予防接種は「効く」のか? :岩田健太郎

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この著者は、神戸大学教授であり医師でもある。2020年2月、新型コロナウイルスの
集団感染が発生しているクルーズ船・ダイヤモンド・プリンセスに乗り込み、船内の状況
をYoutubeにアップし、「ダイヤモンド・プリンセスは新型コロナウイルスの製造
機と化している。感染対策は悲惨な状態で、感染対策のプロは意思決定に全く参与できず、
素人の厚労省官僚が意思決定をしており、船内から感染者が大量に発生するのは当然」と
発言し、物議を醸した。普通の大学教授や医師とはちがい、ちょっとユニークな人物でも
あるようである。
これからの秋冬にかけて、インフルエンザ流行と新型コロナの感染拡大が同時進行するの
ではともいわれており、今年は特に各方面からインフルエンザ予防接種が呼びかけられて
いる。しかし実は、私はかねてより、このインフルエンザ予防接種が、どの程度の効果が
あるのだろうかと、疑問を持っているのである。
この本は今から10年前の2010年に出版されたものであり、今回の新型コロナウイル
ス・パンデミックに直接関係するものではないが、予防接種の効果をテーマにしており、
インフルエンザの予防接種についても、その効果について、何か具体的なことが書かれて
いるのではないのかと期待して読んでみた。
しかし、インフルエンザ予防接種の効果について、残念ながら、私が期待したような具体
的な数値は書かれていなかった。効果はあるとしながらも、接種することによって、何パ
ーセント程度の抑制効果があるのかというような数値はないのである。
1980年代に出されたインフルエンザ予防接種の効果に関する調査「前橋レポート」に
よれば、効果はほとんど見なれなかったと結論づけられた。しかし、それはもう40年近
くも前の話であり、現在においては「効果はあるのだ」とされている。しかし、その効果
について具体的に調査された研究結果というのは、どうも見当たらないようである。ネッ
トなどには、「その効果を調べるのははなはだ難しいが、およそ50%程度の抑制効果が
ある」と書かれていたり、テレビなどでもそう語られるのだが、はたしてほんとなのだろ
うか。それは何を根拠にしているのだろうか。
インフルエンザワクチンは、ワクチンメーカーにとって、売上げの大部分を占めていると
も言われているようで、インフルエンザワクチン無しには、ワクチンメーカーの経営は成
り立たないというような事情も裏にはあるようで、このインフルエンザの予防接種の効果
については、不思議なくらい曖昧にされているように感じるのである。
ところで、インフルエンザワクチンの接種率は、近年は横ばい傾向で,小児および高齢者
は50%台、一般成人は30%弱,全体では40%弱程度だと言われている。
今回の新型コロナ禍の中において、コロナ・ウイルスとインフルエンザ・ウイルスが飛び
交う最前線にわざわざ出かけて行って、インフルエンザの予防接種を受けるべきか否か。
この本を読んで、その判断がますますできなくなってしまった。
なお、海外の目を向ければ、今年冬のピークが過ぎたオーストラリアでは、今シーズンの
インフルエンザの患者数は例年の9割減と少ないそうである。これを聞くと、ますます、
インフルエンザ予防接種を受けに出かける気力がなくなってきた。
もっとも、国やマスコミが推奨しているように、「お国」のために、そしてまたワクチン
メーカーの経営維持のためにも、多くの人はインフルエンザ予防接種を受けるべきであろ
う。

はじめに
・日本の医療は、世界的に見て優れているところも劣っているところもありますが、こと
 予防接種に関する限り、先進国の中ではかなり遅れています。そのために、本来ならも
 う「かからなくてもよい病気」にかかって苦しんでいる人たちが、あとを絶ちません。
・「科学的に証明されている」という安易な言葉にも注意が必要です。科学が何かを「証
 明する」ためには、たくさんの条件をクリアーしなければなりません。科学的営為が何
 かお「示唆」したり、「主張」させたり、「問題提起」を行うことはしばしばあります
 が、真実を証明するのは稀有なことです。また、実際証明されたと感じられても、後々
 になって「誤謬」と分かってしまうこともまれではありません。
・野口英世は、子どもの時の手の火傷に苦しんだり、貧乏にあえぎながらも苦労し、後に
 アメリカに留学して活躍した偉人として有名です。彼は、梅毒の原因菌の培養に成功し
 たり、黄熱病の原因微生物を見つけた、ワクチンの開発に成功した・・・と、次々に世
 の中をあっと言わせる発表を行って有名になりました。しかし、後の研究で、彼の「科
 学的発見」はほとんどが誤りだったことが分かっています。科学的に証明されたと思っ
 ても、後の研究でひっくり返されるのは、世の常です。
・天文学者で作家でもあるカール・セーガンは、次のように述べています。「科学の核心
 部では、一見すると矛盾するかに見える二つの姿勢がバランスをとっている。ひとつは、
 どれほど奇妙だったり直感に反したりしても、新しいアイディアには心を開いておくこ
 と。そしてもうひとつは、古いか新しいかによらず、どんなアイディアも懐疑的に厳し
 く吟味することだ。そうすることで、深い真実を深いナンセンスからより分けるのであ
 る」   
・科学者はいつも「現在の常識」を捨てる覚悟を持っていなければいけません。そうしな
 ければ医学の進歩はあり得ないからです。しかし、不思議なことに、本来もっとも柔軟
 な頭脳と臨機応変な態度を必要とする医学者ほど、保守的で頑固で、狭量だったりしま
 す。
・一般に同一の価値観を持った人たちだけの集まりよりも、多様なプレイヤーが参加した
 方が、重層的で深みのある議論が可能です。一方向から「だけ」で行う議論は、どこか
 一面的で穴が生じやすいものです。
・単一の価値観だけに頼っていると、たとえその知識や技術が最高レベルにあったとして
 も、うまくいかないものです。多様な見解、多様な価値観、多様な声が大切なのです。
・もちろん、多様なプレイヤーによる多層的な議論「であれば」なんでも上手くいく、な
 んて楽観論は持てません。これはあくまでもあり方の一つであって、ソリューションの
 すべてではないのです。

ワクチンをめぐる、日本のお寒い現状
・20世紀の医学領域における最大の貢献は、ワクチンと抗菌薬がもたらした、こんな言
 い方をされることがあります。
・種痘は天然痘のワクチンですが、死亡率30%というこの恐ろしい病気は、現在、地球
 上から姿を消しました。ワクチンの最大の功績です。
・ただ、ワクチンの成果については異論もあるようです。麻疹や破傷風、百日咳などは、
 予防接種の導入前からすでに死亡率が下がっていると指摘されています。また、猩紅熱
 など、実際には有効なワクチンが存在しない感染症も、同時期に死亡率が減少していま
 す。19世紀から20世紀にかけて世の中から感染症が激減したのは、予防接種の功績
 だけとはいえないのではないか。 
・感染症を減らす要因はたくさんあります。上下水道の整備、人びとの栄養状態の改善、
 清潔な生活と教育・・・。こういったたくさんの要素が、感染症の減少に寄与している
 可能性は高いでしょう。予防接種「だけが」感染症の減少に寄与している、というのは
 ちょっと言いすぎだと思います。
・日本脳炎は、蚊から感染する脳の炎症です。日本脳炎ウイルスを豚が持っていて、その
 豚を刺した蚊がウイルスを有するようになる。その蚊が人を刺すために、脳炎が発症す
 るのです。一度脳炎を発症すると死亡率は20%程度と高く、治療法が確立していませ
 ん。したがって予防が大切、ということになります。
・日本脳炎ワクチンは、日本では勧奨接種という名前で予防接種制度に組み込まれていま
 した。しかし、1967年から公費負担による予防接種となり、事実上の定期接種とな
 っていました。 
・しかし、2005年、日本脳炎ワクチンの「積極的勧奨の差し控え」が行われ、接種率
 が大きく低下します。これは2003年に起きたワクチンに関連する急性散在性脳脊髄
 炎と呼ばれる副作用が問題とされたためです。「積極的勧奨の差し控え」というのはわ
 かりづらい言葉ですが、医療現場では「原則接種してはだめ」というふうに解釈され、
 日本脳炎予防接種は、この年から事実上中止されています。
・その結果、これまではほとんど発生していなかった日本脳炎の患者、そして死亡者が見
 られるようになったのでした。 
・2009年になって、ようやく副作用の少ない新しいタイプのワクチンが使用されるよ
 うになったのですが、この空白期間に、それまで非常にまれだった日本脳炎が復活して
 しまったことは大きな問題となりました。
・予防接種をやめてしまうと感染症が増える。このことは予防接種が感染症を減らすのに
 寄与していることを示唆しています。
・実は日本のワクチン事情はお寒い限り。アメリカなど諸外国との差は開く一方で、先進
 国から20年くらいは遅れているといわれています。
・アメリカの方で提供されていないのは、日本脳炎やBCGです。日本脳炎は現在アメリ
 カ国内では発生がありません。BCGは結核のワクチンですが、残念ながらあまり発症
 予防には寄与しないと考えられています。ただ、新生児の重症結核は予防できるのでは
 ないかという意見もあり、アメリカよりも結核の多い日本では、今もBCGを継続して
 います。   
・アメリカでは、65歳以上の高齢者には、肺炎予防のための肺炎球菌ワクチンの接種が
 推奨されています。原則、無料でこのワクチンの接種を受けることが可能です。成人用
 肺炎球菌ワクチンがアメリカにおいて導入されたのは、1980年代のことです。とこ
 ろが、日本では現在においても、肺炎球菌ワクチンは「任意接種」。つまり、お金を自
 分で払って「勝手に接種してください」という状態です。2003年の時点で、アメリ
 カの65歳以上の実に60%以上が肺炎球菌ワクチンの接種を受けていましたが、日本
 ではたったの数%程度でした。
・麻疹という病気があります。「はしか」と呼ばれています。麻疹は非常に流行しやすく、
 たくさんの患者が発生します。確かに、麻疹一例一例をとってみると、めったなことで
 は患者さんは亡くなったりはしないのですが、たくさんの人がかかってしまうと、結構
 な死者が出てしまうのです。 
・現在、麻疹は、予防接種でほぼ完璧に予防できる感染症と考えられています。実際、多
 くの先進国では、麻疹ワクチンを含むMMRというワクチンを普及させ、ほとんどの国
 から麻疹はなくなってしまいました。
・ところが、日本では現在も麻疹の流行が見られます。日本は、「麻疹ワクチン後進国」
 なのです。 
・同じように「死亡率は低いのに死亡者が多く出る病気」に、インフルエンザがあります。
 一般にインフルエンザは、かかってもいずれは回復する病気です。では、放っておいて
 よい病気かというと、そういうわけではありません。なぜかというと、インフルエンザ
 は流行しやすいので、たくさんの患者さんが発生するからです。個々の死亡率は低くて
 も、患者数がべらぼうに増えると、死亡者の数は増えてしまいます。
・日本でも毎年冬になるとインフルエンザが流行します。流行の度合いによって死亡者数
 が異なりますが、多い時は日本だけで、年間1万人以上の方がなくなっています。
・インフルエンザ菌による感染症は、比較的発生数は少ないのだけれど、死亡率が高いた
 めワクチンを接種する場合があります。名前が紛らわしいので勘違いされやすいのです
 が、「インフルエンザ菌」とはインフルエンザの原因ではありません。インフルエンザ
 はインフルエンザ・ウイルスが原因となります。インフルエンザ菌は、細菌という種類
 の微生物で、ウイルスとは違うものです。
・ウイルスと細菌は違うのです。一番手っ取り早く言うと、抗生物質が効かないのがウイ
 ルス。抗生物質で殺すことができるのが細菌。
・1918年にインフルエンザ(スペイン風邪)が大流行した時、ウイルスがその原因だ
 とは分かっていませんでした。患者さんの検体を顕微鏡で見ると細菌が見える。これが
 インフルエンザの原因じゃないかと「勘違い」したのです。これがインフルエンザ菌。
 つまり、インフルエンザ菌は「インフルエンザの原因と勘違いされて名付けられた」か
 らこのような名前なのです。
・そのインフルエンザ菌は、子どもの命にかかわるような重症の感染症、細菌性髄膜炎と
 か急性喉頭蓋炎の原因として知られています。    
・インフルエンザ菌ワクチンがアメリカで導入されたのは、1980年代のことです。こ
 れが日本では、ようやく2008年に認可・発売されたばかりです。しかも、日本では、
 任意接種で全額自己負担であり、一人あたり計3万円程度の出費が強いられます。
・同じように、髄膜炎のような怖い感染症を起こす菌に、肺炎球菌があります。この菌は
 高齢者だけでなく、小さい子どもにも怖い病気を起こすのですが、この肺炎球菌ワクチ
 ンは小児には効果が高くないため接種されてきませんでした。ところが1990年代に、
 小児向けに開発された肺炎球菌ワクチンがアメリカに導入され、肺炎球菌による髄膜炎
 が劇的に減少しました。日本ではようやく2010年に承認されました。ところがこれ
 も、任意接種のワクチンで、高額なワクチンとなります。
・アメリカでは定期接種になっているA型肝炎ワクチン、B型肝炎ワクチン、水痘(水ぼ
 うそう)ワクチンなども、日本では未だ任意接種です。日本では、B型肝炎については、
 母子感染の予防にのみ執心し、性感染症としてのB型肝炎の存在は無視されてしまって
 います。  
・B型肝炎ウイルスによる慢性肝炎は、肝硬変、肝細胞がんの原因となることはよく知ら
 れています。ここでも日本と諸外国の見解に大きな差が見られているのです。
・またアメリカでは、高齢者用の帯状疱疹ワクチンが、すでに推奨予防接種のスケジュー
 ルに組み込まれています。水痘の既往歴がある人は、将来、帯状疱疹に苦しむ可能性が
 あるためです。
・日本では子宮頸がんが年間1万5千人発症し、2500人が死亡しているといわれてい
 ます。若い女性に起きるがんということで、とても大事な問題です。このワクチンも日
 本で最近発売されましたが、やはり任意接種で大変高価なのが問題です。
・ワクチンというのは、絶対的な存在ではありません。ワクチンを接種されたとしても、
 やはりその病気にかかってしまうことはあります。反対に、ワクチンを打たなくても病
 気にかからないラッキーな人もいます。つまりワクチンは、あくまでも相対的な存在な
 のです。白黒はっきりしない煮え切らない存在なのです。
・インフルエンザワクチンを接種しても、インフルエンザになってしまう人はいますし、
 ワクチンを打たなくてもかからない人はいます。しかし、たくさんの人を集めて数えて
 みると、やはりワクチンを打った人の方がワクチンを打たない人に比べるとずっとイン
 フルエンザにかかりにくいのです。   
・2009年に流行したH1N1インフルエンザの場合、厚生労働省は、積極的な患者隔
 離や強度な検疫活動を行いました。「何か起こったらどうなるんだ」という姿勢で、比
 較的軽症のインフルエンザに対して、強い態度で臨んだのです。そしれそれが「やるす
 ぎである」という批判を受けて対応を緩和したのです。
・ワクチンに関係した問題について、「被害者に対応する加害者を設定して責任を追求す
 る」という構図でしか、マスメディアは語る方法を知りません。このようなマスメディ
 アの論調が、ワクチン製造者、行政担当者、医療現場を恐怖させ、委縮させ、ワクチン
 問題への妥当な取り組みを妨げてきたのです。
・日本の予防接種が世界から遅れ、多くの患者が不要に苦しんできた責任のすべてが、マ
 スメディアにあるとは思いません。そのようなメディアの糾弾的な論調に簡単に委縮し
 てしまった関係者のプロフェッショナリズムの欠如、気概のなさにも大いに問題があっ
 たと思います。けれども、そういう問題を差し引いても、日本をワクチン後進国にして
 きたことに関して、メディアの責任は非常に大きいのです。
・そろそろマスメディアを黙殺する、「マスコミ・パッシング」という戦略を積極的に採
 用する時にきていると思います。僕は今、新聞を取っていません。テレビもほとんど見
 ません。スポーツ中継と映画、そしてドキュメンタリーくらいは見ていましたが、ほと
 んど見なくなりました。もっとも大きな理由は、「マスメディアからは欲しい情報が得
 られない」からです。   
・2009年にインフルエンザのパンデミックが起きた時、関係者が一様に言っていたの
 は、「とにかく大変だったのはマスコミ対応だった」でした。多くの方が「今後どのよ
 うにしてマスコミに対応していくかが課題だ」とおっしゃっていました。
・なぜ、みんな一所懸命メディアの言いなりになり、彼らの要求に応じ、そして親切丁寧
 に対応し、記者会見を応え、お辞儀をしなければならないのでしょう。だったら、「今
 忙しいから、取材には応じられません」と一言いえばよいだけなのではないでしょうか。
・メディアに情報を開陳しなければならない義務など、実はどこにもないのです。むしろ、
 これだけ情報開示のツールが増えたのですから、なにか開示しなければいけない情報は、
 自分のホームページやブログかツイッターか、そういう媒介を介して公開すればよいで
 はないですか。  
・官僚はメディアがいい加減なことを書くといつも不満を言い、軽蔑するくせに、メディ
 アに批判されることを極度に恐れるのはおかしいのではないか。
・ほとんどの人はワクチン接種を受けても副作用は起きません。起きたとしても、針を刺
 した部分がちょっと腫れて痛い、それも数日で消えてなくなる・・・程度の軽い副作用
 なことがほとんどです。命に関わる大きな副作用や、生涯にわたる重い障害の発生する
 ことは極めて稀な出来事です。圧倒的大多数の人にとって、予防接種はネガティブな存
 在ではないのです。 
・予防接種とは多くの場合、少数の病気になってしまう人を念頭に置いた、多数の人への
 措置なのです。どうしてかというと、その多数の人の中で、誰が少数の病人になってし
 まうのか、予見することは不可能だからです。
・要するに、予防接種を売っても打たなくても、多くの方には何も起こらない、というこ
 とです。これが予防接種の本質です。ごく少数の人が予防接種の恩恵を受けて病気を回
 避でき、ごく少数の人が予防接種を受けなかったがゆえに病気になって苦しみます。
 そして、簡単に言うと、予防接種を行う価値のあるワクチンというのは、この「予防接
 種をせずに病気に苦しむ人」と「予防接種を売って副作用で苦しむ人」とを比較し、前
 者が後者よりも大きい場合をいうのです。
・2009年に流行した「新型インフルエンザ」も、最初の10人くらいの時は大騒ぎで
 したが、患者が1千万人以上発生していた冬の時期の方が、メディアも国民も静かでし
 た。被害が大きくなるほど報道されなくなる、というのはちょっと考えると奇妙な現象
 です。  
 
感染症とワクチンの日本史−戦後の突貫工事
・世界でも有数の長寿国となった日本人は、なかなか死ななくなりました。明治時代には、
 日本人の粗死亡率(人口千人あたり年間何人死亡するか)は20くらいだったのが、現
 在では大体4分の1程度まで減少しています。実は、がんの最大の原因は、タバコでも
 なければお酒でもありません。最大の原因は加齢、とまり年をとることなのです。日本
 人の死亡原因でがんが1位になった最大の理由は、皮肉にも日本人が長生きするように
 なったからなのです。
・日本の戦後医療制度を作ったのは、実質上、連合軍総司令部(GHQ)でした。彼らが
 特に力を入れたのは予防接種の整備でした。感染症が猛威をふるっていた日本ですが、
 予防接種がその対策としてもっとも手っ取り早いと考えられたのでしょう。そんなわけ
 で、GHQの指導で予防接種プログラムと「予防接種法」ができます。1948年にこ
 の法律は公布されます。戦後わずか3年ですから、いかにこの法律が突貫工事的に作ら
 れたかが想像されます。
・予防接種法で、まず積極的な対応の対象とされたのは、天然痘ワクチン、すなわち種痘
 でした。1946年の天然痘患者は1万7千名以上もいました。そこで予防接種プログ
 ラムが再開され、天然痘対策が積極的に行われます。その成果もあり、翌年の1947
 年には、患者数は368名へと激減します。
・当時は、情報伝達のツールが少ない中で、国民一人一人が予防接種について上手に理解
 したり知識を得るというのは難しいと考えられていたようです。「強制的にやらねば予
 防接種は普及しない」という官僚の考えも反映され、いわば国民をなめた形で予防接種
 プログラムは展開されました。  
・この予防接種法の問題点は、接種時期なども法律本文に盛り込んでしまったことにあり
 ました。科学が進歩すれば、予防接種に対する方法や適応、禁忌なども変化しますし、
 対象疾患だって増やしたり減らしたりが必要です。しかし、このように法律本文に施行
 詳細を盛り込むという方法をとってしまったため、新たな科学的知見が出ても変更がし
 づらいという問題が生じました。これは今日でもまだ残る問題です。
・日本はアメリカに占領された国で、GHQは占領国の組織です。GHQは感染症の制圧
 を第一のプライオリティとおき、ワクチンの有効性や安全性に関する厳密な科学的吟味
 は、やや後回しにしていました。今の目から見るとやや人権軽視的で、そのポリシーは
 強制的なものでした。 
・個々人の人権意識がずっと高かったであろう自国(アメリカ)では、同じような政策が
 とれなかったことから考えても、日本の戦後の予防接種政策が、「占領国によって」作
 られたがゆえの性格を色濃く持っていたとしても、驚くことではないと思います。当時
 のアメリまでも、現在の我々が認識するような「人権意識」にあふれていたわけではあ
 りません。有色人種への差別は依然として非常に強く、黒人に対する人体実験も平気で
 行われていました。悪名高いのが「タスキーギ試験」です。すでに治療法の確立してい
 た黒人の梅毒患者を「あえて」治療せずにどうなるかを観察していた、というこの研究
 は、アメリカ連邦政府主導で、1930年代から70年代まで行われていました。
・予防接種法制定以来、日本では長く「集団接種」という予防接種の方法をとっていまし
 た。学校などでたくさんの人を集めて一斉に予防接種する方法で、2009年のインフ
 ルエンザ・パンデミックの時も、この接種の方法の復活が話題になりました。
・集団接種が問題だったのは、かつての方法がとてもずさんなやり方で行われたためです。
 問診による禁忌者の判定もいい加減なら、接種もいい加減というわけで、短時間に大量
 の人たちを「さばく」ずさんさが、予防接種の安全性に配慮していないと批判されたの
 でした。
・また、集団接種は「集団の防衛」「社会の防衛」ということを主眼にしており、個人防
 衛という観点から考えると、現代にはそぐわないという意見もありました。現在の予防
 接種は原則「個人防衛」を目的としており、集団の防衛は目指していない、という意見
 があるからです。
・大量に人を集めて一斉に行うというやり方そのものが、個々の人権に配慮していないと
 いう意見もあります。集団で一斉に予防接種を行ってしまうと、本当はワクチンを打ち
 たくない人もなんとなく断りづらくなってしまう・・・。
・GHQ主導で作られた予防接種法ですが、突貫工事で作られたこともあって、たくさん
 の問題点がありました。その一つに「ゼロリスク」という前提があります。当時、義務
 接種であった予防接種ですが、なんと補償制度が存在しなかったのです。つまり、強制
 的にワクチンを接種せよ、と国が命じておきながら、何か副作用が起きたときには補償
 はありませんよ、という、今から考えるとかなり乱暴なシステムでした。
・副作用が起きても補償がない・・・なんていう話は納得がいきませんよね。この問題を
 払拭するために考え出された苦肉の策が、「副作用なんて起こりえない」というゼロリ
 スク神話でした。万が一有害事象が発生しても、「これはワクチンの副作用ではありま
 せん。あなたが特異体質だったから仕方なかったんです」という説明がなされました。
・政府の強制的な予防接種。そして何かあっても「それはその人の特異体質」というのは、
 いかにも無責任な態度です。このことが、後にワクチン被害の問題に深く絡み合ってき
 ます。   
・「ゼロリスク症候群」は、国・政府だけの病ではありません。ワクチンを受ける側の国
 民も、「国がやっている予防接種事業なのだから絶対に副作用があってはいけない」と
 いう「ゼロリスク症候群」にっかかってしまいました。
・ワクチンというのはある物質を(多くの場合)注射で体に打ち込む、極めて不自然な行
 為です。アレルギー反応を初めとするあれやこれやの副作用は、わずかながら必ず存在
 します。しかし、その副作用が「あたかもないかのように」振る舞っていた国と国民の
 態度が、戦後日本の医療のあり方に暗い影を投げかけてきました。
・ゼロリスクというのはありえない幻想に過ぎません。したがって、この理論はいずれ破
 綻します。ワクチンのみならず、医療行為は必ずリスクを伴います。薬を飲むのも、心
 臓カテーテルのような検査を受けるのも、手術を受けるのも、そしてお産も、必ずリス
 クがつきまといます。  
・医療の本質は、この「リスクを超える利益を得るためのトレードオフ」の行為という点
 にあります。この本質を見失ってしまうと、「ワクチンの副作用ではありません。あな
 たの特異体質なんです」という「詭弁」が生じます。「私は責任とれませんから、あな
 たの自己責任でやってください。ここの同意書がありますから、サインをどうぞ」とい
 う「丸投げ」が生じます。「副作用なんて知りませんよ」という「隠蔽」が生じます。
 「おまえの責任だ」という「糾弾」が生じます。詭弁、丸投げ、隠蔽、糾弾のいずれも、
 日本という国の政府と国民が共有してきた「ゼロリスク症候群」の典型的な象徴なので
 す。
・日本の医療行政の問題点は、等質的な官僚と、これまた等質的な「専門家集団」だけで
 物事を決めてしまうことです。そうすると、どうも硬直的で柔軟性のない製品ができて
 しまいます。

京都と島根のジフテリア事件−ワクチン禍を振り返る
・ジフテリアという感染症は、今の日本では極めてまれですが、戦後間もないころは毎年
 何万人もの患者がいたそうです。1945年では発症者が8万6千人、そのうち10%
 は死亡したといいます。
・ジフテリアのワクチンは、1921年に開発されました。現在、ほとんどの国では、ジ
 フテリアのワクチンが定期予防接種に組み込まれています。
・予防接種法が公布された1948年に、その事件は起きました。京都市では、1948
 年からジフテリアの予防接種を開始しました。11月5日までに約9万7百人の子ども
 が予防接種を受けました。この時用いられたのが、大阪日赤医薬学研究所(大阪日赤)
 が製造したジフテリア・ワクチンでした。
・1948年11月8日を皮切りに、ワクチン接種を受けた子どもの異常が次々に報告さ
 れました。午前中だけで数十人の子どもが異常を訴えたのです。多くの子どもが訴えた
 症状は、接種部位が大きく腫れるということで、それが予防接種による副作用だったの
 は一目瞭然でした。京都市防疫課が京都府衛生部に通報し、予防接種を中止しました。
 しかし、患者は増え続け、11月13日には初めての死亡者が出てしまいます。
・11月19日には、死亡した子どもの病理解剖から、ジフテリア毒素による中毒死と判
 明しました。ジフテリアのワクチンにジフテリアの毒素そのものが混入していたのでし
 た。 
・最終的には、この毒素が混入したジフテリア・ワクチンのために、京都府では68名の
 死亡者が出てしまいました。同年、京都からわずかに遅れて、島根県でも同様の事故が
 起きてしまいました。島根県における患者の総数は322名、死亡者は15名でした。
・ジフテリア・ワクチンを製造していた大阪日赤は、正式な製造手順を踏襲していません
 でした。当時はたくさんの会社がワクチンを製造していたらしく、ワクチン製造を請け
 負っていた製造所は41カ所もあったそうです。現在、国内にワクチンメーカーが7社
 しかないことを考えると、驚きです。
・戦後間もないころで、ワクチン製造会社といっても、大阪日赤はバラックのような建物
 だったそうです。もっとも、当時のワクチンメーカーは、戦後の貧しい環境の中でどこ
 も似たり寄ったりだったらしく、国家検定の合格率は6割程度だったといいます。
・20世紀はじめ、初期の狂犬病ワクチンでは、けいれんや麻痺その他の副作用が見られ、
 その頻度は230人に1人という高率のものでした。
・1942年、アメリカの軍隊で黄熱病ワクチン接種が行われました。ワクチンは安定の
 ために、人の血清が用いられていました。そこにB型肝炎ウイルスによる感染のあった
 血清が混じっていたのです。ウイルスで汚染されたワクチンのせいで、30万人以上の
 軍人がB型肝炎ウイルスに感染し、そのうち5万人に重篤な肝炎が発症、62人が死亡
 しました。   
・リューベックBCG事件というのもあります。これは1930年2月から4月の間に、
 ドイツのリューベック市で、生後10日以内の乳児251名がBCGの経口投与を受け
 たのち、次々と結核を発症し、72名が死亡した事件です。製造中に有毒人型結核菌が
 混入していたことが判明しました。
・ワクチンの副作用問題を考えるうえで避けられないこととして、「責任追及」の問題が
 あります。ジフテリア事件の問題の場合、多くのプレイヤーが存在し、その責任が問わ
 れました。
 (1)危険なワクチンを製造した大阪日赤(メーカー)の責任
 (2)そのワクチンを製造販売することを許可し、検定にて危険なワクチンを見つける
    ことができなかった厚生省の責任
 (3)そのワクチンを接種した医師など医療従事者の責任
・実際、メディアは、「責任追及」を一番重要な問題としました。予防接種で被害が出た
 場合、どいつが悪いやつだと探し出し、糾弾するのがメディアの語り口です。これは加
 害者がいて、被害者がいる、という世界観を前提にしている司法の考え方でもあります。
・確かに、メーカーの大阪日赤の責任は明らかでしょう。戦後間もない物資の少ない時代
 において、製造に必要な物資を入手するのは困難であったといわれています。最初から
 質の高いワクチンメーカーをそろえるのは困難だったかもしれません。
・ならが、質が高まるまで時間をかけて体制を整備すればよいじゃないか、という意見も
 ありでしょうが、そうやって待っている間も、当のジ二リアの患者は毎年大領に出続け
 ていたわけです。そちらの病気で死ぬ人はほったらかしておくというのも、本末転倒で
 しょう。
・もし、大阪日赤に手順違反がなかった場合はどうでしょう。そういう場合でもワクチン
 で副作用が起きた場合、誰にその責任はあるのでしょうか。
・基本的に医療の世界は、司法の世界観(そしてマスメディアの世界観)が当然と信じて
 いるような「被害者がそこにいる時、必ず糾弾すべき加害者がいる」という論法がそぐ
 わないものだと考えています。医療の世界に基本的に100点満点はないのです。
・このような世界観で、ごくわずかな確率で起きたワクチンの副作用について、接種する
 医療者や、許可を与えたり検定をする厚労省を攻撃、糾弾するならば、僕らは委縮して
 「立ち去ってしまう」よりほかないのです。そして、何より忘れてはならないのは、実
 際には99%以上の方はワクチンにおける被害を受けていないのです。
・アメリカでは予防接種に関しては、メーカーも医療者も、副作用に対する医療訴訟から
 免責されています。その代わり、ワクチンの費用の一部を積み立てたお金を原資として、
 ワクチンの副作用に苦しむ人を救済するための無過失補償制度を適用しています。

アメリカにおける「アメリカ的でない」予防接種制度に学ぶ
・アメリカの医療は複雑です。現在世界最先端の医療研究が行われているのはアメリカで
 す。主要な医学論文もアメリカの医学雑誌に発表されています。こういうところはアメ
 リカ医療の「光」の部分です。
・その一方で、4千万人とも5千万人ともいわれる人たちは、医療保険に入っておらず、
 医療へのアクセスは日本では考えられないくらい悪いのです。この辺はアメリカ医療の
 「陰」の部分です。
・こと予防接種について言うと、アメリカにはとても参考になるところが多いのです。ア
 メリカという国は、ことワクチンに関する限り、「アメリカ的」でなくなってしまうの
 です。つまり、個人主義ではなくて集団主義的になり、自助努力的ではなく互助的にな
 り、責任追及型ではなく無過失補償制度があり、民間ではなくて公的なプログラムが主
 体となり、強者中心ではなく弱者中心となります。
 
1976年の豚インフルエンザ−アメリカの手痛い失敗
・1979年1月、ニュージャージー州にある陸軍訓練センターで、何人もの訓練生がイン
 フルエンザの病状を示しました。1人は入院を拒否し、そして死亡しました。
・問題は、検出されたインフルエンザ・ウイルスにありました・インフルエンザで死亡し
 た陸軍訓練生の遺体から検出されたウイルスは、過去に存在しないタイプのインフルエ
 ンザ、言ってみれば「新型インフルエンザ」だったのです。同じウイルスが、別の訓練
 生からも見つかりました。専門家たちは戦慄しました。彼らの頭には、1918年の
 「スペイン風邪」がありました。4千万人以上の命を奪ったといわれるこのインフルエ
 ンザ大流行は、スペインだけでなく世界中に流行しました。
・ちなみに現在、「三大感染症」と呼ばれるエイズ、マラリア、結核は、それぞれ毎年数
 百万人の人命を奪っています。この世界三大感染症のエイズ、マラリア、結核のどれも、
 未だ効果的なワクチンが存在しません。結核にはBCGというワクチンがあるのですが、
 効果はいまいちで、この病気を征圧するには不十分なのです。  
・実は、このスペイン風邪の原因も、豚由来のインフルエンザ・ウイルスでした。
・当時のフォード大統領は声明を発表しました。アメリカの男性、女性、小児すべてが予
 防接種を受けるべきある、と発表したのです。予防接種大国アメリカにして、国民すべ
 てに、というのは初めての決断でした。 
・ついに10月1日、大量接種プログラムがスタートしました。最初は100万人以上の
 成人が接種を受けることになりました。小児のワクチンについては臨床試験が終わって
 いなかったのです。  
・10月11日、ピッツバーグの3人の高齢者が、予防接種直後に死亡しました。同じ医
 療機関で、同じ日に、です。これを受けて11の州が予防接種を延期しました。部検で
 は3人の死因は心不全でしたが、何が心不全の原因となったのかは不明のままでした。
 高齢者は毎日死んでいるのだから、これは偶然である、という主張もなされました。
・10月14日、テレビの前で、フォード大統領一家自らワクチンを接種しました。接種
 を延期していた州も徐々に接種を再開しました。毎週何百万人というアメリカ人が予防
 接種を受けたのでした。12月までには4千万人のアメリカ人が接種を受けました。過
 去に接種されたインフルエンザワクチンでは最大の規模でした。これまでは、最高でも
 その半分程度しか接種されていなかったのです。  
・11月、ミネソタの医師が、接種後にギラン・バレー症候群という神経の病気が起きた
 事例を経験しました。1週間以内にさらに3例の報告があり、1名は死亡しました。
・ギラン・バレー症候群は当時、毎年アメリカで5000例程度見られていた、比較的珍
 しい病気でした。末梢神経系に炎症が生じ、四肢などに麻痺が起きる病気です。ワクチ
 ン接種とギラン・バレー症候群。これは偶然の出来事でしょうか。
・12月13日、専門家たちによる会議が開らかれ、ギラン・バレー症候群とワクチンの
 関係、そして予防接種プログラムの継続について議論されました。この時点では、予防
 接種プログラムは継続すべし、という結論になりました。
・12月16日、3回目の専門家会議で、ギラン・バレー症候群とワクチンの関連性を確
 認するため、1カ月間の予防接種延期をすることに皆が同意し、予防接種計画は中断さ
 れました。その後、大量接種プログラムはついに再開されることがありませんでした。
・1979年の豚インフルエンザ対策は、結局失敗に終わったのです。懸念されたインフ
 ルエンザの流行はなく、何千万人という予防接種が無駄に使用され、そして副作用によ
 る被害者が出たのですから。 
・このように、1976年は未曾有の豚インフルエンザ・パンデミックが懸念され、何千
 万人というアメリカ国民が予防接種を受けました。しかし、懸念されたパンデミックは
 起きず、逆にギラン・バレー症候群という副作用が問題になり、この予防接種計画は結
 果的には失敗に終わります。
・ギラン・バレー症候群症候群の発症率は、この時のワクチン接種者は一般の場合よりも
 11倍高いと見積もられました。もっとも、被接種者中のギラン・バレー症候群発症者
 は10万人に1人、死亡者は200万人に1人と、低いものでした。
 
ポリオ生ワクチン緊急輸入という英断−日本の成功例
・アメリカのように予防接種先進国に見えても、ワクチンで失敗することはあるのです。
 特に、新しい感染症、未知の感染症の場合には、感染症のデータも理解も十分ではあり
 ませんから、何が「正しい」対応なのか簡単には分からないのです。
・1976年の豚インフルエンザの時は、流行するか分からないインフルエンザを「流行
 するかも」と間違って見積もり、安全性の確立していないワクチンを「安全だろう」と
 間違って見積もり、二重の間違いが悪い結果をもたらしました。ワクチン接種プログラ
 ムが失敗するとはこういうことをいうのだ、という典型的なパターンだと思います。
・ワクチンがうまくいった例として、日本におけるポリオ生ワクチン緊急輸入の例を取り
 上げましょう。ポリオとは神経に起きる感染症で、急性灰白髄炎とも呼びます。俗に
 「小児麻痺」と呼ばれ、乳幼児に多い疾患です。人間の糞便中にいるポリオウイルスが
 感染して起こり、麻痺などの障害を残す可能性があるのです。現在でも、発症したらこ
 れといった治療法がありません。  
・1940年代、50年代。日本では毎年何千人というポリオの患者が出ていました。
 ポリオのワクチンには2種類あります。甘い液状のシロップを口に入れて飲み込むワク
 チン(経口生ワクチン)。注射で射つ、普通のワクチン。現在、日本で用いているのは、
 経口生ワクチンです。
・1955年にはアメリカ、次いで西欧諸国でポリオワクチンの接種が始まりました。
 日本も1958年に、伝染病予防調査会がポリオワクチンの国内生産を厚生省(当時)
 に答申しました。また、1959年には、ポリオは伝染病予防法による指定伝染病に指
 定されました。 
・1959年、輸入ワクチンが用いられたのですが、その量は多くなく、また任意接種で
 全額自己負担でした。3回接種となると、当時のお金で5千円から1万円程度かかった
 ようです。この年、八戸でポリオの流行が起き、アメリカからワクチンを輸入する案が
 出ましたが、この年はアメリカでもポリオが流行しており、日本には十分な量のワクチ
 ンが提供されませんでした。  
・1960年、北海道夕張市で、ポリオの集団感染が発生しました。ちょうどそのころは
 安保紛争のころで、岸内閣が解散、池田内閣発足の時期でした。そのため、予算措置で
 のワクチン接種が行われることになり、1960年8月に緊急対策要領を閣議了解で出
 しました。ある程度の国民の出費を必要としましたが、公費負担も行うことにし、接種
 率の上昇を試みました。1961年1月から、ワクチンがずっと安価に手に入ることに
 なりました。そして実質的には「定期接種」として、3歳児以下のポリオワクチン接種
 を推進したのです。
・ところが、当初1歳6カ月までだった接種対象を3歳まで拡大したこともあり、ワクチ
 ン不足が問題となりました。アメリカでも日本でもポリオが流行していたこの時期、ソ
 連では経口ワクチンの開発が進んでいました。1960年の流行時、ソ連はこの生ワク
 チンの寄贈を日本に打診しますが、生ワクチンの安全性への懸念もあって、この導入は
 進みませんでした。その後、同年の夕張市でのポリオ流行時も、ソ連はワクチン輸出を
 オファーしますが、厚生省は検定施設の不備を理由に、これを拒み続けました。
・1961年5月、生ワク協議会は臨床試験を始めようとしていました。ポリオは九州、
 山口県で流行していました。ここで再び生ワクチンの導入の議論が行われました。公衆
 衛生局は流行への対応のために生ワクチンの早期導入を試みましたが、薬務局は生ワク
 チンの副作用のリスクを考え、薬事法上の手続きを省くことには躊躇しました。
・九州ではその間、患者が増加したため、まだ実験中であった生ワクチンが「実験投与」
 の名目で投与されることになりました。その数35万人分です。
・一般的にはこのような行為は正当化されない可能性は高いでしょう。しかし、緊急時に
 はその安全性の確立よりも、目の前の厄災を鎮火する方により力点が置かれます。「あ
 る程度安全で、目の前の悲惨よりも意味のあるワクチンを」供給することが大事なので
 す。
・それでも流行は続きました。患者が1千人に到った6月、生ワクチンを求める陳情団が
 厚生省に大挙して押し寄せました。厚生大臣はワクチンの効果と副作用のバランスにお
 いて苦しい決断を迫られましたが、結局6月20日に、ワクチン輸入を決定したのでし
 た。生ワク協議会の専門家は、賛成もしないが反対もしない、という煮え切らない態度
 のままでした。古井厚生大臣が政治的に輸入を決定したのです。
・ソ連、そしてアメリカから1300万人分の生ワクチンが輸入され、これが無料で全国
 に提供されました。1カ月で終了したこの投与でポリオの流行は抑えられ、9月には流
 行が収束しました。  
・実は経口生ワクチンは「生きている」ために、ごくまれにワクチンそのものがポリオを
 起こすことがあったのですが、「本物」のポリオがワクチンのおかげでどんどん減って
 いる以上、そのような些細な問題はあまり気にしなくてよかったのです。なにしろ、
 1960年(昭和35年)には、陰本で年間6500人という大量の患者さんがポリオ
 を発症していました。それに対して、経口生ワクチンそのものがポリオのような病気を
 起こす可能性は、30万〜数百万分の1程度といわれています。ワクチンの恩恵がその
 不利益をはるかに凌駕しているために、この副作用は「正当化」されたのでした。
 
「副作用」とは何なのか?
・1970年10月、東京都品川区で、ある医師が、生後2カ月半の女児にDPT(三種
 混合ワクチン)を接種しました。その女児はワクチン接種後発熱し、その後嘔吐。窒息
 して死亡するという事態が起きたのです。この死亡が、医師の予防接種が原因であると、
 警察が書類送検を行ったのでした。 
・品川区医師会はこれを重く見て、集団接種のボイコットに入ります。厚生省や日本医師
 会が調整に入り、最終的に医師は不起訴となりました。その後、各医師会は、自治体と
 の医師の免責事項を入れた契約・協定を結ぶようになります。
・1976年、予防接種制度の大きな改正がなされました。強制接種の罰則規定がなくな
 り、被害者救済制度が法制化されました。また、医師の免責を明確にして、副作用問題
 に対応したのでした。その賠償責任は、市町村、都道府県、または国が負う、と明記さ
 れるようになったのでした。日本脳炎とインフルエンザについては、事実上任意接種だ
 ったのですが、これが義務接種になりました。インフルエンザの学校における集団接種
 は、この予防接種法改正を受けて強化されました。これまで低かった接種率も、80%
 以上を目標に強化されたのでした。ただ、当時はインフルエンザワクチンは2回接種だ
 ったこともあり、その普及は進みませんでした。
・インフルエンザワクチンは、天然痘ワクチンや麻疹ワクチンと異なり、その効果があま
 り強くありません。そこで、その効果そのものに疑問を投げかける人も増えてきました。
・そんななか、1979年に、インフルエンザワクチン第1回接種における副作用が見ら
 れ、第2回接種の見合わせが行われました。翌1980年、群馬県前橋市は、ワクチン
 の効果がはっきりしないという理由から、インフルエンザワクチンの集団接種を中止し
 まいた。厚生省は、ワクチン接種を行うよう指導しましたが、前橋市はこれに従わなか
 ったのです。そして、前橋市医師会は、その後有名な「前橋レポート」を作成します。   
・当時としては、インフルエンザワクチンは、流行の防止には役に立たないが、発病防止
 や重症化防止はできると考えられていました。また、インフルエンザワクチンは、当時
 のワクチン売上げの大半を占めていたため、ワクチン業者の思惑というのも問題になり
 ました。    
・新聞は「科学的根拠に乏しい」インフルエンザワクチンの集団接種に、おおむね批判的
 でした。ここで厚生省は、予防接種の「同意方式」を導入しました。このため、接種率
 は大きく低下したのでした。保護者の同意があって初めて予防接種が適用される、とい
 うシステムの導入は、強制接種という長く続いたシステムの放棄を意味していました。
・予防接種に強制性はなくなりました。集団接種もなくなりました。予防接種の接種率は
 大きく低下します。 
・2001年に予防接種法は再改正され、定期接種が一類、二類疾病と細かく分けられて
 います。二類疾病には、高齢者に対するインフルエンザワクチンがありました。
・このように予防接種の副作用とそれに対する医療訴訟があって、日本の予防接種にあり
 方は、どんどん変化していきました。病気を征圧しとうと、強制的、集団的に行われた
 予防接種ですが、対峙する感染症が減少するに従い、その副作用や強制性が問題になっ
 ていったのです。 

「インフルエンザワクチン」は効かないのか?−前橋レポートを再読する
・インフルエンザの予防接種は、学童に対する集団接種でして、実質上定期接種として扱
 われていました。ところが、1980年代、これに異を唱える人が増えてきました。イ
 ンフルエンザワクチンは、言われるほど効いていないんじゃないか、という意見です。
・1980年代に、いわゆる「前橋レポート」というものが発表されました。これをもっ
 て日本では、「インフルエンザワクチンは集団を守らない」という結論が下されました。
 その後、日本ではインフルエンザワクチンの学童への接種義務はなくなり、集団接種も
 なくなり、そしてワクチンの接種率は激減しました。 
・前橋レポートでは、リスクの低い(死亡率の低い)学童に予防接種を行い、リスクの高
 い高齢者などに接種しないのは問題である、と指摘しています。日本で高齢者に対する
 インフルエンザワクチン接種が推奨され、二類の定期接種に組み込まれたのは2001
 年になってからのことです。前橋レポートの執筆者は、それよりも遥かに前に、高齢者
 に対するインフルエンザワクチンによる予防価値に気がついていたのです。
・前橋レポートは、前橋市における、予防接種を行った地域とそうでない地域の2万5千
 人以上の小中学校学童を対象とした欠席状況調査です。欠席状況をもってインフルエン
 ザ流行状況の把握と代行したのでした。全部で101ページもある大著です。よくでき
 た論文だと思います。内容は精緻で、医療の世界に貢献したいという真摯な態度と誠実
 さ、そして魂のようなものを感じます。
・その結果は、ワクチン接種地域と非接種地域では両者にインフルエンザ発症について差
 を認めませんでした。これをもって前橋レポートは、「インフルエンザワクチンの集団
 接種がインフルエンザの集団発生を妨げない」と結論づけたのです。
・近年になって、インフルエンザワクチンの予防価値についての研究があるかというと、
 実はこれがあるのです。インフルエンザワクチンについて、なぜ前橋レポートだけが特
 別に取り沙汰されて、後に出てきた新しい研究が無視されているのか、とても不思議で
 す。
・アメリカのデイケア・センターの子どもにインフルエンザワクチンを打つと、その家族
 の発病疾患がインフルエンザワクチンを打たなかった子どもの家族にくらべて少なかっ
 たという研究があります。 
・1990年から2000年までの間、アメリカの高齢者を調べると、インフルエンザワ
 クチンを接種された高齢者の方が、されない高齢者よりも、死亡率が低かったのです。
 1年たりとも外れ年はありません。  
  
あとがき
・ワクチンを嫌う人は、それはある程度仕方のないことだと思います。外国にもたくさん
 ワクチンを嫌いな人がいます。
・同様に多くの方は医者が嫌いで、薬が嫌いで、検査が嫌いで、西洋医学が嫌いで、西洋
 科学が嫌いで、あるいは西洋そのものが嫌いです。