死ぬほど読書  :丹羽宇一郎

心 クリーン・オネスト・ビューティフル [ 丹羽宇一郎 ]
価格:1100円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

社長って何だ! (講談社現代新書) [ 丹羽 宇一郎 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

中国の大問題 (PHP新書) [ 丹羽宇一郎 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書) [ 丹羽宇一郎 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

仕事と心の流儀 (講談社現代新書) [ 丹羽 宇一郎 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

人間の本性 (幻冬舎新書) [ 丹羽宇一郎 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

人は仕事で磨かれる (文春文庫) [ 丹羽宇一郎 ]
価格:704円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

知識を自分のものにする最強の読書 [ 遠越段 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

本物の読書家 [ 乗代 雄介 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

老人読書日記 (岩波新書) [ 新藤兼人 ]
価格:836円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

人間力を高める読書法 [ 武田鉄矢 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

閑な読書人 [ 荻原魚雷 ]
価格:1870円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

読書で自分を高める (だいわ文庫) [ 本田健 ]
価格:660円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

子供時代の読書の思い出 橋をかける (文春文庫) [ 美智子 ]
価格:1026円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

本を読めなくなった人のための読書論 [ 若松 英輔 ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

読書の方法 なにを、どう読むか (光文社文庫) [ 吉本隆明 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

<問い>の読書術 (朝日新書) [ 大澤真幸 ]
価格:968円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

ホンのひととき 終わらない読書 [ 中江有里 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/1/9時点)

私の持つ読書観と、この本の筆者のそれはとても似ている。読書は、その楽しみを知って
いる人と知らない人とでは、読書対する考え方が大きく違ってくると思う。最近は、読書
離れがかなり進んでいるようで、読書をする人としない人とが、はっきりと分かれてきて
いるように感じる。確かに、読書をしたからといって、すぐに何かの役に立つかと言えば、
なかなか役に立つとは言えないかもしれない。しかし、それでは読書は単なる娯楽かと言
えば、そうではないとはっきり言える。
本を読むことによって、少しずつではあるが、ものの考え方に深みが増していくことは確
かである。いろいろな考え方があることを知ることができる。そしてこれが一番だと思う
のが、自分はまだ何も知らないのだということを知ることができる。そして、そのことに
よって、何ごとに対しても謙虚になれる。人は、ともすれば年齢を重ねるうちに「自分は
何でも知っている」というような驕りが出てくるものだ。しかし、実際には知っているこ
となんて、ほんのわずかで、知らないことのほうがほとんどなのだ、読書によって自分が
無知であることを知れば、そんな驕りの気持ちも消えてしまう。そして、もっと知りたい
という気持ちが出てくる。いろいろなことに対して、興味や関心を持つようになる。
筆者は「座右の書」などはないとのことだが、これも私と同じだ。私にも「座右の書」と
いうものはない。そもそも、何度も読み返す本という「座右の書」というものは、普通の
人にはないような気がします。この世の中にはいろいろな本が無数にある。興味を持った
ものを次から次と読みつないでいっても、一生のうちに読める本の数など、たかが知れて
いる。とても、同じ本をそんなに何度も読めるほど、一人の人間の一生は長くはないと思
っている。
また、筆者は本を読んでいて、心に引っかかった箇所に線を引いたりするとのことである
が、これも私と同じである。私も本を読みながら、心に引っかかった箇所に線を引き、本
を読み終えた後に、それをまとめてメモし読書メモとして残すようにしている。それがこ
の文書である。本に線を引くため、私は図書館から本を借りて読むということは、あまり
しない。必ず自分で古本店やネットなどから購入して読む主義である。本代がばかになら
ないのではと思うかもしれないが、私が読む本の数など大した数ではない。いくら頑張っ
て読んでも、悲しいかな家計に影響するほどの数の本は読めないのだ。
読み終えた本は、ある程度の時期がきたら捨ててしまうというところも同じである。私も
よほどとっておきたいと思う本以外は、ある程度の時期が過ぎたら処分することにしてい
る。今までの経験からしても、とっておいても、後でまた読み返すということはほとんど
ないのだ。それより、本の置き場所がなくなるということの方が大問題である。大きな家
に住んでいて、本の置き場所などいくらでもあるという人は別だが、街の中に住み、狭い
家に住んでいる者にとって、スペースの確保というのは切実な問題なのだ。それに、自分
でお金を出して買った本を読んだら捨てるとなれば、それだけその本に対して真剣に向き
合うことができる。そうでなければ、とても手間暇のかかる読書メモなど残す気持ちには
なれないのだ。
本を読むことによって、ものごとに対する新たな好奇心が芽生え、さらに本を読みたくな
る。この世に生を受けた以上、この世とはどんな世なのかを、死ぬまでに少しでも多く知
りたい。人間、一生勉強である。自分はまだまだ人間として未熟だ。死ぬまでに、少しで
も真っ当な人間に成長したい。そんな気持ちで今日も本を手にするのである。


はじめに
・読書の楽しみを知っている人にはわかります。本を読むことがどれだけ多くのものを与
 えてくれるのかを。考える力、想像する力、感じる力、無尽蔵の知識や知恵・・・、読
 書はその人の知的好奇心、そして「生きていく力」を培ってくれます。
・本なんて読まなくてもいい・・・。読書の必要性をどう考えようと自由です。しかし、
 そう思う人は気づかないところで、とても大きなものを失っているかもしれません。
・政治にしても経済にしても文化にしても、そこに携わっている人たちの言葉が軽くなっ
 ている。じっくりと洞察し、深く考えたところから発した言葉に触れる機会が、以前よ
 りぐんと減っているのを感じます。このことは現代人の読書時間が極端に減ってきてい
 ることと、けっして無関係ではないと思います。
・「本なんて役に立たないから、読む必要はない」。そんな考え方をする人が少なからず
 出てきたということは、小さい頃から遊びも勉強も習い事も、親や周りから、よかれと
 思って与えられた環境で育った人が多いことを表しているのだと思います。与えられた
 もののなかでばかり生きていると、「自分の頭で考える」ということができなくなりま
 す。自立した思考ができないから、たまたま与えられた狭い世界のなかだけで解決して
 しまう。読書なんてしなくていいという人たちの背景に、私はそんなことを感じます。
・周りから与えられた狭い世界のなかで、何に対してもすぐに実利的な結果を求める。そ
 んな生き方は、いうまでもなく精神的に不自由です。それが不自由であることを、本人
 は露ほども感じていないと思うと、身震いするほど、自由の世界へと手を差し伸べたく
 なります。    
・人間は自由という価値観を求めて、長い間、闘ってきました。努力し、工夫し、発明し
 て進歩してきた果てに、いまの自由社会はあります。
 
本に代わるものはない
・ネット社会の隆盛が本の市場に与えた影響は少なくありません。本がかつてほど売れな
 くなったのは、明らかにネットの普及にあります。しかし、私はこの流れがそのまま続
 くとは思いません。再び本が見直される時代が来ると見ているのです。そのキーワード
 は「信頼性」です。いまは情報拡散能力の高いネット上のソーシャルメディアによって、
 あっという間に世界中に情報が伝達していく時代です。ところが、その情報に対する信
 頼度は低い。
・デタラメな嘘のニュースや情報で、世界が動く。こうしたことは今後インターネットに
 とって、多くな障害になってくる可能性があります。ネット上の情報や嘘や間違いだら
 けだということになれば、多くの人にとって、それは不利益を与えるものとして、まと
 もに相手にする対象ではなくなるかもしれません。その点、ネットと比べて、本は発信
 する人が誰なのかがはっきりとわかります。たとえ極端な意見であっても、読み手はこ
 の人が責任を持って欠いているんだなと安心して読み進められます。書き手の氏名がき
 ちんと入っていることは、これからの時代、強みではないでしょうか。
・ただ、気をつけないといけないのは、誰が書いているのかが明らかであっても、それだ
 けで信頼性が十分に担保されているわけではないことです。有名な大学の先生だから、
 大会社の経営者だから、有名なアスリートだから信頼できる、というものでもない。
・専門家がこういっているといっても、素人にはわからない部分が多々あるから、専門家
 は嘘をついてごまかすことができる。また専門家だからといって、その考えや意見にい
 つも傾聴すべき重みがあるというわけでもありません。分野やテーマによっては、専門
 家だから素人とは違う有意義なことをいっているとは限らないのです。
・ビジネスの世界でも「あの有名な会社が、お金を出すから一緒にやろうといっている以
 上、間違いない」と判断して、事業に失敗したケースはいくらでもあります。
・大新聞社が行った世論調査にしても、調査のやり方がきちんと見ていくと、世論を正し
 く反映しているのか定かでないことが多々あります。
・新聞やテレビだって、真実をちゃんと伝えているかといえば、そんなことはない。戦中
 は、軍部の情報部の指導で日本文学報国会なるものが結成され、多くの作家たちが名を
 連ねました。彼らはペンに力で戦争を賛美するように求められたのです。
・私が入社して間もなくニューヨーク駐在に赴く折、幹部役員であった瀬島龍三さんから
 もらったアドバイスが忘れられません。瀬島さんは太平洋戦争時の大本営陸軍部の作戦
 参謀だった元軍人です。瀬島さんの「すべては現場に宿る」という自戒的教訓からきた
 言葉でした。
・どんなに多くの人に指示された権威ある新聞でも、そこに書かれている記事が信用でき
 るとは限らないということです。記者がどういうプロセスを経て情報を取ってきたのか、
 読者にはわかりません。
・私は一次情報の重要性を深く認識しました。ビジネスにおいて情報は生命線です。情報
 に振り回されないためには、どうやって情報の質と精度を高めるか。そのための努力と
 工夫を惜しんではいけないのです。
・何が正しくて何が間違っているのか、情報の質はいかなるものか?とりわけ、ネットを
 中心におびただしい数の情報が溢れている時代にあってはなおさら、接する情報を一度
 は疑ってみる必要があります。そのためにも日ごろか、常識的判断や情報リテラシーは
 磨いておくべきだと思います。
・人間にとって一番大事なのは、「自分は何も知らない」と自覚することだと私は思いま
 す。「無知を知」を知る。読書はそのことを、身をもって教えてくれます。本を読めば
 知識が増え、この世界を幾分知ったような気になりますが、同時にまだまだ知らないこ
 ともたくさんあることを、それとなく気づかせてくれます。
・何も知らないという自覚は、人を謙虚にします。謙虚であれば、どんなことからでも何
 かを学ぼうという気持ちになる。学ぶことで考えを深め、よりよい社会や人間関係を築
 こうとする。たとえ自分とは違う考え方のものであっても、それを認められる。自分が
 何も知らないという思いは、その人を際限なく成長させてくれます。
・反対に、自分は何でも知っている、何でもわかっていると思っている人ほど、質の悪い
 ものはないかもしれません。こういう人は傲慢で、何でも人の優位に立って、自分の思
 い通りに事を進めようとしたりします。
・いわゆる知識人といわれる人は、専門分野のことは非常に詳しいものの、専門外のこと
 となると、普通の人とたいして変わりがありません。この世界のことなら何でも知って
 いるといわんばかりの博覧強記の人であっても、知らないことのほうが知っていること
 より、遥かに多いはずです。人の一生は限られていますから、どんなに頑張ってたくさ
 んの本を読んでも、限界があります。物理的にも人が知りうることには限りがあるとい
 うことです。
・ネットで検索すれば、簡単に知ることはできます。しかし、そこで得られるのは単なる
 情報に過ぎません。細切れの断片的な情報をいくらたくさん持っていても、それは知識
 とは呼べません。なぜなら情報は「考える」作業を経ないと、知識にならないからです。
 考えることによって、さまざまな情報が有機的に結合し、知識になるのです。読書で得
 たものが知識になるのは、本を読む行為が往々にして「考える」ことを伴うものだか
 らです。
・何かについて本当に「知る」ということは、少なくとも知識というレベルにまで深まっ
 ていなければならないと思います。そして決定的なのは、人類が悠久の時間をかけて積
 み重ねてきた膨大な知識は、この世界についてのごく一部にすぎないという事実です。
・これは面白い、自分にとって必要な本だと思えば、類書を当たったり、巻末の参考文献
 からまた面白そうなものを探してみる。絶版になっている古い本であれば図書館に問い
 合わせたり、インターネットで古書を探してみる。そうやって育つ木は枝葉を縦横に伸
 ばし、さらに大きくなっていきます。
・「あなたが面白そうだと思うものを読みなさい」。立場にとって、考え方や感じ方によ
 って、これはいい本だとか必読すべき本だといった価値観は変わるものです。人がいく
 らいいといっても、関心のないものは一生懸命に読んでも頭に入らない。蒙を拓く内容
 だといわれても、基礎知識がなければ理解できない。
・同じ本でも年齢や時代によって、受ける印象はまったく違うものです。そこで「55年
 前と同じような感動と感激があったら、僕はアホだ」と思いました。もしそうなら、ほ
 とんど成長していないことになるからです。歳をとって感動しなくなったというと、感
 性が衰えて感じる力が弱くなったように聞こえますが、そんなことはないと思います。
 ただ、若いときと違って、感じる対象が変わってくるのです。同じ本でも、若いときと
 歳をとったときとでは、感じ方が違って当然なのです。
・教養というと、大前提として知識の量が関係していると思われるのではないでしょうか。
 しかし、私は知識というものは、その必要条件ではないと考えます。私が考える教養の
 条件とは、「自分が知らないということを知っている」ことと、「相手の立場に立って
 ものごとが考えられる」ことの2つです。
・教養を磨くものは何か?それは仕事と読書と人だと思います。この3つは相互につなが
 って、どれか一つが独立してあるというものではない。読書をせず仕事ばかりやってい
 ても本当にいい仕事はできないだろうし、人と付き合わず、人を知らずして仕事がうま
 くできるわけはありません。      
・仕事は、私にいわせると、人生そのものです。食べるためとか、お金を儲けるためとか、
 家族を養うためとか、そういう類のものだけではない。人生から仕事をとってしまえば、
 何も残らないといっていい。仕事をすると、喜び、悲しみ、怒り、ひがみ、やっかみな
 ど、さまざまな思いを味わうことになる。こういったあらゆる感情が経験できるのは、
 仕事以外にありません。
・仕事というのは、お金を報酬としてもらうものとは限りません。さまざまなボランティ
 アもそうだし、困っている人々のために働いたり、身体を動かすこともそうです。仕事
 を通じて人はさまざまな経験を積み、人間への理解を深めていけるのです。仕事もせず
 に趣味だけに生きていても、人としての成長はないと思います。
・神に祈るような気持ちで、与えられた仕事を一生懸命にする。神に与えられたお金は天
 (社会)に戻す。そういう利他的な気持ちで仕事に生きる。現在の資本主義を単にお金
 (利益)を多く得ることが善だという感じになっていますが、もともとはそんな禁欲的
 な精神が資本主義の源流にはあるというわけです。     
・自分さえよければ、会社さえ儲かれば、の気持ちていては、たとえいま仕事がうまくい
 っていても、早晩必ずためになります。
・私は「人間とは何か」という問いに突き動かされて、たくさんの本を渉猟してきました。
 しかし、探れば探るほど人間という存在は謎めいてくるばかりで、この問いの答えはあ
 りません。 
・自分が経験できないようなことを、読書を通じて体験する。それによっていろいろな人
 の立場に立ってものごとを見たり、考えたりできるわけです。そうすることで自分の視
 野や思考の範囲がぐんと広がり、想像力が鍛えられます。想像力は現実を生きていく上
 で、とても大事なものです。本を読んでさまざまな生き方や思考を体験できれば、想像
 力はどこまでも伸び、世界はそれだけ広がります。
 
頭を使う読書の効用
・論理的に考える力をつけるには、読書はこの上なく効果的です。思考力を養うには、何
 も哲学書のような堅い本をよく必要はありません。小説でも、なぜこの主人公はこうい
 う行動を取ったのか?作者はこうした物語を書くことで何を伝えたかったのか?そんな
 ことを考えさせてくれます。経済書にしても、書き手が主張する論は正しいのか?いま
 の時代に合っているのか?いろいろなことを考えながら読むことができます。本は「な
 ぜ?」「どうして?」と考えながら読めば、それだけ考える力が磨かれるのです。考え
 る力は生きていく力に直結します。それは何よりも読書によって培われるのです。
・小説というと、作者の頭のなかでつくったフィクションであって、現実とはあまり関係
 がないと思っている人もいます。しかし、小説は私小説でなくても、作家の実体験をか
 なり踏まえて書かれていたりするものです。
・小説には、たとえ絵空事のような内容であっても、作者の体験がどこかに投影されてい
 る。体験というものには、その人が生きている時代や社会の状況がにじみ出ています。
 それを嗅ぎ取って味わったり、想像したりするのも、小説を読む楽しみではないでしょ
 うか。  
・栄養を摂らなければ生きていけないように、心にもまた栄養が必要です。その栄養とな
 るのが読書です。心に栄養が足りないと、人のなかにある「動物の血」が騒ぎ出します。
 ねたみ、やっかみ、憎しみ、怒り、利己心、自暴自棄、暴力的な衝動など、まるでジャ
 ングルの獣のごとく次々と表出する動物の血は、負の感情を生み出します。
・極限状況に追い詰められた人間は、動物の血が強くなります。ジャングルで死線をさ迷
 った兵士の仲間の死体を食べたという話は事実です。倫理的な問題をはらみますが、戦
 争はまさに「動物の血」を激しく煽るものです。戦争が引き起こした数えきれないほど
 の悲劇をみれば、人の心がいかに弱いものであるか、そしてその鍛錬がいかに難しいも
 のであるかがわかります。だからこそ、そのことを十分に自覚しながら、心を磨かなく
 てはいけないと思います。  
・「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」といいますが、私は怪しいと思っています。
 歴史が繰り返されている様を見ると、歴史から学ぶことは賢者であっても難しいのでは
 ないでしょうか。私は「賢者は自らを律し、愚者は恣にする」といい換えたい。つまり、
 本当の賢者とは、自分の欲望をコントロールできる自制心を持っている人のことだと思
 います。動物の血をコントロールする理性の血を濃くするには、心を鍛えるしかありま
 せん。そのためには読書を通じて心に栄養をできるだけ与えたり、仕事をしたり、いろ
 いろな人と交わったりするなかで多くのことを真摯に学ぼうとすることが不可欠だと思
 います。  
・純粋に好奇心から手にとったり、面白そうだから読む。その結果、想像力が豊かになっ
 たり、感性が磨かれたりする。効用は先に求めるものではなく、あくまでも結果として
 ついてくるものです。昨今は結果はがすべてといった結果至上主義が幅を利かせていま
 すが、もちろん経過も大事です。そもそも経過を大切にしなければ、本当にいい結果は
 出せません。
  
本を読まない日はない
・本は食べ物と一緒です。食べ物は美味しいといくらでも食べたくなりますが、嫌いなも
 のを出されたら食欲が湧かない。ですから自分で面白そうなものを見つけて読む。それ
 が基本だと思います。
・私には座右の書はありません。面白い本はいくらでもあるので、もう一度読み返すこと
 はあっても、5回も6回も繰り返し読むなどということはありません。面白いと感じた
 り、心を打たれる本でも、そのときどきで変わってきます。年齢や立場が変われば、そ
 れは当然でしょう。ですから、「座右の書」のように一生を通じて影響を受け続ける本
 というのは私にはないのです。
・私の場合、本を読んでいて心に引っかかってくる箇所、すなわち印象的な言葉や興味深
 いデータについては、線を引いたり、附箋を貼ったり、余白にメモをとったりします。
 そして読み終えた後に、もう一度傍線を引いた箇所のメモをを読み返す。そのなかから
 「これは重要だ」「覚えておかなくては」と思ったものをノートに書き写します。重要
 と思う箇所に線を引く人は少なくありませんが、線を引くだけに終わっていないでしょ
 うか。線を引いた箇所をまた読み返すならまだいいですが、ただ線を引いて終わりでは
 自己満足にすぎません。
・あの本にたしかこんないいことが書いてあったなあと思って、いざ本を引っ張り出して
 みても、その箇所が見つかることはまれでしょう。そもそも、どの本に書いてあったか
 を忘れてしまうこともあります。私の場合は、そうならないように線を引いた箇所の多
 くは、後で必ずノートに書き写すわけです。人間は忘れる生き物だからこそ、こうした
 ことが必要なのです。
・ノートに書き写す作業は、けっこうな手間がかかるので、週末の休みを利用したりして
 います。読書では目だけでなく、手も使う。これはとても大事なことだ。目で字を追っ
 て頭に入れようとするだけではなかなか覚えられませんが、手を使って時間をかけてノ
 ートに写すと、頭にけっこう残るものです。そうやって写したら、その本は置く場所が
 なければ捨てても構いません。
・たまにしか本を読まない人が読書の習慣を身につけようとするとき、気をつけないとい
 けないのは、背伸びをしないことです。最初は自分の知識や教養のレベルに見合ったも
 ののなかから、好奇心をくすぐるものを選ぶべきです。いきなりレベルの高いことをや
 っても、挫折するのがオチです。
・私がいま読む本は歴史、経済、政治関係のものがほとんどです。これらのジャンルはい
 くら読んでも飽きない。これは私という人間に一番向いているからなのだと思います。
 どんなものでも数多く読めば、必ずいろいろな好奇心の種が心に播かれます。すると、
 その種が発芽し、いままで馴染みのなかった類の本に食指が動く。それとともに読書の
 幅が広がり、読む本のレベルも上っていきます。読解力がつき、読むスピードも速くな
 るでしょう。手にした本の質を見抜く眼力も鋭くなります。まさに螺旋を描くように読
 書力がついていく。それもまた読書の醍醐味です。
・本は、基本的に身銭を切って読むものだと思います。数多くの本のなかから選んでお金
 を使ったという意識もまた、借りるのに比べて、本に対する意気込みを変えるのだと思
 います。自分で買った本は、線を引いて汚そうと、折ろうと、繰り返し読んで手垢がつ
 こうと、自由です。気分的になんの制約もない。借りて読むと線は引けないし、きれい
 に読まなくてはと余計な神経を使ったりします。
・数千冊、数万冊読んだと自慢する人を単純にすごいと思わないほうがいいし、また冊数
 にこだわって読書をする必要はないと思います。もちろん少ない数の本を読むより、た
 くさんの本を読んだほうがいいとは思いますが、どういう本をどんなふうに読んだかも
 大事です。すなわち、できるだけいろいろな本をたくさん読むことも、内容のある本を
 じっくり読み通すことも大切なのです。ただ、人生の持ち時間は決まっていますから、
 手にする本をみな精読する必要はありません。本によっては飛ばし読みでかまわないも
 のもあるでしょうし、精読したほうがいいものもあります。本の内容に応じて自分で決
 めればいいのです。
・もしあなたが真剣に姿勢を正して向き合うような堅い本ばかり読んでいるなら、ときに
 はリラックスして感情を解き放てるような本を読むことも大切です。感情はいろいろな
 形で発散させたほうがいい。理性ばかりを働かせていたらバランスが崩れるので、感情
 も動かす必要があるのです。だから、脳みそを使う読書ばかりしているようなら、とき
 おりリラックスさせてくれるような本を読むのはいいと思います。      
・本は感情を豊かにするだけでなく、ふだんあまり自分が出さない種類の感情も学ばせて
 くれる。読書は感情をも磨いてくれるのです。それもまた、読書の効用の一つかもしれ
 ません。
 
読書の真価は生き方に表れる
・徳川家康の遺訓:「不自由を常と思えば不足なし」
・そもそも人間は愚かな生きものです。さまざまな人の失敗例をマスメディアなどを通し
 て見ているにもかかわらず、それによって自らの失敗が減っている様子はありません。
 無謀な投資や粉飾決算が原因で倒産した会社がどれほど報道されようが、相変わらず思
 慮の足りない投資や経理のごまかしをする会社は後を絶たない。価値観の違いから離婚
 する夫婦のケースをたくさん見知っていても、価値観のズレをどう埋め合わせればよい
 のかわからず、離婚に至る夫婦はごまんといる。つまり、人は他人の失敗を見て、自分
 もそうならないようにしようと気を引き締めることはあっても、それ以上に役立つこと
 はあまりないと思います。
・では、人の失敗事例が役に立たないとすれば、仕事で大きな失敗をしないためにはどう
 すればいいか?人間は失敗する動物です。もっともいい方法は、絶えず「小さな失敗」
 をしていくことだと思います。どんなに小さなことでも見逃さず、仲間で「ヒヤリ」
 「ハッ」を共有する。そして、そこで修正や改善をすれば、大事に至らずにすむのです。
 その意味で小さな失敗をたくさんしておいて、その都度反省をしたほうがいいのです。
 「ヒヤリ」や「ハッ」とするような小さな問題を放っておくと、やがて大きなトラブル
 になりかねないという認識ができていれば、緊張感をもって仕事に当たれます。
・何か問題が起きると、その問題を必要以上に大きくとらえる人がいます。問題はあって
 はならないもの、という気持ちが強すぎるのです。しかし、人間は生きていれば問題だ
 れけです。一つの問題がなくなれば、すぎに次の問題が起こる。仕事やお金、人間関係
 や健康の問題など、挙げればキリがありません。懸命に生きることが、懸命に問題を生
 み続けるようです。
・人生というものは、問題があって当たり前。問題のない人生など、どこにもない。問題
 がなくなるのは、死ぬときです。問題があるということは、懸命に生きている証です。
 困難な問題に直面したとき必要なのは、その状況を冷静に見つめながら、前向きに考え
 る謙虚さです。過信や自己否定がそこにあってはいけない。どんなに苦しい状況に陥っ
 ても、それは天が自分に課した試練だと私は思っています。そこから逃げることなく、
 正面から受け止めてベストを尽せば、必ず知恵と力が湧いてきます。思わぬ閃きも生ま
 れる。そうして不可能と思っていたものに、光が見えてくる。その源泉となるのが、読
 書と経験です。とくに多くの本を読んできた人は、先人たちの知識や経験からいろいろ
 学ぶことによって、突破口を開く気づきや心の強さを得られると思います。問題をあら
 ゆる角度から眺め、あらゆる可能性を探るには、読書で得た知識や考え方、想像力とい
 ったものが大きな力になるのです。
・上司が部下に仕事を任せるとき、とういう段階で任せればいいか。能力的にはまだまだ
 という段階で仕事を任せれば、本人が一生懸命努力をして自らが成長していきます。反
 対に成長した人間に任せると驕りが出て、能力を100%発揮できない場合も多々あり
 ます。私は部下を育てる際、「認めて」「任せて「ほめる」という3つの基本原則を持
 っています。ある程度見込んだ人材には、まだ未熟な部分が見えても、100%任せる。
 そして余計なことは一切いわないようにしてきました。人を育てるには、手取り足取り
 何もかも教えればいいというものではありません。そうではなく、最終的には自らが己
 を育て、成長させるように仕向けることが肝心なのです。そうやって自分の力で成長し
 た人間ほど、また伸びしろも大きくなるはずです。
・最近の人は、一人で何かをしているとすぐに孤独を連想するほど、一人で何かをするこ
 とにへんな引け目を感じている節があります。一人イコール、孤独ではありません。一
 人で何かをしていても、それはあくまで「一人でやっている」ということにすぎません。
 それ以上でも、それ以下でもありません。
・私は人が生きていく上で大事なのは、仕事と読書と人間関係と、そこからくる人間への
 理解であるということを繰り返しいい聞かせています。こういうと、会社を退職して老
 後の生活を送っている人はどうなんだ?とたまに聞かれることがあります。しかし、仕
 事とは必ずしも、それによってお金という報酬を得るものとは限りません。老人施設に
 行ってボランティアをすることも、近隣の道を近所の人たちと一緒に掃除することも、
 自然エネルギーを地元に導入するために運動することも、みな立派な仕事です。
    
本の底力
・空気を読むこと自体は悪いことではない。その場、その場の空気を読んで対応するのは
 当然のことです。しかし、漂っている空気に遠慮していいたいことをいわず、主張すべ
 きことを主張しなければ、それは空気を読みすぎていると思います。自分を曲げてまで
 周囲に同調する必要はありません。
・最近の日本の政治は、権力を握った人間が自分たちの好きなようにシステムや国の行方
 を次々とつくりかえていこうとする動きが目立ちます。しかし、そんな危うい空気にも
 かかわらず、深くものごとを考えることをせず、何となく現状に流されて生きている人
 のほうが多いのではないでしょうか。何の疑問も異議も唱えず、周囲の空気を読んで現
 状に満足しているようでは、野蛮性と原始性に富んだ衆愚になるだけです。
・読書は心を自由にしてくれます。読書によって自分の考えが練られ、軸ができれば、空
 気を中心に思考したり、行動したりすることはなくなるはずです。世間の常識や空気に
 囚われない、真の自由を読書はもたらすのです。
・空気はあえて読まないことも必要です。読みたければ読めばいいと思いますが、読んで
 もそれに同調したくないときは、そうする。空気をどう扱うか、どう読むか、どう対応
 するか、その都度、その都度、自らの心、良心に従い、柔軟に考え、行動していく力を
 持つことが、動物の血が抜けきらない人間としての最大の幸せではないでしょうか。
・物の豊かさではなく、”心のありよう”こそが人間としての最大、唯一の証であるよう
 に思います。