高倉勝子さんは登米市出身の日本画家である。女子美術大学を出て、当時陸軍中尉であった夫の任地の広島で被爆したが奇跡的に助かった。戦後、故郷の宮城県に戻り、原爆症の不安を抱えながらも、中学校の教員をしながら日本画家としての創作活動を続け、2008年(平成21年)のこの美術館を建設し登米市に寄贈した。2015年(平成27年)逝去とのことだ。