仙台 清浄光院2022
このお寺は、昔は仙岳院の末寺だったようだが、現在は天台宗比叡山延暦寺(天台宗総本山)の末寺になっているようだ。
貞享3(1686)年に建立されたとのことらしく、
現在の本堂は弘化3(1846)年に焼失したものを、弘化4(1847)年に再建したものと考えられているようで、
仙台市の登録文化財に指定されているようだ。

このお寺の境内に、「仙台睦之墓」というものがある。
これは、ここから八百メートルほど南の、現在の小田原六丁目にあった「小田原遊廓」で働き、無縁仏となった遊女たちの墓である。
この遊廓は、1901年末には大楼が8、中楼が11、その他が16の合計35軒あり、娼妓の数も300人ほどだったという。
帝国大学の学生や、陸軍第二師団や歩兵第四連隊の軍人や、東北各地の商人などが出入りして、おおいに繁栄したようだ。
しかし、その繁栄の陰には、多くの悲劇があったようだ。
大正末期から昭和初期にかけて、東北地方は凶作や「昭和恐慌」で疲弊していた。
そのような時代、借金の形に、農村から娘たちが「身売り」された。
その借金は、女性本人が借用人だが、現実には親が楼主から大金を借り、親は「連帯人」で、本家や地主が「保証人」に名を連ね、
契約を破れば全員が責任をかぶる内容だったようだ。
身売りされた娘たちは、遊里で一生を終えた者も多く、身寄りもなく引き取り手もなく、無縁仏のまま亡くなった者も多かったようだ。
この「仙台睦之墓」は、明治37年(1904)に楼主たちにより建立されたものとのことだ。
近年、墓地整理で下を掘ると、「一抱えもある石棺が現れ、累々と無縁の骨が詰まっていた」という。
墓の戒名は一つで「慈照妙喜信女」とある。
なんとも胸のつまる思いをさせられる哀しい話である。
この話を知って以来、私はこの近所を通るたびに、ここに立ち寄って手を合わせてことにしている。

【所在地】 仙台市青葉区宮町五丁目1−11


戻る

img0000.jpg img0001.jpg img0002.jpg img0003.jpg img0004.jpg img0005.jpg img0006.jpg img0007.jpg img0008.jpg img0009.jpg
img0010.jpg img0011.jpg img0012.jpg img0013.jpg img0014.jpg img0015.jpg img0016.jpg img0017.jpg img0018.jpg


戻る

Powered by SOZAWA.
www.sozawa.com