辛酸(足尾鉱毒事件) :城山三郎

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この本は、いまから61年前の1962年に刊行されたものだ。
日本初の公害事件といわれる「足尾鉱毒事件」を小説化したものだ。
二部に分かれており、第一部は農民運動の中心人物であった「田中正造」を、第二部は田
中正造の亡きあとを継いだ宗三郎という人物が主人公として描かれている。

作者はこの作品を「公害問題のテキストとしてではなく、何よりも人生の書として読んで
ほしい」と述べていたようだ。
この作品が書かれるまでは、田中正造という人物の存在は、ほんの一部の人たちにしか知
られていなかったようである。つまり、この作品は、田中正造という人物の存在を世に知
らしめた役割を果たしたようだ。
また、この作品が書かれた当時は公害という用語さえ、なじみのあるものではなかったよ
うだ。この足尾鉱毒公害を皮切りに、イタイイタイ病公害水俣病公害四日市市にぜん
そく公害
などが、次々と明るみになったのだ。
この作品では、田中正造が劇的な指導者として華々しく活躍した時期ではなく、華々しい
闘争が終わり、当時のマスコミや文化人からすっかり忘れ去られたあとの時期を描いたも
のであり、最後には「野垂れ死」した田中正造の壮絶な人生と、あくまでも谷中にとどま
る不屈の残留民十八家族の生き様が描かれている。
田中正造は、代議士として足尾鉱山の鉱毒問題を帝国議会に提出してからは、足尾鉱毒問
題は生涯の仕事となった。鉱毒問題のために、代議士の地位も、財産も、名誉も、家族も、
すべてをなげうったのだった。
この現代において、田中正造のような人物は存在しないことは確かだろう。
今日では逆に、田中正造とは真逆の人物が数多く目に付く世の中とかってしまっていると
思うのは私だけではないだろう。

第二部の主人公である宗三郎という人物は、実在した人物なのかどうかはわからない。
おそらく、架空の人物ではないかと思われる。先祖伝来の土地を離れまいと抵抗した谷中
農民を代表した人物像として宗三郎を描いたのだと思える。
その谷中農民たちもまた、すべてを犠牲にしなければならなかったのだ。
この作品には、勝ち目のないことを承知の上で、自分たちの当初の意志を貫き通し、国と
県と企業の理不尽な権力に抗った、谷中農民の哀しさがにじみ出ているのだ。
作者は田中正造という人物の生き方に惹かれたようだ。田中正造こそ、ほんとうの人間ら
しい生き方ではないかと感じたようである。



・二百人を越す警官たちのサーベルを下げた白い制服。
 狩り集められた人夫たちのののしりさわぐ声。
 家財道具が次々に屋外に放り出され、屋根茅がはげしい音を立ててめくられる。
 祖父の代につくられた差し渡し一尺以上もある黒光りする大黒柱。
 安政の大地震にもびくともしなかったその柱に鳶口が打ち込まれ、ロープがかけられ、
 あざけるような掛け声とともに倒されてしまった。
 舞い上がる土ぼこり。
 位牌を抱いて呆然と壁土に埋まっている家族。
 しかも、そのぶち壊しの費用までこちらに払えと言うのだ。
・すべてが国家の名で、国家の手で行なわれた。
 強制破壊にあった谷中堤内十六戸の残留民が国家に対して何の害をなしたというのだろ
 う。 
・かつて一反あたり八俵もとれた富裕な村をここまで追い込んだのは、足尾銅山とその銅
 山資本家の言うがままになっていた国家の方ではないか。
・鉱毒被害反対の急先鋒に立ったこの谷中村を買収し、遊水池として沈めてしまおうとい
 う策謀。
・中央政府の示唆によるその計画は、深夜、警官に守られた秘密会で県会を通過し、日露
 戦争で壮丁たちが大半は召集されて行った留守をねらって実行に移された。
・水害でこわされた赤麻沼に面した堤防はわざと復旧せず、たまりかねて村民自身の手で
 村債を起こし仮堤を築くと、県が人夫を傭って壊し、その破堤代も請求してくるという
 始末。
・県はさらに追いうちをかけてきた。
 四十年には、前年の三十八倍という税が割り当てられた。
 村民による築堤費・県による破堤費の分担もある。
 凶作につづき、無気味に口を開けたままの堤防。
 憤りよりも不安が先に立った。
 居たたまれず買収に応じ、村民たちは離散して行った。
・田中正造を中心に最後まで残留を決意したのは、四百戸中わずか十九戸。
 それだけに、殺されても谷中を離れぬという執念一途にかたまった人々であった。
 その中、堤内にある十六戸に対して、県が法律の名によって報いたのが強制破壊である。
 移転先も決めぬままに、一挙に十六戸をぶち壊し、野天の下に放り出した。
 狂人のいる家も、鉱毒のため寝込んだままの病人のある家も、乳呑児を抱えた家も、容
 赦はしなかった。 
・世間はすでに谷中村問題は片づいてしまったと思い込んでいる。
 破壊された後まで、地に潜るようにしてねばっている十六戸のことを考えない。
 東京から来ていた学生たちも、すべて引き揚げてしまった。
 こうして、見る人もなく、勝つあても闘う手応えもないような闘いを重ねて行く中に、
 宗三郎自身の人生はどうなってしまうのだろうか。
 鉱毒水に浸ったまま、幹の髄まで虚ろになって立ち枯れていった樹々のことを連想せず
 にはいられない。
 次男坊で年も若い。その宗三郎のただ一度限りの人生が・・・。
・五、六年前であったろうか。
 宗三郎はやはり正造のために風呂を立てたことがある。
 湯気のこもった湯殿の中では、正造は顔も見えず、声だけがこだまのようにひびいた。
 「このままでは日本は近く潰れる。潰さぬためには、坊のような若いもがしっかりして
 くれることだ。しっかり学問して、外国へも行ってくるんだ。学問は農学がよい。経済
 学でもよい。経済のことをみっちり勉強してくるんだ。無知では救われないし、人も国
 も救えない」 
・それは、具体的に宗三郎の進学を指したわけではないかもしれない。
 しかし、その言葉が、宗三郎の胸に学問への灯をともしたことも事実であった。
 だが、それから泥まみれの戦いの歳月、正造は二度と就学のことを口に出さなかった。
 学者の無能をののしり、
 「百人の学生中、人民を救える学生が何人いる」
 と笑う。
 「万巻の書を読むより、土を食って育て」
 とも言った。
 

・鉱毒を運んだ渡良瀬川は、藤岡との境を西から南に彎曲して流れて、村の真南を一里下
 がったところで利根の本流に注ぎこんでいる。
 一方、村の地形は、北に赤麻沼の仮堤、他の三方を高台や堤防に巻かれて、小さな盆地
 を成していた。
・県はそこに眼をつけた。
 二つの川の氾濫する水を、谷中地内に貯めて水害を防ごうというのである。
 正造らはそのふくみを見抜き、水害防止のためにはむしろ利根本流をせばめている千葉
 県関宿の石堤を取りのぞくべきだと主張した。
 八月の洪水は、正造らの意見の正しかったことを示した。
 関宿でせばめられたため逆流してきた利根の水は、谷中村だけでなく周辺の数か所の堤
 防を破り、さらに利根本流の栗橋附近でも氾濫して、四十数か町村を水浸しにした。
 谷中は廃村となっただけで、遊水池としての役に絶たなかった。
・義市、正造、宗三郎の順で、三人一列になって歩く。
 欅の大木が黒々とそびえているところで、正造が声をかけた。
 獣のような声が地の中から答える。
 三人は水塚を這うようにして上った。
 仮屋根からすだれのように雨が漏る穴の中で、竹右衛門の一家がふるえていた。
 二本の破れ傘の下からよく似た九つの顔がいっせいに正造たちを見る。
 泣く元気もなくなった赤ん坊。
 ただれた黒い眼の縁。
 正造は声をつまらせる。
 穴の中に床代わりに敷いてあった藁は一面に黒く濡れており、この一家も、今夜は立膝
 のまま眠ることになるのであろう。
・そこから藪ひとつ隔てて千弥の家があった。
 千弥の妻は、鉱毒水のせいもあって、腎臓を悪くして永らく寝たままである。
 強制破壊のときには、警官にボロでもひきずるようにして庭先へ連れ出された・・・。
 濡れたふとんの上に、夫に背を抱きかかえられて病人は半身を起こしていた。
 子供二人が、傘と雨合羽で蔽ってやっている。
 入ってきた正造に、病人は一度だけ光のない眼を向けたが、すぐうなだれてしまう。
 まだ四十を出たばかりなのに、髪は抜けて、老婆のようである。
・正造の口から出るのは、天候の回復だけに望みをかける言葉であった。 
 その状況では、どんな言葉も無効になってしまうことを正造自身知り、無力感に傷つい
 ている。
 すべての私財を投げ出してしまったいまとなって、正造には雨と闘う何の力もない。
 しかも、それほど無力なのに、正造の戦意だけは少しもそこなわれていない。
 それを幸せと呼ぶべきか、不幸と感ずるべきか、宗三郎には判断するゆとりがない。
・宗三郎はふっと正造の最期のさまを思い浮かべた。
 宗三郎の読んだ限りでは、英雄の死には、それぞれにいかにもその人にふさわしい劇が
 ある。 
 田中正造は、村のどこで、どんな風に死ぬのであろうか。
・村民をかばって官憲に当たってくれた正造を失えば、残留民に即座に破滅が訪れるであ
 ろう。 
 それは想っても恐ろしい日なのだが、正造の死にあり方への興味は否定できない。
 そうしたことを考えていることに、それほど罪の意識が湧かないのも不思議であった。
・村道から左に外れた六人家族の彦平のところを見舞ってから、正造にせつかれるまでも
 なく、義市は調子づいたように、村道を背にさらにその奥にある大工の栄五郎の家に向
 かった。 
・うすれた雨音を越して、家のかなり手前から栄五郎の何か言っている元気な声が聞こえ
 た。
 正造の顔にはじめてほっとしたような色が浮かぶ。
 そこには栄五郎の息子の嫁のハル、孫娘のミチ子の三人が住んでいる。
 栄五郎はからっとした気性だし、ハルも気が強い。
 正造にしてみれば、一番安心して訪ねられる家である。
 働き盛りの息子が死に、舅と嫁と孫という淋しい家族構成も気にならないほどだ。
・カンテラの明かりの中に、五十も半ばを越した栄五郎の陽焼け酒灼けした顔が上がった。
 その後に、ハルと、三つになるミチ子の顔がのぞく。
 大工らしく一応板戸で仮屋根をつくってはあるが、穴ぐらの広さは一坪もない。
 やはり雨は漏れるらしく、一家三人片すみに寄っている。
・正造は、戸籍の上では栄五郎の家に寄留している。
 寄留先がないと、浮浪罪に問われるからである。
 栄五郎の家を選んだのは、小人数なのと、栄五郎のきっぷが気に入っていたからだ。
・以前、正造は川鍋某の許に寄留していた。
 鉱毒反対では最も熱心に立ち働いていた男であったが、買収問題が起こるとたちまち鞍
 替えして、村民の切り崩しに動いた。
 眼をかけて、戸籍まで預けていただけに正造の受けた衝撃は大きかった。
・強制破壊の日、栄五郎じゃ研ぎすましたノミの刃を二枚合わせて、執行官を刺すと言い
 張った。 
 正造や、東京から来ていた木下尚江が交る交る説いて、やっと抑えつけた。
 人夫たちは、天井に火薬が仕掛けてあるというので、しばらく作業にとりかからなかっ
 た。


・谷中とは渡良瀬川の堤を一つ越した群馬県海老瀬村の豪農落合佐久三の屋敷。
 広い屋敷縁が演壇ととなり、盲目縞の筒袖や袷姿の聴衆が蓆を敷いた広い庭を埋めてい
 る。納屋の壁や庭木にもたれ立っている者もかなりある。
 女子供が見えないのは、法令で禁じられているためだ。
・演壇近くで見上げている宗三郎の眼に、七、八年前はじめて見た正造の姿がだぶってく
 る。 
 そのころ正造はまだ代議士として、中央で政府糺弾にさかんに活躍していた。
 白地の単衣に黒い袴、背丈は高くないが、頭の大きな、肩幅のひろいがっしりした体つ
 きに、宗三郎は教科書で見た坂上田村麻呂の再来かと思った。
・「弁士注意!」
 黒サージ服の警官が、咽喉仏を突き出すようにして叫んだ。
 正造は片方の眼をむいて、黙って警官をにらみつけた。
 聴衆が沸いた。
 正造のそのしぐさを見ることは、演説会のたのしみでもある。
・「かつて鉱毒猖獗を極めたとき、正造は頑迷固陋、無毒を主張する某大臣に、しからば
 毒水を飲んでくれい、と、コップを持参した。大臣は顔色を変えた。見ただけですでに
 毒効があらわれたのである」
・聴衆は呼吸をとめて、正造の口もとを見守った。
 どの眼にも、生々しい昂奮が溢れる。
 まるで無縁の高みにあると思われていた大臣諸公を、いきなり眼の前にひきずり出し、
 自分の手で毒水をつきつけているような快感が走る。
・正造のおかげである。
 正造の手が、被害民数千の鬱憤を晴らしてくれた。
 聴衆の眼には、そうした正造が水戸黄門や佐倉宗五郎の再来と映ったりする。
 その正造の口から「敵討ち」の話を聞くことは何よりもたのしい。
 めいめいに鉱毒運動の苦しい思い出があるだけに、たのしさは甘酸っぱく胸の中にしみ
 渡って行く。 
・「弁士注意!」
 と、もう一度、浮き立った声で叫ぶ。
 「われわれはすでに訴訟を起こした。いったん法廷に立てば、天下の耳目ふたたび谷中
 に集まること必定である」
・白髯を冬の陽に輝かせながら、正造は話つづける。
 訴訟のための物心両面の準備や、石堤排除のうらづけのための水流調査の必要性など、
 得意のたとえ話を交えて一時間近く熱弁をふるった。
・「あの野郎が来ている」
 と栄五郎が宗三郎の顔を見ないで言った。
 「誰です」
 「永助だ。他にもまだ居る。尻を向けて出て行った奴らが」
・宗三郎はどきりとした。
 彼の家でも税や債務に追いつめられ、母や兄が幾度か相談した末、買収に応じることに
 し、仮印まで捺したことがあった。
 それを正造が知って、どこから金を借りて来、家人を納得させた上、印を取り消してく
 れたのだ。
 あのとき、正造が金を工面してきてくれなければ・・・。
・買収されるか否かは、紙一重の問題であった。
 村に尻を向けて行った移住民、いまは「縁故民」と呼ばれるそれらの人々に、宗三郎は
 栄五郎ほどの強い憎しみは持てない。
 打算というより、もっと追いつめられて落ち行った者も多いのだ。
 その意味では、同じ被害者である。
・「政治が悪いことをするのは当然。何となれば、今の社会の組織は、神ののぞみ給うと
 ころとは正反対の利己主義を原則としているからです。利己主義にもとづいて、個人は
 個人を掠奪し、国は国を掠奪している。刑法で言うところの窃盗ごときは児戯にしかす
 ぎません。諸君が谷中村で見られたように、国家の権力者による掠奪・・・これが白昼
 公然と官憲の手を借りて行われる。法律の名において、はたまた国家の名において・・」
・「弁士注意!」
・「法律もまた一つの窃盗です。窃盗掠奪にすぎんのです」
・「弁士中止!」
 警官は立ち上がった。サーベルの柄をおさえたまま大股に演壇に近づいて行く。
 聴衆の中からやじが飛んだ。
 

・足尾鉱山に対する鉱毒予防工事の命令は、明治三十年、大隈農商務相のとき、はじめて
 発令された。 
 国会における正造の執拗な質問演説に、正造とは党籍も同じく、また政友として親しい
 大隈が、ようやく腰を上げたという形であった。
・だが、正造は水の澄み出したのは、別の原因によると考えている。
 三十五年の大洪水で渡良瀬上流に大きな土砂崩れがあり、そのため、毒土が一時的に埋
 まってしまったという見方なのだ。
 そこには偏執的といっていいほどの政府および銅山への不信が働いているのが感じられ
 た。 
・正造は、足尾鉱山そのものの内部に入ったことはない。
 鉱毒被害民を連れて銅山に押しかけるということもなかった。
 銅山の規模の大きいのを見て、素朴な農民が気圧されることがあってはいかないという
 のだ。
・正造は、ふいに宗三郎をふり返ると、
 「次の汽車で東京へ行こう」
 宗三郎は眼をみはって訊き返した。
 「わたしも?」
 正造はうなずいた。
・夕暮近く上野駅に着くと、二人はそのまま本郷にある早川弁護士の邸宅へ向かった。
・「いいところへ来てくれました。最前、栃木から長距離電話があったところです」
 「栃木というと、毛利弁護士から?」
 「また鑑定人に逃げられました」
 「何だって」
 「辞退したんです、いろいろ圧力がかかったんでしょうな」
 「ばかな。そんなばかなことがあるか」
・収用価格の不当さを立証するため価格鑑定人が選ばれるわけだが、正造ら原告側から申
 請した最初の三人は被告側の県当局から忌避され、次の三人が辞退してしまったという
 のだ。 
・「田中さん」
 早川の眼が光った。
 正造が向き直ると、その視線を煙の先に外らせ、
 「和解する気持ちはありませんか」
・思いもかけぬ言葉であった。
 正造も宗三郎もあっけにとられて早川の口もとを見守った。
 訴訟を起こすようにすすめたのは、もともと早川ら谷中救済会の人々ではないのか。
 とっさに応える言葉が出ないでいると、早川はたたみかけるように、
・「県の方からは、和解の意向を示し、裁判所側でもそれをすすめてきています。鑑定人
 がこんな風では、われわれが最初予想していたのとちがって、勝てる見込みは極めて薄
 いとみなくてはいけませんからな」
・「何を言うんだ、あんたは。あんた方、救済会が先に立って訴訟を起こしたくせに」
 正造は白髯をふるわせて言った。
・早川は煙の先に眼を流したまま、
 「おっしゃるとおりです。だが、それは裁判そのものより、県の方にもう一度考え直す
 機会を与えるためでした。その機会が熟したのですから・・・」
・「すると、訴訟は方便なのか」
 「勝てる目算があればのことですが、現状では・・・」
・「ばかな。ことわる。絶対にことわる。なあ、宗三郎」
 声をふるわす正造に、宗三郎も大きくうなずいた。
・「ここで和解しないと、県は早晩立退命令を出してきます。それに従わなければ、官命
 抗拒罪で逮捕されますよ」
 「あんたの言うことはまちがっとる。訴訟をやめれば問題は立ち消えだ。裁判のつづく
 限り、県の方でも無茶はできん筈だ」
・早川は煙草をもみ消し、宗三郎に向き直った。
 「田中さんの意向とは別に、あんたたち残留民の気持ちがききたい。田中さんには、ち
 ょっと黙っていてもらって」 
 「正直に言うがいい、宗三郎」
 正造は吐き出すように言った。
・早川弁護士は宗三郎の眼の中をのぞきこむようにして、
 「冬場を控え、穴ぐら生活、仮小屋生活はいつまでも続くものじゃない。犠牲が増すば
 かりだ。きっと腰を上げなければならなくなる」
 「家を壊されても踏みとどまったという一事で、きみらの大義名分はりっぱに立った。
 現に東京の人士の多くは、鉱毒問題はそれにふさわしい劇的な終焉を遂げたと思ってい
 る。これ以上踏みとどまっても、それに何ものも加えることはないんだ。田中さんは正
 義は必ず勝つという信念だ。しかし、鑑定人に人を得なければ勝てないことは、われわ
 れ弁護士間の常識だ。とすると、これ以上の犠牲を出さないことこそ、残留民の心がけ
 るべきことがらではないのかね。鑑定費用の予納を求められてはいるが、それすら払え
 ないのが実状だろう」
・「いや、それはわしがきっとどこかで調達する」
 正造がさらに顔を赤くして口をはさんだ。
 早川はとり合わず、宗三郎に向いたまま、
 「いま、折角、県の方から和解を申し出てきているんだ。もう一度、考え直してみては
 どうかね」
・「お言葉ですから、一度、皆の衆と相談してみます」
 そう言ったとき、宗三郎は、横から正造の灼きつくような眼光を感じた。
 ただ、私の考えでは、和解できるくらいなら、強制破壊前にとっくに応じていたと思う
 のです。私らは、どんなことがあっても谷中を見棄てたくない。がんこ者の集まりなん
 でがす」 
・「がんこ者か。がんこ者は田中さんひとりで結構なのに」
 早川はうつろな声を立てて笑った。
 
・衆議院議員を辞した正造が鉱毒事件の直訴状を胸に、陛下の御馬車めがけて飛び出した
 のは、ちょうど六年前のことだ。
 正造は死ぬ覚悟であった。
 騎兵が一人、槍をとり直して遮ろうとしたが、あまり急に馬首をめぐらしたので、馬も
 ろとも横に倒れ、正造もつまずいて倒れた。
 その間に、ろばは通過し、「謹奏」と記した書状は空しく正造の手に残った。
  

・正造がそこにいるのは、東京で尋ね当てた医者が、その日の列車で谷中まで往診してく
 れるとの連絡があったためである。医者は次の列車で着くはずになっていた。
・一時間ほど後、正造と宗三郎は駅の改札口に立った。
 黒い革鞄を下げた医者らしい人影を、宗三郎の方が先に見つけた。
 和田というその名の医者は、神経質そうで、茶も一口すすっただけであった。
・宗三郎が人力車を呼びに立とうとしたとき、奥から主人が走り出てきた。
 「田中さん、だめだ。千弥のかみさんは死んでしもうた」
 主人は言い思わると、動きがとれなくなったように、そのまま棒立ちになった。
・氷雨の中、濡れるふとんに半身を起こして紫色の唇をふるわせていた姿が眼に浮かぶ。
 まだ四十を出たばかり。
 鉱毒問題さえなければ、十年も二十年も永生きできたのに、雨の中でしきりに背をさす
 っていた子供の努力も空しくなってしまった。
・「とうとう死人が出ましたな」
 立ったまま、野中屋の主人がつぶやいた。
 皮肉や警告ではなかった。
 人間の暮らしとは思えぬ残留民の生活ぶりを知っていて、打たれるようにして出てきた
 感慨であった。


・三年近い月日が流れた。
 土を食ってでも、と言い張るがんこな残留民たちは、相変わらず仮小屋の住みつき、萱
 を編み魚をとるその日その日の生活に追われていた。
 「谷中復活」を叫んで動き廻れるのは、正造と、次男坊である宗三郎、それに、破壊を
 まぬがれた勇蔵の家の養子義市ぐらいであった。
・栃木の区裁判所では収用金額不服訴訟の弁論がはじまった。
 原告である残留民側は、生活に追われるのと旅費の都合がつかないため、なかなか全員
 そろって出廷できず、裁判官の心証を悪くした。
・さらに悪いことには、東京から来るはずになっていた早川はじめ救済会関係の弁護士た
 ちが、あまり法廷に姿を見せなかった。
 高名な弁護士が多かっただけに、法廷に立てばかなり有利な闘いができたのだが、弁護
 士たちは明治三十三年の鉱毒事件裁判以来の十年にも及ぶ無報酬の弁護活動に疲れてい
 た。 
 少しも妥協しようとしない残留民に愛想がつきたという風でもあった。
・東京の弁護士の総欠席を、裁判官の側では法廷の権威そのものを見くびられたように受
 けとったので、問題はいっそうこじれた。
 ただ一人、法廷に立たねばならなくなった地元の毛利弁護士は、このため黙って欠席す
 ることさえあった。 
・毛利は、正造に度々和解をすすめた。
 正造は、訴訟の根本の目的が谷中復活にあるからと、とり合わなかった。
・秋の彼岸の中日、谷中では残留民が堤外の勇蔵の家に集まり、この三年間に亡くなった
 人々の法要を営んだ。
 千弥の妻はじめ、八人が死んでいた。十九戸九十人の一割に近い人数である。
・接待の終わるころになって、毛利弁護士が人力車で乗りつけてきた。
 毛利はずんぐりした体を一歩踏み出し、よく透る声で話しはじめた。
 「ここへ来る度に、胸が痛みます。なるほど、私はここ四年間、みなさんの弁護を引き
 受けている。だが、それは私の自発的な意志によるものではなく、お恥ずかしいことな
 がら、早川さんはじめ東京の弁護士諸公に連絡係をやってくれとたのまれた結果でして、
 もともとごく軽い気持ちで参加したのです。ところがご承知のように、東京の諸公は出
 席せず、わたし如きものが、過分な責任を負担しなくてはならなくなりましした」
・「田中さんらの熱心な反対はあったが、渡良瀬川改修計画案はとうとうこの春、中央の
 議会も通過しました。いよいよ、この西北にある藤岡町の高台を割って、渡良瀬川が直
 接にここへ流れ込んでくることになります。これまでは三里にわたって村境を迂回した
 末、下流から逆流して入ってきたのが、今度は渡良瀬川そのものがまともに村のまん中
 に注ぎこんで来るわけです。これでは、もうどんなことをしても、ここは池にされてし
 まう」 
・「私はみなさんのためを想って忠告したい。和解の期限は迫っています。いま和解しな
 ければ、この上ない不利です。田中さんには話したんだが、どうしてもわかってもらえ
 ない。だから、私はみなさんに直接に訴えたい」
・毛利は熱のこもった声で言うと、正造を見下ろし、
 「田中さん、座を外していただけませんか」
 宗三郎は、顔に血がのぼった。早川弁護士と同じことを言うと思った。
・「田中さんをのけ者にできるものか」
 村民たちは口々に叫び出した。
・毛利は棒立ちになったまま、さわぎのおさまるのを待って、
 「それじゃ、私は今日限りで弁護を・・・」
・正造が声をかけて立ち上がった。
 「出ましょう。わしが座を外したからといって・・・」
 肩を怒らせ、大股に出て行った。
・「和解の条件としては、県の方では強制破壊の費用分担を免除するばかりでなく、移転
 費も出そうと言っている。それを蹴って裁判を続けたら、いったいどうなる」
・「この地域には河川法の規定を準用されることになったのです。つまり、ここはもはや
 河川水面として取り扱われるわけで、あなた方の仮小屋はもちろん、一切の工作物は県
 の許可がなければ法律違反となるのです。あなた方が和解に応じなければ、県はこの河
 川法によってあなた方を追い払う肚なんですよ」
・「わしらは反対だ。田中さんにたのんで、取消しの訴願をするんだ」
 「訴願?」
 「そうです。貯水池認定河川法準用不当処分取消しの訴願です」
 宗三郎は、正造に教えられていた文句を一気に言った。
・「訴願するといっても、訴願期日は明日じゃないか」
 一座はざわつき出した。
 「いや、まだ三日あるはずです」
 「明日だ。田中さんの計算ちがいだ」
 「それは一大事だ」
 幾人かが一度に腰を上げた。「田中さん!」と叫ぶ。
・説明を聞くと、正造は両手で頭を抱え込んだ。
 「そうだ。わしの考えちがえだ。うっかりしていた」
 「いや、草稿はできている。いま少し筆を入れれば・・・。後は浄書と副本づくり。そ
 れにみんなの調印だ」   
 「いそいでやろう。後はみなでた分けしてやってもらおう」
・弁護士の人力車が堤防の上を去って行くと、ほとんど入れちがいに、丈高い萱の茂みの
 裏道を分けて白い制服をつけた二人の男が現れた。
 先に立ってくるのは、東隣り部屋村にある警察分署長であった。
・「田中さん、分署まで来てもらいたい」
 「どうしてだね」
 「これだ」
 分署長は胸ポケットから、紙片を出した。一目見ただけで拘引状とわかった。
・「わしが何をしたというのだ」
 「書いてある通り、出版法違反だ」
・「あんたは国民新聞にのっていた玖川某の「利根川治水帰着点」という記事を印刷して
 配ったことがあるだろう」
 「それが出版法違反だ」
・「仕方がない。ちょっと出かけてくるよ」
 「しかし訴願書の作製が・・・」
 「なあに、罪を犯したわけじゃないから、すぐ戻れる。なあ、署長さん」
 分署長は形だけうなずいてみせた。
・「さっきから気になっていたが、竹右衛門は来てたかね」
 「来ておらん」
 正造は、宗三郎の眼の中を見て言った。
 「わしはいいから、早く見てきてくれ。今日は村の者がみんなここへ集まっている。
 それだけに・・・。どうも、虫が知らせるような気がするんだ」
・警官の一行に背を向け宗三郎と栄五郎は荒れた山道を駆け下りて行った。
 竹右衛門の家の前まで来ると、八人居るはずなのに人声もない。
 水塚の上の仮小屋は、網代も雨戸も持ち去られ、中の什器や夜具もろとも消えていた。
・「かんべんしてくれ」
 弱々しい声がした。
 おどろいて声の方向を見ると、大きな柳の根元に粗蓆一枚敷いて竹右衛門が坐っていた・
 「かんべんしてくれ。わしは子供らに負けた」
 「ただ、それではあまりに申し訳のうて、わしは一言だけでもお詫びを言ってからと」
 皺の深い顔をうなだれた。
 宗三郎は、言葉が出なかった。
 正造らと氷雨の暗夜見廻ったとき、破れ傘の下から救いを求めるように見上げた九つの
 顔。あのとき眼のふちを黒くし泣く気力もなかった赤ん坊は一年前に死んだ・・・。
・正造はその夜、帰らなかった。
 夜ふけに部屋村分署まで訪ねて行くと、そこに連行したと見せかけて栃木の本署に送ら
 れていた。  
・翌日未明、宗三郎と義市は村を出て栃木に向かった。
 釈放はもちろん面会も許されない。
 河川法準用取消し訴願の日限であることを話しても、とり合ってはくれなかった。
 それを承知の上での強引な逮捕かとも思った。
・二人はやくなく毛利弁護士を訪ねて行った。
 毛利は何をいまさらという表情で二人を見た。
 いやみを聞かされながらも、二人は頭を下げつづけた。
 毛利には県から手が廻っているかもしれぬと、正造が漏らしたことがある。
 不安であったが、話している中に、毛利は腰を上げた。
 本署に出向いてくれ、一時間後、正造は仮釈放された。
・訴願書の提出先は、谷中村を併合した藤岡町の町役場である。
 正造はすぐ町役場に使いを出し、期限であるその日の午後十二時までには必ず提出する
 から、吏員を一人残しておいてくれるようにたのんだ。
・竹右衛門の脱落で十八戸となった戸主たちは、役場の裏に集まった。
 交代で夕食のうどんをとり、柱時計の音におびやかされながら、浄書し、副本をつくり、
 連署する。
 その後、ただ一つのカンテラをつけ、正造を先頭に暗い堤内二里の道を藤岡町へ向かっ
 た。
・役場にはランプが灯り、助役がひとり書きものをしながら残っていた。
 助役はランプの灯を二つ増やしてから、訴願書を受け取った。
 ていねいに読み始めたが、割印の脱落をみつけて、正造に戻した。
・手から手に書類が廻って捺されていく間、助役は正造に話しかける。
 「桐生の病院に入院されたそうだが、奥さんの加減はいかがですか」
・宗三郎は聞きとがめた。
 「奥さんが病気なんですか」
 詰め寄るようにして訊いた。
 「なあに、看病疲れだよ」
 「見舞には」
 助役に訊かれて、
 「なかなかその暇がないでがす」
・「こんな噂を聞きました。いつだったか、古河市兵衛が札束をいっぱい詰めたみかん箱
 を幾箱も持ってきたそうですな。それを、あなたがみんな返してしまったと」
 「そうでしたなあ」
 正造は他人ごとのように言う。疲れて、口を利くのも大儀な様子であった。
 「それを受取って、谷中の堤防を築いておけば買収問題も起きなかったでしょうし、ま
 た県の世話にもならず、あかた一人で谷中を復活させることもできたでしょう。そうす
 りゃ、あなただっていまごろこんな苦労もせず、かつての議会でのあなたの同僚だっ
 た人たちと同じに、那須野あたりに別荘でも建てて楽々と暮らしていれるはずですが。
 どうして返してしまったのですか」
・「色々な考え方がありましょう。なるほどそれで村が立ち直れば、一時は被害者もよろ
 こんだでしょう。だが、それでは子孫が困ると思って・・・。金で解決するのは一時的
 で、本当の解決にはならぬと思ったでがす」
 正造はそう言って、かすれ声で笑った。
・割印が捺されて、訴願書が戻ってきた。
 助役はもう一度改めてから、
 「ごくろうさまでした」
 一同に声をかけた。
 正造はくり返して頭を下げた。時計はまだ十一時半であった。
・「時計がとまってたなあ」
 「とめてあったんだ」
 正造は重い声で言った。
 とめてあるのと気づかせまいと、助役は無理に話をはずませたのであろう。
・「ありがたい仁だ。正造はもう国家などということは考えない。議員も政府も泥坊の手
 先ばかりつとめて、少しも役に立たぬ。国家の外の社会の人々に聞いてもらわねばなら
 ぬ」
  

・さらに一年半の歳月が流れた。
 土にしがみついた残留民たちは、網代の上に萱をかぶせ、蓆のうえにうすべりを敷いて、
 永住への構えを見せた。
 だが、生活は少しも楽にならず、余裕は生まれなかった。
 寄合場所にするはずであった電電神社の拝殿も補修できず、会合と言えば、場外に残っ
 た三戸、とりわけ広い勇蔵の家が使われた。
・豪雨がある度に利根川が逆流して氾濫し、どの家でも水死者を出さないのが、せいいっ
 ぱいであった。 
・だが、残留十八戸はひるまなかった。
 正造を芯に、強い結晶体と変わった。
 正造は帝国議会が開かれる度に、谷中復活の請願書を書いた。
 宗三郎が浄書して東京に持って出るのだが、もはやそれを議会で代弁してくれる議員は
 なかった。
・藤岡町助役の同情で期限に間に合った河川法準用取消し訴願は却下され、差し戻しの付
 箋がついて戻ってきた。
・強制破壊への非難のほとぼりがまださめておらず、また正造の存在がうるさいので、県
 では仮小屋相手に再度の強制破壊をするだけの決断がつかなかった。
・正造と残留民の何よりに目標は、訴訟で県に勝つことであった。
 弁護士は欠席がちであり、中正な鑑定人に逃げられて、不利とわかっていても、やはり
 裁判に勝つことで主張の正しさを認めてもらおうと思った。
・法廷で正造は激してくると、被告である県吏を国賊とののしり、「このウジムシめらを
 召し捕ってください」と絶叫した。
 法廷中にひびく吠えるような声に、判事たちが退廷することもあった。
・だが、このころ内務省による渡良瀬改修に伴う新たな買収案が正式に決定され、旧谷中
 村の三倍から四倍という補償価格とわかると、正造の意見が正しかったというので、か
 つて移住して行った縁故民たちが傍聴席にも顔を見せるようになった。
・明治四十五年、土地収用補償金額裁定不服訴訟は五年越しに結審となり、判決言い渡し
 があった。 
 正造らの主張はほとんど取り上げられていなかった。
・残留民は協議の末、直ちに控訴することに決めた。
 だが、控訴費用も弁護士の心当たりもなかった。
・自費で引き受けてくれる弁護士探しに、正造は宗三郎を連れて上京した。
 訴訟をすすめた当事者である谷中救済会の早川弁護士をまず訪ねた。
 「すでに救済会がなくなった今日、われわれの力ではとても負担に耐えませんから、他
 に適当な方を探してください」
 言葉はていねいだが、早川はソファにそり返ったまま言った。
 「田中さんのなさっていることは、谷中一村のためと言いたいが、四百戸中わずか十数
 戸のための事業だ。そうして小規模のことのために・・・」
・「ひとり谷中の問題じゃありません。国家の横暴を認めるかどうかという大問題です。
 国民の生活を保護すべき国家が、略奪と破壊をこととしている。これは日本の憲法の問
 題、憲法ブチ壊しの問題でがす。このまま放っておけば、日本が五つあっても六つあっ
 ても足らんことになる」
・「しかし、田中さん、あなたほどの方がその問題だけに没頭しているのは、国歌の損失
 です。いま少し他の活動をなさっては・・・」
・「何しろ、正造、幼少のときから記憶が悪く、脳が弱いんでがして」
 「まさか、田中さん」
 「いや、ほんとうのことです。村の諸君もみんな知っています」
 「そんな訳ですから、わたしには一時に一事しかつとめられません。一意専心やらなけ
 れば、一人前に働けんでがす」
  
・正造の知る限りの弁護士に、引き受け手はなかった。
 三日目の夕刻過ぎになって、正造は古い友人である巣鴨の新井奥邃を訪ねた。
 哲学者である新井に聞けば、誰か一人ぐらいと思いつめた気持ちであった。
 高名無名を問わない。弁護士でさえあればいい。
・新井はしばらく考えていたが、
 「私の門下というより友人に、中村秋三郎という弁護士がいます。弁護が上手か下手か
 わかりませんが、人は信じられます。もしよろしかったら、私が申したといって、お会
 いになったらいかがですか」 
・夜ふけてはいたが、正造らは紹介状をもらって、その足で、駒込にある中村弁護士の宅
 を訪ねた。
 検事をやめて開業して間もないという中村は、いかにも役人型が抜け切らぬといった感
 じであった。
 第一印象はあまりよいものではなかったが、もはや救い手もないままに、正造らは再度
 訪ねて尽力をたのんだ。
 
・控訴院の法廷でも、正造の弁論ぶりは変わらなかった。
 裁判長も判事も温厚な人で、正造らに対する扱いも丁寧であったが、正造は話している
 中に激してくるのだ。
 「この事件は価格が安いから相当の価格を払えというだけの浅はかな事件ではない。国
 家が詐欺的手段をもって自治体を破壊したところの、憲法破壊に関する問題であるます」
・正造の声がうわずってくると、裁判長は手を制して、「憲法問題は政治問題ですから、
 お聞きする必要はないと思う」
 「申し上げる必要があります」
 「これ以上必要はない」
 「こちらに必要がある」
 机をたたく正造に、裁判長は苦笑して黙った。
 中村弁護士は、強く正造の袖を引いた。ふいをつかれて、正造の体はよろけた。 


・年が明けて大正二年三月、控訴院受命判事と、渡辺鑑定人が谷中関係地に臨検に来るこ
 とになったが、正造は東京にとどまった。
 現地で正造が昂奮し、臨検の一行に無理を強要することがあっては困ると、裁判長から
 注意があったためである。
・前夜は中村・久須美両弁護士をかこんで、ほとんど徹也して準備に当たった。
 久須美は中村の実弟で、やはり無報酬で働いてくれている。
・鑑定人は宗三郎に話しかけてきた。 
 「私はね、こう思いますよ。何事をするにも、ある程度の勢力を得なければ、事は成功
 しないと」
 和解のすすめかと、宗三郎は思わず足をとめて鑑定人を見返した。
 頬の肉のこわばるのがわかった。
 鑑定人は宗三郎の緊張ぶりに、表情を崩して、
 「どうです、あなたはひと奮発して東京の学校に上がりませんか。学費一切は私がもた
 せてもらいます」
・予想もしなかった言葉に、宗三郎は棒立ちのまま、わだ鑑定人の顔を見守るばかりであ
 った。
 「あなたのように若くて苦労している人を見ると、私はそのままにしておくのが気がす
 まない。艱難汝を玉にすとかたとえにもある通り、逆境は成功の基ですからね」
 「学校を出て、ある程度の勢力を得た上で谷中村の復活に活躍してください」
・宗三郎は胸が熱くなって、声が出なくなった。問い返されて、
 「田中さんと相談した上で・・・」
 と、ようやく答えた。
 栃木の裁判では、ほとんど人間扱いしてくれなかった。それなのに、この人たちは・・。
・控訴してよかったと思う。
 この人たちに裁かれるのなら、裁判もきっとうまくいくであろう。
 ねばり強く弁護士探しをした正造の見透しの正しさがわかる気がした。 
・上り列車で発つ一行を駅に見送ってから、正造は残留民たちと野中屋に行った。
 はるばる東京から来て、丹念に見てもらったという満足感で、まだ頬のほてりがさめな
 いような残留民を前に、正造はいかめしい口調で話しはじめた。
 「判官閣下がよく見てくださったことは、実に感謝に堪えない。しかし、だからといっ
 て、決して油断してはならない。たとえ裁判官が正義の人で、われわれに同情して公平
 な裁判をされるとしても、われわれの相手は足尾銅山党である。足尾銅山党とは今の政
 府である。だから、彼等には権力がある。金力がある。したがって、もし清廉な裁判官
 で独立の権利を振って正当な仕事をしようとすると、彼等は司法大臣に命じて、裁判官
 を転任せしめるくらいのことは必ずやるものと心得なければならない。これは従来しば
 しば例のあったことである・・・」
 話ている中に、正造の心にはその不安がなお色濃くなっていくようであった。
・宗三郎の気持ちも滅入ってきた。
 「田中さんは、なぜ悪い方へ悪い方へとばかり物事を考えるのだろう」
 と思う。
 夕映えの堤の道で、しみじみと正造の力を慕ったのは、つい先刻のことであった。
 だが、幸せの影を見ると、すぐ不幸が追っかけてくる。
 「辛酸入佳境」という無気味な言葉に、まるでたぐり寄せられでもするように。
・書きものが一段落したところで、宗三郎は渡辺鑑定人からの話をした。
 正造は、宗三郎の顔から視線を離さず聞き入っていたが、
 「一応はそういう見方もある」
 気のりのしない低い声で言った。
 その答えに、宗三郎が不満そうな顔をしていると、
 「谷中問題が片づきさえすれば、わしから大隈にでもたのんでやろう」
 あわてて言い足して、ほっとしたような顔になった。
・「谷中が片づきさえすれば・・・」
 それはいつの日のことになるだろうか。
 宗三郎は遠くを見る目つきのまま、正造の答えを心の中でくり返した。
 

・夏がめぐってきた。
 穴居同然の生活に入って六度目の夏であった。
 かつては馬の背につけても大麦の穂先が地に擦るといわれるほど肥沃な土地であったの
 だが、浸水つづきで麦はほとんどとれなくなり、萱を刈っての菅笠やすだれ・よしずづ
 くりで稼いだ金で、食べる分さえ買わねばならなくなった。
 だが、その年は漁獲が多かった。糸版でうなぎが五貫目も六貫目もとれ、三十分足らず
 で筌いっぱいドジョウや小魚がとれることもあった。
・渡良瀬の川面を越して隣村から盆踊りの太鼓がきこえてくるようになると、残留民たち
 も誘い合って出かけた。
・正造が村を留守にしているため、久しぶりに書きものの手が空いた宗三郎も、ひとりお
 くれて海老瀬村の盆踊りに出かけた。
 渡良瀬川沿いに堤を歩いて行くと、向こうから二人連れの男女が戻ってくるのが見えた。
 宗三郎が声をかけようとしたとき、その二人連れは、螢の飛び交う芦の中に吸い込まれ
 るように消えた。  
・知った顔を探して歩いて行くと、杉の幹にもたれてうつ伏せている年輩の男がいた。
 ま新しい手拭いを二本下げた女の子が、心配そうに寄り添っている。大工の栄五郎であ
 った。
 宗三郎はミチ子に訊いた。
 「母ちゃんは」
 「あっち」
 「家にいるのか」
 「知らん」
 「仕様がなえ女だ。こいつの母ちゃんは」
 栄五郎は腹を押さえて言った。
 その口ぶりに、宗三郎はふと思いついて、まわりを見渡した。
・谷中の若い者はほとんど来ているのに、義市の姿はない。
 堤の途中で行きちがった二人のことが頭をかすめる。
 宗三郎は胸の中がかわいた。
・仮小屋住まいの中でも、若い男女が幾組か結ばれている。
 だが義市に限って・・・。
 相手が子持ちの寡婦であり、また勇蔵の養子無息子だからということだけではない。
 義市は宗三郎とともに、若い者の中で正造の手助けのできるほとんど唯一の仲間である。
 正造をみならって、女などには眼をふさいで、谷中復活の運動に没頭すべきである。
 女に溺れるような気のゆるみがあってはならないのだ。
 宗三郎はまた正造の妻のみじめさを知っている。
 それだけに女を伴侶としてみじめさの中に巻き込みたくないという警戒心が働く。
   

・正造は七十三歳。菅笠、首に頭陀袋を下げ足袋はだしという相変わらずの乞食姿で、そ
 の年も、渡良瀬・思・巴波の各河川の上流を歩き回っていた。逆流被害踏査のためでは
 あったが、かつての鉱毒地域の人々への永別の旅ともなった。
・正造はときどき死を口にした。
 宿をめぐんでくれた家の主婦に、
 「田中さんは生きている中はボロばかり下げて汚らしい爺さんだが、死ねば佐倉宗五郎
 のように神様になるんだね」
 と、からかわれ、
 「死ねば馬に食わせるとも、川に流すともどうでもいい。わしは谷中の仮小屋でのたれ
 死するんだ」 
 「のたれ死だって」
 「そうだ。人の世話にならず医者にもかからず、薬も飲まぬつもりだ。できるなら、三
 人くらいで道を歩きながら、ころりと死んでみたいものだ」
 そう言って笑った。
・七月の末になって、水害調査の報告書をつくり、その印刷費を調達するため、正造は足
 利にいる甥の原田定助を訪ねて行った。
 原田は一目見て正造の体の衰弱のはげしいのに驚き、静養するようにすすめた。
・原田は、桐生の実家に戻っている正造の妻かつ子にこっそり連絡をとった。
 かつ子はその日の中に駆けつけてきて、正造のための清潔な夜着や敷布をととのえ、夫
 の帰りを待った。
 だが、印刷所から戻ってきた正造は、妻の姿を見ると、顔色を変えた。  
・「病気だからといって、のんきに寝てはいれん。谷中へ行き、東京へも行き、中村弁護
 士に会って法廷に立つこともせんければならん」
 頭陀袋をとると、そのまま原田の家を出て行った。
 財産や身分だけでなく、夫婦の愛情さえも正造には余計なものであり、回り道であった。
 正造は議員生活で二十年の損をしたと言ったが、夫婦だけの時間もまた、一分間といえ
 ど、損に感じるのだ。
・旱天つづきで土ぼこりの舞う道を、正造はよろめきながら谷中に向かった。
 途中、佐野の同志の家で一泊。そのときには、谷中まで戻る体力の尽きたことを知った。
・翌日、正造は谷中とは同じ渡良瀬川沿いにある吾妻村小羽田の雲竜寺をめざした。
 そこは鉱毒問題で渡良瀬沿いの農民たちが最初に寄り集まった思い出の場所である。
 もちろん、住職とも旧知の間柄である。
 寺のことだから、わずらわされることも、また厄介をかけることも少なくてすむ。
 そこで静かに死にたいと思った。
 だが、たどり着いてみると住職はいなかった。
 不細工な菅笠、足袋はだし、手に佐野でもらった梅干の壜をさげているみすぼらしい老
 人を、家人は怪しんで追い払った。
 強い日射しの中を、正造は重い体を戻した。
・十丁ほど歩くと、かつて兇徒聚衆罪に問われた鉱毒運動の同志庭田恒吉の家があったが、
 そこも一家出払っていた。
・正造が納屋の柱にもたれていると、かすかに子供の声がきこえた。
 その声にひかれて、竹藪伝いに裏手に廻る。
 庭田の新家の清四郎の家で、小学生の子供二人が遊んでいた。
 上の子が正造を知っていた。
 蒼ざめむくんだ顔がこわかったのであろう、「父ちゃん呼んでくる」後も見ないで走っ
 て行った。  
・正造は子供たちの遊んでいた縁先の廊下に体を投げ出し、そのまま意識を失った。

・宗三郎が庭田の家に着いたとき、正造は右の下を横臥して、顔をしかめていた。
 「今度はとうとうやられたよ」
 「わしは物事に対して先天的に破壊性を持っている。いけないと判断すると、どこまで
 もその物を破壊してしまわないとがまんができんかったが、今度は自分で自分の体を破
 壊してしまうことになった」
 「だが、病気は問題ではない。問題ではないんだ」
 「人間は終局を思うようなことでは仕事はできん。『道はおれが開いてやる。開けるだ
 け開いてやる。後の始末はしてくれよ』という考えでなければ、何事もできないよ」
 胸につまったものを吐き出すように言ってから、仰臥した。
・近在から、また東京から、見舞客が次々とつめかけてきた。
 残留民は谷中から四里の道を毎日交代で見舞につめた。
 宗五郎と入れちがいに来たかつ子夫人を、正造は照れくさそうに笑いを浮かべて見上げ
 た。夫人には何も言わず、枕もとの人々に、
 「うちのばばあは何も知らないんですからね。よろしくおねがいしますよ」
 次の間から笑い声が漏れた。
 「田中さんこそ、世間知らずのくせに」
・夫人は六十五歳であった。
 十六歳で結婚してから、藩主六角家の改革にからんでの入獄・追放、県官暗殺の無実の
 嫌疑による投獄、国会開設期成運動、三島県令に反対し加波山事件に連坐しての入獄、
 六期連続の国会議員、さらに鉱毒事件への深入りと、夫は次から次へと事件に飛び込み
 巻き込まれ、家に居つかなかった。
 正造と同じ屋根の下に暮らすのは、何年ぶり、いや何十年ぶりであろうか。
・夫人は昼も夜も休みなしにつとめた。
 正造の加減のいいときは、二人しきりに何か細々と話しする声がした。
 尚江は、夫人の老齢を気づかいながらも、強いてその看護を人に代わらせようとはしな
 かった。   
・尚江にとって、茅葺二階建てのその大きな庭田家は記念すべき家であった。
 社長の島田三郎に命じられ、毎日新聞の特派記者としてはじめて鉱毒地に下り立ったと
 き、最初に飛び込んだのが、その庭田清四郎の家であったのだ。
 その家で、正造の最期を見守ることになる。
 社会主義運動からしだいに遠ざかり、宗教の世界への傾斜を深めていた尚江は、そのこ
 とにも深い摂理を感ずるのであった。
・中村弁護士は、宗三郎を相手に訴訟の打合せをした。
 そのとき、悲しい報せを告げた。
 宗三郎に学問をすすめてくれた親切な渡辺鑑定人が急逝したというのだ。
 正造が倒れる前日のことであった。
・渡辺は残留民に同情し、三月の臨検の後もさらに一度、自費で谷中を見に来ていた。
 その鑑定書が提出されたならば、裁判を有利に展開できる見込みがあったのに・・・。
・「渡辺さんが・・・」
 宗三郎はあえぐように言った。
 「私に学校に上るようにすすめてくれました」
 「そうかね。政治家肌の人だが、そんなことを・・・」
 中村弁護士の声は冷え冷えとしていた。
 宗三郎は、口惜しく、焦立たしくて、じっと座っていられぬ感じであった。
 就学の望みは完全に絶たれてしまった。
・正造は、谷中が解決しさえすればと言った。
 正造が死ねば、不幸な形だが、谷中には強制的な解決がもたらされそうである。
 宗三郎の心の隅に、その日のことを期待する気持がないでもなかった。
 だが、もはや、たとえそうした解決があっても、渡辺自身が先立ってしまったのだ。
・宗三郎は中村を送って出る気力もなくした。
 代わりに尚江が、舘林の駅まで送って行ったが、帰ってきて宗三郎に言った。
 「なかなか来られなかったわけだ。旅費が捻出できなかったそうだ。質屋に行ってやっ
 と出かけて来られたと笑っていた」  
・宗三郎は、中村の払っている犠牲の大きさをはじめて知った。
 そして、毛利弁護士の欠席つづきに、「無理のつづくはずがない」とこぼしていた正造
 の顔を、不吉な思いで想起していた。
・正造の希望で医者も薬も退けたいまは、大往生を待つばかりであった。
 正造は、
 「大勢来ているそうだが、うれしくも何ともない。みんな正造に同情するだけだ。正造
 の事業に同情して来ている者は一人もいない。行って、みんなにそう言え」
 左眼をつりあげて言った。それが最後の言葉であった。
・尚江に背を支えられてふとんの上に起き、音をたてて長い呼吸をしはじめた。
 そして、夫人が団扇で送る風を受けながら息絶えた。大正二年九月四日。
・枕もとに残された頭陀袋を開けると、鼻紙と、読み古した新約聖書。それに、いくつか
 の小石があるだけだった。小石を拾い集めること。それが正造の趣味らしい趣味であっ
 た。
・雲竜寺から、正造の死を知らせる鐘の音が渡良瀬川の川面を越えて鳴り響いた。
 青い炎の燃え立つ畦道を、堤の道を、人々が駆けてくる。
 徒歩で、俥で、舟で、集まってくる人々の数は増えるばかりで、桑畑も堤防も人で埋ま
 った。
 人々は、じっと立ちつくして、庭田の家を見守った。
 「よしよし、正造がきっと敵討ちをしてやるぞ」
 二度と聞けぬやさしい声を求めて。
・宗三郎が外に出てみると、群衆の最前列に、嫁のハルに支えられるようにして立ってい
 る栄五郎の姿があった。
 栄五郎は声を立てて泣いていた。泣きながら、
 「電電神社で死なせなかった」
 と言った。
・勇蔵・義市の養父子もいた。
 「これで全部おしまいだ」
 勇蔵は咽喉をふるわせた。


騒動


・宗三郎は、ぼんやりした頭で、正造の棺の軽さを思い出していた。
 棺は、木の目方だけのような軽さであった。
 子供心に坂上田村麻呂のように思った頑丈な体が入っているとは思えなかった。
 入っていたとすれば、それは生きながらに羽化登仙してしまった体であった。
・ほんとうに正造は、死んで葬られたのだろうか。
 棺の隙間からするりとぬけ出し、「よしよし、正造が敵討ちをしてあげますぞ」と語り
 かけてきそうである。
 正造を永久に失ったという実感はなかった。
・小さなミチ子の肩につかまり、大工の栄五郎が歩いてきた。
 「大丈夫かね」
 「ハルさんは?」
 思わず口にしてから、宗三郎は悔やんだ。
 なぜ、ハルのことを気にするのかと思う。
 義市といっしょにいるにちがいない、ハルの姿に嫉妬しているのだろうか。
 「別のところにいらあ」
 栄五郎は、吐き捨てるように言って眼をそらした。
・本堂に入ると、縁近くに中村弁護士が話相手もなく、一人ぼつねんと坐っていた。
 「これから何よりも頼りにしなくてはならぬ人なのに」
 宗三郎は、思わず足がすくんだ。
 だが、とっさに声が出ない。
 「膝まずき、すがりついてでも、今後の支持をたのまねばならない」
 そういう思いだけが先走っていく。
 宗三郎は、心の底からの哀願を眼の光にこめて、会釈した。
 だが、金縁眼鏡をかけた中村晩越しの浅黒い顔は、無表情のままであった。
 正造の不安通り、ふいと訴訟を投げ出されそうな予感が胸を走る。
  

・秋も深まった一日、宗三郎は、相談したいことがあるので上京してほしいという中村弁
 護士からの手紙を受け取った。
 宗三郎が弁護士からの手紙をにぎったまま立ちすくんでいるのを見て、栄五郎はノミを
 動かす手をやめた。
 「何か、よくねえ手紙なのかい」
 宗三郎は無言でうなずいた。
・本堂の隅でひとり無表情に煙草をふかしていた中村の顔が眼の前にひろがってくる。
 あの後、中村は宗三郎と口をきくのを避けるようにして早々に帰京してしまった。
 知人の紹介で中村を引き出した正造はすでにいない。
 この上、困難な無報酬の弁論をつづける理由がなくなったと言ってよい。
 「相談」とは訴訟の打ち切り・和解の勧告だと直感した。
・宗三郎が、その不安を話し出したところへ、勇蔵の養子義市がやってきた。
 紙の小袋に納めた金を持っている。
 祠の材料費はじめ運動のための費用を、余裕ができたとき各戸が持ち寄ることにしてあ
 るのだ。
・栄五郎は、異が重いのか、ほとんど顔も上げずに宗三郎と話をしていたが、やってきた
 野良着姿の男が義市とわかると、けわしい眼の色となった。
 挨拶にも答えない。
 一方、義市はおどおどしていた。
 小銭の入った袋を宗三郎に渡して、急ぎ足で立ち去ろうとした。
・宗三郎は、あわてて呼び止めた。
 中村弁護士からの手紙のことについては、義市とも話をしたい。
 残留民の中で運動のできる若い男というのは、義市しかいない。
 「いっそ寄り合いしたらどうだね」
 話半分で、義市は逃げ腰になる。
 「そんな必要はなえ。田中さんの考え通りやるんだ」
 栄五郎がどなった。
・義市が萱の茂みに消えるのを見送ってから、
 「どうしたんだね、栄五郎さん。ぼんぼんどなってばかりいて」
 「どうもこうもあるか。ハルの奴がとうとうあいつのところへ」
 「え?」
 宗三郎は、急に胸がかわいた。
 盆踊りの夜、連れ立って草むらに消えた二人の姿がなまめかしく思い出される。
 「一昨日の夜、おれに口答えした末、飛び出して行きやがった。病気の老人や子供をす
 ててよ」
 「病気の老人と言ったって、栄五郎さんみたいに気の強い人は・・・」
 「気の強いのはあの女の方だ。あんな意地っ張りの嫁は・・・」
 「すると家には?」
 「ミチ子だけだ。近所の家の子供と遊んでいる。あそこも、母親が鉱毒で殺されていね
 え。母親のない子同士、仲良く遊んでるよ」
 「早晩、ハルさんは籍を抜いて、義市と再婚ということだね」
 「まさか。ハルは子持ちの寡婦だよ。いくら何だって・・・。勇蔵さんだって許しゃし
 ねえや。あんなでけえ家なのに、家の中へ住まわせねえと言っている。おかげでハルは
 義市ともども納屋に寝起きしているという話だ。もっとも納屋と言ったって、こちとら
 の仮小屋よりはましだろうが」
・宗三郎は応えなかった。
 どんな暮らしでもいい。女といっしょに過ごしてみたい。むせぶようなふくよかさに触
 れていたい・・・。
 一筋の強く渇きが走る。
 男と女が結ばれることを、正造も祝福していた。
 こわされる底から、人間の生命が回復されていくしるしをそこに見たのだ。
 だが、一方には、正造自身のこの上なくみじめで非道な結婚生活があった。
 正造の後を追って運動を続ける限り、寡婦同然だったかつ子夫人の苦しみを、宗三郎は
 その女に味わせねばならなくなる。 
・寄り集まってみたものの、いまさら名案の出るはずはなかった。
 もともと弁護士に謝礼を払っていない。
 無報酬の仕事をこれまで続けてくれたのは、中村の好意ひとつによるものである。
 中村が投げ出すと言えば、それ以上の強制はできない。
・しかし、控訴院での裁判こそ、谷中にとっては唯一の活路である。
 和解したのでは、これまで残留した意味もなくなるし、正造の遺志にもそむくことにな
 る。 
 とすると、中村にすがりつき、その同情をあらためてかき立てる以外に方法はなかった。
・宗三郎が、当然のことのようにその役目を請け負わされた。
 ソファにそりくり返ったまま正造の顔を見ようともしなかった早川弁護士をはじめ、正
 造とともに訪ね廻った弁護士たちの家々が思い出される。
 彼等にとって谷中問題は、貧乏神であり、疫病神でもあった。
 門前払いをくわされなければ感謝していい形勢であった。
 正造が出かけて行っても、その始末である。
 若い百姓にしか過ぎぬ宗三郎には、弁護士説得の自信の湧くはずはなかった。
・兄の宗吉は、もともと無口な性質なのだが、寄り合いの間中、黙り込んでいた。
 宗三郎の仕事と決まったとき、そのまるい大きな眼が光った。
 宗三郎の眼の奥をのぞきこみ、「しっかり頼んでくるんだぞ」と励ましている。
 宗三郎は、上京することに決めた。
 宗吉に旅費をもらい、重い足取りで古河の駅に向かった。
   

・上野駅に着き、駅前でそばを食べてから、ゆっくり時間をかけて歩いて行ったのだが、
 駒込の中村弁護士の家ではまだ夕食の最中であった。
 出てきた中村は、金縁眼鏡の奥にうすい笑いを浮かべ、
 「茶漬一杯でも食べてください」
 と、すすめる。
・浅黒い中村とは対照的に、夫人は透きとおるような肌をしていた。
 少しやせ気味だが、瓜実顔にうるんだ眼がやさしかった。
 物腰もていねいで、土間に下り立って宗三郎を誘う。
 とうとう夕食の席に加わることになった。
・にぎやかであった。
 小学生の長男長女は、口々にその日のできごとを話そうとするし、次女が片言でその兄
 姉の口まねをする。  
 中村は細い目をなお細くして、盃に酒を注いだ。
 意外だったのは、その同じ食膳に書生と下女が並んでいることである。
 何の屈託もなさそうに、子供たちと話しながら箸を運んでいる。
・おかずは、小魚の煮つけとほうれん草のおしたし、それにすまし汁だけであった。
 御飯には、麦がまじっている。
 箸をつけようとしない宗三郎に、中村は盃の手を止めて、
 「麦飯だから、たっておっすすめもできませんがね」
 「いいえ、そんなことは・・・」
 「ぜいたくはしないようにしてるんです。ぜいたくに慣れてしまうとこわいですからな」
 弁解するように言った。
・次女が何かおかしなしぐさでもしたのか、子供たちがまたどっと笑う。
 夫人も、口もとに手を当てて笑った。
 座が明るく和やかであればあるほど、宗三郎には居心地が悪くなった。
 中村の「相談」がいよいよ不吉なものに思えて、座の空気にとけこめない。
 両膝に手を置き、耳をもぎとられたような表情で坐っていた。
・時間をかけての食事が終わると、中村と宗三郎は、玄関脇の事務所兼応接間に移った。
 「先生、おねがいします。どうか、わたしどもを見棄てないでください」
 宗三郎は坐る前に、つきつめた表情で言った。
 切り出される先に、まず哀願しておこうと思ったのだ。
・中村はけげんな顔をして、椅子をすすめた。
 宗三郎は、抱いてきた不安について一気にしゃべった。
 その途中で、中村弁護士は女のように高い声を立てて笑い出した。
 「引き受けた以上は、途中ですてやしませんよ」
・宗三郎はほっとしたが、なお中村から視線を離さず、
 「それでは、相談というのは?」
 「訴訟費用の救助申請を出そうと思うんです」
 「訴訟費用を一時裁判所に立て替えてもらう申請を出そうということですよ」
 思いがけない話であった。
 訴訟を続けるどころか、さらに余計な手数まで弁護士の方でとろうというのだ。
・「失礼ですが、あなたたちは困窮しておられる。それでも必要な金は捻出しなければな
 らないが、そうすればますます疲弊することは眼に見えています。犠牲はできるだけ少
 ない方がいい。裁判所で救ってもらえる限りは救ってもらうことです」
 「そんなことができるのですか」
 中村はていねいな口調で続けた。
 「できるだけ努力してみましょう。みなさんに異議のないこととは思いますが、一応の
 御相談をした上で書類をつくろうと思いましてね」
 宗三郎は、何度も小さく頭を下げた。
・「田中さんもきっとよろこばれることと思います。田中さんは先生を最後まで・・・」
 「よくわかっております。ぼくはまだ若輩ですし、経験も浅い」
 「いえ、そんな意味では・・・。わたしらは今日の寄り合いでも、田中さんの考え通り
 に進むことを確かめたんです」  
 「それは結構です。田中さんの仰っていたことは、おおよそ正しいことばかりです」
 「おおよそ?」
 「中村さんは、法律問題と政治問題を多少混同されたきらいがありましたね。冷静に法
 律問題で処理すべきところに、いつも政治問題を引き出された」
・「しかし、先生」
 宗三郎は、黙ってばかりおられなくなった。
 「谷中問題は、もともと政治問題です。帝国人民がいるというのに、堤防をこわしてお
 いて復旧工事をしない。その上で不当な買収をした。いくら法律に叶っていたところで、
 そうしたやり方は、破憲破道です。政治問題として糺弾すべきなんです」
 中村の感情を害してははらぬと思いながら、言葉の方がはずんでいってしまう。
 くちぶりまで正造に似てきたと思った。
・中村は苦笑したまま、宗三郎の言い終わるのを待った。
 園うえで、静かな口調でつけ加えた。
 「ぼくの言いたいのは、政治的感情をはさんで法律論をすると、とかく判断を誤るとい
 うことです」
・夫人が茶を運んできて、無言のまま会釈して去った。
 「今夜は、それから今後はいつも、家にお泊りなさい。仕事をする上に好都合ですから」
 茶であたたまった体を、さらに熱くするように中村はつぶやく。
 「ぼくは何も田中さんにたのまれたという理由だけで弁護に立ったわけではありません。
 鉱毒問題には、学生の頃から関心を持っていました。一営利会社が巨富を積む傍らで、
 無辜の農民が生命を奪われ生計を奪われ、盲目になる。これはとうてい許せぬことだと
 思いました。田中さんの演説を聞いたのがきっかけで、弟の久須美などは被害地に出か
 けて行きましたが、その帰ってきた夜には二人とも昂奮して眠れぬぐらいでした。あの
 ときの良心を、田中さんはもう一度呼びさましてくださったわけです。神の御手によっ
 て選ばれたと言えば言えるでしょう。田中さんが亡くなったからといって退く理由はな
 いのです。どうかぼくを信用して、いっしょに最後までやり抜こうじゃありませんか。
 『終りまで忍ぶものは救われん』と聖書にもありますね」
 中村はそう言ってから、眉を開いて笑い、
 「あまり、えらそうなことも言えません。クリスチャンとはいうものの、御覧のように
 煙草も吸うし酒ものみますからね。・・・あ、いつかは古河で迷惑をかけましたね。ど
 うにも、がまんできなくなったものですから」
・中村の言うのは、半年前、渡辺鑑定人らと連れ立ってきたときのことである。
 臨検を終って古河の旅館に引き上げ、一同夕食を共にした。
 県の役人たちも顔を出した。
 その席にで、中村は酒をたしまなかった。
 クリスチャンと聞いていたので無理にすすめなかったのだが、それぞれ部屋に引き上げ
 て寝るまぎわになってから、中村は宗三郎を呼び、「冷やでいいから、一杯いただきた
 い」と、手まねで呑む真似をした。
 宗三郎もにが笑いして、すぐ酒を運ばせた。
 仕事の話のからみそうな席では、一切酒を飲まぬというのが中村の方針であった。
 そのことを後で知った県の役人たちは、中村をばかにして笑った。
 中村は、小役人に対してもていねいに口をきいていたので、よけいに軽んじられる傾向
 にあった。 


・その年の暮に、栄五郎が病身ながら心をこめてつくった祠ができ上り、正造の分骨を迎
 える谷中分葬が行われた。
 政友尾崎行雄はじめ数多くの名士たちの弔辞が捧げられ、近隣より千人を越す参会者も
 あって、谷中は一日だけ活況をとり戻した。
・猛々しい芦原を蔽いかくしたのは、その冬の寒さであった。
 雪は師走に入ると消える間もなく降り、年が明けても大雪が重なって、仮小屋住いには
 暗い苦しい日が続いた。
 千弥の仮小屋では、雪の重みで棟木代りの杭が折れ、一家三人が吹雪の中を堤外の勇蔵
 の家に逃げた。千弥の妻がすでに亡くなっていたことで圧死の惨事をまぬがれたことだ
 けが、わずかの救いとなった。
・一月の末、古河町の芝居小屋に旅廻りの一座による田中正造劇がかかった。
 招待された宗三郎は、母を連れて出かけた。
 人の往来もないので、雪はふみかためられることもなく、ときには膝近くまで埋まった。
 宗三郎は、手をひき、深いところでは母を背負った。
 まだ五十台なのに、母の体は弱っていた。
 鉱毒水による胃病で父が倒れてから、十年以上一人で家を支えてきた苦労で、髪も生え
 ぎわから白い。 
・母やつぶやいた。
 「訴訟だの運動だので度々出してやったものだから、お前に分けてやるはずの財産もも
 うほとんどなくなってしもうた。小屋住いで、これから先どうやって行くかと思うと」
 いつもの愚痴かとも思ったのだが、白く一色に静まった雪の原の中で、ひどく弱々しい
 声にきこえた。
・芝居小屋で母は涙を流した。
 帰途、いっそう静まり返った雪の道で、母の声は明るかった。
 「お前が田中さんのお骨を抱いて紋付姿で村に下りてくるのを見たとき、わしはほんと
 うにうれしかった。お前の胸で、田中さんがにこにこ笑って、わしをほめてくださって
 るように思えてのう」 
・その十日ほど後、宗三郎が正造死の家となった小羽田の庭田家を訪ねている留守、母は
 風邪から肺炎となって、あっけなく死んだ。
・宗吉・宗三郎兄弟は突然、部屋村分署に召喚され、直ちに送検の手続きをとられた。
 庭先に正造の祠を置いたことが河川法違反になるというのだ。
・宗三郎はあまりに思いがけないことなので、顔見知りの分署長の訊問にも、しばらく頬
 がこわばって答えられず、分署長の頬にある濃い褐色のしみをぼんやりみつめるばかり
 であった。  
・兄の宗吉が、まず腹にすえかねたように太い声で言った。
 「祠は昨日今日できたものであはありません。なぜ、それをいまになってだしぬけに」
 「以前にも巡査を出して警告しておいたはずだ。その警告を無視したからだ」
 「いつ警告を?」
 宗吉と宗三郎二人の声が重なった。
・宗三郎は思い当たった。
 麦刈の終わった晩で、手伝ってくれた残留民仲間に夕食を振舞っているところであった。
 巡査はいっしょになって酒をのみ、うどんを食べながら、
 「あんな祠を置いてはいかんな」 
 とだけ言った。それが警告なのだろうか。
・宗三郎は、顎を突き出すようにして言った。
 「署長さん、あれじゃはじめから、わたしらを引っくくるために仕組んでいたようなも
 のじゃありませんか」 
 「わたしらをひっくくれば、残りの連中が言うことを聞くと思ったら大間違いです。わ
 たしなんかよりも、もっともっとがんこな連中ばかりですから」
 「わかってる。お前たちは河川法違反という罪を犯した。その理由だけで引致したんだ。
 他にふくみはない」
 「しかし、あの田中さんの墓を家の庭先に置いたのは、何も兄やわたしが決めたことじ
 ゃありません。被害民代表の方たちの遺志で決まったんで、罪に問われるなら、渡良瀬
 の鉱毒被害民全部をひっとらえるべきじゃありませんか」
・分署長は黙った。肩を怒らせて、手帳を閉じたり開いたりする。
 その仕草にどことなく当惑の色があるのを、宗三郎は感じた。
・「河川法、河川法と言われますが、あの小さな祠がどれだけ河川敷地の邪魔になってい
 るというんです」  
 特に霊祠だけあげてきたのは、中心人物である宗三郎らの力を奪うとともに、残留民を
 精神的に打ちのめそうという狙いともとれた。
・「邪魔になっているかどうか、そんなことは問題じゃない。祠を設けるとき、県の許可
 を受けなかった、そのことだけで違反として成立する」
 「許可?そんなことは知りません」
 「知れなくても、河川法の規定がある。法律が定めているんだ。そしてお前たちはその
 法律に背いた。それで十分だ」
・法律に政治論をからませてはいけないと、中村弁護士は言った。
 しかし、政治の方こそ、法律をからませて仕立てて来るではないか。
 「法律も一つの窃盗です。窃盗掠奪の符牒に過ぎんのです」
 海老瀬の講演会での尚江の言葉が耳元によみがえってくる。
・「それじゃ牢に入れてもらおう。なあ、宗三郎」
 そう言って、ぷつんと黙り込んだ。
 分署長はあわれて、
 「ばかを言っていかん。まだこれから裁判した上でのことだ。早く弁護士を決めるんだ
 な。誰か心当たりがあるだろう」
 「東京駒込の中村弁護士にお願いします」
 「栃木の裁判所でやるんだ。土地の弁護士も要る」
 「誰かいるだろう。栃木の弁護士が・・・どうせ謝礼も払えないだろうから、奇特な弁
 護士ということになるが」
 「誰もいないのか。この前の毛利弁護士はどうした」
 分署長は、かさにかかった言い方をした。
 毛利が中途で事実上、弁論を投げ出したことを知っての上なのだ。
 「わしから毛利さんに話してやろうか」
 「結構です。裁判は面倒です。牢に入れてください」
 「田中さんの真似して、獄の中でゆっくり聖書でも勉強します」
・正造は、幾度となく入獄生活のおかげで聖書の親しみ人間をつくることができたと言っ
 ていた。
 それに、心の底では、しばらく谷中の一切から切り離されてひとりだけの時間の中に沈
 みたい、魂の休息が得たいという思いも働いている。
 谷中では、生きるにも闘うにもあまりに事が多すぎる。
・遠くで半鐘の鳴っているような気がした。
 分署長が背伸びして窓の外を見た。
 すると、すぐ近くの鐘楼からも半鐘が打ち出されはじめた。
 分署長は外に飛び出した。
・分署長の問いに答えて、鐘楼の上から若い男が叫び下した。
 「谷中が火事だ」
 宗三郎は、横走り鐘楼に飛びついた。
 谷中の方角、緑一色の風景の上に、茶褐色の煙が立ちのぼっている。
 巴波川の堤の上に小さな人影があらわれて走り出した。
 手押しポンプが一台、ようやく堤に引き上げられる。
・「あれだけ燃えるのは・・・」
 宗三郎は、はっとした。
 勇蔵の家の他にない。強制破壊をまぬがれ買収にも応ぜずただ一戸残っている家。
 これで谷中には、「家」と呼ばれるべきものは一戸もなくなってしまう。
 納屋住いしているという義市とハルのみだらな姿態が、ふっと火に結びつく。
・勇蔵の家は全焼した。
 納屋で炊事していたハルの失火によるものであった。
 「河川法違反」とおどかされながらも、勇蔵は焼跡に、残留民たちと同じ仮小屋づくり
 をはじめた。
 栄五郎が苦しい体を運んで手伝う姿が見られた。
 憎むよりも、まず助け合わねば生きていけないのが、残留民たちの生活であった。
・でき上った狭う仮小屋の中に、勇蔵は義市やハルと同居することになった。
 どちらも村を出なかった。
 村を離れれば、もはや生きる意味はないと思いつけている勇蔵であった。
 その老人と張り合うようにして義市たちも残ったのだ。
 お互いに張り合うことも、残留民たちの心の支えであった。

・宗三郎らに対する河川法違反の公判は、栃木区裁で開かれた。
 東京からは中村弁護士が弁論に立ち、地元からは毛利弁護士がついた。
 宗三郎らの懸念を裏切って、毛利は無報酬の弁護をあっさり引き受けてくれた。
・前の裁判での不乗気は、早川ら救済会弁護士にだまされるようにして担ぎ出されたこと
 にあり、それが正造の突き上げに会っていっそう硬化したためであった。
 毛利は、ふきげんさを隠せぬ人柄で、それだけに素朴な親切さも持ち合わせていた。
  

・正造が死んで二年目の命日がめぐってきた。
 残留民たちは、宗三郎の庭先にある正造の祠の前に集まった。
 一度は買収に応じて村を出て行った縁故民も幾人か加わった。
・「田中さんに会いたい。田中さん、出てござらんか」
 勇蔵がこらえかねたように大声で言い、立ち上がった。
 祠のすぐ前に歩いて行き、じっと眼を注ぐ。
 老人にいく人かがつられて立って行った。
 その後ろ姿には、祠に手をかけ、ゆさぶりかねない気色があった。
「田中さん祀ってよかったのう」
 勇蔵がふり返って、誰にともなく言った。
 栄五郎が満足そうにうなずく。
 「田中さんの墓といっしょにいると思うと、少しは気が大きゅうなる」
 河川法違反事件で宗三郎たちが処罰されたことも、まるで忘れてしまった口ぶりであっ
 た。  
 事実、念頭に浮かばないかもしれない。
 直接自分の身にふりかからぬことは、いつまでも気に病んだりはしないのだ。
・宗三郎は、たしなめるように言った。
 「県では行政執行法で強制撤去すると言っている」
 「なあに、そんなことができるもんか。おどすだけじゃ。もし本気でやりにかかったら、
 きっと罰が当たる。あの中山知事のようにのう」
 勇蔵は自信をこめて言い返した。
 「そうでがすよ」
 幾人かが強く声を合わせる。
 八年前、谷中を強制破壊した責任者の中山知事が、中風で俳人になったことを聞いて、
 正造のたたりのせいにしている。
 そう考えて、自分自身を安心させているのだ。
・宗三郎は気勢を削がれた。
 しかも、勇蔵たちをにくめない。
 こういう考え方をしている限り、残留民は大丈夫だとも思うからだ。
・宗三郎自身も県当局も誤算していた。
 河川法違反の処罰は、残留民には何の精神的打撃にもなっていないのだ。
 正造を慕いながらも、彼等は祠は祠の問題と考えている。
 祠の強制撤去にも、彼等の生活への攻撃とは考えないであろう。
 祠より大きな建造物である彼等自身の仮小屋に現実にトビが打ち込まれない限り、おび
 えはしない。
 「河川法違反」にも、実感が伴わないのだ。
 その限りでは、貴重なほど鈍感であり、実際的である。
・河川法準用の告示が出、また出版法違反で正造自身が拘引されたりした時期のことであ
 る。 
 藤岡役場での助役との話の中で、妻の入院についてそらとぼけて見せる正造に、宗三郎
 は険しい眼を向けたことをおぼえている。
 そらとぼけながらも心の中にこうした反省が宿っていたのかと、正造を見直す気分にな
 る。
 かつ子夫人にも、その心だけは通じていたにちがいない。
・家も失いほとんど無一物となったかつ子は、いまは桐生の実家や早瀬の縁者の家などに
 転々と身を寄せている。
 あまりにもみじめなその老年のために、四県下にわたる鉱毒被害民たちが少しずつ醵金
 して、小さな隠居家を建てようと企てたことがあった。
 だが、かつ子は原田を解してきびしくことわってきた。
・「主人が亡くなった後になって、よい生活をしては申し訳ない」というのだ。
 そうしたかつ子の一筋りんと張った気魄には、正造と応え合う生き甲斐のようなものを
 感ぜずにはいられない。
 ああした酷薄なつながりの中にも、やはり夫婦の情愛というものがあったのだろうか。
 あったと信じたい。そうでなければ無残すぎると思う。
 そうはいうものの、宗三郎はなお、かつ子に対する正造の態度を許す気にはなれない。
 酷薄さが予想される限り、自分は決して妻を娶りはしまいと思う。
・虫の舞い込む羽音がした。
 眼を上げると、カンテラのうすい闇に、にじむようにして浮き出る幻がある。
 義市とハル、雨に閉じ込められた小屋の中で抱き合って眠っている二人の顔には、光沢
 が溢れている。  
 同棲以来、勇蔵とは逆に、義市はしだいに寄り合いにも顔を見せなくなっている。

・雨垂れの音にまじって、かすかに人の叫びがきこえた。
 宗三郎は顔を上げ、耳をすました。
 仮小屋のまわりの自然が、何となくざわめき立っている気配である。
 叫び声は近づいてきた。
 宗三郎はカンテラを取った。
 軽いいびきを立てている宗吉の体をまたぎ、仮小屋の戸口に出た。
 戸を外すと、風とともに雨滴が舞い込んだ。
 腰にカンテラを下げた蓑笠姿の義市が、まるで螢のように少し先の闇に浮き立っている。
 水がその膝を越していた。
・義市は、激流と変わったその道を渡り切れず、先の方から叫んでいるのだ。
 出水には馴れていても、はじめて見る水の速さである。 
・「どの堤だ」
 宗吉がはね起き、すばやく蓑をつけてきた。
 「渡良瀬が切れた」
 「渡良瀬?」
 宗三郎は訊き返した。
 信じられないことである。
 だが、眼の前に溢れてくる水勢のはげしさは、それを裏づけている。
・「渡良瀬が切れるはずはねえだ」
 吉宗が怒ったようにどなる。
 義市の口からは、思いがけない答えが戻ってきた。
 「切ったんだ。海老瀬村の連中が舟で来て、こっちの堤を切り崩したんだ」
 

・残留民にとって、それまでの中で最も暗いきびしい冬が訪れてきた。
 海老瀬村の五人の農民によって切られた堤防は、水勢に次々と決壊口をひろげ、六十五
 間の長さにわたって崩れ落ちた。
 県は、そこが遊水予定地であるから修理も築堤もしないと発表した。
 もちろん谷中残留十六戸に、修築工事をするだけの力はないし、河川法準用地のことで
 あるので、一切を県の決定に委ねる他はない。
・堤内からは、以前以上に水がひかなくなった。
 わずかに残っていた田や畑も水に漬かり、秋にはほとんど収穫がなかった。
 水路が変わったためか、魚もめっきりとれなくなった。
 それに代わるように、仮小屋の屋根は柱を伝う蛇の姿が多く見られた。
・つらいのは、子供たちも同じであった。
 藤岡の小学校まで一里半の道が半ば以上、水に浸かったままである。
 大きな子供が、低学年生を背負って通してやるところもあった。
 氷がはるようになると、どの子供もひびを切らし、地に汚れた足をひき、泣きながら帰
 ってきた。 
 通学をいやがる子を叱る親も、涙声になった。
・村の中を歩いていて登下校の子供たちとすれちがいそうになると、宗三郎はあわてて道
 から外れ、芦原の中を通った。
 不当にいじめているような罪の意識が湧き、苦しかった。
 「辛酸入佳境」を好んだ正造に従って辛酸を選んだ自分たちはいい。
 しかし、子供たちまで辛酸を押しつける権利があるだろうか。
 正造の妻の不幸を許せないのと、同じ気持ちが、いまは宗三郎を責めた。
 その親たちから責められないのが、ふしぎな気がした。
・とりわけみじめなのは、栄五郎ミチ子であった。
 栄五郎は、出水後まもなく寝たきりになった。
 ときどきハルがのぞきに来ても小屋に入れない。
 十歳を出たばかりのミチ子が、学校を休んで看護していた。
・幸い、藤岡町に済生会依嘱の病院ができ、秋山という若い医者が栄五郎を無料扱いにし、
 進んで往診にも来てくれた。
 それでもミチ子は、幼い足で隔日に一里余の道を、病院まで薬をとりに通わねばならな
 かった。  
・ミチ子に出会った夜には、宗三郎はその小さな白い足ににじむ血のあとが思い出されて、
 なかなか寝つけなかった。
 宗三郎自身には、ミチ子にかわってやる余裕はない。
 東京での控訴審の打ち合わせや、中村弁護士に言いつけられての書類づくり。
 さらに、県庁に無駄とは知りながらも万一を望んで破堤復旧陳情に出かけねばならず、
 また堤防決壊裁判の実地検証に立ち会ったり、参考人として呼ばれたりして、家に落ち
 着く時間もなかった。
 暇がみつかれば、萱を刈り、小作にも出、少しでも金をかせがねばならない。
 兄夫婦に寄食できる身ではなかった。
・翌大正五年春、堤防決壊事件についての公判が開かれ、判検事による現地検証が行われ
 た。 
・分署長の案内で、一行が水塚に上がってきた。
 顔見知りとなった岡土木課長はじめ県の役人も従っている。
 宗三郎は、声をかけられるまで頭を下げず、口もきかぬ気持ちであった。
 宗吉も無表情に萱を割いている。
・いったん宗三郎たちの方に来かかった裁判長は、足をとめた。
 分署長に何かつぶやくと、水塚の端にある正造の祠の前に大股に進んだ。
 帽子を脱ぎ、ていねいに一礼する。
・宗三郎思わず立ち上がった。宗吉も手を休める。
・裁判長の訊問に答えて、宗三郎は当夜の浸水状況、それに残留民の生活状況について、
 ていねいに答えた。
 そして、一行について堤内を廻り、船着場まで送って来た。
・船べりで煙草をふかす一人の男の顔を見たとき、宗三郎は眼を疑った。
 ぬけ上った光沢のよい額、下がり気味の眉。
 宗三郎は突っかけるような勢いで、走り寄り叫んだ。
 「早川さんじゃありませんか」
 早川はゆっくり大きな顔をふり向けた。
 宗三郎と出会うことを覚悟していたように、眼に動揺がない。
・「どうしてここへ」
 「決まってるんじゃないか。事件を依頼されれば、弁護士だから出かけてくる」
 無造作に言い捨てたが、それだけに宗三郎はこだわった。
 「依頼されれば」とは、「無報酬でなく、職業として」という意味なのであろう。
・「すると、今度の堤防破壊事件の弁護に?」
 「そうだよ」
 短く言い切る。
 宗三郎は体中が熱くなった。
 言葉がついて出ない。
・「ば、ばかな。いくら何だって、早川さん、あんまりです・・・あなたは谷中救済会を
 つくって、わたしたちの谷中の者を救って下さろうとした。そのあなたが、向こう側に
 つくなんて」
 「あのときは、お役に立たなかったね」
 「あんまりですよ。今度は谷中をぶちこわした方に加担するなんて。いくら依頼された
 からといって、無節操じゃありませんか」
 「きみ、言葉に注意したまえ」
 早川は相変わらず柔和な顔だが、語気は鋭かった。
・「私は、もともと鉱毒被害民を救おうというので、田中さんの応援をした。谷中村救済
 も、その一環だ。海老瀬村だって、同じ鉱毒被害地だろう」
 「しかし、いまでは鉱毒は問題になりません。それに今度の事件は、性質がまるでちが
 います」 
 「精神は同じだ。罪を犯してまで村を救おうとしたんだ。りっぱなお百姓たちだよ。田
 中さんは明治の桜宗五郎だったが、今度のお百姓連中だって、なに、みんな、小さな佐
 倉宗五郎だ。私は、いつも宗五郎につく。無節操じゃあるまい」
 早川はそう言って、笑った。
・「君も有為な青年だ。いつまでも小さなところで腹を立てていないで、もっと活躍の舞
 台を選んだらどうだ」  
 「しかし、私は谷中復活のために・・・」
 「また、それを言う。そんな念仏を唱えていてもどうにもならぬことぐらい、わかって
 いるだろう。田中さんはもう亡くなったんだ。念仏をやめて、きみら自身、明日どうや
 って食べていくのかを心配しなくちゃ」
 「田中さんが亡くなったところで・・・」
・「田中さんは、ある意味でたしかにりっぱだった。あれだけの純粋さは貴重だよ。だが、
 それだけに、どうしようもないところがあった。国家の悪を攻撃するのは結構、県のま
 ちがいを責めるのもいい。けど、たとえ最初にまちがいがあったとしても、いったん滑
 り出した機構というものは、行くところまで行くんだ。きみら百姓は融通がきかぬ。だ
 が、それ以上に、国歌は融通がきかぬ。動き出したら、その動きを真実と思わせる動き
 で続けてしまう。その力が計算できぬ田中さん的な生き方は悲劇でしかないんだ」
・「きみはなかなかしぶといようだが、他の諸君はどうなんだね。やはり残留を続ける意
 志があるのか」
 「もちろん、そうです。みんな、ここの生活に根を生やしています。いまさら移ろうな
 どとは誰も・・・」
 「田中さんに義理立てするあまり、お互いに牽制し合って、動きがとれなくなってるん
 じゃないかね」
 「ちがいます。他人のことを見る余裕のあるのは、私ぐらいのものです。みんな、谷中
 の生活の中に首をつっこんで・・・」
 「きみだけが、いつも代表というわけか・・・」
 「代表でなく、代理です。みんな、残留と決め込んでいる。その残留のため必要なこと
 を、みんな代わってわたしがやっているだけのことです」
・県の岡土木課長はまっすぐ早川めがけて走ってきたが、そこに宗三郎がいるのを見て、
 のめるように立止まった。
 「早川さん、事務所へどうぞ」
 「岡さんは、早川弁護士を御存知なんですか」
 「私の方で、土木課長を証人にたのんだんだ」
 「証人?何の証人ですか」
 「もちろん、今度の堤防決壊事件の弁護側証人だ」
 「しかし、県は堤防を壊された側でしょう。原告なのに、被告側の弁護に廻るなんて」
 「きみきみ、いっぱしに法律家面するね」
 「きみもずいぶん法律家づき合いは永いわけだ。中村弁護士にも大分仕込まれたんだろ
 う。あの男は若くて、きまじめ一方の男だ。それに暇もあって、谷中に打ち込んでる様
 子だね」 
 「暇があるんじゃない。他のことをことわって、谷中のために骨折ってくださってるん
 です」
 「まあどうでもいいさ」
 よくはありません。早川さん、原告の土木課長を使って何を弁護させようとなさるんで
 す。まさか、堤をこわされたことを感謝でもさせようと・・・」
・明治四十年の強制破壊に対する非難があまりに大きかったため、再度の執行をためらっ
 ている県にとって、海老瀬村民による堤防切り崩しは、願ってもない出来事であった。
 破堤から注ぎ込む奔流は、いや応なしに残留民を追いつめていく。
 県に代わって残留民を水攻めにし、立退問題を強制的に解決してくれたことになる。
・「きみ、誤解のないように言っておくが、私は何もクロをシロと言ってもらおうという
 んじゃない。岡土木課長に課長の職掌内に属する公正な証言を求めているだけだ」
 「あの場所は復旧不能の箇所であり、とくにあの決壊によって水が流れ込むことによっ
 て、本来の遊水池計画がかえって好都合になったということを証言してもらう」
 「水が流れ込み、好都合?」
 宗三郎は、眼をつり上げて訊き返した。
・破堤事件以来、新聞はふたたび谷中問題を論じはじめたが、その中には、残留民につい
 て、「暴民」とか「浪民」などという表現を使っているものもある。
・宗三郎を見る土木課長の眼も、それと同じ光があった。
 復旧陳情に県庁を訪ね行っても、ほとんど会おうとしない。
 会えば、こちらの言い分を聞かず、ひとりしゃべるだけしゃべって、時間だからと打ち
 切ってしまう。
・宗三郎は憤りをこめた眼で、岡をにらみ返した。岡は笑った。
 「きみ、どんな場合でも弁護士の心証を害しては損だよ。たとえ相手方の弁護士でもね」
・宗三郎が事務所の前まで行ったとき、裏手の方から土にまみれた工事人足の群れが溢れ
 てきた。 
 一日の仕事を終わり、日当をもらって帰るところである。
 その中には、宗三郎の知っているいくつかの顔があった。
 鉱毒運動以来の同志である。
 宗三郎を見て笑いかけようとし、急に顔をそむける男もいた。
 谷中を沈める仕事を手伝っていることに、気がとがめるのであろう。
・人足たちの流れが、まばらになった。
 その終わり近く、頬かぬりした若い男を見たとき、宗三郎の憤懣は爆発した。
 「義市、おまえまでが・・・。いったい、どういう料簡なんだ」
 「しようがねえや。日銭が欲しいからな。ここはまちがいなく日銭になる」
 「栄五郎さんに食わせるものの心配もしなくちゃ」
 「しかし、それはみんなで・・・」
 「薬代はただだが、食い物まで医者はくれねえ」
 「おれは裏切りとは思っていねえ。おれがここに来なけりゃ、誰かが代わりに雇われる。
 工事の進み方に変わりはないからな」
・宗三郎は、黙って小さな体を押すようにして歩き出した。
 まわりに聞かれたくなく、見られたくなかった。

・宗三郎は、すぐ机に向かって筆を走らせた。
 勢いに任せて一気に書き上げ「乞食の挨拶」と題をつけ、下野日日新聞社に送った。
 三日後、下野日日新聞「寄書」欄は、かなり長いその全文を掲載した。
・新聞を読む者もほとんどいないため、残留民仲間からは何の反応もなかったが、村の外
 からは、さまざまな反響が起った。
 痛快とし、共感する手紙も数多く受け取った。
 激越過ぎるとの警告もあった。

・その記事が出て一週間ほど後、宗三郎がひとり祠の脇の木陰で葭簀を編んでいると、水
 塚の端に分署長の顔が現れ、つづいて、いま一人、角袖姿の巡査が見えた。
 宗三郎は思わず身構えた。
 分署長は、掛声をかけて、水塚の上に飛び上った。振り返って何か叫ぶ。
 巡査に続いて、洋服姿の申し合わせたように恰幅のいい三人の男が現れた。
 宗三郎は、刑事かと怪しんだが、三人目の紳士を見て、その一行がわかった。
 原田定助と、その同僚の三宅・竹内の二県会議員であった。
 議会で岡土木課長らを糺弾していれた県議たちである。
・祠に詣った後、県議たちは口々に言った。
 「きみの文章を読んだ。なかなか痛烈じゃねえ」
 「田中さんに似てきたなあ」
 「一部の役人どもは、官吏侮辱罪で告発するなどと騒いでいた」
 「それなら、こっちは人民侮辱罪で訴えてやります」
 宗三郎はも明るく言い返した。
・宗三郎は、仮小屋の新しくつぎ足した部分に県議たちを案内した。
 警官二人はその軒先に手をかけゆすぶってみてから、県議に遠慮して何も言わずに、宗
 三郎の坐っていた蓆に移った。
・汗を拭くと、原田が口を切った。
 県会議長をつとめたこともあって、三人の中では最も年長であった。
 「こうして揃ってきた理由は、あんたにすぐのみこんでもらえると思うが・・・。われ
 われは県をつついた。しかし、県では絶対にあの堤を直さぬという。ひとり県だけの意
 向ではなく、内務省の意向が背後にあるのだ。
 とすると、村は自然に水没することになる。いま見てみれば、霊祠の礎石も水に浸かっ
 ているが、田中さんは、あんたたちに水死しろとは言わなかったはずだ。残留してから
 毎年水死者の出ないことを自慢していられたくらいだ。あんたたちらを溺れさせぬため
 に、そして、田中さんの霊祠を水から引き上げるために、われわれにできるだけのこと
 をしようと、よく練った上での腹案を持ってきたのだが・・・」
 

・居中調停に立ちたいという原田ら三県議の申出を、宗三郎は一存で断るわけにはいかな
 かった。
 原田は、正造の親類として、永年にわたって正造を通じて鉱毒運動に物質的に援助をし
 てくれた恩人であり、県会で谷中問題をとり上げてくれるのも、それら三人の県議以外
 にいなかったためである。
・宗三郎は、残留民全部が集まった上で、三県議の話を聞きたいと答え、後日約して別れ
 た。 
 その後、宗三郎は村の中を触れ廻ったのだが、当日になってみると、集まったのは残留
 十六戸の半数に過ぎなかった。
 春耕のはじまったときで、近隣の町村へ小作や日雇いに出ているためであった。
・三県議は、南犬飼に残留民全部を収用できる土地があり、その土地の払下げはもちろん、
 移住費その他、移住についての一切の斡旋をしようと申し出た。
・八人の戸主たちは、その話を聞いても、何の反応も示さなかった。
 うなずきもしなければ、かぶりもふらない。
 無表情な眼つきのまま、県議たちを見つめている。
・宗三郎が触れ歩いたときの感じでは、残留民たちに受け入れる意志はなさそうであった。
 断るなら断ると、その場できっぱりと言って欲しかったが、断りを言うことさえ物うい
 といった顔つきであった。
・「勇蔵さん、どうなんですか」
 宗三郎は、誘うように言ってみた。
 勇蔵老人はすぐには返事をしなかった。顎をふり上げるようにして、宗三郎を見る。
 宗三郎に、眼で促さて、
 「ありがたい思召しですが、わしらはここに残っていたいんでがす」
 「どうしてだね」  
 「どうしてでもがんす」
 県議たちは顔を見合わせたが、
 「いま返事をしてくれというんじゃない。考えてみてくれというんだよ」
 「考えても、同じことでがんす」
 「他の衆はどうだね」
 相変わらず、誰も口をきこうとしない。
・予期していたのか、それほど不興な顔も見せず、県議たちは繰り返し念を押して去って
 行った。 
・すぐにその後を追いかけるように、宗三郎の許に、はるかに好条件の調停案がもたらさ
 れた。
 宮城県に数十町歩の官有林があり、その半分を多年の労に報いるため宗三郎に提供し、
 あとの半分を残留民十六戸に提供、正造の霊祠を捧持して移住しては如何。
 面積の不足の場合は、追加してもよし、また田中霊祠を移住地に祀るのが不適当なら、
 ひとまず上野寛永寺境内に祭ることにしてもいい。移住費・開墾費は農商務省の機密費
 から支出する。
 宗三郎を東京に呼んで、この案を熱心に説いたのは、鉱毒運動時代の正造の同志で、そ
 の後政界入りをした桑村という人であった。
・宗三郎は、桑村の家から出ると、すぐ木下尚江を訪ねた。
 正造の歿後、尚江は一度も谷中に顔を見せなかったが、手紙を通して、相談にはのって
 くれていた。 
・久しぶりに会った尚江は、肥って、顔つきも円満になっていた。
 桑村案を話すと、桑村その人についてはあまり高く評価できないという返事であった。
・夜になって宗三郎は、駒込の中村弁護士の家に落ち着いた。
 中村の妻はやさしく、三人の子供たちは相変わらずにぎやかで、宗三郎を兄のように迎
 えてくれた。 
 だが、家に入った瞬間、宗三郎はうすら寒いものを感じた。
 下女も雇わなくなり、食事も以前にまして質素なものとなった。
 まるく肉の付き出した尚江を見た後で、中村弁護士はいっそう痩せて尖った感じであっ
 た。
・話が移住問題に触れると、中村は、
 「どこに移住しても、控訴に差し支えはないから」
 と、とくに意見を述べなかったが、辞去するまぎわに、
 「あなたがどこまでも初一念を貫かれるなら、それがいちばんいいでしょう。いざとな
 れば、ぼくの実家が北海道で小さな網元をしていますから、二人してそこへ行って地曳
 網でも引けば、何とか食べて行けると思います」
 まじめな顔をして言った。
・谷中に帰ると、宗三郎は二つの調停案について、残留民の意見を訊いて廻った。
 宗三郎の話しかける相手は、うるさそうに顔をしかめ、
 「きまってるじゃねえか。村をはなれやしねえ」
 と、手を休めず、つぶやく。
 答え代わりに、地をたたくから竿の音は、怨念がこめられてでもいるようにはげしかっ
 た。 
・正造と廻ったときには、それを汐に「茶でもいれましょう」と、どこでも仕事の手を休
 めたものであった。
 宗三郎には、その変わり方がよろこぶべきものか否か、判断がつかない。
 水に攻められ、生活は苦しくなってきている。
 だが、十年の残留生活ですっかり根を下ろし、立退問題などはじめから相談の必要なし
 ときめこんでいる腰の重さも感じられる。
・幾戸か廻った末、宗三郎は栄五郎の仮小屋にもぐった。
 陽光をふいに遮られて、視野は赤黒く、宗三郎は何かにつまずきそうになった。
 瞬間、その足もとから「あ」という声が起った。
 寝ているはずの栄五郎の声でも、ミチ子の声でもない。
 白くぼんやり角袖が浮び上り、その横に声を立てた小柄な男がいた。永助であった。
 買収に応じて離村した縁故民の一人だが、一時は残留民切りくずしに立ち廻っていると
 いう噂もあった男である。 
・縁故民だからと特に警戒する理由もないのだが、分署長といっしょなので、宗三郎は眼
 をみはった。
 「永助、おまえは切り崩しに・・・しかも、こんな病人のところへ」
 「ちがう。おれは見舞いに来たんだ。そしたら、そこへ偶然、署長さんが・・・」
 「しめし合わせて来たんだろう」
 「ちがうんだ。な、栄五郎さん」
 永助の声に、栄五郎は大儀そうにうなずいて見せた。
・宗三郎は二人の間を分けて、栄五郎に近よった。
 栄五郎は肩で呼吸をし、見上げるだけの気力もないようであった。
 枕許に薬壜がないのは、ミチ子が藤岡の病院へとりに行っているのであろう。
・屈み込んだ宗三郎は、栄五郎のくさい息をまともに受けながら、容態を訊き、何か用は
 ないか訊ねた。
 調停問題を切り出す気はなかった。
 気性のはげしい栄五郎を、苦しめるだけの結果になる。
・外へ出ると、署長もついてきた。
 「栄五郎は、気の毒だが、もう永くはないね」
 同情的な言い方であったが、宗三郎には不愉快であった。
 「そんな重病人に何の説論なのですか」
 「いや、ただの見廻りだ。戸籍簿調べの代わりのようなものだね」
 そう言ってから、その言葉の残酷な意味に気づいたのか、あわてて言い足した。
 「けなげな孫娘だ。ま、立退問題さえ片づけば、表彰具申と行きたいところだ」
・宗三郎は無言で、草いきれのこもる緑の道を歩きつづけた。
 署長は追いかけて
 「犬飼といい、宮城といい、ずいぶんといい話じゃないか。縁故民たちは羨んでいる。
 土地の広さから言って・・・」
・「移住地の可否は問題じゃないんです」
 「どういう意味だね」
 「もともと、どの調停案も立退きを前提にしていますが、わたしらにはそれが気にくわ
 んのです。立退いた先のことなんか・・・」
 「立退いてしまえば、問題は消えてしまいます。みんな日々の生活に追われて、その方
 に首を突っ込んでしまいますからね。それでは、ここまでがんばった意味がなくなりま
 す」
 「それは、田中さんの意見だったね」
 「いまは残留民の意見です。いや、意見というよりも、木が水に根をのばすのと同じほ
 ど当然のことと思っています。谷中を離れるのは、水を断たれるのと同じです」
 「それが迷妄なんだ。おまえあたりは迷妄とわかっていて信じたふりをする。もっとも、
 それが指導者というものかも知れんが」
 「私は指導者じゃありません。勇蔵さんも栄五郎さんも、みんな一人一人が指導者なん
 です」  
・宗三郎に、指導という実感はなかった。みんな、最初の方針通りに生きている。
 鈍重なほど、それに疑いを持たない。
・署長の語調が変わった。
 「みんな、水死しても居残る覚悟だそうだな。水死体なら、こちらも扱いいい。ただ数
 がおおいのだけ難だが」
・「署長さん」
 宗三郎は、足をとめて、にらんだ。署長は横顔を見せたまま続ける。
 「水死の原因をつくった海老瀬村の連中は、懲役四か月、三年間の執行猶予。つまり、
 無罪も同然の判決となった。
 普通なら、とてもこの程度にはすまん。内務省の遊水池計画という大事業が何より優先
 される。それがいまの状態なのだ」
 「県議さんたちの調停も、桑村さんの案も、だしぬけに出てきたんじゃない。内務省の
 指令で、県はいよいよ第二の強制破壊に踏み切る肚だ。その前に何とか収拾しようとい
 うので、あの人たちは・・・」
 「署長さん、あなたはそれを触れ廻っておどしているんですか」
 「いや、おどしているんじゃない。事実を言ってるんだ。今度やるといったら、やるよ。
 田中さんでもおられれば、どんなことになるかも知れぬと二の足踏むが」
 「一度こわされるのも、二度こわされるのも同じことです。どうぞ壊してください」
 「強制破壊された跡に住みつくなんて珍しい話しだし、まして、その仮住いを十年も続
 けるとは、前代未聞のことだ。おまえたちの志操は十分立証されたのだから、もうそろ
 そろ年貢を納めていいんじゃないか」
 「それに、田中さんの霊祠のことも考えてみなくちゃいかん。桑村さんは、田中さんの
 お墓が県の俗吏どもの手にかけては申訳ないと心配されている。わしも、その俗吏の一
 人だがね」
 「遺志を守ってそうなるのですから、田中さんも許してくれると思います」
 「桑村さんは、いずれにせよ、霊祠を泥水に漬けてしまうのは許せない。ひとまず寛永
 寺境内に改装したいと言ってこられたが、その点はどうだね」
 「わたしにも、それをくり返し言われました。それだけに妙な気がしたんです。お骨ば
 かり守ろうとせず、なぜ、私たち谷中を守ってくださろうとしないんです」
 「人間の同情には、ついていける限度というものがある。それに、あまり実りそうもな
 い同情は誰も尻ごみするものだ」
 「それに、桑村さんはおまえのこれまでの努力には十分報いようという意向だ。おまえ
 も、もうすぐ三十。子供の二人三人あってもおかしくない年齢だ。少しは、自分のこと
 を考える必要がある。ここで何十町歩かの山林をもらえば、残りの人生は遊んででも暮
 らせる。おまえのことだから、田中さんの供養をするとか記録の整理をするとか、いく
 らでも有意義な仕事がやれるんじゃないか。それとも、何か希望が・・・」
・他の希望、宗三郎自身にもし考えることがあるとすれば、就学の望みだけであったが、
 いまとしては遅すぎる。
 「何も望みません」
・「わしも、今度の異動ではここをやめさせてもらうつもりだ。ここの署長は、普通の二
 倍も三倍も神経をする減らすんですなあ」
 「今度異動させてくれなければ、わしは退官しようとまで思ってるんだよ」
・それから一週間ほど後、宗三郎が桑村への正式の返事と控訴審の打ち合わせに三日ほど
 上京して戻ってくると、夕刻、勇蔵が元気のない様子で訪ねてきた。
 「どうだね、話してくれたかね」
 まず宗吉に向かって言う。
 宗吉は黙って首を横に振った。宗吉の顔色が冴えない。
 「何かあったんですか」
 「実は・・・。分署に呼ばれたんだ。みんなそろって」
 「それでどうしたんです」
 「立退けというんだ。おらたちがどうしてもいやだと突っぱねたら、それなら、どんな
 目に遭っても構わぬという請書を書けと言う」
 「それで、書いたんですね」
 宗吉と勇蔵が同時にうなだれた。
 「どうしてそんなことをするんです。私がやかましくとめておいたのに」
 「請書書かなけりゃ帰さねえ。こんなは署に泊ってもらうというものだから」
 「残されたって構わねえと言ってた人がどういうことです」
 「申訳ねえが、警察に泊められるなんてことは・・・」
 「請書を出す根拠もないし、出さねば帰さぬなんて、そんなばかなことは法律に規定さ
 れていないんです。どうして突っぱねなかったんですか」
 「間違ったことを書いてごまかされるといけねえから、写しをもらってきた。この通り
 だから、心配ねえと思うが」
・仰々しいが大した文面ではない。
 そして、反対の筋はりっぱに通っている。
 署長の顔色を上目づかいにうかがいながら筆を走らせている老人たちのことを思うと、
 おかしく、また気の毒にもなった。
 この請書にどれだけの実効があるというのだろう。
 こうしたことまでしなくては安心できぬと考えているとすると、署長もやはり相当弱っ
 ているなと思った。  
 

・調停と和解の勧告は、その後も休みなく続けられた。
 残留民は、最初の意向を変えなかった。
 その間に、南犬飼の移住予定地には地元民の割込み運動があって、約束の半分近くの土
 地しかないことがわかり、また、宮城の方も、一有志の政治力と、機密費による操作は
 どこまで実効性があるのかが疑わしいこともわかってきた。
・「まず立退いた上で」ということの危険さを、残留民たちは改めて思い知らされた。
 彼等は本能的にその危険を感じ取ってもいたのだ。
・秋も深まると、県は矢つぎ早に強権的な追い出し工作をはじめた。
 二十日間以内に、田中霊祠および残留民仮住居等一切の建造物の取払いを命ずる立退命
 令を出し、実行しなければ、河川法により処分するとの戒告書を添えてきた。
・残留民は動揺せず、やり過ごした。
・県は再度、一週間の期限による取払いを命令、もし実行しなければ県が代わって強制破
 壊を執行、その費用を各人から徴収する旨の再戒告書を送ってきた。
・谷中に再度の強制破壊との報せは、東京にも届いたはずなのだが、駆けつけてきれたの
 は中村弁護士、それに大杉栄・伊藤野枝の三人だけであった。
・十年前には、大事な家財と病弱者を近辺の縁者に預けて執行に備えたのだが、今度はど
 の家もそのまま執行吏の到着を待った。
 心配なのは、栄五郎であった。重態なだけに、その日の憤激が命とりになりかねない。
 だが、栄五郎を村から外に移すいかなる口実も考えつかなかった。
・だが、執行吏も人夫の群も、警官隊も、姿を現さなかった。
 人夫狩り集めの情報もなかった。
 こうして村民たちが、息をのんで堤外の気配に耳をすましているとき、思いがけない悲
 しいできごとが堤内で起こった。 
・栄五郎の孫娘のミチ子が、破傷風にかかったのだ。
 ミチ子は勇蔵の小屋に移された。
 発作が起こる度に、小さな背筋も折れんばかりに反り返り、真珠色の泡を噴き、強直し
 てもだえる。
 やがて、けいれんしたまま呼吸がとまるようになった。
 唇がみるみる紫色に褪せる。
 その発作がしばらく続いて、まるで死者の顔になった後、ふとまた呼吸が返る。
・藤岡からはるばる詰めてくれた秋山医師も、治療法のない難病というので、ただ強心剤
 を打って最期の時を延ばすばかりである。
・ハルは狂乱した。
 毒が伝染するからと、医者のとめるのもふり払い、ミチ子の体にすがりつき口を吸った。
・稚い生命の最期の場として、その小屋はあまりにもみじめであった。
 秋山医師の知り合いである栃木の病院がともかくひきとってくれることになり、人力車
 の中にハルが抱えて村を出て行った。
・病菌は足のひび割れから侵入したということであった。
 薄氷の中の道を藤岡まで薬とりに通っている中に、破傷風菌に侵されたのだ。
 それはまた、堤内が水に浸かっている限り、そして堤内に残留している限り、どの子供
 の上にも明日にも見舞いかねない運命である。
 残留民の間に、はじめて動揺が起った。
・栄五郎は、ミチ子のいなくなった二日後死んだ。
 栄五郎を納めた棺は、小舟に乗って村を離れた。
 谷中の見えるところに埋めてくれというのが、永い病床での栄五郎をただ一つの願いで
 あった。
・原田定助ら三県議たちが、ふたたび活動をはじめた。
 三県議が新たに探してきた移住地は、谷中より一里西北、藤岡町高取にある沼地に渡良
 瀬川改修剰土を入れた埋立地であった。
 地下五メートルほどのところから掘り上げたという土は、岩石まじりの赤褐色で、無気
 味な毒素でも暗示するように、ところどころ青光りしていた。
 埋立が終わって何か月にもなるというのに、草一本生えていない。
・残留民たちは、誰ひとりそこへの移住を希望しなかった。
 それより谷中周辺の縁者をたより、小作地にもぐりこむことを選んだ。
・県議たちは怒った。
 「以前、犬飼の土地を世話してやったときも、辞退した。その上今度も・・・。いった
 い、われわれの面目をどうしてくれるんだ」
 「しかし、あのときくださるという土地の半分は、地元からの要求で削られてしまいま
 した。あれじゃ、とても食っていけないから辞退したんでがす」
 宗三郎は後になって知った情報を逆用して、言いくつろった。
・岡土木課長が横から口をはさんだ。
 「それじゃ今度はどうだ。いまは四反だが、整理がすめば六反になる。さし当っては貸
 し下げだが、三年以内に無償で払い下げる」
 「しかし、あの土地じゃ、とてもかなわねえ。末は乞食になっちまうでがす」
 勇蔵がつぶやく。「乞食」という言葉に、岡は眉を寄せた。
・「わしら、土地の色見りゃ、わかるんでがす。あんな悪い土地にしばりつけられとうは
 ない」
 残留民たちがいっせいに同調するような声を立てた。
・岡は主人公顔してしゃべる。
 宗三郎は岡から眼をそらし、床の間を見た。
 「辛酸入佳境」の正造の掛軸が下がっている。
・野中屋の主人は正造の歿後も残留民に好意を持ち、夜明けまで飲食したという名目で宿
 代もとらずに残留民を泊めてくれたりし、その座敷にはいつも正造の掛軸や色紙を掛け
 ている。  
・はげしい筆勢ながら、まるみを帯びたその五文字が、宗三郎の視野いっぱいにふくれ上
 った。
 辛酸を神の恩寵を見、それに耐えることによろこびを感じたのか。
 それとも、佳境は辛酸を重ねた彼岸にこそあるというのか。
 あるいは、自他ともに破滅に巻きこむことに、破壊を好む人間の底深い欲望の満足があ
 るというのだろうか。
・正造がそのいずれを意味したのか、そのすべてを意味したのか、知る由もない。
 ただ、宗三郎に明らかなのは、残留民にはいまどんな意味においても、佳境がないとい
 うことである。
 あまりにも、佳境からほど遠い。心は泡立ち、鳥肌が立っている。
・大正六年一月、栃木町での正造の定宿であった金半において、三県議および中村弁護士
 立ち会いの下に、残留民全員と岡土木課長との間に、移転についての最終的な取り決め
 が行なわれた。
 谷中地内旧所有地の耕作・雑草刈取・漁業権を認めること、就業費・取払執行費を各戸
 に支給することを条件に、宗吉ら六戸が藤岡町高取に移るのをはじめ、残留全戸が一か
 月以内に谷中から立ち退くことになった。


・県と闘う場は、法廷のみとなった。
 中村弁護士はこの控訴にかかり切り、無報酬の活動を続けた。
 書生一人置くのみで、弟の久須美弁護士と、ときどき上京する宗三郎の手助けの他は、
 すべて中村ひとりが体を動かし、筆を走らせた。
 酒ねだりをして宗三郎を苦笑させた中村だったが、それほど好きな酒もいつの間にかや
 めた。
・その生活の中では、子供だけが唯一の慰めのようであったが、長男が胸を病んで死んだ。
・大正七年六月、控訴以来、二十一回の弁護を重ねて結審。
 結審を言い渡す裁判官の言葉には残留民へのいたわりがにじんでいた。
 中村・久須美の両弁護士と宗三郎らは、久しぶりに明るい顔で裁判所を出た。
・しかし、晴れ間は幻影であった。
 裁判官が更迭となったのだ。不吉な予感が湧いた。
 第一審のときも、裁判官が中途で更迭となり、みじめな敗訴となっている。
・大正八年八月、控訴以来七年ぶりに判決言い渡しがあった。
 鑑定価格を尊重するという裁判所の慣例かれすれば、かなり不当な判決と言えた。
 名目としては、残留民の主張の正しさを認めながら、実質的にはなんら報ゆるところが
 なかった。  
・だが、明治四十年七月、正造が栃木県知事を相手どった訴訟を起こしてから、十二年。
 いま、残留民にも弁護士にも闘う余力は全くなかった。
・判決後、宗三郎らは原田定助の助けを借り、足利に中村弁護士の法律事務所を開いた。
 東京での埋合せをいささか足利周辺ででもという気持ちであった。
・この後、谷中およびその周辺では、県側が次々と約束を破った。
 高取の移住地では、各戸ごとに堀抜井戸をつくるはずなのに、二戸に一つずつ形ばかり
 の浅い井戸を掘っただけ、水は錆色に濁って、いちいち沸かさなければのめなかった。
 地ならしも、耕地整理もしてくれなかった。
 その全部を払い下げるはずの耕地も、移住民の努力で栽培可能と見ると、地元藤岡町民
 が割込みを図り、逆に四反以下に減らそうとかかった。
 もちろん、無償払下げの約束は頬かむりされた。
・宗三郎は、月に何度となく県に陳情に出かけた。
 県庁で、土木課長に会えるのは、五度に一度。
 わずかに宅地の削減だけはくいとめることができた。
・県がさらに、かつての残留民をふくめた縁故民の最後の息の根もとめにかかった。
 「河川敷地および遊水池附属物占用規程」がそれである。
 個人には直接貸し付けず、町村自治体に貸し付けるという規定では、一廃村となった谷
 中縁故民が持つ権利は一切否定されてしまう。
・宗三郎らが通いつめ問いつめた結果、縁故民で占用組合を設立し、藤岡町役場の手を経
 て借りるようにとの回答があった。
・宗三郎は元谷中村占用組合をつくり、直後、その組合に貸し付けてほしいと知事に陳情
 した。  
 県と町役場、残留民の三者の代表が集まって話し合うことになった。
 その結果、縁故権を尊重する。ただし、一応、取り扱い上、町役場を経由するというこ
 とに落ち着いた。  
・だが、その約束が守られたのは、一年のことであった。
 大正九年十二月、一部藤岡町民が町役場を動かし、さらに県議会の大物に働きかけて、
 縁故民の占用権を奪い取ってしまった。
・分散していた縁故民が、ふたたび寄り集まった。
 残留民だけとはちがい、人数も多い。
 田中霊祠の敷地が、恰好の寄り合い場となった。
・縁故民大会が開かれ、県庁および町役場への大挙しての陳情がくり返された。
 「私どもは谷中地以外に未だ生活の根拠がないため、谷中の縁故地を失うことは損得の
 問題ではなく死活の大問題である。この事情を了解されて私どもの植えた柳や、芦・萱
 などを妄りに採らないようにしてほしい」
 とチラシを配った。
・しかし、町役場は利権につながる新しい借受人を変えようとしなかった。
 それを激励するように、とかく噂のある県政界の大物たちが藤岡の料亭に出入りする姿
 が見られた。   


・年が明けた大正十年。谷中村事件が起って十八年目。
 年初早々、役場側借受人たちが抜きうちに谷中地内の萱刈りにかかると、こっそり教え
 てくれる者があった。
 萱は刈られてしまえば終わりである。
 そして縁故民にとって、一冬、萱を失うことは生活を失うことになる。
 もはや、ためらってはいられない。宗三郎は肚をきめた。
 宗三郎は村々を廻って、縁故民に触れ歩いた。
・翌日、朝早くから、海老瀬村側の堤を下り、冬に入って水の涸れた渡良瀬川を渡って、
 縁故民が続々と谷中地内に集まった。
 それぞれの持布でつくった赤い鉢巻をしめている。
 役場側の人数がなだれこんできた場合、識別しやすくするためである。
 手には、鋭く研いだ手鎌と竹槍を持っていた。
 竹槍は、萱束を突き刺し運搬するための農具でもあった。
・人数は約八十人。死人が出るかも知れぬというので、写真屋が来て、記念写真をとった。
 二重廻しや鳥打帽姿で写真をとり、その後、野良着に変えた。
 悲愴感が、白く霜の下りた原野にみなぎっていた。
・昼過ぎ、県庁から特高課長と名乗る男が来て、中止を求めた。
 だが、宗三郎は聞き入れなかった。
 課長は検束をにおわせて去った。
・宗三郎は恐れなかった。
 わずかに気がかりなのは、妻子のことであった。
 控訴院判決があって間もなく、宗三郎は三十二歳で妻を迎えていた。
 そのとき、谷中事件は片づいたかに見えたからである。
 貧しくとも、正造の妻の悲運を味わわせることもあるまいと思った。
 妻ははじめての女児を生んだところであった。
・未明、高取の宗吉の家に泊っていた宗三郎は、兄の手でゆさぶり起こされた。 
 役場側借受人が総出で萱刈りをはじめた、巡査もついているというのだ。
・宗三郎は鎌をつかむと、谷中めがけて駆けだした。
 白い息を吐き、しばらく走ってから、田中霊祠に頭一つ下げずに飛び出してきたことに
 思いついた。 
 だが、身は軽く、悔いはなかった。
 とりきめたはずの赤い鉢巻も忘れていた。
・宗三郎は堤を走り下りた。その宗三郎に、右から左から声をかけ、さらに縁故民たちが
 駆けつけてくる。鎌が光り、竹槍の切っ先が朝陽に鈍く映える。
・宗三郎、縁故民の半円を背に、その十間ほど先に立った。
 宗三郎は、勇蔵の手、義市の手、宗吉の手、千弥の手、知り限りの数多い手の動きを感
 じた。 
 十年いや十七年間の辛酸も、ただこのためにのみあったかと思われるような張りつめた
 静かな音、さわさわさわ。
 正造、母、千弥の妻、栄五郎・・・二十を越す死者たち、無数の鉱毒の亡者たちが息を
 つめてささやき合う声にもきこえる。
・さわさわさわ。そこには、憎しみ以上に張りつめた力の均衡があった。
 だが、その均衡はすぐに破れた。
・「来たぞ」
 「消防団だ」
 眼を上げると、堤の上を幾十とない人影が一列に駆けてくる。
 トビ口を担ぎ、ポンプも数台。
・役場側の円陣から歓声が起こった。
 消防団はすぐ眼の前の堤の陰に消えて行く。
 そこで態勢を整えて向かってくるのであろう。
・役場側の借受人たちは、調子づいたように声をかけて刈りはじめた。
 縁故民の円陣はみだれた。
 あっけにとられている者。怒りにふるえる者。鎌の動きは止まった。
・「いいんんだ。みんな、どんどん刈れやあ」
 老人が叫ぶ。
・宗三郎は鎌を投げすて、役場側の円陣の前に一人離れて立つ分署長めがけ、まっすぐ歩
 いて行った。  
 「なぜ消防を出したのです」
 分署長の眼を見て言った。
 署長はまだ四十前後の新任の男であった。
 前任者は希望通り転任になっていた。
 「ちょっと待ってください」
・分署長は年長者らしい警官に寄り、ささやき合っていたが、無言で身をひるがえし、堤
 の方に走り出した。宗三郎も、後を追った。
 サーベルの柄を片手で押え、分署長は堤をのぼる。
 正確に同じ距離をとって、宗三郎も続いた。
 何をしようとするのか、意識になかった。
 永い仮小屋生活の間にためられていたものが、前へ前へと宗三郎の体を押し出してくる
 のだ。
 その結果がどうあろうと、何の悔いもないと思った。
・見おぼえのある大きな茅葺屋根。いつか正造が尚江とともに演説した落合佐久三の屋敷
 である。  
 庭先には消防団員が黒々と群れていた。その数は、消防団員全員と見えた。
・署長の姿を認め、組頭が前に出てきた。
 宗三郎も顔を知っている。
 署長と話し出したところへ、宗三郎はぶつかって行った。
・「なぜ出動したんです。どこに火事があります。ここには大勢巡査が立ち会っている。
 その中で、われわれ谷中の者が放火するとでもいうのですか。われわれはそれほど暴民
 だというんですか」
 分署長も組頭も押し黙って宗三郎の顔を見た。
・「消防団員が不在中、もし藤岡に火事が起ったらどうします。どこの陽を消しに行って
 いたというんですか」   
・宗三郎は、ふっと消防規則を思い出した。
 谷中の組頭をやっていた栄五郎の口から、いつか聞いたことなのだ。
 「この海老瀬村は群馬県です。藤岡町は隣りでも栃木県。消防が全員他県に出動すると
 きは、県警察本部の許可が要るはずですが、それを取って来られたんでしょうね」
 一言も答えられぬままに、組頭の顔がふくらんで行く。
・「火事でもないのに出動した以上、出動命令あってのことと思うけど、その命令者は誰
 です。町長ですか、署長ですか」
・次の瞬間、組頭は、
 「こんな宗三郎のような奴にかれこれ言われ、何にも答えられねえなんて」
 吐きすてるように言うと、堤に向かって大股に歩きだした。
 「そうだ、そうだ・もう消防なんてやめだ」
 「この寒いのに、朝早くからひっぱり出しやがって」
 消防団員たちは次々と法被を脱いで、力任せに地面にたたきつける。
 分署長はあっけにとられて、重なっていく法被の大和宗三郎の顔とを見比べていた。
・翌日、県議の原田定助から急な呼び出しがあり、足利まで出かけて行くと、原田は宗三
 郎の顔を見るなり、
 「たいへんなことになった。知事が『今度の事件は宗三郎の煽動によるものと認められ
 るので、検束するつもりだ。ただ、きみは宗三郎と別懇の間柄だから、一応、話した上
 でと思って』と言われた。私が責任をもってとりなすから、当分きみは家にとじこもっ
 て、谷中の問題に関係しない方がよい」
・宗三郎は唖然とした。
 煽動などというものではない。
 耐えに耐えた末、いちばん腰の重いものが、とうとう動き出したという感じであった。
・「それは知事の判断がまちがっています。私ひとりの煽動で、あれほどの事件が起るも
 のではありません。しかし、わかってもらえなければ、致し方ありません。私は私の責
 任のために、谷中行きをやけるわけにはいきません」
・宗三郎は家に帰って身の廻りをかたづけた。
 妻子を妻の実家に預けておいたのが、救いであった。
・駅には張込みがあるかも知れず、顔をさらして歩くのも危険である。
 宗三郎は思い切って俥をたのんだ。
 かつて正造がひいきにしていた車夫に事情を打ち明ける。
 幌を下して町を抜け、一つ先の駅から乗車しようと思う。
 中村弁護士に会って法律上の智慧を借りてから、谷中に向かう肚である。
・宗三郎は中村弁護士の顔を思い浮かべた。
 せっかく足利に事務所を開いたものの、中村はすっかり体を弱らせ、東京の家から動け
 なくなっている。
 子供だけがたのしみであった中村には、長男の死がこたえていた。
 それに、中村だけでなく、中村の美しい妻も、かわいい長女にも影のうすさが感じられ
 た。
 事件がこじれれば、また中村を引っぱり出すことになる。
 そのことを思うと、次から次へと不幸を運びこんでいく使者のような気がして、宗三郎
 は心が滅入ってくる。
・だが、戦わねばならない。正造とともにはじまった谷中村民の辛酸は、生半可な妥協に
 よっては、決して報われることはないのだ。
・宗三郎は俥の走って行く南の方角に向かって、手を合わせた。
 正造の加護を、そして、中村弁護士の加勢を祈って。
・そのとき、
 「宗三郎さん」
 車夫が短く叫んだ。
 宗三郎が眼を上げると、すぐ前の渡良瀬川の橋のたもとに巡査が立ち、両手を上げて俥
 止めにかかるところであった。
 「走れ。走ってくれ!」
 と宗三郎は叫んだ。
 だが車夫は足をがたがたふるわせ、崩れるように梶棒を下した。