タイタニック号の最期 :ウォルター・ロード

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この本は、1955年に発行されたノンフィクションである。この本によって著者のウォ
ルター・ロードはたちまちベストセラー作家となったと言われている。
タイタニックと言えば、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの映画『タ
イタニック』(1997年)が有名であるが、あちらは架空の人物を主人公にしており、
かなり内容が装飾されている。この本のほうがより事実に近いだろう。

このタイタニック号沈没事故の謎として、よく次の二つの点があげられることがある。
・なぜ他の船からの度重なる「氷山、警戒されたし」の通信を無視して高速で走りつづけ
 たのか。
・事故現場付近には何隻かの正体不明の船が通過したり、近くに停泊している船もいたが、
 なぜ救助もしなかったのか。
この本を読んでその答えがわかった。その一つの答えは「タイタニック号」の「安全神話」
である。当時「タイタニック号」は、どんなことがあっても絶対に沈むことがない「不沈
船」と信じられていた。そのため、衝突前に度重なる「氷山」の警告あったにもかかわら
ず、その警告を無視して高速で船を走らせ続けたのだ。いくら見張り人を立たせて監視し
ていたからといって、真暗な海上に浮く氷山を事前に発見し、それを回避するというのは
難しいだろう。おそらく、氷山に衝突してもタイタニック号なら大丈夫だと思っていたと
ころがあったのだろう。この本では、タイタニック号の船長は、経験豊かな名船長と書か
れているが、実際には、過去2年間に3度の座礁事故を起こしており、事故原因はいずれ
も無謀な操船と判断ミス、処置の拙劣さにあったとされている、それでも彼がタイタニッ
ク号の船長になったのは、彼は航海中、常に名士との会食に熱心で、「タイタニック号」
の所有会社の社長からも厚い寵愛を受けていたからだと言われているようだ。
そして二つ目の答えは、当時の船の無電はまだ24時間体制でなかったことが主な理由と
言われている。しかし、それにしても「タイタニック号」の沈没事故に際しての「カルパ
チア号」と「カリフォルニア号」の対応の違いは、本当のところは何だったのであろう。
どちらも「タイタニック号」が発した救難信号を受信したり、閃光信号を見ていながら、
「カルパチア号」は93キロも離れていたのにいち早く救助に駆けつけた。他方、「カリ
フォルニア号」は16キロと一番近い距離にいたのに、まったく反応を示さなかったのだ。
「カリフォルニア号」の見習いと二等運転士は、「タイタニック号」が閃光信号を8発も
上げるのを見ていた。そしてそれを船長にも報告しているのだが、船長はなんの動きもし
なかった。「カルパチア号」の船長はすばらしい反応を示したが、「カリフォルニア号」
の船長はまったく機転がきかなかった。「カリフォルニア号」の船長は当時34歳だった
ようだが、船長としての経験の浅さからだったのだろうか。もっとも、事故前に「タイタ
ニック号」に「氷山への警戒」を無電連絡していたのは、「カリフォルニア号」だったの
だが。なお、「カルパチア号」の船長は、その後、この時の功績に対して、当時のアメリ
カ大統領からホワイトハウスに招待され、アメリカ合衆国議会からは議会名誉勲章を受け
ている。

この「タイタニック号」の沈没事件であからさまになったのは、等級による船客の差別待
遇だった。一番下の等級である三等船客は蔑ろにされたのだった。この等級差別は、現代
においても、時々問題視されるが、決してなくなることはない。映画『タイタニック』に
おける、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが演ずる、上流階級令嬢と
貧しい青年との恋愛も、こういった等級差別社会が背景にあったから、より悲恋的なもの
となったと言える。

実は、この「タイタニック号」には、「タイタニック号」を所有する汽船会社の社長も乗
っていた。事故が起きた際、その社長は、船客を女性や子供を優先して救命ボートの乗せ
て避難させている際に、船客にまぎれていち早く避難して助かっていたことが後にわかり、
社会から非難され不名誉な名を残すこととなった。映画「タイタニック」ではこのことに
はまったく触れられていないようだ。

当時、タイタニック号は不沈船と言われていた。「この船を沈没させるような、いかなる
条件も想像することができない。この船にいかなる致命的災害が起こることも、考えるこ
とができない。現代の造船技術は、そんなことをはるかに追い越している」と造船関係者
に言わしめた。しかしこれは造船関係者の「おごり」だった。まさに「安全神話」そのも
のだった。そしてそのタイタニック号が、初めての航海で氷山と衝突してあっけなく沈没
してしまった。
私はこの本を読んで福島の原発事故を思い起こした。福島の原発事故も、事故が起こる前
は原子力発電はまさに、同じような「安全神話」の上に成り立っていた。あらゆる安全対
策がなされているから、致命的な原発事故は絶対に起こらない、起こりようがないと信じ
られていた。それでも福島原発事故は起こってしまったのだ。まさにタイタニック号と同
じように「安全神話」の崩壊となった。このタイタニック号の沈没事故や福島原発事故を
から言えることは、世の中には「絶対安全」ということは決してありえないということだ。

ところでこの本では、タイタニック号が最初に救難信号を発信したとき、最初、今は一般
的に使われている「SOS」ではなく「CQD」を使ったとある。調べてみると、この
「CQD」というのは、1904年から1908年の間に使用された海難救助要請信号で、
その後は「SOS」に変更されたようである。この「CQD」から「SOS」への変更理
由は、モールス信号で発信する場合に「SOS」の方が単純明快だったからだと言われて
いる。映画「タイタニック」では、スミス船長が通信士に「CQD」を打てと指示し、通
信士が「CQDですか?」と聞き返したようになっているが、この本ではそうではなく、
通信士はスミス船長に「規定通りの遭難信号で呼ぶかどうか」をたずね、スミス船長は
「もちろんだ!」と答えている。そして通信士が「CQD」を発信するのだが、その後ス
ミス船長が通信士に「SOS」にするよう指示している。なお、この本では、「タイタニ
ック号」が史上最初に「SOS」を使ったと書かれているが、それは間違いのようだ。
SOSは「タイタニック号」の沈没事故以前に既に使われていたようだ。

また、この本の中に「ぜんまい仕掛けの磁器検波器」という初めて目にするような言葉が
出てきている。これは調べてみると、マルコーニの発明したものらしく、ぜんまい仕掛け
で動く2つのエボナイト製の滑車が、継ぎ目なく作られた柔らかい鋼のより線を一定の速
度で動かし、この銅線は常に磁石によって磁化されていて、到来した電波によってその磁
化された銅線が消磁されるこを利用して検波する仕組みになったもののようであった。従
って、ぜんまいを巻いて銅線を一定速度で動かさないと検波はできなかったのだ。なんだ
かテープレコーダーに似ているところがある。今の時代からみたら、子供のおもちゃ以下
で、それと比べたら、いまの子供たちの作る鉱石ラジオのほうがずっと上等な代物である
のだが、当時の時代においては、最先端の技術であったようだ。なお、当時の時代の無線
通信といえば、1901年に船舶向けの無電電信サービスが開始されはじめ、1902年
12月に、初の大西洋横断無線通信に成功したというような時代だった。それから120
年後の現代は、多くの人々が携帯電話やスマホを片手に街を闊歩する時代となっている。
当時の人びとからみたら、いまのスマホの時代は、まったく想像もできない世界だろう。

ところで、「タイタニック号」の事故は、は「豪華客船」の事故とも言われるが、同じ
「豪華客船」と言えば、最近は、ダイヤモンド・プリンセス号を思い出す。この船も「タ
イタニック号」と同じくイギリス籍の船だった。この豪華客船は、今年(2020年)2
月初旬に、香港から沖縄を経由して横浜に向かって航行中の船内で、新型コロナウイルス
の感染者が乗船していたことが判明し、横浜港に帰港後も、船客は下船させられず、船内
待機となった。この間に、感染が拡大して、3700人の乗客・乗員のうち700人以上
の感染者が出て、うち4人が死亡した。近年、豪華客船は氷山に衝突して沈没することは
なくなったが、これにより新たな脅威が認識されることとなったのだ。

暗夜の海上に、突如氷山!
・「タイタニック号」の高い見張り台で見張り人が、まばゆいような夜の前方に目を注い
 でいた。おだやかな澄みきった夜だが、寒さははげしかった。月はなかったが、晴れた
 空は星にかがやいていた。大西洋はみかがれた鏡のようで、こんななめらかな大西洋を
 見たことがなかったと、人びとはあとで言った。
・「タイタニック号」がニューヨークへの処女航海の旅に出てから5日目の夜だったが、
 この船は単に世界最大の巨船だというだけでなく、世界で最も豪華を誇る汽船であるこ
 とは、すでに折り紙をつけられていた。 
・こんなことは見張り人にとっては、まったく別の世界だった。彼はただ「タイタニック
 号」に乗り組んでいる6人の見張り人の一人にすぎなかったし、見張り人は乗船客のこ
 となんかに気をつかう必要がなかった。彼らは「船の目」だったし、そしてこの夜は、
 とくに氷山に気をつけるように注意されていた。
・別段なんらの異状もなかった。ただ、夜、さすような寒さ、おだやかな黒い海を22ノ
 ット半の速力で走る「タイタニック号」の索具を通る風の音だけだった。
・1912年4月14日、日曜、まさに午後11時40分を指そうとしていた。突然、真
 正面に何かを見た。それはあたりの闇よりも、もっと黒ずんだものだった。最初は小さ
 かったが、たちまちそれがぐんぐんと大きくなって近づいてきた。とっさに見張り人は、
 見張り台の鐘を3度たたいて、前方の危険を知らせたのち、電話を取り上げてブリッジ
 を呼び出した。「何を見たんだ?」「真正面に氷山があります」見張り人は答えた。
 「サンキュー」その声は妙にそらぞらしい丁寧さで感謝の返事をし、それ以上何も言わ
 なかった。 
・次の37秒、二人の見張り人は静かに並んで立ちながら、氷山がしだいに迫ってくるの
 をじっと見ていた。いまは氷山の突端のところまで迫っていたのに、船はまだ方向を変
 えなかった。氷山は前甲板のはるか上にぬれてギラギラ光っていた。いまは二人は、衝
 突する時の身構えでいた。
・の時、不思議にも船首が左に進路を取り出した。最後の瞬間に船首は、空間に突き出、
 氷山は右舷に沿ってぐんぐんすべるように過ぎていった。それは見張り人には、まさに
 間一髪の危機のように思われた。
・このとき、舵手は後方のブリッジに立って見張っていた。彼にもこの夜は異状の認め
 られない夜だった。ただ、おだやかな海、かがやく星、さすような寒さ。彼はデッキを
 歩きながら、氷の飛沫が空中できれいな花びらとなって、デッキの明かりに照らし出さ
 れるたびに、無数の美しい色を発散しているのを見ていた。
・やがて彼は、とつぜん不思議な動揺によって、エンジンのリズムの調子が狂ったように
 感じた。それはドックの壁を伝わって、かなりおもおもしくやってくるような気がした。
・彼は前方を見た、再び見つめた。すると一隻の帆を張った帆船が、右舷を通過するよう
 に見えた。そのうち彼は、それは少なくとも水面上30メートルもある、そびえ立つ氷
 山であることに気がついた。次の瞬間、それは船尾のやみの中に消え去った。  
・一方、下のDデッキの一等客船の食堂では、「タイタニック号」の乗務員4名が、一つ
 のテーブルを囲んでいた。最後の食事をした船客も、ずっと前に立ち去り、いまは大き
 な暗褐色の部屋には、このグループしかいなかった。彼らは食堂の給仕たちで、いつも
 のように仕事が終わったあとの時間を楽しんで、あれこれと船客の噂話をしていた。
・彼らがこうしてテーブルを囲んで話し合っている時、船のどこか奥のほうが、かすかに
 きしるような気がした。それはそれほど大したものではなかったが、それでもみんなの
 話を途切れさせたし、また翌朝の朝食のために並べていた銀の食器などを、ガタガタ音
 を立てさせた。
・船尾の船内炊事室では、夜のパン焼き主任が、翌日のロール・パンを焼いていた。どし
 んと動揺がきた時、新しいロール・パンが窯の上からころがって床の上に撒き散らされ
 た。
・キャビンEにいた新婚旅行の若夫婦は、にぶい衝突の音を聞いた時はまだ目を開けてい
 た。この時彼らは船が震動するのを感じ、ゴスゴスとこするような音が船腹のあたりで
 したと思った。ベッドから飛び出して舷窓のところへ走った。窓ガラスを通して見た時、
 彼の目の前を氷の壁が過ぎ去るのを見た。
・とつぜんの物を砕くような衝動で、Aデッキのスモーキング・ルームにいた給仕が甲板
 の上に出た。この時ボート・デッキよりも高い氷山が、ちょうど舷側をかすめて通りす
 ぎるのを見た。氷山が通りすぎる時、氷がバラバラに砕け、水中に散って落ちた。次の
 瞬間には、氷山は船尾の暗黒の中に消え失せていた。 
・一人の男が叫んだ。「氷山に衝突した!そらあそこだ!」夜の闇をじっとにらんだ。す
 ると船尾150メートルほどのところに、巨大な氷山が星にかがやく夜空に黒くそそり
 立っていた。それもやがて暗黒の中に消え去った。
・船内の興奮もまもなく消えた。「タイタニック号」は依然として微動だにしないように
 見えたが、あまりの寒さにいつまでも甲板に立っていられなかった。人びとはまた中に
 引き返した。最後に中に入った人は、デッキのドアを閉めながら、どうもエンジンが止
 まりかけているようだと思った。  
・そのとおりだった。一等運転士が、ちょうど「ストップ」をかける、エンジン・ルーム
 の信号ハンドルを引いたところだった。見張り台から報告があった以上は、処置は彼の
 責任だった。やがて緊張した瞬間が過ぎ、舵手に面舵一杯に取るように命令「全速後進」
 へ、エンジン・ルームの信号機が引っぱられ、ボタンが強く押されて防水扉が閉められ、
 そして息づまる37秒間を待った。
・いまは待つ時刻も過ぎた。そしてそれがあまりにも遅すぎたことがはっきりした。きし
 るような音が消え去った時、スミス船長は舵手室の隣の自分のキャビンからブリッジに
 飛んではいった。 
・非常口は全部閉まっていた。下のボイラー室6号では、水夫と二等補助機関士とが話し
 ていたが、その時警報ベルが鳴りひびき、船尾に通じる防水ドアの上の電灯がパッと赤
 くともった。たちまち警報の叫び、耳をつんざくような砕ける音、船の右舷全体がこわ
 れたかと思われた。海水が滝をなしてどっと流れ込んでパイプやバルブのまわりに渦を
 巻き出した。二人の男は脱兎のようにドアから飛び出して、ぴったり閉めた。
・いまはボイラー室5号にいても、状況はひどく悪いのがわかった。深い切り傷は、閉ざ
 されたコンパートメントのドアの向こう側60センチのあたりまで及び、海水の太い奔
 流は穴を通してどんどん流れ込んでいた。近くにいた荷繰人は、炭庫からからどっと崩
 れてきた石炭のなだれにうずまって、必死にもがいてぬけ出そうとしていた。 
・もっと後尾の別のボイラー室は乾燥していたがここも同じ光景を呈していた。水夫たち
 は起き上がると前や後ろに呼びかけて、何ごとが起こったんだとどなっていた。さっぱ
 り状況がわからなかったのだ。いままで「タイタニック号」の旅は、ピクニックのよう
 なものだった。新造船の処女航海だったので、あらゆるものが整っていた。
・この時、約16キロばかり離れた海上を、ロンドンからボストンに向けて航行中の定期
 航路船「カルフォルニア号」のブリッジに、三等運転士が立っていた。6千トンの同船
 は、速度はのろかったが、それでも47名の乗客を乗せる余裕があった。しかし今度の
 航海では船客は乗せていなかった。そしてこの日曜の夜は、流氷のためにすっかり足を
 奪われて、午後10時半から停船状態にあった。
・11時10分ごろ、右舷にあたって、東方から走ってくるもう一隻の船の灯火を認めた。
 この船は停船している「カルフォルニア号」にぐんぐん追いついてくるにしたがって、
 デッキの灯があかあかと輝いているのから見ても、これは相当に大きな客船であること
 がわかった。 
・11時半ごろ、彼は海図室のローズ船長にこのことを報告した。ローズ船長は、モール
 ス灯によって、先方の船に連絡を取るように命じた。
・やがて11時40分ごろ、その大きな船が急に停止して、電灯をほとんど全部消した。
 しかし別に驚きもしなかった。というのは、当時、真夜中には船客を早く寝かせるため
 に、デッキの電灯をいつも消すのだった。そのため、実際にはまだ電灯がともされてい
 るのだが、ただ、船がいまは舷側をこちらに向けておらず、急に取舵を取ったために電
 灯が見えなくなったんだ、ということを思い及ばなかった。
  
「タイタニック号」停船
・デッキの上にはべつに変わったこともなかった。また危険らしい気配もなかった。だか
 ら何かを確かめようとする人びとも、ただあてもなくそのへんを歩き回ったり、手すり
 のそばに立って、事件の糸口でも探ろうとして、空漠たるやみの中に目をすえて見たり
 した。「タイタニック号」は海上に、死んだように身動きもせず停船し、ただ巨大な煙
 突のうち3本が、うなりをたてて蒸気を吐き出し、これが星の輝く夜の静寂を破ってい
 た。
・ボート・デッキの船尾のほうには、年輩の男女が腕を組みながら悠々と散歩して、まる
 でうなるような蒸気の音など忘れているかのようだった。船客が三々五々歩いていた。
・二等のスモーキング・ルームでは、だれかが、氷山の氷をハイボールに入れられないも
 のか、などとふざけて言った。それが実際にできたのだ。「タイタニック号」が氷山を
 かすって通った時、氷山の氷が数トン、バラバラと砕けて前のマストのちょうど反対の
 右舷のデッキにどっと落ちた。ここが3等の娯楽デッキだったので、何かと思って出て
 きた3等室の船客たちがこれを発見した。彼らがこの氷のかけらを互いにおもしろがっ
 て投げ合った。 
・まもなくいよいよどうにもならないような、最悪の不安な証拠が出てきていた。11時
 50分、衝突10分後には、不思議なことが「タイタニック号」の16の防水区画の最
 初の6つの中に見られ、また聞こえた。
・電灯係は、非番で寝床にはいっていたが、船首の艙からシューッという不思議な音を聞
 いた。そこで彼はがばと跳ね起き、できるだけ船首のほうまで行ってみると、錨の鎖を
 入れてある船首の格納所から、空気が逃げているのだった。はるか下のほうから海水が
 すごい勢いでどんどん流れ込んでいたので、そのおおきな圧力で空気が奔出していたの
 だ。 
・火夫長も目をさました。彼が火夫室とボイラー室をつなぐ通路に通じるラセン階段を見
 おろした時、緑色の海水が炉格子の鋳鉄の階段の下あたりに、渦を巻いて流れていた。
・三等船客の男は、船尾の三番目のコンパートメントで、もっと不安な経験をしていた。
 ここは一番船賃の安い船客を収容するところで、船の最下部にあり、かついちばん船首
 に近いところだった。キャビンの外でなんの騒動が起こっているのだろうと、起き上が
 ってみると、海水がドアの下から足のまわりに漏れていた。彼は着物を着なければなら
 ないと思ったが、着物を着ることには、海水は靴の上まであがった。
・5人の郵便係員が働いていた第コンパートメントは、もっとひどかった。「タイタニッ
 ク号」の郵便室は、デッキ二つ分の高さを取っていた。デッキ二つをつらぬく郵便室は
 高い鉄の昇降路につながり、これがFデッキと船の他の部分につづいていた。郵便係員
 たちが書留郵便のサック2百を昇降路から水気のない分類室に引きずり上げている時、
 わずか5分間で海水は郵便係員たちの膝までひたしていた。それから5分経つと、海水
 は階段の一番上まで達し、Gデッキ上をひたしていた。郵便係員たちは、いまは郵便室
 を放棄し、昇降路をFデッキまで退却していた。
・ブリッジでは、スミス船長が事態をいろいろと総合して研究中だった。老船長はこんな
 場合、まさにうってつけの人だった。汽船会社には38年も勤務していたので、この会
 社ではまさに最長老の船長だった。彼は頬ひげの長者で、船員からも船客からも、ひと
 しく尊敬されていた。
・スミス船長は天性の指導者だった。衝突後、舵手室に入ると、ちょっといただけで、す
 ぐに氷山がまだ見えるかどうかを見るために、ブリッジの右舷の翼に行った。
・それからすべての行動が開始された。スミス船長は、まず船内の検査に四等運転士を派
 遣した。まもなく彼が帰ってきた。彼は三等船室の奥まで調べたが、べつに被害のしる
 しが認められなかった。これがこの夜スミス船長が聞いた、最後のグッド・ニュースだ
 った。    
・それでも気になったスミス船長は、三等運転士に言った。「下に行って大工を探して、
 船をたたいて調べさせなさい。三等運転士がまだブリッジの階段をおりない時、彼は飛
 び上がってきた船大工と突き当たった。船大工はあえぐように言った。「船はどんどん
 浸水しています!」
・船大工のあとを追っかけるようにして、今度は郵便係員が飛んでやってきた。彼もブリ
 ッジに向かって飛んでやってきたのだが、通りがかりにこう口をすべらした。「郵便室
 もどんどん水がいっぱいになりかけている!」 
・造船所専務の所に呼び出しの使いが派遣された。「タイタニック号」の建造者として専
 務は、この新造船の調子の悪いところを調整する目的で、処女航海に同乗していた。も
 しもいまの事態を見分ける人間がいるとすれば、彼こそはまさにその最適任者だった。
・事実、彼は有能な人物だった。建造者としての彼は、もちろん「タイタニック号」につ
 いては、どんな細部にわたることも承知していた。しかし、いまはさすがの彼にも手の
 ほどこしようのないほどの事態に立ち至っていた。彼の目には、事態がありのままに映
 った。また、この船がどんな事態にどんな反応を呈するかということの、予測さえもで
 きるようだった。彼の船に対する理解力は、人間の馬に対する理解力とも思われるもの
 なのだ。 
・はるか上方のAデッキにいた、二等船客は、なんら不思議なことを認めなかった。彼が
 下の自分のキャビンにおりていって調べようとした時、どうも階段が「まともじゃない」
 ように感じられた。見たところ水平なのだが、足もとがきまらない。どうもバランスが
 取れなくて前につんのめりそうだ。階段が船首のほうに傾いているようだ。
・ほかの船客たちも船が傾くのを感じていたが、そんなことを言うのは体裁が悪いように
 思っていた。ボイラー室5号では、火夫は懸命にポンプを操作している機関士たちには、
 何も言うまいと思った。ブリッジの転換器によると、「タイタニック号」は船首をかす
 かに傾け、右舷に5度傾ていることを示していた。
・近くで、造船所専務とスミス船長は、さっそく調査にかかった。最初の10分間に、竜
 骨線上4.2メートル浸水、通計して、90メートルの裂け目を生じ、船首の5つのコ
 ンパートメントは、手の施しようもないほどの浸水。
・造船所専務は静かに説明した。「タイタニック号」は、16の防水コンパートメントの
 うち、どれか2つに浸水しても浮かぶことができる。船首の5つのコンパートメントの
 うち3つが浸水しても浮かんでられる。船首の4つのコンパートメントが全部浸水して
 も、浮かんでいられる。しかし、いかに刻んでいいといっても、船首の5つのコンパー
 トメント全部に浸水しては、浮かんでいられない。
・しかし、それはまだ一つのショックに過ぎなかった。結局、「タイタニック号」は不沈
 の船だと考えられていた。少なくとも旅行の小冊子ではそういうことになっていた。高
 級な専門雑誌は、1911年の特集号で「タイタニック号」のコンパートメントの構造
 の特長を指摘して、「船長が電気のスイッチを簡単に動かしただけで、ただちに全部の
 ドアが閉まり、船は事実沈まないようになる」と記した。
・いまあらゆるスイッチが引かれたが、造船所専務が言うには、それはなんの効き目も現
 わさなかった。この事実を直視するのは、つらいことだった。とくに船長スミス氏にと
 っては、つらかった。まもなく60歳を迎える彼は、この旅ののちに引退することにな
 っていた。もっと前に引退できたのだが、彼は伝統にしたがって造船会社の処女航海に
 乗ったのだった。
・つい6年前、彼が新造船「アドリアティック号」を引き渡す時、こう言った。「私は船
 を沈没させるような、いかなる条件も想像することができない。私は、この船にいかな
 る致命的災害が起こることも、考えることができない。現代の造船技術は、そんなこと
 をはるかに追い越している」
・いま彼は、2倍も大きい、2倍も安全な定期航路船のブリッジに立っていた。それなの
 に、この船の建造者が、この船が浮かぶことができないというのだった。      
・午前零時5分、衝突後25分、スミス船長は、ボートを降ろす用意をすることを命じた。
 そして船長自身は、無電室に行った。
・無電室では、一等無電士と二等無電士の二人が、何ごとが起こっているかを知っている
 気配もみえなかった。それは苦しい時代だった。1912年には、無線はまだまったく
 珍しいものだった。通信距離は短く、オペレーターは経験にとぼしく、何度も中継した
 り繰り返したりしたが、サインはなかなかつかめなかった。しかし船客はこの新しい不
 思議にすっかり魅せられ、取るに足らぬ私事の連絡をしたり、家に帰ることを友人やほ
 かの船に知らせることの誘惑に勝てなかった。
・この事件当日の日曜には、電報が山と積まれていた。それは、1カ月30ドルの給料で、
 1日14時間も働く人間にとっては、まさに神経をすり減らされることであった。夜に
 入っても、まだかごの底が見えず、混信は依然として続いていた。やっとの思いでケー
 プ・レースと連絡をつけた時、「カリフォルニア号」が氷山のことで問い合わせに割り
 込んで出てきた。「カリフォルニア号」は近くにいたので、まるで耳が吹き飛ばされそ
 うだった。そこでさっそくどなり返した。「やめろ、やめろ!こちらは急いでるんだ。
 こちらはいまケープ・レースと交信中なんだ!」
・スミス船長は「本船は氷山に衝突した。わしはいまどの程度の損害か調べている。諸君
 はさっそく救助を求める用意をしてくれたまえ。しかしわしが命令するまでは、発信し
 ないように」と言った。それから船長はそこを立ち去ったが、まもなく戻って来た。
 「救助を求めたえ!」
・この時、船長に、規定通りの救難信号で呼ぶかどうかをたずねた。スミス船長は答えた、
 「もろろん、すぐに!」
・船長は「タイタニック号」の位置を示した紙片を渡した。午前零時15分、当時の遭難
 時の国際的呼び出し記号「CQD」を、「タイタニック号」の呼び出し記号「MGY」
 につづいてたたきはじめた。繰り返し繰り返し、6回にわたってつづけざまに信号が、
 冷たく青い大西洋の夜空に向かって打ち出された。
・この時、16キロほど離れた海上で、「カリフォルニア号」の三等運転士が無電士の寝
 床に腰かけていた。三等運転士はすばらしい青年で、世間の出来事に常に興味を持って
 いた。仕事がすむと、無電室に立ち寄っては、最新のニュースを聞いた。
・三等級の定期航路船の乗組員などで、世間のこと、とくに無線通信などに興味を持つの
 は、そうたくさんいなかった。   
・三等運転士は、何かおもしろいことがないかと、ヘッドフォーンを頭につけた。こうす
 ると電報がたとえつまらないものでは、彼はすっかりいい気持ちになるのだった。しか
 し彼は器機のことについては、よくわからなかった。「カリフォルニア号」の無電装置
 は、時計仕掛けによって操作するぜんまい仕掛けの磁器検波器だった。三等運転士はこ
 れを巻いていなかったので何も聞こえなかった。

海水、デッキを洗う
・最初の警告を気の利いた冗談で受け流したのもいつのまにか消え去り、船員たちは寝台
 から転がるように飛び降りた。
・一等船客のスモーキング・ルームでは、誰も知らなかった。ブリッジ遊びの真っ最中だ
 った。そこへ突然高級船員がドアのところへ現われた。「みなさん、どうぞ救命帯をお
 つけください。前方に事故がありましたから」
・階段の上では、船客たちは声をひそめたまま、押し合いへし合いの混雑だった。
・二等船客のほうは、やや品の落ちた混乱ぶりだった。
・三等船客のほうは大混乱だった。というのは、汽船会社は、独身の男と独身の女をきち
 ょうめんに区別して、「タイタニック号」の両端に居所を定めていた。いま男船客の多
 数は、みんな船首のほうで寝ていたが、大急ぎで女船客のほうの船尾に急いだ。 
・冷たい、痛ましい夜の闇の中に、全船客は群れをなしてぞくぞくと出ていった。各等級
 にしたがって、自動的に自分たちのデッキに出た。一等船客は船の中央に、二等船客は
 やや後方のデッキに、三等船客は最後部か、あるいは船首の近くのデッキに。不安な中
 にも好奇心から、彼らは救命帯をつけた他人を互いに見た。もう冗談半分にものを言う
 者も、ほとんどいなかった。
・ボート・デッキでは、船員たちが16隻の木造の救助ボートを解きにかかっていた。各
 舷側に8隻ずつあり、4隻がひとかたまりとなって船首のほうに、それから57メート
 ルの空間があって、他の4隻が船尾のほうにあった。
・ボートを全部集めると、1178名の人間を運ぶことができる。この日曜日の夜、「タ
 イタニック号」上の人間の数は、2207名あった。この数字の上の食い違いを知って
 いる船客は一人もいなかったし、船員もほとんど知っていなかったが、大部分の者はど
 っちにしてもあまり気にかけなかった。「タイタニック号」は不沈船なのだ。だれもが
 そう言った。  
・いま船客はボート・デッキにおとなしく立っていた。別に心配しているというほどでは
 なかったが、非常に複雑な気持ちだった。ボート訓練は一度もしていなかった。船客は
 ボートの割当ても受けていなかった。船員は割り当てられていたが、だれもわざわざそ
 の割当ての表を見ている者もいなかった。
・この時、みんなの気を静めるための音楽が奏された。バンドマスターは、部下を集め、
 バンドはラグタイムを演奏していた。彼らは一等の娯楽室に立っていたのだが、そこに
 は、ボートをおろす命令がくるのを待っている、多数の船客がいた。
・無電室の沈黙を破るのは、救助を求めてトントン・ツーツーとキイをたたき、これに打
 ち返しがくるのを書きとめる、無電のきしる音だけだった。
・飛んできたニュースは、いずれも激励の言葉だった。最初の返信は北ドイツのロイド汽
 船の「フランクフルト号」からだった、零時18分、「フランクフルト号」からはっき
 りと、「OK、待機せよ」と打ってきたが、位置は示していなかった。つづいて救助を
 承知したという無電が相次いで流れこんできた。カナダ太平洋汽船「テンプル号」、
 アラン汽船「ヴァージニア号」ロシアの不定期貨物船「ビルマ号」
・この夜のニュースは、激しく各方面に打電された。直接交信できない場所にいた汽船は、
 交信範囲の無電からこのニュースを受けた。ケープ・レース無電局はこのニュースを直
 接聞いて、ただちに国内に中継した。全世界は悲痛な気持ちでこのしらせに吸い寄せら
 れた。  
・近くを航行中のキューナード汽船「カルパチア号」は、この事件をまったく知らずに南
 に向かっていた。この船のたった一人の無電技師は、「タイタニック号」が「CQD」
 の信号を発信している時、ちょうどブリッジに行っていた。やっと自分の無電機にもど
 った無電技師は、何か役に立つことでもしてやろうと思った。そこで彼は何気なく質問
 を発した。ケープ・レースから個人の電報が待っているのを「タイタニック号」は知っ
 ているか?
・零時25分だった。「タイタニック号」は「カルパチア号」の親切な発信なんかに目を
 くれず、早速打ち返してきた。「すぐ来てくれ!本船は氷山に衝突した。CQDだ」
 ぞっとするような沈黙の時間。それから「カルパチア号」は船長の報告すべきかどうか
 を問い返した。「タイタニック号」は「たのむ、早く!」
・5分たった。吉報だ。「カルパチア号」はわずか92キロの地点にいる。そして全速力
 でこっちに向かってくる。
・零時34分、「フランクフルト号」から再度の連絡。同船は260キロ離れていた。
 「タイタニック号」が問うた、「本船を救助くださるや?」、フランクフルト号「どう
 したのか?」、「タイタニック号」「船長に本船を救助してくれるようお伝え請う。本
 船は氷山に衝突した」  
・「タイタニック号」のスミス船長は、いまや直接状況判断のために無電室に入ってきた。
 巨船「タイタニック号」の姉妹船「オリンピック号」が連絡してきた。「オリンピック
 号」は800キロ離れていた。しかし同船の無電は強力だったので、救助作業ができる
 のだった。そしてこの姉妹船の間には、強力なつながりがあった。
・「どんな信号で送っている?」スミス船長はたずねた。「CQDであります」
・CQDの略号は従来の遭難信号だったが、国際会議はこの略号の代わりに、SOSの略
 号を使用することを、ちょうど決定したところだった。SOSなの略号ならどんなアマ
 チュアにもわかりやすいものだった。そこで船長は命じた。「SOSを出したまえ。こ
 れが新しい略号だ。これが君が発信する最後のチャンスかもしれないな」さっそく新し
 い略号で発信した。「タイタニック号」はこの時、史上初のSOSを発信したのだった。
・スミス船長はのろしを5分か6分おきにひとつずつ上げるよう命じた。零時45分、目
 のくらむような閃光が夜空を燃やした。最初ののろしがブリッジの右舷側から打ち上げ
 られた。  
・16キロ離れた海上の「カリフォルニア号」のブリッジに、見習い船員が立っていた。
 東方から航行してきた不思議な船が、もう1時間も動かなかったので、彼は関心をもっ
 て見ていた。双眼鏡で見ると、その船の舷側の明かりと後方甲板の上の、ゆらめく輝き
 が見えた。そして何かのことで、モールス信号灯で、「カリフォルニア号」に合図しと
 うとしているのだと思った。彼は自分の灯火で返事しようとしたが、まもなくそれを断
 念した。不思議な船のマストの上の灯火がゆらめいているにちがいないと思ったからで
 ある。 
・二等運転士は、「カリフォルニア号」のブリッジを歩いていたが、彼もこの不思議な汽
 船に目をすえていた。零時45分、とつぜん白い閃光がその船の上でパッと光るのを見
 た。不思議だ、夜中にのろしを上げるなんて不思議だ、と彼は思った。

まず、婦女子をボートへ
・二等船客の一人は、自分ではいちばん新米だと思っていたが、それでものろしの意味は
 わかっていた。「タイタニック号」が救助を求めている、緊急に救助を求めているのだ。
 そして見える範囲内の近くにいる船なら、どんな船にでも呼びかけているのだ。
・ボート・デッキの他の人びとも事態を理解していた。もう冗談を言ったり不審がったり
 することもなかった。事実、もうゆっくり別れを告げる時間もなかった。 
・夫人たちの中には、船を去るのを拒んだ人もいた。しかし婦人たちの大部分はボートに
 乗った。夫人たちは夫に守られ、独身の女性は世話を見ることを申し出た男性に守られ
 た。当時は、大西洋の航海に当たって、「保護者のない婦人」に、紳士たちが奉仕を申
 し出るのには、一定の形式を踏む時代だったが、この夜だけはこの儀礼も手軽だった。
・事態はまさに進んでいた。デッキの傾斜は一段とけわしくなってきた。そしてのんきな
 性質の人びとも、しだいに不安になってきた。貴重品をキャビンに全部残していた人び
 とは、改めてそのことを思い出して、それを取りに勇気をふるって下に降りて行った。
・事態は急を告げていたので、表面は冷静だったが、二等運転士はチーフ運転士から武器
 を探すのを手伝ってくれと言われた時、時間をむだにすることだと思った。彼はただち
 に船長とチーフ運転士と一等運転士を、武器を入れておいたロッカーのところへ案内し
 た。チーフ運転士はピストル1梃を二等運転士の手に渡して言った。「これが必要な時
 があるかもしれないからね」二等運転士はそれをポケットに突っ込んで、再びボートの
 ほうに急いで戻った。  
・船客の中には、すっかり狂乱状態になっているのもいた。ある老夫婦は9号艇で大騒ぎ
 を演じ、ついにみんなを振り切ってボートから逃げ出した。あるヒステリカルな婦人は
 11号艇に乗り込もうとして、どうしようもないぐらい騒ぎまわった。給仕が彼女を助
 けようとして手すりの上に立ったが、彼女が足場を失い、二人ともドッとボートに転が
 り込んだ。
・下方の舷門からもボートに乗せようとする案は、まったく狂気の沙汰を起こした。この
 ために使用しなければならない各ドアは、いままで開いたことがないものだった。用意
 のためにボートがこぎ出されたが、乗り込む予定の人びとは立ち往生にされた。
・訓練された船員の不足から、混乱は一段と悪化した。
・三等船室のほうは、1号艇に乗りはぐれるだけのチャンスさえ持ち合わせない人びとが
 いた。三号船室の本階段下には、Eデッキ後方まで男女の群れがひしめいていた。彼ら
 は給仕から起こされてから、ずっとそこにいたままだった。最初は女と夫婦者だけだっ
 たが、そのうち男が前方からやってき、また荷物を持って「スコットランド道路」から
 流れ込んできた。
・船内下方の機関室では、逃げ出そうなどと考える者はいなかった。みんな蒸気をあげ、
 電灯をともし、ポンプを動かすために、必死に努力を続けていた。
・いまはボートもほとんど去っていた。一隻また一隻と彼らは静かに「タイタニック号」
 を離れてこぎ出した。オールはぶつかり合って、鏡のような海上に飛沫を上げた。
・どのボートからも、あらゆる目が「タイタニック号」に吸いつくように注がれていた。
 高いマスト4本の巨大な煙突が、晴れた青い夜空に黒くくっきりと突き立ってた。ボー
 トの中からも、船上の人びとが手すりに列をなしているのが見えた。そして向うにある
 巨船は、すでに頭のほうを海中にかなりかしげているではないか。
・ボートの群れがよたよたと不器用に、遠くのほうにこいでいった。待機するようにいわ
 れた人びとは、いまはオールの手を休めてただよっていた。また、はるか遠くに灯火の
 見える汽船まで行くようにいわれた他の人びとは、苦しい思いで懸命にこぎはじめた。
・その汽船が近くに思われるのが、かえって心を苦しくかき立てた。非常に近くに見えた
 ので、スミス船長は8号艇の人びとに、そこまでこいで船客を乗り移らせてから、再び
 運ぶために戻ってくるように言った。
・「カリフォルニア号」のブリッジは、二等運転士と見習生がのろしの数を数えていた。
 零時55分までに5つ上がった。見習生は再びモールス信号灯で合図していたが、午前
 1時、もう一度よく見ようとして双眼鏡を取り上げた。そして6発目ののろしをついに
 見た。   
・1時10分、二等運転士は伝声管を通して海図室を呼び出して、ロード船長にこのこと
 を告げた。すると船長は問い返した。「会社の信号か?」「さあ、わかりませんが、白
 いのろしのように見えます」と二等運転士が答えた。船長はモールス信号を続けて打っ
 たほうがいいだろうと言った。  
・少し経つと、二等運転士は望遠鏡を実習生に渡して言った。「「船を見てごらん。あの
 船は水から離れているようで、実に変だ、電灯もとても変だ」実習生は船をよく観察し
 た。船は傾いているようだ。彼の言い方を借りれば船は「大きな船腹を水の上に出して
 いる」のだった。
・実習生の横に立っていた二等運転士は船の赤い光が消えたのに気がついた。

船は傾いた!
・ほかの船は事情がまったくわからないらしかった。1時25分、「オリンピック号」は
 「南に舵をとってわれわれと合流するや?」と聞いてきた。
・また「フランクフルト号」からは、「貴船ののそばに船が行きしや否や」と聞いてきた。
 これには答えなかった。「すると「フランクフルト号」はまた、さらに詳しい説明を求
 めてきた。
・スミス船長は何度もやってきた。一度は力が弱ってきたと警告し、それから船はもう、
 あまりもたないだろうとも言った。しばらくすると、すでに海水が機関室に侵入してき
 た、と知らせてきた。
・1時45分、「カルパチア号」に救いを求めた。「全速力で来られたし、機関室のボイ
 ラーに海水侵入」 
・1時40分ごろ、一等運転士が叫んだ、「船を水平にするために、全員右舷へ!」船客
 も船員も急いで右舷に寄ったので、「タイタニック号」はのろのろと平な位置に戻った。
 そこで、救命ボートへの移乗が再び開始された。
・一人の若い男は、14号艇の座席に下に隠れているところを捕えたが、自分はそんなに
 場所をとらないからといって嘆願した。五等運転士が銃を引き抜いてみせたが、その男
 はますます哀訴するばかりだった。五等運転士は、男らしくしろと言って、なんとか彼
 をボートから引き出した。ボートの上の婦人たちはこのありさまを見てすすり泣いてい
 た。 
・しかし14号艇のごたごたはこれで収まらなかった。また一群の男たちがボートめがけ
 て突進してきた。水夫は舵の柄で彼らを殴りつけておっぱらった。今度は五等運転士は
 銃を抜いてどなった。「だれでもまたこんなことをやったら、これだぞ!」彼はそう言
 うと、ボートが海面におろされる時、船の側面に三度発砲した。
・一等運転士はやっとのことで、15号艇に押し寄せた人たちを押しとどめた。彼は押し
 寄せた人びとに向って叫んだ。「とまれ!とまれ!女が先だ!」
・二人の男がボートにころがり込んできた。事務長は空に向けて二発発射した。「出ろ!
 出て行け!」
・船主のイズメイは、しばしば船員としての役を受け持つことがあったが、けっしていつ
 も乗組員としてふるまったというわけではない。ときには彼は船客の立場にもなった。
 この航海中に彼は船客の立場になったり、また乗組員としての役目を引き受けたりして、
 数回自分の立場をかえていた。
・衝突が起こってからは彼は乗組員にもどった。船長といっしょにブリッジにのぼり、一
 等機関士と相談しそしていまや、五等運転士のムチのような鋭い舌先にもおかまいなし
 に、救命艇の指図をしてどなっていた。すると、にわかに彼は豹変した。救命艇Cがま
 さに船から離れようとした瞬間、彼はさっと救命艇に乗り移った。42人の船客を乗せ
 てボートは下降していった。いまは船客になりすました船主のイズメイも入れて。

沈みゆく巨船
・ボートが全部出てしまうと、「タイタニック号」には奇妙な静けさが襲ってきた。興奮
 と混乱はすべておわった。そしてあとに残された何百人という人は、上甲板に静かに立
 ちつくしていた。
・無電室では、自らを哀れんだりなどしている暇などまったくなかった。無線士はまだ無
 電を打ち続けていた。しかし電力はひどく落ちていた。
・スミス船長が最後に無電室に入ってきたのは、2時5分だった。「諸君、諸君は任務を
 完全に果たした。もうこれ以上は手のほどこしようがない。ここを立退きたまえ。いま
 は自分のことを考えたまえ」無電士はちょっと顔をあげたが、また機械の上にかがみ込
 んだ。スミス船長はもう一度繰り返した。「自分の身を守りたまえ、君たちを解任する」
・スミス船長はボート・デッキに戻ると、あちこち散らばっている人びとに話しかけて歩
 いた。「さあ、君たち、自分のことを考えたまえ」と言った。
・あるものは船長の言葉どおり、船を放棄して海面に飛び込んだ。しかし、大部分の乗組
 員は船に残っていた。
・考えることがたくさんあった。たとえば、スミス船長の場合、彼はこの日一日のうちに
 氷山に関する警報無電を5度受け取っている。最後の無電には、氷山のあるところまで
 はっきり言ってよこしていた。また温度計は7時には華氏43度(摂氏6.1度)に落
 ちていた。10時には華氏32度(摂氏0度)になっていた。海水の温度は午後10時
 半には華氏31度(−0.6度)に落ちている。  
・一方、無電士は氷山に関する第6の無電のことを考えていた。「カリフォルニア号」が
 11時に無電を打ってきた時、無電士は黙れと打ち返したのだった。第6の無電は船長
 のところにはついに届かなかったのだ。
・このような時には、人びとはほんのつまらないことを思い出すものだ。
・監督教会の讃美歌「秋」のしらべがデッキの上を流れ、海を制している静かな夜の空気
 へ、はるかに伝わっていった。救命ボートに乗っている婦人たちは、この音楽を聞いて
 驚いた。遠くからみるとこの瞬間は、心を締め付けられるような荘厳な気がみなぎった。
 しかし、実際にそばで見れば事態はまったくちがっていた。船上の人にも音楽は聞こえ
 たが、だれも気をとめる者はなかった。あまりにもいろいろなことが起こっていて、そ
 れどころではなかったのだ。 
・「タイタニック号のへさきは下へ下へと向かって沈んでいた。それにつれて船尾はのろ
 のろと上にあがっていった。デッキの傾斜があまり激しくなってきたので、人びとはも
 う立っていることもできなくなって倒れた。
・スミス船長がどうなったかははっきり知っている者は、一人もいなかった。あとになっ
 てから彼はピストル自殺をしたと言う人もいたが、何の証拠もない。「タイタニック号」
 が沈没してから、火夫は、船長が子供を抱いて海のなかにいるのを見たと言っている。
・海面に姿の見えていた人も、見えていない人も、有名な人も無名の人も、船首がいよい
 よ深く海中に沈み、船尾がいよいよ急斜して海面に突き出た時、人びとの群れが折り重
 なって転落していくのを見た。「秋」の曲も音楽家や楽器が倒れるのとごちゃごちゃに
 なって消えてしまった。 
・船体の傾斜がさらに激しくなってきた時、前方の煙突がどっと崩れ折れた。煙突は右舷
 の側の水面に火花を雨のように散らして倒れ、その轟音はあらゆる音を圧してあたりの
 とどろいた。  
・「タイタニック号」はいまや、まったく垂直になっていた。船尾の第3煙突から、船は
 まっすぐに空中に突き立ち、ずぶぬれになった推進機3個は闇の中でさえぎらぎら光っ
 ていた。
・救命ボートに乗っている人びとは自分たちの目を信じることができなかった。2時間以
 上も彼らは「タイタニック号」がだんだんと沈んでいくのを、むなしい希望を抱きなが
 らじっと見ていた。海水が「タイタニック号」の赤と青の灯のところまで達した時、も
 う終わりに近いことを悟った。だが、だれひとりとしてこんな最後が来ようとは思って
 もいなかった。
・2分たった。騒音は静まった。そして「タイタニック号」は船尾のほうが少しばかり安
 定した。やがて船はゆっくりと下に向かってすべり、急な傾斜をえがきだした。船は下
 のほうにすべってゆきながら、速度を増したように見えた。船尾の旗ざおが海水におお
 われ、巨船は、ぐんぐんと海に呑まれていった。
・4号艇の夫人はだれかが「とうとう沈んでしまった」と言うのをぼんやりと聞いていた。
 彼女はあまり寒さが激しかったので、たいして気にもとめなかった。ほかの女たちもだ
 いたい同じようだった。彼女らはぼんやりと、気がぬけたようにすわったきりで、感情
 の動きなどはほとんどみられなかった。
・16キロ離れたところの「カリフォルニア号」の船上では、二等運転士と見習いが不思
 議な船がゆっくりと沈んでいくさまを眺めていた。「タイタニック号」が、のろしを次
 ぎ次ぎと打ち上げ続けたり、水の上に奇妙に浮いているありさまなどを見ていた。「カ
 リフォルニア号」の当直の見張りたちはすっかり魅せられてしまった。見習いはただ面
 白半分にのろしを発射したとは思わないと言ったし、二等運転士も、「船が理由もなし
 に海上でのろしを上げるわけがない」と言って、それに同意した。
・二等運転士は命令を出した。「船長を呼んで、船は西南に姿を消したこと、そしてのろ
 しを全部で8つ発射したことを伝えてくれ」
・海図室に入っていって、船長に報告した。ロード船長は眠たそうに寝床から見上げると、
 「全部白いのろしだったか?」と尋ねた。見習いは「はい」と答えた。
・2時20分に二等運転士は船が完全に見えなくなってしまったのだと結論をくだした。
 そして2時40分には、自分が船長に自ら報告すべきだと考えた。伝声管を通じてこの
 ことを船長に伝えると、彼は再び真暗な海の監視を続けた。
 
悲運な三等船客
・この4月の一夜に、1502名の生命が失われたのである。もう二度と再び、警告を無
 視し、わずか数千トンの鋼鉄や鋲にすべてをまかせて、浮氷の群れに船を乗り入れるこ
 とはないであろう。これ以来、大西洋航路の定期船は浮氷の情報を慎重に扱い、進路を
 変えるか、あるいは速力をゆるめてそれをやり過ごすようになったのである。もう「沈
 まぬ船」を信ずる者はなかった。
・氷山のほうも、もはや気づかれずに海をうろつくことはできないであろう。「タイタニ
 ック号」の沈没後、米英両国政府は「国際浮氷巡視機関」を設け、今日では沿岸防備船
 が、定期船の航路に近づく流氷を監視している。さらに大事をとって、冬期の航路はは
 るか南方に移された。
・もはや定時無電しか持たない定期船も、あとを絶った。これ以来すべての客船には24
 時間制の無線警戒装置を備えたのである。
・定期船が十分な救命ボートを持たずに海に出たのも、これが最後だった。約4万6千ト
 ンの「タイタニック号」は、問題にならぬほど時代遅れの安全規定のもとに航海してい
 たのである。救命ボートの必要数は、不合理な公式によって定められていた。船上にあ
 った2207名の52パーセント、最大収容人員のわずか30パーセントを乗せうるに
 すぎなかった。
・またボートに乗移る際に、等級による差別が行われたのも、これが最後だった。汽船会
 社は、そのようなことはまったくなかったと常に否定しているが、それにもかかわらず、
 三等客船が差別待遇されたという、動かすべからざる証拠がある。「タイタニック号」
 の死者名簿は143名の女性一等客船中4人(3人は自ら死を選んだ)、93名の女性
 二等船客中の15人、そして179名の女性三等客船中の89人の名前を含んでいる。
・子供たちには言及するまい。29名の1、二等の児童客は全部救われた。が、76名の
 三等の子供たちのうち、救われたのはわずか23名であった。
・騎士的な行為を示す機会も、その行為の成果も、三等の航海には恵まれなかったように
 みえる。二等はまだよかったが、ここでも完全とはいえなかった。
・おおむね三等船客は顧みられぬまま、自分の身の始末をつけなければならなかった。や
 や大胆にふるまったわずかな者は呼びとめられた。だが大部分は、どうすることもでき
 ずに自分たちの部屋を右往左往するばかりだった。気づかれず、無視され、忘れられて。
・汽船会社も無関心だったが、ほかの人たちも同様であった。だれも三等船客を気にかけ
 てはいないようにみえた。新聞も、公式の調査機関も、そして三等客自身も。「タイタ
 ニック号事件」を報道するにあたって、三等船客に何かを質問する労をとった記者は、
 ほとんどいなかった。    
・あの夜の出来事は「女・子供の優先」をみごとに確認したが、それでもなお三等の子供
 の死亡率は、一等の男の船客のそれを上回っていた。
・議会も三等船客に起こったことには関心を示さなかった。 
・三等室に配置されていたうちで、ただ一人生き残った給仕は、三等船室の人びとが午前
 1時15分まで甲板の下にとどめられていたことを簡単に認めている。三等船客自身も
 気にとめていなかった。彼らは等級の差を当然のこととしていた。船が沈没しようとし
 ている時でさえも、彼らは甲板の上に置いてもらえるだけで満足だったのである。
・新しい時代がめざめつつあった。この夜以来、三等船客がこれほど聖者賢人のような態
 度をとるようなことは、まったくなくなったのである。逆に言えば、一等船客の特別な
 地位が無条件に認められたのも、これが最後だった。
・船主のイズメイが助かったというニュースが突然広まった時、ニューヨークのある新聞
 は急いでこう報道した。「イズメイ氏は驚くほど紳士的に行動した。イズメイ氏自身が、
 いかにしてボートに達したかを知っている者はない。おそらく、彼は社員一同に対し、
 模範を示そうとしたのであろう」しかし、一等船客はいつまでもそれほど立派ではなか
 った。事実、たちまちにして振子の動きが逆になった。日ならずして船主のイズメイ氏
 は物笑いの的となった。1年もたたないうちにある高名な生存者は噂によって夫を離婚
 したが、それはただ、彼がたまたま助かったからだというのが原因である。 
・当時はまだのんびりした時代であった。「タイタニック号事件」の当時までは、富とか
 上流社会とかいうものがまだ大衆の関心の中心に立ちえたのである。1912年には、
 映画スターもなくラジオやテレビのスターもなかった。運動選手は問題にならなかった
 し、カフェの社交界などはまったく知られていなかった。大衆の単調な生活の夢を満た
 すものといっては、上流社会の人びとの魅力ある噂話以外になかったのである。
・しかしもう二度と再び、これほどまでに、富というものが人びとの心を占めることはな
 かった。また一方、富がこれほど派手に誇示されることもなかった。
・この世界が失われるとともに、それに付随した偏見のいくつかも姿を消した。特に、自
 信ありげに声を大にして叫ばれた「アングロ・サクソンの勇気の優越説」が。生存者に
 いわせれば、こっそり救命ボートに乗っていた者は、すべて「中国人」か「日本人」で
 あり、甲板から飛び移った者はすべて「アルメニア人」か「フランス人」が「イタリア
 人」であった。    
・ほかの何ものにもまして、「タイタニック号沈没事件」は、社会一般の信頼感に終止符
 を打った。この時まで、人びとは、着実な秩序ある文化的な生活への解答が見つかった
 ものとして感じていた。百年の間、西方の世界は平和を楽しんだ。百年の間に技術は着
 実な進歩を遂げた。百年の間、平和と産業との恩恵は申し分なく社会にしみとおりつつ
 あるように思われた。振り返ってみれば、信頼の根拠は弱いものであったかもしれない。
 しかし当時にあっては、最もはっきりした人びとは、世の中はこれでよいと感じていた
 のである。 
・「タイタニック号沈没事件」は人びとを呼びさました。もう人びとは自分にあれほどの
 信頼をおくことはないだろう。ことに技術界においては。事件はまさに青天の霹靂であ
 った。「不沈の巨船」が、おそらく人間の技術の最大の作品が、最初の航海で海底のも
 くずと消えたのである。
・だが、それだけではすまなかった。もしこのみごとな作品が、かくまで、もろいものな
 らば、他のすべてはどうであろうか?あの寒冷な4月の夜に、富があれほどわずかな意
 味しか持たないとすれば、他の日にも、それは何ほどを意味するであろうか。
・数十人の聖職者が、「タイタニック号事件」は、自己満足から人びとを呼び覚まし、物
 質的進歩に対する過信を戒めるための天の与えた教訓であると力説した。
  
ボートから緑色の閃光信号
・四等運転士は4号艇から緑色の閃光信号を発射しだした。これは失神状態にある人びと
 をいくらかわれにかえらせ、元気づけた。距離を判断するのは困難だったので、この緑
 の閃光が水平線に現れた救いの船から発せられたものだと思った者もあった。
・13号艇では、ある夫人が寒くて泣いている女の子を暖めるようにと、三等船室の女客
 に自分の肩掛けを貸してやった。女客はスウェーデン語で夫人に礼を言って、小さな娘
 を肩掛けでくるむのだった。
・5号艇では、がたがたふるえている婦人を見かねた三等運転士が、帆布で彼女を包んで
 やった。
・船員たちは女たちに寒いおもいをさせまいと、最善の努力を払った。5号艇の一般員は
 自分の靴下をぬいで夫人にわたした。夫人は驚きと感謝のまなざしで見上げた時、彼は
 こう説明した。「大丈夫ですよ、奥さん。けさ、おろしたばかりですからね」
・徐々に夜は過ぎていった。明け方近く、そよ風が起こった。空気はいっそう冷たく感じ
 られた。海に波が立ってきた。凍りつくような波が、ボートの人びとの足を、すねを、
 膝を洗った。飛沫はからだを刺し、目をあけていられなかった。一人また一人、船尾か
 ら転落して海中に消えた。残った人びとは、黙ったまま生きのびるために、一心に戦っ
 ていた。 
・ちょうと3時半すぎ彼らは初めてはるかな閃光を見た。そしてそれに続く遠い轟音を聞
 いた。6号艇では「稲妻だわ!」と叫び、「流星だ!」とどなった。13号艇では、寒
 さでほとんど意識を失ったまま船底に横たわっていた一人の給炭夫が、にわかに立ち上
 がって叫んだ。「あれは大砲の音だ!」
・まもなくポッツリ、光が一つ、〃方向に現れた。続いてまた一つ。やがて光は一列また
 一列と現れた。「タイタニック号」の人たちに救助の近いことを知らせるのろしを打ち
 上げながら、大きな汽船がゆっくりと近づきつつあるのだった。9号艇の甲板水夫が、
 突然、雷のような声で叫んだ。「さあ、みんなで神様にお祈りしよう。水平線に船が見
 えた。こっちへやってくる!」
・3号艇のだれかが新聞紙に火をつけ、それを狂気のように振った。続いて火もちのよい
 夫人のムギワラ帽子が燃やされた。他のボートでは、人びとは灯油にひたしたハンケチ
 を燃やして信号した。13号艇では古手紙によって紙のたいまつをこしらえた。2号艇
 では緑の発光信号の最後の1発を発射した。
・安堵の叫びと歓声が海上に流れた。恐ろしい夜が美しい明け方の藤色とサンゴ色に移り
 ゆく時、大自然さえも歓喜するかに見えた。
・ここえかけてそばに横たわっている男のなかに、生きようとする意力を、懸命に燃え立
 たせようとしていた。夜が明けると、彼は男の肩を持って助け起こし、舷板の上にすわ
 らせた。   
  
救援船全速で北上
・ニューヨーク発地中海行きの「カルパチア号」のブリッジ上では、船上のロストロンは
 手はずに落ち度がないかを考えていた。彼はいまの汽船会社で17年、全部で27年の
 海上生活をしてきたのだったが、この汽船会社の船長としてわずか2年目、「カルパチ
 ア号」に配属されてからはたった3カ月目の出来事だった。「タイタニック号」の救助
 信号は、彼にとって真に実力を問われる最初の機会だったのである。
・「CQD」の遭難信号が着いたのは、船長が自室に引き取ったあとだった。「カルパチ
 ア号」の無電士は大急ぎで、知らせをブリッジにいた一等運転士に伝えた。二人ははし
 ごを駆けおり、海図室を突っ切って船長の私室へころがり込んだ。船長のロストロンは
 夢現の間にも規律を忘れない男だったから、船員たちがこんな無作法なまねをするよ
 うでは、船がどうなるかと心配した。部下たちにはノックをするように言いつけておい
 たはずである。だが、叱りの言葉よりも早く一等運転士が口を切っていた。
・ロストロン船長はベッドから飛び出し、やにわに船の向を変えろと命令した。それから、
 命令を出してしまってからである、改めて無電士に念をおした。「たしかに相手はタイ
 タニック号だね。至急救助を求めているんだね?」「イエス・サー」「本当に間違いな
 いか?」「間違いありません」「よし、全速力で行くといってやれ」
・たちまちロストロン船長は海図室に飛び込み、「カルパチア号」の新航路を計算した。
 図を引き数字を書き散らしていると、水夫長が甲板掃除の水夫たちを連れて通りかかっ
 た。ロストロン船長は、デッキのほうはそのままにして、ボートをおろす準備をしろと
 命令した。水夫長はあっけにとられていた。「驚くことはない。これから難破船の救助
 に向かうんだ」   
・数分ののちに新航路は決定した。「カルパチア号」は93キロ離れていた。14ノット
 で4時間かかる。長すぎる。
・ロストロン船長は機関長を呼んで、全速力を出すように命令し、非番も召集し、暖房と
 湯を止めて、蒸気を残らずボイラーに注ぎ込むように命じた。
・次いでロストロン船長は、一等運転士を呼び寄せ、いつもの仕事をすべて取りやめ、全
 船をあげて救助の用意にあたるよう命令した。特に、全ボートの用意を整えて、船外に
 つるすこと、船腹に電球を列状に装備すること、舷門の扉を全部開け放すこと、病人と
 怪我人のためにつり椅子を、子供を引き上げるために帆布と袋を各舷門に用意すること。
・次に船長は船医を呼んで、指示を与えた。船中の気つけ薬と刺激剤を集めること、各食
 堂に応急手当所を設けること。
・最後に給仕長にやつぎばやの命令が飛んだ。部下を動員して全員の分のコーヒーを用意
 すること、生存者のためにコーヒー、スープ、茶、ブランデー、ウィスキーを整えるこ
 と。各舷門に毛布を積んでおくこと。喫煙室、談話室、図書室を遭難者の共同寝室に改
 造すること。   
・船には活気がただよってきた。船底の機関室は、まるでだれもがシャベルを握って石炭
 をくべはじめたかのような騒ぎだった。非番の当直員たちは、ころがるようにベッドを
 飛び出し、先を争って手を貸した。大部分は服装を整えるひまさえも惜しんだ。老朽し
 た船体はしだいに速力を上げて波を切った。14・・15・・16・・17ノット。
 「カルパチア号」にこんな馬力があるとは、だれも夢想だにしなかった。
・なぜ船が暗夜を貫いてこんな猛進を続けるのかは船客のだれにもわからなかった。船員
 に聞けば下へ追い返されるから、もちろん聞くわけにはいかなかった。何を探すともな
 く、虚空の闇に目をみはったまま、彼らは物陰にかたまってじっとしているばかりだっ
 た。   
・何を探すのか、いまそれを知っている者は「カルパチア号」にいなかった。小さな無電
 室では、もう「タイタニック号」を呼び出すことができなかった。ただ彼の機械は非常
 に貧弱だったから、交信範囲は最も調子のよい時でさえ、240キロを出なかった。彼
 はその後の情勢について自信が持てなかった「タイタニック号」はまだ送信しているが、
 電波が弱すぎて受信できないかもしれない。
・1時6分に、「カルパチア号」の無電士は「タイタニック号」が「オリンピック号」に
 呼びかけるのを傍受した。「ボート用意頼む。船首、急速に沈没中」
・一度「タイタニック号」は、到着までどのくらいかかるかを「カルパチア号」に尋ねて
 きた。「約4時間と言ってくれたまえ」とロストロン船長は指示した。「カルパチア号」
 がどれだけの性能を発揮するものか、彼にはまだ想像ができなかったのである。
・1時50分に最後の要請が届いた。「できるだけ早く、たのむ。機関室はボイラーまで
 浸水す」あとは沈黙だけであった。 
・2時35分、船医はブリッジへはしごを登って、階下の準備が完了した旨を船長に告げ
 た。彼の言葉が終わらないうちに、突然ロストロン船長は、緑色の光が左舷船首から半
 ポイントほどの水平線上にきらめくのを見た。「あの光だ!」彼は叫んだ。「まだ浮い
 ているにちがいない!」
・確かにそのように思われた。閃光は明らかに遠く離れていたから、ここから見えるため
 には、水面からよほど上で発せられたものでなければならなかった。まだ2時40分な
 のに、もう見える所まで来ている、あるいは間に合うかもしれない。
・続いて2時45分、二等運転士は、左舷船首から2ポイントの方向に、小さな光がきれ
 めくのを目撃した。最初の氷山が星の光に反射して、正体を現したのであった。
・氷山はぞくぞくと現れてきた。たくみに向きを変えて両舷に迫る氷塊の間を縫いながら
 も、「カルパチア号」は速力をゆるめなかった。浮氷はつぎつぎと押し寄せ、人びとは
 次の氷塊の警戒に息をつくひまさえなかったが、緑色の光がはるかかなたできらめくの
 を、その後も時おり目撃した。
・船はのろしを打ち上げはじめていた。15分ごとに1発、見えるところまで来たという
 噂が、船の内部にも伝わった。大食堂の給仕たちは部署についた。機関室では、給炭夫
 たちがいっそう激しくシャベルをふるった。舷門とボート・デッキでは、船首が待機し
 ていた。だれもかれもひどく興奮し、「カルパチア号」の船体さえも武者ぶるいしてい
 るようであった。   
・3時50分、ロストロン船長は機関を「待機」の状態においた。ほとんど遭難箇所に来
 ていたのである。4時、彼は期間を止めた。船は現場に到着したのだった。
・ちょうどその時、緑の閃光が今度は下から照らしてきた。まっすぐ前方の、水面すれす
 れのところであった。明減する光が、300メートルばかり距離に救命ボートの形を照
 らし出した。ロストロン船長はエンジンをかけ、風下にあたる左舷でボートを救い上げ
 るために、「カルパチア号」を右へ操縦した。たちまち正面に大きな氷塊が現れたので、
 衝突を避けるために向きを変えなければならなかった。
・船が近づいていくと、闇の中から叫ぶ声がした。
・ロープがおろされ、ボートはしっかりと結ばれた。一瞬ためらい、ついて4時10分、
 エリザベス・アレン譲が揺れ動くはしごをそろそろと登りきると、事務長の腕にころが
 り込んだ。彼が「タイタニック号」はどこにいるかと尋ねると、彼女は海の底ですと答
 えた。  
・すでに夜は明けかかっており、デッキの上の人びとは他の救命ボートの姿を両舷に見る
 ことができた。ほぼ6キロ四方の海上にばらまかれた救命ボートは、暁の灰色の光の中
 では、海面をおおう数十個の小さな氷山と見分けることがむずかしかった。小さな氷山
 の中には、高さ45から60メートルに達する塔状の怪物も2,3混じっていた。北か
 ら西へかけて8キロほど離れた海上には、平らな、砕けぬままの大氷原が、目の及ぶ限
 りひろがっていた。
・この光景はあまりに驚くべき、信じがたいものであったので、何ごとも知らずに眠って
 いた者には、まったく合点がいかなかった。
・夜明けが近づくとともに、16キロ離れた「カリフォルニア号」の上でも活動が開始さ
 れた。4時に、一等運転士は船橋に登って、二等運転士と交替した。二等運転士は彼の
 これまでの状況を話して、任務を引き継いだ。
・4時半に一等運転士はロード船長を起こして、二等運転士の話を復誦した。「ああ、わ
 かっている」船長はさえぎった。「いまあの男から聞いたところだ」簡単に身支度を整
 えると、ロード船長はブリッジに登り、浮氷の群れを抜け出して、ボストンへたどりつ
 く最善の方法を協議しはじめた。一等運転士が口を出して、いまちょうど南方の視界
 にある汽船にあたってみるつもりはないのかと尋ねた。
・ロード船長は言った。「いや、その必要はあるまい。現在信号が来ているわけではない
 のだから」一等運転士もそれ以上、この話を持ち出さなかった。
・しかし、5時40分に無電士を起こしに行ったところから見て、彼はこのことをかなり
 気にしていたに相違ない。彼は前の言葉を繰り返した。「夜中にのろしを上げていた船
 があるんだ。何があったのか調べてみてくれないかね?」明け方の薄明かりをたよりに、
 無電士はヘッドフォーンをさがし出して調整した。
・2分ののち、一等運転士は大声をあげながらブリッジの階段を駆け上がっていた。「船
 が沈んだんだ!」それから彼は無電室へ駆けもどり、また駆け上がり、やっと驚天動地
 のニュースを持って、ロード船長のもとへ走った。「タイタニック号が氷山に衝突して
 沈没したんです!」  
・ロード船長はただちになすべ処置を取った。彼はただちに機関を動かして、「タイタニ
 ック号」の最後の位置へ向かったのである。
 
死者1503名
・暁とともに到着した「カルパチア号」の雄姿を見ても、それはほかの者にとっては実に
 胸のおどる眺めであったが、この人びとはどうすることもできなかったのだ。船は6キ
 ロ向うに停まっており、ボートは発見されるまでもちそうになかった。海面が明るくな
 ったとき、とつぜん彼らは新たな望みを見つけた。700メートルほど離れて、4号艇、
 10号艇、12号艇とD号艇が、五号運転士が夜中に命令したままの形で、まだ一列に
 つらなっていたのだ。
・一隻、また一隻、ボートは「カルパチア号」に近づいてきた。13号艇がしっかりと結
 ばれたのは4時45分であった。
・6時半ごろ、よるめくように船に上がった船主のブルース・イズメイは、「私はイズメ
 イだ。私はイズメイだ」とつぶやき続けていた。背中を隔壁にもたせかけて、彼は震え
 ながら舷門の近くに立ったままだった。
・異様な光景であった。北から西にかけて見わたす限りひろがった緊密な大氷原、大浮氷
 の前方に、斥候のように散らばった大小の氷塊、このために海はただならぬ活気を呈し
 ていた。八方からこぎ寄せてくるボートは、この大西洋の真ん中では、ひどく不釣り合
 いに見えた。
・ボートから這い上がってくる人たちも、この上なく奇妙な様子をしていた。服装は福引
 きの箱の中のようにさまざまであった。何よりも不思議なのは静けさであった。ほとん
 ど口をきく者はない。人びとは茫然としているのでもひまがないのでもなく、把握でき
 ない ほど大きな何ものかに直面していたのだ。
・8時30分、最後の12号艇はしっかり結ばれ、ただちに乗客をおろしはじめた。
・この間ロストロン船長は、705名の臨時の乗客をどこへ運ぼうかと頭を悩ましていた。
・この時「オリンピック号」から連絡が入った。「タイタニック号」の生存者をなぜ「オ
 リンピック号」に移さないか?」これはぞっとするような考えだとロストロン船長は思
 った。あの人たちをもう一度海上で乗り換えさせるなどということは、ロストロン船長
 にはとてもできなかった。そのうえ、「オリンピック号」は「タイタニック号」の姉妹
 船であり、その姿だけでもいまわしい亡霊を見るようなものであろう。
・こうして行く先はニューヨークと決定し、そして早ければ早いほどよかった。すでに、
 「カリフォルニア号」は近くに待機していたし、船長のロードは手旗の位置にひるがえ
 る「カルパチア号」の社旗を、不安げに見つけていた。
・ロストロン船長は、自分の船がニューヨークに向かった後、「カリフォルニア号」が現
 場を十分に捜査してくれるように手はずを整えた。   
・帰途のつく前に、ロストロン船長は付近の海面をもう一度捜査せずにはいられなかった。
 彼はどこまでも徹底的にやる人間であった。どんなに小さな機会でも逃したくなかった
 のである。「カリフォルニア号」にはやるだけのことをやらせるがよい。しかしまだ一
 人でも救助する望みがあるならば、それをするのは「カルパチア号」でなければならな
 い。
・8時50分になるとロストロン船長も気がすんだ。もう、生きた人間が残っていること
 はありえなかったのである。彼は全速力で前進」を命じ、船をニューヨークに向けた。
・ニューヨークはすでに興奮のるつぼと化していた。
・この間に無電会社の株は急騰した。わずか1日で、55ポイントから225ポイントと
 いう急騰ぶりであった。
・6時15分、「タイタニック号」は午前2時20分に沈没し、全部のボートを救助した
 「カルパチア号」が、675名の生存者を乗せてニューヨークに向かったとの情報が、
 ついに「オリンピック号」から到着したのである。この情報は途中で数時間遅れていた。
 理由はいまだに謎である。 
・木曜日の夜、ついに待つことは終わった。煙を吐きながら、自由の女神の像のかたわら
 を過ぎる「カルパチア号」を、1万人の人びとが砲台公園から見守っていた。船が54
 番埠頭に向かうころには、さらに3万人の群衆が雨の河岸に立ちつくしていた。
・9時35分、「カルパチア号」はけい留され、渡り板が渡されると、最初の生存者がこ
 ろがるように船を離れた。 

「タイタニック号」に関する諸事実
・「タイタニック号」は三重の推進装置を備えていた。それぞれ両翼のプロベラを回転す
 る四気筒往復機関が2基、それに中央のプロペラを動かすタービンが1基。この組み合
 わせから生ずる登録馬力数は5万馬力だったが、少なくとも5万5千馬力まで上げるの
 は容易であった。全速力をかければ、船は24から25ノットを出すことができた。
・おそらく、この巨船の最もいちじるしい特色はその耐水構造にあった。船底は二重にな
 っており、船を完全に横断する15の耐水隔壁が、船を16の防水区画に分かっていた。
 不思議なことに、隔壁はあまり上までひろがっていなかった。最初の二つと最後の五つ
 はDデッキまで、中央の八つはEデッキまで達しているにすぎなかった。しかし、どの
 二つの区画に浸水しても船は浮いていることができたし、また二つの区画の接合店への
 衝突以上に悪い事態は想像できなかったので、船は「不沈」を喧伝されたのである。
・おそらく、あとに残した解決されぬ疑問の数において、「タイタニック号」に匹敵する
 ものはほかにあるまい。
 たとえば、「どれだけの生命が失われたか?」ある筋では1635名、アメリカ政府の
 調査は1517名、イギリス商務省は1503名、イギリス政府の調査は1490名と
 述べている。イギリスの商務省の数字がもっとも納得のゆくもののように思われる。
・女装して離船した男性があったのだろうか?女の着物を着て逃れたある有名な男性とし
 て、とくに4人の一等船客の名が挙げられた。4人のうちいずれかがそれだという証拠
 はまったくないが、それに対する反証にも信ずるべきものは見当たらない。