官僚の責任    :古賀茂明

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筆者は、霞ヶ関の元官僚である。昨年霞ヶ関を追い出されたことで、一躍有名になった人
物である。最近はテレビへの主演も多くなっている。
本のタイトルから、追い出された霞ヶ関官僚への恨み辛みの本かと思って読んでみたら、
内容の大部分は、官僚への責任追及ではなく、いまの政治、そして政権与党である民主党
に対する責任追及となっている。「政治主導」を旗印とした民主党。しかし、蓋を開けれ
ば、何でも自分たちの手でやろうとする本来の政治主導からは、外れた方向に走ってしま
った。官僚たちの上に立ち、うまく官僚たちを使いこなさなければならないのに、ただた
だ官僚の排除に走ってしまった。当然、実務経験の政治家たちには実務を行う能力はなく、
ただただ政治を停滞させるだけ。何も問題がない平和な時代だったら、少し民主党に政権
与党としてのお勉強の時間を与えてもよいかもしれないが、未曾有の大震災・大津波・原
発事故のこの一大事のこの時期に、そんな余裕はまったくない。
確かに、今の公務員制度や霞ヶ関官僚たちには、問題はたくさんあるだろう。しかし、そ
れ以上に問題なのは、今の国会議員たちではないのか。そして、そういう国家議員だちを
選んできたい我々国民にも、最終責任がある。政治に対する多数の無関心層、どうしよう
もないほどの投票率の低さ。そういうことが、結果的にいまの政治家たちを生み出してい
るんだと思う。今や、政治家たちの世界と一般社会とは、完全に解離しているように感じ
る。
次の国政選挙では、このどうしようもない政治家たちに、政治の場から退場してもらい
「真の政治主導」ができる政治家たちを選出しなければ、この国は危ない。

まえがき
・「想定外」の大地震と大津波に、「起きるはずのなかった」原発事故が加わった東日本
 大震災は、自助と助け合いの精神にあふれた日本国民のすばらしさを示すと同時に、こ
 の国の政府のだらしなさ、無能ぶりをも世界中に知らしめることになった。
・「三重苦」に見舞われながらも、将来に向けて着実に足を踏み出そうとする国民がいる
 一方、本来ならば先頭に立って復興へのビジョンと道筋を示すべき政治家たちは、被災
 者を見殺しにするかのごとく無為な権力闘争に明け暮れるだけで、いっこうに責任を果
 たそうとしない。
・「官僚=優秀」。そういうイメージを一般の方々は抱いているかもしれない。が、だと
 すれば、どうしてこの国は、国民の多くが将来に対して明るい希望を持ちにくくなって
 しまったのか。 
・たとえ官僚になるまでは優秀だったとしても、いつの間にか「国民のために働く」とい
 う本文を忘れ、省益の追求にうつつを抜かす典型的な「役人」に堕していく。それが
 「霞ヶ関村」の実態なのである。

「政治主導」が招いた未曾有の危機
・日本人はたとえそこそこの収入があったとしても、何かを手に入れるためにきわめて高
 い対価を払わなければならないのであって、生活レベルは先進国の中でも低いほうに位
 置づけられることになるのだ。
・何より少子化がすざましいペースで進行しているうえ、これに歯止めがかかっていない。
・国と地方を合わせた借金総額は2011年度には1000兆円を突破する勢い。国民一
 人当たり、じつに780万円もの借金を背負っている勘定になり、しかも1990年に
 は60兆円あった税収はいまや40兆円。借金は膨れ上がる一方で、この借金が国民の
 貯蓄を食いつぶすは必至。しかも高齢者の増加に伴い、貯蓄率そのものもこの先下がっ
 ていくと予想される。
・ところが、そんな状態であるにもかかわらず、日本国政府はいつでも問題を先送りもし
 くは本質から目を逸らして、その場しのぎの施策を講ずるだけ。最後は増税でなんとか
 しようという知恵しかなく、また、増税すればなんとかなると本気で考えているらしい。
・しかし、増税によって国民から集めた金で社会保障をまかない、かつ膨大な借金を減ら
 そうと思えば、もはや消費税を30%まで引き上げるしかない。
・そうなったとしても、我慢強い日本人は過去の遺産を食いつぶしながらも、死にもの狂
 いでがんばってしまうだろうから、しばらくはそれでなんとかやり過ごすかもしれない。
 が、やがては力尽き、やってくるのは、歳入の不足で行政が立ち行かなくなる「政府閉
 鎖」。IMFが乗り込んできても、財政状態のあまりのむごさにお手上げ状態、日本は
 滅んでいく。
・今回の東日本大震災によって、破綻へのカウントダウンは加速しかねない状況となった。
 いよいよ破綻が現実のものとして迫ってくるようになったのである。ところが、肝心の
 日本政府にはそうした危機感はまったくないように見える。
・菅内閣は以前にも増して「政治主導」を強めたように私には見えた。その最たるものが、
 地震翌日の3月12日に早くも菅総理みずから原発を視察したことだ。情報が思うよう
 に入ってこないため、自分の目で確かめたかったとの理由があったのだろうが、傍目に
 は総理が直接、しかも早急に現地に赴くことで「やる気」をアピールしたかったとしか
 思えなかった。しかし、総理の意図がどうであれ、この視察は取り返しのつかないマイ
 ナスを発生させた。何より、それでなくても高い負荷がかかっていた官邸スタッフをさ
 らに振り回すことになった。
・官僚みずからが被災地に足を運び、現場でほんとうに必要なこと、必要なモノは何かを
 確かめ、それをスムーズに実行したり、被災者に届けるために支障がある仕組みは変え
 たり、あるいは新たなシステムをつくったりすべきだろうと私は思うのだ。ところが、
 実際に霞ヶ関の官僚たちが、それこそ夜を徹して取り組んでいたのは、一所懸命、大臣
 のための想定問答集をつくることだったのである。
・そこで必要とされるのが、総理のリーターシップである。「現場で可能なかぎり判断し
 て結論を出せ」そう言って現場に権限を委譲し、被災者のためになることなら、復旧に
 効果があることなら、上の決裁を待たずに実行させることが大切なのである。そうすれ
 ば、末端の官僚も思いきって動くことができる。しかし、その大前提として必要不可欠
 な条件がある。「責任はおれがとる!」そういう総理の強い姿勢である。ところが、菅
 総理はすべて自分で決断することだと思い込んでしまった。「おれが決めるから、とに
 かくすべての情報と対応策をすぐに上げてこい!」危機管理マニュアルが無視されたの
 も、この「白紙の状態からおれがやってみせる」という無謀な気負いが仇になったと私
 には思える。
・これまでの官僚に対する根強い不信感があるから、もともと官僚に対して強く当たって
 きた菅総理は、「失敗したら許さんぞ。できなかったら承知しないぞ」と、さらに強い
 ケンカ腰で迫ってしまった。官僚としては「なんだ、この人は?}と思ってしまうのも
 仕方がない部分はある。
・私の考える、日本がたどる最悪のシナリオは、結局は従来どおり、縦割りで復旧・復興
 が進められてしまう。その結果、公共事業だけが着々と実行に移されるといった事態が
 出来するだろうと私は考えている。要するに、同じところに同じような道路や建物をつ
 くることになるわけだ。これは、いわば「公共事業を生活保護の代わりにする」という
 発想である。公共事業を行うことで被災地に雇用が生まれ、被災者の生活が保護される
 との主張である。事実、「これで20年、東北は安泰だ」と言ってはばからない者もい
 るほどで、おそらく、30兆円ほどの規模になるだろう。
・だが、それではその30兆円はどこから捻出するのか。もちろん、政治家と財務省の頭
 には増税しかない。それでも国民は「被災地復興のためだ」と我慢するだろうし、造成
 によって経済成長が期待できるのならまだいいだろう。しかし、公共事業で経済成長の
 芽が吹くかといえば、はなはだ疑問である。
・人が住まなくなったところに道路や橋をつくったりしても、なんの生産性も生み出さな
 いから経済成長も期待できない。ということは、税収はどんどん落ちていく。
・一方、社会保障のカットは反発が怖くて政府にはできない。したがって支出はますます
 膨らんていき、それを賄うためにまた増税せざるを得なくなる。そうやって正金がどん
 どん上がっていけば、逆に消費はどんどん冷え込んていく。
・増税するならば、その前にさまざまな改革を行い、「これだけ成長の芽が生まれました」
 と明確なメッセージを出さなければならない。
・成長によって企業や個人の収益や所得が向上し、結果として税収を増やす。それが本来
 のやり方である。ところが、日本政府を進めようとしているのは、そういう成長の可能
 性をいっさい示すことなく、「とりあえず」増税するということにほかならない。増税
 で財政を再建しようとしているのである。もはや取れないところから、さらにむしり取
 ろうとするのだから、だれが考えてもうまくいくはずがない。
・となれば、国債マーケットが日本を見離す。国際が暴落し、いまの円高から一気に超円
 安になる。その結果、輸入品の価格がべらぼうに高くなり、インフレを起こす。当然、
 貨幣価値も一気に下がるだろう。
・あらゆるモノの価格がひたすら高騰していくのを国民は黙って見守るしかなくなるのだ。
 比例して給料も上がればまだしも、企業にそんな余裕はない。したがって、給料は変わ
 らず、モノの値段だけが上がっていくのだから、生活は苦しくなる一方になる。
・これに追い打ちをかけるのが、日本の食料自給率の低さ。日本の食料自給率はいまやカ
 ロリーベースで40%。米だけでは1年間はなんとかなるだろうが、肥料が輸入できず、
 翌年は栽培できない事態も十分起こりうる。
・となれば、餓死者が相当数出るのは必至。むろん、食料だけでなく、灯油やガソリンも
 高騰するから、寒冷地では凍死者もたくさん出るのではないか。そして、そのようなし
 わ寄せはまず、貧しい人を襲うのである。
・だからといって、すでに政府閉鎖に陥っている政府には、それを救えるだけの力はない。
 政府のサービスはすべて打ち切られ、「すべて自己責任でやってください」と力なく言
 うだけだ。それが現実になる日を今回の東日本大震災は一気に早めたかもしれないので
 ある。
 
官僚たちよ、いいかげんにしろ
・東電は経産省にとって最高の天下り先の一つ。有力な経産省のOBもたくさんいるし、
 お互いにつながっている。いわば、「仲良しクラブ」だ。
・東電をはじめとする電力会社とうまく「折り合い」をつけてきた人間は出世コースの階
 段を上がっていった。そして、いつしか電力会社に楯突こうとする官僚は皆無になって
 いったのである。
・日本の役所にはこういった矛盾がじつに多いのだ。推進する人間が基準をつくるのだか
 ら、いくら「世界一厳しい」と言っても、ほとんどの場合、それは神話にすぎない。そ
 れが証明されたのが今回の事故であり、その象徴が、福島原発の想定最大津波を
 「5.7メートル」としたことだった。
・地震に伴う津波による非常電源の破損と冷却機能損失の可能性、それを防止するための
 設計変更については、1990年にIAEAが勧告しており、さらに2006年には共
 産党の吉井英勝衆議院議員が、「チリ級の津波が発生すれば、最悪の場合、炉心溶融が
 起こる危険性がある」ことを指摘していたわけだが、そもそも「5.7メートル」と基
 準を定めたのは、当時の保安院長を務めた人物だったのである。
・過去、三陸ではメートル級の津波が何度も起きているにもかかわらず、なぜ、「5.7
 メートルで安全」と認定したのか。おそらく、そうしないと静岡の浜岡をはじめとする
 日本各地にある海沿いの原発をすべて改修しなくてはならなくなるからだろう。現状の
 ままでも安全であるとアピールするために、そう宣言せざるをえなかった。それ以外に、
 理由が思い当たらない。
・そもそも原子力安全・保安院からして、じつは素人の集まりだ。原子力専門家なんて、
 数えるほとしかいない。たとえば、保安院のスポークスマン的役割をおもに務めていた
 西山秀彦審議官は私と同期の入省だが、彼は東大法学部の出身。専門家は専門家でも、
 法律の専門家が原子力発電の仕組みを解説していたわけである。
・私の提案をきっかけに初送電分離が真剣に検討され、電力自由化が進んでいれば、東電
 の独占体質はここまでひどくはならなかっただろうし、保安院が経産省ではなく外部の
 機関であれば、原発の危険性に対して抜本的な対策を講じていただろう。そのように考
 えれば、東電と政治家はもちろんだが、官僚の責任はやはり非常に重いと言わざるを得
 ないのである。
・経済が右肩上がりの状態では、問題になるのは膨らみ続けるパイの分配だけと言っても
 よかった。官僚が何をやろうと、国民一人ひとりの受け取りぶんを増やすことができた。
 言い換えれば、日本という国をどうしていくか、明確な理念などなくてもかまわなかっ
 たのである。
・しかし、右肩上がりの時代はとうに過去のものとなった。それどころか、日本経済は凋
 落の一途をたどり、いまや蓄えた過去の貯金をも食いつぶしてしまいかねない状態にな
 っている。官僚がほんとうに優秀であるならば、そうなる前になんらかの対策を講じる
 ことができたはずだ。
・ところが、現実に彼らが行なってきたことは、社会保障庁の消えた年金問題をはじめ、
 次々と経済危機を迎えている地方空港の需要予測、世界で全く競争できない銀行を生じ
 させた護送船団方式、耐震偽装問題、そして官製談合。財政状態を日増しに悪化させ、
 日本経済を死に体にさせることばかりと言っていい。
・これだけ我慢強く、まじめで、勤勉な国民がそろっているにもかかわらず、将来に希望
 をもてない国になってしまったのは、政治の責任もあるが、やはり官僚の責任が大きい。
・日本の官僚も、専門知識に乏しく、したがって判断も決断もできず、自分では絶対に責
 任をとろうとしない、たんなる素人集団であることが、広く国民の前に露呈してしまっ
 た。
・ここまで財政を悪化させたことからも明らかなように、財務官僚のレベルもお粗末なも
 のだし、あらゆる分野で日本の官僚は、世界標準に比べると相当に遅れていると言わざ
 るを得ない。それどころか、いまや危機的状態にある国を食いつぶし、崩壊させかねな
 い存在になっていると言っても過言ではなくなっている。
・民間企業に天下る場合、その役人が優秀な人材であればいいのだが、現実には必ずしも
 そうではないわけで、一種の体のいい人員整理といった側面が強い。
・要するに、象徴では活用する場がなくなった知恵やノウハウを、国民生活を向上させる
 べく独法や民間などで再利用するために天下りがあるのではなく、ひたすら自分たちの
 生活を守るためにあり、しかも無能な人たちに高給を保障するために税金が使われる。
 だからこそ、天下りは悪であり、禁止しなければならないのだ。
・ベンチャーを支援するとの名目で、きそいあうようにさまざまな企業に投資することに
 なった。その額、およそ2700億円。投資のための団体をつくって天下りを送り、さ
 らに民間活力を活用するとの理由で銀行のOBも入れて運用させた結果はどうだったか
 といえば、戻ってきたのはわずか10億円足らず。投資先の大部分がつぶれてしまい、
 大半の金をドブに棄てる結果になった。さぞや責任問題を追及されたかと思いきや、実
 際に投資を行なった人間はすでにおらず、何度か国会で問題にはなったものの、結局、
 金の行方とともに責任の所在もうやむやになってしまった。
・だいたい、役人が商売しようとしても無理なのだ。もともとそういうセンスが欠如して
 いるうえ、さまざまな利権や役所ならではの思惑が邪魔をする。たとえば、NTT株は
 売却した政府だが、JTの株はいまだに保有している。なぜかといえば、JTの会長職
 は財務省の歴代次官級OBが代々、天下るポストだからだ。もっとも格の高い天下り先
 なのである。それを維持するために、いまだに株を持ち続けているのである。
・バブルの時期に売却すれば二倍くらいになったものを、ダラダラと持ち続けた結果、価
 格もどんどん下がってしまっただけでなく、管理費ばかり膨れ上がってしまったという
 のが、全国にある国有地の実態だ。まさしく役人ビジネスセンスのなさを物語るものと
 いえるが、もしかすると売却しないほんとうの理由は、そうしてしまうと理財局の仕事
 がなくなってしまうからではないかと勘ぐれないこともない。
・こうした官僚たちの忘却無人な暴走にストップをかけようとした政治家たちもいた。し
 かし、霞ヶ関はあらゆる手段を使って抵抗し、自分たちの領分を守ろうとした。
・私の知りかぎり、こうした公務員制度の改革に最初に取り組む姿勢を見せたのは、
 2006年に成立した安倍普三内閣だった。自民党の安倍政権が突如として公務員制度
 改革に足を踏み入れたのは意外に思えるが、私が思うに、総理が掲げた「戦後レジーム
 からの脱却」のためには、現行の官僚システムが障害となること、また公務員改革が国
 民にウケのいい政策だったことが理由だと思われる。
・ところが安倍内閣のあとを襲った福田康夫内閣は、予想されたことではあるが、改革に
 は消極的だった。それどころか、むしろ官僚を擁護する立場をとり、渡辺大臣の改革案
 に抵抗したという。
・しかし、悲壮とも言える渡辺大臣の情熱と、原氏らの的確で献身的なサポートの甲斐あ
 って、2008年6月、国家公務員制度改革基本法は国会で成立する。
・守旧派官僚の恥も外聞もない抵抗、さらには与党自民党の改革に対する消極的な姿勢、
 そして民主党の主要支持母体である労働組合の反対など、われわれは数々の逆風にさら
 された。何度もくじけそうになった。それでもめげずに、われわれがなんとかまとめあ
 げた国家公務員法改正案は、福田政権のあとを継いだ麻生太郎内閣によって、2009
 年3月、国会に提出される運びとなった。ところが、だ。当時は野党だったとはいえ、
 公務員制度改革においては志を同じくし、われわれを援護してくれていた民主党の反対
 によって、改革案は廃案となってしまった。民主党が反対した理由は、想像するに、そ
 の年二衆議院選挙が予定されていたことから、選挙前に法案を成立させても自民党の手
 柄になってしまう。ならば「麻生内閣には公務員改革はできない。民主党ならばもっと
 先進的な改革ができる」と選挙で訴えたほうが得策だ。との判断が優先されたからだろ
 う。
・私の思い描いていた国家公務員制度改革のほうは画餅に帰す結果となったのはご承知の
 とおりである。いや、むしろ後退したと言ったほうが正確だろう。そのことを何よりも
 雄弁に物語るのが、2010年6月に菅内閣で閣議決定された国家公務員の「退職管理
 基本方針」だった。この基本方針は「天下りの斡旋を根絶する」と謳いながら、じつは
 事実上の天下りを容易にし、出世コースからはずれた官僚を救済する措置に等しいので
 ある。つまり、前年9月に当時の鳩山内閣が禁止したはずの天下り斡旋を事実上復活さ
 せたわけで、自民党時代よりむしろ積極的に進める結果となったと言わざるを得ない。
・政権奪取当初の民主党が公務員改革に本気で取り組もうとしていたのは事実だった。政
 権発足後に私は、それまでほとんど接する機械のなかった仙谷由人行政刷新担当大臣か
 ら三度呼ばれ、大臣ブレーンたちと改革についてさまざまな議論をした。その過程で大
 臣補佐官就任を要請され、行政刷新会議および事務局メンバーの候補者リスト作成の支
 持を受けた。
・しかし、私が用意したリストは結局、活かされることはなかった。それどころか、12
 月に突如、公務員改革事務局幹部が全員その任を解かれ、当初は補佐官として仙谷大臣
 をサポートすることになっていた私も経産省に戻されることになった。いったい、何が
 仙谷氏を、民主党を変えたのか。理由の一つとして、政権が交代した時期が悪かったと
 言うことはできる。
・「予算成立のためには財務省を敵にまわすわけにはいかない」仙谷氏はおそらく、早い
 段階でそのことに気づいたのだと思う。私の唱える改革を快く思わない霞ヶ関の猛反発
 に屈したにちがいない。要するに、民主党に改革を行うだけの力がなかった。
・政治主導とは、言うまでもなく、政治家が主となって物事を決定していくことであるが、
 それは官僚を排除することを意味するのでは断じてない。「主」たる政治家が「従」た
 る官僚を使って物事を成していくプロセスにほかならない。
・にもかかわらず民主党は、「政治家がすべてをやること」が政治主導だと考えた。官僚
 たちの上に立つのではなく、同じレベルに立って、あたかもライバルであるかのように
 競い合い、打ち負かし、「官僚を排除すること」が政治主導だとはき違えた・官僚を
 「従」たる位置に置いて、うまく使っていこうとの発想がなかった。
・政権交代の際、民主党は言った。「霞ヶ関の幹部職員には全員、辞表を書いてもらう。
 それが政治主導だ」
・自民党政権を支えた役人たちは、民主党から見れば信用できない存在だ。だから、排除
 しようとした。その結果、次官会議や次官会見の廃止、政務三役の会議からの官僚排除
 などといった方針が打ち出された。
・一方で「従」がいなくなったため、「主」である自分たちが「従」の役割も担わなくて
 はならなくなり、予算案の策定にあたって政務三役みずからが電卓を叩くという滑稽な
 光景が出来することになったのである。
・かりに、民主党が官僚を「従」として使うことの重要性に気づいていたとしても、はた
 して民主党議員たちが「主」の役割を担うことができたかといえば、残念ながら無理だ
 ったのではないかという疑念を私は拭うことができない。つまり、官僚から「大臣、ど
 うするか決めてください」と問われたとき、「こうすうr」と言い切るだけの知識も判断
 力も、民主党議員にはなかったのではないか。にもかかわらず、やる気だけは満々だっ
 たのが民主党の大臣たちだった。
・たとえば国土交通省大臣を務めた前原誠司氏。彼は就任と同時に、八ツ場ダム廃止や高
 速道路無料化といった方針を矢継ぎ早に打ち出したものの、どれ一つとして徹底するこ
 とはできなかった。日本航空が経営破綻に陥ったときなどは、みずから「つぶさない」
 とタンカを切ったにもかかわらず、結局、日航は事実上つぶる結果となった。
・その前原氏は、かつては党代表を務め、「ポスト菅」に名前があがった民主党のエース
 といえる人物。民主党のなかでは、知的レベルでも行動力でもトップクラスと言ってい
 い存在だ。その前原氏にしてこの程度なのだから、それこそ政権交代前はだれも名前す
 らしらなかったような大臣には、自力では何もできなかっただろうと推測せざるを得な
 い。すなわち、民主党は所詮、その程度の能力しかない議員の集まりにすぎなかったと
 僭越ながら結論づけざるを得ないのだ。「人のやることにケチをつけるのは得意だけれ
 ど、いざ自分が当事者となったら、知識も判断力もまったく足りない人たちの集まり」
 なのだと。
・民主党の議員は概して問題を理解する能力に乏しかった。彼らの「変えよう」とする意
 識は確かに強かった。ところが、彼らの多くは「自民党を不定すること」=「変える」
 と錯覚していた。
・民主党議員が哲学をもたず、仮説も建てられなかった理由は、私が思うに、彼らが体系
 的な勉強をする環境に恵まれなかったことにある。よく指摘されることだが、民主党議
 員の多くは野党だった時期が長かった。野党であるかぎりは、与党を批判していればい
 い。したがって、相手のアラが見えた部分については、そこを突くために深く掘り下げ
 て勉強する。その能力は確かに高かった。
・しかし、その分野全体について幅広い見地から体系立てて勉強し、自分で答えを見つけ
 ていく作業はしていなかったのだと思う。だから、一部分がわかっただけで、全体を理
 解したと思い込んでしまうケースが目についた。 
・仙谷氏が路線変更をしたのは、こうした大臣たちの能力の低さにいち早く気づいたこと
 も大きな理由だったのではないか。「おまえたちはデキが悪いのだから、官僚とケンカ
 するな。とりあえずうまくやっておけ。」おそらく、仙谷氏は大臣たちにそう命じだの
 だろう。
・ある大学教授は、仙谷氏がこんな愚痴をこぼすのを聞いたという。「民主党には政治主
 導などできない。能力がないから、そんなことをしたらメチャクチャになる。勝手にさ
 せたら憲法違反だったなんてこともやりかねない連中なんだ」
・そんな仙谷氏に唯一従わなかったのが長妻昭氏だった。私は長妻氏の主張を詳細に検討
 したわけではないが、彼のやろうとしたことは、おおむね私がめざした公務員改革の方
 向性と一致していた。だから、長妻氏が志半ばで厚生労働省を事実上更迭されたときは、
 「惜しいなあ」と感じたものだった。
・はっきり言うが、だれに訊いても「どうしようもない役所だよ」とこえをそろえて言う
 のが厚労省だ。奇しくも消えた年金問題で明らかになったように、ひと言でいえば、無
 責任体質がはびこっているのである。
・官僚という人種は、その政策を実現できない理由なら100でも200でも用意する。
 必ずしもその道のプロではない大臣だけでは、そうした理由に反論するのは難しい。
・もし長妻氏一人だけでなく、全閣僚が一致団結して役人と闘おうとの姿勢になっていれ
 ば、時間はかかっても、もう少し違った展開になっていただろう。しかし現実は、長妻
 氏以外の閣僚は、仙谷官房長官とともに官僚依存路線に転換していたのだから、長妻氏
 は孤立し、厚労省ばかりか財務官僚までをも敵にまわして集中砲火を浴びることになっ
 てしまったのだ。
・鳴り物入りでスタートした事業仕分けも、結局は民主党が官僚に敗北する結果となった。
 そう言っても過言ではないだろう。いったん「廃止」の結論が出ても、予算の項目だけ
 変えたりして復活しるだけでなく、むしろ焼け太りになった事業が続出した。
・構造的な問題に踏み込まなければ、結局は同じことが繰り返されることに決まっている。
 構造的な問題とは何か。それはやはり、公務員の生活を支える仕組みなのである。たと
 えば、ある事業に「廃止」の指示が下ったとする。かりに官僚がそれに従ったとしても、
 その事業の予算をもらっていた団体があり、そこには天下りした役人が何人かいる。極
 言すれば、彼らの生活を支えるためにその事業は存在し、団体に予算が流れていたわけ
 だ。
・さて、その予算をもらえなくなったら、役人はどうするか。いちばんわかりやすいのは、
 看板を付け替えることである。事業内容はそのまま存続させ、見かけだけを変えるのだ。
・事業仕分けでいくつもの事業が「廃止」の烙印を押されたにもかかわらず、霞ヶ関にそ
 れほどあわてた感じがなかったのは、そうした骨抜きが可能であることを官僚は先刻承
 知していたからだ。あれだけの事業が一挙に廃止されれば死活問題になるのは必至だし、
 当然、完了からは大きな不満が出てくるはずなのだが、そういう声はいっさい聞こえて
 こなった。
・一方、民主党側も事業仕分けをたんなる「ショー」だと割り切っていたフシがある。
 仕分けの過程で、官僚のおかしなところを叩いている姿を国民に見せるのが芯お目的で
 はなかったのかと思わざるを得ない。
・もし本気で無駄な事業を削減しようとすれば、実現困難な領域にみずから踏む込むこと
 になる。その過程が国民の前にさらけだされればされけだされるほど
 、実現できなかったときの批判は大きい。民主党はそれを恐れたのではないかと私は想
 像するのである。
・本気でやる気があるのなら、問題点を改善し、仕組みを強化するはずなのに、そうしな
 い。ということは、「官僚を叩く」という当初の目的がある程度、達成されたので、こ
 れ以上やる必要がなくなったと判断したのだとしか思えない。要するにポーズだったの
 だ。
 
官僚はなぜ堕落するのか
・人事院というのは、ひと言でいえば、「中立的な第三者」として公務員の処遇などを決
 める機関である。公務員の給料は人事院の韓国に基づいて国会で決定される。それなの
 に郵政省出身の谷総裁以下、事務局はみな公務員・・・。代々そういう状態が続いてい
 た。つまり、公務員が公務員の待遇を決めているのである。このシステムはおかしいし、
 馬鹿げていると感じていた。自分の給料を自分で決められるなら、自分に都合のいいよ
 うにするに決まっているではないか。
・天下りの仕組みを守ることが、霞ヶ関の「文化」として共有されているのである。いわ
 ば霞ヶ関自体が壮大な互助会と言っても過言ではないのだ。
・もしかしたら、これは国家公務員の世界だけの話ではないもしれない。だが、国家公務
 員は国民の税金で生活しているのであり、その代わりとして、国民のために奉仕する義
 務がある。国民のセ活を第一義に考えるべきなのは当然だ。そう考えれば、守るべきは
 公務員どうして助け合うためのシステムであるわけがない。
・官僚になるのは、山登りをする人がエベレストに登りたいと言うのと同じ。最近、私は
 そう表現しているのだが、東大生が官僚をめざすのは、それが「もっとも困難だから」
 という理由が第一なのではないかという気がするのである。彼らのほとんどは、小学校、
 中学校、高校とずっと「一番」で通してきた。そして「日本の大学でもっとも難関だか
 ら」という理由で東大に進学した。そんな彼らが、大学卒業後の就職を念頭に置いたと
 き、何を考えるか。「合格するのがいちばん困難な就職先はどこだろう?どうやら官僚、
 それも財務省らしいぞ。よし、そこをめざそう。」つまり「国のためにかんばる」とか
 「国民のために何かを成したい」といったモチベーションではなく、「そこがてっぺん
 だからめざす」のである。もっといえば、「おれはすごいんだ」と自己満足を得たいが
 ため、そして周囲から「エリートなんですね」と称賛されたいがためなのだ。
・「人の役に立ちたい」との気持ちを抱いて官僚になる人間よりも、「人の上に立ちたい」
 という出世欲や権力欲を満足させるために官僚になった割合のほうが、明らかに多いの
 ではないかと思うようになったのだ。
・東大出身者が圧倒的多数を占める状況は改める必要がある。彼らはみな、同じようなバ
 ックグランドをもっている。同じような環境の下で人格を形成し、価値基準を育んでき
 ただけに、至高の筋道も同じような回路をたどる。ある意味、これはお互いに心地がい
 い。お互いが期待した通りの反応をしてくれるからだ。しかし、組織というものは、異
 質なもの同士がぶるかりあい、科学反応を起こすことで大きな力を生み出していくもの
 だ。同質の者が集まっていては異質な発想は生まれず、しがたって、あらかじめ想定で
 きる程度の成果しか期待できない。そういう組織は確実に停滞する。
・国家公務員は、経産省なら経産省に入省すると生涯、経産省の所属となる。同じところ
 にずっといるわけで、となると、何より優先されるのは経産省の論理。それに従って行
 動しなければ評価されない。国益を無視して省益確保に奔走する先輩を否定すれば、そ
 れは省の論理と相容れず、はみだし者の烙印を押される。国民の生活向上のためにがん
 ばっていても、省のためにがんばっているように見えなければ、そして結果が省のため
 にならなければ、決して評価されないのである。
・労働次官は官僚を評価する際の基準軸。たとえ何も仕事をしていなくてもしているふり
 をして、役所に長い時間いたほうが得なのだ。それが、深夜の霞ヶ関が「不夜城」と呼
 ばれるほんとうの理由なのである。
・民間ではありえない長時間労働が、許されるどころかむしろ称賛されるのも、親方日の
 丸でコストパフォーマンスを問われることがないからだと言っていい。
・公務員という職業は、一度なってしまえば基本的に毎年、給与が上がり、昇格もするよ
 うになっている。もちろん、よほどのことをしでかさないかぎり、解雇されることはお
 ろか、降格や給与が下がることもない。
・加えて、公務員宿舎なるものが都内だけでも五万戸以上あり、その多くが一等地に位置
 していて、しかも相場の10分の1程度、ただ同然で住むことができる。
・さらに天下りという再就職の道まで用意されている。キャリアであれば、70歳くらい
 までは1000万円以上の年収が保障されている。

待ったなしの公務員制度改革
・日本の国家財政はいま危機的状況にある。その赤字は一時的なものではく構造的なもの
 で、増え続ける借金返済の見通しはまったく立たないばかりか、税収をはじめとする売
 り上げの向上も望めない。このままいけば将来的に消費税増税が避けられなくなる。し
 かも、それは5パーセントでも足りず、10パーセント、20パーセントと大規模にな
 らざるを得ない。
・現在の日本の財政状況は、民間でいえば民事再生や会社更生の申し立てを検討する段階
 と言っていい。
・ギリシアが破綻を招いたきっかけの一つは、公務員の「身分制」を最後ませ温存したこ
 とだった。このままでは日本も同じ道を歩みかねない。限られた国家予算を各部門で切
 り詰め、国民へのサービスを削らざるをえない状況であるにもかかわらず、公務員だけ
 はいままでどおりの生活が守られるのは、どう考えてもおかしい。
・公務員制度改革で大切なのは、いかにして公務員をイノベーション軍団にするか、そし
 て国民のために働くようにするかであり、そのための仕組みを構築することである。官
 僚が各省庁のために働くシステムから国民のために働くシステムに変えなければ、いく
 ら人件費を下げても、事態は長期的にはむしろ悪化してしまう。政治家たちはその意識
 がまったく欠落している。
・公務員が国民を見て仕事をしない最大の問題は、確かな評価システムがないことにある。
 第一に導入すべきだと考えるのは「ミン保障の廃止」と、それにともなう「実力主義の
 採用」だ。
・そこでまずは、一般職員給与を50才以降は逓減する体系に変える。50歳を過ぎれば
 基本給が下がるようにするのだ。具体的には60歳までに3割から5割減を目安とした
 い。早期退職したほうが、退職金が高くなるようにしてもいいだろう。要は、長く役所
 にいるほうが損をする環境に変えるのである。合わせて、役職定年制も採り入れる。
・「キャリア制度」も廃止すべきだ。キャリア組は入省時からポストや給与が保障される
 「特権階級」とみなされており、これが年功序列の一因になっている。
・こうした互助会システムを壊すには、キャリア官僚を縛り付けている省という枠組みに
 とらわれないで働ける仕組みを新しくつくるしかない。
・求められるのは、その時々の重要課題に応じて、組織と人を最適配分できるようにする
 ことである。そのための方法が、「内閣人事局」を新設し、全政府的見地から人事管理
 を一元化するというものである。
 
バラマキはやめ、増税ではなく成長に命を賭けよ
・いまや、この国に対してバラ色の未来を描けると考えている国民はいないだろう。とこ
 ろが、政権を担当する民主党がいまだに言いつづけているのは、「社会保障の充実」だ
 とか「子育て支援」だとか「納涼への戸別所得補償」だとか、耳障りのいいことばかり。
 もはや、なんの痛みもなくて、このままの暮らしをこの国で続けられるなどとは幻想に
 すぎない。おそらく、国民のほとんどはそのことに気づいているはずだ。
・日本の財政再建にいま必要な処方箋として、あえて誤解を恐れずに私が主張したいのは、
 ひと言でいえば「ちょっとかわいそうな人は救わない」
・いまの日本は、国民の大半が「ちょっとかわいそうな」状態に置かれていると言ってい
 いだろう。そういう人たちをみんな援助するだけの余裕は、はっきり言って現在の日本
 にはない。全員を救おうとすれば、日本全体が沈没してしまう。
・何もしなくても年功序列に守られて毎年、給与が上がるうえ、悪事を働かないかぎり一
 度手に入れた地位を失うこともなく、天下りという再就職先まで用意されている官僚は、
 「職業」というより、まさしく「身分」そのものである。
・現在の年金の受注開始年齢は、国民年金加入者の場合で65歳。厚生年金は60歳だが、
 いずれは65歳に引き上げられることになっている。反発を承知でいえば、私はもっと
 上げても、思いきって80歳にしてもかまわないと考えている。
・いまは元気な高齢者が非常に増えている。当時の60歳はいまの80歳にあたると言っ
 ても過言ではない。しかも、現在の年金受注者は収めたよりも相当多くの金額を受け取
 っているうえ、一方でそれを支える現役人口はどんどん減っている。当初の設計のまま
 維持していけば、財政がパンクするのは必然なのだ。
・身寄りのない若者が病気で働けなくなったらどうなるか。基本的にはそれと同じ待遇を
 高齢者に与えればよい。そうでなければ不公平ではないか。現在の高齢者は、私に言わ
 せれば守られすぎといえるのである。働かないで15年くらい面倒をみてもらうという
 こんな仕組みが成り立つわけがない。
・たとえば寝たきりの人や、親がリストラされて学校を中退せざるを得なくなった子ども、
 あるいは病気になったり、仕事がなかったりして、働く意思はあっても働けない人たち
 (ただし、職の選り好みをする人は除く)。そういう人たちは絶対に救わなければなら
 ないし、守らなければならない。
・この国は、努力なしで手に入れられる地位や身分がたくさんある。現行の政策は、そう
 した救わなくてもいい人、恵まれた身分の人たちにも手厚い保護を与え、守ろうとして
 いる。
・はっきり言って、いまの農業は守られすぎだ。もっとも守られているのは水田農家を例
 にあげれば、作付面積が1ヘクタール未満の農家が役7割。きわめて生産効率が悪いた
 め、じつに700パーセントの関税率をかけなければ守れない状態である。すなわち、
 国際競争力がかぎりなく低いのだ。
・競争力をつけるためには非効率的な小規模農家には退場してもらい、大規模集約化を目
 指す以外に道はない。新しく参入してくる企業に土地を与え、小規模農家から土地を譲
 り受けて、やる気のある大規模農家に集約させる。いわば「逆農地改革」は避けてと通
 れないのだ。
・もともと農家は税制も優遇されており、土地の保有コストはほぼゼロに等しい。そこに
 さらに、この制度が導入されたのである。「中小企業は倒産したら1円ももらえない。
 なのに、どうして農家に生まれただけで収入が補償されるのか」 
・そしてその結果、何が起きているかといえば、採算が苦しくて地方の工場をやむなく閉
 鎖する企業の増加と、続出する海外移転である。事実、震災を機にさらに多くの企業が
 海外に「流出」しているだけでなく、部品などの製品を供給できなくなった日本企業の
 代わりに、中国をはじめとするアジア系企業に求める欧米企業も増えている。そうした
 需要が将来、日本に戻ってくる保証はまったくない。
・そもそも、FTAやTPPへの参加は、農家にとってもメリットが大きいと私は思って
 いる。米にしろ、野菜にしろ、果実にしろ、日本の農産物は非常に品質が高い。農産物
 の完全自由化が達成されれば、それらの高付加価値の高級品として輸出できるようにな
 る。将来、有力な輸出産業に発展させることも夢物語ではないのだ。とりわけ、ごく近
 いうちに爆発する途上国の食料需要増大により食料価格が大幅に上昇するとの見通しに
 立てば、日本農家の将来はますます明るくなる。
・ただでさえ少ない労働力と資金を最大限に活用するためには、衰退する産業・企業には
 退場を即し、有望な産業・企業に資力と人材を投入するべきなのに、現実には逆のこと
 をしているのだ。
・日本の開業率は世界的に見ると非常に低いうえ、1990年代以降は廃業率が開業率を
 上回っている。中小企業がその後、日本を引っ張てるような大企業になったという例も
 いまやほとんどない。ということは、これまでの中小企業支援は間違っていたのだ。中
 小企業を永遠に中小企業のまま生きながらえさせるだけだったのだ。こうしたことから
 浮かび上がるのは、せっかく中小企業が自助努力で立ち上がろうとしているのに、国や
 自治体が見当外れの金や規制で、余計な干渉をして妨げている構図である。
・優秀な中小企業経営者は役人よりはるかに考えている。将来を的確に見据えている。役
 人がほんとうに取り組むべきは、そういう企業が伸びるための支援なのである。
・「われわれは日本人に絶対勝てる。なぜなら、日本の経営者は汗水流して働くことを貴
 重だと考えている。」「中国人経営者も、労働者に対して「汗水流してまじめに働くこ
 とは尊い」と口では言う。けれども、じつはそんなことはこれっぽっちも信じていない。
 むしろ、浅水流して働くやつはバカだと思っている。真の経営者は、頭を使って働かな
 いで設ける。そして、自分たちだけでなく、工場で働く労働者をいかにラクさせてあげ
 るかを考えるのが、真の経営者なのだ」
・この中国人経営者の言葉が示しているのは、なるべく無駄な労力を使わず、頭を使って
 効率的に利益を得なければ、日本が国際競争から取り残されるのは必至ということであ
 る。
・おそらくこれから、日本の大企業の経営者の多くが外国人の取って代わられるのではな
 いか。というのも、もはや日本人社長では国際的な競争に太刀打ちできないからだ。
・日本の大企業で今後も生き残ることができるのは、「日本の企業である」との意識を捨
 て去ったところだけだと私は思う。
 
おわりに
・非常に大事なのは、じつは「何をするか」ではない。「何をしないか」なのだ。「大赤
 字の鉄道はもうつくりません」とはっきり宣言しなければいけない。そうしないと結局、
 無駄なものまでふたたびつくってしまいかねない。
・懸念されていた東京電力の処理問題も同様だ。「国民の負担を最小にし、守るべきは被
 害者と電力供給である。」との観点から、「東電を破綻企業とみなし、日本航空やダイ
 エーのときと同様に会社更生法適用を申請し、企業再生支援機構の協力を仰いで再建す
 べきである」
・「東電の債権者である銀行や株主は東電の事業で利益を得てきたのだから、その損失は
 自分でなんとかしてもらい、被災者の賠償だけは国が責任を持ちます。国民が負担しま
 す。」
・これからの東電の賠償を支援し、監視するために設立される原発賠償機構は、当面は銀
 行や役所からの出向者によって運営されるだろうが、いずれは天下り先となって電力業
 界との不透明な癒着を生み、利権の構造が確立するだろう。
・今回の震災で、日本人の我慢強さ、団結力、助け合いの精神などが世界中から驚きの目
 で見られ、称賛された。避難所生活が数ヵ月におよんでも、「つらいのは自分だけでは
 ないから」と、黙って辛抱している人たちもたくさんいらっしゃる。
・そんな人たちに心の底から脱帽しながらも、でも一方で、私は思うのだ。「あまりにも
 従順すぎるのではないか。もう少し文句を言ってもいいのではないか?」暴動こそおこ
 さないまでも、もう少し不満や要求を言動に出していいはずなのに、多くの人は黙って
 耐えている。同様に、政治に対して怒りや不満があっても、それを口にせず、黙って結
 果を甘受する。政治かも官僚も、日本人のそういった国民性に大いに甘えてきたのだと
 私は思う。彼らは、自分たちの地位や身分が脅かされるとはいっさい思っていない。だ
 から、あれだけ好き勝手なことができるのだ。