もう一月も半ばを過ぎたが、初詣を兼ねて塩竃神社と志波彦神社を訪れた。
ここには、わが家からは車で30分程度でいけるのだが、駐車場の入り口がなかなかわかりづらかった。
最初は、入り口を見逃して、通り過ぎてしまった。ぐるりと周囲を一周して、やっと入り口を見つけることができた。
塩竃神社と志波彦神社とは隣接しており、同じ境内といってもいいくらいである。
最初は、駐車場から近い志波彦神社を参拝した。
志波彦神社は元々は、現在の仙台市岩切の冠川の畔に鎮座したいたという。
それが明治4年に国幣中社に列格され、明治7年に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されたものとのことである。
志波彦神社は「志波彦大神」をお祀りしているとのことであるが、この「志波彦大神」というのは、あまり馴染みのない御神名である。
記紀を始め各書にも神話伝承が見当たらず、謎の大神のようだ。
ところで、この志波彦神社の鳥居の近くに、「甑炉型鋳銭釜」(こしきろがた いせんがま)」というものがあった。
これは、いったい何かと調べたら、仙台藩が幕府の許可を得て、寛永十四年(1637)に鋳銭事業(貨幣製造)を始めたときのもののようだが、
詳細は不明のようである。
この志波彦神社の境内からは、ちょっと遠くであるが塩釜港が臨めた。しかし、高い建物が邪魔してしまっていて、ちょっと残念な景色だった。
塩竃神社は、その創建の年代は不明のようで、この神社も謎が多いようである。ただ、平安時代初期には、すでにその存在が知られていたようだ。
武家社会となってからは、平泉の藤原氏や鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、
歴代藩主は大神主として務めてきたとのことである。
現在の社殿は、伊達家四代綱村公から五代吉村公にかけて9年の歳月をかけて、宝永元年(1704)竣工されたものとのことだ。
一月も半ばを過ぎたので、もう参拝する人はすくないのではと思っていたが、まだ意外多いように思えた。
会社のグループが多かったが、外国人(中国人?)と思われるグループも見かけた。
ここは春には桜の名所にもなっており、今度は桜の時期に訪れたみたいと思った。
【所在地】
宮城県塩竈市一森山1ー1