「官から民へ」のスローガンのもとに郵政事業を強引に民営化した。
 しかし、これらの改革がどれほど効果をあげているのだろうか。政府の機構を縮小した
 としても見かけ上のことで、実態はほとんど変化していない。
・2004年より国立大学は独立行政法人に変わった。しかし、そもそも大学とは採算に
 合う事業ではなく、特に理工系では、施設、設備が重要で、国からの支援がなければ、
 到底、教育、研究水準を維持向上させることはできない。理工系の教育・研究水準では、
 国立大学と私立大学の間に歴然と差が出ていることをみれば自明の理だ。
・大学に期待されているのは、民間ではできないようなリスクの高い、長期的に新しい研
 究の芽の育成だ。ところが、そのようなところに民間の金が集まるはずがない。
・運営費交付金を減らすことが大原則となっている独立行政法人改革では、基礎研究の振
 興がかえって妨げられ、本来の大学の役割をかえって発揮できなくさせるおそれが強い。
・同じように危険のある改革が、医療分野でも検討されている。政府の規制改革の流れに
 沿って、株式会社に病院の経営を認めさせようという要求がその代表例だ。株式会社は
 そもそも利益を追求することを目的としている。そして、利益を出すには、売り上げを
 上げるかコストを下げるか、その二つだ。売り上げを上げるには保険がきかない高額の
 医療を行うとか、治療費の高い医療行為を重点的に行うなどの方策があるだろう。コス
 トを下げるには、医師や看護師の数が人件費を下げるのがもっとも効果的だろう。前者
 は金持の患者には適しているだろう。後者は医療水準を低め、ただでさえ苛酷な状況に
 置かれている医師、看護師を苦しめることになるだろう。たいしたこともないだろうと
 ケチった分野が、思いのほかに治療結果を悪化させてしまうこともあるだろう。
・安全を軽視すれば、JR西日本の福知山線のように、大きな事故につながることが容易に
 予測される。医療事故の場合は、今でさえ隠されることが多く、利益が落ちてきている
 会社のような場合は、隠蔽体質がさらに強くなるから、患者にとっては悲惨だ。
・病院経営者は経営の知識がないから、自分たちならうまくやれるというのは、会社経営
 者の傲慢だ。病院でもすでに厳しい競争がある。利益を出すということはどこかで無理
 をしなければ、また安全の度を下げなければできない相談だ。
・1970年代からすでに、日本型教育は詰め込み型で、知識は増えるが独創性や創造性
 などを失わせると批判されてきた。そして、ついに抜本的な「改革」として、生徒に自
 発的に考える時間を与えようという2002年度からの初等中等教育の教育方針の改正
 が行われた。いわゆる「ゆとり教育」である。画一境域のひずみを是正し、「考える力」
 の養成に力点を置いたもののはずだった。
・世界的な学力調査を見る限り、日本の生徒の学力は著しく低下していると言わざるを得
 ない。2008年度の全国学力テストによっても、基礎知識の定着に比べて知識を活用
 する能力の弱いことが浮き彫りになっている。ゆとり教育といって自由にできる時間を
 つくったものの、教師も生徒もその意義を十分に理解できず、無為に時を過ごしたり、
 塾通いに依存することになってしまったのである。
・そこで、ゆとり教育を見直そうと、2007年には、授業時間の10%増加を求める、
 ゆとり教育の転換が提言された。どうしてこのようなことになったか。これは教育改革
 の問題意識は正しかったが、拠りどころにしたのが欧米の例であったことが誤りだった
 と私は認識している。
・欧米で行われていれば、日本でも良いはずだと安易に追求しがちである。アメリカ流に
 個性を伸ばす教育の良さに目を奪われ、「改革」というスローガンのもとに真似しよう
 としたが、結果は見事な「改悪」となってしまったのだ。
・これに限らず、わが国が行う「改革」の多くは、要するに外国の模倣だ。なかんずく、
 市販的なのはアメリカの例を最重要視しようとする動きである。
・日本のとアメリカでは、その歴史も文化も国民性も異なる。人間の心を無視して、形だ
 け外国の模倣をしても実効が上がらないどころか、かえって改悪になる危険性があるこ
 とを教育改革の実例は物語っている。
・改革を求める声の共通点は、経済効率に偏った重きを置く点である。日本経済全体の立
 場に立って経済効率を求めるとすれば、それは高潔な美しい理論だろう。しかし、現実
 に進められている改革は、単に金儲けの手段を新たにつくるためのものにすぎないよう
 に見える。国全体、国益という大義ではなく、個人、企業の金儲けをたやすくできるよ
 うに現状を打破しようとするものになっている。
・金融分野は、銀行融資より投資を重視しようとする方向に日本を変えようとしてきた。
 健全な投資活動にとどまるならよいが、だれでも株に手をつけるようになると、株で安
 易に儲けようとするマネーゲームが助長されかねない。
・2005年度を「金融教育元年」とするスローガンのもとに、アメリカでやっているか
 らといって、資産管理を初等中等教育でも教えようという動きである。教育の場では、
 金にかかわる問題はこれまで教えてこなかった。しかし、金融市場が自由化し多様化し
 た今日では、日本人の資産管理の感覚の乏しさが危ぶまれる。そこで学校教育で金融資
 産のついて教えようというわけだ。しかし、学力低下が深刻な問題になっている今、そ
 んなことにかまける前に、まず、働くことの尊さを教えることこそやるべきではないか。
 株を教えることによって、小さい頃から、まじめに働くことをバカにするような風潮を
 植えつけることにでもなれば逆効果だ。
・アメリカのやっていることだからといって、社会構造の違いを無視し、うわべだけを真
 似すると、日本では害になることに十分注視しなければならない。
・企業経営についても、アメリカの物真似が状況をよくするどころか、悪くしている傾向
 が見られる。典型的な例は成果主義である。理屈では、仕事の出来栄えに応じて給料が
 決まるのは当然だが、では仕事は正確に評価できるだろうか、というと、これがなかな
 かむずかしい。   
・日本の企業はチームワークが基本だから、そもそも成果主義になじまない。また、利益
 を出した者が多く報酬を得るというのはいたって当然に思えるが、会社では、将来の成
 功を期待して、当面は赤字でもやむを得ない部門もあるのに、赤字部門というだけで、
 そこに配属される従業員の給料が少なくなるようなシステムでは、将来の飯の種になる
 ものを自らつぶしてしまうようなももである。さらに成果がいつ出てくるかわからない
 ような長期的な課題、研究開発などとなると、短期的にはそもそも成果がわからない。
・こういう状況がありながらも無理やりに成果主義を導入したので、多くの混乱が起きた。
 自分だけの仕事に熱中し、仲間を助けることがなくなり、チームワークがズタズタにさ
 れ、かえってマイナスに陥ってしまったという例は枚挙にいとまがない。
・アメリカ人は個人主義が強いから、上司と仕事や給料について言い合いをすることを厭
 わないかもしれないが、日本人には合わない。人間関係を悪くするだけで職場の士気が
 落ちる。それでも会社側が成果主義のこだわるのは、それによって総人件費を抑制しよ
 うとしているからだ。それではみなが成果をあげても、総額としての給料は上がらない。
 つまり、成果主義とはきれいごとにすぎなかったわけだ。
・評価基準の明確化は口で言うほどたやすいことではない。部下の職員の勤務評定は、性
 格、能力、業績に大別されるいくつかの項目について、5段階の評価をつける方法がと
 られたが、この5段階評価がくせものだった。5にするのはわかりやすいが、3にする
 のか4にするのか、いつも判断に迷った。評価基準を明確にして評価するというのは成
 果主義を導入する際の前提だが、どうしてもそれができないのだ。明確で客観的な評価
 など、日本では実現不可能であることははじめからわかりきったことで、公正な成果主
 義評価など、できるはずがない、というのが率直な感想だった。 
・個人的には、客観的な正確性を期するなら、3段階に分けるくらいが精いっぱいだと思
 う。だれから見てもはっきり優れている人、普通の人、そして、だれが見ても出来が悪
 い人の3段階だ。そして、優れた人には特別昇給を、出来ない人は据え置き、普通の人
 は年功序列制に従おうとする。このような評価をすれば組織内で不満が出ない。
・年功序列制というのは、よく考えればたいへんよくできた制度だ。若い頃は、それほど
 給料は要らない。子どもができれば親は金がかかる。大学生にもなれば相当の負担とな
 る。金のかかる時期に給料が高くなっていなければ困る。仕事によって給料を決めれば、
 50代と40代でどれほどの差があるだろうか。同じような給料にされたら親はやって
 いけない。金が必要なとき、会社が出してくれるという制度は悪くない。そのようにし
 て見れば、社会全体のシステムとして、年功序列制は、人の人生にとって 安全保障の
 よく効いた、たいへん優れた制度なのだ。
・アメリカ的なやり方の多くは、日本においてはかえって状況を悪化させる可能性がある。
 それは、アメリカ社会と日本社会が本質的に異なっているからである。文化、風土の上
 にあってこそ、その国のメカニズムがうまく機能するのであって、その土台を無視して
 上物だけを持ってきてもうまく機能しないのだ。
  
アメリカ社会の表と裏
・ヨーロッパの伝統社会で自由な活動が縛られ、能力がありながら上流階級へ昇れず、金
 儲けをすることが許されなかった人々が、一旗揚げようと移住してつくった国がアメリ
 カである。未知なる荒野で富を成そうとする情熱がなければ、野蛮な新大陸へ移住しよ
 うなどとは思わないだろうから、その意気込みはすさまじいものだったにちがいない。
・しかし、自由には、もう一つの側面がある。自分の自由を求めれば、その分、不自由に
 なる他人が存在するということだ。それが自由の本質だ。この原則をアメリカ人は理解
 しているのだろうかと、ときぞき疑問に思う。
・アメリカ人の先祖がヨーロッパから新大陸に渡ってきて、自由に土地を利用しようとし
 たが、それは原住民、インディアンにとっては、自由に活動していた自分たちの領域を
 侵されることだった。  
・すべてのアメリカ西部劇の中で、インディアンは開拓者を襲撃する悪者とされ、インデ
 ィアンをやっつけることは正義の戦いだと描かれていた。それは大昔の話だ、と思うか
 もしれないが、実は今でも同じようなことが起きている。
・原則的には、貿易は自由におこなわれるのがよいことは間違いない。しかし、だからと
 いって、無制限に輸入を認めるとどうなるか。当然、産業競争力の弱い国では自国の産
 業が壊滅してしまう。だから、国という立場で考えれば、ある程度、保護主義的な貿易
 体制を取らざるを得ないこともまた当然なのである。
・日本が敗戦から立ち直ったのも、関税の壁でがっちり自国の産業を守り育ててきたから
 だ。そのことをいちばんよく知っている日本は、自由貿易を主張するにあたっても、他
 国への配慮を忘れてはならない。
・アメリカというのは、良くも悪くも理念の国であるから、ここでも「自由の理念」が先
 行し、他国に対しても原則論で押しまくるきらいがある。しかし、自由に他国で売りた
 いという輸出国の要求を通せば、「自由の本質」のとおり、輸入国では被害が起きるの
 は目に見えている。各国にとって大事なのは、均衡のある発展であり、自由貿易はその
 手段である。手段が目的にすり替わる自由貿易至上主義は、つまるところ強者の理論で
 ある。長期的には、富める国も貧しい国も格差解消に向けてバランスよく発展すること
 が目標で、自由貿易という原則論を金科玉条とするのは誤りだ。
・アメリカは、他国の産業がつぶれたときは、それは自由競争の当然の結果だと言うが、
 自国の産業が倒れかかれば、相手国の自由な活動を批判し、自国の産業をなんとかして
 守ろうとするのだ。要は自分が強く都合のよいときだけ、自由と自由貿易を主張し、都
 合が悪くなれば市場に任せるのではなく、国衙介入してきて保護貿易をしようとする。
 輸出側もなんとかしてくれ、と圧力をかけてくる。これは、まったくのご都合主義であ
 り、自由貿易の信奉者のやることとは思えない。
・アメリカの会社役員の報酬はけた違いに高い。アメリカの大企業の社長の平均報酬は、
 2007年度で年間1050万ドル(12.6憶円)であり、さらに正規の報酬のほか
 にストックオプションなどの報酬によって、なかには数百憶円を得ている社長もいる。
 これを一般労働者の平均給与と比較すると344倍ということになる。1980年には
 42倍、1990年には107倍で、2000年には525倍にもなっており、このよ
 うな社長の高報酬化は最近の傾向である。一人の人間がいかに優秀であったとしても、
 労働者の数百倍というのは理解できるものではない。「アメリカ人には妥当という感覚
 がない」とヨーロッパ人から批判されるところである。
・日本でも近年アメリカを見習って、社長、役員の高報酬化が進みはじめた。役員の高報
 酬化については、日本では批判が多いが、アメリカに比べればたいしたことはないとい
 う論調である。しかし、アメリカと日本では、経営者と従業員との関係など、根本的な
 土台が違うのに、それを無視して表向きの数字を言っても意味がないのではないか。
・カルロス・ゴーンが日産の改革を行って利益を出すまでに成功したというが、ルノーか
 ら6000憶円の増資をもらい、膨大な負債を子会社や系列会社に肩代わりさせたりす
 るなどして、有利子負債を大幅に減少させたことにより、利益が出る体質に変えたこと
 が大きい。従来の親会社、子会社の日本的慣行を打破した点では大胆な決断だったが、
 経理的操作によって利益を出すという、欧米流の「短期的錬金術」によってドラマチッ
 クに達成された大幅増の利益にすぎない。それが証拠に、肝心の自動車販売の伸びはそ
 こそこで、会社に一時的に利益が出るようになったが、会社の底力はほとんど変わって
 いないのが実情だった。そうであれば、重役だけに高給を払ったというのは何だったの
 か。2006年度には、日産の一人当たりの平均役員報酬が2憶8千万円であるのに対
 して、業績が格段にyおいトヨタの平均役員報酬は4500万円であったことを見れば、
 それがいかに異常かは明らかだ。
・役に立つ間はその能力をフルに利用し、役に立たなければ捨てればよい。優秀な人間を
 最大限に利用する状況を維持できれば経営的にはもっとも効率がいいにきまっている。
 人間いつまでも30代、40代のように元気いっぱいというわけにはいかない。そのピ
 ークの能力だけをつまみ食いするのが「実力主義」である。
・集団主義というと、弱い者が集まり、みなで渡れば怖くない、というように、なんとな
 くやましさを感じるのも事実だ。外国で、一人だと静かで行儀がよいのに、集団になる
 と途端にがやがや傍若無人になる詩型が想起され、嫌われる。一方、個人主義というと、
 自己の責任において毅然たる行動をとり、白馬の騎士のようなイメージで、なんとなく
 好感が持てそうである。少なくとも他人に頼ることなく、良くも悪くても結果を自分で
 受けとめるのだから潔い、とされがちである。
・社会の基本的構造としては、アメリカはヨーロッパ諸国と同様、「個人主義」の国であ
 る。そして、日本人は、「集団主義」だ。
・アメリカで育つとアメリカ的になるということは、主としてアメリカの教育の影響を受
 けているからだと思われる。では、欧米に教育はどういうものかというと、数学、文学、
 自然科学、芸術などすべてにそれなりの知識と能力を持つことをめざすより、個人個人
 の才能や能力を見いだし、才能があると認められたところを重点的に育てる傾向が強い。
・私の娘はフランスの幼稚園に通っていたが、あるとき衝撃的なシーンに出くわした。遊
 びの時間になると、日本ではお絵描きしましょうとか、運動しましょう、といって園児
 がいっしょに行動するのが常だが、フランスでは、個人個人、別々の遊びをする。絵を
 描く子、ボール遊びをする子、積み木遊びをする子、てんでバラバラである。
・それはそれでいい。驚いたのは、娘がほかの子と同じような遊びをしようとすると、先
 生にしかられたことである。自分で自分の遊びを見つけなさい、とたしなめられたのだ。
 他人と同じことをしてはいけないのである。
・日本ならば、みなの輪の中に入ればよし、そこで仲よくすることが「良いこと」なのだ
 から。ところが、それがここでは「悪いこと」。まったく正反対なのだ。自分は自分な
 りの遊び方を自分で考え、他人にかかわりなく、一人で遊びなさい、と徹底的に教え込
 まれる。こうして、個人主義という考えが小さい頃から備わってくるのだ。西欧におい
 ては教育の中心として社会全体が個人主義を育てているわけである。日本のように、み
 んな仲よくいっしょにやりましょう、という「和の精神」とは根本的に対立している。
・個人主義を追求すれば個人がバラバラとなり、集団としての力を発揮することができな
 い。集団主義を追求すれば個人の才能は集団の中に埋もれ、能力を発揮することができ
 ない。個人主義、集団主義はそれぞれ良い点、悪い点を持ち、宿命的に対立するもので
 ある。 
・地球温暖化対策について、ロシアを含めた先進国が、気候変動枠組条約の京都議定書の
 もとで、2008年から2012年まで二酸化炭素排出量を減らす努力を続けているの
 はよく知られているだろう。しかし、アメリカは、中国などの発展途上国に削減義務が
 ないこと、この目標値はアメリカ経済の発展に悪い影響を与えるなどの理由から、まっ
 たく協力していない。世界最大の炭酸ガス排出国であり、もっとも豊かな大国であるア
 メリカこそが、本来ならば率先して地球温暖化対策への取り組みをリードすべきなのに、
 頑なに自説を曲げていない。他人が何と言おうと自分の考えに自信を持っている意味で、
 個人主義の鑑かもしれないが、その非協力的な態度はやはり独善に近いのではなかろう
 か。
・アメリカの個人主義のもう一つの典型例として特許制度があげられる。アメリカ以外の
 世界のすべての国は、自分の発明を文書に詳細に表し、特許庁に提出し、審査を受ける
 ことによって特許権が発効する先願制度になっている、しかし、アメリカでは、個人が
 発明した確たる証拠があれば、発明の日から特許が成立する。特許庁に出願していなく
 ても、発明という事実があれば特許権が成立する先発明主義の立場である。
・アメリカはただ一国、先発明主義に今でも固執している。世界のすべての国が共通のル
 ールにのっとって商業活動を行おうとしているのに、アメリカのみが従来の自分のやり
 方に頑としてこだわり続けているわけだ。
・アメリカの「平等」の主張ができるのは、アメリカにおいては、機会の平等が保持され
 ているからである。チャンスはだれにでも開かれている、チャンスと才能を生かせばだ
 れでも栄達の望みがかなう、という意味での平等である。平等の機会を与えて、あとは
 個人個人が切磋琢磨して大いに競争していくのがアメリカ社会だ。
・だから、アメリカンの平等主義とは、「競争主義」のことでもあり、その競争の激しさ
 から競争社会とも言われる。で、結果を見ればとんでもない高報酬を得る者と、赤貧の
 貧乏人が併存する激しい格差社会であるというのがアメリカだ。
・開拓時代ならいざ知らず、現代のアメリカでは、金持の子ははじめから有利で、マイノ
 リティーは不利益な立場に置かれていることは否めない。アメリカにおける、この格差
 固定の例は、会社の普通の従業員にも見られる。一般の従業員は、よく働いても管理職
 の課長や部長に昇進することはほとんどなく、一生下積みのままで終わる。どんなにが
 んばっても上にいけない制度なので、本人たちは栄達をあきらめ、与えられた仕事を時
 間どおりに終え、家庭奉仕に励んでいる。それに比べれば、日本の企業の多くでは、一
 般社員が管理職へ上がる道は開かれている。総合的に判断すれば、実は、今や日本のほ
 うが「機会平等」だと言える。
・アメリカ社会を特色づけているものに「拝金主義」がある。普通の日本人のアメリカ人
 に対するイメージは、だれでも気さくに声をかけてくるように、たいへん親しみやすく
 率直だという印象だろうから、拝金主義と言うと驚きを覚えるかもしれない。
・アメリカでは、伝統的に、金は努力と能力と信仰に比例して得られるものであるから、
 得た富の量がその人の努力と信仰を示す、という考え方が社会の根底にある。だから、
 金持ちになることにやましさはなく、社会全体も金持ちに敬意をいだき、逆に、貧しい
 者に対する同情は薄い。    
・アメリカ人にとって、金は家族とともにもっとも大事なものであり、金は力なり、と信
 じている。金がなければ自分のやりたいこともできないから、自由とは金である、と考
 えるくらいだ。日本では働かずして儲けることは批判の対象だが、不労所得であろうと
 なかろうと、金持ちになるのはよいことだと考える、それがアメリカである。このアメ
 リカ人の金に対する執着はヨーロッパ人に目にも異常に映るようだ。意義留守では儲け
 を独り占めすることに批判は強いが、アメリカではそのような気はさらさらなく、力任
 せに金を巻き上げるようなことも認められている。だから基本ソフトを独り占めにした
 マ イクロソフトのような巨大帝国が簡単に出来上がる。日本や旧大陸とは根本的に違
 うところである。
・何事につけても、アメリカ人の判断基準はフェア、公正であるかどうかである。貿易問
 題でも、アメリカ側からすれば、日本の農産物市場が閉鎖的でアメリカの農産物を拒ん
 でいるのに、車やエレクトロニクス製品などを日本がアメリカで自由に売るのはフェア
 でないという主張になる。    
      
日米社会の基本構造の違い
・日本人とアメリカ人はやはり違う。個人が何に重きを置いて判断し、行動しているかの
 価値観、行動指針などの個人の基本意識が違うのである。そして、社会は、これらの個
 人意識の集積によって形成されるがゆえに、それぞれ固有の特徴を持つ。
・私は、個人の意識をもとに社会の特色を規定できると思われる価値観の基軸を長年考え
 てきた。その結果、次の八つの個人の基本意識だ。社会と個人を結びつける根本的な価
 値観、判断基準、行動基準である。 
 ・自由に執着する
 ・和を尊ぶ
 ・平等を志向する
 ・社会のために生きる
 ・金持ちを目指す
 ・公正さを重んじる
 ・リスクに挑戦する
 ・長期的視点に立つ
・アメリカ人は自由をこよなく愛し、行動の自由を最大限に求める。アメリカ人ほど制約
 を嫌う人間はいない。これに対立する基本意識は、広くとれば、「秩序を重んじる」と
 いう意識である。アメリカ人が自由に振れているとすれば、日本人は秩序にのほうに傾
 いている。「自由」とその対極にたつ「秩序」という軸をとれば、日本人とアメリカ人
 は、その両端に位置し、はっきり二分することができる。
・日本精神を代表するものの一つは、「和の精神」であろう。和の精神は柔順性と集団主
 義の特性を包含している。権威を尊重し、 よくつき従う従順性は、それ自体、一つの
 基本意識としてもよいほど、日本人を特色づけるものである。しかし、集団主義と柔順
 性は、付和雷同と紙一重。深く考えることなく、人と同じように一斉に動き出す衝動的
 本能が日本人にはある。
・和の対極は「個人主義」である。自分のことが第一だと自己中心的に考え、自己の責任
 において、他人のことをあまり考えず自己を貫く個人主義がアメリカ人の特性である。
 社会全体としてみれば、個人主義に基づき自己主張が激しくなるので、争いの社会とな
 る。
・アメリカ人は、競争が善と考えているから、激しい競争をいとわず、その結果、差が出
 ることを当然と考える。アメリカ人の第一の義務と責任は、自分自身の利益を考えるこ
 とであり、これに基づき各自が「競争に生きる」ことが、全体の利益、つまり社会や国
 家の利益になると信じている。強い者がますます強く、弱い者がますます弱くなること
 も実力の差だと割り切るので、結果は、大きな格差社会になる。
・日本人は、自分が社会の役に立っている、という価値観を大事にする。だから家庭をあ
 まり顧みず会社のために働いたりする。反対に、アメリカ人は、社会より自分と「自分
 の家庭を大切にする」。仕事がどんなに忙しくても、家庭を犠牲にしてまで働こうとは
 しない。仕事と家庭のどとらかの選択を迫られると、家庭を選び、魅力的な仕事でもあ
 きらめることが多い。 
・アメリカ人の最大の関心事は金だ。自分の持っているものがいくらするとか、給料が高
 い働き口はどこにあるのか、どうやったら儲けられるのかなど、金に関することを直接
 的、具体的にオープンに話す、普通のアメリカ人は何でも金に換算して考え、金持ちに
 なることに憬れている。
・日本人は、金も大事だが、それ以上に人間的な気高い心、行為、「徳を重んじる」。実
 際、金儲けよりも、善き行いをすることのほうが他人から認められる。しかし、日本人
 の名誉を重んずる傾向は薄れつつあり、金儲けを優先する傾向が禁煙とみに強まりつつ
 あるようだ。
・日本人は、理屈より人間関係を重視するから、情に棹さしゃ流される、というように情
 に左右されやすい。相手の気持ちをおもんばかり、「情を大切にする」ことは日本人を
 特徴づける。人の間に生きる人間、「間人」こそ正に日本人で、人から笑われないよう
 に、人から白い目で見られないように、いちも他人の評価を気にしる恥の文化が形成さ
 れる。
・社会全体であれば、公正さを重んじるば実力社会になる。これに対し、情が強くなると、
 縁故社会、コネ社会となる。
・日本人はかなり先のことを念頭に置いて行動している。会社でも当面の利益より、将来
 の発展を重視する。損して得せよ、の精神が生きているが、アメリカ人はこれを理解し
 ない。 
・アメリカ人は、日本人に比べて忍耐力が乏しく、我慢ができないし、また我慢しようと
 もしない。
・アメリカ人は、「短期的な視点に立つ」傾向が強い。会社の経営もその典型で、ビジネ
 ススクール出身のMBA(経営学修士)を持つ社長は、自分が務めている間に目に見える成
 果を出すべく、利益を捻出しようとする。日本の社長が自分の任期よりずっと先を見、
 会社の長期的繁栄を求めて経営決断をするのとは、根本的に違いがある。
・日本人は貯蓄に熱心なのに対して、アメリカ人は貯蓄に回すより消費する傾向が強い。
・日本人とアメリカ人、日本社会とアメリカ社会、同じ人間といえども、向かっている方
 向ははっきり違っている。当たり前のことではあるが、日本人とアメリカ人、日本社会
 とアメリカ社会は、根本的に異なっているのである。
・アメリカの制度、システムは、アメリカ人の精神の上でこそうまく機能するようにでき
 ているわけだから、アメリカで確立している制度、システムをそのまま日本に持ち込ん
 だとしてもうまく機能しないのは考えてみれば当然のことだろう。
・現在日本が進めている改革は、この基本的認識が欠けているように見える。単にアメリ
 カの物真似をするのではなく、日本人と日本社会に合うように改善してから導入すべき
 だ。この点を無視した改革は、まさしく改悪に変じるだけである。
・これまで日本は、日本人の精神と伝統社会をもとに、優れた文化を作り上げてきたし、
 明治維新以降も、世界史上極めてまれに見る発展を遂げてきた。日本的であったからこ
 そ成し遂げられた快挙だ。この数千年に及ぶ日本の固有の文化と心を壊す必要はない。
・和の精神を大切にする企業文化のなかに無理矢理、欧米流の個人主義を持ち込んだこと
 が、日本企業の活力をかえって損ねたことは実証ずみだ。日本的なことを変えるという
 ことは、日本の力を弱め、競争相手国を喜ばすだけである。
 
新しい日本主義のすすめ
・日本人は忍耐強いから、苦しくても、儲からなくても我慢し続けられる。これがアメリ
 カ人なら、儲からないことをあきらめ、過酷な条件なら我慢しないで仕事を放棄してし
 まうだろう。彼らにとっていやな仕事はさっさと辞め、新しい仕事を探し出すのは日常
 茶飯事だから、その結果、敗者が市場から撤退し、再び良い秩序が蘇ってくる。だから、
 アメリカでは自由競争はすべて善であると考えているのである。しかし、日本人は違う。
 勝ち負けがつかず、全員敗者となっても最後までしがみついてとことんやってしまう。 
・規制をはずして自由に競争することがすべて善であるという議論は、アメリカでは正し
 くても、日本では正しくない。
・そもそも、規制とは、社会の構成員が安全で快適な生活ができる環境を整えるための社
 会的取り決めである。個人個人の勝手な自由を認めれば、他人に迷惑がかかるのは当た
 り前で、行動の自由に制限を加え、国民全体として満足感を高めようとする安全装置と
 もいえる。    
・規制緩和の大きな流れのなかで、自由が拡大された日本社会は、良い効果が表れている
 半面、さまざまな問題が生じてきている。「自由を通せば、弱者が痛む」というように
 自由には必ず反作用が伴い、マイナス面も大きくなってくる。過度の自由を許せば、過
 剰な競争を誘発し、確実に弱者が虐げられ、格差社会を助長する。みなが助け合うとい
 う精神でうまく機能してきた日本社会の良さが失われ、かえって経済活動が混乱し、一
 部の者に富が収奪され、多くの国民が不幸になることが予想される。
・規制即悪であるという盲動主義と決別して、まず日本の現状をよく把握し、問題が生じ、
 または生じつつあるところでは、規制緩和という錦の御旗に関係なく、社会の構成員の
 多くが幸福になれるよう、規制を強化していくことが求められる。
・国民の多くは、自由より規制を求めている。規制緩和を国民が求めているというのは政
 治的錯覚であることが明らかになった以上、自由の方向に揺れた社会を規制する秩序あ
 る社会に戻すべく大きく方向転換することが、国民の声に基づく正しい政治ではなかろ
 うか。  
・なんといっても、今の日本人はアメリカの顔色をうかがっているばかりだから、日本と
 日本国民を守るという堅固な信念がなければ、できる相談ではない。 
・和を尊び、秩序を重んじ、平等を志向し、社会のために、長期的視点に立ち、安定に、
 金ではなくて徳を重んじることを、日本人と日本社会の基本として維持し続けることだ。
・昨今、アメリカ流の投資活動が日本に普及しはじめてから、投資家は企業にさまざまな
 注文をつけるようになってきた。配当を増やせと言うのは、日本の配当率が低いので、
 それほど違和感はないが、経営にまで口をはさむようになると、問題のほうが大きくな
 る。 
・企業の経営は長年にわたる商売の戦いのなかで鍛えられた能力があればこそ、うまくで
 きるのであり、素人に経営を任せたらメチャクチャになってしまう。そうでなければ、
 それこそ「だれでも社長になれる」。金にあかせて企業経営を私物化するのは、日本文
 化では許されるばきではない。
・日本社会はこれまで脱法行為を厳しく批判してきた。しかし、現実に今日、日本で起き
 ていることは、倫理的に悪いことをやっている人間を、少なくともずるい人間を、社会
 が甘く受け入れていることのようにしか見ない。
・日本の金融界は、倫理的でないやり方には協力できない、という態度であるのに対し、
 現在のアメリカの金融界は、儲かるなら、金のためならなんでもする、という姿勢であ
 る。戦いのルールが違うのである。日本は商業倫理のルールの上で戦っているのに、ア
 メリカは金儲けだけのルールで戦っている。少なくとも現在のウォール街はそうである。
 とだろう。貧しくても工夫をすればそれなりに衣食住に満ち足りる生活ができることが
 基本的欲求であり、それを実現できる環境を用意するのが国家の役目である。しかし、
 現実には、最近日々の生活に苦労する人々が多くなり、暮らしに不安を覚える人々が増
 えはじめている。  
・残念ながら現在の日本社会においては、国民が将来に明るい希望をいだき、安心して満
 足のゆく生活を送る機会がどんどん遠のいている状況なのだ。
・安心できる生活が送れなくなった国民が増えた大きな理由の一つは、パートや派遣社員
 などの非正規社員が雇用者の三分の一を越えるまでに増加しているからだ。
・非正規社員が大幅に増加した理由は、規制緩和の方針のもとに、臨時雇用が可能となる
 範囲を大幅に広げてきたからである。従来の労働基本法では、労働契約期間の上限は1
 年だったが、1998年度の改正により高度の専門職は最長の3年に、2003年度の
 改正では専門にかかわらず、原則最長3ねんの拡張された。労働者派遣法も1996年
 度の改正により、対象となる専門的な業務は26業種に拡大され、1996年度の改正
 では、一般事務労働にまで大幅に拡大され、さらに小泉首相時代の2004年度には製
 造業への派遣まで解禁された。
・政府がこのような規制緩和を行ってきた背景には、バブル崩壊後景気が悪くなり、企業
 が正社員の採用を厳しく抑えたため、1990年代後半から失業者の数が急増しつつあ
 ったということである。政府は失業率の大幅増加は社会的大問題になると考え、それを
 未然に防ぐため、契約社員、パート、派遣などの非正規社員ならば企業が採用してくれ
 るだろうと、非正規社員に振り替えることで、この危機を乗り越えようとしたのだ。
・規制緩和したときは、労働者が多様な働き方を選択できる可能性を拡大するとか、働き
 に応じた適正な労働条件を確保するとされた。これにより短時間労働者へのチャンスを
 開き、雇用の流動化が促進されるとともに雇用が増えるなどと良い点が強調された。
・非正規社員は失業よりましだが、労働の柔軟化とは名ばかりで、今やはっきりと悪い面
 が良い面を大きく上回っている。非正規社員が、人並みの生活を送れぬほどの安い給料
 に甘んじ、契約期間終了後の失職に怯えつつ暮らす状況が常態化している。
・日本社会は職の安定した正社員中心社会から、3人に1人が非正規社員という職が不安
 定な社会へと本質的に変わってしまったのだ。
・政府の労働についての一つの政策が、国民から安心できるくらしを奪い、格差を助長さ
 せた。今となっては、安心した豊かな日本社会の基本構造をぶち壊した「構造改革」な
 らぬ、「構造大改悪」といわざるを得ない。これは政府の責任である、というより、む
 しろ国家的犯罪だ。
・ひと昔前までは正月の三が日は店は休みで、だれもがゆっくり休めた。儲けも大事だが、
 盆暮れや祝いごとのために従業員を休ませるという、健全なモラルが社会に根づいてい
 たともいえる。今では、元旦からの営業やコンビニでの24時間営業が当たり前になっ
 た。しかし、「自由に営業したい」という企業の要求に対し、「社会の秩序を重んじる」
 方向に舵を切る方法もあるのだ。すなわち、営業時間の法的規制である。
・地区ごとに閉店を許すコンビニを決めれば、さほど困ることはなく、過当競争が抑制さ
 れ、従業員も安心して夜眠ることができる。失うものより得るもののほうが圧倒的に大
 きいはずだ。現実には、山間部などでは24時間営業の必要性は高くない。
・会社は、各店舗の利益ではなく売り上げに応じて、利益を取る仕組みを作っている。コ
 ンビのの店長側では、本部は深夜営業の経費をみてくれないので、赤字だからやめたい
 が、本部との契約でやめられないのが実態だという。つまり、コンビニ各社企業は、フ
 ランチャイジーの犠牲の上に成り立っている。
・製造現場においては、請負業者が定職のない人たちを集め、生産現場に派遣しているが、
 これには問題が大きい。法律では請負業者自身が工場内で仕事を指示することが義務づ
 けられているのに、現実には守られておらず、法律上、工場側が指示できる派遣社員と
 同等の扱いをしている例が多い。
・現実には不合理であることがわかっていながら、それが行われているのは、請負業とい
 う隠れ蓑を使って人材を安く使い、仕事が減ればクビを切るように雇用の調整弁として
 使っているからだ。請負労働者は、そのあおりを受け、いつ失業するかもわからず、ま
 た、いつ仕事にありつけるかもわからない不安定な状況に置かれ、ワーキンブプアとな
 り、社会の底辺に陥れられることになる。
・このような、もともと無理があり、非人間的な請負業の工場内請負は法律できっぱり禁
 止する大英断を下すときではないだろうか。そうしなければ、工場側職員が請負業者に
 出向し指導するなど、巧みな脱法行為が次から次へと考案されるだけだろう。請負を全
 面禁止すれば、請負から正社員、派遣などへの切り替えが起こり、その結果、会社側か
 ら直接指導を受けるやる気のある作業員が採用され、熟覧作業員に変化し、生産現場の
 層が厚くなり、長期的に見れば日本の製造業にとっても望ましいことになるはずだ。
 
21世紀の日本社会の繁栄のために何ができるか
・海外の現地生産によるロイヤルティ、海外への証券投資、アニメなどを外国に売る知的
 財産収入などの資金だけでは、経済大国となった日本を支えることはできない。日本が
 繁栄を続けるためには、今後とも強力な製造業が国内に不可欠だろう。やはり、国内の
 製造業が日本の運命を握っていると言わざるを得ない
・製造業にあっては、技術は日進月歩そのものであり、次々と新製品が市場に登場してく
 る。生産のやり方ではなく、画期的な新製品を開発するプロダクトイノベーションがま
 すます重要となってくる。  
・中国をはじめとするアジア諸国は、すぐ日本の後まで迫っている。生産のやり方を改善
 するプロセスイノベーションだけではやっていけないのだ。まったく新しい製品をつく
 り、独自に市場を切り開いていくプロダクトイノベーションがぜひとも必要だ。
・画期的なものを生み出すためには、突出した才能のある人間が、自由に研究に没頭でき
 る環境が必要だ。ところが、これまでの日本社会の特色はまさに、出る杭は打たれるで、
 人並みはずれて倒閣を現しても、すぐに周囲から批判されて抑え込まれてしまう傾向が
 強かった。会社の中では、新しいユニークなアイデアを若者が出しても、飢えに立つ者
 が理解できず、つぶしてしまうアイデアキラーが相変わらずはびこっている。
・常識の延長で物事を理解しがちなので、製品でも新しい機能の付与とか、小型化、軽量
 化、低価格化など先の見えることにしか関心を示さない。実際、それが今日の商売では、
 決定的に重要なことがらであるからなおさらだ。しかし、だれにでもすぐ理解できるも
 のなら、おもいつくこともまただれにでもできる。そこには画期的な新しさはない。ま
 ったく新しいものというのは、本質的に変なもの、おかしなもの、リスクのあるもので
 あり、それを主張しているのは、変な人であるか、おかしな、変り者ということになる。
・大きな組織の中で新しいことをやろうとすると、日本人の「和と平等」の精神が、こう
 いうところではマイナスに働く。工業生産や販売活動などでは威力を発揮する「和と平
 等」の精神も、新しいものへの挑戦では、邪魔になるのだ。大企業の中で画期的なもの
 が育ちにくいのはこのせいである。   
・日本では、「エリート」という言葉に反感を持つ人が非常に多い。それはきっとその言
 葉が旧華族の出だとか東大出だというように学歴や家柄などで決められ、はじめからチ
 ヤホヤされたり、優越感をちらつかせて自分だけ金儲けを狙う好ましくない人間像に当
 てはまられることが多かったからだろう。実際、そういう輩が少なくないのも事実であ
 る。しかし、本来、エリートというものは、社会のため、という確たる高潔な信念を持
 つ人間のみに与えられる呼称だ。
・今日、日本に求められているのは、革新的な新しい者への挑戦である。日本の産業が繁
 栄を続けていけるか否かは、新しいものをいかに上手に作り出していくかにかかってい
 る。欧米の後を追っていた追い付き型の時代は、目標がはっきりしていたから、「和と
 平等」の精神を基本とする日本産業は強みを大いに発揮することができた。しかし、目
 標がなく、自らが新しいものを切り開いていくフロントランナーの時代には、個人の才
 能が支配的な要素となり、それには「個人主義」でなければだめなのである。
・アメリカでは、新しいものを生み出す役割を多くのベンチャー企業が担っている。ベン
 チャー企業においては、個人に全責任を任せ、自由にやりたい放題にさせることが、成
 功のおおきな要因である。
・アメリカの個人主義の典型は、自分の主張や自分らしさを貫き、人と違ったことをする
 勇気を持ち、他人の評価を気にしない、ということである。こういうことこそ、アメリ
 カ流を見習わなければならない。ところが、こうした「個人主義」は、「和と平等」を
 基本とする日本人には嫌われ、むしろ徳がない人間として批判される。「個人主義」と
 「和と平等の精神」はやはり相容れないのだ。
・この矛盾をいかに解決するか。日本の将来を思うにあたり、長年考え、私なりに出た結
 論が、ここでいう「エリート組織」だった。ある組織を特別な組織と位置づけることに
 よって、おおきな集団から切り離し、独立させ、自由に活動させたり、大きな組織を指
 導させていく体制をとることで、この矛盾を克服しようとするものである。  
・生産には大集団が必要だが、新しいものを生み出すには少人数のチームで十分だ。ただ
 し、少人数であっても、その構成員は人並み外れた才能を持っていなければならない。
 優秀というより「非凡」といったほうがいいかもしれない。「非常識」な人間だ。
・新しいものを生み出す組織は、会社の明日の飯の種を生み出す組織である。この成否に
 会社の命運がかかっている。そればかりではない。横並び開発の弊害から抜け出し、革
 新的技術で再び世界へと打って出る異本の命運がかかっているのである。
・不振部門を切り捨て、儲かりそうな部門に集中しようとしても成功する保証はなく、共
 倒れになるリスクは常にある。大きな設備投資をしても、製品が出てくるころには市場
 に競争相手が現れ、売れないかもしれない。企業が大きくなればなるほど、経営判断は
 現場から遠くなり、リスクを恐れ、保守的になり、迅速な決断ができなくなる。大企業
 病である。  
・こうしてみると、衰退の原因は、トップの経営判断の問題であり、大多数の会社の従業
 員の問題ではないと言える。一部には、会社の業績が悪くなったのは、社員が働かない
 からだ、と言い放った社長もいたが、現実には過労死、うつ病などが社会で多発してい
 る現状を素直に見れば、社員がサボっているわけではないことは明らかだ。できもしな
 い経営目標を立てるから無理がたたるのに、達成できなかった原因を社員に転嫁してい
 るにすぎない。
・社員の意欲を引き出すためといって、年功序列制や終身雇用制をいじくり回しはじめた
 ことにしても、そうせざるを得なくなったのは、海外移転を進めたからであり、それを
 決めたのは経営者である。本質的な問題に目をつむったまま改革を行うから、改悪に変
 じ、職場がかえってガタガタになり、リストラにより国もおかしくなるのである。
・人には悪い点もあるが、良い点も必ずあるから、一見不要と思われる人材でも、使い方
 を工夫すれば会社のために働く場所見つかるはずである。
・関が原後、徳川家康によって国替えを命ぜられ、領地が四分の一になって毛利輝元は、
 俸禄を下げながらも家臣を切り捨てず、窮地をしのいだ。ようやく家康に認められるよ
 うになって復活を果たし、家臣も元の生活に戻ることができた。会社の経営も同じよう
 に、苦しいときはみんなで苦しみを分かち合うのが日本流のやり方だった。
・それを、アメリカ流に、「経営はクビを切ることだ」と社員を切り捨てにすることがよ
 いことであるかのような風潮が日本に蔓延したことは、日本文化に反するものだった。
・苦しいときは、じっと耐え、好転するのを待つ、というのも経営の鉄則である。アメリ
 カの影響を受け、日本社会がこの原則を守らなかったことが不運であったとしか言いよ
 うがない。    
・人は石垣、人は城、といった戦国時代からの思想に基づく、社員を大切にする経営に回
 帰するときである。「人を大切にする」ことこそが日本型経営の神髄であり、それによ
 り日本の企業はこれほどまでに大きく成長し、日本が経済大国の仲間入りできた最大の
 要素だからだ。
・現在、「愛社精神」を正々堂々と口にする人はあまりいない。時代遅れの「会社人間」
 と嘲笑される風潮があるからだ。しかし、愛社精神をもって一致団結し、目標に向かっ
 てまっしぐらに走るから、日本企業の競争力は大きいのである。社員は会社に長く勤め
 たいと思うし、会社も長く働いてもらいたいと思うから、教育、訓練にも身が入り、会
 社にとってもっとも重要である社員の資質の向上が得られるのである。よい給料を求め
 て転職したがる人に対しては、会社は真剣には教育を行わない。
・アメリカ発金融危機による大不況のただ中にある日本においては、今こそ、日本的経営
 の神髄が問われるところである。非正規社員にとどまらず、正社員までリストラすると
 公言する経営者が出てくるときだからこそ、人を切る捨てるのではなく、みなで平等に、
 この苦難を甘受する日本的経営を堅持することを企業方針とすべきだ。
・短期的視点ではなく、「長期的視点」から会社のことを思い、競争によって人をふるい
 落とすことより、「平等」を優先させ、利益より労働者を守るという「善き行い」を選
 択することを世論とすべきではないだろうか。
・社員も自分たちの賃金が非正規社員の特性の上に成り立っている現実をよく反省しなけ
 ればならない。労働組合もこの期に及んで賃上げなどを要求しようとしているが、自分
 のことだけでなく、非正規社員のことも考えるべきだ。
・失われた10年といわれ、経営的弱くなり、日本的やり方まで自信を喪失していたが、
 日本における組織原則については、日本型が最上であると自信を回復すべきときである。
 その象徴である終身雇用制は、成果主義を加味するにしても堅持するに値するものだ。
 こう主張すると、時代の流れを理解しない懐古主義と馬鹿にされるが、それを実現する
 土壌は今の日本にまだ生きている。    
・終身雇用制の改変と成果主義を求めているのは大企業であって、大多数の中小企業での
 支持は低い。つまり、大企業さえ日本的経営を守るとの決意を固めれば、今からでも実
 現できるのだ。 
・先を見通したうえで、勇気ある決断ができるかどうかが、企業経営の極意である。この
 ような決断は、経営の形式の問題ではない。日本的経営とか、アメリカ的経営とかいう
 べき課題ではない。結果がどうなるかは運、不運に左右されるものであり、経営判断の
 不確実性は不可避である。経営者の資質と経営形態を混乱したことが、日本的経営を誤
 らせた原点である。
・先がわからないリスクにチャレンジすれば、かならず誤りも出てくる。運が悪ければ、
 どんなに優れた決定をしても、結果は悲劇的である。1度や2度の失敗をしたからとい
 って日本的経営が間違えっていて、アメリカ的経営のほうがよいと考えることこそ、浅
 はかな考えだ。
・世界に通じる日本企業になるよう育てた経営者は、自社の利益だけではなく、社会のた
 めに役立つ、という強い信念を持ち続けていた。これが優れた日本人経営者の経営理念
 であり、そのもとで従業員がよく働き、それが今日の日本の産業の繁栄を築き上げたの
 である。
・今日の日本では、この理念が脅かされている。会社は、アメリカ流に自分の会社のこと
 しか考えず、利益至上主義に走りつつある。株主という金の持つ人間が発言力を強めた
 ことも一つの背景である。短期的な利益を求める株主にとっては、会社が社会に役だと
 うとなかろうと関係なく、ただ配当や株価が上がることだけを期待しているからである。
 大企業という大きな組織体は、会社の理念に従って行動するが、株主は利益のみに注目
 する。ここの大きな矛盾が生じている。
・明白なのは、21世紀が少子高齢化社会になるということだ。生産の担い手が減り、高
 齢者の介護などの社会的負担が増加すると予測される。したがって、これに伴い、国内
 の富の再配分がおこなわれなければならない。少子社会はマイナスの暗いイメージが強
 いが、やり方次第では、過密日本の人口が減ることで日本にとっては豊かな社会に変わ
 る可能性がある。このあたりが工夫のしがいがあるところで、今後の日本の大きな検討
 課題である。
・和と平等の精神が、今もこれからも、日本企業のもっとも守るべき基本精神であること
 に変わりはない。しかし、フロントランナーに求められるのは、独力で新しいものを、
 物質的にも、制度的にも、社会的にも切り開き続ける精神である。
・日本文化は恥の文化と言われている。日本人は、人目を気にし、人の評価で自分の行動
 を規制している。人から笑われないように、白い目で見られないように、恥ずかしくな
 い行動をとろうとする。しかし、この精神は新しいものへの挑戦の精神と真っ向から対
 立する。人の目を気にしていては、新しいものを生み出すことはできない。恥の文化で
 は、21世紀のフロントランナーとしての日本の役割を果たすことはできない。
・国民全体にとって幸せな社会とは、安定して、個人個人が豊かに生活を楽しめる社会で
 ある。一部の者が富を独占するような社会は、いかに経済力が大きくなっても、国民全
 体としては不幸な社会、悪い社会である。大多数の普通の人間が幸せに生きる社会を目
 指しのが国の使命なら、これまでどおりの和と平等の精神に基づく社会がもっともよい
 に決まっている。  
・個人主義、実力主義の美辞麗句のもとに進められているアメリカ型システムは、大局的
 には普通の人間の非力、無知に乗じて、資本が富の横取りを図ろうとするものである。
 企業においても、実力主義、成果主義の名のもとに、従業員の盛りのときだけその能力
 を安く買い叩き、こき使い、用済みとなればクビを切るというように、従業員をあたか
 も使い捨てのモノにように扱うアメリカ的風潮が強まるおそれがある。
・非正規雇用に見られるように、19世紀において過酷な労働環境で資本家が暴力的に労
 働者を搾取したのと同様の資本の力による暴力的収奪が、21世紀の日本でも起きつつ
 ある。 
・アメリカ型社会のほうが新しいものを生み出しやすい、だからフロントランナーになっ
 た日本は、アメリカ的競争社会に移行すべきだ、との主張が世の中に目立つ。けれども、
 社会全体をアメリカ的に変えることは、日本社会が持つ良さを台なしにし、大多数の国
 民にとっては不幸になる。
・日本全体が完全にアメリカ的競争社会に移行することは、実際にやろうとしてもできな
 いだろう。中途半端に真似するのが関の山で、それは最悪だ。日本の生命線である製造
 業は、和と平等の精神のもとで動いているからこそ、世界最強であり、個人主義が広が
 れば、競争力は致命的に低下するだろう。製造業が凋落すれば、経済は大きく後退し、
 国民は貧し、不幸な社会に陥るだろう。だから、アメリカ的精神、というより個人主義
 的精神を強調するのは、一部のエリートたちだけにとどめておきたいのだ。
・かくして、反論と反感を承知であえて、和と平等の精神と個人主義の両者の発揚される
 領域を分けるこによる、宿命の対立の解消を提案するのである。
・どの文明もできなかった集団主義と個人主義のベストミックスベストミックスベストミ
ックス。これが日本において完成すれば、世界のリーディングカントリーになるであろう。
  
21世紀型日本主義、展開への提案
・アメリカ人は大の投資好きである。だれもかれでも、金があれば銀行に預けるより投資
 を好む。一攫千金を夢見て挑戦するアメリカ精神はここに生きている。日本の庶民は、
 株に手をつけても損をするとやめてしまう人が多いのに対し、アメリカ人は貧乏人でも、
 損をしても懲りずに投資を続ける。
・株をやって儲かるのは金持ちなのである。株は誰かが儲ければだれかが損をしている世
 界だ。金持ちがこれほど儲けているということは、それだけ所得の少ない人が損をして
 いることを意味する。この現実を直視すれば、今、日本で起きていることは、株の売買
 によって低所得者層の金が高所得者層の懐に転がり込んでいるということにほかならな
 い。  
・株価は正しく予測できないので、基本的にはギャンブルである。競馬ほどではないが、
 リスクが大きいことについてはギャンブルと差はない。1憶国民にギャンブルをせよ、
 とするのは正しいのだろうか。
・株式投資をみなが仕事にしたら、生産活動する者がいなくなり、生活できなくなる。株
 の利益は、見方を変えれば、他人の富の収奪にすぎない。自分だけが生産活動をせず。
 他人が働いた上澄みをかすめ取ろうとするのはよいことではないのだ。
・アメリカ人は、個人主義で金至上主義だから、それを許容する。自分が何をしようと勝
 手で、どんな手段であろうと金持ちになれば尊敬されるのだ、と思っているから許され
 る。しかし、社会全体にも配慮する日本の価値観ではそれは許容されない。若者が仕事
 もせず株取引に熱中するのは望ましくないというのが、日本の倫理観なのだ。
・今は、グローバリゼーションの流れのなかで、というよりアメリカの影響を受けて、金
 で金を稼ぐことは悪くない、日本だけがあぶく銭を稼ぐことを批判するのは時代遅れだ
 と、逆に非難されるご時世である。そんなことはない。日本社会の価値観を世界にはっ
 きりと主張すべきである。日本においては、金を動かすことだけによって暴利をむさぼ
 ることは悪なのであると、はっきり発信すべきである。
・大多数の日本国民がマネーゲームに走るようになれば、まじめに働くのがばからしくな
 り、日本の国力は落ち、日本の将来は暗くなる。
・現状でも、日本の国立大学は建物が古く、施設、設備も旧式のものが多く、さらにこれ
 から予算を削減されたのでは、のびのびとした環境のなかで、最新の研究設備と豊富な
 スタッフのもとでフロントランナーにふさわしい研究を進めることなどおぼつかない。
 金がなければ、大学においては良い仕事ができないという自明の理にもかかわらず、予
 算を減らそうとするのは、「小さな政府」という政治的スローガンにしばられ、目先の
 ことしか考えないからである。残念ながら、文化と科学、それから派生する競争力の源
 泉である技術を生み出している大学の重要性を軽視しているのが日本の現状なのである。
・アメリカ流に、出来ない学生はどんどん落とせ、そうすれば学生は真剣に勉強するよう
 になり、大学が良くなると何十年も言われ続けてきた。しかし、いつまでたっても、ど
 この大学でもそれが実現できない。教師が情にほだされるからである。そこが日本人な
 のである。アメリカ流のフェアに徹しきれず、情に流されるのが日本人教師である。そ
 うした日本人の価値観がアメリカの大学と日本の大学に大きな格差を生んでいる。
・助け合う社会のほうが戦い合う社会よりはるかに住みよい。日本社会に住む外国人が日
 本に長く住み続けたいと願う理由である。アメリカ社会のように個人の自己主張が激し
 く、常に緊張しながら生きていくより、みなと仲よく支え合う社会のほうが安心して暮
 らしていける。 
・競争という美名のもとに、強い者が弱い者をいじめぬくアメリカ流なのか、それとも、
 強い者が弱い者に対するいたわりを持つ日本流なのか、価値観の違いを厳しく受け止め
 なければならない。