日航機123便墜落 最後の証言 :堀越豊裕

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1985年8月12日に、群馬県の御巣鷹山の尾根に東京発大阪行き日本航空のジャンボ
機123便が墜落してから、まもなく35年を迎える。35年といえば、人生の半分近く
を占める年数である。それでも、この墜落事故のことがいまだの私の頭から離れないのは、
それだけこの事故から受けたショックが大きいということなのだろう。
自分の今までの人生の中で、いくつかの航空機事故を見聞きしたが、この航空事故のこと
が一番印象深く心に残っているのは、あれだけの悲惨の墜落状況だったにもかかわらず、
生存者がいたことだ。これには、正直、本当に驚いた。まさに奇跡だと思えた。
事故当時、連日テレビで放送されている場面が、今でも時々思い浮かんでくる。日航機が
消息を断ったというニュースから、なかなかその墜落現場が分からなかったことを覚えて
いる。
墜落現場がわかったのは、一晩経った翌朝だった。どうしてこんなに墜落現場が特定でき
ないのか不思議に思った。もちろんその時は生存者なんていないだろうと端から思ってい
た。それだからこそ、生存者がいたと分かった時の驚きは大きかった。川上慶子さんが救
助のヘリコプターに吊り上げられる場面は、今でも鮮明に蘇って来る。
事故原因については、それほど遅くない時期に圧力隔壁が壊れたことよるものというニュ
ースは伝わってきたように思う。ただその圧力隔壁が壊れた原因が修理ミスであったとい
うことについては、それほど印象には残っていない。ただ、同機は大阪空港でしりもち事
故を起こして圧力隔壁の修理が行われていたということは、どういうわけか記憶に残って
いる。
この本によれば、大阪空港でしりもち事故を起こしたジャンボ機は、その際に損傷した圧
力隔壁を修理したのだが、その修理は圧力隔壁の全取り替えではなく、上半分はそのまま
残し、損傷した半分だけを新しいものに取り替えている。その時の上半分と下半分と
接合する際の修理ミスが事故の根本的原因となっている。
しかし、私が不思議に思ったのは、どうして圧力隔壁を全取り替えしなかったのかという
ことだ。確かに、経済性を考えれば、損傷した下半分だけを取り替えるというのは合理的
ではある。でも、安全性という観点から考えれば、全取り替えすべきだったのではないか
と思えるのだ。全取り替えた場合と下半分だけを取り替えた場合、いったいどれだけの修
理費用に差があったというのだろうか。全取り替えしたら、このような事故は起こらなか
ったのではないか。このことに言及されていないのが、私には不思議でならない。
修理は米国ボーイングの修理チームが来日して羽田空港の日航の格納庫で行われたようだ
が、設備や要員が十分でない出先での複雑な構造をした圧力隔壁の下半分だけを取り替え
継ぎ合わせるという修理は、どうしてもミスが起こる確率が高くなると想像できる。
修理ミスの内容も、経験の浅い、まるで素人のようなミスである。さらには、そのような
修理が行われたあとの確認も行われなかったと思われる。確かに、人間は誰しもミスを犯
すが、それに対処するためのダブルチェックが必ず行われるのが航空界では常識だと思う
のだが、それに対する言及もない。これで果して「人間誰しもミスを犯すものだ」という
一言で片付けていいものだろうか。
当時、ジャンボ機は万が一故障や損傷、異常事態が起きても大規模な破壊や事故には発展
しないフェールセーフ性が高く、もっとも安全な飛行機だと言われていたようだ。しかし、
日航123便の事故によって、その安全神話は脆くも崩れ去った。
この日航機事故の26年後、福島第一原発事故によって、原発の安全神話も同様に脆くも
崩れ去った。どんなに安全性を高めても、「絶対に安全」だということないのだというこ
とを、思い知らされた気がした。
絶対の安全がないとすれば、残された道は、万が一事故が起きた場合、生き残った命を救
うために速やかに救助ができる体制を整えるしかない。しかし、現在もしあの日航123
便と同じような墜落事故が起きたとして、果して今度は迅速な救助を行うことができる体
制ができているのだろうか。あの時の教訓を生かして、同じ失敗を繰り返すことのないよ
うな体制づくりをしてほしいものである。

プロローグ
・「書いてもらっては困るが、日航ジャンボ機墜落事故の原因が修理ミスだとニューヨー
 ク・タイムズ紙にリークしたのは私だよ」2014年11月のことだ。突然の告白だっ
 た。
・「なぜあのタイミングでニューヨーク・タイムズに記事が出たのだろう」ずっと心に引
 っ掛かっていた疑問を、何気なくぶつけてみた。思わぬ”自供”に、私はのけぞりそう
 になった。
・男は、米国で航空事故調査を担当する政府機関、米運輸安全委員会(NTSB)の元幹
 部ロン・ジュリーッドで、1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故では現場の「尾
 巣鷹の尾根」に入り、米調査チームの指揮を執った。知識と経験で圧倒する米側の調査
 が日本側に与えた影響の大きさは計り知れない。
・お盆休みに入る1985年8月12日、羽田から大阪に向かった日本航空123便のボ
 ーイング747(ジャンボ機)が群馬県多野郡上野村の山中に墜落した。奇跡的に助か
 った女性4人を除く乗客乗員520人が亡くなった。単独機の事故による犠牲者数とし
 ては30年以上たった今も史上最も多い。
・運輸省航空事故調査委員会(事故調)は墜落から1年10カ月後、客室を与圧する後部
 圧力隔壁の破壊が原因だと結論づけた。この航空機が事故の7年前、大阪空港でしりも
 ち事故を起こしていたが、メーカーのボーイングが客室と尾翼部分を隔てる圧力隔壁を
 交換する修理でミスをした。最終報告書は、修理ミスのため隔壁の強度が弱まり、突然
 の破壊を招いたと説明した。  
・垂直尾翼が最初に吹き飛んでおり、機体後部に問題があることは当初から知られていた。
 7年前の修理で交換した圧力隔壁は特に疑われていたが、壊れた理由は判然としなかっ
 た。
・ジャンボ機の信頼性が高く、「爆弾でも仕掛けない限り落ちない。自衛隊や米軍のミサ
 イルが当たったのではないか」といった憶測まで広がっていた。
・事故から約4週間後、圧力隔壁の壊れた理由が唐突な形でわかる。米国を代表する新聞
 ニューヨーク・タイムズが、ボーイングによる修理ミスの事実を初めて報じたからだ。
 報道を待っていたかのように、それまで自らの瑕疵を一切認めてこなかったボーイング
 も修理ミスを一転認めた。 
・事故当時、世界には六百機のジャンボ機が飛んでいた。修理ミスなら墜落した日航機だ
 けの問題が、設計上の構造的な問題となれば六百機すべてに影響する。現存の飛行機に
 限らない。ボーイングとしてはこれからも世界中に末永くジャンボ機を売り続け、開発
 資金の回収と莫大な利益を狙っているのだ。米政府が米紙にリークして修理ミスを既成
 事実化し、米国を代表する大企業を救ったのではないか。多くの人がそうみた。
・圧力隔壁は直径約4.6メートルのおわん形をしている。しりもち事故の修理は壊れた
 下半分を新品に取り替え、旧来の上半分と接合する内容だった。”のりしろ”が足りな
 い部分があり、接ぎ板をはめ込んだのだが、修理工はなぜか接ぎ板を真っ二つに切断し
 てはめ込んだ。切ってしまっては、接ぎ板の役をなさない。
・なぜ切ったのか。ずっと謎とされてきた。担当した修理工はすでに故人とみられるので、
 永遠の謎になったともいえる。だが、恐らくは本人の勘違いというのが真相だろう。
・圧力隔壁には同心円状と放射状にそれぞれ何本も補強材が入っている上、技術員は取り
 替える下半分の一部を切断してから接ぎ板をはめ込むよう指示していた。どうしても上
 下を接合する際に細かな隙間ができる。圧力隔壁は密閉性が肝要である。修理工は上司
 が指示した「接ぎ板」の意味を十分に理解せず、隙間をふさぐ「埋め込み板」と勘違い
 した可能性が大きい。
・航空事故は死亡率が高く、事故原因の特定は難しい。発表された事故原因を素直に受け
 入れられないケースもしばしば起こる。日航機事故もその一つだろう。いまだに謀略論
 や陰謀論が消えない。
・前橋地検は最終的に、群馬県警が業務上過失致死死傷容疑で書類送検したボーイング、
 運輸省、日航関係者計20人全員を不起訴にした。うち19人は「嫌疑不十分」で、残
 る1人は自殺した。
・地検トップの発言がさらなる混乱を招いた。検事正の山口悠介は1990年にあった遺
 族への説明会で「誰一人この事件は起訴できないと言ったが、私はいろいろな角度から
 調査した。その結果わかったことは、修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしいとい
 うことだ」と答えているのである。さらに、「ボーイング社は修理ミスを認めたがこの
 ほうが簡単だからだ。落ちた飛行機だけの原因ならいいが、他の飛行機までにおよぶ他
 の原因となると、全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、打撃を受
 けるからだ。そこでいち早く修理ミスということにした」とまで言いきった。
・複数の旅客機が絡んだ事故まで含めて考えれば、大西洋のカナリア諸島テネリフェ島で
 1977年、KLMオランダ航空のジャンボ機とパンアメリカン航空のジャンボ機が激
 突し583人が死亡した事故が、航空史上で最も犠牲者が多い。2機での合計数である
 から、単独機で520人という日航機事故の死者数がいかに甚大かがわかる。
・日航機事故は日本人の心に深く刻まれた歴史的な悲劇だが、米国での関心は驚くほど低
 い。日本人の乗客がいない限り、われわれが外国の航空事故に強い興味を引かれないこ
 とと同じだ。  

御巣鷹という磁場
・操縦機能を失った日航機は背面飛行に近い状態で「御巣鷹山」の山腹に激突した。一帯
 は国有林で、群馬、長野、埼玉各県境にまたがる三国山の北北西2.5キロに位置する。
 標高は1565メートルある。
・右手奥に慰霊碑「昇魂之碑」が見える。碑に向かって手前が小さな広場になっていて、
 かつては遺体搬送などに使う仮設ヘリポートとして使われた。
・昇魂之碑の脇には青銅色の「安全の鐘」が、人間の身長ぐらいのグレーの枠組みにつり
 下げられている。枠には「空の安全を祈って」とある。
・当時の毎日新聞によると、乗員を除いた乗客509人全員の家族構成を調べた結果、全
 401世帯のうち、事故によって一家の大黒柱を失って母子家庭になった家庭が最も多
 く、189世帯に上っていた。
・御巣鷹に行くにはまず上野村の役場を目指す。車なら新幹線の駅がある群馬県高崎市か
 らネギやこんにゃくで有名な下仁田を過ぎ、1時間半ほどで到る。墜落現場は役場から
 さらに約25キロの山中にある。曲がりくねった細い参道を40分以上車で上がると、
 登山口に着く。
・そこから約1時間、今度は歩いて御巣鷹の尾根を目指す。墜落現場の尾根にある昇魂之
 碑から山の上に向かって細い道が幾筋も延びている。筋の両脇に墓標が所狭しと並んで
 いた。墓標をひとつひとつ見ていくと、さまざまな年齢や立場の人が命を突然断ち切ら
 れたことがわかる。43歳で亡くなった歌手の坂本九の墓標もあった。  
・尾根に立ち、登山道の途中にあった高さ1メートルの小さな碑のことを思い返していた。
 黒い石碑に白い文字が刻まれ、英文と和文で同じ内容が並記されている。事故当時、米
 国の事故調にあたる米運輸安全委員会(NTSB)のトップを務めていたジム・バーネ
 ットが空の安全を願ったメッセージである。担任後訪れた。
・「私の願いは、亡くなられた方々への想いが、こんなことを二度と起こさせまいとする
 私達の努力に力を与えてくださることです」そう彫られていた。
・石碑は2011年に90歳で亡くなった遺族の川北宇夫が主導して建てた。バーネット
 を御巣鷹まで連れてきたのも川北である。22歳の長女京子を事故で亡くし、航空事故
 の再発防止や生存率向上に半生を傾けたが、事故調や運輸省、日航の取り組みに不満を
 抱いていた。
・御巣鷹の追悼式典の参加者の中には兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故の遺族や、東
 日本大震災の津波で宮城県石巻市大川小に通う児童を失った父親の姿もある。福知山線
 の脱線事故は日航機墜落から20年後、東日本大震災の津波は26年後に起きた。
・日航機事故をめぐり30年で変わったことはいくつもある。まず日航が経営破綻した。
 いわゆる国策会社として1951年に設立された日本航空は、半官半民で経営責任が所
 在が不明確という企業体質に加え、営業や管理、労務といった各セクションと複数の労
 組による対立と内紛が繰り返されてきた。それでいて航空会社が持つ華やかなイメージ
 やナショナルフラッグキャリアとしての格から大学生の就職企業人気ランキングは常に
 上位を保ってきた。  
・乗っ取られた旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだ2001の米
 中枢同時テロで航空不況が起き、日航は日本エアシステムとの経営統合に進んだ。しか
 し、企業文化の違いは2005年に相次いだ運輸トラブルの一因となり、客離れから業
 績が急速に悪化した。燃料費の高騰も追い打ちをかけた。
・モノレールで国際線ターミナル駅からひとつ先に行った新整備場駅に、日航の安全啓発
 センターがある。2006年にオープンした。二度と墜落事故を起こしてはならないと
 いう思いの下、御巣鷹で回収した圧力隔壁や垂直尾翼などを展示している。
・日航はもともと隔壁など一部を除き残骸を廃棄する考えを示し、遺族側が反発していた。
 相次運航トラブルを受け、日航が立ち上げた第三者機関の「安全アドバイザリーグルー
 プ」の提言の結果、残骸の保管と啓発センターの設置が決まった。アドバイザリーグル
 ープの座長は御巣鷹にいたノンフィクション作家の柳田邦男である。
・日航は2010年に会社更生法の適用を申請した。
・安全啓発センターは日航の社員向けだが、申し込めば誰でも見学できる。研修などに使
 う会社も多いようで、私が行った2017年の夏もずいぶん先まで定員が埋まっていた。
・アルミ合金の圧力隔壁はずたずたの穴だらけで、破壊のすさまじさがよくわかる。同じ
 素材を使って、適切な修理と実際に行われた誤った修理とを比較した模型もある。アル
 ミ合金の厚さは1ミリもない。実際に見てみると、正誤はほんのちょっとした違いであ
 る。こんな細かいミスが、520人もの命を奪う大事故につながったのかと戦慄を覚え
 た。米国でよく使われる「悪魔は細部に宿る」という言葉を思い起させる。
・血が付きねじ曲がった座席もあれば、客室乗務員の対馬祐三子が残した赤い手帳もある。
 乗客へのアナウンス用に「おちついて下さい」と自ら書き留めた文字からは、絶望的な
 状況でも自分の仕事を再議までやり遂げようという生真面目さとプロ意識を感じた。乗
 客の遺書もある。墜落の30分前までは想像もしなかった事態の暗転と死に突然直面さ
 せられた恐怖を想像し、胸が締め付けられた。
・123便は1985年8月12日午後6時4分、羽田空港の18番スポットから定刻4
 分遅れで地上滑走を始め、6時12分に離陸した。
・離陸から12分後の午後6時24分、伊豆半島東方の相模湾上空で、「ドーン」という
 音がして方向舵を含む垂直尾翼が落下した。
・基調は異変が起きた直後、羽田に戻る意思を管制に伝え、迷走したルート上では、羽田
 より近くに位置する米軍横田基地からも横田飛行場への緊急着陸の受け入れを前提に
 123便への呼びかけが何度もあった。それに答えることなく、墜落した。
・なぜ落ちたのか。飛行機の安定性に欠かせない垂直尾翼が吹き飛び、操縦に不可欠な油
 圧系統が全損していたからだ。4基あるエンジンの出力を操作するぐらいしか、やれる
 ことはなかった。   
・墜落の7年前にあたる1978年6月、このジャンボ機は大阪空港に着陸する際、機体
 の後部の下部を滑走路に接触させるしりもち事故を起こした。中破し乗客ら25人が重
 軽傷を負った。機体は応急処置を施され、2週間後、本格的な修理のため羽田にある日
 航格納庫まで空輸された。
・ボーイングの修理チーム44人が、本社や工場が集中する米西部シアトルから続々と来
 日した。
・空気の薄い高い上空を飛ぶ旅客機はジェットエンジンで加圧した空気を使って客室を与
 圧し、地上の近い環境を保っている。与圧は高低二段階あったが、日航は快適性を重視
 し高いほうに合わせていた。
・与圧を高めれば、機体にかかる負担は大きくなる。圧力隔壁は与圧している客室後部と
 与圧していない尾翼部分の間にある。直径456ミリのおわん形で、厚さは1ミリもな
 い。内側から外側に向けて非常に強い圧力がかかっている。
・しりもち事故で、後部圧力隔壁の下半分が大きく壊れた。まるごと替えるのが一番いい
 が、上半分はまだ使えた。下半分だけを新品にして、古い上半分と接合することにした
 が、上下をリベット接合する際、”のりしろ”部分が一部足りない箇所があった。
・不足した理由はよくわからないが、事故調の報告書は交換する下半分がそもそも寸法不
 足だった可能性や、しりもち事故の際に機体が微妙に変形していた可能性などを挙げて
 いる。   
・ボーイングの修理チームで修理内容を具体的に指示する技術員は、接ぎ板を挟み込んで
 隔壁の上半分と接ぎ板、上半分と接ぎ板と下半分、接ぎ板と下半分をそれぞれ計三列に
 わたってリベットを接合するよう修理工に求めた。指示の内容どおりであれば強度は十
 分保たれるはずだった。
・ところが修理工は指示に反し、竹でも割くように横長の接ぎ板を横に二分割した。表面
 上は三列リベットになっているが、真中の一列は空打ちになる。修理後は別の素材で埋
 めてしまうため、別の人が点検しても外からはよくわからない。
・事故調は、空打ちによって「強度が70%まで低下していた」と分析している。金属疲
 労に伴う亀裂は強度の弱い空打ち部分から徐々に拡大した。修理ミスがあった横に約1
 メートルの部分は7年後に突然破断して、客室から与圧空気が噴出。内圧が急激に高ま
 った垂直尾翼は持ちこたえられずに吹き飛んだ。四系統あった油圧配管も全損して操縦
 不能に陥り、墜落に至った。というのが事故調の見解である。
・大事故は思わぬ出来事やトラブル、見込み違い、ミスが連鎖して末に起こるとされてい
 るが、日航ジャンボ機墜落事故ほどよく当てはまるケースもない。しりもち事故、のり
 しろ不足、修理ミスのいずれかが起きてさえいなければ、墜落には結び付かなかった。
・それだけではない。墜落の三年前、198年8月19日にも千歳空港での着陸復行(ゴ
 ーアラウンド)の際、主翼につり下がった計4基のエンジンのうち、一番右側の第四エ
 ンジンを滑走路に接触させてもいた。
・事故調の結論には発表直後から多くの異論が示されてきた。大きく分けて次の三点に集
 約できる。    
 ・一つ目:客室の急減圧など起きてもおらず、垂直尾翼は圧力隔壁の破壊とは別の理由
      で吹き飛んだという別原因は解説
 ・二つ目:当時世界中で六百機が飛んでいたボーイングのジャンボ機全体に構造的問題
      が潜んでいたのに、修理ミスを故意にクローズアップさせて原因を事故機だ
      けに矮小化したという米国謀略論
 ・三つ目:技術的な問題で墜落したのではなく米軍や自衛隊のミサイルや標的機が垂直
      尾翼に当たり、いわば撃墜されたという主張
・撃墜説には、自衛隊による墜落場所の情報混乱という事実が後押しした。航空自衛隊は
 事故の後、現場上空に戦闘機やヘリコプターを何度も出しながら特定に手間取った。新
 聞社のヘリコプターですら現場上空にいたのに、装備も要員も充実しているはずの航空
 自衛隊が事故から何時間たっても正確な場所を示せない自体に関係者は首を傾けた。
・事故の14年前、岩手県雫石町上空で全日空機と航空自衛隊機が衝突した事故の存在も
 微妙な暗い影を落とした。
・日航機事故では生存者の証言からみて、救出された4人以外にも事故直後、複数の生存
 者がいたことが確実視されている。
・生存者の一人、落合由美は証言した。「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣い
 が聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてき
 ました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました」
・航空自衛隊や警察による墜落場所の特定は、事故から十時間近く経過した翌朝にずれ込
 んだ。救助が早ければ、生存者は4人よりも増えてた可能性がある。
・墜落した日航機は異常が起きてから約30分間迷走した後、御巣鷹の尾根に墜落した。
 順調に飛行を続けた機体が突然、異変が起きたのは離陸から12分後にあたる。後に御
 巣鷹で回収されたボイスレコーダーに「ドーン」という異常音が残っている。事故調は
 この時点で圧力隔壁が壊れ、垂直尾翼が吹き飛んだと判断した。ちょうど、伊豆半島東
 方沖の相模湾上空を飛行中で、垂直尾翼などが落下した。
・海に沈んだ部品は多く回収できなかった。垂直尾翼の大半や方向舵、エンジンの起動な
 どに使う補助動力装置(APU)が含まれる。APUは旅客機の最後部にある。
・場所の特定遅れについては、「GPSがない事故当時、夜間に航空機で墜落場所を特定
 するには、墜落場所の上空を通過するときの無線広報援助施設(TACAN等)からの
 方位と距離を読み取ることで行っていました。方位は5度、距離は1マイル程度の精度
 でしか読み取れませんと、事故調報告書は説明した。
・事故報告書は撃墜説にも触れ、「ミサイル又は自衛隊の標的機が追突したという説もあ
 りますが、根拠になった尾翼の残骸附近の赤い物体は、主翼の一部であることが確認さ
 れており、機体残骸に火薬や爆発物等の成分は検出されず、ミサイルを疑う根拠は何も
 ありません」と完全に否定している。   
・事故機を製造したのも、ミスを犯したのも米国人であり、ボーイングやロッキード・マ
 ーチンといった世界を代表する巨大な航空機メーカーを抱える。事故調査の経験は日本
 を圧倒する。その米国では日航機の事故原因に疑問を差し挟む意見は全くない。この違
 いはどこから来るのか。 

米紙にもたらされたリーク
・国際民間航空条約の決まりに基づき、事故原因の調査主体は発生地である日本の運輸省
 航空事故調査委員会(事故調)が受け持つが、飛行機を製造した国として調査に加わる
 権利がある米国もNTSB、米連邦航空局、ボーイングの三者でつくる調査チームを派
 遣した。最終的に計14人になる。
・彼らは日本側が想定した以上の役割を果たす。知識と経験の量で圧倒していた。日本の
 事故調は事故原因の絞り込みにおいて米国に誘導されたとみられるのを嫌がったが、結
 果的には、米国が敷いたレールの上を進んでいく形になる。
・事故調はボーイングが後部圧力隔壁の修理でミスを犯し、その結果積み重なった金属疲
 労があの日に破裂、客室で急減圧が発生し、噴出した空気が垂直尾翼を吹き飛ばしたと
 結論づけた。  
・圧力隔壁には事故直後から疑いの目が向けられてきた。内側から空気が噴出したように
 壊れていたし、そのすぐ上にある垂直尾翼が破壊されていた。隔壁の下を通る操縦系統
 の油圧管は全損した。何より7年前にしりもち事故を起こしていたことが判明し、隔壁
 を含む機体尾部を大規模に修理していたこともわかった。
・事故調査とは事故原因を調べる仕事だが、その目的は再発防止にある。航空業界は数え
 きれない尊い命の犠牲の上に発展してきた面がある。事故が起きるたびに原因を突き止
 め、同じような悲劇が二度と起きないよう対策が取られてきた。原因特定は一刻を争う。
・事故調査の仕事はオレンジ色のブラックボックスを見つけ、フライトレコーダーとボイ
 スレコーダー、機体の残骸をこつこつと分析するだけにとどまらない。海外に出れば相
 手側の政府や事故調査当局とも調整しながら、仕事を進めていかねばならない。
・日航機事故は恐らくテロで、念のため誰かを出しておけばいい。そんな判断でNTSB
 の調査官は送り込まれていた。事故であればNTSB、テロなど犯罪行為による事件で
 あれば連邦捜査局(FBI)が担当するという明確な線引きがある。事件とわかれば、
 NTSBはすぐに身を引くことになっている。
・ジャンボ機は当時「最も安全な飛行機」と呼ばれ、「安全神話」のようなものがあった。
 「魔のイレブン・ミニッツ」と呼ばれ、離陸して3分間あるいは着陸までの8分間の合
 わせて11分間が最も危ない。ジャンボ機の場合この時間帯は別にして、安定した巡航
 状態に移ってから設計上や技術的な理由で墜落した例も少なかった・
・日航機事故の2カ月前、カナダのモントリオール・ミラベル国際空港からロンドンのヒ
 ースロー国際空港に向かっていたエア・インディアのジャンボ機が、北大西洋上で爆
 発した。手荷物に爆弾が紛れ込んでいた。乗客乗員329人全員が死亡した。シーク教
 徒によるテロと断定された。     
・爆発とほぼ同時刻に1万キロ離れた成田空港でも爆発が起きた。カナダのバンクーバー
 から到着した旅客機の手荷物を、バンコクに向かうエア・インディア機に積み替える作
 業中だった。手荷物に爆弾が仕掛けられていた。
・カナダの司法当局は全く無関係に見えた二つの爆発がエア・インディア機を狙った連続
 テロと判断した。カナダ国籍を持つシーク教徒ら3人を起訴したが、2人が証拠不十分
 で無罪になるなど今なお不明な面もある。
・事故機になった日航123便は1985年8月12日の午後6時12分、当時の羽田空
 港C滑走路から南南東の方角に向けて離陸した。客室はほぼ満席で、お盆の時期だけに
 帰省客も多い。東京と大阪を結ぶ月曜夕方の下り便はビジネス客が目立った。  
・当時49歳だった機長の高浜雅己は通常左側の機長席に座るが、この日は機長昇格訓練
 のため39歳の副操縦士佐々木祐が左側に座った。高浜が右側を占め、46歳の航空機
 関士、福田博が二人の後ろにいた。
・何ごとも順調だった123便に離陸してから12分後の午後6時24分、伊豆半島南部
 の東岸沖上空で突然、異変が起きた。ボイスレコーダーに「ドーン」という大きな音が
 残っている。 
・ただちに高浜は、緊急時に発信するスコーク77を宣言した。管制には高度の降下と羽
 田に引き返したい旨を連絡した。
・操縦席の3人は最後まで認識していなかったが、最初の「ドーン」という異音の際、垂
 直尾翼が吹き飛んでいた。垂直尾翼をもがれて飛ぶ123便を地上から撮影した写真が
 残る。
・圧力隔壁付近の機体後部には昇降舵や方向舵を動かす油圧のパイプがバックアップ用を
 含め4本走っているが、全損した。こうなると巨大な金属のかたまりが意思もなく飛ん
 でいるという状況で、パイロットらは手の打ちようがない。
・最初の異変から墜落まで約30分間。機体は横方向に揺れるダッチロールや機首が上下
 するフゴイド運動を繰り返した。 
・垂直尾翼と油圧を失った機体を操るすべは4基あるエンジンの推力を調整するぐらいし
 かない。   
・非番の日航客室乗務員としてたまたま乗り合わせ、奇跡の生還を果たした落合由美は墜
 落直前の状況について「まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つく
 らいの感じです」と証言している。
・NTSBの調査チームは墜落現場に調査に入った。「爆発した痕跡はないか。異常な負
 荷がかかった場所はないか。順番に見ていった。爆弾のようなものなら、もっと粉々に
 なっているはずだし、高エネルギーの破片による貫通痕がどこかに出る。そういうもの
 が一切ない。爆弾説は即座に排除した。すると、不自然に一直線に破れている箇所があ
 る。ほかとの違いは歴然としていた」という。
・一直線に破れている箇所というのが、ボーイングの修理ミスがあったと後に判断した場
 所にあたる。おわん形の隔壁を時計に見立てれば、針の中心部分から九時を指す方向に
 かけて直線状に破断していた。
・「爆弾の痕跡はなかったが、爆発という点では最後部にあたる補助動力装置(APU)
 も考えないといけない。過去にAPUが爆発したり、引火したりしたケースはなかった
 とはいえ、この事故はAPUが原因だったかもしれない。日航機事故の場合、APUは
 海に落ちて回収できなかったのだが、現場にあった尾部の状況からみてAPUが爆発や
 火災を起こした証拠も見つからなかった」という。ビーイングのメンバーらは圧力隔壁
 に生じた不自然な一直線の破断面を熱心に調べてた。
・修理に深く関与したメンバーが来日したボーイングの一員にいた。ジャンボ機の機体構
 造に詳しい人物だった。修理ミスの事実が会議室で公表された際、彼は全員の前で嗚咽
 し始めた。赤ん坊のように泣いていた。仲間が犯したミスの重大性を認識し、いたたま
 れなくなったのだろう。 
・圧力隔壁は三角形をしたアルミ板を組み合わせてできており、1〜2枚が破れても通常
 は危険性がない。客室からの空気の噴出があっても普通なら機体後部の排出弁から抜け
 るようになっているが、複数の専門家は排出弁だけでは用を足さなかったのだろうとみ
 ている。噴出した空気は上方に向かい、垂直尾翼を壊して噴き出すこともあり得る。
・事故原因が修理ミスであることをニューヨーク・タイムズにリークした事実が2015
 年に報じられた時、共同通信に談話を寄せた。「日本の事故調の事故原因に関する情報
 公開が遅れたことが、遺族たちの不安を大きくした。事故調は早い段階で事故機の修理
 ミスを把握していたはずで、日本側の公表の遅れには中央官庁や群馬県警が互いの組織
 に配慮した、ある種の官僚主義を感じる。米国側については、一つの事故がボーイング
 全体にダメージを与えるとして米政府が一企業に配慮した背景を考えると、事故原因を
 早く公表することで国益を業界、企業の利益を守るという米政府の考え方がよく表れて
 いる」オープンな米国と閉鎖的な日本という側面が浮き彫りになった。
・エア・フロリダ90便の事故は、1982年1月に起きた。雪の降る寒い午後だった。
 ワシントン首都圏には二つの空港がある。中心部のナショナル空港はホワイトハウスに
 近く、脇をポトマック川が流れている。フロリダ州のフォートローダーデール空港に向
 かって離陸直後、ポトマックに架かる橋に機体を引っ掛け、氷がぶかぶか浮かぶ川に墜
 落した。乗客乗員79人のうち74人が死亡し、橋を走っていた車も巻き込み、飛行機
 とは別に4人が亡くなった。
・この事故は、救助の様子をテレビ局が中継し、多くの米国人の記憶に残っている。救助
 を待つ男性の生存者が消防から投げ込まれた命綱を、面識のない女性生存者に譲ったこ
 とでも有名になった。女性は助かったが、男性は川に沈み、亡くなった。
・機長は冬場の操縦経験が乏しかった。加えて、若手の副操縦士の言葉に耳を貸さない横
 暴ぶりもボイスレコーダーから浮き彫りになり、空の安全という観点で多くの教訓を残
 した。 

ボーイング社長の苦衷
・日本の検察と警察は業務上過失致死傷の容疑で、修理ミスを犯したボーイングの修理工
 らの立件を目指した。だが、立件に向けた第一歩にすぎない事情聴取ですらボーイング
 は認めない。ボーイングの強い態度の背中越しに米政府の後ろ盾が見える。米国では航
 空事故が起きた時、故意や重大な過失がなければ罪を問わない。日本側が仮に容疑者を
 特定し米側にこぶしを振り上げたところで、米国が容疑者を引き渡すとは考えられなか
 った。
・群馬県警は1988年12月1日、ボーイング4人、日航12人、運輸省4人の計20
 人を業務上過失致死傷容疑で書類送検した。日航、運輸省は全員容疑者名を特定したが、
 ボーイングだけは「氏名不詳の技術要員」「氏名不詳の作業要員」と匿名にしつつ、修
 理チーム44人のうち圧力隔壁の修理に直接関与したとみられる4人を被疑者不詳で書
 類送検した。
・垂直尾翼は前方側と前縁部、トルクボックス、方向舵の三つの部分からなる。前縁部と
 方向舵のそれぞれ一部が回収された。事故翌日の8月13日夕、相模湾を試運転中だっ
 た海上自衛隊の護衛艦まつゆきが見つけ、回収した。まつゆきが相模湾にいたことをも
 って、海自のミサイル誤射説などと結び付ける強引な主張もある。
・ボーイングのメンバーは引き揚げられた垂直尾翼を見て、何かが外から当たったもので
 はないと確信した。垂直尾翼は最初に吹き飛んでおり、事故原因のカギを握る。内側か
 ら空気の圧力が加わったことを示す膨らみや、油圧管から飛び散ったとみられる黒い作
 動液が幾筋か見つかった。
・ミサイルのような外部要因ではなく、かといって爆弾のように内部から破片が飛び散る
 形状ではない。客室内部から何らかの理由で空気が噴出したことを強く示していた。
 内圧がかかって外側に向けてめくれ上がるような形で壊れていた。それまであまり例の
 ない壊れ方に米調査チームの顔色が変わったという。
・しりもち事故は1978年6月2日、大阪空港で起きた。羽田から乗客乗員394人が
 乗っていた。死者こそ出なかったが、滑走路で機体後部を数十メートル引きずり20人
 以上が負傷した。   
・損傷はあったが仮修理すれば自力で飛べたため、日航はいったん羽田に戻す。ボーイン
 グの修理チーム44人が日本を訪れ、修理にあたった。日航にとっては書き入れ時の夏
 休みを控え、なるべく早く修理が終わることが望ましかった。
・修理メンバーは通常、工場勤務しており、いざとなるとチームを組んで現場に出かける
 のだという。機体を調べ、価格を見積もり、認められれば部品をシアトルから取り寄せ
 る。修理が始まれば12時間シフトで24時間勤務。顧客の航空会社に対するサービス
 の一環で適切かつ速いと評判だが、それだけに非情の高価なことでも知られる。
・修理内容はこうだ。ボーイングの修理チームは羽田で機体を調べた。圧力隔壁を交換す
 ることが必要だとわかった。しりもち事故の衝撃で一部にしわが寄っていた下半分だけ
 をそっくり交換し、上半分はそのまま再利用することにした。新たな下半分と従来の上
 半分をリベットで接合する予定だった。リベットは重なり合わせる部分に打つが、リベ
 ット穴から端までの間隔が狭いのに無理やりリベットを打つと、亀裂の原因になる。シ
 アトルから新品のした半分が送られてきたが、なぜか一部だけ寸法が足らない。それが、
 約1メートル分にも及ぶ。他の部分はのりしろ部分をリベット打ちで重ね合わせればい
 いが、この部分だけは仕方なく細長い別の板を挟み込んで寸法の不足を補い、上下を切
 望することにした。指示書を見ると、「上半分と接ぎ板」「上半分と接ぎ板と下半分」
 「接ぎ板と下半分」をそれぞれリベット接合するように指示していた。計三列になる。
・細長い接ぎ板は捨てる予定だった下半分の一部を切り取って転用した。これも指示書ど
 おりだ。難しい修理ではない。「選りすぐりのチーム」と誇るボーイングであればごく
 初歩的な修理だったはずだ。しかし、修理工は細長い接合用の接ぎ板を「裂けるチーズ」
 のように横長の二枚に分割してしまう。   
・日航機事故の10年前にあたる1975年12月、日航の別のジャンボ機が米アラスカ
 州のアンカレジ国際空港で冬期、雪の誘導路脇ののり面を滑り落ちるという事故を起こ
 した。機体は大きく損傷した。降雪状況を適切に予測できなかった空港当局側にも問題
 はあるが、行き先の羽田空港で決められていた夜間の離着陸禁止時間にかからないよう
 機長は離陸を急いでいた。この時もボーイングの修理チームが修理にあたったが、日航
 がその後検査すると、不具合が数多く見つかっている。
・日航機事故から17年後の2002年、台北から香港に向かっていた中華航空611便
 のジャンボ機が台湾海峡で空中爆発し、乗客乗員225人全員が死亡もしくは行方不明
 になった。台湾の事故調査当局によれば、この機体は日航機事故の5年前、香港でしり
 もち事故を起こしていた。その際、中華航空の整備員がボーイングのマニュアルを守ら
 ずに修理したことに伴う金属疲労が原因で、空中爆発を引き起こしたとみられている。
・なぜ修理ミスをしたのだろうか。「修理工は接ぎ板ではなく、隙間を埋めるような埋め
 込み板だと考えた。上半分と下半分をつなぎ合わせる時、うまくはまらない。二つに切
 って一つはここ、もう一つはここに入れようとしたと思う」合点がいく説明に思えた。
・圧力隔壁は1ミリの厚さもないが、補強材が入っているため、接合しようとするとどう
 しても隙間ができる。素人からみれば、隙間と呼べるほどのものではない。ただ客室の
 与圧に使う圧力隔壁は密閉性が求められ、プロならわずかな隙間であってもなるべくふ
 さぎたいと思うのが自然な発想なのだろう。だが、修理で指示されたのは接ぎ板を勝手
 に切断して隙間をふさぐことではなく、強度を保つために接ぎ板を挟み込むことだった
 のである。指示を取り違えた修理工の勘違い・・・。私にはこれこそが修理ミスの真相
 と思われた。 
・ボーイングは修理工がなぜミスを犯したのか、その理由を今も明らかにしていない。こ
 の先もしないはずだ。日本の捜査当局が要請した事情聴取も最後まで拒み続けた。
・修理工は理工系の専門知識がある技術員ではない。修理工は金属にかかる負荷といった
 ものを十分理解していなかった。彼は埋めるための材料と考えた。
・日本側で日航機の圧力隔壁に一番詳しい斎藤孝一は、「わざわざ二枚に切ったというこ
 とは手間をかけたということだ。つまり、怠けようとした結果ではない。指示書どおり
 に作業をすると隙間ができる。その個所を埋めるようにしてフィラができていることか
 らみて、隙間を埋めようとしたのではないかというのが私の推論だ」と述べた。
・事故調は接ぎ板を「スプライスプレート」と「フィラ」という言葉で表現した。本来は
 「スプライスプレート」という一枚の接ぎ板だったのに、切断してしまったため一方を
 「フィラ」と呼んだ。埋め込み材といったような意味合いだ。隙間にはこのフィラがは
 め込まれた。  
・フィラの角はわざわざ面取りしている。鋭角だと亀裂が生じやすいため、金属の整備作
 業ではよくあることだという。フィラを埋める隙間の部分も角が丸くなっており、斎藤
 は「隙間の部分にフィラをはめた」とみる。圧力隔壁は密閉性が重要になる。職人であ
 れば、それをふざぎたいと思うのだろう。
・今回新たに入手した連邦航空局の内部資料では、連邦航空局が事故直後の8月下旬から
 9月にかけて、ボーイング関係者と再発防止に向け綿密な協議をしていたことが明確に
 示されている。資料は、具体的な修理ミスにこそ触れていない。しかし、「修理図面」
 が不適切な内容だったと指摘し、米国で登録される航空機に求められるような基準も様
 式も満たしていなかったと指摘している。    
・「後部圧力隔壁の設計」についても「(隔壁を機体後方から見て)九時の場所に位置す
 る接ぎ板を事故現場で調べた結果、不適切な形で一列リベットになっていたことは疑い
 はないと結論づけ、「圧力隔壁の基本設計自体は悪くないが、さらなる検討が必要」と
 改善を求めた。
・日本では今でも、圧力隔壁の破壊と客室の急減圧という事故調の見解に疑問を投げかけ
 る主張がある。確かに急減圧の際、搭乗者に起こるとされる身体的な著しい異常は生存
 者の供述などから明確ではない。だが急減圧がなければ、なぜ垂直尾翼は吹き飛んだん
 か。それに対するすっきりした答えはない。フラッターと呼ばれる現象に原因を求める
 主張もあるが、連邦航空局の内部資料はフラッター説を明確に否定している。
・フラッターとは方向舵が異常にばたついて、外れたり、垂直尾翼全体の損壊を招いたり
 する事態を指す。垂直尾翼は機首側から見て前縁部、トルクボックス、方向舵の三つか
 らできている。方向舵は上下二枚あり、事故機の方向舵の舵面にはこすれたような跡も
 残っていた。方向舵の大半は見つからずに、回収されていない。
・フラッターであれば垂直尾翼から激しい振動があるはずなのに全く報告されていないこ
 と、フラッターは非情な高速域から非情な低速域で起きるのが一般的なのに、事故機は
 標準的な速度で飛行していた点を傍証に挙げた。
・御巣鷹とは別の場所で亡くなった日航機事故の犠牲者の話になった。運輸省の元検査官、
 田島奏である。しりもち事故の修理ミスを見逃したとして、1988年に書類送検され
 た計20人のうちの一人である。その前年に農薬をあおって埼玉県の自宅で自殺した。
・「自殺した田島さんは無線技術屋だった。検査は4人でチームを組んでやる。一番年長
 でリーダーになっているが、飛行機の構造のことはわかっていないはず。本当に気の毒
 だと思う。すでに運輸省をリタイアしていて、役所の付き添いもなかったのではないか」
・田島は事故の翌年、1986年4月、運輸省を退職し、「機械電子検査検定協会」に再
 就職していた。定年まで数年残していた。有形無形の圧力を感じ、退職に追い込まれた
 との報道もあった。修理ミスのあった箇所は修理後に充填剤で覆ってしまうので、検査
 しても外からは不自然な点を発見できなかっただろう。
・業務上過失致死傷は結果責任を問う。プロに対しては素人と一線を画す高い職務水準や
 倫理観を求めるのだ。群馬県警は田島らについて「概括的な書類検査を実施したのみで、
 漫然とした修理改造検査を実施しただけ」と指弾した。
・NTSBの元担当官は田島を自殺に追い込んだ捜査と社会に疑問を呈した。「検査官が
 亡くなった。国じゅうから批判された。当時の基準では、機体を外から見ておかしな点
 がなければそれでよしとしていたのではないか。検査官は自分の仕事をした。ちゃんと
 見て、従来どおりのやり方で何もおかしな点はなかった。検査官や日航の人を責めるわ
 けにはいかないと思う」 
・彼の限らず、航空事故の過失は問わないという考え方が染みついている米国の人たちに、
 日本のやり方は異様に映る。ボーイングや連邦航空局が、日本のメディアの取材に後ろ
 向きなのは、日本の刑事訴追を恐れるからであり、刑事訴追は誤りだと考えているから
 である。認識のずれは容易に埋まらない。
・接ぎ板の切断について、NTSBの元担当官は切断の直接的な理由こそ知らなかったが、
 切断につながったであろう間接的な理由は繰り返し強調した。「何より指示書の図がず
 さん。あまりにいい加減で、誤解するのも当然といえる。修理工が正確に理解せず、ダ
 ブルチャックもしなかった。切断はとんでもない間違いだ。修理工も自分がわからなか
 ったら誰かに聞かないといけない。修理工以前に、指示書は誤解を招かないようもっと
 クリアで、理解しやすくしないといけない」  
・圧力隔壁の修理ミスは、ボーイングの修理チームがわれわれの期待どおりに働いてくれ
 れば起きるようなミスではない。接ぎ板を切断するなどという”暴挙”は誰も考えすら
 しないことなのである。切断は修理工の誤りであり、思い違いであろう。故意でなかっ
 たとしても、プロに当然求められる水準の仕事でなければ、結果の重大性に照らして罪
 を科すというのが日本の法律である。
・米国は違う。プロも人間である。ミスもあるだろう。故意でない限り刑事責任を問わず、
 むしろ再発防止に向けて自分のミスを大いに語ってもらおうという考え方である。 
・日米両国で起こされた民事訴訟では遺族側が墜落原因に「ジャンボ機全体に共通する設
 計・製造上の欠陥」があったと訴え、ボーイング側は「日航機だけに起きた修理ミス」
 による事故と反論した。多く起こされた民事訴訟は最終的に和解や示談が成立した。
・ジャンボ機に重大な欠陥は実際にあった。ボーイングはジャンボ機について、万が一故
 障や損傷、異常事態が起きても大規模な破壊や事故には発展しないフェールセーフ性を
 誇ったが、実態はかなりもろかった。圧力隔壁は亀裂が生じた場合も補強板に囲まれた
 「ベイ」と呼ばれる小さな部分だけが壊れ、全体に波及しないとされてきた。ところが
 123便の事故では隣り合う複数の米が一気に壊れた。油圧系統も本来の一本にバック
 アップ用の一本を加え、それをさらに二倍にした四本もあるのだから安全性は折り紙付
 きだと売り込んだ。四本全部がだめになる確率は天文学的な数値で、事実上起こり得な
 いはずだったのに、事故では四本とも動かなくなった。
・当時、米側がどういう思惑だったのか。それを確認したくて米司法省に関係資料を開示
 請求した。1年後の2017年に司法省から回答が来た。「一連の資料は米公文書館が
 定めた記録の保持と廃棄に関する規定に従い、2001年11月30日に処分した」米
 政府として資料を永久保存する必要性はないと判断していた。
・米国人は文書を大切にする。契約社会だけに文書を残しておかないと不安だということ
 もあるのだろうが、政府や大企業など社会に影響を与える機関で働く人々の中には、自
 分たちがいずれ歴史の検証にさらされるという共通認識がある。政策決定の過程を示し
 た文書を残すのは義務感に近い。歴史文書を調べると、こんな私信まで残す必要がある
 のかと思う時すらある。それだけに、日航機事故の関連資料を廃棄したことは意外に感
 じた。   
・日航ジャンボ機事故では520人が犠牲になった。外国人は14人いた。ドイツ人や英
 国人、韓国人らで米国人も数人いた。

消えない撃墜説を検証する
・123便の事故では、自衛隊や米軍のミサイル、標的機による撃墜説や誤射説を疑う声
 が一部になる。ミサイル説に立脚する本は何冊も出た。隕石が当たったという臆測もあ
 った。ジャンボ機への「安全神話」があり、日航機のような巡航飛行中に操縦不能に陥
 って墜落するとは想像しなかったことも寄与した。
・航空事故は原因調査が難しい。生存者がいない場合が多く、機体の損傷も著しい。まし
 て日航機事故における米国のように、調査に外国が関与してくるとさまざまな変数が加
 わり、事態はいっそう複雑化する。
・太平洋戦争で敗れた日本は米国に航空に関する業務や研究の一切を禁じられ、日航は終
 戦から6年後の1951年8月、ようやく設立された。しかし、翌52年には羽田から
 福岡に向かったマーチン2−0−2の「もく星号」が伊豆大島に墜落し、乗客乗員37
 人全員が死亡した。いまも原因がわかっていない。
・日航の運航だったが、パイロットは米国人で、航空管制も米軍が担当していた。所定よ
 り低い高度で飛び三原山の山腹に激突した。管制が誤った指示を出していたのではない
 かと疑われたが、結局うやむやになっている。
・レーダーが完備された現代においてもマレーシアのクアラルンプールから北京に向かっ
 たマレーシア航空のボーイング777が行方不明になり、何年調べても墜落場所が特定
 できないという想定外の事態が起きている。
・日航の元客室乗務員だった青山透子の本は、慎重に断定を避けているが、墜落は圧力隔
 壁の破断による事故ではなく、ミサイルや無人標的機が垂直尾翼に当たり墜落した可能
 性を示した。  
 主な点を挙げれば、
 @墜落前、日航機に向かう赤やオレンジ色っぽい飛翔体の存在
 A航空自衛隊のF4ファントムが墜落前、日航機を追尾
 B墜落現場に火炎放射器の使用を疑わせるガソリンとタールのにおいが残っていた
 などである。
・つなぎ合わせていくと、自衛隊がミサイルやそれに類する物体を発射し日航機に衝突、
 自衛隊機は日航機を追尾して状況を把握し、ミサイルが当たった証拠を消すため最終的
 に火炎放射器で現場を焼き尽くした、とも読める。
・人間は同じものを見ていても、どの角度からながめるかによって受け止め方に違いが出
 ることもある。日航機事故の場合、事故調の公式発表に加え、報道機関の独自取材も多
 く、関連の情報が多い。どお情報に軸足を置くかによって、見方は変わる。
・民主主義の世の中であり、いろいろな主義主張があっていい。政府の言うことや、やっ
 てきたことに嘘や誤りはこれまでいくつもあったし、捜査機関による証拠改ざんもある。
 当局は自らの非を認めたがらない。日本に限ったことではなく、米国もそうだ。
・自衛隊の公式発表によると、空自は墜落事故当日の午後7時1分、茨城県の百里基地か
 ら空自のF4EJファントム2機に発進を命じた。2機は7時5分、現場に向かって離
 陸した。命令は墜落から約5分後のことである。午後6時24分に日航機が緊急遭難信
 号にあたるスコーク77を宣言し、自衛隊を含む関係機関が日航機の迷走をモニターし
 ていた。レーダーから日航機の機影が消えたため、自衛隊の独自の判断で飛ばした。
・青山は、そうではなくすでに午後6時半ごろの段階で空自の2機が静岡県上空にいて、
 北上する日航機を追尾していたとみる。当時、静岡県内にいた女性の証言に基づく。
・ミサイル説を一笑に付すわけにはいかない。原因がわからない事故直後の段階ではある
 が、日航自身が同じような認識を持っていた。
・日航の整備本部長は朝日新聞の取材で「最初にR5ドアが壊れたという話を聞いた時は、
 爆発物が仕掛けられたのではないかと思った。ジャンボのドアは簡単には壊れない。そ
 れが壊れたとすると、爆弾以外あり得ない、と思った。落合さんの証言や尾翼の破片が
 海から見つかったことで、これは違う、ということになった」と答えている。ここでい
 う「落合さん」というのは非番で乗っていた客室乗務員で、生存者の落合由美を指す。
・ところがR5ドアは御巣鷹で特段異常なく見つかり、事故原因から排除された。
・「事故機の隔壁は昨年12月に、念入りに点検している。ベテラン検査員が見たが、異
 常はなかった。あの部分は、客室内のたばこのヤニが付着しやすく、仮に亀裂が入って
 いたとすれば、そこが浮き上がるので最も発見しやすい場所だ。従って、隔壁に亀裂が
 あり、破壊につながったというのは、あり得ないと考えている。バーンというのが何の
 音だったのかはわからない」と日航の整備本部長は、部下の定期検査を信頼した。
・ミサイル説を主張する人たちが疑惑の目を向けるのは、当時、海上自衛隊の護衛艦まつ
 ゆきが相模湾にいた事実である。石川島播磨重工業(現IHI)が建造し、試運転中だっ
 た。まつゆきから何かが発射された証拠は全くない。むしろ、墜落した日航機の垂直尾
 翼を相模湾に見つけ、回収するなど協力的だったが、そのことが逆に墜落との牽連を一
 部から指摘される皮肉な結果を招いている。
・旅客機の外部からミサイルが当たったり、機体内部に仕掛けられた爆弾が爆発したとい
 う場合には、細かく粉砕された残骸が広範囲に拡散し、爆発の衝撃でできた鋭利な破片
 が機体に多数突き刺さる。そうして痕跡が確認されていない。何より日米ともに民間の
 航空機を撃墜する必然性がない。
・故意に撃墜したのではなく、誤って当たったのだという主張もある。自衛隊が中心にな
 った墜落現場の特定がスムーズにいかなかったことをもって、証拠隠しのための時間稼
 ぎだったのではないかという新たな臆測を呼んだ。 
・自衛隊の誤射だったとした場合、日本側はともかく、米国側が隠蔽に加担する必然性は
 ない。米国側からみれば、撃墜や誤射だったほうがむしろ、汗水たらして自分たちで調
 査する手間が省けて楽だ。    
・1996年7月17日。ニューヨークのケネディ国際空港、午後8時19分、南南西に
 向かう滑走路から機体を赤と白に塗り分けたトランスワールド航空(TWA)800便
 のジャンボ機がパリに向け離陸した。すぐ緩やかに左旋回し、ロングアイランドの南端
 に沿うような形で東に進みながら、徐々に高度を上げていった。11分後の8時半には、
 1万3千フィート(約4キロ)に達した。現場空域を管轄する管制は1マン5千フィー
 トへの上昇を指示。ボイスレコーダーには機長の「上昇推力」の言葉が残っている。
・この最後の言葉から47秒後、ボイスレコーダーとフライトレコーダーの記録が突然断
 ち切られた。空港から約90キロ東方のイーストモリチェスの南方沖の上空でジャンボ
 機は空中爆発し、粉々になって大西洋に散った。東條の乗客乗員230人全員が死亡し
 た。 
・現場は混乱を極めた。大統領のクリントンも夫婦で現地入りした。早い段階からテロの
 疑いが出ていた。      
・800便は空中で爆発した。音が大きかったこと、陸上から近かったこと、高度が低か
 ったことから、多くの目撃証言が寄せられた。
・800便となるジャンボ機はギリシャのアテネ国際空港から飛んできた。古い施設と甘
 い保安態勢で知られた。「ニューヨーク離陸直後に爆発するよう、アテネで時限爆弾を
 仕掛けられたのではないか」との臆測が出るのも当然の情勢であった。
・事故機は1971年に製造された。日航123便のジャンボ機は1974年の製造なの
 で、800便のほうが少し古い。
・FBIは736人から目撃証言を得た。このうち599人が「火の玉」を見たと証言し
 た。空中爆発なので「火の玉」の証言に不思議はなく、258人が「ミサイルのような
 光の筋」を証言した。しかも、そのうち38人は光の筋が下から上に向かったと主張
 した。後になって検証し直すと、「上から下への光だったかもしれない」と証言を覆す
 事例もあり、信ぴょう性は揺らぐが、臆測が幅を利かせる発生当初の段階では真偽を判
 断しづらい。  
・空中爆発した機体は海に落ち、事故調査は難航を極めた。NTSBは最終報告書をまと
 めるまでに異例の4年もかけている。最終的には、主翼の付け根部分にあたる機体中央
 部のセンターウィングタンクにわずかながら残った燃料が厚さのため気化したところに
 着火、爆発につながったと結論づけた。
・800便の墜落は日本で知る人は多くないが、米国民には強い記憶が残っている。日本
 人で日航ジャンボ機墜落事故を知らない人は少ないが、米国ではあまり知られていない
 ことに似ている。
・日航機事故は、首相の中曽根康弘が休養先の長野県軽井沢町から戻って来る際に起きた
 が、その後も中曽根は遺体の捜査や事故原因の調査に関しあまり前面には出てこなかっ
 た。   
・800便の事故では大統領のクリントンが事故からあまり日をおかずにニューヨークま
 で来て自らの存在をアピールし、政府を挙げて原因特定を急ぐ考えを強調した。記者会
 見では「何が起きたかを究明する。米国の皆さんにはくれぐれも結論を急がないようお
 願いしたい」と語った。「結論を急ぐな」という訴えは、それだけミサイル説やテロ説
 が広く信じられていた裏返しである。
・残骸の引き揚げには莫大な予算を必要としたが、それを批判する声はなかった。海から
 の残骸回収には最終的に2年を要した。いくら集めてもFBIが疑ったミサイルの痕跡
 は出てこない。外部から何かが貫通した証拠もなければ、機体近くの空中で爆発した痕
 跡も一切出てこなかった。  
・一方、主翼の付け根にあたる機体中央部分が、離陸したニューヨークから見て一番手前
 に落ちていることがわかった。長年の積み重ねから、NTSBに経験則がある。「最初
 に落ちているものが、事故の原因を示していることが多い」
・最初に起きていた機体中央部分に、最終的に原因と判断されたセンターウィングタンク
 があった。
・日航機事故に当てはめれば、最初の異変は離陸から12分後の「ドーン」という音であ
 り、その時、伊豆半島沖の相模湾に垂直尾翼や補助動力装置(APU)が脱落した。
・当時のジャンボ機は燃料タンクが七つあった。左主翼の三つ、右主翼の三つに加え、セ
 ンターウィングタンクが両主翼の付け根部分にあたる機体中央部分の客室下にあった。
 このセンターウィングタンクの下に、エアコンがある。調査を重ねた結果、夏の暑さと
 エアコンの熱で、上部にあるセンターウィングタンクにわずかだけ残っていた燃料が異
 常に熱せられ、蒸気が発生、それにショートした火花が引火して爆発につながったとの
 結論を導いた。事故を契機に、連邦航空局は航空会社にある程度の量をタンクに維持し
 ておくよう指示した。   
・だが、タンクの下にエアコンを置く構造はボーイングにとって当時一般的で、炎天下で
 少量の燃料だけがタンクに残っている状況というのは、それまでも多数あった。800
 便だけなぜ爆発したのか、という疑問は根強く、ミサイル説の一つの支えになっている。
・「残骸はすべてを語ってくれる。FBIの関与は迷惑そのものだった。海軍の艦船が誤
 ってミサイルを撃ったと言う人がいるが、そんな証拠がどこにあるのか。われわれは飛
 行機の一部にミサイルを当てる実験までやった。メディアもよくない。科学的な発見よ
 り、犯罪の可能性のほうを面白がって報じる。海軍の艦船には数千人が乗り組んでいる。
 誤射の事実について全員に靴をつぐませることなんてできるわけがない」とNTSBの
 元担当官が語った。
・旅客機をミサイルで撃墜するというケースは実際、2014年にウクライナ東部で起き
 ている。ウクライナと隣国ロシアは対立しており、現地を実行支配していた親ロシア派
 の武装阻止区が誤射したとの見方が強い。オランダの事故調査当局の報告書によると、
 オランダのアムステルダムからクアラルンプールに向かったマレーシア航空のボーイン
 グ777が高度3万3千フィート(約10キロ)を飛行中、ロシア製の地対空ミサイル
 「ブク」で撃墜され、乗客乗員298人全員が死亡した。
・ミサイルは機首左側付近で爆発したとみられ、機体に多数の破片痕があった。残骸も
 50平方キロにわたって見つかった。日航機の場合、ミサイルのような痕跡は残骸から
 発見されず、墜落現場の残骸はせいぜい半径1キロ以内に収まる範囲で見つかっている。
・遊び半分の無責任な主張は遺族の心を傷つけるだけだが、ミサイル説を主張する人たち
 はそれを本当に信じている。
・青山の主張に反論する形で、元日航機長の杉江弘が本を2017年の暮れに出した。撃
 墜説を荒唐無稽と断じ、青山の 本については「妄想で固めた本」と書いている。
・真っ向から謀略論を否定する杉江に、どの点にとりわけ合理性がないかを尋ねると、日
 航機のフライトレコーダーの記録を挙げた。「ミサイル説を考えた時、壊れ方からみて
 垂直尾翼の横から当たったと考えるが、データでは横からの動きがない。飛行機は10
 度傾けたら簡単に1Gとか出る。前後の動きは反作用ではないか。謀略本に共通するの
 はフライトレコーダーに触れていないことだ」
・フライトレコーダーは無味乾燥なデータの羅列である。速度や角度、加速度といった各
 種の指標が折れ線グラフのような形でそれぞれお示されている。
・青山は事故調が公表したデータの信ぴょう性に疑問を向けた。生のデータが正確に反映
 されているのかという指摘である。  
・私は公表されたフライトレコーダーの内容が事実だと信じる。杉江も「フライトレコー
 ダーはどうあっても捏造できない」との意見だった。
・日航機事故に関し疑問が消えない理由の一つは、垂直尾翼など脱落した部分の海底捜査
 を徹底しなかった点にある。 
・TWA800便のジャンボ機もミサイル説が消えないが、NTSBは海の中から破片を
 一枚ずつ集め、復元した。欠けている箇所はあるが、ジグソーパズルのように復元した
 機体をNTSBは今も大切に保管している。原因に関する疑問の声が出てきても、復元
 した機体があることは大きい。再検証できるからだ。これは強い。
・一方、日航機事故で事故調は、予算の問題や費用対効果の面から相模湾での海底捜査を
 途中で断念した。垂直尾翼や方向舵の大半、機体最後部の補助動力装置(ARU)は今
 も回収されていない。事故調は回収できた垂直尾翼前縁部などの調査で、事故原因特定
 に必要な情報は十分得られたとの立場だが、垂直尾翼は事故原因の核心が詰まった場所
 である。相模湾の水深は比較的浅く、時間と金さえかければ発見できただろう。
・委員長や委員、調査官合わせて十数人しかいなかった当時の事故調の予算は微々たるも
 のだったが、世界史上最悪の航空事故が起こったのである。発想を転換して特別な予算
 を十分に付け、調査を徹底すべきだった。
・英航空メーカーのデ・ハビラントが開発した、世界最初のジェット旅客機コメットが
 1953年から54年、相次いで空中分解した。英国は首相チャーチルの指示で、イタ
 リア沖に沈んだ墜落機の残骸を徹底的に回収し、実験の結果、繰り返される与圧で金属
 疲労を起こしていたことが原因と判明した。まだ金属疲労の知識が十分でなかった。
    
墜落は避けられなかったか
・2009年、USエアウェイズの元機長サリー・サレンバーガーが機長として乗り込ん
 だニューヨーク発ノースカロライナ州シャーロット行きのUSエアウェイズ1549便、
 エアバスA320は離陸直後、カナダグースと呼ばれるガンの大群と衝突し、エンジン
 全2基が停止した。サレンバーガーはハドソン川への緊急着水を即断し、一人の死者も
 出さなかった。彼の冷静な操縦ぶりに全米が拍手を送った。映画「ハドソン川の軌跡」
 は、日本でも公開された。
・川に旅客機を着水させるという判断は、素人目に突拍子もないギャンブルのように映る
 が、NTSBが検証してみると、着水を選択しなければ墜落していたことがわかる。想
 定外の事態が起きたのに、瞬時に最善の判断を下していた。
・サレンバーガーは「日航機は生還できたと思うか」の問いに「ノーと」言下に否定し、
 「ひとたび垂直尾翼がなくなれば、飛行機は安定性を失う。尾翼を失い、油圧を失った
 機体の操縦は本当に難しい」と続けた。  
・羽田を離陸した日航機は、伊豆半島東方沖に差しかかったところで異変が起きた。機長
 の高浜は少し先の静岡県焼津市付近の上空で右旋回し、羽田に戻りたいという意思を管
 制に伝えた。最終的に深い山岳地帯に墜落することになるが、左旋回して海に向かい緊
 急着陸を試みていれば、生存の可能性が高まったのではないかという指摘は少なくない。
・「日航機は、海への不時着を目指すべきだったか」「尾翼も油圧もない状態で、機長ら
 乗員が自分たちの不時着したいと思った場所に向かえたかは疑問だ。われわれの場合、
 高度は低く、両エンジンの推進力が完全に消え、状況判断と決断のために残された時間
 もほとんどないという究極の状態だったが、それでも操縦機能は完全に残っていた」
・エンジンがすべて止まった旅客機は、エンジンを持たないグライダーと同じだ。旅客機
 は薄いアルミの外板に包まれ、中は与圧した空気でぱんぱんに膨れ上がった状態にある。
 風船が飛んでいる状態に似ている。飛行機は極力落ちないように設計されているため、
 エンジンが止まっても、いきなりまっさかさまに落ちるわけではない。
・日航123便の場合、副操縦士の佐々木は機長昇格訓練中のため左側の機長席、機長の
 高浜が右側の副操縦士席に座った。高浜が海に向かう左旋回ではなく、山に向かう右に
 旋回したのは、自分にとって視界の広い右側に坐っていたためだったという見方もあっ
 た。    
・しりもち事故さえなければ、墜落はなかった。杉江は「米国でしりもち事故なんて聞い
 たことがない」と自嘲気味に言う。「フラップ(高揚力装置)の角度を深くして着陸す
 ればしりもちなんて起きないのに、下手に燃料効率を考えて浅い角度で侵入するからだ」
 と説明した。
・横に長い米国のちょうど真ん中あたりに位置する中西部アイオワ州の西端にスーシティ
 ーという小さな街がある。市営のスーシティー・ゲートウェイ空港は小さく、ごく限ら
 れた定期便を除けば、民間の小型機や州兵の航空部隊が利用するだけだ。こののどかな
 空港が1988年7月19日、全米が注目する大事故の現場となる。
・飛行中に油圧が全損し昇降舵や方向舵といった操縦系統が使えなくなったユナイテッド
 航空232便のマクダネル・ダグラスDC10が、エンジンの出力調整だけで何とか空
 港までたどり着いた。着陸時に横転し死傷者を出したものの、乗客乗員298人のうち
 185人が助かった。「奇跡のフライト」を成し遂げた機長のアルフレッド・ヘインズ
 は高く称賛された。
・事故は日航機事故から4年後に起きた。巡行飛行に入っていた飛行機に異変が起きたの
 は1時間あまりがすぎたころで、後部で「バン」という大きな破裂音がした。
・DC10には左右両翼に一つずつと、垂直尾翼と胴体に挟まれるように一つの計3基の
 エン主脚をジンがある。このうち垂直尾翼下のエンジンのファン部分にあるチタンの部
 品が外れた。高速で回転するエンジンから飛んだ破片は近くを走る操縦系統の油圧配管
 を破壊した。  
・機体は安定性を欠き、機首が激しく上下するフゴイド運動を繰り返した。幸運だったの
 は乗客の中にユナイテッド航空のパイロット教官デニス・フィッチが乗っていたことだ。
 非番で乗っていたフィッチは、ただちに操縦席に呼ばれ、機長と副操縦士の間に立ち、
 両手で左主翼の第一エンジンと右主翼の第二エンジンのスロットルレバーを握った。運
 命を託す計2基のエンジン推力を均等に調整するには、両手で操作するしかなかったの
 だ。まもなく、計二つのエンジンの出力をコントロールすることで、方向と高度のバラ
 ンスが取れるようになった。
・迷走を経た上、空港まで約45キロの地点に至ってからは、或る程度まっすぐ飛べるよ
 うになった。着陸11分前に下ろし、奇跡的に空港まで着いた。右側の主翼端から接触
 するように着陸し、機体は炎上した。必死の救助もあり、多くの命が救われた。
・機長は「幸運だった」と強調する。まず天気。快晴だった。昼まで、遠くまで見渡せた。
 スーシティー空港の滑走路は短いが周りは広大なトウモロコシ畑で、オーバーランして
 も問題がなかった。空港に配備された州兵の訓練日がたまたまこの日に重なり、人が多
 くいたことも助けられた。負傷者を運び込んだ近くの病院が不時着前にシフトを交代し
 ていた点も大きい。前のシフトの人たちが残っていたため、二倍の人数で対応できた。
・航空事故史上で最悪となったのは、1977年、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島
 の空港で2機のボーイング747(ジャンボ機)が滑走路上で正面衝突した事故だ。
 583人が死亡した。これも独断的な機長の判断に負うところが大きい。
・本来の目的地だった近くの別の空港はテロ予告で使えず、島にある小さな空港に多くの
 旅客機が一時退避していた。本来の空港が使えるようになり、順番に飛び立っていった
 が、混雑していたため、1本しかない滑走路を離陸用と移動用途の対面通行で使ってい
 た。霧で視界が悪かったこともあり、離陸のために加速を始めたKLMオランダ空港機
 と向こうからゆっくり移動してきたパンナム機が正面衝突した。
・KLMの乗員は、他機が滑走路上にいるのではないかと懸念を示したのに、機長は耳を
 貸さずに離陸を始め、衝突につながった。
・「奇跡のフライト」の機長ヘインズは、日航機事故に対して、二点ほど疑問を投げかけ
 た。一つはCRMにある。「CRMという発想は当時はほとんどなかったが、日航機の
 乗員にもそういう認識はなかったのではないか。日航機の事故について書いたものを読
 んだことがあるが、乗員の発言が非常に少なかったと記憶している」もう一点は、酸素
 マスクだ。事故調は高浜ら操縦室の三人が低酸素症に陥っていたとの見方を示している。
 乗客やスチュワーデスらは酸素マスクを着用したが、三人はしていない。
・事故調を引き継いだ日本の運輸安全委員会が2011年に出した「事故調査報告書につ
 いての解説」は、機長らが酸素マスクを着けなかった理由をこう補足説明している。
 「同機の急減圧の程度であれば操縦操作を優先したのか、操縦に専念して酸素マスクを
 着ける余裕がなかったのか、或いは、既に低酸素症を発症しており正常な判断ができな
 かったのか、結果として最後まで酸素マスクを着けるおとはなかったとしています」
・ヘインズは少し違う意見だ。「低酸素症の問題は深刻だったのではないか。完全な減圧
 だと認識しない限り、機長らは酸素マスクは着けないだろう。認識していればマスクは
 当然着けなければならず、着けることによっていい意味での緊張が生み出せたはずだ」
・2015年春、ドイツのルフトハンザ航空傘下の格安航空会社ジャーマンウイングスの
 エアバスA320が、フランス南部のアルプス山中に墜落した。乗客乗員150人全員
 が死亡した。  
・報告書によると、機長がトイレに立った隙に副操縦士が操縦室に内側から鍵をかけて締
 め出した上、自動操縦で高度を徐々に下げ、墜落させた。乗客を道連れにした自殺で、
 精神疾患を指摘されていた。自殺の理由について「精神疾患をいずれ伝えねばならなく
 なった場合、パイロット資格を失うかもしれないことへの恐れ」を挙げた。
・日航ジャンボ機墜落事故で日航は避難を浴びた。史上最悪の事故を起こした責任はいう
 までもないが、それまでにも大事故が連続していたからだ。1970年以降でみた時、
 全日空は岩手県雫石町上空における71年の自衛隊機衝突だけなのに対し、日航はニュ
 ーデリー(72年)やモスクワ(72年)、クアラルンプール(77年)で立て続けに
 墜落事故を起こしていた。
・御巣鷹事故の3年前にあたる1982年には、福岡から羽田に向かった日航350便の
 DC8が、羽田沖に墜落した。最終着陸態勢に入っていたところで機長が操縦桿を押し
 込んで逆噴射したため、滑走路手前に落ちた。機長は精神障害による心神喪失状態だっ
 たと判断され不起訴処分になったが、乗務させ続けた日航への批判が高まった。
   
スクープ記者たちの33年
・2017年秋、時事通信の元飢者の清水喜由とJR市川駅前のレストランで待ち合わせ
 た。世界に先駆け日航ジャンボ機墜落事故の第一報を放った人である。
・墜落した1985年8月12日、羽田に詰めていた清水は衝撃の第一報を報道各社に配
 信した。「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」
・公式発表がない段階で世界を揺るがすことになる情報を独自ルートでつかみ、その情報
 の真偽を裏取りし、自分と時事通信の責任と判断で報じた。単独の旅客機としては史上
 最悪の事故となる日航機からの悲痛な叫びは交信から消え、異常な航跡はレーダーから
 ぷっつりと途絶えた。   
・日航機は突然の異常事態発生から約30分迷走したが、その間、羽田空港や所沢の東京
 空港交通管制部、航空自衛隊といった航空関係者を除けば、迷走を知る人は日本にほと
 んどいない。清水は不安定な状態に入った当初の段階からすでに極秘の内部情報をキャ
 ッチし、墜落の瞬間もほぼ同時に確認している。
・清水の一報をもって報道各社は前代未聞の取材に突入し、政府や自衛隊、警察、消防、
 海上保安庁、米軍が墜落地点の特定と救助活動に動いた。日航は高輪のホテルで社内の
 異動パーティーを開いていたが、それどころではなくなった。
・事故前年の1984年7月に札幌支社から東京本社の社会部に異動し、85年6月に羽
 田の担当となった。事故の二カ月前のことだが、札幌時代から航空人脈を築いてきたた
 め、航空関係者の知人は多かったという。
・墜落事故とのつながりという点で言えば、清水は特異な経験もしている。1971年に
 岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機との空中衝突が起きたが、もともとはこの千歳
 発羽田行きの全日空機に乗るはずだった。仕事の都合で一週間前の羽田行きに乗ったが、
 予約をキャンセルし忘れて、一時は全員が死亡した乗客の中に含まれているのではない
 かとみられた。  
・圧力隔壁の修理ミスを最初に報じたのはニューヨーク・タイムズだが、それより前、圧
 力隔壁に原因が潜んでいるはずだと最初に報じたのは毎日新聞である。事故から4日後
 のことだ。機体後部に事故原因のカギがあるというのは衆目一致した見方だったが、ど
 この部分が問題なのは判然としなかった。毎日の報道を機に流れは一気に圧力隔壁主因
 説へと傾いた。
・急減圧の有無は、日航機事故の原因を考える上で最大の焦点になってきた。急減圧が起
 これば気分が悪くなるとか、耳が強く痛むといった症状が表れると言われてきたが、生
 存者の証言からみると、それほどの激しい病状は確認されていない。本当に急減圧がっ
 たのかを疑わせる現象ではある。ボイスレコーダーにも急減圧を示す内容は特段残って
 いない。   
・ここで、日航機事故の原因をめぐってくすぶり続けてきた”疑惑”をもう一度振り返って
 おきたい。
 一つ目:圧力隔壁が壊れて急減圧が起きたという事故調の結論に疑いを向ける主張で、
 ある。
 二つ目:ボーイングが修理ミスに原因を矮小化してほか六百機のジャンボ機への影響を
 食い止めたとする米国謀略論
 三つめ:ミサイルや無人標的機が当たったという撃墜説
 である。
・第一目にある圧力隔壁主因説への疑いについては、否定したい。修理ミスがあった箇所
 の金属疲労の跡や隔壁の破壊状況に加え、非番で搭乗していた客室乗務員の落合由美の
 「白い霧のようなものが見えた」という証言、客室に酸素マスクが落ちてきた事実を考
 え合わせると、急減圧はなかったかもしれないが、一定の減圧があったと考えるのが自
 然だと思える。ミサイル説を含め諸説のある中で、総合的な合理性という面からみて隔
 壁主因説は一番説得力がある。
・「急減圧」という言葉の印象が与えるほどの、急速かつ急激な減圧があったかはよくわ
 からない。急減圧があった時に起こるとされる激しい耳の痛みや激しい風、急激な温度
 の低下といった現象は、教科書どおりには確認されていない。
・圧力隔壁主因説が正しいのであれば、世界中で飛んでいたジャンボ機のうち日航機だけ
 に影響を限定するため、米政府がボーイングと結託して修理ミスに原因を矮小化したと
 いう謀略論も、これまで見てきたとおり考えにくい。修理ミス以外に圧力隔壁が破断す
 る理由がないためである。修理ミスさえなければ破断していなかったわけで、事故機を
 ほかの六百機から切り離して考えるのは理にかなっている。
・事故から4カ月後の1985年12月5日、NTSBは米連邦航空局にジャンボ機に関
 する五点の改善勧告を出している。
 @与圧されていない機体尾部の設計変更
 A油圧システムの設計変更
 B後部圧力隔壁の設計見直し
 C修理がフェールセーフ性に影響を与えない手順の検討
 D後部圧力隔壁の検査方法の見直し
・隔壁主因説はでっち上げで、米国は勧告まで出して自らの隔壁説を強固にしたと主張す
 る人がいれば、米国を歩いてきた私から見てあまりにも常識外れに映る。ただ油圧シス
 テムや垂直尾翼に思わぬ弱さが潜んでいたことは、ジャンボ機の構造的な問題として指
 摘しておく必要がある。 
・自衛隊や米軍のミサイル、あるいは無人標的機が当たったという説は爆発特有の痕跡が
 見られないことから、排除できる。
・一つ明確に言えることがある。相模湾の海底捜索を徹底してやっておくべきだったとい
 うことだ。捜索は事故から3カ月後に20日間、実施したが、垂直尾翼のほとんどと補
 助動力装置(ARU)がいまだに海に眠っている。
・事故調は  揚収された垂直尾翼の前縁部で十分解析が可能であり、飛行中に動かさな
 いAPUは原因になり得ないとみてきた。NTSBの担当官もボーイングの担当者も異
 口同音に「追加の海底捜索は不要だし、APUが事故原因とも考えられない」と言い切
 る。
・科学論だけでは片付けられない面もあるだろう。遺族らの中に納得できない感情が残ら
 ないよう徹底して調査するという姿勢が当時の日本政府にほしかった。垂直尾翼は肝心
 要の部分である。ARUを含めて引き揚げておきさえすれば、ミサイルが当たったかど
 うかは一目瞭然だし、隔壁主因説以外も検証できたはずだ。費用対効果や科学的な説明
 を超えて、残骸を一つ残らず引き揚げるという政治的な判断があるべきだった。
・事故原因に関する疑念とは違うが、日航機事故の「謎」という点ではもう一つ、疑いを
 投げかけられてきた重大な問題がある自衛隊による墜落場所の特定遅れである。
・空自は墜落直後から上空に戦闘機やヘリコプターを何度も出しながら、墜落地点を正確
 に地図に落とせず、確定は翌朝の4時半ごろにずれ込んだ。すでに墜落から9時間余り
 が経過していた。 
・確定に至るまでの間、防衛庁・自衛隊は長野県側にある御座山周辺の墜落情報を何度も
 発信し続けた。
・いざとなったら戦争にも直面するという集団が、国内で真っ赤に炎上している旅客機の
 墜落地点すら特定できないのか、というのは誰もが抱く当然の疑問であり、明らかに不
 自然である。  
・赤旗は、投入した記者の人数やロジ面の支援といった取材態勢だけで見れば、一般紙に
 劣っていただろうが、123便の報道では一般紙がたじろく特ダネを放った。理由は、
 生存者の一人が当時12歳の川上慶子だった点にある。
・川上は父母と妹の4人で北海道旅行に行き、自分以外の3人が死亡した。旅行にいかな
 かった兄は難を免れたが、5人家族のうち大黒柱である父を含め3人が一挙に亡くなっ
 てしまったのである。父親が共産党関係者だったこともあり、病院に運ばれた川上に関
 する話が赤旗だけに出ることがあった。特に事故6日後にあたる18日付の記事は強烈
 で、事故直後は父も妹もしばらく生きていたと川上が話したという内容だった。
・記事はシートベルトが腹部に食い込んで苦しいと訴えた川上に、父親が「ナイフを使っ
 て切れ」と強い口調で言ったと報じ、しばらくして妹に父母の具合を尋ねると、「お父
 ちゃんもお母ちゃんも冷たくなっている」と答えたというのである。自衛隊が墜落場所
 をもっと早く特定できていれば、助かっていたかもしれないという批判が巻き起こった
 のは当然である。  
・日航機事故における自衛隊の行動は早かった。空自が日航機の異変に気づいたのは、ボ
 イスレコーダーに「ドーン」という音が残された午後6時24分の直後である。千葉県
 にある空自の嶺岡山レーダーサイトが捉えた。埼玉県の入間基地に連絡が行き、中部航
 空方面隊も把握した。約30分後、レーダーから機影が消えると、茨城県の百里基地で
 スクランブル待機していたF4EJファントムに緊急発進を指示し、午後7時5分に2
 機が発進した。現場上空で火災を確認し、場所を「横田タカン(TACAN)300度、
 32マイル」と報告してきた。
・タカンというのは電波航法の一種で、この場合、横田基地に設置した装置からの方位と
 距離を測定する。GPSのない時代には、これで測るのが妥当と考えられたためだが、
 ファントムが指示した場所を地図に落とすと墜落現場から南東に5.5キロで、埼玉県
 内になる。 
・飛行機は車などに比べスピードが極端に速いため、数キロの誤差があっても地上ほどは
 重要でない。空自が使っている地図も50万分の1と粗い。最も正確な情報を送ってき
 たとされる午前1時に飛んだ空自入間基地のヘリコプターですから、墜落地点から南は
 1.8キロ場所を報告してきた。数キロ違えば、現場のように尾根と県境線が入り組ん
 だ場所では見当違いの場所になる。自衛隊の情報は二転三転した。
・何のために、わざわざ誤情報を流す必要があるのか・・・。マスコミの目を遠ざけるの
 が目的だったのではないか。「自衛隊が事故に関与していなかったかどうかをまず考え
 たのではないか。全日空機と空自機による雫石の事故が起きてから14年しかたってい
 ない。自衛隊の汚点になっている。ミサイル、航空機の関与はなかったか、相模湾では
 護衛艦まつゆきが公試中で、それぞれ事情を調べないといけない。結論を出すには時間
 がかかる。そのためには現場に近づけさせるわけにはいかない」
・雫石事故では、民間機を標的に訓練していたのではないかと空自は当時たたかれた。盛
 岡地検では教官と訓練生を「見張り義務」違反の業務上過失致死罪で起訴した。最高裁
 は教官を有罪としたが、訓練生は無罪になっている。
・「自衛隊がお粗末だったということではないか。GPSもない時代で、当時は暗視装置
 も持っていない。日中、それも最近ですらヘリコプターの事故は多いというのに、夜に
 はもっと危険が増す。救助も簡単でない。体系的にうそがつけたり、隠蔽できたりする
 というなら、それはある意味優秀な組織だ」
・自衛隊は墜落地点の特定遅れだけでなく、救助の”本気度”も問われていた。場所をピン
 ポイントで指し示せなかったとしても、少なくとも上空から火災は確認できていた。
 だったら、ヘリコプターからロープを下ろして、救助活動にあたるべきではなかったか
 という批判もある。旅客機の墜落を知った米軍が救助用のヘリを出して現場まで来たの
 に、自衛隊が救助活動を断ったという報道もあった。
・航空自衛隊は入間基地に救難活動を指揮する中央救難調整所があり、日航機事故の捜索・
 救助活動の拠点になった。ところが、救難団司令部はあっても実際の航空救難部隊はな
 く、百里(茨城)や松島(宮城)、小松(石川)の各基地からヘリコプターや捜索機を
 かき集めたのだという。   
・「入間には電源車がなく、別のところから持ってこないといけない。救難団司令部はあ
 ってもヘリコプターを起動する補助動力装置がない。現地と入間は無線が通じるが、現
 地の自衛隊と現地の警察は連絡がつかず、入間経由で電話して連絡を取るといった具合
 だった」 
・暗夜に、地形もわからず、高圧線もある山岳地帯で、ヘリコプターのホバリング(空中
 停止)などできないし、生存者のホイスト(吊り上げ)もやるようがない。ヘリの強風
 で火災が激しくなる恐れもあった。隊員の個人装備もまったく不備だった。
・事故から10年後、新たな証言が出た。沖縄から横田に向かう途中で事故を知り、現場
 上空にしばらくいた婦負郡のC130輸送機の搭乗員の話を米軍機関紙が伝えた。
 C130が現場上空に着いたのは墜落から約30分後。連絡を受けて救助のためにやっ
 てきた米軍の救助用ヘリコプターUH1の乗員が現場に降りようとしたのに、日本側が
 救助ヘリコプターを出すことになり取りやめたという内容だった。
・墜落現場のあたりは事故前、ハンターがたまに訪れるぐらいの場所でしかなかった。生
 存者がいるかもしれないと気づいたのは、救出された4人のうちの一人吉崎博子の指輪
 が少し動き、きらきらと光に反射したのが目に入ったからだ。「生きている人間がいる
 ぞ」思わず声が出た。12歳の川上慶子も生存者として近くでみつかり、日航機のトイ
 レのドアを使って川上のための担架をつくった。
・日本国土のほぼ中央で起きた事故の発生地が10時間も確認できないことを政府は何と
 考えているのだろうか。事故対策の責任の所在が曖昧で、責任を感じて事故地を探る措
 置を採る人がいなかった結果だと言わざるを得ない。
・責任の所在は不明確だった。国内の事件や事故は警察の主導が一般的だが、県境付近で
 起きた上、場所の特定も遅れたため群馬県が担当するのか、長野県警の持ち場なのかが
 当初ははっきりしなかった。災害派遣要請も航空自衛隊と陸上自衛隊に出され、それぞ
 れが活動にあたった。政府は山下徳夫運輸相を本部長とする政府対策本部を事故から数
 時間後に設置したが、山下の指導力が大いに発揮されたという印象はない。
・救助救難作業をみると、これまた指揮統率ができるよう組織化する制度が定まっていな
 い。なんとなく一緒になって同じ仕事をしているだけだ。これを組織化して指揮統率で
 きる制度を確率せよと訴えてきたが、それが整ったであろうか。まだのようだ。事故は
 雑多で時々刻々発生する。その対策が整っていない先進国があるであろうか。早く整え
 なければ犠牲者に申し訳あるまい。
・どうして日本はそこまで刑事責任にこだわるのか。ミスは誰でもある。故意でないミス
 を問うて、事故原因を離してもらえなければ本末転倒ではないか。
・再発防止に重点を置くか、刑事責任の追及に主眼を置くか。法律は各国の歴史と文化に
 深く根差したものであり、どちらが正しいとは一概に言えない。
・飛行機や鉄道の事故が起きると、米国型のシステム導入を求める声が高まる。遺族の間
 にもあるし事故調関係者は特にその傾向が強い。しかし、米国のようなやり方が日本に
 根付くとは思えない。根付くのであれば、米国型のほうがいいと思う。再発防止に資す
 ると思えるからだが、法手続きだけを表面的に”移植”してもうまくいかない気がする。
・日航機事故の修理ミスは米国人が犯し、日本側の捜査は難航した。刑事責任を取らせる
 には至らなかったが、それでもまだ別の国の人だからやむを得ないと諦められる面があ
 る。日本メーカーが製造した飛行機で、日本人が修理ミスを犯した場合、520人が亡
 くなっているのに無罪放免して国民は納得できるのだろうか。難しいのではないかと思
 う。 
・日航機事故の場合、仮に修理工を免責して証言を取れたとしても、それが再発防止に向
 けた貴重な証言となり得たかは疑問である。修理ミスの理由は恐らく、修理指示書を十
 分に理解せず、隙間ができなうようによかれと思って接ぎ板を切断したのだろう。それ
 が聞けたとして、再発防止にどれだけ役立つのか。指示書をもっとわかりやすく書くべ
 きだったというのは正しい指摘だが、人間がやることである以上、ミスは避けられない。
 大切なのは彼が切断しようと思った動機よりも、切断した場合、すぐに別の人がミスに
 気づくシステムづくりではないか。
・米国で航空事故が除外されてきたのは、ほかの運輸事故と比べて、航空事故の調査が格
 段に難しかったことが背景にある。だがフライトレコーダーの質や精度は格段によくな
 り、ボイスレコーダーの音声もずっとクリアになった。GPSが普及し、旅客機の運航
 状況を把握する技術は長足の進歩を遂げた。免責して得られる証言の価値は、以前ほど
 の重要性を持たないのではないかと思える。
・NTSBの元担当官は、「日航機事故の捜査の過程で、自殺した人がいたはずだ。激し
 い非難を浴びたのだろうが、米国では考えられない」と首を何度も横に振った。運輸省
 元検察官の田島奏のことで、修理ミスを見落としたとして、群馬県警が書類送検した一
 人である。検査官としてボーイングのミスを見つけてほしかったとは思うが、圧力隔壁
 は修理後、充填剤で修理箇所の上を埋めてしまうので、実際のところミスは発見しよう
 がなかっただろう。   
・県警は職務上、田島の刑事責任を問わねばならないが、問うたところで一体誰が幸せに
 なったのだろうかと思う。検査体制が改善されて安全性が高まる旅客機の利用者だとす
 れば意味がある。だが、誰かに責任を取らせることで留飲を下げる社会だとすれば、少
 し悲しい。プロにはプロらしい仕事を期待するが、事故が起こるまで認められてきた事
 故以上の内容を急に求めるのは酷である。標準的な能力を持っていればミスを招かず、
 ミスをしてもどこかで元に戻せる環境をつくることが重要なのである。
・ただ遺族は不満や苛立ちも感じていた。二十二歳の娘を亡くし、米国にも渡って生存率
 の向上に尽力した川北宇夫は、彼の著書の中で、遺体の収容遅れを随時、情報提供しな
 い警察への苛立ちを書き残した。    
 「人々は警察に対し面と向かって要求なり抗議をすることはなかった。その心理の裏に
 は、警察の権力に対する潜在的恐れと、警察ににらまれたら遺体の確認などでどんな意
 地悪をされるかわからないという弱い立場があったと思う。「日航の社長出てこい」と
 要求する人はあっても、「警察本部長出てこい」という人はなかった。私がお付き合い
 した警察官個人には、遺族に対して非常に親切で理解ある態度を示す人が多かったが、
 「警察」という組織は、悲しみにひしがれた遺族に対して極めて不親切で官僚的であり、
 情報の出し惜しみと寡黙の態度を崩さず、遺族の心を傷つけた。これは群馬県警だけの
 問題ではなく、日本の警察の体質そのものが示されたと考えるべきかもしれない」
・修理ミスのあった圧力隔壁は遅かれ早かれ破断したはずだが、あの日に破断するという
 のは神のみぞが知っていた。日航は快適性のために客室の与圧を高めに設定していたが、
 仮に低めにしておけば破断の時期は間違いなく先送りされ、墜落する前に飛行機はスク
 ラップになっていたかもしいれない。しりもち事故、交換する隔壁の寸法違い、修理ミ
 スという普通であればそれぞれ極めてまれなことが、なぜかあの日航機に集中した。そ
 の理由は科学的に説明がつかない。 
・日航機に限らない。世の中は不条理なことばかりだ。生まれた環境に格差はつきものだ
 し、人それぞれ寿命も能力も違う。先天的な重い病を背負う人もいるし、罪のない子ど
 もが歪んだ感情を抱く大人によって理不尽に命を奪われることもある。運命論と言われ
 たらやり切れない面がある一方で、運命とでも思わないと心の整理がつかいないことも
 多い。
・運命だから何をやっても無駄とか、無意味とか言っているのではなく、人間として最善
 を尽くしても、その先に不幸が待っていることがあり、その時は運命として受け入れる
 しかないのではなかろうか。大切なのは、人間としてできる最善をまず尽くすことだろ
 う。

あとがき
・事故原因をめぐってはいまだに諸説がある。だが、事故機を造り、修理ミスを犯し、事
 故調査に深く関与した米国側で聞いて回ると、圧力隔壁主因説以外には考えにくい。米
 国側の認識を知ってもらうことで、墜落・誤射説までもが浮上する現状に終止符が打た
 れればいいと願う。