しがみつかない生き方  :香山リカ

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 テレビや雑誌や本などでは、成功物語だけが取り上げられ、だれもが成功者を目指さなけ
ればならないような雰囲気にさせられている。しかし、どんなに努力しても、そんな成功者
になれるのは、ほんの一握りの人だけである。 残りの人は、挫折感に打ちひしがれながら
人生を終えなければならない。そんな人生って、とても淋しい人生ではないか。
 確かに、成功者を目指して努力することは、すばらしいことではある。しかし、それがあ
まりに度が過ぎると、不幸だけが待っているような気がする。もっと楽な生き方があるので
はないか。もっと楽な生き方をしてもいいのではないか。ほんとはそう思っていても、それ
を正直に口に出すと、「いくじのないヤツ」「夢のないヤツ」などと、落後者のレッテルを
貼られてしまうので、なかなか本心が言えない社会である。
この本では、成功ばかりを目指さず、もっと楽な生き方をしてもいいはずと説いている。
正々堂々とこういうことを主張するのは、なかなか勇気がいることだと思うとともに、こう
いう主張をする人がもっと増えれば、生きやすい社会になるのではと思う。

ほしいのは「ふつうの幸せ」
・客観的には十分”ふつうに幸せ”であっても、それに満足できず、「本来ならもっと幸せ
 でもいいはず」と思って苦しむ人たちだ。この人たちの場合は、「わたしは特別な人間で
 あるはず」という自己愛的な思いが、目の前の”ふつうの幸せ ”を見えなくしてしまっ
 ている。
・せめて、やりたいことは思いきりやりたいと思うけれど、何が「やりたいこと」なのかも
 わからないで、それを探すために自己啓発セミナーに通ったり、カウンセリングを受けよ
 うとしたりした人たちもいた。
・こういう人たちの”飽くなき成功願望”は、自分の現状を見えにくくするが、同時に向上
 心や成長欲をも刺激することはたしかだ。
・「まだ成功のチャンスはある」とそそのかされ、高額のセミナーや講演会などに参加した
 り本やDVDを買ったりしても、なかなか望んだような成功や幸福が手に入らない人は、
 その後どうなるか。「やっぱりだめだ」と落ち込んでうつ状態になり、精神科の診察室を
 訪れる人もいる。「どうしてこんなに努力しているのに幸福になれないのか」と怒りを覚
 え、家族やまわりの環境のせいにして攻撃したり、成功しているように見える人に嫉妬し
 たりする人もいる。
・こういう自己愛タイプの場合は、臨床的な解決はそれほど難しくないはずだ。”飽くなき
 成功、成長願望”そのものが間違っていること、実は自分はすでに客観的にはそれなりに
 幸福であることを受け入れることができれば、問題のほとんどは解決する。ところが、一
 度、”飽くなき成功”を目指し始めた人が「やっぱりほどほどにしておくか」と妥協する
 のは、実際には予想以上にむずかしい。
・”ふつうの幸せ”はとりあえず手に入っていて、それ以上はとくに望んでいるわけではな
 いにもかかわらず、「これがいつまで続くのか」「これで満足してよいのか」と自問して
 いるうちに、何が幸せかがわからなくなってしまう、という人たちがいる。
・病気になったり突然リストラされたりすることは、いつの時代にもあることだ。仕事を続
 けたりひとりで生活したりすること自体が、難しくなることもあるかもしれない。しかし、
 これまでは「そんなことはまず起きない」という前提で、あるいは「そのときはそのとき、
 何とかなるだろう」という仮定で、私たちは「今日の生活は明日も続く」と思って自分を
 安心させてきたはずだ。
・おそらくたいていの人の場合は、こうやっていまのところは何とか、「ふつうのしあわせ
 は続かない、続けてはいけない」といった発想を断ち切り、現実の生活に再び着地してい
 るのだろう。しかし、それがうまくできず、「いまのうちに辞めたほうが」と勧告もされ
 ていないのに退職してしまったり、「いつまでもこんな忙しい業界にいるのは」と築いた
 キャリアを手放してしまったりする人は確実に増えているように思う。
・公的サービスに頼らなくても、どうにもならなくなった人をどうにかするという、ゆるや
 かな助け合いのシステムが、かつての社会には存在していた。ところが、いまは週五日以
 上、フルタイムで働き続けることができなければ、あっという間にホームレス、ネットカ
 フェ難民、されには孤独死までが近づいてくるのだ。そして、健康上の理由だけではなく
 て、現在は不況の影響により、元気に働ける人でもなかなかフルタイムの仕事につくこと
 ができなくなっている。
・彼らは”ふつうの幸せ”どころか、幸せでなくてもよいので”普通の生活”がしたいと思
 っているだけなのだ。しかし、いまや”ふつうの生活”が手が届かない最高の贅沢となっ
 ている人たちが増えつつある。
・誰も信用できない、いったんレールから外れたらもうおしまい、という不信感、緊張感の
 中で暮らし続けたら、”ふつうの幸せ”は遠ざかる一方であろう。
・高望みはしない。ごくごくあたりまえの幸せがほしいだけ。戦時下でもないのに、そんな
 望みもかなえられない社会が、有史以来、ほかにあったであろうか。

恋愛にすべてを奉げない
・恋愛がきっかけとなって心身の調子やバランスを崩し、結果的には「埋めがたい寂しさ」
 が心に巣食ってしまうことになる人は、とくに女性では少なくない。
・恋愛でつまずくと、そのほかの人間関係、仕事、報酬や貯金、資格や趣味などは、「でも
 これがあるから大丈夫」と自分をささえるよすがにならなくなることが多いのである。
・底知れぬ「寂しさ」にとりつかれた人を癒すのは簡単なことではない。比喩ではなく、
 「二十四時間、抱きしめ続ける」くらいのことをしなければ、その「寂しさ」は軽減され
 ないのである。
・こういう人たちがまずすべきことは、何だろう。それは、たとえ恋愛がうまくいかなくて
 も、それで「ほかのことはすべて意味がない」とか「私は無価値な人間だ」と考えてしま
 うような思考のスタイルから、自分を開放することだ。
・たとえ恋愛が思い通りにいかなくても、恋愛をほかの自分の心の部分とごちゃ混ぜにして
 しまわないよう、切り離して考える”心の習慣”を身につけることが大切だ。
・運やタイミング、賭けの要素も大きい恋愛のような経験があまりなく、「努力をすればし
 た分だけ成果、評価がえられる」という勉強や仕事の世界にどっぷり浸かっていた人ほど、
 「どうして?こんなにがんばってもなぜ彼は振り向いてくれないの?」と衝撃を受け、そ
 のことで頭がいっぱいになりやすい。
・努力が結果に結びつくとは限らない恋愛こそ、本当にその人の価値が試される」などとい
 う思いにとらわれ、自分の価値を過小評価してしまうことになりかねない。
・自分のがんばり、努力で築いてきた過去を否定し、恋人ができない、プロポーズされない
 というだけで、「私なんて意味も価値もない」と落ち込んで心身が壊れていく人たちを見
 ていると、いっそのこと、若い女性は心身の健康のために恋愛などしないほうがいいと言
 いたくなることもある。
・「恋愛のように成否が相手にかかっているものより、自分の努力で手に入る成功のほうが、
 ずっと貴重なものなのだ。もちろん、恋愛は「この人に出会うために私は生まれた」と強く、
 そして簡単に生まれた意味を実感させてきれる”便利な手段”ではあるが、それは生まれ
 た意味や生きる価値を確認する”唯一の手段”ではないのだ。
・自分を落ち着かせ、恋愛の比重を下げてみる。それが無理なら、少なくともそのときの恋
 愛の状態で、自分の価値や人生の価値を測ろうとする、などという愚かなことはしないよ
 うにする。
・恋愛をして、そこでつまずいたからといって、心身をむしばむほどの「寂しさ」にとりつ
 かれ、持前の元気さや明るさを失ったり、ついには取り返しのつかないことになってしま
 ったりする、というのは、何とも悲しいことだ。
・少なくとも、頭の中では「恋愛はほどほどに」と考える。恋愛でつまずいても、すぐに
 「すべては無意味」と思わない。「私は寂しい」と決めつけない。これもまた、幸福のル
 ールと言えるのではないだろうか。

自慢・自己PRをしない
・経済活動を自由競争に委ねているだけでは格差拡大が進むなど、社会の安定性が損なわれ、
 結果的に豊かな社会は作れない。
・小泉改革を経て、日本社会は他人のことに思いを馳せる余裕がなくなり、自分のことしか
 考えないメンタリティが強くなったのではないか。地域はいっそう疲弊し、所得格差は拡
 大した。医療改革によって老人たちの心は穏やかさを失った。い城犯罪が増え、日本の社
 会から「安心・安全」が失われた。
・熾烈な自己アピール競争でなんとか入社はしてみたものの、これがこの先ずっと続くのは
 耐えられない、転職や起業などのキャリアアップもせずにすむならそれでよい、と考えて
 いるのだ。
・そういった”自慢競争”の結果、何が待っているのか、については、このあたりでもう一
 度、考えてみる必要がある。
・つまり、「私はすごい」「実はセレブなんです」と半ば強制的に自分を誇大広告的にまわ
 りに見せるような仕組みを取り入れたところ、みんな疲弊し部局の協調性もなくなり、個
 人のレベルでも企業全体としても、マイナスの効果しか得られなかった。
・誰もが「私ってすごい」と自分に暗示をかけ、「絶対にナンバーワンに」と我先に打って
 出るのは、「人の道に外れる」など道徳的に正しくないばかりではない。どうやら、経済
 的、経営的に観点から見ても、これが企業や社会を成長させるものではないらしい、とい
 うことがわかったきた。

すぐに白黒つけない
・あえてひとことで言うとすれば、「人間の狭量化が進んだ」となるのではないか。いつ自
 分がテロの犠牲者になるかわからない。少しでも自分と違う人は排除しておくに越したこ
 とはない。また、競争社会になる中で、ちょっとでも弱い人や自分と違う人のために立ち
 止まっていては、自分がけ落されて”負け組”になってしまう可能性がある。だから、な
 るべく他者のことなど考えずに自分の安心、安全、進歩や成長のことだけを考えて生きる
 しかない。01年以降、特に日本では、多くの人が自分の価値観をこう変えざるを得えなか
 ったのではないか。これは「そうしなければ生き残れないから」という消極的な選択なの
 であるが、当時の小泉首相の勢いに乗ることで、私たちは自分が前向きな選択をしている
 かのような錯覚に陥ることができたのである。
・彼らは寛容さを失い、さらに狭い視野でしか、ものごとをとらえられなくなっているから
 こそ、自分とは少しでも違う行動をする人たちの心を想像し、理解することができなくな
 っているのではないか。
・「愛より速く」どころか「考えるより速く」、優劣や勝ち負け、危険とそうでないものを
 決めることでしか、自分を守り安心させることができない、というゲームを繰り返すと、
 その先に何が起きるのか。おそらくある人は、ゲームに疲弊し、その時点で倒れてうつ病
 などの心の病に陥るだろう。また、ついに自分が「負け」というシールを貼られる日がや
 って来て、生きる希望を根こそぎ奪われてしまうこともあると思う。さらには、その時点
 で自暴自棄となり、「どうせダメなら」と他者を巻き添えにした反社会的な行動に走る人
 が出てきても不思議ではない。
・そもそも人間のやることは、白か黒かはっきりしない、絶対的な正解はないもののほうが
 多いと考えるのがよいのではないだろうか。
・「まあ、いまのところはそう思っているのだけれど、もうちょっと様子を見てみないと何
 とも言えないわね」といったあいまいさを認めるゆとりが、社会にも人々にも必要なので
 はないだろうか。そしてこの「あいまいなまま様子を見る」という姿勢はまた、自分と違
 う考え方、生き方をしている人を排除せずに受け入れるゆとりにも、どこかでつながるも
 のだと思われる。

老・病・死で落ち込まない
・実は、テレビで最も長く視聴しているのは、仕事を退職し、子育てを終えて家にいるシニ
 ア層だと思われるが、いまのテレビ番組は、その彼らが社会から疎外感を強く味わうよう
 に作られている、と言ってもよい。
・経験の少ない若い人には誰かがトレーニングの機会を与えなければならないのに、権力の
 座にしがみついて後進に地位を譲ろうとしない高齢者もいる。おそらくそういう人は、老
 いて頑固になっているのではなくて、むしろ心が若すぎることに問題があるのだろう。妙
 に心が若いままだからこそ、「権力を失う敗北、自分の価値も低下する」といった考えに
 とらわれているのだ。
・大切なのは、高齢者自身もまわりの人や社会も、「年を取ったら、迷惑をかけてはいけな
 い」と考えて、対策を講じたり恥じたり戒めたりしないことだ。
・「誰にも迷惑をかけずに、世を去りたい」という思いが強いのは、高齢者だけではない。
 最近、”おひとりさま”と呼ばれるシングル女性の中でも、四十代前後から「自分の終焉
 をどのように迎えるか」という問題に真剣に取り組み、その準備のためにお金と時間とエ
 ネルギーを使い続ける人が増えている。
・人は、生まれれば必ず年を重ね、若さを失って老いを迎え、少しずつあるいは急速に衰え
 て死を迎える。それじたいのいったいどこに、悪い点やマイナス点があるというのか。そ
 して、老いを迎えた人たちが、若い人に多少の手間を取らせたり迷惑をかけたりするのも、
 当然のことなのではないだろうか。遊びや仕事に忙しい生活を送る人が生産や消費をする
 ことが善、と考える社会が、「老いは悪」という価値観を形成し、高齢者を追い詰めるよ
 うな仕組みや制度を作っていく。
・しかしそれこそが、「究極の恐怖は死」という人工的な感覚を生み、若い人をも含めて世
 の中の雰囲気を次第に暗くする元凶になっていることに、私たちは早く気付くべきである。

すぐに水に流さない
・小泉首相は、”構造改革を断行し、成果を得た”つもりのようだが、いったいどこが改革
 され、どういう成果を得たのか。小泉・竹中コンビはスクラップだけでビルドはしていな
 い。
・個人的なマイナスの記憶については、人はなかなか水に流せない。どんどん起源にさかの
 ぼり、ついに「私は私の意志で生まれたのだから、どんな苦難も引き受けなければ」と自
 分に言い聞かせて納得しようとさえする。
・ところが、社会的なマイナスの記憶や権力側が犯した過ちについては、まるでなかったこ
 とにするかのように、すぐにさらさらと水に流してしまう。それ以上、こだわったり追及
 したりするのは、なんだか野暮なことのようにさえ思われてしまう。
・水に流すべきことは流して、明るい未来に目を向ける。しかし、流すべきでないことは流
 さずに、きちんと向き合ってその責任を追及する。「水に流す」という文化の使い方を、
 もう少し正しい形に戻す必要があるのではないだろうか。

仕事に夢をもとめない
・生きるためには、食べなければならない。食べるためには、稼がなければならない。その
 ためには、仕事をしなければならない。おの「しなければならない」の繰り返しが、大人
 の言うところの「生活」だ。しなければならなくてする生活、生きなければならなくて生
 きる人生なんか、どうして楽しいものであるだろう。
・マラソン選手として活躍した高橋尚子氏は、「あきらめなければ夢はかなう」と強調して
 きたが、世の中には、一度、抱いた夢がかなわなかった人も無数にいる。そういう人たち
 は、途中であきらめたから、熱意が足りなかったから、夢が実現しなかたのだろうか。そ
 うではないだろう。才能や環境、健康、運やタイミング、あるいはルックスなどに恵まれ
 ず、本人の意志や努力とは関係ないところで、諦めざるを得なかっただけなのだ。
・夢がかなわなかった99パーセントの人が「途中であきらめた自分が悪いのだ」と自分を
 責め、「好きな仕事に就けないのだとしたら、働く意味がない」と失望しながら、仕方な
 くパンにために働き続けなければならないのだとしたら、それはひどく残酷なことだと言
 える。
・精神医学的には、夢は手放しで礼賛すべきものではなく、かなり厄介な存在だ。だから、
 「私は、自分の本当の夢を実現できるような仕事をしたいんです」などと安易に思うのは、
 精神科医から見たら、とても危なっかしいことだ。思ってよいのは、せいぜい「私は、本
 当の夢の中で、反社会的ではない範囲で無難なことを仕事にしたい」といった程度だ。
・「夢を仕事に」といった言い方が問題なのは、「夢とは違った仕事なら、働く意味がない」
 と思って仕事から遠ざかる人が増えることにある。就職活動になかなか取りかからない学
 生と話していても、すぎに出てくるのが「本当にやりたいことが見つからないので」とい
 う言葉だ。まじめな彼らは、「好きなことを仕事にしなさい。仕事で夢を追いかけなさい」
 という大人たちからのメッセージを律儀に信じるあまり、「夢や好きなことが見定まらな
 い限り、働いてはいけないのだ」と思いこんでいる。学校を卒業する頃になって、「とに
 かく生活のために何でもいいから働きなさい」とアドバイスされでも、彼らとしても「い
 まさらそう言われたって」と困惑してしまうだろう。
・”パンのため”であれば仕事にも身が入らないか、というと、それも違った。この仕事を
 失ったら今月から暮らせないと思うと、かえってそれなりに真剣になる。また、仕事その
 ものが「本当に好きなこと」とは違っていたとしても、その中である程度、長くやってい
 ると、だんだん技術が身についていく、まわりの人からも認められたり頼りにされたりす
 る、という別の喜びが味わえる。
・しかも、たとえちょっとした失敗をしても、「これは所詮本当に好きな仕事じゃないんだ
 から」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。仕事と適度な距離
 を保つことができるので、燃え尽きずに長く続けることができる。
・これは強がりでも何でもなく、私はある時点から「やりたいことを仕事にしなくてよかっ
 た。自己実現のためではなく、”パンのため”の仕事だからこそ、私はこうして続けてい
 られる」と思うようになった。
・「好きなことを仕事にしていない」「仕事で夢を追いかけていない」という人も、自己険
 悪に陥ったりその仕事をやめたりする必要はないのだ。「私は何のために働いているのか」
 と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パ
 ンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか。

子どもにしがみつかない
・特に最近は、少子化が深刻な社会問題とされていることも関係し、たとえ仕事を持ってい
 ても「私にとって子供のほうがずっと大切」とはっきり表明したり、そう振る舞ったりす
 ることが、容認あるいは奨励されるようになりつつある。
・とはいえ、せっかく「女性だから」と積極的に採用されたのに、なかなか結婚も出産もし
 ないという女性は、その後どうなるのだろうか。
・たしかに、子育てをしながら医療の仕事をするというのはたいへんなことなのだろう。と
 はいえ、基本的には結婚、出産はハッピーでラッキーであるし、それを選択したのは本人
 であるはずだ。それにもかかわらず、この人たちは「困難な状況にある人」と見なされ、
 細やかな配慮や優遇措置を受けることができ、結果的にはシングルのまま自力で」仕事を
 続けている女性よりも高いポジションにつくことができる、というのはちょっと矛盾して
 いるような気がしてしまう。
・これまでは、とくに女性の場合は「子どもがいる=社会の第一線からの脱落」と見なされ、
 望んでもなかなかチャンスすら与えられなかった。とはいえ、チャンスが手にできるのは
 誰かからも認められる出産や子育てといった「苦難」を乗り越えた人だけであり、子ども
 のない人がかえってチャンスをつかみづらい、というものもおかしなことのような気がす
 る。本来ならば、子供がいてもいなくても、評価は同じにされるべきだし、チャンスもお
 なじように与えられるべきではないか。
・「親が子を愛するのは本能だけど、子が親を愛するのは本能ではない。親は子のために死
 ねるけど、子は親のために死ねないんだ。それが自然なんだ。
・子どもがいる、いない、でその人が仕事上で有利になったり不利になったり、といったこ
 とも、できるだけ起きないようにしなければならない。
・子どもは子ども、親は親、としてそれぞれ自分の人生の確立を目指さないと、中年以降に
 なって親が経済力を失ったり子どもがいつまでも経済力を身につけられなかったり、ある
 いはどちらかが健康を害して介護の問題が出てきたりしてから、「こんなはずじゃなかっ
 た」といった問題が「一気に噴出することになる。
・親も子どもも当時はそんなつまりはなくても、窮地に追い込まれると必ず、「こうしてや
 ったのに」とお互いに恩を着せたくなってしまうものなのである。診察室では毎日のよう
 に、そんな大人同士の親子の争いを目にしている。彼らも数年前までは、お互いがいなく
 では一日も暮らせないようなベッタリ親子であった場合が多い。
・中年以降の泥沼を避けるためにも、若いうちから互いにできるだけ距離を取って、自分は
 自分の責任で生きていく。それでなくでも親子は距離が近づきすぎるのだから、「なるべ
 く離れて」と思うくらいがちょうど良いのではないだろうか。

お金にしがみつかない
・できるかぎり儲けなさい。できるかぎり貯えなさい。そして、できるかぎり与えなさい。
・私たちはまだ、「お金にしがみつきすぎる生き方や社会は、本当の意味では人間を幸せに
 しないのではないか」という問題を真剣に考えていない。ただ、景気が回復したら、喉元
 過ぎれば、とばかりにまた誰もがお金、お金と言い出して、その頃には小室氏や堀江氏も
 また世の中で活躍するようになり・・・ということで、本当によいのだろうか。百年に一
 度の経済危機こそ、大きく飛躍するチャンス、という言い方をする人もいるが、もしチャ
 ンスだとしたら、それは経済的な飛躍をしたり資産を増やしたりするチャンスではなく、
 「お金がいちばん大切」という人の心や社会の芯までしみついた考えかたを見直すチャン
 スなのではないだろうか。

生まれた意味を問わない
・生まれたり生きたりするのに、何か意味とか価値なんて必要なんですか。
・「このために生まれた」「このために生きている」と生まれた目的や自分の価値がはっき
 りとひとつに定まっている人生などというのは、それだけで本人にたいへんなプレッシャー
 を与える。ほかの選択肢を選ぶことも、休むことも手抜きをすることも許されないからだ。
・また、目的や価値がはっきりした人生の場合、うまくいかなかったときの絶望はいかばか
 りのものか、とも考えられる。
・生まれた意味や目的なんて、あまりはっきりしていないほうが幸せなのだ。
・東電OLほどではなくても、今あらゆる女性が何か自分の野心なり、夢なり、幻想なりを
 満たすために、会社に入ったり、一匹狼で仕事をしてみたり、またはゴミになっているみ
 たいな、そういう殺伐としたものを抱えているんじゃないかと思うんです。
・こうやって見てくると、どう考えても「なぜ生まれたか」などという問いにはあまり深く
 立ち入らないほうが身のためだ、ということになりそうだ。もちろん、だからといって、
 人生には生きる価値もないということにはならない。しかし、生れた意味にこだわりすぎ
 ると、逆に人生の空しさを強く感じさせられることにもなりかねない。
・とりあえず自分に与えられている仕事、役割、人間関係に力を注ぎ、何かがうまくいった
 ら喜んだり得意に思ったりすればよし、そうでないときには悲しんだり傷ついたり、また
 気持ちを取り直して歩き出したりする。そんな一喜一憂を積み重ねながら、どこから来た
 のか、どこに向かっているのかもわからないまま、人生の道を歩いて行くその足取りの中
 で、しみじみとした味わいや満足が得られるのではないか、と私は考える。

「勝間和代」を目指さない
・妄想を生む病気の代表である総合失調症という病気は、いまだに予防法が確立していない。
 「脳の機能異常」ということ以上には、「なぜなるのか」という原因もはっきりしていな
 い。
・これは、何か心の病気に限ったことではないだろう。「生活習慣病」という概念が生まれ
 てから、あらゆるからだの病気はその人の不摂生や健康管理の悪さで起きるように思われ
 がちだが、そんなことはない。いくら無農薬野菜中心のヘルシーな食生活を続け、運動を
 して理想的な体重を保っていても、病気になるときはなる。
・私は、「がんばれば夢がかなう」とか「向上心さえあればすべては変わる」といったいわ
 ゆる”前向きなメッセージ”を聞くたびに、診断室で出会った人たちの顔を思い出して、
 こう反論したくなる。「あの人はずっとがんばっていたのに、結局、病気になって長期入
 院することになり夢が潰えたじゃないか」「両親とも自殺して、育ててくれた祖父が認知
 症になっている彼女が、どうやって向上心を出せばよいのか」
・努力したくても、そもそもそうできない状況の人がいる。あるいは、努力しても、すべて
 の人が思ったとおりの結果にたどり着くわけではない。これはとても素朴でシンプルな事
 実であるはずだが、まわりを見渡してみるととくに最近、そのことを気にかける人がどん
 どん減っているように思える。
・手近にひろいあげてみても、僕らの身辺に絶望者はこと欠かない。出世から見放された人、
 事業に失敗して、一生かかっても、とてもつぐないきれない借財を背負った人、失恋者、
 不治の病で、再起の見込みの立たないことを自覚した人、この世の中のすべてのものに信
 頼できなくなった人、よりどころになっていたものを失ったり、たよりにしていたパトロ
 ンに死なれたりして、生きてゆくファイトのなくなった人、そんな人はいっぱいころがっ
 ている。
・人々が本当に必要としているのは、”誰かからも依頼がない”といったときに自信を喪失
 したり自暴自棄になったりせずに、静かに孤独や絶望に「耐える力」のほうだと言えるの
 ではないだろうか。
・人生が思い通りに展開しない人の多くは、努力が足りないわけではなく病気になったり勤
 めた会社が倒産したり、という”不運な人”なのだ。たとえ、努力不足が挫折や失敗の原
 因であったとしても、丹念にその人生を振り返ると、そもそも家庭環境などに恵まれず、
 努力しようにもできる状態になかった、という場合が多い。そして、依頼殺到の人気側に
 いるか、誰からも相手にされない絶望や孤独の側にいるかは、本当に”紙一重”だと私は
 思う。
・「私の成功は努力の結果だ。たとえ恵まれない状況に生まれていても、私の場合は、努力
 で今日の成功を勝ち取っていただろう」と考えることで、自分の成功は必然であり、不動
 のものであることを自分に納得させようとするのだ。そうやって失敗の可能性を否認し、
 失敗者などものの数ではないと否認しなければ、「明日は私も孤独と絶望の側に回るかも」
 という不安がむくむくと膨らみ、いても立ってもいられなくなるからである。
・本来であれば、成功者たちには、そうでない人たちのために自分の持っているものや知恵
 を使う役目があるはずなのだが、ほとんどの人は「それよりももっと成功することを考え
 ましょう」と前を向こうとするばかりだ。かくして、前ばかり見る成功者と絶望の淵に立
 つ人たちとの距離はますます開き、最終的には不自然な否認のメカニズムを使っていつも
 明るく元気で前向きなポーズを取り続ける成功者もクラッシュし、絶望の淵にいる人たち
 はさらにひどい状況へと落ちていく、という破滅的な事態に陥ることも考えられる。
・「私だって一歩間違えればたいへんな失敗者になるかもしれない」「いまうまくいってい
 るのは運が良かったから」という紛れもない真実をしっかり認められる力を身につけるこ
 とができたら、そのほうがずっと自分の人のためになるはずだと思う。
・それにそもそも、本当にマスコミに登場している成功者のような人生を、すべての人が歩
 む必要があるのだろうか。さらには、成功者たちは、本当に雑誌やテレビが報じているよ
 うなすばらしい人生、悩みなき生活を送っているのだろうか。そのあたりも考えてみる必
 要があるだろう。
・人生には最高もなければ、どうしようもない最悪もなく、ただ”そこそこで、いろいろな
 人生”があるだけなのではないか。だとしたら、目指すモデルや生き方がどれくらい多様
 か、というのが、その社会が生きやすいかどうか、健全であるかどうかの目安になると言
 えるはずである。

あとがき
・ふつうに生きて、ふつうに幸せになるって、そんなにむずかしいことなのか。みんなと同
 じくらい努力して、それなりに生活することができさえすれば、あとは少しくらい足りな
 いこと、不満なことがあったとしても、堂々と胸を張って生きていてよいはずなのではな
 かったのか。病気や老後の心配はあっても、いざというときには誰かが助けてくれるはず
 ではなかったのか。
・ふつうに頑張って、しがみつかずにこだわらずに自分のペースで生きていけば、誰でもそ
 れなりに幸せを感じながら人生を送れる。それで十分、というよりそれ以外の何が必要で
 あろうか。