大崎市 文永の碑2019
この「文永の碑」は古川市内北側で桜の目橋と江合橋の中間くらいの福浦の土手沿いにある。
石碑に「文永十二年」(1275年)と刻まれていることから、鎌倉時代の蒙古襲来の碑ではないかと思われているようだ。
この碑が建てられた目的ははっきりしていないが、蒙古襲来時の戦での戦死者を弔うためではないかと思われているようだ。
しかし、鎌倉時代の蒙古襲来といえば、実際の戦場となったのは北九州であり、この東北の力ははるかに遠い。それなのに、なぜ、このような碑がここに建っているのか。
不思議でならない。
しかし、調べてみると、このような蒙古に関係した碑は、他にもいくつかあるようだ。
1 善応寺(宮城野区燕沢二丁目3?1)に一基
2 牧島観音堂(宮城野区燕沢東一丁目3)に一基
3 東北大学植物園(仙台市青葉区川内12?2)に二基
4 来迎寺(青葉区八幡五丁目1?8)に二基
5 三宝荒神社(若林区南鍛冶町41)に一基
機会があったら、これらの場所も訪れてみたいものだ。

【所在地】 宮城県大崎市古川福浦土手内

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