石巻市 月浦(支倉常長像)2019
ここは、仙台藩主・伊達正宗が慶長18年(1613年)にスペインに向けて派遣した慶長遣欧使節団が乗った船(サン・ファン・バウティスタ号)が
ローマに向けて出帆した場所とされている。
この辺りは現在、三陸復興国立公園に含められて観光地として整備されつつある。
月浦の港を見下ろす高台には、支倉常長像と当時の航海図を記した記念碑が建てられている。
ここから見下ろす眺望は、なかなかすばらしい。
右手に半島のように突き出た向こう側が石巻中心市街地になるのだろうか。左手に見えるのは「小出島」だろうか。
あの支倉常長もこの風景を見ながらローマに向かって出帆したのだろうか。
そう考えると、わくわくすると同時に、なんだか物悲しい気持ちにさせられる。
というのも支倉常長はスペインやローマまで訪れ、通商交渉を行ったが成功することはなかった。
数年間のヨーロッパ滞在の後、日本に無事に帰国をはたしたのだが、時代が悪かったのか、その偉業にわりには、
支倉常長の生涯はあまり華々しいものではなかったからだ。
ほんとは、歴史的に見て、もっと賞賛されてよいものであったと思う。
ここから月浦漁港の方に下りて行ったところに、遣欧使節団船に同乗したスペイン人探検家ビスカイノが一時滞在していた場所があるらしく、
「南蛮人が使っていた井戸」というのが今でも残っているらしいのだが、
残念ながら現在は、漁港周辺一帯が復興工事中で、見ることができなかった。
なお、月浜漁港を背に少し登ったところに神社があった。
鳥居には「五十鈴神社」と記されていた。しかし、拝殿には「御両神社」と記されている。
これは、どういうことなのだろう。ちょっと不思議でならなかった。
ところで、最近、この慶長遣欧使節団が乗った船(サン・ファン・バウティスタ号)の出帆地が、
この月浦とは違う場所だったのではないかという新説が出ている。
もし、その新説のほうが正しければ、ここ出帆地はウソということになる。果たして、どちらが本当の出帆地だったのだろうか。

【所在地】 宮城県石巻市月浦1

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