真珠湾攻撃 :ウォルター・ロード

真珠湾攻撃隊隊員列伝 指揮官と参加搭乗員の航跡 [ 吉良敢 ]
価格:4180円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

ISOROKU 異聞・真珠湾攻撃 [ 柴田 哲孝 ]
価格:2090円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

真珠湾攻撃 [ ウォルター・ヒューストン ]
価格:1100円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

日米開戦の正体 なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか [ 孫崎享 ]
価格:1925円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

水を石油に変える人 山本五十六、不覚の一瞬 [ 山本 一生 ]
価格:1947円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

風鳴り止まず〈真珠湾編〉 [ 源田 実 ]
価格:1320円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

最後の零戦乗り (宝島sugoi文庫) [ 原田要 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

山本五十六戦後70年の真実 (NHK出版新書) [ 日本放送協会 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

日本の戦争 歴史認識と戦争責任 [ 山田朗 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

広島原爆 8時15分投下の意味 [ 諏訪澄 ]
価格:2420円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

データで見る太平洋戦争 「日本の失敗」の真実 [ 高橋昌紀 ]
価格:1870円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

若い人に語る戦争と日本人 (ちくまプリマー新書) [ 保阪正康 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

語り遺す戦場のリアル (岩波ブックレット) [ 共同通信社 ]
価格:726円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

海軍特殊潜航艇 日本海軍潜水艦戦史 [ 勝目純也 ]
価格:3740円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

米従軍記者の見た昭和天皇 [ ポール・マニング ]
価格:2200円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

激浪の覇戦 山口多聞の決断 (タツの本*Ryu novels) [ 和泉祐司 ]
価格:1026円(税込、送料無料) (2020/11/9時点)

わが誇りの零戦 祖国の為に命を懸けた男たちの物語 [ 原田要 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

太平洋戦争99の謎 (二見レインボー文庫) [ 出口宗和 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

96歳 元海軍兵の「遺言」 (選書968) [ 瀧本邦慶 ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

聯合艦隊司令長官 山本五十六 (文春文庫) [ 半藤 一利 ]
価格:616円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

山本五十六 (平凡社ライブラリー) [ 半藤一利 ]
価格:1034円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

日本の宿命 (新潮新書) [ 佐伯啓思 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

戦争論理学 あの原爆投下を考える62問 [ 三浦俊彦 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

わが誇りの零戦 祖国の為に命を懸けた男たちの物語 [ 原田要 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

太平洋戦争のすべて (知的生きかた文庫) [ 太平洋戦争研究会 ]
価格:660円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

太平洋戦争の収支決算報告 [ 青山 誠 ]
価格:1430円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

アジア・太平洋戦争 (岩波新書) [ 吉田裕 ]
価格:946円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

名将 山本五十六の絶望 [ 鈴木荘一 ]
価格:990円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

山本五十六の真実 連合艦隊司令長官の苦悩 [ 工藤美知尋 ]
価格:2640円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

日米開戦の真実 [ 佐藤 優 ]
価格:785円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

知られざる日本海軍軍艦秘録 [ 日本軍の謎検証委員会 ]
価格:590円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

甲標的全史 [ 勝目純也 ]
価格:1980円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

ある零戦パイロットの軌跡 [ 川崎浹 ]
価格:3080円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

約束の海 (新潮文庫) [ 山崎 豊子 ]
価格:737円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

歴史問題の正解 (新潮新書) [ 有馬 哲夫 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

日本の核開発 1939?1955 [ 山崎正勝 ]
価格:3520円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

太平洋戦争の名将たち (PHP新書) [ 歴史街道編集部 ]
価格:968円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

真珠湾攻撃・全記録 日本海軍・勝利の限界点 [ 秋元健治 ]
価格:2860円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

真珠湾攻撃を決断させた男 [ 荻野正藏 ]
価格:2200円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

零戦99の謎 (二見レインボー文庫) [ 渡部真一 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

ミッドウェー海戦(第1部) 知略と驕慢 (新潮選書) [ 森史朗 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

ミッドウェー海戦(第2部) 運命の日 (新潮選書) [ 森史朗 ]
価格:1870円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

日本近代史に学ぶ 日本型リーダーの成功と失敗 [ 佐藤 芳直 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/11/10時点)

この本は、1957年に発行されたノンフィクションである。著者は「タイタニック号の
最期」の著者と同じ人物である。
著者が、日米双方の当事者たちにインタビュー取材して、日米開戦の火蓋を切った日本軍
の奇襲攻撃の瞬間を描いた戦争ノンフィクションの古典である。
この真珠湾攻撃を題材にした映画は2本あるようだ。テレビでも今までに何度か放映され
た。
・トラ・トラ・トラ! :1970年公開
・パール・ハーバー  :2001年公開 
これらの映画では、激しい攻撃シーンに目を奪われて、なかなか細部の状況までは気が回
らないが、本で読むと、映画では気づかなかったいろいろな細部のことまでわかってくる。
例えば、南雲中将率いる奇襲攻撃艦隊が、秘密裏に真珠湾に近づくのに、相当苦労したと
いうことなどもわかった。
この真珠湾攻撃の陣頭指揮をとった南雲中将は、山形県米沢市出身で、父親は旧米沢藩士
だったようだ。南雲中将は、昭和5年頃のロンドン軍縮会議をめぐる艦隊派と条約派の対
立において山本五十六と対立関係にあり、あまり仲は良くはなかったようだ。
真珠湾攻撃作戦についても南雲中将は懐疑的であったようだ。しかし、真珠湾攻撃機動部
隊の指揮を命じられた以上、これに逆らうことはできず、渋々作戦を実行したというのが
実情のようだ。そのため、一次攻撃が終わると、反復攻撃は行わず、さっさと日本に引き
返した。義務は果たしたという心境だったのだろう。
なお、南雲中将は、その後のミッドウェー海戦では、米国艦隊に空母4隻を失い大敗して
いる。そして、1944年7月にサイパンの戦いで全滅の責任をとって割腹自決している。
また、山本五十六長官は、1943年4月に乗っていた陸上攻撃機が米軍機の攻撃を受け
て墜落し、死亡している。
この真珠湾攻撃に関して、一般的には山本五十六に対する評価は高く、南雲中将の評価は
あまり良くないようだが、私自身は、果たしでそうなのだろうかと、疑問を持っている。
というのも、確かにこの真珠湾攻撃作戦は、宣戦布告と同時に間髪入れずに米国の主要艦
隊を叩くという、きわめて絶妙な作戦だったわけだが、作戦があまりに絶秒すぎて、宣戦
布告を通告する日本の外務省側が、計画通りには動けず米国への宣戦布告通知が遅れてし
まい、結果的に攻撃後に宣戦布告した形となってしまった。これが、米国民の「屈辱心」
に火をつけてしまった。
当時の一般の米国民は、日本に対してそれほど敵対心は持っていなかったようだし、だい
いち平和を享受していた米国民が、わざわざ地球の反対側にある小さな島国などには、あ
まり関心もなかっただろうと思う。もし、南雲中将が主張していた南方作戦を優先してい
れば、たとえ米国が日本と戦争になっても、日本が壊滅するような全面戦争まで発展しな
かった可能性もあったのではないか。あるいは、広島や長崎に原爆を落とされることまで
にはならなかったのではないか。山本五十六の小賢しい真珠湾攻撃という奇襲攻撃によっ
て、米国民の感情を一変させてしまった。そう考えると、この真珠湾攻撃を実行したこと
は、あきらかに間違いであったと私には思えてしまうのだ。もっとも、そのことをに関し
ては山本五十六自身も、一番悟っていたのであろう。

この真珠湾攻撃にはその後もいろいろ話題となる人が参加している。例えば大西瀧治郎少
将は、太平洋戦争末期には「特攻の父」と言われ、神風特別攻撃隊の創始者の一人となっ
ていく。そして終戦時には割腹自決しているようだ。
真珠湾の浅い海での魚雷攻撃問題を解決した源田実中佐は、戦後まで生き残り、航空自衛
隊で勤務し、あの「ブルーインパルス」の生みの親と言われている。参議院議員も務めた
ようだ。
淵田美津雄中佐は、戦後まで生き残り、戦後はキリスト教に入信し、伝道のため八度にわ
たり渡米し、戦争の愚かしさと憎しみの連鎖を断つことを訴えたようだ。
志賀淑雄大尉は、戦後まで生き残り、東京にあるノーベル工業という会社の社長まで務め
たようだ。
真珠湾攻撃の事前調査のためホノルルまで旅行した鈴木英少佐は、戦後まで生き残り、海
上自衛隊で勤務したようだ。海上自衛隊退官後は、日本電気の嘱託も務めたようだ。
橋本似行少佐は、その後、「伊ー48号」艦長であった1945年7月30日に、パラオ
島北方海域で米戦艦と遭遇し、魚雷攻撃によりこれを沈めた。後に、この米軍艦が広島と
長崎へ投下した原子爆弾を米国本土からテニアン島まで運んだ戦艦「インディアナポリス」
だったことが判明した。「インディアナポリス」は、広島と長崎に投下する原子爆弾をテ
ニアン島に輸送後、レイテ島に向かう途中で「伊ー48号」から魚雷攻撃を受けて沈没し
たことのようだ。橋本少佐は、戦後まで生き残り、戦後は川崎重工に勤務した。
高橋赫一少佐は、その後、真珠湾攻撃のあった翌年の5月に、珊瑚海海戦で米空母「レキ
シントン」を攻撃した後の帰路において米戦闘機に撃墜されて戦死したようだ。
村田重治少佐は、その後、真珠湾攻撃のあった翌年の10月に、南太平洋海戦で米空母
「ホーネット」攻撃した際に、乗機が被弾して炎上し、そのまま同艦に突入して自爆死し
たようだ。
板谷茂少佐は、その後、ミッドウェー海戦などに参加したが、1944年7月に千島列島
方面で、味方の陸軍機の誤射により乗機が撃墜され、戦死したようだ。

ところで、私は特殊潜航艇というのは、太平洋末期に登場したものかと思っていたが、真
珠湾攻撃時において、既に存在していたということを、この本を読んで初めて知った。
この特殊潜航艇は「甲標的」と呼ばれたものらしいが、真珠湾攻撃への参加は、岩佐直治
大尉の発案だったようだ。しかし、岩佐大尉は、自ら指揮官として特殊潜航艇に搭乗して
真珠湾攻撃に参加したが、この真珠湾攻撃で戦死している(その後「軍神」の一人とされ
た)。
なお、この小型潜水艇は、人間魚雷と言われた「回天」とは違う種類のものであったらし
い。「回天」は、特攻として敵艦に突っ込んで自爆して相手を破壊するものであるが、こ
の「甲標的」は魚雷二本を搭載しており、魚雷によって敵艦を破壊するもので、特攻によ
る自爆することを想定するものではなかったらしい。
酒巻和男少尉は、特殊潜航艇に搭乗して真珠湾攻撃に参加したが、艇が座礁して、日本人
初の捕虜となったと言われている人物である。このとき、特殊潜航艇5艇(搭乗員10名)
が参加し、全員が帰還しなかったため、全員が戦死したものとされた。しかし、その後に
酒巻和男少尉だけアメリカの捕虜収容所にいることが判明したのだった。酒巻氏は、戦後
まで生き残り、戦後はトヨタ自動車工業に入社し、最後はトヨタ・ド・ブラジルの社長ま
で務めたようだ。

この本を読んで、意外なこともわかった。真珠湾攻撃のためにホノルルに向かっていた攻
撃飛行機編隊において、渕田美津雄中佐が、ホノルルに近づいたとき、無線方向探知機の
アンテナをまわしてホノルルの放送電波の方向と位置を確かめたという内容が出てくるが、
当時の爆撃機にそういう装置が搭載されていたとは、ちょっと驚きであった。しかも、そ
れで飛行コースが5度ずれていたことを知ったというのだから、当時としてはすごい精度
だったと言えるのではないだろうか。
真珠湾攻撃は、作戦が整然と行われ、完全に成功したと言われているが、この本を読むと、
実際には、そうではなかったようだ。攻撃開始の初っ端から、淵田中佐の不適切な攻撃開
始の「黒煙信号」により混乱が生じ、綿密に練り上げられ作戦は、どっかへ吹っ飛んでし
まったようだ。また、全部で29機(55人)が不帰艦となったようだ。

ニイハウ島でのゼロ戦不時着に関する部分は、とても興味深く読んだ。映画では取り上げ
られていたのだろうか。テレビで「トラ・トラ・トラ」や「パール・ハーバー」を何度か
見たが、この事件については、私の記憶にはない。
いろいろ調べてみると、この時、不時着したゼロ戦は、空母「飛龍」所属のものだったよ
うだ。真珠湾攻撃時に際して、損傷を受けた航空機の緊急着陸地として、このニイハウ島
を指定していたようだ。そして緊急着陸した搭乗員は潜水艦を向けて救出する計画になっ
ていたようだ。搭乗員を回収する潜水艦は「伊ー74」が指定されていたらしい。そして
このとき、不時着したゼロ戦の搭乗員は「西開地重徳」一飛曹だったようだ。この搭乗員
の西開地の故郷である愛媛県今治市波止浜には、花崗岩の記念碑が建てられているようだ。
また、西開地の乗ったゼロ戦の残骸は、真珠湾のフォード島のアメリカ海軍基地内にある
「太平洋航空博物館」内に展示されているとのことだ。
当時、このニイハウ島はロビンソン家が私的に所有している島であり、島民のほとんどは
ハワイ先住民だったようだ。この事件は、「真珠湾の不時着機―二人だけの戦争」(牛島
秀彦著)という本にもなっている。

はしがき
・1941年12月7日の出来事であった。一部のアメリカ人は、ドジャーズ対ジャイア
 ンツのフットボール試合の中継放送を聞いている最中にそのことを知った。
・他のアメリカ人は、それよりも30分おくれ、カーネギー・ホールでのニューヨーク・
 フィルハーモニー演奏にダイヤルを合わせていて、そのことを知った。
・その他の人たちも、各人各種にして開戦を知ったのであるが、どんな方法で知ったにし
 ても、この日は彼らにとって絶対に話薄れることのできない日であった。当時生きてい
 た大抵のアメリカ人は、真珠湾攻撃のニュースを最初に聞きたときの感じを、いまでも
 はっきりおぼえている。彼らは、その瞬間を注意深く頭にしまいこんであり、一種の精
 神的記念品として描き出すのである。彼は本能的に、ハワイで起こったことが、そのよ
 うに自分たちの生活を変化させるかを知っていたからだ。

「美しい眺めじゃないか」:午前3時30分以前
・その灯は、以前よりも、ずっと多かった。7月4日以来初めての終末のために、すべて
 の戦艦が一度に入港していたのだ。ふつうの戦艦は交替で出動するのが常だった。  
・秘密の「開戦準備指令」がワシントンからとどいていたのだ。日本はフィリピンがタイ
 かクラ半島(マレー半島)あるいはボルネオを攻撃するにちがいない、という指令であ
 る。
・ハワイのFBIがある電話を傍受した。それは、東京の読売新聞から同紙ホノルル通信
 員の夫である邦人の地元の歯科医・森博士にかかってきた電話だった。東京側では一般
 的な状況を聞いていた。飛行機とか、探照灯とか、天候とか、付近にいる水兵の数とか、
 花のこととか。「現在は」と、それに対して森博士は答えている。「一年じゅうで一番
 花の少ない季節です。それでもムクゲとポインセチアは咲いています」
・三人の将校は、これを細かく分析した。いったい、高い国際電話料金を出してまで花の
 話などするヤツがあるだろうか?
・ワシントンの警告は、圧倒的な危険を持ち込んだのであった。極東の東京での動きに符
 節を合した15万8千人の日系ハワイ市民の蜂起である。即座にサボタージュ警戒の命
 令が出された。全部の飛行機を見張りやすい傾斜面の上にきちんと並べた。
・日本艦隊は1カ月に2回も呼び出し符号を変えた。日本の空母群が姿を消した。しかし
 一方では、こんなときには日本人だって用心するのが当然であり、空母が姿を消したと
 しても、それは何の意味もないかもしいれない。海軍諜報部は、過去半年間に12回も、
 その姿を見失っているではないか。何が起こるにしても、それは東南アジアにおいてで
 あろう。ワシントンも、当局の見通しも、地方紙も、すべての人がそう言っていたので
 あった。
・約515キロ北の日本空「赤城」では、小野寛次郎中佐が熱心にKGMB(ハワイのラ
 ジオ放送)を聞いていた。小野は、空母6隻、戦艦2、巡洋艦3、駆逐艦9から成り、
 夜を徹して南へ進んでいる日本の巨大な機動部隊を指揮する南雲忠一将麾下の通信参謀
 である。南雲中将は真珠湾の米国艦隊に全面攻撃をかけようとしており、すべては奇襲
 に成功するか否かにかかっていた。 彼は、もしアメリカ人が感づいているなら、ラジ
 オに何か変わったところが出るはずだ、思った。しかし何もなかった。
 
「夢がほんとになった」 :午前3時30分以前 
・10カ月前、連行艦隊司令長官山本五十六大将は、第11航空隊参謀長大西瀧治郎少将
 に何気なくもらしたものだ。「もし米国と闘うのならば、ハワイ海域の米艦隊を撃滅せ
 にゃ勝ち目はないな」山本長官は真珠湾奇襲攻撃の可能性をすぐ検討するよう大西少将
 に命じた。大西は、若手の飛行機乗りのバリバリ、源田実中佐を呼びつけた。10日後、
 源田は次のように答申した。危険だが不可能ではない。
・この作戦はとても困難なものに思われた。米国の戦力は無限に見えた。ハワイは日本か
 ら数千キロも離れている。オアフ島の周りにはヒッカム、ホイーラー、エワ、カネオヘ、
 その他たくさんの飛行場が散らばっている。真珠湾そのものも浅く狭い港で、中にいる
 艦船にたどりつくのは至難のわざだ。
・源田中佐は魚雷問題について奇蹟を行なった。夏の間ずっと彼は瀬戸内海で走行距離が
 短くて沈度のすくない魚雷の実験をつづけていた。8月までには、佐伯湾で沈度のすく
 ない魚雷を試作していた。走行距離の短いのが必要なのは、パール・ハーバーには戦艦
 が碇泊している湾の中心部にストレートで届くボーリング場みたいな入江南東潟がある
 からであった。    
・軍令部総長・永野修身大将ほか13人の高級将校が東京に召集され、命令が伝達された。   
・9月2日から13日まで、海軍大学校で、すべての計画の図上演習が行われた。攻撃部
 隊は、空母2を失っただけだった。
・永野大将は12月は海が荒れる、と言って横槍を入れた。立役者、第一航空隊の司令長
 官南雲中将は、まだあまり気乗りしてなかった。他の将校たちは、「東南アジアならア
 メリカの妨害なしに、奪取できるし、アメリカが出てきても日本の近くで米艦隊を叩け
 る」と主張した。 
・しかし山本長官は自分の意見を固く守ってゆずらなかった。開戦すれば、米国が相手に
 きまっている。米艦隊は日本の最大の障害だ。それを撃滅する最上のチャンスはいまだ。
 米艦隊が勢力を取り戻すまでに、日本はその欲するものを全部手に入れ、有利な陣形を
 整えて、それを永久に確保することができる。
・一人一人、要員は主要な持場に引き抜かれた。若くて有能な淵田美津雄海軍中佐は、1
 年前に去ったばかりの空母「赤城」に突然転属になって、少々驚いた。しかも、第一航
 空隊の飛行総隊長に任命されたのだから、彼は、いっそうびっくりした。
・志賀淑雄大尉ほか約百人のパイロットは、10月5日に山本長官から直接命令を受けた。
・訓練は前よりもいっそう激しくなった。主として、いかに低空の至近距離から魚雷を発
 射するかをマスターすることだった。魚雷は、どうしても浅い海では方向を誤ったり、
 海底に突っ込んだり、ドロの中にもぐったりしがちなのだ。
・11月はじめに至って、ついに源田中佐は成功した。わずか13.7メートルの浅い真
 珠湾の底にぶつかるのを防ぐために、魚雷の尾部に簡単な木製の安定板が取り付けられ
 た。   
・一方、他の搭乗員たちは爆撃技術を練習していた。
・ホノルルの喜多長雄総領事からは、戦艦はよく二隻一緒に碇泊しているが、その場合、
 内側の艦には魚雷がとどかないのではないか、などというこまごました情報が、ぞくぞ
 く寄せられてきた。頑丈な装甲甲板を貫くために38センチと40センチの徹甲爆弾に
 尾びれをつけた。
・海軍で一番若い少佐、33歳の鈴木英は、もっと刺戟的な任務を受けた。10月の末、
 彼はホノルルへちょっと面白い旅をするために、日本の定期船大洋丸に乗り込んだ。大
 洋丸は、いつものコースをとらず、はるか北方に向かってミッドウェーとアリューシャ
 ンの間を抜け、それからハワイへ針路を変えた。これこそ、敵に探知されることを防ぐ
 ために機動部隊が計画していたコースだった。航海の最中、鈴木少佐は、ずっとノート
 をとっていた。風向、気圧、船の動揺など。この海域で水上偵察機を発進せしめ得るか?
 発進せしめ得る。特別な給油法が必要になりそうか?必要だ。航行中、大洋丸は一隻の
 船にも会わなかったことを、鈴木少佐は確認した。ホノルルでは、いそがしい一週間を
 過ごした。船中に彼を訪ねてくるいろいろな人たちから、米艦隊は、いつもラハイナ泊
 地には集結していなことがわかった。ヒッカム飛行場の格納庫の構造についての資料や、
 10月21日に撮影された真珠湾の空中写真などという、チョイとして特ダネまで手に
 入れた。
・11月7日、南雲中将は正式に真珠湾攻撃部隊の指揮官に任命された。同じ日、山本長
 官は攻撃の日を、かりに12月8日、すなわちハワイ時間12月7日の日曜日、と決め
 た。いろいろな理由で、この日がよかったのだ。
・問題は、誰でも熱帯向けの準備をしているときに、どうしたら怪しまれずに冬の装備を
 集められるか、ということだった。そのため初冬両方の装備を整えるということになっ
 た。兵站本部はびっくりしたが、「戦争がはじめったら、どこへ行くことになるか、わ
 からんじゃないか」と言って清水真一中佐はごまかした。あらゆる物資を貨物船奉公丸
 に積み込んで、彼は11月15日ごろ海に乗り出した。陸地が見えなくなると、向きを
 北に変え、真珠湾部隊の秘密終結地点、寒風吹きすさぶ千島列島の単冠湾へ向かった。  
・一隻、また一隻と、日本の艦船はすべり出て行った。みな別々になって、けっして関連
 があるようには見せなかった。ひとたび視界から消えれば、海は、すぐにすべてをのみ
 こんでしまうのだ。呉の海軍鎮守府では全艦隊がまだ基地にいると思わせるために、残
 った艦の間で活発に無線通信を打った。この通信に、ふだんの「調子」を与えるために、
 正規空母の電信員たちが残留していた。(無線技士の通信の打ち方には、筆跡のように
 はっきりと個性が出るものなのだ)
・一隻、また一隻と日本の機動部隊は単冠湾にすべりこんで行った。32隻が、この荒涼
 たる港には不似合いなほど、ぎっしりとつまった。寒い灰色の湾をとりまく山々は雪に
 覆われていた。三本の無線塔が、さびしく空をさしていた。ちっぽけな漁師の小屋が三
 軒と、雨ざらしのコンクリートの桟橋がひとつ、これだけが他に見られる文明の痕跡だ
 った。それでも南雲中将は用意周到だった。上陸することも、ゴミを海に捨てることも
 許さなかった。 
・11月25日、山本長官は艦隊に翌日出撃を命令、南雲中将は眠られぬ最後の夜を過ご
 した。
・艦隊は、いかなる場合でも、陣形を整えて進んで行った。空母は三隻ずつ縦陣を組んで
 二列に並び、八隻の油槽船がそのあとにつづく。戦艦と巡洋艦はその両側を守り、駆逐
 艦は全部隊の周囲を護衛し、潜水艦ははるか前方で警戒する。
・だしぬけに南雲中将が言った。「君はどう思うかね、参謀長、えらい責任をしょいこん
 でしまったものだな。も日本水域は離れているし、わしはこの作戦が成功するかどうか
 心配になってきたよ」草鹿少将は即座に答えた。「閣下、御心配はいりません。必ず成
 功します」南雲中将は微笑した。「君がうらやましいよ。草鹿君、君は楽天家だからな」
・11月28日、はじめて燃料補給をやったとき、南雲中将は、もっともくさったのでは
 ないかと思う。それが非常に危険な、骨の折れる作業だということを知ったのである。
 艦が上下左右にゆれるため、油槽船からつながれた太いホースがはずれて甲板をたたき
 つけた。数人の乗組員がホースに叩かれて海に落ちたが、どうすることもできなかった。
・11月30日には、燃料補給作業もうまくなっていたが、こんどは別の問題が起こった。
 天候が悪化したため、軽空母「飛竜」のデッキに積んであったドラム缶から油がこぼれ、
 甲板をスケートリンクみたいにつるつるにしてしまったのである。
・神経をすりへらす昼、眠れぬ夜、彼らは苦しい前進をつづけた。草鹿少将は「赤城」の
 艦橋の布椅子でうたた寝するだけだった。「赤城」の機関長・反保保好中佐も、甲板の
 下のほうで同じようにして寝た。彼と350人の部下は、ほとんど機関室を離れず、愛
 する機械の傍で汗と油にまみれて暮らした。食事当番が食事を運んできた。たいてい竹
 の皮に包んだにぎり飯に梅干しとたくあんだった。
・しかし、彼らがいちばん問題にしたのは、いったいどこに向かっているか、ということ
 だった。空母「加賀」の戦闘機乗りの志賀淑雄は、全機が冬期用のガソリンに変えられ
 たから、行先は北だ、と信じていた。空母「赤城」の機関室の反保中佐は、積載燃料で、
 どこまで行けるかがわかっていたので、行先はフィリピンときめていたのだ。だが、ほ
 とんど誰も本当のことを知らなかった。
・ワシントンでは、アジアにおける日本の主導権を握るために、日本大使が最後の交渉を
 つづけていた。もし、この交渉が意外にも成功したら、即座に南雲中将に対して引返し
 命令が出されるはずだった。そして、もしそうなっていたら、全世界は、このとき何が
 起ころうとしていたかを、永久に知ることはなかったにちがいない。
・しかし、攻撃が実行される可能性のほうが、ずっと大きかった。だから、艦隊を発見さ
 れないようにするのが、さしあたって最も重大な仕事だった。艦隊は、煙を最小限に抑
 えるために最高級の燃料を使っていた。完全な灯火管制と、厳重な無線封止がしかれた。
・ある朝、ソビエト船が一隻、サンフランシスコからソビエトにむかって付近を航行中、
 という情報がひろがった。全艦が警戒したが、何事も起こらなかった。また、この種の
 情報を確かめる方法もなかった。南雲中将は、艦隊の所在を発見されるといっていっさ
 いの飛行を許さなかったからである。 
・中立国の船に発見されたらどうするか、ということが論議の中心になった。最後に、南
 雲中将の参謀の一人が快活に断じた。「沈めるんだな。そして忘れるんだ」
・12月2日、この種の不安な状態が、ついに破られた。その前日、御前会議は開戦を決
 定、山本長官は機動部隊に、「ニイタカヤマノボレ」を打電した。
・「赤城」の機関室の熱気と騒音の中では、反保中佐の部下たちが静かに清酒で乾杯した。
 が、どうしたのか、もう一杯飲もうという者はなかった。しかし、ほとんどの乗組員が、
 万歳を叫び、有頂天になってこう叫んだ。「ハワイを空襲するんだ!夢がほんとうにな
 った!」     
・空母「加賀」では、搭乗員たちが「名あて競争」をやっていた。ひとりの士官が米国軍
 艦の形に切り抜いた紙を背中にかくす。そして一枚ずつ、搭乗員たちにちらっと見せて、
 その艦の名を当てさせるのである。
・搭乗員たちは、いまや誰からもちやほやされはじめた。毎日入浴し、新鮮な牛乳と卵の
 特別食を支給された。   
・旗艦では、南雲中将が、これまでより以上に発見されることを恐れていた。彼は実際き
 わどいところに立っていたのだ。12月6日以前に敵に発見されたら、廻れ右して引き
 返すことになっていたのである。もし6日に発見されたなら、そのときは彼の判断にま
 かされていた。7日だけが、どんなことが起こっても決行せよと命じられている日だっ
 た。
・12月4日、南雲中将は燃料を補給し、日付変更線を越えた。これは、いつでも時計を
 東京時間に合わせている日本人には意味のないことだが、米国人には、なぜ12月3日
 が2回あるのかを説明してくれるものである。
・旗艦「赤城」のマストには、するすると「Z旗」があがった。1905年、東郷平八郎
 大将がロシア艦隊に大勝したとき、掲げた旗である。
・艦隊はいまオアフ島の帆北方1030キロに達した。脚ののろい油槽船がいなくなった
 ので、最後の南方への突入が敢行できた。正午少し前、草鹿少将は艦隊の針路を転じ、
 命令を発した。「24ノット。全速前進!」
・すべての者が空母のいないのを残念がった。一部のものは、攻撃が中止されるのではな
 いかと心配したほどである。しかし南雲中将は、もう引き返すことはできない、と考え
 ていた。8隻の戦艦は港内いるはずだ、もう「いない空母について」の心配はやめるべ
 きだ。   
・天谷中佐は、格納甲板に上って行き、各機の無線装置を一機ずつ注意深く調べまわった。
 誤って機械にふれたりして、まさに行われようとする劇的な大ショウを事前にもらした
 りしないように、彼はキイと接触点との間に紙を挟んでまわった。
・空母「赤城」では、小野少佐がラジオの前にうずくまり、ハワイ放送の電波をキャッチ
 しようとしていた。午前2時、3時・・・時間は過ぎて行った。ラジオではKGBMが
 依然としてハワイの歌を奏でていた。
・そこから約580キロ南方では、潜水艦「伊ー24号」の特別雷撃将校・橋本似行少佐
 が同じラジオの番組を坐って聞いていた。「伊ー24号」は当時、オアフ島沖を巡回し
 ていた28隻の大型航洋潜水艦のうちの一隻だった。彼らは幸運にも港内から逃げ出し
 てきた米国軍艦を補足する任務を帯びていたのである。
・同じように「伊ー24号」でラジオを聴いていた酒巻和男少尉は、日本を出たとき23
 歳になったばかりだった。彼は「伊ー24号」の後甲板に、まるでおんぶするようにく
 くりつけられた2人乗り小型潜航艇の指揮官だった。このような小型潜航艇は、全部で
 5隻、それぞれ「親潜水艦」の背中で運ばれていた。空中攻撃の直前にこれらを発進さ
 せる、という計画であった。運よく港内にもぐりこめば、彼らだけで1隻か2隻の軍艦
 を沈めるはずだった。
・この考えは、全体として、実際家の山本長官には気に入らない、受け入れにくいところ
 があった。しかし、これには日本人の心にぴったりする自爆精神の匂いがあった。そこ
 で、ついに岩佐直治大尉は司令部を説得して小型潜航艇を全面作戦の中に加えることに
 成功したのである。岩佐大尉の発案なので、当然彼が指揮官になった。
・最初、山本長官は、特殊潜航艇は単独で真珠湾に侵入してはならぬ、という重大な条件
 をつけた。そんなことをすれば、攻撃がはじまる前に敵に感づかれてしまう、というの
 である。しかし岩佐大尉は、発見されずに港内に侵入することができある、と頑張って、
 ついにこの点でも山本長官は折れたのであった。
・岩佐大尉は急いで彼の計画を具体化した。5隻の長距離潜水艦から、搭載航空機とカタ
 パルトをはずし、代わりに秘密の新しい特殊潜航艇が取り付けられた。四つの大きな留
 め金と、ひとつの補助留金とで、これをとめた。小型潜航艇は、どれも長さが約14メ
 ートル、魚雷2本を持ち、蓄電池で走り、乗員2人を要した。
・潜水艦は太平洋をまっすぐに横ぎり、32キロの間隔をとって進んだ。昼間は潜水し、
 夜は海面に浮かんで走った。夜の航行のあいだ、酒巻少尉と部下の稲垣清二二等兵曹は、
 潜航艇の上によじのぼっては、見落とした点がないかどうかを点検した。
・ついに彼らは目的の地点に到着した。酒巻少尉と稲垣二曹は、最後の点検を要する無数
 の個所を調べるために走り回った。とつぜん、ジャイロ・コンパスが動かないのを発見
 した。これは重大なことだった。これなくしては潜航は不可能なのだ。酒巻少尉は、
 「伊ー24号」の修理係を呼び、稲垣二曹に協力して修理するように命じておいて、艦
 内に降りて最後の仮眠をとった。しかし、稲垣二曹と専門家の努力も実を結ばなかった
 ようだ。酒巻少尉は暗い気持ちになった・しかし、どっちにしても行こう、と彼は決心
 した。

「まあ、心配するな」 :午前7時〜午前7時45分
・オアフ島の北端、カフク岬の近くにあるオパナ陸軍レーダー監視所は平和な朝を迎えた。
 ジョセフとジョージの両二等兵は、午前4時から7時までのあいだに、25回の飛行機
 探索を行った。だが、この日曜日も無事平穏だった。
・オパナ監視所は、オアフ島周辺の戦略地点につくられている五つの移動基地の一つであ
 る。この組織は、240キロ以内に入った飛行機は、全部、探知することができた。
・最初は午前7時から午後4時までが勤務時間だった。ところが11月27日のワシント
 ンからの警告以来、毎朝4時から7時まで勤務することになってしまった。ショート中
 将が、この時間が危険だ、と判断したからである。  
・オパナ監視所では、すべてがのんびりしていた。五つの監視所の中では一番はずれにあ
 り、六人の要員たちは適当によろしくやっていた。
・二人は12月6日の正午から勤務についた。任務は二つであった。45口径のピストル 
 一挺と弾丸七発でレーダー装置を守ることと、翌朝の4時から7時までの索敵である。
 翌朝、6時45分ごろ、レーダーの画面が1、2回ちらちらとゆれた。明らかに約50
 キロ北方から二機の飛行機が接近していた。がそれだけのことだった。6時54分に、
 陸軍司令部譲歩部から、そろそろ仕事を片付けようと電話で言ってきたが、二人はあわ
 てなかった。
・7時になっても、オパナ基地のロッカード、エリオット両二等兵にとっては、たいして
 変わりはなかった。7時2分、エリオットが坐って機械をいじりはじめた。ロッカード
 が彼の肩によりかかって、映像面にあらわれるさまざまな反響や斑点を説明しはじめた。
 突然、ロッカードがこれまで見たこともない大きな斑点が現われた。あまり大きいので、
 彼は、機械がこわれたのだと思った。
・ロッカードはエリオットを押しのけて、自分で機械を調節してみた。急いで調べてみた
 が、機械には異常がない。とすると、これは飛行機の大編隊だ。7時6分、エリオット
 は情報部の図板係と直結している専用電話にとびついた。息もつかずにエリオットはニ
 ュースを吹き込んだ。「ものすごくたくさんの飛行機が北から侵入してきます。東方3
 度です」
・斑点は前よりも大きく見える。距離もぐんぐん縮まっている。少なくとも50機異常が
 ほぼ時速290キロでオアフ島に向かっているにちがいない。ロッカードは「おれは、
 こんなに多くの飛行機、こんな大きな斑点をレーダーで見たことはない。だから、ぜひ
 タイラー中尉に直接話したい」と申し入れた。
・タイラー中尉は受話器を取り、辛抱づよく耳を傾け、ちょっと考えた。彼は空母が出港
 しているのを記憶していた。すると海軍機かもしれない。「空の要塞」かもしれない。
 どっちにしても友軍機だ。それ以上の議論を打ち切って、彼はロッカードに言った。
 「まあ、心配するなよ」ロッカードは、もう続ける気がしなくなった。機械を閉めちゃ
 ったほうがましだ、と思った。
・タイラー中尉は、オパナからの報告については、何の不安も持っていなかった。そして、
 彼自身は 知らなかったのだが、少なくとも一つの理由で、彼は絶対に間違っていなか
 ったのだ。ラジオがB−17が米本土から飛んで来ると放送したことである。事実この
 とき、B−17が13機、北東から近づいてきていたのである。
  
・渕田美津雄中佐は、もう目的地は近いはずだ、と思った。もう一時間半近くも飛んでい
 るのだ。眼下には見渡す限り厚い白雲がひろがり、風向きを知ろうにも海面が見えなか
 った。彼は無線方向探知機のスイッチを入れた。ホノルルの早朝放送が飛び込んできた。
 アンテナをまわして方向と位置を確かめると、予定のコースから5度ばかりそれていた。
 彼は方向を修正し、僚機もこれにならった。
・あたり一面の友軍機だった。彼につづく48機の水平爆撃機。左方わずか上には、高橋
 赫一少佐の指揮する51機の急降下爆撃機。右方わずか下には、村田重治少佐の雷撃機
 40機。はるか上空には、板谷茂少佐の指揮する戦闘機40機が護衛していた。爆撃機
 は高度2700メートル、戦闘機は高度4600メートルで飛んでいた。
・この幸運の飛行に敬意を表すかのように眼下の雲が切れ、目の前に、白波の帯にふちど
 られた、ゴツゴツした緑の海岸線が見えてきた。オアフ島のカフク岬である。水平爆撃
 機搭乗の橋本敏男大尉は、この眺めにうっとりしていた。別世界を見るようだった。誰
 も保存しておきたくなるような光景だった。彼はカメラを取り出し何枚か写真を撮った。
・いよいよ攻撃にうつるときがきた。淵田中佐は困難な決断をしなければならなかった。
 計画は「奇襲成功」の場合と「奇襲不成功」の場合と、二通り用意してあった。「奇襲
 成功」の場合には、まず雷撃機が突入する。つづいて水平爆撃機、ついで急降下爆撃機、
 戦闘機はこのあいだ、上空で敵襲に備える。反対に、もし事前に敵に発見され「奇襲不
 成功」の場合は、急降下爆撃機と戦闘機が、まっさきに飛行場と対空設備を破壊、その
 後から雷撃機が抵抗のなくなったところを攻撃する。どちらの態勢をとるかを友軍に知
 らせるために、淵田中佐は信号ピストルを「成功」の場合は一発、「不成功」の場合は
 二度撃つことになっていた。
・しかし、困ったことに、淵田中佐は敵が気がついているかどうかがわからなかった。偵
 察機がこれを報告することになっていたが、まだ何も言ってこなかった。
 時間は7時40分、もう待つわけにはいかなかった。編隊は、すでにオアフ島の西海岸
 をかなり南下し、ハレイワの上空に達していたのだ。淵田中佐はカンで奇襲は成功だと
 判断した。彼は信号ピストルを年だして「黒煙信号」を一発撃った。急降下爆撃機は旋
 回しながら高度3700メートルまで上昇、水平爆撃機は旋回しながら1000メート
 ルまで下降した。一番乗りの栄誉をになう雷撃機は海面すれすれにまで高度を下げた。 
・全機が位置についたとき、淵田中佐は戦闘機隊がさっぱり反応を見せないことに気がつ
 いた。最初の信号に気がつかなかったのだろう、と思って、彼は、もう一発、黒煙信号
 を打ち上げた。今度は戦闘機に見えたが、同時に、急降下爆撃機もこれを見てしまった。
 そして、二発だから「奇襲不成功」だと判断した。とすると、彼らがまっさきに突入
 する番である。混乱のうちに、最高司令部があらつる局面を考えて綿密にねりあげた作
 戦は、どこかへ吹きとんでしまった。急降下爆撃機と雷撃機とが、さきを争って同時に
 真珠湾へ突入しはじめた。
   
「奴らがアメリカに腹を立てているってことも知らなかったよ」:午前7時55分〜8時
・一機の急降下爆撃機が島の南端にある水上機発着場に襲いかかってきた。フォード島の
 第二哨戒飛行隊司令部のライゼン中佐と当直将校は、だれか若い飛行士が例の「冒険低
 空飛行」をやっているらしいと思った。この不届き者の機体ナンバーを見ようとした。
 だが遅かった。「しまった。あれはジャップだ」ライゼン中佐は言った。
・さらに二機、うなりをあげて襲いかかってきた。こんどの狙いは完全だった。水上機発
 着場の端にあった大きな哨戒機格納庫が、木っ端みじんに吹き飛んだ。オボーン水兵は、
 うまいことを言った。「陸軍の奴め、混乱してやがる。それにしても、たいした奴らだ。
 本物の爆弾を飛行機に落としてやがる」彼はそう思ったのである。
・オアフ島の中央を走る峡谷の方から数機が低空で飛んできた。パール市の上空をすれす
 れで飛び越した。そこで分散して、二機は戦艦ユタの艦尾へ、一機は巡洋艦デトロイト
 の艦首へ、残る一機はローリーに向かってきた。魚雷が第二煙突の反対側に命中した。
 デトロイトは難を逃れたが、戦艦ユタは二発の魚雷をくらって全身をふるわせていた。
 五番目の飛行機は魚雷を無駄にせず、フォード島をかすめて機雷敷設艦オグラーラと巡
 洋艦ヘレナに向けて発射した。魚雷はオグラーラの艦底を完全につらぬいて、内側にい
 たヘレナのどまん中にめり込んだ。  
・6機か8機の雷撃機が東から低空で飛来、海面から15メートルの高さで戦艦群に突っ
 込んで行った。一同は、ちょっと驚いた。米国機が、そんな方角から飛んでくるのは、
 見たことがなかった。後部座席の銃手が機関銃の弾丸を浴びせてきたときには、もっと
 びっくりした。戦友の一人が、五番目に通り過ぎた飛行機から、胃袋に一発くらったと
 き、はじめてこれはほんものだと知った。
・戦艦列の北の端にいた戦艦ネヴァダでは、軍楽隊の指揮者マクミランが、8時の軍艦旗
 掲揚演奏のために隊員たちと待機していた。23人の隊員は、7時55分に用意の旗が
 掲揚されたときから位置についていた。整列したとき、隊員の何人かがフォード島の向
 こう側に数機が急降下しているのに気づいた。7時58分、軍艦旗掲揚はあと2分だ。
 数機が低空でサウス・イースト湾のほうから侵入してきた。重苦しい爆音が近づいてき
 た。しかしだれ一人気にもとめなかった。
・8時になった。軍楽隊は「星条旗よ、永遠たれ」を演奏しはじめた。日本機が一機、港
 をかすめて飛んできた。アリゾナめがけて魚雷を発射すると、ネヴァダの艦尾の上をす
 れすれに飛び去った。後方銃手が不動の姿勢の水兵たちに掃射を浴びせて行ったが、あ
 まり上手な射手ではなかったにちがいない。というのは、二列にきちんと整列した軍楽
 隊と義仗兵のだれにも当たらなかったからだ。ちょうど掲げかけていた軍艦旗をずたず
 たにしただけだった。 
・マクミランも事態をさとったが、しかしそのまま指揮をつづけた。長年の訓練がものを
 言ったのである。いったん国歌を演奏し始めた以上、途中で中止することなど思いもよ
 らなかったのだ。もう一度、銃撃を浴びせられた。今度はマクミランも、周囲の甲板が
 ビンビンいっているあいだ思わず手をとめたが、すぐにまたタクトをふりはじめた。軍
 楽隊は一度やめ、それからまた彼について演奏をはじめた。そういうふうに何週間も練
 習してきたようなあんばいであった。最後の音符が消えてゆくまで、隊列を乱す者は一
 人もいなかった。それからみな気ちがいのようにかくれ場所をさがして走った。
・戦艦オクラホマは、攻撃を受ける前に戦闘配置命令を出していた。しかし、大部分の艦
 の、甲板の下にいた連中は、まだ半信半疑だった。魚雷が命中したときでさえ、巡洋艦
 ヘレナの火夫メッシャーなどは、この警報はみんなを教会に行かせるための副長の計略
 にちがいない、と思い込んでいたほどであった。
・巡洋艦ニュー・オルーンズのフォーギー牧師も、誰かがヘマをやらかしたのだろうと思
 った。彼はまっすぐ無関心に、自分の持場である寝室のようへ歩いて行った。すぐあと
 から艦医が入ってきて、ためらいがちに言った。「牧師さん、飛行機がやってきたんで
 すよ。それがどうも日本機らしいんです」
・いまはもう全員が事態をさとった。あるものは世界的な視野において、あるものは無知
 な人間の器用さで。戦艦ウエスト・ヴァージニアの艦長ベニオン大佐は、部下に向かっ
 て静かに言ってきかせた。「日本軍の奇襲の歴史から見れば、これは当然のことだよ」
 駆逐艦モナハンのある水兵は、「まったくね。私は奴らがアメリカに腹を立てているっ
 てことも知らなかったよ」   
・警報は、戦艦オクラホマが5本の魚雷のうち、最初の1本を、戦艦ウエスト・ヴァージ
 ニアが6本のはじめの1本を、それぞれくらったとき、はじめて発令された。戦艦アリ
 ゾナは2発くらった。戦艦カリフォルニアにも2発。
・魚雷が自分たちの艦にめりこんだとき、兵員たちは折り重なって倒れたりしながら持場
 につこうともみ合っている最中だった。ジェンスン水兵は、最初の2発はどうやらこら
 えたが、つぎの2発で他の部屋まで吹き飛ばされ、5発目でついにノック・アウトされ
 た。
・一番ひどいのは戦艦オクラホマだった。2発目の魚雷が灯火を消した。つぎにきた3本
 が、左舷の残された部分を引き裂いた。  
・混乱の中で、ネヴァダをのぞいたたいていの艦では、朝の軍艦旗掲揚はやらなかった。
 やったところもあったが、ハショッたやり方だった。給油船YO−44号の隣の潜水艦
 では、若い水兵が司令塔から飛び出してきて、右舷の旗竿へ走って行った。ちょうどそ
 のとき、雷撃機が一機、轟音をあげて近くを飛び去り、後部座席の日本兵が銃撃を浴び
 せた。水兵は旗を抱えたまま急いで司令塔へ逃げ込んだ。ついで、どうやら旗を柱に結
 びつけたとたんに、別の飛行機が飛来して、彼を司令塔へ追い帰した。三度目に、よう
 やく彼は旗を掲げることができた。他の敵機がきて、また司令塔へ逃げ込む前だった。
 YO−44の乗組員たちは大喜びで、手をたたいてこれを応援した。
・海軍魚雷学校の教官をしているチャン一等雷撃兵曹が、サウス・イースト湾の狭い水路
 に次から次へと魚雷を投下していく日本機を見て、次第に高まる感嘆の念を押えること
 ができなかった。それを見なければならぬ怠け者の学生たちには、まったく生きたお手
 本だった。チャン一等兵曹は、即座にこれを教材に使おうと決心した。
・太平洋艦隊司令部では、マーフィー中佐に、一人の倉庫係下士官が部屋の外からどなっ
 た。「信号塔から、日本軍が真珠湾攻撃中。演習にあらず、という報告がありました」
・マーフィー中佐は、これを提督に伝え、それから通信将校を呼んで海軍作戦部総長、大
 西洋艦隊司令長官、東洋艦隊司令長官、それから海上にあるすべての部隊に、「真珠湾
 空襲さる。演習にあらず」と無電を打つように命じた。この報告は午前8時に発信され
 た。だが、ベリンガー提督が同じ無電を7時58分に湾内の全艦艇に打ったので、ワシ
 ントンではもうこのことを知っていた。     
・真珠湾の周囲の海軍住宅地の人たちも、この日曜日の朝の騒ぎは何事なのか、少しもわ
 からなかった。
・11歳のドンは、母親に何が起こったの、と聞いた。母親は、早く行ってジェリーを連
 れてらっしゃい、と言っただけだった。表にかけ出すと、数機の飛行機が屋根すれすれ
 に飛んでいくのが見えた。一機が、ほこりっぽい道路を銃撃した。小さな砂煙がパッパッ
 とあがった。ドンは、こわくて、それ以上行けなかった。家へ逃げ込んできたとき、隣
 家の海軍大尉がパジャマのまま草むらに立ち、子供みたいに泣いているのが見えた。
・ブロック提督の情報将校のメイフィールド夫人が、騒音が聞こえないように枕に頭をう
 ずめていた。が、枕は役に立たなかった。メイフィールド夫人は降参して目を開けた。
 日本人の女中フキコが入口のところに立っていた。両手でドアのわくをぎゅっと握って
 いるので、キモノの長い両袖が、彼女を蝶のようにおかしな恰好に見せていた。フミコ
 は何か言おうとしたが、騒音がそれをかき消してしまった。メイフィールド夫人はベッ
 ドから飛び起きて、彼女のほうに行った。「「奥さま」とフミコが言っていた。「真珠
 湾が火事です」 
・真珠湾の真南にあるヒッカム飛行場の航空管制塔では、ファーシング大佐が本土からく
 るB−17を待ち続けていた。そのとき、飛行機の細長い線が、北西から近づいてくる
 のが見えた。エワ飛行場からきた海軍機らしかった。それが急降下をはじめたとき、フ
 ァーシング大佐はバーソルフ大佐に向かって言った。「すごく実践的な訓練だな。こん
 な日曜の朝早く海軍機が軍艦に何をしようというんだろう?」
・同じショーを、近くの練兵場から眺めていたハリデイ軍曹は、フォード島の近くで大き
 な水柱があがるのを見た。彼は海軍が水中爆弾の訓練をしているのだと思い込んでいた。
 すると、一発が重油タンクに命中、煙と焔の雲があがった。誰だが知らないが、あの海
 軍の飛行士は気の毒なことになるぞ、と一人が言った。このとき、一機が突然ヒッカム
 飛行場に襲いかかってきた。胴体につけた日の丸が、きらりと光った。誰かが言った。
 「ほら、紅組が飛んでいくよ」つぎの瞬間、兵士たちは隠れ場を求めてクモの子を散ら
 すように散った。飛行機がハワイ空軍物資集積所の巨大な保護格納庫に爆弾を落としは
 じめたのだ。
・それがきっかけで、次から次へと爆撃機が南からヒッカム飛行場へ急降下してきた。こ
 れらの飛行機と、フォード島へ急降下しては反転している飛行機と、どっちがさきにヒ
 ッカム飛行場へやってきたか、誰も確信はなかった。まもなく、二つの飛行機群が、い
 っぺんに、どこもかしこも荒しはじめた。兵員や、きちんと土地に並んでいる飛行機を
 機銃掃射し、格納庫や建物を急降下爆撃した。
・兵員たちは、それぞれの持場につこうと、絶望的な努力をしていた。どうしても持場に
 つけない者もいた。クレイトン二等兵は機銃掃射で釘づけにされて、共同便所に飛び
 込み。鉄カブトのかわりに洗面器をかぶっていた。
・カソリックの神父の助手をしているネルズ一等兵は、ちょうど早朝のミサよりの帰り道
 だった。最初の考えたのは、教会の中の聖体を守ることだった。彼が逆戻りして回廊に
 ついたとたんに、教会は直撃弾を受けて吹っ飛んでしまった。
・真珠湾とヒッカム飛行場が爆発でグラグラゆれているとき、オアフ島の中央にあたる陸
 軍の戦闘機基地ホイーラー飛行場は、まだ静かだった。クロッセン曹長は、中央兵舎の
 三階にある部屋の窓からのぞくと、6機か10機の飛行機が一線になってコレコレ山道
 を抜けて西へ飛んで行くのが見えた。編隊は左に向きを変え、背景のワイアナエ山脈に
 溶け込んで見えなくなってしまった。ぐるりと一回りした編隊は、途中で北西からやっ
 てきた一群と合流すると、飛行場へ襲いかかってきた。
・住宅地域では、家族たちがパジャマや浴衣のまま裏庭に集まっていた。一人の男はバス
 タオルをまいただけで、大通りを駆け出して行った。将校クラブでは、ウェルッシュ中
 尉が電話をひっつかみ、空らのP−40のおいてあるハレイワの飛行場を呼び出した。
 はい、飛行機は大丈夫です、はい、ガソリンと弾薬を、すぐにつめます。ウェルッシュ
 中尉は、電話をおくと、ティラー中尉の車に飛び乗って、ハレイワ飛行場へ全速力です
 っ飛ばした。ゼロ式戦闘機が、それを追って機銃掃射を浴びせかけてきた。
・19キロ離れたクーラウ山脈の反対側、オアフ島の風上では、マックリモン少佐が、カ
 ネオヘ海軍航空基地の診療所の上を数機が低空で飛び去るのを聞いた。部屋にいた者が、
 陸軍の演習だろう、と言った。マックリモンは、もっとよく見ようと起きあがった。3
 機が、がっちりと編隊を組み、木の高さすれすれの低空を、発煙弾をうちながら飛んで
 いた。1機が、身許を示す日の丸をきらりと光らせて飛び去った。これを見たマックリ
 モンは、下士官に、「真珠湾に電話して応援を求めろ」と命じた。真珠湾は、今日はと
 ても手の貸せない日だ、という返事だった。つぎにマックリモンは妻に電話して、仕事
 が終わっても車で迎えにこなくてもいい、ここはいま攻撃されているのだ、と話した。
 妻は陽気に答えた。「いいから帰っていらっしゃい、そうすれば何でも許してあげるわ」
・5人の飛行士がウイリス少尉の車にすしづめになって格納庫へ向かった。機銃弾が車の
 屋根をつらぬき、5人は車から転がり落ちた。車が大丈夫だ、というので、また乗り込
 んだ。ようやく格納庫へたどりつくことができた。5人が車から降りたとき、また掃射
 されてガソリンタンクが燃え上がった。しかし、そんなものは、彼のまわりで燃えてい
 るものに比べれば問題ではなかった。哨戒中のPBY機3機をのぞいて、カカネオヘ基
 地の全機、33機の飛行機が燃えているのだ。
・真珠湾の西の海軍基地、エワ飛行場でも、話しはまったく同じだった。21機のゼロ戦
 がワイアナエ山脈を越えて殺到、基地を掃射しはじめた。一部は、きちんと列をつくっ
 て並んでいる飛行機をねらい、他は格納庫や滑走路をめざした。49機のうち33機が
 燃えるガラクタになった。
・真珠湾で働く民間建設業者の現場監督ダンカンは、トミー・トマーリンから飛行機操縦
 のレッスンを受けていた。トマーリンは島内飛行家で、彼の横に坐って操縦を教えてく
 れた。この日はダンカンのハワイ横断練習飛行の日だった。二人はフイ・レレ飛行クラ
 ブの黄色い軽飛行機に乗って、島のまわりを、のんびりと飛んでいた。カフク岬の近く
 にあるモルモン教寺院の上をすぎたとき、機関銃を射つ音が聞こえて、機がぐらりと大
 きくゆれた。ついで、また同じことが起こった。最初ダンカンは、いたずらな陸軍の飛
 行士が、おどかそうとしているのだろう、と思った。しかし、赤い発煙弾が彼をめが
 けて降りそそぐのを見、機体にブスブス突き刺さる音を聞くと、さすがの彼も考えを変
 えた。 2機が下方から襲いかかってきた。敵機が射撃をしながら、あまりすれすれに
 通ったので、そのあおりをくらって、機体が大きくゆれにゆれた。つぎには、反転して
 上から襲ってきた。そばをかすめるとき、ダンカンははじめて翼に緋色の丸が描いてあ
 るのを見た。これほど大きく見えたのは、いままでになかった。ダンカンは海岸線へ急
 降下した。海岸すれすれにまでせまっている絶壁のかげにかくれようと思ったのだ。こ
 れは名案だった。日本機は一、二回旋回してから、真珠湾へ向かう大編隊に合流するた
 めに飛び去った。  
・もう一人のアマチュア飛行家ヴィトセック弁護士も、ジョン・ロジャーズ空港の上空で
 同じような災難にあった。彼も早朝の一飛びを試みようと、息子のマーティンをつれて
 軽飛行機で飛び立ったのであった。二機がヴィトセックの後方から飛んできた。彼はエ
 ンジンを全開して海のほうへ逃げた。まさか彼を捕えるために、それほどの手間をかけ
 まい、と望みながら。彼は正しかった。二機の日本機は、彼におざなりの掃射を浴びせ
 ておいて、ジョン・ロジャーズ空港に機首を転じた。
・空港は平常の業務を行うために最善をつくした。出発係がマウイ行きの島内千の出発の
 アナウンスをすると、乗客たちは、いつものようにぞろぞろと改札口を通って行った。
 そのなかに、ホノルルへ仕事できていたマウイ島の医師ホーマー泉博士もまじっていた。
 友人のジョンスン博士夫婦が見送っていた。客室の窓越しに、別れの手を振りながら泉
 博士は、アンドリュー航空会社の格納庫から誰かが飛行場を横ぎって走ってくるのに気
 がついた。飛行機のドアが開かれ、乗客は全部外へ出るように言われた。泉博士は飛行
 機から降りてジョンスン夫婦のところへ戻って行った。また銃撃があって、民間飛行士
 が死んだという。ジョンスン夫婦は泉博士に、車で家へ行こうとすすめた。だが彼は、
 そんなことは何でもない、飛行機は、じき出発するにきまっている、と考えた。泉博士
 の推測はまちがっていた。飛行機は、修羅の巷になった。煙、機銃弾、あたり一面の掃
 射である。一台の大型機が爆音と轟かして海のほうから向かってきたとき、博士は駐車
 場のまんなかの松の木の下へとびこんだ。マウイを出た日に息子のアレンにさよならの
 キスをしておけばよかったな、と思った。
 
「奴らに何か投げつけずにゃいられないんだ」 :午前8時〜午前8時30分  
・戦艦メリーランドの艦首では、ショート水兵は、フォード島に急降下する飛行機を二度
 見かけると、使える機関銃を装填し、サウス・イースト湾からすべりこんできた最初の
 雷撃機めがけて射撃をはじめた。
・それより北の駆逐艦泊地では、一等砲術兵曹ボウが12.7ミリ口径の機関銃をつかみ
 駆逐艦タッカーの後甲板から反撃を加えはじめた。船橋の近くを掃除していたジョンス
 ン水兵も同じように射撃を開始した。サレット水兵は、ジョンスンの銃から出た弾丸が
 近くをかすめた雷撃機に穴をあけ、後方銃手が座席のなかに崩折れるのを見て、映画み
 たいだな、と思った。   
・戦艦ネヴァダの見張り台では、ふだんあまり役に立たないと思われていたある水兵が、
 7.6ミリ口径機銃をつかんで、まっすぐに向かってくる雷撃機に反撃を加えはじめた。
 これも時をかせぐには大切なことの一つであるはずである。
・あちこちで発砲しはじめたが、最初は気の毒なほど少なかった。
・ある艦では幹部がまだ上陸していた。戦艦の艦長のうち5人、駆逐艦の将校の半数が艦
 にいなかったのである。  
・駆逐艦バグレーでは、12.5センチ砲の砲員たちが低空でくる戦闘機を狙い撃ちして
 いた。サレット水兵が引金を引いた。だが、敵機は、ゆうゆうと飛んで行った。
・巡洋艦ホノルルでは誰かが艦尾の砲身を指さしてどなっていた。砲栓、使わないとき、
 砲身にフタをするための飾りのついた真ちゅうの栓、がはずしていなかったんだ。とこ
 ろで、ホノルルの船尾の砲塔の砲員たちは砲栓を忘れていたわけだが、これは問題では
 なかったようだ。というのは最初の一弾が砲栓を吹き飛ばしてしまったからである。し
 かし、砲員はそのまま戦いつづけた。
・戦艦列では兵員たちが生きるか死ぬかの戦いを続けていた。また一機、戦艦ネヴァダに
 向かってきた。また艦首の機関銃が火をふいた。また敵機がぐらりと傾き、そのまま機
 首をあげることができなかった。敵機が艦尾の浚渫管の横の海面に突っ込むと、水兵た
 ちは気ちがいのように喜んだ。搭乗員は、はっきりと見えるほど顔をあげて、狂気のよ
 うに艦から遠ざかろうともがいていた。マクダニエルに二等水兵は魚雷の銀色の航跡が
 左舷へ突進してくるのを見つけていた。彼は映画で見た船が雷撃されるシーンを思い出
 し、ネヴァダも真っ二つに裂け、火焔に包まれて沈むのかな、と半ば期待した。しかし、
 そんな工合にはいかなかった。ほんのちょっと震えて、左舷に少し傾いただけだった。
 ついで右舷の対空砲火指揮所に爆弾を一発くらった。
・ネヴァダの前にいた戦艦アリゾナの将兵たちは、考えるひまもなかった。工作艦ヴェス
 タルの内側にいたのだが、ちっぽけな工作艦では、たいして盾の用をなさなかった。す
 でに魚雷が一発命中した。ついで、淵田中佐指揮の水平爆撃機群から降りそそがれる鋼
 鉄の雨を防ぐすべもなかった。一発の大型爆弾が 四番砲と六番砲のあいだのボート・
 デッキを破壊した。爆弾は、まるで野球のフライのようにゆっくりと落ちてきたので、
 対空砲火指揮所に立っていたロット水兵は、手をのばせばつかまえられそうな気がした。
 さらに一発が四番砲塔に命中した。
・ウエスト・ヴァージニアの前方、メリーランドの外側にいた戦艦オクラホマは、サウス・
 イースト入江からまっすぐのところにいたため、すぐに三発の魚雷を食い、左舷から傾
 いたところを、さらに二発見舞われた。奇妙なことに、乗組員の多くは魚雷には気がつ
 きもしなかった。    
・オクラホマより数百メートル前方、戦艦列の南端に一隻だけぽつんと碇泊していた戦艦
 カリフォルニアは、第一番目の魚雷を8時5分に受けた。手旗信号室にいたコンナー兵
 曹は、魚雷が走ってくるのを見ていた。彼の真下に魚雷が命中したとき、兵曹は窓をし
 めた。もう一発、艦尾よりに命中した。
・モルター兵曹長は、フォード島のバンガローから、オクラホマが次第に腹をかえしてゆ
 くのを見ていた。さも疲れ切って休みたいとでもいうように、ゆっくりと、重々しく底
 が上になり、マストと上部構造を泥のなかに突っ込むまで、寒は横転をつづけた。巨大
 な鯨が死んで海のなかに横たわっているようだった。最初の魚雷が命中してから、たっ
 た8分しかたっていなかった。 
・アリゾナでは、一発の燃えるようなきらめきが数百人の生命を奪った。左舷の対空砲火
 指揮所では、一人の照準手が文字どおり消えてしまった。第二甲板に集まっていた軍楽
 隊員は全部消えた。
・アリゾナが爆発したとき、戦艦メリーランドのノース電機兵曹長は、世界の終わりがき
 たのだと思った。実際には、彼は運がよかった。オクラホマの内側に碇泊していたおか
 げで、メリーランドは全然魚雷を受けず、爆弾を二発くらっただけだった。一発は尾び
 れのついた38センチ徹甲爆弾で、左舷艦首からちょっと離れて斜めに落下、吃水線か
 ら5メートルも下の船腹に命中した。もう一発は前甲板に落ちて、天幕が燃え出した。
・戦艦テネシーは、もっと被害が大きかった。バークホルダー水兵が船橋の窓から外を見
 ていたとき、数十センチ前の二番砲塔に46センチ改造爆弾が一発落ちた。もう一発の
 徹甲爆弾が、ずっと後甲板 より三番砲塔をつらぬいた。
・フォード島の同じ側にいた艦のうち、水上機母艦タンジールと巡洋艦デトロイトは、ま
 だ無傷だったが、巡洋艦ローリーは、ひどく左舷に傾いていた。 
・観が繋留されていたフォード島事態も混乱のただ中にあった。日本の戦闘機が盛んに銃
 撃しており、大部分の人は、できるだけ身体を小さくしようと骨折っていた。彼らは、
 唯一の望みは小銃を二、三丁手に入れて北の海峡を泳いで渡り、山に穴を掘って解放の
 日を待つことだ、とさめていた。  
・小さな砲艦サクラメントは乾ドックから出たばかりだった。そして、乾ドックの規則に
 したがって弾薬庫の大部分は空っぽだった。
・水上機母船スワンは7センチ砲二門を発射していたが、上甲板に積むはずの新しい砲は、
 まだきていなかった。
・あまりの無力さに、多くの者の恐怖は、いまや憤怒に変わった。海軍気質そのままのカ
 リー中佐は、給油船ラマポの艦橋に立って、涙が頬を流れるにまかせながら、45口径
 のピストルを射ちまくっていた。
・巡洋艦ニュー・オルーンズでは、一人の先任一等警査がこれも45口径を射ちまくりな
 がら、もどってきて勝負しろ、とどなっていた。潜水艦基地のそばでは、二連発の散弾
 銃を射っている男があった。   
・10−10ドックの上では、若い水兵が小銃で敵機をねらっていた。七歳くらいの日系
 アメリカ人の少年が、煙草に火をつけてやっていた。短くなった煙草が彼の唇を焼いて
 いたが、気がつきもしなかった。射ちまくりながら彼は大声で叫んだ。「いまのおれの
 姿を、おふくろに見せたいよ!」
・10−10ドックのすぐ下では、戦艦ペンシルヴァニアと駆逐艦カッシン、ダウンズが、
 不吉にも無傷で一号乾ドックにおさまっていた。
・駆逐艦モナハンは、他の艦よりいくらか有利な立場だった。応急出動可能の駆逐艦とし
 て、もうとっくに火をたきはじめ、7時50分から蒸気をあげていた。ほんの数分で艦
 を発進させることができたであろうが、こんなときには、その数分間が永遠のように思
 えた。 
・駆逐艦ヘルムは唯一の行動中の艦だった。最初の爆発のあと、キャロル中佐は急いで総
 員配置命令を出し、西の入江からくるりと方向転換して、すぐにも行動を起こす用意を
 整えていた。ハンドラー操舵手をふり向いて、中佐は言った。「艦を出せ、私は砲手の
 指揮をとる」ハンドラーは一人で艦を動かしたことがなかった。水路は油断ならず、ス
 ピード制限は14ノットで、いつも最古参の操舵手が舵をとった。ハンドラーは舵輪を
 にぎり、機関室に、毎秒回転数4百、と命じた。機関室は聞き返してきたが、彼は命令
 をくりかえした。艦は、すごい勢いで飛び出し、27ノットで水路を下りはじめた。
・ハンドラーは、もう何にでもぶつかれる勇気が出ていた。だから8時17分に日本の小
 型潜水艇と鼻を突き合わせたときも、苦もなく処理してしまった。彼はヘルムが港口か
 ら飛び出したときにそれを見た。最初に潜望鏡、つぎに司令塔が見えた。右舷の艦首か
 ら約千メートルのところ、ブイの近くのサンゴ礁付近で浮き沈みしていた。ヘルムは発
 砲したが、どうしたことが命中しない。ついに、サンゴ礁から離れて姿を消してしまっ
 た。ヘルムは司令部に打電した。「日本の小型潜水艦、水路内に侵入中」真珠湾じゅう
 の艦艇に、これをしらせる信号旗がひるがえった。
・ヘルムが港口沖を哨戒しはじめたとき、ハンドラー操舵手は、大型陸軍機が数機、ヒッ
 カム飛行場の上を着陸しようとして旋回しているのに気がついた。日本機が八方から食
 いついてきた。ハンドラーは銃弾がデカい金属の図体を引き裂くのを見た。だが操縦士
 連中は、日常茶飯事のように仕事をやりつづけていた。
・このB−17は本土からやってきたところだった。ランドン少佐指揮の12機である。
 飛行時間14時間は、当時としては長いものだった。ガソリンを節約するために、編隊
 を組まず、バラバラに飛んできた。おまけに、まったくのハダカで、弾薬も装甲もなか
 った。機関銃は濃い油でサビどめしてあった。それでも、何機かのB−17はかろうじ
 てオアフ島に着陸した。   
・バーセルメス中尉機は、搭乗員の一人が間違ってスイッチにさわったため、進路がずっ
 と北にそれてしまった。気がついたときには、燃料計の針はゼロのところでゆれていた。
 バーセルメス中尉がやっとのことで機を南に転じ、午前8時ごろオアフ島に近づくと、
 突然12機か15機の大きな日の丸をつけた軽飛行機にとりかこまれた。
 偵察機はB−17の上下左右を飛び、明らかに大型機をかこんで護衛しているようだっ
 た。爆撃機の搭乗員はほっとして、安全ベルトをはずした。機が針路をそれて以来、つ
 けっぱなしだったのだ。彼らは感謝のしるしに手を振ったが、向うの連中は明らかに忙
 しすぎて返事する余裕などないらしかった。
・同じころ、ランドン少佐も北から飛んできた。途中、大部分は搭乗員の一人に練習のた
 めに操縦させてきたので、最後に少佐がかわったとき、機はオアフ島に240キロ北を
 西に向かっていた。少佐が機首を南に向けてオアフ島に近づくと、9機編隊が北にむか
 ってまっすぐ彼の方に飛んできた。しばらくの間、少佐も歓迎の連中だろうと思ってい
 た。突然銃撃とちらっと見えた日の丸とが、少佐に真実を教えた。彼は上昇して雲の中
 へ飛び込み、追撃をふり切った。
・B−17の大部分は、何の予告も受けていなかった。彼らは、さらに近づいた。眼下に
 惨状がひろがった。ブローレー軍曹は、ヒッカム飛行場で燃えている飛行機の列を見て、
 誰かノボせた戦闘機乗りが墜落して、他の機にみんな火をつけてしまったのかな、と思
 った。バーグドル中尉も、発煙筒と模擬爆弾で終る演習だろう、と考えていた。
・B−17は、航空管制塔に着陸の指示を要求しはじめた。平板な声が、ふだんと同じよ
 うに、風向、速度、着陸すべき滑走路を指示した。ときどき、その声が冷静につけ加え
 た。「飛行場は目下、国籍不明の敵機によって攻撃を受けている」
・アレン中尉が最初に着陸した。つぎはスワンソン大尉機、旋回して着陸しようとしてい
 るとき、日本機の一弾が無線室の照明弾を爆発させ、機は、たちまち火に包まれた。ど
 しん、どしんとバウンドしながら着陸した。燃えている尾部はちぎれとんだ。こんどは
 ランドン少佐が着陸する番だった。例の管制塔の鼻声が「西から東に向かって着陸せよ」
 と指示し、後方に日本機が3機いる、と簡単につけ加えた。    
・不必要な死傷者も出た。ある曹長は、自分の隊をしっかりまとめようという意向から、
 大兵舎の前に練兵場の端に部下を整列させた。この的は、見逃すにはあまりに誘惑的だ
 った。二機のゼロ戦が急降下して、兵隊たちに掃射を加えた。だが、どっちにしても大
 差はなかったようだ。まるで一人ひとりに興味があるといわんばかりだったからだ。一
 機のゼロ戦は電柱に登っていた電線工夫に襲いかかった。身体のそばの柱がピシピシい
 い出すと、彼は、あわてて鋲のついた靴を脱ぎすて、電柱を滑り降りた。他の一機は格
 納庫群をミシンのように縫い、角を曲がりかけていたトラックの運転台を真っ二つにし
 た。獲物を求めて、敵機は考えられないほど、低く降りてきた。
・あまりに夢中になって、飛ぶことを忘れてしまった飛行士もいた。駐車場をスレスレに
 かすめて、プロペラの端でアスファルトに傷跡をつけた。胴の下につけた燃料タンクが
 地面に触れてはずれ、駐車場に転がっていた。ようやく機首をあげたが、飛行場の向う
 の丘に突っ込んだ。 
・シャーウッド伍長はPXのかげから、一人の特務曹長が自転車に乗って気狂いのように
 走り過ぎるのを見た。頭を下げ、必死に足を動かし、45口径拳銃を空へ向けて射ちま
 くっている恰好は、どう見ても西部劇のカウボーイだった。
・銃が登場しはじめた。マクレオド軍曹は、練兵場に突っ立ってトンプソン小型軽機を射
 ちまくった。ハント軍曹は、兵舎近くの、爆弾がこしらえたばかりの穴に12.7ミリ
 口径機銃を12丁据えつけた。銃手は意外なところから現れた。一発の爆弾が営倉の一
 角を吹き飛ばし、囚人が皆飛び出してきたのだ。囚人たちはハント軍曹の方へ走ってき
 て、すぐ任務につきます、言った。彼もそう考えていたところだった。いつも困り者だ
 った連中も、危急の場合には一緒にいてもらいたい連中になるものだ。彼は、すぐにこ
 の連中を機銃につけせた。 
・ホイーラー飛行場にも「営倉の英雄」がいた。囚人は全部出てきて、そのうち二人は屋
 根の上に機関銃を据えるのを手伝った。中央兵舎では兵器室のドアがぶちこわされ、3
 丁の銃が、狭い裏庭のポーチから火を吹いていた。
・アンドルーズ二等兵は、はっきり目的を持っていた。ある軍曹が彼に、スコーフィール
 ド飛行場へ行け、と命じたのだ。彼は相棒と下士官住宅区域を通り抜け、銃撃の合間に
 走って出発した。一度、二人は空っぽの家の台所に飛び込んだ。弾丸がストーブをひき
 さいた。 
・二人はまた走り続けた。しばらしくして、フィリッピン人の女が、ちっちゃな赤ん坊を
 抱いてかけ寄ってきた。彼女もアンドルーズを教会で見たことがあり、赤ん坊に洗礼を
 してほしい、というのであった。彼は、なぜ自分でしないのかと聞いた。やり方を知ら
 ないから、と彼女は言った。そこで彼は一軒の空家に入り、蛇口をひねって見た(水は
 出なかった)。彼は冷たい水の入っているビンを見つけて、赤ちゃんに洗礼を授けてや
 った。母親はわっと泣き出して走り去った。
・ホイーラーとスコーフィールドに隣接する小さな町ワヒアワでは、ヤン夫婦が近くの爆
 発音に耳をすましていた。ヤン一家は朝鮮人で、住居に隣接する小屋で小さな洗濯屋を
 開いていた。突然、真珠湾からのびている道路の上に一機が姿をあらわし、銃撃の目標
 を探しているのが目に入った。ヤン氏は危険に気づき、としとった中国人の使用人以外
 は皆、家の中へ隠れた。老人は外にいて、平気でブル・ダラムを巻いていた。彼がタバ
 コをまき終える前に、敵機は老人を射ち倒した。彼は走り出て、老人を引きずりこんだ。
・いまや乱戦だった。ソレ弾丸がヒュンヒュン家の回りに飛んできた。一発が窓をくだき、
 他の一発が洗濯機にキズをつけた。もう一発はヤン夫人が立っていた近くのドアに穴を
 あけた。一家はアイロン台の下へもぐりこみ、ときどきあかり取りから飛行機をのぞい
 ていた。突然、耳が破れるような大きな音がした。一機の日本機が庭のユーカリ樹のて
 っぺんをかすめ、向かいのパイナップル畠に墜落した。日本機を撃墜したアメリカの戦
 闘機は山の方へ消えて行った。ウェルッシュ、テイラー両中尉がハレイワ飛行場に着き、
 愛機P−40を駆っていまや奮闘中だったのだったのだ。 
・13キロ離れたハレイワ飛行場では、他にも活発な動きがあった。二機のB−17が南
 からあらわれ、上空を旋回していた。チャッフィン大尉とカーマイケル少佐が、ヒッカ
 ム飛行場の残骸の中に着陸するのをあきらめたのだ。同じ理由で、ホイーラー、エワ飛
 行場を敬遠したのち、彼らは最後に、日本機が知らないらしいハレイワに着陸すること
 にきめた。小さな滑走路は360メートルしかなかった。たしかに魅力的ではなかった
 が、ガソリンが切れかかっていたし、他に方法はなかった。驚いたことに、二機とも完
 全に着陸をやってのけた。  
・どんなことだって起こり得た。発着場は地獄だった。急降下爆撃機は、くり返しくり返
 し、キチンと並んだ26機の哨戒機と湾の中に着水していた他の百機とに銃撃を加えた。
 着水機の世話をしていた数隻の小舟も、メチャメチャにされて、一人の男はカネオヘ湾
 を泳ぎわたって逃げなければならなかった。
・反撃する銃は一艇だけだった。飛行機需品係曹長フィンが発着場のはずれの訓示台の上
 に機関銃をすえていた。彼は、まわりの飛行機から燃え上がるガソリンの焔を浴びなが
 ら、敵機を射ちつづけていた。一弾が彼のカカトを射抜いた。が、彼は射ちつづけた。
・操縦士や搭乗員たちは、残された機を救おうと必死になっていた。マルウェイン少尉は
 トラクターを持ってきて、他の二人と一緒に、まだ燃えていない一機を救おうと、躍起
 となっていた。日本の戦闘機が一機、彼らの仕事をやめさせるために急降下してきた。
 残された一機の翼も、たちまち火に包まれた。
・午前8時15分ごろ、敵機は北へ飛び去った。静けさは何よりの休息だった。いままで
 のところ爆弾は落とされていなかった。誰もが、それはこのつぎだと知っていた。たし
 かに、8時半ごろ、9機の水平爆撃機が、ガッチリ編隊を組んで姿を現した。  
・海岸をわずか9キロ下った陸軍の戦闘機基地、ベローズ飛行場は、すべてがまだ平和だ
 った。巨大なB−17が一機、風下から800メートルの短い滑走路に降りようとして
 いた。リチャーズ中尉も、ヒッカムに降りたがらなかった爆撃機パイロットの一人だっ
 た。部下のうち三人はすでに負傷していた。そこで航空管制塔の勧告に従って、彼はベ
 ローズに着陸しとうと思っていた。ガソリンの切れかかった壊れた飛行機を操縦して、
 中尉は、できるだけ早く降りようときめ、風下から着陸することにしたわけである。
 9機の日本機が降下してきて、飛行場を掃射しはじめた。ここには対空砲火もなければ、
 飛べる飛行機もなく、どうすることもできなかった。
・上空では、志賀大尉がゼロ戦に乗ってエワ飛行場を掃射していた。彼は、破壊された飛
 行機のそばに立っている一人の水兵を見つけて、全砲門を開きながら急降下した。その
 男は身動きもしなかった。拳銃で射ち返してきた。いまでも志賀大尉は、彼が会ったア
 メリカ人の中で、最も勇敢な男だった、と思っている。
・志賀大尉はまた、B−17からも強い印象を受けた。彼は一機の巨大な爆撃機が、むら
 がりよるゼロ戦を振り切って、ヒッカム飛行場へ無事に着陸するのを見た。これから先、
 あの「空の要塞」は手強い敵になるにちがいない、と彼は頭に刻みこんだ。
・この訪問者たちの最大の驚くは、いまや活動しはじめた対空砲火だったろう。淵田中佐
 の率いる水平爆撃機50機が、長い一本の線になって南から戦艦列に接近したときは、
 まるで射的屋のおもちゃのアヒルみたいなものだった。だが、もし中佐がもう一度同じ
 ことをしたとしたら、この戦艦群も別の態度で迎えたにちがいない。
・目標に近づいたとき、淵田中佐は中隊の先頭機に場所をゆずった。この先頭機には特別
 に訓練された爆撃手が乗っており、彼が爆弾を落とすと、他の機もこれにならうことに
 なっていた。他の中隊も全部、同じようにやった。    
・編隊は飛びつづけた。戦艦ネヴァダが第一目標だった。誰もが先頭機が爆弾を落とすの
 を待った。ダメだった。おの大事な瞬間に、編隊は雲の中に突っ込んでしまい、やり直
 さなければならなくなったのだ。つぎの回には、ネヴァダの上には煙が多過ぎたので、
 淵田中佐は代わりにメリーランドを選んだ。今度は何も問題はなかった。先頭機が落と
 し、後続機がこれにならった。見おろして、三発命中したことを中佐は確認した。
・後続中隊を指揮していた橋本敏男大尉は、もっと困難な時間を過ごした。前を飛んでい
 る機のあおりで、編隊が、ともすればくずれがちだった。その上、先頭機が距離の計算
 を誤り、僚機にまだ落とすなと合図してしまったのである。もう一度、旋回をやり直し
 たとき、名爆撃手の梅沢兵曹が、すまん、すまん、と頭を下げていた。
・飛行機ではどうすることもできないような失敗もあった。彼らが持っていたハワイ地図
 は1933年製で、最新のものにしようという努力も、あまり成功していなかった。飛
 行場の活動の中心、司令部の建物は、「将校クラブ」となっていたため、全然攻撃を受
 けなかった。   
・空母「翔鶴」の冷静な航海将校、塚本方一郎中佐は米国機に襲われるのではないかと心
 配していた。彼は空母がどんなにいい目標であるかは知っていたが、アメリカが反撃す
 るための兵力がどんなに少ししか残っていなかったのを知らなかったのだ。
・呉軍港の旗艦長門の作戦室では、山本長官が、やはり真剣に戦禍を待っていた。山本長
 官が二本目の煙草を終わろうとしたとき、最初の報告が入ってきた。戦果が続々と入っ
 てくるにつれて、部屋にいた他の者は興奮してどよめいたが、山本長官は、ほとんど表
 情を変えなかった。
・誰かが、真珠湾行動中の敵艦についての米国側の報告を傍受した。「しめた!」と宇垣
 少将は叫んだ。「特殊潜航艇が侵入したにちがいないぞ」山本長官は、うなずいただけ
 だった。実のところ、彼はいまでも特殊潜航艇は失敗だったと思っていたのだ。開戦の
 当初に兵員を犠牲にすることは、人命の浪費ではないか。
・彼は正しかったようだ。確かに、酒巻少尉はどこにも着いていなかった。二度目に港口
 にもぐり込もうとしたとき、彼は乗組員の白い軍服が見えるほど哨戒中の駆逐艦に接近
 してしまった。発見されたことは明らかだった。数発の爆雷が潜航艇をメチャメチャに
 ゆすぶった。一発が酒巻少尉を気絶させ、船内は異臭と薄い白煙でいっぱいになった。
 気がついたとき、彼は損害を調べるために艇を後退させた。致命的なものはなかったの
 で、もう一度前進した。酒巻少尉によると、港口の外側のサンゴ礁付近で爆撃が終わる
 までの短い間、爆雷を落としている口機関に三度も突撃しようと試みた、という。
・しかし、米国側の記憶や記録には、このような勇ましい戦闘を示すものは何もない。ワ
 ードの6時45分の接触と、8時17分にヘルムが、サンゴ礁付近で豆潜水艦を発見し
 たこととの間には、潜水艦についての報告は一つもない。
・酒巻少尉が混乱したり思いちがいをしているのだとすれば、それは実によくわかる。艇
 内の空気は濁るし、蓄電池はもれている。それに煙はひどくなるばかりである。少なく
 とも、彼が見たと言っている一つのことに関しては、疑問の余地はない。一度、彼が潜
 望鏡を真珠湾に方へ向けると、まっ黒い煙が点に冲しているのを見たということだ。

「戦争にネクタイはいらんよ」 :午前8時30分〜午前9時45分
・最初に発見したのは機雷敷設駆逐艦ブリーズであった。この老朽艦が8時半ちょっと過
 ぎに、パール市沖の泊地から、フォード島西岸に浮かび上がった司令塔を発見したので
 ある。工作艦メデュサと水上機母艦カーティスも、それから数分後にはそれを見つけ、
 かくて同じ信号旗が三隻のマストにひるがえったわけである。
・駆逐艦モナハンは、すぐにこの警報を見た。信号兵がパーフォード中佐をふり向いて言
 った。「艦長、カーティスが、右舷に潜水艦発見、の信号旗を上げています」パーフォ
 ード中佐は、「たぶん何かの間違いだろう」と答えた。「わかりました。艦長、それで
 は、われわれの正面に見える、あの上下する二連銃みたいなものは何ですか?」艦長は
 煙をすかしてみてびっくりした。数百メートル先から小型の潜水艦が海面に姿を現して
 近づいていたのである。へさきには魚雷発射管が二本ついていた。それも、普通に横に
 並んでいるのではなく、上下に重なっているのだ。標準はモナハンにぴたりと合わされ
 ているらしい。
・もう誰もが発砲をはじめていた。8時40分、カーティスが司令塔に砲弾を叩き込んだ。 
 砲手に言わせれば「操縦士はバラバラになった」またモナハンの連中によると「上着の
 ボタンをちぎっただけ」だった。
・工作艦メデュサも発砲していたが、この大事なときに、一番能率のいい方の火薬昇降機
 がこわされてしまった。モナハンも敵潜めがけて突進しながら砲火を浴びせたが、一発
 も当たらず、沿岸の起重機に命中してしまった。 
・豆潜水艦も雷撃に失敗した。一発目の魚雷はカーティスをそれ、二発目は突進するモナ
 ハンをかすめてフォード島の海岸で爆発した。モナハンは司令塔をすれすれにかすめた。
 断乎たる一撃ではなかったが、敵潜水艦をキリキリ舞させるには充分だった。副水雷長
 ハードンは、深度9メートルに調整して爆雷を発射した。猛烈な爆風とともに潜水艦は
 木っ端みじんとなり、他の艦の甲板にいた者は、ほとんどが吹き倒された。
・いまや真珠湾全体がわきかえっていた。陽気さ、生意気さといったものまで見えはじめ
 た。15メートルのランチに乗った三人の男は、フォード島の近くで野菜でも売るみた
 いに、7.6ミリ口径と12.7ミリ口径の機銃弾を配って歩いていた。
・駆逐艦ホイットニーでは、大勢の水兵たちが正規の持場を抜け出し、射的屋の客みたい
 に機関銃のところで行列をつくっていた。駆逐艦ブルーの砲手が敵機を一機撃墜したと
 きには、みんなが仕事をやめて握手しながら踊り歩いた。
・巡洋艦ホノルルとセント・ルイスが一機を撃墜したとき、ホワイト機関兵曹は、この歓
 声は海軍が陸軍から得点をしたときみたいだ、と思った。実際に、巡洋艦ヘレナの砲手
 が一機落としたときには、イングリッシュ艦長が船橋から大声で叫んだものである。
 「海軍チーム、タッチダウンで一点!」   
・しくじりもあった。駆逐艦アルゴンの砲手たちは自分の艦のアンテナを吹き飛ばし、も
 う少しで第14海軍区の信号塔をやっつけるところだった。つぎには、発電所の煙突に、
 ぽっかりと穴があいてしまった。
・しかし、そんなことは問題ではなかった。この瞬間、すべてのものの念願にあったのは、
 砲を射ちつづけること、ただそれだけだった。
・戦艦テネシーの12.5センチ砲は、あまりつるべ射ちしたので、過熱した砲身から塗
 料が べろべろにはげ落ちてきた。
・午前8時40分、島崎繁一少佐が第二次攻撃隊を率いて目的地に到着すると、今度は本
 式のお出迎えを受けた。今度は雷撃機はふくまれず、水平爆撃機54機、急降下爆撃機
 80機、それに戦闘機36機から成る大編隊だった。水平爆撃機はヒッカム、カネオヘ
 両飛行場に集中攻撃を加え、急降下爆撃機は無傷の目標を求めて真珠湾に襲いかかった。
・戦艦メリーランドと巡洋艦ヘレナに積み込まれたばかりの27.9ミリ口径機関砲が活
 動しはじめ、たちまち3機を叩き落とした。    
・急降下爆撃機が一機、フォード島の近くに落ちた。もう一機、ネヴァダの近くの主水道
 に墜落した。また一機、こんどはパール市沖の機雷敷設駆逐艦モンゴメリーからあまり
 遠くない海面に墜落した。操縦士は翼の上に坐っていたが、救われることを拒んだ。ボ
 ートが横づけされると、いきなりピストルをかまえた。だが、ピストルを使う機会はな
 かった。
・怒りと興奮にかられて、兵員たちは、空を飛ぶものなら何でも手当たりしだいに射ちま
 くった。このことはヒッカム飛行場に入ってきたB−17の編隊の連中も同様だった。
 日課の偵察飛行のため、フォード島へ飛んできた空母エンタープライズの艦上機18機
 も、やはりこのことを身をもって体験した。
・大空母エンタープライズは、午前7時半にウェーク島から帰着するはずだった。だが、
 海が荒れて護衛の駆逐艦に給油ができず、6時15分には、まだオアフ島の西方320
 キロの地点にいた。そこで、いつものように早期偵察機が飛び立った。第六偵察中隊の
 13機、第六爆撃中隊の4機、それに偵察機が1機それに追加された。偵察機は艦の前
 方180度の扇形地域内を哨戒して、フォード島に着陸予定だった。
・偵察機は飛びつづけた。午前8時頃だったが、ゴンザレス少尉が無線でこうどなってい
 るのを彼らは耳にした。「おれは友軍機だ!」それっきり彼の姿を見たものはない。
・パトリアーカ中尉の哨戒機はカウイ島の北へ向かっていた。8時少しすぎ、オアフ島の
 方へ向きを変えると、遠く北のほうで数機が旋回しているのに気がついた。演習中の陸
 軍機のようだった。オアフ島まで達して、彼は真相をつかんだ。猛スピードで海上へ脱
 出しながら、くりかえしくりかえし、彼は無線で叫んだ「真珠湾は攻撃を受けつつあり。
 詳細は不明!」彼は急いでエンタープライズへ機首を向けたが、空母はすでに無線管制
 をしき、進路を変えて姿をかくしてしまっていた。ガソリンを使い果たして、パトリア
 ーカ中尉は、カウイ島の道路に不時着した。
・この警告は、数人の飛行士たちにとって、若干手遅れだった。早くも日本の戦闘機は、
 マッカーシー、ヴォート、ウィリスの各少尉機を取り囲んでしまったのだ。生きて逃れ
 たのは、マッカーシー少尉だけだった。ゼロ戦がディッキンスン中尉機を捕らえた。同
 乗兵は射たれたが、中尉はパラシュートで飛び降りおりた。
・診療所は、たちまち忙しくなった。負傷者は内庭に集められた。14歳ぐらいの若い少
 女が、負傷者の名前を聞こうと歩きまわっていたが、どうしても見るにたえない様子だ
 った。     
・信号塔ではデラーノ少尉が、司令塔の前部で遊んでいる2挺の機関銃を点検した。使え
 そうだったので、若い将校を一人と水兵一人、食事当番ミラーの三人を要員としてかり
 集めた。最初の二人に射たせ、ミラーには弾丸を運ばせればいい、と考えたのである。
 やがてデラーノが見ると、ミラーは機関銃手の一人と交替して、いかにも幸福そうに射
 ちまくっていた。この大男の給仕は、機関銃の訓練など全然受けていないかった。だか
 ら見ていた一人は、日本機よりもよっぽど恐いぞと思った。
・とつぜん、戦艦ネヴァダが動きはじめ、港を横ぎって出撃して行くのであった。ネヴァ
 ダは水道を下り、燃える残骸のあいだを抜けて、堂々と海へ向かって行った。まったく
 信じられぬことに思われた。戦艦がボイラーに火を入れるには2時間半はかかるし、艦
 の向きを変えて流れに引き込むには4隻の曳船が必要だし、さらに、この複雑な仕事を
 指揮する艦長が必要なのである。ネヴァダは動き出したのである。45分でボイラーを
 たき、曳船なしで向きを変え、おまけに艦長もいなかったのだ。どうして、そんなこと
 ができたのか?
・いくつかの好条件はあった。蒸気をたくには普通2時間半かかった。だが、二つのボイ
 ラーは、すでに熱せられていた。一つは碇泊中の動力を供給するためだった。二番目の
 ボイラーは、トーシッグ少尉が平和なときの最後の見張りについたとき、あとで切替よ
 うと思って火を入れておいたのである。彼の才能は報いられた。二つのボイラーには蒸
 気が満ちていた。ネヴァダは火を入れてから出撃するまでに1時間半しかかからなかっ
 た。機関室の懸命な努力が、この差を生んだのである。
・艦を出すのには、ふつう4隻の曳船が必要のはずだった。しかし、危急の場合には敏腕
 な操舵手が、これに代わることができるのである。ネヴァダには、とびきり優秀な操舵
 手がいた。セドベリー主操舵手である。
・全体の指揮についても同じことだった。スキャンランド艦長も副長も上陸していたが、
 トーマス少佐がこれに代わった。中年の予備士官で、在艦の先任将校だった。
・こうしてネヴァダは出撃した。効果は電撃的だった。どこに立って眺めているにせよ、
 男たちの胸は次第に高鳴った。大部分の者にとって、ネヴァダの姿は、この日最高の見
 ものだった。   
・ネヴァダがスチームを上げると、あたかも真珠湾にいた全日本機が襲いかかってきたよ
 うに見えた。急降下爆撃機の一編隊が巡洋艦ヘレナへ向かう途中で、方向転換してネヴ
 ァダに襲いかかった。他の編隊も一号ドックを越してやってきた。たちまちネヴァダは、
 自分夫対空砲火の煙と、命中した爆弾の煙と、艦の中央や前部で荒れまわる焔のけむり
 とで何も見えなくなった。ときどき、至近弾の立てる巨大な水柱のかげて、ネヴァダの
 姿が見えかくれした。つぎに右舷を襲った命中弾が、一つの砲塔を兵員を皆殺しにし、
 艦首寄りの他の砲塔の連中を大部分なき倒した。
・日本機は明らかにネヴァダを水道の入口で撃沈し、全艦隊を罐詰にしようとしていた。
 ネヴァダが浮きドックの反対側に達してときには、それが成功しそに思われた。海軍区
 給水塔の上に信号旗があがった。「水道から離れよ」命令は命令だった。トーマス少佐
 はエンジンを切って、南岸のホスピタル岬のほうへ向けた。風と潮流が船尾をとらえて、
 ネヴァダは完全に一回転した。30分前に艦を切り離したヒル兵曹長が、錨をおろすた
 めに艦首へ出て行った。そのとき、最後の総攻撃の波がネヴァダをめがけて急降下して
 きた。艦首の近くに三発命中した。爆発のなかにヒルの姿は消えた。
・日本機の大部分が、こんどはフォード島の反対側、パール市沖に碇泊していた水上機母
 艦カーティスをねらっていた。すこし前にカーティスは爆撃機を一機、抱きとっていた。
 右舷の水上機クレーンに突っ込んできたのである。あるいは、この戦争初期の「カミカ
 ゼ」だったのかもしれない。どちらにしても、カーティスは大火事を起こした。新しい
 獲物にうえている日本機のパイロットたちは、これに魅力を感じたらしい。
・包囲攻撃を受けている巡洋艦ローリーでは、シモンズ艦長が、9時1お分に自爆機がカ
 ーティスに突っ込むのを見、同じ編隊の他の爆撃機が自分の艦に爆弾を二発落とすのを
 眺めていた。一発は外れた。二発目は完全なストライクだった。後甲板に立っていた二
 人に砲手のあいだに落ち、応急弾薬箱をかすり、木工室を通り抜け、下甲板の寝床に穴
 をあけ、重油タンクを貫通、艦の底を突き抜けて、海底の泥の中で爆発した。
・日本機は、少しも減らないようだった。フォード島の北端に駆逐艦と一緒に繋留されて
 いた駆逐母艦ドビンを、日本機は爆撃していた。
・病院船祖レースが、忙しくなる日の準備をしていた。大手術室では、ソーヤ看護兵が、
 掛布をひろげ、消毒液をふりかけていた。彼のそばには一人の看護婦が立って、時折、
 あけっぱなしの窓から、外で荒れ狂っている戦闘をのぞいていた。看護婦の一人は、日
 本機が撃墜されるたびに叫んでいた。「ウー、ウー、また一機やられたぞ!」
・道路の反対側の兵舎の近くでは、ヘイ軍曹が、ほっと一息ついてトミー銃をおろした。
 9時ごろ、彼は水平爆撃機がやってくるぞ、という声を聞いた。最初は何も見えなかっ
 た。やがて、南寄りのフォート・カメハメハの上空で対空砲火が炸裂するのが見えた。
 間もなく飛行機そのものも見え出した。高角砲の煙のずっと上に、豆のような斑点が散
 らばっていた。完全のV型編隊を組んでおり、決して列を見なさなかった。敵機が通過
 するのを眺めていると、かすかにカラカラといった音が、次第に大きくなってきた。
 彼は、あぶないぞ、と叫び、歩道を突っ切って兵舎の隣りの塵捨て場のなかに飛び込ん
 だ。15メートル以内に二発落ち、破片が頭上をヒュッとかすめた。
・何機がホイーラー飛行場から実際に飛び立ったかをきめるのはむずかしかった。ダヴィ
 ッドスン将軍は、全戦闘機隊の司令官だったが、14機と考えていた。空軍の記録によ
 ると、P40はゼロで、安物のP−36が一つかみほど出撃しただけだ、とある。たぶ
 ん将軍は弾丸を補給するために三回着陸して三回飛び立ったウェルシュ、テイラー両中
 尉を計算にいれたのであろう。    
・この二人は、いそがしい朝を過ごした。ハレイワ飛行場につくと、二人は愛機に向かっ
 て、まっしぐらに走った。命令をあたえるものも、機を整備するものもいなかった。二
 人をそのまま離陸した。   
・最初に、日本機が集まっているというバーバース岬へ行ってみた。一機もいなかった。
 ちょうどよかった。というのは彼らは弾丸を充分に積んでくる時間がなかったからであ
 る。二人はホイーラー飛行場に着陸して弾丸を補給した。9時までには、ふたたび離陸
 する用意ができた。そのとき、ヒッカム方面から7機の日本機が、最後の掃射を加えよ
 うとして突っ込んできた。ウェルシュ、テイラー両中尉は、すぎにP−40を離陸させ、
 まっしぐらに敵に向かって行った。二人とも、日本機がくる前に離陸した。反対に、
 P−40は、日本機の編隊のなかにもぐり込んで、二機を撃墜した。
・それから、ウェルシュ、テイラーはエワ飛行場に向かい、そこで急降下爆撃機があばれ
 ているのを見つけた。ピクニックのようなものだった。敵機の編隊のなかに飛び込んだ
 二人は、テイラー中尉が片腕を負傷して仕方なく着陸するまでに、4機も撃墜した。ウ
 ェルシュは残って、さらに一機を落とした。
・オアフ島の風上、ベローズ飛行場も応援しようとしていたが、数機の日本戦闘機がこれ
 を邪魔していた。9時ごろ、ホイットマン中尉が、はじめてP−40で飛び立ったが、
 たちまち6機のゼロ戦に撃墜された。つづいて日本機は、クリスチャンセン中尉が、ま
 だ離陸しないうちに襲いかかってきた。ビショップ中尉も離陸の直後に撃墜された。彼
 は海中へ突っ込んで、どうやら泳いでにげた。他のものが運だめしをするまえに攻撃は
 終わっていた。   
・カネオヘ飛行場の近くでは、一機も飛び立つことすらできなかった。戦闘機がしのこし
 たことは、水平爆撃機が全部引き受けた。
・9時30分に、急降下爆撃機が、また戻ってきたが、こんどは誰もが何かしら銃を持っ
 ているようだった。ワトスン航空機関兵は、7.6ミリ口径機銃を小脇にかかえて、自
 分が射たれてからもながいこと射撃しつづけた。突然、すべての銃火が一機の戦闘機に
 集中しはじめた。誰もが同時に同じことを考えたのであった。以心伝心というやつだ。
 煙が、その戦闘機から吹きはじめた。エンジンを全開にしたまま、それは降下してきた。
 リーズ少尉は、あのパイロットめ、気が狂ったのか、と思った。自分たちが本当に撃墜
 したのだとは信じられなかった。しかし本当だった。飛行士は機首を立て直すことがで
 きなかった。彼は丘の中腹に突っ込んで、ほこりと焔が空中に立ちのぼって、戦闘機は、
 ばらならになってしまった。
・5キロ離れたところでは、マックリモン夫人が家の横の庭に立って、飛行機がカネオヘ
 飛行場へ急降下するのを眺めていた。マックリモンは海岸に住んでいた。間もなく、
 27機の日本機が海岸沿いを飛んできた。あまり低空を通過したので、操縦士がまいて
 いる白いスカーフまで見えた。夫人の小さい息子は二人して盛んに手をふったが、操縦
 士は、みんな知らん顔をしていた。    
・アカラパの高級士官住宅区域では、メイフィールド夫人と女中のフミヨが隣のアール夫
 人の家へ行って、空襲が終わるまで一緒に腰をおろしていた。アール家の居間で、彼女
 らは大きな竹のソファをひっくり返し、あるだけのクッションを積み上げて、応急の隠
 れ場所をつくった。この仕事をしながら、フミヨが、そっと聞いた。「メイフィールド
 夫人、これは・・・私たちを攻撃しているのは、日本人なんでしょうか?」メイフィー
 ルド夫人は、できるだけやさしく、そうですよ、と答えた。
・軍人の家族たちが、知らず知らずに戦争に即応しているとき、ホノルル市民の大部分は、
 いつもの通りに生活していた。陸海軍と密接な関係にある人たちは、このころまでには
 事態を知悉していた。たが、ほとんど関係のない数千の人びとにとっては、世界は依然
 として平和だった。  
・人びとは、どういうわけか、最もやかましいヒントさえ無視した。この日非番のパット
 ン少尉は、友人と借りた釣り船で海に出ていると、一機の飛行機が近くの海中に突っ込
 んだ。彼らは事故だと思って、パイロットを助けるために舟を向けた。すると、もう一
 機が低く降りて来て、機関銃で掃射して行った。仲間の一人が負傷までしたのに、パッ
 トン少尉は寛大にもあの飛行機は自分たちの注意を最初の飛行機に向けるために機銃を
 射ったのだろう、と考えた。
・12歳の中国少年スティーヴンは、アレワ・ハイツの早朝のミサに出席していた。アレ
 ワ・ハイツの真上で二機の飛行機が空中戦を演じていた。だが、そんなのはいつものこ
 とだったので、そのことについては何も考えなかった。ミサの真最中に、両親たちがど
 んどん入ってきて、子供をつれて急いで出て行くのだ。彼は何か悪いことが起こったの
 だと知った。大人たちが、いかにも秘密ありげにささやいたり、何かしたりしているか
 らだ。ミサは終わった。いつもの讃美歌のかわりに、一同は立ち上がって、「星条旗よ
 永遠なれ」を歌った。 
・しかし、こんなことをすべて理解するのはスティーヴンにはむずかしかった。彼は友だ
 ちの家のほうへぶらぶら歩いて行った。すると、一台の飛行機がうなりをあげて空から
 襲いかかり、真珠湾に向かっている自動車を掃射した。スティーヴンは、きりきり舞い
 して、できるだけ急いで家へ駆けもどった。母親は彼の顔を見て喜んだ。彼女も、あち
 こちスティーヴンを探し歩いていたのだ。
・ホノルル中、いたるところで爆発が起こった。海軍工廠の工員4人が、ビルの一角で、
 37年型の緑色のパッカードに乗ったまま、粉々に吹き飛ばされた。同じ爆発で、玄関
 のポーチに坐って砲撃を眺めていた13歳のサモア少女が死んだ。
・ホノルル市民の多くは、あとになって、この爆発は爆弾だった、と信じていた。しかし、
 兵器専門家の慎重な調査の結果、ハワイ電力会社の発電所近くに落ちた一発を除いて、
 ホノルル市内に起きた40発の爆発は、すべて高射砲弾であったことが明らかになった。
 興奮のあまり、戦艦テネシー、駆逐艦ファラグーをはじめ、たぶん他の艦の砲手たちも、
 信管をしかけるのを忘れた。駆逐艦フェニックスなどでは、信管が不良だった。戦艦ネ
 ヴァダのある砲手が言うように「もし外れても、どこかに落ちるはず」だったのだ。
・エドワーズは、早くもKGMB局にいて、この危機に放送局を適応させようと最善をつ
 くしていた。しかし、すでに本能的になっている平和時の習慣をなくすことは困難だっ
 た。公報の合間に演奏されるレコードは、時によると、ひどく不調和だった。
・ひっきりなしにかかってくる電話、ひっきりなしの質問、ひっきりなしの疑い深さ。エ
 ドワーズは、ますます怒り狂った。しまいに、有名な実業家で局の重役をしているデー
 ヴィッドから電話がかかってきた。本当にこれは演習ではないのかね、と彼がきいたと
 き、ついにエドワーズは爆発してしまった。「演習だって?冗談じゃない、本物ですよ!」
 デーヴィスは、しんから驚いたらしい声を出した。    
・効果があまりてきめんだったので、エドワーズは同じ言葉を放送でも使うことにした。
 それが人々にニュースを本当に信じらせる方法かもしれなかった。午前9時からはじめ
 て、くり返しくり返し、攻撃は「ほんものです」とどなり続けた。あまり何度もやった
 ので、この日ホノルル放送を聞いた人は、たいてい他のことは何も覚えていなかったほ
 どだった。 
・エドワーズは少なくとも一人の聴取者をひどくがっかりさせた。日本の空母「赤城」の
 士官室に坐り込んで、清水真一中佐が空襲に対する米国人の反応を見ようとラジオを調
 節していた。間もなくアナウンサーの声が飛び込んできた。各部隊に軍務に復帰するよ
 うに命令していた。だが、その声は落ち着いており、合間には音楽を流していた。まっ
 たく意外な結末だった。アナウンサーは清水中佐ほどは興奮していなかったのだ。
  
「志願者が三人ほしいんだ、君と君と君だ」 :午前9時45分〜正午
・真珠湾の上空では、襲来者のしんがりが、姿を現したときと同じような謎めいた早さで
 西方へと旋回して消え去った。 
・ランドレス少尉が、日本軍がダイヤモンド・ヘッドに上陸中というラジオを聞いた。海
 軍工廠でのアリゾナの生存者の聞いた流言によれば、あぶないのは東部ではなく西部だ
 ということだった。日本の40隻の貨物船がバーバース岬の先端にいるというのだ。一
 方では、日本軍は実は北部に上陸しているのだと主張する者もあった。
・海上攻撃だけでは充分でないとでもいうかのように、他の情報が、日本落下傘部隊が降
 下しているという話をばらまいた。日本兵の背中には、さし昇る太陽が縫いつけてある
 から、誰でもすぐわかる。あるいは左の胸ポケット、または肩章の紅い太陽でもすぐわ
 かる、いや、いずれにせよ、彼らは青い戦闘服を着ている・・・。
・11時15分、72歳になるポインデクスター知事は、KGU放送を通じて緊急宣言を
 読み上げた。彼の声は、ひどくふるえていたが、無理もなかった。すでに高射砲弾が一
 発、彼の家の車道で炸裂していたのである。知事が演説を終わったとき、陸軍から電話
 がかかってきた。放送をやめよ、というのだ。二度目の空襲が予期されるからであった。
 知事の側近は、これにびっくりして、さっそく同意した。放送が終わるがはやいか、彼
 らは知事をつかまえると、階段をかかえ降ろし、車に押し込んで去った。狼狽した老人
 は、これはてっきり放送で大失敗をやらかしたために逮捕されたのにちがいないと考え
 た。
・陸軍の命令に協力して、KGUとKGMBも11時42分に放送を中止した。これは、
 もちろん敵機に両局の位置を探知させるのを防ぐためであった。言うまでもなく、淵田
 中佐が地方放送網を利用することを考慮に入れた警戒策である。
・ガーディナー夫人と二人の子供は、下級将校用二棟つづきの区画の裏にある鉄道の小さ
 な谷あいに逃げていた他の家族たちと一緒になった。いとど、日系ハワイ人のキビ畑で
 働いている人夫たちが、鉄道線路を、この一群のほうへとやってきた。だれもかれも、
 これはてっきり在留日本人が全島を占領し、いまこそ破滅のときがきたと考えた。ガー
 ディナー夫人は、子供たちの生命を守るために闘うべく、肉切りナイフをかまえた。と
 ころが、労働者たちのほうでも、方向を変えて畑のなかに隠れてしまった。彼らもまた、
 白人たちの蜂起に逢って、虐殺されるにちがいないとふるえ上がっていたのである。
・在留日本人たちのあいだにも、デマはとんでいた。その日早朝には、米国陸軍が日本人
 を皆殺しにしてしまう計画を立てているという噂がひろがった。その後、さらにこれに
 尾ヒレがついた。男だけ殺され、女たちは、あとにとり残されて餓死させられる、とい
 うデマがとんだのである。    
・在留日本人のある者は、すでに九死に一生をくぐり抜けてきていた。戦火からほど遠い
 静かな田舎道を歩き続けていた五人の日本人は、あやうく生命を落とすところだったの
 で150ある。彼らは、シコン水兵とその仲間につかまったのである。水兵の一人が、
 こいつらを皆射ち殺すのだと、言い出した。はじめは他の連中もどっちつかずだったが、
 突然、一人が言った。「おれたちはケダモノじゃないぜ。この人たちは、攻めてきた奴
 らとは、なんの関係もないんだ」水兵たちは恥ずかしそうにトラックに乗り込んで走り
 去ってしまった。この出来事のあいだじゅう、五人の日本人は、一言も口をひらかなか
 った。
・キムメル海軍大将は、日本軍がいまごろ、どこにどうしているのかという電報のほうが、
 ずっとありがたかったのだ。日本軍は完全に姿を消してしまった。どこからきたのか、
 どこへ消えたのか、だれひとり考えもつかなかった。最初、キムメルは、日本軍は北方
 からきたのだと思った。南より北のほうが攻撃を受ける可能性が高いと、常々感じてい
 たのである。
・日本空母の搭載機についても無線がしばしば情報を送ってきたが、これは北方から侵入
 してきたものとも南方方面から来襲したものともとれるものだった。そこで係員は気休
 めに銅貨を放り上げて、南方方面からときめてしまった。すでに最近、二隻の日本空母
 がクエゼリン周辺において発見されていたことを思い出して、ハルゼン提督は、入手し
 た不充分な情報に、きれにひっかかってしまった。彼は追及の手を南方及び南西方面の
 水域へと集中しはじめたのである。
・真珠湾から出撃した艦隊は、全力をあげて水路を追跡した。敵艦隊はバーバース岬洋上
 にありとの情報が入ると、ドレーメル提督は、「集中攻撃」の旗じるしを掲げた。「集
 中」とはいうものの、しかしそんなにたくさん艦がいたわけではなかった。 
・空からの偵察も、たいした効果はなかった。当初、使用できるたったひとつの飛行機と
 いったら、フォード島に着陸した古めかしい、武装もない水陸両用機が5,6機あった
 だけだった。これは第一補給中隊の所属機で、郵送輸送とか、射的をひっぱったり、写
 真撮影訓練などの雑用をする部隊のものであった。他に飛べるものがないので、やむな
 くこれを使いほかなかった。だが、これはどう見ても、あまりぱっとした仕事とはいえ
 なかった。たとえ、防衛にライフル銃が持ち出されていたとしても。「志願者が三人ほ
 しい。君と君と君だ」   
・アーティン少将は、どこかでバーバース岬の南方に空母が二隻いるという情報を受けた
 ので、12時27分、軽爆を4機、発進させた。しかし、何も発見できなかった。つぎ
 に何機か北方数マイルまで飛ばせてみた。やはり何も発見できなかった。午後、彼はも
 う一度やってみた。今度は海軍からの要請によるものだったが、オアフ島北方150キ
 ロの洋上にありと言われる日本空母を探すために、B−17を6機飛び立たせたのであ
 った。それも何の効果もなかった。
・捜索が長びくにつれて、最上のてがかりが、手も付けられずにそのままになっていた。
 ランドン少佐は、B−17に乗って飛んでいる間に日本機が北へ飛んで行くのを見たと
 言ったが、誰もそれをとりあげず、知らん顔をしていた。パトリアルカ大尉も北へ向か
 う日本機を目撃したが、エンタープライズに警報を打電することに気をとられて、他の
 ことなど何一つ考えつかなかった。
・オパナのレーダーが捕らえたものは、まことに語るに足りるものであったのに、海軍か
 ら陸軍のレーダー係に、日本機について何か情報が入っていないかたずねてきたとき、
 誰もが何もわからぬと答えた。そして、また、誰もが、レーダーというものは飛行機が
 入ってくるときばかりでなく、帰って行くときのこともわかるのだということを、すっ
 かり忘れていたのだ。オパナでは、北方へ帰投して行く飛行機群も、ちゃんと捕えてい
 た。そして、その後には情報部にも係員が配属ずみだったが、興奮のあまり、誰ひとり
 このデータをどうかしようと考えつく者はいなかった。
・淵田中佐とて同様であった。日本軍の指揮官は、空母に帰投する飛行機の跡をくらまそ
 うともしなかった。それができるほど、ガソリンが充分ではなかったのだ。爆撃機は攻
 撃を終えるが早いか、カナエ岬北西32キロの上空で戦闘機隊と合流し、隊を組んで飛
 び帰った。戦闘機には帰艦誘導装置がなかったので、母艦への道案内は大型機に任せき
 りだった。    
・淵田機自身は、もうしばらくの間上空にとどまっていた。全基地に立ち寄り、航空写真
 を何枚か撮って、戦果についてなんらかの資料にしたい、と思ったのである。煙のため
 に邪魔されてはいたが、戦艦四隻撃沈、三隻大破は確実と考えた。空戦のことについて
 はなんともいえなかったが。もう飛んでいる飛行機はなかったから、きっとこれが答え
 のかわりになるだろう。 
・午前11時頃、淵田中佐が単機、帰途についたとき、戦闘機一機が後方の翼を高く傾け
 ながら接近してきた。一瞬の緊張、そして彼は赤い日の丸を見た。取り残された「瑞鶴」
 からの一機だった。まだほかにもいるかもしれない、という考えがうかんだので、淵田は
 最後の点検をするために合流地点へ舞い戻った。そして、当てもなくぐるぐる回ってい
 る二機目の戦闘機を見つけた。それを後ろに従えて、三期は編隊を組んで北西へと向か
 った。これが招かざる訪問客の最期の暇乞いだった。
・最後まで、草鹿少将は、おのれのベストをつくして協力した。彼は空母を真珠湾から
 360キロの洋上まで進めた。320キロ以内には絶対に入らぬつもりだったが、ガソ
 リンがとぼしくなったり、敵の砲火に片翼をもがれたりした飛行機にとっては、ほんの
 10キロか20キロが、どんなに大きな違いになるものであるかを、彼は知っていたの
 だ。飛行士たちに、できる限りの手をさしのべてやろうと思ったのである。
・あらゆる手をつくし終えてから、草鹿少将は、不安げに南の水平線をじっと見渡しなが
 ら、「赤城」の艦橋に立ちつくしていた。午前10時、最初のかすかな黒い影が見えた。
 編隊を組んだもの、二機並んだもの、ただ一機のものもあった。「翔鶴」の上では、海
 老原大尉の見た最初の飛行機が、空母を目指しながら燕のように海上すれすれにすべっ
 てきたただ一機の戦闘機だった。それはかろうじて着艦した。
・燃料がとぼしく、神経はすり減り、時間は迫っている。こうした状態では、正常な着艦
 過程など、なんにもなりはしないのだ。飛行機は、入ってくるがはやいか、つぎの機に
 余裕をこしらえるために脇のほうへ引っぱっていかれた。しかも事故はほとんどなかっ
 た。たとえば「翔鶴」に着艦した一機の戦闘機は、母艦が急に沈下したものだから、機
 は真っ逆さまにひっくり返ってしまったが、搭乗員は傷一つ負わずに這い出した。天野
 大尉は燃料を使い果たして、空母近くに不時着しなくてはならなかった。彼を含む搭乗
 員たちは機上のままたぐり寄せられた。泳いだりしては危険この上ないからである。
・見なれた顔のいくつかは消えていた。今朝、生まれてはじめて海軍少尉の整復をつけた
 ばかりの弱冠27歳の後藤一平は、ついに母艦「加賀」へ帰ってこなかった。野球に大
 好きな飯田房太は「蒼龍」に戻らなかった。鈴木実大尉も「赤城」に着艦せぬままとな
 った。彼こそカーティスに体当たりした戦闘機パイロットだったのだ。
 全部で29機55人の飛行士が不帰の人となった。
・何もかもが終わって、飛行士たちは、あのなんともいえない、がっくりした気持ちにな
 っていた。何人かは、目指す目標を逃したから、もう一度やらせてほしい、と言い張っ
 た。「飛龍」の飛行長天谷中佐は、その連中を、なんとか元気づけようとして、「至近
 弾だって、よく効果をあげる一撃となるものだ」と保証してやった。
・しかし、どんなことがあってもオアフ島をもう一度たたく、ということだけは心に期し
 ていた。その天谷中佐ですら、部下を励ましている間にも、つぎの攻撃に備えて飛行機
 の整備と燃料補給とを命じていた。
・「赤城」では、午後1時に淵田指揮官が帰投してみると、飛行機は、つぎの攻撃に備え
 て、いつでも離艦できるように整列していた。淵田機が最後の帰投機であった。   
・淵田中佐の報告を聞くと、南雲中将が、どこか重々しい口調で言った。「では、所期の
 成果が達せられたという結論を下してもよかろうと思う」
・この言葉には、南雲中将がずっと内心に抱きつづけていた考え方を如実に示した感があ
 った。彼は、この作戦に、これまで反対し続けていたのだが、命令に従わざるを得なか
 ったのである。そこで、彼は全力をあげてこれを遂行し、命ぜられた通りのことを立派
 にやってのけたのである。彼は立派に成功したのだ。しかし、もうこれ以上の幸運をと
 かもうとは考えなかった。  
・淵田指揮官は、はげしく反駁した。まだ、たくさん恰好な獲物が残っている。敵の防衛
 力といったら皆無にひとしい。一番よいことには、もう一度攻撃を加えれば空母をおび
 き寄せられるかもしれないということだ。そこで、異本の艦隊が、北方へ進むかわりに
 マーシャル群島を経由して帰れば、敵の空母群を背後から捕捉することができるかもし
 れぬ。そういうと、誰かが、それは無理だろう、と言った。油槽船団は、北方で艦隊と
 合流することになっているのだから、もう一度南方までこさせるというわけにはいくま
 い。それでも淵田中佐は、あきらめなかった。「しかし、とにかくもう一度オアフ島を
 たたくべきです」 
・議論に終止符を打ったのは草鹿少将だった。午後1時半になろうとしたとき、草鹿参謀
 長は南雲中将のほうに向き直ると、彼の意見をのべ、司令官の裁可を仰いだ。「攻撃は
 終了しました。われわれは撤退します」「よろしい」と南雲は答えた。
・呉軍港では、山本長官が、すでにこのことあるを察していた。彼は参謀たちが期待に胸
 をわくわくさせている間、長門の作戦室に、どかっと腰をおろしていただけであった。
 最初の奇襲にかくも成功を見たので、つづけて第二の攻撃がなされるべきだという点で
 は誰もが一致していた。ただ山本長官一人だけが沈黙を守っていた。事に当たる者とし
 て、彼には、すべてがわかりすぎるくらいわかっていたのだ。突然、彼は低くつぶやい
 た。「南雲中将は撤退するだろう」数分ののち、山本長官の予言した通りのニュースが
 入ってきた。
・オアフの南方では、酒巻少尉が、まだ必死の努力を続けていた。だが、彼と稲垣二曹と
 がとりかわしたすべての誓いにもかかわらず、二人の乗組んだ特殊潜航艇は、真珠湾か
 ら遠く外れていた。サンゴ礁にちょっとぶつかったために魚雷管の一つが修理不能なま
 でにこわれてしまったのだ。昼ごろ、またもや別のサンゴ礁の上をかすって、もう一つ
 の魚雷管もやられてしまった。二人は作業をくりかえしたが、もはや武器とするものは
 なに一つ残されていなかった。 
・「どうしたらいいでしょうか、少尉」稲垣二曹が訊ねた。「「戦艦に突っ込むんだ。で
 きたらペンシルヴァニアがいい。敵艦にぶつかって、それでもまた生きていたら、やっ
 つけられるだけやっつけよう」酒巻が驚いたのは、稲垣が、この考えに大賛成したこと
 だった。彼は操舵稈をぎゅっと握りしめて叫んだ。「全速前進!」だが、それはなんに
 もならなかった。その午後いっぱい、何回となく、挫折を重ねていたので、すっかり混
 乱してしまっていたのだ。艦は意のままに進まず、気圧は18キロ以上にもおよび、艦
 内は炭酸ガスのために悪臭がはなはだしい。彼は呼吸が苦しかった。両眼ははげしく痛
 いんだ。意識は半ば朦朧としていた。ときおり闇の中で稲垣二曹のすすり泣く声が聞こ
 えてきた。彼自身も、やはり泣いていた。すでに夕闇がたちこめており、彼は真珠湾か
 ら16キロも離れたところをさまよっていたのだった。最後の力をふりしぼって彼は、
 親潜水艦伊ー24号との合流点ラナイ島沖に向けて進路をとった。そして意識を失った。
 
「司令、父母がこの剣を私にくれたのです」 :正午〜午後5時30分
・ありとあらゆる人々が、負傷者を少しでも楽にさせようと全力をつくした。モルヒネが
 惜しみなく使われ、多くのものが、とぎれとぎれの眠りにおちた。レーン通信兵は、病
 院船ソレースの上で意識を恢復したが、一人に看護人がスープを手にして自分の上にか
 がみこんでいるのに気がついた。看護人はフィリッピン人だった。レーンは肝をつぶし
 た。日本軍の捕虜になったと思ったのである。敵の手にとらえられたことに気づいたら、
 もう麻酔もなにもあったものではない。いまなお闘志にあふれている心のなかを、暗い、
 おそろしい思いが走り抜けた。
・現に、ハワイ諸島に対する唯一の日本軍の侵入が、その頃には行われていたのだ。ハワ
 イ諸島の西端、ニイハウ島で、その侵入がはじまったのは、ちょうど礼拝の時間前後だ
 った。人々が教会へ入ろうとした瞬間、頭上に二機の飛行機が飛んできた。島の人たち
 は、その一機がパチパチと音をたてて煙を吐いているのに気がついた。人々は翼の下に
 真紅の日の丸を見た。彼らは、世界情勢などからかけ離れた牧場の使用人やカウボーイ
 にすぎなかったのだが、オアフにいるもっともらしい顔つきをした人間たちよりもずっ
 と早くこの騒ぎの何たるかを感じ取ったのであった。大部分が日本のマークをみとめた。
 そして何人かは真珠湾の攻撃さえも察知した。
・2時近く、一機が舞い戻ってきて、牧場や垣の上を低空で旋回した。飛行士は空地を求
 めて、難しい着陸をやってのけた。機は岩にぶつかり、塀を突き抜け、ハウイラの家の
 近くでとまった。   
・たちまち騒ぎが起こった。ハウイラは走り出て、飛行機の風防蓋をひっぱって開けた。
 飛行士は拳銃をさぐった。ハウイラが、それより早く拳銃をひっつかみ、飛行士を引き
 ずり降ろした。すると彼は服の内側を探しはじめた。ハウイラは飛行士の服をひきちぎ
 って書類と地図をひったくった。
・もうその頃には、島じゅうの人間が群がっていた。村人たちは質問を浴びせかけたが、
 飛行士はただ首を振るだけで、英語はわからないということを示そうとしていた。日本
 語だけしか話せないのだ。
・することは一つだった。ニイハウにいる二人の日本人のうち一人、ハラダを呼ぶことで
 ある。彼は一年前に管理人としてこの島へきた30歳になる二世で、いまはロビンソン
 家の管理人と蜜蜂の世話係をやっていた。管理長は、もう一人の日本人で、何年もニイ
 ハウに住んでいるシンタニという老人だった。
・ハラダに通訳してもらっても、その飛行士から、たいしたことは聞き出せなかった。彼
 はホノルルから飛んできたと言った。空襲については頭から否認したが、飛行の理由と
 機体の弾痕については口をにごした。島の人たちは、この男を、月曜日には定期ボート
 でカウイからやってくるロビンソン氏に一任することに決めた。月曜日の朝、島民は飛
 行士をキイに連れて行って、そこで一日中見張っていた。しかし、ボートはやってこな
 かった。火曜日も、水、木も定期ボートはやってこなかった。島民たちはすっかり神経
 をとがらせてしまった。
・ハラダは、すばらしいことを思いついた。飛行士をプウワイからキイ・キイの自分の家
 へ連れて行くのはどうだろう。そうすれば村の人たちを落ち着かせるかもしれない。一
 同がこれに同意したので、その通り実行された。
・だが、金曜日には、もうノロシをあげないわけにはいかなくなった。男たちの一団がノ
 ロシをあげるために出かけ、そのほかの者は、あと一日、緊張して待つことになった。
 キイ・キイではハニキというハワイ人が、一人きりで飛行士を見張っていた。ここ数日
 のうちに、日本人は、だいぶ打ち解けてきていた。まず、彼は、英語は話せないが、読
 んだり書いたりすることができる、と言った。また、そのあと、真珠湾を空襲してきた
 ことも認めた。ここが好きだから、戦争が終わったらニイハウに永住したいと思う、と
 も言った。見たところ、この男も決して悪人ではなさそうだった。
・飛行士がナニキに、ハラダに会わせてくれないかと頼んだので、ハニキは彼を蜜蜂の小
 屋へ連れて行った。二人の日本人は、しばらく話し合っていたが、やがて少しすると三
 人とも隣りの倉庫の中へ入って行った。そこには蜜蜂に巣箱がしまってあった。
・突然ハニキは2挺の銃をつきつけられた。ハラダは回転式拳銃と散弾銃とをロビンソン
 の家から盗み出し、いざというときまで倉庫に隠しておいたのである。二人の日本人は
 ハニキを倉庫の中に閉じ込め、茂みをかいくぐって道路へ飛び出した。そして通りかか
 った二輪馬車をとめると、ハワイ人の女一人と子供七人、馬車から引きずり下ろした。
 それから馬車に飛び乗り、馬にまたがっていた少女に銃を突きつけ、全速力でプウワイ
 まで行けと命じた。村に近づくと二人は馬車から飛び降りて、飛行士の書類を取り戻す
 ためにハウイラの家を襲った。ハウイラは二人がやってくるのを見て野原に逃げた。
・ハラダと飛行士は、家の中をくまなく探したが、何も見つからなかった。ニイハウにい
 るもう一人の日本人シンタニを味方に引き入れようとして失敗したあと、二人の日本人
 は、村じゅうの家という家を捜索しはじめた。そして、何度となくハウイラに向かって、
 すぐに書類を返さないと誰からを問わず射ち殺すとどなった。
・もっといい考えが二人の心に浮かんだ。日本機から機銃を取り外すと、もう一度、家々
 を廻って歩いた。今度は、ハウイラが見つからなければ、このへんを射ちまくってやる、
 と叫んだ。ハウイラの家をぶちこわし、とうとう飛行士の拳銃と地図を発見した。だが、
 種類はなかった。そこで、種類も焼けてしまえばいいと希望しながら、その家に火をつ
 けた。        
・村の裏手のカクタスの茂みの中で行われた作戦会議では、女子供を丘の洞穴にかくして、
 日が暮れてから戻って行って二人を捕まえようということに意見が一致した。この計画
 はうまくいかなかったが、カナハリともう一人のハワイ人が、まんまと機銃の弾薬を全
 部盗み出したので、これが大きな前進の一歩となった。
・六人の男がキイにかけ下り、大型ボートにとび乗って助けを求めにこぎ出した。16時
 間 こぎ続けて、彼らは日曜日の午後3時にカウイにたどりついた。ロビンソンに会い、
 軍部の高官にも会った。そして、兵士たちの一隊と六人のハワイ人とロビンソン氏自身
 とが、灯台の哨戒艇ワクイに乗り込んで救援に馳せ戻った。
・一同が帰り着くずっと前に、日本人の侵略は、そのクライマックスに達していた。午前
 7時ごろ、カナハリは、もう一度運だめしをしてみた。彼は村へこっそりと戻って形勢
 をうかがった。彼の妻も一緒だったが、二人とも、たちまち捕まってしまった。カナハ
 リはハラダに、飛行士が誰かを傷つけないうちに彼の銃を取り上げてくれ、と頼んだ。
 ハラダはそんなことはできない、とはねつけたので、カナハリは、自分で飛行士にとび
 かかって行った。カナハリの妻が、その上からとびつき、そこへハラダがとびかかり、
 四人は折り重なってもみあった。「さわったら今度はお前をやっつけるぞ」飛行士は、
 腕をふりもぎると、カナハリに三発射った。腿の付根と、腹と、脚を。
・このとき、カナハリは気が狂ったのであった。事実、彼はすでに逆上していたのである。
 しかし、自分が死ぬと見てとると、彼は、飛行士が誰か他の人間を傷つける前に殺して
 やろうと決心した。大きく息をつくと、飛行士の首と片足に手をかけて高々とさし上げ
 た。彼は、いつも羊をこうしていたのだ。そして、相手の頭を石の塀にたたきつけた。
 ハラダは、それをちらっと見やった。そして、散弾銃をわれとわが身に向けて引金を引
 いた。

「おれたちはもう行くぞ、華々しく自爆してくれよ!」 :午後5時30分以後
・オアフ全島に砲声がひびき渡ったのでは、おそかれはやかれ誰かが犠牲にならなくては
 ならなかった。年とった日本人ステマツ・キダ、その息子キイチ、そしてもう二人の日
 本人は、一日の漁を終えて帰る途中、小舟がバーバース岬にさしかかったとき、哨戒機
 に射殺された。彼らは奇襲のはじまる前に出かけたのであり、おそらく戦争のことなど
 何一つ知らなかったであろう。
・ヒーベル大尉は、午後7時半ごろ、エンタープライズの戦闘機を率いてフォード島に向
 かいながら、こんなことになるんじゃないかというような気がしていた。彼らは日本空
 母を求めていたが、エンタープライズへ帰ってみると、暗くなりすぎて着艦できず、オ
 アフへ行けと命じられたのである。そして、やっとの思いで近づいてきたのだ。
・ヒーベル大尉は慎重に、フォード島に向かって着陸指示を求めた。そして機の灯をつけ
 るように指示された。飛行機群は南水路を越え、山脈地帯へと近づいてきた。どこかで
 砲声がひびいた。続いてまた一つ。そして真珠湾内のほとんど全艦隊が火ぶたを切り出
 した。閃光弾が空を横切った。76.2センチ砲、127センチ砲、28ミリ銃、およ
 そ、ありとあらゆる射てるもの全部だ。
・フォード島の第一補給中隊の配属地点近くで、一人の将校が土嚢に駆け上がったり、下
 りたりしながら、必死になって叫んだ。「やめろ!、やめろったら!あれは味方の飛行
 機なんだぞ!」   
・上空では、ヒーベル大尉が無線電話にどなりつけていた。「おい、一体どうしたってい
 うんだ」 
・メンジェス少尉は操縦不能となって突っ込み、パール市の酒場にぶつかった。アレン少
 尉も、やはり市の近くに落ちた。彼は落下傘でとび出したが、降下のあいだに砲火で蜂
 の巣にされた。ヒーベル大尉は損傷を受けた機をホイーラーに着陸させようとしたが激
 突して死亡した。ハーマー少尉は、こわれた機でフォード島上空360メートルのとこ
 ろからきりもみ状態で落下していったが、助かった。フリン少尉はバーバース岬の上空
 で落下傘で飛び下り、何日かたってから運よく陸軍の手で助けられた。
・ダニエルス少尉は、バーバース岬上空を一機でさまよった。10分ほどたって砲火はや
 んだ。そして彼は物やわらなか調子で指揮所に着陸指示を頼んだ。今度は前みたいでは
 なかった。灯をつけず、できるだけ低空で、すばやくさっと入ってこい、友軍機のよう
 に しては、とでも駄目だから、敵機みたいに突っ込んできた方がいい、という指示を
 受けた。彼は、そのとおりにやって無事着陸した。
・全島16万人におよぶ日系市民たちは、何の怠業もしなかったし、おそらく重大なスパ
 イ行為などもなかったはずである。  
・オアフ島北方の日本大機動部隊にも危険はもうなかった。南雲大将の艦隊は800キロ
 の彼方にあり、黙々と帰途について、往路よりやや南方の海上を、熱い靄をついて進ん
 でいた。乗員たちは、不思議な平静さを保っていた。
・オアフ西方の日本潜水艦にも、もう危険はなかった。その大部分は、すでに高みの見物
 をしているのすぎなかった。艦長渡辺勝次は、海岸から数キロにとめた「伊ー69号」
 の指揮塔から、のんびりと真珠湾をながめた。この休息は、ありがたかった。その日一
 日、駆逐艦から身をかわすのにさんざん苦労したからだ。駆逐艦のなかには、渡辺の潜
 水艦を沈没させたと思ったものもあるかもしれない。なにしろこの渡辺は姿をくらます
 ことにかけては名人だったからだ。
・「伊−24号」に乗り込んだ橋本大尉は、たった一日のうちに海浜線に起こった変化を、
 じっと見つめていた。またたいていた灯は、ひとつ残らず消え去っていた。オアフは完
 全に暗黒の影におおわれていた。「伊−24号」は東に向かい、酒巻少尉の潜水艇と合
 流する地点へと急いだ。特別攻撃隊全員はラナイ西南11キロの洋上で終結することに
 なっていたので、潜水艦が一隻ずつ姿を現した。一晩中、彼らは、おたがいの姿のよく
 見える範囲で、洋上をゆらりゆらりと身をまかせながら待ち続けていたが、特殊潜航艇
 は一隻も帰ってこなかった。 
・「伊ー24号」の中では、酒巻少尉が、その生還を期していなかったことが発見された。
 彼の所持品は、きちんと整理してあった。彼の遺書がいつでも郵送されるように包んで
 あった。
・だが、酒巻少尉は死んではいなかった。日暮れに意識を失ってから、彼の艇は、ゆっく
 りと東へ漂って行った。どこかで彼は意識を回復し、浮上してハッチを開けたものにち
 がいない。とにかく、真夜中になったとき、彼はまず月の光に、そして頭上から吹き込
 んでくるそよ風に気づいたのであった。彼はハッチから頭を出して、冷え冷えとした夜
 の空気を、いっぱいに吸い込んだ。
・稲垣兵曹も意識を取り戻して、深呼吸をくりかえした。だが彼は、まだふらふらしてい
 て、すぐまた眠りに落ちてしまった。
・酒巻少尉だけ正気のまま、夜の中で、うっとりと我を忘れ、艇のただようままにまかせ
 ていた。彼は生還を期せぬ任務を持った人間には危険な考えを抱きはじめた。生きてい
 るのはすばらしいことだと、考えるようになったのだ。
・あたりが明るくなるにつれて、酒巻少尉は、左手に小さな島が見えてきた。彼は、それ
 が合流点のラナイだと見てとった。
・酒巻少尉は稲垣兵曹をゆり起こし、島影を指さした。まだ合流に間に合うかもしれない。
 彼は全速を命じた。艇は動き出して止まり、また動き出して止まった。バッテリーから
 は白い煙が立ち昇っていた。ショートしかけているのだ。酒巻少尉は、しばらく待って
 みた。そして、もう一度やってみたが駄目だった。もう一度、エンジンがかかり、艇は
 前進しはじめた。と、その瞬間、再びガクンときて、おそろしい、あのガリガリとこす
 れる音、身の毛のよだつような急停止。ああまた暗礁に乗り上げたのだ。
・今度は、もうどうしようもなかった。艇を沈没させるよりしようがなかった。こういう
 場合に備えて艇には火薬がしかけてあった。酒巻少尉は急いで導火線に火をつけた。そ
 れから二人は、ハッチをよじ上がった。    
・二人はブンドシひとつになって、葉巻型の艇にのぼった。酒巻少尉は良心の呵責にせめ
 られた。この艇と運命をともにすべきではないだろうか。だが、彼は考えた。おれは兵
 器じゃない、人間なんだ。彼を艇に別れを告げた。まるでそれが生きているもののよう
 に。「おれたちはもう行くぞ。華々しく自爆してくれよ」午前6時40分頃、彼は海へ
 飛び込んだ。
・稲垣兵曹も一緒に飛び込んだが、どこにも見当たらなかった。酒巻が呼ぶと、声が返っ
 てきた。「少尉、ここにおります!」少尉は、やっとのことで、寄せくる波のまにまに
 浮き沈みしている兵曹の頭を見つけた。彼は二言三言衒気づけるためにどなったが、稲
 垣兵曹の耳にとどいたかどうかはわからない。兵曹の溺死体は、後になってから海辺に
 打ち上げられた。 
・波とたたかいながら酒巻少尉は、艇にしかけた火薬が爆発しないことに気がついた。彼
 はこれにも失敗したのだ。彼は泳ぎ戻ろうと思ったが、それもできなかった。すでに全
 身の力が抜けていた。もうとても泳げるものではなかった。漂っているだけだった。も
 う完全にどうすることもできなかった。なにもかもわからなくなってきた。
・意識を回復したとき、彼はベローズ・フィールドの近くの浜に横たわっていた。彼は、
 自分のすぐかたわらに立っている一人のアメリカ兵のもの珍しそうな瞳をちらと見あげ
 た。かくも多くの人々にとって幕を切って落とされたばかりの戦いは、捕虜酒巻和男に
 とっては、もうここで終わりを告げたのだった。
・このとき、ワシントンでは午後12時20分、ピカピカに磨き上げられた10台の黒い
 リムジンが、ちょうど国会議事堂の門内にすべり込んできた。ルーズベルト大統領とそ
 れを護衛してきた一行だった。大統領の一行は議事堂の中に入り、群衆は再び水を打っ
 たように静まりかえった。大統領と同じように、国民は騒ぎもしなければ絶望もしてい
 なかった。
・国民には、どうしていいのかさっぱりわからなかったのだ。平和をモットーとして育て
 られてきた国民が戦争へと突入して行こうとしているのだが、しかも、どうやって戦っ
 ていいのかさっぱりわからないのだ。
・だが多くの人たちは、合衆国は、日本などやっつけるのは朝めし前だと信じていた。大
 部分が、いまだに、日本人とは西洋の真似をするのはうまいが、自分一人ではなんにも
 できないつまらぬ茶色の小男どもだと思っていた。
・だが、自信過剰にもましてわき起こってきたもの、そしてひとつに盛り上がってきた感
 情、それは、はげしい怒りだった。正式の宣戦布告など旧式になってしまって、奇襲攻
 撃というものが、どこの国にとっても、ありふれた武器となるような時代がやってくる
 かもしれないが、しかし、いまはまだそんな時代ではないのだ。1941年12月、ア
 メリカは、当然敵が開戦前に宣戦布告をするものとばかり思っていたのだから、日本の
 大使たちがまだワシントンで交渉していた最中にとった日本の行動は、東京のいかなる
 世間ずれした政治家たちの考えも及ばないほど、アメリカ国民に怒りをまき起こしたの
 だ。 
・午前12時29分、ルーズベルト大統領は、愛息ジミイに助けられて入ってきた。正式
 のモーニング・コートに身を包んだ大統領は、ただ一人、演壇に立った。彼は黒いルー
 ズリーフ型のノートを開いた。小学生が使うようなものだった。ルーズベルト大統領は、
 演壇を握りしめてこう口を切ったとき、国中をおおっている激しい怒りを、その身に感
 じとっていたかのように見えた。
 「昨 1941年12月7日 我らの屈辱の日 アメリカ合衆国は、突如、そして故意
  に攻撃された」     
・演説は6分間で終り、1時間もしないで開戦は可決されるが、ほんとの勝負は、はじめ
 の10秒で決まったのである。「屈辱」の一語、これこそ全国民の心に灼きつき、勝利
 の日まで全国民を一つに結びつける言葉となったのだ。
 
攻撃に関する事実
・真珠湾内における艦船数:96隻
・米国空軍の兵力:約394機、ただし、旧式機および修理中のものを多数含む。
  使用可能なもの
  ・陸軍:戦闘機:93機、爆撃機:35機、観測機:11機
  ・海軍:戦闘機:15機、哨戒機:6機、偵察機:36機、その他:45機
・日本攻撃軍の兵力:
  ・艦船:31(空母6、戦艦2、重巡2、軽巡1、駆逐艦9、潜水艦3、油槽船8)
  ・空軍:432(護衛哨戒用39、予備戦力用40、攻撃にあたったもの353)
・日本軍の先遣兵力:潜水艦:約28(うち小型機を有するもの11、特殊潜航艇搭載せ
          るもの5)    
・米国側死傷者数:
 ・海軍:戦死2008人、負傷710人
 ・海兵隊:戦死109人、負傷69人
 ・陸軍:戦死218人、負傷364人
 ・一般市民:死亡68人、負傷35人
 戦死者2403人の、ほぼ半数はアリゾナの爆発によって戦死したものである。
・損害
 ・沈没または大破:8隻
 ・轟沈:戦艦(アリゾナ、オクラホマ、標的艦、ユタ)、駆逐艦(カッシン、ダウンズ)
 ・沈没または座礁:戦艦(ウェスト、ヴァージニア、カリフォルニア、ネヴァダ)、
          機雷敷設艦(オグラーラ)
 ・損傷:戦艦(テネシー、メリーランド、ペンシルヴァニア)、巡洋艦(ヘレナ、ホノ
     ルル、ローリー、)、駆逐艦(ショウ)、水上機母艦(カーティス)、工作艦
     (ヴェスタル)          
 ・各飛行場:
  ・破壊されたもの:188機(陸軍機96、海軍機92)
  ・損傷を受けたもの:陸軍機128、海軍機31
  もっとも被害が大きかった飛行場はカネオヘとエワである。この二つの飛行場におい
  て。82機が攻撃を受けたが、使いものになる機は、一機だけしか残らなかった。
・日本側の損失:
 ・攻撃兵力のうち失ったもの:29機(戦闘機9、急降下爆撃機15、雷撃機5)
 ・先遣兵力のうち失ったもの:大型潜水艦1、特殊潜水艇5
 ・死者:飛行機搭乗員55人、特殊潜航艇乗組員9人、大型潜水艦乗組員(人数不明)