江尻排水ポンプ展示館の後にこの資料館を訪れた。
この資料館は、明治初年から大正年間にかけて、この地域の大地主であった氏家丈吉氏が建築した邸宅を角田市が譲り受けて、郷土資料館として整備したものだという。
訪れた日は、ちょうど展示替え作業中とのことで、座敷の一室が氏家家で使われていたという古い調度品であふれていた。
個人的には古い真空管式ラジオに魅かれた。なかなかの年代物のようだ。手回し蓄音機もなかなかのものだ。
明治初期に建築されたという店蔵も見学できた。薄暗くて写真ではよくわからないが、天井の漆塗りの大梁は非常に重厚感があり驚かされた。
母屋の外の広大な屋敷の東西には、白壁と桟瓦の美しい土蔵造りの蔵が三つ(文庫蔵、前蔵、米蔵)並んでいた。
蔵の二つは展示室として使われており、奥の展示室は展示替え中のため見学できなかったが、手前の蔵の考古資料展示室は見学できた。
この考古資料のなかで興味を持ったのは、梁瀬浦遺跡から出たとされる石棒だ。男根の形をしている。
性器崇拝の対象物としてまつられていたのではといわれているようだ。縄文時代の中期から晩期にかけてのものらしい。
この時代から性器崇拝があったのだと、改めて興味を覚えた。
さらに奥にはこの地方ではめずらしいという土蔵造りの明神様があった。この立ち並ぶ蔵を見ても、すごい大地主だったということが窺えた。
【所在地】
宮城県角田市角田町17