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我々は人類というと、つい我々ホモ・サピエンスのことだけを思い浮かべてしまうのだが、
生物学的には人類にはホモ・サピエンス以外にも25種以上のいろいろな種がいたようだ。
人類と呼ばれる種が、初めてこの地球上に現われたのは、約700万年前だと言われてい
るようだ。もちろん、当初の人類は、現在の我々とはかなり違った種であったのだろう。
しかし、そこから700万年という気の遠くなるような年数をかけて、いくつもの変異種
が誕生し、ある種の系統は途中で絶滅し、ある種の系統は進化を続けて生き延び、そして
最終的に我々ホモ・サピエンスという種だけが生き残ったということらしい。
生物は、生まれながらにして「生きる」ことと「自分の子孫を残す」ことを、本能として
持っているという。人類もこの本能によって700万年もの間、ひたすら命をつなぎ続け、
その結果として今のこの自分がいるのだと思うと、なんだか感動して胸が熱くなる。
しかし、他方では、多くの種の人類が絶滅していった。生き残った種と絶滅した種とでは、
いったい何が違っていたのか。普通は、強い種が生き残るはずだと思うのだが、どうもそ
うもなかったらしい。
地球の環境が常に一定ならば、その環境に一番適応した種が強くなり生き延びるはずだが、
しかし地球の環境は一定ではなく、温暖化したり寒冷化したりして常に変化きた。ある時
代の地球環境に適応するように進化した種が、地球環境が大きく変化すると、今度はそれ
が弱点になってしまうこともある。
私たちホモ・サピエンスが生き延びたのは、「何でも食べるという雑食で粗食に耐えられ
たこと」と「華奢だがカロリー効率のよい身体であったこと」、そして「衣類や武器を作
れる知能があったこと」の3つの能力があったからのようだ。
しかし、これだけではまだ足りない。進化の過程において「優れたものが勝ち残る」と思
っていたが、実際はそうではなかったらしく「子供を多く残したほうが生き残る」だった
ようだ。優れていたとしても、子供を多く残さなければ、結局は絶滅してしまうのだ。こ
の点、我々ホモ・サピエンスは、発情期がなく、いつでも交尾でき、子供を産んでも短期
間で次の子供を妊娠できた。つまり「多産」な種だったことが生き残りの決め手だったよ
うだ。このことからすると、少子化に悩む日本は、もはや「絶滅危惧国家」と言ってもい
いかもしれない。
ところで、この地球上で、人類がもっとも「脳化指数」が高い動物になったのは150年
前で、それまでの数千万年間はイルカがもっとも脳化指数が高い動物だったという。しか
し、どうしてイルカはそんな脳化指数の高い動物になったのだろうか。なんだか不思議だ。


はじめに
・人類だって、ずっと森に済んでいたかった。でも、アフリカで乾燥化が進み、森林が減
 ってしまったそのとき、力が弱くて木登りが下手だった人類の祖先は、類人猿に負けて
 森林から追い出されたのだろう。そして、追い出された私たちの祖先のほとんどは、お
 そらく死んでしまったに違いない。
・でもその中で、生き残った者がいた。なんでも食べられてどこでも生きていける者が、
 かろうじて生き残った。私たちの祖先は弱かったけれど、いや弱かったために、類人猿
 にはない特徴を進化させて、生き残った。その末裔が、私たちホモ・サピエンスだ。

私たちは本当に特別な存在なのか
・人間と人間以外の生物のあいだには、大きな溝が横たわっている。言葉も話すし、飛行
 機にも乗れるし、難しいことだって考えられる。明らかに、他のすべての生物とはまっ
 たく違う。これが、ほとんどの人が抱いている素直な感覚だろう。
ダーウィンが「種の起源」を書いて進化論を提唱したとき、多くの人々から批判を受け
 た。ダーウィンの主な主張は次の3つにまとめられる。
 @生物は進化すること
 A進化によって種分化が起きること
 B自然選択が進化のメカニズムであること
・ダーウィンは、どうして批判されたのだろうか。それは多くの人々が、ダーウィンの主
 張を人間に当てはめたからだ。そして、人間がサルから進化するさまを、頭の中に思い
 描いたからだ。人間とサルを連続的な存在と考えることに我慢ができなかったのである。
・人間は生物学的な種としては、学名をホモ・サピエンス、和名をヒトという。ヒトにも
 っとも近縁な生物は、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンが含まれる。
・ゴリラはヒガシゴリラとニシゴリラの2種に、オランウータンはスマトラオランウータ
 ンとボルネオオランウータン と2017年に発見されたタパヌリオランウータンの3
 種に、それぞれ分けられるので、大型類人猿は全部で7種いることになる。
・現生の大型類人猿すべての共通祖先は、およそ1500万年前に生きていたと考えられ
 ている。 そこからまずオランウータンの系統が分かれ、次にゴリラの系統が分かれた。
 そのあとでチンパンジーの系統とヒトの系統が分かれたが、それは約700万年前のこ
 とだと推定されている。
・チンパンジーの系統では約200万年前〜約100万年前に、チンパンジーに至る系統
 とボノボに至る系統が分岐した。
・今のところ知られている最古の化石人類は、約700万年前のサヘラントロプス・チャ
 デンシス
である。チンパンジーに至る系統とヒトに至る系統が分岐した直後の、ヒトに
 至る系統に属する種と考えられている。サヘラントロプス・チャデンシスも含めて、化
 石人類は25種ぐらい見つかっている。これらの化石人類すべてと現生のヒトをまとめ
 て、人類という。現在生きている私たちヒトは、25種以上いた人類の、最後の種とい
 うことになる。
・現在、人間、つまりヒトと一番近縁な生物はチンパンジーとボノボである。しかし、ヒ
 トとチンパンジーは大きく違いのだ。ヒトは圧倒的に特別なのだ。ヒトが圧倒的に特別
 である理由は2つにまとめられる。1つは、ヒトが生物として変わった特徴を持ってい
 ること。つまり実際に、ある程度は特別な生物だからだ。もう1つは、ヒトにもっとも
 近縁な生物から25番目に近縁な生物まではすべて絶滅していて、26番目に近縁な生
 物(チンパンジーとボノボ)と比較しているからだ。かつては、ヒトにとって、チンパ
 ンジーより近縁な生物が25種もいたのである。
・ヒトの脳はチンパンジーの脳より3倍以上も大きいので、圧倒的に大きいと言ってもよ
 いだろう。だが、昔の人類であるネアンデルタール人ホモ・ハイデルベルゲンシス
 ホモ・エレクトゥスが今も生きてきたら、私たちヒトの脳は、圧倒的に大きいというわ
 けでもなくなってしまう。ネアンデルタール人の脳は私たちヒトの脳より大きいし、私
 たちヒトの中にもホモ・ハイデルベルゲンシス並みの人はいる。そう考えてみれば、ヒ
 トはそれほど特別な存在でもない。
・ちなみにヒトという種の中では、脳の大きさと知能の間にあまりはっきりした関係はな
 さそうだ。アインシュタインの脳が平均より小さかったのは有名な話である。
  
<人類の進化の謎に迫る>
欠点だらけの進化
・チンパンジー類と分かれてから、人類の系統において最初に進化した特徴は何だろうか。
 化石記録から考えると、最初に進化した人類の特徴は2つある。直立二足歩行と犬歯の
 縮小だ。これは非常に重要になる。なぜなら、この2つの特徴が、人類とチンパンジー
 類の本質的な違いになるからだ。
・大幹を直立させて歩き、立ち止まれば頭が足の真上にくる動物は、ヒトしかいない。だ
 が、直立二足歩行は不便で、生きていくうえであまりよくない特徴かもしれない。もし
 便利な特徴なら、いろいろな動物の系統で、直立二足歩行への進化が起きてもよさそう
 なものだ。ところが直立二足歩行は、気が遠くなるほど長い進化の歴史を見渡しても、
 人類でしか進化していない。少し不思議な感じがするが、人類以外に直立二足歩行をす
 る動物はいないのだ。
・公平のために、反対意見もあることも述べておこう。それは約900万年前〜約700
 万年前の化石類人猿であるオレオピテクスである。当時は地中海の島々だったイタリア
 のトスカーナ地方に住んでいたオレオピテクスは、直立二足歩行をしていたかもしれな
 いのだ。オレオピテクスは人類と類人猿の中間ぐらいの歩き方を、つまり不完全な直立
 二足歩行をしていたのではないかという意見があるのだ。
・だが一方で、オレオピテクスの手足の特徴は、樹上生活に適応していたことを示してい
 る。そのため、オレオピテクスに直立二足歩行な特徴が見られるのは、樹上で枝にぶら
 下がったときに直立姿勢とっていたからだという意見もある。残念ながら、はっきりし
 た答えはわからない。
・もしもオレオピテクスが直立二足歩行かそれに近い行動をしていたとしても、それは進
 化の歴史の中では一瞬の出来事に過ぎなかった。オレオピテクスは、島が大陸とつなが
 って大型肉食獣がやってきた時点で、絶滅した可能性が高い。彼らは子孫を残すことな
 く消えてしまったのだ。
・そんなに進化しにくい直立二足歩行が、どうして人類で進化したのだろうか。直立二足
 歩行がなぜ進化したのかは、 人類の進化における最大の謎であり、たくさんの説があ
 る。
・サヘラントロプス・チャデンシスは、現在知られている最古の人類化石である。サヘラ
 ントロプス・チャデンシスが住んでいたのは、草原ではなく、木がそれなりに生えてい
 る疎林だったらしい。
・直立二足歩行の最大の欠点は、短距離走が苦手なことだ。つまり、走るのが遅いのだ。
 そう考えると、今まで他の動物で直立二足歩行が進化しなかったことにも納得がいく。
 
初期人類たちは何を語るか
・2番目に古い化石人類はオロリン・ツゲネンシスで、約600万年前のケニアの地層か
 ら発見された。脳の大きさはわからないが、犬歯は小さくなっていた。オロリン・ツゲ
 ネンシスは直立二足歩行をしていた可能性が高い。
・さらに、オロリン・ツゲネンシスより少し新しい人類化石が、エチオピアで発見され、
 アルディピテクス・カダッバと命名された。3番目に古い人類だ。約580万年前〜約
 520万年前にわたる複数の地層から、化石が発見されている。アルディピテクス・カ
 ダッバも脳の大きさはわからないが、犬歯は小さくなっていた。
・一方、エチオピアの約440万年前の地層からは、アルディピテクス・ラミダスが産出
 する。アルディピテクス・ラミダスは、初期の人類としては例外的に多くの化石が発見
 され、全身に近い骨格も見つかっている。アルディピテクス・ラミダスも直立二足歩行
 をしていたと考えられる。また、一緒に出てくる化石から判断すると、疎林に住んでい
 たようだ。
・類人猿は人類への進化を表した絵には、四足歩行から直立二足歩行への段階的な進化が
 描かれたものが多いように思う。しかし、四足歩行と直立二足歩行の中間の化石は見つ
 からない。おそらく四足歩行から直立二足歩行への進化は急速に進んだため、化石は残
 っていないのだ。
・私たちヒトという種の学名は、ホモ・サピエンスである。「ホモ」は属名だ。それに対
 して、「サピエンス」は種小名という。学名はラテン語だ。「ホモ・サピエンス」は
 「賢い(サピエンス)人間(ホモ)」という意味になる。
・学名をラテン語にしたことには理由がある。言葉が時代とともに変化することは、昔か
 ら知られていた。 でも学名は、何百年も何千年も、ずっと使えるものにしたい。だか
 ら学名には、変化しない言語を使いたい。そこで、もはや変化することのない死んだ言
 語、つまりラテン語を使うことになったのである。
・アルディピテクス・ラミダスには4つの特徴がある。
 @足に、土踏まずがないことだ。 土踏まずがないということは、あまり歩くのは上手
  くなかったということだろう。
 A足の親指を、大きく広げられることだ。樹上生活に適した特徴である。
 B腕と脚の長さの比が約90で、チンパンジーとヒトの中間である。そこそこは樹上生
  活に適応していたのだろう。
 C骨盤の形だ。直立二足歩行もできるし、樹上生活も得意だったということだろう。
・アルディピテクス・ラミダスは、草原よりも森林の植物を多く食べていたことが明らか
 になった。おそらく、基本的には疎林に住んでいたが、森林や草原も活動範囲に入って
 いたのだろう。そして森林の植物を主に食べていたが雑食性で、たまには地上に落ちて
 いる食料も食べていたと考えられる。
・アルディピテクス・ラミダスの身長は、だいたい120センチぐらいで、チンパンジ
 ーと変わらない。まだ道具は持っていないし、地面を直立二足歩行しているところを肉
 食獣に襲われたらひとたまりもない。したがって、夜はチンパンジーのように木の上で、
 枝や葉でベッドを作って寝ていたと考えられる。

人類は平和な生物
・チンパンジーは、多夫多妻的な群れを作ることが知られている。群れの中には複数のオ
 スとメスがいて、いわゆる乱婚の社会を作る。そのため、群れの中でメスをめぐるオス
 の争いが起きる。なお、こういう社会には、オスによる子殺しを抑制する効果があると
 言われる。オスにとっては、自分と交尾したメスが産んだからといって、その子が自分
 の子か他のオスの子かわからない。自分の子かもしれないので、オスはその子を殺さな
 いのだ。
・群れ同士でも群れの中でも、オス同士の闘いは激しく、相手を殺してしまうことも珍し
 くない。こういうときに使われるのが大きな犬歯、つまり牙である。ところが人類には、
 この牙がないのである。
・約700万年前にチンパンジー類と人類は分岐して、別々の進化の道を歩み始めた、チ
 ンパンジー類は凶器を持ち続けたのに、なぜ人類は凶器を捨てたのだろうか。それは人
 類が、威嚇や殺し合いをしなくなったから、と考えるのが自然だ。
・同種内の争いでもっとも多いのは、メスをめぐるオス同士の争いだ。しかし、一夫多妻
 制や多夫多妻制の社会では、オス同士の争いをなくすことは難しい。一方、一夫一婦制
 の社会では、メスをめぐるオスの争いはそれほど起こらない。ということは、人類は一
 夫一婦制の社会を作るようになったので、同種内での争いが穏やかになったのだろうか。
・ボノボやゴリラの犬歯もやはり大きい。ボノボの犬歯はチンパンジーやゴリラに比べれ
 ば小さいが、それでも、ボノボの歯並びの中で犬歯はひときわ大きく、ヒトの歯並びと
 はまったく違う。
・ヒトと類人猿では、犬歯の大きさだけでなく形も違う。ヒトの犬歯は菱形で、高さも他
 の歯と同じぐらいだ。だから、仮に噛みついたとしても、歯型が残るぐらいで傷を負わ
 せることは難しい。牙としては、まったく役に立たないのだ。一方、チンパンジーやボ
 ノボやゴリラの犬歯は、円錐形が少し曲がった形の、いわゆる牙である。他の歯よりも
 犬歯は高く突き出ているので、動物に噛みつけば、傷を負わせることができる。
・社会形態としては、ボノボはチンパンジーと同様に多夫多妻的な群れを作る。ゴリラは
 たいてい一夫多妻的な群れを作る。したがってチンパンジーのように、ボノボやゴリラ
 もメスをめぐってオス同士が競争をする。しかし、ボノボやゴリラでは、チンパンジー
 ほど激しく闘うことは少ないようだ。
・ボノボの場合は、争いが起きそうになると、お互いの性器をこすり合わせたりして、緊
 張を解くことが多い。そうして和解するのである。
・オス同士の闘いの激しさを考えるときには、群れの中のオスと発情したメスの割合も参
 考になる。 オス同士の闘いが激しいチンパンジーでは、5〜10頭のオスに対してメ
 スが一頭だ。これがボノボだと、2〜3頭のオスにメス1頭ぐらいで、オスとメスの割
 合が近づいている。そのため、オス同士の闘いが穏やかになっている。
・一方、私たちヒトは類人猿と異なり、発情期がない。だから、いつでも交尾ができる。
 しかも、子供がまだ小さい授乳期間でも交尾ができる。その結果、オスとメスの割合が
 1対1に近くなっている。
・チンパンジーのメスは発情期になると性皮が充血して膨張する。膨張した性皮は外から
 はっきり見えるので、その期間はメスのまわりに多くのオスが群がってしまう。これで
 は、特定のオスと長続きする関係を結ぶことはできないだろう。

森林から追い出されてどう生き延びたか
・初期の人類は、森林も活動範囲に入っていたようだが、基本的には疎林に住み、草原に
 も足を延ばしていた。森林に比べれば、草原や疎林のような開けた場所は、食物が少な
 く、捕食者も多くて危険なところだ。類人猿のように森林に住んでいたほうが、生きて
 いくのに楽だっただろう。なぜ私たちの祖先は、そんな不便なところに住むようになっ
 たのだろうか。
・初期の人類が直立二足歩行を始めたころのアフリカは、乾燥化が進んで森林が減少して
 いた時代だった。森林が減ってくると、木登りが上手い個体がエサを食べてしまうので、
 木登りが下手な個体は腹が空いて仕方がない。そうなると、木登りの下手な個体は、森
 林から出て行くしかない。そして、疎林や草原に追い出された個体のほとんどは、死ん
 でしまったことだろう。でも、その中で、なんとか生き残ったものがいた。それが人類
 だ。
・現在、 草原や疎林に住む霊長類(サルや類人猿やヒトの仲間)としては、ヒヒがいる。
 疎林や草原では木がまばらなので、地上に下りずに、樹上だけを伝って移動することが
 できない。ほとんどは地上に降りて、移動しなければならない。このとき、ヒヒは四足
 歩行で移動するが、人類は直立二足歩行で移動した。この違いは、どこから来たのだろ
 うか。 
・ヒヒは5種ほどいるが、すべて一夫多妻か多夫多妻の社会を作る。初期の人類は一夫一
 婦的な社会を作っていた可能性が高い。となれば、初期の人類のオスは、子育てに協力
 していたのではないだろうか。メスや子に食物を手で持って運ぶために、直立二足歩行
 をしたのではないだろうか。現在のボノボも二足歩行をしながら、食物を手で持って歩
 くことがあるので、初期の人類が食物を持って歩いても、不自然ではないだろう。
・一方、疎林や草原のような危険の多い環境では、ヒヒのように集団生活をしなければ暮
 らしてはいけない。しかし、集団生活の中で一夫一婦的なペアを作ることは難しいので、
 人類以外にそういう種はいない。集団生活の中でペアを作ったのは、人類が初めてなの
 だ。

こうして人類は誕生した
・日本の動物園のサル山のいるのは、たいていニホンザルだ。このニホンザルをいくら眺
 めていても、食物を仲間と分け合ったりはしない。草原に住むヒヒも、食物を分け合っ
 たりしない。
・しかし、ゴリラの場合は、オスが果実をちぎってメルや子に分け与えることがある。チ
 ンパンジーやボノボでも、似たような食物の分配が見られる。
・ゴリラは基本的に一夫多妻だが、群れの中には複数のオスがいることもある。チンパン
 ジーやボノボのオスは、自分が生まれた群れを生涯離れない。こういう社会で優位のオ
 スが群れの中でうまくやっていくには、自分の力だけでは無理だ。メスだけでなく劣位
 のオスも味方にする必要がある。その協力関係を作るために、食物が使われている可能
 性があるのだ。
・ただし、これらの類人猿は、仕方なく食物を分配しているらしい。相手から要求されな
 えれば食物を分け与えないし、与えるときも2つあれば小さい方を与えるようである。
・中新世の化石類人猿の1つに、シヴァピテクスがいる。シヴァピテクスは約1000万
 年前の類人猿で、現生のオランウータンに似た、独特な顔の形をしている。ヒトやボノ
 ボやチンパンジーやゴリラに至る系統とオランウータンに至る系統はすでに約1500
 万年前には分岐していたと考えられるので、シヴァピテクスはオランウータンに至る系
 統に属すると考えられる。おそらくシヴァピテクスは、オランウータンの祖先か、それ
 に近縁な類人猿なのだ。
 
<絶滅していった人類たち>
食べられても産めばいい
・約700万年前から約440万年前の時代には4種の化石人類が生きていた。その後の
 約420万年前からは、次の時代の人類であるアウストラロピテクスが出現する。
・アルディピテクス・ラミダスの化石が産出する約440万年前の地層からは、アウスト
 ラロピテクスの化石はまったく見つかっていない。
・逆に、最古のアウストラロピテクスであるアウストラロピテクス・アナメンシスの化石
 が産出する約420万年前〜約390万年前の地層からは、アルディピテクスがまった
 く見つかっていない。おそらく約440万年前〜約420万年前のあいだに、アルディ
 ピテクスが絶滅し、アウストラロピテクスが出現したのだ。
・最初に見つかったアウストラロピテクス属の化石は、南アフリカのアウストラロピテク
 ス・アフリカヌス
である。約280万年前〜約320万年前が生存期間としては妥当だ
 ろう。だが、その後、数種のアウストラロピテクスが発見された。その中でも東アフリ
 カのアウストラロピテクス・アファレンシスは比較的化石が多く、よく研究されている。
・アウストラロピテクス・アファレンシスの化石の中でももっとも有名なものは、「ルー
 シー
」と呼ばれる若い女性の化石だ。1974年にエチオピアのハダールの約320万
 年前の地層から発見されたものである。身長は約110センチメートルで、これはアウ
 ストラロピテクス・アファレンシスの女性の中でも小柄な方だ。
・アウストラロピテクスは、アルディピテクス・ラミダスよりも、かなりすぐれた直立二
 足歩行をしていたらしい。アルディピテクス・ラミダスにはなかった足の裏のアーチ構
 造(土踏まず)が、アウストラロピテクスにはある。これは足が着地するときの衝撃を
 吸収し、足を後ろに強く蹴り出すときにも役立つ。
・アウストラロピテクスの直立二足歩行が優れたものであったことが、はっきりとわかる
 もう1つの証拠は、足跡の化石である。もっとも有名なものは1976年にタンザニア
 のラエトリで発見されたものだ。このラエトリの生痕化石には3人あるいは4人分の足
 跡が残されているが、注目すべきは約27メートルにわたって2人が並んで歩いたよう
 に見える足跡だ。1つは大きく、もう1つは小さい。親子が仲よく並んで歩いていたよ
 うで微笑ましい。この足跡から、土踏まずがあったことがわかる。千鳥足めいたところ
 はなく、しっかりした足取りで歩いていたようだ。
・アウストラロピテクスの足には土踏まずがあるし、足の親指は他の指とほとんど向き合
 っていない。明らかに地上を歩くのに適していて、樹上で生活するのには適していない
 足だ。つまり上半身は樹上生活に適していて、下半身は地上生活に適応しているように
 見えるのだ。
・問題は、森林で生活してきた祖先よりも、草原で暮らしていたアウストラロピテクスの
 ほうが、より多く食べられてしまうということだろう。しかし、要は程度の問題だ。そ
 れなら解決策はある。多く食べられた分だけ、たくさん産めばいいのである。実際、草
 原に住む霊長類は、多産の傾向がある。人類も例外ではなかっただろう。
・チンパンジーの授乳期間は4〜5年と長く、その間は次の子供を作らない。毎年のよう
 に子供を産むのは無理なのだ。チンパンジーの場合、子育てをするのは母親だけである。
 子供が乳離れをするまで世話をするには、子供1人が限界なのだろう。そのため、チン
 パンジーの出産間隔は約5〜7年である。だいたい12〜15歳ごろから子供を作り始
 め、寿命は50年ぐらいだが、死ぬ間際まで子供を作ることができる。その結果、生涯
 で6匹ぐらい産むらしい。
・他の大型類人猿も授乳期間中には子供を作らないので、出産間隔は長い。ゴリラは10
 歳ぐらいから子供を産み始めて出産間隔は4年、オランウータンは15歳ごろから子供
 を産み始めて出産間隔は7〜9年と言われている。
・一方、ヒトの授乳期間は2〜3年である。しかも、授乳期間が短いだけでなく、授乳し
 ている間にも次の子を産むことができる。ヒトは類人猿とは違って、出産してから数カ
 月もすれば、また妊娠できる状態になるのだ。だから年子も珍しくない。ヒト、16歳
 ごろから40歳ごろまでの期間に、子供を集中して産むことができる。フランスの王妃
 であったマリー・アントワネットの母親のマリア・テレジアは、子供を16人も産ん
 だことで有名だが、日本でも少し前までは兄弟姉妹がたくさんいることは珍しくなかっ
 た。
・大型類人猿などの多くの霊長類の子育ては、「子供を1人産んだら、その子が独り立ち
 するまで、母親が1人できちんと面倒を見る」というものだ。一方、ヒトの子育ては、
 「子供をたくさん産んで、その子の面倒は母親1人では見きれないので、周りの人に手
 伝ってもらう」というものだ。つまりヒトは、他の個体に子育てを手伝ってもらうこと
 によって、他の類人猿より子供をたくさん作れるのだ。結果的にはますます繁栄してい
 った。アウストラロピテクスからは、大きく2つの系統が進化した。頑丈型猿人とホモ
 属である。
・頑丈型猿人はアウストラロピテクス属に含まれる。頑丈型猿人とこれまでのアウストラ
 ロピテクスを区別するために、これまでのアウストラロピテクのことスを華奢型猿人と
 呼ぶこともある。華奢猿人に比べて、頑丈型猿人は歯や顎が発達している。切歯や犬歯
 は小さいのだが、臼歯が非常に発達していた。幅が広く平坦なので、食物を効果的にす
 り潰すことができた。身長は120センチメートルぐらいで、体重も30〜40キログ
 ラムぐらいと推定されている。華奢型猿人とそれほど違わないのだ。
・これだけ歯の形が違うのだから、頑丈型猿人と華奢型猿人は、まったく違うものを食べ
 ていたと考えるのが普通だろう。だが事実は、そう簡単ではなさそうだ。両者とも雑食
 性で、主に草原で同じような食物を食べていたらしい。しかし、冬とか乾季のように食
 料が足りなくなる時期には、砂まじりの根や塊茎などを仕方なく食べていたのではなか
 ろうか。そのため、華奢型猿人が生きていけないところでも、頑丈型猿人は生きていけ
 たのかもしれない。実際、新しいタイプの人類であるホモ属が現われて、華奢型猿人は
 絶滅した後も、頑丈型猿人は生き延びたのだ。
・約440万年前〜約420万年前のあいだに、アルディピテクスは絶滅し、アウストラ
 ロピテクスが出現した。
・進化において「優れたものが勝ち残る」と思ってしまう。でも、実際はそうではなくて、
 進化では「子供を多く残したほうが生き残る」のである。「優れたものが勝ち残る」ケ
 ースはただ1つだけだ。「優れていた」せいで「子供を多く残せた」ケースだけなのだ。
・アルディピテクスに限らずサヘラントロプスやオロリンなどの初期の人類は、疎林を中
 心に生活していたと考えられる。 アフリカで乾燥化が進んだとすれば、疎林だったと
 ころも草原になり、アルディピテクスの生活できる場所が減少した可能性がある。もし
 も疎林が草原になれば、アルディピテクスはアウストラロピテクスに取って代わられた
 だろう。でもそれは、アルディピテクスがアウストラロピテクスに競争で負けたからで
 はない。ただ気候が変化したせいで、絶滅したにすぎないのだ。
・実際のところ、アルディピテクスがなぜ絶滅したのかは、データが少なすぎてわからな
 い。ただ1つだけ確かなことは、アルディピテクスよりもアウストラロピテクスのほう
 が、子供をたくさん残せたということだ。
・産むことのできる子供の数だけ違うが、その他の能力はすべて同じ2種がいたとすれば、
 必ず子供を多く産む種が残り、子供が少ない種は絶滅するのである。
 
人類に起きた奇跡とは
・アウストラロピテクス属から新たに2つの系統が進化した。1つは頑丈型猿人であり、
 もう1つが私たちにつながるホモ属であった。頑丈型猿人では、顎や臼歯が大きくなっ
 たが、ホモ属では逆にこれらが小さくなった。両者は、アフリカの乾燥化という同じ環
 境変化に対して、まったく反対の解決策を選んだのだ。
・ホモ属は石器を使い始め、肉を頻繁に食べるようになった。石器は大きく2種類に分け
 られる。石を打ち砕いて作る打製石器と、打製石器を磨いて仕上げた磨製石器である。
・打製石器を作る分化も、いくつかの種類に分けられる。たとえば、簡単な打ち欠けだけ
 で石器を作る分化をオルドワンと言い、石器の表と裏の両面に加工をしたハンドアック
 ス
などを作るようになった分化をアシューリアンと言う。
・人類が作った最初の石器はオルドワン石器で、その最古のものは、エチオピアで見つか
 った約260万年前のものだ。その後、約260万年前〜約250万年前のあいだに東
 アフリカの各地で、オルドワン石器が作られるようになった。約260万年前の石器を
 作る知識は、すぐに他の個体や他の集団に伝わったようである。ホモ属には新しい知識
 を受け入れる能力があったということだろう。
・最古のホモ属の化石は、アフリカ南東部のマラウィで見つかった下顎で、約250万年
 前のものである。
・エチオピアで約250万年前のウシやウマの骨がいくつも見つかっており、それらには
 鋭い刃の石器による傷がついていた。ここに住んでいた人類が石器を使って、大型動物
 の死骸を解体していたことは明らかだ。そして、その近くの同じ地層から人類の化石が
 発見され、アウストラロピテクス・ガルヒと命名された。このアウストラロピテクス・
 ガルヒが、これらの石器を使った人類かもしれない。アウストラロピテクス・ガルヒの
 脳容量は小さく、上顎もかなり前に突き出しているので、アウストラロピテクス属に入
 れられたのも頷ける。しかし、脚はホモ属のように長く、身長は140センチメートル
 ぐらいある。犬歯もホモ属並みに小さい。アウストラロピテクス属に分類されているが、
 ホモ属につながる系統だった可能性がある。
・実な石器を作るのはなかなか難しい。木の枝や石を道具として使うチンパンジーにも、
 石器は作れない。 コンピューターを使ってヒトとコミュニケーションは取れるのに、
 いくら教えても石器は作れないのだ。
・だが、東アフリカにいた初期のホモ属の間には、石器の制作がすでに広まった。初期の
 ホモ属には、石器制作に必要な認知能力や手先の器用さが、すでに備わっていたようだ。
 アウストラロピテクスの段階で、高度に協力的な社会関係を作っていたことが、認知能
 力の発達を促したのかもしれない。
・しかし、同じ東アフリカに住んでいて、同じアウストラロピテクス属の中から進化した
 と考えられるアウストラロピテクス・ボイセイは、石器を作らなかった。先端を尖らせ
 た骨器は根や塊茎などを掘る道具として使っていたようだが、石器は作れなかったらし
 い。いや、肉をほとんど食べなかったので、作れたけれども作らなかったかもしれない
 が。
・アウストラロピテクス・ボイセイは約230万年前〜約130万年前に生きていたが、
 脳容量はアウストラロピテクス・ガルヒよりは少し大きい。とすると、単純に脳の大き
 い種が石器を作ったわけではなあそうだ。
・オルドワン石器を最初に使い始めた人類の1種は、およそ250万年前ごろのアウスト
 ラロピテクス・ガルヒであった。しかし、アウストラロピテクス・ガルヒを最後に、華
 奢型猿人はいなくなる。その後の人類は、頑丈型猿人とホモ属だけだ。頑丈型猿人は石
 器を使わなかったが、ホモ属は石器を使った。そして、ホモ属の脳は大きくなっていっ
 た。
・初期ホモ属の分類には混乱があるものの、それらの化石から大きな進化傾向を読み取る
 ことはできる。それは、脳が大きくなってから石器を使い始めたのではなく、石器を使
 い始めてから脳が大きくなった、ということだ。
・そして約190万年前になると、アフリカでホモ・エレクトゥスが現われた。脳容量は
 初期のホモ属より明らかに大きくなっていた。約180万年前になると、ホモ・エレク
 トゥスの一部はアフリカからユーラシアへと進出し、約10万年前まで生きていたと考
 えられている。人類の中でも非常に繁栄した種と言えよう。
・約700万年前に人類は直立二足歩行を始めた。そして約250万年前になるとホモ属
 が現われて、脳が大きくなり始めた。逆に考えれば、約450万年間も脳はほとんど大
 きくならなかったことになる。人類は直立二足歩行を始めてから約450万年間ものあ
 いだ、石器も作らなかったし、脳も大きくならなかったのだ。でも、それはどうしてだ
 ろうか。
・ヒトの場合、脳は体重の約2パーセントを占めるだけだが、体全体で使うエネルギーの
 約20〜25パーセントを使ってしまう。いわば脳は、燃費の悪い器官なのである。こ
 れだけ燃費の悪い器官を維持していくためには、どんどんカロリーの高い食物を食べな
 くてはならない。
・直立二足歩行には、走るのが遅いという致命的な欠点がある。そのため、人類以前の地
 球上では進化しなかった。しかし、手で物を運べるという直立二足歩行の最初の利点が、
 一夫一婦に近い社会と結びついて、たまたま初期人類で進化した。それは、地球の歴史
 上初めてのことだった。
・それから450万年の時が流れ、人類は石器を使い始め、肉を頻繁に食べるようになっ
 た。すると、隠れていた直立二足歩行の利点が現われ始めた。それは、短距離走は苦手
 だが、長距離走は得意なことだ。
・ヒトとチンパンジーを歩かせて、どのくらいの酸素を使うかを測定した研究がある。そ
 の結果、ヒトの直立二足歩行はチンパンジーの四足歩行の4分の1しかエネルギーを使
 わないことがわかったのだ。ヒトの直立二足歩行の効率がよいことは、マラソンなどを
 見れば明らかだろう。チンパンジーやゴリラには、マラソンを完走することは無理なの
 だ。
・肉食によって脳が大きくなる理由は、2つある。1つは、カロリーの高い肉を食べれば、
 脳の働くためのエネルギーになるからだ。もう1つの理由は、肉が消化されやすいから
 だ。
・食物を消化するのはけっこう大変で、胃や腸を何時間も動かし続けなければならない。
 それには、多くのエネルギーが必要だ。特に植物の栄養価は低いので、たくさん食べな
 ければならず、消化にも時間がかかる。チンパンジーやゴリラの活動時間は、半分以上
 が食べたり消化したりしている時間だ。しかし、肉なら消化しやすいので時間がかから
 ないし、腸も短くてすむ。
・アウストラロピテクスのウエストは太くてずん胴だった。そこには巨大な消化器が入っ
 ていた。一方、ホモ・エレクトゥスのウエストは細くて締まっていた。それは、腸が短
 くなったからである。これなら、腸に使っていたエネルギーを脳に回すことができるの
 で、脳を大きくすることができる。また、腸が小さくてウエストが細くなれば、走るに
 も有利だろう。
・ホモ・エレクトゥスが走ったとすれば、私たちの体に毛がほとんどないことも説明でき
 るかもしれない。暑い日中にアフリカの草原を走ると体温が上がる。上がった体温を下
 げるために汗をかいて、その汗を蒸発させることによって体温を下げる。しかし体毛が
 あると、その下に汗を出しても蒸発しないので、体温を下げられない。そのため、人類
 の体からは、毛がなくなった可能性があるのだ。
・ちなみに、ヒトとチンパンジーの毛の本数はあまり変わらない。ヒトの体毛がほとんど
 ないように見えるのは、 毛の一本一本が細くて短いからだ。
・一方、多くの哺乳類は体毛が多いので、汗で体温調整をしない。つまり毛が生えている
 哺乳類は、 熱を逃がすのが苦手なので、あまり長距離を走ることができないのだ。ア
 フリカの暑い草原でホモ・エレクトゥスに追跡されれば、多くの哺乳類は逃げ切ること
 ができないだろう。
・つい半世紀ほど前までは、人類はいつの時代でも1種しかいないという、単一種説が有
 力だった。この説を反証したのが、1968年から1975年にかけて、ケニアのクー
 ビ・フォラで発見された化石群だった。この化石群の解析によると、約180万年前〜
 170万年前では、アウストラロピテクス・ボイセイとホモ・エレクトゥスが共存してい
 たのだ。
・その後、研究が進むにつれて、昔の地球には複数の人類がしばしば同時に生きていたこ
 とが明らかになった。現在の地球上には、ヒトという1種の人類しかいないが、むしろ
 このほうが異常な事態なのだ。
・たとえば10万年前には、私たちホモ・サピエンスの他に、ネアンデルタール人やデニ
 ソワ人やフロレシエンシスがいた。もしかしたらホモ・エレクトゥスもいたかもしれな
 い。でも、彼らもいなくなってしまった。約4万年前にはネアンデルタール人が絶滅す
 ると、私たちは独りぼっちになってしまったのだ。
 
ホモ属は仕方なく世界に広がった
・約700万年前に人類はアフリカに誕生した。それ以来、何百万年ものあいだ、人類は
 アフリカの中だけで生きていて、そして進化してきた。しかし、ついに人類が、アフリ
 カを出る日がやってきた。
・アフリカの外に人類が住んでいた最古の証拠は、ジョージア(旧称グルジア)のドマニ
 シ遺跡
である。
・現在のドマニシは、冬になると氷点下20度にも達する寒いところである。しかし、約
 177万年前には温暖な土地だったらしい。ドマニシ遺跡からは大量のオルドワン石器
 が発見されており、石器による傷がついた草食獣の骨も見つかっている。ドマニシ原人
 が動物の肉の処理を行っていたことは確実で、肉を食べる機会は多かったのだろう。
・しかし反対に、ドマニシ原人は肉食動物の餌食にもなったようだ。サーベルタイガーの
 歯の痕がついた 頭蓋骨が見つかっているからだ。
・ドマニシ原人が火を使っていた証拠はないので、肉食動物から身を守るのは難しかった
 だろう。しかし、協力的な社会関係を作っていたようなので、集団で肉食獣を追い払う
 ことぐらいはできたかもしれない。
・ドマニシ原人は、身長は低いが土踏まずは発達しているし、ホモ・エレクトゥスほどで
 はないかもしれないが、やはり長距離を歩いたり走ったりすることができただろう。
・人類がアフリカからユーラシアに広がる。そう言うと、希望に満ちた前途洋々の将来が
 待っているような気分になる。でも実際は、アフリカからユーラシアへ追い出されただ
 けかもしれない。ドマニシ原人は、同時代の典型的なホモ・エレクトゥスに比べると、
 脳も小さいし身長も低い。いろいろな面でホモ・エレクトゥスに適わなかったのではな
 いだろうか。
・あるいは、私たちは考えすぎなのかもしれない。出アフリカはたいした意味はないかも
 しれない。というのは、人類と同じ時期に何種もの哺乳類が、やはりアフリカからユー
 ラシアへ移住しているからだ。全般的な乾燥化が進んだことにより、草原や疎林が広が
 った。そのため、草原や疎林に住んでいた動物の生息範囲が広がった。生息範囲が広が
 っていくときに、生息範囲の最前線がたまたまアフリカとユーラシアの境界を超えた。
 たんに、そういうことだったかもしれない。つまり出アフリカをした哺乳類はたくさん
 いて、人類はその一部だったにすぎないということだ。
・南アジアや東南アジアからは、人類の化石があまり発見されていないが、インドネシア
 のジャワ島からは、多数のホモ・エレクトゥスの化石が見つかっている。ジャワ島に
 住んでいたホモ・エレクトゥスは「ジャワ原人」と呼ばれる。約160万年〜約10万
 年前頃に住んでいたらしい。他の人類とは隔離された環境に住んでいたことも手伝って、
 独自の進化を遂げたようだ。
・中国からも多数のホモ・エレクトゥスの化石が発見されている。周口店から発見された
 ホモ・エレクトゥスが有名で、「北京原人」と呼ばれる。これは約75万年前の化石で
 ある。北京原人が現在の中国人の祖先ではないことは確実だが、いつどのようにして絶
 滅したのかはよくわからない。北京原人よりもあとの時代で、かつホモ・サピエンスが
 中国に到達する前に、中国に人類がいたことはほぼ確かで、化石も見つかっている。し
 かし、その人類が、北京原人の子孫なのか、アフリカからやってきた別の集団なのかは
 わかっていない。
・ヨーロッパにおける人類の化石としては、スペインのアタプエルカ山中のシマ・デル・
 エレファンテ洞窟で発見されたものが最古とされている。約120万年前〜110万年
 前のものである。ホモ・エレクトゥスに近い種だと考えられるが、ホモ・アンテセソー
 ルという別種として報告されている。
ホモ・アンテセソールのもっとも新しい化石は約78万年前のもので、スペインのグラ
 ン・ドリナ洞窟で発見された。オルドワン石器や獣骨も一緒に見つかっている。ホモ・
 アンテセソールの骨はすべてバラバラになっていた。しかも、獣骨と同じように、石器
 による傷がついている骨もたくさんあった。食人が行われたことはほぼ間違いない。傷
 がついた骨は、子供や若い個体のものであった。食人のために他の集団が襲ってきたと
 きには、おそらく大人よりも子供や若い個体のほうが犠牲になりやすかったのだろう。
・ネアンデルタール人や私たちホモ・サピエンスも、食人を行っていた証拠がある。特に
 ホモ・サピエンスでは、 焼いて食べた証拠がある。今よりもはるかに食料事情が悪か
 った昔の人類では、しばしば食人が行われていたのだろう。それが遅くとも約78万年
 前には始まっていたということだ。
・ホモ・アンテセソールが火を使っていた証拠はない。食人が日常的に行われていたとす
 れば、他者への共感も持っていなかっただろう。おそらくホモ・アンテセソールは、子
 孫を残すことなくヨーロッパで消えていった人類なのだろう。ネアンデルタール人が
 ヨーロッパに到達する前に、すでに絶滅していたようだ。

なぜ脳は大きくなり続けたのか
・約260万年前から使われ始めたオルドワン石器は、主にアウストラロピテクス・ガル
 ヒやホモ・ハビリスが使っていたと考えられている。オルドワン石器を作った人類は、
 最終的にできる石器の形をあまりイメージしていなかったらしい。ある程度は、成り行
 きまかせだったのだろう。しかし、石器の材料となる石選びには、高度な考えが必要だ
 った。鋭利な刃を作るためには、細粒性お石が必要で、ときには遠方から運んでくるこ
 ともあった。
・その後、約175万年前のエチオピアで、新しいタイプの石器が現われた。アシュール
 石器である。オルドワン石器に比べて、アシュール石器には大きいものが多く、主に使
 っていたのはホモ・エレクトゥスである。彼らは、最終的にできる石器の形をイメージ
 していたようだ。それがわかるのが、代表的なアシュール石器であるハンドアックスだ。
 ハンドアックスを作るには、高度な技術と忍耐力が必要だ。
・南アフリカの洞窟から、およそ100万年前の獣骨が大量に発見された。獣骨は洞窟内
 に広く散らばっていた。 一部の獣骨には、火で焼けた跡が残っていた。そして焼けた
 獣骨が見つかった場所は、洞窟内の一部に集中していた。焼けた獣骨が見つかっただけ
 では、人類が火を使った証拠にはならない。しかし、この焼けた獣骨は、洞窟内の数カ
 所に集中していたのだ。
・火の使用は、証拠としては残りにくい。したがって、火を使用した最古の証拠の年代を、
 火の使用が始まった年代とすることはできない。この焼けた獣骨は約100万年前のも
 のだが、実際に火を使い始めたのは、さらに数十万年ぐらい遡る可能性がある。
・ホモ・エレクトゥスがアフリカの外に広がったあと、アフリカでは新たな人類が出現し
 た。 ホモ・ハイデルベルゲンシスである。おそらく、ホモ・エレクトゥスの一部から
 進化したと考えられるが、はっきりした系統関係はわからない。ホモ・ハイデルベルゲ
 ンシスは約70万年前〜約20万年前に生きていた人類で、その化石はアフリカの他、
 ヨーロッパや中国からも見つかっている。脳容量は平均ではヒトをやや下回っているも
 のの、ヒトの変異の範囲内には十分納まっている。がっしりとした体格で、ネアンデル
 タール人に似ている人類である。実際、ホモ・ハイデルベルゲンシスから、ネアンデル
 タール人とヒトが進化したと考えられている。
・フランスの地中海沿岸部にあるテラ・アマタ遺跡には、約38万年前の最古の小屋の跡
 がある。大きな石を楕円形に並べて、その石の内側に若木をすくまなく立てる。若木の
 先端を交差させて、屋根にする。小屋の中には浅い穴が掘られ、そこで火が使われてい
 た。この小屋の住人が誰かはわからないが、時代的に考えて、ホモ・ハイデルベルゲン
 シスの可能性が高い。
・ホモ・ハイデルベルゲンシスは狩りもしていたようだ。ドイツのシェーニンゲンで、約
 30万年前の木でできた槍が何本も発見されたのだ。嫌気的な泥炭層に埋まっていたの
 で、奇跡的に腐らなかったらしい。この木槍は180センチメートルほどの長さがあり、
 前のほうに重心がある。つまり、投げられるように設計されているということだ。ただ、
 先端が木製なので、鋭く尖ってはいるものの、大きな動物の皮を突き破ることは難しそ
 うだ。
・一方、シェーニンゲンでは、30センチメートルほどのモミの枝も見つかっている。こ
 の枝の片側には、切り込みが入っていた。おそらくこの切り込みには、石器を挟んだの
 だろう。鋭い石の剥片を、紐で固定したのではないだろうか。それを狩りに持っていき、
 枝の部分をつかんで獲物に突き刺したのだと考えられる。
・次の時代をになうネアンデルタール人と私たちヒトは、このホモ・ハイデルベルゲンシ
 スから進化した可能性が高いのである。 
・体の大きさが違う動物の脳の大きさを比べるためには、脳化指数が使われる。脳化指数
 とは脳の重さを体重の4分の3乗で割って、定数を掛けたものだ。これを使えば、体の
 大きさによる偏りをなくして、脳の大きさを比較できると言われている。
・人類は約700万年前にチンパンジー類から分かれた。その頃の脳化指数は、約2.1
 であった。そして当時、もっとも脳化指数が高かった動物は、人類ではなく、イルカだ
 った。イルカの脳化指数は約2.8である。
・アウストラロピテクスの時代になっても、脳化指数はほとんど変わらなかった。しかし、
 ホモ属が現われると、脳が大きくなり始める。そして、ホモ・エレクトゥスの時代に脳
 化指数でイルカを 追い抜いたのである。そして現在のヒトの脳化指数は5.1である。
・地球で人類がもっとも脳化指数が高い動物になったのは、わずか150万年前という最
 近のことだ。 それまでの数千万年間は、脳化指数がもっとも高い動物は、ずっとイル
 カだったのである。
・多くの霊長類は群れを作るが、それは群れを作るとよいことがあるからだ。捕食者を見
 つけやすいだけでなく、捕食者に襲われたときに自分が食べられる可能性が低くなるか
 らだ。その他にも、食べ物を探したり、他の群れと闘ったりするときに有利なのだ。
・だが、群れで暮らすのには苦労もある。群れの中での順位を上げようとすれば大変だし、
 そうでなくても、群れの中の個体を識別したり、誰と誰が近縁かを覚えたりしなければ
 ならない。群れが大きくなり、個体同士の関係が複雑になると、群れの中の他の個体を
 だましたり、騙されたりすることも多くなる。このような群れの中の複雑な関係を処理
 するために、脳が自然選択によって大きくなったと考えられる。

<ホモ・サピエンスはどこに行くのか>
ネアンデルタール人の繁栄
・私たちヒトにもっとも近縁な人類は、ネアンデルタール人だ。化石の数も多いため、も
 っとも有名な化石人類となっている。おそらくネアンデルタール人は、ホモ・ハイデル
 ベルゲンシスから進化した。モホ・ハイデルベルゲンシスはアフリカからヨーロッパ、
 そして中国まで分布を広げたが、そのうちのヨーロッパの集団の一部がネアンデルター
 ル人に進化したようだ。
・約30万円前になると、形態がネアンデルタール人的な化石が出土する。そして約12
 万5千年前に温暖なイェーム間氷期に入ると、ネアンデルタール人の遺跡は急増する。
 約7万年前に寒冷な時期が始まると、遺跡は地中海沿岸まで南下し、その数も減少する。
 約6万年前に温暖化が始まると、遺跡数は再び増加し、ヨーロッパの北部まで広がって
 いく。しかし、約4万8千年前の寒冷化でネアンデルタール人の人口が減少し始め、さ
 らに約4万7千年前にはホモ・サピエンスがヨーロッパに侵入してくると、もはや再び
 人口が回復することはなかった。そして、ついに約4万年前には、ネアンデルタール人
 は絶滅してしまう。
・ネアンデルタール人の物語は、約30万年前に始まって、約4万年前に終わる。地球の
 生物の歴史上、私たちヒトにもっとも近縁な生物であり、またヒト以外で一番最後まで
 生き残った人類でもあるので、なんとなく悲哀感が漂う。
・ネアンデルタール人がヨーロッパに現われたころには、すでにホモ・ハイデルベルゲン
 シスがヨーロッパに住んでいた。 しかし、その後、ホモ・ハイデルベルゲンシスは絶
 滅し、ネアンデルタール人はヨーロッパで唯一の人類種となった。
・なぜ、ホモ・ハイデルベルゲンシスが絶滅し、ネアンデルタール人が生き残ったのかは、
 よくわからない。しかし、ホモ・ハイデルベルゲンシスよりもネアンデルタール人のほ
 うが、進んだ技術を使っていたことは確からしい。
・ネアンデルタール人は分布を広げ、西はスペイン南端のジブラルタルから、東はシベリ
 アのアルタイ山脈にまで 達したようだ。ネアンデルタール人というと寒冷地に適応し
 た人類というイメージが強い。おそらくネアンデルタール人は、現在の北極圏に住む人
 たちのように、寒さをしのぐための衣服や火のような文化的な手段に頼っていた可能性
 のほうがずっと高い。
・がっしりしたホモ・ハイデルベルゲンシスやネアンデルタール人と違って、ホモ・サピ
 エンスは細くて華奢な体をしている。それなのに、ホモ・サピエンスはネアンデルター
 ル人よりも寒さに強かった。
・ホモ・ハイデルベルゲンシスもネアンデルタール人も、それほど人口は多くなかったよ
 うだ。ホモ・ハイデルベルゲンシスの生活を圧迫して絶滅に追い込むほど、ネアンデル
 タール人がたくさんいたとは思えない。おそらく寒冷化に対する文化的な適応力に、差
 があったのではないだろうか。衣服や火などの文化的な工夫は、ネアンデルタール人の
 ほうが優れていたのだろう。そしてホモ・ハイデルベルゲンシスは徐々に数を減らし、
 絶滅に追い込まれてしまった。
 
ホモ・サピエンスの出現
・アフリカから出て、ヨーロッパに住み着いたホモ・ハイデルベルゲンシスの一部から、
 おそらくネアンデルタール人が進化した。一方、アフリカにとどまったホモ・ハイデル
 ベルゲンシスの一部が、ホモ・サピエンスに進化したと考えられている。ホモ・サピエ
 ンスとネアンデルタール人が分岐したのは、およそ40万年前だ。おそらく40万年前
 という年代は、ホモ・ハイデルベルゲンシスの中で集団が分岐した年代を表しているの
 だろう。つまり、ヨーロッパへ向かった集団と、アフリカにとどまった集団が、分かれ
 た時期だ。ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが現われたのは、それから10万年
 以上経ってからである。
・ホモ・サピエンスの特徴の1つは、額が立っていることである。他の人類の額は水平に
 近いが、それが立ち上がって鉛直に近くなっている。いわゆる「おでこ」があるのが、
 私たちの特徴というわけだ。これは、高度な思考をつかさどる大脳の前頭葉が大きくな
 ったことを反映していると言われている。
・古いホモ・サピエンスの化石としては、エチオピアのオモ盆地で発見された、約19万
 5千年前の頭蓋骨が有名である。
・約20万年前にアフリカに住んでいた1人の女性が、現在のすべてのヒトの祖先である
 という話がある。これはミトコンドリアDNAを調べることによって提唱された説なの
 で、この女性はミトコンドリア・イブと呼ばれている。
・ヒトの細胞の中で、DNAがある場所は2つである。核とミトコンドリアだ。だが、ミ
 トコンドリアにあるDNAは、核にあるDNAに比べれば、ほんのわずかだ。ミトコン
 ドリアDNA核ゲノムの約20分の1に過ぎない。だが、ミトコンドリアDNAには、
 変わった特徴がある。それは、母系遺伝をすることだ。核DNAは父親と母親から半分
 ずつ子供に伝わる。しかしミトコンドリアDNAは、父親からは子供に伝わらず、母親
 からだけ子供に伝わるのだ。

認知能力に差はあったのか
・ホモ属の時代になると、大きな脳を持つ人類が何種も現われた。そして脳の大型化は、
 ネアンデルタール人で最高潮に達する。人類史上最大である。ネアンデルタール人の脳
 は、私たちの脳より大きいだけでなく、形も異なっていた。ネアンデルタール人の脳は、
 前後に長いが、高さはなく、横に膨らんでいて、後ろに突き出ていた。それに比べてヒ
 トの脳は、球形に近くて、高さがあり、前の方が大きい。これまでの人類の脳の形に似
 ているのはネアンデルタール人の脳で、ヒトの脳はいわば人類の脳の伝統から外れた形
 をしている。
・ネアンデルタール人は、かなり自由に声を出せた可能性がある。ネアンデルタール人は、
 ほぼ完全な言語を話せたのではないかと考えられたこともあった。しかし、本当にそう
 だろうか。ネアンデルタール人がまったく話せなかったとは考えにくい。石器と枝を組
 合せて槍を作ったり、協力して狩りをしたりするためには、ある程度言葉を話せること
 が必要だ。しかし、どの程度の文法を使った言葉を話していたのかは、わからない。

ネアンデルタール人との別れ
・ネアンデルタール人は長い間ヨーロッパに住んでいたけれど、その寒さにはずいぶん苦
 しめられたようだ。暖かい時代にはヨーロッパの北の方にも住んでいたが、寒い時代に
 なると、南の地中海に近い地域にしか住んでいなかった。
・ホモ・サピエンスがヨーロッパに進出する直前の、約4万8千年前の寒冷化で、ネアン
 デルタール人は人口を減らしていた。そして約4万7千年前に急激な温暖化が起きると、
 ホモ・サピエンスがバルカン半島を北上しながら、ヨーロッパに進出してきた。この最
 初にヨーロッパに進出してきたホモ・サピエンスは、それほど多くはなかったらしい。
・約4万5千年前になると、再びホモ・サピエンスがヨーロッパに進出してくるものの、
 このときも規模はそれほど大きくなかったようだ。しかし、約4万3千年前に、多くの
 ホモ・サピエンスが ヨーロッパに進出してくると、状況は一変する。ホモ・サピエン
 スは急速に分布を広げ、ネアンデルタール人が好んで死んでいた地中海沿岸地域を、ほ
 ぼ占領してしまう。一方、ネアンデルタール人は減少を続けて、集団は分散・孤立し、
 約4万年前には絶滅してしまうのである。
・野生の大きな動物を狩るときは、槍がとても役に立つ。しかし槍を使うのには、獲物に
 近寄らなければならない。 突き槍として使う場合はもちろんだが、投げ槍として使う
 場合でも、10メートルぐらいまでは近づかなくては、獲物に刺さらない。実際、ネア
 ンデルタール人の化石には、大怪我をしているものがかなりある。ネアンデルタール人
 の狩猟は、かなり危険なものだったのだ。
・一方、ホモ・サピエンスは、槍を遠くまで飛ばすことができる投槍器を使い始めた。投
 槍器自体は古くても約2万3千年前のものなどしか出土していないが、これは投槍器が
 骨などでできているため、石器よりも残りにくいからだと考えられる。そこで、槍の先
 についていた石器から、投槍器が使われていたかどうかを推定する研究が行われた。そ
 の結果おそらく約8万年前〜約7万年前のアフリカで投槍器が使われ始め、ヨーロッパ
 に進出してきたホモ・サピエンスは、始めから投槍器を使っていた可能性が高いこと
 がわかった。
・ネアンデルタール人は私たちより骨格が頑丈で、がっしりした体格だった。その大きな
 体を維持するには、たくさんのエネルギーが必要だったはずである。ある研究では、ネ
 アンデルタール人の基礎代謝量は、ホモ・サピエンスの1.2倍と見積もられている。
 もしも狩猟の効率が両者で同じだとしたら、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよ
 り、1.2倍長く狩りをしなくてはならない。もしも、同じ時間だけ狩りをしたとすれ
 ば、ネアンデルタール人が移動する範囲は、ホモ・サピエンスよりも狭かったに違いな
 い。範囲が狭ければ、捕れる獲物も少なくなるだろう。
・狩猟技術が未熟なころは、力の強いネアンデルタール人のほうが、獲物を仕留めること
 が多かったかもしれない。行動範囲の狭さを、力の強さで補って、ホモ・サピエンスと
 互角の成績をあげていたかもしれないのだ。しかし、槍などの武器が発達して、力の強
 弱があまり狩猟の成績に影響しなくなってくると、状況は変わった。力が弱くても、長
 く歩けるホモ・サピエンスのほうが、有利になったのだ。その上、もしも狩猟技術自体
 もホモ・サピエンスのほうが優れているとしたら、両者の差は広がるばかりだ。
・不思議なのは、ホモ・サピエンスはアフリカからやってきたので、寒い土地には適応し
 ていないはずである。それなのに、ネアンデルタール人のよりも寒さが平気なのだ。ホ
 モ・サピエンスは骨で針を作っていたので、それで毛皮を加工して、きちんと寒さをし
 のげるような服を着ていたかもしれない。たとえ体が細くても、ネアンデルタール人よ
 りも立派な毛皮の服を着ていれば、ネアンデルタール人よりも寒いところで生きていく
 ことができたはずだ。
・それに加えて、ホモ・サピエンスは何でも食べていたようだ。何でも食べられれば、い
 ろいろな環境で生きていける。 寒冷で食物が少ない環境でも、ホモ・サピエンスなら
 大丈夫だろう。
・ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人のように気候によって生息地を変えることも
 ほとんどなく、着実にヨーロッパに進出してくる。特に約4万3千年前〜約4万年前の
 約3千年間には、ホモ・サピエンスの遺跡が急速に増えていく反面、ネアンデルタール
 人の遺跡が急速に消滅していく。この両遺跡の増加と消滅のタイミングが合っているこ
 とから、ネアンデルタール人の絶滅にホモ・サピエンスが関係している可能性は高いと
 言える。おそらくネアンデルタール人は、寒冷な環境とホモ・サピエンスの進出という
 2つのできごとが主な原因となって絶滅したのだろう。
・ホモ・サピエンスの、動き回るのが得意な細い体と、寒さに対する工夫と、優れた狩猟
 技術は、ネアンデルタール人ないものだった。
・ただ、忘れてはならないことは、いつも私たちがネアンデルタール人を圧倒していたと
 は限らないことだ。中東のレバンドが寒冷化したとき、姿を消したのはネアンデルター
 ル人ではなく、ホモ・サピエンスだった。ホモ・サピエンスのほうが分布を狭めること
 もあったのだ。
・それにしても、ネアンデルタール人の脳は大きかった。大きな脳は、大きな負担になる
 のである。それにもかかわらず、脳がこんなに大きかったということは、この大きな脳
 からよほど大きな利益を得ていたということだ。それはいったいなんだろうか。
・ネアンデルタール人が達成した技術としては、組合せた道具である。たとえば、木の柄
 の先に 接着剤を使って石器を固定して、槍を作ったことだ。それと石器の進歩もある。
 とはいえ、それだけのために、脳がこんなに大きくなったとは思えない。こういう技術
 的な進歩だけでは、この巨大な脳を説明することはできないだろう。もっと脳の小さい
 ホモ・ハイデルベルゲンシスのような人類だって、似たようなことはしていたのだから。
・もしかしたら、ネアンデルタール人の巨大な脳が成し遂げた偉大な業績は、証拠に残ら
 ないものだった可能性もある。 
・ただ想像することしかできないが、今の私たちが考えていないことを、昔の人類は考え
 ていたかもしれない。たまたまそれが、生きることや子孫を増やすことに関係なかった
 ので、進化の過程で、そういう思考は失われてしまったのかもしれない。それが何だっ
 たのかはわからない。ネアンデルタール人は何を考えていたのだろう。

最近まで生きていた人類
・ネアンデルタール人の他にも、最近まで生きていた人類が何種類か知られている。その
 うちに1つが、ホモ・フロレシエンシスだ。ホモ・フロレシエンシスは、約5万年前ま
 でインドネシアのフローレス島に住んでいた。身長が110センチメートルほどしかな
 く、チンパンジー並みに小さい。フローレス島では、約100万年前から石器が出土す
 るので、そのころから人類が住んでいたようだ。おそらくホモ・フロレシエンシスは、
 その子孫と考えられる。ホモ・フロレシエンシスは脳がチンパンジー並みに小さいにも
 かかわらず、高度に知的な活動をしていた。石器を作ったり、ゾウの肉を焼いて食べた
 りしていたようである。
・同じフローレス島から、さらに古い人類化石が発見された。それは約70万年前の歯や
 顎の化石で、ジャワ原人のものと似ていたが、ホモ・フロレシエンシスと共通の構造も
 あった。そして大きさは、ホモ・フロレシエンシス並みに小さかったのである。つまり、
 彼らの形態はジャワ原人とホモ・フロレシエンシスの中間的なもので、ジャワ原人の子
 孫で、かつホモ・フロレシエンシスの祖先と考えられる。この発見によって、ホモ・フ
 ロレシエンシスは「昔から小さかった」という説は否定され、「大きな人類が小さくな
 った」という説が確かなものになった。
・孤立した島では、しばしば大きな動物が小型化したり、小さな動物が大型化したりする
 ことが知られており、 このような現象を「島嶼化」と呼ぶ。島では食料が少ないので、
 大型動物の場合は大きな個体のほうが不利になる。また、島に捕食者がいなければ、無
 理をして体を大きくする必要はなくなる。
・ホモ・フロレシエンシスは約5万年前には絶滅してしまった。なぜ絶滅したのかはわか
 らない。気になるのは、ホモ・サピエンスが約6万5千年前には、オーストラリアに進
 出していることだ。そして約4万5千年前には、オーストラリアの多くの動物が絶滅し
 ている。
・ホモ・フロレシエンシスの祖先は、すでに約100万年前にはフローレス島で暮らして
 いたのだ・それ以来95万年という長きにわたってフローレス島で生きてきたのだ。そ
 れなのに、ホモ・サピエンスの進出と同時に同じタイミングで絶滅してしまったのだ。
 これは偶然だろうか。
・クロアチアは、アドリア海を挟んでイタリアの東にある国である。そのクロアチアのビ
 ンデジャ洞窟から、ネアンデルタール人の骨が発掘された。その骨から核DNAが抽出
 され、塩基配列が決定された。2010年には、ゲノムの約60パーセントが決定され
 た。その結果から、ついにネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑していたこと
 が、明らかになったのである。
・ネアンデルタール人は、現在のホモ・サピエンスのうち、アフリカ人とはDNAの変異
 を共有していなかった。一方、現在の中国人やフランス人とは、DNAの変異を共有し
 ていた。これは、ホモ・サピエンスが、アフリカを出てからネアンデルタール人と交雑
 したことを意味している。交雑が起きた場所はおそらく中東で、アフリカ人以外のホモ
 ・サピエンスのDNAの約2パーセントは、ネアンデルタール人に由来していた。両種
 が交雑した時期は、だいたい約6万年前〜約5万年前であると見積もられた。
・不思議なのは、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスに渡されたDNAの方が、ホ
 モ・サピエンスから ネアンデルタール人に渡されたDNAよりも多いということだ。
 現生人類では、優勢な集団から劣勢な集団へDNAが移動することが多い。それは優勢な
 集団の男性が、劣勢な集団の女性に子を産ませて、その子供が母親とともに劣勢集団に
 とどまることが多いからだ。
・ネアンデルタール人は絶滅したので、私たちホモ・サピエンスの方が優勢だったと考え
 がちだ。しかし、そうではなかったのだろうか。
・2つの集団の間で遺伝子が交換されたあとで、片方の集団は拡大し、もう片方の集団が
 縮小した場合、 交換された遺伝子は、拡大された集団に残りやすい。特に絶滅前の数
 千万年間は、ネアンデルタール人の集団は減少し、孤立していった。一部の集団でホモ
 ・サピエンスと交雑が行われても、そこで交換された遺伝的変異は、他のネアンデルタ
 ール人の集団には伝わらなかっただろう。
・一方、ホモ・サピエンスは人口が増え、集団同士の交流も活発になっていった。そうな
 れば、 交換された遺伝的変異も、いろいろな集団に受け継がれて保存されやすい。
・シベリアにあるデニソワ洞窟から、約5万年前〜約3万年前の人類の歯と手の指の骨が
 見つかった。化石があまりに少ないので、この人類の形態はまったくわからない。それ
 でもDNAの解析から、この人類はホモ・サピエンスでもネアンデルタール人でもない
 人類だと判明した。そして、このデニソワ人、もホモ・サピエンスと交雑していたのだ。
・現在のメラネシア人のDNAの約5パーセントは、このデニソワ人から由来したもので
 ある。 また、東南アジアの現代人もデニソワ人のDNAを持っており、実際の交雑は
 東南アジアで起きたようだ。デニソワ人の化石はシベリアで見つかっているので、デニ
 ソワ人はシベリアから東南アジアにかけての広い範囲に分布していたのだろう。

人類最後の1種
・約5万年前に、ホモ・フロレシエンシスが絶滅した。約4万年前に、ネアンデルタール
 人が絶滅した。その前後に、デニソワ人が絶滅した。そして、現在、生き残っている
 人類は、私たちホモ・サピエンスだけになってしまった。
・結局、生物が生き残るか、絶滅するかは、子孫をどれだけ残せるかにかかっている。だ
 から原因が何であれ、ネアンデルタール人の子供の数より、私たちの子供の数が多かっ
 たのは間違いない。
・現在、多くの野生生物が、絶滅の危機に瀕している。その中には、密猟などで人間に直
 接殺されて絶滅しそうな生物もいる。しかし、もっとも多いのは、生息地を人間に奪わ
 れて、絶滅しそうな生物だ。地球は有限なのだから、生きていける生物の量には限りが
 ある。ホモ・サピエンスが増えれば、その分、他の生物が死ななくてはならない。どん
 なに優し気持ちを持っていても、それは変えることができない真理だ。

おわりに
・ともあれ、今、私たちはここにいる。他の人類はいなくなってしまったけれど、でもま
 だ1種残っているのだ。これからも進化の歴史は続いていく。1万年後、私たちはどう
 なっているのだろう。他の惑星に移住した集団は、別種の人類に進化しているかもしれ
 ない。
・考えることはAIとかに任せて、人類自身の脳はさらに小さくなっているかもしれない。
 もしかしたら、そのAIに絶滅させられて・・・