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この小説は、1955年に出版された作品で、日中戦争から太平洋戦争までの間において、
当時の私鉄に勤務する、電車の運転をこよなく愛し、平凡な生き方に徹して生き抜いた、
平凡な男の物語である。
平凡な生き方といっても、平凡な生き方を貫くのは簡単な時代ではなかった。当時は、労
働者層の中に共産主義思想が密かにひろまっていた時代であった。真面目に働く労働者た
ちは、共産主義の活動家たちから共産主義思想の中へ半ば強引に取り込まれていく。
一方、国家にとっては、この共産主義思想は、体制転覆を狙う危険思想とみなされていた。
国家は、「治安維持法」を成立させて、この共産主義思想の取り締まりを強化していく。
しかし、検挙されるのは、共産主義の活動家たちではなく、あまりよくわからないまま共
産主義思想の勧誘を受けた一般の労働者たちだった。本当の活動家たちは、すばやく逃げ
るので、検挙されことは少なかった。労働者たちは、検挙されたことにより、「あいつは
共産主義者だ」というレッテルをはられ、会社を首になったり自ら辞めたりして、職場を
去らざるを得なくなっていく。そして、そのなかから自殺者が出でていくのである。
職場を去った者たちには仕事を辞めたことによって、不幸な運命が待ち受けていたのだ。

また一方で、当時は軍国主義の時代であり、国は「国民精神総動員」という考えのもとに、
国民に「挙国一致」や「尽忠報国」などのスローガンを押し付けていく。そればかりでな
く、徴兵制による国家の命令により主人公も兵隊に召集されていく。
しかし、主人公は、召集日までに、絶食したり一日七回以上も入浴したり煙草を煎じて飲
んだして身体を弱らせて、なんとか入隊検査で不合格となり入隊を免れる。
主人公は、仕事仲間から白い目で見られたり、蔑まれたりしながらも、職場に踏みとどま
り、好きな電車の運転手を愚直に続けるのである。
主人公には、共産主義思想にしても、帝国主義思想しても、実生活からかけ離れたもので
あり、「悪魔の囁き」としか思えなかった。唯一信じられるのは、毎日の、電車の運転の
労働だけだった。
たとえそれを、「憶病で卑屈な奴隷根性者」とか「非国民」あるいは「無気力者」とか罵
られても、共産主義者にも愛国主義者にもなりたくなかった。労働を純粋に愛する平凡な
労働者のままの自分が一番好きだったのである。そしてその生き方が、平凡であっても、
最終的には不幸に陥らない、一番確実な生き方となっていったのだ。
まさに、「平凡こそ力」なのである。このことを作者はこの作品で主張したかったのでは
ないかと私は感じた。
ところで、この作品の中に、「美しい女」というのがよく出て来るのだが、この「美しい
女」とは、いったい何をイメージしているものなのか。自分の「母親」なのか、「理想的
な女性」なのか、それとも「希望」なのか。私には最後まで理解できなかった。

第一章
・私は十九のとき、この私鉄へ入って以来、三十年近く勤めて、今年はもう四十七になる。
 いまの私の希望は、情けないことながら、この会社を停年になってやめさせられると同
 時に死ぬことだ。勿論、会社が停年まで、私をおいてくれるならばだが。私はこんな希
 望を抱くのは、会社を辞めて行った同僚のほとんどが、妙なことに悲惨な生活をおくっ
 て居り、なかには発狂したり、自殺したり、病死したりしたものもいるからだ。口惜し
 いことだが、交通労働者というものは、どこへもって行っても、あまり潰しが利かない
 らしいのである。
・過去をふりかえって考えて見ると、私は、いろんな人々から、いろんな風に言われなが
 ら生涯を送って来た。ある時期は、左翼的な人々から、無自覚な労働者だとか、奴隷根
 性をしているとか、憶病だとか、卑怯だとか、といわれた。またある時期は、右翼的な
 人々から、無関心だとか曖昧だとか無責任だとかいわれた。現在は、組合の意識的な人
 々からは保守的だといわれている。
・母は、父の主人の家へ子守りに来ていたのを、父が故郷を逃げ出すとき、父にまんまと
 と連れ出さたもので、そのとき数え年で十六だったという。そして母は、そのことを極
 めて自然な成行だと考えていて、後悔もせず、その後の三十年間に、父に終始なぐられ
 ながら、七人の子を生み、四人の子をみな一年たたない間に死なせていた。そして私を
 孕んだのは、四十六だった。
・胃癌だった父が、母に私を孕ませてしまったのだった。父や母によってだけでなく、同
 情が売物であった一家にとっては、悪魔が母の腹のなかへ忍び込んだような衝撃だった
 ことが想像される。 
・だが、私は、母の腹のなかで、いささか残酷ではあるが、順調に大きくなって行ったの
 である。やがて母は、薬種屋の女中をしていた私の姉を通じてなんてんの根を手に入れ
 た。その地方では、子供を間引くために、堕胎薬としてなんてんの根を煎用するという、
 かくれた風習があることを母に教えるものがあったからである。母は、危険を覚悟で、
 なんてんの根をのみ続けた。だが、私は、そのような母の悲壮な医学的処置や父や兄姉
 たちの狼狽には、全く無関心だった。私は、父の死ぬ一月前に、自然の法則にしたがっ
 て、母の腹から排出されたのである。
・父の死後、私は、下の姉の数枝の手で育てられた。数枝は、そのころ小学を出たばかり
 であったから、私が彼女にとってどんな思い桎梏であったか、察することが出来る。
・兄は、あらゆることに要領のいい男だった。そのころもう三十だったが、女も数人あり、
 彼女らに対しても要領よく振舞っているようだった。だが、続いて起こった対象のパニ
 ックが、兄の要領のよさにとどめを刺した。彼の長い間つとめていた運送店が潰れ、し
 ばらく失業してから、やっとH市の運送店へ口を見つけて行ったが、その店は窮屈で待
 遇もひどいものだった。彼は、そこで荒物問屋のひとり娘へ、うぶな少年のような恋を
 して失恋した。その頃の彼のやつれようは、滑稽なほどであって、母や姉から五十銭の
 小づかいをせびりとるのに、見え透いた嘘をつく卑屈な男になっていた。
・上の姉は、大工と結婚して、一家の支柱は、下の姉の数枝に移っていた。数枝は、カフ
 ェに勤めはじめていたからである。
・母は働くことをしか知らない女だった。彼女は、全く「こまねずみ」という仇名をつけ
 たいほどくるくる身体を動かした。彼女は、全く絶望というものから無縁だった。私は、
 彼女の泣くのを一度も見たことがない。それは彼女の精神に由来するのではなく、まこ
 とに残念ながら、それは彼女の無智のせいだった。
・彼女は、小柄な女で、六十になっても小学生のように手を大きく振って、駆けるように
 歩いた。焼酎が好きで、飲むと愚ともつかぬことを言って、楽しそうに笑った。私は、
 このような母に、そして母のこのような無智に限りない郷愁を感ずる。私は、いま、も
 う五十に手のとどく中年男になり、頭にも白毛がまじりはじめている。だが、この間い
 やな事件があって、それを忘れるために、釣り仲間へ加わって海釣りに行ったのだが、
 帰りに酒にかませて悪所に泊まった。しかし私の心からは、死の思いが消えず、うとう
 としながら思わずこう叫んでいた「おかあちゃん!」傍の女は、はげしい勢いで反射的
 に身を起こすと、強い嫌悪をこめながら吐き出した。「「いややわ、このひとは!何もわ
 てと寝てて、奥さんのことを思い出さんかてええやおまへんか!」だが、私には子供はな
 く、だから妻を「おかあちゃん」と呼んだことはないのだ。
・母は、私がこの私鉄に入る前年、六十四で亡くなっていて、それからもう三十年たって
 いるのだが、いまだに、困ったときや不安で眠れないときにとび出して来るのが、恥ず
 かしいことだが、この情けない「おかあちゃん!」なのである。
・私は、いま、運輸課の切符の係だが、私の机の下には、焼酎の一升瓶がいつもおいてあ
 る。私は仕事中も、お茶がわりにその焼酎を飲むのだ。係長も運輸課長も、私にはさじ
 を投げた形で、私の焼酎は黙認されている。日本酒でもなくウィスキーでもなく、焼酎
 であることは、母の焼酎につながっている気がして、ときには、自分でも気の毒になる
 ほど、耐え難い思いがするのである。
・一緒に働いている仲間で、きらいな者はなかった。だが、仲間の方では、残念ながらみ
 んなこのような私に対して好意をもってきれていた、ということは出来なかった。軽蔑
 し去っているという顔付をしている者もいたし、詰所で人々の間に、私のことが話題に
 なるときも、人々の表情に多少私に対して呆れているという感情の入り混じっているこ
 とを認めることが出来た。だが、私は、人々の思惑如何にかかわらず、あわれにもせい
 一杯車掌という仕事を精励せずにはおられなかったのである。せい一杯だ。このように
 せい一杯の仕事を長く続けることは、どんなに困難なことか察してもらいたい。
・そして私にそう出来たのは、勤務が終わって下宿への帰りに飲む焼酎のおかげだという
 ことが出来よう。その店は、乗務員のつけの利く貧弱な店で、ラムネから餅菓子までお
 いてあるだけでなく、簡単な御飯物も出て来た。私は、そこで焼酎を飲んだのだが、そ
 の飲み方も、度をすごしたことのない至極真面目なものだった。だが、その焼酎を飲ん
 でいるとき、私の心に痛切に浮かんでくるのは、美しい女への思いだった。このような
 おかしな自分から救い出してくれる美しい女だった。しかし私は、私の美しい女が、ど
 んな顔をしてどんな姿をしているのか、さっぱりわからなかったのである。ただ、美し
 い女への思うが浮かぶと、私の心のなかに、なにか眩しい光と力に満たされることだけ
 は事実だった。    
・私は、まことに単純な人間なのである。世の夢想家といわれるような高尚な人種ではな
 く、ひどく現実的な男であり、そしてひどく現実的な労働者なのである。だが、このよ
 うな現実的な男が、滑稽にも、眩しい光と力としてしか思いが浮かばない美しい女を、
 痛切に欲しかっていたのである。そのとき、あの倉林きみという私娼が、思い浮かんで
 いたのではない。第一、あの女は、美しい女の意味するものと、正反対の女であったか
 らである。 
・同期生の原田に恋人がいた。染物屋の娘なのに色が白いと評判だった。その娘が、ある
 日ひとりで私の車に乗って来たのである。私は、彼女が原田の恋人であるということで
 彼女に十分好意をもっていた。だが、私は彼女へ切符を請求したのである。残念ながら
 笑いながらだ。彼女は、最初私の笑いに応じて笑っていた。だが私が彼女の前にいつま
 でも立ち続けているので、彼女は次第に困った顔になって行った。やがていらただしい
 暗い顔になったかと思うと帯の間から手製の小さな財布を取り出すと、中から十銭白銅
 を出した。私は、車掌台に帰りながら、どうして彼女は、原田の恋人だからただで乗せ
 て、と言わなかったのだろう、とむっとした顔をしている彼女を想像して、あわれに思
 った。
・会社は、人員の不足を労働の強化で補おうとして、公休出勤や残業などの命令をやたら
 に出した。早出出勤の者には、残業は逃れることの出来ない宿命のようにさえなってい
 たのである。そのために女房に逃げられる者も出て来る始末で、人々は、今月はどうし
 ても稼がなくてはならないという理由がないかぎり、そのような命令を理由をかまえて
 回避した。だから出勤係は、出勤表の作製が頭痛のたねで、どきには残業してもらうた
 めに、乗務員へ哀願しなければならないことが終始起こった。だが私は、出勤表に実に
 従順であっただけでなく、出勤係から頼まれていやと言ったことはなかった。当然、私
 は、出勤係のお気に入りとなり、当然月末に発表される月収高は、古参を凌いではるか
 に上位にあった。
・だが、私は意志してそうなったのではない。母の死後、兄姉はばらばらになり、私は私
 で独立していて、だから私は、自分の口を養うことさえ出来ればよかったからだ。私は
 監督から認められるように思ったことは一度もなく、ただ満二十歳になったら運転手に
 なりたいと思い、また運転手になりたいと思っている自分を、いささかの悲哀をもって
 だが、喜んでいる人間だったということである。私の喜びに対するこのいささかの悲哀
 という保留は、勿論私の美しい女に関している。私のほんとうに欲しているものは、運
 転手ではなく、あの美しい女であったからだ。私の心に熱と充実をもたらす、眩しい光
 である美しい女であったからだ。私に十分な生きる意味をあたえ、しかもその十分さを
 十分に生きさせてくれる美しい女をこそ求めていたのだ。
・会社に曙会という唯一の従業員組合があった。ある一部の人々からは、御用組合だと陰
 で論難されていたが、それも理由のあることで、その組合の役員は、会社側から任命さ
 れていたからである。その役員に、そのときまだ入社以来一年もたたない新参の私が任
 命されてしまったのだ。 
・私は、詰所の近くに間借りしていた駄菓子屋の二階へ帰って来た。私は、落ち着かない
 気持ちだった。そのとき私に、まるで彼女が私の美しい女であたかのように、倉林きみ
 の姿が思い浮かんで来たのだった。私は、有金全部を征服のポケットへ入れて表に出た。
 その私の足は、私娼窟で有名な三宮に向かっていた。   
・その後、私は、曙会の役員会にも出席した。勤務も、我ながら呆れるほどのなげやりな
 熱狂さや無関心を振舞ってみせた。しかし一方暇を見つけては、倉林きみのところへ通
 っていたのである。きみは、私より五つも年上だった。いつも身体を斜めにふるような
 歩き方をする気分の交代のはげしい女だった。私に対しては、殆どの場合、そうするの
 が自分の特権だといわんばかりの乱暴な取扱い方をした。しかし、きみのこんな乱暴さ
 には、小さいときから馴らされていた。というのは、彼女は、私が小学校の一年生のと
 き、同じ小学校の六年生だったからである。
・その彼女は、小学校を卒業して、中学校の教頭の家へ子守りにやとわれて行ってから、
 ぐれはじめたようである。十五六にもならないのに、共同便所という町の噂さえ立って
 いたくらいだった。そして、いまに梅毒になって鼻が欠けるぞ、といわれても、平気な
 顔をしていたというのである。しかも不思議なことは、その町で人望のあった教頭夫婦
 は、自分の家の子守りが最初の窃盗で警察へ検挙されるまでの二年の間、少しもそんな
 彼女にふしだらの気配さえも感ずることが出来なかったのだった。
・私は、ほんとに仕事が好きだったし、電車も好きだった。何故なら私は、仕事や電車を
 好きになっている自分を、悲しくも喜ぶことが出来たからである。電車は、生物のよう
 にそれぞれ癖をもっていた。尻を跳ね上げるようにして横っ飛びに駆けて行く馬のよう
 な三号車に反して、二十四号車は、処女のようにすまして走り、ブレーキがかかると、
 びっくりしたようにガクンととまった。がむしゃらな奴もいた。彼は、鵞鳥のように尾
 をはげしく振っていながら、突然二三度とび上がったりするので、まるで悪魔の背に乗
 っているようだった。私たち車掌は、いつ振り落とされるかもしれないので、後手でハ
 ンドブレーキにしがみついていなければならなかったのである。また、坂になると、ウ
 ウン、ウウンと情けない声を出して喘ぐやつもいた。モーターの馬力が弱いからだ。ま
 た、ちょっと乗客が多いと、すぐ几帳面にオートマチックブレーキをとばせる、几帳面
 な怠け者もいた。
・私は、それまで共産党と言う団体があって、この世の中に対して何かなそうとしている
 ことを知らないわけではなかった。その団体に関する事件が、しばしば新聞に報道され
 ているからだ。だが、私は、何か、秘密めき何か恐ろしげな顔付をした団体であり、私
 のような単純な労働者には、何の縁もない団体だというように思っていただけだったの
 だ。 
・それから二三カ月後、この私鉄にも共産党のビラが撒かれたが、その文句も書き方も、
 悪魔が吠えているという感じのものだったからである。そして私は、憶病な話だが、悪
 魔めいた一切がきらいなのだ。   
・倉林は、どこと言って冴えたところはなかったが、苦労人らしいあたたかさをもってい
 て、私は好きだった。彼は、家の事情をひとに洩らすのを好まない風だったので、妹の
 きみが三宮で淫売していることは勿論、彼に妹があることさえ、仲間の誰にも知らなか
 ったのである。だが、妹の淫売が仲間に知れたとしても、彼にはどういうこともなかっ
 ただろうと思われる。
・その見知らぬ男は、二十二三ぐらいの若い男で、長く伸ばした髪の毛や、知的な感じの
 する蒼白く冴えた顔や、労働で濁ったことのないような澄んだ眼や、無造作に着こなし
 たノーネクタイの背広や、その聴き馴れない言葉などが、はっきりと私たちとちがった
 階級の男であることを示していた。
・「あんたそれでも労働者ですか!自覚のない労働者なんて、労働者とは言えませんよ」
 すると倉林は、顔を上げながら太い声でぼそぼそと言った。「何しろおやじはリウマチ
 だし、おふくろは眼が悪いし、義理の弟はまだ小学だし、もしおれが警察にひっぱられ
 たら、一家飢死なんで。そやさかいに・・・」「そんなことにとらわれているのは、奴
 隷根性というんですよ!」と若い男は言った。「極端に言えばですよ、親が死のうが、
 子供が病気になろうが、そんなこと何ですか!すべてのものを打ちすてても労働者の解
 放のために尽くすのがほんとうの労働者じゃありませんか!」そして若い男は、昂然と
 いい放った。「ぼくなんかは、この運動に死を賭けているんですよ!死んでもいいと思
 っているんですよ!」その瞬間、その男から悲痛で荘厳な気配があふれて、ぴんと部屋
 の中に張りつめた。だが、倉林は、それに耐えるようにかたくなに繰り返した。「でも、
 おれは、家の生活をすてることは出来まへんのや」若い男は、慨嘆した。「あなた方労
 働者の前には、自由か死かという問題しかないんですよ!それがわからないなんて・・・
 実際、日本の労働者には、あなたのように、曖昧で憶病で卑屈な奴隷根性の者が多すぎ
 る。あなたがたを解放する革命を遅らせているのは、実はあなたのような人々なんです
 よ」
・「木村、お前はどうなんや」「入ってもいいけど、何かがちがうんや」「何か現実的で
 ないような気がしますんや」「現実的?」と若い男はあわれむように私を見た。「現実
 的なのは革命だけなんですよ。しかもその日は、迫っているんですよ」
・私は力をこめて言った。「おれは、ほんまにきらいなんや、あの、何とか死かというよ
 うなやつは。あんなのん、生活を知らんやつがいうことやおまへんか」私は、いまでも
 信じている。あのときの彼等の軽蔑は、この憶病な私をひるませるものではあるが、し
 かしやはり彼等は、間違っていたと思うのである。恐らく彼等にとって私たちの生活は、
 情けないほどくだらないものであるにちがいない。だがこのようなくだらない生活に十
 分に生きられない者に、この世のことをとやかくいう資格はなかった、と思うのだ。
・ところが、倉林は、事故を起こして発狂してしまったのだった。たしかに彼の発狂は、
 人々のいうように事故が直接的な原因であるにちがいない。また間接的な原因を求める
 とすれば、複雑で分析に困難なものであるにちがいない。だが、私には、あの山本の下
 宿でのことが、その間接的な原因の一つを占めていたにちがいないと思われるのだ。何
 故なら、事故と言っても、とび込み自殺の女を轢いたという不可抗力のものであり、し
 かも十五年にわたる運転手の生活で、彼はもっとひどい事故も起こしているからだ。つ
 まり私は、ただでさえ自分の家の生活にこだわる彼が、あの全協へ加盟させられてから、
 一層極端に家のことが心配になりはじめたのではないか、と想像するのだ。
・とにかく私は、この倉林によって、はじめてひとりの人間の発狂して行く過程をつぶさ
 に見せられた。死んだのは若い女で、海に入って死ねないで這い上がり、電車へとび込
 んだものだったが、倉林にはいままでにない異常なショックをあたえるものであったら
 しいのである。勿論、人を轢いた後は、どんなにいやな気のするものか私も運転手時代
 に二度も経験しているが、倉林の場合は、それが度をこえていた。
・私は、倉林の発狂を嘲笑う人々にしばしば出会った。それらの人々には、共通した特徴
 があった。いわばそれらの人々は、私たちの仲間の間で、一種特別な人間と目される人
 々だったからである。それは会社の幹部たちであり、そして残念なことは、山本や青柳
 などの同類と考えられる人々であった。
・たしかに私は、倉林と同じような嘲笑に値する人間にちがいない。また倉林と同じよう
 に、社会や歴史の表面にうかぶことこなく消えて行く人々であるにちがいない。だから
 こそ私は、倉林や私のような人間が、はなはだ漠然とではあるが、心の底で求めている
 のではないかと思われるものを示したいのだ。卑屈や憶病や奴隷根性などの、滑稽な着
 物を着せられてはいるが、その下でひそかに生きている私たちの身体を示したいのだ。
・私が出勤して行くと、会社に思いがけない騒ぎがもち上がっていた。共産党と署名され
 たビラが撒かれたのだ。それには、悪魔が吠えているような文字と文句が書かれていた。
 「帝国主義を粉砕せよ!地主資本家を直ちに撲滅せよ!時給二十銭を要求せよ!手当の
 本給繰入れを即時断行させろ!労働者農民諸君万歳!共産党万歳!」
・だが、私は断言する。会社側の騒ぐのは当然として、乗務員たちが騒いだのは、そのビ
 ラの内容についてではなく、共産党の名前についてであったのである。しかもそのビラ
 は、私たちの生活のなかから自然に生まれて来て、やさしく私たちに語りかけるもので
 はなく、硝煙と血潮のなかで兵隊を叱曹キる鬼将軍の声のようであった。だから時給の
 ことや手当を本給に繰り入れることなどの具体的なことについての文字は、私たちの眼
 へ火薬のように炸裂してその意味を失わせ、死と暴力のにおいだけを感じさせるだけだ
 った。 
・飯塚克枝は、そのころ会社がはじめて出札へ女をおいたとき、入社して来た三人の女の
 ひとりだった。彼女は、まるで自分のことのように恥ずかしそうにこのビラを見ていた
 が、やがて苛立たしそうにこう言った。「このひとたち阿保やわ。資本家を直ちに撲滅
 して、どうやって、いない資本家に、時給二十銭を要求できまんやろ」  
・克枝は、大柄な太り気味の身体に、生気のピチピチ感じられる女だった。年はそのころ
 女学校を出たばかりの十八だったが、眼も鼻も口もくっきりしているように、物事にも
 ひどく正確な女だった。当然、出札係として最初の一月に男たちを凌ぐ成績だった。彼
 女は、職場にはじめての女なので、人々から珍しがられた。
・たしかに克枝は、気負い込んでいた。働いていない男は勿論、働いていない女も人間と
 して認めないというようなところがあった。     

第二章
・日中事変がはじまって間もなくだった。国民精神総動員という掛声が、私たちの職場に
 も入って来て、詰所の壁にも「挙国一致」だとか「尽忠報国」とか「堅忍持久」だとか
 いうポスターが麗々しく貼られた。
・私が克枝と一緒になることが出来たのは、それより数年前に起こったあの検挙事件にま
 でその関係を求めることが出来る。私は、あの事件で、まるで会社の余分な人間のよう
 になってしまったからである。私の仲間からは、そのとき以来ぐれ出したといわれてい
 るが、それを聞くと、私はいつも笑い出さずにはいられないのだ。
・とにかくあの検挙も、私の出会った一つのあわれな悲劇である。警察に検挙された私た
 ちの仲間は、共産党とは全く関係のない者ばかりであり、肝心の共産党員の山本たちは、
 事前に逃げてしまっていたからだ。たしかに権力というものは、自由に誤解することが
 出来るという自由さの中に真の姿をあらわすものらしい。あの日、無実の私を重大犯人
 のように下宿から引き立てることが出来ただけでなく、何の取り調べもせずにいきな
 りH署の留置場へ放り込み、三日もの間、そのまま放置しておくことが出来たのである。
 しかも何の罪も受けずにだ。
・三日も経つころには、私たちにも、治安維持法違反でやられたのであることがはっきり
 わかって来た。 
・会社は、私に対しては無言であった。そして残念なことには、私の仲間の多くも会社と
 同じような態度をとった。まるでふいに、私はこの世の中での余分なものになったかの
 ようであった。そしてそのことは、私ひとりだけに起こっただけでなく、警察へ検挙さ
 れた八人の仲間の上にも起こっていたのである。
・「おれは、やめさせられるまでは、勤めるつもりや」と私は断乎として言った。すると、
 妙なことに、私のその言葉は、その場の人々の気持ちを白けさせたように見えた。勿論、
 まるで私が汚らしいけものであるかのように、私を見る人々の眼がいやでなかったわけ
 ではない。私は、森山と同じように十分にその眼をいやだと感じていた。だが、どのよ
 うに軽蔑されようと、私は電車で働くことが好きな男だったのである。この人生と同じ
 ように、電車は、自分からやめたいとは思わない一つの世界だったのである。
・私は、毎日、いつものように働きはじめた。その私は、あの高級な苦悩だとか遠大な理
 想だとか高邁な精神などというものから見れば笑うべき男であるだろう。だが、私は、
 泊りで、終点の駅で二階で寝るときの蚤に苦しむ苦しみも、千年の未来ではなく今夜の
 おかずを思い描く楽しみも、死から常に逃げまわる憶病な精神も、高尚なすべてのもの
 と同様に尊敬されるべき値打ちがあると思うのだ。
・私は、その後三度ばかりやめとうとしている森山の心を変えようと試みている。私は、
 みずからすすんで誤解の犠牲になる必要はないとまで極言した。だが森山は、その月の
 給料をもらうと、結局会社を辞めて行ったのである。その日、私は、いたるところで森
 山が辞めたことを聞かされた。駅長は、まるで私に責任があるかのように、言うのだっ
 た。「森山、会社を辞めたぞ」すると傍にいた助役や案内係や駅手など四五人が、私の
 決意でも促すかのように私をじっと見つめているのだった。だが、私はだまったまま、
 休憩所の方へ歩き出した。
・そのとき私は、明日地球が滅ぶということがはっきりしていても、今日のこのように電
 車に乗っている自分に十分であり、この十分な自分には、何か永遠なるものがある、と
 いうおかしな気がしていたのである。たしかに私は、その日一日で喜んで十分だと言え
 るような気がしていたのだ。その私は、彼女があの眩しいほんとうの美しい女であった
 かのように、だからまた何の期待もなく、あの飯塚克枝の生々しい顔を思い浮かべてい
 たのだった。 
・一方、長池は、とうとう会社を辞めてしまったのである。彼は、気骨のある男で、みな
 から恐れられていたが、この彼の辞職だけはあやまった決断だった、と私は思っている。
 その後も彼は、しばしば乗務員詰所に現れたが、もう山本たちへの憎悪しか語らなくな
 り、やって来るたびにその零落は眼に見えるようだった。  
・森山に続いた長池の辞職は、私たちの検挙事件を、はじめて人々へ現実的なものにした
 ように見えた。人々は、まるで不治の病気を秘密にわずらってでもいるように、彼等の
 ひとりひとりへ暗い影をやどしはじめた。それは地球に向かって彗星が突進して来はじ
 めているかのように、自分たちのことは全くちがった世界に生きている思いがけない力
 が、運命的な残酷さをもって、自分たちへ直接迫って来ているとでもいうようだったの
 である。  
・このような状況のなかで、私は、飯塚克枝にますます惹かれてはじめていたのだった。
 克枝は、むっちり太っていて、顔も肌もすべすべしていた。目は大きく澄んでいた、ど
 こか人を見下す風なものが、ときどききらりと光った。勝気すぎるというのが評判だっ
 た。そして彼女は、きれいな声なのだが、十ばかりの共鳴器をもっているのでそれへさ
 まざまに鳴りひびいて聞こえるというような声で、このごとの断定的に話すことが好き
 だった。   
・私のようなおかしな人間は、そのような彼女に全く歯のたたない感じだったのである。
 やがて、第二期の女の出札が七八人入社して来た。克枝は、自然に女の出札の長のよう
 な位置となり、その克枝と部下との関係は、まるで親分と子分と言ったようなものだっ
 た。会社の女たちは、彼女を度外視しては、自分たちのピクニック一つ考えられなかっ
 た。写真をとるときは、彼女は女たちの前列の真ん中に据えられていて、彼女もそれを
 当然としている風があった。
・だが、私は、そのような彼女は、きらいだった。私の好きな克枝は一心に働いている彼
 女だった。全く夢中で引き継ぎの切符を計算しているときは、疲れたちょっとした動作
 や、むっとしたかのような顔に上がらせている血の色が、思いがけない新鮮なエロチシ
 ズムを感じさせた。
・私が、克枝の家をはじめて見た。高倉が教えてくれたのだ。それは汚らしい棟割長屋の
 一軒だった。もう秋だというのに、その入口にすだれをつるしていて、そのすだれ越し
 に、狭い部屋が、裏に落ちている外光に黒く浮かんでいた。家のなかはどこか乱雑で、
 あの物事に正確な克枝の家とは思われなかった。その裏縁に近いところに、何か縫って
 いる、眼鏡をかけた老婆がいた。私は、その老婆の姿を見たとき、はじめて克枝が身近
 いものに感じられたのである。どこか私の母に似ている気がしたせいかもしれない。
・私はK市で克枝と結婚式をあげると、詰所の近くに一戸を構えた。私は克枝を唯一絶対
 のものとして愛していなかったかもしれない。だが、私は、一生ともに年をとって行く
 愛としては、十分に彼女を愛していたつもりである。そして、私はその愛の十分さに生
 きることが出来るのだ。私には、あの眩しいだけのほんとうの美しい女がいたからであ
 る。 
・私たちは勤務時間が一定していないので、ときには二日も三日もおたがいに顔を合わさ
 ないでいるときがあったが、そのときはわたしひとりで焼酎を飲んだ。その私は、この
 人生を愛し、妻を愛し、電車を愛している自分を、悲しくも喜んでいたのである。仲間
 が私に何といおうと、そして会社がどのように私を扱おうと、私は、この人生と根本的
 な違和感を感じることはないのだ。もしこの人生に対して何等かの違和感を感ずるもの
 があるとするならば、それは人間の努力で変えることが出来るものだと思うのである。
 このような私を、日常的な人間として笑う者は笑うがいい。だが私は、むしろそう見え
 ることに誇りを感じずにはおられない。
・私はその後一年たって、やった運転手になることが出来た。それは私が変わったからで
 はない。会社が、そして時代が変わったからだ。だが、私は素直に、車を運転出来るこ
 とを喜んでいた。P・Cの新車が増え、例のバッテラは姿を消しはじめていた。
・私は運転手時代に二度事故を起こしている。一つは踏切で牛車をぶっつけてたときだ。
 何米も引きずって、降りて見ると、牛も人もいないのだ。そのときには二輌連結だった
 ので、私は車の下を探しまわった。だがどうしてなのか見つからないのだ。車掌も降りて
 来て、けげんそうにあたりの溝を探し回っていたが、やがて不思議な顔をして非難げに
 私にいうのだ。「いないやないか、牛も人も!」そのとき、牛をつれた農夫が、汗をふ
 きながらやって来て頭をぺこぺこ下げるのだった。彼は、逃げた牛を追いかけて行った
 いたというのだった。二度目は、学校から鉄橋づたいに帰って来る少年を轢殺した。そ
 のとき私にも、発狂した倉林の気持ちがよくわかった。ことに子供の死は、たえがたい
 ものである。  
・そのころだった。々検挙グループで、後に会社を辞めて行った森山の自殺事件が起こっ
 たのである。
・私は、自分のその時代の犠牲者だと言っているのではない。犠牲者は、むしろその時代
 の方だといいたいのだ。あの「無気力」という言葉は、そのころ曙会に関係していた少
 佐が、従業員に向かって二口目に「無気力」と言って叱りつけるので、最初揶揄的に乗
 務員たちの間に流行しはじめたものであった。ただ最初、そのようにからかい半分にい
 われた言葉も、二・二六事件前後からは、人を怒らせる言葉になって行った。その言葉
 をいわれると、いわれた者は、何か落ち着かないいらただしさを感じたからである。だ
 が、私は、一個の権力からそれを決めつけられる「無気力」であるならば、それがどん
 な権力からであろうと、その「無気力」を心から誇りたいと思うのだ。その私たちの
 「無気力」には、永遠に揺らぎのない強固な反抗があるからである。
・A市の浜につくと、もう暗くなっていて、星明りのような微光が海の上にただよってい
 た。以前来たときよりひどく荒れていて、浜も松も無慙な格好になっていた。去年の室
 戸台風のせいだということだった。きみは、彼女の少女時代を思わせるように、跣足に
 なってひとりで波にたわむれていた。それは三年ほど前の、あの海を恐れた彼女とは全
 くちがっていた。 
・高い防波堤のかげで、私たちははじめて腰を下ろした。するときみは私の胸につかまっ
 て来た。私は、自然な衝動を感じで、昔の習慣通り彼女へ接吻をしようとした。すると
 彼女は、思いがけなく私の抵抗したのだった。私は、戸惑った。彼女は、その私を見て
 クフッと笑った。私も仕方なく笑いながらその彼女をふたたび抱こうとした。だが、彼
 女は泣き伏しでもするように砂へうつぶした。そして私がその彼女から手を離すと、
 彼女も顔を上げて私を見ながらクフッと笑うのだった。私は、彼女の意向をはかりかね
 て、ふたたび抱こうとした。事態は、依然として同じだった。彼女はかたくなに私をこ
 ばみ、私がはなれると、子供っぽく笑うのだった。
・「うち、あんたにどっかの浜へ連れてってもらおうと思ってましたんやで」「行ったや
 ないか」と私は思わず頓狂な声で言った。「それとも、ほかのところへか?」瞬間、き
 みはショックでも感じたように呆然と私を見つめた。それはいいようもない暗い顔だ
 った。その顔は、昔の彼女のそれだった。「どしたん?」と私は思わず叫んだ。すると
 きみは、ふいに身をひるがえして、走りながら去って行ったのだった。私は、呆気にと
 られてその彼女を見送った。私は、それきり彼女に会わない。だが、私は、あのときも
 う彼女は、狂いはじめていたのだと信じている。というのは、私は、その後二三年たっ
 て私の姉が死に、その葬式のために、K市へ帰ったのであるが、そのとききみが梅毒で
 発狂したという噂をきいたからである。
・私と克枝のこんな生活が、子供がいないのに十年以上も続いたのは、お互いに勤務時間
 がゆきちがって、顔を会わす機会が少なかったからだと思う。一晩つづいた妙な争いも、
 翌日に持ち越されることはあまりなかった。というのは、翌日は、お互いに会うことが
 出来ないときが多かったからなのだ。 
・それでも克枝は、毎日、会社へ出て行った。ところが、それから一月ほどたってから彼
 女は思いがけもなく駆け落ちしたのである。その相手は、事もあろうに、分会支部の責
 任者である林進之助であった。それまで私は、林と克枝の仲に気付かなかったわけでは
 ない。一度は、車の上から、林と克枝が詰所の近くの柵ぞいに肩をならべて歩いている
 のを見かけたことがあった。 
・この克枝の駆落ち事件は、私にはひどいショックだった。何と言っても、私は克枝を愛
 していたからである。
・ある夜、私は家でひとりで食事をしていて、ひとりいるときの自分も克枝と一緒に暮ら
 してきたときの自分と少しもちがっていないのに気付いて、妙な気がした。私は、自分
 と克枝が夫婦でなかったのか、と考えた。克枝はいざ知らずたしかに私の方は、克枝を
 愛していた。彼女を見ることは快かったし、彼女の幸福を喜ぶことが出来たからである。
・だが克枝が出奔してから五日ほどたったときだった。林だけがふらりと帰って来たので
 ある。私は、そのことを聞いて、克枝の様子を知るために急いで林の家へ出かけた。
 林の家は、一棟が二軒になっている社宅だった。私が行くと、子供を背負った林の妻が
 表でのろのろ洗濯をしていた。彼女は、私を見ると、ぎょっとしたように立ち上がって、
 口も利けないのだった。 
・林は、小さな安物の机を撫でながら急いで言った。「おれ、お前の嫁はんと駆け落ちし
 たんやないんやで、ほんまや、肉体的な関係もあらへん」
・林は、その後、克枝を探しに行かない私を、冷淡だとか無責任だとか言ってかげ口を利
 いているということを聞いた。私は、腹を立てたが、だが憶病にも私は、彼と喧嘩出来
 なかったのである。 
・だが、その克枝がひょっこり帰って来たのだった。家出して二十日ほどたってからのこ
とである。
・私には、彼女の心がはっきりわかりかねた。だが私は、彼女が帰って来たというだけで
 十分幸福だった。そして私は、その夜、克枝を抱きながら、私の心に眩しいだけのあの
 ほんとうの美しい女を神妙な気持ちで思い浮かべていたのだった。
  
第三章
・克枝は、林とのあやしげな駆落事件で、私の反対を押し切って会社をやめてしまったの
 であるが、それ以後の変化には私の理解を超えたものがあった。
・彼女は、私に極度の従順を要求したのである。勿論私は、彼女に柔順であることは平気
 だった。だが問題は、曙会の解散で時代というものの威力を知ったらしく、その威力に
 魅せられてしまって、情けないことにも自分がその時代の何かであるように思い込みは
 じめていたということであった。  
・そのころの克枝は、一日中、家にとじこもっていた。克枝は、そのころ胃を病んでいで、
 以前の生々しい顔色を失っていたが、その濁った顔色を一層暗くして、死んだようにじ
 っと新聞を見たまま、私を振り返りもしないのだった。彼女は、ぷいと立って買物に出
 かけるか、ときにはこういう言葉をはいた。「非国民!」その言葉を聞くと、妙なこと
 に私は、自分がひとかどの人物であるかのような不思議な気がしたのである。
・私が妻と争い続けたのは、彼女のもっている絶対主義とでもいえる過度に対してであっ
 た。たとえそれが当時の時代のファシズムが彼女に与えたものであったにしろ、またそ
 れが人間的な根拠から生まれ来たものであるにしろ、私は妻にこのような絶対主義のも
 つような過度を許してはならないと思っていたのである。何故なら人間らしい人間であ
 りたいと思っている私は、過度というものにおいて、人間がそのいい意図にかかわらず
 人間性を超えて悪魔の顔になるのがわかるからである。私が、いまでも責任をもって確
 信することの出来るのは、この世の中には、唯一絶対の、だからほんとうのものなんか
 ありはしないということである。
・詰所のなかにも、この時代の絶対主義に対する反応があらわれていた。それははなはだ
 非国民的なものだった。つまり茶碗むきが横行しはじめたのである。茶碗をむくという
 のは、一種の窃盗で、切符の不正発売や現金だけを受け取って切符を切らないと言った
 ような方法で、会社から金を盗むのである。そしてその不正を茶碗をむくというところ
 に私たちのユーモアがあった。全く私たち以外に茶碗をむいた人など恐らく世界中にひ
 とりもないだろう。   
・なかでも運転手の船越は、この方面の尤たる者だった。そして彼の茶碗のむき方も精力
 的だった。水兵あがりの彼は、背の高い、色の白い男だったが、よく私に天皇みたいな
 もんがいるから、日本の国はあかんのや、と放言した。勿論かげでである。もし在郷軍
 人会へ知れようものなら、本社の彼等の事務所へ呼びつけられて、お前みたいな非国民
 は、やめてしまえ!とやれるにきまっていたからだ。そして私は、その船越の説に同感
 だった。私には、天皇が、殺したいとは思わなかったが、絶対主義の親玉のように見え
 ていたからだった。
・ある日、船越は、私を彼の馴染みのカフェへ連れて行った。下は、四つ五つのボックス
 があり、二階は小座敷にあてられているそのころありふれた店である。女学生風に髪を
 切った二十二三の太り気味の、しかし身体の柔らかそうな女が、私たちを二階へ案内し
 た。船越は、その女が注文のビールや料理をとりに行っている間に、女がひろ子という
 名であり、以前バスガールだったが、組合活動をしていたために首になり、こんな商売
 に入って来たのだと説明した。  
・明らかにその二人の間には、肉体関係にあるものの特殊な親しさが感じられた。私は彼
 女の何気ない態度に誘われて思わず聞いた。「ひろ子さん、男のひと、いままで何人位
 あったんですか」そしてひろ子は、その私に、無邪気な何の秘密もない声で答えた。
 「ええ、十二三人ありましてん」私は、情けなくも絶句した。十二三人という男の量に
 圧倒されただけでなく、そう言ったときの彼女のわだかまりのなさにも驚いたのである。
・私は、その彼女に情けなくも圧倒されて、ぼんやりその彼女を見ていただけであった。
 その太り気味の丸顔や豊かなふくれた胸やそしてその身体全体からある過剰が感じられ
 た。それは生命力の過剰というべきものだった。彼女は、まるで自分の子供にいうよう
 に船越へ言った。「今日、うち、いた、歌ってあげる」そして彼女は、私たちが照れて
 いるのに恥ずかしくもなく、無邪気の声で、子守唄を歌いはじめたのだ。
・船越は、鼻を吸うようにして、せきを切ったように言った。「おれ、最近、どうも召集
 が来やがるらしんや」 
・船越の生活は、その後も変わりがなかった。精力的に茶碗をむいて、ひろ子の店へもよ
 く行くようだったし、また、H市の郊外にいる母と弟のもとへも、ときどき帰っている
 ようだった。 
・だが、十二年の五月だった。船越は、あのひろ子と、海の見える宿の二階でカルモチン
 で心中をしたのである。しかもまだ召集令状も来ぬ先にだ。女の方は、助かったとか助
 からなかったとかいう噂だったが、船越の死んだことだけは確かだった。
・私と克枝との生活は、お互いにとって拷問の一種に変化していた。彼女もそうであった
 にちがいないと思うのだが、私も悪戦苦闘の態だった。勿論、私は、自分がどうなれば
 彼女の心が和むかを知っていた。窮極には、何の意味においてもいい、何かの絶対権を
 もった時代の権力者となることであった。そして情けないことには、それこそ私に気ち
 がいのように見えていたものであり、私はきちがいになるのはいやだったのだ。
・だが、ある日、私が家に帰って来ると、家のなかに滑稽なことが起こっていた。部屋の
 なかに天皇家の写真が麗々しく額にして飾ってあり、床の間には、あやしげな神棚さえ
 つくってあったのである。私は、呆気にとられながらしばらくそれを眺めいた。
・私は、その新しい額を下ろして、その天皇夫婦の写真の裏へ、へのへのもじと書いて元
 通りなげしへかけ神棚の天照大神宮の札のなかには、新聞の化粧品の広告から美人の顔
 を切り抜いて入れておいた。彼女は、それら写真や神棚が、私に対する無言の問責とな
 ることを望んでいるように思われたからである。私は、へのへのもじの天皇や美人のお
 札を眺めながら考えた。「この天皇や神の前に自分を恥じて、切腹でもすれば、克枝も
 やっと自分を人間として認めてくれるんやろうな」
・克枝と私の間は、一日一日が危険であった。克枝には、死ぬか殺すかという自分の宣言
 を実行しかねないところがあったからである。そしてその上、私は召集でねずみのよう
 に脅かされていたし、しかも職場でも安全ではなくなっていた。追突事故が頻発しはじ
 めていたからである。     
・それは全く信じられないくらい連続した。事故にならない小さなものを数えに入れれば、
 毎月といってよかった。中堅の乗務員たちの殆どが軍需産業へ転じたために、乗務員の
 多くは、新しく入って来たもので、十分な訓練を経ないで、いきなり車掌や運転手にな
 ったものであったからである。しかも会社の幹部たちも、古いものが軍事産業へ転じて
 行ったために、新しく入って来た不慣れのものばかりだったので、事故に追われて狼狽
 しているだけだった。
・ある朝だった。私が泊まりから帰って来ると、私の家に前の狭い道一杯になって、美し
 い自動車がとまっていたのである。間もなく格子戸のあたりに人の気配がして、太った
 五十男が出て来た。私は、その男と一度だけ会ったにすぎなかったが、彼女の母親の引
 き取られている親戚の清水だということがわかった。その後ろから克枝があわてた様子
 で、送りに出て来た。私は、その克枝を見たとき、ひどくショックを受けた。それはま
 るで奇跡を見るようだった。というのは、日頃くすんだ色になっていた彼女の顔は、生
 々とした白さになっていて、その口のあたりにうかべている微笑は、やさしげに輝いて
 いたからだった。やがて運転手がドアをしめ、エンジンの音を高めて車を走らせはじめ
 ると、克枝は丁寧に頭を下げた。その彼女の身ごなしには、昔の克枝のような新鮮なエ
 ロチシズムさえ感じられた。  
・私は彼女に言った「お前、清水さんと何かあるんとちがうか」すると克枝は、思いがけ
 ないほどぎょっとしたのだった。同時に私もその彼女へぎょっとしていた。私は、声を
 ふるわせながら言った。「そうか、そうやったんか。そんなら分かれてもええやったん
 や」
・私は、一時半に車を入庫させて家へかえった。いつものように湯をわかして茶をのみ、
 いつものように布団を自分で敷いて寝た。私の昨日と同じだった。そのことに私は、お
 かしげな満足を感じた。だが、隣りの部屋が何だか変だ。電気をつけると、克枝が部屋
 の隅にかくれるようにして、しょんぼりすわっているのだ。
・清水は彼女との関係を私に知られたことを怒って、手のひらをかえしたように冷淡にな
 って、彼女との親戚づき合いさえ断ったのだった。私は、神妙な気持ちになって、その
 彼女を私の布団のなかに入れて抱いてやった。すると彼女は、まただらしなくせき上げ
 はじめたのだった。だが私は、その彼女の涙で私の胸のあたりの夜着が生あたたかく濡
 れているのを感ずると、思いがけなく、その私にまるでその女がほんとうの美しい女で
 あったかのように、あのひろ子の丸い顔が思い浮かんで来たのだった。私は、その自分
 をおかしく感じながら克枝へ言った。「ほんまにおれは、何とも思ってへんで、今日の
 ことは」  
・翌日から克枝は、寝込んでしまった。それでも一週間ほどで起き上がるようになったが、
 妙なことに私の顔色なかりうかがうひどくびくびくする女になっていた。
・戸口調査の巡査が来たとき、彼女は真蒼になって口をろくに利けない有様だったので、
 私の家には住んでいない彼女の母親が住んでいるようになってしまったのである。
・巡査が帰ってから克枝に言った。「どうしてんや、困るやおまへんか、しっかりしても
 らわんと」だが克枝は、気の抜けたようにぼんやり座っているだけなのだった。私は、
 なおも問い詰めた。だが彼女は、やはりぼんやりしているだけで答えようともしなかっ
 たのである。私は彼女に何か異常なものを感じてぞっとした。そして私は、その彼女に
 は精神病の医者が必要なのではないか、と思ったのである。だが、そんなことは彼女に
 言えもしなかった。   
・帰ってみると、克枝が家にいないのである。近所の主婦にたずねると、いまで出かけた
 ところで、行先を聞いたらO町まで買物に行くと言っていたというのである。
・O町は、ちょっとした繁華街だった。人通りが多く、克枝の姿なんか見つかりはしなか
 った。私は、克枝が近所の主婦に嘘を言ったのではいかと、といまごろになって思いあ
 たった。そのときだった。明らかに清水の自動車のとまっているのを見つけたのである。
 立派な旅館の前だった。私はがっかりした。だが情けなくも心臓だけは、ドキドキ鳴っ
 ていた。私は、そこに彼等がいるとはかぎらないのに、しばらく旅館の二階を眺めてい
 た。だが気がついて見ると、克枝がその宿へ入って間もないだろうにその二階には灯が
 ついていなかったのである。勿論、私の見ていたものは二階ではなく、克枝と清水との
 痴態だったのだ。   
・私は、家に帰って寝た。心臓だけは、うっかりするとドキドキ鳴りはじめた。私は、焼
 酎が飲みたくなって来て起き上がろうとした。そのときだった。表に自動車のとまる音
 がしたのである。私は、憶病にも、布団へもぐり込んで息をこらした。自動車のドアの
 音がして、下駄の音と靴の音が入り乱れるようにして入って来た。「もうほんまに帰っ
 とくなはれ。うちみたいなわるい女あらしまへんわ」と克枝は言った。瞬間上がりかま
 ちにぶつかる重い肉体の音がしたと思うと、克枝の何かに抵抗して泣くような声がした。
 「もう堪忍してくなはれ」するとはじめて清水のいがらっぽい声が喘ぐように言った。
 「接吻だけやんか」「ほんまにもう堪忍してくなはれ」「いまになってどないしたんや、
 先刻はいうなりになっといて」「もう、うちを呼び出さんといておくんなはれ」と彼女
 は哀願するように言った。「ほんまにうちみたいなわるい女あらしまへん。またあんな
 ことをするなんて、うちはもう死ぬよりほかあらしまへん」「そんなことほんまにおも
 とんか!」と清水は舌打ちした。「えらいこわくなったもんやな、姦通罪が」
・「あっ、ほんまに助けとくなはれ」と彼女はふたたび何かへ抵抗しながら言った。瞬間、
 静かになった。私は、布団のなかで熱くなりながら、あの野郎、とうとう克枝へ接吻し
 やがったんやな、と思った。克枝は、ふいに泣き出しながら言った。「ほんまにうちと
 いう女は、何てわるい女なんやろ!」すると清水は急にやさしくなりながら言った。
 「な、ほんまにもうええやんか。木村みたいな能なしに、訴えるなんて才覚働くわけな
 いしな」それからふいに清水は鋭く言った。「克枝!電気つけて見いな、誰か居よるで」
 私はあわてて半身を起こした。すると電機がついた。克枝が、スイッチをひねったまな
 の格好でこわばった顔をしたまま私の方を見ていた。そして上り口から畳の上へ半身を
 倒している清水の、太って顎と咽喉との区別がつかないむくんだような顔が、まるで首
 だけころがっているように見えた。   
・間もなく暑い夏になっていた。克枝は、ひどくかわってしまっていた。まだ三十にもな
 らないのに年寄り臭くなっていただけでなく、まるで私の対して罪人のように振る舞い
 はじめていたのである。勿論、天皇夫婦の写真や神棚は、もうとっくにとりはらってい
 たが、それだけでなく自分も失ってしまっているようなのだった。
・追突事故は、相変わらず続いていた。それに召集をされる者は、月に二人や三人いて、
 私たちはその送別会の会費の三円を、茶碗をむいてまでつくらなければならなかったほ
 どだった。その日に送別会があるぞという声がかかると、午後の系統の者は午前の者に
 かわってもらった。すると三円や五円の金は、立ちどころに出来た。だが、会社は、そ
 の私たちへどうすることも出来なかったのである。数年前までは、絶対権をもっていた
 会社は、あわれなほど無力化していた。時局時局といいすぎた会社は、従業員の軍需産
 業への転業や召集などで参ってしまい、召集は仕方がないとしても、私たちの軍需産業
 への移動だけをくいとめようとして、まるで克枝の変化と符節を合わせたように、今度
 は私たちを持ち上げるのに懸命だったのである。つまり茶碗むきの摘発で首にするなど
 思いも及ばなかったのだ。それどころかそそのころの会社は、誰彼なしに片端から採用
 するので、脱線事故が起こってからその運転手を調べると、軽い色盲だったという恐ろ
 しい事件さえ起こった。  
・海は、まだ人で埋まっていた。私は焼けた砂浜を歩いて、海水浴場になっている場所か
 ら少し離れて松林の方へ行った。そのとき私は、叢にかたまっている十数人の仲間に囲
 まれているひとりの女に気付いたのである。見覚えがある気がして近づいて見ると、お
 どろいたことに、それはひろ子なのだった。彼女は、白い無地のワンピースを着ていた
 が、船越との心中事件から二年近くたっているのにみじんもかわってはいなかった。女
 学生風の断髪も同じだったし、相変わらず太っていて、その豊かにも上がっている胸が
 身体付きからはあの何かの過剰が、いまも感じられるのだった。その彼女は、酒でも飲
 んだように赤い顔をして、仲間の冗談に、甲高いよくひびく声で嬉しそうに笑いつづけ
 ていた。私は、あの女をぐっとしぼったら、あらゆるあたたかい液体が、おどろくほど
 沢山ほとばしり出るような気がした。
・克枝は、何日たっても、帰って来なかった。私は、清水にいる彼女の母親へそっと電話
 をかけ問い合わせて見たり、夜、意味もなく何時間も自分の家のまわりを歩いていたり
 したが、結局警察へ捜索願を出すよりほかに仕方がなかったのだ。
・私が恐れたのは、彼女の狂気だった。私の頭の中にはルンペン同様になって町をうろつ
 いている彼女の様子が思い浮かんで気が落ち着かなかった。だが、それでも私のこの不
 安な焦慮は、私の生活を奪うことが出来なかったのである。私は、相変わらず電車に乗
 っていたからだ。    
・私が克枝とほんとに別れたのはそれから二年ほど経ってからだった。つまり戦争直前、
 私の仲間が、T町のごみごみした裏通りで、みすぼらしいめくらの老人の手を引っ張っ
 て歩いている克枝に出会ったといったときだった。それでも私は、まるで彼女がまだ自
 分の妻であるように暮らしていたのである。
・だが、それでもある夜、私は、寝ていてふと、克枝は死んでいるのではないかという気
 がして来て仕方がなかったのだ。そして克枝にあの巻きずしをつくらせて海水浴場へ出
 かけたときと同じような、よしそれなら、というような腹立たしい気持ちになって、A
 市のひろ子の店へ出かけたのである。
・それから十日もたたないころだった。ひろ子は、武藤の下宿でカルモチンを飲んだのだ。
 武藤が、彼女へ執拗な説教をした後、ちょっと果物を買いに出た間に六十錠も飲んだの
 である。勿論すぐ発見されて、医者が呼ばれた。翌朝、やっと気付いたとき、医者に問
 われて彼女はこう言ったという「うち、自分がいやになりましてん」しかし私は、その
 日も電車に乗っていた。私は、そおころには、入社したときのような真面目さを取り戻
 していた。しかしいささか残念なことであるが、また仲間から離れてしまった孤独を感
 じながらである。仲間を愛してはいたが、仲間のデカダンスにはおかしさを感じずには
 居られなかったからだ。だから、私は、その孤独を快く自分へ許してやったのだ。
     
第四章
・私を時代や社会へ結びつけているのは、あのイデオロギーとかいう難しいものではない。
 労働なのだ。物へじかに手をふれ、物を動かしたり変えたりすることだ。だから私が、
 電車に関係をもっているかぎり、私がどんな人間であろうと、ちゃんとした立派な社会
 性をもっているのである。ただ、この私が、反動とまではいわれなくても、保守的だと
 いわれているとすれば、私は、五年先か、たかだが十年先しか見えないからだろう。そ
 して事実、私は、それ以上のことを考えることをお断り申し上げるのだ。だからひとが、
 一生不幸だとか、いつまでも不幸だなどというとき、私は、情けなくなって、当惑して
 しまうのである。ことにほんとうの労働者だとか、ほんとうの人間の歴史だとか聞くと、
 私の心のなかに生きているあるほんとうの美しい女が、おかしそうに笑い出すのだ。そ
 して私は、その彼女の笑い声が好きなのだ。
・私たちの電鉄には、相変わらず追突や脱線などの事故は、頻発していたし、軍需産業へ
 の転業も、無欠や茶碗むきなどの行為も続いていたのである。ただ、それが慢性化して
 いただけであったのだ。そしてこの状態は改善されることなく、空襲にあって満足な車
 両は一両もなくなったとき終わったのだ。何故なら、あのときは、私たちの電鉄は、交
 通機関であることをやめてしまったからである。
・私は、詰所に戻った。志村は、古参の運転手の塩田へ熱心に言っていた。「ヒットラー
 って、えらいやつやで。ほんまにえらいやつやで」私は、志村がまた何を言い出したの
 か、と思ってその彼を見ていた。だが、彼は、真剣なのだった。「いまの見とって見」
 と彼は言った。「ヒットラーは、世界を征服するで」私は、その彼に反抗するように急
 にひろ子に会いたくなった。
・私は、どんなに美しい崇高な理念であろうと、私の死を与えるには、いささか貧乏くさ
 い感じがするのである。私には、ほんとうのものと思えないからだ。そしてもしその理
 念が一転して、私に私の死を要求するならば、指先に押さえられた蟻のような情けない
 滑稽なあがきにすぎなかろうとも、私はどこまでもその滑稽なあがきを、その理念の崇
 高さに対立させてやるつもりなのである。たとえ誰が考えても死がその場合決定的なも
 のであり、それから逃れることは不可能であろうとも、私は、思いをつくし、力をつく
 し、蟻のようにあがいてやるつもりなのである。卑怯、下劣、憶病、馬鹿という言葉が、
 私に与えられようとも、その言葉を輝かせることが私の使命であるように、あがきにあ
 がき続けてやるつもりなのだ。その私に死がやって来ようと、それは私の責任のない偶
 然の結果なのだ。私は、蟻のように死ぬのだ。そして私は、それを名誉とするものである。
 どんな意味においても、ほんとうにもう駄目だ、なんて考えて、他から与えられ
 た死を私の必然性とはしてやらないつもりなのであった。
・というのは、私も日本という国に住んでいたので、その年の二月に末に、召集令状がや
 って来たからである。栄光ある国家の、栄光がる聖戦に、生命を捧げるようにというの
 であった。
・赤紙を出勤係に見せると、その午後、詰所の裏で、第何十度目課の儀式がはじまった。
 百人近い非番の乗務員が二列にならび、私はその前に立たされた。その私は、突然勇士
 になり、愛国者となり、国民はかくあらねばならぬというほんとうの人間になっていた。
 勿論、それは私がそう思ったのではなく、運輸課長が、そう言ったのである。そして私
 は、私であがってしまっていた。私は、なにかしどろもどろに喋った。私も元気に行っ
 て来ますから、皆さんも職場にあって、元気に国家のために尽くして下さい、というよ
 うな意味のことだ。勿論、その言葉も私の言葉ではなく、こんな儀式の場合、多くつか
 われた言葉にすぎなかったのである。  
・だが、召集という国家の絶対命令から逃れるための私の分別は、他愛のないものだった。
 そのころ多くの人々がしたように先ず絶食することだったのである。招集日まで五日あ
 った。私は、家にごろごろしていて、水以外には、口にしなかった。そのほかの私らし
 い知恵は、付近の銭湯を回り歩いて、一日七回以上は必ず入浴することだった。この入
 浴の効果は、もう二日目にあらわれて、立つことも出来ないほどの疲労を感じはじめて
 いた。そしてその当日は、家を出るとき、煙草一本分を煎じてその半分を飲み、残りの
 半分は、瓶に入れてもって行き、K連隊の営庭で並ばされる直前、便所のなかで飲んだ
 のである。勿論、私はこのような知恵を与えてくれたものは、コンサイス型の「医学指
 針」という古本であり、煙草を煎じた燃料は、その本だったのである。私は、その必要
 もなかったのに、その本を秘密文書のように焼きすてたのだ。
・いかにもいかめしそうに肩を張った軍曹が、おこったような調子で叫んだ。「病気の者
 は、前に出ろ!」その調子は、前へ出た者は非国民として制裁を加えてやる、といわん
 なかりであった。私は、私の近くにいたせのひょろ高い男を見た。私は、その男の背に
 くっついて出るつもりであったからだ。その男は、集合してからも、周囲の人々へ自分
 はときどきひどい胆石病になるので、どうしても帰らしてもらうつもりだとさかんに宣
 伝していたからである。だが、その男は、出ようとしながらその軍曹の態度に妙なため
 らいを見せ、遂に列にとどまったまま眼を伏せてしまったのだ。仕方なく私は、ひとり
 で前に出た。事実、私の身体は、けなげにも正確なニコチンの反応を呈して、絶えず冷
 汗を流し、動悸を高め、眼まいを起こしていたからである。だが、出て見ると、私ひと
 りではなく仲間がいた。五六人もの人々が、列の前に出て、それぞれ頼りなげに立って
 いた。  
・やがて私たちは、まとめられて、医務室へ連れて行かれ、体温や血沈を調べられ、最後
 には軍医の前に連れて行かれた。明らかに酒太りらしいその軍医は、私の身体の裏表へ
 聴診器を当てた。それから血沈や体温などの書き込んであるカルテを見ながら大儀そう
 声で言った。「お前は、精神がくさっとるから、こんな病気になるんだ。地方へ帰って、
 たたき直してこい」それから傍の書記の役をしている上等兵に言った。「即日帰郷」私
 は、帰りに市電の停留所の近くのうどん屋へ入った。私と同じ即日帰郷組が二人、その
 うどん屋に入っていた。ひとりは、うどんのお代わりをしながら、私を見てやっと笑っ
 た。他のひとりの仲間は、私たちには無関心に、むっつりとだまったまま、書き込むよ
 うにうどんを食べていた。  
・その年の暮、真珠湾攻撃の号外が詰所へ張り出されたとき、若い車掌のひとりが、まる
 で突然天から救済でもやって来たように、顔を真赤にしてふるえながら、万歳と叫ばず
 には居られなかったのである。
・四月になった。ひろ子は、しばしば私の家へやって来ていた。その彼女は、非常に興奮
 していて、ときには口が利けないときがあった。ある日やって来た彼女は、格子戸をあ
 けて入って来ると、玄関に立ったまま、もう涙を流していた。私たちの間に、まだ何の
 肉体的な交渉のなかったことが、その彼女を苛立たせていたのかもしれない。だが、私
 は、その彼女の涙を見たとき、どうしてか彼女が、私の手のとどかないほど上等な人間
 であるかのような気がしたのである。   
・そのころだった。私は、克枝が桜の名所でもあるS寺の近くで、乞食のような格好で紙
 屑を拾っていた、ということを聞いたのである。
・ひろ子は、とまどったように上へあがって来た。私は、彼女の肩を抱いた。瞬間、私の
 あのほんとうの女が、あわれむように笑ったのを感じた。するとひろ子は、だまったま
 ま馴れている風に服を脱ぎ始めた。私は、あまりの彼女の手早さに呆気にとられながら
 ぼんやりその彼女を見ていた。彼女は、その私に気づいたらしく、急に落着きを失って、
 スカートを胸にあてながら言った。「いややわ、うち」私は、仕方のない声で言った。
 「もしおれが死んだら、船越と武藤とで三人目やな」すると私のほんとうの美しい女が
 笑ったのである。   
・その夜、ひろ子は、私が決心して結婚のことを切り出すと、まるでひろ子の死ぬほど愛
 するということが結婚であったかのように、他愛もなく承諾したのであった。
・私は、素直にその教えられた家へ行った。家の前に、古いこわれかかった空き箱がやた
 らに積み上がってあり、家はその空き箱の山野添物のようだった。私は、家の中に入っ
 た。真っ暗だった。私は闇のなかへ眼をこらすようにして言った。「今日は」すると思
 いがけなく克枝が出て来たのだった。彼女は、襦袢と腰巻だけというだらしのない格好
 をしていた。彼女は、私を見ても驚いた風はなく、ただ大儀そうに眼を落したままだま
 って座ったきりなのだった。私は言った。「克枝、帰ろう」だが、残念なことは、その
 私の声は、興奮にかすれていたのである。それで私は仕方なく繰り返した。「克枝、帰
 ろう」すると克枝は、泣き出したのであった。だがその私は、ひろ子を裏切ることが私
 の名誉でもあるかのようにはっきりとひろ子を思い浮かべていたのだった。いうまでも
 なくその私を支えていてくれたのは、私のあのほんとうの美しい女なのだ。
・組合の人々は、いささかの羨望をまじえた軽蔑をもって、私を特別扱いしている。だが
 私は、平凡な人間なのである。電車のノッチを入れれば動き出すあの平凡な確実さの好
 きな人間なのである。    
・私は、もう語るまい。いまは、運輸課の単なる切符の係員で、電車に乗ることさえも失
 われている。戦争中、電車を脱線させてこわしてからだ。そのとき私の愛している電車
 が、あの気ちがいめいた意味、人を轢いてもいいが車はこわすなというような意味を与
 えられて、それが極端に達し、私にそれが許せなかったからだ。そのときのことについ
 ても、もう語るまい。ただそのおかげで、二十年会の仲間のなかで、私の給料は一番安
 いのである。  
・私は、いまでも、この世の一切のきちがいめいたもの、悪魔めいたものへ対立する平凡
 さへ、それとたたかい得る光と熱を与えてやりたいと願っている。個人的なものであれ、
 社会的なものであれ、異常なものは、もうごめんだ。