「NPOという生き方 :島田 恒

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戦後の日本は、経済的には信じられないほどの復興を遂げて豊かな国になったと言われる。しかし
その反面、毎年の自殺者が3万人以上も出ている。豊かな国になったはずなのに、この自殺者の多さ
はまさに異常である。そこには、経済復興ばかりを目指してきたばかりに、人間としての本来の生き
方を見失ってしまっていることに原因があるのではと感じる。経済的に豊かになれば幸せになれると
いうのは、幻想であったことははっきり見えてきた。ほんとうのしあわせとは何か、この問題を真剣
に考えないと、いつかはこの世の中に大きな失望を感じる時がくるだろう。
 日本はサラリーマンの割合が非常に高いサラリーマン社会である。そのため、会社を人生の拠り所
にしている人が多く、人生の大半を会社に捧げる人も珍しくない。以前の会社は年功序列制度などに
より家族主義的であり、会社が社員の面倒を最後まで見てくれるところがあった。
 しかし、バブル崩壊後の長い不況期の間に、企業を取り巻く環境は大幅に変わった。アメリカ型の
経営手法が導入されて、それまでの家族主義的なところがすっかりなくなってしまった。成果主義・
能力主義制度の導入より、社員間の収入の格差が劇的に拡大し、一部の能力ある者はそれまでの何倍
もの収入が得られる一方、多くの普通の人あるいはやや成果が思わしくない人は、どんどん収入を削
られていく。アメリカ社会のように一部の富裕層とその他多くの貧しい層とに二極分化する社会へと
まっしぐらに突き進んでいるのである。
 企業の目的が営利追求にあることは否定できない。しかし、そのような企業だけが存在する社会は
不幸である。営利追求を目的としない組織(NPO)や人も社会では必要なのである。
 最近、「金儲けはいけないことですか?」と居直った発言をした某ファンド会社経営者がいた。一
部の金持ちがさらにその金を増やしていき使い切れないほどの富を得ていく一方、毎日の食べ物にも
事欠く生活や病気をしても医療を受けられないことを余儀なくされる貧困層が増えていくというよう
にこの社会は機能していく。果たして「金儲けはいけないことですか」と簡単に言えるのか。
 筆者は「あまりにも経済」という言い方をしているが、まさに現代社会は「あまりにも経済」に偏
りすぎている。こういう社会を反省し、NPOという組織に理解を深めその活動を支援するなど、も
っと多様な生き方ができる社会にしていかなければならいと感じる。
 「人間の本質は自由である」と言われている。そこには「真の個人主義」の思想が必要であるよう
に思われる。日本社会にはまだ「真の個人主義」は少ない。この「真の個人主義」の浸透がなければ、
多様な生き方ができる社会は実現でないであろう。多様な生き方ができる社会でなければ、この社会
は幸せな社会とはならないと、この本を読んで実感した。

はじめに
 ・わが国の経済はめざましい発展を遂げ、将来への懸念が指摘されながらも、確実に世界第二位の
  経済大国となった。戦後の食べることさえままならなかった頃とは一変し、モノが溢れ返るほど
  に富裕な時代になっている。すばらしい復興の成果である。しかし、モノの豊かさを求めること
  に目を奪われて、人間や社会にとって根元的に大切なものを見失ってきたようだ。
 ・会社環境の変容による過重労働やストレスの拡大、勝ち組・負け組と呼ばれる企業間・個人間の
  格差、自殺者の増加、地域コミュニティの希薄化などが顕在化して、豊かになったはずの私たち
  は、たった一度だけの人生をほんとうに幸せに生きているというるだろうか。

NPOの感動と活力
 ・NPOはそれぞれ独自に多元的なミッションをもつことになる。しかし、根元的なところでは人
  間や社会の公益に貢献し、人間の自由を実現しようとする理念につながるものであることが期待
  されている。人間や社会にとって、そのような高次元かつ普遍的価値が存在するという前提の上
  に成り立っている。それは、抽象的表現だが、メタ・ミッション(根底で共通する高次のミッシ
  ョン)ということができるだろう。
 ・企業が存続していくための最大の動力はイノベーション(革新、新機軸)とアントレプレナーシ
  ップ(起業家精神)にある。市場経済においては、イノベーションによって生まれた事業も模倣
  が繰り返され、企業の利潤率はだんだん下落するのが一般であり、企業家はこれを嫌って新たな
  利潤を可能にするイノベーションにチャレンジするというわけだ。
 ・現在のように企業を取り巻く環境が急激に変化する時代にあっては、事業のライフサイクルは短
  縮化し、今日の事業はすぐに衰退していくという現実が顕著になっている。革新に安住しないで
  絶えず変革すること、リスクがあったとしてもアントレプレナーシップを発揮してイノベーター
  であり続けることが生き残りの原則となっている。
 ・営利追求の株式会社は、特に創業者の志が活動に大きな影響力を維持している時期は問題ないが、
  それを過ぎると、創業のミッションが希薄化し営利の論理が支配的になるという危険を感じる。
  初期の設立の志が希薄化し、資本の論理が優先する普通の会社になったり、不祥事にまで至る事
  例は残念なことに内外で多く見聞するところだ。

私たちはいま、どこにいるのか
 ・二十世紀は、その経済効率が実証されたかに見える市場経済によって、経済先進国に大きな恩恵
  をもたらした。モノが溢れんばかりに豊富になり、便利さと快適さが日常化し、寿命までも延び
  た。日本もそのトップランナーの一員として、モノに恵まれた長寿を誇るようになった。民主主
  義と市場経済というアメリカ型のシステムが、人類の究極のものとして確立されたという学者も
  あらわれた。
 ・しかし、世界を見れば、手放しに喜べる実感はない。市場経済発展の前提である競争原理は、南
  北問題である経済先進国と途上国との格差をますます広げていった。国連の統計によれば、所得
  上位20%の人々(日本人は全員このクラスに入るはず)が世界全体の経済力の85%を占めると
  されている。そのあまりに大きすぎる格差が各地で問題を起こし、テロの温床となっているとの
  指摘もある
 ・経済先進国内部でも、競争の結果、所得などの不平等度をあらわすジニ係数を見れば所得格差も
  拡大傾向にある。比較的平等社会といわれ、安定と安全を誇りとしてきた日本も例外ではなく、
  勝ち組と負け組という表現に見られるように、いたずらに社会全体の焦りにも近い不安感をつく
  り出している。世界第二位の経済大国としての恩恵を受けながら、経済における豊かさを際限な
  く求めることに取り憑かれてしまっているかのようである。
 ・欲しいものが次から次にあって借金を重ね、どうにもならなくなった主婦や、ブランド品を手に
  入れるために援助交際を続ける少女など、これだけ豊かになったわが国でも、不健全で歪んだ人
  間の行動に歯止めをかけることができないでいる。
 ・産業社会の発展は、確かに経済的豊かさという大きな恩恵をもたらした。いまも経済発展が大切
  であることには変わりはない。しかし、「あまりにも経済」の豊かさを追求するあまり、われわ
  れはそれが大きな病理をはらんでいることに気がついてこなかったのではないだろうか。
 ・社会は、経済・政治・文化・共同の四つの要因が、それぞれ独自の原則を発揮しつつ、いまも調
  和してはたらくことが期待されている。ところが、現代においては、「経済」が圧倒的に社会に
  おけるプレゼンスを高め、市場経済を通じて政治や文化、共同生活領域までも取り込んでしまっ
  たのではないだろうか。
 ・政治はすぐれて経済発展のために機能し、本来人間や社会のあり方について高い価値観を示すべ
  き文化の影響力は衰え、家庭や企業における人間の絆も弱まってきたと思われる。安定した大企
  業に就職するための受験戦争、過労死までも起こす会社人間はその一例ということができる。合
  理・効率、カネ・モノという経済原則が社会全体に価値観を覆い、目に見えない大切な何かがな
  いがしろにされてしまったのである。
 ・発展する産業社会の経済活動は、地球全体を一つの市場と見なすグローバル経済へと変貌してい
  った。飽くことなく経済的成果を追求することが経営者の習いとなっていった経済活動が拡大す
  るとともに、地球環境の破壊も拡大していく。市場で貨幣換算されないものが軽視さえていく産
  業社会のなかで、企業が生み出す公害は地球環境を脅かすスケールになっていく。
 ・カネやモノがあまりにも重視されるような状況では、社会全体に共同性を希薄化させることにな
  っていく。会社では、根本原則である合理性や効率性にますます焦点が絞られ、取り引きや従業
  員管理においても、ヒューマン・タッチが排除されていく傾向を強めている。従業員をコストと
  して扱い、交換可能な資源として扱うところから、温かみのある共同性は育たないことは明らか
  である。会社という存在は、人間の絆によって結びついている現場であるという認識からますま
  す遠くなっていく。
 ・いま、私たちは、地球環境を持続させるための原理や、豊かな人間存在のための原理から、厳し
  い告発を受けているのかもしれない。その告発を正しく受け止め、有心の目で社会を見直すこと
  が求められている。
 ・「あまりにも経済」に取り込まれてきた社会を観測すれば、隅に追いやられてきた文化や共同の
  働きを回復して、経済や政治と適切な関係を取り戻すことが径決の本流になることが見えてくる。
 ・日本人にとっては、会社は仕事以上の意味をもっており、アメリカ人にとっての会社の範囲をは
  るかに超えているといえる。会社は、能力を提供して給料を受け取る場所であるだけでなく、人
  間が全人格的に関わる場所となっていった。そこで生涯の友人や伴侶が生まれるような場所とな
  っていった。
 ・アメリカでは、人々は家庭や地域、教会などの共同体から出て、経済組織としての会社へ働きに
  行っているという感覚に対し、日本では、人々は会社共同体で生活をして、寝る場所である家庭
  や地域に帰って行くという感覚が近いようだ。
 ・「グローバル・スタンダード」や「リストラ」という名のもとで解雇が横行し、短期的な株主利
  益が強調され正当化されていうようになった。また、労使関係における圧倒的な経営者優位のな
  かで、過度な成果主義が横行し、賃下げや過重労働が日常となっていった。派遣社員やパートタ
  イマーの占める割合が増え、コストダウンが図られた。日本的経営においては固定費とされてい
  た人件費が、情況に応じてカットできる変動費となっていった。その結果、企業の業績が上昇す
  ることにもつながっていった。また、ITを駆使した情報化社会の進展は、アナログ的人間関係
  よりもデジタル的効率重視の風潮に流れていく。
 ・企業の目的は決して利潤を最大にすることではない、顧客の創造に目的がある。

豊かさの再構築
 ・人間は弱い存在である。物的欲望に駆られ、経済突出による社会的病理をつくり出すことになっ
  てしまう。しかし同時に、根元的なものに関わり、調和ある社会をつくり出そうとする存在でも
  ある。営利組織は、社会からの要請に適応し、市場における交換を通してそのニーズに応えよう
  とする。一方、NPOは、自らの活動の方向性を絞り込み、人間や社会の根元的価値に応えよう
  とすることによって、その存在意義を明らかにしていく。
 ・私たちの社会はいま、大衆社会を実現したという状況にあるのではないか。大衆社会は、権利の
  上では、国民一人ひとりが主役であり自由だ。実力と努力によっては社会の指導層になることが
  できる。しかし、大衆社会には、極めて意図的につくり出された情報が氾濫している。見栄えの
  する政治家の言動、人気主義、テレビ広告による画一的消費欲求に動かされ、あたかも個性的な
  決定であるかのごとく、操作された情報によって染め上がられていく傾向をもっている。また、
  指導者や企業も大集迎合的な行動に陥る傾向をもっている。そこでは、理念とか理想とかの価値
  よりも、外見や現実の楽しみが過度に支配的になり衆愚に陥る危険がある。深刻な問題であって
  も、自らの問題として捉える知性や感性に欠け、いわゆる劇場民主主義の陥って大勢に流されて
  いく危険を有しているといえそうだ。
 ・民主主義の歴史が浅いため、わが国ではいまだに個人主義の真の意味が理解されていないように
  見える。一般的には、誰にも邪魔されず自己中心に振る舞うこと、いわゆるミーイズムとして理
  解されてしまっている。でも、多元的社会を築き、主体的な個人であるためには、もっと深いと
  ころから個人主義を見直さなければならないと思う。ほんとうの個主義を理解するためには、人
  間とは何かという、やや哲学的な問題に触れていくことがどうしても必要だ。
 ・ほんとうの個人主義は。ほんとうの人間であろうとする営みのなかからうまれてくるということ
  が言えるのではないだろうか。
 ・「人間の本質は自由である」。権力や財力を求めて世界の歴史は動かされてきたが、同時に自由
  を求める力もおおいに歴史を動かし、人間の希望を作り出してきた。
 ・ドラッカーは人間が人間であるゆえんの自由とし、自由を「責任ある選択」と定義したのである。
  人間が主体的に独自の選択をして、その選択に対して責任をもつことを自由と考えた。それは決
  して、好き放題に振る舞いことではなく、必ず責任を伴う行為であり、それこそが本当の人間で
  ある証だという。そうだとすると、自由は気楽なものではなく、責任を伴う真摯な人間の営みと
  いうことになる。
 ・神のアダムへの問い、「あなたはどこにいるのか」は、今日の「私」への問いでもあるといえる。
  人間は誰でも、たった一人の私として、ほんとうの自由が問われている。最も根元的な問いは、
  一度だけの人生における自らの生き方に対する問いに関わっている。それはモノやカネの地位と
  は異なる次元の問いだ。それに応えることの責任の根元的な部分であり、そこからほんとうの自
  由が生まれるというわけだ。それが私たち一人ひとりに問われているアカンダビリティ(説明責
  任)なのだ。
 ・日本人の特性は「甘え」にあることがよく指摘されている。甘え自体は直ちによいとか悪いとか
  いうのではないが、「〜への自由」の前提というべき「私」の確立に関するかぎり、甘えという
  特性はネガティブとならざるを得ない。甘えの感情は、独自のそんざいとしての責任ある「私」
  を確立するというよりは、集団に柔らかく保護された一員になりたいという方向をとらせること
  になった。その絶好の受け皿こそ、日本的経営という会社集団にほかならなかった、というのが
  筆者の理解だ。
 ・敗戦という経験によって、過去とは不連続な、ほんとうの自由への機会が与えられたのだが、現
  実には、経済再建という大儀のもと、滅私奉公の対象を天皇国家からわが会社へと移し、自己の
  経済的充足と安定確保を最優先し、再び「私」を失うことによって「自由からの逃走」をするこ
  とになってしまったといえる。
 ・自由からの逃走メカニズムは、現代社会において、大部分の正常な人々のとっている解決方法で
  ある。簡単に言えば、個人が自分自身であることをやめるのである。すなわち、彼は文化的な鋳
  型によって与えられるパーソナリティを、完全に受け入れる。そして、なんとなく不安定な感情
  は、「毎日の型のような活動、個人的または社会的な関係においてみいだす確信と賞賛、事業に
  おける成功、あらゆる種類の気晴らし、”たのしみ””つきあい””遊覧”などによって、おお
  いかくされる。
 ・伝統的な日本的経営においては、「私」を確立していく方向はなく、集団の流れに自分の行動規
  範を合わせ、「私」を失うことによって集団のなかで評価を受けて安定を得ていこうという傾向
  が働く。そこでは、人間の主体性に根ざした「市民」の確立は期待することはできない。
 ・日本的経営は、アメリカ的経営には見られない共同生活性、それに伴う価値的側面をもつという
  特徴を備えながら、結局は真の自由への道を選び取ることができない。戦後の経済的成功に奢り
  が生じ、ついにバブルを発生させてしまった。
 ・私たちは心のどこかで、会社人間としての生き方に物足りなさや不安定さを感じている。しかし、
  それを突き止めるとよけい不安を増幅させるのではないか、自分を肯定できなくなるのではない
  か、とも感じている。そして、仕事にのめりこみ、ゴルフや居酒屋の付き合いという多忙さのな
  かで、それ以上自分を深く見つめることをやめてしまう。それが、私たち会社人間に多く見られ
  る現実でなないだろうか。
 ・戦後の日本人は、産業社会のなかで仕事中心の人生を生きてきた。会社人間といえば、残業・休
  日出勤・単身赴任をものともせず、カローシ(過労死)を世界語にしてしまう種類の人間のこと
  だ。経済先進諸国を比較しても、わが国の労働時間は長く、統計に出てこないサービス残業(残
  業手当を要求しない残業)・フロシキ残業(家にもって帰ってやる残業)を含めれば差はますま
  す開くことになる。
 ・余暇は、ほかの何か(例えば仕事)の「ためにある」のではなく、それがなければ人間性が失わ
  れる人生の拠りどころといえるだろう。生活全体の基盤、価値観ということができる。しかし、
  私たちはほんとうの自分・ほんとうの人生を考えるよりも、物質的に豊かな生活の方に心を奪わ
  れいるのではないか。名誉や成功への思惑、手を変え品を変えて消費を誘導してくるモノやアメ
  ニティへの欲望、複雑な人間関係への気遣い、そこに溺れてたった一回だけの人生に対する感動
  を忘れているのではないか。