男色の美学 :佐伯順子

この論文は今から31年前の1992年に刊行された「歴史を旅する」(木村尚三郎[編])
という論文集のなかの一論文である。
この論文では、日本の歴史から見れば、男色というのは、現在の価値観とは大きく異なり、
罪悪なものとか倒錯したものというようなものではなく、男と男の同性愛は、上品で高尚
な上流社会の趣味であったというのだ。そして逆に、男と女の異性愛は卑しいものとされ
ていたという。その背景には”男尊女卑”の発想があったという。
また、このような価値観は、「性欲は罪である」という宗教上の戒律が原因のひとつにな
っていたようだ。女は性的誘惑によって男を罪に陥れる。性欲の罪に陥れるばかりか、女
の性的魅力は男性の能力を奪い、平たくいえば”骨ぬき”状態にしてしまう。このため女性
を対象とする性欲は罪であるが、相手が男性であれば許されるというのである。
これは、女性さえ排除されば性欲の罪から逃れられる、と考えたからだったようなのだ。
キリスト教圏の西洋では、男色には罪の意識が伴うものだったが、明治以前の日本では、
そうした罪の意識というものはなく、むしろ男女の関係より優位にあり、男と男の同性愛
は、浮世からの離脱という崇高な趣味であると考えられていたという。
これが江戸時代になると、武士道と絡められて、男と男の同性愛は、突き詰めると浮世か
らの永遠の離脱、すなわち死へと突き進んでいき、”潔ぎよい死は美しい”というように、
死が美化されていったという。
つまり武士道における男色の行動原理は、”理屈抜きに主君のために死ぬ”という主君のた
めの殉死である、にあるというのだ。
この論文では、男色は日本の文化ともいえるものだったと、結論づけているのだが、私に
は、いまひとつ理解できなかった。

私がこの論文を読むきっかけとなったのは、先般読んだ「伊達政宗の野望」という本の中
に、江戸時代の大名の多くが男色だったという話が出ていて、私はそのことに驚き、ジャ
ニーズ問題
と絡めて感想を記した。
そうしたら私の友人から、江戸時代の男色というのは、ジャニーズ問題のようなこととは
異なり、死の美学に近いものだという論説がある、といってこの論文の資料をいただいた。
しかし、私はこの論文を読んで、その論理展開を素直には受け止めることはできなかった。
それは、男色は高尚な上流社会の趣味であったとか、武士道と絡めて、死の美学だったの
だと論理展開されても、それは男色をする側に立って書かれた一握り史料を取り上げて、
男色を高尚な趣味だったとか、日本の文化だったとか、一方的に美化しているようにしか、
私には思えなかったからだ。
もっとも歴史的に日本社会は、男色をあまり問題視してこなかったというのも事実だろう。
ジャニーズ問題にしても、それを問題視して騒ぎ始めたのは、ごく最近のことで、それま
では男性の性被害という問題については、日本社会はほとんど問題視してこなかったのも、
歴史的事実だったのではないかと私は思う。

過去に読んだ関連する本:
政宗の陰謀


序章
・「こころと恋に責められ、五十四歳までにたはぶれし女三千七百四十二人、小人のもて
 あそび七百に十五人、手日記にしる」
 「井原西鶴」の『好色一代男』の冒頭部分で、主人公・世之介は、54歳までに女性
 3742人、少年725人と関係したと記されている。
 数の多さもさることながら、注目されるのは女性とともに「小人」つまり少年の数が並
 んでいる点にある。
・「浮世の事を外になして、色道ふたつに寝ても覚めても夢介と替名よばれて」
 と、世之介の父、通称「夢介」も、「色道ふたつ」、すなわち男色と女色に寝ても覚め
 ても耽溺していたという。
・このように、西鶴の時代には、「色道」と言えば、男色と女色の二種類があるのが常識
 であり、この二つの双方に通じてはじめて、「好色」の道を極めた男、と自他ともに認
 める資格ができたのでる。  
・今日、恋愛や売春の問題を論じる際には、男女の関係のみをとりあげるのが暗黙の前提
 のようになっている観があるが、過去の文化史をふりかえれば、それは恋愛や売春の一
 側面にすぎない。
・日本、特に近世の日本では、男と男の関係は、男と女の関係と並んで、いや時にはそれ
 以上の勢力をもって文化の表面に浮上し、歌舞伎や武士道といった近世文化を構成する
 きわめて重要な要素となっていたのである。
・精神病理学や心理学的な判断によって、男色を異常であり、倒錯であるととらえ、男色
 研究を好事家的領域にとどめてしまうと、男色を基盤として成立していた芸能や武士社
 会の本質が見失われてしまう。
   
男色の優位
・「好色一代男」で女性の次に少年の数を記す筆致に、何のためらいも、てらいもみられ
 ないように、西鶴の時代の男色は、異常、倒錯、病気という認識はされておらず、単な
 る「好色」のバリエーションとみなされていた。
 それどころか、女色よりも男色の方が優越する、という価値観さえみられたのである。
・このことがあからさまに語られているのは、同じ西鶴の『男色大鑑』である。
 「色道ふたつ」と書きながら『好色一代男』の内容が女生徒の関係中心になってしまっ
 たことを反省した西鶴は、五年後に男色ばかりをとりあげた作品をものし、その序言の
 部分で女色に対する男色の優越を、
 「日本紀愚眼にのぞけば、天地はじめてなれる時、ひとつの物なれり。形葦芽のごとし。
 これすなわち神となる。国常立尊と申す。それより三代は陽ひとりなりて、『衆道』の
 根元を顕はせり」
 と説いているのである。
・『日本書紀』によれば、天地が誕生した時から三代目までは、神は男神のみで、「衆道
 の根元をあらわしていると、西鶴はまず神話的権威をもって男色の起源的、歴史的優位
 を語る。
・「天神四代よりて陰陽みだりに交はりて、男女の神いでき給ひ、なんぞ下髪のむかし、
 当流の投島田、梅花の油くさき浮世風に、しなへる柳の腰、紅の内具、あたら眼を汚し
 ぬ。これらは美児人のなき国の事欠け、隠居の親仁のもてあそびのたぐひなるべし」
 四代目から男女の神の区別ができてしまったために、女性の姿が男性の目を汚すように
 なってしまったという。
・男色の方が歴史的に正当であり、女色はその代替物にすぎないというのである。
 神話による権威づけという手法で、キリスト教とは対照的に、宗教が男色の正統化に利
 用されている点が注目される。  
・もとより信憑性にこだわって書かれているのではなく、要するに男色の優位を強調した
 いのである。
 我々としてもその真偽を問うてナンセンスと評価するのではなく、こうした発想がしゃ
 れとして読者に許容されるほど、当時の男色についての社会認識は、罪や倒錯という観
 念とは無縁であったことを確認すべきであろう。
 
男色、女色の優劣論:生活派の女色、芸術家肌の男色
・寛永年間に成立したとされる『田夫物語』は、男色女色の優劣論の草分けと位置づける
 書物であり、女色を趣味とする男たちと男色を趣味とする男たちが、川堤で出会って論
 争する、という設定である。
・前者は「田夫者」、つまり野暮ったい田舎じみた者、後者は「華奢者」すなわち流行の
 先端をゆくおしゃれな人々、という代名詞がつけられており、題名そのものの中に、男
 色の女色に対する優越がうかがわれる。
・また、「女道のいやしく若道の華奢なる道を問答し」という論争の出発点の問題意識に
 も、女色は「卑し」く、男色は「華奢」である、という男色の優位がほのめかされてい
 る。 
・花見や月見といった風流な世界は、美少年を伴ってこそ楽しみが極まるもので、そうし
 た優雅な趣味の世界に「卑しい女」を同席させる余地はない、というのである。
・今日の同性愛には、ともすれば「低俗で猥雑なイメージつきまといがちであるが、当時
 の男色者は、異性愛より同性愛の方が高尚な上流社会の趣味である、とアピールしてお
 り、イメージは正反対なのである。 
・ここには「女のいやしき」という表現にみられるように、女性蔑視が反映している。
 男色が上品で高尚であるという主張する背景には、いわゆる”男尊女卑”の発想があった
 のである。
・だが、この女性蔑視は儒教的というよりは、仏教的な性格のものであった。
 「されば仏は、女をきらひて五戒の一つにも戒め、または、女に執着をなす者は後世か
 ならず剣の技にて身を裂くとかや」
・「五戒の一つ」とは、「邪淫」である。
 性欲を罪または煩悩として排除しようとする傾向は、東西の宗教に共通してみられる発
 想であるが、特に性欲を女の側の罪とする見解も、東西共通に認められる。
 女は性的誘惑によって男を罪に陥れるものとして批判される。
・性欲の罪に陥れるばかりか、女の性的魅力は男性の能力を奪い、平たくいえば”骨ぬき”
 状態にしてしまう。
 女性を「悪人」視し、蔑視する原因は、女性のエロチシズムに求められるのである。
 こうした女性のエロチシズムの罪悪視から、女性さえ排除されば性欲の罪から逃れられ
 るという論法が生じてくる。
・女性を対象とする性欲は罪であるが、相手が男性であれば許される。
 性欲の罪をもっぱら女性になすりつけることによって、仏教は男色の正当性へと向かい、
 女人禁制の高野山は男色の総本山である、という俗説さえ生まれる。
・仏教の世界で男色が正当化されるのは、女性のエロチシズムの排除という意味のみなら
 ず、修行上の妨げという側面もあった。
 女と交われば必然的に子供ができる。
 しかし、出家にとって、家庭があり、子供があることは、自分の現世のしがらみにつな
 ぎとめるマイナス要因になってしまう。
 妻子への執着を断つためなら、男色はむしろ奨励されてよい。
・男色は悟りに至る必要条件として高く評価されている。
 男色者の世界では、女性と子供はあいまって価値の低いものとみなされる。
・女性と子供の排除は、妻子に代表される現世のわずらわしさを逃れて、美的境地や悟り
 の境地をきわめる、という男色者特有の人生観を示しているのである。
・こうして女性を”現世的なるもの”や煩悩の象徴とみなす動きに加えて、女性の美に対す
 る美少年の美の優越も主張される。
・花鳥風月のなかでも、ことに春の花(桜)、秋の紅葉は日本人の美意識を代表する存在
 であるが、その美は散りやすいからこそ好まれ、美少年の美に通じるという。
 少年期の美は成人してしまえば、たちまち失われてしまうもので、美少年の最盛期はせ
 いぜい15歳から17歳までにすぎない。
 だが、盛りが短いからこそ美の質も高いというのが、少年愛の美学である。
 ”少年老い易く”といわれるように、十代のごく限られた期間に一瞬きらめく美しさは、
 成人女性の美しさにまさる、とされるのである。
・それだけに美少年との交際は、必ずしも永続性を求めたものではなく、女色を是とする
 男たちから、少年愛は一時のなぐさみにすぎず、飽きれば簡単に相手を捨ててしまう、
 と非難されることにもなる。
 成人してアイドル性が失われると容赦なく切り捨てられる、現代の使い捨て的少年アイ
 ドルタレントたちの運命に通じ合う残酷さが隠されているわけである。
・しかし、そもそも美少年愛とは詩的、美的生活の追求に価値を認め、永続的な「生活」
 などとは次元を異にするだから、老女になり外面的な美が失われた女性と夫婦として添
 い遂げる、という男女の永続的関係は美徳とはみなされず、むしろ反美的行動であると
 批判されるだけであった。
・男色が「結婚」や「夫婦」という結びつきに価値を見出さないのは、当時の結婚が必ず
 しも当事者の選択によって決められたものではなく、親の決定が優先することが多かっ
 た、という側面もある。
 男色たちは、いわゆる”自由恋愛”の歓びは男色にこそあるのだ、と自画自賛するのであ
 る。   
・男色たちが子孫繁栄や家系の存続といった現世の生活を低く見ているのに対し、女色派
 の人々はそうした現実生活の維持に人生の第一義を見出している。
 これはもう、男色、女色の優劣というよりは、人生観の基本的相違である。
・「散りやすさ」を美の身上としていた男色者たちのとっては、出産→生命の存続という
 発想の方こそナンセンスであった。
 逆に「陣中に出てて敵を防ぎ、御最期の御伴を申す人、多くは御物たちなり」と、積極
 的に死へ向かう姿勢こそが男色の本領であるとして、人間にとって自明とみなされがち
 な生命の尊重の意識を、根底からつき崩すのである。
 やみくもに生の存続を肯定するのではなく、死を恐れぬ強靭な意志の力こそ、男色の誇
 りとするものであった。
・審美的価値と宗教的正当性、および高度な精神性という三つのポイントから、男色の優
 位が唱えられた。
・これに愛して女色派の男たちは、庶民レベルでの男色は「高家大名」とは異なり、必ず
 しも美的ではなく、むしろ貧しく身なりの汚い少年たちを相手にする悲惨なものである、
 と男色の実態をあばこうとする。
・また、女性蔑視に関しては、女性のエロチシズムに男性が溺れてしばしば身をあやまる
 のは、女性が悪人だからではなく、その魅力に悩まされる男性の方に問題があるのだ、
 と女性を弁護している。
・男色者たちは、女性は男性よりも能力が劣るという点からも女性蔑視を唱えているのだ
 が、女色者たちはこれに対しても、男女の能力は平等であると主張している。
・とはいえ、女色派が男色派を「非道」といっても、それはあくまでも”趣味の違い”とい
 う程度でしかなく、キリスト教世界のような深刻な罪の意識にはつながらないのである。
 それどころか、男色の宗教的正当性は女色者たちも認めることろで、男色は僧侶の行動
 としては、真っ当なものである、と是認しているのである。
・こうした宗教的な罪の意識の欠落が、日本と西洋の男色観の根本的な相違であり、そこ
 から日本独自の男色文化が花開く可能性が生まれる。
・平凡な日常生活に背を向けて脱俗の願望を持ち、非日常的な美的生活を追求し、高度な
 精神性に立脚しようとする男色は、男女の交わりよりも”文化的”でありうるということ
 が明らかになったのである。 

遊女との共通性:浮世からの脱出と商品化
・日常生活を維持する「結婚」という形での男女の結びつきと比較すれば、男色と女色の
 対照性が浮かび上がってくるが、男色と女色が極めて類似してくる場合がある。
 それは遊女との関係である。
・遊女に要求される音曲のたしなみや和歌の教養は、「色道」の世界の基礎に他ならない。
 「好色」や「色道」という表現は、今日の感覚では単なる淫乱とみなされかねないが、
 それは大いなる誤解である。
 美少年や遊女が性欲処理の対象でしかなかったら、和歌の才や歌舞音曲の素養などが要
 求される筈はない。 
・「色道」とは単純の性の欲望を発散させるためのものではなく、人間の視聴覚に様々な
 手段で美的な快楽を与え、そのことによって、日常生活のしがらみを忘れた、非日常的
 陶酔を味わってもらおうとする「道」であった。
 いわば詩的、美的快楽を追求する営みであって、性の満足はその陶酔を与える手段のひ
 とつとして機能していたのである。
・歌舞伎役者も遊女も、そうして快楽を提供するプロであって、相手が歌舞伎役者であり、
 遊女である場合、男色と女色は色道の美学を共有する。
・「色道」は浮世=現世を忘れさせてくれる夢の世界へ入る道である。
 所帯を持ち、子供を作り、家を守る、といった現世的義務を前提としない遊女とのつき
 あいは、結婚生活という現世的束縛を免れて、男色者たちの理想と接近するのである。
・しかも、当時の男色の相手としての美少年は、”男性的”な肉体や顔だちの特徴を賛美さ
 れたのではなく、限りなく女性に近いことが好まれた。
 外見も内実もほとんど変わらない遊女と美少年の姿は、浮世絵を見れば視覚的にも納得
 することができる。 
・こうした共通性から、遊女と歌舞伎役者に共通の悲劇も浮かびあがってくる。
 「色道」のプロたる彼らは、職業として彼らの美を商品化している。
 自分の身体全体が、美を提供する道具としての商品なのであるから、一種の人身売買で
 ある。 
・遊女と歌舞伎役者、と種類は違っても「勤め子」の辛さに変わりはない。
 いやな客でもえり好みすることは許されず、我慢してつきあわねばならない。
 同じ金額を積めば誰にでも同じ商品が手に入るのが資本主義社会の平等原理である。
 金を積まれた以上、拒否することはできない。
・表向きの華やかさに魅せられても、いざ役者や遊女になってみると、生活の実態は過酷
 きわまる。表の美しさと裏の醜さとのギャップは、芸能という世界の本質でもあろう。
・「芸能界」とは、美とエロスを消費したいという社会の欲求から必然的に出現してきた
 ものである。それは現代でも変わらない。
 ただしこの当時、芸能(歌舞音曲)の美と肉体的エロスの提供は分化していなかったた
 めに、芸能の美の提供者はそのまま性的快楽の提供者となっていたのだった。
・テレビやラジオというメディアの発達していなかった時代には、消費者は”視るエロチシ
 ズム”と”するエロティシズム”の快楽は一体のものととらえていた。
 性の商品化が芸能の商品化と分離するためには、人権という概念や人身売買の禁止、
 性への羞恥心という発想が生じた近代を待たねばならなかったのである。
・性の商品化とは、必ずしも男女差別の結果ではなく、芸能の発達史上避けて通れない一
 段階である。遊女と歌舞伎役者との共通性は、そのことをよく物語っている。

・需要ー供給体制の成熟による大量生産→品質の低下という展開がおこり、遊女も役者も、
 収入を第一と考えるあまり、専門的熟練を要する芸の提供がおろそかになり、安直な身
 体の提供=売春専門と化してゆくのである。
 また、消費者が拡大することによって消費者の質も低下し、遊女や役者に芸を求めず、
 性欲処理ばかりを目的とする客が増えてしまう。
・需要、供給側艘双方の要因が渾然一体となって、遊女と役者の担っていた「色道」を基
 礎とする芸能文化は、やがて近代的演劇文化にとってかわられることになるのである。
・「色道ふたつ」の美学の共通点は、芸能と性の商品化があったのだが、これらは等しく、
 せちがらい浮世を脱出しようとする営みであるといえる。
 この方向性が極端な形になると、完全に浮世を脱出する、すなわち出家する、という方
 法をとる結果になる。

・美少年の容色のさかりは短い。そのさかりの短さは、美のレベルが高いほど、痛切に感
 じられることになる。美しい時と美しさの失われた時のギャップが、より甚だしくなる
 からである。
・みじめなのは、それを眺めている側ではなく、誰よりも美少年その人自身であった。
 自らの美のうつろいを実感せねばならぬ時、少年はこの世のすべての栄華が一時のもの
 にすぎないという悟りに導かれるのである。
 この心境は、美しい遊女の出家の動機に共通している。
・容色をもって人々の関心をひいていた遊女たちは、その美のおとろえをもって世の無常
 を知り、仏門に帰依する。
 単なる美女、美少年ではなく、美を商品化して自己の存在価値としていた人間であるか
 らこそ、こうした悟りは深くなるのである。
・世の無常を感じる心は、外面的な美の衰退のみならず、性的享楽とも密接に結びついて
 いる。
 「色」とは容色を意味すると同時に、性関係を伴う男女関係を指している。
 これを美的趣味として究めようとする人々が「好色」な人々となるのだが、「色好み」
 の極みといわれた男と女が、色好みの果てに悟りに導かれるという物語が、既に「御伽
 草子」にみえている。
 小野小町は、「古の色好み」であったが、
 「色」にふけしこと。数を白玉の、手に取る文の数あまたありしかども、実の果てしま
 では、情の夫はなかりけり」
 と述べている。
 数知れぬ人々と「色」にふけったが、本当に情をこめた関係はどこにもなかった、と過
 去の享楽的生活を「懺悔」しているのである。
 
武士道と男色ー武士の行動原理と流血の美学
・男色の浮世離脱の方向性は、より突き詰めると浮世からの永遠の離脱、すなわち死へと
 突き進むことになる。
 この方向性が強力に打ち出されてくるのが、武士の男色の世界である。
・男の美は「最高の行動を通してのみ客観化され得るが、それはおそらく死の瞬間」であ
 り、「実際にみられなくても『見られる』擬制が許され、客体としての美が許されるの
 は、この瞬間だけなのである」という三島由紀夫の言も、死と男性美との密接な関わり
 を指摘している。
・こいした潔い死の理想化と美化は、武士道の美学の根幹をなすものである。
 武士の行動原理を説いた代表的書物とされる『葉隠』では、あまりにも有名な、
 「武士道といふのは、死ぬ事と見つけたり」
 の一説を始めとして、
 「武士道は死狂ひなり。・・・本気にては大業はならず。気違ひになりて死狂ひするま
 でなり」
 「死なうか死ぬまいかと思ふ時は死んだがよし」
 と、狂気に等しいまで死を奨励している。
・このような死の理想化は、死にゆく自分の美への強烈なナルシシズムに裏うちされてい
 ると同時に、男色の極意そのものでもあった。 
・『葉隠』では、
 「命を捨つるが衆道の至極なり」
 と説き、武士の恋人同士は、「互に命を捨つる後見」であるとされている。
・また、「唯思ひ死に極むるが至極なり」とも言い、死の中に男同士の恋の究極の愛情表
 現をみているのである。
・それが最も直截な形であらわれるのは、主君に対する殉死である。
 武士道の男色の行動原理は、”理屈ぬきにその人のために死ねるか”という恋に関する究
 極の問いを我々につきつけているのである。
・実用的な技量で奉公するのは下級の奉公である。
 たとえ殿にどう思われていようとも構わず、つれなくされるほど思いを増し、死んでも
 よいと思える恋心でご奉公せよ。
 この訓誡は、実用的な武士道目的を度外視した殉死の理由を鮮やかに物語っている。
・ただし、命はひとつしかないので、主君でない男性を恋してしまった場合、この論法で
 は武士は恋人をとるか主君をとるかのジレンマに陥ることになる。
・『葉隠』はその点も考慮しており、
 「命を捨つるが衆道の至極なり、さもなければ恥になるなり。然れば主に奉る命なし。
 それ故好きですかぬものと覚え候」 
 と、「若衆好き」を「すいてしかぬ者」と定義している。
 主君とのかねあいがあるので、武士にとって武士にとって男色は安心して「好き」とは
 言いきれぬ微妙なものだったのである。
・さらに注目すべきは、主君への忠誠としての恋と、主君ならざる男性への恋を両立する
 悩みが、切実な問題として認識されているのに対し、女性への恋は主君への恋のライバ
 ルとなる可能性を全く危惧されていないことである。
 武士道の美学は最初から、女性の存在を語るに足るものとしておらず、恋のライバルは
 もっぱら男性間の問題としてとりあえられる。
・『葉隠』は女性問題には関心を示さないかわりに、”男性問題”には丁寧なアドバイスを
 与えている。
・「衆道」についての心得に一項目を費やし、「一生一人」を守りぬくことが「武士」た
 るものの道である、と男色と一線を科すことが強調されている。
 武士の世界の「衆道」では一対一というモラルがきびしく要求される。
・浮気をするのは「武士の恥」という発想は、そのまま「二君に仕えず」という君臣のモ
 ラルに通じるものである。
 恋における一対一関係の理想化は、必ずしも「結婚」という制度や男女差別とは関係な
 いということを、武士の男色の世界は教えてくれる。
・君臣の関係と夫婦の関係は、「契約」ととらえれば同じ「制度」の範疇に入ってしまう
 かもしれないが、恋の相手を一人に定めることは、制度による外からの強制という側面
 以外に、心の中の内在律として設定すべきであるという心理が存在しているのである。
 武士道はこの内在律に従うことに、武士としての強烈なアイデンティティーとナルシズ
 ムを見出していた。
・「恋して、恋して、恋して、恋狂いに恋し奉ればよいのだ。どのような一方的な恋も、
 その至純、その熱度にいつわりがなければ、必ず陛下は御奉納あらせられる」
 と、「天皇陛下」人に対する熱烈な「恋」を語り、
 「陛下は決して、人の情と涙によって、われらの死を救おうとなさったり、われらの死
 を妨げようとなさってはならぬ。神のみが、このような非合理な死、青春のこのような
 壮麗な屠殺によって、われらの生粋の悲劇を成就させてくれるであろう」
 と、恋する人のために死ぬことを『生粋の悲劇』とみなす三島由紀夫の『英霊の声』は、
 武士の衆道に内在する恋する自分へのナルシズムを見事に代弁している。
・恋の対象が主君と一致した場合、男色の美学は死をも恐れぬ忠誠心と一体化して封建社
 会の主従関係を支えるまたとない威力を発揮したが、恋の相手が主君とは別の男性にな
 ってしまった場合、逆に主従関係は危機にさらされることになる。
 自由な恋を優先させるような男が多く出てくれば、主君の威光は失墜してしまうからで
 ある。 
・かといって主君への恋心を強制すれば、「権力に従うのは本当の衆道ではない」、
 「わが思ふ人に心をかけ」ることをメリットとした「華奢者」たちの主張に反すること
 になる。
 男色は武家社会にとって、良くも悪くも両極端の形であらわれうるものだったのである。
・しかし、相手が主君であるか否かという問題さえ除けば、武士の行動原理と男色の行動
 規範はぴったり一致するのであって、三角関係のもつれに、果し合いをもって決着をつ
 けるという方法は、両者がもっとも鮮やかに合致した例といえる。
・これほどの男色が潔い死を美化し、それに憧れたのは、
「散りやすきゆえにこそ人も愛すれ」 
 という少年美に対する価値観が、男色の世界全般を貫くものだったからである。
・男色の美徳として「追腹」や「御最期の御伴」をすることを挙げていた。
 無条件に生を肯定するのをよしとするのではなく、男色者たちはむしろ、短い生の中に
 全力をかけて死ぬ対象を見出すことに、自己の存在価値を見出していた。
 いわば死ぬことに生きる価値を認めていたのである。
 この精神は、散りゆく桜の花を「大和魂」の象徴とする発想と通底している。
 「大和魂」とは、とりもなおさず男色の精神である、ということもできるのである。
・現生の生に執着せず彼岸へ向かうことは、自分自身が聖なる「神様」の世界へつくこと
 を意味している。 
 こうした彼岸への志向は、「この世は夢」という現世に対する無常をもたらすものであ
 る。 
 それが日本的「祈念」、宗教の形であるとするならば、その発想は男女を問わず日本人
 に潜在するものであり、男色の世界により極端な形で現れるという方が正しいかもしれ
 ない。
・日本文化が男色を否定することなく、むしろ文化の表面で男色が堂々と自己実現してい
 た時代があったということは、男色の美学が根本的な部分で、日本人の精神の深いとこ
 ろを表現していたからかもしれない。
・男色の精神を日本精神と結びつけることはいささか乱暴かもしれないが、桜や無常感や
 切腹や日の丸など、日本文化の根源的要素の多くは、男色という側面から読み解けるの
 である。 
・また、男と男に関係は、女性のみに対する差別や拘束として把えられがちな性に関する 
 制度を、より広い視野から捉え直す手がかりも与えてくれる。
・男と男の恋を男女関係より優位におく価値観は、明治期にはまだ残存していたが、
 「文明開化」による男女平等思想の普及と、男女の「愛」の提唱によって、文化の裏面
 へと追いやられることになる。
・三島の「仮面の告白」には、女性を愛するのが正常である、という観念が巣くってしま
 っている。 
 男と男の関係は、「男色」から「同性愛」へと変貌する過程で、罪の意識や性倒錯とい
 う概念に抑圧されてしまうことになるのである。