真贋の森  :松本清張

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私がこの小説を読んで、一番最初に思い浮かべたのが、テレビの「お宝!なんでも鑑定団」
という番組だった。鑑定士と呼ばれる専門家の方々が、各地で様々人たちが持ってくる
「お宝」鑑定し、値付けを行う。意外なものが高価な鑑定結果を得たり、高価と思われた
ものが偽物と鑑定されたりする。専門家から「これは本物だ」と言われれば、なるほどそ
うなのかと思うのだが、果たして、それが本当に本物なのかどうかは、素人のわれわれに
はわからない。専門家の言葉を信じるしかない。しかし、その専門家と呼ばれる人の鑑定
の基準が、果たして100%正しいのかどうか。なかには違っている場合もあるのではな
いのかとの、思いも捨て切れない。さらには、その鑑定の結果に、政治的な力が働いてい
る場合もあるかもしれない。カネのために恣意的に偽物が本物として鑑定されている場合
もあるのではと。その道の権威ある者が、「これは本物です」と鑑定すれば、偽物でも本
物になるのだ。この小説は、古美術界のそうした裏側を題材にした小説である。
美術世界に限らず、文学の世界、医学の世界、政治の世界においても、本当に才能のある
人がその世界のトップになれるとは限らない。そこには、いろいろな政治的な力が渦巻き、
本当の才能とは別の、政治的な競争を勝ち抜いた者がトップとなる場合が少なくない。
そのことに対して、憤りを感じるが、世の中とはそういうものだと、諦めるしかないだろ
う。それに、その世界でトップになれたからといって、それが幸せとは限らない。才能も
ないのにトップになった者も、その地位や権威を守るために、死にもの狂いにならなけれ
ばならず、哀れな面もある。一番幸せな生き方は、そういう地位や権威から距離を置き、
ひたすら自分の世界をコツコツ歩き続ける、この小説に出てくる津山先生と呼ばれるよう
な人物ではないのかと私は思う。

・門倉は、画家でも何でもない。東都美術倶楽部総務といった肩書の名刺をふりまわして
 地方を歩いている骨董の鑑定屋だ。田舎には古画や仏像や壺、茶碗などを所蔵している
 旧家や小金持ちが多い。門倉は、土地の新聞に広告を出して、宿屋に滞在し、鑑定の依
 頼者を待つのだ。結構、いい商売になるらしい。
・相当な学問と経歴があり、鑑識眼もあり、古美術についてあまりパッとしない雑文を書
 いたりして独り暮らしをしている宅田という人間が、ちょっと得体の知れない人間にう
 つるらしい。    
・門倉はその眼を20年くらい前に博物館に勤めていたころに養ったのだ。彼は傭員とし
 て博物館に陳列品の入れ替えなど手伝っているうちに、自然と古美術品に対して興味を
 持ったらしい。その方面の教育は受けていないが、係りの技官などに教えてもらったり
 して、ついには平凡な骨董屋以上の眼を持つようになった。
・門倉は風呂敷に手をかけて解くと、中から古い桐箱が出た。蓋をあけると、これも古い
 表装の軸物が納まっており、それを、俺の前にくるくるとひろげた。はじめから莫迦に
 していた俺の眼が、その時代色のついた着色牡丹図に落ちているうちに、少しずつ惹か
 れてきた。
・門倉は、多分、堀出し物を発見して一儲けを企んで持ってきたものに違いない。いつに
 なく門倉の顔には、固唾でも呑みこみそうな真剣な色が表れていた。「いけないね」俺
 が絵から眼を離して言うと、門倉は、へええ、やっぱりね、と唸るように言って、今度
 は自分が絵を舐めるように顔を近づけた。その落胆した様子を見ると、よほどこれに期
 待をかけていたに違いなかった。「君がだまされるのも無理はない。これは全く別種な
 贋作系統だ。これほどしっかりしたものを描くのは、よほど腕のたしかな画家だね。岩
 野くんだったら、だまされるか分からない」俺は、門倉に嘲笑まじりに言ったが、実は、
 この最後の言葉が心の片隅に、魚の小骨のように残っていたらしい。
・道路に投げられた灯影を踏んで通行者が歩いていた。どの人間も、俺よりはましな生活
 がありそうだが、俺と同じように悲しそうに見える。ふと、右側に、かなり大きな古本
 屋があるのが眼についた。古本屋をのぞくのは久しぶりだった。俺の眼のゆくところは
 決まっていた。美術関係の本の並んでいるところを探すのだ。こういう書籍の前に立っ
 ている俺の気持ちは、また別種な変化がはじまっていた。本性と言おうか、学問をやっ
 てきた人間の習性である。どういう人が持っていたのか。本浦の著書が5冊もならんで
 いた。1冊や2冊きりだったら、これまでそうしたように、俺は鼻で嗤って通り過ぎた
 かもしれない。が、本浦の著書が5冊もならんでいる光景に、俺の眼がいつもよりは改
 まったのだ。
・俺の一生はこの本浦のために埋もれたといってもよい。伸びた白髪まじりの頭を乱して、
 よれよれの単衣ものを着て下駄ばきでこうして立っているみすぼらしい現在の俺にした
 のは、この本の著者文学博士の本浦であった。もし、俺が本浦教授の嫌忌を受けていな
 かったら、今ごろは、どこかの大学の美術史の講座を持ち、著書もかなり出している。
 さらに仮に本浦教授の知遇を得ていたら、岩野に代わって、東大や美校の主任教授とし
 て、学界の権威になっているかもしれない。岩野と俺は、東大の美学で同期であった。
 そして自負するわけではないが、岩野より俺の方がずっと出来た筈である。
・当時、学生だった俺は、或る女と恋愛して同棲していた。本浦教授はそれを咎めたのだ。
 「あんな不倫な奴は仕方がない」と教授は人に話したそうである。それからは全く教授
 から疎まれるようになった。が、それが理由になるほど不道徳だろうか。俺はその女を
 愛していたし、正式に結婚するつもりでいた。教授こそ、赤坂辺りの芸者を二号を囲っ
 ている不徳漢であった。
・俺は卒業と同時に、東大の助手を志望したが容れられなかった。俺は美術史研究の学徒
 として立って行きたかったのだ。岩野はすぎに採用された。俺は、京大でも東北大でも
 九大でも拒絶された。仕方がないので博物館の監査官補を志望した。しかし、東京も奈
 良も駄目だった。あらゆる官立系の場から弾き出された。本浦の勢力は、文部省系とい
 わず、宮内省系といわず、それほど全国に行き渡っていた。官立系ばかりではない。私
 立の大学にも彼の弟子や子分が布置されていたのだ。本浦に睨まれたら、学界には絶対
 に浮かばれないという鉄則を、学校を出たばかりの俺は早くも体験したのだった。
・本浦に、何故にそのような勢力があったかの理由は言うのは容易である。古美術品の所
 蔵家が多くは先祖から伝承の大名貴族であり、そういう貴族はたいてい政治勢力をもっ
 ていた。それに財閥と、職業的な政治家が加わる。古美術学界の権威であり、国宝保存
 会委員である本浦がそういう上層勢力に大事にされ、彼がそれを利用した結果は当然で
 ある。彼は美術行政については大ボスとなり、文部省といえども、彼の反対に遭うと手
 も足も出ないことになっていた。各校の美術教授、助教授、講師の任免は、彼の同意な
 くしては実現することはできない。少々誇張していうと、彼はあたかもその方面の文部
 大臣であった。 
・その本浦が、とるも足らぬ青年学徒の俺をどうしてそのように排斥したか。無論、女と
 同棲云々は口実であった。つまり、彼の嫌っている津山教授に俺が近づいたのが逆鱗に
 触れだのだ。
・俺の不運が、津山先生に近づいたことではじまっても、そのために先生の知遇を得たこ
 とに後悔はない、と俺は歩きながら思った。津山先生から、俺は貴重なものを教えても
 らった。実際、先生は一冊の著述もお書きにはならなかった。これほど著書の皆無な学
 者も珍しい。  
・津山先生はあくまでも実証的な学者であった。国宝鑑定官として、文部省古社寺保存事
 業に関係され、全国の古社寺や旧家をほとんど残すところなく歩かれた。先生ほど鑑賞
 体験の広い学者はないのだ。その研究に関する該博な知識は、手弁当と草鞋がけの足の
 所産である。しかも、先生は一切、権威や勢力には近づかなかった。そういう機会は、
 度々、向こうから手をさし伸ばしてきたと想像する。が、先生は好意は謝しても、それ
 に近づくことを好まれなかった。それは多分、本浦博士に対する遠慮があったのであろ
 う。 
・津山先生は、本浦博士を内心では軽蔑しておられたようだ。ただに権勢欲のみではない。
 そお古美術に対する鑑識眼の不足である。既存の美術作品を按配して演繹的に体系を理
 論づけるのは華々しいが、実証の積み重ねが空疎である。実際、本浦美術史論はたいそ
 う粗雑な、充実のない理論であった。作品についての鑑識眼がないから当然で、学究的
 意匠に飾られた概論の立派さに眩惑されるけれど、資料の選択に過誤があるとしたら、
 その上に建築された理論は傾斜している。
・津山先生の実力を最も知っていたのは、他ならぬ本浦博士であった。同時に、博士は自
 身の弱点もよく知っていたに違いない。博士は津山先生を敬遠していた。津山先生に対
 して劣等感を確かに持っていた。博士は、その持ち前の傲岸な顔つきにそれをかくして
 いたけれど、確かに津山先生を怖れていた。それが津山先生に対する陰湿な敵意と変わ
 り、先生の弟子となっている俺を憎んだのだ。
・鑑定はあくまでも具体的でなければならぬ。それは豊富な鑑賞体験と、厳しい眼の鍛錬
 が必要なのだ。直感でものを言うのは容易である。が、直感を何をもって基準とするか。
 それは観念的な学問からは割り出せない。もともと実証は即物性で、職人的な技術を方
 法とするものなのだ。
・幸い、俺は津山先生から、その「職人的」な鑑賞技術を教えてもらった。これは何もの
 にも替え難い貴重なものだった。いかなる学者の著述からも学ぶことのできない知識で
 あった。学術的な理論の高度な空疎よりも、何倍かの内容的な充実があった。
・本浦博士に睨まれて、どこにも行き場のない俺に、嘱託の口を見つけて下さったのは津
 山先生である。津山先生は、本浦博士と違って、行政方面にはさらに縁故のない人であ
 る。その先生が不得手な就職のことを心配されたのは、よくよく俺のことを思われての
 ことである。無論、俺が本浦博士に嫌われてどこにも行き場のない事情を知って居られ
 て、その原因が俺が先生の弟子であったことに因って、責任を感じられたのかもしれな
 い。俺が生涯泪を流したのは、少年時代母を喪ったときと、先生の訃を知った時だけで
 ある。 
・だが、俺の焦燥は、同期の岩野という男がぐんぐん伸びて、助教授となり、教授となり、
 本浦の跡を襲って、ついに帝大文学部において日本美術史の主任教授として講座を持つ
 ようになったことが、手痛い打撃となった。
・岩野は頭脳が悪い男だ。俺は学生時代の彼を知っているから、自信を持ってそれを言う
 ことができる。ただ、彼はいわゆる名家の子弟だった。どこかの小さな大名華族で、当
 主の男爵は彼の長兄に当たった。こういう毛なみは、本浦が一番好むところである。岩
 野自身も、己の頭脳の良くないことを承知して、ひたすら本浦博士にとり入ることに専
 念した。それはほとんど奴隷的な奉仕であった。こういう献身的な奉仕も、本浦博士の
 ような人には大いに気に入るところであった。彼はついにこの愛弟子の岩野に跡目を相
 続させたのであった。
・学問の世界に、そのようなことが通用するのかと怒るのは愚かしい。本来、アカデミズ
 ムとはそんなものだと悟ったのは、よほど経ってからであった。が、当時は俺も若かっ
 た。岩野のような男が思いもよらない地位につく不合理に、怒りを燃やし、軽蔑と、嫉
 妬と、憎悪にのたうった。 
・岩野は、師匠に倣って著書を出しているが、いずれも本浦説を拡大し、水増ししたに過
 ぎない。第一、挿入されている図版を見ると、ほとんど駄目なものばかりであった。岩
 野も音浦以上に眼が無いのである。彼の無智を暴露していることで、その著書はひどく
 面白い。しかし、世間ではそんなことは知らないから、岩野とその世界の権威だと思い
 込んでいる。無理もないことで、東大と芸大で美術史を講じ、本浦ほどではないにして
 も、相当なボスであり、著書も少なからず出しているのだから、そう買いかぶるのは仕
 方がない。権威は彼のそういう肩書の装飾にあった。
・一体、岩野はどのような鑑定の仕方をするのか。彼は鑑定を求められると、その絵を黙
 って見ているそうである。時々彼の口から「ううむ」と唸る声が洩れる。30分でも
 40分でも黙って眺めているだけで何も言わない。「ううむ」と呻吟しているだけであ
 る。そうすると、横に彼の弟子がいて、「先生、これはいけませんね」というと、彼は、
 はじめて、「そうだね、いけないね」と断を下す。他から示唆を聞かない限り、何も意
 見を言わないで、1じかんでも凝視して黙っているというのであった。まさか、思った
 が、実際そうだったというのである。俺はそれを聞いたとき声を上げて笑った。
・岩野には意見が無いのである。彼には自信も勇気も無い。鑑別の基礎が養われていない。
 本浦から教えられたのは、大まかな概説や体系的な理論であって、個々の対象について
 の実証が空疎である。一体、日本美術史などという学問は、方法的にはもっと実証主義
 でなければならぬのだ。本浦は津山先生を「職人的技術」と嘲笑したけれど、そういう
 技術が対象に向かって見究められ、個々の材料の研究調査が遂げられなければならぬ。
 その堆積があって、帰納的に体系づけられるのである。実証方法が職人的技術などとい
 うのは、直感というあやふやなものを神秘そうに響かせる虚栄者の言い草である。鑑定
 ということでは、そんな世間的な名声のある学者より骨董屋の方がよほどよく知ってい
 るといってよい。なにしろ彼らは金銭を賭けている商売である。真剣なのだ。
・骨董屋といえば、俺は一時期、芦見というかなり大きな骨董商に飼われたことがあった。
 あるとき、大雅の画帖と称するものをどこかで仕入れて俺に見せた。よく出来ている作
 品だが、贋物だった。芦見は残念そうにしていた。あとで思うと、納める先の当てがあ
 ったに違いない。ところが、俺が贋物と断じた大雅の画帖が数か月を経て、俺はある権
 威のある美術雑誌に写真入りで紹介されているのを見つけた。筆者は岩野で、この新発
 見の大雅を大そうな賛辞が書き並べられてある。俺は岩野を憫れんだが、彼の名前と雑
 誌の権威で、これが世間に真物として通用しては堪らないと思った。しがない生活をし
 ているが、俺も日本美術研究の道を歩いている市井の労学徒と思っているから、公憤の
 ようなものを感じてある雑誌に、その大雅が偽物である理由を書いた。不幸にも、俺の
 原稿をのせてくれた雑誌は二三流だから、それが岩野の眼にふれたかどうかわからない。
・岩野は、その壮麗な肩書で、空疎な美術史論を披露している。世間的な虚飾と、充実し
 た私生活が彼にはあった。本浦という大ボスに茶坊主のように取り入った岩野がそのよ
 うな存在になっていることが、俺には不合理で仕方がない。俺の眼には、いわゆる岩野
 流の学者も、そのアカデミズムに立て籠る連中も、鑑定人も、美術商人も、みんなニセ
 モノに見えて仕方がない。
・考えてみれば、今の日本美術史という学問からして不合理である。材料の多くは、大名
 貴族や、明治の新貴族や、財閥の手にあって、蔵の奥に埋蔵されている。彼れはそれを
 公開することを好まない。それを観られる特権は本浦のような権門に近づいた偉いアカ
 デミー学者だけである。それに所有者は鑑賞させても調査は好まないのである。戦後、
 旧華族や財閥の没落で、かなり所蔵品は放出されたけれど、それは全体の三分の一にも
 当たるまい。特権者だけが、材料を見られるという封建的な学問がどこの世界にあろう。
 西洋美術史と比べて、日本美術史が未だ学問になっていないのはそのためだ。
・日本美術史は、これからが調査の期間だが、材料の半分は所蔵家という地中に埋没され
 ているのだ。神秘なこの匿し方が、贋作跳梁の自由を拡げ、骨董商を繁栄させている。
 もっともらしい由緒を言い立て、出来のいい贋作を出してみせて、眼のない学者をたぶ
 らかすことは容易である。
・初めて酒匂に遇ったのは、川の傍にある彼の小さな古い家だった。酒匂の妻は、まるい
 顔をしていた。おとなしそうな女だったが、ビールを運んで食台に置きながら、おどお
 どした様子をしていた。東京から来た客と、夫の生活とがここで接触して、いまから始
 まろうとする未知の運命に怯えているような表情だった。酒匂の作品を見せて貰った。
 手先の器用さが描線にも絵具の使い方にも見られた。が、個性も新しさもなく、構図の
 とり方も下手であった。要するに、酒匂はこの田舎にひそんでいる絵描きにしては珍し
 く達者だが、中央に出たら誰も問題にしない画家であった。酒匂の素質というものがす
 ぐに俺に分かった。模写と言ったが、売れば贋作なのである。そして、酒匂の腕は、自
 分の画ではさっぱり駄目だが、模写にかけては見違えるように精彩を出しているのだっ
 た。これなら、ものになると俺は思った。ある膨らみが俺の胸にもひろがった。しかし、
 この膨らみは、さっき見た川の泥のように黒い色をして粘っていた。
・俺はすでにこれから望みを失っている。五十も半ばになって、世に浮かび上がるという
 ことの不可能を知っているし、若い時からの野心も褪めている。ただ、ひとりの権力者
 に嫌われた男が、その理由だけ生涯を埋没し、実力の無い男が権力者に従諛し、撲婢的
 な奉仕をして、その理由だけで権威の座を譲られ、低い、荘重な声で何やら言って勿体
 ぶっている。その不条理を衝きたいのである。人間の真物と偽物とを指摘して見せたい
 のである。価値の判断は、やはり一つの方便的な手段を必要とする。
・酒匂のために、俺の考えで、門倉が借りてやった家は、中央線の国分寺駅からわかれた
 支線に乗って三つ目に降りた所であった。そこは武蔵野の雑木林が、畑に侵蝕されなが
 ら、まだ諸方に立ちこめていた。俺は酒匂に何を与えようとしているのか。実際に与え
 たいものはもっと別な種類の人間に、俺自身が喜びで充実するような知識や学問であっ
 た。それが若い時に夢想した念願だった。贋作家をつくるような知恵ではなかった筈で
 ある。俺の眼の前には果てしない泥濘が見えていた。
・酒匂も、よく努力した。俺の注意を聞くたびに、彼の大きな眼は自分の作品に喰いつく
 ように注ぎ、筆を動かすときは、それが一層に凄みを帯びた。しかし、どのように酒匂
 が心血を注いでいる格好をしているのせよ、その姿から俺は純粋な感動を受け取らなか
 った。それは俺の悪の反射であり、俺のエゴイズムである。彼は俺に培養されている一
 個の生物体でしかない。俺の老いかけた情熱は、酒匂の指導に残り火のように燃えたと
 言おう。俺の知恵はほとんど彼に傾けたようだ。が、それには与える喜びは無かった。
 そのことで充実感があるとしたら、酒匂という偽絵師を培養する事情欲であった。そし
 て、それはもう一つの「事業」の準備であった。
・俺は彩古堂の芦見を予定通り味方に引き入れた。酒匂の描いた一枚を、黙って彼に見せ
 た。芦見は眼をむいて愕いた。芦見は急いで酒匂に遇った。そこに描かれた数々の稽古
 画を観せつけられて、顔色を変えた。芦見は、是非、自分の一手に任せてくれと興奮し
 て申し入れた。
・酒匂に対しての報酬は出来るだけ有利にするように図った。それだけが培養者としての
 俺の彼に対する愛情であった。あるいは酒匂よりも、白い陽に照らされて佇み、疑わし
 そうな眼つきをしていた彼の妻への謝罪であった。
・芦見は「兼子さんの眼がパスしたら、いよいよ自信を持っていいと思います。とにかく、
 試験的に出してみましょう」兼子と聞いて、渋りがちだった俺の心が動いた。彼は現在
 講師だが、なかなか優秀で、先生の岩野よりも鑑識眼は勝れていると言われていた。岩
 野は画を出された鑑定を乞われると、兼子の助け舟がないと判断が下せない。それまで
 は、例の「ううむ」といううめきを洩らしながら、1時間でも端然として凝視を続けて
 いるというのだ。兼子なら、という闘志が俺に起こった。
・彩古堂が、でかでかと光る赤ら顔をいっぱいの笑みを浮かべて、俺と門倉の前に戻って
 きた。「納まりましたよ。兼子さんが太鼓判を捺したそうです」門倉は手を拍いた。
・門倉は泪を流しそうに喜んだ。この美術倶楽部の総務は経済的にはあまり楽ではなかっ
 たようである。彼の怪しく光っている眼の中には、これからも転がり込んでくる金が、
 圧倒されそうなくらい見えていたに違いなかった。
・兼子は試された。それは同時に岩野が試されたことを意味する。もしかすると、アカデ
 ミズムの権威が試されたことになるかもしれない。俺の「事業」は、この小さな試験で
 次の段階にとりかからねばならなかった。それがそもそもの目的である。それは人間の
 真贋を見究めるための、一つの壮大な剥落作業であった。
・芦見と門倉は顔を見合わせた。両人は、俺が、何か得体の知れない目的を持っていそう
 だと薄々と気づいたらしい。彼らはそれで不安を感じたのだろう。普通、贋画は、一点、
 二点と散らせて、目立たぬように納めるのが安全な方法だとされていた。一どきに何枚
 もかためて出しては、滅多に出てこない古画のことだからひどく注目を浴びるし、それ
 だけに疑惑をもたれて破綻が起こりやすい。
・人眼に目立つ、それこそ俺の狙いであった。画が新しく発見された。しかも量的に多い
 ので、古美術に関心を持つ者は仰天するに違いない。話題が旋風のように捲き起こる。
 それがジャーナリズムに拡がる。当然に、その鑑定に岩野が引張り出されるであろう。
 岩野と兼子などの一門だ。それは個々のサロン的な鑑定ではなく、ずっと社会的な場に
 立つことになるのだ。言い換えると、岩野アカデミズムが社会の眼の前で敗衄するので
 ある。俺が見たいのはそれだった。死んだ絵画よりも、生きた人間の真贋であった。
・西洋美術史の材料はほとんど開放されて出尽くしているといってもよい。欧米の広い全
 地域に亘る博物館や美術館の陳列品を見れば、西洋美術史の材料の大多数が蒐集されて
 いて、研究家や鑑賞者は誰でも見ることができる。古美術が民主化されている。だが、
 日本ではそうはいかないのだ。所蔵家は奥深く匿し込んで、他見をゆるすことに極めて
 けちであるから、何が何処にあるのか判然としない。それに、美術品が投機の対象にな
 っているので、戦後の変動期に旧貴族や旧財閥から流れた物でも、振興財閥の間を常に
 泳いでいるから、たとえ文部省あたりが古美術品の目録を作成しようと企てても困難で
 あろう。その上、誰も知らない処に、誰も知らない作品が、現存の三分の二くらいは死
 蔵されて眠っていると推定できる。
・芦見は兼子が認めれば、他の権威者も追随してくると言っている。そうだろう、と俺は
 思った。若手だが兼子は確りしていた。彼の先生の岩野よりも鑑定にかけてはたしかな
 眼を持っている。兼子が言えば、岩野が引きずられてくるのは必定である。だが、兼子
 がいかに実力があるといったところで、彼だけがものを言っても俺には役立たぬことだ
 った。現在、アカデミーの最高の座にいる岩野に正面切って発言させたいのである。そ
 れでなければ、俺の目的は遂げられない。しかし、兼子の先導で岩野は出てくるに違い
 ない。必ず正面に出てくる。その一派を随えて出てくる。俺の心は喜びと勇気に満ちた。
 俺の壮大な剥落作業は、手落ちなく足場を組まねばならなかった。
・酒匂は見違えるように元気になった。大きな眼は自信がありそうに光った。東京に出て
 来た当時とはまるで変わって昂然としていた。一つには、彼は懐具合がよくなってきた
 からに違いなかった。九州の家族の生活費と合わせて、芦見からかなりの手当が出てい
 るのである。芦見にすれば、それは投資であるが、酒匂は今までにない潤沢な金に恵ま
 れたのだ。九州の炭鉱町で、ほそぼそと画を教えて、一人から月に二百円が三百円とい
 ったところとはかけ離れた収入であった。その経済的な充実感が、酒匂の自信にも、風
 貌にも、肩を聳やかすような軒昂とした気力を与えているのに違いなかった。
・酒匂の顔には、果たして自負が出てきて、それが不満そうな表情にさえ見えてきた。こ
 のとき、俺は、かすかな不安に似た予感を覚えた。その後も、武蔵野の奥にある百姓家
 を訪ねて行ったが、三度に二度くらいは、酒匂の姿は無かった。階下の人に訊くと、都
 心の方に出かけて行くというのである。二晩くらい続けて泊まってくるとも言った。こ
 んなことは以前には無かったことだ。
・ある日、酒匂の家に行くと、彼は街で、偶然、京都絵専時代の同期に遇った話しが出た。
 その同期は、今や、その斬新な作風に注目されて、同世代の中堅の中では先頭を走って
 いる日本画家であった。展覧会毎に彼の名前は新聞の学芸欄に派手に出ていた。酒匂は、
 「彼はなんだか私を軽蔑しているようで腐りましたがね。なに、あいつだって、学校時
 代は私とは大して違いのない絵を描いていました」と言った。俺には二度目の漠然とし
 た不安な予感が水のように満ちてきた。早く「事業」を完成させなければいけない、と
 俺の心は急いてきたようだ。それは時間的なことではなく、どこかで破綻が来そうなの
 を懼れる気持ちであった。
・売立ての会場は芝の日本美術倶楽部の一室か、赤坂の一流料亭を借りよう。下見会には
 出来るだけ多方面に案内状を出し、新聞雑誌関係の記者も呼ぶというのであった。その
 実行は数日後になされた。芦見が躍るような恰好をして戻ってきた。「万歳だ。岩野先
 生は大感激していましたよ。長生きはするものだと泪をこぼさんばかりでした。こんな
 のは美術史上で空前の大発見だというのです」
・すべては、俺の計算通りに行った。岩野は抜きさしならぬ場に出て来た。何があっても、
 もうにげようがないのである。彼らは「日本美術史」の神さまのような厳粛な足どりで
 重々しく俺の剥落作業場に入って来るのである。俺の作業がはじまる。まるで時計の秒
 針を計っているように、計画的に時を計ってやる。俺の声が絶叫する。あれは贋作だ!
 突風が巻き上がるような混乱が起こるだろう。その渦巻くような煙が薄れるころ、岩野
 が真逆さまに転落して行く姿が眼に見えるようだ。荘厳な権威の座から哀れげに落ちて
 ゆく。アカデミズムの贋物が正体を剥がされて、嘲笑の中に墜ちるのである。それが俺
 の最終の目的である。人間はその目標を凝視するあまり、あたかもそれが実景であるか
 のように幻視や幻覚に襲われるものだ。が、俺の凝視も遂に幻覚におわったのであった。
・どこに破滅があったのが。酒匂が喋ったのだ。彼はほんの一言、同期に洩らした。無論、
 贋作を描いているとは言わない。中堅画家として名声を得ている昔の友だちに己の才能
 を対抗的に認めさせたかったのである。決して知らせてはならない秘密だが、自分が無
 能の土砂の中に埋没するのはあまりに寂しかった。ほんの少しは誰かに知らせたいのだ。
 実際、彼は残っている一枚を、それは落款のないものだが、自慢げに同期に見せたので
 ある。そこまですると崩壊の穴はそのことから急速に拡がった。岩野の推薦文のついた
 目録はまだ印刷中で刷り上がっていなかったから、外部に出ることは無かった。岩野は
 危うく連絡を免れた。
・俺は酒匂を責めることはできない。俺だって自己の存在を認めて貰いたかった男である。
 俺の「事業」は不幸な、思わぬ躓きに、急激な傾斜のしかたで崩壊した。しかし、俺は
 何もしなかった、という気は決してしていないのである。どこかに或ることを完成した
 小さな充実感があった。気づくとそれは、酒匂という贋作家の培養を見事に遂げたこと
 だった。