そこは黒い板塀で囲まれていた。鳥居に似た黒い門をくぐるとまだ白い雪化粧の美しい不忘山を背景にして、たくさんの石碑が整然と並んでいた。
反対側の南西方面を見下ろすと、遠くに長老湖の湖面が見えた。
1945年(昭和20年)3月10日と言えば東京大空襲である。この日の0時を過ぎたばかりの未明に、アメリカ軍のB−29を主力とした爆撃機約300機によって、
東京の下町を中心とした大規模な空襲が行われた。
この爆撃によって、8万人以上(一説では10万人以上)が一夜にして焼殺され、100万人が家を失ったとされている。
ところが、時を同じくして、東京から遠く離れた東北の宮城県では謎の出来事が起こった。
宮城県・山形県の県境に位置する蔵王連峰・不忘山(ふぼうさん)の山腹に、B−29爆撃機3機が相次いで墜落したという。そして、この3機の乗員34名が死亡したという。
ここはその慰霊と世界の平和を願って建立された平和祈念公園である。
中央の平和記念碑の左手には、乗員ひとりひとりの慰霊碑があったが、そこに刻まれている年齢を見ると、その多くが20代前半、中には10代の若者もいた。
日本はあの戦争で、多くの若者たちが上からの命令ひとつで、見知らぬ国、見知らぬ土地で命を落としたが、
当時敵国であったアメリカでも、同じように上からの命令ひとつで多くの若者が、こうして見知らぬ国、見知らぬ土地で命を落としたのである。
ただただ無念であっただろうという言葉しか思い浮かばない。
東京から300キロも離れたこの東北の山に、何ゆえにB−29は飛来したのか。そして、その墜落の原因は、戦史に残る謎のひとつとして、未だに解明されていないそうである。
【所在地】
宮城県刈田郡七ヶ宿町長老159-4他
「宮城蔵王不忘山B29三機連続墜落事故の謎」