翼よ、あれがパリの灯だ :チャールズ・リンドバーグ

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この本は、リンドバークが単一エンジン、単座単葉機での大西洋横断飛行に至るまでの出
来事について、リンドバーク自身が自伝的に書いたノンフィクションで、1953年に発
行されたものである。1957年には映画化もされたようだ。
ライト兄弟が世界で初めて有人動力飛行に成功したのが1903年だった。それから24
年後の1927年に、リンドバークが初めてアメリカとヨーロッパ両大陸間の単独無着陸
飛行に成功したのである。この時、リンドバークは25歳だったようだ。
リンドバークが乗ってニューヨーク=パリ間の無着陸飛行に成功したときの飛行機は、
「スピリットオブセントルイス号」と呼ばれ、機体名「NYP−1]の特別仕様の飛行機
だったようだ。なお、リンドバーグの飛行成功を受け、日本の大阪毎日新聞はスピリット
オブセントルイス号の同型機をライアン社に発注し「NYP−2」と名付けられたようだ。
NYP−1の主要性能は、次のとおりであったようだ。
 ・最大速度:214km/h
 ・巡航速度:160−175km/h
 ・航続距離:6,600km
第一世界大戦は1914年から1918年の間だから、このリンドバークが成し遂げた出
来事は、第一次世界大戦の終わった9年後のことである。第一次世界大戦では、航空機は
新兵器として登場し、第一次世界大戦の間に目覚ましい進歩を遂げたと言われている。第
一次世界大戦終戦直後の飛行機の性能に関する世界記録は時速313キロメートル、航続
距離1915キロメートル、高度1万0093メートルだったようだ。
ところで、大西洋無着陸飛行に世界で最初に成功したのはリンドバークだと私は思ってい
たが、実はそうではなかったようだ。リンドバークより8年前の1919年6月にイギリ
スの空軍将校だったジョン・オールコックとアーサー・ブラウンがカナダのニューファン
ドランド島のセントジョンからアイルランドのクリフデンまでの大西洋無着陸横断飛行に
初めて成功しているようだ。このとき使われた飛行機は、第一次世界大戦時のイギリスの
重爆撃機であった「ビッカース ビミー」という機種だったようだ。したがって、リンドバ
ークの大西洋無着陸飛行は、「単独」で行った、という点での世界初のようだ。
なお、リンドバークがパリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだとされるが、こ
の台詞は後世の脚色であり、リンドバーグはその時自分がパリに着いたことも分らなかっ
たらしい。実際に発した最初の言葉としては、「誰か英語を話せる人はいませんか?」で
あるという説と、「トイレはどこですか?」であるという説の二つつがあるようだ。しか
し、この本によれば、「リンドバークが発した最初の言葉は「誰か英語を話せる人はいま
せんか?」ということになっている。

リンドバークは来日もしている。1931年に、パンアメリカン航空の依頼で、北太平洋
航路調査のためニューヨークから中国の南京までを夫婦で飛行した時、日本の国後島、根
室、霞ヶ浦、大阪、福岡を経て南京まで水上機シリウス号で飛行したようだ。
また、1970年には再訪日し、大阪万博を訪れたようだ。大阪万博では、1931年に
ニューヨークから日本を経て中国まで飛行した際に使用した水上飛行機シリウス号が展示
されたようだ。
リンドバークがニューヨーク=パリ間飛行を無事に終えて着陸したパリのル・ブールジュ
飛行場は、1919年に開港した空港で、1974年にシャルル・ド・ゴール国際空港が
完成するまでは、ルリー空港とともにパリの主要空港として使用され、主に国内線や近距
離国際線に使用されていたとのことだ。現在ではプライベート機の発着や初夏に行われる
「パリ航空ショー」の会場と使われているようだ。
ところで、埼玉県所沢市に「所沢航空記念公園」というのがある。ここは1911年に開
設された日本で最初の飛行場であった「所沢飛行場」の跡地を公園にしたものらしく、園
内には航空発祥記念館などもある。
この「所沢飛行場」では、1911年4月5日に徳川好敏大尉(華族)が操縦するフラン
ス製複葉機アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、滞空時間1分20秒
の飛行を行なったとされているようだ。

夢と決意
・リンドバークが、単発機でパリに向かってニューヨークを飛び立ったのは、1927年
 春のある雨曇りの日だった。このとき、現代における最大の冒険の一つがはじまったの
 である。出発してから33時間30分を費やして、彼ははじめてアメリカとヨーロッパ
 両大陸間の無着陸飛行に成功したのである。
・1926年当時のリンドバークは、セント・ルイスとシカゴの間に開かれたお航空路を、
 旧式の複葉機で飛ぶ郵便飛行のパイロットだった。
・リンドバークは航空士官候補生として陸軍航空隊に勤務している間に、航空の基礎を学
 んだ。  
・最初にニューヨーク=パリ間無着陸秘奥に成功した者に、2万5千ドル出すというオー
 テング賞があった。
・もし飛行機の胴体を燃料タンクでいっぱいにするとしたら、いったい飛行機はどのくら
 いの燃料を積めるのか?レニ・フォンクがつい最近、それを自分の大きなシコルスキイ
 複葉機で試してみたが、結局、飛行機を壊してしまった。パリへの無着陸飛行に飛び立
 とうとして、ニューヨーク飛行場の滑走路の端で炎に包まれてしまったのだ。 
・フォンク大尉のシコルスキイ機が失敗したのは、いったい何が原因だろう。操縦技術上
 の過失だろうか。それとも単に弱い機体構造に対して過重だったのだろうか。重量のこ
 とを考えると、これを持ち上げる翼の問題も起こってくる。彼の飛行機は、飛び上がる
 に足りるだけのスピードが出ないうちに、滑走路の端まで行ってしまった。そして炎に
 包まれて焼けてしまったのだ。フォンクと彼の補助操縦士は、かろうじて難を脱出した
 が、ほかの乗組員二人は生命を失った。この大きな複葉機の構造を聞いてみると、キャ
 ビンは赤皮で仕上げられ、ベッドさえ備え付けていたという贅沢なもので、搭乗員は4
 人だった。大洋を横断して飛ぶのだからといって、4人は必要ない。ノンストップ飛行
 の世界記録を打ち立てなければならない飛行機は、1グラムの重さでも減らすべきだ。
・「飛行艇か、さもなければ十分なエンジンを持った飛行機のほうがいいようだね。それ
 なら万一エンジンの一つが止まっても、海の中に不時着しなくてもすむからね。君は、
 バード隊長のように、エンジン3基のフォッカー機を使うことを考えてみたかね」とト
 ンプソン氏(保険会社社長)が云った。
・もともと実業家というものは保守的なものだが、しかし、少なくとも彼は私の計画を真
 剣に考えてくれた。 
・「飛行艇は、燃料を十分に積むと離水できないのです。またエンジン3基のフォッカー
 機ですと、莫大な金がかかります。それに私の考えでは、エンジンが三つあるからとい
 って、このような飛行にはそれほど安全の度合いが増すわけでもないと思います。飛行
 機は燃料で、過重になるでしょう。もし渡洋の途中でエンジンが一つ止まったとすれば、
 あとの二つのエンジンでも、おそらくは帰還できないでしょう。あらゆる点から考えて、
 エンジン一つの飛行機のほうが、ずっと安全かと思います」と私は説得につとめた。
・アルバート・ボンド・ランバードは、中西部航空界では聞こえた指導者だった。わがラ
 ンバード飛行場は、彼の名にちなんで名付けられたものなのだ。ランバート少佐は、飛
 行艇とか多数エンジンなどということについては、いっさいたずねなかった。彼は飛行
 機にかけては古い顔だ。どんな飛行機にも危険が伴うということを、彼はよく承知して
 いる。
・私は、アングラム郵便局の入口に立って、APの通信を読んでいた。見出しに「バード、
 大西洋横断を計画」とあった。バード中佐は、来年の夏パリに飛ぶということを、AP
 記者にほのめかしたのだ。これは強敵だ。バード中佐は有能な将校だし、資金を集める
 ことも心得ている。 
   
飛行計画
・報道によれば、デーヴィス海軍少佐のニューヨーク=パリ間飛行計画は順調に進んでい
 て、しかも彼は三発爆撃機の払い下げの、軍の許可を得ているということだ。またバー
 ド少佐は、新しい三発のフォッカー機で飛ぶ予定だと発表された。また、昨年9月、離
 陸間際に機を壊してしまったルネ・フォンク大尉のために、シコルスキイでは別の多数
 エンジンの複葉機を製作中だといわれている。
 
競争者たち
・タクシーは私をライアン航空会社の工場に運んだが、そこはサン・ディエゴの海岸近く
 の、古い荒れ果てた建物だった。私はドアをあけて、紙片の散らばっている事務室へ入
 った。背のすらりとした青年が「ドナルド・ホールです」といって自己紹介したが、彼
 はライアン航空会社の主任技師なのだ。それからこの会社の社長マホニィ氏も出てきた
 が、彼もまた若く、30前と私は見てとった。
・私は組立て中の胴体を数えてみた。二つは骨組みの段階で、一つはもうほとんど翼を付
 けられるばかりになっていたが、工場を維持してゆくだけの商売にはなっていないよう
 だった。 
・ホールは、一枚の紙の上にスケッチをはじめた。「私のあらかじめの計算ですが、燃料
 タンクを限度まで積んだ機を、適当な距離で地上から飛び上がらせるためには、翼長を
 3メートル延ばさなければならないでしょう。それから主タンクは飛行機の重心近くの
 胴体に取り付けなければならないでしょう。それからあなたと操縦士の座席を、どこに
 取り付けましょうかね」ホールがたずねた。
・「座席は一つだけでいいんです。操縦は自分一人でやりますから」と私は答えた。ホー
 ルはいささか驚いたようだった。「私はまた別に操縦する補助パイロットが必要だと思
 いましたが・・・」「余分に一人乗せるくらいなら、ぼくはむしろそれだけ余分にガソ
 リンを積みますよ」
・「座席をどこにつけましょうかね」とホールはたずねた。「ぼくはガソリンタンクのう
 しろにつけたいんですが」と私は答える。「しかし、そうすればまっすぐに前は見えま
 せんよ」「普通の飛行なら、まっすぐ前が見えなくても、たいした差し支えはありませ
 ん。座席を後方につけて、それでいいじゃないですか。一番必要なのは、両側の窓です」
 「オーライ。あなたはパイロットですからな。座席を囲めば巡航速度を増しますからね」
・私はまず、心射図法によって、ニューヨーク=パリ間に直線を引いた。それからその線
 から160キロごとに、メルカトル式投影図表によって点を移し、これらの点を直線で
 結んだ。各点ごとに私はニューヨークからの距離と次の点までの針路を記入した。距離
 は正確に5千808キロだ。
・私の設定したコースを確実にたどることに専念しなければならない。そのコースは大洋
 を越え、夜も飛び、未知の風にも流されるのだ。六分儀を買って、天体航法の研究もし
 なければならないだろうか?いや、六分儀などにしがみついて、大空の泡沫のようなも
 のを探しながら、同時に飛行機を飛ばすなどということは不可能だ。方向探知機はどう
 だろう?海軍には航空用ラジオがあるが、それは私の飛行機にとっては、重すぎるし、
 私のような飛行には、価格が疑わしい。結局、私は推測航法によって飛ばなければなら
 ないだろう。ヨーロッパの長い海岸線にたどり着いた時に、たとえコースから数百キロ
 はずれていたとしても、燃料さえたっぷりあれば、渡井はル・ブールジェ飛行場に着け
 るのだ。
・バード中佐および搭乗員が試験飛行中、フォッカー三発単葉機が、徳陸せんとしたとき
 転覆し搭乗員四氏中三氏が負傷した。機は破損は甚大であるが、修復可能の見込み。
・デーヴィス少佐とウースター中尉は、大型大洋横断飛行機による最後の試験飛行で、即
 死した。大型機がラングレー飛行場近くの沼地に墜落した。
・ニューヨーク=パリ飛行のために制作された大型の多数エンジン機は、どれもこれも破
 滅した。 
・われわれは最初の重量試験のために、中央翼タンクにガソリンをいっぱいに入れた。そ
 れからは、離陸ごとに50ガロンずつガソリンを増し、それによってホールは最後の検
 討を加えた。最初の2、3回の離陸は、簡単だった。しかしガソリンを50ガロンずつ
 増すごとに、離陸のための滑走が長くなり、車輪は散らばっている石ころの上でガクン
 ガクンと上下した。300ガロンを積んだテストのとき、機は20秒で地を離れたが、
 タイヤはものすごい衝撃を感じた。それに、どっさりガソリンを積んで着陸するのは、
 離陸するときよりも困難だった。 
・フランスの鳥人ナンジェッセとコリ搭乗の「白鳥号」が行方不明となった。「白鳥号」
 フランスの海岸を離れてからは、その姿を見たものは誰もいないように思われるのであ
 る。ただ一つ、「白鳥号」は、時間の経過とともに燃料を使い果たし、ゴールを前にし
 て地上か海上のどこかに墜落した、ということだけが決定的だった。
    
暁の離陸
・ニューヨーク=パリ間無着陸飛行の一番乗り競争で、1926年の末から1927年の
 はじめにかけて、6人の飛行士が命を失った。参加者のうち、1927年5月9日現在
 で残っているのはリチャード・バード中佐の三発フォッカー機と、クラレンス・チャン
 バーリンのベランカ機だけで、両社は互角の立場で賞金を争うことになっていた。
・リンドバークは、サン・ディエゴで彼の「セント・ルイス号」を制作するまでは、ダー
 クホースの競争者に見られていた。
・5月9日の夜、気象台は、パリへの大圏コースは晴れかかっていると報じた。天気予報
 は、注意深い言葉を用いて、確信をさけていたが、リンドバークは、明け方離陸する決
 意をした。夜明け前に機はルーズヴェルト飛行場の滑走路の端に引っぱり出された。燃
 料の重さは莫大なものだった。リンドバーグ自身も、はたして離陸できるかどうか半信
 半疑だった。  
・30回転低い!エンジンのブルルン・・・といううなりが機体全体を震動、ぴんと張ら
 れた外張りの布に太鼓を打つように響く。私はスロットルを絞り、機の傍らに立ってい
 る人々を見渡した。
・風向きが明け方に変わった。「セント・ルイス号」がルーズヴェルト飛行場西側の離陸
 位置についた後に変わったのだ。ガソリンを全部タンクに入れ終わった後に変わったの
 だ。機首からの風が機尾からの風に、時速8キロの追い風だ。しかし、手のハンカチを
 やっと吹き上げるくらいの微風だ。もし機を滑走路の反対側に動かすとしても、また風
 がいまのようにすばやく変わるかもしれない。追い風で、西から東に向け離陸すること
 は相当危険だ。飛行場のはりか端には電話線がある。しかし、東から西に向けて離陸す
 ると、格納庫と一かたまりの家の真上を飛び越えることになる。ちょっとまちがっても
 生きるチャンスはない。
・さて、機を移動する時間もない。こんなに小さく、か弱く、しかも重すぎる機、燃料満
 載、2トン半もの重量がこの小さいタイヤの上に載っかってるのだ。移動するとなると、
 引っぱってもらわねばならないから、またトラクターを呼びにやらねばならないだろう。
 このどろんこの滑走路を1500メートルも滑走するなんてことはやるべきではない。
 エンジンは過熱するし、燃料タンクを再びいっぱいにしなければならないし、時間の損
 失、アイルランドの海岸で夜になろう、すでに遅い、夜が明けてだいぶ経つ。
・30回転も遅い!「天候のためですよ」と整備員はいった。「こんな天気の日には、と
 てもいつものように回転は出ません」彼の言葉のなかには不安らしい響きがあった。彼
 は、いま、銀色の翼のうしろに立って、あごを引き、きびしい顔をして私の合図を待っ
 ている。   
・風、天候、馬力、積載量、中西部の牧草地帯で空の旅回りを続けながら、私は何度これ
 らの要素を心の中で考量してみたことだろう。空の旅回りのようなことをやっていると、
 飛行士は非常に正確に飛行場の状態を判断する訓練がついて、どこの地点で自分の車輪
 が地を離れるかまで、ぴたりと言うことができるほどになる。しかし、こんなに重い荷
 を積んで離陸した機はいままでにはない。サン・ディエゴでの試験飛行では、「セント・
 ルイス号」は離陸でることが理論的には示された。しかし、キャンプ・ケアニイの石こ
 ろの多い練兵場では、重量満載の試験はあえてやらなかった。だからこれらの試験実績
 をもって、ただちにこの霧、追い風、やわらかい滑走路、という条件を甘く見るという
 ことはしなかった。まして30回転も低く、機体の外張りに湿気を含んだ影響、頼りに
 なる公式なんか何もない。
・もし「セント・ルイス号」がどうもスピードが出ない、すべてのコントロールがうまく
 かないと思ったら、すぐさまスロットルをもどして止まればいいのだ。もしあまりぐず
 ぐずしていられないとすれば。しかし長いあいだ待っても、すべては2,3秒間で決ま
 るのだ。そうだ、去年の9月、ニューヨーク=パリ間飛行を目ざして飛び立とうとした
 機は、この同じ飛行場のあの端で大破したのだ。ほんの2,3メートル離れた地点で、
 フォンク機の2人の乗組員が炎に包まれて死んだのだ。
・滑走路から車輪をハミ出させないようにするためには、さらにもう一つの困難がある。
 燃料タンクのうしろに座っているため、前方を直視できないことだ。滑走中ちょっとで
 も機首の向きを変えようものなら、たちまち大破壊の原因となる。
・私は柳の小枝で編んだ座席に背をもたせて、もう一度計器盤の上に目を走らせる。べつ
 に故障もない。こんな長い距離をスロットル全開で滑走して、エンジンが大丈夫だろう
 か。雲高が零に落ちたらどうなるだろう。この過重の燃料でめくら飛行で飛ぶというわ
 けにもいかない。しかし、いま出発すれば、私はフォッカー機やベランカ機に機先を制
 することができる。  
・私は安全帯をぎゅっと締め、飛行眼鏡を目の上におろし、車輪止めの係員のほうを向い
 てうなずいた。私は体に気力を張って操縦席の左側によせ、窓から滑走路のへりにした
 がってねらいをつけ、スロットルをいっぱいにあけた。この2、3秒間に答えが出るの
 だ。
・爆音と震動とに比べ、スロットルの利きのなんと頼りないことよ!機はのろのろと前に
 はい出る。数人の人がスタートを助けようと翼の支柱を押している。「セント・ルイス
 号」は、まるで荷を積み過ぎたトラックみたいだ。タイヤは泥土の中に食い込んでいる。
 離陸は望めそうもない。だが、あきらめる前に、もう30メートルやってみるか。それ
 からでも遅くはない。
・機はしだいに速度を加える。しかし今までいつも空へ飛び立つ前に感じられた、あのバ
 ネのような前身力、翼の軽さ、溢れるばかりの力、そういうものは微塵もない。操縦桿
 がゆっくりと左右にゆれる。しかし人々は翼の支柱からよりめきながら離れてゆく。機
 は速度を加えつつあるのだ。
・私は目をぴたりと滑走路のへりに据えていた。機をまっすぐに滑走させなければならな
 い。車輪が一つでもへりからはずれれば、「セント・ルイス号」はたちまち転覆、泥土
 のなかでこっぱ微塵だ。操縦桿を前に倒しておくためには、もっと力を入れて押さねば
 ならぬ。方向舵のちょっとした捜査で、機首をコースに保てるのだ。有望な兆しだ。だ
 がもう300メートル以上過ぎた。
・速度が加わる。芝生がぼーっとかすんで後ろへ飛んで行く。尾橇が地を離れる。しかし
 滑走路の2分の一の標識がすぐ目の前だ。だが飛行速度が出たようでもない。エンジン
 がしっかりしてきた。調子がいい。プロペラも好調。音でわかる。回転数は?だが計器
 盤は見てはいられない。私は滑走路を見守らねばならぬ。
・私は操縦桿をじわりと引き戻す。車輪が地面を離れる。よし、飛ぼう!車輪は再び地に
 触れる。操縦桿を前に押す。機はほとんど飛行速度だ。600メートルほどまだある。
 補助翼をぐんと押す。また浮き上がる。全機体がその衝動でふるえる。よし、このまま
 浮かべるかもしれない。   
・だがもう一度車輪を地に触れさせる。軽く。この重量では十分コントロールするのが最
 善だ。そしてコントロールにはスピードが必要だ。「セント・ルイス号」は次の瞬間、
 全馬力で離陸。操縦桿をぴんと張った手ごたえ、活気、緊張。クモの巣のような電線ま
 で300メートルだ。さあ、あれを越さねばならぬ。すれすれだろう。私は機首をおさ
 え気味にして、一秒一秒速度をつけながら、ゆっくりと上昇していく。エンジンさえ、
 もう1分間持ちこたえてくれれば。電線がぱっと真下をかすめる。その差6メートル!
・機はぐんぐん速度を増して上昇している。私は、丘の頂上の木の上にいる。いまなら、
 たとえエンジンが止まっても、丘と丘の間の平らな野原に不時着できそうな場所がある。
 やっと、計器盤を盗み見できるだけの高度に達した。回転計の針は1分間1825回転
 を示している。エンジンは過熱の微候もない。全開していたスロットルを静かに緩上昇
 の位置に絞る。回転計に目をやる1800〜1775r・p・mだ。安定板を1ノッチ
 引き戻す。飛行速度は依然として時速160キロを超過している。1750回転までス
 ロットルを絞る。 
・羅針盤の針は右のほうに思いきり傾いている。私は針が中央線にくるまで注意深く北の
 ほうにバンクする。
・ロングアイランドの風致地域が、翼下をアッという間に過ぎ去る。左のほうのあの指の
 ような形は入江の海岸線である
・15分過ぎる。計器正常。中央翼タンクから機首タンクに切り替える。五つの燃料タン
 クを各タンクについて15分ずつ平均に使って飛び、気圧変化による溢流を防ぐだけの
 すきまを、各タンクに与えるようにしなければならない。
・大圏コース上、ロングアイランドの入江をわたってからわずか56キロでコネチカット
 川に達するのだが、私はいままでこんな大きな川を越えたことはない。
・私は操縦席、布の壁で囲まれた小さな箱、の中でくつろぐ。一日半、この操縦席から動
 けないのだ。  
・ただ一人で飛行することは、どんなに得なことだろう!私は、父が何年か前、他人に頼
 ることにたいしてきつく戒めてくれた時のことが、今わかった。父は、ミネソタの、古
 い移住者のいった言葉をいつも引用した。「一人は一人、二人になると半人前、三人で
 は結局ゼロになる」この言葉は、いま私がなしつつあるこの飛行に、なんとうまくぴっ
 たりとあてはまることか!一人で飛行することによって、私は時間と自由を得ることが
 できた。私の決心というものが、他人の生命に責任を持つことで、重圧を感じることは
 ない。「セント・ルイス号」を夜明けに出発させる準備の命令を出すのに、だれに相談
 することもなかった。どろんこの滑走路や追い風という悪条件の中で、機上の操縦席に
 すわっていたとき、「ええ、やっちまえよ」とか「どうもよくないようだ」などといっ
 て、私の判断をぐらつかせる人もいなかった。父のいった言葉によれば、私は一人で一
 人前、独立独歩の、ただ一人の、完全な一人前の男なのだ。
・ゆっくりと150メートルまで上昇し、展望鏡を突き出す。この展望鏡は、サン・ディ
 エゴのライアン工場の職工の一人が、一つの軸に適当な角度でとりすけられ、その軸を
 機体の左側から外に伸び出させるようになっている。この展望鏡は、まっすぐ前方の視
 界に、低高度で丘や障害物があることを警告してくれるし、機体タンクのまわりを見る
 ために、片側に体を寄せなくもすむ。私は飛行眼鏡をはずして、操縦席の真ん中に静か
 に座っていればいいのだ。 
・丘がだんだん高くなってくる。北のほうは雲が突き破っている。雲高があと30メート
 ルも下がれば、私は引き返さねばならない。しかし前方にひらけた空の層があるかぎり、
 何があろうと私は針路を飛び続けよう。たとえ引き返したところで、結局のところあま
 り失望はしない。初陣でパリまで無事に着こうなんて、当てにしてはいない。もし厚い
 霧の層が行く手をはばんでいたら、スロットルを絞ってニューヨーク周辺を旋回、世界
 滞空記録をやってみよう。
・眼下のニューイングランドは、一つの郡ぐらいの大きさに見える。左の翼下にプロヴィ
 デンスやロードアイランドが見える。
・出発してから3時間目にはいる。コッド岬が、右のほうの地平線をくぼませている。
 ノヴァ・スコーシア、ニューファンドランド、アイルランド、そして最後にル・ブール
 ジェという、このきわめて小さい地点を、私ははたして確実に見つけることができるだ
 ろうか。私は星にたよって飛行はできない。六分儀を持っていないし、それにヨーロッ
 パの放送局にも頼れない。ラジオもないからだ。私はただ推測航法によって前進する以
 外に方法はない。 
・かたわらにかかっている1リットル入りの水筒から水をすする。座席と機体の間に押し
 込んだ紙袋の中に、サンドウィッチが五つ入っているが、お腹は空いていない。目を覚
 ましているには、お腹を空にしておくほうがずっと楽だ。
・前方に陸地が見える!大きな緑のかたまりが、起伏した地平線のうしろに広がっている。
 ノヴァ・スコーシアだ。
・空が荒れはじめる。翼の先端があっという間に撓み、操縦席は上下左右に動揺する。私
 は安全帯をぎゅうっと締め直す。荒れ狂う突風は、翼桁をぽきんと折るかもしれない。
 1625回転に絞り、気速を144キロに落とす。落下傘がありさえしたら!いや、私
 は決心して落下傘を持ってこなかったのだ。高度は450メートルだ。
 
かぎりなき行くて
・翼の下に荒野が見える。道もなければ、畑もなく、小屋もない。谷は処女林の深緑に包
 まれている。カモの群れ湖や沼地から飛び立つ。祖父がスウェーデンから移住してきた
 ころのアメリカは、こんな情景だったろう。父はまだ生後数カ月の赤ん坊だった。西に
 旅しながら、家族は新しく州になったばかりのミネソタに落ち着いた。
・液体羅針義で機首の方向を点検するために、計器盤の鏡をちょっと見る。羅針儀は、私
 から直接みえない位置、機体の頂上に固定されている。その白い文字は鏡に写って読め
 るようになっている。ロングアイランドの格納庫で、この羅針儀が取り付けられたとき、
 私は鏡を持っていなかった。大学生ぐらいの年頃の女学生が、格納庫の入口からそれを
 見ていて、コンパクトから小さな鏡を出して、私にくれた。われわれは感謝して計器盤
 にそれをゴムで取り付けた。その女学生はそれっきり二度とは姿を見せなかったが、彼
 女は自分の鏡がパリに着くなんてことを考えたことがあったろうか?
・デトロイトで化学教師をしている母は、終日机に向かって心配していることであろう。
 そして実験室で実験に注意力を集中しようとしても、結局は息子とその飛行機のことが、
 頭から払いのけられないでいるだろう。5年半前、私が大学を退学して飛行家になりた
 いといったとき、母は、「本当に飛びたいならそうなさい。自分の人生は自分で開きな
 さい。私はあなたを引き止めることができません」と言ってくれた。無事の知らせは、
 今夜の母にどんなに意味深いものか、私にはわかる。
・操縦席の中で体をねじって、ちょっとの間でももう少し楽な姿勢をとろうとする。睡魔
 が忍び寄ってくる。最初はほとんど気がつかないぐらいだが、1分ごとに眠さが強くな
 ってくる。これではいけないと意識では警戒しながらも、肉体的には眠る満足さがつの
 る。  
・私の両眼は、石のように乾き、そして固くなったような気がする。瞼は数ポンドの重さ
 で垂れさがってくる。目を開けていられるのは、意志の力のおかげだ。1、2分は頑張
 っても、すぐ両の瞼が自然と垂れさがってくる。そこで今度は、両眼を固く閉じて、い
 ま自分のしていることを強いて心の中で考えてみる。そうすれば、私は再び目を開ける
 ことを忘れまい。操縦桿と方向舵を動かさずにおこう。重い瞼を開けた時、飛行機はち
 ゃんとコース上を水平飛行しているに違いない。  
・最初はそのとおりにいった。しかしすぐに、わずか数秒しかたたないはずなのに、時計
 の分針が数区分動いているのに気がついた。生きている人間として遂げたい望みは、眠
 りたいという欲望以外には何もないと、体全体がうずくように要求する。体全体が真底
 から睡眠が欲しいと主張し、心が統制力を失いかける。
・私は半分眠っていた。羅針儀の針は太線の右10度を指している。進路を修正して機を
 傾けてコース上に戻し、針を確実にその印の上にとどめる。ぼーっとかすむ目で計器盤
 をながめ、それから水平線を見つけていた。すると、突然、前方に大洋がきらきら輝い
 ているのに気がついた。氷原だ!それが翼の下を流れるときは、陽光でまばゆい。いく
 つもの大きな氷のかたまりがぎっしりと寄り集まり、その氷塊のまわりには砕氷が押し
 上げられて山を築いている。見渡すかぎりの大洋は、きれきらと白く光っている。
・私はこの飛行が安全だから飛び立ったのではなかった。地上の何よりも、空と、飛ぶこ
 とを愛するがゆえに、ただそれだけの理由で飛んでいるのだ。私はウィスコンシン大学
 の二年のとき、機械技術のコースを放棄して航空を習うことを決心した。二十歳のとき
 だ。私はそれまで飛行機にさわったことすらなかった。
・花崗岩の山の頂きをすれすれに越えると、いきなりセント・ジョーンズの小さな町の上
 空に出た。ほとんど完全に山にかこまれた小さな町、はるか向こうの、港の入口は、狭
 い海峡となっているが、その両側は急傾斜をなして沿岸の山脈の頂きに連なっている。
 この峡谷に飛び込んだ頃から、たそがれが深くなった。私にとって、この北方の町がア
 メリカ最後の陸地の最後の地点になる。   
・セント・ジョーンズに寄り道したため、私は大圏コースから144キロも南にはずれて
 しまった。アイルランドまでの全航程を通じて、羅針儀の方向を定める場合には、この
 番外的な要素を特に考慮に入れなければならないだろう。
 
おそう睡魔
・全然予見できなかったことが一つあった。飛び立つ前夜、全然睡眠をとらなかったこと
 だ。ルーズヴェルト飛行場を出発した時、すでに23時間起き続けていた。そしてパリ
 に着くまであと36時間眠らずにいるつもりだった。
・両方の外翼タンクで1時間15分、中央翼タンクで15分飛んだ。今夜いっぱいは胴体
 と機首タンクで飛んで翼タンクのガソリンはとっておこう。燃料ポンプが故障が起きて
 も、重力だけで翼タンクから補給できる。
・めくら飛行をやるとなると事だ。つねに計器盤を見つめ、各計器の針を絶えず適当な位
 置にもどす。夜通しこの操作をくり返しながら飛んでいなければならない。「セント・
 ルイス号」は非常に不安定なので、計器盤ばかりたよってはゆけない。「セント・ルイ
 ス号」の速度は速く、どの飛行機よりも航続距離は大きいが、非常に敏感で、まるでピ
 ンの先でバランスをとっているようなものだ。もし操縦の手をちょっとでもゆるめるよ
 うものなら、機首はたちまち針路をはずれてしまう。
・高度2千800メートル。雲塊のてっぺんが、依然として車輪の下へむくむくとのぼっ
 てくる。行く手に暴風地帯のあることはもう疑う余地がない。私は高層へ、さらにまた
 高層へとゆっくり上昇を続ける。この過剰積載の飛行機は、暴風の上を越すほどに上昇
 できるのだろうか。4千500メートル以上では、空気が非常に希薄になるので、エン
 ジンの能力が落ち、また酸素が不足するので意識がぼんやりする。もし雲が4千500
 メートル以上ものぼるなら、むしろスロットを落とし、安定装置を入れ、暴風圏内に沈
 もう。
・この高度では、寒い。ジッパーで飛行服の胸のあたりを締める。羊毛で縁どった飛行帽
 をかぶるくらいの寒さだ。しかし、まだ飛行靴をはくほど寒くはない。もう少しあとま
 で、そんなものは履くまい。暖かくなりすぎると、いっそう眠くなるだろう。
・この上空では前よりいっそう寒い。高度計を見ると、3千150メートル。寒い。雲の
 中を飛んでいるのだ。湿気、ああ、どうしても「危険」という観念が忘れられない。皮
 手袋をぐいとぬいで、手を窓の外へ突き出す。掌は刺すように痛い。懐中電燈で翼柱を
 照らしてみる。へりがでこぼこになって光っている。氷だ!
・すぐに機首をめぐらして雲のない空に引き返さなければならない。「セント・ルイス号」
 を雲の層の中に斜めに突っ込んで、雷積雲から脱出させなければいけないということを、
 私は勘で感じた。
・私は旋回計の針が、静かに左に4分の1インチ動くまで注意深く方向舵のべダルを踏み
 続ける。適当なバンクを維持するよう、ゆっくりと、しかし、しっかりと操縦桿を押す。
 飛行速度は16キロ落ちる。高度は30メートル下がっている。私はスロットルをさら
 に50回転だけ開く。雷雲の下の層雲も、たぶん氷だらけはずだ。そしてその中へ沈ん
 だら、二度と再び星など見られないかもしれない。高度計の針が30メートル、50メ
 ートルと落ちる。私はスロットルを大きく開く。大きな雲層の上に浮かんでいなければ
 ならない。
・羅針儀の針は、半ばペグのほうをさしている。私は左の方向舵を踏んで「セント・ルイ
 ス号」を本来の方向に向ける。針はゆっくり上がり太線を通り越して反対側に落ちる。
 私は右方向舵を蹴る。針は上方によろめく。羅針儀が故障を起こしているのだろうか。
 それとも私は半ば眠っているのだろうか。液体羅針儀もまた揺れている。  
・旋回計の中心を合わせ。二つの羅針儀がずっと下がるように星に向けて、まっすぐに機
 首を向ける。しかし磁気羅針儀の針はふらふらし、液体羅針儀も震動し続けている。ど
 うも変だ。どこかに何か重大なまちがいがある。私はこれまで磁気羅針儀にはほとんど
 頼らなかった。それはまだ実験的段階をすぎたばかりの新しい器機だからだ。しかし液
 体羅針儀は、全飛行はこの基礎の上に行われるのだ。二つの羅針儀が同時に動かなくな
 るなんて、聞いたことがない。
・液体羅針儀がもっと悪くなり、そして雲が高くて星を目当てに東のほうへ舵を取ること
 を妨げられるようなら、私はぐるぐる円を描いてさまようことになるかもしれない。そ
 んなことになったら、 アイルランドの海岸に着陸することなど、どうして期待できよ
 う。実際問題として、私はいったい海岸を発見できると期待していいのだろうか?
・懐中電燈を照らして見ると、翼柱の氷はもう跡かたもない。操縦席は暖かい。気持ちの
 よい暖かさだ。手袋をはずして手を窓の外に出してみる。プロペラからの流れにはもう
 北極の冷たさが失われてれている。 
・二つの羅針儀も、今は正常の動きを示している。磁気嵐から脱出したのだろうか?とも
 かく、日が昇るまで何もすることがない。ただ機首の方向を狂わせないようにし、燃料
 タンクを切り替え、毎時日誌をつけることだけだ。
・私は自分の瞼を支配する力を失ってしまった。瞼が閉じかかるのを抑制することができ
 ない。瞼が閉じる。すると私は体をゆり動かし、指でそれを開ける。計器盤をにらみつ
 ける。が、瞼はそんなことにはお構いなしにまた重くなってくる。体の全神経が心の支
 配に対して反乱を起こしている。背中はこちこちに固くなり、肩は痛み、顔はカッカッ
 とほてり、目は細くなる。もう飛び続けることは、不可能のように思える。この世で、
 私のやりたいことは、体を平らに投げ出し、手足を伸ばして眠ることだけだ。
・機がまっすぐに飛んでいるちょっとの間を利用して、さながら全速力で走るときのよう
 に両足を床板の上でバタバタやる。それから操縦桿を両膝の間にはさみつけ、両手を動
 かして走るまねをする。私は翼を揺すぶって、新鮮な空気が窓から吹き込むようにし、
 体に対する空気の圧力を変えてみる。痛くなるまで頭を振り、顔の筋肉をこすり、耳か
 ら綿を引き出し、けばを立てて、またまるめて詰め込む。

つきまとう幻想
・ほのぼのと夜が明けるころ、私は時間の観念を失ってしまっていた。機翼を水平にして
 みたり、針路にもどってみたり、そんなことをほとんど千回、二千回もと思われるほど
 やって、はじめて夜が明けたことに気がついた。夜の最後のとばりも空から消え失せ、
 目もくらむばかりまっ白な雲が翼下の大洋をおおい、機のかたわらに重畳たる山脈を築
 いている。
・急角度に機首を下げる。操縦装置が締まる。速度計の針が上がる。180、200、
 220キロ。カウリングのまわりで渦巻く空気は、つんぼになった私の耳にもピューッ
 というような奇妙な音に聞こえる。こんな音は昨日離陸して以来、はじめて聞く音だ。
・遠く海面に白い波頭がきらめく。急速旋回で降下する。空気ぶとんは、おしりの下が固
 く感じるほどしぼむ。翼が狂乱したようにたわむ。今は澄みきった空中、高度600メ
 ートルだ。下は大波、白波、泡の縞、強風だ。
・なんという猛烈な風だ!海面近くまでゆけばもっとよくわかる。煙霧のカーテンがおり
 て、水平線を閉ざしている。操縦桿を前にゆるめて、ゆっくりと、大きな白波の上15
 メートルのところまで降下する。風はおそらく時速80から100キロはあろう。こん
 なに海が荒れるにはものすごい強さで吹いているにちがいない。見渡すかりぎの海面が、
 白波におおわれ、泡立って騒然としている。
・機は急降下で旋回する。私は目をあけたまま眠っている。目を開けているのは確かだが、
 それでも始終目を覚まそうと努めているのだ。機は制御力を失いかけている!この現実
 が、私はハッとさせる。すぐさま私は「セント・ルイス号」を自分の手に戻す。しかし
 計器盤の針がちゃんとした位置を示しているのに、機は傾いて飛んでいるように思われ
 る。これは盲目飛行をしているときに起きる幻覚であり、機が旋回飛行、失速、方向転
 換のとき、計器盤が狂っているときに、時おりこういう幻覚におちいるときがある。こ
 んなときには、しなければならないことがただ一つだけある。混乱した幻覚が正常に戻
 るまで、計器盤の各針をそのままにしておくことだ。何分間か経過するうちに、また私
 は目を開けたまま眠る状態におちいってしまった。正気でないときは苦痛が少ない。
・午前6時5分。3時間以上も航空日誌に書き入れていない。どのくらい差ができている
 だろう。ニューファンドランドを通過してから、10時間以上になる。あと8時間以内
 にアイルランド海岸に到達しなければならないはずだ。そこからは、あと、960キロ
 でパリの上空だ。あと14時間のうちに、この飛行も終わるのだ。 
・陽光がさっと操縦室に差し込む。私の目は北にひかれる。左の翼の下方、数キロのかな
 たに海岸線が針路と平行に走っている。霧のかかった紫色の山々、樹木の群れ、岩の絶
 壁。この海岸をまもるように樹木におおわれた小さな島々。しかし、私は、陸地から
 1600キロも離れた大西洋のまっただ中にいるのだ。頭を振ってもう一度見直す。今、
 私がはっきり目を覚ましていることは疑いのないことだ。でも、海岸線は依然としてそ
 こにある。
  
最後の力をふりしぼって
・大洋が再びしだいに緑色になっている。空の色も青くなっている。計器盤の文字が私を
 にらみつける。数字がはっきりと目に焦点を結んでいる。私はいま死の淵に指先でブラ
 下がっているのだ。だが、気力が回復しかけている。必死になってはい上がろうとして
 いる。意識がよみがえってきた。静かに座って、あけ放たれた窓の外を見ながら、力と
 自信をうち立てた。なんと大洋の美しいことよ!何ごとが起ころうと、この瞬間、生き
 ていることでたくさんだ。
・機の位置を調べる。大西洋の大部分をあとにした。さしずめ最初の陸地、アイルランド
 に向けて針路を調整することだ。タンクにはたくさん燃料が残っている。飛行機にもエ
 ンジンにも故障の徴候がない。計器盤の針は所定の位置を正確に保っている。私の目も
 はっきり開けている。 
・私は手を伸ばし磁気羅針儀を調整する。ほとんど針路は正確だ!ほんの2度変更すれば
 よい。昏睡状態にあった幾時間は無駄でなかったかもしれない。休んだり、夢見たり、
 眠ったりすることによって、午後と夜の飛行に備えて、精力を貯えていいたかもしれな
 い。  
・夢心地で飛び続けていると、2,3マイル先の海面に、黒い一つの斑点のあるのが目に
 入った。ボート!私が両の瞼を絞ってもう一度よく見直す。あっ、やっぱりボートだ!
 大洋のあちこちに散在する何隻もの小さなボートだ!夢心地は一瞬にして吹っ飛ぶ。も
 うヨーロッパの海岸は遠いはずはない。これらの小さな漁船は、アイルランド人か、英
 本国人か、スコットランド人か。
・最初の船は、1.6キロ以内のところにいる。私はその船首の上、15メートルまで急
 降下する。甲板には人影らしいものはない。うねりに乗って上がったり下がったりして
 いる二番目の船の上を飛んでみる。その船の甲板もからっぽだ。が、寝室の舵窓から男
 の頭が現われて、じっと動かずに私のほうを見上げている。
・スロットルをしめ、エンジンの音を低くしながら、私はその船室へ15メートル以下ま
 で静かに滑降して、声をかぎりに叫ぶ。「アイルランドはどっちだ」尾翼の下からふり
 返って、何かわかったようすがないかと思って漁夫の顔をじっと見る。旋回しながら、
 漁船の上へ再び飛んでみる。頭をまだ舵窓から突き出したままだ。そのままじっと動か
 ないし、表情も変わっていない。ほかの船の上を飛んでみようか?いやいや、日光と燃
 料のむだ使いしている。やめたほうがよい。私は「セント・ルイス号」を一直線にして、
 東方に飛んだ。
・最初のスコールに会う。涼しい新鮮な空気、気持ちのよいざわめき。雨が数分間、翼
 を流れる。止む。からっとした大空に出る。また雨。どしゃ降りの切れ目から水平線を
 じっと見渡す。陸地が見える。しかし、もう蜃気楼には騙されないぞ。
・私は一心に見つめる。自分の目を信ずる気になれないながらも、一心に見張る。その影
 や輪郭を。断崖のでこぼこした海岸や、起伏する山々を現している影を輪郭。近づくに
 つれて、フィヨルドの入り組んだ海岸が目立つ。不毛の島がそれを取り囲んでいる。ア
 イルランドだ!スコットランドにしては、野の緑が濃すぎる。
・私は、膝の上の航空図に合致するような目立った地勢を探しながら、泡立っている海岸
 の上を飛んでいる。山々は古びて円味を帯びている。畑地は小さくて、石が多い。真下
 には、しだいに先が細くなっていく大きな湾が横たわっている。長い岩の多い島、村落。
 そうだ、航空図の上もぴたりと当てはまる地形がある。海岸線の上にインクの線、アイ
 ルランド西南海岸のヴァレンシア島とディングル湾だ。私はほとんどまちがいなく、自
 分の針路上にいたのだ。
・アイルランドを見つけたときは、大圏ルートを5キロと離れていなかったに違いない。
 最も完全な状態のもとでも、80キロの誤差は正確な推測航法に入れてもよいだろう。
 5キロとは、さあ、なんといったらいいだろう。幸運?いや幸運とは、人生を遠くから
 ながめたことのない人々によってのみ使われる。   
 
翼よ、あれがパリだ
・こんなに重量を積んで、こんなに遠くまで空中を飛ぶなんて、信じられないことだ。も
 う50年たてば、だれでも飛行機で旅行することができるようになるだろう。しかし私
 は何百機もの飛行機が飛び回るなんてことを考えるのはいやだ。飛行術の発達は望むけ
 れども、私はだれにもじゃまされない空の孤独を愛する。それが取り乱されることは考
 えたくない。
・上昇しかかると、エンジンがブルルンとけいれん!私は感電したように硬直する。排気
 管の高調子なリズムに代わって、プツプツとちばをはくような不規則な音になる。私の
 手は操縦桿を前に押して本能的に飛行速度を維持するように動く。エンジン不調。これ
 はいよいよ不時着だ。私は、まだこの飛行が成し遂げられていないのに、あまりにも自
 信たっぷりに思い上がったのではなかろうか?だが、私は忘れていたのだ!重大な故障
 でもなんでもない。私が意図したとおり、機首タンクがからっぽになったまでのことだ。
 中央翼のタンクを開けて、スロットルと混合装置を閉め、手動ポンプを動かす。私の目
 は船を捜して水平線を見渡す。万一エンジンが調子を取り戻してくれない場合のことを
 考えて。船が二隻見える。が数キロ先だ。滑空降下をはるかに越えている。船は、機が
 海面に激突して水しぶきを上げてもわからないだろう。
・エンジンの振動も咳も止まる。スロットルを徐々に開く。飛行機にもりもりと力がつい
 てくる。エンジンは再び快調となる。エンジンの回転をもっと速くすれば、コンウォー
 ルイギリス海峡を横断して、暗くならないうちにフランスの海岸に到達できるのだ。ス
 ロットルを開いて1725回転にし、時速180キロにのぼるように速度計を見守る。
・私は150メートルに舞い下る。人々は頭を上げて飛行機の通るのを見ている。彼らは、
 私をローカル飛行の英国のパイロットとでも思っているだろうか。それとも、30時間
 飛び続けて、はるばるアメリカから英国までやってきた飛行機だと知って、見ているの
 だろうか。  
・すぐ鼻のさきにイギリス海峡がある。とてつもなく早くイングランドを横断したものだ。
 もちろん英国の端っこの狭い半島にすぎないけれども。でも、アイルランドを見てから
 まだ3時間そこそこだ。上昇、高度320メートルの水平飛行に移る。太陽が沈みかけ、
 水平線上にわずかに浮かんでいる。海峡には5,6隻の船が見える。
・フランスの海岸が、落日の光に燃えながら、迎えの手を差しのべるように近づいてくる。
 13日前、海岸から飛行士のナンジェッセとコリが大洋を横断して西に飛び立ったのだ。
 彼らの複葉機もル・ブールジュ飛行場を離陸したのだ。その飛行場に私はもうすぐ着陸
 しようとしているのだ。彼らはどこまで飛んだのだろう?なぜ行方不明になったのだろ
 う?エンジンの故障か、それとも燃料の欠乏か。
・家々をすれすれに飛ぶと、人々が走り出てくる。青い仕事着のお百姓さん、白いエプロ
 ンがけのおかみさん連、それに子供たちが彼女らにしがみついて、みんな屋根の上の音
 のするほうをきょろきょろ見まわしている。
・私は操縦桿を膝の間にはさみ、油のしみのついた紙袋を開けて、サンドウィッチを取り
 出す。離陸以来はじめての食事だ。機首が上がる。操縦桿を前に押し、再び膝にはさみ、
 水筒のコルクの栓を抜く。飲みたければ全部飲んでもよろしい。こことパリの間なら不
 時着しても水はたくさんある。だが、このサンドウィッチのなんと味もそっけないこと
 か!呑み込むに骨がおれる。
・5、6マイル先の暗いところから明りがひらめく。私はその光の出たあたりをじっと見
 る。またひらめく。航空標識だ。さらにもう二つ、そこから左にやや離れたところで明
 滅する。ロンドン=パリ間の航空路に違いない。その標識燈のことを私はだれからも聞
 いていなかったが、しかしこれからは万事簡単にいくだろう。航空標識のラインが私の
 針路と一致している。   
・再び上昇、1200メートルで水平飛行。翼下の地上はすべて光のかたまりだ。大きい
 かたまりは都市で、小さいのは町と村だ。パリは夜をあざむく綺羅星のような光の一群
 であろう。はるか下方に、上に向かって点々と伸びる光の柱がある。エッフェル塔だ。
 私はその上空を旋回し、ル・ブールジュさして針路を北東に転ずる。
・ル・ブールジュ飛行場は私の地図には載っていない。アメリカ本国では、だれもその位
 置についてぼんやりした概念しかもっていなかった。「大きな空港だよ。迷いっこない
 さ、パリ市から北東へ飛べばいいんだ」といったぐらいのものだ。
・このような大きな飛行場では、必ず航空標識燈を照らしていなければならないはずだ。
 ところが私の目に入った最も近い標識は50キロも先にある。私は高度1200メート
 ルで飛んでいる。航空標識は私の目にははいらないほど低いところを照らしているのか
 もしれない。この高さから、私は暗い地面をさがさなければならない。その暗い地面は
 規則正しい間隔の光の直線、黄色の灯のあいだに緑と赤の灯が少し混じった、で囲まれ
 ていなかればならないはずだ。  
・左のほうに暗い地域がある。じゅうぶん飛行場たりうるだけの大きさだ。そしてその周
 囲をとりまいてたくさんの明りもある。しかしその明りはまっすぐでもなく、一定の間
 隔もなく、しかもあるところは異様に密集している。どうも飛行場のように見える。し
 かしなぜあんなごたごたしたところに飛行場があるのだろう。片側に沿って無数の明り
 がある。
・今はほとんど真上を飛ぶ。警戒燈もなければ接近燈もなく、回転空路標識もない。しか
 しフラッドライトはある。それは飛行場の一端を示している。たぶんフランスでは、到
 着予定の飛行機のない時は、空路標識を消しているかもしれない。しかも私の飛行機は
 まだ着陸予定時ではない。私がパリに着くかもしれないと考えている人びとでさえ、こ
 んなに早いとは思うまい。
・これは、ル・ブールジュ飛行場への方向に違いないが、しかし、それはパリからはるか
 に遠いところにあると私は思っていた。もう4、5キロ北東に飛んでみよう。それでも、
 もし飛行場らしいものが見えなければ、引き返して、もっと低空を旋回してみよう。
・5分過ぎた。小さな町や田舎の家々の明りが地上のやみを破っているにすぎない。私は
 引返し、スロットルをいくらか減じ、ゆっくりと降下しはじめる。再びフラッドライト
 に近づいたとき、高度計は600メートルを示した。旋回する。そうだ、まちがいなく
 飛行場だ。ドアを半開きにした大きな建物の前に、エプロンの一部が見える。
・私は飛行場の表面がきれいになっているかどうかを見きわめようとして、高度を下げて
 旋回する。高度300メートルで、一つの建物の上にぼんやりと明りのついた吹き流し
 を発見する。風をはらんで着陸方向を示している。それは格納庫から離れたフラッドラ
 イトのあるあたりだ。 
・私はスロットルを開けて旋回上昇をはじめる。高度300メートルにのぼる。だれも照
 明をもっと多くつけてはくれない。自動車がまだ道路の上にぎっしりと詰まっている。
 だが地上には何一つ動く兆候も見えない。私はいま着陸地点から風下400メートルの
 ところにいる。スロットルを戻す。最後の滑空に移るため翼を傾けて旋回する。機首
 がじゅうぶんに下がっているだろうか?そうだ、時速140キロ、このままだと通り越
 してしまう。操縦桿を戻す。安定板を調整する。スロットルをしぼる。エンジンは正常
 に動作している。   
・車輪がやわらかに地面に触れる。また離れる。ゆるやかに操縦桿を前に。地面にもどる。
 離れる。接する。機尾も地面についている。下手な着陸ではないが、前方には何も見え
 ない。暗やみの中へがたぴし揺れながらはいってゆく。「セント・ルイス号」はゆらゆ
 ら揺れながら旋回し、滑走をやめ、ル・ブールジュ飛行場の中央の固い土の上に停止し
 た。前方の飛行場全面は走って押し寄せる人の大波だ!
・私は、1927年5月の夜、ル・ブールジュ飛行場で私を待っている人たちによって歓
 迎を受けるなどとは、まったく予期していなかった。機の車輪が地に触れたとき、何万
 という男女が垣を破り、警備員を乗り越えて、洪水のようになだれこんでこようなどと
 は、まったく知るよしもなかった。私がエンジンのスイッチを切るか切らないうちに、
 操縦室の窓は顔、顔、顔でふさがれてしまっていた。私の後ろで木の砕ける音がした。
 それから次々と木片がもぎ取られた。布を裂く音もした。それは記念品あさりが乱暴に
 行われているのだ。飛行機がこれ以上損害をこうむらないように、機の周囲に警備員を
 配置してもらうことが何よりの急務だった。
・「誰か英語を話せる人がいませんか?」と私は叫んだ。
・その週、私がパリで過ごしている間に、あの土曜日の夜、ル・ブールジュでどんなこと
 が起こったかということを詳しく知った。フランス当局は、飛行場に特別の警備員を派
 遣したうえ、さらに軍隊二個中隊を加えて増強した。だが、群衆が鋼鉄の垣を破って飛
 行場に乱入したときには、警官も軍隊も、どこかへ押し流されてしまった。   
・アメリカ大使は私を大使館へ案内するという。喜んでお受けはしたが、しかし飛行場を
 出る前に「セント・ルイス号」を見せてもらいたいと頼んだ。「セント・ルイス号」は
 たいしてひどい損傷もこうむっていないし、それに軍隊の警備のもとで鍵のかかった格
 納庫に入れてあるから心配ご無用といわれた。
・実はその時、私は知らなかったのだが、フランス当局は、私に見せる前にすっかり修理
 しておきたかったのだという。しかし私は、砕かれた木製品や、破られた布製品のこと
 が、どうしても気になったので、格納庫までいった。「セント・ルイス号」はなるほど
 格納庫の中にちゃんと入れてあった。しかし、それは私にとって大きな衝撃であった。
 私の愛機を見るのは。胴体の両側は大きな穴だらけ、そして記念品収集狂のだれかが、
 エンジンの上のロッカー・アームの架構の一つから、給油用具を抜いてしまっていた。
・私は当時、多くの仲間の飛行士たちとともに、航空というものの輝かしい将来を信じて
 いた。1953年の現在、われわれは現実に昨日の夢の中に生きている。しかも昨日の
 夢の中に生きながら、さらに明日を夢見ているのだ。私たちの未来の幻想は、ロケット
 弾や超音速飛行だ。かつて大洋横断飛行を議論したように、空中いたるところを旅行す
 ることについて、われわれはいろいろと説を立てている。
・しかし、この新しい、まるで神業とでもいうべき世の中でさえ、恐るべき欠陥が発見さ
 れる。文明によって創造された航空機が、今日では文明を破壊していることを私たちは
 目の当たりに見ている。ロケットや原子力が、無防備の肉体や精神や霊魂を冒す作用に
 ついて、我々は脅畏の念を抱いきはじめている。
・われわれ人間の想像力というものを、いかに人間それ自身の利益のために役立たすべき
 かという、根本問題に直面している。