登米市 水沢県庁資料館
教育資料館を訪れた後に、道路を挟んで斜め反対側に位置するこの水沢県庁資料館を訪れた。
この水沢県というのは、1871年(明治4年)から1875年(明治8年)にかけて約4年間存在した県である。
現在の岩手県南部と宮城県北部とを管轄する県であり、県庁は当初、水沢に置かれる予定であったらしいが、
実際には登米県庁として使用される予定でこの地にあった建物が水沢県庁舎となったらしい。
明治初期に行われた「廃藩置県」後の地方統治のために行われた府県統合において、北上川を挟んだこの地域は、現在の県の形になるまで幾度かの整理統合が行われ、
そのたびに県域がめまぐるしく変更されたようだ。
この建物も、当初4年間は県庁舎として使用されたが、その後、小学校、裁判所と使用用途も変わったらしく、裁判所として使われたのが一番長かったとのことだ。
そのため、現在は裁判所として使用されていた当時の資料展示して一般公開されているとのことだ。
満鉄初代総裁などを歴任した「後藤新平」なども、当時、書生としてこの水沢県庁で働いたとのことで、当時の偉人たちは、こういうところから輩出されていったのだと思うと、
当時の地方の人々の志の高さに改めて敬服させられた。

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