しない生活 :小池龍之介

この本は、いまから10年前の2014年に刊行されたものだ。
この本の著者は東京大学卒のお坊さんのようだ。東大出のお坊さんというのはなかなかお
目にかかれないのではないかと思う。
この本のサブタイトルが「煩悩を静める108のお稽古」となっており、この本のなかで
著者は、悩みや困ったことを抱えたときには、どんどんつぎの手打とうとしないで、静か
に立ち止まり、内省することが最善策である、と説いている。
確かのそのとおりなのだろうが、それができないのがわれわれ凡人の悩みであると思うの
だが・・・。

過去に読んだ関連する本:
しがみつかない生き方


つながりすぎない
@入ってくる情報が増えれば増えるほど心は乱れる
・心は、ほんのちょっとしたきっかけさえあれば、怒ったり後悔したり、不安になったり
 迷ったり、妬んだり、自慢して偉そうになったり、自分から進んで乱れていこうとして
 しまいます。
・あいにく人間の脳は、「情報の量が多ければ多いほど、生き延びるために役立つ」とい
 う発想で設計されてしまっているのです。
 ゆえに、無駄な、自分を悩ませる情報ですら、好んで集めて心を乱してしまいます。
A相手を屈服させて自分の価値を実感するという愚かさ
・自分の力を示したい、というプライドの煩悩が強すぎるほど、私たちはちょっとしたこ
 とで傷つき、怒るハメになります。
・今世にあふれるモンスター・ペアレンンツもクレーマーも、ネット上にたくさんある匿
 名での悪口も、相手をボコボコに叩いて屈服させることによって「自分は価値=力があ
 る」と錯覚したいというプライドが原因だと思われます。
・そんなひきょうな戦いを挑みたくなるほど心が惨めになる前に、自分の価値をつり上げ
 たくでしょうがない愚かさに、ハッと気づいてあげましょう。
B「あなたのため」と言うときの本心は「自分のため」
・本当の動機を隠した「偽善」は、煩悩のなかでも、相手に不信感をいだかせて関係をギ
 クシャクさせるのに抜群の効果があると申せましょう。  
・「いい人」をやめて、自分の利益を正直に伝えるところから、信頼関係が築けるかもし
 れません。
C「いい人」をやめ、嫌なことは正直に断る
・「安請け合い」をうっかりしてしまうとき、わたしたちの心の奥に響いている声は、
 「本当はしたくないんだけどね」というものであります。
・共通しているは、「いやな人間だと思われたくない」という煩悩。
 すなわち、無意識に「いい人」を演出しようとしてしまう。
 「いい人」を演じてしまうからこそ、嘘をついてまで相手に媚びつつ断ったり、嫌なの
 に引き受けたりするのです。 
・けれども、「言葉の軽い人だ」と見抜く人には、むしろ負のイメージと苦痛を与えます。
 さらに、嘘をつくことは自分の心をモヤモヤさせますし、かといって断れずに引き受け
 ても苦しいもの。
・「いい人」をやめて、思い切って素直に断るのが、互いの心の衛生にとって良いことも
 あるのです。
D「どちらが得か」を迷うのは心にとっての損
・複雑な思考で心が混乱する理由は、私たちが「どの選択肢がより得か」を、計算したが
 る欲望にあります。
 けれども問題なのは、こうして考えを堂々めぐりさせるとき、わたしたちは精神(と時
 間)を消耗して疲れてしまうということです。
 つまり、「どちらが得か」で迷うこと自体、心にとっては損だと申せましょう。
・「ちっぽけな得を求めて、ケチな欲望に心乱れる卑小な自分なのだなあ」。
 そう気づいて、「得」じゃなくてもよいからさっと決めてしまいましょう。
E他人の心のブレに対して寛容になる
・人間というものはボコボコにバッシングされて目を覚まし、改善できるような器用な生
 き物ではない、ということです。  
 非難されて苦しくなった分だけ、さらに心はより楽なほうを求めてウロウロ、右往左往
 するものです。
・なおかつ、他人のブレを許せない狭い心の私たちは、「またブレた」と怒り、心をかき
 乱すハメになります。
 「他人の心なんて諸行無常、ブレるなんて当たり前」と思えば寛容になれます。
 すると自らの心も守れるうえに、相手を(ブレる政治家も)長い目で見守ってあげるこ
 とにもなるでしょう。
F「私をわかって」と欲するほどわかってもらえなくなる
・誰もが自分のことを他人にわかってもらいたがり、承認されたがる煩悩を持っている。
・確かに人間にとって、自分のことを都合よく他人にわかってもらえることは、自分が受
 け入れられた心地になり、安心感をもたらすことでしょう。
 けれども皮肉なことに、「私のこと、わかって」という煩悩が強ければ強いほど、自己
 主張が強くなり口数も多くなり、相手を疲れさせます。
・「わかってよ」をやめて口数を減らすほうが、かえって聞きたくなってもらえるものな
 のです。 
Gネットに満ちる「つながりたい」は、「わかってほしい」煩悩
・ネット上では日記や片言のつぶやきから、匿名掲示板での他人への批判、悪口、陰口に
 至るまで、膨大な量の言葉がはき散らかされています。
 それらの書き言葉が昔の個人的な日記と決定的に異なりますのは、他人に見てもらいた
 いという衝動が働いていること。
 自分の日記や片言が見られることを通じて、「自分ってこんな人なんだよ」とわかって
 もらおうと、誰もが実は寂しくあがいているのです。
・かつて、古き良き時代の日記は他人の目を退けていたがゆえに、自分の孤独へと立ち返
 ってほっと一息付ける心の避難所でありえました。
 それを他人の目にさらすことで、「わかってよ!」と心を乱すものへと変えてしまうの
 は、控えめにしたいものですね。
H「前も言ったけど」の裏メッセージは「私を尊重して」
・「前も言ったんだけどさあ」「何度言ったらわかるの」
 この手のセリフの裏にひそんでいて、ひそかに心をかき乱しているのも、実は「私を見
 て、わかってよ」という煩悩です。 
・つまり、相手が自分の気持ちを分かって尊重してくれようとしないと感じるがゆえに、
 腹が立つ。
 そこで飛ぶ出すセリフが「何度言ったら、わかってくれるの」なのです
・けれども怒って伝えるせいで逆効果、相手とケンカになります。
 まずは「私ってば赤ちゃんみたいに尊重されたがっているんだなあ。淋しいんだな、私」
 と己の姿に気づいて心を静めたいものですね。
Iすぐにメールの返信がなくてもライラしない
・自分の連絡にすぐ返事がないとイライラするのも、ストーカーが「自分が愛しているの
 だから相手も愛してくれないとおかしい」と妄想するのも、天秤は釣り合いが取れてい
 るべきだという「正義感」ゆえ、と申せましょう。  
・自分が「これが当然なのに」と思い込んでいることは、単に脳が天秤の不協和にイライ
 ラしているだけだと、ハッと気づくこと。
 学校で習った「公平さ」という甘い妄想を捨て、この世は、不公平なのが当たり前だと
 いう厳然たる事実に目を開いてみる。
・それにより「返事はくれるのが公平だ」という正義の妄想を離れれば、ゆったり気長に
 「待つ能力」が育ちます。
 待つ力は、自分を優美にしてくれる上に相手もせかされず考えられるので、互いのため
 になるのです。
J正義の怒り、その正体は相手への復讐心
・私たちは自分が受けたダメージを、相手も同じかより大きく受けていないとバランスが
 取れない、という正義感ゆえにイラついているのです。
・現実で復讐して「正義」を実現できない代わりに、バーチャルに脳内で相手をたたき続
 けることによって、天秤の釣り合いを取ろうとしているのです。
K正義感をふりかざしても醜悪な小悪人になるだけ
・政治家や芸能人のちょっとした失言や問題が露呈しますと、しばしばネット上では「祭
 り」と呼ばれる大騒ぎとなり、皆が寄ってたかって、有名人をボコボコにバッシングす
 るようです。 
・本人を眼の前にしたら、決して口にできないであろうようなキツイ言葉が連発される。
 こうして口汚くののしることができるのは、「自分は悪い人間を追い詰める、正しい側
 に立っているのだ!」という大義名分が得られるからでしょう。
 が、これは直接に被害を受けたわけでもないあかの他人が大量に集まって、たった一人
 をたたき続けるという、イジメ行為です。
・「ゆえに、「悪」を見つけると、正義の使者となったつもりになれるだけに、イジメの
 快感へのストッパーが外れてしまうのです。 
 しかしながら、そんな虚しい快感は、一瞬のことで、あとにはクサクサした気分が残る
 のみ。
・ここから、「正義感ゆえにかえって醜悪な小悪人になってしまうのだなあ」という反面
 教師的な教訓を引き出して、心を汚す言葉から離れたいものですね。 
L「間違いは悪いもの」という罠から抜け出す
Mクサクサシタ気分のときこそ優しくふるまう
・私たちは自分で自覚しているよりも頻繁に、「私は正しい、あなたは間違っている」式
 の押しつけをしてしまっているもの。
 「正しさ」ゆえに自分も相手も苦しくさせてしまう。
・私たち人間とは知恵のない生き物でありまして、わかっているつもりでも、ついうっか
 り相手を否定してしまい、気まずくなってしまうこともあるものです。
・悪循環を断つには、クサクサシタ気分を乗り越えて、相手に優しくしてあげましょう。
N自分の優先順位が低いことに腹を立てるのは恥ずかしい
・それらのいらいらの背景にあるのは、こんな幼稚な思念です。
 「うわーん、吾輩は宅配便や仕事なんかより、はるかに価値ある存在のはずなのに」と。
 そんなセリフ、恥ずかしくて言えませよね。
 その恥ずかしさを自覚すれば、はっと目が覚めて不満も静まる。
O自分が隠している情けない感情を認めてやると楽になる
・否定される感情は無意識に隠されるようになり、代わりに私たちは皆が認めてくれやす
 そうな理由をくっつけて怒れば、大木名分がつくうえに、少なくとも勇ましい印象にな
 る分、肯定的な自己イメージがつくれますから。
・引き換えに、「本当は泣きたいのに怒る」とか「辛いのに元気だと思い込む」といった
 具合に、自分の本心が自覚しづらくなっていき、心の回路が狂ってゆきます。
 反対に、裏に隠れた情けない感情を認めてあげると、楽になれるのです。
P優しくされた相手に攻撃心をもち続けることはできない
・「優しくしてあげた」という事実が心に印象付けられてすぐのうちは、互いにまだぎこ
 ちないかもしれません。  
 けれども無意識に影響を受けて少しずつ、拗ねた気持ちが強制的に消えてゆくことでし
 ょう。
・優しくされた側も、たとえ最初は「放っておいてよ」と拗ねてみたところで、拗ね続け
 るのは難しいものです。 
 なぜなら「優しくされた」という事実と「敵とみなす」という心理も協和せず、脳に混
 乱をもたらしますから。
Q相手に不快な声と表情で注意すると自分も不快になる
・一度行ったことや体の変化は、いつも次の心理状態に波紋を投げかける力を持っている。
 ですから、注意せねばならないとき、なるべくあしき業のブーメランを受けぬよう、
 表情も声も言葉も内容も、温和で相手を気遣った伝え方を心得たいものです。
Rわざと敵をつくる脳の過剰防衛反応に振り回されない
・思うに私たちの脳は、いつも目の前の人間を敵か味方かに仕分けようとしています。
 それも、かなり大雑把に。
・人の脳は「別にそこで居心地悪くならなくてもいいじゃない」という場面で、わざわざ
 ありもしない「敵」を見出だしてストレスを感じるように設計されているのです  
 人も動物のひとつとして、「敵」を察知して身を守るための仕組みが、あいにく発達し
 すぎているのでありましょう
・このことを肝に銘じておき、不快になりかけても「脳が敵と錯覚しているだけ。錯覚し
 ているだけ」と念じて、平静さをスッと取り戻したいものです。
S認めてほしい気持ちが強すぎるからスムーズに話せない
・ただ単に、私たちがそわそわと時計を見るそぶりをしてみたり、あるいは携帯電話のメ
 ールをチェックし始めたり・・・。
 たったそれだけのことで、相手のなかには何とも得体の知れない落ち着きのなさが生じ、
 スムーズに話せなくなるものです。
・「自分の存在が相手に聞き取られ、承認されている」という安心感がないと、まともに
 話もできないほど、案外私たちはみんな臆病者なのです。
・思うにそれゆえにこそ、「人と話をするときは、相手の目を見て話す」「相づちを打つ」
 「うなずく」などが、礼儀として暗黙のルールになっているのでしょう。   

イライラしない
@自分は何に怒りっぽいのかをチェックしてみる
・身近な人の無能さや要領の悪さと言った、「無知」の煩悩が許せないなら、怒りっぽさ
 の沸点が富士山頂のお湯なみ(気圧が低いので低温で沸騰する)に低すぎるのです。
・身近な者の無能さは笑って許せても、彼らの悪意は許せないというのなら、平均的な沸
 点と言ったところでしょう。 
A悪意のない愚かさを怒っても疲れるだけ
・悪意なく単に愚かさや無能さの故に失敗してしまったわが子や部下に対して、怒りが湧
 いてきて許せない気分になるなら、怒るきっかけがあまりにも多すぎて、心休まるひま
 がない。何せ人間とは失敗する生き物なのですから。
B厄介な暗号、「しなくていい」は「してほしい」
・「いいからいいから、してくれなくても。たいへんでしょ?」
 この手の、一見すると遠慮しているように聞こえるセリフは、私たちを解くことのでき
 ぬ、不気味な謎へと直面させるものです。
 つまり、本当に「しなくてもいい」のか、あるいは「それを押してまで、『いや、やっ
 てあげるよ』というくらいの気持ちを求めている」のか、という、なぞなぞ。
・いやはや、たいていは「じゃあ、やめとこうね」と答えると相手が不機嫌になってしま
 うことから、「しなくてもいい」というのは嘘で、本当は「してほしい」という暗号だ
 ったことが判明するのですけれども。
C「もういいよ」のひと言にひそむ、相手を困らせたい幼児性
・「もういいよ」というセリフは深読みされることを期待して発せられる。
 回りくどい暗号で他者を従属させようとする思考は、子どもっぽく感じられるものです。
・暗号を解読させて「いいえ、やらせてください」と言わせたい横暴ぶりは、本人の脳に
 は「他者を支配できる」という全能感の快楽を与えてくれます。
 が、そんな脳内遊戯などのために、現実では「わがままで扱いづらい人」として嫌われ、
 尊敬もされません。
D他人へのイライラは、その人と自分の煩悩の連鎖
・私たちが他人にイライラするとは、「相手の怒り、欲望、愚かさに対して、わが怒りの
 煩悩が連鎖している」と言い換えることができそうです。
・私たちは他人の煩悩に対しては、ずいぶんと敏感に察知する上に、手厳しく錨を返すの
 です。   
・「許せない、イライラ」となるたびに、この連鎖を自覚することをお勧めします。
 「なるほど、怒りに対して怒っているんだな」「欲望に怒っているんだな」「愚かさに
 私の怒りが連鎖しているんだな」などと、原因と結果、つまり因果がわかれば、落ち着
 くはずです。
E煩悩の連鎖が自覚できれば心は落ち着く
・私たちが他人に腹を立てるとき、その人の「怒り(攻撃性)」「欲望(収奪性)」「愚
 かさ(無能性)」の三種類の煩悩のいずれかを察知して、それに対して怒っている。
・たいして実害もないような人の煩悩にイライラするときは、「怒りっぽくなっているな
 あ、自分」と視点を百八十度回転させてみましょう。
?「あなたが優しくしてくれないなら私も」の争いは不毛
・相手が自分への尊重や配慮を切り下げてきたのに、自分だけ相手を大事にしてあげてい
 ては、負けている気分になる。
 そこで、「あなたへの尊重も切り下げて、あなたの価値をさげてオアイコ」とばかりに、
 仕返しをしたくなるのです。
・すると相手も「価値を下げられた」と傷ついて、その仕返しに、私たちへの配慮や愛情
 を、さらに下げようとするのです。
 いわば切り下げ合戦。親しい間柄ほど陥りがちですから、要注意。
G人から良い扱いを受けたときこそ諸行無常を念じておく 
・自分の心の中だけで「自分は価値があるんだぞ」と思い込むのは難しいため、他人が自
 分を尊重して大事に取り扱ってくれたり、特別扱いをしてくれたりするのを見て、よう
 やく「こんなにしてもらえる自分には価値がある」と思い込むことができる。
・すなわち、私たちは自分の価値をつり上げるために、他人の愛情や評価に依存すること
 になるのです。  
・けれども、他人の好意や配慮というものはいつも得られるものではなく、むしろ大抵は、
 徐々に減っていくもの。
・ゆえに、良くしてもらって「価値があがった」と喜ぶのは、将来、必ずや扱いが下がる
 ことを考えれば、価値下落とイライラを招くための時限爆弾を仕掛けた多用なもの。
・この「乱高下」を防ぐには、良い扱いを受けたときこそ、喜ぶ代わりに「この扱いも一
 時的なもの、やがて過ぎ去るもの」とばかりに、諸行無常を念じて執着を手放しておく
 のが特効薬です。
Hなぜ大人になっても親の言葉には心がかき乱されるのか
・私たちが無力な子どもだった頃、親は子の生存を左右する力を持っていて、その親から
 否定されるというのは、生存を脅かされるものとして心に刻まれているのです。
・私たちが成長して、もはや親の支配から脱していても、一度心が「この人たちに否定さ
 れると生存が脅かされる」と覚えてしまった以上、何歳になっても親の嫌な言葉に反応
 しがちなのでしょう。
・親のひと言にムカッとするとき、その背景で、おびえて親に呪縛されている自分の心に
 気づいてあげること。
 錨の正体がわかればいくぶん楽になるものです。
I「家族を思い通りにしたい」という支配欲が不幸のもと
・親は必死に子どもを思い通りに支配しようとし、子は自分の力が及ぶ範囲を奪われまい
 と抵抗する。
・家族という閉じた領域では、自分の価値を高めるために、支配して相手の立場を低くし
 たいと考えがちなのです。
 すると、夫婦も親子も権力を奪い合うライバルのような存在になってしまいます。
J「でも」「しかし」をこらえて権力闘争を回避する
・家庭の内部は家族同士の権力争いに満ちている。
 この手の権力闘争に巻き込まれて不毛な議論を始めないコツは、「でも」を言わないこ
 とです。  
 相手の「当たり前」に対して自分を守ろうと、「でも」や「しかし」と言いたくなると
 き、「なるほど、考えておくよ」などと肩透かしを食らわせて、しばし冷却してから再
 起をはかってみることにいたしましょう。
K「ありえない」という否定語は放漫で不寛容
・「ありえない!」という言葉に、ほんのり傲慢な響きが含まれているように思われる。
 なのせそれは、「起こるべきことと、起こるべきでないことは、全部、このワタクシの
 常識に沿って、決まるのである。他人と世界は、それに従いなさい」というニュアンス
 をはらむのですから。
・この傲慢さは、現実に目の前で起きている事実を、「ありえない」と拒絶することによ
 って、私たちの心を不寛容にさせ、いら立たせます。
 しかし現実は、自分の思惑を超える、あらゆることが起こるのが、当たり前なのです。
Lどんな犯罪も災害も裏切りも「ありえる」もの
・「ありえない!」
 これは「異聞は、そのような非常識な人間ではなく、良識ある立派な者なのだ」と、自
 ら言い聞かせているのです。
・この対極だったのが『歎異抄』に言葉が残る親鸞です。
 「自分が殺しをしないのは、この心が善だからではない。たまたま恵まれた状況を与え
 られているから盗みや殺しをせずに生きていられるけれど、然るべき環境と精神状態に
 置かれたら、盗みも、殺しもするだろう」
・親鸞の目には、どんな失礼な発言も約束破りも、異常そうに見える犯罪者も、「ありえ
 ない!」どころか「ありえる」ものに映っていたことでしょう。
 何せ現在の自分はたまたまそれをせずに済む状況に恵まれているだけで、状況が変われ
 ば彼らと同じことをやりかねない種を心の底に隠しているのですから。
・「自分もやりかねない」という、潜在的な可能性を知っていれば、「ありえない!」を
 離れて許容する優しさが生まれるのです。  
M謝るときは余計な言い訳をつけ加えない
・怒っている相手が出す具体例や説明に間違いや誤解があっても、「それを訂正したい」
 という正しさへの欲望を、手放すことです。
 ここは謝って和解することを最優先する、といったん決めたなら、相手の発言にいくら
 かおかしなところがあったとしても、いまは耐え、言葉少なに相手の顔を神妙に見て、
 じっくりうなずきましょう。
N「自分を正しく理解してほしい」という欲望を手放す
・私たちは「謝って譲歩してあげているんだから、部分的な訂正くらいは相手も聞き入れ
 るべきだ」と思い込みがち。
 ゆえに、「聞き入れてくれずにいっそう怒った相手に「謝ってあげているのに」と立腹
 するものです。 
 こんなときも、私たちの脳は「正しさ」という病に侵され、「自分を誤解しないでほし
 い」という、理解してもらいたい欲に目がくらんでいます。
・そう気づいたら、そんな欲より相手の怒りを静めてあげるという実益を優先、いまは誤
 解されてもかまわないという勇気を発揮したいものです。
O「自分を理解させたい」病同士の淋しいすれ違い
・私たちの会話の多くは、相手の会話を遮ってしまう姓で、寂しくすれ違っています。
 相手を理解しようとせず、自分を理解させようとしてばかりであるがゆえに、です。
P正義を声高に叫ぶ人はなぜうさんくさいのか
・ニーチェは「他人のために」という善なる道徳は、「他人のことを考えない強者は劣っ
 ていて、他人のために尽くす私たち(弱者)は優れている」というふうに、弱者が逆転
 するために作り出したと考えます。
 だとすると、正義を声高に叫ぶ人の声がうさんくさく聞こえるというものです。
Qまず相手の甘えを受け止めれば対話の質は向上する
・誰もが多かれ少なかれ、まずは自分の話に十分、耳を傾けてほしいと、甘えとともに考
 えています。  
 ゆえにまずは、その甘えを受け止めて上げ、自分に不利な情報でもまっとうに返答をす
 れば、大和の質は必ず向上するでしょう。
R自分の考えを返す前に「そうですねえ」とひと呼吸おく
・すぐに自分の考えを返す前に、「そうですねえ」としみじみ答えたワンテンポ置き、ま
 ず相手の意を受け止めることが大事。 
S毎日たまる「聞いてもらえない寂しさ」が怒りに転じる
・「自分の話をまっとうに受け止めてほしい」と、誰しもが願っているのです。
 なのに、皆が「自分の話」を聞いてもらおうとするばかりで、「人の話」をしっかり聞
 かない。
・その「聞いてもらえない感」が毎日毎日、少しずつたまっていったあげくにもう限界・
 ・・。
 そんなタイミングで、たまたまダメ押しをされるかのように、ちゃんと聞いてくれない
 人に出会うと、不幸にもその相手は怒りを爆発させるターゲットになってしまうのでし
 ょう。
 表面的には怒りとも取れます。
 しかし、「誰も訊いてくれない」という寂しさが、実はその正体なのです。
・私たちも自分の言いたいことを優先させて相手の話をそらし、うっかり相手の寂しさを
 増幅させていないかと、反省したいものですね。
?「興味あるフリ」「聞いてるフリ」はすぐバレる
・「質問をすることで相手に興味があることを示す」といった小手先のテクニックを使っ
 ても、結局、相手の話を心から聞いていなければ、相手を傷つけてしまう。
 傷ついた相手には、私たちの話を聞く余裕がありませんから、次に傷つきイラっとする
 のは、私たちなのです。
 
言い訳しない
@知人が高く評価されるとなぜ反射的に否定したくなるのか
・他人の幸せを喜べない醜さに陥る理由は何でしょうか。
 「他人の幸福度が上がると、その人の価値も上がり、相対的に自分の価値が低くなる」
 という錯覚に基づいています。
A妬みはごく自然な感情、恥ずべきことではない
・問題は「嫉妬するのは特殊な、恥ずべきこと」という思い込みです。
 自分がとっても異常な考えをしているという思いのせいで、「嫉妬している自分はダメ」
 と自己否定してしまう。 
・ところが妬みという煩悩は、実は非常にありふれた、誰もが抱えているものにすぎない
 のです。
・自分と共通点のある存在の幸福に対して不快感になるのは、ごくごく自然な、人間の本
 能のようなものなのです。
 ところが、嫉妬という感情は他人を嫌な気持ちにさせる、と誰もがわかっているがゆえ
 に、嫉妬していても、それを隠して「おめでとう」なんて、ごまかしているのです。
 それで、ほかの皆は嫉妬していないように見えるだけのこと。
・そのカラクリがわかれば、妬む自分をまず許して安らぎたいものです。
B勝手にライバルを仕立てて妬んでしまう心に要注意
・私たちの心はうっかり、妬みによってライバルじゃない相手をライバルにつくりあげる
 ので、要注意です。
C誉められても喜ばず、貶されても嘆かないように
・評価されたときは「自信」という上げ底で自分を支えて頑張ることができても、逆境に
 立たされると、「自信」はたちまち崩れて何事であれ行き詰ってしまいます。
・私たちのこんな脆弱さに対して、釈迦はビシッと言いました。
 「誉められても喜ばず、貶されても嘆かないように。風にビクとも揺れない巌を見習い
 たまえ」
D「心を保つ」前に、まずは「体を保つ」べし
・興味深いことに、心理的に力んだり、いら立ったりすますと肩が張るのみならず、その
 逆方向もまた真。 
 先に肩を張らせると、あとから心理的な力みや苛立ちがついてまいります。
 肩の張りをつくると、脳は過去に肩を張らせた感情を想起して、無意識にその手の感情
 に染まりやすくなるのでしょう。
E「体を保つ」基本は、食事を腹七分目にとどめること
・食事は腹六〜七分目くらいが望ましい。
 満腹になるとボンヤリしたりするのみならず、さらに過食をするなら、胃や腸が苦痛を
 発するのに心が影響され、イライラしやすくなったり気分が沈んだりします。
・過食をする人が、苦しくてもなかなかやめられない理由は、暴走した生存欲求にありま
 す。 
 人体の仕組みが形成された原始時代、生き延びるための栄養は乏しく、人々は飢餓状態
 が普通でした。
 ですから生存確率を上げるべく、高カロリー源を摂取すると大いに快楽を感じるようプ
 ログラムが組み込まれたのでしょう。
・糖質、脂質、タンパク質が舌にふれると脳内に快感物質ドーパミンが分泌される仕組み
 になっています。
 不幸にも現代は甘くて脂っぽいものがいくらでも手に入るので、快感物質の分泌が止ま
 らなくなるのです。
 その罠にはまり心が鈍らないよう、腹七分目のお稽古はいかがでしょう。
Fネットの情報は集めても集めても満たされることがない
・脳に「快」の刺激をインプットする頻度と強度を、早く強くしすぎると、「快」を感じ
 る脳の装置が麻痺してしまい、かえって気持ちよさが減ってゆく・・・。
 ゆえに、満足できずにもっと欲しくなる。
・情報を集めることは自己保存欲求にかないますから、快を感じる源泉のひとつです。
・インターネット上は双方向性ゆえに、「自分が発信した内容に他人がどう反応したか」
 という情報がふんだんに得られます。
 つまり「自分が他人にどう見られているか」という「自分情報」が。
・実は「自分情報」ほしさに、私たちはパソコンや情報端末に釘づけになって夢中で書き
 込みをしたり、メールをチェックしたりするのです。
 書き込みに他者が反応したりメールに返事がきたりすると「自分が相手にされている!」
 という有力感を得て、脳に強烈な快が入力される。
G人とつながり過ぎると「快感過多」出不幸になる
・自然な甘みを白砂糖の刺激に置き換えるのも、自然の音を遮断して好きな音楽に置き換
 えるのも、現実の世界を映画や漫画の視覚情報に置き換えるのも、目の前にいる人をデ
 ジタルなつながりに置き換えるのも、根は同じ。
 より快適に、よりダイレクトかつインスタントに脳に快感刺激を入力し続けることと関
 係します。
・不幸は、快感不足ではなく、快感過多で頭が麻痺することにある。
・人は「つながり」によって巨大すぎる快感を感じるだけに、インスタントにつながりす
 ぎないほうが、精神衛生上はよいのです。 
Hネットを断って一人に立ち返ることこそ、最高の安息
・あまり多量の言葉を処理し続けていると、意識が頭へと登ってしまい、施行が空回しし
 て疲れます。
 さらに離れていても言語信号によって人とのつながりが四六時中意識されると、常に他
 人を意識し脳神経が刺激され続け、ダメージを受ける。
・このつながり過多は人類史上、未曽有のことと申せましょう。
・人とつながる快感から時には離れてみることでこそ、他者の視線という強烈すぎる刺激
 を受けずに、興奮した脳神経がリセットされる。 
・ゆえに、たまには端末の電源を切ってめいっぱい体を動かすことに専念したり息を調え
 るワークをしたり、言語刺激を離れて孤独になる身体性に立ち返ってやれば、最高の安
 息になるのです。
I「自分は正義だ」と思い込むから攻撃的になる
・対中国・韓国外交にしろ、脱原発の是非にしろ、多くの人が何らかの「正義感」の煩悩
 に染まりやすい昨今、「誰それが悪だくみをして不正な利益を得ようとしている!」と
 感情的になりがちです。
 けれども、「人為で統制しきれない原発はおかしい、許せない」という思考も、だれか
 の自己中への反動として生まれた、こちらの自己中にすぎないのです。
・自己中な者を「正義だ」と考えることで、自分の意見に従わないものを傷つけたり威圧
 したりするのも平気なほど、鈍感になれるものですから、怖い。
・誤解のないように記せば筆者は、どちらかと申せば脱原発に与するものです。
 ただ、「脱原発の自分は正しい」と思い込み攻撃的になりがちな風潮には水を差したい。
 そうやって水を差されて「そうか、自己中にすぎないな」と醒めても、なおかつ淡々と
 運動をすすめられる人こそ、真に胆力のある、信頼するに足る人なのです。
J「結局みんな自己中」と認めれば冷静になる
・正義に見えるのは、「みんなのため」であっても、結局は「『みんなのため』と自分が
 考える自己中(自己中心的な考え)」でしかない。 
・政治とは、悪VS正義の図式でおこなうべきものではなく、自己中VS自己中を前提に
 冷静に策を練るものなのです。
Kボランティアも自然保護運動も究極的には「自分のため」
・ボランティアや自然環境を守る運動で「人のため」と思いがちなことも、それにより自
 分の精神的価値をあげたいということなので、究極的には「自分のため」です。
 つまり、そういった一般的に価値のあることをすることで「自分には存在価値がある!」
 と自己暗示をかける、自己愛があります。
・「誰もが自己愛者なのだから、自分の幸せを求めるならば、他者の自己愛を傷つけては
 ならない」 
 他人の自己愛を傷つけると、必ず仕返しがある。
 ほんとうに自分が好きなら、他人の自己愛を尊重するのが賢明と、思いやりたいもので
 す。
L脳は善悪を自分の都合がよいように決めている
・私たちの脳は、自己中心的な思惑によって、世界を歪めて認識しています。
 私たちの都合に合う、合わないによって、自己中心的に良い悪いとレッテルをつけてい
 るのです。
Mその場しのぎにイエスと言わず、「少し考えさせて」と保留する
・相手の承認を取りつけたくて、その場しのぎにイエスと言った後で、冷静に考えると
 「やっぱりやりたくない…」ということは、よくあることでしょう。
・なおかつ「やっぱりできません」と正直に伝えることもできない臆病さに負ける場合、
 「急な仕事が入り忙しくて」などと(たいていは嘘の)言い訳までするはめになるでし
 ょう。
・安請け合いも、嘘の言い訳も、どちらも他者からの承認を保ちたいがゆえに、本心を伝
 えられないままにやってしまうものです。
 その結果「友達モドキ」の不誠実な人となってしまい、まさに相手からの承認を失うか
 もしれません。
・勇気を出して、もっと正直に。
 せめて、すぐにイエスを言わず「少し考えさせて」と保留するとか。
 それでもうっかり安請け合いをして後悔したときは、思い切って伝えるといい。
 「君に気に入られたくて、ついオーケーしたけど、考え直したら気が進まないんだ。
 ごめん」と。
N「〇〇な自分」という自我イメージを持つと苦しくなる
・「〇〇な自分」というアイデンティティーを打ち立てることこそ、実は不安と苦しみの
 もとなのです。 
・仏教ではその我執を有愛となづけて、手放すことを推奨します。
O心のこまやかな変化を見つめればイライラから抜け出せる
・脳には、ものごとを雑に見て情報を一色に塗りつぶす癖があります。
 それに抗して、こまやかな変化、心が無常であることに気づくよう、意識の解像度を上
 げるお稽古をすることです。
 「無常を智慧によって体感すると、苦しみから離れ心が清まる」
 
せかさない
@ものごとに集中するには、頑張りすぎず、だらけすぎず
・現代人は一般に「頑張りすぎ」のように思われるのですが、それは何らかの欲望を追求
 するのに必死だからです。 
 欲望が強く働くとき自律神経のうち興奮や緊張に関わる交感神経が優位に立ちます。
・心を安定させ集中させるには、程よい緊張感とリラックスが同居している、つまり交感
 神経と副交感神経がバランスよく活性化している必要があります。
A釈迦は論争をふっかけられ「自分には見解がない」と答えた
・私たちは愚かにも「だから言った通りだったでしょ」の「勝利宣言」をしたくなるので
 すけれども、それでは相手は気分を害するだけで、「次回からは信頼しよう」とは決し
 て思ってはくれません。
・釈迦は説いています。
 「自分の見解が勝っていると執着して、自分の見解を上に見るなら、それ以外のすべて
 を『劣る』と思うようになる。ゆえに、人は論争から抜け出せないのだ」
・釈迦は論争をふっかけられても、「自分には戦わせるべき見解は何もない」と答え、
 言い負かそうとしなかったからこそ、勝る・劣るという勝負を抜け出していて、論敵に
 感銘を与えることもできたのでしょう。 
・自分の意見に執着して議論をふっかけてくる人がやってきたら、こう返して肩すかしを
 くらわせるといい。
 「議論に応じる者は、ここにはいない」
B相手のほうが間違っている証拠があっても追いつめない
・人は他人に対する優越感を求め、劣等感に腹をたてるがゆえに、自分の見解にこだわっ
 て言い争うのだ。 
・自分の有力さや有能さを実感したいという衝動ゆえに、私たちは「自分の見解は正しく、
 あなたの見解はおかしい」と思いたがるバイアスに、いつもとらわれているのです。
C手仕事をせず頭ばかり使っていると思考が鈍る
・筆者は一時期、多忙になりすぎて頭を使う仕事ばかりに追われていた頃、考え過ぎで、
 思考は鈍りぎみ、味覚も今ひとつに。
・頭を使う仕事を減らし、単純な動作を反復する畑仕事に夢中になる時間を増やしたら、
 頭はスッキリ、食事時の味覚も鮮明になるったら、ありません。
D「いざとなれば今の立場も捨てられる」と思えば頑張れる
・必ずしも離職や離婚や家出を勧めるわけではありませんが、「いざとなれば捨てられる
 んだから」と思えば、もう少しなら頑張れるかもと、心に余裕が生じるのです。
E失敗しても無心なら爽やか、言い訳すると見苦しい
・自分は劣っていると恥じたり、もっと立派だと操作したり、「今の自分のレベルはこん
 なものだ」と確定したがる。
・自尊心を離れよ。自分について何のイメージも思い描くことなく、ゆったりと安らって
 いるように。
F人を自分の思いどおりに変えることはできないとあきらめる
・人を思い通りにできないのは、第一に、相手に思いを伝えると怒らせかねず納得しても
 らうことが困難なうえに、第二には、仮に納得してもらえても、相手も相手自身の心を
 思いどおりには変えられない、という困難が立ちはだかります。
・人を変えるのは、このように二十二不可能なのだとあきらめて、相手を受け入れるか、
 それが無理なら相手から去るかして、困難を手放したいものです。
G人は生きている限り「満足しない」という苦を味わう
・人生で究極まで満足がいって、「もうほかになるもいらない」と完全なる心の平安にい
 たったことなどないはずで、どんなに良い人といっても、どんな良い境遇を得ても、
 人は必ず「もっとここをこう変えたい」と感じ、不満足すなわ苦しみに陥ってきたはず
 です。  

比べない
@親切の名を借りた自己満足はすぐわかる
・『あなたのため』と恩に着せるくせに相手の望みをくみ取らない者は、恥知らずな偽善
 者だ。
A自分が守る戒めを他人に押し付けないよう気をつける
・あくまで戒めは自分自身を律するためのもので、「これこそが正しい」と他人にまで押
 しつけたくなるなら、それは単なる見解の煩悩になってしまうから気をつけて、
 他人のことは放っておきましょう。
B争いを招くのは宗教ではなく、独善的な信仰心
・私たちどこか社会に上手く適応できない人々は、それを代替すべく、社会とは違う基準
 で自分を評価できる、心の訓練で成長できるゲームでステップアップすることにより、
 「自信」を取り戻そうとする側面もあることは否めません。
・そういった裏の心理が隠れているだけに、「立派になった自分」という幻想を保つため
 に、戒律を守るのに執着したり、わが宗教に反する考えの人を見下したりしてしまうこ
 とも生じがちなもの。
・「私の考えこそ真理だ。ほかは間違っている」と独善的に主張するせいで、人はいつま
 でも争いの中に留まり続けることになる。
C無理に周りに合わせるような、偽りの優しさは捨てる
・慈悲を修めるのもたいせつでしょうとも。けれどもそんなキレイゴトの前に、まず自分
 を慈しんで苦しまない余裕がないと、人への優しさは偽物になります。
D「弱い自分」「できない自分」を認めるほうがうまくいく
・背伸びして自分を飾ろうとするのは不毛な疲れを生むのみ 
 ありのままの、弱くて情けない自分に気づき、それを認めてあげることでホッと一息つ
 こう。
E人に範を示す立場の者こそ「弱い自分」を認めることが大事
・人に範を示す立場の者は、多かれ少なかれ現実の自分の力量を超えた立派さを見せよう
 と、虚勢を張ってしまうもの。
 すると自分の弱さや苦しみに気づかなくなる。
・自分が苦しんでいることを素直に認めてあげれば、苦しみのデータが脳にしっかり送ら
 れて、苦しみを解消するための指令が出されることになりますのに、自ら進んで「苦」
 のデータを消してしまう。
  
あとがき
・私たちは、困ったときほど立ち止まらず、どんどん次の手を打とうとしがちで、つまり、
 「する生活」にはまり、さらに急き立てられて混乱するもの。
 けれども、困ったときこそ静かに立ち止まり、何かをつけ足そうともがいたり引き算し
 ようとあがいたりせずに、ただただ内省することこそが、そこから最良の学びを引き出
 してくれるものです。
・すなわち、次の手を打たない。「しない」でただ、内面を見るだけに踏みとどまること。
 この、自己内省のお稽古こそが、「しない生活」なのだと申せましょうか。
 静かにそっと立ち止まる。