本の「使い方」    :出口治明
             (1万冊を血肉にした方法)

この本は、今から11年前の2014年に刊行されたもので、タイトルに惹かれて読んで
みた。
しかし、読んでみた結果から言って、よくある「私の読書術」と何ら変わらない気がした。
この本の著者は、週に平均3〜4冊読んでいるという。ということは月に約16冊、年間
約200冊読んでいたことになる。60年間で12,000冊となる計算だ。
著者がいままでに1万冊以上読んだということにもうなずける。
これは読書家で知られる丹羽宇一郎氏よりもはるかに多く読んでいるということになるの
ではないかと思われる。
もっとも、上には上がいるもので、佐藤優氏は月に300冊読んでいると言われており桁
違いの読書量だ。これは普通の人はとても真似できないのではないかと思う。

私がこの本の中で興味を持ったのは慶應SDM(システムデザイン・マネジメント研究科)
が考え出したといわれる「イノベーションの3つの条件」についでだ。
AIはならどう答えるだろうと4つAIに問うてみた。

 <慶應SDM(システムデザイン・マネジメント研究科)>
 @ 見たことも聞いたこともないこと
 A実現が可能なこと
 B物議をかもすこと

 <ChatGPT>
 @新規性
 A価値創造
 B実現可能性
 
 <Gemini>
 @ユーザーニーズ
 A実現可能性
 B事業性
 
 <Copilot>
 @新しいアイデア
 A実行力とリソース
 B市場ニーズ
 
 <Grok>
 @ニーズや問題の明確化
 A知識や技術の活用
 B実行と普及

それぞれ、微妙に違っていておもしろい。
さて、どれが「イノベーションの3つの条件」にふさわしいのだろう。

過去に読んだ関連する本:
死ぬほど読書


はじめに
・物心がついた頃(幼稚園の頃)から、私は本の虫です。
 平均すると、おそらく週に3〜4冊は読んでいると思います。
 もっともたくさん本を読んでいた頃は、毎週10冊以上読んでいました。
 私にとって、就寝前に1時間本を読むことは、歯磨きをするのと同じくらい、当たり前
 の習慣になっています。
・衣服と食べ物(と寝ぐら)は生活する上での根本ですから、人間が第一に考えるのは、
 「どうしたら、ごはんを食べていけるのか」ということです。
 しかし、人間は他の動物と違って、大きな頭がある。
 だから、ごはんを食べるだけでは満足できません。
 聖書にあるように、「人はパンのみに生くるものにあらず」です。
・衣食が満たされたら、 
・心にもゆとりができます。
 そして、パン以外のものを求め始める。
 そのひとつが「知的好奇心」です。
・アラブには、次のようなことわざがあります。
「(人生の)愉しみは、馬の背の上、本の中、そして女の腕の中」
 女性と時間をともにするより、本のほうが、楽しい。
 このことわざは、言い得て妙です。
 読書の楽しさを伝える至言だと思います。
・本がなくても死ぬことはありません。
 でも、本がなかったら、人生を楽しむことはできないでしょう。 

本とは「何か」(教養について考える)
・人間の想像力は、はるか昔から、それほど進歩していません。
 人間の脳は1万年以上も前からまったく進化していないという科学者もいます。
 イノベーションやアイデアのほとんどは、ゼロから生み出されるのではなく、既出のア
 イデアを借りてきて組み合わせ、使い回しながら生み出されています。
・教育だけでは、それなりの人生しか送ることができません。
 より良い人生、より良い仕事、より良い生活を送るためには、教養が必要です。
 教養に触れ、インプットが多くなればなるほど、アウトプットの幅が広がり、発想が豊
 かになります。 
・教養は、教育とは違います。
 教育とは、人間が生きていくために必要な「最低限の武器を与えること」です。
 自分の頭で考える力をつけ、同時に社会生活上必要な実務的な知識を得ることです。
・人間の人間たる所以は、自分の頭で考えることです。
 「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を述べること」が何よりも重要です。
 これこそが、すべての教育や学習の最終目標です。
・日々、自分の頭で考えて次々と選択(対応)をしていくのが、人間の人生です。
 人間が、この社会でより良い生活を送るためには、この日々の選択を少しでも正しいも
 のにするために、自助努力(勉強)が必要です。
 日々の選択の判断材料となるのが、「教養」です。
  ・教育:生きていくために必要な最低限の武器を与えること
  ・教養:よりよい生活を送るために、思考の材料となる情報を身につけること
・教養はたくさん身につけるべきですが、それは必ずしも、量を問うているわけではあり
 ません。    
 私は、教養は、言葉を替えれば、人間の「精神のあり方」であり、その人の人生に対す
 るスタンスだと考えています。
・教養とは、「ひとつでも多くのことを知りたい」という精神のあり方のことではないか、
 と私は考えています。
 「ひとつでも多くのことを知りたい」という気持ちを持ち続けているかぎり、「何冊」
 と数えなくとも、教養は、永遠に積み上がっていきます。
・長野県・小諸市にある藤村記念館には、島崎藤村の「三智」の色紙が展示してあります。
 「人の世には三智がある。学んで得る智、人と交わって得る智、みずからの体験によっ
 て得る智がそれである」  
・私は、人間が生きる意味は「世界経営計画サブシステム」を生きることだと考えていま
 す。
 すなわち、人間が生きていく以上、「この世界をどのようなものだと理解し、どこを変
 えたいと思い、自分はその中でどの部分を受け持つか」を常に考える必要があると思っ
 ているのです。
・なぜ、サブシステムなのかといえば、「メインシステム」は、神さましか担えないから
 です。 
・人、本、旅の3つの中で、もっとも効率的に教養が得られるツールが、本です。
 私が考える本のメリットを順不同にあげると、次の5つです。
 @何百年も読み継がれるもの(古典)は当たりはずれが少ない
 Aコストと時間がかからない
 B場所を選ばず、どこでも情報が手に入る
 C時間軸と空間軸が圧倒的に広くて深い
 D実大権にも勝るイメージが得られる

・新聞の優位性はどこにあるかといえば、「文脈」にあると思います。
 文脈とは、いくつかの出来事に価値の序列を付けて、並べ替えることです。
 新聞は、昨日世界で起きた出来事を整理して、「どのニュースがもっとも大切か」を判
 断し、重要度に応じて紙面上の扱いを決めています。
 「昨日も世界でいろいろなことが起こったけど、大事なのは、このニュースですよ。
 この順番ですよ」 
 と価値の序列を付けて、並べ替えて、一覧するのが新聞の役割です。
 人間社会にとって「これは大事なことですよ」という重要度を示すのが新聞です。
・新聞社によって価値の序列は違いましから、複数の新聞を読み比べると、「こんなにも
 違うのか」と思うことがあります。
 それがとても良い学びになります。
 考えるきっかけを与えてくれるからです。
・本は、著者が表現したいことを、コンパクトにまとめて提示するツールです。
 共著を除けば、基本的に、著者ひとりの世界観しか提示されません。
 書き手が、深い見識を持つ一流の著者であれば、良質の教養をえることができます。
・また、本は、インターネットに比べ、物事や出来事に関する「全体的」な知識を得るこ
 とができます。  
 物事や出来事の全体像を知りたければ、それこそ本の独壇場ではないでしょうか。
 
本を「選ぶ」(「おもしろそうな本」という鉄則)
・「何もわからない状態で厚い本を読むのはしんどい」と眉をひそめる人もいますが、要
 は「ルール」の問題だと思います。
 私の場合、新しい分野の勉強を始めるときは、
 @関連図書を「7〜8冊」手に入れる
 A「厚くて、難しそうな本」から読み始めて、輪郭をつかむ
 B最後に「薄い入門書」を読んで、体系化する
 C本を読んだあとは、実際に体験してみる
 というマイルールを決めています。
 そして、いったんマイルールを決めたら、あとは迷いません。
 ルールのとおり行動するだけです。
・ビジネス書を10冊読むより、古典を1冊読むほうが、はるかに得るものが大きい。
 優れた本というものは、そう滅多に世に出るものではありません。
 では、古典は、どうして現代のビジネス書よりも優れているのでしょうか。
 その理由は、大きく4つあると思います。
 @時代を越えて残ったものは、無条件に正しい(より正確には「正しいと仮置きする」)
 A人間の基本、普遍的な喜怒哀楽が学べる
 Bケーススタディとして勉強になる
 C自分の頭で考える力を鍛錬できる
・古典は、「なぜ残ったのか、その理由も理屈もよくわからないものもありますが、マー
 ケットに選ばれてしぶとく残ったもの」です。 
 保守主義の立場で考えてみれば、「こうして今も残っている以上、古典に書かれている
 ことは、正しいに違いない」という結論になります。
・私は、人間の喜怒哀楽は、ギリシャ悲劇の中にすべて描かれていると思います。
 3大悲劇詩人と言われた、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスを超える悲劇は、
 いまだに生み出されていません。
 脳が同じなら、人間が思いつくことも同じです。
 人間の脳の構造が変わらない以上、「この3人の天才の作品を超える悲劇は、もはや生
 み出されない」と考えることもできるでしょう。
・19世紀ロシアの小説家、イワン・ツルゲーネフは、人間をハムレット型とドン・キホー
 テ型に類型化しています。
 この2人にドン・ファンをくわえて、3つのタイプを考える人もいます。
 ・ハムレット型  :ああでもない、こうでもないと悩み続けるタイプ
 ・ドン・キホーテ型:夢や自分の妄想に向かって、猪突猛進していくタイプ
 ・ドン・ファン型 :ひたすら異性を追い求めていくタイプ
・哲学書や優れた文学作品などを読むと、人生をよりよく知ることができます。
 ですが、哲学書などを読まなくても、他にも人生を知る方法はたくさんあります。
 「哲学書などは難しそうだし、興味がわかない」という人は、どんなジャンルでもいい
 から、自分の好きな本を読めばいいと思います。
 読書は、楽しむものです。
 自分の好きなものや、読んでおもしろいものでなければ、読んでも身に付かないか、
 あるいは途中で投げ出してしまうだけです。
・私は「新しい知識を体系的に学びたい人は『厚い本』から読んではどうですか」と書き
 ました。 
 本を読む目的がはっきりしていれば、少々しんどくても、「厚い本」を読み通すことが
 できると思います。
 一方で、目的が決まっているわけではないけれど、「なんとなく、古典を読んでみよう
 かな」と迷っている人には、逆に「薄い本から」と薦めています。
・やったことがないこと、「やりたくない」と思っていたことを始めるのですから、最初
 から負荷をかけると、それだけ読む気が失せてしまいます。
 古典は手ごわい作品が多いので、最初から厚い本を選ぶと、途中で挫折する確率が高く
 なります。 
・私は、古典をあまり読んだことがない人には、次のような本の選び方を薦めています。
 @書店や図書館で、薄い古典を「10冊」ほどピックアップする
 Aタイトルを眺めて、気になる作品を2〜3冊選ぶ
 B読んでみておもしろければ、そのジャンルを広げる
・ちなみに「いつからいつまで書かれた作品を古典と呼ぶのか」、その定義は難しいので、
 「岩波文庫もしくは東洋文庫」に入っていれば、古典」と、ざっくり考えておいてくだ
 さい。 
・一般向けに書かれた古典の解説書は、あまり薦めていません。
 解説書よりも、本物(原典)のほうが絶対に役立つと思うからです。
 すべての解説書がそうだとは言いませんが、たとえばアリストテレスに比べて、より優
 秀な解説者(学者)はまずいないのではないでしょうか。
 そうであれば、二流、三流の学者が自分流に注釈を加えた解説書を読んだところで、
 「本物」の思考を追体験することはできません。
 解説する側が本物よりも優れていないとすれば、その解説書が原点を超えることはない
 と私は考えています。
・古典と違い、毎日山ほど出版される本(毎日約200点)の中から、私は、つぎのよう
 なマイルールを決めて本を選んでいます。
 @興味のあるジャンルの本を選ぶ
 A「目に飛び込んできた本」を手に取る
 B立ち読みして、「最初の5ページ」で決める
 C新聞3紙の「書評欄」を見て、ムラムラとした本を選ぶ
 D基本的に「作者」は気にしない
 E「SNS」を使って、人に聞く方法もある
 F「ベストセラー本」は読まない
 
本と「向き合う」(1行たりとも読み飛ばさない)
・私はこれまでの60年間で、おそらく5000冊以上の歴史書を読んできたと思います。
 そのすべての内容を細部まで克明に覚えているわけではありません。
 ですが、正確な年代などは覚えていなくても、時代の大きな流れは忘れていません。
・歴史書を読むときには、1文1文丁寧に読み込みながら、本の内容と、自分が知ってい
 る事実を照らし合わせて考えます。
 すると、
 「あの出来事と、この出来事は、こういうふうにつながっている」
 「この地域での出来事が、あの地域にも影響を及ぼしている」
 などといった歴史の大きな流れが目の前に浮かび上がってきて、大局的に、
 「あの時代は、ああだったのだろう」と考察することができます。
・私は、一般にビジネス書はあまり読みません(実務書は別です。
 ビジネス書があまり好きでないのは、
 @ビジネス書は、後出しジャンケンである
 Aビジネス書は、抽象化されすぎている
 という、おもに2つの理由からです。
・成功者があとから自分を振り返って「こうしたから成功した」と述べたところで、
 それが次の成功をもたらす保証がどこにあるのでしょうか。
 成功体験は、いくらでも後づけで考えられます。
・でも、歴史書や優れた小説には、成功した人間だけでなく、失敗した人間も同じく克明
 に描かれています。 
 ひどい人とか、いいかげんな人とか、生身の人間が等身大に描かれているので、後出し
 ジャンケンよりもはるかに役立つ、というのが、私の基本的な認識です。
・人間には「恥ずかしい」という感情がありますから、自分の失敗例を赤裸々に語ること
 には抵抗があります。
 できれば、隠しておきたい、あるいは砂糖をまぶして出したいなどと思うのが人情です。
・大成功者の本を読み、彼と同じように行動したからといって、ビジネスがうまくいくと
 はかぎりません。 
 すべてのビジネスは、人間と人間がつくる社会を相手にしているのですから、「人間と
 はどういう動物なのか」を理解することを優先した方がいいと思うのです。
・ビジネス書を読んで、その内容を受け売りするよりも、小説や歴史書から、人間はどん
 な動物でどんな知恵を持っているのか、社会はどんな構成要素で成り立っているのか、
 人はどんな場面でどのように行動するのかなどを学んだほうが、はるかに有益です。
  
本を「使う」(著者に左右される人、されない人)
・私が「江戸時代」に最大の評価を下しているのは、江戸時代が「栄養失調の社会」だっ
 たことが数字でわかっているからです。
 とくに江戸時代末期は、飢饉が起こっても鎖国体制で食料の輸入がままならなかったこ
 ともあって、日本人男性の平均身長は150センチ台、体重は50kg台まで低下した
 そうです。
 江戸時代は戦争のない平和な時代だったと言われていますが、市民が幸せだったとは言
 い切れません。
・そもそも政治の役割は「みんなにごはんを食べさせて、安心して赤ちゃんを産める生活
 水準を守ること」のはずです。
 そう考えると、身長も体重も縮んだ江戸時代が豊かな時代だったとは思えないのです。
 少なくとも私は江戸時代に生まれたくありません。
・本を読んだとき、著者の主張を100%理解する必要も、100%同意する必要もあり
 ません。 
 個々の読む能力に応じて、理解の度合いも違ってきますが、その時その時の自分の能力
 に合わせて、自分なりに納得して腑に落ちれば、それでいいと思います。
・そもそも、古典のように、著者の力量が自分よりも間違いなく上のときは、相手が言っ
 ている内容を100%理解することはできないと考えたほうがいいと思います。
・価値観は、いろいろあっていい。
 たとえば、自分頭が日本を救うと考えている人もいれば、自民党では救えないと考える
 人もいます。
 自民党を支持する人も支持していない人も、その人個人が自分の頭で考えてそう信じて
 いるのなら、それはそれでいいと思うのです。
 ただし、相手が、価値観を押し付けようとしてきたら、私は反対します。
・哲学者の市井三郎は、著書「歴史の進歩とはなにか」の中で、次のようなことを言って
 います。 
 「人間は全員違うのだから、価値観を押し付けられたり、嫌なことを強制されたくない。
 自分の良心に照らして、好きなように生きることができる社会を『進歩』と呼ぶ」。
 私も、人間がいちばん嫌がることは、「価値観の押し付け」だと思います。
 性別、国籍、思想、信条などに関わりなく、好きなように仕事を選び、自由に生きられ
 ることが人間の一番の幸せです。
・必ずしも読書によって即効性が得られるわけではありません。
 しばらく経ってから、ジワジワと理解できることのほうがむしろ多いのではないでしょ
 うか。
 おもしろい本、興味ある本を一所懸命読んで、何年か経ったあとに「ああ、こういうこ
 とだったのか」とわかれば、それだけでも儲けものです。
・本は、おもしろそうに思える本を素直に読んでいけばいい。
 将来的に、役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。
 それはどちらでもいい、と思います。
 自分の興味がある本を、ひたすら読む。
 あるいは、人から勧められた本を食わず嫌いをしないで読んでみるのもいい。
・功利的に本を読んでも、だいたいはうまくいかない気がします。
 世の中にそんなにすぐに役に立つおいしい話はありません。
 好きな本を読んで、じっくりと体の中に毒が回ってくるのを待てばいいと思います。
・10代、20代の私は、何でもできると思っていました。
 ところが、30代、40代になれば、できないことの方が多いことにだんだん気づいて
 きます。
 そして、「大人になると、捨てていくことばかり。大人になるということは、自分の目
 の前ある可能性をひとつずつ捨てていくことなんだな」ということがわかってきます。
・人間ができることは、実はほんの少ししかありません。
 自分が置かれた場所で、自分のできることを精一杯やっていく。
 それが難しければ場所を変えることぐらいのものです。
・年を取ると人生に対する感じ方が変わるのは、見えるものが変わってくるからです。
 歳を取ることに読書の感想が変わるのは、人間として成長したからではなく、若いとき
 には見えていなかったものが、見えるようになったからではないでしょうか。
・「韓非子」にはさまざまなタイプの人物が登場してきますから、何よりも「人間を知る」
 ことができます。
 「世の中には、腹黒い人も、寛大な人も、冷たい人も、温かい人もいる。それはどの時
 代でも変わらない」と実感できるはずです。
 韓非は、性悪説(人間の本性は悪であり、努力や修練によって善の状態に達する)を唱
 えていました。
 人間の本質は、愚かで狡賢い。
 人間の本性は悪である。
 だからこそ、厳格な法治主義の確率が政治の基礎である、と説いています。
・「ニコマコス倫理学」(アリストテレス)は、幸福とは何か、善とは何か、よく生きる
 とは何かを徹底的に考えぬいた古典の代表作です。
・「社会心理学講義 (閉ざされた社会)と開かれた社会)」は、「人間とは、はたし
 てどういう動物で、その人間がつくる社会はどういうものなのか」という問いを読者の
 胸に深く刻み込む秀逸の1冊です。
・「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」は、日本人がグローバリゼーショ
 ンに対峙した時代に私たちの先達がいかに振る舞ったか、この力作を読めば、それがよ
 くわかります。
 改めて日本人の素晴らしさと、歴史の非情さが胸に沁み込んできます。
・イノベーションの3つの条件(慶應SDM)
@ 見たことも聞いたこともないこと
 A実現が可能なこと
 B物議をかもすこと
・「生物学的文明論」は、高齢化社会の必読書だと思います。
 高齢者がこの本を読むだけでも、わが国の社会はかなり良くなると思うのですが、いか
 がでしょう。
ボーヴォワールの「老い」と「おひとりさまの老後」(上野千鶴子)を読むと、フラン
 スと日本、過去と現在、全体と部分を対比させながら、「老い」について理解を深める
 ことができます。
・シモーヌ・ボーヴォワールの「第二の性」は、現代社会における女性のあり方について
 総合的な考察を加えた古典です。
 女性の自立をうながすバイブルと言えるでしょう。
 「人は女に生まれない。女になるのだ」という名文句は、本書の中で綴られたものです。
 女性は、男性中心の社会の中で、幼少の頃から男より劣ったもの、男に仕えるものとし
 て教育を受けていて、その結果として「女がつくられた」とボーヴォワールは述べてい
 ます。
・女と男はどう違うのか。
 どうして性別に序列がつけられ、女は男より劣った性と見なされているのか。
 男たちは法と慣習を通じて、歴史的にどう女を管理してきたのか・・・。
 ボーヴォワールは、実存主義、生理学、フロイト理論、マルクス主義など、あらゆる知
 見を総動員して多面的、総合的に女のあり方の論証を試みています。
 印象論で語られているわけではないので、いま読んでも新鮮味はまったく失われていま
 せん。
 「女性とは何か」を考える拠り所として、申し分のない1冊だと思います。
・「男性論」(ヤマザキマリ著)がおもしろいのは、男性論の体裁をとっていながら、
 「人生いかに生きるべきか」という、生き方の処方箋を提示しているところです。
 「おかれた場所で咲かない」と、著者は言い切っています。
 「居心地が悪ければ、その外に出ればいい」と。
 私も基本的にはそう考えています。

おわりに
・本は、「読まなければいけない」ものではありません。
 義務感で読む本ほど、つまらないものはないからです。
 本は、楽しむためにあります。
 だから、「自分が興味を持てる本」から手に取ってみてください。
・私は、価値観を強制するのも、強制されるのも、好きではありません。
 「読書が嫌いだ」という人に本を押しつけたところで、本人が興味を持ってくれなけれ
 ば、決して身に付くことはないでしょう。
 本好きの私でさえ、他人に押し付けられた本には食指が動きません。
 「好きこそものの上手なれ」です。