雲の墓標 :阿川弘之

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この作品は、いまから65年前の1956年発表されたもので、筆者の代表作の一つであ
るようだ。内容は、太平洋戦争中において、学友らとともに学徒兵として海軍に召集され、
予科練に配属され、特攻隊員となるべく訓練を受け、やがて出撃していというひとりの若
者の約二年間にわたる心境を、日記調に描いたものである。
筆者自身も実際に海軍予備学生として召集されたようであるが、大学在学中に中国語の単
位を取っていて少し中国語ができたために、飛行機搭乗員ではなく、軍令部勤務を命ぜら
れ、対中国の諜報作業を担当したようである。そのためか、この作品は、一見、日債に体
験したことのように書かれているが、全体的には「これは完全にフィクションだな」と思
えるようなところが散見された。
私がこの作品のなかで特に印象に残ったのは、主人公が、辞職した小磯内閣を手厳しく批
判している部分だ。その部分を抜き出してみると、
「無為無能、しょぼしょぼとなんの為すところもなく、つぶれてしまい、しかも『次期内
 閣に期待して辞める』とは、どういうつもりであろうか。戦っている者は、一度失敗し
 たらみんな死ぬのである。此の危機に国を追い込んだ己の無策を認めながら、首相が生
 を全うしてやめてよいものであろうか。こんな総理大臣がいなくなってくれるのは結構
 だが、その考え方、態度があまりに勝手で無責任だ。此の人たちの無能の犠牲になって、
 無意味な死を遂げた青年たちが、あまりに可哀そうだ」  
これはなんだか、コロナ禍の今の日本の政治の状況にも通じるところがあるように思えた。
なお、この作品は、1957年に「雲の墓標より 空ゆかば」として映画化されているよ
うである。また、エッセイスト、小説家、タレントの阿川佐和子はこの筆者の娘のようだ。


昭和十八年十二月
・海軍の生活が地獄であるか極楽であるかは、未だ自分にはわからないが、分隊長から
 「娑婆」という言葉を聞かされた時には、自分がいま、住み馴れた自分の天地から、は
 っきり疎隔した別の世界に移って来たことを、強く感じさせられた。もとよりそれは覚
 悟のまえであるが、自分の心は、積極的にすべてに打ち向って行こうとして四肢にみな
 ぎる勇気をおぼえて猛烈にふくれ上がるかと思うと、又、奈落へ突き落とされるような
 淋しさと焦燥で、風船のように萎んでしまう。
・此の海兵団ではわれわれ学徒出身兵は、それぞれ出身校別に分隊が分けられていて、早
 稲田の分隊、東大の分隊、中央大学の分隊、広島高専の分隊、そして自分ら京都大学の
 分隊という風で、今もこうして日記を書きながら周囲を見ると、藤倉は浮かぬ顔をして
 仁丹を噛んでいる。坂井は葉書を書いている。鹿島もどこかにいる筈で、これは自分の
 倖せである。
・戦局は日本に有利な状況ではない。しかし米国にとっても必ずしもゆうりな状況ではあ
 りまい。アメリカの学生たちも、あるいはシェークスピアやホイットマンの研究を投げ
 打って、戦列に伍して来ているのであろう。これからの戦いは、ある意味で彼らとわれ
 われとの戦いであるかもしれない。
・予備学生試験。われわれは此の試験に合格して、当海兵団での教程を了えると、一カ月
 余の後には、士官の服を著、少尉候補生に準ずる階級を与えられて、各々専門の技術の
 修得を始めることになる。自分は十中八九、土浦航空隊に行くことになろう。吉見一曹
 はミッドウェー海戦で沈没した航空母艦蒼龍乗組の生き残りで、海軍生活はすでに十年
 になるが、われわれは間もなくその上級者となって、戦場で相見える日があれば、掌中
 に此の人たちの生死をにぎって、其の指揮をとらねばならぬのだ。こえを安易に考える
 わけにはぬかない。海軍のことを未だ右も左も知らぬ者が、いくらもせぬうちに自分の
 上官に成りあがると思うことは、教班長たちにとって愉快なことではないであろうと察
 する。

昭和十九年一月
・事ごとに何故か、というような疑問を持つのは、軍人精神が入っていない証拠であると
 いわれる。抗弁するものはないが、懐疑の精神が近代科学の生みの親であると、われわ
 れは聞いて来た。そして海軍はなによりも、西欧の近代科学の上に立脚している。陸軍
 とちがって、海軍の軍人は、精神主義ばかりでは艦船も航空機も動かないことをよく知
 っている筈だ。これは矛盾ではないか。
・吉見教班長の乗艦蒼龍沈没の時の話を聞く。ミッドウェーの戦いは、あきらかに日本側
 の負け戦であったと。此のミッドウェー海戦を山として、日本の空母はすでに、赤城
 加賀龍譲、蒼龍、飛龍祥鳳、みな無く、さいきん特空母沖鷹も沈んだそうである。
 正規の航空母艦として現存しているものは、わずかに翔鶴瑞鶴の二隻のみで、これか
 らの戦争は日本にとって、よほどの難事となるであろう。必ずしも大本営発表のラジオ
 の報道のような景気のよいものではあるまい。
・陸軍などでは、もっとひどい理不尽な刑罰が常識のようにして行われているということ
 だ。自分を甘やかしたり、思い上がったりせず、軍隊の真実に正面から取り組んでゆか
 ねばならない。

昭和十九年二月
・朝礼五教育主任より訓話があり、予備学生の評判は中央においても各実戦部隊において
 もきわめて悪く、そのだらしなさ、忠誠心の不足が部内の非難のまととなり、猿に士官
 服を着せたようなものだとまで言っている向きがある。お前たちはいったい本気で海軍
 に御奉公をする決心が出来ているか。海軍の生活を一時の腰かけだと思っている者はな
 いか。父母死すとも郷里に帰る心を起こすな。決戦下此の夏までにお前たちはみな死ね。
 うかうかした気持ちでいたら、帝国海軍の伝統は泥を塗るだけだぞ。今後生死の間にあ
 って、お前たちが去就に迷うときは、すみやかに死に就け云々と。夏までに死ぬ覚悟を
 さだめて置けというのではなく、ただ死ねというのだ。われわれはここでは、何か事あ
 るごとに、死ね死ねと教えられている。いったい、戦争をやりとげることが目的なのか、
 自分たちを殺すことが目的なのか。ただ死んで祖国が救えるものなら、われわれは何と
 しても死んでみせるであろう。しかし死ぬこと自体が目的だとは、いかにしても思えな
 い。いたずらに死に急ぐことは、どんな面から考えても無意味である。すべての学業を
 投げ打たせ、猿をかり集めて軍服を着せたのは誰だ。
・自分は藤倉に、この戦争には歴史的な大きな意味があると思う。少なくともわれわれ日
 本は、いまあきらかに存亡の危機に立っている。そのためには、われわれのあらゆる力
 を捧げたいとは思う。だが、自分たちのことを自由主義教育に蝕まれた猿だと思って、
 ヒステリックに思い上がっている職業軍人の手に、自分たちの生命を一と束にしてゆだ
 ねることは、我慢がならないと話した。
・藤倉曰く。今からではもうおそいと。俺はもともと戦争はきらいだが、とりわけこの戦
 争は、どこか根本的にまちがったものがあるような気がしてならぬ。どこがまちがって
 いるか、はっきりとは言えないが、此の戦争が支那事変の延長線上にあることはたしか
 であろう。ところで支那事変とはいったいなにか。俺はかつて支那事変というものの性
 格を考え考えしてみたことがあるが、日本の上に正義があるという結論は、どうしても
 出て来なかった。ことのはじめから言って、日本は戦うべきではなかったのだ。そして
 お互いに体面をたもてる形で支那事変の始末をつけるべきだったのだ。しかしとにかく
 もうおそい。
・十七日から十八日にかけて、敵機動部隊がトラック島に来襲し、その戦況がけさの新聞
 に出ている。我が方、巡洋艦二隻、駆逐艦三隻沈没。輸送船十三、飛行機百二十機を喪
 失したと。
・入隊後自分は、ほとんどはじめて性欲を感じた。元禄花見おどりの曲をお琴で聞きなが
 ら、自分はあたたかい女の手をしっかりにぎって恍惚としていたらしい(夢のはなしで
 ある)。自分の知っている或る特定の人の手であったわけではない。ただ女の、やわら
 ない溶けそうな、あたたかい手であった。自分は夢精した。
 
昭和十九年四月
・教官はニューギニアの転進作戦から、九死に一生を得て帰って来た鷲村大尉。日本のか
 かる兵器には、単なる思いつきから性急に量産に乗り出したという不備な器械が多く、
 アメリカのものに比べてまだまだ劣っているという話が、こころにしみる。電探、爆撃
 照準器等、日本はまだまだで、第三次ソロモン海戦における戦艦霧島の沈没などは、あ
 きらかに敵の正確な電探射撃によるもので、どこから弾が来るのかわからないで狼狽し
 ているうちに、たちまち舵をやられ、行動の自由をうばわれ、あえなく沈んでしまった
 のであると。

昭和十九年五月
・E先生へ。この戦争は日本の負けに終わるだろうと、私はこのごろある程度確信するよ
 うになってしまいました。日本はミッドウェーの海戦で、航空母艦の主力をほとんど失
 い、ソロモン海域の空戦で、海戦当時世界一の技倆を誇っていた名人気質のパイロット
 たちは、九割九分まで戦死してしまい、超弩級戦艦の大和武蔵は、海戦の様相の変化
 から、その性能を発揮しる場所をなくして、それに比べてアメリカ側は、レーダーその
 他科学兵器の優越を誇りながら、着々非常に大規模な新しい軍備を充実させつつあって、
 南東方面の日本の防衛線は急速に後退しつつあると申します。搭乗員の生命を救うこと
 には、常に全力を尽くすというアメリカ海軍と、いまになっても、搭乗員の心得はひた
 すら死に就くことだと教えている日本の海軍の戦力が、このように逆転して来たことを、
 私は皮肉だと思います。私たちは雨衣を肩に背負い、雑嚢、水筒を腰につけ、三八式
(つまり明治三十八年から全然進歩していない古い)歩兵銃
を手に、暁闇の号令台前に整
 列して、「玉砕せる戦友たちと、まったく同装である。こころをひきしめ、意地と熱と
 で、この三日間の野外演習を頑張りぬけ」という、さけぶような訓辞をうけました。悪
 い装備で敵の圧倒的な火力の前に、あわれに全滅した部隊の人たちと、その装備が同じ
 だということが、悲惨でこそあれ、どうしてそのように感動的で、私たちの張り切るよ
 すがになるのでありましょうか。なにかしら、すべてのことが逆立ちをしているように、
 私には感じられてなりません。

昭和十九年六月
・「あれはどうしたんだ!」と空を見て叫ぶので、なにごとかと仰いで見ると、特殊飛行
 の訓練中であった練習機の翼のうえに、搭乗員が一人はい出している。「あ。」とみん
 あ息をのむうちに、からだは翼と離れ、いっさんに、吸い取られるように指揮所の彼方
 へ落ちていった。高度八〇〇。即死、自殺らしい。飛行機は錐モミ状態になって、麦畑
 のなかへ墜落。間もなく姓名がわかる。七分隊の教員、D上等飛行兵曹。このたいせつ
 な時機に、貴重な技倆を棄てて、何故自殺などするのか。「女の問題でしょう」と、い
 やにあっさりいっていたが、なにか割り切れぬ気持ちが残る。
・サイパンが堕ちれば、テニヤン、硫黄島、大宮島、トラック等、内南洋以北の島の基地
 はすべて用をなさなくなり、敵は一挙にフィリピンと日本本土とをめざして攻めのぼっ
 て来るであろう。味方は制空権を敵にゆずり、敵の機動部隊をまったく自由にマリアナ
 周辺に行動させている。連合艦隊は、航空母艦大鳳、翔鶴、翔鷹の三隻の虎の子を失い、
 すでに作戦海面を離脱して、どうやらわれわれのいるところからあまり遠くないところ
 へと、こっそり逃げ帰って来ているらしい。敵の艦隊の方は、ほとんど無傷であったと
 いうことだ。
・若月が事故をやった。腹バンドを巻き、両肩バンドでからだを機上にくくりつけている
 のだが、若月の第四号機、着陸時脚をひっかけてひっくりかえり、宙返りの姿勢で停止
 し、「あっ。」とおもったが、しばらくするとからだをはずして、教員と二人でのこの
 こ出て来た。赤トンボはありがたい。実用機なら死んでいるところだ。赤トンボは安定
 がいい飛行機で、あぶなくなったら手をはなせといわれる。手をはなすと飛行機の方で
 勝手に、ぐうっと平衡を取り戻してくれる。
・着陸時五メートルの引きおこし、これがやはりいちばん難しい。陸軍機とちがって、母
 艦の発着をやる手前から、海軍機は五メートルで引き起こして失速させ、尻を下げた三
 点姿勢で着陸しなくてはいけないのだ。何度やっても前車輪着陸になる。充分慣熟しな
 くてはならない。
 
昭和十九年七月
サイパン島の玉砕を聞く。七月七日早暁より全力を挙げて最後の攻撃を敢行、一部は
 「タボーチョ」山付近まで突進して敵に多大の損害を与えたが、十六日迄に善因壮烈な
 る戦死を遂げたるものと認と。ハワイ海戦の機動部隊指揮官南雲忠一中将も戦死した。
・高度一二〇〇。海のうえに一点浮かぶ漁船めがけて急降下してゆく。宙返り、失速反転、
 垂直旋回。上空は涼しく気持ちがいいし、特殊飛行は痛快だが、高空では頭のはたらき
 が相当鈍くなるようで、且つ終わってからも一日中、頭が抑えつけられるように重く、
 気分がよくない。  

昭和十九年八月
・鹿島から葉書がとどいた。鹿島が先月から九州に来ていることを知り、おどろく。特殊
 高速魚雷艇
−飛行機のエンジンを装備したベニヤ板製のかるい魚雷艇で、敵艦船に肉迫
 魚雷攻撃をかけるーの特殊訓練班だ。「貴様たちは空から行け。俺は海のうえから行く。
 お互いにがんばろう」
・朝鮮では、最近叛乱が続いて三度も起こっているそうである。困ったことだと思う前に、
 自分はそれは、朝鮮人にしたら当然の衝動かもしれないと考えるようになった。東亜の
 恒久平和、万邦各々其の処を得しむるといいながら、日本は朝鮮を独立さすとは決して
 言っていない。彼らが、日本人の祖先を祀った神社にお辞儀をさせられるのをいやがり、
 戦争の前途について日本人と同じ心配の仕方を示さないのは、それは当たり前の話で、
 彼らにとって先の望みのない此の戦争のために、徴兵の義務を課せられることに反抗す
 るのは不思議ではない。自分は米英その他の所謂西洋の先進国が東洋で此の百年のあい
 だ、どんな横暴な振る舞いをして来たかを思うと、それだけでも戦う気力が湧いて来た
 ものであったが、日本が朝鮮人や支那人に対してやったこと、やっていることにはわり
 に無関心で寛大であった。自分が生まれたときには朝鮮はすでに日本の領土で、われわ
 れはそのことになんの疑いも持たずに暮らして来たが、それはそんなに当然なことがら
 ではなかったのだ。朝鮮人からしたら、此の際もし日本が負けてくれたら自分たちは自
 由になれる、自由になる前に徴兵などにとられてたまるか、日本のいまの頽勢につけ込
 んで暴動を起こそうという気になるのは、充分うなずける気持である。
・今日は海の上へ出たら、天草本島牛深の南南西約十二浬で南下する艦隊を発見。異様に
 巨大な戦艦一隻、それにしたがう駆逐艦二隻、重巡洋艦二隻。白い穂先を見せてやや荒
 れ気味の青い海の上を、五本の真っ白な航跡を曳いて、周囲を圧してゆったりとはしっ
 ている。さすがにたのもしく且つ親しい想いがわいて、針路を戦艦に採り、高度七百で
 一気に接近し、艦隊の上空を通過した途端、戦艦の対空機銃、高角砲がピッ、ピッと尖
 光を見せて、いっせいに自分をめがけて射って来た。度肝をぬかれ、あわてて反転、敵
 機と間違えられたと思ったが、すぐ、そんな筈はない空砲だと気づき、しかし何故射た
 れたのかよくわからず、対空射撃の訓練目標にされたのだろうかと想いながら、間もな
 く出水に戻って着陸すると、すぐ分隊長によばれ、情なくなるほど油を絞られた。無断
 で艦隊の上空を飛翔してはならぬという規則を自分は知らなかったのである。
 
昭和十九年九月
・今日午前、「銀河」が一機事故をやった。離陸直後、エンジンの故障のため落ちたので
 ある。計器飛行に関する講義を聞いているとき、庁舎の方角から急に黒煙があがったの
 で、すぐに教室を飛び出してみると、隊門の前で、黒と紅蓮の炎をあげて、いきおいよ
 く「銀河」が燃えていた。あまりの壮観に、ただ感心して見入るばかりである。実用機
 ともなると、事故も派手だ。煙のあわいから、炭のように焦げた黒い翼がときどき見え
 る。このなかで、三人ばかり人間が焼けているのだと思うが、不思議なくらいなんの感
 動もない。
・ここ出水の一帯、ことに米ノ津沖合の桂島長島は、地勢水勢パール・ハーバー一帯に酷
 似しているとのことである。戦前、連合艦隊が奇襲作戦の極秘訓練はここで行われ、オ
 アフ島の一方的な戦果はここから生まれたという。だが、いまとなっては、真珠湾の戦
 果は日本に仇をした。ひとつには「リメンバー・パール・ハーバー」の合言葉を敵に与
 えて全アメリカを団結させ、ふたつには海軍に夜郎自大の風を生じせしめて、「沈黙の
 海軍」は消滅した。
・昨日「銀河」がまた事故を起こした。整備中の「銀河」に、離陸する一機が八〇ノット
 ぐらいで追突したらしい。追突した方は、偵察員電信員即死、火だるまになってころげ
 出したという操縦員が間もなく病舎へかつぎこまれて行った。昨日の事故の犠牲者は、
 搭乗員三名、整備員八名、原因は不注意から、と。整備の難しい飛行機だそうである。
 「銀河」は一機八十万円、一カ月に八十機足らずしか生産出来ない。

昭和十九年十月
・今日九七艦攻離着陸同乗四回目。高度八〇〇。後席に乗って後ろを向いて見張うぃして
 いると、出水空当時の中練より、はりかに高速で飛んでいるのが、はっきりわかる。プ
 ロペラは金属性で、エンジンの音も違う。低翼単葉、上昇率よく、たちまち高度があが
 り、如何にも実戦に活躍した一流機に乗っているおもいだ。速度の速い飛行機は、曲が
 ろうと思ったときには、もう曲がっていると言われるが、確かに、操縦桿をちょっと動
 かせば敏感に曲り、目安がなかなか立てにくく、はやく精密高度計と昇降度計と前後傾
 斜計とで、それぞれの姿勢を読みとることを覚えなくてはならない。七メートル引き起
 こしは、中練より楽だ。三回のうち二回はどんぴしゃり接地し、気持ちがいい。最後に
 ぐっと引き切ったほうがいいようだ。
台湾沖航空戦の戦果が、相次いで入って来る。まことにめざましいものだ。新聞にも神
 機来るとあり、その言葉も素直に受け取れる。よくやってくれた。戦果のかげに、味方
 の未帰還機三百十二機を数える。地上でやられたもの、被弾不時着等を加えれば、使用
 不能になった飛行機はおよそ七八百機が、搭乗員も千名ちかく失われたものと思われ、
 ほぼ第二航空艦隊の全滅とひきかえにした戦果のようである。
・別府の沖に航空母艦が一隻入っているのが見えた。それから戻って、このまえも来た千
 疋屋に「只今海軍さんの時間です」という札が出ているので、入って柿と無花果とを食
 べ、魚のフライと豚肉の煮つけで昼飯を食おうとしていると、となりの席でビールを飲
 んでいた大尉が自分に話かけてきた。「今度の台湾沖航空戦の大戦果を聞いてから、こ
 の勝に乗じた時期に、私たちもはやく技術をマスターして、空母と刺しちがえに出で征
 きたいと思っています」と答えると、大尉は急に不機嫌になり、「大言壮語はやめろ!」
 「お前は、大戦果の大本営発表を信じておるのか?」と言う。「信じてはいけないので
 すか?」と言い返すと、大尉はまた急に、カラカラと高笑いをはじめた。「お前はアメ
 リカが、沈められても沈められても、無際限に航空母艦を繰り出す手品でも知っている
 と思うか?」と言い、台湾沖の戦果も、夜間攻撃による目標誤認、欲目からの戦果の過
 大評価が無数に混入していると言って、「戦局はお前たちが考えている五十倍ぐらい悪
 い。中央反省せよ。海軍報道部斬るべし。一人前に飛べもしないお前たちまでが大言壮
 語をするな」とえらい不機嫌でビールをあおっていた。
・大尉が言うように、油槽船や上陸用舟艇をいちいち空母と間違えて突入しているのだっ
 たら、いつまでたっても敵の機動撫隊の勢力がおとろえるわけがない。大尉の話では、
 中央では半分それを承知していながら、其のまま大本営発表として国民に発表している
 のだというが、まさかわれわれは、新聞の第一面に嘘の数字をかざるためにかり出され
 てゆくのではあるまい。
 
昭和十九年十一月
・飛行場整備で思い出すのは、教官から聞いたはなしで、ガダルカナルでもアッツ島でも、
 敵が上陸して飛行場を占領したのは、いつも味方の飛行場建設が完了する一週間くらい
 前であったという。こちらの施設部隊が人力で、長い間かかって営々として整備して来
 た飛行場が、いつも出来上がる一寸前にうばわれ、そうして敵はそれを機械力で一気に
 完成し、一両日で攻撃隊を発進させるそうである。
比島戦で第一航空艦隊が出撃させた神風特別攻撃隊というのは、異例の攻撃部隊で、み
 んな戦闘機に特殊爆装をして、飛行機ごと体当たりしたのだという。まったくそう思い
 切った措置でも取らねば、この状態はどうにもならない。落伍するものはしたらいい。
 自分はもうそんなことを、それほどおそれはしないつもりだ。いつ九七艦攻単独になれ
 るのか、飛べないことだけが心配である。
・雲間から太陽の光が扇形に射し込んで来て、やがてすっかり澄んだ高い秋空になる。練
 習生たちが、急降下爆撃の訓練をやっている。ときに猛烈なうなりを立てて、指揮所の
 上空、もう駄目だと思うところまで降りて来る。さかおとしに一直線に来て、翼端に雲
 を生じる。あまりに低くまで来たので、屋根にとまっていた鳥の群が、はじけるように
 八方へ飛び散って行った。もう半秒おそく引き起こしていたら、大地に激突していたで
 あろう。機上では精度ばかり気にして、怒鳴られるので、危険の方は忘れているのだ。
・空輸されて来た天山艦攻が二機、すごいプロペラ音を立てて、エンジンを一杯にふかし
 て試運転している。尾部に整備員が五六人、飛ばないようにしがみついているが、それ
 でも片脚でチョークをめりめりと踏みくだいていた。うらやましい。「天山」の腹には
 二本の策で魚雷が吸いついている。魚雷は胴の真下に取り付けるものだと思っていたが、
 真下より一寸右寄りに取り付けてある。プロペラの気流と、照準器の都合に依ることら
 しい。
・われわれは飛行作業取りやめて、自転車で編隊の訓練をやっている。指揮所における申
 告その他、規律だけは実際の飛行作業通り厳格だが、あとは自転車のうしろに飛行機の
 模型をつないで、エプロンを走り廻る。何の役にも立たない作業なのだ。
・健全な食欲と健全な性欲とをそなえた健康な肉体、それで豊富な精神活動をして、次の
 時代へよき子孫とながしかの精神的遺産を残す。これが人間として一番望ましい生き方
 だと思う。しかし国家の危急に際して、われわれは肉体的にも精神的にも或る面を極度
 に抑制し、或る面だけを極度に発達させることを余儀なくされてきた。われわれは甘ん
 じてそれに適合しるように身を処して来たつもりだが、いま唯食って、無意味な肉体労
 働をして、寝る生活に追い込まれてみると、自覚を持とうとする人間にとって、こんな
 みじめな事はないような気がする。飛行機乗りだということをエクスキューズにして、
 それこそ「餓鬼道に於いておくれ取り申すまじき事」で、快楽をむさぼっていた連中を、
 自分はひそかに「戦う豚」だと思っていたが、これからはわれわれみんな、「戦わざ
 る豚」だ。
 
昭和十九年十二月
・比島へ出撃の途中、視界不良で大分へ不時着して、ここへやって来た田中中尉から人間
 魚雷「回天」のことや、ドイツのV一号のことなども聞く。V一号は地上演習機よりも
 っと小型で翼長も二メートルとはないらしく、無線操縦でロンドンを爆撃するらしいが、
 日本では技術的に無線操縦不可能で、これを模した火薬ロケット推進の小型機に、人間
 が乗って行くことになるらしい。時速六〇〇で航続時間は二分間三十五マイル、あとは
 滑空でぶつかるのだそうだ。目的地までは一式陸攻か九六陸攻が胴体に抱いて運ぶのだ
 というが、小型だから人間一人乗れば爆弾は二十五番程度一個がせいぜいで、命中して
 も大したことはないらしい。人間魚雷の方が未だましらしい。自分は二階級特進したり
 軍神になったりしなくても、不服はないように思うが、自分が当っても此の艦は決して
 沈まないと知りながら、それでも安んじて命を捨てられるかどうか、一寸考え込んだ。
 
昭和二十年一月
・敵はついにリンガエン湾に上陸。艦砲射撃と爆撃で鉄の雨を降らせておいて、戦車を先
 登に上がって来る。偵察機も体当たり出撃とあるが、戦果確認の報はない。敵グラマン
 の直術はものすごい数だそうだ。特攻隊も目標にとりつくこと自体が極めて難しく、と
 くに艦攻など魚雷を抱いて昼間行動をすれば、とりつくまでに全部やられてしまうらし
 い。B29に対しても、陸軍の隼戦闘機などは、まったく無力で、近づくことも体当た
 りも不可能とのこと。これでは何千機あっても無意味だ。戦局はもはや、国家浮沈の最
 後のところまで来ているようだ。
・今日は列線に入って来る飛行機のプロペラにはねられて、偵察学生が一人即死し、その
 はねられた人間のふっ飛んだいきおいにはねられて、もう一人重症を負い、間もなく病
 舎で死んだ。そのうちの一人は、此の間われわれを、シャツを着て体操をやったという
 ので徹底してしめあげた少尉である。口には出さないが、われわれの多くは、いい気味
 だと思っている。
・特攻機は「純忠の志」に燃え切った志願の勇士だけがなるものという風に、一般には思
 われているようですが、それは初期の頃のことで、現在では中央が全面的にこれを採択
 し、上官から一応訊き置くという形で志願者の調査が行われます。「手をあげてみてく
 れ」または「一歩前へ」と言われ、私のような人間でもやはり、鉛の入ったような重い
 手を、やむを得ず挙げてしまうのです。形式的には志願ですが、心理的にはまったくの
 強制で、それ以後は人選の自由をすべて向こうに委ねてしまうというのが実情でござい
 ます。此のまますすみましては、生還の望みは、私に、ほとんどゼロになりました。
・最後に、先生にひとつお願いがあります。それは私たちが出水の航空隊におりますころ、
 外出のたびに訪れて世話になっていた水俣の深井信則氏という人の長女で、蕗子さんと
 いうお嬢さんのことでございます。私たちの運命は、いつ何でどうなるかわかりません
 ので、万一私が死んで吉野が戦後に生き残った場合、吉野とこのお嬢さんとのあいだを、
 先生にとりもってやっていただきたいのです。蕗子さんは、それぞれ多少の陰影をもっ
 て私たちみんなを好いていたようでした。つまり学問的雰囲気らしきものを身につけて
 た、勇ましい学徒出身の海軍飛行科士官に、彼女はぼんやりと恋を感じていたわけで、
 私の場合は、理屈からいうと、買いかぶられて好意を持たれることが嫌でしたし、感情
 からいうと、美しいいいお嬢さんですが、必ずしも私の非常に好きなタイプの人ではな
 かったので、彼女の好意に対し、終始ほとんど知らん顔を通しました。しかし吉野は、
 別れて四カ月になるいまも、此の人のことを恋こがれ続けております。

昭和二十年二月
・兵術の時間、「銀河」が期待をうらぎってあまり役に立たないという話を聞き、がっか
 りした。一式陸上攻撃機はその形状から「葉巻」と呼ばれていたが、このごろではみん
 な、マッチと言っている。すぐ火がつくからだ。しかし「銀河」の搭乗員のなかには、
 「一式陸攻の方がまだましだ」という声があるそうで、整備が難しく、終始事故を起こ
 しているという。
・フィリピンの戦線は後退につぐ後退である。米軍は三日マニラに突入したと。今日あた
 りはすでに完全に占領されたのではあるまいか。新聞には、「敵に大出血を与う」とし
 きりに出ているが、なにほどの損害もあたえ得ず後退していることは、現地はむろん知
 っており、新聞記者も知っており、大本営も知っている。要するに誰も信じていないこ
 とを、「大出血々々」と日本中で言い合っているのだ。東京では、敵愾心をやしない士
 気を鼓舞するため、竹槍つくりがさかんだという。
・桜花機の旗は指揮所の吹流しの横になびいている。「非理法権大」の旗も立っている。
 「桜花」はかねて聞いていた日本流のV一号で、翼の短い小さな飛行機だ。一式陸攻が
 爆弾倉のところに吊るしてゆき、終止符(・・・)を打って、母機から離れ、それで此
 の世の終わりだ。故障を発見した場合、引き返して再挙ということもない。母機を離れ
 たときが、完全な最後である。おなじ特攻隊でも桜花隊お兵隊は陰気でいじけている。
 「銀河」の部隊はあかるい。一式陸攻の方はのんびりかまえている。
 
昭和二十年三月
・例の「桜花」の野中部隊の「南無妙法蓮華経」ののぼりも無くなっている。彼らは鹿屋
 に移動し、今日鹿屋から、南方三百六十浬の二群の敵機機動部隊に攻撃をかけているそ
 うだ。「桜花」搭乗員の兵隊のあいだには、なにか陰気な空気が漂っていたが、これを
 ひっさげて行く陸攻部隊の勇猛さは、ちょっと類のないもので、いくら覚悟をかたくし
 ても、彼らの真似はできないと思うことがある。朝、一式陸攻十二機ぐらい、各々腹に
 「桜花」を抱いて出撃して行くが、親飛行機の陸攻の損耗は相当に激しく、大抵半分は
 墜とされ、「桜花」は放ってどうやら生き残ったのが半数ぐらい、弾痕だらけになって
 帰って来る。それが、昼飯を食うと、新しい「桜花」を抱いてまた出かけて行く。数時
 間して、一層弾痕だらけのすがたで、二機か三機になって帰って来る。しばらくそのへ
 んで休んで、夕方ちかく、また出て行く。そうして全部いなくなるのだ。
・出たら完全に出たっきりの「桜花」と、それを連れて行く陸攻と、気持ちのうえでどち
 らが楽で どちらがつらいか、はっきり言えないが、まるで定期便のパイロットのよう
 に、行っては帰り、行っては帰り、死ぬまでやり続けるのは、尋常のことではないよう
 な気がする。
硫黄島もついに玉砕した。敵上陸軍の七割、計三万三千を殺傷し、本土防衛に貴重なる
 一カ月をかせいだというが、果たしてしかりや?此の島の将兵の奮闘に報ゆるに何の策
 をなしたか?無電をもって声援し叱咤しただけで、すべもなく見殺しにしてしまったと
 いうのがほんとうではないのか?ときどき、自分の身の上もこれと同じだと自分は考え
 ることがある。
神雷隊(桜花)の攻撃は、グラマン五百機の迎撃を受けて失敗した。直衛の戦闘機も全
 機未帰還。野中五郎少佐は戦死。敵は「桜花」に「BAKA」というコード・ネームを
 つけているそうだ。バカに一念、如何にかして彼らに見せたかった。なんということで
 あろう!

昭和二十年四月
・沖縄の状況は非常に悪いらしい。すでに二つの飛行場を占領されたということだ。アメ
 リカは、沖縄作戦に投入した艦艇千四百隻と称している。ここで日本に、回天の機が来
 るものかどうか。どの程度それが坂井らの肩にかかっているものか。自分にはわからな
 い。しかし、藤倉、坂井の二人を失って、自分ももう、死ぬだけはいつでもゆっくり死
 ねるような気がする。
・串良、国分、その他台湾の基地からも、待機中の全特攻機が沖縄周辺の敵艦艇へ殺到し
 た模様である。陸軍機も参加している。菊水一号作戦。戦艦大和以下、燃料片道搭載で
 沖縄へ出撃したという噂もある。
・此の日、小磯内閣の総辞職を知る。無為無能、しょぼしょぼとなんの為すところもなく、
 つぶれてしまい、しかも「次期内閣に期待して辞める」とか「戦局意の如くならず」と
 かいう言を公けにしているのは、どういうつもりであろうか。いまのときに、意のごと
 くなることがひとつでもあろうか。戦っている者は、一度失敗したらみんな死ぬのであ
 る。此の危機に国を追い込んだ己の無策を認めながら、首相が生を全うしてやめてよい
 ものであろうか。こんな総理大臣がいなくなってくれるのは結構だが、その考え方、態
 度があまりに勝手で無責任だ。此の人たちの無能の犠牲になって、無意味な死を遂げた
 青年たちが、あまりに可哀そうだ。
・藤井大尉は、海兵出の自己保身の身勝手を罵っていたが、いったん出撃後は、戦艦に突
 入するところをグラマンの追撃を受け、身をひるがえして一時間半にわたってねばり強
 く避退を続け、ふたたび戦艦をねらい、そして三度これを避けて空母に突入して戦死し
 たと聞く。われわれの仲間の水沢も、列機の練習生が火を吹いて一機一機突っ込む様子
 を、詳細に通報して、最後に「ワレ突入ス」の無電を打って戦艦に命中した。皆いわゆ
 る本職の軍人ではないのだ。この人たちの死と、小磯大将らの進退を、自分は憤りをも
 って比較せずにはいられない。
菊水四号作戦開始。沖縄へ総攻撃の日なり。しかし宇佐空ではまるで他人ごとだ。飛行
 機が無いのだから仕方がない。われわれの転勤のおぼつかない噂が続いている。艦攻は
 百里原か千歳へ行くことになるという話だ。
 
昭和二十年五月
・特攻隊ももう、これを神格化した時代は過ぎ、海軍ではもはや誰も特攻を特別なことと
 思っていない。新聞だけがこれを惰性的に通俗的に神格化しているのだ、自分のことと
 して、各々面に出して悩むことも出来るようになった。気分的にはかえってそれだけ自
 然になり、余裕が出て来たとも言えるだろう。もっとも、どの一人を取ってみても、い
 よいよ出て行くときは、実に吹っ切れたうつくしい顔をして別れて行く。自分の場合も
 きっとそうであろう。
・ドイツはついに降伏した。矢折れ弾尽きた感じである。赤軍はベルリンをほぼ完全に占
 領したらしい。ドイツ側に残された唯一の放送局ハンブルク・ラジオは、ヒットラー
 一日の午後亡くなったことを伝えているそうだ。独軍最高司令官にはデーニッツ提督が
 任命されたというが、これはもはや敗戦交渉のための司令官なのであろう。ムッソリー
 ニ
はとらえられて殺され、其の屍体がミラノの広場にさらされているそうだ。
昨夜また東京が大規模な空襲を受けた。約二百五十機のB29の市街無差別襲撃である。
 山の手方面、被害相当大きいようだ。百里からながめていると、東京の空に、プカプカ
 と火の玉がいくとも浮かんでいる。これはやられたB29で、火の玉になりながらも容
 易に落ちて行かない。それへ三方四方から、赤、黄、緑の曳痕弾が、スウーツ、スウー
 ツと吸い込まれて行く。火を吹いて流星のように直線に落ちて行くのは、日本の戦闘機
 だ。豪華な空の火の饗宴のようでもあった。一昨夜の空襲で撃墜二十七機、昨夜で四十
 七機と報じられている。また例の過大発表かもしれないが、そのぐらいは落としたよう
 にも感じられる。

昭和二十年六月
・新しい特攻隊の編成あり。一番に指名される。眼がさめたような思いだ。急遽木更津へ
 移る。いよいよ出撃らしい。
・送別会をしてもらう。酒はない。歌を合唱して、酔った気分になる。明日はここを出る。
 行けばすべてがわかる。
・遺書:私は特攻隊の一員として出撃いたします。二十五年の御慈愛深く深く感謝いたし
    ます。御二方の御こころはお察ししますが、私が自分の使命に満足して安らかに
    行くことを信じて、多くは嘆かないでいただきたいと思います。命令が下ったら、
    多くの友がそうして行ったように、私もほんとうに晴れ晴れとしたこころになっ
    て、出て行けると思います。ですから私のことは、どうか安心してください。