日本中枢の崩壊 :古賀茂明

この本は、今から12年前の東日本大震災が起きた2011年の8月に刊行されたものだ。
すでに古い内容も多いのだが、そのなかにも、当時の教訓として知っておくべきことがら
や、現在でも通じるような貴重な提案などがあり、今読んでもとても参考になる内容が多
い本だ。

この本のタイトルである「日本中枢の崩壊」というのは、当時の政権与党であった民主党
政権および霞が関の官僚組織のことを指しているのであるが、いまこの「日本中枢の崩壊」
という言葉が指し示すことと言えば、それは「安倍派の崩壊」あるいは「自民党の崩壊」
を指すだろう。
政治資金パーティーでのキックバックによる裏金疑惑問題によって政界に激震が走り、
内閣や党の要職にある安倍派幹部たちから辞任者が続出したのだ。
まだ、今後どんな展開になっていくのか、まったく予想がつかない事態になっている。
しかし、日本の政治というのはどこまでカネまみれなのだろうか。
これで信頼しろと言われても、それは無理だろう。これは「日本の政治の崩壊」と言って
もいいのではないかと私は思っている。

ところで、この本の中で提案されているいくつかは、すでに実現されているが、私が特に
注目した提案は、「国民番号制」の導入に関する提案だ。
国民番号制は、「マインナンバー」の名で、すでに導入済みだ。
そして、そのマインナンバーをカード化したマインナンバーカードも既に導入済みだ。
問題はその次の提案だ。
この本の中には、マインナンバー導入の真の目的が書かれている。
それは、「個々人の年金、健康保険、介護保険の支払いと受給を管理できるようにする。
そして、医療、介護を含めて、生涯を通してもらい過ぎた分は国に返納するようにする」
制度を導入することだ。
現在、マイナ保険証の導入問題で騒ぎになっているが、それは付録のようなもので、高齢
者の死亡時に、残された金融資産は、国が没収するというのがほんとうの目的だというこ
とだ。マイナ・ポイントをもらって喜んでいる国民は、あとで自分の金融資産を根こそぎ
国から没収されるのだ。
いやはや、政治家や霞が関の官僚は、とんでもないことを目論んでいる。

過去に読んだ関連する本:
官僚の責任


まえがき
・私を駆り立てているもの、それを一言で表現すれば、「危機感」である。
 私には、現在、日本は沈没するか否かの瀬戸際にあるという強い危機感がある。
・世界の変化は年々、加速度を上げ、10年前に比べれば、日本を取り巻く環境は一変し
 ている。 
 世界の国々は、凄まじい変化に対応するため、常に変革を繰り返してきた。
 ところが、われわれの国、日本では、変革は遅々として進まず、閉塞状態に陥っている。
・たとえてみれば、海外の国々が新幹線で競争しているのに、日本だけが古い蒸気機関車
 で走っているようなものだ。
 日本は急激に国際競争力を失い、経済は沈下してしまった。
 しかし、「第三の開国」の必要性が叫ばれながらも、いまだに変化のスピードは一向に
 上がらない。
・日本の国という列車を牽引している政治、行政のシステムがあまりにも古びていて、世
 界の変化に対応できないのだ。
・日本の没落はいまに始まったことではない。
 情勢の変化に対応せず放置してきたため、近年、顕著になったに過ぎない。
 いってみれば、過去の政策の必然の帰結として、現在の日本の凋落があるのだ。
・衰退が誰の目にも明らかになったときは、もう手遅れである。
 いまはその一歩手前の切羽詰まったところまで日本は追い込まれている。
・ところが、この国をリードする「中核」に危機感が乏しい。
 この日が来ることを予測して私は、最悪のシナリオだけは避けるべく改革の必要性を訴
 えてきた。  
・時は残されていない。
 変化のスピードがどんどん速くなっているいま、現在の1年は、10年前の2年、3年
 に匹敵する。
 国民のみなさんが、「中国に抜かれたとしても、まだまだGDP世界第三位の経済大国
 ではないか」と高をくくって行動を起こさないと、気がついたときにはすでに手遅れで、
 日本国を立て直せない状況になっているに違いない。
・過去の成功体験や老朽化したシステムにしがみついていては、日本は凄まじい勢いで衰
 退していく。
 しかし、時ここに至っても、政治も行政も、弊害ばかりが目立つ老朽化したシステムに
 しがみつき、目覚めない。
 日本国の「中枢」が改革する心を失い、危機を感じ取る感性さえない。
 そのことこそが、この国の最大の危機の正体ではないかと思う。
・そう、「日本中枢」のシステムそのものが、もはや崩壊しているのだ。
 経済も、政治も、行政も・・・・。
・一刻も早く、官民をあげて過去と非連続の改革を成し遂げ、新しい国作りに着手しなけ
 ればならない。  

福島原発事故の裏で
・身を犠牲にして人々を津波から守ろうとした勇者たち、そして忍耐強く秩序を守り、
 自力で立ち上がろうとする人々、苦しいなかでも思いやりと助け合いの心を行動で示す
 被災者たち・・・。
 世界のメディアが賞賛し、世界中に共感と支援の輪が広がった。
 涙が出るほど嬉しいことだった。
・他方、地震後の日本政府の対応には世界中から非難の声が集中した。
 日本政府を賞賛する論評は、残念ながら、私は見たことがない。
 原発事故対応を含め、日本のメディアが政府批判を抑えるなか、海外の論調は総じて厳
 しかった。 
・私がもっとも驚いたのは、震災が起きるやいなや、信じられないことに、これを増税の
 ための千載一遇のチャンスととらえる一群の人たちが即座に動き始めたことだ。
 震災対応よりもはるかにスピーディな反応。驚くというより悲しかった。
・絶対に安心と聞かされてきた原発・・・どんな地震でも大丈夫だと、われわれは思い込
 まされてきた。 
 反論したいと思ったことは何度もある。
 しかし、それだけの根拠となるデータを持ち合わせていなかった。
 四基で、同時に生じた大事故、眼前の事実はすべての迷信をいとも簡単に覆した。
・それでも、政府は当初、「事故」ではなく、「事象」といい続けた。
 「爆発」が起きても、「大きな音が聞こえた」「白煙が上がるのが目撃された」「しか
 し何が起きたのかはわからない」という東京電力に対して、「情報が遅い」といって総
 が怒ったという話が流れた。
 永田町と霞が関の悪いところが集中的に出てしまっている。そう感じた。
・「想定外の地震」「想定外の津波」「想定外の原発事故」・・・、すべてが「想定外」
 の一言で許される、そんな空気が支配した。
・みんな必死で戦っている。自分のためだけでない。みんなのために戦っている。国民は
 そう信じた。
 しかし、そうしたなか、最初の数日で、私の心のなかにどうしようもない違和感が募っ
 ていった。
・私には、もっとも大事な初動の数時間、政府の危機感が伝わってこなかった。
 むしろ、この震災を「政権浮揚」の最大の機会と考えているのではないかとさえ感じた
 人々も多かったのではないか。
・マスコミから回ってきた官房副長官の一人の懇談メモを見て、私は驚いた。
 「これは間違いなく歴史の一ページになるよ」
 と高揚した発言。
 開いた口が塞がらないとはこのことだ。
・現場や東電、原子力安全・保安院、そして官邸で起きていることが目の前に浮かぶ。
 おそらく、この最初の数時間で、東電や官僚の官邸に対する不信感は瞬く間に頂点に達
 したであろう。 
・東電は民間企業とはいえ、お役所体質と隠蔽体質では、おそらく役所以上であることは
 累次の原発不祥事を追求してきた政治家が知らないはずがない。
 情報は、社内を出るまでに何重ものスクリーニングを経なければならず、しかも、一番
 重要な、すなわち悪い情報ほど出てきにくいシステムになっているはずだ。
・報道された総理動静を見ていると、時折会議は開かれるが、それもセレモニー的。
 具体的な対応策について議論したり決定したりしているというより、パフォーマンス的
 な色彩が強く感じられ、むろん、個別に各省幹部や専門家が呼び込まれ、その都度、綜
 理から指示がなされていたようだ。 
 これでは、一糸乱れぬ迅速な対応は期待できない。
・その後の原発事故対応を見ても、さまざまな問題が浮かび上がる。
 総理が現地に飛んだことは、初動対応で極めて負荷が高くなっていた官邸スタッフにさ
 らなる負荷をかけた。
 総理に意図がどうであったにせよ、対応の準備ができていない段階でいきなり総理が現
 地に入るとなれば、そのときの官邸スタップは、あらゆる準備をしなければならない。
 相当な努力がそこに割かれることになる。
 その間、当然ながら他の業務の処理速度は遅くなる。
・原発に関する情報が思うように入らなかったからといって、総理が現地に行く必要があ
 るのか。答えはNOだ。
 トップ自らが現地に乗り込み政治主導をアピールしようとしたという説もあるが、そう
 だとすると、政治主導のはき違えもはなはだしい。
・その後、総理は既存の原子力安全・保安院や原子力安全委員会への不信感から、同窓の
 東京工業大学卒の専門家の助言を得ることにした。
 しかし、これは政治主導ではなく、個人としての「政治家」主導に過ぎない。
 もちろんさまざまな意見を聞くのは良いが、国家の組織を動かせない総理が果たして国
 難に対処できるのか。この答えも、もちろんNOだ。

・3月末から4月にかけて一時「ベント」をめぐる官邸と東電の争いがあった。
 報道によれば、福島第一原発一号機の格納容器内の圧力が上昇し、容器の破損が懸念さ
 れた。
 そうして深刻な事態を防ぐため、容器内の水蒸気を外部に逃がすベントという作業を行
 うことになった。
 官邸では当初、3月11日深夜に、その方向性が事実上決まっていたのだが、実施され
 たのは翌12日午前10時過ぎ。
・3月下旬になって、この遅れは、総理の現地視察の準備に追われたため、あるいは、
 総理が現地にいるあいだには放射性物質を放出できなかったため、などという憶測がな
 され、官房長官の会見でも質問された。
 当初はあまり真面目に取り合わなかった官房長官だったが、マスコミからの批判は日に
 日に強かった。 
 すると一転、ベントを総理が指示していたにもかかわらず、東電がそれを遅らせたのだ
 という解説が官邸筋から流され、テレビに出演した寺田学・前総理補佐官もそう説明し
 た。
・しかし、もし総理がどうしてもベントが必要だと判断したのなら、ただ東電に法律(原
 子炉等規制法)に基づいた命令を発すれば良かった。
 それをなぜすぐに使わなかったのか。
 命令できることを知らなかったのか。官僚が知らないはずはない。
 総理にそれを上げなかったのか。だとすればサボタージュだということになるし、総理
 の信頼するスタッフが無能だったということになる。
 知っていたが、東電の判断でやれといったのかもしれない。だとすれば責任逃れである。
・政治主導とは、本来、官僚排除ではない。
 政治と官僚のどちらが主導するかという話である。
 官僚主導など本来あってはならない。
 政治が主導し、官僚はそれをサポートし、それに従って政策を実施する。
 当たり前のことができていなかったようだ。
・そして、リーダーの一番大事な資格、それは、リスクを取って判断した結果責任を負う、
 ということだ。
 総理にその覚悟がなかったのか、あるいは官僚が自分たちの責任を逃れるために東電に
 判断を押しつけようとしたのか・・・。
・私は過去に電気事業関係のポストに就いた経験のある同僚から、「東電は自分たちが日
 本で一番偉いと思い込んでいる」という話を何回か聞いたことがある。
 その理由は、
 ・東電が経済界では断トツの力を持つ日本最大の調達企業であること
 ・他の電力会社とともに自民党の有力な政治家をほぼその影響下に置いていること
 ・全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)という組合を動かせば与党もいうこと
  を聞くという自信を持っていること。  
 ・巨額の広告料でテレビ局や新聞などに対する支配を確立していること
 ・学界に対しても直接間接の研究支援などで絶大な影響力を持っていること
 などによるものである。
・簡単にいえば、誰も東電には逆らえないのである。
 テレビ局の報道も、福島原発の事故が発生した当初は、東電を批判する論調ではなかっ
 た。
 経営幹部の影響下にある軟弱なプロヂューサーは、東電批判につながる内容になると、
 直ちに批判色をなくすよう現場に命令を下したという。
・そして逆に、東電とうまく癒着できた官僚は出世コースに残ることが多かった。
 東電ならば、政治家への影響力を行使してさまざまなかたちで経産省の人事に介入した
 り、政策運営に介入したりすることも可能だといわれている。
・こうした巨大な力を見せつけられてきた経産官僚が、本気で東電と戦うのは命懸けだ。
 つまり、政治家も官僚も東電には勝てない。
 そう東電が過信していたからこそ、福島原発事故で初動のつまずきが生じたのかもしれ
 ない。 
 
・リーダーシップとして重要な要素、それは、緊急時にこそリスクを取って判断し、責任
 を取る姿勢だ。
 そして、その姿勢を官僚をはじめとする他のプレイヤーが信じられるかどうか、これが
 問題になる。
・日本の政治家や官僚の組織力の問題もある。
 緊急時に、日本の美徳「チームワーク」だけで乗り切れるのか。
 がんばっている証しが徹夜徹夜の勤務という評価軸では、かえって時間を浪費して決断
 できないという罠に陥る。
・そして、モノ作りや技術力への偏重と過信もある。
 日本の原子力発電は絶対に安全だといっていたが、それがいかに空虚なものだったか。
・官僚の情報隠蔽体質が所管業界にまで蔓延している事実も挙げなければならない。
 安全規制が、国民のための安全規制ではなく、官僚自らの安全を守る祈誓になっている
 こともそうだ。  
・福島原発の事故処理を見て、優秀なはずの官僚がいかにそうではないか明白になった。
 いや、無能にさえ見えた。
 専門性のない官僚が、もっとも専門性が要求される分野で規制を実施している恐ろしさ。
 安全神話に安住し、自らの無謬性を信じて疑わない官僚の愚かさ。
 想定外を連呼していたが、すべて過去に指摘を受けていた。
 ただ、それに耳を貸さなかっただけ。「想定外症候群」と呼べる。
・原子力村という閉鎖空間にどっぷりつかってガラパゴス化した産官学連合体も恐ろしい。
・しかし、これらの問題は、決して今日始まったことではない。
 何十年間という歳月をかけて築かれた日本の構造問題そのものである。
 未曽有の危機だから、それが極めて分かりやすいかたちで、国民の目の前に晒されたに
 過ぎない。 
 「日本中枢の崩壊」の一つの縮図が、この危機に際して現れた、そういって良いだろう。

暗転した官僚人生
・こういう素質が重要なのだ。つまり、仕事はできるが、上に変におもねることはなく、
 筋の通らないことを頼まれたら平気で断る、そんな人間。
 芯がしっかりしているのに加えて、できる男にありがちな出世願望もない。
・公務員制度改革の流れは、実は第一次安倍晋三内閣から始まっている
 そもそも自民党政権は、公務員制度改革に積極的だったわけではない。
 改革の権化のようにいわれる小泉純一郎総理でさえ、天下りをはじめとする公務員制度
 改革には手をつけることはなかった。
 それほどの難題になぜ安倍晋三総理が取り組んだのか。
・私の推測だが、安倍総理は「戦後レジームからの脱却」を掲げて教育改革など様々な分
 野で野心的な施策を打ち出そうとしていた。
 しかし、戦後レジームからの脱却というほどの大改革を実行しようとしたとき、最大の
 障害になるのが、まさに戦後レジームの中核である官僚システムであるということに気
 づいたのだろう。  
 大きな改革を成し遂げるには、なによりも抵抗勢力の中心的存在である官僚システムを
 変えなければ、結局、改革は絵に描いた餅で終わる。
・安倍総理といえば退任時の痛々しい姿ばかりを記憶する方が多いかもしれないが、最後
 に成し遂げた国家公務員法改正は、公務員による天下りの斡旋を禁止するという、霞が
 関から見ればとんでもない禁じ手を実現したもの。
 当然、これに対する霞が関の反発は尋常ではなく、それが官僚のサボタージュを呼び、
 政権崩壊の一因となったといわれている。
 
公務員制度改革の大逆流
・日本の国家財政はぎりぎりの状態にある。
 企業にたとえればわかりやすい。
 いまの日本が置かれているのは、企業でいえば一時赤字の段階ではなく、構造的赤字で、
 借金返済の目途が立たず、しかも本業の稼ぎも向上の見通しが立たない状態。
 民事再生や会社更生の申し立てを検討する段階である。
・企業の再生時には、一時的経営悪化時とはまったく異なる大胆な改革が必要となる。
 経営陣の退陣や外部人材の投入で、すべてのしがらみを断って非連続的改革を行う。
 と同時に、並行して内部の中堅・若手を抜擢し、改革業務をリードさせる。
 信賞必罰を徹底し、年功序列が能力主義に改められる。
・さらにもっと特徴的なのは、ウェットな風土の日本企業でも、再生段階ではドライに大
 胆なリストラが実施されるという点だ。
 かつてのダイエーや現在の日本航空で行われていることである。
 東京電力でも必要になるだろう。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で生き残るためには、事業の選択と集中が必要になり、余剰人
 員は役員や管理職ポストとともに大幅削減される。
・翻って公務員はどうか。
 国家には通常、破綻は想定されておらず、公務員は「身分保障」で守られている。
 だが、日本の国家財政は火の車で、さらに年々借金が積み重なり、成長のための投資も
 ままならない。
・破綻を回避するためには、無駄な歳出削減と成長力アップによる税収増をはかり必要が
 ある。  
 それでも足りなければ増税も避けて通れない。
・実は、歳出削減、成長力アップ、増税、これらのいずれも公務員のリストラなくしては
 実現しない。 
 歳出削減を徹底すれば、当然、人も要らなくなる。
・成長力アップは役人にはもっとも難しい課題だ。
 省益のことしか考えてこなかった各省庁の幹部の頭からは、過去の延長線上にある、あ
 りきたりのアイデアしか出てこない。
 まったく新しい発想で大胆な政策を打ち出すには、若手の民間人の血を入れて、新しい
 政策イノベーション文化を創造していくしかない。
 そのためには年寄りの官僚の既得権を奪い、新しい波に乗り遅れない人たちをまとめて
 リストラしなければならない。
・さらに、増税を求めるには、官僚自ら血を流す姿勢を示すことが不可欠だ。
 日本株式会社を運営する社員たる公務員が、自分たちはなんの痛みを受けず、大幅増税
 を求めても、株主であり、債権者でもある国民は、到底つき合えないということになる
 のは明らかだ。 
・消費税増税だけでは財政再建はできないが、日本国民は悲しいまでに真面目だ。
 消費税増税はもはややむを得ないと思い始めている。
 しかし、仮に国民が増税を覚悟しているからといって、将来の絵も描かないまま「当面」
 10パーセントなどという無責任な増税を認めるほど国民もバカではない。
 いかに増税幅を抑えるかを真剣に考えなければならない。
・「身分保障」の美名のもと、仕事がなくなった人を増税で雇用し続けることは許されな
 い。 
 時代についていけない幹部官僚を守り続けることはもはや、犯罪といってもいいだろう。
・こういうと、われわれにも生活があると大半の公務員は反論するだろうが、公務員は世
 間相場より高い給与をずっと支給されてきた。
 都心の一等地の官舎にただ同然で住み、その間ゆとりをもって貯金できる。
 蓄えは民間人より多いだろうし、高額の退職金も出る。
 急場は凌げるはずである。
 贅沢をいわなければ、再就職の道がまったく閉ざされているわけでもない。
・リストラはむやみに行うべきではないが、現在のように、官と民両方を救う財源はなく、
 公務員を助けるか、一般国民を助けるか、二者拓一を迫られている状況下では、当然、
 一般国民を優先すべきだ。
・しかも、単にリストラができるというだけでなく、若手や民間人の登用によって、これ
 からの思い切った改革の推進体制を整えることもできるのだ。
 国民のために働きたいという望み、公務員になった者には十分理解できることである。

・私が憂慮していた事態が現実になったのは、鳩山内閣から政権をバトンタッチされた菅
 直人内閣が、「退職管理基本方針(以下「基本方針」と略す)」を閣議決定してしまっ
 たのだ。
・「基本方針」は安倍政権時代に改正された国家公務員法のなかで禁止された「天下り」
 の斡旋の禁止措置をあからさまに骨抜きにする内容だった。
 「基本方針」では「天下りの斡旋を根絶し」と従来の方針を謳っている。
 だが、内容を検討すると、謳い文句とは裏腹に、事実上の天下りを容易にする方法と、
 出世コースから外れた官僚の処遇ポストが用意されることになっている。
・具体的に「基本方針」のどこが問題なのか。
 第一に独立行政法人(独法)や政府系の企業への現役出向、民間企業への派遣拡大の容
 認である。 
 現役出向や民間企業への派遣拡大はどこに問題があるか、にわかにはわかりにくいかも
 しれない。
・天下りが問題視されるのは、省庁による民間企業への押しつけ人事が行われたり、ある
 いは天下り先との不明朗な関係を生み、結果的に膨大な無駄が生じたり、おかしな規制
 が生まれたりするからだ。
 この現象は、公務員が退職しているか現役であるかにはかかわらず、官庁の斡旋であれ
 ば起こり得る。
・いや現役の出向のほうがOBの天下りより悪質だ。
 たとえば、経産省が規制改革の議論を進めている最中に、受け入れ先の社長が、お宅の
 人間の面倒を見て、能力の割に高い給料を払っているのに、規制緩和などやられたら、
 何のために受け入れをやったのかわからないと、言外に匂わせる。
 こういう会話が交わされると、規制改革の矛先が一気に鈍る。
 東電と規制官庁である経産省、その外局の資源エネルギー庁や原子力安全・保安院との
 関係はその典型である。
・「想定外」といわれた津波による全電源の機能停止。
 実は、そうした不安は以前から指摘されていた。
 そのような指摘を、いちいちまともに取り上げて規制を強化しようとすれば、東電はじ
 め天下りを送り込んでいる電力各社との関係が悪くなる。
 世論の厳しい批判が出て初めて、東電がやむを得ないと思うまでは、規制強化は先送り
 しようということになってしまったのだろう。 
・これは意図的に行われたというより、官僚の本能として無意識のうちに行われたのかも
 しれない。
 したがって当事者たちは、まったく罪の意識がなかった、という推測も十分に成り立つ。
 そのくらい根が深い問題なのだ。
・しかも、何代にもわたって天下りを送り込んでいる場合は、現実のやり取りが行われな
 くても、あうんの呼吸で意思疎通が行われているのが普通だ。
・役所から見れば、OBより結びつきが強い現役のほうがきちんと面倒を見なければなら
 ないし、受け入れ側からすれば、現役の待遇に気を遣うという意識が働き、癒着の構造
 になりやすいのだ。 
・にもかかわらず、「基本方針」では「公務員時代の専門知識を民間で活用する」
 「官民の交流を深める」との美名のもと、中高年職員の実質的天下りが推奨されている。
・「基本方針」にも、もう一つ大きな問題がある。
 独立行政法人の役員ポストに関してである。  
 独法の天下り役員ポストについては2009年秋から公募が義務づけられていたが、
 現役出向で就く場合は、公募しなくてもよいと改悪された。
・私には、これを正当化する理由が見当たらない。
 政治主導で所管大臣が独法役員を選任するという仕組みだから、公募はせずともよいと
 いうのが改正の唯一の理由らしいが、どう考えても、政治主導を隠れ蓑とした官僚の利
 権拡大としか思えないからだ。
・第三の問題として高位の「専門スタッフ職」の新設。
 霞が関では、従来から出世コースを外れた課長職以下のために「専門スタッフ職」が設
 けられているが、これはその上位版である。
 この処遇によって、高齢のキャリア官僚は幹部並みの年収千数百万円が保障されること
 になると予想される。
 これまた官僚の既得権拡大と見られても仕方がない。
・実際のところ、「基本方針」だけを読んでも具大的に何が起こるのか、普通の人にはま
 ったくわからない。
 表現が抽象的で、しかも大事なことはほとんど何も書いていない。
 すべてが映画の予告編のようなものだ。いや、それよりもはるかにわかりにくい。
・これは、後ろめたいことを官僚が画策するときの常套手段だが、今回はそれが極めて徹
 底している。 
 全体として見ると、巧妙な仕組まれた総合的な官僚の既得権維持拡大の策略が、ひとつ
 の措置を、あえていくつかの文書に分けて行われている。
 さらに発表の時期も、選挙前のどさくさのときや、お盆休み中というように、気づかれ
 にくいときを選んで行われている。

・もう一つ、ほとんど問題視されていない公務員特権拡大の策略がある。
 それは、公務員だけは定年を65歳に延長しようというものだ。
 共済年金の支給開始年齢が65歳に引き上げられるのに合わせて、無年金期間の発生を
 防ぐためである。
・一般の国民も同じ問題に直面する。
 そこで、政府は、民間企業に対して、
 @定年廃止
 A定年延長
 B採光用制度導入
 という三つの選択肢を示して対応を促している。
 しかし大半の企業は、かろうじて再雇用制度の整備をしてなんとか対応しようとしてい
 る。  
 つまり、一度定年退職してもらって、再雇用契約を結び、定年前の半分、ときには二割
 とか三割という低い水準の給料で我慢してもらい、なんとか雇用を継続しとうというも
 のである。
 しかも、中小企業などでは、それさえままならぬというところも多い。
・人事院は公務員の待遇について、何かといえば民間準拠という。
 民間並みにしろというのだ。
 しかし、民間準拠とはいっても、どう見ても公務員のほうが民間よりもはるかに待遇が
 いいと思われる点がある。
 それは公務員宿舎だ。
 都心の一等地に格安賃料で入居できる。
 民間企業でも一部大企業にしかできない待遇だ。
 しかも、幹部職員になっても公務員宿舎に居座り続けている人たちもいる。
 民間なら、管理職になれば出てくれといわれるケースが多いのだ。
  
霞が関の過ちを知った出張
・自分の技術、製品の競争力を利益につなげる経営能力がいかに重要かということだ。
 現在の中小企業政策の過ちは、経営能力を見ずして技術最優先で企業を選別し、救いの
 手を差しのべる点にある。
・中央の役人は技術、技術というけれど、いくら卓抜な技術があっても、経営力が乏しけ
 れば宝の持ち腐れになる。
 経営力に欠ける企業は、そのままでは、いくら資金面の支援をしたところで、やがて立
 ち行かなくなる。 
・顧客の減少ばかりを心配して経営者が値上げに踏み切らなければ、財務内容が悪化して
 倒産に追い込まれる事態も考えられる。
 ところが、中小企業庁の行っている支援策は、大企業に収める技術力があれば資金面や
 財務面の支援を行うということになりがちで、経営力を見極めるというところが弱い。
・しかも、金融支援は、安い金利で貸し付けと補助金の注入だ。
 この二つの政策は、ともに問題が多い。
 本来ならば救うべきでない企業まで生き長らえさせるだけでなく、企業の経営力を減じ
 かねないからだ。 
・もちろん、リーマン・ショックのような外的ショックが加わったような緊急時には、
 経営力があっても急場のつなぎ資金に行き詰っているような優良企業を救済しなければ
 ならない。
 だが、日常的に政府の安い金利漬けになって、普通の金利ではもはや運営できなくなっ
 ている企業を延々と存続させて、それが国民、国家の利益になるとはとても思えない。
 ましてや補助金の注入は企業の育成にはほとんど役立っていないのが現状だ。
・仮に、経産省が余計な救済をしなければどうなるか。
 同業他社の多くは倒産する。
 しかし、その分、この企業は仕事が増え、全員とはいわなくても、職を失った同業他社
 の従業員のかなりの人間を雇う。建設機械も買い取る。
 結果的に、いま同業他社で安月給にあえいでいる従業員の生活はもっと楽になる。
 さらに、スケールアップをすることによって生産性も上げり、顧客へのサービスもより
 充実させられる。 

・中央官庁の現実無視の政策と官僚の時代遅れの価値観は、日本の製造業に構造的かつ致
 命的な欠陥を植えつけてしまった。
 それは、大企業を頂点として一つのカルチャーに染まってしまう体質だ。
・一つの例を挙げよう。
 日本の製造業の特徴を表すキーワードの一つに「擦り合わせ」がある。
 日本の大企業は自分たちの使い勝手の良いように、細部までこだわった仕様を要求する。
 たとえば工場のベルトコンベア一つとっても、他社と同じ画一的な仕様は好まず、業者
 と綿密な「擦り合わせ」を行い、独自のシステムを構築しようとする。
・工場ごとにオリジナルのものを作ってくれなければ取り引きできないとこだわる企業も
 少なくない。
 さらに納入した後も業者が呼ばれ、「ここのつなぎがちょっと悪い。使いにくいから改
 良してくれないか」といったやり取りが繰り返される。
・経産省の見解では、このきめ細やかな「擦り合わせ」の力こそが、日本の製造業の最大
 の強みだということになっている。
 だが、闇雲に「擦り合わせ」を美化することにより、その「擦り合わせ」によって日本
 の製造業は、国際間競争では知らず知らずのうちにハンデを負ってしまっているという
 実態がある。  
・日本の得意先とヨーロッパの取引先では、要求される度合いに雲泥の差があるらしい。
 ヨーロッパのメーカーが相手なら、標準のシステムを納入するだけでビジネスは完結す
 る。
・ところが日本の製造業相手ではそうはいかない。
 同程度の機能のシステムでも、注文がうるさい日本の製造業相手の場合、設計に必要な
 人員もヨーロッパの三倍になるという。
・要望に添うよう作り込まなければならないので、当然、納入までにかかる時間も長い。
 それでいて利益は、ヨーロッパ企業相手の半分しかないというのだ。
 しかも、日本の設計担当者は毎日深夜残業。
 ヨーロッパでは二ヵ月の休暇をとっても利益率はかるかに上だ。
・「擦り合わせ」文化がすべて悪いわけではない。
 製品の品質・性能に直接関わる部分について他との差別化をはかるのは、確かに重要だ。
 たとえば重要部分の1000分の1ミリの調整によって製品に決定的な差が出てしまう
 ケースはままある。   
 しかし日本の製造業は、ただ「擦り合わせ」を金科玉条として、取るに足らないところ
 まで使い勝手の良さを求める。
 そのため、高コスト体質から抜け出せなくなっているのだから、本末転倒である。
・結果、日本人は汗水垂らして長時間働いても一向に報われないという、まるでギリシャ
 神話に描かれたシシュフォスに科された罰のような生活を強いられている。
 「擦り合わせ」文化はすべてなくす必要はないが、絶対的価値だという先入観は捨て、
 見直すべき時期に来ているのではないか。
・日本の大手製造業の「擦り合わせ」絶対主義は一種の宗教のようになっている。
 経産省もことあるごとにこれを賛美してきた。
 しかし、中小企業でも、海外の実績を目の当たりにすれば、その愚かさにすぐ気づくの
 である。  
・経産省がもし、日本の産業の振興を本気で考えているのなら、このような悪しき企業文
 化の払拭に着手すべきだろう。
 ところが、困ったことに、経産省の最高の美学がいまだに「擦り合わせ」なのだ。
・経産省では、日本企業の細やかな「擦り合わせ」こそ、他国がまねのできない特有の文
 化で日本の競争力の原動力、との解釈がまかり通っており、日本企業に擦り合わせ」文
 化が定着した一因は、経産省の感覚のずれた価値観にあるといっても過言ではない。

・日本の大手メーカーを世界屈指の超優良企業にまで押し上げた原動力は、悪く言えば大
 企業が構築した利益を独り占めする、ある意味、こずるいシステムにある。
 日本の大手メーカーは、下請け企業を囲い込み、本来なら下請けが得る利益まで、すべ
 て吸い上げる仕組みを考え出した。  
・誤解して欲しくないのだが、私は決して日本のメーカーを非難しているわけではない。
 むしろ、立派だと思っている。
 企業が自社にとってもっとも効率的に利潤を上げられるやり方を考えるのは、当然の行
 為である。
 そうした経営手腕が卓越していたからこそ、世界のなかで競争をして行けたのだと評価
 している。
・だが、われわれ官僚の立場は、一企業の経営者とは違う。
 経産官僚は、国全体の産業、経済の発展を考えなければならない。
 そういう観点からすれば、このような構造にはいささか問題がある。
・私は、これまで、世界でも有数の技術力を誇るという中小企業を数多く訪問した経験が
 ある。 
 話を聞くと、これからどんどん成長して、すぐにも大企業になりそうな気がしたものだ。
 しかし、その多くはその後も中小企業のままである。
・そういう企業でよく聞く話しとして、「発注元がわれわれの技術を高く買ってくれてい
 て、わざわざ本社から取締役がお見えになって、従業員にまで声をかけてくれました。
 あれは私たちにとって大きな励みになりました」というのである。
・役員室には、発注元の社長名の表彰状があったりする。
 地方の方は純朴である。
 わざわざ世界に冠たる企業の重役が訪問して、自分たちの技術を褒めてくれただけで、
 大きな喜びを感じる。
 大手メーカーの凄いところは、そんな地方の経営者の純真無垢な気持ちをうまく利用し、
 取り込んで離さない術を知っている点である。
 これほど安上がりな技術独占方法はない。
・しかし、一企業が、世界に通用し、しかも大きなビジネスにつながる可能性を秘めた技
 術を有する企業を囲い込んでいるのは、国家全体の経営からいえば、多大な損失である。

・いささか誇張していえば、霞が関のベテラン官僚が見ているのは、せいぜい半径1キロ
 メートルである。
 官僚がもっとも気にするのは「霞が関村」の掟だ。
 よく批判されるように、「霞が関村」では省利省益最優先。
 先輩のやった政策は、たとえ疑問があっても非難はタブーといった不文律ができあがっ
 ている。
・福島原発でも、実は津波に備えて、非常用のディーゼル発電機を原子炉建屋内に置くべ
 きという問題意識はあったようだ。
 しかし、これを実行すれば、先輩は安全を十分に配慮していなかったことになる。
 そのため、原子力安全・保安院の官僚はもとより、官僚よりも官僚的といわれる東電マ
 ンは、なんの対策も打たなかったのだ。
・もし、この掟を破れば、村から追放されるか、もしくは村八分の憂き目に遭うか。
 それがわかっている官僚は、村の掟から逸脱しないよう、細心の注意を払う。
・これは官僚個人の資質とは別の問題である。
 現在の官僚機構のシステムでは「霞が関村」の掟に逆らうと生き残れない仕組みになっ
 ているのだ。  

役人たちが暴走する仕組み
・現在の霞が関の最大の問題は、官僚が本当に国民のために働く仕組みになっていない点
 である。
 官僚志望者の大半は、国民のために持てる能力を発揮したいと望み、官僚を目指す。
 ところが、この純粋無垢な気持ちは、いつの間にか汚濁にまみれていく。
 そういう構造的な欠陥を現在の官僚機構が宿している。
・第一の欠陥は縦割りの組織構成である。
 いったん入省すると、生涯所属は変わらない。民間に置き換えれば、公務員という職に
 就くというよりは、経産株式会社や財務株式会社に永年雇用される。
 一生お世話になる組織の利益のために働く。これはごく自然な感情だ。
 省利省益の確保と縄張り争いに血道を上げ、職員の生活が豊かになっても、国民の誰も
 賞賛はしないどころか、それは悪でしかない。
・第二の欠陥は、年功序列と身分保障
 官庁では、ポストも給与も入省年次で決まる。
 能力がなければ係長で終わりも仕方ないのに、キャリアならまず確実に課長にはなれる。
 課長職以上のポストとなると出世競争があるが、評価はどれだけ省益に貢献したかで決
 まるのだから、幹部候補のエリートは余計に国民のことは考えなくなる。
 それ以前に親方日の丸で国家財政破綻寸前になっているいまも年功序列にしがみつき、
 ぬくぬくと暮らしている官僚に、民間企業や国民のニーズに応える適切な政策が立案で
 きるわけがない。 
 
・官僚の仕事は、もともと成果がはかりにくい。
 年功序列なので、余計に成は評価基準にはならない。
 霞が関の役所の評価基準は大きく分けると二つしかない。
 一つは労働時間、もう一つは先輩、そして自分の役所への忠誠心だ。
 霞が関では、仕事を効率的にやるという努力は無駄に終わる。
 だらだらとでもいいから、なるべく長く仕事をしたほうが勝ちだ。
・深夜、霞が関をタクシーで通ると、どの庁舎も煌々と灯りが点いている。
 霞が関は不夜城。
 官僚は批判されているけれど、なんだかんだいって、一生懸命働いているじゃないか、
 と思われる人もいるだろう。
 だが、実態はお寒い限りだ。
 夜の七時頃から九時頃まで多くの幹部が席を外している。
 外部との打ち合わせと称して、酒を飲んでいるのだ。
 上司から「お前も来い」と言われれば、若手もついていくしかない。
 疲れているところへアルコールが入るのだから酔いも回る。
 それでも、みんな戻って仕事をする。
・私はアルコールを一滴も飲まないので、酔っ払っていながら仕事をやっている人を見る
 と、ある意味、凄いなと思うものの、その一方で、どう考えても実のある仕事ができる
 とは思えない。
 仕事ははかどらず、気がついたときは、時計の針は零時を回っている。
 終電は終わっているので、タクシーを飛ばして帰るしかない。
・日々、このような生活を送っているのだから、日中の仕事も効率が上がらない。
 要は、だらだらと仕事を続けているに過ぎないのだ。
・本来なら酒など飲みにいかず、さっさと仕事を片づけて帰宅し、家族との時間を持った
 ほうがいいと考えている官僚も多いはずだが、そうならないのは、いかにサボリなが
 ら仕事をしているように見せられるかが、霞が関では重要であるからだ。
・大学を卒業した時点で、潜在的な能力が非常に高くても、原石は磨かなければ光らない。
 いまの霞が関は、せっかく秘められていた能力を花咲かせるどころか、伸び悩ませるシ
 ステムになっている。
 「霞が関は人材の墓場」なのでる。
・これを正常な評価システムに変えれば、途中下車の道も開ける。
 民間でも十分やれそうだという手ごたえを感じた人は、残るよりも辞めたほうが得だと
 思うケースも出てくる。
 天下などに頼らず、早期退職するという選択肢が増えたほうが、官僚という職業の魅力
 も増す。 

民主党政権が躓いた場所
・自民党時代の与党議員と官僚の関係は、「政官癒着」とよく非難されていたが、この表
 現は適切ではない。
 自民党と霞が関の関係はもっと深かったからだ。
・自民党は、政策立案の場として、党内に専門の部会を設置している。
 内閣が提出する法案であっても、まず各部会の議論と了承手続きを経て、自民党の政務
 調査会(政調)で調整され、さらに党総務会に回され、最後に閣議で正式決定され国家
 に提出されるという仕組みになっていた。 
・この政策立案の場である各部会のブレーンは、対応する関係省庁の官僚が務めていた。
 法治国家の日本では、政策には法律の裏づけが要る。
 たとえば、経済産業省がやりたい政策があれば、それを法案にまとめ、官の素案として
 自民党の経済産業部会論議してもらう。
 部会でこの法案(政策)でいいからやろうとなると、修正などのとりまとめをした後
 に、党政調に上げられる。
 すなわち、自民党の部会と関係省庁は一体となって政策をまとめあげていたのだ。
・自民党の議員は、必ずどこかの部会に入ることになっている。
 部会は若手議員の絵勉強会の場でもある。
 初当選して国会議員になりたての新人のなかには、政策立案といっても何もわからない
 人もいる。
 彼らは、専門部会でそれを学びながら、政治家として成長していく。
 この先生役を務めているのも官僚。
 言い換えれば、自民党の議員は官僚に育てられて一人前の政治家になるという仕組みに
 なっていたのだ。 
・したがって、自民党時代の自民党議員と官僚は、切ってもきれない親子関係といっても
 いいほど深く結びついていた。
・このシステムには、各分野のスペシャリストの政治家が育つというメリットがある一方
 で、悪名高い「族議員」を生み出すなど弊害も多かった。
 たとえば経産省が経済産業部会で実権を握る経産族議員を育成、こうした族議員に根回
 しして、その力を借りて法案を通す。
 その見返りに、族議員の口利きや陳情に応じ、特定の業界に便宜をはかるといった慣行
 が根づき、族議員は省の利益の代弁者となっていた。
・つまり、単純な癒着というより、政官が一体となった「複合共同体」ができあがってい
 たのである。 
・利権は国政のあらゆる分野に及んでいた。数え上げたらきりがない。
 そして、電力もまた代表的な政官財の癒着構造を持っていた。
 電力の世界は、業界全体が、政にも官にも優越するという特殊な構造になっていた。
・その点、結党以来、一度も政権の座についたことのなかった民主党の議員は、官庁との
 不透明な利害関係はない。
 民主党にも、官僚出身の議員がたくさんいる。
 民主党の「過去官僚」議員のなかには出身官庁と深い関係にあり、自民党の族議員と同
 じような動きをする人もいるが、少なくとも自民党時代のような構造的な一体関係を育
 むシステムは存在しなかった。 
・民主党政権になれば、自民党の族議員と官僚といった政官の関係は一度「ご破算に」な
 る。
 そのうえで民主党政権が、政治家と官僚の新たな関係を構築すれば、「脱官僚」は一気
 に進展する可能性はあった。
・民主党政権は、発足時当初こそ、期待通り、官僚と対峙する姿勢を鮮明に打ち出して出
 発したが、その後の妥協に次ぐ妥協を見ていると、「脱官僚」は看板倒れに終わりそう
 な気配であった。 
・民主党はそもそも「政治主導」の意味がわかっていなかったのではないか。
 そして、「政治主導」を行う実力がなかったのではないか。
 しかし、仮に「政治主導」の意味を理解し、これを実施する実力があったとしても、な
 お足りないことが二つある。
・最大の問題は、民主党が何をやりたいのか、それがはっきり見えてこない点である。
 マニフェストを熟読しても、民主党が目指している国家像が伝わってこない。
・二つ目は、政治主導のための仕組みを確立できていないことにある。
 自民党政権時代は善くも悪くも、党と官僚は一体で、官僚依存で政策を立案し、実施し
 ていたが、それに代わる仕組みが作れていない。
 官僚が国民の代表である政治家の考えを半ば無視して、自分たちの利益につながる政策
 を立案している。 
 「政治主導」なのは間違いないが、言葉だけが独り歩きしていて、そのための仕組みが
 整えられておらず、掛け声倒れになった。
・国の財政は、いまや破綻寸前、民間でいえば、会社更生法を申請しなければ立ち行かな
 いところまで来ている。 
 事業再生の段階では、無駄な事業は切り、経営陣には責任を取ってやめてもらう。
 その代わり、若い有能な人を引っ張りあげる。
 あるいは外から優秀な人材を連れてきて、新たな企業文化を作り、前に進む。
・事業のいくつかは整理されるので、ポストは減り、相当数の従業員がリストラされる。
 巷にはリストラされて失業した人が溢れる。
 民間の失業者のなかには、職だけでなく、住むところも失った派遣社員もいる。
 彼らは次の職を見つけるため、悲壮な表情でハローワークに並んでいる。
・対して霞が関は、世間とは別世界だ。
 民間でいえば会社更生法申請段階というのに、無駄な事業をいまだに続けている。
 リストラもやらない。
 役人は公務員法に守られ、給与もボーナスもほとんど削られない。
 公務員法は変えるべきだが、それでも霞が関はリストラを認めないかもしれない。
 私のように公務員もリストラが必要などというと、返ってくる言葉は決まっている。
 「生首を飛ばして、血を流そうというのか」
・罪を犯したわけではないのに、クビを切るのはかわいそうだ。
 これが霞が関の麗しい論理である。
 だが、寒風吹き荒ぶ民間をよそに、ぬくぬくとした境遇に安住している霞が関がいくら
 増税が必要だといっても、国民は誰も納得しないに違いない。

政治主導を実現する三つの組織
・日本国憲法では国権の最高機関は国会だと定めている通り、国の期間としては国会が究
 極の主導権を持っているはずだ。
 その次に問題となるのが、では、行政を担う政府のなかで誰に主導権があるのか、とい
 うことだ。
・政治家やマスコミは「政治主導」という言葉をなんの疑問もなく使っているが、実は政
 治主導という言葉があること自体、本来おかしい。
 官僚は大臣の指揮下にある、政治の仕事に携わる実務の遂行者であり、政策の決定権は
 ない。
 したがって、法律上は「官僚主導」はあり得ないはずであり、その逆の「政治主導」な
 どという言葉も存在する意義がないはずである。
・これを大前提に考えていくと、一言でいえば、政治主導とは「内閣主導」だ。
 さらに詰めていくと、内閣のトップである総理の主導こそが政治主導の究極の形となる。
 一人に権力を集中したほうが、霞が関を抑え込みやすくなる。
 その意味でも、総理主導が望ましい。
・ところが、役人言葉には「内閣主導」はあっても、「総理主導」はない。
 役人は、総理は内閣の総意に基づきリーダーシップを発揮するのであって、各省庁の大
 臣の意思を考慮しない総理の主導はあり得ないと解釈する。
 このように役人が考えるのは、総理主導を認めると、総理の一存でなんでも決まってし
 まいかねないからだ。  
・総理主導を認めない考え方によれば、各大臣をコントロールすることにより、内閣をコ
 ントロールし、結果的に総理の主導権を空洞化できる。現実にそういうことが起きてい
 る。
・逆に総理主導を認め、総理を完全にコントロールできなくなると、役人の意思は反映さ
 れなくなる。
 各省の役人からすれば、総理のコントロールは、所轄の大臣のそれに比べるとはるかに
 むずかしい。
・官僚の解釈が間違っているわけではない。
 憲法上も、「総理は内閣の総意に基づいて」とタガをはめている。
 官僚はこの解釈を楯にとって「総理主導」を認めないのだ。
・だが、現実に最終決定権を握っているのは総理である。
 大臣を指名し、場合によっては罷免できる。
 しかも、閣議で議論した結果、意見がまとまらないときに、最終的な決定を下すのも総
 理だ。   
 もし、総理の考えに全閣僚が反対したときには、全大臣を罷免し、総理が兼務すること
 だって理論的には可能である。
 それがゆえに、閣僚が不祥事を起こしたときには、総理は任命責任を問われる。
・この仕組みを前提に考えれば、総理が各省庁、各大臣に直接指示する、総理主導の政治
 がもっとも効率的な政治主導という結論になる。
・私がイメージするものはアメリカの仕組みに近い。
 アメリカでは行政権は大統領が単独で担っており、ホワイトハウスに大統領直属の中核
 組織「大統領府」が置かれている。
 大統領府は行政組織の統括機関であり、軍事外交政策の「国家安全保障会議」、通商政
 策の「通商代表部」、経済政策の「経済諮問委員会」などで構成されている。
・また各省の閣僚は、あくまで大統領を補佐し助言を与える役割に留められており、大統
 領が閣僚の意見に法的に拘束されない仕組みになっている。
 そして新大統領が就任すると、閣僚だけでなく、行政組織の幹部も政治任用によってす
 べれ入れ替えられる。その数は約3000人にも及ぶ。文字通り、官僚機構の「中核」
 が一新されるのだ。
・このいささかエキセントリックに見えるシステムには批判もあり、官僚の入れ替えには
 議会の承認が必要なものもあり、時間もかかる。
 大統領就任後半年経っても、まだ財務省の次官補が決まっていないなどという、日本で
 は考えられない事態も起こりえる。
・しかし、それでも新大統領の就任と同時に、大統領の意向に添う新たな政策が次々と提
 案される。   
 まだ決まっていない役所の幹部ポストがあるにもかかわらず政策が出てくるのは、大統
 領があらかじめ用意していた自前のチームを連れて、ホワイトハウスに入るからだ。
 このチームが既存の行政組織とは関係なく、政策をリードする。
・小泉総理は、政策は竹中チーム、マスコミ対策は飯島秘書官に分担させ、政策について
 も案件ごとに人をうまく使い分けながら行政組織をコントロールし、政策運営を行った。
 小泉時代を見ると、政治主導を発揮するには、総理直結の自前のチームが不可欠だとい
 うことがわかるだろう。 

・私の考える総理直結の国家戦略スタッフのあり方は次のようなものだ。
 時の総理はスタッフの人数も人選もすべて自分の一存で決められる。
 何人入れるかも自由だし、政治家と官僚、あるいは民間人の登用も自由。
 その比率についても総理が独断で決められるといった具合に、総理が好きなようにチー
 ムを編成できる。
・戦略スタッフの一人ひとりに付与される権限は形式的にはさほど強くはないが、いった
 ん総理の指示が下れば、事実上なんでもできる。
 その事項に関する、実質的に大きな権限を持てる。
・しかし、大きな権限を与えることができるのはあくまでも総理だけであって、官房長官
 や官房副長官は、総理から頼まれない限り国家戦略スタッフには直接指示できない。
・総理直結の組織を使って指示し、政策を立案・実施する仕組みなら、明らかに総理に責
 任がある。
 もし、公約を実施できなければ、説明責任も生じる。
・総理直結の戦略スタッフ制になれば、末期の自民党政権のような責任のなすりつけはで
 きなくなる。 
 「スタッフ」がやってきれなかった」などと総理が弁解すると、即座に記者や野党議員
 から、「スタッフは総理が選んだんですよね」「あなたが指示して、あなたが選んだス
 タッフにやらせたわけだから、責任は総理にある」と突っ込まれる。
・ちなみに、この議論をしていると、官僚から必ず出てくる反論がある。それは、
 「こんな仕組みを作ったら、総理がよほどしっかりしていないと指揮命令系統が不明確
 になって、行政が混乱する」
 というものである。
 実際は、「こんなものができても自分たちは国家戦略スタッフには従わないから混乱す
 る」と言っているに等しい。
 そもそも「しっかりしていない総理」というものを前提に議論すること自体、官邸官僚
 が政治家をバカにしていることを物語っている。

・一口に大臣といっても、法律上は「国務大臣」と「省庁大臣」の二つの呼び方がある。
 国務大臣は総理が任命した大臣全員に使われる呼称であるのに対し、省庁大臣は省のト
 ップである大臣にだけ使われる呼び方だ。
・省庁大臣であっても、人事権はほとんど行使できない状況に置かれている。
 たとえば、大臣が独断で外から人を入れようとすると、「役所に不利益をもたらすよう
 な人事は認められない」と官僚に圧力がかかる。
 もちろん表向きは「外の人を入れても、かえって混乱して大臣の責任が問われかねませ
 によ」と、親身になったふりをして、「アドバイス」するのだ。
 官僚組織にそっぽを向かれると、大臣としての仕事にたちまち支障をきたすので、大臣
 はそれ以上、ゴリ押しできない。
・現行のシステムでは、役所の幹部人事は、各省庁が人選を行い原案を作り、官房長官の
 主催する官邸の人事検討会議の了承を得て、形式的には閣議で承認を取り、大臣が任命
 するという流れになっている。
 しかし、これはあくまで形式的な手続きに過ぎない。
・実態は、事務次官が作成した推薦リストを人事検討会議がそのまま承認し、大臣が任命
 する。   
 推薦リストのなかに、たとえ大臣が適任ではないと思う人物の名が入っていても、拒否
 はむずかしい。
・大臣はその役所にずっと務めているわけではないし、自分の任期がどれくらいか予想も
 つかない。
 多くの場合、一年程度で交代させられる。
 そのような短期間の任務だとすれば、あえて官僚と軋轢を生むより楽な道を選びたくな
 る。
 現場のトップである事務官から「この人こそ、このポストにふさわしい」と強く推され
 れば、反対はできない。
・したがって現在の仕組みでは、政治主導による人事は不可能。
 これを根本から改革する必要がある
 そのための新システムが「内閣人事局」の創設だ。 
 各省庁の幹部人事を内閣人事局で一元管理して実施するのだ。
・具体的には、各省庁の幹部候補の名簿は官房長官が作り、そのなかから各省庁大臣と総
 理、官房長官が相談して決める。
 そういう仕組みになれば、省利省益をベースとして官僚による官僚のための人事はなく
 なるし、次官に遠慮して人事に介入できない大臣も、本来の自らの考えでもっとも望ま
 しい幹部人事ができるはずだ。
・内閣人事局の創設は、政治主導という観点からも必須である。
  
・財務省は霞が関の官庁のなかでも突出した権力を握っている。
 なぜ、財務省は省庁のなかの省庁と呼ばれ、霞が関の象徴になっているのか。
 財務省のパワーの源泉の一つが予算編成権だ。
 予算編成権は、言い換えると、国民から集めた税金など国家収入を再配分する権限。
 ある意味、国家の存在意義そのものである。
 各省庁は、財務省に概算要求をして、予算をつけてもらう。
・予算に関しては、国会で承認を得て成立する決まりになっている。
 政府案をまとめる大詰めの段階では、財務大臣と各省庁の大臣との大臣折衝など、政府
 が深く関与する。 
 とはいえ、膨大な数がある予算の細目を、短期間に政治が一つひとつチェックするのは
 実際にはむずかしく、実質的に予算の差配は財務省に委ねられている。
・さらに財務省は、予算を査定する権限を背景に各省庁に職員を送り込んでいるうえ、役
 所が気にする業務を行っているポストも掌握している。
・もっとも、不況による税収減と財政危機で、財務省が自由裁量に差配できる額がどんど
 ん少なくなっており、その威光は年々輝きを失いつつある。
 財務省が消費税の大増税を悲願としているのも、財政破綻を危惧しているという理由以
 上に、自分たちの財布が潤えば、権限もそれだけ大きくなるという思惑からである。
・財務省の行動原理は、二つに分けられる。
 一つは財務破綻は絶対に避けたいという思い。
 もう一つは、自分たちの支配装置である予算の配分権をなるべく強化したいという願い
 だ。

役人ーその困った生態
・日本では、各電力会社は発電部門と送電部門をともに持っていて、地域ごとに供給を独
 占している。
 東京に住んでいれば東京電力から買うしかないし、東京電力は基本的には自分の発電所
 の電力だけを供給するという具合だ。
・そこで発電部門と送電部門を分離して、地域を越えて需要家が電力会社を選んで電気を
 買うことができることにして、競争を導入しようという考えだ。
・もともと私は、日本の電力会社はぬるま湯に浸かっていて非効率だし、イノベーション
 が進まない状況に陥っているのではないかと思っていた。
・通産省と電力会社の癒着ぶりは目に余るものがあり、特に東京電力に睨まれたら出世で
 きない、などという話を聞いたことがある。
 「東電は腐っている」と思っていた私は、発送電分離の話を聞いたとき、これは電力改
 革の切り札になるのではないか、と感じた。
・電力会社は独占企業でありながら民間企業なので、基本的に株主以外に経営チェックは
 入らない。  
 もちろん、原子力の安全規制のチェックが入るが、経営についてのチェックは極めて限
 定的だ。  
 料金値上げのときなどは通産省がチェックするが、各社には通産省の幹部が天下るポス
 トが用意されているので、本気でチェックはできない構造になっている。
 それが電力会社の悪しき体質を生んでいた。
・電力会社は独占なので、いくらでも儲けられる。
 あまり儲け過ぎると、料金を下げろと消費者から文句を言われるので、あまり儲けない。
 そして、福利厚生などを見えないかたちで充実させたり、様々なフリンジベネフィット
 を拡大しとうとしがちである。
 私から見れば、本来の利益が無駄な経費に注ぎ込まれている、ということになる。
・電力会社の社長が経団連や他の経済団体の会長に推されることが多いのはなぜか。
 電力会社は日本最大の調達企業だからだ。
 発電プラント、送電線、鉄塔。
 地域には、発電所や事務所が無数にある。
 生活必需品も必要なら自動車も必要。
 電力会社は鉄をはじめ、ありとあらゆるものをそこらじゅうから大量に買う。
 だから、経団連の会長に電力会社の社長がなるというと、誰も文句が言えない。
・さらに、独占企業だから企業経営のほうも基本的には心配がない。
 電力会社の経営の危機、などということはまず起こらない。
 社長は毎日、本を読んで天下国家を論じたり、財界活動に精を出すこともできる。
・電力会社は、この圧倒的な力を背景に、政官癒着の構造を作りあげていた。
 昔、電力会社は通産省の役人を頻繁に接待していた。
 電力会社でその経費を落とすと癒着がばれるので、下請けの工事会社などの取引業者に
 つけを回す。
 下請けはこれを会議費などの名目で落とすので、電力会社と役人の癒着を表に出ず、闇
 に葬られるというのである。
・一方で、電力会社は有力政治家に多額の政治献金をし、便宜をはかってもらっていた。
 そのため、電力に強い自民党の議員には多額の政治献金が集まった。
・そして電力会社は、政治力と役人との癒着で得た力を駆使して、補助金にも口を挟む。
 発電所が立地している地域には補助金が出る。
 その配分額は、通産省と電力会社が裏で協議して決めていたそうだ。
・電力会社の上層部は、みんな贅沢な暮らしを謳歌し、一方で、壮大な無駄と癒着利権の
 構造ができあがっていた。
 こんな澱んだ構図ができてしまったのはひとえに、競争がないことに起因していた。
・ならば、競争させる環境を作ればいいというのが私の発想だった。
 当時、送電線は、たとえば東京電力の管内なら東電が所有していた。
 これを、送電線は別会社にし、発電部門もいくつかの会社に分割する。
 発電した電力を購入する側は、自由に電力会社を選べるように変えるのだ。
 この仕組みにすると、競争が生じ、癒着の構造も解消する。
・電力会社からすれば、とんでもない話である。
 癒着している通産省でも、発送電分離はむずかしい。
・そこで、OECD(経済協力開発機構)が日本に勧告するという作戦で、そうなるよう
 に動いた。
 正式に報告書を出すまでには時間がかかるし、発表後では新聞もベタ記事で、結局は闇
 に葬られることも考えられる。
 一方、検討段階での予想記事なら扱いも大きくなるし、国内の準備も整っていないから、
 ショック療法としては効果的だ。
・私は旧知の読売新聞の記者に連絡を取って、記事にしてもらった。
 記事はたしか、1月4日の朝刊に、「OECDが規制改革指針、電力、発電と送電分離」
 と大きく載った。
 年頭の記者会見で、当時の通産大臣が前向きなニュアンスで答えたものだから、大騒ぎ
 になった。
・通産省ではすぐさま犯人探しが始まり、OECDでこんなことを言いだす奴は誰だとな
 った。  
 全員が思い当たるのはただ一人。「古賀しかいない」となり、「あいつをすぐ呼び戻せ」
 となった。
 幸か不幸か、それでも私はそのまましばらくパリにいることになったのだが。
・当時の通産省幹部が退官した後、教えてくれたことには、「いやあ、あのときはたいへ
 んだった。省内は大騒ぎだし、電力会社は、騒ぎまくるわ・・・。でも、いまから考え
 れば良かったんだよ。あれから本格的に電力の規制改革の議論が動き出したんだから」
 とのこと。
・このことがあったせいか、私はその後、一度も資源エネルギー庁や原子力安全・保安院
 に勤務することはなかった。
・3年弱のパリ勤務を終えて、私は帰国し、取引信用課長というポストに就く。
 私が配属された取引信用課は、クレジットカードやリースに関する規制を扱う部署であ
 る。  
 当時としてはまだ珍しかった債権の流動化などという先端的な金融商品の導入や振興な
 ども行っていた。
・サラ金は金融庁の所管だが、クレジットカード会社はカードローンなどの消費者金融も
 やっているので、そちらの分野も関係していた。
 サラ金とクレジットカードは、規制のうえでは別のジャンルになっていたが、私には、
 なぜわざわざ分けているのか、さっぱり理解できなかった。
・当時の仕事でおもしろかったのは、クレジットカード偽造対策である。
 その頃もすでにクレジットカードの偽造が横行していた。
 クレジットカードの情報を磁気テープから読み取り、偽造カードに移して正規のカード
 を装い使う。
 クレジット会社はその対策に必死だった。
・たとえば、クレジットカード会社のセキュリティーセンターに行くと、時折、ピポとい
 う音が聞こえる。  
 偽造カードの疑いがある買い物に関しては瞬時に警告音が鳴る仕組みになっていた。
・警告音が鳴るのは主として次のようなケースだ。
 まず、換金性の高い商品の立て続けの購入。
 当時ならテレビやビデオデッキといった高額の家電製品は換金しやすい。
 また、ビール券や商品券、新幹線の回数券なども金券ショップで売れる。
・警告音があると、センターでは販売店への承認の信号を出すのをやめ、店に電話をかけ
 て、性別や年齢などがカードの所有者と合致しているか、確かめてもらう。
 その結果、怪しいとなると、店員が利用者に事情を聞く。
 偽造カードの場合、だいたいその前の時点で、相手は逃げるとのことだった。
・クレジットカード会社は、このようなソフトを開発し、涙ぐましい努力を続けて偽造カ
 ードの使用防止に努めているが、しょせんイタチごっこだ。
 クレジットカード会社が、新たな対策を講じれば、偽造グループはそれを破るシステム
 を考案する。   
 どこまで行っても完璧な対策は無理だった。
・当時の刑法では、クレジットカードの偽造に対する規制は非常に緩かった。
 クレジットカードの偽造に対する罰則が緩かったのは、情報窃盗に関する法整備が進ん
 でいなかったせいもある。
 正規のカードからスキミングして偽造カードを作るのは、情報の窃盗である。
 しかし、当時はまだ情報の窃盗に関する規定がなかった。
・クレジットカード先進国の欧米では、ドイツを除いて法整備が進んでおり、偽造カード
 を持っているだけで罪になる。
 ドイツも私がいた間に法改正をした。
 日本だけが遅れているわけで、クレジットカード会社の大手三社の副社長クラスが揃っ
 てやってきて、「なんとかしてくれ」と陳情する。
 私もおかしいと思ったので、「わかりました。やりましょう」答えた。
・ところが、部下に聞くと、「ぜんぜんだめですよ。絶対できません」という。
 理由を尋ねてみると、こうだった。
 お上の発想は、「クレジットカードごとき」である。
 通貨でも持っているだけでは罪には問えないのに、クレジットカードごときでは、絶対
 に法務省が認めないというのだ。
 情報窃盗罪に関しても、一向に議論が進んでいないとのことである。
・これまでも私がやろうといって部下が止めるケースはよくあった。
 世間では若い人が新たな試みを提案して、上が渋るという例が多いが、私の場合は逆で、
 私が提案して部下ができないからやめたほうがいいと止める場合が大半だった。
・私は、上司にははっきり意見をいう部下が好きだ。
 意見が違っても、議論すれば、お互いの理解が深まるし、後で反対する人たちの説得す
 るためのヒントも見つかる。
 自ずと十分な準備ができるし、難しい課題でもやり遂げることができる。
・そのときも同じも同じだった。
 部下が反対したから、「そうか、やっぱり無理か」と、いったんは納得しかかった。
 しかし、後で考えてみて、いやそれでもやるべきだ、こうしたらできるんじゃないか、
 と思い、再び部下にぶつけて説得を試みた。
 これを何度もやると、部下もその気になってきた。
 その後は、みんなでおもしろがって仕事を進めるようになり、実現するというパターン
 だった。 
・私は人の管理が得意だとは思っていないが、チームの仕事をおもしろくすることには長
 けていたような気がする。
 それと、私は上と喧嘩するのは得意だが、部下と喧嘩するのは大嫌いだ。
 ときには上から押しつけて無理に何かをやらせるというのは、優秀な上司の条件かもし
 れないが、私にはどうしてもそれができない。
・だが、予想以上に壁は厚かった。法務省の担当者は、「古賀さん、刑法の話ですよ。
 軽々しく持ってきてもらっては困ります」と相手にしてくれない。
 学者の先生方の見解も、「むずかしいなあ、できたとしても、まあ、早くて5年がかり
 ますよ」。
 私が、「でも、どの国でもやっているんですよ。日本だけがこんな犯罪を放置しておく
 と、世界の笑い物になりますよ。どう考えてもおかしいじゃないですか」と反論しても、
 「むずかしいな」というばかりだった。
・法務省が相手にしてくれないのなら、世論に訴え、政治を動かすしかないと思った。
 そこで、マスコミを使ったキャンペーンを開始した。
 テレビの番組にカード偽造のひどい実態を話し、取材してもらった。
・記者に「なぜ、こんなに甚大な被害があるのに、通産省は偽造カードを規制しないのか」
 と責めてもらう。それに私が答える。
 「日本では法律がないので、政府としてはいかんともしがたいんですよねえ・・・」
 典型的なマッチポンプだが、国民には実態をわかってもらえた。
・一方で大臣への根回しも進めて、先に挙げたようなわかりやすい現実に起こり得るケー
 スについて話もしたし、大臣の前でスキミングの手口も実演した。
 大臣も理解してくれたようで、「これはやらないとな」といって法務大臣に電話してく
 れた。
・実はその少し前に、突破口は意外なところから開けた。
 私の自作自演のテレビ報道を見た警視庁が反応したのだ。
 警察庁が、「法務省は頭が固い。法務省に刑法をやらせるのはたいへんだから、うちと
 通産省で、ぜひやりましょうよ。特別に立法して、全面的に協力します」と、申し入れ
 てきたのだ。
・警察庁が考えていたのは、道路交通法などが属する行政刑法と言われる法律による刑事
 罰の強化だった。
 たとえば、消費者保護のために法律を作り、偽造カードを所有している刑事罰になると
 いう項目を入れる。刑法を改正しなくとも、同じ効果がある。
・しかし、私は乗る気はなかった。
 警視庁の魂胆が見え見えだったからだ。
 所管の法律ができると、省庁は天下り先を増やせる。
 たとえばこの場合は、クレジットカード安全協会といった組織を新たに作り、警察庁は
 各県警のもとに支部を置く。
 安全協会は、警察にとっておいしい天下り先になる。
・私は警察庁には返事を保留し、法務省に行った。
 「警察がこんな利権を狙っていますよ」と。
 法務省の担当者は、正義感に溢れている。
 「そんなのは許せない」といい、本気になった。
・法務省のキャリア組には、自分たちの天下り先を増やそうなどというよこしまな考えは
 ない。  
 法務省で刑法の改正などを担当するのは、司法試験に合格した検事が中心で、法務省を
 退官しても弁護士になる道があるので、天下り先を作る必要などないからだ。
・自立できる道があるかどうかで、行いは変わってくる。
 普通の役所のキャリアが省益のために働くのは、結局、最後は役所の世話にならないと
 生きていけないからだ。
 その点、法務省の検事たちは、先を心配することがないので、正義感のほうが先に立つ。
 警察庁の利権狙いをテコに、法務省を動かそうというのが私の作戦だった。
 この作戦が、まんまと功を奏し物事が動きそうなのを見極めて、東大の若手の先生にお
 願いして、法案の準備に取りかかった。
・法務省は、やる気になると早かった。
 最速でも5年はかかるといわれていたものが、たった1年で法改正できたのだ。
 しかも、中身も徹底していた。
 刑法なのに、新たに一章を立てる。
 殺人罪などと同じ扱いである。
 あらゆるケースを想定して刑罰が決められていた。
 できあがった法案は、ほぼ完璧。
 偽造カードを所有するのもスキミングするのも、偽造の準備をするのも、犯罪となった。
 ここまでできるのか、感心したほどだった。
   
僚の政策が壊す日本
・キャリア官僚の多くは、小学校の頃から母親に褒められるのに始まって、地域で一番の
 進学校に入ってトップの成績だ、東大に合格した神童だ、国家公務員試験に通った超エ
 リートだと、事あるごとに賛美される人生を送ってきた。
 アドレナリンは出っぱなしで、次もまた褒められたいと、勉強に全力を投入してきた人
 が大半だ。
・秀才は性格が歪みいやすい。
 入れ込み過ぎると、視野が狭くなる。
 これが秀才の陥りやすい罠だ。
・秀才は、ただでさえ視野が狭いのに、世間から隔絶された霞が関という村社会にキャリ
 ア官僚として棲みつくと、さらにどんどん視野が狭くなっていく。
 それでもまだ、若いうちは多少なりとも周りが見えるが、時が経つにつれ、霞が関村し
 か見えなくなり、頭は固くなる。
・しかし秀才の悲しい性で、常に褒められていたい。
 裏返していえば、秀才は他人からの非難に弱い。
 内心、おかしいなと思っていても、上司から褒められたい、叱られたくないと思い、従
 う。   
 そのうち、たとえ世間から見ると「悪」であっても、気にならなくなる。
・官僚が世間の非難の目に晒されているとはいっても、官僚の行動は常に「匿名」だ。
 自分が非難に遭うわけではない。
 上司は褒めてくれるし、自分の周囲にいる人たちもキャリア官僚だというと、「へえ、
 超エリートなんですね」といってくれる。
・このように褒められ続けていると、人は増長するものだ。
 自信過剰になり、実寸大の自分を見失う。
 キャリア官僚がみな優秀なわけではない。
 客観的に見れば、一般の会社と同じように、優秀な人もいれば、能力の足りない人もい
 る。  
・ぬるま湯の霞が関だからこそ置いてもらえる、民間会社では使いものにならないだろう
 と思われるキャリア官僚も少なくない。
 だが、本人には自覚がないし、また霞が関にいれば、気づく機会もほとんどない。
・褒められたいという秀才には他にも欠点がある。
 それはリスクを取れないということだ。
 通常、危ないことをして失敗したら、怒られるか批判される。
 子供の頃から怒られたことのない秀才は、失敗を極端に恐れるのだ。
 だから、みんなで渡れば怖くない「前例踏襲方式」に陥る。
 新しいことには挑戦できないし、イノベーションなど夢のまた夢だ。
・その結果、責任も取れない秀才は何事も責任者を不明確にしておく。
 何時間も会議をして責任をうやむやにしながら、なんとかコンセンサスを作ってみんな
 の責任ということにしようとする。 
 彼らは、少数派が反対を続けて、白黒をはっきりさせないといけない状況を極端に嫌が
 る。
・東電の福島原発事故への対応も、そうした欠点が露呈したのではないか。
 緊急事態で情報が限られているので、重要な決断が求められる。
 ベント、海水注入、米軍への協力依頼。
 「褒められたい秀才症候群」の秀才集団では、何一つ決められなかっただろう。
 総理に強く進言した官僚はいなかったのではないか。
・官僚の特性の一つに「過ちを認めない」というのがある。
 秀才の特性といってもいい。
 常に褒められていた秀才は、怒られることと批判されることを極端に嫌う。
 だから、批判のもととなる「過ち」は、絶対に認めたくないのだ。
・自分たちは優秀だから間違えるはずはないという驕り。
 仮にそれに気づいたとしても、かんとか糊塗するだけの知恵を有している彼らは、官僚
 特有の「レトリック」を駆使して決して過ちを認めない。
 これが官僚の「無謬性神話」である。
・福島原発の事故でも、事故を「事象」と言い続け、想定外の津波のせいにしようとした
 り、「すべて東電が悪い」といった説明に終始した。
 今後もなぜ津波の想定を5.7メートルとしたのか、なぜ全電源機能停止を想定しなか
 ったのかについて、さまざまな言い訳がなされるであろう。
・とりわけ、このときに多用されたこの「想定外」という言葉は、彼らにとっては実に便
 利な魔法の言葉だ。
 JCOの臨界事故も、柏崎刈羽原発を緊急停止させた揺れも、やはり想定外だった。
・しかし、それは単に自分たちが想定しなかったというに過ぎない。
 津波の高さの想定が甘すぎることはすでに知られており、特に、電源が津波にやられた
 らどうなるかという議論まで行われていたのだ。
 現に東海村では、この議論を受けて、電源を保護するための補強工事を実施していたと
 いう。  
・つまり客観的には想定外でもなんでもなく、単に自分たちにとっての想定外だっただけ
 なのだ。
 こうした驕り、リスク回避、無責任、無謬性神話は、「褒められたい秀才症候群」
 「(私の)想定外症候群」の定見的な症状だ。
・おそらく福島原発事故を検証すれば、日本の官僚がアメリカやフランスなどの官僚と比
 べて、10年以上遅れた世界にいることがわかるのではないか。ニューヨーク・タイム
 ズ紙などには、早くもそうした論評が載り始めている。
・にもかかわらず、霞が関に官僚組織は日本最高の頭脳集団で、彼らに任せておけばなん
 とかしてくれるという幻想を抱いている国民が、まだいる。
 こんな幻想は百害あって一利なしである。
 公務員制度改革や経済再生を進めるに当たっては、公務員は公正中立で優秀だという前
 提を捨ててかかるべきである。

・日本人は、「組織力が強みだ」と自画自賛することが多い。
 政府にはとりわけその傾向が強い。
 個人で戦うことに自信がないのでチームワークをことさら強調する。
・しかし、日本の強みはチームワークの「和」ないし「協調性」の部分であり、たとえば、
 組織としての決断力、俊敏性、行動力などにおいては、欧米の政府や企業に比べて明ら
 かに劣っているということをあまり自覚していない。
 とりわけ、大企業や政府においてその傾向が強い。
・私の経験では、俊敏果敢な行動や意思決定においては、大企業よりオーナー経営の中小
 企業などのほうがはるかに優れていると思う。
・組織力の弱さは、福島原発事故の対応でもはっきりと証明されてしまった。
 政権中枢や担当省庁、主体となる企業はただ右往左往するばかりで、組織としてまった
 く機能できなかった。
 難しい決断や迅速な判断は、いずれも組織の命運がかかる重大事項だ。
 日本の政官すべてがそうした面で、比較劣位にあることを十分認識すべきであろう。
・組織力の話とも関連するが、日本政府が前に出ることで、相手との交渉で有利に立てる
 かということである。
 途上国といっても、独立や国家統一のために何回も戦争や内戦を経験し、生きるか死ぬ
 かの困難な外交交渉を乗り越えてきた国々が相手である。
 この海千山千の国々を相手に、日本政府が強かな交渉をできるかどうか。
・過去の例を振り返れば答えが簡単だ。「否」である。
 現在の日本政府の浮かれたお祭り騒ぎを見ていると、相手からすれば、カモがネギを背
 負ってやってきたという状況になっているのではないかと、不安でならない。 
・事実、新幹線や原発の受注交渉で、各国から次々と条件を突きつけられている。
 たとえば、新幹線の車両を現地生産しろ、あるいは超長期の運転保証をしろ、または技
 術移転をしろと。
 機器を現地生産するとなると、技術の流出は避けられない。
 中国では新幹線を売り込んで技術を取られ、いまや、「中国新幹線」は日本の強力なラ
 イバルとなりつつある。
・政府が金儲けの目利きができるおあという問題がある。
 とりわけ、20年から30年にも及ぶビジネスの先を見通すことは極めてむずかしい。
 だから民間だけでは対応できないというのだが、では、政府が入ることでその確実性が
 増すのか。
・途上国では、民間よりも政府のほうが人材も優秀だったり、情報収集力でも勝っていた
 りということで、政府が前に出るメリットがはっきりしている。
 では、先進国ではどうか。
・アメリカでも国を挙げてインフラを売り込むビジネスは「ステートキャピタリズム」の
 名で話題になりつつあり、日本でも「新重商主義」として注目が高まっている。
 しかし、アメリカの政府の情報収集能力はもちろん他の追随を許さないものだ。
 政府高官には民間企業の経営で実績を示したプロも多い。
 さらに軍事協力など民間にはできない特別の武器もあり、政府が前に出ることにそれな
 りの合理性がある。
・それに比べて日本はどうか。
 ビジネスに関する目利き能力という点では、日本政府ははっきりいって幼稚園以下であ
 る。 
・NTTの株式売却収入などを原資にして、3000億円近くの資金を、経産省がベンチ
 ャー支援と称してあまたの企業に出資したことがある。
 結果はどうなったか。
 還ってきてのはわずは5パーセント。
 なんと二千数百億円がドブに捨てられたも同然、大損失を出したのである。
 運営したのは天下り法人。
 それに対して誰一人責任を取っていない。
・そもそも、日本政府がやったインフラ整備の結果を見てみるが良い。
 車より熊のほうが多いといわれた地方の道路、空港、港湾、至るところで失敗の山。
 成功例は失敗に比べれば10分の1以下だろう。
 インフラについては政府の競争力は極めて低いのである。
 とにかく、政府が出ていくと金儲けの確実性が増すという考えは捨てたほうが良い。
・政権が代わればビジネス環境が一変する可能性がある。
 その結果、10年後、20年後に、数千億円単位の大きなつけとなって国民に回されて
 くる可能性が高い。
・国が入ってビジネスを展開するとなると国は円借款などで直接支援をしたり、JBIC
 {国際協力銀行)に融資をさせたり、民間のリスクの部分に貿易保険をかけることにな
 る。その貿易保険は、独立行政法人がやっている。
 いずれも直接、間接に国の資産に影響をおよぼし、失敗すれば結局、国民の税金が注ぎ
 込まれることになるのだ。
・そもそも民間だけではできず、円借款や融資といった国の支援がないとできないビジネ
 スは、ビジネスとして成立しない可能性も高い。
 国民の税金が無駄に使われるのがオチだ。
・損する可能性の高い事業に役人が平気で国民の税金を注ぎ込めるのは、役人ならではの
 おかしな金銭感覚も関係している。
 役人は、いま損するわけではないものには、あまり考えずにどんどんおカネを出す。
 役人にとって、仕事は予算を取って使いこと。そこで、ピリオドだ。
 その結果には関心がない。
 投資したキャッシュがすべてなくなっても、キャッシュを追加するわけではない。
 つまり新たな予算とは関係ないので、自分の仕事とは関係ないというのが、役人の感覚
 なのだ。
・役人の世界では成果は問われない。
 役人は投資したカネがどのような成果につながったのか、ということには、まるで関心
 がないのだ。 
・役人の政策が浅はかになるのは、利益の誘導もさることながら、現場をほとんど知らな
 いからだ。 
 たとえば経産省の官僚はビジネスマンとして得意先と丁々発止のこうしょうをしたこと
 もなければ、実体経済に詳しいわけでもない。
 審議会にかけて検討してもらい、まとめるといっても、しょせん耳学問だ。
 利益誘導を抜きにしても、実情に即した政策を作るだけの経験も知識もない。
 そういう意味でも、回転ドア方式で、霞が関に民間の血を入れる必要がある。
 
起死回生の策
・私は、いまの日本は非常事態に突入していると、警告を発し続けてきた。
 そう聞いても、どこが非常事態なのか、と思う読者もいるに違いない。
 景気が悪く、学生の就職口がないといっても、大方の日本人は日々の暮らしには困って
 いない。
 生活レベルも、悲惨というほどではない。
・しかし、現状がそこそこであっても、日本が急激に衰退への道を辿っているのはまぎれ
 もない事実だ。 
・GDP世界二位の座はすでに中国に奪われた。
 中国の人口は日本の10倍以上だから、GDPで抜かれるのは仕方がない。
 では、国民一人当たりのGDPはどうか。こちらはもっと悲惨だ。
・先進国の集まりであるOECD30ヵ国の比較では、購買力平価で見て、1992年の
 2位をピークに、ここ数年で急落してきた。1998年にじゃ6位まで落ち、2007
 年にはシンガポールにも抜かれ23位まで下降した。
・それにしても凄まじい凋落ぶりである。
 もはや日本は、世界有数の経済大国だと胸を張っていえる状況ではなくなった。
 先進国と呼べなくなる日も近いかもしれない。
・日本経済の長期的な先行きを見ても、明るい材料はほとんどない。
 経済成長を促す三大要素は、人とカネと生産性である。
 人口が増えている国は、その分消費が伸びていくし、労働人口も増加していく。
 これを人口ボーナスという、
 貯蓄率も高く、国内の資金を用いて企業は設備投資し、人を雇い、事業を拡大するとい
 う好循環になる。
 これに加えて生産性が向上すれば、高い経済成長率が達成できる。
・現在、日本では少子化に歯止めがかからず、人口が毎年、減っている。
 少子化対策はいかからやってもその効果が出るのはかなり先のことで、今後しばらく人
 口は減り続けるしかない。 
 人口ボーナスとは逆の効果だ。これを人口オーナスと呼んでいる。
・カネも余っているようで、実はそんなに余裕はなくなってきている。
 政府の借金で個人金融資産をすべて食いつぶすのも時間の問題。
 さらに、高齢者の割合が増えて、長期的には貯蓄率も下がっていくと予測される。
 人もカネもマイナスになっていくのだ。
・残るのは生産性だけ。
 人とカネのマイナス分を補って余りあるほどの生産性向上を達成できれば、経済成長は
 できないこともないが、これにも限界がある。
 なぜなら、いまと同じことを続けていては生産性は上がらないが、大きな変革をしよう
 としても既得権者が幅を利かせて、それができない。
 これでは、どんなにがんばっても、せいぜいマイナス分を帳消しにするぐらいの向上し
 か見込めないかもしれない。
 その場合、ゼロ成長でもやむを得ないということになる。
・こうした状況から、日本の潜在成長率は1パーセント台前半だという認識が広がってい
 たが、最近では1パーセントもないのではという悲観的な見方さえ強まっている。
・経済破綻するのはだめだ、なんとか回避する方法はないか。
 こう考えて、さらに知恵を絞っても、政府には増税でなんとかしようという知恵しかな
 い。
・増税で国民から金を集めて増大する社会保障に充てる。
 そのうえでさらに借金を減らそうと思えば、消費税は30パーセントになり、経済は縮
 小しながら国民は肩を寄せ合って耐えていく。
 こういう将来しか見えない。
・このままでは今後も凋落減少には歯止めがかからないわけで、いま、そこそこの生活を
 していても、10年後には町に失業者が溢れ、経済的困窮から犯罪者が増え、治安も悪
 いという悲惨な国になっている可能性は非常に高い。
・現在、日本は危急存亡の危機に面しているといっても過言ではない。
 いま何もしなければ、確実に日本は世界のなかで埋もれていく。
 それどころか数年以内に、歳入の不足で行政がストップする「政府閉鎖」という事態に
 もなりかねない。
 分水嶺に立たされているいまこそ、非常事態であることを認識し、対策を考えなければ、
 滅びへの道が避けられなくなる。
・高齢化による社会保障費の増加だけが問題というわけではない。
 実は、高度経済成長期以来作り続けてきたインフラが一気に老朽化し始める。
 その維持更新だけでも、公共事業費が現在の何倍も必要だという試算もある。
 将来、金利が上昇すれば、さらに負担も増える。
・累積債務を少しずつ減らすところまで持っていくには、消費税25パーセントの世界が
 やってくるだろう。
 一生懸命働いても、収入の何割かを所得税・社会保険料で取られて、さらにお金を使う
 ときにも25パーセントの消費税がかかる。
 単純計算で考えても、25パーセントの消費税がかかるということは、25パーセント
 分の消費が減るということだ。
・こんなことでは、これを20年やったとしても毎年の経済成長はほとんどゼロ。
 それどころかデフレから脱却できず、いずれ破綻への道を歩むことになるだろう。

・年金をはじめとした社会保障改革。
 支給開始年齢の引き上げはもちろん、裕福な層を中心に支給額も引き下げるべきだ。
 医療も高齢者だからと無条件に優遇するやり方はやめなければならない。
 医師会がいくら反対しても、レセプトの電子化を直ちに義務化し、株式会社の医療参入
 も認めるなどの改革を行う。
・農家だから、中小企業だから、組合だからという助成策はすべてやめる。
 公務員は大幅削減、給与も民間以上にカットする。天下り団体は廃止する。
・新たな産業を伸ばすためにタブーとなっている改革もすべて直ちに実施する。
 農業に例を取れば、農業への株式会社の参入を完全自由化する。休耕地への課税を強化
 する。農地の転用を厳格に禁止する。
・いまの日本で起きていることは、まず、稼ぐことを考えなければいけないのに、国民に
 危機感を煽って、「とりあえず」の増税を受け入れさせようとしているのである。

・客観的に分析すれば、日本はまだ捨てたものではない。
 欧米の投資家が日本に期待したように、国際的には、日本は恵まれている立場にある。
 人口減少が食い止められない限り、昔のような高成長はむずかしいだろう。
 しかし、GDPが高成長を続けなくても、生活の豊かさはレベルアップできる。
・事実、現在、国民一人当たりの名目GDPでトップに位置しているのはわずか人口50 
 万人余りのルクセンブルクである。
 日本の国民一人当たりの名目GDPは、ルクセンブルクの4割程度しかない。
 日本の潜在能力から考えて、これはあまりにも低過ぎる。
 肩を並べるところまで行かなくとも、ルクセンブルクの8割の額ぐらいは、本来なら簡
 単に到達できるはずだ。
・日本人には勤労精神が根づいている。放っておいても、夜中まで働く国民性だ。
 日本人は身を削って働く。教育レベルも高い。
 なのに、経済がどんどん衰退しているのは、国を動かす仕組みが悪いからだ。
 一人ひとりの日本人はかんばっているが、政治家と官僚が知恵を出していないので、国
 民のがんばりが空回りしている。
・生産性を向上させるというと、何か目に見えるイノベーションが必要だと思う人は少な
 くないだろう。 
 たとえば、工場に次世代型の最新機を導入すれば生産効率は上がる。
 ITを駆使して、経営効率を上げるのも可能だ。
 あるいはコスト削減という手もある。
・しかし、コスト削減やイノベーションをしなくても、実は生産性を向上させられる方法
 がある。 
 マクロで見ると、生産性向上のもっとも大きな鍵を握るのは「スクラップ・アンド・
 ビルド」だ。
 すなわち、だめな産業や企業が潰れて、将来性のある新たな産業や企業に資金が回る。
 別な表現をすれば、産業構造の転換、企業の淘汰である。
 マクロ経済としては、これが、もっとも生産性の向上につながるのだ。
・様々な研究によると、この淘汰による生産性向上の割合は、日本が一番低いとされてい
 る。 
 そうなってしまったのは、日本を動かしている政治家や役人の発想が、いまだ存在する
 企業や産業を守ることを前提にしているからだ。
・新しい時代の波が来たときに、思い切った改革をやろうとすると、役人はすぐに「それ
 じゃあ、日本の電器産業、自動車産業が弱くなるだろう。中小企業も、農家も・・・」
 と言い始める。
 そして、実施するのは、補助金や特別保証でだめな企業を支え、効率の悪い農家を救う
 産業政策だ。 
・これがどういう結果につながるか。
 だめな企業が優良企業の足を引っ張り、産業全体としても伸び悩む。
・消えゆく者は助けない。
 助けるのは本当に困っている個人に限定する。
 でないと、日本の生産性は上がらない。
 特に労働力が年々減り、財政悪化が進む日本は、限りある資源をどこに重点的に使うか、
 すなわち選択と集中が重要になる。
 衰退産業・企業はスクラップし、有望産業・企業に人材を注入しないと、少ない労働力
 を有効に活用できず、経済が沈んでいくのは自明の理だ。
  
・ほんどの農家が一年契約でしか貸してくれない。なぜか。
 農地は税金面で優遇されており、保有コストはほぼゼロ。
 農家は相続税もまけてもらえる。
 所有していても損はないから持ち続けられる。
・だから、農家はどんなに収穫が少ない農地でも手放さない。
 一部の農家にとって、農地はただで宝くじを持っているようなものだからだ。
 景気が持ち直して、消費が活発になり、大型ショッピングセンターが進出してこないと
 も限らない。 
 道路ができることになって多額の補償金が入るかもしれない。
 おらが農地の地価が急騰すれば、濡れ手に粟だと期待し、持ち続けている人がかなりい
 る。
 そんなおいしい話が転がり込んでいたときに、すぐに売れない好機を逃すので、一年単
 位でしか貸さないのだ。
・農家の人に経営状況を聞いてみると、たいがい「赤字」と答える。
 赤字ならば普通やめるのに、農業をやっていられるのは、手厚い優遇措置が受けられる
 からだ。
・普通の人は父を所有すると、結構高い固定資産税を毎年徴収される。
 農家は本来払うべき税金も減免され、宝くじが当たるのを待っている。
 これは、ある意味、犯罪に近い。
・誤解しないでほしいが、私は農家が全部悪いと言いたいわけではない。
 真面目に農業に取り組んでいる人も、たくさんいる。
 そういう人に補助金が回るのならまだわかるが、本当は農業を本格的にやる気がないの
 に、農地を手放さない人も多い。
 農業に携わっているのは、おじいちゃん、おばあちゃんとお嫁さんの三人で、お父さん
 やお兄さんは近くの工場で働き、それが一家の主な収入になっているといった兼業農家
 をどこまで保護するのか。
・こうした農家を保護するときに必ず叫ばれるのは、「日本の農業を守れ」というスロー
 ガンだ。
 こうした声を年中聞いているので、いまにも日本の農業が滅びる寸前であるような錯覚
 に陥る。
・実は、日本の農業生産額はアメリカに次いで先進国のなかでは2位である。
 もちろん、関税で保護されて国内価格がかさ上げされているとか、円高でドル換算額が
 増えるという要因があるが、それにしても堂々とした地位にある。
 GDPに占める割合1パーセント以下と極めて低いともいわれるが、これも先進国には
 共有することで、製造業や第三次産業が発展してからそうなったに過ぎない。
・また、日本の農家の数が減ってきたといって騒いでいる人たちがいる。
 しかし、日本の農家の数は決して少なくない。
 ヨーロッパの主要国では農業人口の割合が1パーセントを切っているところも多いが、
 日本はまだ5.7パーセントと、むしろ先進国では多いほうである。
 しかも、そのかなりの部分は兼業小規模の農家で、もともと生産に占める割合が低く、
 そういう農家の数が減っても、日本の農業が縮小する心配はない。
・逆にいえば、そういう零細兼業農家が多いから、日本の農業の全体の生産性が見かけ上
 極めて低くなり、いかにも競争力がまったくないかのように見えてしまうのだ。
 実際、世界全体で見ても四番目に生産額の多い日本農業では、たった7パーセントの優
 良農家が60パーセントの生産額を上げている。
・高齢の農家が多いことも問題にされるが、そもそも、農業には定年がなく、サラリーマ
 ンや公務員をやりながら農業をやっていた人が、定年後も農業をやっているというケー
 スが非常に多く、そういう人は年金もあり、むしろ元気な間は農業を楽しみでやってい
 るという層も多いのだ。
 老後の楽しみでやっている農家に跡取りがいなくても大騒ぎすることはないのである。
 実際、農業で生活が苦しくなってホームレスになったという人は極めて少ないだろう。
・よく考えてみてほしい。一生懸命、真面目に働いている人は農家だけではない。
 中小企業にもたくさんいる。
・たとえば、作っているものの値段が下がって経営が苦しくなった中小企業が潰れたらど
 うなるか。  
 そこで働いている人は、失業保険しかもらえない。
 一生補助金をもらい続けるなどという仕組みは、もちろんない。
 非正規雇用だったため失業保険の対象にもなっていないという人はたくさんいる。
 なぜ、農業だけは保護されるのか。
・普通のサラリーマンには経営者の失敗の責任を労働者までが被るという過酷な世界があ
 る。 
 もし、農業も同様の保護がほしいというのであれば、農家も失業保険の対象にしたらど
 うだろうか。それで普通の人たちと同じ条件になる。
・零細兼業農家の保護は、仮にその農家に悪気はなく、真面目にやっているとしても、
 日本の農業の発展という観点から好ましくない。
 非効率な経営をしている農家が多い日本の農業は、別の見方をすれば、高成長が見込め
 る数少ない分野でもあるのだ。
・私は「逆農地解放」を実施すればいいのではないかと考えている。
 戦後、GHQが行った大地主から土地を取り上げ、小作農に分け与えるという政策は、
 非常にまずかった。
 農地を分割したために非効率な生産になり、意欲のある農家が大規模農業を経営する
 余地を著しく狭めた。
 そして、サラリーマンとして安定した収入を得ながら農業を副業とするだけの兼業農家
 を多数生み出した。
 現在、全農家に占める専業農家の割合はたった2割。後の8割は兼業農家だ。
・生産効率の悪い農地を、真剣に農業をやっている専業農家に売る。
 有能な農業従事者が大規模経営をすれば、生産性は一気に上げる。
 あるいは、兼業農家が大規模化やブランディングできる優秀な農業経営者に長期契約で
 貸しつけるように誘導する制度を考える。
 儲かる農家に土地を貸せば、地代も入ってくるし、勤めていないお嫁さんやおばあちゃ
 んは収穫時にアルバイトに行けば、臨時収入も手にできる。
・こうした大規模化を進める手段として、すぐに補助金や優遇策を打ち出すが、むしろ、
 生産性が低いままの裡を持っていると損をするという仕組みにすることも必要だ。
 少なくとも、生産性が低いままで土地を持ち続けるインセンティブがある税制は抜本的
 に見直したほうがよい。
・また、農地をいい加減な運用で多用途に転換することを認める現在の農地法の規制も抜
 本的に見直すべきだ。
 観光の振興の観点からも、景観規制を強化して、農地は基本的に転換できないというこ
 とにし、仮に転換する場合は、それまでに減免されていた税金をすべて過去に遡って転
 売利益の範囲内で課税するという制度なども導入すべきだ。

・四季による寒暖の差があり、品種改良技術も進んでいる日本の農産物の質は高い。
 日本の果実や野菜、穀物は、高付加価値の高級品として海外に輸出できる。
 アジアの富裕層は急拡大しているので、将来的に有力な輸出産業に育つ可能性もある。
・もう一つ指摘したいことがある。
 それは、日本の農産物の安全神話だ。
 農水省が食品の安全行政で大きな役割を果たしているということは、ウナギの偽装など
 で有名になったと同様、問題があちこちに潜んでいる心配があるということだ。
・日本の衛生基準では、危なくて、ヨーロッパには魚を輸出できないのだ。
 青果市場もかなり危ない状況だ。
 こんな状態をいままで放置してきた役所が、日本の食べ物は安全だと宣伝すると非常に
 不安になる。   
 日本の農産物や加工食品が本格的に輸出されるようになれば、当然、競合国は、日本の
 食品の弱点を探そうとするだろう。
 そのとき、以外にもその安全性が弱点になってくる可能性が十分にあるということを頭
 に入れておいたほうがよい。
・中国に比べれば、はるかに安全だというレベルで安心してはいけない。
 いますぐ、日本の安全衛生および表示規制・基準のあり方を国際的観点で総点検してみ
 たほうがよいのだ。 
・こういう話が出るとすぐに、そんなことをすると業界に負担がかかるというような抵抗
 がある。
 しかし、助けてもらうことばかり政府に期待して、安全というもっとも大事なことを後
 回しにするような人たちは、保護するに値しないのではないか。
・やはり企業の直接参入を早急に進めるべきだ。
 この際、外資でも受け入れて、強い企業を支援するという政策に思い切って転換する必
 要がある。 

・いま、日本人は「一億総リスク恐怖症」に陥っている。
 企業部門では200兆円を超える現預金が唸っているのに、投資が怖い。
 個人金融資産もいまだに預金が多く、その預金で銀行は国債を買っている。
 有り余るおカネを持っている人でも、せいぜい新興国向けの投信を恐る恐る少額投資し、
 様子をうかがうぐらいだ。
 海外留学生も年々減少の一途をたどり、公務員や大企業志望の傾向はさらに強まった。
 子供に「将来の夢は?」と聞いたら、「正社員」と帰ってきたという笑えない話もある
 くらいだ。
・リスクを取らず、いまある生活を防衛することだけを考えている日本人が多くなった。
 日本人に縮み志向の思考回路が定着しつつあるのは、リスク恐怖症に陥っているからだ。
 あたかも、リスク回路という官僚の習性がウイルスとなって霞が関からばら撒かれ、日
 本人全体に感染したかのよう感がある。
・だが、リスクを恐れてチャレンジしなければ、明日は拓けない。
 逆にいえば、リスクを怖がらなければ活路は開ける。
・政治家も役人も経営者も労働者も、日本人全体で、発送と価値観のコペルニクス的転回
 が必要だ。
・日本の財政事情は逼迫している。
 いまあるものを全部守るのは到底無理である。
 切り捨てるべきものは切り捨て、それで浮いた予算は将来のために注ぎ込む。
 そういう前向きの政策をやらなければ、ジリ貧は免れない。
 いまは平時ではないので、少々苦しいぐらいの人を助ける余裕はない。
・私が考えているのは、まず、「平成の身分制度」の廃止である。
 いまの日本には、努力なしに手に入れた地位や身分がいっぱいある。
 たとえば農家の多くは、親から田畑を引き継ぎ、農業をやっている。
 中小企業経営者も、年チャーはあるにしても、大半の経営者が親の会社を受け継いでい
 る。たまたま農家や中小企業の家に生まれて得た身分でしかない。
 他方、中小企業の労働者は、普通のサラリーマンとして大して大きな保護は与えられな
 い。
・公務員もそうだ。公務員になるときに試験はあるが、一度なれば、民間と違い、何もし
 なくても60歳まで安泰。
 しかも、年功序列で給料も毎年上がり、役職定年もなく、給与がある年齢から下がると
 いう仕組みもない。
 悪いことをしない限り、一度得た地位は絶対に失わないというパラダイスだ。
 しかも、キャリア官僚は退職後も「天下り」「渡り」で70歳くらいまで生活保障され
 る。これは職業ではなく「身分」だろう。
・いまの政策では、こうした努力なしにたまたま得られた身分の人に手厚い保護を与え、
 守っている。
 だから、「平成の身分制度」撤廃で、たとえば、満足に経営できない人にはやめてもら
 う。 
 私は中小企業の経営者でも失業保険がかけられるようにしたらいいのではないか、と思
 っている。
・中小企業経営者は事業を止めると、完全に収入の道が途絶えるので、赤字でも会社にし
 がみつく。
 その結果、見切りどきを誤り、最後は悲惨な結末を迎える経営者も少なくない。
 半年から一年、失業保険をもらって、これは差し押さえ禁止としたらいい。
 これで当面は食いつなげるとなれば、本当に危なくなる前に見切りをつけられる。
 日本の産業構造転換も早く進む。
・こうした対策を講じながら、改めて一人ひとりの境遇に目をやり、本当にかわいそうな
 人だけを守る。 
 親がリストラにあって失業し、高校をやめなくてはならなくなったという非常事態に直
 面している子供は救う。
 しかし、少しかわいそうなぐらいでは助けない。
 少しかわいそうな人から見ても、あの人は自分より、もっとかわいそうと思う人だけを
 守る。
・できの悪い企業や農家も含めて一律に守る産業政策、農業政策を一切やめる。
 もちろん、その前にできの悪い公務員をリストラし、出世できないようにし、競争させ
 て、公務員の効率を上げる。
 無駄な産業政策がなくなれば公務員もかなり減らせる。
 二重の政策効果で人件費も浮く。
 これらを集めれば、数兆円のおカネが浮く、そのカネを全部使わなくても、職業訓練や
 教育に向けた予算を相当手厚くすることができる。
・仕事をしていない人には、新たに台頭してきた産業に再就職できるよう、技術と知識を
 身につけさせる。
 この部分が、実はもっとも重要だ。
・しかし、いまの厚労省のやっていることは極めて効率が悪く、アリバイ作りに終わって
 いる。 
 成果主義を徹底して、公務員に結果を出させる仕組みに変える。
 ハローワークの民営化なども含め民間の活力も導入する。
 こうすれば、やっと、みな安心してチャレンジできる。
・また、日本の大学のレベルは、国際的にみると相当低い。
 これからの若者は、日本の企業に就職する場合でも、海外の若者との競争になってくる。
 若者にはそういう環境でも生きていけるだけのものを身につけるために、より高い水準
 の教育を行う。
 そのためには、文部科学省の管理する教育行政から抜本的転換をしなければならない。
・このようにして、予算を「守る」から「変える」「攻める」に大転換して初めて、日本
 経済が浮上する可能性が出てくる。逆に、これができなければ、日本は確実に沈んでい
 くであろう。

・私はこれからの日本にとって重要なのは、頭を使って働くことだと思っている。
 日本では労働信仰が強く、一生懸命汗水流して働けば、豊かになると信じている人が多
 かった。
 確かに過去、それで経済が伸びたが、そうなったのは、1998年まで、労働人口が増
 えていてからである。
・人口減のいまは、闇雲に汗水流すというやり方をしていると、たちまち国際競争に取り
 残される。
 それでなくとも、長時間労働信仰は、子育て、ボランティア、地域活動、政治活動など
 の時間を奪い、社会全体のバランスを崩す。
・以下は、ある中国人経営者が私に言った言葉である。
 「日本人は中国人に勝てない。なぜなら、日本では管理職や経営者までが汗を流すこと、
 会社に拘束されることが美徳だと思っているからだ」
 「いかに頭を使うか。いかに人と違うやり方を考えるか。いかに効率的に答えを見つけ
 るか。いかにスピーディに決断し行動するか。それが経営者の競争だ」
 「労働者に生きがいを与えて一生懸命働かせるために、『汗水たらして働くことが尊い』
 と教えることは当然だが、経営者が同じことをしていたら競争に負ける。労働者の生活
 も結局は良くならない。中国人と同じ給料で働けということになる」
 「日本人は何をするにも、みんなで寄り集まって夜まで議論して、結局決まらない。中
 国の経営者は速断即決。いかに効率的に儲けるかを考える。これでは日本は勝負になら
 ない。経営が悪いから、日本の労働者は、一生懸命働いてもどんどん生活を切り下げる
 しかなくなるのだ。ただ働くことが尊いという考えから、いつ抜け出せるかが日本復活
 の鍵だ」
・日本人の勤労精神は美徳であり、今後も大事にしていくべきだが、いま日本に求められ
 ているものは、なるべく無駄な労力を費やさず、頭を使って効率よく稼ぐという姿勢で
 ある。 
 日本の労働力は年々減っているのだから、なおさら生産性を高めるために知恵を使わな
 ければならない。
・そして、リスクを恐れず、全面的に国際化に踏み切る。
 本来、自由貿易の発想は、お互いが得意な分野に特化して国際分業すれば、一国で完結
 するより最適化され全体として効率があがり、それぞれメリットを享受できて、ウィン
 ・ウィンの関係になるはずという前提に立つ。
・いまは産業単位ではなく、企業単位で考える時代だ。
 モノ作りだから尊いという考えをやめて、どれだけ知恵が集約されたサービスか、商品
 か、企業か、という考え方に変えていかなければならない。
・経済を立て直すには、もちろん、労働力の減少を食い止める努力も必要だ。
 長期的には少子化対策が必要だが、これは短期間で解決できる問題ではない。
 労働力の減少を和らげる当面の策としては、外国人労働者の導入、もしくは女性・高齢
 者の活躍に期待するしかない。
 高齢者はどんどん増える。元気な高齢者も然りだ。
 外国人労働者を一挙に増やすのが嫌なら、女性が働きやすい環境づくりとともに、高齢
 者が働ける環境づくりが最大のテーマになる。
・現在の高齢者は、収めた何倍もの額の年金をもらっている。
 日本人の資産の大半を持っているのも、65歳以上の人たちだ。
 高齢者の年金はもう少し削り、現役世代の負担を軽くしてもいい。
 その代わり、高齢者が本気で働ける仕組みを作る。
・もちろん、それまで働きづめだった人たちが余暇を楽しむことは、決して悪いことでは
 ない。しかし、もう少し余裕のある暮らしをしたいとか、まだまだ仕事をしていたいと
 思っていても、ちょうど良い仕事がないという人も多いだろう。
・年金は長生きしたときの備えではなく、長生きしても「働けない」人のための保険とい
 う考え方に変えてはどうか。
 つまり、何歳になっても働こうとすることを前提にする。
 働けない人、仕事がない人、働いても十分な給与まではもらえない人、これらの人に対
 する保険、という考え方にすべきではないか。
・つまり、失業保険と生活保護の合体型だ。
 失業保険の部分は保険、生活保護の部分は税金により分配という考え方。
 働けるけど働きたくない人には支給しないということにすればよい。
・生活の安心という意味では、年を取ったら年金ではなく、働けなくなったら年金がある
 ということで十分ではないか。
 働けるけど働かない人、ただ年金で楽をしようという人まで国は面倒を見なくてもいい
 だろう。 
・年金財政が苦しくなるから支給額を減らそうとする考えもあるが、一律で支給額を下げ
 ると、貧しい人でなくてもかなり不安になる。
 自分はもしかしたら100歳まで生きるかもしれない、そう思うと一切お金を使いたく
 ないということになり、資産を保有している高齢者まで、ますます委縮して、所得を貯
 蓄に回すようになり、消費に悪影響を及ぼし、日本経済を傷める結果になる。
・そういうデメリットを考えれば、年金制度に「死亡時精算方式」を取り入れるのがいい
 のではないか。 
 たとえば高齢者が亡くなり、その人は生涯で1千万円の年金給付を受け、総額5百万円
 を支払っていたとしよう。
 5百万円は超過分だから、相続財産から優先的に国に返してもらう。
・年金などのもらいすぎで、その子供たちが豊かになるというのは、公平の観点からも問
 題がある。 
 単純に相続税を上げるという議論もあるが、それでは真面目に働いて貯めた分も年金な
 どで貯蓄した分も同じ扱いになり、公正とはいえないのではないか。
・それには、一日も早く国民番号制を導入し、個々人の口座で年金、健康保険、介護保険
 の支払いと受給が管理されるようにすることだ。
 医療、介護も含めて、生涯を通してもらいすぎた分は国に返納するという制度にしたほ
 うがいい。 

・お金持ちの高齢者であっても、いまは病院に行くと何時間も待たされる。
 サービスの悪い医療しか受けられない。
 富裕層向けの病院がないので、もっと払ってもいいから、サービスのいい病院に行きた
 いと思っている金持ちでも、一律のサービスしか受けられない。
・そこで料金は高いがサービスは充実している快適な病院を作る。
 待ち時間もほとんどない。
 たとえ待たされても、併設されたラウンジでお茶はコーヒーを飲みながら、専門知識の
 ある担当看護師、カウンセラーの相談を受けられる。
 少々高くても、そういう病院に行きたいと思う高齢者は多いはずである。
・こういう政策を言うと必ず、医療に格差をつけるのか、人の命もカネ次第か、と食って
 かかる人がいる。  
 しかし、おカネがない人でも、いまと同じように最低限の医療が受けられるのであれば、
 誰も損はしないはずだ。
・腕のいい医者は全部給料のいい病院に行って、貧乏な人はやぶ医者にかかるしかなくな
 るのでは、と思う人もいるかもしれない。
 だが、いまでも実は医療に格差はある。
 たとえば、有名病院の一流の先生には誰でも診てもらえるわけではない。
 手術をしてもらおうと思えば、コネとカネを使う必要があるのだ。
 裏でおカネのやり取りがあるより、病院全体のサービスを向上させて、高い料金を取っ
 たほうがはるかに健全だ。
・介護施設にしても、高級な施設もあれば、安い施設もある。
 介護施設が良くて、病院が悪いという理屈はよくわからない。
 世の中には、格差がいやでも存在する。
 三ツ星レストランで毎日のように食事をしている大金持ちもいれば、一度もそんな高級
 料理を食べたことのない人もいる。これは仕方ない。
 サービスが一段上の病院があり、がんばって働いたら、医療はちょっといいところで受
 けられるというのであれば、日本人のがんばり違ってくる。
・格差を容認すれば、あまり裕福でない人にもメリットはある。
 高度医療では、一回受ければ10万円以上治療費がかかる検査や治療がある。
 なぜ、こんな高い価格設定なのかと言えば、検査機械が高いうえに、はじめから利用者
 が多く見込めないこともあって、一回当たりの検査料が高くついているのだ。
 病院のほうでも割高の設定をせざるを得ない。
 そうなると機械も大量には売れないから、なかなか値段も下がらないという悪循環にな
 る。   
・現状では、一部だけ保険の利かない高度医療を受けた場合、本来保険が適用される医療
 にまで保険が効かなくなるため、高度医療を受けにくいという問題がある。
 そうなるとやはり単価は高くなり、いつまでも高額のまま。
 貧乏人に手が届く治療にはならないということになる。
・であれば、混合診察禁止の制度はやめて、おカネのある人は保険外の高い診療でも受け
 やすくする。 
 金持ちがどんどん利用するようになって、機械も薬も普及すれば、大量生産が可能にな
 って、高価な治療費もいまよりずっと下がる。
・こうして、おカネがあまりない人でも手が届くようになるかもしれない。
 保険診療にしても国費の負担が少なくて済む。
・医療機器の単価が下げれば、有力な輸出品になる可能性も出てくる。
 日本では医療産業の需要はどんどん増える。
 これだけの高齢者を抱える先進国はない。
 だとすれば、医療・介護産業が発展しないのはおかしい。
 政策の問題だとしかおもえない。
・医療は金儲けではない、貧乏人にもあまねくサービスが提供されなければならない、と
 いう。 
 それでは電気や電話はどうか。
 日本人の主食の米はどうか。
 人の尊厳という点からいえば、葬式はどうか。
 どんなに貧しい人にも提供しなければならない商品・サービスだ。
 だから金儲けの対象にしてはいけないということにはならない。
・より多くの企業が参入することによってより良いサービス・商品が提供される。
 医療にも基本的には同じだ。
 日本の医療に大資本が参入して、世界の病院と合従連衡しながら、より良いサービスを
 提供し、かつ病院の経済基盤もより強固で安心なものとする。
 海外からもたくさんの患者を集めて利益を上げ、税金を納めてもらって、それが社会保
 障に回る。そういう好循環を目指すべきだ。
・金儲けを批判する開業医が金儲けしていないと思っている国民はいないだろう。
 そんな詭弁に反論できない政府には、消費税増税を主張する資格はない。

・観光業も高い将来性を秘めている産業だ。
 日本には石油や鉱石といった資源はないが、観光資源を見れば、世界に負けないものが
 ある。
 まず、四季の彩りのある美しい自然、伝統的な寺社仏閣、豊富な山海の幸と巧みな調理
 技術、世界の人々が欲しがる電化製品、アニメやゲームなどの新しい日本文化。
 そしてなによりも、日本人の真面目で親切で礼儀正しい国民性・・・。
・控えめで奥ゆかしく、自己主張も苦手な草食系の典型ともいえる日本人は、海外のギス
 ギスした社会では頭角を現すのはむずかしいが、本来、外国人から見ても愛すべき民族
 だ。 
・最近、急増している中国人旅行者が感動するのも、いままで知らなかった日本人の素晴
 らしさだ。
 日本製品のショッピングが目的で来日してみると、店員は中国とは比べものにならない
 くらいマナーがいい。
 道を尋ねても、日本人は言葉の壁を越えて一生懸命教えてくれようとする。
 この親切さは、自分たちの国にはないと感激し、もう一度日本に来たいとなる。
・しかも、アジアの国々は人口が多いうえに、中国、インド、ベトナム、韓国と、経済的
 にも伸び盛りだ。
 富裕度は上がり、海外旅行を楽しみたいという人が増えている。
 政府が観光立国に一層力を注げば、観光業は日本のリーディング産業になり得る潜在力
 を持っている。
・大事なことは、この先、日本に外国人が溢れるようになっていくことをわれわれは嫌が
 ってはいけない、ということだ。
 中国人が嫌いだなどという声をよく耳にするが、日本に来る中国人は日本が好き、ある
 いは少なくとも興味を持ってくれている人たち。
 彼らに日本の良さを十分に知ってもらうこと、これがいかに重要なことか。
 日本が好きな中国人、アジア人が増えれば、外交的にどれだけの効果があるか。
・基本的には、われわれは、隣りの家にアジアの人が住むという時代を想定しなければい
 けない。 
 若い人たちはアジアの人たちと競争し、また共生しなければならない。
 好きとか嫌いとかいっている場合ではない。
 来てもらってありがたいと思うべきだ。
・日本が再生できるとすれば、そういう社会を厭わない、それを前提とした社会作りをし
 なければならない。 
 もし、それを嫌がっているようだと、日本の将来はない、ということを覚悟すべきだろ
 う。
・日本に海外から人が集まるということは、日本が魅力的な国であり続けるということだ。
 日本の経済がアジアの発展から切り離されてジリ貧になり、さびれた街並みとぼろぼろ
 の道路や廃屋が点在することになれば、日本は海外の人々を惹きつけることはできない。
 そのとき、嫌いな中国人が来なくて良かったと喜ぶべきだろうか。
 日本人だけでひっそりと肩を寄せ合って暮らしていることが幸せなのかどうか。
 よく考えなければならない。
・観光というと日本の美しい風景を思い起こす。
 しかし、日本の田園地帯は本当に美しいか。地方の門前町、温泉街は本当に風情がある
 か。 
・フランスの田園地帯、田舎の小さな村を訪ねてみると、日本との違い歴然とする。
 見渡す限り、緑の畑、黄金色の畑、といった風景があたり前のように広がる。
 中世の趣きを色濃く残した田舎町。
 そこには、畑のまん中の無機質な工場、古びた街並みのなかの黄色やピンクの建物など
 絶邸に存在しない。
 町全体が完全な調和のなかにある。
・日本の農地法が農地を守っていたはずだが、実際にはなおざりな運用で虫食い的に転用
 され、醜い建物が田畑のなかにぽつぽつと建っている。
 観光資源としての美しい田園風景が台無しになってしまったのだ。
 一つ何十億円の被害といってもいいだろう。
・今後はこういうことは絶対に許さないようにすべきだ。
 仮に転用の手続きに不備があった場合などは、過去に遡って無効として、原状復帰の義
 務を課してもいいだろう。  
 それくらい強い姿勢で臨まなければ、景観は守れない。
・私の友人のフランス人を京都に案内したとき、彼女が最初に発した言葉。
 「これは犯罪だ!」
 彼女の眼に映ったのは、美しい社寺と並んで色とりどりのビルや看板が混在する光景。
 「こんなことが先進国で許されるのか」
 「全部すぐに取り壊せ」
 と彼女は叫んだ。
 人類に対する犯罪だというのだ。
 確かにフランス人から見ればそうだろう。
・日本の規制は、いわゆるアリバイ作りになっていることが多い。
 役人が責任を逃れるために規制を作って、あとは放置しておくということがあまりにも
 多い。  
 観光資源を本気で守るなら、各地域に、所有権に制約を加えられるかなり強い規制権限
 を与えるべきだろう。
・温泉街に残る汚い廃墟となったコンクリートの旅館。
 破綻して廃業したが、周囲に調和させて綺麗にするインセンティブはない。
 せっかくの温泉街の風情をぶち壊している。
 こういうものも取り壊して広場にするとか、街並みの整備を行う。
 つまらなくて誰も訪れない郷土資料館のような箱モノを作るより、はるかにましだろう。
・壊れかかった橋や道路。
 通行止めのまま放置されているものもあるが、崩壊寸前になっているものもある。
 更新投資の必要がない、あるいはその目処が立たないなら、早めに取り壊したほうが良
 い。 
 これらの「壊す公共事業」をこれからの公共事業の柱にしていくことが必要ではないか。
・何をやるか、何を造るかも重要だが、何をやってはいけないか、何を造らないのか、
 最初にはっきりさせたほうが良い。
・国民のみなさんも日本人特有の金持ちを妬む気持ちを捨てなければならない。
 日本人は横並び思想が強いためか、努力していい暮らしをつかみ取った人に対しても、
 あいつだけ豪勢な生活をしやがって、きっと裏で悪いことをしているに違いないなどと
 妬む人も少なからずいる。
・もう金持ちを妬んだり敵視したりするのをやめて、日本経済を引っ張ってくれる新たな
 産業の担い手たちに一切足かせをはめず、自由に活躍してもらおうではないか。
 妬みの文化では、国民全員のジリ貧の方向に行くしかなくなる。
 
・これからの政治に一番重要なのはリーダーシップだとよくいわれる。
 私も総理のリーダーシップこそが、この国を変えると思っている。
 リーダーシップと一口にいっても、様々な要素があるが、とくに今後、国のトップに求
 められるのは、国民を説得する力だ。
・説得力の背景には、理屈でははかれないものがある。
 それは一種のカリスマ性だったり、あるいは、その人間が醸し出す雰囲気や信頼感とい
 ったものが要素なのだろう。
 それがあって、国民はこの総理の話を真剣に聞いてみよう。この人がいうのだからいい、
 と思う。
・そのためには、まず、言っていることは終始一貫していなければだめだ。
 ただ理屈が通っているだけでも人は説得できない。
 ぶれない、一貫性がある、これが重要だ。
・第二に公平であるという信頼感。
 組合だとか、郵便局だとか、農協だとか、医師会だとか、あるいは電力業界といった特
 定のグループに肩入れし、あるいは遠慮するということが国民に伝わった段階で、もう
 だめだ。   
・三つ目に大事なことは、地位にこだわらないということ。
 私心がないということ。
 身を投げ出してやっていることが伝われば良し。
 逆に地位に恋々としているとなれば、国民は聞く耳をもたなくなる。