宣戦布告(上・下) :麻生幾

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この小説は、北朝鮮の特殊部隊が潜水艦を使って密かに日本本土に上陸。しかもその場所
は原子力発電所が三カ所もある場所。そんな場合に、日本はどう対処したらいいのか。
あくまで警察力だけで対処するのか。それとも自衛隊出動か。自衛隊出動としたらそれは
治安出動になるのか。それとも防衛出動なのか。政府をはじめ警察、自衛隊、地方自治体
が大混乱に陥るというものである。
その根本的な原因となっているのが関連する法律の未整備だ。このような事態に対処でき
るように法律が整備されていないのである。現地では次々と犠牲者が出ているので、政府
内では法律論議に明け暮れるという、あきれ果ててしまう状況が繰り広げられる。
これが現実ではなく小説でよかったと心底思うのだが、しかし、このような北朝鮮の特殊
部隊が密かに日本国内に上陸するという事態や、中国の偽装漁船の部隊が尖閣諸島に上陸
し占拠するというような事態は、あり得ないことではないだろう。
そのとき、果たしてそれに対処できるように関連法律が整備されているのかどうか。この
小説では日本の平和憲法があるからダメなんだという主張が展開されるが、これは憲法が
問題なのではなく、その下にある法律の整備の問題なのだと思う。つまり、運用の問題な
のだ。憲法改正論者は、今の9条では国を守れないと、すぐに憲法9条ダメ論を展開する
が、それは単に9条に責任を押し付けているだけではないのか。ましてや、自衛隊員やそ
の家族がかわいそうだから憲法9条に自衛隊を明記するんだ、などという感情論での憲法
改正では、曖昧だと言われる9条がますます曖昧になっていく恐れがある。
いくら日本の自衛隊が最新の装備を備え、世界でも有数の軍事力を持っているとしても、
それを運用するための法律が、あらゆる事態に対処できるようにしっかりと整備されてい
ないかぎり、絵に描いたモチでしかない。運用のための法整備ができていないのは政府を
初めとして、その下で動くエリート官僚たちの怠慢でしかない。
最近不祥事が続く東大卒のエリートたち。森友学園問題で決裁書の改ざん疑惑の渦中にあ
り辞職に追い込まれた財務省の元国税庁長官の佐川氏、テレビ朝日の女性記者に対するセ
クハラ疑惑が持たれ辞任に追い込まれた財務省の元事務次官の福田氏、そして出会い系サ
イトを利用して複数の若い女性を「買春」していたことで辞任した元新潟県知事の米山氏。
いずれも東大卒の超エリートたちだ。この小説の中にも、そうした東大卒のエリート官僚
たちの「女性問題」が書き綴られる。元次官の福田氏のような言動は、東大卒のエリート
官僚にとっては日常茶飯事と言えるようだ。どうしてエリート官僚がこんなに女性にだら
しがないのか。この小説の中で、その理由ついて書き綴られているおり興味深い。
このような日本の官僚や政治家たちを見ていると、そこには国のため、国民のために働く
という志がほとんど感じられないのは私だけではないだろうと思う。この国の将来を真剣
に考えてくれる政治家や官僚が出てくること期待するのは、無理なことなのだろうか。

プロローグ
・朝鮮人民軍の偵察局員と思料される人物が、日本の偽造旅券を行使し、成田空港から不
 法に入国した。各都道府県警察本部におかれては、当該人物の発見に努めるほか、朝鮮
 会関係各所の視察を続けられたい。尚、発見の際には、秘匿によって行動確認を行い、
 警察庁外事課まで速報願いたい。

第一章
・グリーンのベスト、赤いワンピース、そして黒のスカート。そのシックな制服は、ロビ
 ーの喧騒とは打って変わって、一つの空間を実に落ち着いた雰囲気に包んでいた。もう
 三十年間も制服のデザインは変わらない。エスコーターと呼ばれる彼女たちが活躍する
 のは、日々や公園に面した帝国ホテルの正面玄関から入って、フロントを右に見ながら
 ロビーを抜けて奥まった所にあるエレベーターホールだ。彼女たちは、宿泊客や宴会場
 へのゲストが迅速にエレベーターに乗れるよう、恙なく誘導することだけに専念してい
 る。
・「”壁”を出す」ロビーアテンダント課長は、エスコートガールの一人に近寄ると小声
 で囁いた。課長の指示は直ちにほかのエスコートガールたちへと伝わっていった。彼女
 たちの動きは一糸乱れず、しかもゆっくりとした動きだった。エスコートガールたちは、
 エレベーターホールの両端に隠された”壁”を引き出しはじめた。”壁”は左右に計八
 基あるエレベーターのうち三基だけを囲むようにロビーをピタッと封鎖した。
・エスコートガールたちのうち半分が、封鎖されたエレベーターホールから防弾壁の間を
 通って、VIP玄関へと急いだ。横一列に並び、VIP玄関の両脇に整列した。エスコ
 ートガールたちのとっては、もう何度となく経験していることだったが、この瞬間はい
 つも極度に緊張状態に置かれる。彼女たちは帝国ホテルの顔として、一番初めにVIP
 と顔を合わせることになるからだ。
・一般のゲストには公開しないVIP専用の出入口を持っているのは帝国ホテルだけであ
 る。これまでも、来日記念晩餐会に訪れたエリザベス女王、ブッシュ米大統領など国賓
 級のゲストは、必ずこの<VIP玄関>を利用した。VIP玄関の前に車で到着した特
 別ゲストたちは、一般客の目に触れることなく、”壁”によって守られた三基のエレベ
 ーターを独占することができる。
・”壁”はふだん、エレベーターホールの両端に隠れている。”壁”の下にはローラーが
 付いていて、VIP来訪時には八基あるエレベーターのうち三基を囲むように封鎖する。
 しかも周囲の環境と色も形もまったく同じため、一般の宿泊客たちはエレベーターホー
 ルには五基のエレベーターしかないと思うだろう。反対側からでも”壁”しか見えず、
 通路を間違えたと判断するだけである。偶然にも、テロリストグループが”壁”のシス
 テムに気がつき、サブマシンガンをぶっ放したとしても、その音さえVIPたちには聞
 こえないだろう。”壁”は鉄板や防弾チョッキにも使われるケプラー繊維などの六層構
 造になっているからだ。そのため帝国ホテルのロビーアテンダント課のスタッフは、ゲ
 ストの前では決して口にしないが、この”壁”を<防弾壁>と呼んでいる。
・フランス大統領はズボンポケットに片手を突っ込んだまま、出迎えた帝国ホテル社長を
 始めとするスタッフたちに手を上げて、気さくな笑顔を振りまいた。防弾壁で守られた
 通路を通り、すでに準備されていた一基のエレベーターに消えていった。それに続いて
 東京駐在の大使たち、自民党幹事長、外務大臣などを乗せた車でVIP玄関は洪水と化
 した。
・日本最大手の画廊「桜林洞ギャラリー」の創立三十週記念パーティーが、あと少しでオ
 ープニングを迎えようとしていた。桜林洞ギャラリーの沢村社長は、何十年もの間、昼
 は必ずビジネスランチ、夜はこまめにパーティーに顔を出し、プライベートの時間を持
 つことすら一度もなかった。しかし、四年前。すべてを変えたのは沢村の再婚だった。
 年齢差が三十歳近い自分の娘ほどの女性にすっかり魂を抜かれてしまったのだという。
 気の抜けたような沢村社長に代わって、現在の桜林洞ギャラリーの経営責任者としてす
 べてを仕切るようになったのは、営業企画課長の諏訪園千佳子だった。
・パーティーが始まってからずっと主賓のフランス大統領に付き添う大役を与えられたの
 は千佳子だった。その姿は、ゲストたちの間でひときわ目立つ存在だった。彼女がわず
 か三十一歳で部長職に就けたのは、英語、フランス語を操るトリリンガルであったこと
 もさることながら、日本人離れした身長170センチのスレンダーな肢体もプラスに働
 いたことは言うまでもなかった。
・千佳子が、政治家、官僚や財界人のオフィスを訪ねると、食事の誘いを受けないことは
 ない、と言っても過言ではなかった。だからと言って、ディナーの誘いを受けたら大変
 であることを身に染みて理解していた。VIPと称される人種の男たちは、必ずと言っ
 ていいほど高級ホテルの料理店を予約する。そして、最後のフルーツが出たとき、いき
 なりテーブルの上に部屋のキーを置く男も、一人や二人ではなかった。千佳子の記憶で
 は、東大経済学部出身のキャリアと言われる高級官僚ほど、その傾向が強かった。彼ら
 のこれまでの人生を尋ねてみると、ほとんどの男に共通項があることがわかった。学生
 時代は、国家上級公務員の試験勉強に明け暮れ、彼女も作らず、趣味と言えばマージャ
 ンくらい、役所に入れば、すぐに責任あるポジションに就かされる。大蔵官僚であれば、
 二十代半ばにして地方の税務署長を務めるほどだ。
・若手官僚は企業や業者が放っておかない。夜の世界に接待されれば、事前に言い含めら
 れたホステスや芸者にモテまくる。女性に対して無菌状態で大人になった彼らは、自分
 は相当モテるんだという錯覚に陥る。だから、有無を言わさず、部屋の鍵を千佳子の目
 の前に放り投げることができるのだ。 
・桜林洞ギャラリーの営業部員の一人である東山は、美術業界だけでなく政財界にも幅広
 い人脈を持っており、今日のパーティーに出席したVIPの多くも東山の顔をよく知っ
 ていた。何十人ものVIPの顧客やコレクターを持ち、年間の売上だけでも十億円以上
 稼ぎ出していた。今では桜林洞ギャラリーの年商のほとんどを彼一人がまかなっている
 ともいえた。 
・千佳子は怒っても笑ってもエクボができる。東山は十歳年下のそんな千佳子が可愛くて
 しかたがなかった。だが、自分だけしか知らない笑顔もある。
・東山は思わず千佳子の腕を取って、柱の陰へ引っ張っていった。孔雀の間の柱は、戦前
 の帝国ホテルを設計したアメリカ人建築家ライトのデザインをそっくり模写して作られ
 ている。柱は特にライトが好んで使った、重厚感溢れる焼きレンガの「テラコッタ」を
 埋め込んでいた。 
・李成沢が店を出た直後、戸惑う経営者夫婦の前で、警察手帳を見せながら、李成沢が飲
 み干したビールグラスを任意で提出してほしいと頼み込んだ。ビールメーカーのロゴが
 入ったグラスは、ハンカチに包まれたうえで、警視庁が誇る平河町の指紋照合センター
 に宝石箱のように慎重に運ばれた。指紋児童照合装置は、グラスから検出した指紋を高
 速で360度回転させ、全国の外国人登録データが入力されているホストコンピュータ
 にアクセスさせた。だがコンピュータは「コレクト」という記号をディスプレイ上に出
 すことはなかった。この結果にはさすがに驚愕した。外国人登録データバンクに該当す
 る指紋がまったくないということは、おはや李成沢という名前が偽名であるかどうかは
 関係がなかった。男は幽霊でしかありえなかったからだ。幽霊でないとすれば、答えは
 一つしかない。北朝鮮から日本海を渡り工作船で潜入したか、偽造旅券で不法入国した
 秘密工作員である。
・男はニヤニヤしながら汗を拭いた。東山の目の前に立つ、この男との付き合いは、もう
 三年になる。夕食を一緒にするたびに時事問題などをやさしくかみ砕いて教えてくれた。
 だが、国益とかアジアの軍事的均衡とかいう話題は、東山にはまったく興味がなかった。
 汗かきの男は、急に小声になって東山の顔に近づいた。「今晩は大丈夫だよね?」この
 男は、国家の情報よりも下半身の話題によっぽど神経を使うらしい。「もちろんです。
 いい部屋を取ってありますから」「由紀子は十時頃、携帯へ電話が入ることになってい
 る」
・汗かきの男は、パーティー会場へエスコートする東山の後ろ姿を見ながら一年前のこと
 を思い出した。東山と夕食を共にしたある日、ゴルフを一緒にプレーするような気さく
 な女性がいないものかと、ふと相談したのがすべての始まりだった。ゴルフを付き合っ
 てくれる女性といっても、どんな女性でもいいというわけではない。銀座のホステスな
 どをゴルフに誘ったこともあるが、彼女たちはお付き合いの範囲を逸脱しなかった。そ
 れが問題だった。その頃、噂で流れてくることは、他の省庁の動機入省のヤツらはうま
 いことをやってやがるということだった。忙しい、忙しいとマスコミには言いながら、
 毎晩、企業の秘書を呼び出したり、どこで知り合ったのか女子大生とイタリアンを食べ
 てよろしくやっているヤツが何と多いことか。でも、霞が関の住民たちは皆、そんな性
 癖を持っていることをお互いに納得している。
・政府委員として国会の登場し、しかめ面をして答弁していようが、眉間に皺を寄せなが
 ら他省庁との調整会議で白熱した議論を展開していようが、夜になれば、求めるものは
 皆同じなのだ。書類にうもれながら、息を殺して昨夜のベッドでのことをほくそえんで
 いるのだ。だが、今どき六十歳近いオヤジと好き好んで付き合ってくれる奇特な女性な
 どいないことも知っていた。そうかといって、プロの女性には興味はわかなかった。政
 府高官としての立場もあったが、肉体関係だけでなく、重要なのは精神的な結びつきだ
 った。恋愛がしたいのだ・・・。
・東山が男に電話をかけてきたのは、それから一カ月後のことだった。「向島の置屋に最
 近は入った子でステキな女性がいるんです」東山の説明によれば、その彼女とは新潟県
 の高校の同窓生。最近、別の法務省幹部を赤坂の料亭で接待した時に偶然に出会ったと
 いう。それが由紀子だった。はじめ東山の言葉を聞いても半信半疑だった。そんな都合
 のいい女性がこの世の中にいるものなのか。新橋や向島の芸者たちは、すべて御ひいき
 が決まっている。霞が関の官僚たちも、どの置屋の誰を呼ぶか、つねに決まっていた。
 霞が関の官僚が、ある芸者を気に入っても、彼女が誰々幹部の御ひいきと聞けば、すぐ
 に身を引くという、暗黙の了解もある。企業の社長室でも、官僚たちの芸者の御ひいき
 データは必携事項だった。
・もともと日本政府の倫理規定や機密規則、さらに国家公務員法に、女性との付き合いに
 ついてのお達しや注意事項など書かれてはいない。先輩や上司からも教訓めいたことを
 言われたことさえ一度としてなかった。日本の役所そのものが、女性関係に関しては、
 実はまったく寛大だった。
・赤坂の料亭の小部屋で会った瞬間、年甲斐もなく一目惚れだった。歳は三十二歳という。
 少し垂れ目のお嬢さん風の理知的な顔立ち。歳を忘れて男の心を熱くした。料亭にも週
 に二回のペースで一人で通い、そのたびに由紀子を呼んだ。それらの資金はすべて、東
 山が払ってくれた。最初は気が引けたが、今までも何度もご馳走になっているので、い
 つまでも気にすることはなかった。
・二人が初めて関係を持ったのは、二カ月後。伊東温泉への一泊旅行だった。温泉街でも
 高台に位置するその旅館は、観光客の喧騒から離れ、山中にある一軒宿だった。高級官
 僚にとって、女性連れの旅行の場合、人目につくことだけは絶対に避けたい。
・由紀子と関係をはじめた頃は、もし自分があと十歳若かったら、と考えたことがよくあ
 る。妻と離婚して新しい女性と第二の人生を歩めたはずだ。たとえ離婚が出世の妨げに
 なったとしても、周りがそれなりのポジションを用意してくれる。それがギャリアのい
 いところだ。キャリアの仲間たちは互いをかばい合う。けっして悪いようにはしない。
 地方に飛ばされても、それなりにメシだけは食っていけるだろう。もうこの地位になれ
 ば、離婚は官僚としての立場を脅かすものではない。役所を辞めても、関連企業が顧問
 くらいで引き取ってくれるのは間違いないからだ。
・オレの人生はあと何年だろうか。二十年もないかもしれない。その間に、何回、射精で
 きるのか。そんなことを考えて苦笑したこともある。間違いのない事実は、こんなジイ
 サンを相手にしてくれるのは、もう由紀子しかいないだろうということだった。そう、
 彼女は最後の女なのだ。
・デッドドロップとは、エージェントがあらかじめ決められた場所に文書などの資料を置
 いておき、後からエージェントのコントローラーである秘密工作員が回収するという諜
 報接触の形態である・デッドドロップはKGB(旧ソ連国家保安委員会)が好んで使っ
 た手法だ。これなら二人が接触する危険を冒す必要がない。  
・帝国ホテルの10Fの部屋で、汗かきの男がダブルベッドの上で熟睡しきっていた。寝
 息を確認した由紀子は、シーツの音を立てないようにベッドを下りた。バスローブを手
 にとったが、余計な音は立てたくないと思い、床にそっと置いた。男がソファの上に置
 いていたアタッシュケースまで近寄った。由紀子は本当はすぐにでもシャワーを浴びた
 かった。男が全身に残したヤニ臭い唾液をぬぐい取りたかった。だが、そんな時間はな
 かった。全裸のまま膝をつき、アタッシュケースを厳重に守っているロックキーを暗記
 している4ケタの番号になるまで回した。アタッシュケースを開けると、<極秘>とい
 う朱印が押されている書類が何枚か見えた。冒頭に、<内閣安全保障・危機管理室長>
 と記されていた。続けて、<日本各地の原子力発電所における警備状況の問題点につい
 て>とあり、その下には細かい内容が書かれていた。文書には、専門用語や図面が細か
 く記述されていた。さらには電子的警備システムのテクニカルノートも添付されていた。
 由紀子は、その書類を含む朱印が押された文書だけを抜き出し、オリンパスのデジタル
 カメラを取り出し次々と撮影した。由紀子が撮影したのは合計30枚。それらはすべて
 静止画像保存用のカードにキャプチャーされた。由紀子は、自分のバッグまで戻り、中
 からキャスターマイルドのボックスを見つけると、その中にカードをねじこんだ。
・由紀子は急いでタブに飛び込んだ。そして勢い良くシャワーダイヤルをひねった。あの
 安っぽいロースのような短い舌が体を這い回ったことを思い出すと、鳥肌がたった。由
 紀子はシャワーのダイヤルを強くして頭から叩きつけた。
・帝国ホテルから仕事場に直行した男は、いつもよりも30分も早く自分の部屋に到着し
 た。秘書が驚いた顔で挨拶すると、男は笑顔で新聞を受け取って、さっさと自分の部屋
 に入って行った。デスクにアタッシュケースを置くと、由紀子の誕生日を逆転した数字
 を、ロックキーでそろえて開けた。男の頭に由紀子の肢体が蘇った。思わずニヤついた
 笑いが出た。重要書類や簡単なステーショナリーセットは、いつもの通り整然と並んで
 いた。念のための行為だったが、昨日はとくに、首相官邸での会議に使った重要資料を
 そのまま持って出たので、気にはなっていた。普段ならこんなことはしない。だが、由
 紀子との時間には遅れたくなかったのだ。
・李成沢は、帝国ホテルのロビーをグルリと見渡した。ロビーソファには観光客の男が一
 人と、男女のカップルが座っているだけだった。その後ろの広大なランデブーラウンジ
 では、化粧直しに余念がない由紀子の前に、朝刊を手に持った東山が、無言で座った。
 由紀子は東山に気がつくと、そそくさと化粧品をシャネルのエナメルバックにしまい込
 んで、かわりにキャスターマイルドの箱を一つ取り出し、東山の手元にそっと滑らせた。
・東山は、ジャケットの内ポケットから、無地の白い封筒を取り出して、由紀子の前に置
 いた。画廊の営業マンの多くは、キャッシュを財布ではなく、封筒に入れて持ち歩くス
 タイルが昔から続いている。だから、その光景は、東山にとってはごくありふれたもの
 だった。由紀子は封筒の中身をすぐに覗いた。約束通り、福沢諭吉の顔が20枚あるこ
 とを確認すると、小さく微笑んでバックの中に封筒ごと落とした。
・東山は、李成沢の提案に乗って、男の書類を複写して渡すということは、もしかすると、
 その書類が、政治的に利用されてしまうのではないか。自分は映画で見るようなスパイ
 行為を働こうとしているんだろうか。それは危険なことなのか。しかし、李成沢の誘い
 は自分にとって人生最大のチャンスであることは間違いないと考えた。
・李成沢の話を、初めて由紀子に持ちかけたのは、今から三ヵ月前のことだった。始めは、
 もっと信頼できる人間を使おうと思っていたが、下手に情が絡んだり、特別な関係にな
 ったりしたら、それこそ面倒だと感じるようになり始めた。それより、金ですべて解決
 した方が、後腐れもないし、危険な仕事も割り切ってやってくれるはずだと確認したの
 だった。親しい女性に頼むのは気が引けたのに比べ、由紀子だったら、金ですべてを割
 り切っているので、良心の呵責も感じないで済むと思ったことが、東山を決断させた一
 番の理由だった。ヤバイことだという認識は心の奥底にしまい込んだ。
・東山のとっても、男との関係を維持することは絶対に不可欠だった。男が紹介してくれ
 る人脈は、政財界問わず、よだれが出るほどハイクラスの人間ばかりである。しかも、
 それらは、彼が大蔵省主査であった頃に世話したという人ばかりで、「あの人の紹介な
 ら」と、画廊の一営業マンにも快く付き合ってくれる。彼のご機嫌を損なうことは許さ
 れない。由紀子との関係も、できるだけ長引かせなければならないのだ。
・東山は、帝国ホテルの正面玄関のドアを出て目の前の信号を渡り、日比谷花壇の脇を通
 り過ぎて日比谷公園に入った。右の小道をレストラン松本楼の方向へ進んで行った。
 東山は、踏みつぶしたはずの折れた吸殻を拾い上げると、ベンチの脚のすぐ脇に置いた。
 ふたたび歩き出した東山は、ごみ箱の傍らにキャスターマイルドの箱を無造作に置いた。
・15分後、李成沢は、東山が通ったコースと同じように日比谷公園に入ると、目的のベ
 ンチに向って足を進めた。決められた場所にブツが安全に置かれたことを示すタバコの
 吸殻があることを確認した。
・李成沢は、プログラムリストから<ステガノグラフィー>というソフトを起動させた。
 そして、サンプルとして別のホルダーに保存していた日本の女優、30人分の顔写真を
 マウスでドラッグし、由紀子が撮影した30枚の書類の画像の上に重ね合わせた。最後
 に、その画像を圧縮して、電子メールの添付ファイルで送信を終えた。
・白頭山交易ビルの一室で、何の変哲もない黒メガネをかけた男が、受信したメールに貼
 り付けられたファイルをすんなりとCD−RWにコピーした。2時間後、成田空港駅改
 札口から出て、セキュリティーチェックの民間ガードマン会社の警備員に日本人名のパ
 スポートを見せた。警備員は、特に注目することもなく機械的にカバンの中身を点検し
 た後、深々と礼をして南ウイングの空港ロビーへと送り出した。
・平壌市中心部、朝鮮労働党対外連絡部ビル近くの灰色の建物。別名、302号庁舎。そ
 こで莫大な国家予算を投じて変造されたパスポートを見分けることを民間警備員たちに
 求めるのは、はなから酷なことだった。
・免税店で買い物を済ませた男は、中国国際航空を利用して、円時間後には北京空港に降
 り立った。その男はトランジットフロアーに向かい、朝鮮航空のサテライトに足を踏み
 入れた。さらに5時間後、迎えの車に揺られながら、平壌市内中心部にある8階建ての
 人民武力部綜合庁舎に辿り着いた。
・男は、秋葉原で買い込んだビデオカメラとゲームボーイを紙袋から取り出した。最後に
 取りだしたのは、5本の日本のアダルトビデオだった。その男、パク・アンリーは、3
 日後の自分の姿を思い浮かべた。オスロのポルネブ空港には、ベルリン経由でも夕方ま
 でに着くはずだった。在ノルウェー北朝鮮大使館一等書記官というもう一つの肩書を持
 つ偵察局空てい部隊所属、パク・アンリー大佐は、オスロ行きがなくなったことを悟っ
 た。    
・陸上幕僚監部の調査部調査第二課別室は、公式の名簿や組織図からはまったく削除され
 ていた。この極秘機関が国民の前に驚嘆すべき能力を初めてさらけ出したのは1983    
 年の旧ソ連空軍戦闘機による大韓航空機ミサイル撃墜事件だった。しかし、このコミン
 ト機関が国民の前に姿を現したのは、その一回だけだった。それからもなお、厚いベー
 ルに包まれたまま、電波情報を収集し続けていた。
・1997年、そのコミント機関は新しく組織が変えられることになった。調査第二課別
 室という名称は消え去り、情報本部という新しい名称に変わったのだ。調査第二課別室
 が行っていたコミントは、情報本部の中で、新しく電波部という名称でスタートした。
 全国九カ所え約1千名が従事する電波傍受基地。これが情報本部の全容だ。
・電波部の広いフロアの中でも、最大スタッフを抱える電波第三課の北朝鮮チームは、冷
 戦の崩壊以降、最も過酷な勤務を強いられてきた。朝鮮人民軍の連隊レベルの「変化」
 一つでも、首相官邸に緊急電話をすることが日常化していた。だが、ここ一カ月で見る
 と傍受員たちの緊張は緩んでいた。DMZ(非武装地帯)前線に相変わらず張り付いた
 野戦砲部隊も、多くの兵士が田植えに駆り出され、また兵士の食料を確保するために自
 分たちで畑を耕しているといった動きを正確に把握していたからだ。
・全国九カ所にある電波傍受パラボラアンテナは、衛星通信を使った国際電話をも傍受し
 ている。   
・音声分析担当の電波第八課のコンピュータの磁気テープには、40年間に及び国際電話
 や軍事無線の傍受を通してかき集められた北朝鮮労働党最高幹部から朝鮮人民軍高級将
 校にいたる一人一人の膨大な声紋が蓄積されていた。そのため電波第八課の存在そのも
 のが情報本部の最高機密扱いだった。
  
第二章
・P−3Cは、一旦飛び立てば8時間から10時間以上の飛行を余儀なくされる。そのた
 め他の軍用機よりは居住性の高い仕様になっている。だが、体ごと沈むようなソファが
 あるわけでもなく、フェザー入りの枕が付いたベッドがあるわけでもなかった。硬いイ
 スと高性能コンピュータに囲まれた狭い空間。これが、潜水艦ハンターたちの職場だっ
 た。冷戦が崩壊し、ロシアの太平洋艦隊が水兵たちに満足に給料も払えず、戦艦は錆だ
 らけになったといっても、潜水艦隊だけは不気味に生き残っていることを権藤は身を持
 って知っていた。
・ロシア軍はカムチャッカ半島のペトルブロフスクにある極東潜水艦艦隊だけには資金を
 惜しみなく注ぎ込んでいた。その明らかな証拠は、津軽海峡と対馬海峡の海底に密かに
 並べられたMAD(磁気探知システム)センサーや、アメリカ軍が敷設したSOSUS
 システムの超低周波探知センサーが24時間態勢でモニターし、確認されていた。
・ペトロパブロフスクやウラジオストクのロシア太平洋艦隊基地を包囲するように敷設さ
 れたSOSUSには、毎月のように出航するロシアの戦略ミサイル原子力潜水艦がコン
 タクトされていた。潜水艦のスクリューのターンカウントは原則ギアが発生させるノイ
 ズを捉えるパッシブ・ソナーシステムは、ロシアの太平洋艦隊や潜水艦隊基地の出航状
 況を、一隻の取りこぼしもなく24時間態勢で捕捉していた。
・「あきしお」のようなバッテリー潜水艦は充電池によってモーターを回して航行する。
 しかし、充電のためにはディーゼルエンジンを回し、空気を取入れるべく、必ずジュノ
 ーケルを海面に上げなければならない。
・潜水艦のノイズをキャッチするためには、まず、深度ごとの海中温度を測らなくてはい
 けない。水中での音波の伝わり方は、水温に大きく影響されるからだ。潜水艦ハンター
 たちは、複雑な水温の変化の勾配を常にコンピュータに解析させることにより、海の中
 での音の伝わり方と伝達特性を瞬時に知る必要があった。   
・パッシブ戦とは、潜水艦のスクリューなどから発せられる周波数を、パッシブ・ソナー
 で捉えることにより、潜水艦の距離と方位を絞り込む戦術のことだ。
・水温とひと口に言っても、深度や海域の潮の流れなどでクルクル変わる。そのため、潜
 水艦のノイズも、伝わりやすいところと伝わりにくい地点がある。海の中は、海流や天
 候の変化などで、何層にも温度の壁ができるほどだ。この水温情報をすべて、しかも三
 次元的に把握したうえでないと、効果的にパッシブ戦は不可能だ。
・センサーマンが咳払いすら我慢してヘッドフォンを耳に当て、高速回転しているスクリ
 ューがシャツ、シャツ、シャツというタウンカウント(水を切る音)に全神経を集中し
 ながら、潜水艦の位置を特定するなどという時代は、とっくの昔に終わっている。
 ASWの現代戦は、百マイル先の潜水艦の音、しかも人間の耳にはけっして聞こえない
 超低周波シグナルをめぐる戦いなのだ。
・最近の潜水艦は、いかなる音も発生させまいと、驚くほどさまざまな工夫が凝らされて
 いる。最新ハイテク技術の粋が集められた潜水艦のステレスシステムによって、もはや
 パッシブ戦だけでは、最新の潜水艦を探知することは不可能ではないかという意見も、
 海上自衛隊の幹部の中にはあるほどだ。
・水晶浜近くで小さな民宿を経営する小宮聡子にとって、夏はまさに戦争といえた。日本
 でも有数の美しい白浜とコバルトブルーの海を求めて、関西方面や名古屋方面から毎年
 大勢の海水浴客が訪れる。毎朝、息子を送り出す時に視野に入る美浜原子力発電所の姿
 も、見慣れた山を眺めることと何ら変わらなかった。原子力発電所の建設は強引に行な
 われた。聡子は、当時、子どもながらも、国というものの力の恐ろしさを感じたことだ
 けは覚えている。
・原子力発電所の原子炉に火がともり、膨大な電力を関西地区に供給し始めると、敦賀半
 島の住民たちには思っても見なかった事態が起こった。住民に原発と共存させるための
 代償として、県と国から巨額の地域振興資金と漁業補償金が舞い込み、多くの漁師が新
 しく船を買い換えることができた。それよりも何よりも漁師たちを歓喜させたのは、想
 像もしなかった恩恵だった。原子力発電所が膨大な排水を始めたことから海流が変わり、
 丹生稚気や竹波地区を囲む丹生浦に魚が大量に流れ込んだ。それは新しい漁場の誕生だ
 った。ただ。時を経るにつれ、それは皮肉な結果を生み出すこととなった。どこの地方
 都市とも同様に、若者は都会を求め敦賀を離れいき、過疎と呼ばれる町がまたひとつ増
 えた。さらに、原子力発電所が積極的に地域住民を雇用したことで、現在丹生地区で漁
 業を生業に飯を食っているのは、わずか15軒になってしまったのだ。
・平穏な毎日。聡子にとってはそれが一番大事だった。いつものように朝が来て、いつも
 のように息子のために弁当を持たせた昨日の午後、海岸に人影もないこの季節に一人の
 釣り客がやってきた。聡子は夫を起こさないように布団から出ると、子供部屋を覗いた。
 子どもが、へそを出して、枕と反対側に半回転して眠っている。聡子は微笑んだ。聡子
 は、珍しくなじみの客が来たので、山に入り、朝食用に新鮮な山菜を採ってこようと早
 起きしたのだ。玄関先を少し出たところで、ふと聡子は立ちどまった。「民宿」という
 大きな看板がわずかに見える自分の家を振り返った。別に理由があったわけではない。
 聡子は再び向き直って、まっすぐに伸びる山道を見つけた。そして早朝の冷気を思いっ
 きり吸い込み、駆けだして行った。
・暗闇の中を、二つのライトが水晶浜に向ってゆっくりと近寄ってきた。浜を見渡せる駐
 車場に入ると停止した。車には若い男女が乗っていた。「あれは・・・」暗黒の空間に、
 巨大な黒いかたまりが浮かんでいのを男が見つけた。女は空気を一杯吸い込んだまま動
 けなかった。鳥肌が全身を被った。「これえ、潜水艦でねえんか・・・」
・福井県警通信指令は、大学生の男女から「敦賀半島の海岸で潜水艦が浮かんでいる」と
 の通報を受けた。しかし、県警通信指令は、どのように対処をしたらいいのかわからな
 かった。<突発重大事案発生時における措置要領>という緊急事態マニュアルの小冊子
 を読み込んだが、どこにも海岸に海上自衛隊の潜水艦が漂着した場合、などという項目
 はなかった。また、こういった場合に、いったい海上自衛隊のどこへ訊けばいいのかも
 緊急マニュアルには記されていなかった。まずは「連絡系統表」に基づいた、主だった
 県警幹部に緊急連絡することだったが、この事案は、刑事部なのか、警備部なのか、そ
 れさえも見当がつかなかった。
・警備課長の自宅に電話を入れると、「どうぜ海上自衛隊のモノでしょう。もっと詳細が
 判明してから、もう一度連絡ください」と電話は切れた。捜査第一課長は「海上自衛隊
 の潜水艦か何か知らないが、海の上に浮かんでいるんだろう。だったら海上保安庁の管
 轄とちゃうんか?」との返事だった。
・海上保安庁の第八管区保安部の救難警備部に電話を入れると、「海上での警察権の行使
 は、警察との取決めがあり、海上それも完全に海に出た地点での事案は、こちらに管轄
 権がありますが、海岸に近い所の場合は、警察で対応して頂くことになっているんです」
 との返事だった。しかし、「その線引きは海岸からどれくらいの距離ですか?」と尋ね
 ると、「はっきり決まっているわけでもなくて・・・」と言葉に詰まった。その代わり
 に、海上自衛隊の舞鶴地方総監部の当直斑に訊かれたら、との回答だった。
・舞鶴地方総監部に電話した。電話はすぐに地合総監部地下1階のオペレーション・ルー
 ムに回された。しかし「こちらには潜水隊群がありませんので、即答できません。自衛
 艦隊司令部と連絡を取らなくてはいけないので、判明した段階で連絡致します」との回
 答だった。 
・「潜水艦?座標?」連絡を受けた自衛艦隊司令部の作戦当直幕僚は驚きの声を上げた。
 作戦当直幕僚は、デスクトップのコンピュータに向き直った。キーを操作してMOFシ
 ステムにアクセスした。ディスプレイには、海上自衛隊のすべての潜水艦の動きがシン
 ボルで表示された。MOFシステムとは、1998年に完成した新しい自衛艦隊司令支
 援システムだ。自衛艦隊司令部の作戦室を始め、すべての地方隊の作戦室と六本木の
 CCP(中央指揮所)とがオンラインで結ばれており、潜水艦だけでなく、全護衛艦の
 動きもディスプレイ上で表示される。作戦当直幕僚は、自分のデスクの上で居ながらに
 して、ほとんどの海上自衛隊部隊の動きを把握することができた。しかし、MOFシス
 テムで把握できないものもあった。
・海上自衛隊の潜水艦も母港を出港する前に「行動計画」を提出する。この情報はMOF 
 システムにすべて入力されるので、潜水艦隊司令部オペレーション・ルームは、時間ご
 とに、どの緯度と経度で潜っているか、デスクトップのMOFシステム・ディスプレイ
 で、すべての潜水艦の行動をモニターしている。誤差範囲も計算に入れてあり、前方五
 十マイル、後方五十マイルの円内には必ず身を潜めていることを示す。だがMOFシス
 テムでも分からないことが、一つだけあった。それは、海上自衛隊トップシークレット
 に属する事項だった。
・潜水艦は太陽の光も通さない海の底が仕事場だ。敵の艦船や航空機からシールドされた
 環境で事由に動き回っているのだ。だから、どの国でも潜水艦の作戦行動は国家機密と
 同等に秘匿されている。海上自衛隊もその例外ではない。日本は専守防衛が作戦行動の
 基幹的なドクトリンだが、実は防衛庁とて海上自衛隊の潜水艦の動きをすべて把握して
 いるわけではない。行動する限界エリアは内局から提示されているが、はたして海上自
 衛隊のサブマリーナたちが、それを厳格に守っているかどうか、防衛庁のスタッフたち
 も疑心暗鬼だった。
・海上自衛隊の潜水艦には特別なミッションが与えられることが多い。その情報は、潜水
 艦隊司令部の作戦室からも、自衛艦隊司令部の作戦室からも隔離される。特別ミッショ
 ンを命じられた潜水艦の船長は、たった一人で潜水艦隊司令部の別室に招集される。こ
 の特別ミッションを知っているのは、潜水艦隊司令官及び幕僚長とSBF作戦主任幕僚、
 潜水隊群司令とその下の作戦幕僚、そして海上自衛隊幕僚長の6人に限定される。だか
 ら、秘密作戦が命じられた潜水艦の行動は、けっしてMOFシステムにはインプットさ
 れないのだ。 
・作戦当直幕僚の頭に真っ先に浮かんだのは「敵だ!」という言葉だった。
・「敦賀半島で発見されている潜水艦は、日本のものでも、アメリカのものでもないとい
 うことです。この意味、わかりますか!」
・指揮官たるもの、陣頭に立ってこそ重要だ。ハンガー竿からズボンを取り出し、県警本
 部長の沢口は慣れた手つきでアイロンをかけ始めた。
・警察庁で夜間の緊急情報を受けるのは、統合当直と呼ばれるセクションだ。統合当直に
 は、すでに「敦賀半島に潜水艦漂着」との第一報が入っていた。統合当直員はすぐに目
 の前にある「突発緊急事態対処マニュアル」をめくったが、ここでも混乱した。潜水艦
 という今まで聞いたこともない”漂着物”に対して、どう対応していいのか分からなか
 ったからだ。警察庁統合当直にも、第三国からの軍事的な先制攻撃、ゲリラ攻撃などに
 対処するマニュアルは作られていなかった。とにかく主だった幹部に連絡することしか
 思いつかなかったのである。叩き起こされた警察庁幹部たちの第一声は、どれも判で押
 したおように同じ言葉で始まった。「君は寝ぼけとるのか?」
・水晶浜から50メートルも離れていない波打ち際。そこで波に洗われているのは、まぎ
 れもなく潜水艦だった。ムキ出しになった船底部は錆であろうか、オレンジ色に染まっ
 ている。全体的にもキズだらけであることに岡田警備部長は驚いた。潜水艦を実際に見
 るのは初めてだった。報告では全長が20メートルと聞いていたが、あらためて見ると、
 異様なほど黒くて大きい。しかも、なんとグロテスクなんだろう。
・自衛艦隊司令官の剣持海将は、海上自衛隊という組織が、国民が想像もできないほど膨
 大な軍事情報を集める能力があり、世界最高レベルの技術と兵器を装備していることに
 疑う余地はないと確信していた。日本の防衛もさることながら、アジアの安全保障全体
 を担っているのだ。アメリカ軍とともに。その確信のもとに自衛艦隊司令官としての責
 任に震えることもあった。だが、現実に戦争が始まった場合のことを考える度に、想像
 を超える恐怖に襲われた。海上自衛隊は戦力として、すべての実力を発揮することが許
 されるのだろうか。しかも、戦力を否定しているという、このいびつな日本という国で、
 自衛隊はどう戦うのだろうか。その時を今、迎えようとしているのだろうか。
・海幕長の桜田海将が「気になるのは、敦賀半島に潜水艦が漂着した以上、一緒にオペレ
 ーションを行なっていた他の潜水艦部隊が周辺地域に存在すると考えるのは自然です。
 日本に来たのが一隻だという保証はまったくありません」と言った。
・海上自衛隊には海上警備行動という任務が自衛隊法で認められている。自衛隊法とは別
 に、海上自衛隊の実施要綱で、海上自衛隊には日本領海内の情報収集活動が任務で与え
 られている。情報収集というだけで、事実上、自由な行動が許されているのだ。その一
 つは「エリア監視」だ。自衛艦隊司令官によって、「何も特異なことがなくても、海上
 を舐めるようにして四方八方を監視せよ」と下令される。二つ目は「非常に興味ある海
 上の対象を監視せよ」と自衛艦隊司令官から命じられた場合、三つ目は目標を明確に指
 定するケースだ。
・海上自衛隊の組織は、戦力部隊として考えると、大きく四つに分けられる。まず一つは、
 「地方隊」だ。京都府舞鶴に本拠を置く舞鶴地方隊もその一つだが、他にも長崎県佐世
 保、広島県呉、青森県大湊、神奈川県横須賀と計5つの地方隊があり、それぞれの司令
 部を総監部と呼んでいる。各地方隊は6隻の護衛艦からなる護衛艦隊と保有しているが、
 ほとんどが決められた警備宮内、海岸だけの活動となっている。
・これに加えて「自衛艦隊」が存在するのが海上自衛隊の大きな特徴だ。地方隊とは違っ
 て重量級の護衛艦を抱え、海上自衛隊最大で最新鋭の戦力を保有している水上機動部隊
 である。部隊の配置は、横須賀に第一護衛隊群、佐世保に第二護衛隊群、舞鶴に第三護
 衛隊群、呉に第四自衛隊群。合計39隻の艦船を抱えている。その活動はフリーハンド
 だ。管轄エリアはなく、日本の威圧下にある海域ならどこへでも機動部隊として送り込
 まれる。
・三つ目のユニットは潜水艦隊だ。第一潜水隊群(呉)と第二潜水隊群(横須賀)の2個
 群部隊があり、計16隻の潜水艦を抱いている。
・最後の部隊は、航空集団である。厚木に司令部をおくこの航空部隊は、全国各地にベー
 スを持ち、哨戒機P−3C、対潜ヘリSH−60Jなど計320機の航空戦力を維持し
 ている。  
・いざ有事となれば、これらの部隊はすべて自衛艦隊司令官の下に隷属する。だから自衛
 艦隊司令官の権限たりや、実は強大だ。人事の処遇や階級的には、海上撲寮長のほうが
 上である。だが実質的な緒pレーションの最高指揮官は、自衛艦隊司令官なのである。
・ASWセンターの秘密情報は、普通なら、いちいち防衛庁に知らせることさえない。そ
 の能力は、情報を垂れ流しにするような防衛庁のキャリアたちは知らなくてもいいのだ。
 ASWセンターの情報は、もはや日本の情報ではなく、アメリカとの共有された情報な
 のだ。 
・敦賀半島に漂着した潜水艦の船内を捜索した。日本の潜水艦ならCICと呼ばれる戦闘
 指揮中枢エリアに入ると、床一面に何か燃やしたような黒い残りカスが散乱しているの
 がまず目に留まった。拾い上げると、書類を燃やした灰だった。ブレーカーのような機
 械類が並ぶ一角の横で、あきらかに通信設備と思われる装置類がメチャクチャに壊れて
 いた。まるでハンマーで叩きつぶしたようだ。潜望鏡の傍らにある指令台の上には、小
 さな写真の額が載っていた。テレビや新聞で何度もお目にかかっている、北朝鮮の後継
 者のまるまる太った健康そうな顔写真が額にはまっていた。
・潜水艦の船内で、手榴弾を1個発見した。3ダース分の手榴弾の空箱もあった。 
・地方の警察本部の機動隊は、柔道、剣道、の国体選手などを育てる目的で通称”武道小
 隊”を抱えているケースも多い。実働部隊としての訓練時間も少なく、練度もかなり心
 もとない。 そのため、重要警備事案があれば、日本全国の8つのブロックごとに設置
 されている管区警察局直属の管区機動隊が支援部隊として送り込まれるシステムになっ
 ている。しかし、事実上、それをコントロールするのは、警察庁警備課だった。
・警察庁という組織は、一般にはほとんど正確に理解されていない。警察庁と東京都内だ
 けを管轄する警視庁を混同している人さえ多い。簡単に言えば、警察庁とは行政機関で
 ある。警察法をひもとくと、捜査や警備の指揮権はあくまでも県警本部にあり、最高指
 揮官は本部長と決まっている。警察庁長官にも県警本部を指揮する権限は一般的には存
 在しない。地方で起きた殺人事件の捜査権は地方県警本部にある。警察庁にも捜査第一
 課、広域捜査指導官室というセクションがあるが、あくまでも他府県警察本部との間の
 調整というのが建前なのだ。だが、実際は、警察庁警備課長は地方県警に隠然たる発言
 力を持っていた。とくに重要な警備になると、警察庁の警備課が直接指揮する場面が多
 い。警備実施のノウハウを警察庁警備課のほうが熟知していることもあるが、予算と人
 事を握っていることが一番大きな理由だ。地方の警備事案では、その予算の大半に国家
 予算があてられている。予算の割り振りや予算額を決めるのは警察庁の権限であるのだ。
・警備警察という国の根幹をなす治安組織は、国家がそのほとんどをコントロールしてい
 るのである。とくに天皇陛下が地方に下向される場合の警衛警備(皇族の警備だけは
 「警衛」と呼称)では、事前に警察庁から”幕僚スタッフ”として警備のプロが現地に
 派遣さえることが多い。熟練した警部ノウハウを地元に伝授することが習わしとなって
 いるのだ。 
・番記者たちが総理に声をかけられる時間と場所は決まっている。朝、公邸から官邸に出
 勤する通路を歩いてきた時のドア前。夜、公邸に引き上げる時。原則的にこの二カ所で
 しか声をかけてはいけない。しかも声をかけるのは共同通信と時事通信の二人の記者だ
 けにしか許されていない。残りの記者たちは5メートルほど離れて集団で見守るしかで
 きない。そして、”ぶら下がり”と呼ばれるインタビューが終わると、すぐに日本の記
 者クラブ制の最も特徴的な”メモ合わせ”という儀式が行われる。総理に質問した二人
 の記者は、総理が何を答えたか、何を言ったか、すべて他の記者たちに伝えるのがルー
 ルだった。    
・判明しているのは、潜水艦は北朝鮮のもので、十人以上の乗組員は逃亡して行方不明中
 ということ。それと原発は少なくとも今は無事だということ。そして、手榴弾の空の箱
 が発見されていること。もし逃亡した乗組員が所持して逃げているとすれば、35個所
 持していると思われる。また最近、北朝鮮は特殊作戦用に小型潜水艦を使っているとの
 情報があります。重要なのは、その作戦を運営しているのが、北朝鮮軍直属の偵察局と
 いうテロ・ゲリラを専門とする部隊であるということです。今回の潜水艦が偵察局の作
 戦であったのなら、逃亡した乗組員たちは高いレベルで訓練された特殊部隊なみの兵士
 である可能性が高い。
・4日前に北朝鮮の2つの海軍基地から3隻の潜水艦が出航したまま行方不明になってい
 るとの情報を、海上幕僚監部では入手していたようです。さらに昨夜、自衛艦隊の対潜
 水艦部門が、日本の領海内で北朝鮮のサブマリンと思われる信号をキャッチしていまし
 た。 
・国際海洋法条約の批准を国会で行っていただいたおかげで、領海内を通行する潜水艦は
 潜航せずに必ず浮上しなければいけないことが決定されてばかりです。しかし、たとえ
 第三国の潜水艦が領海内を潜航しているのを海上自衛隊が現認したとしても、現行法で
 は水中電話なので警告するか、威嚇発砲が精一杯です。
・ROEと呼んでおります交戦規定が自衛隊にはありません。護衛艦の艦長や潜水艦の艦
 長には、緊急時の対応について独自の権限を何ら与えられていません。緊急場面での対
 応は、航空自衛隊のスクランブル態勢については決められていますが、その他について
 はまったくありません。相手が魚雷攻撃を行い、わがほうに損害が発生した場合のみ、
 しかも防衛庁長官の許可をいただいてからしか攻撃できないのです。しかし、それでは
 隊員の生命は守れません。よって、少しでも交戦の可能性があることは、絶対にできな
 いということになっているのです。
・これまでは治安出動の対処対象が、<国内の暴動鎮圧>となっていたが、今般、<武装
 工作員等への対処>と改正したはずだが。しかし、いざ実施するとなると、警察との細
 部協定と現地協定の締結が必要でありまして、まだ、いささか現実性がない。
・それでは何か、ほかの日本の海岸に北朝鮮兵士が上陸し、住民に被害を与えたとしても、
 海上自衛隊も陸上自衛隊も何の手出しもできないということか。
・まず防衛出動については、外国の武装勢力がわが国を攻撃しているという状態がなけれ
 ばなりません。今回の条件は、潜水艦の状況についても、まだ防衛庁としては何も確認
 できていませんし、北朝鮮のものだとは断定していませんので、なんとも申しようがあ
 りません。正体不明の集団に対して、自衛隊が軽々しく出動はできないのです。
・潜水艦がもし北朝鮮のものだと判明しても、領海侵犯自体はケシカランことですが、ど
 ういう理由で彼らが上陸したのか、今の段階ではわからないじゃないですか。万が一、
 北朝鮮が「機関が故障して流されてしまった。沈没するので上陸したまでだ。人道的な
 判断を期待する」と言ってきたらどうするんですか。彼らが敵意を持っているかどうか
 すら判断材料がない。
・まだ事態がハッキリしていない段階で安全保障会議を開けば、たとえ議員懇談会でも、
 マスコミに大きく取り上げられることは目に見えています。もし潜水艦が北朝鮮のもの
 だとしたら、北朝鮮はどう受け止めますか?日本が戦争準備をしているんじゃないかと
 疑心を与え、いたずらに刺激するだけです。はたして現状は国家的な危機だと言えるの
 ですか。   
・自衛隊法によれば、防衛庁長官の命令がない限り部隊は一切動かせない。陸上自衛隊の
 指揮官なら誰でも防衛大学校の時から教え込まれ、身に染みて知っている”事実”であ
 る。海底戦車に乗ったスペツナズ(旧ソ連軍特殊部隊)が北海道を急襲しようとも、す
 べて防衛庁長官の決裁が必要だと叩き込まれてきた。だが、防衛庁長官と連絡がつかな
 ければ、それまでの話なのだということも学んでいた。
・災害派遣要請を受けさえすれば、1996年の防衛庁事務次官通達により、自衛隊の自
 主的判断で情報収集を行なうことが許されるようになった。阪神・淡路大震災からの教
 訓である。   
・全国四つのブロックに分けられた陸上自衛隊の方面隊を総指揮する方面総監は、防衛庁
 長官からの出動命令を直接受け、あらためて各師団長に行動命令を下す。これが陸上自
 衛隊の基本的な指揮命令系統のシステムだ。だが実際に作戦を実行するのは、あくまで
 も師団長。方面総監は統轄者ではあるが、各方面隊との調整を行なうのが実質的な任務
 である。しかしそれはずべて、防衛庁長官の許可があってからの話である。自衛隊法で
 は、部隊はもちろん、弾薬一個動かすにも決裁書類に防衛庁長官の印が必要とされてい
 る。師団長にいくら作戦遂行権限があるといっても、防衛庁長官の許可が下りないこと
 には、背中のスイッチがOFFになったままのロボットも同じだった。
・敦賀半島には、美浜、もんじゅ発電所、敦賀発電所の三つの原子力発電所があるが、原
 子力発電所に対するテロを想定したマニュアルを持っていないわけではないのですが、
 主に連絡系統について細かく記述されているにすぎません。なにしろ美浜原発から3百
 メートル離れた所に警察官が一人いる警備駐在所があるだけで、機動隊の分駐所もあり
 ません。美浜原発の場合、施設の警備を担当する原発専門の民間警備会社からの通報を
 待って、警備駐在所が初動の情報収集に動き、さらに県警本部に知らされるシステムに
 なっています。
・おまえたちは、RPG7という対戦車ロケット砲を知っているか?あれはすごい。まと
 もに当たれば人間なんてプルコギ同然だからな。でも、あいつらの考えていることが分
 からない。あんな重たい物をわざわざ持って行かなくてもいいものを、足手まといでし
 かたないはずだろうに。日本の警察は回転式拳銃しか持っていないだろう?そんなオモ
 チャじゃ話にならないぜ。なにしろあいつらは、1年間だって穴の中で生きていけるん
 だぞ。しかも絶対に最後まで与えられた任務を遂行する。本当に恐ろしいやつらだ。
・RPG7対戦車ロケット砲は、初速がきわめて速く、3百メートル離れた場所から発射
 しても装甲車1台を軽く吹っ飛ばし、原子力潜水艦の厚い鉄板も貫通させ、20センチ
 の厚さの鉄板も難なく貫通させてしまうほどの威力を持つ。有効射程距離は1500メ
 ートル以上とも言われています。
・SATとは、特殊突撃部隊と称され、警察が極秘にする対テロ特殊部隊のことだ。もと
 もと警視庁の第六機動隊と大阪府警第二機動隊にそれぞれ40名ほど配属されていた部
 隊である。それが1996年、対テロ部隊は新しく増強されることになった。警視庁と
 大阪府警のそれぞれ中隊40名に加え、北海道警、愛知県警、神奈川県警、千葉県警、
 福岡県警にも新しく対テロ特殊部隊が創設されたのだ。
・こんなザマで今までよくテロにみまわれなかったものだ。非武装の市民グループなどが
 強行突破することは止められるだろうが、拳銃一丁の武装をするだけで原発の中枢区域
 までたどりつける可能性は高い。しかも発電所の職員をたった一人、人質に取るだけで。
・それはわれわれの問題というよりは、原子力発電所、つまり電力会社側の問題といって
 いただきたい。電力会社は、それでなくても住民の反対運動を恐れヒヤヒヤしながら運
 営しているのに、警察に全面的に警備を任せたり、大々的に警備体制を敷いたりするこ
 とは、わざわざ危険があるということをPRするようなものだと、ずっと目を伏せてき
 たんです。日本に原発が初めて設置された時は、その警備体制の甘さから、アメリカ政
 府から建設を反対されたという経緯もあったそうです。幸い、今まで何もなかったこと
 が不思議なくらいで。
・千佳子は頬にエクボをつくった。東山のタバコを一本取ると、百円ライターで火をつけ
 ながら、マイクロミニのストレッチスカートから伸びた足を組みかえた。隣のテーブル
 に坐る白髪頭の中年男の視線がその足にこびりついた。妻が睨んでいるのに気がつくと、
 中年男は首をすくめ、山のような言い訳を始めた。
・千佳子は悲しかった。やっぱりこの人は変わった。それも私の知らない暗い世界が東山
 の背後に広がっているような気がした。
・警職法では、やはり正当防衛か緊急避難でしか発砲できません。「凶悪犯罪の犯人の逮
 捕」の項目でも、”射殺権”については明文化されてはいません。
・射殺命令がないと大勢の隊員が死亡し、責任問題に発展するかもしれません。
・警察に限らず、官僚は責任という言葉が最も苦手だった。
・潜水艦の捜索で発見された日本製のビデオデッキですが、美浜原子力発電所の映像が映
 っていました。しかも「もんじゅ」も含まれていました。それも、原子力発電所施設の
 警備詰所の様子が長時間にわたり克明に録画されているんです。

第三章
・上空には、警視庁航空隊から援助派遣されたテレビ搭載ヘリコプターが二機ツインロー
 ターの断続的な爆音を響かせて舞っていた。阪神・淡路大震災の直後に導入されたこの
 新型テレヘリは、スーパージャイロシステムがビデオカメラに固定され、ヘリコプター
 の不規則で激しい震動にも影響されず、クリアな映像を地上で待機する衛星中継車に電
 波信号を送信することができた。
・福井県庁は自治省と交渉し、東京消防庁が保有する大型救急トレーラーの緊急派遣を要
 請した。この大型救急トレーラーは地下鉄サリン事件でも活躍し、20人以上の患者を
 同時に収容することが可能で、応急処置をほどこすための最新医療設備が整っていた。
 もし重傷患者が発生した場合には、このトレーラーで一次救命措置が講じられた後、県
 警や県庁の防災用ヘリコプターで福井市内の病院などに搬送されることが決められた。
・避難させた住民をどこに連れて行くかという現実的な問題が控えていた。近隣の石川県、
 京都府、滋賀県の職員たちどうして調整が始まったが、毎日三食の食事代、毛布代、医
 療費をどこがどう負担するかで調整がつかず、各県庁や府庁は大混乱に陥った。
・とにかくだな、何が何でも射殺方針というのはやめろ。日本ではなぁ、それだけ大量の
 人間を警察が殺すには、まだ国民のコンセンサスが取れていないぞ。今の政治の状況を
 知っているな。連立与党でも、11人もの人間を連続して殺したら張り切ってくるに決
 まっている。偽善家の固まりの民主党はなおさらで、政治を混乱させてくることは目に
 見えている。自民党だってわからんぞ。つねに違ったことを言って目立とうとする輩が
 多い。だから、はじめから射殺は政治がもたない。
・司令部では、原子力発電所が攻撃された場合に備えて大宮市にある陸上自衛隊化学学校
 長隷下の101化学防護隊をできる限り現地に近づけておきたかった。
・「迷彩服姿の男です。肩に何か長い筒のような物を抱えています。先は丸くなった・・」
 RPG対戦車ロケット砲から発射された榴弾ロケットは自ら黄色の火炎を噴射。一本の
 噴射煙を引きずりながら、秒速500メートルの弾速で、一人だけ前進していた陣内の
 足元に最短コースの弾道でたどり着いた。着弾したロケット弾はV字形の指向性爆薬を
 瞬間的に爆発させた。射撃命令を解除したことが最悪の結果をもたらしたのは、誰の目
 にも明らかだった。
・被害状況を確認すると、さらに6名が重傷を負い、苦悶して地面に転がっている。制圧
 第一班はほぼ全滅あった。対戦車ロケット砲を目の前にして、まともに戦えるはずはな
 い。SAT指揮官はそう確信していた。
・官房長官の篠塚はこれまで国会対策など、いわば裏政治で腕力を発揮してきたが、内閣
 の要に就いてからはまったく別の権力志向を持つようになった。夜は相変わらず野党の
 幹部と密会を重ねていたが、そのかたわら、自衛隊幹部や警察幹部との会食のために積
 極的にスケジュールをあけることを忘れていなかった。その大きな理由の一つはアメリ
 カとの関係だった。官房長官として日本を代表してアメリカ政府高官と頻繁に付き合う
 ようになり、その重要性を知ったのだ。日本は何といってもアメリカとの関係を抜きに
 しては語れない。アメリカ人脈を増やすことが党や政界での地位の向上に直結するのが
 わかったのだ。そしてアメリカとの最大の関係は安全保障である。だから自然に安全保
 障や治安問題に精通するようになっていった。むろんそれは、自らの権力欲から湧き出
 るエネルギーに支えられていた。
・北朝鮮兵士が、潜水艦を使って集団で、しかも不法にわが国に侵入し、重火器を使用し
 て複数の日本国民を死傷させたということだ。これはもう立派な、わが国に対する軍事
 侵攻に他ならない。あの潜水艦の中からビデオが見つかっていたそうだ。中身には美浜
 原発に突入を図るためと思われる映像が含まれていた。いまわれわれが決断すべきは、
 どのようにしてこの最悪の事態に対処すべきかということだ。
・ロケット砲を持ったプロの戦闘集団に対して、対ゲリラ戦を行える能力は警察にはあり
 ません。直ちに自衛隊の治安出動を進言申し上げます。
・北朝鮮が何万人も攻めてくれば、自衛隊はどうなっているんだという声は上がるだろう
 が、たかが山狩りという状態ではコンセンサスが得られるかどうかわからない。自衛隊
 の出動はそう簡単なもんじゃない。戦後初めての重大決断になることは諸君もご存じの
 通りだ。         
・本格的な交戦にあたる防衛出動にはあたりません。具体的な自衛隊の対処指針は、警察
 との間で新しく結ばれた協定によって示されております。武器の使用は、警察官職務執
 行法に基づき、警察比例の原則というものがありまして、正当防衛、緊急避難、または
 凶悪犯罪の犯人の逮捕などの場合、まったく警察官と同じ状況でのみ使用が許されてお
 ります。今回のように対戦車ロケット砲を持っているのなら、それに対応する武器を持
 つことになります。また相手はともかく戦闘集団なので、自衛隊はそういった相手に対
 する訓練を日頃から行っており、対処方法を知っているということです。
・有事における日米協力ガイドラインや有事法制研究で、すでにご案内のことですが、治
 安出動というのは、実際の作戦行動を考えると、膨大な問題がまだ解決されておりませ
 ん。たとえば、部隊が展開するに必要な公共施設を収用したり借り受けたりする権限が
 依然としてないのです。派遣される自衛隊が独自に県や市、もしくは地主の一人一人に
 足を運んでお願いしなければならないことになります。ひとつの連隊が動くにしても、
 人員、装備、食料などを輸送するためのヘリポート、車両の駐車場など、相当広範囲な
 土地が必要ですが、もし市や町によっては反対するところがありましたら、まったく使
 用できなくなり、部隊展開さえ不可能になります。
・治安出動においては、自衛隊が駐屯地の門をくぐり抜けた後、そこからは一歩も先に進
 むことが出来ないと思われます。例えば弾薬一つ乗せた車が走るにしても、県知事への
 要請やその具体的な現場での手続きなどについて実際に運用するために下部法、つまり
 政令がありません。はっきり申し上げて、自衛隊法は絵に描いたモチです。
・防衛出動につての基本的な対処事態は、外部からの武力攻撃、もしくはその恐れのある
 場合に際して、わが国を防衛するため必要であると認める場合、ということです。主体
 は自衛隊であり、武器の制限もありません。防衛庁長官の権限により自由に部隊編成が
 できます。ただ、”外部からの武力攻撃”というのがハッキリしなければなりません。
 今回の場合は、まだ防衛庁としては潜水艦内部を見ていませんし、逮捕された者の供述
 について絶対的に情報が不足しておりますので、判断しかねます。どこの部隊かハッキ
 リしない正体不明の集団に対して防衛出動はできないというのが防衛庁の見解でありま
 す。防衛庁では、昭和58年から独自に自衛隊の出動に関して何が阻害要因になるか法
 律をリストアップし、三つの分類に分けて、特例措置が必要な法律改正の検討を繰り返
 してきましたが、オーソライズされたものはありません。具体的にどう法改正し、政令
 を作り、現存の法理とどう整合性をつけるかなどの実務面は積み残したままです。   
 また、民有地での自衛隊車両の緊急通行などクリアにされていない問題が数多くありま
 す。     
・たとえば電波統制です。地下鉄サリン事件でも、出動した自衛隊は限られた無線系統し
 かないため、民間電波の洪水の中で活動が困難を極めました。自衛隊が作戦行動する場
 合は、大がかりな電波統制が必要です。さらに住民保護やそれに伴う強制措置など、極
 めて現実問題が山積みです。
・防衛庁や自衛隊も一切、治安出動については、訓練を行ってきていません。60年安保
 闘争時に治安出動が検討されたことで、内部では治安出動の教本を確かに作りましたが、
 その後すべて焼却処分にしてないのです。これら法的問題は、実質的にはほとんどが防
 衛出動と同じかと存じますが、治安出動は内乱を想定した検討はしておりますが、今回
 のような局地的なゲリラ対策は、本格的な検討をしたことがありませんでした。
・十人を超える警察官や住民に犠牲者が出るか、ロケット砲で原子力発電所が攻撃されて
 警察が対応できなくなるといった事態が起こらない限り、治安出動しても国民のコンセ
 ンサスは得られないし、その大きなハードルを越えられないということで意見が一致し
 た。 
・防衛出動ですが、これは国際慣例上、交戦状態を国家として決断したんだという、国家
 としての重大な意思表示と海外からはとらえられます。それほど重みがあることをお忘
 れにならないでください。日本は北朝鮮と交戦状態に入るのですか。こっちにその気が
 なくても北朝鮮はそう理解するでしょう。また周辺国家がどう判断するか。治安出動に
 ついても同じです。しかも自衛隊が出動し北朝鮮兵士と戦うこと。それ自体が国家と国
 家の交戦状態を世界にアピールすることになるのです。日本海側で自衛隊の大部隊がも
 し展開するとしたら、韓国や中国をも刺激しかねません。
・自衛隊の出動とは、宣戦布告と同じ状態です。防衛庁が何と言ったかしりませんが、中
 途半端な状態は防衛庁とて好まないと思います。しかもたった十数人相手に出動とは、
 周辺国の疑念を呼ぶことは必至です。
・自衛隊が実質的に国軍である以上、第三国の兵士と交戦すれば、国際法上もこれは国家
 と国家の交戦であります。問題であるのは、その戦後初めての交戦について、アジア各
 国のコンセンサスがいかに重要かということです。各国との調整は、二、三日でできる
 話ではありません。警察力でもう少し持ちこたえて、甚大な被害が出た場合にもう一度、
 自衛隊の問題を考えても遅くはないと思います。
・関西電力の水利施設の近くの落合川下流に身元不明の女性の変死体が発見された。仰向
 きになったパンパンに膨れ上がった肢体を一目見て、彼女の生命を奪った原因が何だっ
 たかすぐにわかった。ピンクのトレーナーが真っ二つにちぎれた部分から三十センチに
 わたって切り裂かれた白い腹がパックリとした穴を見せていた。大腸が盛り上がってむ
 き出しになり、一部は下腹部にかけてダラリと垂れ下がっていた。身元が判明した。九
 日前から行方が分からなくなり、捜査願いが出ていた、水晶浜近くで民宿を経営してい
 る宮聡子さん四十三歳だった。
・自衛隊に関する法律を一つとってもわかるが、日本という国は国の体をなしていないん
 だから。憲法で暴力を振るうことを否定しているような国なんだ、わが国は。にもかか
 わらず、何が自衛隊の出動で、何が制圧なんだ?満足に国家としての形ができていない
 のに、カッコいい真似をしてもしかたがない。
・総理大臣の権限のなさに無力感に襲われていた。この場を強引に抑えて弾を下すことも
 できない。満場一致などという小学校の学級会でもやっていないようなことが国家の最
 高判断の場で行なわれているとは。後世の政治家たちはどう評価するだろうか。
・官僚にとって最大の敵は、政治家でも首相官邸でもなく、他官庁の官僚であるというの
 が霞が関ワールドの常識だ。
・重装備している北朝鮮の特殊部隊に対して警察の支援の形で少数だけ投入しても、何ら
 自衛隊の力が発揮できないどころか、隊員にとっても危険すぎます。自衛隊としての能
 力を発揮するためには自衛隊独自のオペレーションでやらなければまったく意味があり
 ません。第一、武器の使用も警察官職務執行法の範囲内とされているという、自衛隊に
 とっては未体験の状況下では万全な態勢が必要です。たとえ一個師団で出動しても、今
 回のオペレーションは自衛隊にとってもきわめて難しい作戦行動になります。敵が撃っ
 てこない限りは武器も使用してはならないのでしょう。隊員たちを送り出す側としては
 責任があります。隊員たちの安全をまず考えて作戦計画を立てざるをえません。
・陸上幕僚監部防衛部長は、治安出動は自衛隊にはまったくなじまないと確信していた。
 軍隊とは、敵を制圧する、もっと言えば皆殺しにするのが本来の姿であり、そう訓練さ
 れている。武器の使用が制限された状況など隊員たちは今まで一度も経験したことがな
 い。    
・警察庁側は、口にしないが、防衛庁や自衛隊の幹部を不信感のこもった目で見つけてい
 た。自衛隊を一個師団でも自由に行動させては危険だ。ますます力をつけさせてしまう。
 自衛隊は監視しなければいけない存在なんだ。ほとんどといっていいほどの警察官僚が
 自衛隊の暴走を危惧していた。十年前の出来事が浮かんだ。陸上自衛隊のある師団長を
 囲む私的な勉強会があることがわかった。師団長は防衛大出の若い指揮官たちから信望
 が厚く、担ぎ出された格好だった。勉強会には憂国の士と自称する若手将校たちが多く
 集まって、不敗した政治、乱れた風紀、ナショナリズムを忘れ去った国民たちを罵倒す
 る光景が繰り広げられていた。結局、この勉強会は私的な勉強会というレベルを越える
 ことはなかったが、公安警察の幹部たちは自衛隊に大きな不信感を持つにいたった。
 各都道府県警察本部の警備部に新しいチームが極秘のうちに創設された。「マルジ」と
 呼ばれる自衛隊を監視する捜査チームだった。それ以来、公安警察では「マルジ」が音
 も立てずに活動を続けているのだ。
・北朝鮮の国営通信が、事件発生以来、初めて論評した。<わが共和国の潜水艦は航法装
 置の故障を起こし、日本の領海内に緊急避難した。日本政府に対しては、偶発的な故障
 にみまわれたわが国の資産である潜水艦と、遭難した乗組員を安全に機関させるように
 強く希望する。わが国と日本は今後も朝日協議を通じてアジアの平和のために友好関係
 を維持すべきだと考えているが、それはひとえに日本側の真摯なる態度如何によるとい
 うことを日本政府が正しく理解することを望む>
・最初の項目についての長時間の協議さえ、なかなか結論が出そうになかった。それは、
 郵政省と防衛庁の対立だった。自衛隊が本格的に出動すればさまざまな無線周波数帯を
 使用する必要がある。平時で割り当てられている周波数帯が極端に少ないため、大幅な
 無線局の確保と一般無線の制限がどうしても必要だと防衛庁は主張した。  
・国家の重大危機なら、きちんとした国家としての機関決定を経て、正攻法による自衛隊
 出動が求められます。そもそも治安出動、防衛出動については、下部法が決められてい
 ないので、実質的には実行力がありません。自衛隊法では、実際の細かいことは<政令
 で定める>とは明記されていますが、肝心のその政令がどこにもないからです。
・憲法では、個人の権利、財産は基本的に守られている。自衛隊の出動で前線本部や補給
 基地を設けることは、裏付ける法令がない限り、現実的にそれを侵害することになる。
 つまり憲法違反ということです。
・自衛隊というのはそういう組織なんです。一つの連隊が使用する車両だけでも三百両以
 上ありますし、弾薬の管理にしても安全面を考えれば相当広い場所が必要です。装甲車
 としての役割を果たす戦車部隊の駐車場、部隊や補給物資を運ぶ何カ所ものヘリポート
 などもいります。何千食という食事も毎日賄うための補給部隊の展開場所も多くのスペ
 ースが必要なのです。それが自衛隊です。
・災害対策基本法はその名の通りあくまでも災害対策で、住民の保護を目的とした法律で
 す。それを軍事に適用するなんて、荒唐無稽もいいところです。
・いったい何時間費やせばいいのだろうか。会議は、どの省庁が管轄するかわからないグ
 レーゾーンの項目がすっかり壁にぶつかってしまった。エリート官僚たちがまったく沈
 黙し切ってしまう場面が何度も現れた。
・一般の方はご存じないかもしれませんが、自衛隊は、寝ることから飲料水、食事、洗濯
 まで全部自己完結、つまり自衛隊だけですべてをやるんです。ゆえに、これ以外のこと
 でご負担をかけることはありません。

第四章
・総理、実際に敵に遭遇した場合の対処要領について、具体的にしかも細かく決めておい
 てやらなと、逆に相手を挑発してしまう形になりかねません。相乗効果で互いにドンド
 ンやってしまって、戦闘が拡大してしまうことが十分あり得るからです。そのうえ、自
 分の行動を正当化しようとさらに武力を使う。そういうことの繰り返しで、抜き差しな
 らない状況になって全面戦争へと発展してしまうというのは歴史が証明しています。盧
 溝橋事件から日中戦争へと拡大した旧日本軍がまさにそうでした。軍人というものは、
 そういうことで自己を守ろうとするんです。
・海上自衛隊の潜水艦の短魚雷は、ホーミング誘導どころではなく、ワイヤーガイドで目
 標を粉砕します。アメリカ映画の「眼下の敵」のように、ドイツのUボートから発射さ
 れた魚雷を艦長の指揮で巧みにすり抜けるような時代は終わりを告げたのです。国際法
 上から見ましても、相手を殲滅、つまり、撃沈してしまうことは、過剰防衛と判断され
 て、国際的な批判が加えられる可能性があります。しかし国家の意志がハッキリしてい
 て、わが国の防衛システムとしてROEで決められているんだ、ということを胸を張っ
 て言えるかどうかで大分違います。もう一つ付け加えさせていただければ、護衛艦から
 発射する対潜ミサイル「アズロック」や対艦ミサイル「ハープーン」も、その命中精度
 は想像以上です。現代戦は、先に撃ったほうがすべてを決するというのが現実です。撃
 沈させない撃ち方などありません。沈めるか、沈められるかです。潜水艦が魚雷を発射
 するということは、もう最後の手段ですが、いま申し上げたのが厳しい現実です。ゆえ
 に現地指揮官の独自判断に任せて攻撃させると、開戦行為と受け止められかねないでし
 ょう。     
・残念ながら、海上自衛隊の訓練カルキュラムでは戦術や事前情勢研究が中心で、法的な
 問題まではシミュレーションしておりません。海上警備行動の研究や訓練も行っていま
 せんので、現場の指揮官たちはどこに行動基準があるのかとまどっております。しかも、
 訓練していないことを初めて行うにしては、今回の問題はあまりにも微妙すぎます。
・自衛隊については常に監視しなければいけないと言うてきた。警察の諸君にもだ。政治
 や警察の手が届かないところに放っておいたら暴走しよる。だがな、今の事態は違う。
 コントロールされたなかでの行動は違う。はよせな、国民は謝った方向にリードされて、
 犠牲者は増え続ける。これからも日本はこういった国家的危機に遭遇するだろう。自衛
 隊の使い方の見本を示すんや。これは総理の専権事項だということを忘れてはならん。
 治安出動もしかり。将来のためや。
・行くも地獄、帰るも地獄です。どうせ地獄なら行くしかありません。これが総理の言葉
 です。    
・日本では、アメリカのように、三十年後にニューヨーク・タイムズの辛抱強い記者によ
 って国立公文書館から国家機密をほじくり出されることはない。日本にも国立公文書館
 と同じ名前の役所があるが、戦後の国家機密にあたる貴重資料を見ることはできない。
 明治以前の資料を集めた博物館でしかなく、本物の公文書はそれぞれ中央官庁の書庫の
 奥深く眠っているからだ。しかし、日本の場合は、公文書館の公開制度よりも実に便利
 な習慣があった。政治家の口の軽さである。閣議が終わって一時間とおかずに、多くの
 新聞記者は内容を知ることができる。今回ばかりは、この習慣を逆に利用使用と総理は
 思った。反対した者はすぐに新聞に名前が載ることになる。責任をとるべき人間がハッ
 キリするのだ。
・オレンジ色に照らされた薄暗い密閉された空間は、十数台ものカラフルなディスプレイ
 の光が輝いていた。CICと呼ばれるこの部屋は、水上目標、水中目標を捉えたり、対
 空防衛システムを統括し、すべての武器の使用をコントロールしたりするためのイージ
 ス艦の心臓部だ。”ハイテク艦”と呼ぶイージス艦の中枢部であるコンピュータ群は、
 CICにはない。八角形の巨大なブリッジの二階、三階に巨大電算室がある。
・潜水艦の座礁が本格的な軍事侵攻の兆候だという疑いも消えない。だからイージス艦が
 必要なんだ。イージス艦二隻もいれば、もう日本海は厚いバリアで覆われたも同じだろ
 う。その上P−3Cを常時二機を飛ばす。
・もし全面戦争にでも移行したら、北朝鮮は何の躊躇もなくノドンを撃ち込んでくるだろ
 う。ノドンのような中距離弾道ミサイルに対する防空システムは、西側諸国でも今のと
 ころイージス艦にしかない。舞鶴地方隊ともすぎに指揮官会議を開いて、ノドン対策を
 詰めていく必要がある。
・行動基準は具体的に明示していただけるのでしょうか?単に正当防衛、緊急避難、武器
 等防護で対応しろ、というだけの命令では不安です。たとえば三インチ50口径連装連
 射砲MK33などの銃座を担当している三曹が、正当防衛だと自分の判断だけで撃ち始
 めたら、もう船の中はまったく統制が取れなくなります。
・正当防衛、緊急避難、武器等防護は艦長たちの権利だ。法律で決められられている。だ
 が、それ以外のことは厳格に群司令の命令を待たなければならないということを徹底さ
 せておくべきだ。 
・「主席、総参謀部からの緊急情報です。日本軍について愚かなお知らせがあります」
 「日本は昔から愚かな国だ」「日本陸軍七千人?海軍も総動員態勢だと?たった十数人
 の兵士相手に、どうしてそこまで大規模兵力を動員しなければならないのか?日本はそ
 れほど臆病な国なのか、それとも何が別の狙いがあるのか?」「日本が何を考えている
 かわからない以上、北陸地方に一番近い、済南軍区の三個集団軍と北海艦隊を一級戦闘
 準備態勢に置くべきかと存じます」「よろしい。日本という国を永遠に信用してはなら
 ない」「さらにミサイル部隊に総動員態勢を命じておくのも、けっして冒険的であると
 は思いません。なにしろ日本全土の軍隊が臨戦態勢に入っており、東海(日本海)に兵
 力を集中させようとしています。それだけでも明らかな軍事的脅威です。より深刻に受
 け止めた方がよろしいかと」「私が知る限りでも、抗日戦争以来、日本軍がここまで危
 険な兆候を見せたのは初めてだ」
・経済エリートの党主席は、人民解放軍の実質的な最高指揮官に反論するだけの軍事的な
 知識を決定的に欠いていた。だが国益に関する嗅覚だけは天才的だった。
・1984年にシステムが始動したCCPは、自衛隊の大規模オペレーションが始まった
 場合に防衛庁長官を招いて総合的な指揮ができるように造られた、文字通り中央オペレ
 ーションセンターである。CCPが作られるきっかけとなったのは、1976年、旧ソ
 連極東空軍のミグ25が突然、函館に飛来してパイロットが亡命を求めた事件だった。  
 航空自衛隊ではミグ25の機影をレーダーで捕捉していたが、要撃機を緊急発進させる
 ための情報系統や指揮系統が大混乱し、ついに函館上空にミグ25が姿を見せるまで指
 をくわえて見ているだけだったのである。
・1984年に海上自衛隊のSFシステム(自衛艦隊指揮支援システム)と航空自衛隊の
 バッジ・システムとのネットワークを含むデータ処理システムが完成し、CCPは本格
 的に活動を始めた。だが、24時間態勢で日本の防空圏と領海海域を守るべくCCPが
 活動を始めたのは、1989年になってからだった。
・自衛艦隊は横須賀の自衛艦隊司令部で指揮しています。航空自衛隊のオペレーションは、
 実際は府中の航空総隊オペレーション室で行っています。
・たかが11名の北朝鮮兵士を制圧する治安出動オペレーションだが、自衛官として在任
 中に自衛隊が実戦で武力を使う事態が来ようとは想像だにしていなかった。けっして戦
 わない軍隊、それが彼が35年間生きてきた自衛隊の姿そのものだった。
・法律に書かれた治安出動というのは、国会の決議がなくても総理大臣は命令でき、発令
 してから二週間以内に国会に諮るということです。なぜ、あれだけの部隊が必要かとい
 うご意見をお持ちの方も多いと思いますが、自衛隊という組織はすべての者がそろわな
 いと活動できない組織なのです。これは日本だけでなく、アメリカ、欧州の部隊でもそ
 うであり、北朝鮮でもそうです。だとえば、現地では病院の空きベッドが少ないという
 ことで、自分たちで臨時の病院や応急手術セットを設置しなければいけない。また、駐
 車場、ガソリンスタンドも自分たちで賄うようになっているのです。それが自衛隊です。
・指揮官たちもかわいそうなもんだ。なんていったって、防衛庁長官の命令は、ただひと
 言、「この事態を制圧せよ」だけだ。武器の使用や細かい責任はすべて現地指揮官に背
 負わせている。おそらく死者が何人も出て、結局、指揮官の多くは首が飛ぶことになる。
・在日本朝鮮会のある幹部に関する興味深い情報が入った。その幹部は組織内の部下の妻
 と人知れぬ関係との噂が一部でささやかれているという。幹部が交際しているのがもし
 本当に部下の妻だとすれば決定的な工作条件になると判断した。韓国クラブのホステス
 くらいではひきずり込むネタとしては小さすぎる。バレても組織から譴責くらいで、小
 さなスキャンダルとして済まされてしまうからだ。しかし組織内の部下の妻なら話が違
 う。どんな幹部であろうとも組織から完全追放されるのは目に見えていた。組織から追
 放された男はもはやかれらの社会から抹殺されたも同然だ。視察をくり返し男の生活様
 態を徹底的に洗い出した。噂が本当だったことを確認するのはそう時間がかからなかっ
 た。相手の女性は二十近く歳が離れた直属の部下の妻だった。十日ほどの視察作業で完
 全な確信を得ることができた。真昼から二人は堂々と上野の風月堂で落ち合った。三十
 分ほどコーヒーを飲んだ後、歩いて五分ほどのところにある湯島のラブホテルの一つに
 腕を組んでいった。寄り添うように二人が出て来たのはそれから三時間後の午後五時頃
 で、ホテルから坂を下った不忍通りを出るとお互いにタクシーを拾って別れた。
・まず機密性の低い情報を提供する協力者を意味する「マルハン」という文字が書き込ま
 れた。その最高幹部と二回目の接触を試みた時からたくみな協力者誘導を行なった。
 「マルセツ」から半年たった頃、獲得作業は三段階目に入った。幹部は、これで完全に
 追い込まれたことを悟った。幹部が一般情報を提供する「マルハン」から最高ランクの
 情報を流す協力者を意味する「マルトク」へ格上げされること確信した。
・濡れたしずくも拭かずに由起子はバスローブ一枚で裸身を包み窓際に立った。その向こ
 うには赤坂みすじ通りのネオンがまぶしく伸びていた。グラスを持ち替えた時バスロー
 ブが大きく乱れた。長く白い太陽から腰までがあらわになった。防衛庁の男はその肢体
 に目が吸い込まれそうな気持ちに襲われた。由起子の視線は窓から離れ、いたずらっぽ
 い笑顔を男に投げかけた。男はもう我慢できなかった。はじめるように由起子の足元に
 ひざまずいた。自分の顔をキメの細かい太腿にむさぼるように押しつけた。由起子が足
 を少し広げた。白い肌の奥からエンジェルのハーブのような甘い香りが男の嗅覚細胞を
 刺激した。男は気が遠くなりそうだった。
・十二時間後、由紀子が接写したデジタルカメラの画像カードはJR飯田橋駅のラムラビ
 ルにあるドトール・コーヒーで落ち合った東山に手渡された。
・草むらが燃える煙が一気にあたりに立ち込めて思わず急き込んだ。手で煙を払った。こ
 の煙はいったい何なんだ。その瞬間、ハッとして指が止まった。煙で見えない?嫌な予
 感がした。それは軍人としての本能というほかなかった。何かがおかしい!とっさに周
 囲を見渡した。左側に展開していた第三班の隊員たちが立ち上がって火災をただ呆然と
 見つめている。それが悲劇の始まりだった。
・普通なら電話での首脳会議でも外務省の事務当局がアメリカ国務省担当者と打ち合わせ
 をしてから行われるのが慣習だが、今回だけは、アメリカ大統領は飛び込みで電話して
 きたのだった。アメリカ大統領は米第七艦隊の協力を打診してきたのだ。敦賀半島の事
 態と日本海における哨戒活動を含む活動への協力だ。日本海に自衛隊が集中することで、
 北朝鮮が”暴発”することを大統領は心配している。キティーホークを日本海に入れる
 と。
・首相は「キティーホームは仕方あるまいな。統幕議長、どう思う」と言った。統幕議長
 は「これは政治的な問題の前に、軍事戦術上と言いましょうか。すでに自衛隊は独自の
 作戦計画と編成に基づいて行動しています。しかも集団的自衛権の問題でマスコミの総
 攻撃を受けているのです。」「集団的自衛権?あなたも奇妙のことを言うな?空母を敦
 賀に近づけさせなきゃいいだけの話だ。まったく別行動としてやらせればいいんだ」
 「いえ、それが・・キティーホークは一隻では動きません。十隻余りの駆逐艦など、い
 わゆる機動部隊を引き連れて出動するのです。そうなると、第七艦隊が作戦行動に入る
 ことになるわけですが、システムとしては、海上自衛隊とです、別行動は、その、あり
 得ないという事実がありまして・・・」「”あり得ない”とはどういう意味だ?」
 「海上自衛隊は、実は、常に、早い話が、戦術的任務編成、いや、指揮権はもちろん我
 が方にあるわけですが、任務の命令というもので、同一ということになっているわけで
 して、もう一つ、リンクシステムで互いが結ばれ、つまりは・・・」
・統幕議長は、自分が説明すべきタイミングはすでに時機を逸したことを悟った。リンク
 システムのよって、という言葉に続く秘められた事実を言うべきチャンスが消え失せた
 のだ。 だが、幸運にも、日本の政治家たちが想像もしない現実に直面することはなく
 なった。ただ、それが果たして永遠になくなったのかどうかはわからなかった。
・炎が上がる草むらの左側奥から戦闘服姿の五人の男が飛び出してきたのは一瞬の出来事
 だった。第三班の隊員たちは反対側の火災のほうを見つけていたので、その気配に気が
 ついた時はすでに五人の男が目の前に立っていた。「待て、待て!相手が発砲していな
 い!空に威嚇射撃だ!」その声に弾かれたように五人の男は一斉にAK47を構えた。
 凍りつく第三班に向って乱暴に銃口を左右に振って7.62ミリ弾を撃ち始めた。射撃
 の指示を待って立ち尽くしていた隊員たちは単なる的でしかなかった。
・「小隊長!早く射撃命令を!」「電話を貸せ、早く!」「本当に攻撃か?」「応射して
 いないのか!」「小隊長が死んで、指揮官がいません!今更、そんなこと言わないでく
 ださい!第一発目は小隊長命令で行うことが厳命されていたんじゃないですか!」
・「敵の火力が圧倒的なんですよ!一歩も動けません!対戦車ヘリをください!」「連隊
 長に判断を仰ぐ。連絡を待て!」
・無反動砲の使用を求める現場の声は、はるかな旅をすることになった。最後にたどりつ
 いたのは、首相官邸の執務室に坐っていた内閣総理大臣だった。現場の小隊長が野外電
 話機に叫んでから1時間後のことだった。首相は受話器を振りながら大きく首を振った。
 「もう少し死者の数が明確になってから判断しよう」その言葉はふたたび長い旅をして
 敦賀半島山中まで伝わった。
・「ここまで来れば決断するしかあるまい。対戦車ヘリコプターの機関砲の使用を考える
 時が来た」「あれは殺人兵器ですよ。あきらかに過剰防衛だ。第一、総理の許可がまだ
 出ていない」殺人兵器だって?自衛隊の持っている物はすべて殺人兵器ではないのか。
 「そんなことを言っている暇があるんだったら、この切羽詰った状況をさっさと官邸に
 伝えろ!何人もが生きるかしぬかの瀬戸際よりも優先する会議なんてあるはずがないだ
 ろう!」  
・「わが国には自衛隊を越える存在はない。警察もダメで自衛隊もダメといったらもう国
 を捨てるようなものだ。自衛隊に頑張ってもらうしか道はない。法制局ばかりを責めて
 も酷だ。わが国の憲法が武力行使を認めていないんだ。ケンカを放棄しているいびつな
 国なんだよ、日本は。国の体をなしていなんだ」
・腹をくくったのはDCPに陣取る師団長だった。すでに多くの犠牲者が出ている。防衛
 庁に上げたって官邸の判断をあおぐに決まっている。それでは間に合わない。辞表も用
 意した。老兵が最後にできるのはこれくらいだった。

第五章
・電波部は、平壌の総参謀部からこれらの部隊の指揮官に対して打ったある特殊な暗号電
 文をキャッチした。その電報文は<戦闘準備態勢に入れ>と明確に命令していた。
・DMZ全面に展開している120ミリと240ミリ火砲、合わせて8千門の砲身が地下
 から姿を現し、呼び弾薬を運ぶ大量のトラックが集結してきたことを偵察衛星がリアル
 タイムで捕捉した情報として伝えてきた。
・北朝鮮の120ミリ砲はソウルまで軽く届き、240ミリ砲ならソウル市内も飛び越え
 るだけの威力を持っていた。軍事専門家の間では、圧倒的な航空戦力を保有する韓国・
 アメリカの連合航空部隊によって直ちに先制撃破されるので火砲は恐るるに足りないと
 いう評価があるが、それは自然という大きな敵を見落とした意見だ。もし天候が悪く、
 在韓国アメリカ第七空軍の戦闘機オペレーションに支障がでれば、1分間に30発の攻
 撃能力を持つ3千門もの120ミリ砲と240ミリ砲が火を吹くことは、すなわちソウ
 ルが火の海になることを物語る。在日米海軍情報部のスタッフなら誰でも危惧している
 事実である。しかも日本海から朝鮮半島にかけて地域は世界に例を見ないほど天候の移
 り変わりが激しく、台風というお化けも存在するのだ。わずか4時間の間に北朝鮮は完
 全に戦争準備態勢に入った。
・その兆候を最初につかんだのは、情報本部画像部が極秘にするIMSS(画像情報支援
 システム)を使った偵察衛星からの映像だった。1997年の復活予算で認められたこ
 の新システムはアメリカの軍事衛星と独占契約を結び、アジア地域の衛星画像だけを、
 24時間リアルタイムで見ることができた。馬養島の潜水艦基地のドックの先で、スク
 リューの航跡を残しながら外洋に向ってゆっくり滑り出す潜水艦の姿がまざまざと映っ
 ていたのだ。北朝鮮の潜水艦は、ふだんは山をくり抜いたバンカーと呼ばれるドックに
 隠れているが、出航する時は数百メートルの間だけ露頂航行することがすでに知られて
 いた。
・北朝鮮の潜水艦基地のバンカーは、きわめて小さく掘り開けらた洞穴のギリギリのスペ
 ースに入れられていた。ビッグバードの愛称で知られるアメリカの軍事偵察衛星KH−
 13の軌道をわずかに変え、角度を一度傾けた。ビッグバードのデジタル超高分解能カ
 メラは、四つの潜水艦基地のドックの中を、首を傾けるようにして、こっそり覗きこん
 だ。成層圏外から送られたデジタル画像は、すぐに解析装置にかけられた。ビックバー
 ドの驚異的な解像度は、狭いドックの中がカラッポになっている光景をクリアに捉えて
 いた。
・市ヶ谷の防衛庁情報本部の全国6カ所にある通信所と北海道にある3つの分遺班が、
 ”ゾウの澱”として知られたアンテナ群の”耳”でその情報を捉えたのは、ビックバー
 ドからのデジタル信号がNROに送られている頃だった。
・「数時間前、北朝鮮の四つの潜水艦基地からほとんどすべての潜水艦が出航したという
 情報がアメリカから入ったそうです。さらに情報本部からも同じような情報が入ってい
 ます」「ほとんどすべて?信じられん。何隻だ?」「日本海でアメリカが把握している
 北朝鮮の潜水艦は70隻あるとのことですが、そのうち出航したのは計4つの潜水艦基
 地から52隻です」
・防衛庁長官からの一般行動命令は、自衛艦隊司令官を通じて、護衛艦隊司令官、潜水艦
 隊司令官、航空集団司令官、各地方対総監などの会場自衛隊のすべての司令官に伝わっ
 た。北朝鮮の潜水艦が全艦出動したという異常事態に、大規模なASW作戦を行なうこ
 とを各部隊の指揮官たちに指示した。このプランはすでに海上幕僚監部、首相官邸にも
 伝えられていた”お墨付き”の戦術行動だった。     
・これにより護衛艦と潜水艦を合わせると、実に28隻の自衛艦隊ASW部隊が、潜水艦
 ハンティングを繰り広げるために日本海全域でオペレーション展開を開始したのだった。
 航空集団からも史上最大の哨戒部隊が出動した。すでに決められた哨区海域で常時2機
 のP−3Cが敦賀半島沖に海上警備行動で展開していたが、さらに鹿児島県鹿屋の第一
 航空群、八戸の第二航空群、厚木の第四航空群、岩国の第三一航空群、那覇の第五航空
 群からP−3Cが合計して12機、日本周辺の全域に出動した。
・特殊部隊と空挺部隊の動きを察知するのは軍事侵攻の最初の兆候をつかむのと同じこと
 である。       
・三沢のゴルフボールとは在日米第五空軍の三沢基地にあるNSA(アメリカ子か安全保
 障局)の極秘コミント機関のことだった。NSAの巨大傍受アンテナはゴルフボールの
 ような白くて丸いドームに囲まれていることから、自衛隊のコミントスタッフの間では
 そう呼ばれていた。ゴルフボールの地下には五階建てのビルがそっくり埋められて、二
 千名ものモニター要員と分析チームが極東からやってくる膨大な電波を傍受していた。
・「本当か、機甲化部隊が動いたのか!」機甲化師団は、DMZを突破する時に真っ先に
 作戦行動に組み込まれる部隊として、その動きに在韓米軍だけでなくアメリカ第七艦隊
 や自衛隊でも日頃からナーバスになっていた存在だった。
・「それだけではありません。特殊軍団の各師団や連隊間で異常な指揮通信系が活発に出
 現しています。暗号が切り換えられるとともに今までほとんど使用されたことがないよ
 うな周波数通信が平壌から送られたのです。しかもこのチャンネルは、過去、ラングー
 ンでの韓国閣僚爆殺事件、大韓航空機爆破事件などの特殊作戦でしか出現しなかったも
 のです。最も恐るべき第八特殊軍団と第一二四軍に北朝鮮首脳部から特別命令が出たこ
 とは明らかです。しかもアントノフ輸送機が全機発進しDMZに前進配備された模様で
 す」   
・第八特殊軍団は軍団規模で11万人ともいわれ、世界最大規模、平時ではDMZ前線に
 展開している第一、第二、第四、第五のそれぞれの軍団に分散配置されているほか、砲
 兵軍団、機甲化師団にも秘匿配備されている。北朝鮮が電撃的な軍事侵攻を企てる時は、
 まずこの特殊軍団が陸海空からさまざまな偽造手段を講じて韓国や日本に侵入し、韓国
 軍や米軍基地などにゲリラ攻撃を加えるものとみて、情報本部は最重点対象としていた。
 第一二四軍も10万人以上の規模を持つ特殊作戦部隊である。
・アントノフという旧ソ連製単発機は木製革張りであることから圧倒的なレーダーステレ
 ス機能に恵まれ、各軍団に紛れ込んでいる第八特殊軍団の空挺軽歩兵旅団を韓国に送り
 込むための輸送機として防衛庁の脅威リストでも注目される存在である。
・<わが共和国の民族の誇りである朝鮮人民軍最高司令官の金正日総書記が全国民に対し
 て重大なる声明を発表した。帝国主義者、アメリカの傀儡政権である日本の政治指導者
 は、日本に救助を求めたわが国の貴重な財産である11人の兵士たちを虐殺するべく、
 狂気の沙汰であるとしか言いようがない1万人余もの日本軍兵士を出動させた。しかも
 日本軍の悪魔のような行動はそれだけでなく、日本海軍の軍艦と戦闘機という大軍団を
 日本海に出動させ、わが共和国人民の皮を剥ぎ、血を搾り取ろうと虎視眈々と狙ってい
 る。わが親愛なる朝鮮人民軍最高司令官の金正日総書記は、これら日本軍の悪魔の牙に
 対して、祖国防衛のために重大なる決意を行なった。朝鮮人民軍に総動員態勢に入るこ
 とを指示するとともに最高の戦争態勢に入ることを命令した>
・「いま情報本部から入ってきた情報によりますと、北朝鮮の弾道ミサイル基地で気にな
 る動きがあります」「ノドンか!」「通称、そう呼ばれています」
・「防衛庁が確認した情報では、まだ燃料は実際には充填されていませんし、ミサイルも
 発射台にセットアップされていません。発射態勢にはない、ということです」「ノドン
 は20分で日本に到着するんだったな」「8分と推測されています」「8分?発射した
 という情報をつかんでから、どれくらいで首相のオレに教えてくれるんだ」「ここにお
 持ちするまでには最低5分ほどかかろうかと」「残り3分で自衛隊は何ができる?」
 「日本海に展開している2隻のイージス艦が探知してくれるはずです。すでに警戒中の
 航空自衛隊の早期警戒機E−2Cも探知してくれれば、パトリオットで撃ち落とせる可
 能性はあります」「可能性?絶対ではないのか」
・「ノドンが発射態勢になってはいないという事実もさることながら、まず大事なことを
 お忘れではないでしょうか。北朝鮮がノドンを日本に発射する理由が見当たらない、と
 いうことです。早計にお考えになるのは危険です」
・「何を言っとるんだ。さっきの北朝鮮の放送を聞いとらんのか、君は。絶対に撃ってこ
 ないと言えるか、絶対に」
・「お話はわかりますが、北朝鮮にとって、わずか11人ほどの兵士のために軍事行動を
 起こすなど、何のメリットもないと思います。アメリカの情報筋も同じ見解です」
・「君たちはその言葉一つで一億の国民の生命を保証できるのか!馬鹿を言うな!」
 「オレは知っているんだぞ。航空自衛隊の能力を。本当はな。F15を購入する時、そ
 の長い航続距離から専守防衛の趣旨に反するとして国会でもめにもめたよな。結局、予
 備の燃料タンクを装着しないことでやっと収まったが、いざF15がアメリカから届い
 てみると、サービスで予備燃料タンクが付いてきたじゃないか。それを航空自衛隊は今
 でも黙っている」「だから航空自衛隊のF15は北朝鮮まで飛んで行ける。ミサイル発
 射基地を叩ける。すでに航空自衛隊ではこのシミュレーションを何度も繰り返している
 はずだよな。
・総理はニヤリと気味の悪い笑顔を作った。この軍事オタクの政治家に誰が下らない玩具
 を与えたんだ。
・「つまり、わが日本は、発射基地を攻撃する能力があるということだ」「ノドンが日本
 に撃ち込まれた。一発目は防げなくても二発目が撃ち込まれそうになったら、それがハ
 ッキリと分かったらどうするんだ。それもしかたがなかったということにしよう。では
 三発目が日本を狙っていることが判明したらどうなるんだ。国民はパニックだぞ。何も
 しない政府は一気に崩壊する」「少なくとも、三発目が来ることが分かったなら航空自
 衛隊でミサイル基地を攻撃するしかない。これは専守防衛の理念に入ることだ。立派な
 正当防衛行為だ。すべては座して死を待つよりは、だ」「ノドンは国家的な危機を示唆
 している。憲法と国民の生命とどっちを取るか。これは政治家の判断することだ」
・「実は、警視庁公安部では、北朝鮮秘密工作員と思われる容疑者を長いあいだ視察下に
 老いてまいりました。捜査の結果、昨夜、防衛庁の最高幹部から、いくつかの防衛情報
 がこの秘密工作員へ流れていることを確認いたしました」その名前を告げられた総理は、
 手に持ったタバコに火をつけるのも忘れて、目を見開いた。「つい2時間ほど前も、彼
 とは話したばかりだぞ」
・「その24時間前には、北朝鮮諜報員のエージェントが手配した若い女性とダブルベッ
 ドにいました」 
・「私に少し考えがあります。このチャンスを逃すことはないということです。彼に欺瞞
 情報を流させるのです。こちらにとって有利な方向に北朝鮮を動かせるようウソを流さ
 せるんです」「現在の北朝鮮軍の緊張状態を解除させるために、一歩でも動いたら取り
 返しのつかない報復がなされると思わせるのです。それをアメリカが決断したと」
・「よし、わかった。それで、アメリカがどんな決断をしたことにするんだ」総理は身を
 乗り出した。
・「アメリカ軍が独裁国家に対して常に準備している軍事オプションの一つです」「北朝
 鮮指導者の排除です」  
・「由起子なる女性を知っているな?」防衛庁事務次官の土橋はカップを持つ手を止めた。
 「警視庁は、君が付き合っている女性を通して、防衛秘密が北朝鮮秘密工作員に流れて
 いることを確認したよ」
・「由起子、いや、彼女は単なる芸者ですよ。北朝鮮なんて全然関係ない。
・警視庁がニューオータニのラウンジで録取りした東山と由起子の会話テープを再生した。
 防衛庁事務次官の土橋は後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。網膜の裏側が真
 っ暗になるのを感じた。体の底から今まで経験したことがない恐怖が湧き起こった。
・「かわいそうな奴だ、君も。総理はな、依願退職でもいい、とおっちゃっている。こん
 な国、世界を見渡してもないぞ。アメリカだったら何十年も刑務所だ。イラクだったら
 間違いなく銃殺だろうよ。それだけでも感謝しろ」   
・「私は逮捕されるのですか」
・「普通ならそうだ。だが日本という国は恐るべき寛大な国であるとともに、少しは知恵
 を持ち合わせていることが、君にとっては幸いだった」
・五時間後。中国人民解放軍の動きは、ダイナミックかつ迅速だった。まず、台湾侵攻作
 戦のために温存されている、人民解放軍の最新鋭である済南軍区の三個集団軍、二個戦
 車師団、十三個歩兵師団などが一級戦闘準備態勢に入った。瀋陽のミサイル部隊基地で
 も総動員がかり、CSS−2およびCSS−5中距離弾道ミサイルがすべてセットアッ
 プされた。中国海軍からはミサイル駆逐艦、ミサイルフリゲート艦が一斉に出港して中
 国領海沿いに防衛ラインを敷いただけでなく、公海上を中国大陸に近づきつつある海上
 自衛隊の自衛艦隊に真正面から向き合うように展開した。
・一人のアメリカ人は流暢な日本語を操った。「われわれの国だったら電気椅子もしくは
 終身刑です。あなたの行なったことか」「あなたが会っている北朝鮮のエージェントと
 の付き合いは、これからも続けてください。そして今までのように資料を撮影させてく
 ださい。それがアメリカ政府と日本の指導者との間で決めたことです」
・「アイツらはオレたちのように甘やかされて育ってはいない。潜水艦に乗っているよう
 な若者は生まれた時から戦争だったんだ。軍人としてもう筋金入りだ。そして軍人が必
 ず自分の力を過大評価し向こう見ずになるのは歴史の証明するところだ。象徴的なモデ
 ルは、オレたちの母国だ」
・TSUユニットの左手にある機関砲のトリガーボタンに指をかけた。1分間に数百発発
 射する連射モードと二十発連続発射の速射モードのどちらかを選択できた。迷わず連射
 モードを選んだ。脳裏に一瞬、とまどいが起こった。このトリガーボタンを押し込むだ
 けで三人の男はこの世の中から消え去るんだ・目をつぶった。「射撃!」右手の人さし
 指を思い切って押し込んだ・コブラの機体が激しく揺れた。機関砲が火を吹いた。その
 前に、前に向って射撃してきた北朝鮮兵がコブラに気づき、銃を反転させて上空に構え
 なおした。しかし、それはまったくムダな動作だったことを、かれらはほんの一瞬だけ
 知ることができた。20ミリ機関砲の集中砲火を浴びた体はミンチのように内臓や皮膚
 をズタズタに吹き飛ばされ、頭蓋骨や大腿骨、全身の骨という骨までもが跡形もなく粉
 砕された。人間の体そのものが消え去ったという表現が正しかった。
・「国籍不明の偽造漁船が自艦に接近中です!威嚇射撃の許可を求めます!」
・「ダメだ。待て。官邸が判断するまで勝手に攻撃するな!」
・「そんな悠長なことを言っている場合じゃ・・・・」
・「発砲です!発砲!」
・「群司令、1名が銃弾をくらって死亡!即死です!」
・「もはや正当防衛、緊急避難、武器防護を行なうべき事態です。指揮官の判断で攻撃開
 始します!」   
・「アメリカが日米地位協定改正の緊急協議を要求しています。北朝鮮や中国のコマンド
 部隊が在日米軍基地を攻撃してきた場合、自衛隊の基地と共有ならば武器等防護という
 大義名分から自衛隊が出動できるはずだと。後方部隊がそろうまで自衛隊にも出動せよ
 と言ってきているんです」
・アメリカ第7艦隊の空母キティーホークは、南シナ海を真っ直ぐに南下していた。その
 周辺半径十マイル以内には、新しい任務編成を命じられた第7艦隊の所属するミサイル
 駆逐艦や巡洋艦がパワーフォスを作り上げている。水面下では、第7潜水艦部隊が護衛
 として張り付き、旗艦ブルーリッジは四国沖に展開していた。そしてすべての水上打撃
 部隊はリンク16というタクティカルネットワークで密かに被われた。
・広島県呉を出航した自衛艦隊第四護衛隊のイージス艦のCICでも、同じように東南ア
 ジアをカバーするマップが映し出されていた。しかもそれはブルーリッジやキティーホ
 ークのCICで当直士官が見つけている映像とまったく同じだった。リンク16で完全
 に脅威目標データを一体化したイージス艦は、第7艦隊の一つのユニットとして、アメ
 リカのイージス艦の戦術統制下に入った。海上自衛隊と米海軍の船舶の距離は数百マイ
 ル離れていた。だが、第7艦隊の全水上部隊、さらに第四護衛隊群は、リンク16とい
 う驚異的なネットワークで結ばれ、そして一つの完全無比なフォースとして一体化した。
 だがその実態が首相官邸に伝わることはなかった。
・キティーホークの位置は、中国指導部からみれば、まさに台湾海峡の封鎖と判断するに
 十分だった。そして軍人の宿命が働きはじめた。
・中国共産党中央軍事委員会の緊急会議では激しい議論が戦わされていた。このままでは
 アメリカ軍による台湾海峡の封鎖が恒常化してしまう。それだけは断固たる行動で排除
 すべきだ。その一方では、アメリカと本格的な実戦に入ることを恐れ、威嚇にとどめて
 おくべきだという意見があったのだ。
・軍人の宿命はそれだけではとどまらなかった。日本海でのクライシスを息を殺して見つ
 めていたカンボジア、ベトナム、インドネシア、マレーシア、モンゴルなどのアジア各
 国では、アメリカと中国が一触即発の危機を迎えていることで、第二次世界大戦に匹敵
 するアジアの戦火の悪夢に怯え、全軍を警戒態勢に置いた。
・それに過剰反応した隣国が臨戦態勢を敷く。恐怖の連鎖反応は、わずか半日でアジア全
 域に広がっていった。
・「魚雷発射管のトビラが開き、水を注入している音を探知したというが、完全に確認で
 きないとはどういう意味だ」        
・「私自分も今まで訓練でも魚雷発射管のトビラが開く音や水を注入する音など聞いたこ
 ともありませんので」 
・「北朝鮮の魚雷についてはまったくデータがありませんので、正確な数字は出せません
 が、この距離では命中はしないと思いますが」
・「総理、緊急事態です。現地水上部隊から、トラッキング中の敵潜水艦が魚雷発射管の
 トビラを開き、水を注入している音を探知。判断を仰いでいます」
・「もし、海上警備行動の最中、コンタクトした潜水艦の魚雷発射管のトビラが開き、水
 を注入している音を探知したら、先制的に撃てるか。撃てないな。これが今の自衛隊法
 だ。相手の攻撃があるまで武器は使えない。だが発射されたらどうなる。北朝鮮の魚雷
 管制システムは脆弱だろうし、これだけ距離がひらいているのでそうそうは当たらない
 だろうが、百パーセント当たらないという保証はない。そして当たればどうなる。部下
 が何人か死ぬのは間違いない」
・「私は八隻の護衛艦の乗組員、合計して二千五百名以上の命を預かっている。それを守
 る責任が私にはある。相手が死ぬのと部下たちが死ぬのと、どっちがいいいか。すでに
 事態はそういう問題だ。私は今、決断した。隊員たちの生命を守ることにした。私一人
 の判断であり、総監にも言っていない。責任は私一人が取る」
・「首相官邸からです。水上部隊は、すべて国籍不明の潜水艦kら、安全な距離が保てる
 位置まで離脱せよ」
・「そんなことを繰り返している間に、今後蟻のように同じような船や潜水艦が押し寄せ
 るぞ。領海、領土という概念に希薄な、世界でも例を見ない国民性の弱点をさらけ出し
 たんだ。アメリカにしても、北朝鮮の潜水艦を攻撃する大義名分がない。日本からも国
 が滅んでも支援の要請はできない。国家よりも集団的自衛権の放棄という言葉のほうが
 優先する国だからな、わが国は」
・「北朝鮮の潜水艦がどんな魚雷を持っているか、皆目データがないんだぞ。私は決めた
 んだ。部下をむざむざ殺されるよりは相手を殺すほうを私は選ぶ。ハッキリ言うが、相
 手を撃沈したら死人に口無しだ。この責任はすべて私が取る。もう二度と部下を死なせ
 ることはできない。いくら政治的判断が混乱していたからといって、部下をなぶり殺し
 に合わせるような指揮官がいる海上自衛隊に、今後、誰が残り、誰が集まってくると思
 う?そして誰が国を護るんだ?」
・「ROE(交戦規定)がないような、国家の体をなしていない、このいびつな国では、
 現在の海上部隊の指揮官たちにとって行くも地獄、引くも地獄なんだ。やりすぎても怒
 られる。何もせずに部下が死んだら、当然、政治やマスコミから糾弾されるだろう。ど
 っちに転んでもクビになるのだったら私は部下を助ける手段を選ぶ。今すぐ、敵潜水艦
 から魚雷を撃たれた、ソナーが魚雷発射の音を探知した、という記録を作らせる。作業
 が終わり次第、アズロックで潜水艦を攻撃する」
・「混乱、混乱、混乱、そして緊急、緊急か、オレはもう気が狂いそうだ」
・官僚たちは総理の精神力が限界を超えたことを確信した。
・「たった11人の北朝鮮兵士のために、なぜアジア全域がこういうことにならないとい
 けないんだ!しかも日本海では潜水艦が自衛隊の船を魚雷で狙っている!」
・「すでに日本政府だけではコントロールできないところまできています」
・「このままいったら、どこの国が宣戦布告したことになるんだ?」
・「敵は突然取り舵で急速反転!最速で現場海域から離脱中」
・「どうしてだ?何があった?」
・北朝鮮が突然、戦闘準備態勢を解除すると朝鮮中央通信で声明を出してから、事態は急
 速に変化した。まず海上自衛隊が日本海の奥へ引っ込んだのをきっかけに、アメリカの
 空母機動部隊も佐世保に向い、中国の人民解放軍もミサイルのセットアップを解除した
 ことが情報本部で確認された。さらに、情報本部は、中国海軍北海艦隊の変針を命じる
 青島の司令部からの通信を傍受した。つねに抑止力を安全保障の基本とする軍人の宿命
 から、パワーバランスが一つ崩れた途端、一気に戦意を喪失したのだった。
・「アジアの危機は去りました。しかし、今回の事態で多くの犠牲者が出ました。地元で
 民宿を経営されていた小宮聡子さん、また警察官は2名亡くなり、25名がケガをされ
 ました。陸上自衛隊では12名が亡くなり、5名がケガをされ、さらに悲しむべきこと
 に、重体だった1名の隊員が昨夜、お亡くなりになりました。海上自衛隊では1名の若
 い隊員が亡くなっています。私は、この最悪の結果について、内閣総理大臣として責任
 を散らなければならないと、事態が進んでゆく間もずっと考え続けていました」
・「総理、国民が訊きたいこと、一つだけお願いします。たった1隻の潜水艦が座礁した
 だけでアジア全域が緊迫し、一国の元首が辞任する事態まで追い込まれるとは、この国
 は、どこか異常だとは思いませんか」
・「安心したまえ。この国が異常だと思っているのは、君だけじゃない」

エピローグ
・あの時、なぜ北朝鮮軍は一斉に動きを止めたのか。しかも潜水艦部隊にも引き返すよう
 にというコンピュータ通信が激しく行われた。そのすべての指令は、平壌の人民武力部
 から発信されている。来た朝鮮労働党中央で何かが起こったことは間違いがない。一番
 気になるのは、平壌を防衛する第四五二機甲化師団長が前線部隊の指揮官と交わした交
 信だった。<アメリカ軍が平壌に来る!何をモタモタしているんだ!早く戻ってこい!>
・きっかけは、あの工作だった。劇的な成果だった。想像以上とも言えた。土橋に持たせ
 た、アメリカ第五空軍のF117ステレス戦闘機2機が巡航ミサイル10発を使って金
 日成総書記の公邸を爆撃する作戦行動準備態勢に入っているという偽装情報が、こんな
 に劇的に影響するとは思ってもみなかった。