装飾評伝 :松本清張

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親友だった二人の画家。一方は天才として名を世に残したが、他方は立ち枯れのままだっ
た。しかし、その天才画家は、晩年、生活が乱れ、自殺ではないかとおもわれるような謎
の死を遂げてしまう。他方の画家は世に名を出せなかったが、細々とながら72歳まで生
きつづけた。天才画家の生活がなぜ晩年乱れたのか。そこには大きな秘密があった。
この小説は、今風に言えば「不倫」を題材にした小説でもある。天才画家は親友の妻に手
を出し子まで産ませた。一方、画では「とても敵わない」と思っていた妻を寝取られた凡
人画家は、親友であるという関係を利用して密かに天才画家に復讐をはじめたのである。
妻を寝取られた男の復讐は、じわじわと天才画家の心を追い詰めていく。才能では圧倒的
に劣る妻を寝取られた男。しかし、彼は最後には天才男を追い落としたのであった。
この小説で得られる教訓は「天才には近づかないこと」だと思う。身近に天才がいると、
その才能に圧倒されて、自信を失い、自ら立ち枯れてしまうおそれがあるからである。人
の持つ才能はそれぞれ違う。あくまで、自分のペースを保ちながら生きていくことが大切
だと思う。「人の才能を羨むな!自分は自分と割り切るべし」

・昭和6年に死んだ名和は、今の言葉で言えば、「異端の画家」と呼ばれる一人であった。 
 日本の美術の主要な傾向から少し外れて、自分の場所の一点にじっと立ちどまっている
 作家を指して異端といっているようだし、それにこの意味では生活的にも多少変わって
 いたということも含んでいるようである。現在では彼が強烈な個性をもった天才であっ
 たことを、画壇を含めて世間の大抵の人が認識している。その上に彼の晩年から42歳
 に死に至るまでの一時期の生活の妙な崩れ方を入れると、異端の画家としてはまず申し
 分のない大物といえるのであった。それに彼は生涯独身であった。
・私が小説になるかもしれないと思ったのは、彼のその晩年の頽廃的な生活と、冬の北陸
 路の断崖から墜ちた最期の部分であった。彼はその画題を求めるためによく旅行してい
 た能登半島の西海岸にある福浦という漁村に近い海岸の絶壁から足を滑らせて墜死した。
 遺書もないし、今日では過失死になっているが、それはその前の彼の妙な生活破綻に続
 いているから、あるいは自殺ではないかと一部の美術批評家には今も言われている。
・名和は大正7年に渡仏、9年の春に帰国したが、帰国した後の画題も北国の生活から取
 ることが多くなり、写実的な描法を基調としながら幻想的な世界を出した。この傾向は
 後年いよいよ強くなった。彼は大正の終わりから昭和の初期にかけて、すでに画壇では
 一方の存在として認められ、画もかなりな価がついて売れ、天才の名が次第に上がりか
 けたことろ急激に生活が崩れた。その崩れ方は自分で破壊したといえそうなところがあ
 るというとである。
・ある朝、新聞に芦野の死亡記事が小さく出ていた。今ごろよく新聞が彼を覚えていたと
 思うくらいに世間から消えてしまった人の名であった。しかし、私は彼が72歳で死ん
 だというその記事が眼に入った時、口の中で声を上げて、しまった、と思った。芦野こ
 そは、名和を書くときに、私が一番訪ねて行きたい目当ての人物だったからである。
・芦野ほど名和の生涯に随伴した親友はいなかった。芦野は名和の2歳年下であったが、
 爾来、画の方でも私生活に上でも両人は密接な関係を最後までつづけてきた。芦野の画
 は名和に較べると問題にならぬくらい拙かったが、芦野は二つ上の名和に文字通り兄事
 していたようで、若いときは同じ下宿で暮らしもし、後になってもあるときは隣家同士
 に住み、離れても3日に1度は芦野が名和の家に行っていた。
・芦野は名和の評伝めいた本を出しているが、惜しいことに頁が薄い。しかし、名和のこ
 とを書いた他のすぐれた美術批評家の著書のことごとくが芦野のこの小著を参考にして
 いるのである。それよりほか拠るべきものがないみたいに、名和の人物とお履歴に関し
 ては芦野の書いたものは信用があった。名和は日記や手記をつけなかった人であり、そ
 れだけ日常のことに詳しい芦野の書いたものが重要な意味をもつのだが、その著書も名
 和の全部が語られた訳ではあるまいと私には思われた。
・晩秋の晴れた日だったが、私は世田谷の奥を手帖片手に捜し歩いた。芦野には陽子とい
 う一人娘があり、それが結婚して夫と一緒に父の家に住んでいるということを私は知っ
 ている画家から聞いた。世田谷の道は分かりにくい。谷間のような道を降り、竹藪のよ
 うな横にその家は有った。木造の和洋折衷みたいな建物だったが、古くて小さかった。
 全体古いだけでなく、建った当時からも貧弱に想像された。それは生前少しも売れない
 画を描いていたいかにも芦野の住んでいたようなくすんだ家であった。
・あなぐらのように暗い奥から34、35の小肥りした固い顔の感じの女が出てきた。私
 は小暗い玄関でそれを一目見たとき、それが芦野の娘であると直感した。彼女の顔を見
 てやはり芦野の娘だと感じだのである。女は果たして芦野の娘陽子だと名乗ったが、私
 を座敷に招じようとはしなかった。ひろい膝を揃えてがっしりと坐り、訪問者がそれ以
 上踏み込むことを拒絶しているような姿勢だった。「父からは何も名和先生の話を聞い
 ていません。父は無口で、あんまり話を好まない性質でしたから」と彼女は、私の質問
 を刎ね返した。その態度から、私は彼女に好感をもたれていないことを知り、初めから
 拒否されていることを悟った。
・芦野の妻、つまり陽子の母は、早くから芦野と別れて、現在は生きているのか死んでい
 るのかは定かでないというのが、私の教えてくれた人の話しだが、別れない前の芦野夫
 婦は名和と親交があったというから、芦野に次いで名和をよく知っているのは陽子の母
 である。彼女が去ったのはいつ頃かわからないが、もし陽子が理解力がある時なら、名
 和について母の話を聞いているかもしれないと思い、それを訊くと、「私が母と別れた
 のは3つの時でしたからわかる筈がありません」と陽子はやはり硬い態度で答えた。ま
 た「名和先生が亡くなられたのは、私が7つの時ですから、憶えている訳がありません」
 と、もうこれ以上は無駄話だというように彼女は片膝を動かしかけた。陽子という芦野
 の娘の印象がいかにも後味悪くて仕方がなかった。ぎすぎずした冷たい様子がいつまで
 も私の心を解放させなかった。その気分にひきずられて、豪徳寺駅の急な階段を私は意
 識しないで上った。
・名和は天才にあり勝ちな自負心が強かった。彼が天才であることは今日の美術史家が認
 めているからそう言ってもいいだろう。名和は、自分の周囲の友人たちの画が拙く見え
 て仕方がなかったのだろう。頑固に自分の芸術に固執した見事さは、数人の友人を同志
 にすることはできたけれども、彼は内心では彼らを莫迦にしていたかもしれない。
・友人たちが「とても敵わない」と思ったのは名和の画だったに違いない。ところが、そ
 のなかで誰が一番その感じを持ったかと言えば、私は芦野ではなかったかと思う。
・名和が日本に帰ってからも、芦野は絶えず名和を訪問した。芦野は名和の渡欧中に結婚
 したらしく夫婦づれでも訪ねている。芦野は「名和は日本に帰ってきて急激に日本の古
 い生活を描くようになった。農村や漁村に残っている貧困の中の古い日本である。その
 伝統的な興味は日本の古い女の姿にも移った。私の妻がそういう女だった。彼は大いに
 面白がり、次第に芸妓や舞妓も描くようになった。しかし、彼の手にかかるとそれらは
 酒席に侍っている美形ではなく、疲れた中年女のように蒼白く、それは的確な実写の故
 に妖怪じみていた」と記している。
・名和は昭和2年ごろから北多摩郡青梅町の外れに居を移した。麻布六本木に住んでいた
 芦野は、この遠くて不便な地点をものともせず、相変わらず近所にでも行くように青梅
 に足を運んでいる。「私は1週間に2度くらいは青梅に行った。私は飲めないが、彼の
 酒量はかなり上っていた。酔うとかなり乱暴なことを言ったが、それはどこか懊悩じみ
 ていた。私は彼が行き詰っていると思った。機嫌の悪い時は、私でさえ雇い女に面会を
 拒絶させた。それでも三日目には彼に逢いに行かずには居られなかった。私は青梅に何
 度無駄足を踏んだかわからないが、少しも苦にはならなかった。時には陽子を抱いて行
 った。」と芦野は記している。
・私はおぼろに芦野の立っている場所が判るような気がした。芦野は名和の天才を目の前
 に見て圧倒され、自信を失い、才能の芽が伸びぬうちに涸れてしまったのだ。芦野の才
 能を立ち枯れさせたのは、名和の強烈な天分だった。芦野は名和の前に萎縮し、「とて
 も敵わない」と自己放棄してしまったのだろう。この場合、名和に最も近いところに居
 たのが芦野の不幸であった。不幸と言うならば、名和のような天才を親友にもったのが
 不運だた、他の仲間が芦野よりも成長した理由は、涸れとりも名和に距離を持っていた、
 という言い方は出来るであろう。のみならず、芦野の抱いた劣弱感は、自負心の強い、
 強引な性格の名和から離れることができず、その面だけが名和との交遊に妙なかたちで
 接着して、遂には彼は名和の伝記作者になってしまった。 
・名和は昭和3年、北陸地方に旅した。北陸は彼が写生のためによく行ったところだが、
 その時は一枚も描かずに、新潟、金沢、京都という順に花街を流連して酒に浸った。独
 身だった彼がそういう場所に行くのは不思議ではないが、このときの放蕩は今までの生
 活を崩壊したようなものだった。彼は40歳になっていた。彼は2年間の放浪生活にあ
 り金を全部はたいた。
・名和が晩年になってなぜそんな妙な崩れ方をしたのか不思議であった。彼の敗北の原因
 は何か、ただ芸術の漠然たる行き詰まりだけなのか。
・次に彼からふと出た言葉は私の不意を衝いた。「あの細君も自殺したね」私は愕いて彼
 の顔を視た。え、別れたのではないのですか、と思わず強い声になって訊くと、「いや、
 別れたあとだ。だが、君、これはよそから聞いた話しなので真偽は別だよ。だが、もし
 実際なら本当に芦野は気の毒だと思うだけの話だ」私は帰りがけに、芦野の家を訪ねて
 娘に会ったことを漏らした。すると彼はそれを聞き咎めたように、「ほう、君は陽子に
 会ったのか?」と私をまじまじと視た。それは再びきらりとした眼だった。「似ている
 だろう?」そのときの、彼の眼差しが特殊な表情のようで気になった。「似ているだろ
 う」それは陽子が父親の芦野に似ているという念の押し方ではなかった。それはもっと
 複雑な言い方であった。似ているというのは父親ではなく別人の意味だった。
・考えみると、私は芦野の顔を写真でも見たことがない。全然、知らないのに、どうして
 陽子の顔をみて芦野の娘だと判ったとつもりでいたのか。私は錯覚を起こしていたのだ。
 それは名和の顔を混同していたのである。
・陽子の父は名和だった。芦野ではない。芦野は無論知っていたのである。芦野の妻が彼
 と別れたことや、その後自殺したらしいことはそのことによって初めて納得されるので
 あった。  
・芦野の書いた本に「帰国した名和の興味は日本の古い女の姿に移った。私の妻がそうい
 う女だった。彼は大いに面白がり、次第に芸妓や舞妓も描くようになった」という文句
 がある。芦野は名和の渡仏中に結婚した。恐らく相手は芸妓が、あるいはそれに近い感
 じの女であったのだろう。名和は帰国して、初めて芦野の妻を見たのである。外国から
 帰った者が、多かれ少なかれ日本の伝統の美に惹かれるのは例の多いことで、それは海
 外生活者の郷愁のようなものかも知れない。名和もその一人であった。
・芦野の本は事件後、十数年を経て書かれたものである。芦野は、その妻と名和との交渉
 の最初を回想し、このような含みの多い、しかし、さり気ない表現で記述しているのだ。
・名和が芦野の妻とひそかな関係が始まったのはいつ頃か分からないが、名和が芸妓や舞
 妓を描きはじめたのは、恐らく同じ時期だったと推測できる。芦野は名和が帰国して後
 も、彼と近いところに住まい、三日とあげず彼の家に行っている。「ときには夫婦づれ
 で訪ねた」とあるが、恐らく終始夫婦で行っていただろうし、名和の特殊な感情の発生
 はこのような状態では充分に可能であった。最後には妻だけがひとりで訪問していたこ
 ともあるに違いない。
・芦野はいつ頃からその事実を知っていたのであろうか。彼の妻が陽子を生んで間もなく
 芦野の前から立ち去ったような気がする。そして芦野がこの妻を愛していたと想像され
 るのである。芦野が、その事実を知った時期のことはもはや問題ではない。私の推察さ
 れるのは、芦野が名和に抱いている強い憎悪であった。
・芦野は名和の天才の前に敗北した。彼の才能は名和の眩しいばかりの光に照射されて萎
 び、消失した。芦野はいつも萎縮してりたに違いない。才能の比較があまりにも開きす
 ぎていた。身近なだめに被害が大きいのである。それでいて芦野は名和から離れること
 が出来なかった。あまりに圧倒されて訣別することも彼には不可能だった。
・芦野の憎しみは、妻と名和との交渉を知ったとき変貌をと遂げた。意識下の劣弱感にそ
 れは密着して、陰湿だが、名和への襲撃となった。芦野は妻と別れたであろう後も名和
 を頻繁に訪ねている。妻との離別の理由は、恐らく彼は名和に告げなかったであろう。
 その必要が無いためで、当人の名和がそれを誰よりも承知しているからだ。
・名和が青梅の奥に百姓家を借りて引っ込んだのは、頻繁な芦野の来訪から遁れたかった
 のである。しかし、芦野の戦闘はそんなことで衰えはしなかった。芦野が麻布の家から
 青梅に名和を訪ねることはあたかも近所の如くだった。しかも芦野は「時には陽子を抱
 いていった」と書いている。思うに陽子はこのとき三つであった。すでにその幼い顔に
 は父親が誰であるかを具現しつつあった。彼女が一日一日成長するとともに、顔の特徴
 も成長する。その刑罰を目の前に持ってこられては名和も堪ったものではなかったろう。
 わざわざ陽子を抱いて行くなど芦野の方法には仮借がなく、意味を知って芦野の本を読
 んでみると残酷さを覚える。
・「名和は機嫌のいい時には酒を出したが、私は呑めない。彼は酔うとかなり乱暴なこと
 を言ったが、どこか懊悩じみていた。私は彼が行き詰っていると思った。それは次の年
 にはじまる彼の放浪生活の前兆のようなものだった」酒の呑めない芦野は、多分、薄ら
 笑いを泛べながら、名和の錯乱を静かに観察していたことだろう。
・芦野の妻が自殺したことは、無論、名和の耳にも入ったに違いない。それは名和の放浪
 のはじまる直前のように私は思えてならない。芦野はそれ以後名和と同行していない。
 名和が北陸へ発った瞬間から、両人の交友は断たれたのだった。名和は芦野の襲撃から
 一時脱れたといえるかもしれないが、芦野は遠くから名和を凝視していて放さなかった。
 それが名和の意識に反射してくる。精神的には名和の業苦は同じであった。
・名和の晩年の放蕩は、芦野の責苦からの逃避であったが、終にはその惑溺の世界に沈澱
 してしまった。40歳の年齢がそおことを容易にした。一度、その味を覚えてしまうと、
 抜きもさしもならぬ状態となった。
・名和は能登の西海岸の崖から墜ちて死んだ。地図を見ると断崖の印がかなり長く続いて
 いる。その死は過失か故意か分からないが、もし過失としても、その断崖の上を彷徨し
 ている彼の精神は自殺者の心理であったち違いない。