この命、何をあくせく :城山三郎

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この本のタイトルに惹かれて読んで見た。
この本は著者の作家生活を綴った、いわゆるエッセイである。
今から18年前の2002年の作品なので、全体的に古い内容となっているが、それでも
いろいろ共感させられることが多かった。
人間にはそれぞれ身に着いたテンポというものがあるそうだ。
それぞれの人間が、それぞれの居場所で、何ら外からの干渉も束縛も受けることなしに、
肩の力を抜いて、自分のテンポで生きることが、一番しあわせな生き方ではないかと、私
も最近は思うようになった。
孤独だとか、絆だとか言って、何もあくせくすることはない。
そんなことは気にせずに、悠々と生きればいいのだ。
所詮、人間はひとりでこの世に生まれ出て、また、ひとりでこの世から消えていく。
それが自然の摂理なのだ。「この命、なにをあくせく」なのだ。

ところで、この本の中で取り上げられている「千曲川旅情のうた」を作詩した島崎藤村は、
1896年(明治29年)に当時の東北学院の教師となって仙台市に1年間ほど赴任した
ことがあったようだ。
仙台駅近くの三浦屋
で第一詩集『若菜集』を執筆し、この作品の発表をきっかけに文壇に
登場したという。
私もまだ若い頃に、島崎藤村の小説「破壊」や「夜明け前」を読んだという記憶はあるが、
どんな内容だったのかはまったく思い出すことができない。
あの頃から、今のように読書メモを取っていたらと思うと、とても残念でならない。

また、「音楽はひとりひとりが選んで聞くから楽しみになるのであって、BGMなど騒音
でしかない」という著者の主張は、私も最近、老年になってようやく、まったく同感だと
思うようになった。人工的な音のない、自然の音だけの環境こそが、いちばん居心地が
いいと思うようになったのだ。
なお、この本の中に、「黒い雨」の著者である井伏鱒二の「正義の戦争より不正義の平和
のほうがまだましじゃ」という言葉が出てくるが、どんな時代になっても、この言葉は核
心をついた言葉だと思う。
戦争を始める人は、かならず「正義」を口にするからである。
国のリーダーたちが「正義」を口にし出したら気をつけたほうがいいようだ。


ジャラン、ジャラン
・バリ島は、緑が濃く、水田が続き、人々もおだやか。インドネシアが回教国なのに、そ
 の島だけはヒンドゥー教であり、野の仏のようなものが、あちこちに在り、朝に夕に、
 花や共物。古きよき時代の日本が、そのまま残っている感じ、別に観光資源など訪ねな
 くても、そうした風景を見ているだけで、心が休まった。
・ホテルの庭先のゴルフコースへ出てみると、先行して白人の大男が一人でのんびりプレ
 イというよりぶらぶら歩いている。せっかちの私が少し焦立つのを察したのか、キャデ
 ィは笑いを含んだ眼でその白人を指し、「アメリカン、ジャラン、ジャラン」とがめる
 というより、ああいうものもよいのでは、と言わんばかり。
・マレー語の正確な意味はわからぬが、「ジャラン、ジャラン」には、そういう響きがあ
 った。  
・よりスコアを出そうとか、少しでも飛ばそうなどというだけが、ゴルフではない。すべ
 てを忘れて、ジャラン、ジャラン。この鮮やかな緑の風の中に、心おきなく身を委ねて
 行っては。
・そうか、ジャラン、ジャランか。おれの人生、ジャラン、ジャランをどこかへ忘れてき
 てしまったのか。
・バリ島はまた木彫の島であり、街道筋の店々に、小さな仏像など並べている。その中に、
 子供が笑っている感じの楽しい像があり、私は珍しく自分のために買い帰り、仕事部屋
 の隅に置いた。
・バリ島以外の島々には、オランダの利益になる作物を強制栽培させる一方、ある程度、
 欧米式の教育をひろめて文明化を計るのだが、それらと分離して、バリ島に対しては、
 それまでの王様中心に対して、村落社会を重視、水の流れを中心とした稲作をすすめる
 一方、欧米式の文明化には消極的で、バリ全島に現地人のためのオランダ学校も二校し
 か置かず、ヒンドゥーの宗教性を生かし、金・銀・銅・木・布などの伝統的な工芸を盛
 んにし、バリ人を「生きた博物館」に押し込め、近代社会から遠ざけた。そうしたこの
 世的な思惑によって、「地球上の楽園」や「あちら側」はつくられた。
 
堂々と貧乏して
・一人で生きている以上、マイペースを努力して守らなければ、あっという間に吹きとば
 されてしまう。その種の恐怖を、これまで幾度か味わわされた。
・島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の一節、「昨日またかくてありけり 今日もまたかく
 てありなむ この命なにを齷齪 明日をのみ思ひわづらふ」を思いついたのも、私自身
 を慰め、あるいは鞭打つ何よりの言葉と思ったからである。
・人間にはそれぞれ身についたテンポというものがあり、テンポの早い人間が、そのテン
 ポをゆるめようとすると、その人間の頭脳の回転に束縛を加えることになる。それぞれ
 のテンポに加速度がつかぬようにして、ハーモニーをつくり、それぞれの持ち場の人間
 が、何ら外部の干渉や束縛を受けることなしに、自分のテンポで仕事をしているのが、
 最も能率的な職場であり、そのことは家庭についても当てはまるであろう。
・テンポの早い人間が多くなり、社会のテンポが加速度的に早くなってくると、そのなか
 で生きることはもちろん、それを傍観していることも息苦しくなってくる。そこで、ひ
 そかに、「この命なにを齷齪」と、つぶやきたくなる。
・生命、家庭、経済、思想の危機を描く私小説は、文章に凝るし、量産に向かない。この
 ため貧乏につきまとわれるわけだが、その貧乏生活に貧乏臭いところがない、という。
 なぜかというと、豊かな生活をしたくて齷齪したが、うまく行かなくて貧乏しているの
 ではなく、初手から堂々と貧乏しているからだと。
・堂々と貧乏、本懐でもある貧乏。となれば、外見はともかく、気持ちは貧乏臭くはない
 ということになるが、ただ問題なのは、本人はそれでよくても、家族はどうなるかとい
 うこと。 

定住志向
・私の住む茅ケ崎で、「市民の80パーセントが定住志向」とのアンケート調査の結果が
 出た。この町の都心へは一時間足らず、通勤時間帯を除けば、まずます快適に往復でき
 る。高層階に在る私の書斎の窓からは、海が見えるし、富士や箱根連山も遠くから挨拶
 してくれる。
・定住志向者が続いたおかげで、家々や電柱や立て看板こそ元気よく増え続けたが、田園
 はもちろん、畑や雑木林は、いまや影の薄い存在になり果てた。市内では、ビル化が進
 み、これまたほっとさせるような昔馴染の店々が、畑や木立の後を追うように消えて行
 く。
・それにしても、この40年間、私は一途にこの土地に住もうとしていたのではない。私
 たちの職業の者の理想の暮らしは漂泊であり、数年に一度は他の土地を物色に出かけ、
 マンションを買ったこともある。海外に見に行ったりもした。だが、いずれの場合も、
 茅ケ崎に戻って、家内がまず言うのは、「あゝ、やっぱり茅ケ崎がいい」そして、私も
 それまでの私自身を裏切って、異を唱えず、うなずいてしまう。
  
静かなアメリカ人
・音楽は一人一人が選んで聞くから楽しみになるのであって、BGMなど騒音でしかない。
 日本で悩まされる時報や「防災無線」といった類いのものも、きれいさっぱりなかった。
 無くても生きられるし、静けさこそ人間の精神活動に不可欠であることを承知し、それ
 だけ人間が大切にされている形。私はこのことを、ほぼ30年前、初めてカナダ入りし
 たときに感じている。
・この旅での好印象もあって、慌て者の私はカナダへの移住を考え、帰国するとカナダ大
 使館へ相談に出かけ、「カナダの大自然のきびしさを免れるためには大都会に住む他は
 なく、東京で住むのと変わりませんよ」と大使に忠告され、断念するというおまけまで
 ついた。いまになってみれば、その二つの大都会は、外見上は劃然と違う姿を見せてい
 ると思うのだが。
・一時期、通産省が定年退職者のための海外移住計画をすすめたことがある。バンクーバ
 ーの知人によると、移住先の1、2位にあげられるのが、スペインそしてオーストラリ
 アだが、そのいずれも移住者の自殺が増えているという。言葉が十分通じなかったり、
 宗教の違い、そして、二本への距離の遠くさ。さらにはかつての白豪主義に見るような
 白人と有色人種の隔たりや、第二次大戦の傷痕などによるのだが、その点、カナダは日
 本と直接戦火をまじえたこともなく、それらの弊を免れているせいで、私ならそれに静
 けさ美しさも加えたい。
・面白いのは、きれいさっぱり日本の諦め、絶縁してきた人よりも、家や身内を残し、こ
 ちらで暮らしたり、日本で滞在してみたりといった感じの人、つまり、物事を潔癖にと
 いうか、窮屈に考えない人の方が、うまく行っているという。 

にこにこした幸福な国
・国の内外にいろいろ問題があるとはいえ、いまの日本もまだまだ無頓着で、にこにこ暮
 らしている国の部類に見える。無欲になるところまではよいとしても、果してこのまま
 無頓着でにこにこしていてよいものなのかどうか。
・ガイドライン法、盗聴法、国旗国歌の法制化、一億総背番号制と、国民の自由を奪うお
 それのある立法が立て続けに進められており、悲惨な戦争に何を学んだのかと、悲しく
 もなる。 

遊兵狩り
・戦後の一時期、サルトルとかカミュとかがもてはやされ、かぶれた文学青年たちは、二
 言目には「不条理」を口にした。この世の悲惨や苦悩を一身に引き受けるといった顔を
 して。なるほど、敗戦に伴なう思想の混乱や、食料不足とか、就職難ということはあっ
 た。だが、それらは経済に景気不景気があるように、人生で幾度かは出会う類いのもの
 で、この世の終わりとか、生よりは死が魅力とか思わせるものではない。
・「不条理」とは、そうした域を通り越して、落ちに落ちたとき、はじめて実感できる類
 いのものではないだろうか。 
・半死半生の戦場から戻った古山高麗雄さんの体験の延長線上で書かれた「フーコン戦記」
 こそ、まぎれもない「不条理の書」であり、不条理に始まり、不条理に終わる書という
 気がする。軍司令官はその地域を1カ月で占領すると豪語したが、敵戦車2千輌に対し、
 日本軍は小型戦車3輌だけ。空軍や砲兵が無いどころか、小銃さえ、ろくに無い。いや、
 食物も無く、薬も無いという無い無い尽くし。これでは勝てるはずが無いどころか、生
 き延びることさえ難しく、9万の軍隊を送り込んだのに、その70パーセントを失うと
 いうことになる。「あれが軍隊なのか」との重い嘆き。他国のことはいざ知らず、日本
 国の軍隊はまさにそうであった。
・武器も食料もなく、さまよっている兵士たちは「遊兵」と呼ばれたのだが、その「遊兵」
 狩り」をする輩がいる。敵やゲリラではない。日本軍の憲兵である。病み衰え、「お迎
 えを待つ眼」になっている兵士を、「貴様ら浮浪者のような兵隊は閣下には見せられん」
 と追い散らす。そして、しばらしくして前後に護衛兵を配し、元気な参謀たちを従え、
 立派な服を着た師団長がお通りになる。無理な命令を次々に出してきた男である。
・「偉い奴は、厳命はいらくでも出せるのである。不可能なことであっても」「国民など、
 虫ケラ同然に扱わなければ、戦争はできないし、軍隊は成り立たない」そうしたことを、
 一身に体現した男たちである。過去だけでなく、いまもその種の男たちが生きている。

頑張ったことだけは確か
・遠藤順子「夫の宿題」によると、夫婦そろって健康についても用心深く、毎月、採血し、
 K医師の健康診断を受け、処方に従って、ようやく肝臓と糖尿という二つの病を克服し
 たと、よろこんだところで、思い腎臓病が発見される。K医師の薬の副作用によるもの
 で、これに対しK医師の答は「見解の相違ですな!」の一言だけだったという。「肝臓
 の専門でいらっしゃる内科の先生が、まさかこれほど内科の他の分野について勉強不足
 と思っておりませんでした」との遠藤夫人の怒りは、私にも痛いほどわかる。
・というのも、実は私の家内も、「内科・循環器科」の名医とされる医師に隔週に診察を
 受けながら、肝臓ガンへのまともな警告をされることなく、手遅れになってしまったか
 らである。   

野次馬精神
・佐伯彰一「作家の手紙をのぞき読む」の中の中心となるとともに、圧巻なのが、ヘミン
 グウェイと4人の妻たちに関する話である。ふつう、妻とは一人のはずだが、彼の場合、
 複数の女性が妻であったり、妻になろうとしたり。一一時期は、そうした二人が同居し
 たため、「毎日が日曜日」ならぬ「毎日が三角関係」。ヘミングウェイも含めて、傷つ
 け合いながら、それぞれが育つという面もあるが、戦場だけでなく、家庭もまた戦場と
 なり、修羅場となり、自らまいた種子とはいいながら、ヘミングウェイもたいへんであ
 る。
・晩年の作である「老人と海」には、まるで救いのように心やさしい少年が添えられてい
 るが、にぎやかな4人の妻たちよりも、そうした少年が彼の慰めになったのかも知れな
 い。 

あくせく知らず
・一回限りの人生、少しでもあくせくしないで過ごしたい。それがひとつには性格の問題
 があるとしても、何かあくせくしない心得というか、工夫はないものなのか。
・その一つには、凛とした気概というか、簡単にはぐらつかぬロマンを持ち続け、育て続
 けることである。 

平静さか開き直りか
・戦争末期、広島に近い土地へ疎開し、ある被災者の日記を下敷きにしたからといって、
 簡単に「黒い雨」のような作品が描けるものではない。人類がこれまで経験したことの
 ない重苦しい大事件である。主として身近な自然や人間のことをうたい上げてきた年配
 の作家の手に負えるテーマではない。では何が。
・戦争末期、中国地方の山中に居て、上空を60機ほどの米機の編隊が通過、福山を襲う
 らしいと見ると、井伏鱒二さんは、わざわざ近所の自転車を借り、10キロほどの距離
 を福山めがけて走り出した。このとき井伏さんは30代半ばを過ぎており、しかも福山
 に気がかりの人や要件があったわけでもない。「これが福山の見納めかなと思った」か
 らであり、表現は不穏当だが、そうした強い好奇心というか、関心にかられて、動き出
 した、というわけである。 
・加えて、井伏さんには、箇々の局面を超えて戦争を見据える眼があった。それは、作中
 に出てくる。「正義の戦争より不正義の平和のほうがまだましじゃ」という見方である。
・原爆が落ちたとき、七つボタンの海軍特別幹部練習生であった17歳の私は、皮肉にも
 火薬についての学科を受けていた。日露戦争のころ開発された下瀬火薬が相変わらず世
 界で最強力という講義である。そこへいきなり雷が十も落ちたような閃光と震動。次の
 瞬間、教官の姿は教室から消えていた。かねがね「沈着冷静」をやかましく言っていた
 御当人なのに。  
・そこで私たちも戸外へ飛び出ると、すぐ先の小山の向うに、まるい大きな雲があり、そ
 れが白金色に輝きながら、みるみる巨大になり、空いっぱいに広がって行った。何がど
 うなったのか。さっぱりわからない。訊ねようにも、「沈着冷静」氏の姿は消えたまま。
・広島までは井伏さんの場合と同様、10キロほどで、救援に狩り出されてもおかしくな
 く、事実、周辺の陸軍部隊は出動させられ、二次被害を受けたが、陸海軍の仲の悪さが、
 私たちを救った。何がどうなるかわからぬ。平静さというより、開き直って生きること
 になる私であった。  
 
なんとかなるさ
・「したいことはしたい。したくないことはしない。さっぱりとこう割り切っているので、
 人の目を気にするようなことはない」というのが、フランス人気質である。
・その一方、フランスはさすがに文化国家を自称するだけに、文化や芸術の保護について
 は、おどろくほど積極的であった。開戦当初、軍では車が不足し、馬車まで使ったりし
 たというのに、芸術品の疎開や保護は開戦のかなり前から、すでに大々的に進められて
 いた。  
・後でわかったのだが、絵画のほとんどとミロのヴィーナスをはじめ多くの彫刻は、はる
 かノルマンディーなどの60数カ所の古城に分散疎開し、それぞれに専門家が派遣され、
 湿度などの管理に当たっていた。
・このため、ドイツ軍が無血開城のパリへ疾風のような勢いでおどりこんできたとき、ル
 ーブルに残っていたのは、簡単には運べないエジプトやアッシリアの巨大彫刻ぐらいで
 あった。  
・もちろん、オペラ座の前をはじめ、各所にこれまた動かせない像があり、あるいは建物
 そのものの彫刻の美しい教会がある。これらもまた損傷を受けることのないようにと、
 砂袋を山積みにして囲った。このため、フランスの海岸の砂が全部無くなってしまうと
 いわれたほどであった、と。
・戦後、民主的な文化国家として生まれかわることをうたった日本だが、芸術や文化活動
 に対して、いったい行政はどれだけの保護や配慮をしてくれているのかと、あらためて
 嘆かわしく、また腹立たしくなる 
・そうしたせいだけでなく、もともとフランス人が日本人を見る眼の冷たさは、相当なも
 の。「このごろは、日本人という人種がパリに多くなり、フランス語をしゃべっている。
 そのうち猿も日本語をしゃべるようになるだろう」と言ったという話も披露される。
 
建物も物を言ひ候
・東京急行電鉄社長・会長だった五島昇は「金儲けは易しいが、経営とはちがう。世の中
 のためになって利益をあげるのが経営であり、だから経営は難しい」と、生前、よく口
 にしていたが、その点JR東日本の経営陣は、完全に失格である。
・失格の理由は、まだある。人口高齢化が進み、当然、駅のトイレは増やすべきなのに、
 東京駅など各駅が競ってトイレを潰して売店に。このため、客はトイレの前で行列。そ
 して、改札口にも階段にも至るところに広告。このため本来の案内が読みにくく、危険
 でもある。世の中のためどころか、客を踏んだり蹴ったりであり、この暴走はさらにひ
 どくなる。   
 
いちばん美しい姿を
・愛する伴侶の最期を見守るという悲しみの極まるとき、ひとにいったい何ができるとい
 うのであろう。私は手をぎにって、そのときが少しでも遅れるようにと、ただただ祈る
 ばかりであった。 
・肺結核が「死病」とされた時期、肺葉切除という新しい手術が行われはじめたものの、
 これが極めて危険性が高かった。このため大病院でも、それがそのまま最後の別れにな
 るかも知れぬというので、麻酔をかける直前、伴侶など最愛の人と会わせておくという
 措置がとられた。 
・ところが、ある会社員がそうした時点になったとき、やってくることになっていた夫人
 が、一向に姿を見せない。やむなく、麻酔をかけようとしたとき、ようやく夫人がかけ
 つけてきた。しかし、その姿を見て、病院関係者は「アッ」と言うばかりで、次の言葉
 が出なかった。見れば今、美容院から出てきたばかりと思われるきれいな髪、美しい着
 物姿であったから。それというのも、夫の最後の瞳に愛妻のいちばん美しい姿を焼き残
 しておきたかったから、と三木睦子「心に残る人びと」は伝える。あらためて紹介する
 までもなく、著者は三木武夫元首相夫人である。
  
魂が戻って行く
・かつて私は水上機特攻にふり向けられる少年たちの予科練生をテーマに「一歩の距離」
 を書いた。全隊員を集合させた上で、隊長は大声で言う。「志願する者は、一歩前へ」
 そこで一歩前に踏み出した者と、踏みださなかった者との間には、一歩どころか千歩万
 歩、この世とあの世を隔てる気の遠くなるような、気を失いそうな距離が生じた、とい
 う物語である。
・そして、さらに、二十代前半の青年指揮官、妻子もあり、人生という花の美しさを知っ
 た人たちの生死を分かつ物語を書くに当たって、あらためて生死を隔てるものの重大さ
 を、しみじみ感じさせられた。
・特攻出撃直前、ある基地では、最高位の指令が次のような訓示というか、壮行の辞を述
 べた。「諸子は、すでに生きながら、神である」と。司令としては讃え、また心慰める
 つもりであったろうが、隊員たちには不評であった。というのも、司令の訓示は毎度決
 まり切っていて、さらに、「諸子たちだけを死なせはしない。本官も後から諸子を追う」
 と続ける。そして、毎度、「後を追う」と繰り返すばかりで、その動きはない。自らは
 死と縁遠い安全地帯にとどまっていて、しらじらしく、よくそんなことが言える、とい
 う反感がくすぶっており、たまりかねた指揮官の一人が、上司に当たるその指令に詰め
 寄り、壇上から引きずり下ろそうとした、という。
・名をあげるのは控えるが、西日本の名刹の高僧が、病んで臨終のときを迎えた。遺偈と
 いい、高僧が後世に伝え残す言葉を聞こうとして、弟子たちが枕もとに参集した。とこ
 ろが、息を引き取る直前、高僧の口から出たのは、「死にとうない」の一言だけ。弟子
 たちはあわてた。それでは凡俗の徒のつぶやきと同じ。とても遺偈と呼べるものではな
 い。何か言いちがいか、勘ちがいではないか。このため、おそるおそる、もう一度訊ね
 てみた。「何か他に・・・」高僧は答えた。「ほんま、死にとうない」と。笑話ではな
 い。私はむしろ、その高僧に好感を持つ。ためらいも、ていらくもなく、真実だけを語
 っている。それほど「生死事大」なのである。