仙台 朝日神社2021
ここには、宮城県視聴覚支援学校に隣接して建っている神社で、リハビリのため整形外科クリニックへの通院の帰りに、少し足を延ばして立ち寄った。
この神社は、応和3年(963年)にこの地に勧請されたとのことで、文治5年(1189年)8月、源頼朝奥州征伐の折、
藤原泰衡が中山物見ケ岡(小田原台原丘陵)に退いて防塁の陣を張った。
頼朝の軍勢は、二本杉のところに進み、この神祠に詣でた。
その時、ちょうど朝日が昇ってくるのを見たので,朝日明神の名を残した、と云われているようだ。
またこの社は、守子の社(もりこのやしろ)とも称され、朝日神子が農村の子等を集めて読書手習を教えたところで、
また幼児の守護神として百日咳を癒す霊験あると信ぜられて「守子の社」の名が伝えられたともいわれているようだ。
なお、朝日神子(巫女)は、寛文年間(1661年〜1673年)にこの社に仕え、
その傍ら付近の田野の開墾や水利を考えて桜田川と梅田川を開き、耕作に便を与えたといわれているようだ。
これは朝日神子が神のお告げによったもので、農民をよく指導したこの功を賞し、村民を挙げて崇敬したという。

ところで、この神社の背後にある宮城県視聴覚支援学校には、あのヘレンケラーが1937年と1948年の二度にわたって訪れているらしく、
なかなかすごいところのようだ。

【所在地】 仙台市青葉区上杉6−5−2

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