日本婦道記   :山本周五郎

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この本は友人から頂いたものだった。今まであまり時代小説を呼んでいない私にとって、
山本周五郎の作品も例外なく、今まで読んだことがないもののひとつだった。
この本は、11編からなる短編集なのだが、読んでみて、まずは山本周五郎のその豊富な
語彙と表現力に圧倒された。そしてまた、物語の内容がそれぞれ男心の琴線に触れるよう
な、哀しく辛く、そして感動的な内容となっている。これらの物語は、「良妻賢母」とい
う幻想を持っている多くの男性にとって、まさに理想の女性像を描いたものなのではない
だろうか。
小説は、昭和17年から昭和21年まで間に読切連作として雑誌「婦人倶楽部」に発表さ
れたものらしい。しかし、この作品が世に出たとき、「女だけが不当な犠牲を払っている」
と、一部の人たちから反感をもたれたようである。女性の側からすれば、勝手に女性を理
想化し、不当に犠牲を強いていると受け止められたのだろう。現実的に、この小説に出て
くるような女性は存在しないのは確かだろう。
しかし、ロマンチストである多くの男たちにとって、この小説に出てくる女性がいてほし
いという夢を、生涯捨てることができないのも事実ではなかろうか。

「松の花」は、自分の家庭を顧みず、ひたすら藩の御奉公に勤めた上級武士が、定年退職
し、妻を病で亡くした後に、妻のほんとうの「内助の功」というものを知った話である。
これは、時代が武家社会だったときでも、今の時代でも、同じようなことが言えるのでは
なかろうか。会社勤めのサラリーマンは、休日以外はほとんど家にいない。長い間連れ添
った自分の妻が、家でどんな暮らしをしているのか、どんな人生を送っているのか、その
ほんとうの姿は知らない夫がほとんどではないかと思う。夫が知らない細々とした家事に
追われて奮闘している妻のことを知らずに、毎日の暮らしが当たり前だと思っている夫た
ちは、もう一度あらためて、自分の妻に感謝し直す必要があるのではないだろうか。そん
な気持ちさせられた物語である。

「箭竹」は、不運なできごとによって夫を失った妻の物語である。幼子を抱えて残された
若い妻にとって武士の世界は非情だった。それでも、自害した亡き夫の無念を思い、なり
ふりかまわず、なんとかひとりで生計を立て、必死に幼子を育て上げていく。その二十年
の長きにわたって微塵も揺るがない一心さには、多くの男たちにとって、もう涙なしに読
み終えることができないだろう。まさに感動・感動の物語である。

「梅咲きぬ」は、嫁と姑の物語である。嫁にとって姑という存在は、非常に怖い存在であ
るようだ。近代社会の今においてもそうなのだから、武家社会においては、嫁にとって姑
という存在は、想像もできないほどのものだったのだろう。しかし、その怖い姑とて、嫁
に入ってきた嫁として苦労した時代があったのだ。姑が嫁の行いに口を出すのも、嫁に早
く一人前になってもらいたいという気持ちがあってのことだろう。お互いに相手の気持ち
を思いやりながら接すれば、嫁の姑の関係も、穏やかな関係を築けるかもしれない。

「不断草」も、嫁と姑の物語である。姑は目が不自由で嫁の介添えが必要だったが、わけ
あって嫁いで来たばかりの嫁を離縁しなければならなかった。嫁はなぜ自分が離縁された
のかその理由がわからなかった。しかし、ひとり遠い縁家に預けられた目の不自由な老い
た姑が気がかりで、実家の父親から勘当されてまで、離縁された姑のところへ行って、姑
には気づかれないように密かにその世話をし続ける。嫁と姑との心と心が固く結ばれてい
く。これも感激で涙なしには読み終えることができなかった。

「藪の蔭」は、結婚式当日、仕事からの帰り道の暗闇で、いきなり切りつけられ重傷を負
った夫を、懸命に介抱し家計を支える妻。やがて、夫は友のために身代りになって友の不
始末の責任を引き受けたことを知り、妻は夫の心の深さに感動するという話なのだが、あ
まりにも現実離れした友情であり、理想が高すぎて私にはとても感動が起こらない内容で
あった。

「糸車」は、ほんとうの親子とはどういうものなのかを、改めて考えさせられる物語であ
る。家が貧しくて、よそに貰われていった娘。しかし、その貰われていった家も決して豊
かではなかった。しかしそこには貧しいなりの家族の営みがあった。十八年の歳月が流れ、
当初貧しかった娘の実家が運に恵まれ豊かになった。そうなると実の親としては、貧しか
ったときによそに遣った娘のことが不憫になる。財力にものをいわせて、よそに遣った娘
を取戻しにかかるが、育った家での十八年の歳月で培われた娘の家族との絆は、もはや血
のつながりだけではどうしようもないほどに、強くなっていた。血のつながりよりも、歳
月で育てられた家族のつながりのほうが、ずっとずっと強いのだ。ほんとうの親子とは、
血のつがなった親よりも育てられた親のほうなのだ。そういうことを、改めて思わされた。
涙なしでは読み終えることができない感動の物語であった。

「風鈴」は、早くに両親を亡くした三姉妹の長女が、貧しいながら親に代わって立派に妹
たちを育て上げた後、幸せになった妹たちから、いつまでも慎ましい生活のままでいるこ
とをあれこれ言われ、自分の今までの人生とはなんだったのか、自分はこのままでいいの
か、生き甲斐とはなんなのか、と思い悩む物語である。これは、子育てを終えた主婦たち
に共通する悩みかもしれない。あるいは、多くの男たちにとっても、現役・引退後にかか
わらず時折悩む問題でもある。この物語は、生き甲斐という悩みについて一筋の光を与え
てくれる物語であろう。

「桃の井戸」は、初めての結婚が子供のいる家庭への後妻だった女性の物語である。いつ
の世も継母と継子の関係はとても難しい。しかしその継子とのむずかしい関係を経験しな
がら、継子を育て自分自身も成長していく。妻というもの役割は家庭の創作であり、それ
は生き甲斐でもある。主婦のしごとは単なる事務ではないのだ。戦後の日本の経済至上主
義の社会では、このことがすっかり忘れ去られているような気がする。「女性活躍社会」
もいいかもしれないが、この「家庭を創作する」ということを軽視したままでいいものだ
ろうか。そんなことを思わされる物語である。

「黒丸」は、ひとりの純粋な女性の一途な愛の物語である。幼くして両親をなくした「黒
丸」と綽名を付けられた肌の黒いみすぼらしい少女が、養われた家で成長するに従い、見
違えるほどの美しい女性になっていき、その家の長男の嫁に望まれるまでになる。しかし、
嫁になることを頑なに拒んでその家から姿を消してしまう。長い歳月が流れたある日、そ
の長男が旅先でばったり、姿を消したその女性と出会った。どうして突然姿を消したのか
問い詰めると、そこには深い深い女性の長男に対する愛情が隠されていた。最後にいっき
に涙を誘われる物語である。

「二十三年」は、仕えた武家のために自分の人生すべてを犠牲にして尽くし続けた女性の
物語である。それは主従の義理のためでもなく、恩義のためでもなかった。その気持ちは
女性でなくてはわからないものであろう。しかし、その尽くし続けた二十三年という歳月
は、最後の最後までその女性に大きな犠牲を強いたものだった。この物語も涙なくして読
み終えることができなかった。

松の花
・藤右衛門は紀州徳川家の年寄役で、六十四歳の今日まで、ほとんど病気というものを知
 らず、いくらか髪に白いものをまじえたのと、視力がややおとろえたのを除けば壮者を
 しのぐ健康を持っていた。けれどもその年の春さき、老年をいたわるおぼしめから御勝
 手がかりの役目を解かれ、菊の間づめで藩譜編纂のかかりを命ぜられてから、おおくは
 自分の屋敷の書斎にとじこもって、下役の者たちの書きあげてくる稿本に眼をとおすだ
 けが仕事になり、煩雑な日常から解放されたのであるが、それ以来、かえって身すじに
 つかれの凝をかんじるようになった。
・藤右衛門はつねづね、泰平の世には、婦道をただしくすることが、風俗を高める根本ん
 であると信じていた。
・身にいとまのあることがかえって悪いのであろう。馴れてくればこんなことも無くなる
 にちがいない。これどのその原因はじつはもっとほかにあった。妻のやす女がいま重態
 なのである。
・病気が癌という不治のものだったので、はやくからたがいに覚悟ができていた。かなし
 さもつらさもいまさらのものではない。ただ臨終が平安であれと祈るほかには、藤右衛
 門の心はしらじらとした空虚しか残っていなかった。
・「まことにお安らかな、眠るような御往生でございました」さいごの脈をとった医師が
 そう云うのを聞きながら、藤右衛門はしずかに枕もとへ座った。妻の唇にまつごの水を
 とってやった。もはやなにを思うこともなかった。妻の死顔はこのうえもなく安らかで、
 苦痛のいりなどはいささかもなかった。
・藤右衛門はしばらくのあいだ、祝福したいような気持ちで妻の面を見まもっていたが、
 ふと夜具のそとに手がすこしこぼれ出ているのをみつけ、それを入れてやろうとしてそ
 っと握った。するとまだぬくみがあるとさえ思えるその手がひどく荒れてざらざらして
 いるのに気づいた。妻の手を握るなどということはかつて無いことだった。その皮膚が
 そのように荒れているのをみつけたとき、藤右衛門はそれまでまるで知らなかった妻の
 一面をに触れたような気がした。
・頭は冴えているし、心もしずかだった。ただひとところ、からだのどこかに蕭殺と風の
 ふきぬけるような空隙がかんじられた。
・遠くから音をしのぶ人のざわめきがきこえて来たので、藤右衛門はふとわれにかえった。
 耳にたつほどではないが、病間のあたりでかすかに、音をしのばせた看経の声がしはじ
 めた。
・「仏前にまだ誰かぞおるか」「はい、家士、しもべの女房どもでございます」金三郎の声
 は苦しそうだった。藤右衛門の眉がけわしく歪んだ。掟のきびしい武家屋敷では、家士
 しもべの女房などが、みだりに奥へ入ることは許されない。それで藤右衛門は怒りを抑
 えながら云った。誰がゆるしてさようなことをした」「父上、おねがいでございます」
 廊下に伏したまま金三郎は訴えるように云った。「あの者どもは母上を、つねづね実の
 親のようにもおしたい申しておりました。あの者どものかなしみは、世間ふつうのしも
 べが主人をうしなったのとは違います。肉親の母親をなくしたよりもつらいのです。
・あれはどのようなことをしてやったのであろう。藤右衛門はまたしても、自分の知らぬ
 妻に一面をみつけておどろかされた。 
・看経の声はしめやかに続いていた。十二時をまわってから、それがちょっと途絶えたの
 で、香をあげようと思って立っていったが、襖の外までゆくと、部屋の中で人々のむせ
 び泣く声がしていた。それはいままで誰が泣いたよりも悲痛な、胸を刺しとおす響きを
 もっていた。かれはそのままそっと廊下に戻った。「あの者どもに夜食をだしてやれ」
 藤右衛門はそう云って書斎へかえった。
・どうして妻はあれほどのなげきをかれらに与えるのか、かれらにとって妻はそれほどお
 おきな存在だったのか。 
・「その者どもにやすのかたみわけをして遣わそうと思うがどうか」「遣わすべき者を呼
 んでまいれ」そう云って藤右衛門は立った。婢頭のそよをつれて亡き妻の居間に入って
 いったとき、呼びあげられた家士やしもべの女房たちが、次の間にひかえて平伏してい
 た。部屋のあるじが一年あまりの病間ぐらしで、ながらく使わずにあったためか、そこ
 は婦人の居間らしいなんのにおいもなく、年代を経て古くつやを帯びた調度類が、塵も
 とめぬ清浄さできちんとならんでいるだけだった。
・そよは古いほうの箪笥を開け、ひき出しの中からつぎつぎに衣類を取り出して藤右衛門
 の前にならべた。それはみんな着古した木綿物だった。すっかり洗いぬいて色のさめた
 ものや、たんねんに継をあてたものばかりだった。こんなものを大切そうに箪笥へしま
 って置くなどとは、そう思いながらみていくと、取り出されるものはみな木綿で、どれ
 もいくたびか水をくぐり、なんどか仕立て直された品ばかりである。夏のもの冬のもの
 みんな同じだった。どれひとつとして新しいものはなく、まして絹物はひと品もなかっ
 た。
・「これでしまいか」藤右衛門はなかばあきれて訊いた。「はい、お納戸の長持には、まだ
 着古しもございますけれど、もう継ぎはぎもならぬほどのお品で、ひとの眼に触れては
 恥ずかしいゆえ、よいおりをみて焼き捨てよ、との仰せでございました」そう云ってそ
 よははらはらと泣いた。
・藤右衛門はもう一度そこにある衣類をとりひろげてみた。洗い清めてはあった、どんな
 ちいさなやぶれ目にもきちんと継があててあった。けれどもかたみわけとしてひとに遣
 るには、あまりに粗末な品々である。藤右衛門はまだ茫然とした気持ちからさめること
 ができず、ふりかえって格之助の顔を見た。「これでは、いかにもみぐるしすぎるよう
 に思うが、どうか」「母上が身におつけになった品ですから、お遣わしになってよろし
 かろうと存じます。わたくしも一枚、なみに頂戴いたします」格之助はそう云って、ま
 ず自分から古びた袷を一枚ぬきとった。
・「ではよいようにわけてやれ」「かたじけのう頂戴つかまつりまする」そよはすり寄っ
 て、その衣類を敷居ぎわまではこんだ。そして、次の間に平伏している女房たちのむか
 った。しずかに涙を押しぬぐいながら云った。「旦那さまのおぼしめしで、亡き奥さま
 のおかたみわけをいたします。おまえたちも知っているとおり、つねづね奥さまはおそ
 れおおいほど、つましいくらしをあそばしておいででした。これまでわたくしたちお末
 の者が、祝儀不祝儀につけ頂いたものは、それぞれ新しくお買い上げになった高価な品
 ばかりでした。わたくしどもにはそれほどお心をかけて下さいましたのに、奥さまがお
 身につけておいであそばしたのは、みなこのような御質素なお品でした。このお品をよ
 く拝んでください」「この色さめたお召物をよく拝んでください。継のあたった、この
 お小袖をよくよく拝んでください」そよの喉へ嗚咽がせきあげた。女房たちも声をころ
 してむせびあげた。藤右衛門はその嗚咽に追われるもののように、卒然と立ってその部
 屋を出た。
・藤右衛門は壁をみつめながら「やすはどうしてあのような物を、あのようなみぐるしい
 物を身につけていたのだ。わたしは少しも気がつかなかった。本当にあんなものしか持
 っていなかったのか」「母上はつつましいことがお好きでございました」格之助はふか
 く面を伏せていたが、やがて低い声で呟くように云った。「お召物だけではございませ
 ん。お身の回りのことすべてをつつましくしておいででした。母上はいつかこのような
 ことを仰せられていました。武家の奥はどのようにつましくとも恥にはならぬが、身分
 相応の御奉公をするためには、常に千石千両の貯蓄を欠かしてはならぬ」
・格之助がそう云うのを聞きながら、藤右衛門はふと、息をひきとったばかりの妻の手の
 触感を思い出した。夜具のそとにはみ出ていたのを入れてやろうとして、なにげなく握
 った妻の手はひどく荒れてざらざらとしていた。
・藤右衛門はじっと自分の右手をみまもっていた。その右のたなごころには、まだあのと
 きの触感が残っているようだった。千石の奥の手ではなかった。あの皮膚のかたさ、ひ
 どく荒れた甲は、千石の家の主婦のものではない。朝な夕な、水をつかい針を持ち、厨
 にはたらく者と同じ手あった。   
・やす女は大御番頭九百石の家に生まれ、五人きょうだいのなかのただ一人の娘として家
 族の愛をあつめて育てられた。顔かたちもまるくおっとりしていたし、たちふるまいも
 のびやかで、彼女が嫁いで来てからは、急に家のなかに春風のふきとおるようなにおや
 かな気分につつまれたものである。よそよりも一段と家法のきびしい、規矩でかためた
 ような佐野家の日常とはまるでかけはなれた、のびのびとした雰囲気を身にもっていた。
 これで家政のたばねができるだろうか。はじめのうち藤右衛門はいつもそれを案じてい
 たくらいだった。 
・代々質素たいいちの家風で、家計はゆたかであったし、召使の数も多く、やす女はただ
 主婦という位置にすわっているだけでよかった。なんの苦労もなく心配もないはずだっ
 た。
・あのひどく荒れた手に触れたとき、藤右衛門はまったく意外だった。彼の印象にある妻
 とがどうしても似合わず、自分のまったく知らなかった一面にはじめて触れたような気
 持ちだった。
・三十年もひとつ家の内に起き伏しして、二人の子まで生した夫婦でありながら妻の本当
 の姿というものを知らずにすごして来たことが、はじめていま彼にわかった。なんの苦
 労もなく、のびやかに暮らしているとばかり思っていたが、それは妻の姿のほんの一部
 分でしかなかったのだ。夫の眼にもつかず、まして世の人には窺い知ることもできぬと
 ころで、妻はそのつとめを全身で果たしていたのだ。
・佐野家はもともと豊かな家計をもっていた。けれどもきまった食録でまったくの消費生
 活をするということは考えるほどたやすくはない。物価の動きや家族の増減、そのほか
 眼に見えるところで出費は年々とかさんでゆくのが普通だ。しかし、武家には格式とい
 うものがあって、千石は千石だけの体面を保たなくてはならぬ。佐野家がいかに豊かな
 家計をもっていたとしても、これを受け継ぐ者に少しの油断でもあれば、たちまち底を
 洗うことはわかりきった話だ。
・藩の御勝手都合で食録のわたらぬことが続くとか、非常な物価昂騰とか、百人に近い家
 士たちのために、年々更新しなければならぬ武具調度の費用とか、ほとんど不時の出費
 のたえることはないといってよかった。それを佐野家はきわめて無事にすごしてきた。
 藤右衛門はどんな場合にも心を労することなく、打ち込んで御奉公をすることができた
 のである。そして今日まで、それを当たり前なこととして、誰の賜とも考えることはな
 かったのだった。
・なんと迂闊なことだ。なんという愚かな眼だ。自分のすぐそばにいる妻がどんな人間で
 あるかさえ己は知らずにいた」藤右衛門はおのれを責めるように呟いた。「佐野の家が
 あんのんにすごして来たのも、自分が無事に御奉公できたのも、陰にやすの力があった
 からではないか。こんな身近なことが自分ではわからなかった。妻が死ぬまで、自分は
 まるでちがう地間をしか知らなかったのだ」
・いたましく皮膚の荒れた手ゆびと、あのように粗末な遺品をとおして、いまこそ藤右衛
 門にはまことの妻が見え始めたのである。彼の心にあった空虚な感じはいつかぬぐい去
 られたように消えて、その代わりに新しい感動が大きく脈うちだした。
・「烈女節はこのように伝記の撰せられるものだけではない。世の苦難を戦い抜いたこれ
 らの婦人は頌むべきだ。しかし世間にはもっとおおくの頌むべき婦人たちがいる。その
 人々は誰にも知られず、それとかたちに遺ることもしないが、柱を支える土台石のよう
 に、いつも蔭にかくれて終えることのない努力に生涯ささげている。これらの婦人たち
 は世にあらわれず、伝記として遺ることもないが、いつの時代にもそれを支える土台石
 となっているのだ。この婦人たちを忘れては百千の烈女伝も意味がない。まことの節婦
 とは、この人々をこそ指すのでなくてはならぬ」」 
 
箭竹  
・矢はまっすぐ飛んだ。晩秋のよく晴れた日の午後で、空気は結晶体のようにきびしく澄
 みとおっている。矢はそのなかを、まるで光の糸を張ったように飛び、ここよろい音を
 たてて的につき立った。やはりあの矢だ。家綱はそううなずきながら、的につき立った
 矢をしばらく見まもっていたが、やがて脇につくばっているこ扈従にふりかえって、
 「そこにある矢をみなとってみせい」といった。扈従の者が矢立に残っているものをす
 べて取って差し出した。四本あった。
・かれはその筈巻の下にあるところを一本ずつ丁寧に調べてみた。すると、はたしてその
 なかにも一本あった。筈巻の下のところに「大願」という二字が、ごく小さく銘のよう
 に彫つけてある。 
・「たずねることがある。丹後よんでまいれ」そう云って家綱は床几にかけた。家綱はま
 だ十九であるが、三代家光の闊達な気性を受けてうまれ、父に似てなかなか峻厳なとこ
 ろが多かった。
・弓矢奉行などがじかに呼びつけられる例は稀なことで、丹後は叱責されるものと思った
 のであろう、平伏した額のあたりは紙のように白かった。丹後に、家綱は持っていた一
 本の矢をわたした。「その筈巻のすぐ下のところをみい、なにやら銘のような文字が彫
 ってある」「一年ほどまえより折おりにその矢をみる。どこから出たものか、いかなる
 者の作が、とり糺してまいれ」  
・将軍の御用の矢は、諸国の大名たちから献上されるものを精選し、もっともよい作だけ
 をすすめることは云うまでもない。  
・大願とはなにを祈念するのか分からないけれど、将軍の手に触れるものだけに、そのよ
 うな品を気付かないで献上したことは重大な粗忽である。  
・これは万治二年十月なかばのことである。話はここで十八年前、寛永十八年にかえる。
 ところは駿河の国、田中城下、新秋の風ふきそめる八月のある日の午後のことであった。
・その時みよは縁側から庭の柿をみていた。初生りの柿を青竹で作った小さな籠にいれ、
 子供に背負わせると息災に育つという俗習がある。みよは青柿をながめながらそれを空
 想した。二歳の誕生を迎える安之助が、柿を入れた青竹の小さな籠を背にして、よちよ
 ちとあるく姿は考えるだけで愛らしく楽しいものだった。若い母親には酔うほどの空想
 だった。 
・そこへ家士の足守忠七郎がはせ入って来た。「旦那さまには、久能山にて御生害にござ
 います」あまりに突然すぎたし、またあまりにも思いがけない言葉だった。まちがいの
 もとは些細なことでございましたが、加賀さまが云いつのり、ついに抜き合わせて、旦
 那さまがみごとに加賀さまをお仕止めなさいました。見ていた者も旦那さまには非分は
 ない、加賀さまが悪いと申し合っておりましたが、旦那さまは勤役中の不始末を申し訳
 なしと思召し、その夜半、宿所にて御切腹にございました」
・すぐにもお咎めの使者があるであろう。そう思ったので、召使いたちにその旨を告げ、
 家内の始末にかかった。二百石の書院番で家財といっても多くはない。お上に収められ
 るもののほかは僅かな衣類と仏壇だけがめぼしいものだった。ふだんつましく家計を守
 ったけれど、結婚して三年目であるし、安之助が生まれたりして貯蓄は乏しかった。そ
 れで売れるものは売って、召使たちの餞別の足しにしなければならなかった。
・城から上使が来たのはその翌々日の朝のことだった。みよは水髪に結い、着替えをさせ
 た安之助を抱いて上使を迎えた。「大切なるお役目中、私の争いによって刃傷に及びた
 る始末、重罪を申し付くべきところ、即座に自裁して責を負いたる仕方しんみょうに思
 召しされ、よって食録召上げ遺族には領内追放を申し付くろものなり」お達しの趣意は
 そういうものだった。  
・上使をおくりだしてから、みよは仏壇にあかしをいれ、良人の遺髪をあげて、香を焚い
 た。そして安之助とふたりしてその前に座ったとき、はじめて思うままに、しかし声を
 忍んで泣いた。「安之助、さあ、お手を合わせて、よくおがむのですよ、こうして」幼
 ない者の手を合わせてやり、低く唱名念仏しながら、みよは涙のなかからしっかりと遺
 髪を見上げて云った。そのとき襖のかなたで、耐えかねたように誰かのすすり泣く声が
 聞こえた。  
・あくる日の朝、みよは安之助を背って家を出ていった。美濃の国、加納藩に実家がある
 ので、ひとまずそこへ落ち着くことに決めたのである。お咎めによる追放なので、知り
 びとは云うまでもなく、召使いたちも見送ることはできなかった。ただひとりだけ、藤
 枝の在から奉公に来ていた下僕の六兵衛が、目付役とともに島田の宿まで送ってきた。
 かれは信濃までの共を願ってきかなかったけれど、みよは固く拒んで許さなかった。
・それから三日経った。藤枝在の水守という村にある六兵衛の家を密かに訪れる者があっ
 た。六兵衛の婿が出てみると、城下のお屋敷でみかけたことのあるみよにまぎれなかっ
 た。安之助を背に負ってびっしょり濡れていた。 
・みよは六兵衛と婿夫婦を前にして座った。そして、主従のよしみにすがってたのむので
 あるが、この土地でなにかたつきの業にとりつくまで母子ふたりの世話をしてもらえぬ
 だろうかと云いだした。
・六兵衛はおろおろと声をふるわせてさえぎった。「おふたりさまのお世話は願っても出
 たいところでございますけれど、万一これが知れたときは国法にそむいた罪に問われ、
 おまえさまばかりか安之助さまの御一命にもかかわると存じます。それよりはともかく
 美濃のお里へお帰りあそばすほうがよりしいのではございませんか」
・みよは静かに、けれど心の決まったしっかりとした口調で云った。「良人は水野けんも
 つさまの御家臣でした。不運に死にはしても、良人の魂はかならずご主君の御守護をし
 ている筈です。私はその妻、安之助はその世継ぎなのです。たとえどのような重罪に問
 われましょうと、さむらいにはご主君のお国を離れてほかに生きる道はないのです」
・六兵衛は両手で顔をおおい、声を忍んでむぜびあげた。さむらいのきびしさもさること
 ながら、良人の魂の遺っている土地を去りがたい妻の心が、みよの言葉の裏にありあり
 と映って見えたのである。
・母子はその夜から六兵衛の世話になることになった。家族は六兵衛の娘夫婦、それにま
 だ幼い孫が二人あり、半自作のあまり豊かならぬ農家だったので、はじめから安閑とし
 ているともりのなかったみよは、家人のとめるのもきまずに、あくる日から甲斐甲斐し
 く野良の手伝いに出た。世を忍んで、しかし心のひきいしまった生活がはじめられた。
 昼は耕地で働き、夜は草鞋を作り縄をなった。
・そういう日々の中で、たった一度だけ人眼にかくれて泣いたことがあった。それは背戸
 にある柿の若木が、枝もたわわに赤い実をつけたのを見たときだった。城下の柿はどう
 したかしら。良人が生きていたら、いまごろは青竹で籠をあんで、安之助の背に負わせ
 て、あやうげな足どりであるくさまを良人と共に笑いながら見ていたであろう。それは
 未練な、恥ずかしいことだった。こんな事で二度と泣いてはいけない。みよは泣きなが
 ら、繰り返し自分にそう誓っていた。 
・翌年七月、けんもつ忠善は三河の国、吉田城へと封を移された。それでみよも吉田へゆ
 く決心をした。六兵衛と家人たちは言葉をつくして止めた。幼い者をつれ、まだ若い婦
 人の身で、しるべくもない他国へ行けば、どんな難儀に遭うかもわからない。せめて和
 子が十歳になるまではこの土地で暮らすようにと。
・みよの決心は、けれど変わらなかった。六兵衛に見送られて大井川を渡ったのは八月の
 はじめのことだった。四日目に三河の国、吉田(今の豊橋市)へ着いた。たやすく記せ
 ないかずかずの苦労があったけれど、その年の冬には小坂井の里に小商いの掛け小屋を
 はじめることができ、どうやらふたりの口はすごせることになった・みよは、安之助に
 少しずつ素読の口まねをさせたり、筆を持たせてかな文字を書かせたりしながら、いと
 まを惜しんでせっせと草鞋をつくった。街道のことで往来の人は絶え間がなかったから、
 それは追われるほどもよく売れた。まして六兵衛の家でならい覚えたのは、農夫が自分
 の使うために作るものなので、はじめから売るように出来たものとは保ちかたが違って
 いた。それゆえしばらくするうちに評判になり、よその店を通り越しても買いに来る客
 ができて、僅かながら不時の用にと貯えもつとめるようになった。
・安之助が六歳になると、みよは付近の禅寺へたのんで学問をはじめさせた。寺僧は由あ
 りげな母子のひとがらに同情したとみえ、いっそ寺にお預けなされたらおまえさまもお
 身軽になれましょうが、と親切にすすめてくれた。しかし、みよは子をはなす気にはな
 れなかった。
・こうしてどうやら身の回りも落ち着いたと思うとき、水野忠善は再び国替えとなり、五
 万石に加封の上おなじ三河の岡崎城へ移された。まる二年の間に多少の知りびともでき、
 なりわいの道もついてほっとしたところだったけれど、みよの心は少しも未練はなかっ
 た。
・岡崎もはじめての土地ではあったが、東海道では指おりの繁昌な駅だったから、伝馬町
 すじの裏に長屋の一軒を借りると、その家主の世話で、さしたる苦労もなく城下のはず
 れの畷道に、小坂井でしていたのと同じ小商いの店を持つことができた。
・家主のひきたてもあったろうけれど、畷道のみよの店は自然と海道に名をひろめていっ
 た。評判のもとはなんといっても草鞋だった。「やごめわらじは百日はける」そんな通り
 言葉ができたほど、みよの草鞋は人々にもてはやされた。
・はりつけた生き方の身にゆく春秋をかぞえるいとまはなかった。安之助が十二歳になっ
 てまもなく、家主があらたまった様子で再婚の話を持ち出した。相手はところの郷士で、
 年は四十を越しているが家はもう子供にゆずっていたし、家産もゆたかなので、もしみ
 よさえ承知なら別に家を建てて暮らしてもよいということだった。
・みよはしまいまで黙って聴いていたが、聴き終るとすぐにきっぱりと断った。いささか
 も思い惑うことのない、きっぱりと割り切った断り方だった。家主はがっかりした様子
 だったが「それでは改めて御相談があります」と座りなおした。 
・相談とはなりわいを変えることだった。安之助もそろそろ世間の見えはじめる年ではあ
 るし、商い店などを出しているとあらぬ噂が立ちやすいものである、だからそれを止め
 て他に生活の法を考えてはどうかというのだった。「この岡崎は竹の産地で年々お江戸
 へ献上する数もたいへんなもですが、その中に箭箆にする竹があります。この竹を削っ
 て磨いて、箭箆にする仕事があるのですがやってごらんになりますか」
・考えることはなかった。みよは畷道の店をたたんだ。箭竹つくりは考えたほどたやすく
 はなかった。箭箆または箭みきともいう竹のつくり方にはいろいろな作法がある。そし
 てみきには節が三つあるのがきまりで、太さも長さもほとんどきまったのみを選み、節
 を削りみきをみがき、筈をきったうえ下塗りをすればよいのだが、すべてが熟練を要す
 る勘しごとで、初めのうちはよく失敗をした。
・けれども初めが難しかっただけに、馴れてくると、みよはめきめきと腕をあげた。そし
 て自分でも面白くなるにつれて、誰のつくるものよりも負けないりっぱな箭を作ってゆ
 こうという望みが起こった。 
・それには竹を厳選しなければならないから、渡された数と仕上がりの数にひらきができ
 る。自然と手間賃は少なくなるがみよは構わずやっていった。竹をむだにし過ぎる。は
 たして、そういう苦情がきた。土地から産する箭竹には限りがあるので、そう無駄を多
 くては困るというのだった。みよは言い訳はしなかった。けれど仕事は少しも変えずに
 続けていた。
・安之助は十八歳の春を迎えた。そしてある夜のこと、彼はめずらしくかたちを正して、
 母の前に座った。「母上お願いがございます。私も十八歳です。男一人前の稼ぎはでき
 なくとも、母子ふたりの口をすごすくらいはどうにかなると存じます。どうぞ働きにや
 って下さいまし」
・みよは静かにさえぎって云った。「あなたは考え違いをしています。母が働いてきたの
 は、あなたをりっぱに成人させたいためにはちがいありません。けれどそれさえ果たせ
 は役が済むというわけではないのです」「いつかお話し申した父上の御最期のことはもう
 お忘れですか」「父上は、不運な出来事のために、御奉公なかばで世をお早めになさいま
 した。やむをえなかったのでしょう。そうせずにはいられない場合だったのでしょう。
 けれど・・・さむらいの道には外れたと申し上げなければなりません。死んでゆく父上
 にも、おそらくそのことがなによりも苦しかったと思います。父上の御気性は母がよく
 存じています。母には、父上の苦しいお心のうちによくわかるのです。生きる限り生き
 てご主君に奉公すべきからだを、私ごとのために自害しなければならなくなった。さく
 らいにとってこれほど無念が、苦しいことはありません。母はそれがよくわかるのです」
 「父上が一番お考えになったのは、あなたが人にすぐれた武士になり、父のぶんまで御
 奉公をするようにとそれだけをお望みなすったと思います」「それならご自分の修行を一
 心にしなさい。そして千人にすぐれた武士になるのです。母には母のつとめがあるので
 す。あなたを育てることと・・・父上のつぐないをすることです。父上の仕残した御奉
 公のつぐない申すのです」
・安之助は心底から感動した。かれは涙に濡れた眼をぬぐい、母を見上げた。「けれどい
 つかは、母上・・・いつかはわたくしたちの真心が、殿様にわかって頂ける時がござい
 ますね」 
・その言葉まで打ち消す気強さは、みよにはなかったし、しかもながく忘れることができ
 なかったのである。母と子の辛苦はどのような酬いをも期待するものではない。おのれ
 の誠を貫きとおせば、それでよいのだ。けれども「いつかはこの真心をご主君にわかっ
 て頂けるだろう」という安之助の気持ちもよくわかった。それがみよの心に未練を起こ
 させた。「母の心」がどうしようもなく、みよを動かしたのである。
・みよは母の愛情からひとつのことを思いついた。それは箭竹を作るとき、筈巻の下にあ
 たるところへ「大願」と二字を小さく彫つけることだった。きわめて小さく、たやすく
 はわからないように。もしかすればそれがご主君のお手に触れるかもしれない。矢は的
 に当てるものだから。みよはますます良い矢を作るようになった。そして必ず「大願」
 の二字を彫りつけていた。  
・みずから審問の当たったけんもつ忠善は、みよの申し立てを聴きながら泣いた。審問が
 終わって、自分の居間に入ってからも涙がせきあげてきて止まらなかった。女にもあれ
 ほどの者がいたのか。いくたびもそう思った。武士の妻としては当然の覚悟かもしれな
 い。しかし当然のことがなかなか行われ難いものである。当面の大事にはりっぱに働く
 ことができる者も、十年不退転の心を持ち続けることは難しい。みよはかくべつ手柄を
 立てたというのではないし、かたちに現れた功績などはなかった。しかし良人の遺志を
 継いで二十年、微塵のゆるがぬ一心を貫きとおした壮烈さは世に稀なものである。まこ
 とにそれは壮烈というべきだった。そういう一心こそは、まことの武士をうみ、世の土
 台となるものである。
・忠義はすぐに江戸に書状をしたためた。「余事にわたり憚りながら、かかる女こそ国の
 礎とも思われ、恐れながら上様おんのためにも御祝着申上ぐべく存じ妻りそろ」
 安之助はほどなくめしだされ父の跡目を再興した。みよはそのとき、なおこう云ってわ
 が子を戒めたのである。「これで望みがかなったと思うとまちがいですよ。むしろころ
 から本当の御奉公が始まるのですから。今までよりもっと心をひきしめ、ひとの十倍も
 お役に立つ覚悟でなければなりません」

梅咲きぬ
・「どうかしたのか。顔色が少し悪いように思うが」直輝の気づかわしげな眼差しに、加
 代はそっと頬をおさえながら微笑した。「昨夜はとうとう夜を明かしてしまったもので
 ございますから」
・加代は腫れぼったい眼もとで恥ずかしそうにちらりと良人を見上げた。どこかしら脆い
 美しさが感じられる。直輝は妻の眼もとを見て頷いた。「そうか、歌か」
・家扶、家士たちと共に、直輝を玄関に見送った母のかな女は、嫁と廊下を戻りながらそ
 の顔色がすぐれないことに眼をとめた。加代は良人に問われたよりも心苦しそうに、
 「つい夜更かしをいたしまして」と低い声で答えた。「しばらくあなたのお歌を拝見し
 ませんからご近作といっしょに、持ってきて拝見させて下さらないか」 
・予感というのであろう、加代の心は強く咎められたような不安を感じた。かな女は部屋
 をきれいに片づけ、香をたいて待っていた。加代はきちんと坐り、膝の上に重ねた自分
 の手をじっと見守っていたが、一睡もしなかった疲れがしだいに出てきて、ともすれば
 気が遠くなりそうなほどの眠気に襲われた。
・「みごとにお詠みなすったこと、本当に美しくみごとなお歌ですね」「これだけお詠め
 になればもう女のたしなみは過ぎたくらいでしょう」かな女は、短冊を静かに置き、や
 さしく嫁の顔を見やりながら云った。「もうお歌はこのくらいにして、またなにかほか
 の稽古ごとをお始めになさるのですね」加代はいっぺんに眠気から覚めた。
・四五日はなにごともなく過ぎたが、直輝はやがて妻の様子がいつまでも沈んでみえるの
 に気づいた。ある夜、そっと妻の部屋へいってみると、加代は灯のかげで、歌稿を裂き
 捨てていた。「どうしたのか」加代はだまって悲しげな眼をあげ、すがるように良人を
 見上げた。「母上がおっしゃったのか」
・加代は、なかなか云わなかったが、直輝にうながされて、ようやく先日のことを告げた。
 「わたくし、今度こそやり遂げてみたいと存じました。和歌の道だけは奥をきわめてみ
 たいと存じました」言葉が感情の堰を切ったように、彼女にはめずらしく情の熱した調
 子で云った。「母上さまのお気に召すようには甲斐性もございませぬ。けれども自分では
 できる限りをおつとめ申しているつもりでございます・・・。からだが弱いため、お子
 をもうけることもできませぬし、いろいろ考えますとわたくし」 
・彼は母の人柄を尊敬している。世にまたとなき母だと信じている。かな女は、身分の低
 い家に生まれ、十六のときにこの多賀家へ嫁いできた。多賀は前田家の重職の家柄で、
 育ちが低いのでどうかと危ぶまれたが、かな女は二千石の家政をみごとに切り盛りした。
・そういう母であったが、ひとつだけどうにもならぬものがあった。それはものに飽きや
 すい気質だった。老職の妻として教養を身につけたいという気持ちであろう、家政をと
 るいとまに茶の湯、華、琴、鼓などという芸事をすいぶん熱心にならった。また生得さ
 かしい彼女はその一つ一つにすぐれた才分をあらわして、その道の師たちを驚かしたも
 のであるが、どれも末を遂げたものがなかった。もう一歩というところまでゆくと必ず
 飽きて捨ててしまった。ではもうやめるかと思うと、次には絵をやり連歌を習い、詩を
 勉強し、俳諧にまで手をのばした。そしてどの一つもついに奥をきわめるところまでゆ
 かずに捨ててしまった。
・加賀藩では、武家の婦人たちの間にも文学技芸がさなんだった。歌会、茶会、謡曲の集
 いなどがしばしば催され、ずいぶんすぐれた才媛も現れた。かな女は、そういう人々の
 中で常に頭角をぬきながら、何一つ末遂げたものがなかったので、あれだけの才があり
 ながら、とその飽きやすい気質を惜しまれたものであった。  
・ある朝だった。直輝が登城すると間もなく、古木の「蒼竜」がみごとに咲きはじめたか
 ら観に来るように呼ばれて、加代は隠居所へいった。濡れ縁に坐ろうとする加代を、か
 な女は部屋へ呼び入れ相対した。それで加代ははっとした。呼ばれたのは梅を観るため
 ではない。姑の眼はいつものやさしい中に屹とした光があった。和歌のお叱りだ。そう
 直感した彼女は、何も云われない前からもう胸の塞がる感じだった。
・「今日は、わたしくの思い出話を聴いて戴こうと思いましてね」かな女は静かに云った。 
 「わたしくが多賀の家へとついで来たのは十六歳のときでした。実家の身分が低く、稽
 古ごとも思うままにならなかったので、わたくしは本当になにも知らぬ愚かな嫁でした。
 嫁いで来てから十年というものは、まるで闇の中を手さぐりで歩くように、やっとその
 日その日を送っていたようなものです」「そして、これではならないと立ち直ったとき、
 わたしはこういうことを考えました。それは、老職の家の妻として恥ずかしからぬよう、
 またとかく狭量になりやすい女の気持ちをひろくするため、何かひとつ教養として芸を
 身につけたいということです」「その中には茶の湯のように、人にすぐれた才を認めら
 れて、どうかして末遂げるまでやり抜くようにといわれたものも一つや二つはありまし
 た。でも、わたくしはどれも奥底まではゆかず、九分どおりでやめてしまったのです。
 世間では、わたくしの才を惜しんでくれました。またわたしが飽きやすいと云って笑い
 ました。わたくしが芸事を次々と変えたのは変わり気からだとお思いになりますか」
・「武家の主は御主君のために身命のご奉公をするのが本分です。そのご奉公に瑾のない
 ようにするためには、いささかでも家政に緩みがあってはなりません。主のご奉公が身
 命を賭けるように、家をあずかる妻のつとめも身命を打ち込んだものでなければなりま
 せん。良人に仕えて貞節なければ、それで婦のつとめはされたと思うかも知れませんが、
 それはかたちの上でのことにすぎません。本当に大切なものはもっと他のところにあり
 ます。人の眼に見えず、誰にも気づかれぬところに。それは心です。良人に仕え家を守
 ることのほかには、塵もとどめぬ妻の心です」 
・「学問諸芸はそれぞれ徳があり、ならい覚えて心の糧とすれば人を高めます。けれども、
 その道の奥を極めようとするようになると「妻の心」に隙ができます。いかに狩の名人
 でも一時に二兎を追うことはできません。妻が身命を打ち込むのは、家をまもり良人に
 仕えることだけです。そこから少しでも心をそらすのことは、眼に見えずとも不貞をい
 だくことです」
・「母上さま。わたくし、あやまっておりました」加代が、突然そう云いながらひれ伏し
 た。つきあげるような声だった。そしてふれ伏しながらその背がかすかにふるえた。
・かな女は頷きながら云った。「もうおしゃるな。年寄の愚痴がいくらかでもお役に立て
 ばなによりです」
・武家の妻としての、生き方のきびしさ、そのきびしい生き方の中で、さらに峻烈に身を
 持してきたかな女のこしかたこそ、人の眼にも触れず耳にも伝わらぬだけ、霜雪をしの
 いで咲く深山の梅のかぐわしさが思われる。 
・「こんなものを作りました」やがてかな女は、端ぎれを継いで作った肩蒲団をとって、
 そっと嫁の前に押しやった。「あなたのお寝間は冷えますから、これを肩に当てておや
 すみなさい。これでなかなか温かいものですよ」

不断草
・「茶を代えぬか。なにをしているんだ」三郎兵衛はいきなりどなりつけた。刺々しい刺す
 ような調子だった。そしてまるで人が違ったような維持の悪い眼だった。菊枝は、あま
 りの思いがけさに、かっと頭へ血がのぼり、おそろしさで危うくそこへ竦んでしまうと
 ころだった。
・それが最初のことだった。嫁して百五十日あまり。口数の少ない、静かな人だと信じて
 いた良人なのに、それから眼に見えて変わりだした。言葉つきは切り口上になり、態度
 は冷たくよそよそしいものになった。どんな小さな過失も見逃さず棘のある調子で叱り
 つけた。
・そして姑までが「こんな少人数の家でそれでは困りますよ。もっとしっかりしなければ
 ね」そう云ってたしなめるのだった。姑は両眼が不自由だった。それも年老いてからの
 失明で、勘が悪く、起きるから寝るまでいろいろと菊枝の介添えが必要だった。気のや
 さしい、思いやりのある人ではあったけれど、三郎兵衛のことになるとまるで菊枝に同
 情がなくなった。
・もっとしっかりしなければ。菊枝はそう心をひきしめ、過失をしないように、できるだ
 け良人や姑の気に入るようにつとめた。しかしそういう緊張しすぎた気持ちはかえって
 過失をしやすいものである。
・春になってからのある夜、九時すぎてからのことだったが、三郎兵衛は急に酒を飲むと
 云いだし、家になければ買ってこいと命じた。武家の妻として夜酒を買いにゆくなどと
 いうことは恥ずかしいし、時刻も時刻なので菊枝はちょっと立てなかった。すると三郎
 兵衛はびっくりするような高声でどなりつけた。
・あまりのはげしさに菊枝はなかば夢中で良人の部屋を走り出た。そのまま厨へゆこうと
 すると姑の呼び止める声がした。「茨木屋の店は下の辻にあります」「お酒くらいは、
 もう常々用意して置かぬといけませんね」
・はいと言って頭をさげると泪がこぼれそうになった。米沢はまわりを山にかこまれてい
 て冬がながい。城下町には汚なく溶け残った残雪があり、昼はむやみにぬかる道が、夜
 になるとそのまま凍るので、うっかり歩くと踏み返して足を痛める。菊枝は気もあがっ
 ていたし、馴れぬ夜道ではげしくつまずき、くるぶしのところを捻挫した。突き刺すよ
 うなするどい痛みに、思わず凍った地面へ膝をつき、その痛みと一緒に日頃の我慢が切
 れ、身も世もなく悲しくなって泣き出してしまった。
・仲人が来はじめたのはそれから間もなくのことだった。仲人は菊枝をそっと呼んで、
「どうやらすえ遂げぬ縁のようだ。そのつもりでいるほうがよいぞ」と囁いた。菊枝は真
 っ蒼になって身をふるわせていた。
・菊枝の父は上杉家の三十人頭で仲沢庄太夫といい、すでに隠居して長男に跡目をゆずっ
 ていた。良人の登野村三郎兵衛は、五十騎組から出た家柄で、食録も少なく貧しくもあ
 ったが、その奉行所でかなり重い役目を勤めていた。酒も嗜まず、温和で頭のよい将来
 を嘱望されている人物だったから、父も兄も乗り気縁組をしたのであった。そういうわ
 けなので、まだ嫁いで半年そこそこの離縁話は仲沢家の者をひどく怒らせた。
・「わたくしは実家へは戻りません」菊枝は泣きながら訴えた」良人は見向きもしなかっ
 た。姑もとりなしてはくれなかった。ずっと後になってからもそのときの絶望を思い返
 すごとに、よくもあのとき自害せずにいられたものだと、自分で菊枝はぞっとする感じ
 だった。実際は死ぬつもりだった。けれども自分が死んでは登野村と仲沢家のあいだに
 救いようのない間違いが起こりそうに思えた。自分の面目は立っても、両家に禍を及ぼ
 すのは道ではない。そう思案して菊枝は泣く泣く実家へ戻った。
・良人はわたくしを望んで下すった。それなのに半年あまりの縁で去られたのはなぜだろ
 う。わたくしがふつつか者で気が疎かったせいかしら。それとも他にわけがあるのだろ
 うか。思い出すと絶望が迫ってきた。「自分がふつつかなのだ」と諦めながら、けれど
 できるだけの努力をして酬われなかった数々の事実が記憶に浮かび、もう人も世もわか
 らないという気がして、片付けていた物を投げ出して泣き伏してしまった。  
・すっかり夏になって照り続ける秘画続いた。その夜、父の居間で話し声がしていた。聞
 くともなしに惘然としていると、「登野村」というのが耳についた。菊枝はどきっとし
 て耳を澄ました。「これは相当に思い切った処置があります。きっと離縁していてよか
 ったと思い当たるときがしますよ」菊枝はなんのことかわからなかった。しかしなにか
 重大なことが起こったらしい。そして登野村にもその累が及んでいるとみえる。
・真相はまもなくはっきりした。七人の重臣が連袂して御主君治憲を強要したという事件
 であった。
・上杉家の若き主君治憲は、かなり思い切った藩政の改革をはじめた。ところが重臣だち
 の中に、その改革をこころよからず思う者がいて、とかく家中に円満を欠くところが多
 かった。その人々が五十カ条に余る訴状を持って治憲にせまり、政治復旧を強要したの
 である。治憲はまだ若く、一時はどうなることかと危ぶまれたが、果断よく機先を制し
 て七重臣を抑え、ついに大事にいたらず鎮めることができた。そして事に坐して退身し
 た人々の中に登野村もいた。
・「かれは自ら扶持を返上して退身したそうだ。なんでも館山にしるべの農家があるそう
 で、老母をそこへ預け、自身はすぐに退国するという話だ。いまにして思えば、不縁に
 なったのは不幸中の幸いだったな」菊枝は黙って聞いているうちに、なぜともなく登野
 村にいた時のある日のことを思い出した。「豆腐を固めるにはにがりが必要だ」と云っ
 た良人の言葉である。
・理由はわからないけれど、それはどうやら今度の事件にかかわりをもつ言葉のように思
 える。そうだ、良人の様子が変わり始めたのもあの頃だった。もしや、良人は今度の事
 件を起こることを知り、その結果を知っているために、そして妻にその累を及ぼしたく
 ないために離縁したのではないだろうか。そう考えると、思い当たることが多い。そう
 だ、それに違いない。菊枝はそう思うとともに、自分は登野村を出るべきではなかった
 と気づいた。
・その夜、父の前に出た菊枝は、これから登野村の老母のもとへゆきたいと云いだした。
 父は驚くより先に怒ったことはその眼の色でわかった。菊枝は決心の固さを示すように、
 父のその眼をがっちりと受け止めた。「わたくしは一旦この家から出た者でございます。
 尼になるか、世にたよりない御老母をみとるか、いずれにしてもやがてはこの家を出て
 まいらなければならぬからだです。父上さま、おゆるし下さいまし」
・父の拳が膝の上でぶるぶると震えるのを、菊枝はやっと自分を支えながら見まもってい
 た。菊枝は父から勘当された。そしてわずかな着替えの包みを持ち、ある日たったひと
 りで静かに家を出て行った。 
・訪ねる先はすぐにわかった。その家は二十軒と呼ばれる村の名主だった。その家の主は
 長沢といって、登野村遠い縁家になっていた。菊枝は主に会った。包まずにすっかり事
 情を話、老母のみとりをさせて貰いたいとたのんだ。「でも不縁になったわたくしとい
 うことがわかりましたら、姑上さまはきっと御承知ならないと存じます。菊枝だという
 ことは内密にして、どうぞよろしくおたのみ申します。「あなたはこの老人をお泣かせ
 なさる」主は本当に眼がしらを拭いた。
・登野村の老母は別棟になっている隠居所にいた。主にともなわれて隠居所にいったとき、
 姑は座敷の端に坐ってひとり団扇を動かしていた。菊枝はその孤独な、寂しい姿をみる
 なり、ぐっと熱いものがこみあげてくるのを、抑えかねた。
・「ようやくおまえさまのお世話をしてくれる者が見つかりました」主はそう云いながら
 菊枝を促して座へあがった。姑はこちらへ膝を向け、かいさぐるような表情を見せなが
 ら云った。「わたしもこのとおり眼の不自由なからだです。いろいろ面倒であろうがど
 うかよろしくお願いしますよ」
・あくる朝早く、まだうす暗いうちに起き出た菊枝は、隠居所の横にひらけている畠の隅
 へいって、持ってきた唐苣の種子を蒔きつけた。菊枝は蒔きつけた種子に心をこめて祈
 った。「どうか一粒でもよいから芽を出しておくれ。おまえが生えたら、わたしが姑さ
 まのお傍にいられる証だと思います」そしてかの女の新しい生活がはじまった。
・大きな不幸にあったためか、姑は前よりも勘がにぶくなっているように思えた。夜半に
 さえも菊枝の介添えがなければ用のたらぬことが多かった。 
・かの女は畠の隅で唐苣の芽ぶいたのを見つけた。「ああやっぱり思いがとおった」そう
 思うと同時に熱いものがこみあげ、悲しいほどのよろこびで胸がいっぱいになった。
 「ひとつも枯らさずに育てよう」菊枝はそう誓いながら唐 苣の根をおろしたように、
 自分の命もこれでここに根をおろしたと思った。
・そうしたある夜のこと、菊枝は初めて唐苣を採って食膳にのぼせてみた。姑はひと箸で
 それと気づいたらしい。いつもは表情のない顔がにわかにひきしまり、ふと手をやすめ
 てじっと遠くの物音を聴きすますような姿勢をした。菊枝はどきっと胸をつかれた。姑
 のそのような姿勢は、かつてなかったことだった。
・御老母にお届け物があって、そういって主が隠居所へとおった後、「ちょっとここへ来
 ておくれ」と姑の呼ぶ声がした。姑は一通の封書を前に置いて待っていた。「この手紙
 を読んで頂こうと思って・・・」老母はそう云って静かに封書を押してよこした。菊枝
 はさっと蒼くなった。良人の文である。なにものにも代えがたいただひとりの良人の書
 いた文である。なつかしいとも、かなしいとも、言葉では云い現わし難い感動が胸へ突
 きあげ、とりあげようとしてさしだした手指はぶるぶると震えた。「・・・どうおしだ」
 姑がもどかしそうに云った。  
・その手紙は越前から出されたものだった。菊枝はまったく夢中で読んだ。なにが書いて
 あるかほとんど理解することができなかった。拭いても拭いても溢れ出てくる泪、とも
 すれば喉をふさぎそうな嗚咽。それを姑に悟られずに読もうとするだけで精一杯だった。
 姑も袖で眼を押さえながら聞いていた。
・その年が暮れて明けるとまもなく菊枝は昼のうちだけこの家の機場へ織り子に出ること
 になった藩主・上杉治憲の新しい政治が農産業の増進を主としていたし、機業はそのな
 かでも重要なひとつだったから、姑も御政治のご趣意にかなうようにすすめた。菊枝は
 それと別に、良人の帰って来る日まで、できるならひとの厄介にならないで、姑と自分
 の生計くらいは稼ぎたいと考えたのである。主ははじめはあやぶんでいたが、菊枝の懸
 命な様子と、眼に見えるほどの覚えの確かさにだんだんと心を惹かれ、あらためて腕の
 よい織り子につけて、本筋の仕事を教えてくれるようになった。
・その後も時折三郎兵衛からおとずれがあった。いつも居所がちがっていて、三年目は四
 国から中国へわたり、長州までいってまた京へ戻った。いつも母の安否をたずねるだけ
 で、決しておのれのことは詳しく書かなかったが、ときおり文字にそれとなく察しのつ
 くことは、誰かの委託によって諸国の産業のもようを視察しているように思える。それ
 が当たらないとしても、米沢藩と縁のつながっているらしいことは疑う余地がなかった。
 「なにかしら世間に知れない真実があるのだ・・・」もしそれが事実だったとすれば、
 ことによると良人は帰参がかなうかも知れぬ、そういう希望がいつかしら心を占めるよ
 うになり、菊枝の日常は少しずつ明るいほうへと向かっていった。  
・五年の星霜は夢のまにすぎて安永六年の秋を迎えたある日、下野の宇都宮から音信があ
 って、三郎兵衛の病臥を知らせて来た。手紙は宿の者が書いたので、五十日あまり前か
 らの病状と、今ではどうやら恢復期になって案ずることもないという意味が精しくした
 ためてあった。菊枝は胸のふさがる思いで読んだ。姑は聞き終ってから、しばらくなに
 か考えている様子だったが、やがて静かに盲いた面をあげ「おまえ、みとりに行ってあ
 げておくれ」と云った。「旅で病んでさぞ心細いことでしょう。わたしはしばらくの辛
 抱です。いいからすぐにいっておあげ、おまえが行っても、もう意地を張る気づかいは
 ないのだから・・・」
・菊枝はあっと息をひいた。きわめて自然な姑の口ぶりには、自分を三郎兵衛の妻と認め
 ていることがはっきりと示されている。あまりに思いがけないことだった。それとも自
 分が意味をとり違えて聞いたのであろうか。 
・老母はそれと察したのであろうか「もう云ってもいいでしょう。五年前のあのときには、
 どうしてもあのようにしなればならなかったのです。おかげであのように事ははっきり
 と始末がつき、新しい御政治はどんどんはかどっています。三郎兵衛がおまえを去った
 のは、自分の身のうえがどうなるかを知っているため、おまえや、おまえの親御さま方
 に累を及ぼしたくないと考えたからでした。あれも、わたしも、心では泣きながら詫び
 ていたのです」「でもわたしは、ここへ移るとすぐから、きっとあなたが来ておくれだ
 と思っていました」「きっと来ておくれだと、・・・わたしはあなたのお気性を知って
 いましたからね」菊枝は堪りかねて姑の膝へすがりついた。
 
藪の蔭
・「今日ここを出てゆけば、おまえにはもう安倍の家よりほかに家と呼ぶものはなくなる
 のだ。父も母も兄弟もあると思ってはならない」父の図書にはそういわれた。母は涙ぐ
 んだ眼でいつまでもじっとこちらの顔を見守りながら「よほど思案に余るようなことが
 あったら相談においで」とだけ、囁くように云ってくれた。
・女と生まれた者は誰でも一度は聞く言葉だろう。そしてどう云いまわしてもありふれた
 平凡なものでしかないそうした言葉でありながら、誰もがそれぞれ忘れがたい感銘を受
 けるに違いない。父の言葉のきびしさ、母親の温かい愛情、兄の祝福、どれにもかくべ
 つの新しい表現はなかった。けれども由紀にはそれがみな胸にしみとおるほど切実に聞
 こえ、嫁ぐという覚悟を改めて心に彫みつけられたのであった。  
・ゆきさきは少しも不安はなかった。良人となるべき安倍休之助は二百石あまりのおなん
 ど役で、温和なことにも定評があるし、老母ひとりしかいない家庭は穏やかさとつつま
 しさそのものだという。
・由紀にとってただ一つ心配なのは、父母と兄との深い愛情に包まれて育ったこと、世の
 中の辛酸を知らず、ただのびやかに過ごして来たことだった。富裕とはいえないまでも
 不自由ということを知らなかったこし方に比べれば、二百石の家計のきりもりはたやす
 いこととは思えない。日常のこまかい事の端はしにも、色いろ習慣の違いがあるだろう。
 そういう中へうまく入ってゆけるかしらん。それだけがいつまでも心にかかっていた。
・三の丸下の生家を出たのは昏れがたのことだった。安倍の家は寺通りといわれる武家屋
 敷のはずれにあり、乗物が着いたときにはもう灯がともっていた。仲人に導かれて入っ
 たひと間は、それが自分の居どころになるであろう、六帖ほどのおちついた部屋で、新
 しく張り替えた襖や障子に燭台の光がうつってまぶしいほどだった。
・どのくらい時が経ってからだろう、あたりの騒がしさが静まって、すべての物音がぴた
 りと停まったような一瞬、ふと「おそいな」という誰かの呟きが聞こえた。誰かが立っ
 て部屋を出てゆき、母と仲人夫人とがなにか囁きあった。それで由紀は母親のそこにい
 ることに気づき、急にその顔を見たいという衝動を激しく感じた。間もなく、出ていっ
 た誰かが戻ってきた。「せんこく役所に迎えを出したそうです」
・「御用ではしかたがない」父の声だった。「たとえ親の臨終でも御用おうちは会いに戻
 れないのが侍の勤めだ」そう云って父が笑うとすぐたった。なにやら険しい足音と、た
 だならぬ人の叫び声が聞こえた。「はやく医者を」という言葉がつぶてのように人びと
 の耳をうった。なにか起こったのだ。なにか思いがけない不吉なことが起こったのだ。
 由紀はそう直感すると共にじんと頭の痺れてくるのを感じた。
・「休之助がけがをして戻ってきた」「大藪のところに倒れているのを見つけた者があっ
 て、いま担ぎこまれて来たのだが、かなり重傷のようだ」「ひとまず由紀をつれて戻さ
 なければなるまい」父は昂奮した調子ですばやくそう云った。
・「たいへんなことになりました・・・」母は手をさしだした。しかし由紀は静にその手
 を押し返しながら、「わたし家へは戻りませぬ」と云った。
・戻りませぬと云った彼女は、わななく手で綿帽子をぬぎ、青ざめてはいるが凛とした表
 情で仲人夫人を見た。「恐れ入りますがわたくしに着替えさせて下さいまし、常着になり
 たいと存じますから」「まだ盃こそ致しませんけれど、この家の門を入りましたからは、
 わたくし安倍の嫁でございます。お人手の少ないお家ですからなにかお手助けを致した
 いと存じます」誰にも言葉をさしはさむ余地のない、きっぱりと心のきまった姿勢だっ
 た。
・休之助は茣蓙を敷いた夜具の上に仰臥していた。石のように冷たく硬直した頭、白く乾
 き、かたくくいしばった口もと、そして頬へ乱れかかっていた二筋三筋の髪、そういう
 ものがいきなり由紀の眸子に噛みついてきた。由紀はただ休之助の顔をみつけた。この
 かたが自分の良人だ。そう繰り返し自分に云いきかせながら・・・。
・その夜はどうどう寝ずじまいだった。医者が来て傷の手当てをしたが、傷は左の脇腹で
 三十針の余りも縫ったほど大きく深かった。休之助は苦痛は訴えなかったけれど、三度
 ばかり「仕損じた。腹を仕損じた」というような意味のことを呟いた。重傷で頭が紊れ
 ているためか、それともなにか理由があって本当に切腹しそこねたものか。どちらかわ
 からないが聞いている者には非常に疑惑をそそられる言葉であった。
・すべての人が去って、初めて二人だけになったとき、老母はそっと由紀の手を取って
 「ありがとうよ」と云った。どのような念を込めたひと言だったろう。どんなに巧みな
 言い回しも、そのひと言のもつじかな真実のこもった感じには及ばなかったに違いない。
・すべては謎をつないだような感じだった。祝言を控えた家へ帰る途中で、婿たるべきそ
 の人が重傷を負って倒れていた。それは三の丸から武家屋敷へかかる家の途絶えた寂し
 い処で、道の片側が藪になっており、俗に大藪といわれている。休之助はその藪の蔭に
 倒れていたのだ。右の手に抜いた刀を持っていたが、その切尖がわずかによごれている
 だけで、かくべつ人と闘争したという風には見えなかった。
・その夜のことである。更けてからそっと寝所を見舞うと、休之助が眼でこちらへ来いと
 知らせた。由紀は動悸の激しくなるのを感じながら、膝をつつましく進めて枕許に坐っ
 た。「すっかり母から聞いた。礼を云いたいが、その礼よりもさきにたのみたいことが
 ある。この三日のうちにそなたの手で八十金ととのえて貰いたいのだ」
・由紀は下僕にたのんで古着商人を呼んでもらった。そして持ってきた衣装道具のうち、
 めぼしいものを殆んどみな出して売った。母が心を込めて調えてくれたこまごまとした
 道具類など、ひとつとして惜しくない品はなかったし、それらの物がむくつけな商人の
 手でぶ遠慮にかきまわされるのを見るのは辛かったが、しかし不思議なほど気持ちには
 未練はなかった。むしろそれが良人の役にたつのだと思うと、かすかに誇らしい感じさ
 えした。こういう場合のならわしで、慇懃な言葉つきとはうらはらに商人の買い値は安
 かった。ようやく五十金にしかならなかった。
・明くる日すぐに彼女は実家を訪れた。由紀は隠れるような気持ちで母の居間に入り、茶
 をすするのもそこそこに声をひそめて話をした。母は非常に驚き、哀れがるよりはむし
 ろ怒りたいような眼で娘を見た。「この縁組はことによると、破談になるかもしれませ
 んよ」「精しいことはわたしも知らないのだけれど、お役目のことで休之助殿になにか
 失態があった様子なのです」明らかに由紀の顔色が変わってくるのを見て、母はその後
 を続け兼ねたようだ。「金子はいま出してあげます。けれど今の話を忘れないようにね」
 由紀は深くうなだれたまま辛うじて頷いた。
・家へ帰ると両方の金をひとつにして良人の枕もとへ持っていった。休之助は心を通わせ
 るような眼でじっとこちらを見、ほとんど聞き取れないくらいの声で、「済まなかった」
 「ごくろうだが、それを包んで、御納戸頭がしらのところへ届けて来てくれ」「取り次
 いではいけない。必ずじかにお会いしてお手わたし申すのだ」はいと云って由紀はまた
 すぐに立ち上がった。  
・帰ってきて無事に済ませたことを告げると、良人は黙って頷き、眼をつむって深く太息
 をついた。重い荷を背負って疲れ果てた人が、ようやくその荷をおろしたという感じで
 ある。そしてその夜はじめて熟睡したようすだった。
・後に、仲人が訪れて来た。由紀は前から決心していたので、座敷へとおさず玄関に対応
 した。「お話はここでわたしくしが承ります。離縁のお話でしたら、うかがうまでもござ
いません。どのようなわけがございましょうとも由紀は安倍安之助の妻でございます。
 どうぞそうおぼしめした上でお話しくださいまし」さすがに身がふるえ声がおののいた。
 「よいお覚悟です。それを聞けばもう云うことはありません。お父上も察しておられた
 のでしょう。承知しなかったら渡すようにと手紙を預かって来ました」そう云って、一
 通の書面をさしだし、黙礼をして帰っていった。 
・由紀は居間へ入ってすぐにひらいた。父の手跡で当分のあいだ出入りを差し止めるとい
 う意味が書いてあった。つまり絶縁状である。もう母上にも会いにゆけないのだ。決心
 はしていたもののまさか絶縁とまでは考えなかったので、由紀の心は激しくよろめき、
 母がどんなに悲しがっているかと想像されて眼のさきが暗くなるような気がした。
・嫁したさきから離別される人さえある。実家と縁が切れるくらいは、さして悲しむにも
 及ばないではないか。もともと女には婚家のほかには家はないのだから。そう思い直し、
 自分にとっては生甲斐も希望も、すべてこの家と良人のなかにあること。女としてはこ
 れからほんとうの生活が始まるのだということを、考えるのだった。 
・五十日ほど経ってから、休之助は役目を解かれたうえ食録を半減された。おりから冬に
 入る季節でもあり、年の瀬をひかえての食録半減は、ほとんど家政の破綻をともなう。
 半年のあいだ溜まっている諸払いをどうしたらよいか。来る年の入費をどう工面するか。
 実家の母には会うすべもなし、姑には心配をかけたくなかった。ではどうしたらきりぬ
 けてゆかれるかと考えると、身も縮むような息苦しさに襲われ、由紀はしばしば眠れず
 明かす夜を経験した。
・松本は信濃の国でも低い土地であるが、霜月から如月まで寒さは格別厳しかった。少し
 でも年越しの足しにしようと思い、由紀は親しくしていた友にたのみまわって、五軒ほ
 ど琴の出稽古をするくちをみつけてもらった。武家ではさしさわりがあるのでみな町家
 だった。膚を切るような風の日や、氷雨が降り続いて道のぬかるときなど、こんなこと
 をして幾らのものにもなりはしないのに、そう考えて心の挫けそうになることも二度や
 三度ではなかった。
・十二月に入ると雪の舞う日が多くなった。姑の様子が変わり出したのはその頃からのこ
 とだった。由紀の立ち居を見る眼がどこやら尖ってきたし、ものを云うにもなんとなく
 棘が感じられた。 
・あんな風になすっていいものだろうか。由紀は昂ぶってくる気持ちを抑えようもなく、
 この日頃の姑の態度を一つ一つ思い返した。自分はいくらかでも家計の補いにしようと
 して、町家の娘などに出稽古をしているのだ。しかも良人や姑に気づかれたくないため
 に、どれほど気を遣いからだにも無理をしているかもしれないのだ。もちろん隠してい
 るのだから姑にわからないのは当然であろう。けれども親となり子となったら、そぶり
 でもおよそは察してくれてもよいのではないか。少なくともあのようにつけつけと仰し
 ゃることはないだろうに。そんなことも結局はわかって頂けないのだ。みんな徒労だっ
 たという気がして云いようもなく悲しくなり、いっそこのままどこかへいってしまいた
 いというつきつめた感情にそそられながら、まったく見当の違った道をなかば夢中で歩
 きつづけるのだった。
・ある夜、瀬沼新十郎となる客がおとずれ来た。良人と同じ年頃のひとで由紀には初めて
 の顔である。「それは珍しい」と休之助はすぐに起きて着替えをした。由紀はすぐに茶
 を持ってゆくつもりで、湯釜のかげんをみていると、ふいに客間から異常に昂ぶった声
 が聞こえてきた。
・「それを云ってはいけない。その必要はない」「いや云わなくてはならない」「あのと
 き大藪のほとりで闇討ちをかけたのは、そこもとに自分の不始末をみつけられたからだ
 った」「これが公になれば身の破滅だと思い、惑乱のあまり前後のふべつを失った。そ
 して、そこもとを斬り、そこもとに罪をなすろうとしたのだ」
・「そこもとは拙者の不始末を引き受けてこれた。あれだけたいまいの金を黙って返済し、
 自分の名を汚し体面を捨てて罪を衣てくれた。こんなことがあるだろうか。拙者には信
 じられなかった。いかに度量が大きく心がひろくとも、人間としてそこまで自分をころ
 すことができようとは思えなかった」 
・やがて良人が静かに云った。「意見しようかとは思わないではなかったが、そんなに深
 入りする気遣いもあるまい。そのうちにはやむであろう。そう軽く考えていたのだ。友
 達としてそんな無責任な考え方はない。気がついたときにすぐに意見すべきだった。人
 間は弱いもので、欲望や誘惑にかちとおすことはむつかしい。誰にも失敗や過ちはある。
 そういうとき互いに支え合い援助しあうのが人間同志のよしみだ。あのときのことは知
 っていて、意見しなかった拙者にも半分の責任があると思った」「そこもとは立ち直っ
 た。拙者は自分の僅かな助力が無駄でなかったことを知り、どんなに慶賀していたかわ
 からない。過ちがどんなに大きくとも償って余ると思う」
・由紀はそのとき大藪の蔭の湿った黒土を思い出していた。あの藪の蔭にはこのように大
 きな真実がひそめられていたのだ。友の過失をかばい、困難を分かち合うという、世間
 にありふれた人情が、ここではこれほどのことをなし遂げている。「人はこんなにも深
 い心で生きられるものだろうか」由紀はせつなくなるような気持ちでそう思った。
・強くなろう。もっとしっかりして、どんな困難にもうろたえず、本当の良人の支えにな
 るような妻になろう。由紀はそう心に誓った。
 
糸車
・お高の父は信濃の国、松代藩に仕える五石二人扶持の軽いさむらいだった。二年前に卒
 中を病んで勤めをひき、今でも殆んど寝たり起きたりの状態が続いている。十歳になる
 弟の松之助が、名義だけ家督を継いでいたが、まだ元服もしていないのでお扶持は半分
 ほどしかさがらない。母は松之助が三つの年に亡くなって、家族は三人だけであるが、
 病気の父と幼い弟をかかえての家計はかなり苦しかった。
・お高は今年十九になるが、父に倒れられて以来その看護や弟の世話や、こまごました家
 事のいとまを偸んで、せっせと木綿糸を操っては生計の足しにしていた。    
・十日ごとにできた品を届けるのだが、今日もお高が操った糸束を持ってゆくと、いつも
 係になっている白髪のきつい眼をした老人が、めがね越しにこちらを見ながら糸の出来
 を褒めてくれた。 
・少しでもよい仕事をしようとつとめている者にとって、その仕事を褒められるほど嬉し
 いことはない。もっともっとよい糸を操ろう、そう思いながら帰る途中で鰍が買えた。
 卒中をわずらってから一度やめたが、医者のすすめで三日に一度五勺ずつ飲むようにな
 った父の酒には、なにより好物の肴だった。
・父の口ぶりや態度がいつもとは違っている。お高はそれを感ずると同時に、弟の様子も
 ふだんとまるで変っていたことに気づいた。
・お高には実の親があった。信濃の国、松本藩に仕えて西村金太夫という、はじめ身分も
 軽くたいへん困窮していたじぶんに、妻のお梶との間に次々と子が生まれ、養育するこ
 とにもこと欠くありさまだったので、しるべの世話で松代藩の依田啓七郎にお高を遣っ
 たのである。それから金太夫は不思議なほど幸運に恵まれ、次第に重く用いられて、数
 年前には勘定方頭取の身分にまで出世をした。
・このように立身して一家が幸福になると、親の情としてよそに遣った者がふびんになる
 のは当然のことである。それもその子が仕合せであれば別だが、人をやって尋ねさせて
 みると依田啓七郎は妻に先だたれ、お高を貰った後で生まれた幼弱な子を抱えて、かな
 り貧しい暮らしをしているとのことだった。夫婦は幾たびも相談をしたうえ、それまで
 の養育料を払ってひきとることを決め、しかるべき人を間に立てて依田と交渉した。そ
 のとき初めてお高は自分の身の上を知ったのである。
・啓七郎はありのままになにもかも語った。そして「松本の家へ戻るほうがお前の行く末
 のためだから」そう云って帰ることをすすめた。お高は考えようともせずに厭だと云い
 とおした。ついには部屋の隅に隠れて泣き出したまま、何を云っても返辞をしなかった。
 肝心のお高がそんなありさまだったので、間に立った人もどうしようもなく、そのとき
 の話は結局まとまらずじまいだったのである。
・重い病に臥している生みの母の、ひとめ会いたいという言葉にも強く心を打たれた。乳
 離れをするとすぐに松代へ貰われて来たそうで、西村の父母の顔はまったく記憶にはな
 い。もしものことがあれば、生みの母の顔を知らずに終わらなければならない。一度だ
 けお顔を見せて頂こう。そう考えて承知したのであった。
・二十里そこそこの道だったが、ひどくぬまるので馬や駕籠に乗りながら三日もかかり、
 ようやく松本の城下へ着いた。五十あまりとみえる婦人があらわれ、泣くような笑顔で
 出迎えた。心もここにないという様子で、お高にはものを云う隙も与えず、手をとらぬ
 ばかりにして奥へ導いていった。お高は初め茫然としていたが、これがお梶という方だ
 と思い、ご病気だというのが拵えごとだということをすぐに悟った。そしてこの拵えご
 とのなかには単純でないものが隠されていること、しかもそれがかなり決定的であると
 いうこは直感しつつ、その婦人のするままになっていた。
・西村の父や兄弟たちは夕食のとき引き合わせられた。席は広間に設けられた。かけつら
 ねた燭台はまばゆいほど明るく、大和絵を描いた屏風の丹精も浮くばかり美しかった。
 幾つもの火桶でうっとりするほど暖まった部屋、贅沢といってもよいくらい品数の多い
 色とりどりの食膳、そしてなんの苦労もなく憂いも悲しみも知らない様子の兄弟の、な
 ごやかな団欒を楽しむありさま。これがほんとうの自分の家なのだ、ここにいる人たち
 が自分の生みの親であり、血肉をわけた兄弟たちなのだ。いま坐っているこの席は誰の
 ものでもなく正しく自分の席なのだ。お高はそう思いながら、できるだけすなおな気持
 ちでその室の空気に順応しようとした。  
・けれども燭台は明るすぎ、絵屏風はあまりに美しく絢爛で、いかにも落ち着きにくく眩
 しかった。数々の料理もいずれは高価な材料と念入りな割烹によるものであろうが、お
 高にはなにやらよそよそしくて、美味しいという気持ちは起こらない。そしてその一つ
 一つが松代の家のことに思い比べられ、締め付けられるように胸が痛んだ。
・切り貼りをした障子、古びた襖、茶色になってへりの擦れている畳や、凍み割れのある
 歪んだ柱。煤けた行燈の光にうつし出されるあの狭い、貧しい部屋のありさまがまざま
 ざと見える。乏しい炭をまるでいたわるように使うあの火桶ひとつでは、冷えのきびし
 い今宵はどんなにか寒いことだろう。依田の父と松之助は、いま二人きりであの貧しい
 部屋のつつましい食膳に向かっているじぶんだ。菜の皿はひとつ、汁椀の着くことさえ
 稀で、漬物の鉢だけが変わらない色どりである。いま眼の前にあるゆたかな膳部からみ
 れば、かなしいほど貧しいものだ。しかしそのひと皿の菜をどんなに心をこめて作るだ
 ろう。また父や松之助がどんなに喜んで食くれることだろう。お高の頭はこういう考え
 でいっぱいだった。
・あくる朝、起きてきたお高の眼が痛々しいほど赤く腫れぼったくなっているので、梶女
 はびっくりして「どうおしだ」と訊ねた。お高はさびしげに頬笑んだ。梶女は確かめる
 ようにこちらを見ていたが、すぐに思い返した様子で、今日は山辺の温泉へゆくからし
 たくをするように云った。お高は眼を伏せながらそっとこう云った。「「わたくし、今
 日はできますことなら御菩提寺へまいりたいと存じますが」「ああそれなら山辺へゆく
 途中ですよ。少しまわり道をするだけですから参詣してまいりましょう」お高はかぶり
 を振った。「わたくし今日はおまいりだけに致しとうございます。初めてのことでござい
 ますから」初めて祖先の墓へまいるのに遊山を兼ねるのは不作法だと思う、そういう意
 がはっきり表れていた。梶女はさすがにおもはゆそうだった。 
・菩提寺の帰り道で、お高は自分の生まれた家を見たいと云った。梶女はすすまない様子
 だったが、いっしょにいった弟がさきに立って案内した。深志というところの端に近く、
 身分の軽いさむらい屋敷がひとかたまりになっている。その中でも貧しげな古びた幾棟
 のなかに、その家はあった。まわりにゆとりがあるのと、部屋の数が少し多いかと思え
 るだけで、そのほかは松代の家とは大差のない住居だった。「私はこの家に五つまでいた
 のですよ」弟はそう云ってなんの屈託もなく笑った。お高はふと、この弟もいまの屋敷
 よりはこの貧しい家のほうに心がひかれているのではないか、そんなことを考えながら
 間もなく踵をかえした。
・三日目の夜のことである。自分にあてられた部屋で梶女とあい対したとき、お高は明日
 松代へ帰らせて頂くと云いだした。梶女はそう云われるのを予期していたらしい。そっ
 と部屋を出ていったが、すぐに一通の封書を持って戻ってきた。「依田どのからあなた
 にあてた手紙です」こういってそれをわたした。
・受け取ってみると正しく依田の父から彼女にあてたものだった。「松本へおまえを帰す
 に当たっては色々考えたが、これまでの養育料としてかなり多額なだいもつをくれる話
 にがあり、それだけあれば自分の田地でも買って、松之助とふたり安穏に暮らしてゆけ
 るし、おまえも西村の娘として仕合せな生涯にはいれるであろう。自分のためにもおま
 えのためにもこうするのが一番よいと思う」そういう意味のことが、依田の父らしく篤
 実な筆つきで書いてあった。
・梶女はお高の読み終えるのを待ってしみじみとこう云った。「いまになっておまえを取
 り戻そうというのは勝手かもしれない。けれど父上やこの母の気持ちも察しておくれ。
 お前が生まれたじぶんは父上のご身分も軽く、子供を多く抱えて、恥ずかしい話だけれ
 どその日のものにも差し支えるようなことさえある、貧しく苦しい暮らしでした。人の
 親として、乳離れしたばかりの子をよそへ遣らなければならない、それがどんなに辛い
 悲しいことか」梶女は袖口で眼を押さえながら暫く声をとぎらせていた。  
・膝の上にそろえた両の手をかたく握りしめながら、お高はこわばった顔をじっと俯向け
 ていたが、梶女の言葉が終わると静に眼を明けて、「おぼしめしはよくわかりました。
 ほんとうに有難う存じますけれど、わたくしはやはり松代に帰らせて頂きます」抑揚の
 ない声でそう云った。梶女の頬のあたりが微かにひきつった。「どちらのためにもこれ
 が一番よいと依田どのも云っておいでなのですよ」
・お高はそっとかぶりを振り梶女の眼を見上げた。「依田の父がそうおっしゃるのはこち
 らへの情誼からだとはお考えになれませぬか。あなたはいま人の親として子をよそへ遣
 ることがどんなに辛いものかということをおっしゃいました。乳離れをするまでの親子
 でもそれほどなのに、十八年も一緒に暮らしてきた親子はそうではないとおぼしめしで
 すか」お高はそう云いながら、松本へゆけと云われた夜のことを思い浮かべた。あのと
 きの依田の父はこちらへ背を向けて、お高に肩を揉ませながらあの話をきりだした。父
 はお高の顔を見ることができなかった。自分の辛い顔も見せたくなかったのだ。それが
 いまお高には痛いほどじかに思い当たる。 
・「依田の家は貧しゅうございます。わたしくし糸操りをしてかつかつの暮らしを立てて
 いるのもほんとうです。けれどもそれはあなたがお考えなさるほどの苦労ではございま
 せん。今度のことさえなければ、わたくしは仕合せ者だとさえ思っておりました。依田
 の父はもったいないくらいよい父でございます。弟もしん身によくなついていて母のよ
 うにたよっていてくれます。わたしくはあの家を忘れることはできません」
・子のためには、子を愛する情のためにはなにも押し切ろうとする。それが親というもの
 の心だろう。悲しいほどまっすぐな愛。お高はよろよろとなり、母の温かい愛のなかへ
 崩れかかりそうになった。自分のために模様替えをしたというその部屋、新しい調度や
 衣装。どの一つにもまことの親の温かい愛情がこもっている。けれどもお高は懸命に崩
 れかかる心を支えた。自分なその愛を受けてはならない。依田の家を出てその愛を受け
 ることは人の道にはずれるのだ。こう自分を叱りながら、お高はやはり松代へ帰ると繰
 り返した。 
・あくる朝まだほの暗いうちにお高は松本を立った。梶女と弟が城下から一理あまりの中
 原という辻まで送ってきた。そしてそこの掛け茶屋でいっしょに茶を啜り、暫く別れを
 惜しんでから袂をわかった。二人はお高の姿が道を曲がってゆくまで見送っていたが、
 お高は一度も振り返らず、まっすぐに並木の松のかなたへ去っていった。
・道をいそいだので松代へは三日目の昼前に着いた。城下町が見え出すともう胸がいっぱ
 いになり、いくら拭いてもあとからあとから涙がこみあげてきた。ほんの僅かな留守だ
 ったが、山々の姿も千曲川の流れもなつかしく、眼につくほどの樹立や丘や段畑、路上
 の石ころまで呼びかけたいような懐かしさが感じられて、郷へ帰ったという気持ちがし
 た。
・家には啓七郎ひとり、ちょうど薬湯を煎じているところだった。入ってくるお高を見る
 とあっという表情をした。「どういうわけで帰ってきた」「持たせてやった手紙は読まな
 かったのか」さし向かいになって坐ると、啓七郎は禅師ていた薬湯を湯のみにつぎなが
 ら云った。
・お高は父のそのあとを続けさせまいとさえぎった。「わかっておりますけれど、お高は
 一度よそへ遣られた子でございます。乳離れをしたばかりで、母のふところからよそへ
 遣られたお高を、父上さまは可哀そうだと思っては下さいませんか。もし可哀そうだと
 お思い下さいましたら、ここでまたよそへ遣るようなことはなさらないで下さいまし」
 「仕合せとは親と子がそろって、たとえ貧しくて一椀の繭を啜りあっても、親と子がそ
 ろって暮らしてゆく。それがなによりの仕合せだと思います。お高にはあなたが真実の
 たったひとりの父上です。亡くなった母上がお高にとってほんとうの母上です。この家
 のほかにわたくしには家はございません」
・「父上」と、叫びながら松之助が走せいって来た。稽古から帰って、表でふたりの話す
 のを聞いていだのだろう。眼にいっぱい涙を溜めながら入ってくると、姉と並んでそこ
 へ座り、なかば噎びあげながらこう云った。「どうぞ姉上を家に置いてあげてください。
 どうかよそへはやらないでください」
・啓七郎は眼をつむり、蒼ざめた面を伏せ、両手を膝に置いてじっと黙っていた。それは
 大きなするどい苦痛に耐える人のような姿勢だった。「・・・では家にいるがよい」啓
 七郎がやがて呻くような声でそう云った。松之助は姉の膝へとびつき、涙に濡れた頬を
 すりつけながら声を上げて泣き出すのだった。
・啓七郎は「おまえ成人したら姉上をずいぶん仕合せにしてあげなければいけないぞ」と、
 松之助に云うのだった。「大きくなればわかるだろうが、姉上はこの父やおまえのため
 にせっかく仕合せになれる運を捨ててくれたのだ。自分のためではない。父とおまえの
 ためにだ。忘れては済まないぞ」松之助は父の眼を見上げて、少年らしくはっきりと頷
 いた。 

風鈴
・「お姉さまこんなにして、一生終わっていいのでしょうか。いつまでも果てしのない縫
 い張りやお炊事や煩わしい家事に追われとおして、これで生甲斐があるのでしょうか」
 弥生は縫う手を休めてびっくりしたように妹の顔を見た。妹の頬には血がのぼっていた。
 三人のなかで一番縹緻よしといわれた少し険のある顔立ちが、感情の昂ぶっているため
 に美しく冴え、双の眼になにやら溢れるような光が湛えられていた。小松は湿ったよう
 な声で続けた。「下男や下婢にできることは、下男や下婢におさせなさるがよろしいわ。
 そしてお姉さまご自身もっと生き甲斐のある生活をなさらなくては。もっとよろこびの
 ある充実した生きようをなさらなくてはね。そうお思いになりませんか」
・小松は片手で部屋の中をぐるっと撫でるようなしぐさをした。「こういうお暮らしぶり
 からまずお変えになるのよ、お姉さま。時々はお部屋のもようを変えてごらんなさいま
 し。お花を活けるとか、お道具の位置を移すとか、襖を張り替えるとか。お姉さまもた
 まにはお召物を違えたりお化粧をなすったりしなければ。そうすれば家のなかも活き活
 きとなるし、自然と気持ちも動いてきますわ。お義兄さまも、きっともう少しは出世の
 お欲が出てくると思います」 
・こういう言葉を辱しめでないと否定するためには、姉妹との近しさとか、親しいいたわ
 りという感情につかまらなくてはならなかった。小松が帰っていったあと、縫物を膝の
 上に置いたまま、弥生はやや久しいあいだ惘然と刻をすごした。明けある障子の向こう
 に狭い庭が見える。庭とは名ばかりの狭い、なんの結構もないものだが、芒が穂立ち萩
 の咲くこの季節だけは美しくなる。秋のふぜんがあふれるようで、いつまで眺めても飽
 きることがない。妹たちもこの家にいるじぶんは嵯峨野うつしなどといって自慢の一つ
 にしていた。さっき二人が入ってきたとき障子を開けたのは、彼女たちが前のようによ
 ろこびの声をあげてくれると思ったからだ。しかし二人とも見向きもしなかった。たと
 え見たとしてもあの頃のようなよろこびは感じなかったに違いない。のどかな秋の日ざ
 しのなかの、芒や萩の伏枝を見て侘しい思いを楽しむような気持ちは、もう妹たちには
 なくなっているのだ。弥生はそう思いながらやるせないほど孤独な寂しさにおそわれる
 のだった。
・あくる日、部屋の掃除をしているとき、用箪笥の上に風鈴のあるのを見つけた。妹たち
 が廂からはずしてそこへ置き忘れたのである。弥生は手にとって暫く見ていたが、やが
 てそれを箪笥の小抽出の中へしまい、気ぬけした人のようにそこへ座って、ひとりしん
 と考え込んでしまった。そのときから弥生は思う日多くなり、過ぎ去った二十九年とい
 う年月を幾たびも思いかえした。
・父が世を去ったとき弥生は十五、小松は十一、津留は九歳だった。それより数年前に母
 も亡くなっていたので、なにもかもいっぺんに弥生の肩へかかってきた。家政のことや
 二人の妹の世話は云うまでもない。武家のならいで後継ぎがなければ家名が絶えるから、
 同じ家中で松田弥兵衛という者の二男を養子にきめた。もちろん盃だけで祝言をあげた
 のは三年の後のことだった。こういう身の上の変化を受け止めるには、弥生の年はまだ
 余りに若すぎた。母方の伯父がうしろみになってくれたけれど、弥生はできる限りひと
 りでやってゆく覚悟をし「自分は今から大人になるのだ」そう自分に誓って、ともかく
 加内の家を背負って立ったのだった。生活は苦しかった。元々切り詰めた経済でようや
 く凌いできた状態だったから、衣類や調度はむろん日用のものもすべて不足がちだった。
 味噌や醤油を買うにさえ、銭嚢の中をなんども数え直さなければならないような生活。
 それを弥生は十五歳の知恵できりまわしていったのである。
・こうした日常のなかで、なにより心を痛めたのは妹たちのことだった。ふた親のない貧
 しい生活で卑屈になったり陰気な性質になったりしないように、できるだけ明るくのび
 のびと育てたい。世間へ出て嗤われないほどには読み書きや作法も身につけてやりたい。
 弥生にちってはその一つ一つが困難な、どっちかというと無理なことであった。しかし
 それを困難だとか無理だなどと考えることは許されなかった。どんなに辛くともそれを
 克服してゆかなくてはならなかったのである。 
・小松は十八歳のとき、望まれて百樹家へ嫁した。良人はすでに用人格で、秀才という評
 判の高い人物だった。身分の違うのが不安だったけれども、頭の敏い小松は婚家の風に
 馴れ、案外なくらい良縁としておさまった。それから三年たって津留も結婚した。これ
 は百樹の媒酌で、相手は扈従組の上席の家柄だった。
・こうして二人の妹を恵まれた結婚生活に送り出したとき、弥生は自分の努力の無駄でな
 かったことを知り、それだけでも充分に酬われたように思った。無経験な若い自分の思
 案と、乏しい家計で、ともかくもここまでごぎつけることができた。亡き父や母もたぶ
 ん満足してくださるだろう。そして妹たちも、いつかは姉の苦労がどのようなものだっ
 たのかということを知って、感謝してくれるときがあるに違いない。そう信じてきたの
 であった。
・妹たちは少しずつ性質が変わっていった。環境が違ったのだから不思議はないのだろう
 が、加内の家へ来るたびに、この家の貧しさを厭う様子が強くなり、ときにはこのよう
 な貧しい実家を持つことを恥じるような口ぶりさえみせるようになった。弥生はそれを
 怒ってはならないと思った。妹たちがそういう考え方をするのは現在の生活が豊かに恵
 まれている証拠である。この家の明け昏れをなつかしがるようでは、それこそ不仕合せ
 なのだ。そう思って穏やかに聞き流していた。
・弥生は自分のこしかたが徒労であり、これからさきも徒労であるような気がしはじめた。
 津留と一緒に来た日、弥生は「自分たちには娘時代というものがなかった」という意味
 のことを口にした。弥生にとってこれほど痛い悲しい言葉はない。妹たちもいつかは自
 分の苦労を知って感謝してくれるときがあるだろう、そう信じていたのに、まったく反
 対の非難をあびせられたに等しい。弥生は怒りを抑えるために身がふるえた。それでは
 自分のしてきたことは無意味だったのか。あれだけの努力は妹たちにとってなんの価値
 もなかったのか。
・弥生は家の中の道具をあれこれと少しずつ動かしてみた。箪笥を脇のほうに移したり、
 鏡台と机を置き替えたり、常には使わない対立屏風を出してみたり、ちょっと馳走のあ
 るときは客膳を用いたりした。そうすると確かに家の中があたらしく見え気持ちも動く
 ように思える。「まるでよその家へいったようですね」九歳になる与一郎はそんなこと
 を云って、珍しそうに部屋の中を見てまわったりした。 
・それから弥生はしばしば着物や帯を取り替えて着た。ずいぶん思い切って、ごく薄く化
 粧もしはじめた。良人の三右衛門は、かくべつなにも云わなかった。弥生が今日は美し
 く化粧ができたと思ったとき、一度だけ微笑しながらつくづくと見てこれた。そのとき
 弥生は恥ずかしいほど満たされた気持ちで、良人の前に立って来ると暫く鏡を覗いてい
 た。しかしこれらのことは長くは続かなかった。道具のありどころもたびたび変えるわ
 けにはいかないし、変えてみてもいつもそう新しい気持ちにはなれない。つましい経済
 では白粉はかなり贅沢につくし、時間の惜しいときのほうが多いので自然手軽に済ませ
 ておくようになる。こうして箪笥も鏡台も机も、いつかしら元の場所におさめられるの
 を見て、三右衛門はなにやらほっとした口ぶりでこう云った。「部屋の模様替えも気分
 が変わっていいが、やはり道具にはそれぞれ据えどころがあるものだな。私にはこのほ
 うが落ち着いてよい。眼さきの変わるのはその時だけのことだし、なんとなくざわざわ
 していけない」
・弥生は再び生き甲斐ということを思いはじめた。これが自分の生活なのだろうか。こう
 して自分の生涯は経っていってしまうのだ。同じ着物を縫ったり解いたりしながら、も
 のみ遊山もせず、美味に飽くことなく、ひたすら良人に仕え子を育て、その月その年の
 乏しい家計をいかに繰りまわすかということで身も心も疲らせて、やがて空しく老いて
 しぼんでしまう。 弥生はぞっとするような気持ちで「こういうしはてのない困難の克
 服になにか意味があるのだろうか。もっとほんとうに生き甲斐のある生活がほかにある
 のではないかしらん」と呟いた。弥生は初めて、ほんとうに突き詰めて考えぬかなけれ
 ばならぬことにゆき当たったと思った。あらゆる人間がその問題について考えるとき必
 ずそう思うように・・・。 
・いっそ良人にすべてを話してみてみようか。良人には良人の意見があるだろうし、それ
 を聞けばあるいはこの悩みも解けるかもしれない。話すならこの機会だ、そう思って口
 まで出かかったが、やはり言葉には出せなかった。良人は男である。こういう女の苦し
 みは、話してもわかってこれないであろう。
・ある日、勘定奉行の岡田という老人が良人を訪ねてきた。岡田老人と良人はよい碁がた
 きで、しばしば招かれてゆくし老人のほうからも時々打ちにくる。かくべつ珍しいこと
 ではないのだが、その日は小松に「お役替えの話かも」と囁かれたこともあるので、弥
 生はなんとなく落ち着かず、ともすると二人の話し声に耳を惹きつけられた。
・良人の静かに口を切るのが聞こえきた。「役所の事務というものは、どこに限らずたや
 すく練達できるものではございません。感情所の、ことに御上納係は、その年どしの年
 貢割りを決める重要な役目で、常々農民と親しく接し、その郷、その村の実際の事情を
 よく知っていなければならぬ。これは年数と経験が絶対に必要です。単に豊凶を見分け
 るだけでも私は八年かかりました。そして現在では、私を措いて他にこの役目を任すこ
 とのできる者はおりません」
・「今度の話がどうして始まったのか。推挙してくれる人の気持ちがどこにあるのか。私
 にはよくわかります。その人たちは私が栄えない役を勤め、いつまでも貧寒でいること
 が気のどくに見えるのです。なるほど人間は豊かに住み、暖かく着、美味を食べて暮ら
 すほうがよい。確かにそのほうが貧窮であるより望ましいことです。なぜ望ましいかと
 いうと、貧しい生活をしている者は、とにかく富貴でさえあれば生きる甲斐があるよう
 に思いやすい。美味いものを食い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮らすことが、
 粗衣粗食で休む暇なく働くことより意義があるように考えやすい。だから貧しいよりは
 富んだほうが望ましいことは確かです。しかしそれでは思うように出世し、富貴と安穏
 が得られたら、それでなにか意義があり満足することができるのでしょうか」 
・「おそらくそれだけで意義や満足を感ずることはできないでしょう。人間の欲望には限
 度がありません。富貴と安穏が得られれば更に次のものが欲しくなるからです」「大切
 なのは身分の高下や貧富の差ではない。人間として生まれてきて、生きたことが、自分
 にとって無駄でなかった。世の中のためにも少しは役立ち、意義があった。そう自覚し
 て死ぬことができるかどうかが問題だと思います。人間はいつかは必ず死にます。いか
 なる権勢も富も、人間を死から救うことはできません。私にしても明日にも死ぬかもし
 れないのです。そのとき奉行所へ替わったことに満足するでしょうか。百石、二百石に
 出世し、暖衣飽食したことに満足して死ねるでしょうか。。否、私は勘定所に留まります。
 そして死ぬときには、少なくとも惜しまれる人間になるだけの仕事をしてゆきたい
 と思います」
・膝を固くし頭を垂れていた弥生は、みえるほどからだが震えるのを抑えることができな
 かった。感動というよりは慚愧に似たするどい思考が胸につきあげ、それが彼女を二つ
 に引き裂くかと思えた。生き甲斐とはなんぞや、ながいこと頭を占めていたその悩みが、
 いまの良人の言葉によって一筋の光を与えられた。それはまぎれもなく暗夜の光ともた
 とえたいものだった。貧しい生活をしていると富貴でさえあれば生き甲斐があると思い
 やすい、夫は今そう云った。自分が思い惑ったのも、突き詰めれば妹たちの暮らしぶり
 を見、その非難を聞いて、自分の生活よりは意義があり充実しているように考えたから
 だ。なんという浅はかな無反省なことだったろう。縫い張りや炊事や、良人に仕え子を
 育てる煩瑣な家事をするかしないかが問題ではない。肝心なのはその事の一つ一つが役
 立つものであったかどうかだ。女として生まれ妻となるからは、その家にとり良人や子
 たちにとって、かけがえのないほど大切な者、病気をしたり死ぬことを怖れられ、この
 うえもなく嘆かれ悲しまれる者、それ以上の生き甲斐はないであろう。
 
桃の井戸
・私の父は藩の奉行評定所の書役元締を勤めていた。はじめお国許の勤めだったのだが、
 のちに江戸詰めとなったのだそうで、和足は芝愛宕下の御中屋敷で生まれた。そのとく
 はもう上に兄が三人あり、私はいちばん末の女だったから父母にも兄たちにもたいそう
 可愛がられて、わがまま育ちというほどではないにしても、自分の好みどおりに生たつ
 ことができたようだ。私はあまりみめかたちの美しいほうではない。そのことにはかな
 訪ねてり早くから気づいていた。 
・そのじぶんは、学問奨励のおぼしめしもあり、父が御勤役のほかに藩校創立の下しらべ
 を仰せつかっていたりしたから、自然と私も書物に親しむことが早く、七歳のおりに父
 や兄たちの前で小学の講義のまねごとをしたことなども覚えている。自分がみめよく生
 まれついていないという悲しい自覚もあって、少しもの心のつく頃からは、書物を読ん
 だりものを書いたりすることのなかにだけ楽しみを見い出すようになっていた。
・こうしているうちに家の内にもいろいろ変化が起こった。ある年の春さき、急にもどっ
 た寒さに冒されたのがもとで、嘘のようにあっけなく母上がお逝きになると、まるでそ
 のあとを追うようにして長兄が亡くなった。この続けざまの不幸で父上はにわかにお年
 をめしたようだった。 
・次兄が長兄の跡に直り、同じ家中の杉田という方の妹を娶ったのはあくる年の晩春のこ
 とだったが、それから間もなく父上は勤役を解かれて御国詰めと決まった。私たちは後
 でわかったのだけれど、父上が苦心して下調べに当たっていた藩校創立のことが、御政
 治むきの都合でゆきなやみになり、とうとうおとりやめになったのがその原因だったと
 いう。
・四月の末に江戸を立った一家は五月中旬に御城下に着いた。生まれてから十八年のあい
 だ御屋敷の門を出ることさえ稀だった私は、移りゆく途中の風物がただめずらしくて、
 子供のように目を瞠ったり嘆息のし続けだった。
・うかうかと夏も過ぎで野山が秋立つ頃になると、少しずつ土地の水に馴れてゆくのが自
 分でもわかった。そういう一日、なんの前触れもなく長橋と仰しゃるひとりの老婦人が
 私をいらしった。私にはどなただがわからなかった。ともかくもお通し申して対座する
 と、老婦人はたいそう特徴のある低いお声で湖月亭の大人から音信があったことを云い
 だされた。それでようやく私も想いだしたのであるが、おいでを待っていたのですが、
 なかなかお見えにならないのでお訪ねしたのですよ・・・」そう仰しゃられたときには
 忘れたとも云えず、赤くなって、お詫びごともしろどもどろだった。そのときもう七十
 を越えておいでなのに、お色の白い眉つき眼もどのはっきりとしたお顔立ちで、切下げ
 にしたお髪も黒く、とてもお年数とは思えないほどお若さに見えた。それがのちに血縁
 でもないのにおばあさまとお呼びするようになった千鶴女との初対面である。かずかず
 のお話があり、大人の亡くなられたこともそのとき聞いたと思うが、やがて「気が向い
 たら遊びにおいでなさい」そう仰しゃって、お帰りになった。こうして私はしばしば長
 橋のおばあさまをお訪ねするようになった。 
・長橋は藩の医家であるが、千鶴女の御良人もその御子息も亡くなり、孫にあたる方が御
 当主だった。お家の庭が広くて、御隠居所は家族のお住まいとは離れた杉林の中に建っ
 ていた。お居間は六帖で炉が切ってあり、こまごましたお道具をそこから手の届くとこ
 ろに置いて、召使は使わずたいていのことは御自分でなすっていらしった。南の縁側に
 立って見ると、杉の木立ちのなかに辛夷の木があるばかりで、はじめはいかにもつくら
 な過ぎるお庭だと思ったが、お居間の前にある噴き井を見つけてから、ようやくその趣
 きの深さというものが、少しずつわかってきた。 
・あるときそのことを申上げたら、おばあさまはお笑いになって「あなたはものごとを力
 んで考え過ぎですよ。もっと気持ちを楽になさらなければ・・・」と仰しゃった。それ
 を境として私の生き方はずいぶん変わった。むろんその意味がすぐにわかったわけでは
 ないし、「力んで考える」というお言葉は、当分の間私を不愉快な気持ちにしたほどで
 ある。けれども、その前とそれから後では、ものの見かたがまるで違うようになったの
 だから・・・。 
・あくる年の春のことだった。おばあさまがふと思いついたという風に「あなたはお嫁に
 ゆかないおつもりですか・・・」と仰しゃった。私はからだが硬ばるように覚えてすぎ
 には返辞ができなかった。江戸にいた頃にいくつか縁談もあったが、自分のみめかたち
 のよくないことと、和歌の本分に恵まれているという高ぶった考えから、どの話にも耳
 をかさず押し通してきた。成ろうことなら一生好きな歌を作って世を送りたい、それが
 なにより望みだったのである。
・おばあさまはすっかりお察しになっていたとみえ、少し間をおいてから静かにお続けな
 すった。「あなたは歌を詠んで一生をお過ごすお考えかもしれない。それだけの才を持
 っておいでなのだからそれも結構でしょう。けれどおすぐれた歌を詠むことと結婚する
 こととを別々に考えてはいけませんね。女は良人を持ち子供を生んで、はじめて世の中
 というものがわかり、本当の悲しみや喜びがどうあるかを知るのです。いつぞや力んだ
 考えかたをし過ぎると申上げたが、それは独り身を通そうという気持ちが根になって、
 些細なことにもすぐ肩ひじを張る癖がついているからですそれでは格調の正しい歌は詠
 めても、人の心をうつ美しい歌は・・・」
・女は良人を持ち、云々ということは亡くなった母上にも聞いてかくべつ耳新しくはなか
 ったが、お言葉の終わりほうはいつまでも頭に残った。そしてずいぶんうちつけに仰有
 ると思い、ひと月ほどはお訪ねもしなかったように記憶している。
・萩原へのちぞいという話を兄から聞かされた。はじめは冗談かと思ったが、まじめな相
 談だとわかると、正直にいって自分が可哀そうになった。萩原は御側勘定役を勤めて御
 出世頭人といわれていたが、一年前に妻女に死別して、あとに七歳と四歳になる男児を
 二人遺された。お気のどくなとは御同情したけれど、自分が二人の子供のある後へゆく
 ということはあまりに思いがけなくて、そのときはなんとも答えることができなかった。
・越後の水に馴れてから二年。私はもう二十という歳になっていた。江戸ではそんなこと
 も目立たないが国許の古い習俗からすれば婚期に遅れたというのが普通である。だがそ
 れだからといって、のちぞいにゆく気持ちなど私にはいささかもなかった。
・私は長橋のおばあさまの御意見を伺いにあがった。「結構だと思いますね・・・」始終
 を申上げるとそう仰有った。「自分のお腹を痛めずに二人も子供が持てるのは儲けもの
 ですよ。一生ひとりの子にも恵まれない方さえあるのですから」「女にはだれにも共通
 な夢があります。云うまでもなく結婚です。むすめでいるうちは考え得られる限り美し
 い空想で飾り、ほぐしてはまたもっと美しく飾りあげる。こんなことが実現される筈は
 ないと知っていながら、自分からなかなかその夢が棄てきれない。そうしてついには多
 かれ少なかれ失望を感ぜずには済まないのです。なぜなら・・・むすめたちが空想する
 ような美しさは在るものではなく、新たに自分が築きあげるものだからです。夢のゆき
 ついたところに結婚があるのではなく、結婚から夢の実現がはじまるのです。それもほ
 とんど妻のちからのよって・・・」   
・祝言の日どりが決まると、それまで考えもしなかった不安がにわかに重くのしかかって
 きた。それは二人の子供をどう扱うべきかということだった。良人に仕える道はひと筋
 きりないが、子供にはそれではいけない。継子、継母という気持ちを持たれたらもう取
 り返しがつかぬ。そう思いつくと、今度の結婚で一番大切なのはその点なのだというこ
 とがはっきりしてきて、追い詰められるような不安にかられた。
・おばあさまも「それはむつかしいことだ・・・」と仰有って、しばらく黙って考えてお
 いでだった。「わたくしにもよくわからないが」とおばあさまがやや暫くして顔をおあ
 げになった。「どんなに巧みな方法があったにしても、結局は継母継子という事実には
 変わりがないのだから、心構えとか扱い方とかいうことは考えずに初めからごく自然に
 してゆくほうがいいと思いますね。本当の母子のようにとは誰しも考えるだろうけれど、
 悪く云えばそれは虚栄です。継母継子でいいのですよ。むしろもっとも美しい継母継子
 になる。そう考えるほうが本当ではないかしらん・・・」 
・「ただひとつ、こういうことは云えると思います」おばあさまはそう仰有って、こちら
 へ来てごらんと座をお立ちなすった。そして縁側へ出て噴き井を指しながら、あの井戸
 をどういうふうに感じて見るかとお訊ねになった。濃緑のびろうどのような苔に包まれ
 た井戸、それはいかにも美しく生き生きと春を描きだしているように見えた。
・「そう、あなたにはそう見える・・・」「けれどもあの水を使おうとしたらどうでしょ
 うか」「あれは底は浅いし、あのように桃の枝がさしかかているので、落ちこむのは花
 ばかりではなく、病葉も腐った桃の実も、毛虫もある。大抵は流れだしてゆくが沈んで
 底に溜まるものも多い。あなたはその水を汲んで茶が点てられますか」「あなたはただ
 美しいと見て満足する。けれども実際にはその水を使う者にはまず水を清潔に保つこと
 がさきだ。そのためには美しさなどは壊れてもいいのです」「継しい仲を美しくしとう
 とするあまり、水の使えない井戸ができあがってはたいへんです。これだけはよくよく
 注意すべきだと思います・・・」
・萩原が少しものたらぬほど寡黙な人だというほかには、よき父親であり良人であってく
 れた。その年は殿様の御参勤に当たっていたので、秋のかかりにはお供に加わって夫も
 江戸へ立った。子供たちとじかに心を向き合わせたのはそれからである。弟の貞二郎は
 まだよかったが、長男の欣之助は七歳になるだけむつかしかった。その頃は神経質の寝
 つきの悪い子で、夜半にふと気づくと起き上がって泣いていたりした。こちらもどう慰
 めていいかわからず、ついには一緒に泣いてしまったりしたものである。  
・これではいけないと気がついた。そしてある時こういうことを云った。あなたには亡く
 なった方が本当のお母様です。お母様は亡くなっても決してあなたから離れはなさいま
 せん。今でもそまに付いていて、あなたがりっぱな武士になるように護っていてくださ
 います。ですからあなたのお母様のことを決して忘れてはいけませんよ。
・欣之助はびっくりしたようにことらを見上げていたが、「でも父上はもう亡くなった母
 上のことを考えてはいけないと仰有いました」と云った。私は強く頭を振って、そんな
 ことはありません。あなたにとっては亡くなった方がたったひとりの母上です。忘れな
 いように、いつも想いだしてあげるのが孝行というものですよ。 
・欣之助はちょっと微笑して、「でも父上にはこのことは仰有らないでください」そう念
 を押すように云った。心なしかほっと安堵したような色が眼にあらわれるものを私は見
 たと思った。それからしだいに欣之助の気持ちがこちらへ近づいてきた。何ともいえな
 いじかな愛情のつながりが生まれているのに感づかされた。
・あくる年の冬のはじめに殿様がお帰国なさるまでの一年間は、それまでの十年にも比べ
 たいほどいろいろと私の成長に役立ってくれた。その大きな一つは妻というものの生き
 甲斐を知ったことだ。家庭は妻の鏡にも似ている。誇張して言えばこちらの心を去来す
 るそのおりおりの明暗までが、すぐにそのまま家庭の上にあらわれるようだ。子供たち
 や召使の者たちはもちろん、家の中の空気までが妻の心の動きについてくる。おそろし
 いとも思ったけれども、もっと強く私は自分の生き甲斐をそこに確かめた。家を守り立
 ててゆくということは事務ではなく、歌を詠むのと同じ創作である。この世にはどれだ
 け家の数があるかわからないが、ひとつとして同じ家庭のあり方はない筈だ。良かれ悪
 しかれみんなどこかしら違う。
・生活は決してやり直しができない。在った一日は在ったままで時の碑へ彫りつけられて
 しまう。眼には見えず形には遺らないけど、親から子、子から孫へと、血とつながり心
 とつがなって絶えるはてがない。創作とすればこんなに大きな意義のある創作は他には
 ないと思う。
・康三郎を産んだのは萩原へいってから三年目の冬だった・案外お産も軽かったし初めて
 儲けた子が男だったので、その当座しばらく誰にでも誇りたい気持ちを押さえるのに困
 った。私は肥えはじめた。乳も余るほど出たし子供の肥立ちもよかった。いちばん嬉し
 かったのは欣之助と貞二郎がよろこんでくれたことだ。
・それからの一年はそれまでのどの年よりはやく経って、康三郎の誕生日も無事に澄ませ、
 良人のいない三度目の正月を迎えた。そばに寝かせてある康三郎をみて寒いかなと思い、
 すぐに立っていって薄いほうの掛け蒲団を取り出した。が、取り出してきた布団を掛け
 てやろうとして、はっと息が詰まった。武家の子は柔弱に育ててはならない。暑いとい
 って着崩したり寒いからといって着重ねたりは決してさせないものだ。欣之助にも康三
 郎にもそれだけは厳しくしてきた。ふたりはそうしてきたのに、いま康三郎には無意識
 のうちに布団を掛け足そうとする。   
・その翌日の午後、ずいぶん久しぶりで長橋へあがった。少し気持ちが落ち着いてから昨
 夜のことを申上げた。おばあさまは黙って頷き頷き聞いてくだすったが、申上げてしま
 ってもなんとも仰有らず、いつまでもなんのお言葉もなかった。私はとうとう堪えきれ
 なくなって、どうしたらよいかお教えくださるようにとお願いした。
・「わたくしはこれまであなたに一度も叱言は云わなかった・・・」おばあさまはやがて
 そう云って私をごらんになった・きびしい、まるで槍の穂尖ともたとえたいようなお眼
 だった。「けれども今日は叱言を云います。あなたは武家に育ちながらこれほどのこと
 がわからないのですか。継しい子とか身を痛めた子と仰有るが、あなたはそのどちらの
 子もある筈はない。武家に生まれた男子はみなお国のために、身命を賭して御奉公しな
 ければならない。そのときまでお預かり申して、あっぱれもののふに育てあげるのが親
 の役目です。はじめからお預かり申した子に親身も他人もあると思いますか」
・長橋のおはあさまに、それから後にもお訓えを受けたことが多い。想いかえすことはひ
 とかど歌人にも成りかねなかった自分と、今日ある自分とお違いの大きさだ。どちらが
 仕合せか。どちらに生き甲斐があるかは私が云うことではあるまい。仕合せとは仕合せ
 だということに気づかない状態だというが、現在の私にはそれを考えるいとまさえない
 ようだ。三人の子たちが人にすぐれたもののふに成って、あっぱれお役に立ってこれる
 日を待ち望むだけである。自分のあるだけのものを良人や子供たちにつぎ込むよろこび、
 良人や子供のなかで自分のつぎ込んだものが生きてゆくのを見るよろこび、このよろこ
 びさえ我がものになるなら、私は幾たびでも女に生まれてきたいと思う。
 
黒丸
・お石が鈴木家へ引き取られたのは正保三年の霜月のことであった。江戸からの手紙を持
 って、二人の家士が伴ってきた。平之丞は十一歳だったが、初めて見たときはずいぶん
 色の黒いみっともない子だなと思った。きちんと両手をそろえ、「どうぞおたのみ申し
 ます」と云いながらこちらを見あげた。まなざしも挨拶の仕ぶりも、五歳という年には
 似合わないませた感じだった。  
・平之丞はひとり子なので、時々弟か妹がひとり欲しいと考えることがあった。けれども
 並みよりは体も小さく、痩せていて色が黒くて、おまけに髪の赤いお石の姿は、少年の
 眼にさえいかにもみずぼらしくて、可愛げがなかった。
・お石ははきはきした子だった。縹緻こそよくないが明るい澄みとおるような眼を持って
 いて、なにか話すとき聞くときにはこちらをじっと見上げる。それは相手に自分のいう
 ことを正しく伝えよう、相手の言葉をしっかり聞き取ろうとするためのようだが、汚れ
 のない澄みとおった眸子を大きく瞠ってまたたきもせずに見つめられると、なにやらお
 もはゆくなって、こちらのほうが先に眼をそらさずにはいられない。
・もちろん平之丞の年齢ではそういうことに眼も届かず、元々関心もなかったが、みっと
 もない子だという感じだけはいつかしらうすれてゆき、一年ほど経つうちにはかすかな
 がら愛情に似たものさえ生まれてきた。    
・同じ年ごろの友達が集まってよく暴れまわった。彼らもはじめはお石には眼もくれなか
 ったが、その性質がわかるにしたがって自然と好感を持つようになり、なにかあるとよ
 く仲間にして遊びたがった。その中に誰よりもお石と親しくする松井という少年がいた。
 松井は、平之丞とはもっとも仲のよいひとりだった。彼にはお石と一つちがいの妹があ
 るので、あしらい方も慣れているし、なにを好むかも知っているらしく、ときおり美し
 い貼交ぜの香筐などを持ってきてくれたが、このように好意を持っている松井でさえ、
 時どき嘆息するように「それにしても色が黒いな」と云い云いした。
・したがってほかの少年たちは、そお年ごろのならいで「お黒どの」とか「烏丸」とか蔭
 で色いろあだ名を呼んだ。はじめはそんなことも気にならなかったが、あるときふと哀
 れになり、どうせ云われるならこちらでいくらかましな呼び方をしてやろうと思い、
 「黒いから黒丸がいい」と主張した。それで少年たちはみなそう呼ぶようになった。
・江戸詰めお年寄役だった父が、それから六年目に岡崎へ帰ってきた。ながい間留守だっ
 た父が帰ってきたので、家の明け昏れも変わらずにはいなかったが、その中でもお石の
 存在のはっきりし始めたことが眼だってきた。それはなにかにつけて父がお石に用を達
 させるからで、それまではたいてい母のそばにじっとしていたが、屋敷うちのどこにで
 も、まめまめと立ち働く姿が見られるようになったのだ。いっしょに暮らすようになっ
 て以来、しだいに近しい気持ちも生まれ、実の妹をみるような一種の愛情さえ感じたが、
 それとてかくべつ深いものではなかったのだ、そのとし元服してから、平之丞は再びお
 石に対して無関心になっていった。  
・お石が十三になった年のことである。ふと平之丞の部屋へ入って来て坐った。なにか用
 事かと訊くと、珍しくもじもじしながら「文鎮を貸して頂けませんでしょうか」といっ
 た。「お石は持っていないのか」「いいえ持っておりますけれど・・・」そう云いかけ
 て眩しそうに眼を伏せた。「持っているのに欲しいのか」そう訊くと、お石は思い切っ
 たという風にはいと頷き、「いつも文箱の上に載っているあの文鎮を貸して頂きたいの
 です」と云った。危ぶむような眼でじっとこちらを見あげている。それがひどく思い詰
 めた様子なので平之丞は苦笑した。そして、「なくしてはいけないぞ」と云って取って
 やった。
・お石は和学者のもとへ稽古に通いはじめて、その頃ではもう歌なども作るようになって
 いた。時々母から「なかなかよく詠んでありますよ」と見せられるものも、平之丞にさ
 えそれほど感心した記憶はなかった。そして、たぶんあの文鎮を置いて、しさいらしく
 歌集などを読んでいるのであろうと思って苦笑した。そしてたびたび歌を見せられるう
 ち、あるとき萩を詠んだ一首があって、それに黒丸という名が記してあるのをみつけた。
 訊いてみると母は、「それがあの子の雅号だそうですよ」と云って笑った。
・平之丞はふと心にかすかな痛みを感じた。それはかつて彼がお石のために選んだ綽名で
 ある。そんなことがわかると叱られるので、友達なかまのほかには決してもらしたこと
 のないものだったが、お石は覚えていたに違いない。どんな気持ちだったろう。すでに
 十九歳になっていた彼には、そのときのお石の心が哀れに思いやられた。女が容貌をそ
 しられるほど辛いものはないという。お石はまだ幼かったけれど、みなしごでもありよ
 く気のまわる性質だったから、おそらくそんな陰口を聞いて平気でいられなかったろう。
 悪いことをしたものだ。平之丞はそう思って自分を恥じた。そしてそのときから、お石
 に対する彼の態度がずっとやさしくなったのである。   
・鈴木家にはしばしば旅の絵師とか書家などが来て滞在した。こういう人びとのなかに、
 あるときなにがし検校とかいう名手がいた。どういう身上でいかなる仔細があったもの
 だろう。父のほかに家人はなにも知らなかった。検校はあしかけ四年あまりも滞在し、
 そのあいだお石に琴を教えた。それも初めは気のりのしない様子だったが、やがてこれ
 はと思ったらしい。だんだん熱心になってゆき、教え方も厳しく、時にはずいぶんはげ
 しく叱り声を聞くこともあった。いつだったか父と検校との三人で食事をとったとき、
 検校がしきりにお石の素質を褒めるのでおどろいた。
・「ではその道で身を立てることもできましょうか」父がそう訊いた。「いやそれはおそ
 らく困難なことでしょう」検校はしずかに頭を振った。「人を教えるにはもっと平易が
 よろしいのです。お石どのの琴は格調が高すぎるとでも申しましょうか。ひと口に云う
 となかなかな耳ではついてゆけないのです」そしてこういう特殊な感覚を持っている者
 は、よほど注意しないとゆくすえが不幸になりやすいというようなこと云った。
・平之丞が二十三歳になった春のこと、松井の催しで観桜の宴ひらかれ、ごく親しい者ば
 かり五人ほど集まった。広庭のかなたに小袖幕をかけまわした席が設けてあり、そこへ
 いま色とりどりの花を撒きちらしたかのように、美しき着飾った娘十人ばかり出てきた。
 やはり花見の宴に集まったのだろう。よく見ると桃山風の華麗な屏風の前に琴が二面す
 えてある。娘たちは初めしきりにゆずり合っていたが、座がきまるとやがて代わるがわ
 る琴をひきはじめた。桜の花蔭に、掛けつらねた小袖幕と、極彩色の屏風と、そして眼
 もあやな娘たちと衣装と、これらの絢爛たる丹精のなみの中からわきおこる琴曲の音色
 と、すべてがあまりに美しくて、見る者はむしろ哀愁をおぼえるくらいだった。
・平之丞はこのあいだずっと、娘たちの中にいる一人の姿を熱心に見まもっていた。それ
 はお石だった。はじめて出て来たときはどこかで見おぼえがあるくらいに思った。そし
 て間もなくそれがお石だとわかると、彼はわれ知らず眼をみはった。あんなにも成長し
 ていたのかと心から驚かされた。
・平之丞の印象にあるお石は、色の黒い、赤毛の、からだの痩せて小さな、みっともない
 子であった。けれどもいまそこに見るお石は「みっともない」どころではなく、十人あ
 まりいる娘たちの中でも際だって美しい、その美しさは髪化粧や衣装のためでもなく顔
 かたちでもなかった。いってみればお石の全体から滲み出るもの、外側の美しさではな
 く、内にあるものがあふれ出る美しさのようだ。そうか、もう十七になるんだな、平之
 丞はふと春秋を思いかえすような気持ちで、眼を細めながらその姿を見つめ続けていた。
・そしてみな相当にたしなみのある娘たちとみえて、なんの知識もない平之丞の耳にさえ
 神妙に聞こえるものが少なくなかった。こうして人数の半ばまで入れ代わったとき、た
 いへんこんだ曲をみごとに弾きこなす娘があった。それまでのものとは際だって鳴り高
 であり、音色の美しさと転調のあざやかさは、酔わされるようだった。
・「あれが妹のそでだ」松井が平之丞に向かってそう囁いた。「今日はお石どのの琴を聴
 くつもりであんなにしたくをしたのだが、自分もいっぱし聴いてもらうつもりだろう。
 ことによると弾き負かす気でいるかもしれない」  
・そんなにお石の琴が評判になっていたのか。平之丞もさすがに無関心ではいられなくな
 り、あれだけ弾きこなすそでの後で、はたしてどれほどの腕をみせるかと、ちょっと坐
 り直しような気持ちでお石の出るのを待っていた。だがお石は立とうとはしなかった。
 まわりの者がしきりに促しているし、松井の妹がそばへ行って懇願するようだった。け
 れどもお石はおっとりと微笑み、こうべを振るばかりでどうしても立たなかった。
・平之丞がお石を見なおすようになったのはそれからのことだ。見る眼をちがえると、そ
 れまで知らずに見過してきた事の端はしに、お石の心ざまの顕われを見つけては驚く例
 が少なくなかった。人の気づかないところ、眼につかぬところで、すべて表面よりは蔭
 に隠れたところで、緻密な丹念な心がよく生かされていた。
・彼は幾たびも考えてみたのち、それがもっとも自然であり望ましくもあると信じたから、
 母にうちあけて相談してみた。「あれなら鈴木の嫁として恥ずかしくないと思いますが、
 どうでしょうか」「そうですね・・・」母はまるで想像もしていなかったのであろう、
 初めはあなりためらう様子だった。しかしそう云われて考え直すと、今度は平之丞より
 も乗り気になりだした。
・父も初めは難色をみせたそうである。「今ひとつ縁談があるのだが・・・」そういうこ
 とで暫く保留になった。そしてその父もよかろうと承知し、はじめて母からお石に話を
 した。するとお石は考えてみようともせず、きつくかぶりを振って断った。「わたくし
 琴で身を立てたいと存じます。生涯どこへも嫁にはまいらないつもりでございますから」
・母は意外の思いで「女が独り身で暮らすということはむつかしいものです。若いうちは
 よいけれど、年をとってからの寂しさは堪えられないと云いますからね」それから色々
 条理をつくして説き、よく考えてみるようにと云ったが、お石はいつものおとなしい性
 質には似合わない頑なさでかぶりを振り続けた。「どうぞこのお話はごめん下さいまし。
 それにわたくしは近々におゆるしを願って、京の検校さまの許へまいりたいと存じてい
 たのですから」ますます思いがけない言葉なので、母はしばらくあっけにとられていた。
 母はその始終を語りながら、まるで裏切られた人のように眼を怒らせた。
・平之丞は母をなだめながら、一度自分からじかに話してみようと考えた。しかしそのお
 りも来ないうちに、突然父が倒れた。意識不明のまま三日病んで死去した。悲嘆のなか
 にも平之丞はとり返しのつかぬことをしたのに気づいた。それはお石の素性が知れずじ
 まいになったことだ。父の遺品のなかに何か見つかるかもしれない。僅かにそれをたの
 みにしたが、葬礼の忙しさに追われていたし、家督とか、父の役目を継ぐ事務などでそ
 のいとまがなかった。 
・そのうえ忌が明けると間もなく、お石はついに鈴木家を出て京にのぼることになった。
 母も諦めるよりほかはなかった。しかしどんなに悔しかったことだろう。「わたしはも
 うあの子のことは考えるのも厭です。好きにするがいいでしょう」きびしい言葉でそう
 云い云いしたが、その顔には悲しい落胆の色がありありと見えた。おそらく実の娘に反
 かれたよりも、悲しく、辛く、くちおしかったに違いない。
・それでもいよいよ京へ去る日が近づくと、「身よりのない子だから」と云って、夏冬の
 したくを作ったり、細々した道具を買い整えたりし、出立のときには自分で髪を結んで
 やった。「いどころが定ったら便りを下さいよ」別れには母はこう云って泣いた。
・お石は泣かなかった。少し蒼ざめた顔を俯向け、僅かに、はい、はいと答えるだけだっ
 た。平之丞にはそれがもう心もここにない者のように見えた。お石はこうして京に去っ
 た。信じられないほどあっさりと、まるで旅人が一夜の宿から立ってゆくかのように、
 さばさばとお石は鈴木家から去って行った。
・平之丞がお石を忘れるまでにはかなり長い時日を要した。お石がいなくなってはじめて、
 彼女がどれほどなくてはならない存在だったか。自分にとってどんなに必要な者だった
 かということがわかった。結婚を申込むくらいだから、むろん単純に好きだという程度
 の気持ちではなかった。しかしそれほど根づよく、それほど激しい感情を遺されようと
 は思わなかった。 
・彼は二十七歳の春に結婚した。母が寂しがってすすめるし、格別拒む理由もないので、
 父の在世中話があったという松井の妹を娶った。祝言が済んで暫く経ってからのことだ
 が、松井が訪ねてきて一緒に酒を呑んだとき、「いつか花見の催しを覚えているか」と
 笑いながら云った。「あれは実を申すと妹のそでを見てみらうためだったのさ。わから
 なかったのかね」平之丞はそのときの絢爛たるさまを思いかえした。そしてそのなかに
 ふとお石の面影を見だしたが、もう心の痛むようなこともなく、その面影もすでにおぼ
 ろなはかない印象になっていた。
・そでは明るいまっすぐな性質で、どちらかというと賑やかなことの好きなほうだった。
 けれど三人目の子を身にもったまま嘘のようにあっけなく世を去ってしまった。それは
 平之丞にとって小さからぬ痛手だった。彼は打ちのめされ、こころ昏んだ。「私には妻
 の縁が薄いとみえます」母に向かってそう云ったが、それはお石のことをも含めての述
 懐に違いない。母親はそのとき彼はもう恐らく再婚しないであろうと推察した。
・母親の察したとおり彼は再婚しなかった。すすめる者はずいぶんあったが、いつも笑っ
 て受けつけなかった。   
・こうして平之丞は五十歳になった。彼はそれより五年前に国老となり、藩政の中軸とい
 われる存在だった。その年の秋、公務を帯びて京へのぼった帰りに、まったく思いかげ
 ない処で思いげかない人とめぐり会った。岡崎までもう三里という池鯉鮒の駅に着いた
 とき、彼はその近くに名高い「八橋の古蹟」という名所があるのを思いだした。かねて
 一度尋ねたいと思っていたし、さいわい用務が早く済んで帰城にもゆとりがあった。そ
 れで共の者をそこから先に帰らせ、独りになってそちらに見にまわった。
・丘ふところの小さな池をめぐり、業平塚なども見てやや疲れた彼は、すぐ近くにひと棟
 の侘びた住居のあるのを見つけ、暫く休ませてもらおうと思ってその門を訪れた。折戸
 を開けて庭に入ると、縁先に人がいてこちらへ振り返った。切下げ髪にした中年の婦人
 であった。「八橋の跡を見にまいった者だが、卒爾ながら暫く休ませて頂けまいか」そ
 うたのむと、婦人はしとやかに立って、「どうぞお掛けあそばせ」とすぐにそこへ座を
 設けた。
・平之丞は入ってゆきながら、婦人の姿にどこやら見覚えがあるように思い、縁さきまで
 来るとはっとして立ちどまった。そしてわれ知らず昂ぶった声で、「お石どのではない
 か」と叫んだ。婦人は眼をみはってこちらを見たが、「ああ」とおののくような声をあ
 げ、まるで崩れるようにそこへ膝をついた。
・別れてからもう二十五年あまりの月日が、いま平之丞とお石のあいだに繰り広げられ、
 初老にはいった者の淡々とした話し声がもう一刻ほども続いた。「独り身で、琴の師匠
 をして来たのですね」「いいえ琴は一度も。このあたりの子供たちに読み書きを教えた
 りしてまいりました」「それが家を出るときの望みだったのですか」そう云われてお石
 は眼を伏せた。
・平之丞は彼女の眉あたりをじっと見つめていた。それからふとあらたまった調子でお石
 どのに呼びかけた。「私は五十歳、あなたも四十を越した。お互いにもう真実を告げあ
 ってもよい年頃だと思う。お石どの、あなたはどうしてあのとき出ていったのか」「私
 があれほど欲し、母も願ったことを拒んだのは、ただこんなところに隠れて寺子屋の師
 となるためだったのか」
・お石はながい間黙って俯向いていたが、やがて内へひくような声つきでこう云った。
 「お石はあなたさまの妻にはなれない娘でした。どうしても、妻になってはいけなかっ
 たのです」「わたくしは殿様のお怒りにふれ、重科を仰せつけられて死んだ者の子でご
 ざいます」「さむらいとして、決して恥ずかしい死ではないと存じますが、重科はどこ
 までも重科でございます。こなたさまの妻になって、もしもその素性が知れました場合
 には、ご家名にかかわる大事にもなり兼ねません。どんなことがあったも嫁にはなれぬ、
 そう思い決めまして」お石はそこで言葉を切り、片手の指でそっと眼がしらを押さえた。
・この告白は平之丞の心を激しく打った。彼は眼を瞠ってお石の顔を見つめたが、やがて
 頭を振りながら非難するようにこう云った。「あなたが誰の子であるか、どういう身の
 上かということは私も知らず、母でさえ聞いてはいなかった。父はなにも云わず、なん
 の証拠も遺さずに死んだ。あなたの素性は誰にもわかる惧れはなかったのですよ」
・「そうかもしれません」お石はそっと頷いた。「知れずに済めばようございますけれど、
 万一にも知れたとしたらどう致しましょう。たとえ人は知らずとも、わたくし自身はよ
 く知っていたのですから」そうだ、それを否定するおとはできない。平之丞は三十二歳
 のときの災難を思いだした。あのときもしお石を妻にしていたら。そしてもしお石の素
 性がわかったとしたら。そう考えるともう打ち消す言葉もなく、しずかに頭を垂れ、眼
 をつむった。   
・「それではもし、そういう事情さえなかったら、あなたは私の妻になってくれたろうか」
 「自分の身の上を知ったのは十三歳のときでございました。そのときはじめて父の遺書
 を読んだのでございます。そして平之丞さまをお好き申してはいけないのだと、幼い頭
 で自分を繰り返し戒めました。いま考えますと誠に子供らしいことでございますが」
・そこまで云いかけてお石は立ち、部屋の奥から紫色の袱紗に包んだ物を持ってきた。
 「これを覚えていらっしゃいますか」そう云いながら披いたのを見ると、いつかせがま
 れて貸与えた文鎮であった。お石は平之丞の熱い眸子を頬笑みながら受けとった。
 「お好き申さない代わりに、あなたさまの大事にしていらっしゃる品を、生涯の守りに
 頂いて置きたかったのです」「では・・・」と平之丞は乾いたような声で云った。「お石
 はずいぶん辛かったのだな」「はい、ずいぶん苦しゅうございました。
・なんというひとすじな心だろう。愛する者の将来に万一のことがあってはならぬ。その
 惧れひとつでお石は自分の幸福を捨てた。今は年も長けたし情熱も昔のようではない。
 すなおに苦しゅうございましたと云うことができる。しかし世の波かぜにも触れず、ひ
 たむきな愛情が生きの命であった頃、どのような思いで自分の幸福を諦めたことだろう。
 自分では気づかないが、男は常にこういう女性の心に支えられているのだ。平之丞は低
 頭するような思いで心の内にそう呟いた。
・やがてお石は窓のほうへ振り返った。「もしおよろしかったら、お泊りあそばしませぬ
 か。久方ぶりで下手なお料理をさしあげましょう。そして黒丸と呼ばれた頃のことを語
 り明かしとうございますけれど」「ああ、そんなこともあった、たしかに」平之丞は胸ぐ
 るしそうな声でこう云った。「ずいぶん遠い日のことだ」
 
二十三年
・新沼靱負は会津蒲生家の家臣で槍刀預という役を勤めていた。これというぬきんじた才
 能も無い代わりに、まじめで謹直なところが上からも下からも買われて、平凡ながら極
 めて安穏な年月を過ごしてきた。
・六年前二十五歳で結婚し、臣之助という長男をあげてから、去年の秋に二男の牧二郎が
 生まれるまでは、ずっとその安穏な生活が続いたのである。しかし、二男を産むと間も
 なく、妻のみぎはが病みついたのをきっかけのように、その平安無事な生活はがらがら
 と崩れ始めた。
・第一は主君の改易であった。その年、嗣子の無いことが原因で会津六十万石は取潰しと
 なった。幸い世を騒がすような紛擾も起こらず、多くの者が或いは志す寄辺を頼り、ま
 た他家へ仕官したりして、思い思いに城下を離散した。
・しかしこういうなかで、別のひとつの希望を持つ少数の人びとがあった。それは亡き主
 君の弟に当たる者が、伊予の国・松山に二十万石で蒲生の家系を立てている。つまり会
 津の支封ともいうべきその松山藩に召抱えられたい。例え身分は軽くとも主続きの蒲生
 家に仕えたいというのだ。新沼もそのなかの一人だった。 
・病みついた妻は新しい住居に移ってからも床を離れることができず、夏のはじめには医
 者から恢復の望みのないことを告げられた。
・生まれて十月にも満たない牧二郎はよく夜泣きをした。彼はなかなか泣き止まない嬰児
 を抱き上げ、馴れぬ子守唄を歌いながら、ほの暗い行燈の光の下にうつらうつらまどろ
 んでいる病床の妻のやつれ果てた寝顔を見ては、息苦しい絶望に打たれた幾夜かの記憶
 を忘れることができない。
・けれども不幸はそれだけではなかった。新秋七月にはいると間もなく、長男の臣之助が
 悪質の時疫にかかり、僅か三日病んで急死したのである。不幸はつれを伴う。靱負はそ
 の言葉を現実に耳許で囁かれるような気持ちだった。そして妻のみぎはは臣之助に三十
 日ほど後れて亡き人となった。
・こういう状態のなかで、靱負の唯一のたのみは婢のおかやであった。会津を退転すると
 き、貯えも多からず病妻を抱えての浪人なので、家士召使にはみな暇を遣ったが、おか
 や独りはどうしても出てゆかず、ほとんど縋りつくようにして、一緒についてきた。
 十五の年から仕えてもう二十歳になる。縹緻も悪くないし、性質も明るい。疲れること
 を知らないかと思うほどよく働く娘で、妻のみぎははまるで妹のように愛していた。両
 親はなかったが兄がすぐ近在に百姓をしていて、三年ほど前から度々、「良縁があるか
 らお暇を頂くように」と云ってきたが、おかやはまだ早すぎると答えるばかりで、到頭
 その頃としては婚期に後れたといってもよい年まで新沼家に奉公し続けてきたのだった。
・松山の蒲生家に仕えようという同じ希望をもった人びとの多くが二人三人と欠けていっ
 た。それは連絡をとっている松山藩の老職から思わしい知らせがなく、いつになったら
 望みがかなえられるか段々不安になり出したからだ。 
・これは便々とこんな処で待っている時ではない。とにかく松山に行くべきだ。彼はそう
 思ったのですぐに残っている仲間と相談をした。けれどもそれでは行こうと決めるには、
 松山はあまりに遠すぎる。云ってみてもし不調に終わったら。そう考えると躊躇せざる
 を得なかった。
・靱負にはそういう迷いはなかった。もし不調に終わるようだったら武士をやめる。蒲生
 家のほかに奉公はしたくはない。彼は初めからそう決心していたのである。
・彼は単独で松山へ行くことを決めた。そしてその仔細をよく語っておかやに暇を遣ろう
 とした。おかやはきかなかった。おかやは「せめて坊さまが立ち歩きをなさるようにな
 るまで・・・」と云いだし、どうしても聞き分けようとしないのである。それでどうも
 法が尽きて兄を呼んだのであった。  
・兄は「幸い今ひとつ縁談もあることでございますから」そう答えて座を立った。兄の諭
 し方がよかったのか、それともようやく諦めがついたのか。今度はおかやは案外すなお
 に云うことをきいた。
・おかやは靱負の出立する前の日に暇を取った。迎えにきた兄と一緒にいよいよ別れると
 いう時、彼女は何度も牧二郎を抱きしめ、声を忍ばせて泣いた。これどもそれ以上未練
 な様子は見せず、思いきりよく兄につれられて去っていった。十五歳で来て六年、こと
 に妻が病みについてからのおかやの尽くしてくれた辛労を思うと、満足に酬いてやるこ
 ともできないこのような別れが、靱負にとってはこの上もなく心痛むものだった。
・しかしそれから一刻も経ったであろうか。ちょうど牧二郎に昼の薄粥を与えているとこ
 ろへ、息を切らして兄がもどってきた。「途中で見えなくなりましたので」「先に家へ
 帰ったのではないか」「いいえ荷物が置いたままですからそんなことはないと思います」
 不吉な予感が靱負の心を刺した。
・彼の頭には村はずれを流れている大川の早瀬が想い浮かび、杉の杜の裏にある沼の淀ん
 だ蒼黒い水が見えるように思った。「とにかく人を集めて捜さなければ・・・」彼はそ
 う云い、村人たちの助力を求めるために出ていった。けれどその必要はなかった。靱負
 が用水堀に沿った堤道へ出てゆくと、向こうから顔見知りの村人たち四五人の者が、お
 かやを戸板に載せて運んで来るのと会った。 
・馬で駆けつけた医者は、必要と思われるあらゆる手当を試みた。外傷もなく骨折もない
 ようだった。意識も恢復して、しきりに起きようとする。結局どこにも故障はないのだ
 が、しかし、おかやは口が利けなくなっていた。医者は何度も首を傾げながら云った。
 「まだ確信はできませぬけれど、今のところでは脳の痛み方がひどい。ひと口で申せば
 白痴 のようになっております」
・頭を冷やして安静に寝かして置くよう、そう云って医者が去るとすぐ、靱負と兄が止め
 るひまもなく、おかやは起き出してしまった。なんとしても寝床へは戻らなかった。頻
 りに牧二郎を負いたがるので、紐で背負わせてやると、こんどは松山へ立つために支度
 のできている荷物を持ち出して、「ああ、ああ」と外を指しながら、すぐにでも旅立っ
 てゆこうという意味を身ぶりで示した。
・兄は哀れな妹の姿から眼を外らせながら云った。「本心はやはりご奉公がしていたかっ
 たのでございましょう。ごらん下さいまし、自分では松山へお供する気だとみえます」
 靱負は答える言葉がなかった。
・靱負はおかやを松山へつれてゆこうと思い決めたのである。兄の云うとおりおかやは暇
 を取りたくなかった。困窮している主人への義理か、幼弱な牧二郎への愛着か、理由は
 わからないが、ともかく新沼家から出たくなかった。思いかげぬ奇禍で白痴 になってさ
 え、松山へ供をしてゆくつもりでいる。 
・もうこのままでは嫁にゆくこともできまい。靱負はそう思った。むしろ松山へつれてゆ
 くほうが、心が落ち着いて治る望みが出るかもしれない。これほど思い詰めている気持
 ちも哀れだし、今日までの辛労に酬ゆるためにも、多少不便は忍んでつれてゆくのが本
 当だ。
・靱負は側にいって呼びかけた。「おやか、いっしょに松山へ行こう。おまえにはずいぶ
 ん苦労をかけた。松山へ行って、治ったら新沼から嫁に遣ろう。もし治らなかったら一
 生新沼の人間になれ、わかるか」
・おかやはけらけらと笑った。さっきから抱えたままの荷物を持って、背中に負った牧二
 郎をあやすかと思えば、いそいそと土間へ下りて、すぐにも出立しようと促すような身
 振りを繰り返すのだった。 
・おかやは考えより足手まといにならなかった。却って案外なほど役に立ったと云っても
 嘘ではない。口が利けないのと、ものごとの理解が遅鈍なので、他の用には間に合わぬ
 ことが多かったけれど、靱負の見のまわりや牧二郎の世話ぶりには欠けところがなかっ
 た。靱負はここでもまた「もしおかやをつれて来なかったら」と思うことがしばしばだ
 ったのである。
・松山に着いたのは師走中旬のことだった。靱負は城下から北東に離れた道後村に住居を
 きめると、坐食していてはならぬと思って、すぐに収入の道を捜してみた。道後は古代
 から名高い温泉場で、諸国から湯治に来る客が四時絶えない。またそういう客を相手に
 土産店もたいそう繁昌しているが、名物の一つに土焼の人形があった。手づくねのごく
 単純な土偶を素焼きにし、それへ荒く泥絵具を塗っただけのものである。靱負が選んだ
 のはその絵具塗りの内職だった。
・しかしこうして始まった松山での生活も平穏な日は少なかった。それから五年のあいだ
 靱負は三度も病床に臥し、一度などは半年も寝たきりのことがあった。そのときおかや
 がどんなに頼みだったことだろう。彼女は依然として口が利けず、白痴のほうもそのま
 まだったが、牧二郎の養育や家の内外の世話には申し分ない働きぶりをみせた。靱負の
 仕事を見覚えていたのだろう。彼がながく病臥したときなどは、止めるのもきかず、自
 分で材料を取ってきて内職をした。
・「なんという皮肉だ」靱負はそのとき泣くような苦笑を浮かべながら云った。「会津を
 立つ前おまえの病が治ったら新沼から嫁に遣ろう、治らなかったら一生面倒をみてやる、
 おれはあのときそう云ったのを覚えている。それがどうだ。今では逆におれがおまえの
 世話になっているではないか。こんなことならつれて来るのではなかった。おまえにこ
 んな苦労をさせるくらいなら」おかやは主人の言葉がわかったろうか。彼女はやはりけ
 らけらとただ笑うだけだった。
・新沼の家族が経験した多難の年月はちょうど九年続いた。そして最も大きく靱負をうち
 のめした「松山藩の改易」という出来事にゆき当たった。城主が三十歳で病死すると、
 こんども世子がないというのを理由に、松山二十万石は取潰しとなったのだ。なんとい
 う徒労だ。なんという取返しのつかない徒労だ。靱負は絶望のあまり時々はげしく死を
 思うようになった。
・ある夜半のことであった。靱負は非常に重苦しい夢をみて覚めると、えたいの知れぬ力
 でたぐり込まれるように「今だ、今だ」と思い、手を伸ばして枕頭の刀を取ろうとした。
 するとほとんど同時に、彼の後ろで云いようもなく悲痛な絶叫がおこり、荒々しくじだ
 んだを踏む音が聞こえた。靱負は殴りつけられたように振返った。そこにはおかやが立
 っていた。恐怖のため顔はひき歪み、ふたつの眼は飛び出すかと疑えるほど大きくみひ
 らかれていた。おかやは「ああ、ああ」と意味をなさぬ声をあげ、激しく身悶えをした。
・靱負はその夜かぎるもはや死を思うようなことはなかった。恐怖にひき歪んだおかやの
 顔を見たとき、かれはおのれの思量の浅はかさを知ったのである。人間にとって大切な
 のは「どう生き方」ではなく「どう生きるか」にある。来し方を徒労にするかしないか
 は、今後の彼の生き方が決定するのだ。そうだ、死んではならない。ここで死んでは今
 日までのおかやの辛労を無にしてしまう。彼はそう思い返した。生きよう。これまでの
 苦難を意義あるものにするか徒労に終わらせるかはこれからの問題だ。生きてゆこう。
 後から考えると、それが彼の運命の岐れめだった。あらゆることに終わりがあるように、
 靱負の不運もようやく終わるときが来たのであった。 
・その年十月、改易された蒲生氏の後へ隠岐守松平定行が封ぜられて来た。まもなく靱負
 は使者をを受けて「松平家へ仕官する気はないか」と問われた。先方では彼が会津蒲生
 の旧臣だということから、松山へ来た目的や、今日までその目的を堅く守ってきた仔細
 をよく知っていた。そして彼は松平家は仕え、馬廻りとして勤めはじめた。
・牧二郎は無事に成長した。十二歳のとき児小姓に上って、二十歳には小姓番支配心得で、
 父とは別に百石の役料を賜った。新参者の子としてはかなり稀な殊遇である。
・靱負は五十三で死んだ。牧二郎は相続して父の名を襲い、その年の冬、同家中の菅原い
 ねという娘を妻に迎えた。その祝言の夜のことである。列席の客が去り、後片付けも終
 わって、家の中が鎮まったとき、牧二郎はおのれの居間へおかやを呼んで対坐した。お
 かやはもう四十三という年になっていた。健康は彼女は血色もよく、肉付きのひきしま
 った小柄な体つきは昔のままだったが、ながい苦労を語るかのように、鬢のあたりには
 白いものがみえだしていた。
・「おかや、牧二郎もこれで一人前になった」彼は静かにそう口を切った。
 「今日まで二十三年、新沼の家のためにおまえの尽くしてこれた事は大きい。牧二郎は
 おまえの力で育ったのだ。牧二郎が今日あることはみんなおまえのおかげだ、ありがと
 う」おかやは声を立てずに笑った。それはいつもの愚かしい無感動な笑い方である。
・「今宵おおれは妻を迎えた」彼はさらに続けて云った。「明日からは妻がおまえに代わ
 る。おまえは牧二郎にとって母以上の者だ。妻にも姑と思って仕えるように云った。部
 屋も父上のお居間に移って貰おう。明日からおまえは新沼家の隠居だ。今こそおまえの
 休む番が来たのだ」    
・彼はじっとおかやの眼をみつめた。それは彼女の眼を透して心の中まで覗くような烈し
 い視線だった。そうして相手の眼をみつめながら彼は云い続けた。「だからおかや、お
 れはおまえに白痴の真似をやめて貰いたいのだ」おかやは顔色を変えた。おかやは驚愕
 のあまり身を震わせ、大きく眼をみはりながら座をしさった。「おれは知っているんだ」
 彼は激してくる感情を押さえながら云った。「おまえは新沼の家にいたかった。暇を出
 されたくなかった。それは乳呑み児を抱えて窮迫している父上から去るに忍びなかった
 から。おまえはおまえなりの方法を思いついた。崖から堕ちて頭を打ったのもみせかけ
 だし、白痴 となり唖者となったのもみせかけだ」
・抑えきれなくなった感動のために、その声はよろめき、ふつふつと涙がこみあげてきた。
 彼は手をあげて面をおおった。そして静かに涙を押しぬぐい、膝を正しながら言葉を続
 けた。「おれがその事に気づいたのは七歳のときだった。前にも後にも知らないがただ
 一度、おまえは夜中に寝言を云った。子供のことでそのときはなんとも思わなかったが、
 ずっと後になってふと疑いがおこり、なにか事情があるものと察して父上に訊ねた。そ
 して会津このかたの精しい話を伺うと、すべてが眼の前にはっきり見えるように思えた
 のだ。このながい年月、おまえにこんな異常な決心を持続させた原因はなんだ。単に主
 従の義理だけか。母上の恩に報ずるためか。」 
・「ああ、・・・ああ、・・・」おかやの口を衝いて、唖者の独特の哀しい喉声が漏れた。
 確かに、おかやはいま若い主人に答えようとしている。それは奥さまが亡くなるときの、
 辛いお気持ちを見たからです。まだ乳も離れぬ坊さまと、世事に疎い旦那さまを遺して
 死ななければならない。それがどんなにお辛いことか。私には熟くわかったのです。
 「ああ・・・」主従の義理でもなく、御恩に報ゆるためでもありませんでした。奥さま
 のお辛い気持ちを身に耐えた私は心のなかで奥さまにお誓い申したのです。旦那さまと
 坊さまのことはおかやがお引き受け申しますと。それだけの言葉が今、おかやの胸いっ
 ぱいに溢れているのだ。そしてそれを口に語ろうとするのだが、出るものは「ああ」と
 いう空しい喉声ばかりだった。
・「ああ」おかやは自分で自分を訝るように眼をみひらいた。「ああ、・・・ああ、・・」
 「おかや、おかや」牧二郎は思わず叫び声をあげた。「・・・おまえ口が利けないのか」
 彼女は大きくみひらいた眼で牧二郎を見上げた。それから不意に両手で面を隠し、崩れ
 るように前へうつ伏した。二十三という年月はかりそめのものではない。そうだ、おか
 やは唖者になっていた。