この神社は仙台港に蒲生地区にある神社だ。
海を見に
向洋海浜公園までドライブしたついでに立ち寄ってみた。
この神社は、寛文13年(1673)に、蒲生領主の和田織部房長が舟入堀の工事完成を期に,多賀城紅葉山の館より家従30人と共に当地に移住し、
館内に氏神として京都伏見稲荷神社の分霊を勧請し祀ったことがはじまりのようだ。
なお、和田氏は大和(奈良県)の出身なので大和神社と称したという。
この神社の祠の傍に細長い角柱が建っているが、これは仙台藩国老・和田織部の碑である。
碑の正面には『義義義 智證院殿和田織部為泰之碑』、側面に『戊辰之役義死 明治二年旧四月十四日卒 御年三十八歳』と刻まれている。
和田家11代当主であった和田織部は、戊辰戦争時、参謀として出陣。敗戦後の混乱の中、最後の国老として迎えられ、戦後処理に当たった。
その処理における辣腕ぶりは目を瞠るものがあったという。
しかしながら、反対派から「外国人や浮浪の徒を集めて謀反を企てている」と明治政府に密告され、
明治2年4月14日、
玉虫左太夫や若生文十郎等と共に切切腹させられたという。
和田織部の墓は仙台市内の
東昌寺にあるようだ。
【所在地】
仙台市宮城野区蒲生屋敷5ー11