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この作品は、1950年代の学生とその周辺の若者たちを描いた内容で、1964年に芥
川賞を受賞作品となったようだ。
主人公は、当時、東大に通う学生で学生運動を加わったいたが、デモから逃げ出してしま
う。また、主人公との婚約者である東京女子大出の女性も学生運動が加わっていたが、学
生運動に挫折して主婦として生きようとするが、その生活に疑問をもってしまう。
当時はちょうど、日本共産党が六全協(日本共産党第六回全国協議会)の決議によって、
武装闘争を放棄した直後であったらしく、これによって、多くの学生運動家がそれまでの
生き方に方向転換を迫られた。今までの生き方に疑問をもったり、新しい生き方を受け入
れることができず、中には自殺した学生党員もいたようだ。これは、当時の学生党員たち
が、当時の日本共産党という組織に対して、何の疑いもなく純粋に信頼を寄せていたこと
に原因があったようだ。いや、純粋に信頼を寄せていたというよりも、党という組織に組
み込まれることによって、もう党への疑問や批判的なことを口にすることができなくなっ
てしまっていたというのが、実態ではなかったかと思う。
その党が、突然、それまでの方針を転換したのだ。これは、それまでの党の方針が誤って
いたということを意味する。それは、党のやることは絶対に正しい。党が誤ることは絶対
にないと信じ疑わなかった学生党員たちに、大きな衝撃を与えることとなったのだ。
1950年代においては、中国革命の影響を受けた日本共産党が、当時のアメリカに対し
て、「アメリカ帝国主義によるアジアでの侵略戦争」だと批判し、その暴力支配から日本
国民を解放するためとして、「軍事方針」が決められ、軍事組織を組織しての武装蜂起や、
労働者の遊撃隊の組織、山村工作隊による革命工作などが計画されていたようだ。そして、
東京練馬区で発生した警察官を標的とした殺人事件(練馬事件)や札幌市で発生した警察
官射殺事件(白鳥事件)など様々な非合法活動が行われたようだ。しかし、これらの武装
闘争路線は、国民の支持が得られず、多数の離党者を生む結果となったのだ。それが、六
全協の武装闘争放棄へとつながったらしい。

そのような堅苦しいことは別として、この作品でおもしろいと思ったのは、宮下という助
手の話だ。宮下は自分の結婚相手に処女性を強く求めた。学者の結婚する相手は、必ず処
女なければならないという持論を熱く語る。しかし、宮下が見合いをして結婚しようとし
ている相手は、大学生時代に妻子のある中老の主任教授と深い関係になり、大学を卒業し
て就職してからも、その関係は続いているという女性だった。これはなんとも、滑稽な話
だと思った。しかし、当時の時代は、結婚する女性に対して、この宮下のように処女であ
ることを求める男は、多数派を占めていたのではないかと想像する。現代は、処女とかバ
ージンといった言葉自体が、もう死語になっているように思うが、なんだか懐かしい言葉
に出会ったような気がした。
しかし、こういう処女にこだわる男が多いから、当時は性に対して閉鎖的だったかと言え
ば、そうでもなかったらしい。当時の学生たちは、「性の解放」を主張し、かなり奔放な
性行動を繰り広げていたようだ。それは、勉強ばかりしているイメージの強い東大生にお
ても、また男子学生ばかりでなく女学生においても例外ではなかったようだ。

自殺した優子と主人公の関係も、とても興味深かった。優子の本当の心の中は、どうだっ
たのかはわからないが、私には、好きだった多胡という男が、他の女性と親しくなったこ
とに傷つき、半ば自暴自棄になって、自ら誘うようにして主人公と関係を持った優子が、
その二度の関係だけで妊娠してしまうと、今度は主人公に対して、いや男というものに対
して、恨みを持つようになったように思える。確かに優子の誘いに乗って安易に関係を持
った主人公も悪いのだが、そうなってしまったもともとの原因は、優子自身にあったので
はないかと思えた。当時の女子学生は、一見「進歩的」なふうを装ってはいたが、それは
かなり無理をしていた姿であり、その内実は、まだまだとても幼稚で、純粋だったのでは
ないかと思われた。

日本共産党の武装解除後の、学生活動家だった野瀬と主人公の婚約者である節子との会話
も、とても興味深いものがあった。学生党員のリーダーとして振る舞っていた野瀬は、
「ぼくは何一つ判っていなかった。ただみなの言っていることを、そのままくりかえして
いただけなんだ。自分だけが判らないと言うことは、できなかった」と優子に告白する。
このような組織のリーダーの実態というのは、なにもこのときの日本共産党という組織の
中だけに限らないだろう。あの旧日本軍という組織のリーダーたちの多くも、その実態は
これと同じようなものではなかったのかと想像する。さらには、あのオウム真理教という
組織のリーダーたちも同様だったし、現代における政治組織や企業組織においても、似た
ようなケースが多いのではないかと、私は思っている。
どんなに素晴らしい理想や理論を掲げて作られた組織であっても、そこに人間が介在する
と必ず、誤りや増悪や権力欲など、人に付随するあらものが入り込み、次第に当初の理想
や理論とはかけ離れたものになっていく、と私は思うのだ。これは、たとえば共産主義と
いう思想に特化してみても、旧ソ連や中国のこれまでの歴史をを見れば、そのことがよく
わかるのではないかと思う。

ところで、この作品の核をなしているのは、主人公とその婚約者である節子との関係だろ
う。この二人の関係を通して、作者はなにを主張したかったのか。今一つ、私にはわから
なかった。ただ、節子を通じては、当時の女性の自立について、言いたかったのではと思
える。さらには、主人公を通しては、過ぎ去った青春時代の追憶を語りたかったのだろう
か。不幸だとか幸福だとかは問題ではない。「人は生きたいということに満足すべきだ」
という言葉に、作者の主張のすべてが言い表わされているような気がした。

序章
・私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に寄った。そして、漫然と目についた
 本を手にとって時間を過ごした。そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ、変色し
 た紙や色あせた文字、手ずれやとしみ、あるいはその本の持つ陰影といったもの、を見
 ていたのだった。それは無意味な時間潰しであった。しかし、私たちのすることで、何
 か時間潰し以外のことがあるだろうか。
・時折、英文学専攻の大学院学生である私すら題名を知らないような英文学関係の古ぼけ
 た翻訳書がまじっていた。訳者の多くは、もはや知られない人であった。本文よりも、
 尺者の後書きを読んだ。そこには、大抵は、まだあまり知られていないその書を日本に
 紹介することが、どんなに有意義なことであるかが、少し熱っぽい調子で力説してあっ
 た。それは、その人の出した、一生でただ一冊の本であったかも知れない。が、彼がそ
 んなに期待して出した本も、殆ど人に知られることなく場末の古本屋の均一本の中につ
 っこまれている。
・日本における文学観の偏向をいましめる学者らしい重々しい口調の中には、奇妙に子供
 らしい喜び、生の重大事にかかわっているという興奮からくる、意識しない快活さが感
 じられた。それは、かつて私の友だちであった一人の女子学生が自殺した時、彼女の友
 人の学生たちが、その死を悲しみながら、なお無意識のうちに示していた快活さ、ある
 いは嬉しさと言ってもよいようなもの、と似ていると思えた。

第一章
・ある冷たい雨の降る秋の夕方、私は郊外の駅のその古本屋に寄った。何気なく古本に眼
 をさらしているうちに、私は上の方の棚にまだ真新しいH全集があるに気がついた。
 それは、つい先月か先々月に完結した全集であった。新刊本がすぐ古本屋に出ることは
 珍しいことではない。しかし、かなり愛着を持っている人でなければ、はじめから買わ
 ないだろうH全集が、最終の配本から一月足らずのうちに古本屋の棚のあることは、や
 はり少し奇異に感じられた。
・私がH全集の代金は半分払い、残りの十冊を翌月まで取っておいてくれるよう、頼んだ
 時、無口で愛想のない主人は、眼鏡越しに私の顔をじろじろ眺めて、口の中で半分つぶ
 やくようにつけ加えた。「こんな本を、買ってすぐ売ってしまう人もいれば、あんたみ
 たいに無理して、また買う人もいるんだね」私は妙に気になってたずねた。「これを売
 ったのはどんな人でしたか」「古本の市で買ってきたんだから、そんなことは判りませ
 んよ」とそっけなく答え、黙った。
・土曜日は節子のくる日だった。節子は私の婚約者だった。私たちは翌年の四月、私が大
 学院の修士課程を修了したら、結婚することになっていた。私の就職はF県のF大に内
 定していた。 
・節子は英語とタイプと、それに少しばかりのフランス語ができ、翻訳係兼タイピストと
 して、ある商事会社に勤めていた。結婚したら節子はそこをやめ、F県で英語の先生の
 口でも探すつもりであった。  
・私たちは愛し合っていただろうか。それは判らない。恋人同士と呼ばれてよいような仕
 方では、愛し合っていなかったかもしれない。ただ私たちは、互いに好感を持ちあって
 いたし、やって行けるだろうと考えていた。
・節子は私の遠縁の親戚であった。そして、親たちが気が合い、親しかったので、私と節
 子は、小さい時から従兄妹同士のようなつき合い方をさせられてきた。以前の節子は、
 今と違って、激しい気性だった。私もそうおとなしいたちではないだろう。しかし、節
 子の持っていた何ものかが、私には欠けていたらしい。私たちは、中学時代、高校時代、
 休みには互いの家に行き来して、遠慮のない親しい間柄ではあったが、互いに相手の中
 へ深く入り込んでしまうということは決してなかった。私が東大に入って上京してきた
 年、節子は高校三年であった。次の年、節子は東京女子大に入り、翌年英文科に進んだ。
・その間、恋をしなかったと言えば、嘘になるだろう。そして、恋をする時、私は大体真
 面目だった。だが、私が真面目であればあるほど、私の恋は、いつも、真面目な恋とは
 ならず、情事というようなものになって行った。ある時期には、私は自分の情事を、こ
 れは情事ではない、本当の恋なんだ、と思い込もうとした。だが、女の子たちは、私が
 彼女たちのことを、決して本当には愛してないこと、愛することのできないことを敏感
 に感じ取り、私から離れて行った。
・大学院に入った年の春、その合格祝いに招かれた佐伯の家で、私は、節子と結婚しない
 かということを、ほのめかされた。久し振りに注意してみた節子が、以前とははっきり
 違った感じを持ってきたのに、気をひかれた。だが、その時の節子には、どことなく、
 しかしはっきりと以前には決してなかった、全ての事柄に対するある種の投げやりな感
 じがあった。節子は投げやりになった分だけ、ひとに優しくなっていた。
・節子は大学に入った当座、女子大歴研の部員になり、当時学生の中でも最左翼として知
 られていた駒場の歴研との合同研究会に出席していた。
・私が、他の平凡な学生たちと同様、何事も経験だと思って出かけた一、二回のデモの折
 にも、東京女子大の一握りばかりのささやかなデモ隊の中に、節子の姿をみた。そうい
 う活動の間に、節子が恋愛をしていないはずはないと、私には思われた。私の知ってい
 る節子は、何人もの男の学生とつき合いながら、一人も好きになる相手を見出せないよ
 うな女の子ではなかったはずであった。
・私との結婚話が出た時、節子は大学を終え、就職することになっていた。政治運動には、
 もう関心を持っていないらしかった。恋人もいない様子であった。私は、節子さえ私を
 受け入れる気になってくれるなら、節子と結婚してもいいと思った。私たちは恋し合う
 こと、あるいは恋人らしく愛し合うことはできなまい。それは仕方がないことだ。だが、
 私たちは互いに好意を持ち合っている。私たちはうまくやって行けるだろう。
・食事が終わったあと、節子は言った。「横川さんね、ばれちゃったんですって」「誰に」
 「先生の奥さんよ」横川というのは、節子が会社で机を並べている女の同僚であった。
 節子と同じ都内のある大学の仏文科を出て、一人でアパート暮らしをしているのだが、
 大学の時の主人教授と特に親しい関係にあるという話だった。 
・まだかなり少女っぽい所の残っている横川和子が、教授と何故そうした関係になったの
 か、局外者の私には全く想像ができなかった。
・私はいつか行った新宿の天ぷら屋のことを思い出した。誕生日祝いも兼ねて節子をそこ
 に連れて行ったのだが、スタンドに坐ると、若い同士の二人連れは自分たちだけで、あ
 とは、まわりの客も、また奥の小部屋に出入りする客も、みな一つの例外もなく中年の
 男と若い女、それも課長級の会社員とBGという感じの組み合わせであることに気づい
 た。そして、男たちはさり気ない顔をしているが、若い女たちは、あるいはじろじろと、
 あるいはちらちらと、しかしみな一様に私たちを気にし、憎むような視線を送ってよこ
 していた。節子はそれを感じとって、避けるように私に身を寄せた。私は、彼女たちは
 幸福ではないのだな、そして、私たちを幸福だと思っているのだな、と感じた。
・「横川さん、可哀相だね」私は節子に答えた。「私たちで、本当に平穏ね」「私、あな
 たに会うために、横川さんみたいに血相を変えて飛び出したことあるかしら」「ぼくは
 思うんだけど、幸福には幾種類かあるんで、人間はそこから自分の身に合った幸福を選
 ばなければいけない。間違った幸福を掴むと、それは手の中で忽ち不幸に変わってしま
 う。いや、もっと正確に言うと、不幸が幾種類かあるんだね。きっと。そして、人間は
 そこから自分の身に合った不幸を選ばなければいけないのだよ。本当に身に合った不幸
 を選べば、それはあまりよく身によりそい、なれ親しんでくるので、しまいには、幸福
 と見分けがつかなくなるんだよ」「私があなたのためにご飯を作る、あなたが私の作っ
 た御飯を食べる。それはいいけど、ただ、何故私があなたのために御飯を作るのか、何
 故あなたが私の作った御飯を食べるのか、その二つの何故が、同じなのか、別なのか、
 何かよく判らなくて、不安なことがあるってことなの」「男と女が一緒にいるってこと
 は、それだけで、かなりいいことなんだよ、きっと」
・節子の居間で、とりとめない雑談のあと、節子は立ち上げると、本棚から、先日私の所
 から持って行ったH全集の一冊と、更にもう一冊、別の薄い本を抜き出し、その二冊の
 本の表紙を開いてみせた。見ると、その二冊の本の扉には、いずれも同じ、あのひょう
 たん形の蔵書印が押してあった。節子の説明によると、その薄い本は、駒場の歴研の部
 員であった佐野という学生から借りたものであった。節子は、佐野とはもう四年以上も
 会わず、住所も判らなくなっていた。 
・佐野と節子が知り合ったのは、駒場の歴研との行動研究会の席であった。彼は共産党員
 であった。彼は節子にとって、特に親しくはなかったけど、好感を持っていた何人かの
 人の一人であった。    
・節子が大学一年の秋、つまり佐野が二年の秋だった。節子は渋谷で国電に乗り、そこで
 偶然に佐野に会った。二人は喫茶店に入り、とろとめなくしゃべった。暫くして、彼は
 ぽつんと言った。「潜るんだ。今日、決まったんだ」節子は、共産党に地下の軍事組織
 があること、そしてそこに参加して行く学生たちがいることは、おぼろげに知っていた。
 だが、身近の学生が、自分の前から消えて行った経験はなかった。節子は佐野の話を聞
 いて、その事実から激しい感動を受けた。そして、それと同時に、ある個人的不安が節
 子の胸を一杯にした。暫くの沈黙のあと、節子は佐野に言った。「あなたは、やっぱり
 偉いわね」それは一つの運命を自分の意志で選んで、その中へ入って行くものへの驚き
 の気持ちであった。
・別れ際に、佐野は鞄から一冊の本を取り出して、言った。「これ、読もうと思っていた
 んだけど、どうせ、もう読む閑はないんだ。よかったら、持って行って」
・「これがその本なの」節子は目の前の、H全集と並べてあった本をとり上げて、そう言
 った。そういう生き方もあったのだ、という思いが、私の中で揺れ動いた。駒場の大教
 室で、隣りの席に座り合わせた学生たちの中にも、そういう情熱があり、そういう生き
 方があったのだ。だがと、私はすぐに思い返した。そうでない生き方もあったのだ。そ
 うでない生き方しかできない奴もいたのだ・・・。おそらく、佐野という奴が、そうし
 た生き方しかできなかっただろうと、同じように。
・佐野は昨年の春、一年遅れで大学を卒業し、S電鉄に入った。共産党員であったことは、
 判らなかったらしい。それは別に珍しいことではなかった。  
・私はアルバイトの前に、少し義務を負わされたような億劫な気持ちで、研究室の扉を開
 いた。十人ばかりの学生たちががやがやと集まり、中でも、大学院の修士課程一年の山
 岸徳子と、研究室の事務をしている福原京子を中心にして、四、五人の女子学生たちが、
 一際華やかな話をたてていた。山岸徳子は東京女子大の出身で、節子を知っていた。暫
 くすると、扉を開けて、曽根が入ってきた。私の顔を見ると、左手を軽く上げて挨拶し、
 そのまま奥の助手の仕事部屋の方へ行った。
・私が曽根の机の所に行って、その上の新刊書を手にとってみていると、斜め向かいの席
 から、もう一人の助手の宮下が私に声をかけた。宮下は私より三年上で、曽根より二年
 前に助手になっていた。「どうです、これから三十分位。お茶でも飲みませんか」私は
 少し不思議に思った。宮下とは。お茶を誘われるような間柄ではなかった。出かけに宮
 下は、福原京子が山岸徳子らとおしゃべりしているのを見咎めて、立ち止まった。福原
 京子は、その視線に気づくと、黙って、すうっと自分の席に戻り、仕事をはじめた。
・「君の婚約している相手の方は、I商事に勤めているそうですね」私は宮下が何を言い
 出すのかと、いぶかしんだ。「実は、最近、ぼくは見合いをしたんですよ。その相手の
 人がI商事に努めているんです」二週間ほど前の日曜に見合いをし、それから既に二、
 三度会い、ほぼ結婚するつもりにまでなっているが、最後の返事をする前に、もう一度、
 節子を通じて、どんな人なのか、確かめたい。それが宮下の用件であった。
・私は結婚する相手のことを、第三者を通じて確かめようとすることに、反発する気持ち
 をおさえられなかった。それは卑怯なことと思われた。宮下はちょっと言葉を切り、私
 の顔をまともにみながら、続けた。「特に、ちょっと言いにくいんですけれども、交友
 関係をよくきいてほしいんです。ぼくはヴァジニティということを厳密の考えたいと思
 っている。たとえ一度でも男と手を握り合ったなら、それはもうヴァジニティを失った
 と考えるべきだと、思っているんですよ」
・「それで、その方のお名前は何というのですか」「横川和子・・・横川和子さんといい
 ます」驚きが身体を走った。宮下の見合い相手は、妻子のある中老の教授との恋愛に、
 心も身体も燃やし切っているかにみえた横川和子だった。
・私が頼みを引き受けたとみてとった宮下は、安心したように話し出した。それは、宮下
 には不似合いなほど、優しい調子だった。「ぼくは昔から思っていたんですよ。嫁さん
 にはおとなしい人がいいと。男にはどうしても一生の仕事があります。ことにぼくら学
 者には。だから、女の人は、昔風の言い方になりますけれども、男に仕えてくれなけれ
 ばいけないと思うんですよ。その代わり、ぼくは自分の妻を裏切るようなことは絶対し
 ません」
・「 男と女の関係など、いや人間などというものは、決して変わるものではありませよ。
 そして、その変わらないものについて、何百年、何千年と考えてきた知恵の積み重なり
 が、いわゆる旧い考え方の中にはあるのです。ぼくの考え方など流行遅れで、人には馬
 鹿にされるかも知れない。だけど、やはり、正しいものは正しい。ぼくはそう思ってい
 るのです」  
・「よく説明はできないのだけれども、説明してはなくなってしまうような何かが、学問
 には必要なんです。そして、その何かが、女性には先天的に欠けているんです。女の人
 の幸福は学問をする所などにはありません。ぼくは、うちの研究室の女性たちをみてい
 ると、彼女たちが無理をしているのが気の毒で、というより、むしろ惨めで、思わず、
 眼をそむけたくなるんです。その点、福原君などをみると、ほっとする感じですね」
・「福原君はいい奥さんになれる人ですね。それなりの筋道を踏んで知り合ったのなら、
 ぼくらみたいな学者の妻にもなれる人だと思います」「研究室でお知り合いになったの
 では、いけないのですか」「それは駄目です」宮下は、はっきり答えた。
・「ぼくは学者なのです。ぼくは見合い結婚以外、考えたことはありません。サラリーマ
 ンのように、機構の中に入り、外面的束縛に身をまかせ、それで自分を支えて、毎日毎
 日過ごして行けばいいのなら、恋愛もいいでしょう。でも、学者は、自分で自分を律し
 て行かなければならないのです。そして、自分を律するとは、とりも直さず、客観的な
 秩序、つまりぼくらのまわりに存在している秩序を認めるということです。だから、そ
 の秩序の中に既にいる人が、その秩序にふさわしいものとして取りはかってくれる見合
 い結婚という様式、いわば秩序の再生産としての見合い結婚という様式を、ぼくらが尊
 重するのは、当然というよりは、むしろ、自然なことなのです。恋愛は、それがどんな
 に周囲に祝福されているようにみえても、本質的に反秩序的なものです。いや、ぼくは
 性的な欲望についてだけ言っているのではありません。そうではなくて、相手が自分に
 とって何よりも大事なものになるというプラトニックな愛情自体のうち、既に反秩序的
 傾向、自分が属している秩序から脱け出して自由になりたい傾向があるのです。いや、
 逆なのかも知れません。自由になりたいという願望が、恋愛を生み出すのかも知れませ
 ん。ですが、自由が何でしょうか。世界の中の束の間の存在であるぼくらにとって、自
 由が何でしょうか。そもそも、ぼくらは自由を逃れるために学問を選んだのではないで
 しょうか。もし、学者で、恋愛をしているなどという人がいるとしたら、それは、その
 人の学問か、恋愛か、少なくともどちらかが、偽物であるはずですよ」
・「ぼくはさっきヴァジニティのことをいいましたが、下らないことにこだわると思われ
 たかも知れない。でも、それを下らないと考えるのは、人間であることのおそろしさを
 知らないのです。一度でもそういう可能性を知ったら、結婚している相手以外にも異性
 はいるのだと知ったら、男にせよ、女にせよ、貞節でいられるものではありません」
・節子に宮下と横川和子の話をした。節子は黙って、聞いていたが、暫くして言った。
 「そう言えば、もうかなり前からそういう話をきいているの。相手の先生が、見合いを
 しろって勧めるんですって。相手は私が見つけてくるから見合いをしろ、私のためだと
 思って、見合いをしてくれって、何遍も植われているって、言ってたわ」
・佐野は死んでいた。「君の高校の同級に、佐野という人がいたろう。今、どうしている」
 そう切り出すと、曽根は顔を上げ、逆に問うように言った。「君は佐野を知っていたの
 か」「佐野は死んだんだ。睡眠薬で。自殺さ」
・曽根は続けた。「佐野は高校時代からの党員で、無党派のぼくのことを、よく卑怯だと
 かプチブルだとか言った・・・。だから、親しいはずはないんだ。なのに、結局、ぼく
 より外に、遺書めいたものを書く相手はいなかったのかと思うとぼくは自分が無党派で
 押し通したことは正しかったと思うよ。あの党は、政治の党派のくせに、人間全部を要
 求するんだ。だから、あの中では、人は、互いにひどく結び合っているように見えて、
 その実ひどく孤独なんだよ。佐野はそれにだまされた」    
 
第二章
「曽根への佐野からの手紙」
・「朝鮮戦争は、韓国の独裁者李承晩と、それをあと押しするアメリカ帝国主義者が引き
 起こしたもので、その証拠には、開戦一週間前にダレスが三十八度線を・・・・」
 「そんなこと判るものか」「誰か、見てきた奴はいるのか。それに、どちらが先にはじ
 めたかなど、たいした問題じゃない。何が戦争を必然的にするかだ」
・君はいつも冷静に、正しく、自分の道を踏み外すことなく生きてきました。社研の読書
 会に出ながら、受験勉強も怠らず、浪人せずに東大に入り、学生運動をしながら講義に
 もよく出席してストレートで大学院に進み、大学新聞に学生運動批判を書く一方で修士
 論文も丹念に仕上げ、今は東大の助手で、学者としての将来、進歩的知識人、サルトル
 ばりの新左翼としての将来は保証されている。ですが、その君にも一つできなかったこ
 と、これからもできはしないだろうことがある。それに君は気づいていますか。それは、
 傷つくこと、深く考えるいとますらなく、泥沼の中へ頭を突っ込んで、身も心も傷つき
 果てることです。   
・あの頃ぼくらを、ああした行動に駆り立てたものは、単に理念の問題としての完全な独
 立とか、革命とかいうものではありませんでした。ぼくらはあの頃、いつも戦争の危機
 感に脅かされていた、というより、むしろ、その時朝鮮で戦われていた戦争が、やがて
 日本に波及するだろうことは、確実なことだと思っていました。そして、そうなった時、
 アメリカ資本主義の弾よけになることは、絶対にいやでした。ぼくらは、爆撃機が朝鮮
 に向かって飛び立ち、空襲警報が発令され、何人かが傭兵として朝鮮で死んだという噂
 がみだれ飛んでいる日本は、もう半ば以上、戦場だと思っていました。
・ぼくらが二年の夏の終わりでした。ぼくらは、学生党員も、できる限り地下に潜って、
 軍事組織に加われ、という指令を受けました。それは昭和二十九年のことです。
・ぼくらの間では、朝鮮戦争の膠着は一時的なもので、朝鮮の情勢が流動化すれば、日本
 の状勢は大きく変化するだろうという見方も有力でした。ぼくらの細胞の何人かは、中
 核自衛隊の一員となることを決心しました。そして、ぼくも、その一人として、地下活
 動の中で、もう一度自分を試してみようと思いました。
・僕は国電の中で、偶然、歴研の合同研究会で知り合った東京女子大の佐伯さんという人
 に会ったのです。ぼくらは新宿で降り、喫茶店に入りました。かなり疲れている様子の
 佐伯さんを、ぼくが強引に誘ってしまったのです。何をしゃべったかは覚えていません。
 喫茶店を出ても、どうしても別れ難く、散歩に誘いました。けれども、いくらしゃべっ
 たところで、ぼくたちの間は、もう見通すこともできぬくらい、へだたっているのです。
 それに気づくと、ぼくは黙り勝ちになりました。佐伯さんも、疲れた様子で、口をきき
 ません。二人とも一言も口をきかぬ散歩が、何分か続きました。二人でいるだけに、な
 おさら強い孤独感が、ぼくをしめつけました。そして、とうとう、ぼくは抗いがたい淋
 しさに堪え兼ねて、自分が潜ることを、佐伯さんに打ち明けてしまいました。恋人の間
 柄でも、言ってはいけないことだのに。ぼくは佐伯さんに、自分の秘密を言ってしまい
 ました。すると、突然、ぼくはその佐伯さんに、ぼくが今まで誰にも言ったことのない
 自分のこと、自分の弱さ、裏切りを、洗いざらいしゃべってしまいたい衝動にかられま
 した。別れなしに、ぼくは本を一冊、佐伯さんに持って行ってもらいました。感傷的だ
 と言われようが、迷惑だと思われれようが、ぼくにはやはり、その日、佐伯さんに会っ
 たことは、本当に嬉しかったのです。
・それから約十カ月、ぼくは東北のある山村で暮らしました。それは、はじめ考えていた
 のとは違って、ひどく単調な、それでいてひどく緊張した日々でした。その単調な生活
 の中に生起する自分の個人的な欲望や、おそれを、どうおさえるか、やがて武装蜂起と
 なった時、どうしたら自分が逃げ出さずに済むかを考え続けました。
・しかし、革命は起きませんでした。翌年の夏、長い方針上の混迷に終止符が打たれ、軍
 事組織は解体され、ぼくらは学校に戻りました。軍事組織解体の指令を受けた時、最初
 にぼくを襲ったのは、全身の力が抜けていくような安堵の気持ちでした。人間である以
 上、それに似た、半ば生理的な感情を、全く感じないことは、不可能かも知れません。
 しかし、ぼくの感じた安堵は、それとは違う、もっと具体的な、ああ、これで恥をされ
 すことなく済んだという気持ちでした。
・ぼくが地下活動へ入って行ったのは、自分が党員でありうるか居なかを、もう一度、試
 すためでした。答えは判ったのです。ぼくが党員として通用するのは、革命が起きない
 うちだけでした。革命をおそれる党員。それは、何と滑稽な存在でしょう。ぼくは所詮、
 裏切者でしかないのです。
・党から離れたあと、ぼくは、できるだけひっそりと暮らそうとしました。本来、弱い性
 格に生まれついたぼくが、柄にもなく、党員になろうとしたことが間違いだった。人と
 変わった、充実した生活を望んだことが誤りだった。平凡な男は自分の平凡さにふさわ
 しく、世の片隅で、つつましい、せめてはなるべく人の迷惑にならぬ一生を送ればいい
 のだ。ぼくはそう考え、そう実行しようと思い定めました。間違っても出世などは望む
 まい。それでは、裏切りを倍加さすことになる。ただ、つつましく暮らそう。そう思っ
 たのです。   
・ぼくは、君が時折垣間見せるほどの自己の才能への自負は、持っていませんでしたが、
 それでも、自分の能力が、世間一般の人びとよりかなり秀れているということは、何と
 なく当たり前のことと感じてきました。党の中でのいくつかの経験で、自分に失望した
 にせよ、それは自分の弱さへの失望で、能力への失望ではありませんでした。普通の世
 間の中でなら、人なみ、あるいはそれ以上の仕事も、充分できると感じていました。そ
 うしたぼくが、一サラリーマンで終わろう、決して出世はするまいと決心することは、
 決して楽なことではありませんでした。そこには、確かに何か無理があったのです。
・本郷での二年間、その考えに慣れ親しみながら、ひっそりと暮らしました。それは色彩
 はないが、平穏な生活でした。以前のぼくには似合わないような文学書なども本棚に並
 ぶようになりました。二カ月程前にやっと完結したH全集も、そのころ出はじめたので
 した。最近は、ただ惰性で買い続けていたH全集ですが、はじめは随分と愛着をもって
 買ったものでした。    
・やがて、就職の時期がやってきました。ぼくは、比較的地味だと思われた電鉄会社のS
 電鉄を選びました。そして、昨年の四月、サラリーマンとして平凡な生活を始めたので
 す。それは静かな生活でした。ぼくははじめ、全くそれに満足していたのです。そして、
 そのうち、もう少し給料が上がったら、下宿のおばさんが、ぼくの堅いのを見越して、
 持ち込んでくる娘さんの写真の中から、おとなしい、気立てのよさそうな、係累の少な
 い人でも選んで、結婚しようかなどと、空想してもいたのです。
・しかし、仕事を持つということは、学生の頃考えていたのとは、随分違うことでした。
 三カ月の見習期間、そして半年が、そうして過ぎました。ところが、やがて一つの仕事
 を受け持たされ、責任を持たされるようになりました。すると次第に仕事が、自由なは
 ずの自分の時間にまで食い込んできたのです。学生の頃は、就職しても、仕事は仕事、
 自分の時間は自分の時間、自分の生活は、その後者の中にあると割り切るつもりでした。
 ですが、実際に仕事を以ってみると、仕事と生活を分けることは全く不可能、というよ
 りはむしろ、仕事こそが生活の実体になって行くのです。それは、義務である仕事が自
 由であるべき自分の時間を食いつぶすという意味ではなく、自分の生活の中に仕事が占
 める意味が変わって行くということなのです。一口に言えば、ぼくの場合、仕事が次第
 に面白くなり、仕事こそが生き甲斐となってきたのです。
・仕事と活動の持つ魅力が、文句なしに、ぼくをとりこにしてしまいました。幸か不幸か、
 ぼくの実務の能力は、同期入社の誰よりも,秀れていると認められました。丁度、S電
 鉄は、新しく大観光娯楽圏を作る計画を進めており、ぼくもそこに配属されました。そ
 して入社後一年経った今年の四月頃には、ぼくは立派な幹部候補生として登録されてい
 たという訳です。 
・四月も終わりに近づいた頃、出張の帰りに、副社長に別荘に誘われました。副社長の誘
 いを断るわけには行かないことは、自明のことでした。何故、その日彼の別荘によばれ
 たかは、今でも、そうはっきりは判っていませんが、大体の推察はついています。つい
 たその日は、もう遅かったので、ビールのお相手を少ししただけで、ぼくのために用意
 してあった部屋にすぎに引きとり、休みました。翌朝、朝風呂に入って、テラスで副社
 長の朝食のご相伴をしていた時です。自動車の止まる音がして、やがて、若い娘と、そ
 の母親らしい初老の婦人が入ってきました。副社長は座ったまま、その二人を親戚だと
 いって、ぼくに紹介しました。娘さんの方は、確か亜弥子さんといいました。多分、ぼ
 くをその娘さんに引き合わせるのが、副社長の目的だったらしいのです。
・ですが、それは見合いといったようなものではありませんでした。亜弥子さんは、短大
 を出たばかりの、俗にいう箸が転ぶのをみてもおかしがる年齢のお嬢さんで、またまた
 結婚などとはほど遠い感じでした。ただいずれは年頃になるのだし、自分のまわりの若
 い人で、これはと思うものを何人かそれとなくつき合いさせておいて、その中から亜弥
 子さんが自ずと気の合った人を、選ぶようにしようというのが、言葉の端々からうかが
 われる副社長の気持ちのようでした。そして、ぼくも、名誉ある候補者の一人となった
 というわけなのです。  
・亜弥子さんの発案でゴルフということになりました。ぼくが何回目かの空振りをし、今
 度こそはという表情で、慎重にクラブを振り上げた時です。「あら、どうなすったの」
 そういう亜弥子さんの声で、ふと後を振り向くと、副社長が、庭の片隅にしゃがみこん
 で、うつむいていました。「いや、大したことはない。少し吐き気がしただけだ」亜弥
 子さんは、明るい、何の屈託もない声で言いました。「おじさま、近頃、よくそんなこ
 とをおしゃるわね。胃癌よ、きっと」副社長の顔には、ぎくとした表情が走り、今まで
 の上機嫌だった様子は一瞬のうちに消えてしまいました。そして、その代わりに、暗い、
 ぞっとするような沈んだ表情が顔に浮かび、副社長はその表情を隠すように、ぼくらに
 背をむけ、馬鹿なことを言うな!」と投げつけるように言うと、いつもとは違うせかせ
 かした神経質な足どりで、母屋の方へ歩いて行ってしまいました。
・副社長は、今、この上ない幸福な境遇にあるはずです。S電鉄髄一の実力者として、財
 界での地位も、そう低くはないはずです。そうした社会的活動が、彼に決して不充分で
 はない経済的報酬をもたらしていることも明らかです。家庭的幸福と言う点では、他人
 のうかがい知りうるものではありませんが、社会人としては、これ以上望むべくもない
 高い地位と、充分な報酬と、将来の仕事に恵まれているのです。そうした副社長が、な
 お、自らの氏を想った時、あれほど苦しげに寂しげな表情を浮かべなければならないと
 すれば、地位や報酬や仕事とは、人間にとって一体何なのだろうか。そう、ぼくには思
 えたのです。 
・暗闇の中でふとある疑問が、ある問いかけが、ぼくの心に浮かびました。俺は死ぬ間際
 に何を考えるだろうか。何のつもりもなく、ふと、そう思ったのです。が、そう思った
 瞬間、それと全く同時に、おそろしい答えが、ぱっと電光のようにひらめきました。
 「俺は裏切者だ!」ぼくは自分に、そう答えました。それ以外に、どんな答えもありえ
 ないことが、一瞬のうちに、決定的に判ってしまいました。
・やがて連休も終わり、それまで通りの忙しい生活が戻ってきました。けれども、ぼくに
 はもう全てが面倒くさいとしか、感じられなくなっていました。表面上の生活は何の変
 りもないのですが、心の奥では全てが面倒くさいのです。結局死に臨んで思い起こすこ
 とが、過去の裏切りなのだとしたら、今の生活は一体何だろうかという思いですが、実
 のところ、ぼくの感じるようになったものは、そういう論理よりも、もっと理屈抜きに
 した、生きることへの面倒くささでした。毎日、仕事をするのも面倒くさければ、亜弥
 子さんを音楽会に誘うのも面倒くさい。下宿でレコードを聞くのも面倒くさい。いや、
 朝起きるのも、食事をするのも、夜、寝床に入ることさえもが面倒くさいのです。
・「死ねば楽になるぞ。もう、だるさもないぞ」そうした囁きが、仕事のペンをふと止め
 た時、同僚との雑談が一瞬途絶えた空白、そして夜半の寝覚めにと、素早く入り込み、
 やがては、仕事の最中にも、低く唸る蜜蜂の羽音のように、絶えることなくぼくの耳に
 聞こえつづけました。  
・こうして、ぼくはこの山に来ました。ボストンバックの底の睡眠薬に手をふれずに東京
 に戻ったとしても、そこでぼくを待っているのは何でしょうか。あのけだるさ、あの何
 ともいえぬだるさの中に戻るだけです。あのけだるさ、生きることへの面倒くささと、
 死ねば全ては楽になるぞという囁きが溶け合っただるさ。ぼくには、もう、それにこれ
 以上逆らって行く力もなければ、気もありません。
 
第三章
・その土曜日の午後、下宿にきた節子に、私は佐野の自殺を簡単に伝え、その手紙を手渡
 した。節子は驚いた様子であったが、何も言わず、黙って手紙を持ち帰った。
・佐野の手紙を読んだかい」私が節子に聞くと「読んだわ」それだけ答え、暫く黙ってい
 たが、今度はそれと全然無関係に、「私ね、今のお勤め、やめたくなっちゃった」「私
 も、大学院にでも行けばよかったなあ」とつけ加えた。
・その週の月曜、私は宮下に会っていた。私は彼にたずねられて、「横川和子さんはとて
 も純粋な人だそうですよ」と答えた。それ以外、私にどんな答えようがあっただろう
 か。   
・翌木曜日の夜、私は手紙を返しに、曽根の家を訪ねた。玄関のすぐ左脇の曽根の部屋か
 ら、華やいだわかい女の声がきこえた。声をかけると、曽根は、すぐに部屋から出てき
 た。「大橋か、わざわざ来たのか。上がれよ」曽根が私に何も言わずに、すぐに後ろを
 向いて、声をかけた。「おい、出てこいよ、大橋だよ」そして、一度閉めた部屋のふす
 まを、またあけた。私がそちらを見ると、そこから、少しばつの悪そうな顔をのぞかせ
 たのは、あの大学院一年の山岸徳子だった。
・私は、曽根が自分の日頃の生活を自分の思想とははなれた所で営むことを、どんなに嫌
 がってきたかを見てきた。そうした曽根に愛着した女の子たちが、この部屋に曽根と一
 緒に坐ることを望みながら、一方で思想よりも女の子らしい優しい日常を愛したために、
 曽根の頑な拒否に会ったのも見てきた。そして、今、とうとう、あの華やかに明かるげ
 な山岸徳子がここに座ったらしい。これが生なのか・・・。そうした感慨が、私の心の
 底に、ずっしりと沈んで行った。
・曽根は、冬の夜道を駅まで送ってくれた。その道で、彼はぽつりと言った。「ぼくは山
 岸と婚約したよ」そして、私の顔をみないで、少し自分を嘲るようにつけ加えた。「変
 な組み合わせだろう。感性って、おそろしいものだね・・・。でも、ぼくが彼女を好き
 になったのも、一つの現実さ。そして、現実って奴は受け入れていくほかは、ないから
 ね」   
・ある曇り空の土曜日、節子は私の下宿で、夕食の用意をしながら、ふと言った。「私、
 こうやって、一生あなたのお食事を作って上げるのかしら」私は、はっとした。その言
 葉には、何処か絶望的とでも言いたいような響きがあった。
・節子は自分の指の先を見ていた。「あのねぇ。今日は、ちょっと、お話したいの。ちょ
 っと、真面目な話」私は顔を挙げて節子の顔をみた。節子は大きく肩で息をしながら、
 私の顔を見ていた。が、ふとその視線を下へそらすと、低い声で言った。「ねえ、佐野
 さんの手紙、お読みになったでしょう。私たち・・・私たちは、死ぬ時、何を想い出す
 のかしら」私は答えた。「自分が老いてきたことを」「私たちが、老いてきたこと・・。
 その時には、あなたが昔少年だったことを想い出せるのは、私一人になるのね」「でも、
 私、その時、想い出せるかしら、あのはじめての晩のあなたの顔や身体」闇の中の、ほ
 の白い節子の身体。だが、私の脳裏に浮かぶそれは、あの時の節子のそれなのだろうか。
・節子の息は荒く、その手には力は入って、ふるえていた。節子は息を整えるように何度
 も大きく呼吸をすると、私をみつめながら言った。「ねえ、私たちって、間違っている
 のじゃないかしら、どこか、はじめから」
・「私、不安なのよ。私たち、もうすぐ結婚するわ。今だって、もう半ば結婚しているよ
 うなものよね。それなのに、ねえ、夫婦って、こんなものかしら。こんなものでいいの
 かしら。私たちって、何だか、ひどく貧しくって、このままじゃ、すぐ疲れてしまう、
 いつか、もうどうしようもなく疲れてしまうだろうって気がするのよ」

第四章
「白い海の記憶」
・それは私が大学に入って二年目の初夏のことだった。私は友人からの電話で起こされた。
 「梶井さんが自殺したぞ、ゆうべ」
・梶井優子は、その前の夜遅く、駒場の東大教養学部本館雄二階の教室で、薬を飲んだの
 だった。暁方、守衛が発見した時は、既に手遅れだった。優子のいた白金の東大女子寮
 の女子学生から連絡を受けたその友人がすぐに病院にかけつけた時には、もう息はなか
 ったという。 
・梶井優子は、私の同級の友人だった。男と女が出会う時、彼らの間で起こる事実があっ
 たと言えば充分だろう。私たち世代が、性の解放を主張していたと言ったら、あるいは、
 性を自由に考えていたと言っても、それは既に積極的に過ぎるだろう。ただ、私たちは
 自分の性的欲望を知っていたし、それを充足することを別に悪いとは、特にそれを善と
 は思わないのと同様、思わなかった。勿論男と女が寝るということ、あるいはそれに伴
 う人間関係は善悪、あるいはそれの不在だけで片付く問題ではないが、私たちにはそれ
 だけで片付くような錯覚、というより、片づけようとする傾向、があったようだ。好意
 を持ち合った場合、それが身体の結びつきに移行するのを妨げることは、私たちには格
 別なかった。私ははじめてそういう経験を持ったのは、駒場際の芝居の準備中、衣装を
 手伝いにきていた二つばかり年上の女の子だった。彼女は既に半年ばかり同様の経験が
 あると言っていた。
・その女の子とは、そのあと二度ばかり会った。それはそれなりに大きな体験だった。そ
 のあと私は渋谷の喫茶店Sに出入りするようになり、そこに同じような目的で出入りし
 ている女子学生やBGと、そうした体験を重ねるようになった。だが、日々に新しい相
 手を求めることは、様々な意味でわずらわしかった。私は、気心に知れた同じ芝居仲間
 の中へ戻るようになり、結局、相手はその中のL大の佐絵子という女の子に落ち着いて
 行った。
・そうした関係が情事と呼べるか、恋愛と呼べるか、私は知らない。だが、それらの相手
 との間に、またフィジカルな関係はなかった女の子と間に、そしてまた、そうしたこと
 を知る以前につき合っていた女の子との間にも、それなりの激しい感情のやりとりがな
 かったわけでもない。それは、おそらく、恋にとてもよく似ていたと思う。あるいは、
 恋そのものだったかも知れない。
・しかし、その激しさは、空虚の支えはしなかった。その激しさは、空虚と何の差し支え
 もなく併存し、間もなく消滅した。その激しさは、そうした質のものであった。だが、
 そのことを、恋愛への失望と解するなら、それは誤りである。それはあらかじめ持った
 恋愛というイメージが、現実によって破壊されたと聞こえる。だが、そうではなかった。
 それは、恋愛というイメージは、私にははじめから、不在だった。
・私が二年になった年の五月末、つまり優子が自殺した年の五月末、私たちは五月祭の休
 みを利用して野尻湖畔にある東大寮へ出かけた。優子も佐絵子も、また多胡も一緒だっ
 た。優子が駒場際以来一番親しくつき合っていたのは多胡であったが、その多胡は高校
 での下級生でその年に東大に入った、まだ子供っぽい川村珠子に気をひかれはじめてい
 た。多胡は私たちのグループに珠子を仲間入りさせ、その旅行にも誘って、専ら連れ歩
 いていた。だが、優子は別にそれを気にしている様子はなく、これも一年生の国枝とい
 う子供っぽい学生を相手にして、少し目立つ位に陽気だった。
・多胡は珠子に、手をとるようにしてボートの漕ぎ方を教え、優子はそれを横眼でみなが
 ら、国枝に漕がせて沖の方へ出て行った。やがて、夕食の時間なったが、優子たちだけ
 は、なかなか戻らなかった。私たちが夕食を終え、灯りについた寮の玄関から暗い桟橋
 を見守る頃、二人は戻ってきた。国枝はボートの始末を済ますと、「ああ疲れた。まだ、
 まだって、少しも帰ろうて言わないんだから」と不平がましく言った。
・その夜、私は佐絵子と打ち合わせて、十二時過ぎ、みなが寝てから部屋を抜け出し、使
 っていない部屋で会った。人気のいない部屋はひどく寒く、戸棚から出した蒲団にもぐ
 っても、はじめのうちは、体を動かして外気が肌の肩にふれるたびに、歯ががたがたと
 鳴った。一時間ばかりして、私たちはその部屋を出た。ふるえるようにしてり佐絵子の
 肩を抱きながら、男たちの寝ている部屋の前にきて、そこで別れようとすると、その廊
 下の湖に面した窓の脇に、優子がこちらをむいて立っていた。優子は私たちに気づくと、
 うつむいて視線をそらし、女の子たちの部屋の方へぼんやりと戻って行った。  
・翌日は妙高登山だった。私は風邪気味でだるかったので、一人あとに残った。私は部屋
 に閉じこもり、午前中を過ごした。そして、昼食をとり、また少し熱っぽくなってきた
 ので、蒲団を敷いて横になっていた時だった。部屋の戸が開いて優子が入ってきた。
・優子が一人戻る前に、バスの中で何があったかは、優子が死んでから聞いた。多胡と優
 珠子が一人で座り、多胡と優子が並んで腰かけようとした時、多胡が優子に、珠子と代
 わってほしいと言った。その時は、優子は別に嫌な顔もせずに代わったという。が、暫
 くして、気持ちが悪くなったから戻ると言い出し、一人でバスを降りてしまった。
・「大橋さんは風邪をひいても仕方ないわね」「ゆうべのことか」「そうじゃないわ。大
 橋さんはずるいからよ」優子はいどむように言った。「大橋さんのお相手は、少しぼん
 やりした人ばかりね。あの人のこと、本当に好きなの?」「でも、別にぼんやりした人
 を選んでいる訳じゃないさ」「そうかしら。それは、大橋さんがそうした人を好きなら
 いいわよ。でも、大橋さんの場合、自分のことを判ってしまう相手はこわがって避けて
 いるところがあるのよ。大橋さんのセクスや遊び相手は、それだけの相手。大学での友
 だち、セクスや遊び場でないところでの自分を知っている友だちは、こわくて、セクス
 の相手にできないの。セクスに対する冒とくよ」優子はいつも、セックスではなく、セ
 クスとその音を発音した。その硬い響きは、少女の歯に噛み切られた青草のように鋭く
 匂った。   
・「冒とくって何だ。好きじゃなければ、いけないか」「好きとか嫌いとか、そんな不安
 定なことを問題にしているのではないの。セクスに対して、自分の欲望に対して、純粋
 であるか、どうかよ。こわがって打算するなんて、卑怯だわ。セクスの欲望を充たす時
 は、その欲望に対して純粋であるべきよ。そうした命そのものに純粋でなければ、私た
 ちは干からびていまうわ。そこに、自分を見透かされまいとする思惑なんか持ち込むの
 は、汚いわ。老人みたいよ」
・「思惑なんか、持つものか。こわいもんか。相手さえその気になれば、誰とでも寝るさ。
 例えば、君とでも」優子が、はっと身じろぎしたようだった。横座りに座った優子のフ
 レーヤーカートは二つの太股の間でゆるい谷間をつくり、その下に隠された丘陵のおぼ
 ろげな曲線を、なぞっていた。私を不意に別の感情が襲った。私は上ずろうとする声を
 低く抑えて言った。「もし、ぼくが君に欲望を持ったら・・・」「そうよ!」優子は勝
 ち誇ったように叫んだ。「私だって女なのよ。欲望に純粋になればいいんだわ」だが、
 そう叫びながら、優子は堪えられぬように吸押し腰を浮かし、窓際に後ずさりした。
 私がその肩に手をのばすと、かすかに、「あっ」と叫んだ。私は、その叫びに、我に帰
 った。  
・優子は自分に言うように言った。「酷いのは私だわ。年寄りみたいなのは私だわ。私は
 もうすぐ二十一よ。大学に入っての一年。何もしない間に過ぎたわ。そして、おとなし
 い二十一歳。模範的な二十一歳」「ねえ、あなたに判るかしら。女の子が、高校に入っ
 た頃から、もう何を思い、何を持っているか。ううん、もっと前から、もっとずっと前
 から、もっとずっとちっちゃい時から、鑑の前で自分が女の子だってはじめて知った時
 から、もう何を思い、何を待っているか・・・。それでいて、こわがるなんて」優子は
 私を見詰め、叩きつけるように言った。「抱かれたことのない、接吻されたことさえな
 い二十一歳!何て醜いの!」
・一度は消えた衝動が荒々しく私に蘇った。私は優子の肩をつかんだ。優子は唇を噛み、
 体を硬くして、動かなかった。私は畳の上に強引に優子を引き倒した。優子は体を強ば
 らせたまま倒れかかり、あおむけになりかかりながら、下から私の顔をにらむようにみ
 つめつづけた。「いいのか」「いいわよ」私は優子の上衣を開き、その下に手をかけて
 身体をよせた。優子は身を硬くして、小刻みに震えていた。私はふとためらった。「ど
 うしたんだ」「何でもないわ。寒いだけよ」優子はちいさなきつい眼を見開き、下から
 私をにらみ、泣くように叫んだ。「だめよ!こわがっちゃ、だめよ!やろうと思ったこ
 とをやるの!逃げてはだめよ!」
・その日の夜、私と優子は皆と別れて、予定より一日早く野尻湖を離れた。玄関でみなと
 別れる時、佐絵子はなじるような視線を私に送ってよこしたが、その右腕は若い国枝の
 腕にかけられていた。
・私たちが小諸市郊外の中棚鉱泉についたのは十二時近かった。殺風景な鉱泉宿の窓の外
 から眺めると、千曲川が流れ、それが月の光に蛇の腹のように白々と光った。その時、
 優子は、涙ぐんだように、その景色から眼をそらせた。
・優子は、そのあと、すぐせきたてるように、私を誘ったのだ。そして、そうした私との
 愛の情景において、優子はいつも、殆ど生硬とみえるほど、大胆だった。それにしても、
 その優子の大胆さの中に、涙ぐんだ優子の印象を見失ってしまっていたのは、私が若す
 ぎたせいだったのだろうか。  
・私が帰京後、次第に優子と会うのを逃げるようになったのも、優子のそうした生硬な大
 胆さのためであった。優子は、肉感の歓びが感覚の流れに乗って自然に自分の中に充ち
 溢れる前に、それを無理矢理に先取りするかのようであった。優子は、自分の身体が男
 の眼差し、手、身体、男と自分との交流によって次第に呼び起こされ、ある時は自らの
 意志にあらがいながらも自ずと開けて行くのを待たず、自分の意志によって、自分に強
 いながら、私の前に身体を開いてきた。それは誇りと屈辱と、快楽と禁欲との混じり合
 った奇怪な情景であった。
・そして私こそが、そお可能性としての豊かさを現実の豊かさとするために優子と闘わな
 ければならない位置にあった。だが、その時の私は勿論、優子の自殺をきいた時の私も、
 更にまた優子との話を婚約者節子に語った今から半年前の冬の夜の私も、そのことを理
 解しえなかった。

「優子の手紙」
・こうしている間にも、あなたは何処かの女の子と埃っぽい盛り場でもうろつき歩き、夜
 になったら、その子と一緒に、下宿の階段をのぼるか、少し余分のお金を持っていらし
 ゃるなら、あの「文化的な」ホテルのベルでも押すのでしょうか。
・嫉妬は不毛な感情です。私は後悔なんかしていません。私は私の望む所をしただけです。
 それがどんな結果になろうとも、後悔なんかしません。後悔はうしろむきの感情です。
 でも、もし仮に私がほんの少しばかり後悔したとしても、たとえそんなことが仮にあった
 としても、あなたには私を軽蔑する権利などありはしないのです。あなたは男なのだか
 ら。 
・あなたは、女であるとは何か、御存知ですか。いや、決して知っていらしゃいません。
 それは男に判ることではない。いや、判る必要などないことです。
・男の人は自分の望むところを行う。それで終わる。そして、それはそれでいいのです。
 女だって、望んでその中へ入って行くのですから。ただ、その結果は、私が負わなくて
 はならない。それでいいのです。それは男の関知させるべき事柄ではないのです。
・でも、禁欲はいつも惨めで暗いのに、そして欲望を公然と認めて生きることは、夏の海
 に輝く太陽のように明るいはずなのに、その明るさの結末に、こうした屈辱を受けなけ
 ればならないのは、一体何故なのでしょうか。結末は、いつも女が処理しなければなら
 ないのです。  
・処理、何と屈辱的な言葉でしょう。自分が処理される。あなたには判らない。男の人に
 は判らない。あなたなんかに、きてもらいたくない。その責任の半ばを持ってもらいた
 いなどとは、少しも思っていないのです。律儀に、費用の半分は出そうといい出しそう
 なあなたの顔を思い浮かべると、吐気がします。それとも、女には気持ちの負担がある
 から、金銭的負担は全部自分が持つとでも、おっしゃるのでしょうか。
・異様な手術台、光る器具、集中する照明灯、浮かび上がる自分の身体。女がそうしたも
 のを想像することがどんなことか。身体の内側の隅々までが、屈辱に熱してくるような
 恥の感覚。それをあなたに判らせてやりたい、味わわせてやりたい。女の子と、どこか
 の汚いベッドに寝ころがって、いい気な汗を流しているあなたに、思いきり味わわせて
 やりたい。 
・ドイツ語では、彼女はよく希望で存在するって言うんだ、いつか、あなたはそう言って、
 さも可笑しそうに我っていらしたことがありました。妊娠ってことを、そう表すんだ、
 男女の行為が何かの間違いから不幸にしてある結果を持つに至ったことをね。そう言っ
 て、あなたは笑いました。私も、その時は一緒に笑いました。ひどく滑稽だったのです。
 でも、あの時、私はもう「よき希望で存在して」いたのです。あなたはいつも、惨めな
 ほど慎重だったから、「よき希望」が私たちの間に入り込めたのは、野尻と小諸のあの
 最初の二度の機会だけだったはずです。
・私の中に新しい生命が芽生え、育ちます。それは次第に私の中でふくらみ、一人前にな
 り、私を内側からけって自分の存在を知らせます。私が一人でないことを力強く告げ知
 らせます。
・ああ、可哀そうなお母さん。自分の娘の婚礼をみられないなんて。娘の婚礼の代わりに、
 娘の葬礼をみなければならないなんて。優子、早く帰ってくるんだよ。優子、女の子の
 癖に暗くなっても帰ってこないなんて。優子、世間はおそろしいんだよ。優子、男の人
 と手紙のやりとりをするなんて。優子、お前は嫁入り前の身体なんだよ。優子、もしも
 何かあったら、どうするんだい。優子、男ってものはね・・・。
・この手紙は、速達で出せば、まだ今日中にあなたの手に届くでしょう。あなたはこれを
 みて、ここに来るだろうか。別に来てほしいわけではない。
・睡眠薬は、沢山ぼりぼり食べると、お菓子のように甘くなるっていうけど、本当かしら。
 
・私が病院についた時には、既に四、五人の友だちが集まっていた。白布をのけると、生
 命を失った優子の顔は、蒼く大きくその空間を占領していた。
・私たちは蒸し暑い病院の中庭の日陰で、優子の両親の上京を待った。みなよくしゃべっ
 た。それは、殆ど快活とさえみえた。殆ど陽気にさえしゃべりつづけるみなの前で、一
 人その場にもっともふさわしく沈み、黙り込み、暗い表情をありありと顔に浮かべてい
 た。そして、優子の死が私に襲いかかるのに対して身構えた。
・そうだ。その時、私は全力をもって身構えた。優子の死を知り、その速達を読み終えた
 時、不謹慎な言い方を許してもらおう、私の胸は期待でふるえた。私は、私の心が激し
 い悔恨と自己嫌悪と罪の意識に充たされ、それとの闘いに私の全力を消耗しつくす輝か
 しい栄光の日々の復活を予感した。私は闘うべく身構えた。私は久し振りに自己の充実
 を感じた。  
・埋葬のための諸儀式は、死者のためではなく、生者たちのためだ。それの続く間は、残
 された人びとは、死んで行ったものがまだ自分たちの生の世界と関わっていると意識し
 つづけることができる。死の意味は、まだ本当には現れてこない。
・優子の埋葬の数日後、私は友人たちと別れて、帰郷した。そして、その夏を、故郷の町
 に近くにある海岸の村に一人で過ごした。そこで私は待っていた。優子の死が、私の中
 へ激しい衝撃となって拡がることを。そして、それとの闘いに、再び充実した栄光の生
 活が甦ることを。私は人気のない砂浜に身を灼きながら、その期待に胸をふるわせた。
・だが、それはなかなかやってこなかった。真夏の中を日々は空しく過ぎて行った。いつ
 か私の中に、私は優子の死を悼むことができないのではないかという、かすかな疑惑が
 芽生えた。あの日の私の暗い表情は、優子の死を悼みえぬ自分を押し隠すためのよそお
 いであったのかもしれない。そう、私は気がついた。そして、一度気がつくと、私はも
 うそれを忘れることができなかった。そしてある日、私は華やいだ色どりの水着に身を
 包んだ都会の娘を知り合い、青い海と輝く太陽の中を共に泳ぎ、白い光に照り映えるけ
 わしい岩々の蔭で、その娘を抱いた。
・私が長い記憶を語り終えた時、節子は炬燵に顔を埋めたまま、身動きもしなかった。
・私は自分に外的規制を課すことによって、自分を支えようとした。私は毎日の講義を着
 実に出席し、厳格な計画に従って読書し、日毎に変わる娘たちとのつき合いから身を引
 いて、堅実な結婚の相手を探そうと努めた。しかし、自分が望んでいるのはこういう相
 手との堅実な生活なのだと私自身殆ど信じてしまいそうな、明るい神経質でない眼をし
 っかりした腰をもった娘たちは、私が決して本心からそうした生活を信じているのでは
 ないことを本能的に感じ取るかのように、殆ど身を避けるようにして私から離れて行っ
 た。 
  
第五章
・十二月半ばのある日、都心のレストランの一室で、横川和子と宮下との婚約は正式にと
 とのった。同席したのは、和子の親代わりのFと、宮下の親代わりのIの二人の初老の
 教授であった。
・Fは、どんなに惨めな形であったにせよ、自分の青春というものであった、そうした思
 いが、彼の去って行った今、和子の胸に灼きついた。が、それは終わったのだ。これか
 らは、長い、少し退屈だが、大した危険もないない生活が、自分の前を流れて行くだろ
 う。
・宮下は和子を送ってきた。彼はアパートの少し手前の暗闇で和子の肩にぎごちなく手を
 かけると、不器用によろけるように身体を寄せ、上半身をかぶせてきた。和子は生まれ
 てはじめて、男の唇を受けながら、これでよかったのだと自分に言った。Fが何度和子
 のアパートを訪れても、こうしたことは起きなかった。それは私たちの間柄がこうした
 ことを必要としないくらい確かなものだったからなのだと、和子は思った。
・宮下はアパートの入口で帰った。和子が部屋で寝衣に着がえ、布団に入った時、突然、
 部屋のベルが乱れて、短く鳴った。それは、乱れてはいたが、Fの鳴らし方だった。和
 子は身を起しかけた。その時、急に理由のない恐怖が和子を襲った。和子は蒲団の中で
 身をちぢめて耳をおおった。ベルは更に、短く三度鳴り、和子は耐えきれずに、ドアの
 鍵を開けた。 
・「君に会いたくなったんだ。もう一度」和子は寝衣姿の自分の身体がFの視線にさらさ
 れているのを感じた。「君は幸福になるだろう」「だが、結婚の幸福とは、体裁よく言
 ったものだ。若い女は好いていない男と結婚しても、急に女らしく幸福そうになるのだ。
 私はそれをみてきた。それなのに、私は何故・・・」Fは言い淀んだ。Fの眼差しは急
 に優しく和子の身体をみつめた。 
・「和子。お前は覚えているかい、あの初夏の研究室に、岡江ははじめて私に本を借りに
 きた時のことを。私はお前を見送って、細い足をした女の子だと思った。私はこの子を
 見守ってやらなければならないと思えたのだ。そして、やがてお前が卒業して、私たち
 の間柄が個人的なものになるまで、そして、そうなってからも、私はいつもお前を大事
 にしてきた。かすり傷一つつけまいとしてきた。自分の欲望でお前を傷つけまい。前を
 私と会った時のお前のままにしておきたいと思ってきた」
・和子はなじるように言った。「あれほど人を想って、変わらないことがあるのでしょう
 か。私は変わりました。先生にそれがお判りにならなかったのでしょうか」「ああ、そ
 うなのだ。私は一体何ということをしていたのだ。私は憶病だったのだ。私は何故お前
 を抱かなかったのか。抱いて、一体何が変わったというのだ。和子。私はいつもお前の
 ことを考えていた」
・「和子。あと三月もすれば、お前はあの青年のものになる。お前のこの唇が、彼の唇で
 ふさがれる。お前のこの身体に彼の身体が寄りそい、お前のこの体は彼に開かれる。お
 前の表情は彼の手に、彼の身体に応える。一体、そんなことがあっていいのだろうか。
 あの細い足をした少女であるお前が、身体を開き、彼に応える。そんなことがあってい
 いのだろうか」
・和子はFを押し返すようにして身を引くと、膝をそろえて、ぴちっと座った。「先生、
 もう、おっしゃらないでください。私は、先生がそうおっしゃりさえすれば、何でもさ
 し上げるつもりでした。私は先生のものでした。本当に身も心も先生のものでした。ど
 うにもならないくらい先生のものでした。手が、唇が、体が、触れ合おうと振れ合うま
 いと、もう、あれ以上少しでも余計に先生のものになれないくらい、私は先生のもので
 した。これから先、私が誰に肌を許そうとも、それが何でしょう。先生。これでよかっ
 た、よかったのだと一言おっしゃって下さい」
・「よかったと言えと言うのか。だけど、そうすればいいんだ。私はお前が好きなんだ。
 好きなんだよ。どうすればいいだ」泣くようにそう言ったFは急に何かに気がついたよ
 うに口をつぐんで、和子の顔を見詰めた。殺意に似たものが彼の顔に拡がた。Fの骨ば
 った手が和子の肩をつかみ、引き寄せた。その手の意外に狂暴な力を感じた時、和子の
 張りつめた気持ちは崩れた。意志を失ったように倒れ、横たわる和子の上を殺戮が通っ
 て行った。その間中、和子は、痛みに似た激しい感覚に小さく叫びつづける自分を、そ
 こだけひどく冷え切った頭の片隅で鋭く感じつづけた。夜半、老いたFはよろめくよう
 にアパートの階段を降りて行った。
・語り終えた節子の顔は、ひどく暗かった。「生きるって、一体何なんでしょう」「横川
 さんは泣きながらその話をしたのに、何処かそれを誇っているようなところがあったわ。
 私、幸福になんか、なりはしない。人間は、幸福になるために生きているではない。生
 きることに比べたら、幸福かどうかなんか、とるにたらないことよね。横川さんは、そ
 う言って、泣きながら私の肩をゆさぶったわ」「それは、横川さんはかわいそうだわ。
 でもね、横川さんの話すのをきいてて、何故か、私、ふと自分が惨めに思えたの。こと
 によったら、幸福など求めまいって思える横川さんは、一番幸福なのかもしれないって。
 かわいそうなのは、私たちかもしれないわ」
・突然、節子は顔を挙げると、急に思い付いたように言った。「ね、ホテルに連れて行っ
 て、今すぐ」「ばか!ほくのところに帰ろう。泊まってお行き」「いや!今すぐでなけ
 りゃ、いや。あなたの匂いのしみ込んでいるものなんて、いや。気兼ねするのなんて、
 いや」 
・大通りから数歩引き下がっているような路地に面したそのホテルの玄関は、暗く黄昏の
 ように照明されていた。玄関を上がるとすぐの所に、ロビー風の小さな空間があり、女
 中はそこのガスストーブの前のソファーの前に私たちを待たせ、去って行った。
・若い男女が奥の廊下から出てきて、そのロビーの横を通って行った。女の白いふっくら
 した横顔が、ぼんやりした光の中に淡く溶け込むように動いて行った。私はおやっと思
 った。それは研究室の事務をしている福原京子に似ていた。あの女子大でのまだ本当に
 子供っぽく見える福原子ユ子に似ていた。いや、福原京子そのひとであるとみえた。
・節子の肩は寒そうにふるえていた。「さあ、少し体を暖めて、帰ろう」「いやよ、そん
 なの。そんなの、いや」節子は小さく叫び、苛立たしげに私に身体をおしつけて、自分
 から私の唇を求めた。それは、節子に私がはじめてみる烈しさであった。接吻のあと、
 節子は手をのばして電灯を消した。節子は上衣をとると、うながすように私をみた。嵐
 は激しく襲ってきた。その夜、節子は、私の未知の節子となった。やがて、時折戻って
 くる長いうねりも、段々間遠になり、節子は、今はもう、ただ静かに深く息をしながら、
 私の横に横たわっていた。そして、何分か過ぎただろうか。裸の肩を少し見せたまま、
 まだ身じろぎもせず横たわっていた節子の閉じたまつげの間から、涙が盛り上がり、溢
 れて、耳の方へと伝わって行った。節子の顔にあったのは、安らかさではなく、淋しさ、
 何ともいえぬ淋しさだった。節子は静かに嗚咽した。かすかな声が節子の唇を振るわし、
 また、新しい涙が左右の眼尻からこぼれて、流れた。
・駅で社線の方へ節子を送り出してから、私は国電のホームへ上がった。私の乗る外回り
 の国電はまだこなかった。社線のホームでは、丁度下り電車入ったところで、その運転
 台の付近に、何か人だかりがしているようだった。懐中電灯を持ってホームを駆ける駅
 員が、小さく人形のように見え、それが線路に飛び降りて、暗いレールの上を照らして
 いた。やがて、外回りの国電が来、私はそれに乗って下宿に戻った。
・蒲団に炬燵をいれて、もぐり込み、少しうとうとした時だった。私は電話に起こされた。
 「文夫さん、帰っていたの。節子が大変よ!」いきなりそう叫んだのは、佐伯の叔母だ
 った。節子は駅のホームから落ちたのだという。あの駅の社線の事故は、節子だったの
 だ。節子は重傷だと、叔母は言った。
・節子の命が助かったのは、奇蹟と言ってもよい偶然であった。あと十メートル、ホーム
 の後部で落ちていたならば、望みはなかった。またオーバーが電車の前部にひっかからな
 かったら、節子の体は引きずられるだけでなく、車輪に巻き込まれ、少なくとも両脚切
 断、おそらくは出血多量の死を免れなかったろう。
・あれは自殺しようとしたのではないかと、運転士は言った。あの人は、ホームの奥の方
 から、ふらふらと出てきて、そのまま宙を歩くようにホームの外へ踏み出して、落ちた。
 それは、ぼんやりしていたというよりは、自分が何をしているのか知っていながら、そ
 れを止める気がないようにみえた。    
・三月の上旬に予定されていた私たちの結婚式は、節子の事故で秋に延期することになっ
 た。しかし私は、結婚をのばしたくなかった。年寄りたちの満足するように、ひとまず
 ごく内輪で式を挙げ、二人で私の任地のF県へ旅立つことになった。
・私は久しぶりに訪れた研究室で、福原京子と顔を合わせた。京子は私の顔をみると、少
 し顔を火照らせた。年が明けてから、京子に会うのは、これがはじめてだった。「いら
 したら、何て言おうかと思っていたのよ」「だって、暮れに、あんな所でお会いしたで
 しょう」京子は顔を赤くして、眼をそらして言った。「あの人、あの日にはじめて会っ
 たのよ」それから、弁解するように言った。「でも、しょっちゅうじゃないのよ。ほん
 のたまに、二、三度くらい。だって、ひどく寂しくて、寂しくて、どうにもならないこ
 とがあるものだから」「何故、恋人をつくらないの」「ほしいんだけど、できないの」
 「私って、こわいのよ。男の人が。そのせいだと思うわ。恋人ができないの。その時限
 りの男の人って、単純な姿をしているでしょう。でも、お安堵もつき合っていると、そ
 の人のうしろにある生活が判ってきてしまって、そうした生活を持った男の人って、ひ
 どく複雑で、こわいわ」
  
第六章
(節子の手紙)
・私はあなたから離れて行きます。あなたからも、東京からも別れて行きます。そうする
 他、何をどうしたらいいのか、私には一切判らないのです。何故、私がそうしなければ
 ならないのか、判って頂きたいのです。でも、自分でもよく判らないことを、どうあな
 たに説明すればいいのか。けれども、それでもあなたは判って下さらなければいけない。
 あなたが判って下さらないなのだったら、一体誰が判ってくれるでしょう。
・あなたと婚約してから、もうほとんど二年です。でも、その間、あなたは一度も私の昔
 のことを、学生だった頃何を考え、何をしていたかということを、たずねて下さりませ
 んでした。たずねて下さらなかったということは、私には淋しいことだったのです。
 あなたはお判りになってはいらしゃらなかったのでしょうか。大学を出、表面は大人の
 ような顔をしていても、私はいつだって、あなたもよく御存知のはずの、あの泣き虫の
 節ちゃん、強情な節ちゃん、そのくせ嬉しがり屋の節ちゃんで、いつだって文夫ちゃん
 がこっちを向いてくれるのを待っていたのだということを、文夫さん、あなたは、お判
 りになってはいらしゃらなかったのでしょうか。
・あなたは、私が佐野さんから一冊の本を借りることになったあの夜のことを、お話した
 ことがあったのを、覚えていらっしゃいますか。私はあの日、渋谷である男の人を待っ
 ていたのです。私が待っていたのは、駒場であなたと同じクラスで、その頃の歴研のキ
 ャップで、今は富士重の東京本社にいる野瀬さんです。あの日、二時間待っても、野瀬
 さんは来ませんでした。そしてあきらめて乗った国電で佐野さんに会ったのです。私は、
 地下潜行の話を聞いた時、殆ど反射的に「では、野瀬さんも」と思ってしまい、もうそ
 れ以外のことは、眼の前の佐野さんのことさえ、一切考えられなくなってしまったので
 す。    
・私の心が自分でもそれと知らぬ間に野瀬さんにとらえられてしまっていたのは、一体、
 どういうきっかけからだったのでしょうか。私は研究会のテキストを手に、おずおずと
 駒場寮の歴研の部屋をたずね、あれやこれやと精一杯考えて、あの人にぶつかって行き
 ました。私たちは二人だけの時間を持つようにもなっていました。そしてそういう時、
 私はいつも彼のこの上ない忠実な生徒でした。けれども、それはそれだけのことでした。
 それ以上のことを私は望まなかったというより、望むことを思いつきもしませんでした。
 野瀬さんを自分のものにできようとは思えませんでしたし、それに第一、私はあまりに
 野瀬さんの影響下にあったので、野瀬さんを失う瞬間まで、自分が恋をしていることさ
 え、気づかなかったのです。
・あの重苦しい夏の状態は今でも眼に浮かびます。その夏の日本共産党第六回全国協議会、
 いわゆる六全協で明らかさにされた党中執による左翼冒険主義の批判と軍事方針の放棄
 が、学生党員やその周辺の学生たちに与えた衝撃がどんなものだったか。私は六全協の
 内容を告げたアカハタを手に、五、六人の人たちと歴研の部屋で何時間も押し黙って過
 ごしたあの暑い明るい夏の午後を忘れることができません。
・問題は、人間の集団である以上、当然そうした誤りや増悪や権力欲や、その他人間に付
 随するあらゆるものが入り込む可能性がある党を、私たちが人民の党は誤りがない、人
 民の知恵の集まった党の判断は個々人の判断を越えて常に正しいと定言命題化して、信
 じた、あるいは信じようとした、その私たちの態度にあったのです。
・私は歴研にいた学生党員たちを思い出します。ある時、一人の女学生が、その可愛い声
 で、「党はそんなことするわけないわ」といいました。また別の時、ある党歴四年にな
 るベテランの学生が、「党がそんなことをするだろうか」といいました。そして私たち
 はそういう時、そういえない自分に後ろめたさを感じ、心の奥で感じる反発の気持ちを、
 自分の小市民性なのではないかと、おさえるようにしていたのです。
・従ってあの夏、党の無謬性が私たちの前で崩れて行った時、私たちの中で同時に崩れて
 行ったものは、党への信頼であるよりも先に、理性をあえて抑えても党の無謬性を信じ
 ようとした私たちの自我だったのです。
・歴史の法則性とか、思考の階級性とかいう一見真実らしい粗雑な理論、というよりは、
 そうした理論の名を借りた大仰な理屈に脅かされて、眼の前に存在する事実を健全な悟
 性で判断することをやめてしまった私たちには、自我と呼ばれていいものがあったと言
 えるでしょうか。その時、私たちにつきつけられたのは、私たちには自我が不在である
 こと、私たちは空虚さそのものであるということでした。私たちには、衝撃を受けよう
 にも、それを受ける自分が消滅してしまっていたのです。
・そうして夏が過ぎて行きました。大学を離れていた人たちも、次第に戻ってきました。
 それと共に、混乱の中で起きた様々な噂も伝わってきました。聞くにたえない噂もあり
 ました。ある女子党員が、同志であったはずの何人かの学生党員たちによって、ならず
 ものの群におそわれたかのようにもてあそばれ、辱められたという噂も聞きました。
・その重苦しい夏の間、私は一日として野瀬さんのことを考えずには過ごせませんでした。
 もう、かつての明るい賛嘆の気持ちではありませんでしたが、それだけに深く私の心の
 中に入り込んでいました。
・それは残暑の厳しい日でした。中寮の暗い狭い階段を昇ろうとした時です。思いがけな
 く野瀬さんがそこに現われました。渋谷の喫茶店で向かい合ったそれからの数時間、私
 たちは何を話し合ったのでしょうか。「組と会うのがこわかった」そう野瀬さんは言い
 ました。「あの頃のぼくは何だったのだろうか。今のぼくには、君にきかれても、なに
 一つ判らない。今度の党の決定がどういう意味を持っているのか、何故党が間違った
 のか、これからどうしていけばいいのか、何一つはっきり確信を持って言えることがな
 い」「あなたは、私のきくことには、何だって答えて下ったわ。あなたは、自分で考え
 て応えて下さったわ」「そうじゃないんだ。あの頃だって、ぼくには何一つ判っていな
 かった。ただみなの言っていることを、そのままくりかえしていただけなんだ。自分だ
 けが判らないと言うことはできなかった」
・おそらく、その時はじめて、私は野瀬さんを理解したのでした。野瀬さんが二十歳の青
 年であること、ある時は自分の利害を忘れ、全力を挙げて学生運動に打ち込むこともで
 きれば、一方また場合によっては、女子党員を辱しめたあの学生党員たちと同じように
 もなれるだろう二十歳の青年であること、私が十九の娘であると同じように二十歳の青
 年であることを理解したのでした。
・やがて卒業期がきて、母が私に、あなたと結婚する気はないかと勧めました。そして、
 その四月、私たちは婚約しました。そうして出発した私たちの婚約には、どちらの側に
 も、一種の諦めと、それに互いに認めた馴れ合いがあったことを否定しようとは思いま
 せん。五月のはじめの暖かいある日、私たちは小石川の植物園を散歩しましたね。青々
 とした若葉を萌え出させているあの巨樹たちの下を、あなたに抱かれて歩き、その一本
 に木の下で立ち止まり、眼を閉じました。私の熱にかわいた唇に、あなたの湿った暖か
 い柔らかな唇がかぶさりました。
・あなたはそういう時、いつも、本当に優しかった。その日の帰り、そしてそのあと、私
 たちが下宿のあなたのお部屋で愛し合うようになった時も、あなたは決して、正確で、
 その優しい正確さの中で、私は少しずつあなたの前に自分を開いて行きました。そして、
 八月のある日、とうとう私がすっかりあなたのものになった夏の夜、あなたは、涙ぐん
 ている私の背中に手をまわし、私の小さな裸の肩を、いつまでも抱いていてくれました。
・ですが、そうしたあなたのあまりに正確な優しさの中で、私が何か判らない物足りなさ
 を感じていたのに、あなたはお気づきだったでしょうか。あなたの優しさの中には、い
 つも、あなたが残してきた過去が感じられました。勿論、あなたにそうした日々があっ
 たことは、判っていたことです。ですが、それでも、やはり、そうした過去の日々がな
 かったかのように、私はあなたに愛してもらいたかった。はじめてのようなやり方で、
 あなたに愛してもらいたかったのです。おそらく女は、この上なく愛している人の手に
 よってでも、なお、はじめての経験にまったく恐怖なしに立ち向かうことはできないで
 しょうが、私は、殆ど自分でもそれと知らぬ間に、それ以前の優しい心地よい愛撫から
 のなだらかな続きとして、あなたに自分を与えて行けた。それは、女と生まれて、殆ど
 得がたい幸せだったのだろうと思います。ですが、私が望んでいたのは、そうした幸せ
 ではなかった。たとえ、恐怖と苦痛のうちに、はじめての経験をしてもいい、それでも
 いいから、あなたに、自分の前にいる私というものを我を忘れてもらいたかった。私に、
 激しい苦痛の叫び声を挙げさせてほしかった。そうすれば、そのあと、私はどんなにい
 とおしい思いで、あなたを抱くことができたでしょう。
・私たちの間も、そろそろ一年になりました。その間私は幸福でした。勤め先でも、家に
 いても、時折、不意に、あなたの手の感触が私の身体に甦り、頬を火照らせました。毎
 土曜、あなたの下宿に急ぐ時、思わず期待に胸が高鳴ってしまうのを感じて、顔を赤ら
 めました。それは、解放された感性の歓びというのには、あまりにも幼いものでした。
 それは、そうした感覚を通じて、私があなたと結ばれているという歓びでした。それは、
 むしろ精神的な歓びでした。それでいながら、それは確かに、女としての私の身体の歓
 びでした。   
・もう終わりに近い五月の末のある夜、あなたの蒲団の中にだるい体を横たえながら、も
 う起きて、身づくろいをしなければと考えていました。でも、そうした時間のあとで下
 着を身につけるという行為は、いつになっても、少し恥ずかしいことでした。私は、先
 に起き出していたあなたに声をかけて、窓の方を向いてもらい、それからのろのろ起き
 て、そこにある下着を手にとりました。そして、それを身につけながら、ふと気になっ
 て、うしろを盗み見しました。あなたは窓を開けて、外を眺めながら、煙草を吸ってい
 ました。遠くを眺めているあなたの横顔が、思いがけないほどはっきりと映っていまし
 た。それは、ひどく冷たげな、そのくせひどく淋しげな、無限の彼方に視線を投げてい
 るような横顔でした。それを見た時、私はふいに自分の中の疲れを感じました。そして、
 一度そう思うと、その疲れはにわかに重くなって、全身に沈んでいくようでした。私は、
 もう、下着をつけ続けるのさえ面倒な気持ちでした。
・佐野さんの遺書の中の「死に臨んで、自分は何を思い出すか」という問いは、木の肌に
 打ち込まれるのみのように、私の心に突きささりました。それはあたかも私に向けられ
 た問であるかのようでした。そして、それへの答えを探した時、私は自分がそのおそろ
 しいと問へのどんな答えも持っているはずのないことを理解しました。そして、それと
 同時に、私は自分から去ろうとしない疲労感の意味を知ったのです。
・焦燥から解放されたのは、ようやくあのホテルの一室でやってきました。あの時私が求
 めていたのは、あなたの身体ではなく、あなたその人でした。が、人間に、人とその身
 体を区別する手立てがあるでしょうか。それは哀しいことでした。あなたを求めるとい
 うことは、あなたの体を求めることでした。私は激しくあなたの身体を求め、あなたは
 荒々しく 私の身体を抱擁しました。私たちの息は次第に一つになり、あなたの嵐は私
 の中で波浪となり、私の中でうなり高まった潮はあなたの外に溢れ泡立ちました。それ
 は、私のはじめての経験でした。私は解放され、やがて深みに沈んで行きました。
・けれども、その深みの中で、哀しみが私の心に拡がってきました。焦燥が消えた今、私
 の心の中にあるのは、ひどく虚しい解放感なのです。そこには歓びはありませんでした。
 人は、ああしたことを官能の歓びと呼ぶのでしょうか。けれども、官能は、人が普通に
 言うほど、精神から、人の心から、遠い所にあるものでしょか。たとえ官能の歓びでも、
 歓びを歓びとして感じることのできるのは、ただ人の心だけなのではないでしょうか。
 ああした抱擁のあとでも、私のそばに横たわって私を静かに愛撫しているあなたは、依
 然としてもとのあなたなのです。抱擁の間、私たちは一つの息をしながら、同時に、抱
 擁する前と同じだけ離れつづけてもいたのです。私が求めつづけていたのはあなたなの
 に、私に求めることができたのはあなたの身体なのです。私が抱きしめたのはあなたの
 身体なのです。しかも、心はそんなに離れていながら、私はあなたの愛撫の一つ一つ、
 あなたの身動きの一つ一つに、息をはずまし、身をそらし、応えてしまったのです。そ
 れは哀しいことでした。心とは無関係のところで、そうしたことが起き、終わっていく
 ということは、哀しいことでした。
・私は裸の肩をあなたに抱かれ、暗がりの中で、自分が幸福だった日々、野瀬さんと過ご
 した日々を思い出しました。それは錯覚によって支えられていました。しかし、錯覚に
 よって支えられていたにせよ、そこには人生と未来への信頼がありました。二人の共通
 の信頼がありました。私は野瀬さんのそばで歓びに充たされていました。野瀬さんをみ
 る時、そして野瀬さんに見られる時、私の感じる歓びは、殆ど官能的な歓びでした。幼
 かった私たちは、手を取り合うことさえありませんでした。けれども、彼の顔をみつめ、
 彼の視線に見つけられた時、私の全身を充たした震えるような歓びは、たしかに官能の
 歓びでした。それは、あの晩あなたの抱擁が決して与えてくれなかった眼くるめくよう
 な官能の歓びでした。 
・私には、過去の自分のおかしていた過ちが、次第に判ってきました。私は自分があなた
 に、そしてかつては野瀬さんに、あまりに多くのものを求め過ぎたとは思いません。私
 たち人間の生活は、いちも、何の意味も持たたない茫漠とした世界の淵にさらされてい
 て、ともすればその果てしのない深みと広がりの中へ落ち込んでいきます。いえ、そう
 した茫漠さの中に漂うことこそが、人間の生活の常態なのかもしれません。が、私たち
 はそれでもなお、自分の生活が意味のない事象の継起でしかないことには堪えられませ
 ん。私が、いつも、相手の人と何かを共有したい、二人の生活の中に何か共通の意味を
 持ちたいと願ったのも、この茫漠とした世界の中に確かな杭を打ち込みたい、それを一
 本一本と打ち込むことによって、そこに単なる時間の流れではない歴史と呼ぶにたるも
 のを生み出したいと願ったからであり、更に、それによって私たちははじめて、私たち
 のまわりに拡がるこの無限の空間、私たちをやがて死の中へ消して行くだろうこの無限
 の時間に堪えることができるかもしれないと感じたからに他なりませんでした。それは、
 求めるに難きものであったかもしれないにせよ、求めずに過ごせるものではありません
 でした。 
・退院してすぐ、私はまだ不自由な身体で女子大の先生を訪ねました。仕事を、今までの
 ような仕事ではなく、自分の仕事だと思える仕事を探したいと思ったのです。東北のあ
 る小さな町のミッションスクールが、英語の教師を求めておりました。それは、新卒の
 人たちは、誰も希望しなかったような田舎の町です。そこでの先生の仕事は、東京育ち
 の私の想像とは、ましてや自分の仕事という私の希望とは、全くかけ離れているかもし
 りません。ですが、そこには、少なくとも、英語を習おうとして私を待っている人たち
 がいるのです。そこでは、私は必要な人間なのです。そこには、私の仕事があるのです。
 私はそこに行こうと決心しました。
   
終章
・今朝、私は助手の宮下と横川和子の結婚の挨拶状を受け取った。三月末に結婚したとい
 う。媒酌人は、例のF教授の友人で宮下の指導をしているI教授だ。
・福原京子も、三月一杯で研究室を辞めた。見合いしたという。おそらく、秋には結婚す
 るのだろう。  
・曽根と山岸徳子の結婚は、一週間後の日曜日になっている。
・節子は私を離れて一人で地方へ行った。私も、もう旅立つべき時だ。
・節子は、おそらく私がはじめて本当に節子を必要とした時、私から離れて行った。節子
 があの事故に遭ったあと、私ははじめて、自分がもう一人で生きることに堪えられない
 ことに気づいた。かつては、誰とも自分を決定的に結びつけないことに、ひそかな自由
 を誇ってさえいた私だったが、年をとったと言うには、あまりに若い年齢だが、やはり
 年をたったのだろう。私の世代は老いやすい世代なのだ。
・もし、一人の人間の行為が、自らの意志によって決定されるようにみえて、その実それ
 ほど多くの人びとの願いあるいは怨恨をうしろに背負っているものであるとしたら、も
 はや、それが幸であろうと不幸であろうと、彼にその行為を拒否することはできない。
 そうなんだ。私の幸や不幸は問題ではない。節子の幸や不幸は問題ではない。人は生き
 たということに満足すべきなのだ。   
・やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかもしれない。あなた方の頃は
 どうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じような困難があ
 った。もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれど、困難があるという点では同
 じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの
 中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出ようとした人がいたのだ
 と。