恥 :池波正太郎

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この作品は1962年に発表された短編小説で、「谷中・首ふり坂」という本に収録され
ているものの一つである。
人生は多種多様な、矛盾したもののうえに展開していく。そんな中で人は幾度となく、自
分の人生を左右するような重大決断を迫られる。その時の判断を社会常識によるか、それ
とも人情によるか。そのどちらを基準にした決断が、良いのか悪いのか。単純には言えな
いというのが人生なのではないか。このようなことを問うているような内容の作品である。
この作品の主人公である森万之助は、江戸の娼家で呼んだ遊女がすっかり気に入り妻にし
た。武士が遊女を妻にすることは、武士の常識ではあり得ないことだった。つまりは人情
による決断と言えるだろう。また万之助は、同じ道場仲間の児嶋右平次から、実権をにぎ
る悪評高い執政を一緒に討とうと誘われるが、その執政が自分と同じように遊女を妻にし
ていたことから、どうしても憎めず、その誘いを断った。これも人情による決断と言える
だろう。そして、主君の愛妾を斬りつけ、逃亡した右平次を、主君の命により討手として
追うが、右平次と出合っても、右平次と刀を交える気持ちにはなれず見逃した。これもま
た人情からきた決断だと言えるだろう。
つまりは、万之助は、ことごとく武士の常識ではなく、人情によって決断したことになる。
その結果として、たどり着いた万之助の人生は、不幸な人生だったといえるのか、それと
も幸せな人生だったのだと言えるのか。
このように人情で決断する人は、一般的には、いわゆる出世は望めないのは確かだろう。
しかし、私的には、万之助ような生き方のほうが好きだ。
なお、この作品は、「武士の恥」というタイトルでテレビドラマ化されているようだ。



・寛延二年(1749年)七月の夜、五ツ時(午後八時)少し前のころであったが、信州
 松代十万石の藩主・真田伊豆守信安の愛妾、お登喜の方が児嶋右平次というものに襲撃
 された。
・お登喜の方は、夜の涼気をたのしむため、花の丸の庭園へおもむいていた。
 花の丸というのは、城の三の丸西側にある宏大な庭園であり、濠ばたに近い小高いとこ
 ろに「信玄茶屋」と呼ばれる亭があった。この亭は、いま真田家の居城になっている海
 津城をはじめて築いた武田信玄を記念して建てたものだ。
・お登喜の方は、藩の執政として今をときめいている原八郎五郎を相手に、茶道の大沢晏
 全が点ずる茶を賞味した。
・原八郎五郎は、お登喜の方が御殿へ戻る前に、急用あって退出した。児嶋右平次が花の
 丸に侵入したのは、この直後であった。 
・右平次の目的は、お登喜の方よりも原八郎五郎を斬ることであったが、信玄茶屋の近く
 で、警護の成瀬某という侍に発見され、斬り合いとなった。右平次は、たちまち成瀬に
 傷を負わせ、猛然と信玄茶屋へ殺到したのだが、目ざす原家老が居なかったため、もう
 仕方なく、お登喜の方へ襲いかかった。
・右平次の一刀は、お登喜の方の肩先を傷つけたが、二の太刀は送れなかった。警護の藩
 士たち八人に囲まれて闘ううちに、お登喜の方は悲鳴をあげつつ、侍女や家来にまもら
 れ、城内へ逃げ込んでしまったのである。
・児嶋右平次は歯がみしつつ奮闘し、囲みを切り破って濠の水へ飛び込んだ。
・児嶋右平次を探索すること四日にわたったが、ついに、右平次の姿を城内の内外に発見
 することが出来なかった。
・溺愛するお登喜の方へ刃をあてた児嶋右平次への激怒で、真田信安は顔貌をゆがめ、畳
 を踏みならし「右平次めは、釜ゆでにしてもあきたらぬやつじゃ」と叫んだ。三十六歳
 になる十万石の大名としては、いささか幼稚な怒りの表現である。
 

・森万之助と児嶋右平次は、城下の青山大学の道場で一刀流をまなび、技倆も伯仲してい
 る。ともに徒士組に属してい、俸禄は十石二人扶持といったところで、下級武士であっ
 た。
・万之助は三十一になるが、右平次は四つ下の二十七歳。母ひとり子ひとりの家である。
 この右平次の母が、息子が城下を逃げた晩に、自殺をした。息子のしたことを知っての
 上の覚悟の自決である。
・それは、梅雨期に入ったばかりのことであったが、ふだんは道場で顔を合わせるだけで、
 あまり深い交際もなかった児嶋右平次が、万之助を地蔵堂うしろの山林の中へさそった。
 「実は・・・」ときり出し、一緒に原八郎五郎を襲撃しようというのである。「望月主
 米様から、おぬしが、お為派の一人であることを聞いておる」
・お為派というのは、「正義派」ともいうべきもので、藩政を牛耳る原八郎五郎一派の勢
 力を倒し、真田十万石を安泰にみちびこうとする一派であった。
・望月主米は、家老の一人である望月治部左衛門の嫡子で、お為派の指導者でもある。
・森万之助は、父にも妻のおみのにも内密で、望月主米と志を通じ合っていた。


・原八郎五郎は、百五十石の御納戸見習から主君の真田信安の取入り、千曲川の治水工事
 に卓抜した功績をあらわし、疲弊した藩の経済をたて直すことにも大手柄をたて、次第
 に信安の寵愛をふかめた。いまの真田家は、原八郎五郎の威勢になびかぬものなしとい
 ったところだ。
・ここまではよかったのだが、原は権力を得ると同時に堕落をしはじめた。参勤で出府を
 した殿様の信安と共に、新吉原での遊びに我を忘れ、玉屋の桜木という遊女を見うけし
 て、これを信安の愛妾にさせ、松代へ連れてきたのも、原が万事はからったことである。
 この遊女あがりの側室が、すなわちお登喜の方なのだ。
・そればかりではない。御殿は新築する。遊芸を氾濫させる、女、酒への耽溺はむろんの
 ことで、数年の間に、藩財政は、がたがたになってきてしまっている。
・この時代の経済というものは、米の収穫を基盤にして成り立っているのだから、収支の
 関係が、単純かつ明快なものであり、だから、どの大名の家でも、少し支出がかさむと、
 その影響は、たちまちに具体化してしまう。
・濫費のしわよせは、みんな領民と家来へ向けられる。領民の租税は重みがかかり、藩士
 の俸給は「半知御借り」ということで、半分も殿様に借りられてしまう。
・こういうところへ、お登喜の方が懐妊した。生まれる子が男か女か、まだわからぬが、
 男だったら大変なことになると「お為派」は眉をひそめている。殿様には、すでに豊松
 といって十歳になる男子が江戸藩邸にいる。けれども、お登喜の方におぼれきっている
 殿様だから、もし愛妾、男子をもうけるときは、その女狐の口先ひとつで、どういう風
 に風向きが変わるか知れたものではない。
・それにこんな噂もある。お登喜の方がみごもっている子は、殿様の子ではなく、原八郎
 五郎の子だというのである。殿様が江戸にいる留守中、原は、しばしば、お登喜の方の
 部屋をおとずれ、談笑にふけって、はばかることがない。今や二人の密通は間違いなし
 と断言するお為派も、かなり多い。
・今のうちなら、原八郎五郎さえ殺してしまえば、原派の勢力は、かなり動揺すると見て
 よい。このまま放っておくと、原を殺しただけではすまなくなるおそれがある。原派の
 勢力が固まり、お登喜の方が男子でも生むようなことになってからでは、めんどうにな
 るばかりであった。
・「原を斬らねば、どうにもなるものではない。むろん、殿はお怒りになって、われわれ
 も死罪となるだろうが、それでもよい。きっと、お為派の人々が乗り出してくれよう。
 恩田様も黙ってはおるまい。殿を説きふせ、御家たて直しが、がやすくなることは必定
 だ」
恩田民親は、お為派の信望をになっている真田家重代の家老の一人であり、原八郎五郎
 も恩田家老にだけは一目おいているほどの人物なのである。
・斬る相手が原八郎五郎でなければ、万之助はよろこんで右平次と共に命を捨てる気にな
 ったろう。けれども、万之助には、どうしても原八郎五郎という男を憎めないものがあ
 った。


・四、五年前のことなるが、森万之助は、参勤で江戸へ上る殿様のお供を、二度ほどつづ
 けてつとめたことがある。
・国もとにいて、一生、江戸へ行けぬ藩士もいるが、殿様の行列に加わり江戸という日本
 一の大都会を見ることは、若い藩士たちにとって、胸がおどるような興奮にそそられる
 ものがある。何しろ、約一年も江戸藩邸で暮らすことが出来るのだ。
・つとめの暇をぬすみ、江戸市中を見物するだけでは、どうしてもすまなくなる。江戸藩
 邸の侍たちの手引きで、国侍も遊び方をおぼえるようになる。といっても、森万之助の
 ような下級藩士では、せいぜい私娼となじむがよいところで、それには、深川の岡場所
 なぞは格好のところであった。
・女と泊ると十匁ほどだが、夜を明かすわけにはいかない。江戸屋敷へつとめる身である
 から、主として昼遊びをやるのだが、これだと六、七匁で遊べる。当時は、銀六十匁が
 一両である。十両あれば一年の貧乏暮らしに事を欠かぬというわけだから、たとえ一度
 出かけても、下級武士には手痛い出費なのだ。
・万之助の場合は、はじめての出府のときに、「江戸を見てこい」と父親の武兵衛が、金
 五両をぽんとくれた。 
・「遊んで来い。だが、その金が無くなったら、ぴたりとやめるのだ。いずれは女房をも
 らい、子をうみ、十石二人扶持の徴禄者として、お前も一生を終る。とてもとても、女
 遊びをすることなど出来ようわけがないものな。若いときは二度とない。金は少ないが、
 うまくつかえ」
・口やかましく、物堅い父親だとばかり思っていたのに、こんなことをしてくれつとは、
 万之助は感激した。
・森万之助が土橋の子供屋とよばれる娼家の中で「住吉屋」というのへ入り、はじめて呼
 んだのが、おみのであった。土橋の娼家は「呼出し」というので、女は外に暮らしてい
 て、客が来ると呼び出されるのだ。おみのは、当時、十八か十九というところで、体も
 心も荒れていず、万之助を夢中にさえた。
・おみのは、決して身の上を語らなかったが、「武家の出だ」と、万之助はにらんでいた。 
・戦争がなくなると武士もひどいもので、幕府は容赦なく大名の家を改易にしたり、取り
 つぶしにしたりする。そのたびに浪人があふれる。浪人の娘が暮らしに困って娼婦にな
 ることなど、もう珍しいことではなくなってきている。
・だが、娼婦は娼婦だ。こうした女を、いかに徴禄者だとはいえ、真田十万石の藩士の嫁
 にすることは出来ない。 
・万之助は、一年して殿様と共に松代へ帰って来たが、どうもいけない。おみののことが
 忘れ切れないのだ。
・「そんなに、いい女だったのか?」と父親の武兵衛に訊かれて、「妻に迎えたいほどで
 す」と、万之助は答えた。武兵衛も、あきれ返った。
・ところが、万之助は、見事、おみのを妻にしてしまったのである。
・これには、江戸藩邸で代々留守居役をつとめている駒井理右衛門が一役買ってくれた。
・万之助が、はじめて出府したとき、駒井理右衛門は、わざわざ藩邸内の自室へ呼んでく
 れ、「御城下では、おぬしの剣術が評判じゃそうな。居合の名手だと聞いておるぞ。見
 せぬか、抜いて見せぬか」
・ほかならぬ駒井の言葉である。万之助は、大刀を取り寄せてもらい、部屋の隅にあった
 将棋盤の上から、歩の駒を二つつまみあげ、これを駒井にしめしながら、しずかに片膝
 を折った。万之助は、つまんだ小さな歩の駒を、ひょいと天井へ向けて放り上げた。同
 時に「む!!」と、万之助はうめくような気合を発した。万之助の手から光芒が走った
 かと思うと、たちまちに鞘へ吸い込まれた。畳に落ちた二つの歩駒は、四つになってい
 た。 
・駒井は「あの女を、そっと見てきたぞ。あの女ならよい。お前が見込んだ気持ちもわか
 る。感心しかねるが、どうしてもとお前が言うなら、うまくはからってやろう」と言っ
 た。
・おみのは「住吉屋」に、それほどの借金も残してはいなかった。もう少しで足がぬける
 ところだったという。あのような商売に身をしずめたのは、病父のためであり、その父
 親も去年死んでしまたので、おみのは天涯孤独の身となっていたのだ。
・駒井は、親交のある旗本・下山伝八郎にたのみ、おみのを下山の養女ということにして、
 森家への縁組をとりはからってくれた。さすがに、おみのは何度も辞退をしたが、いざ
 となると「では、よろしゅう・・・」と、臆する様子もなかった。
・万之助の思った通り、おみのは、陸奥・一ノ関三万石、田村家浪人の娘だった。 
・森武兵衛としても、駒井が仲へ入ってくれた嫁であるから、否やはなかった。
・売女あがりの妻をもっているなどということは、真田家中にも、かつて聞いたことはな
 い。ところが、それから三年だった現在では、万之助のほかに、もう一人、同じような
 侍があらわれた。原八郎五郎であった。
・威勢ならぶものなき執政の原八郎五郎の妻は、殿様の愛妾と同じ、新吉原の遊女あがり
 だ。つとめに出ていたころの名を「浜川」という。原は、お登喜の方と一緒に、浜川を
 も見うけして、病死した前妻のあとにすえ、正式に妻にしたのだ。しかも、堂々とやっ
 てのけた。
・原は、この遊女あがりの妻をいたく愛し、この春には岩尾という男子をもうけた。原の
 妻も、おだやかで親切な人柄らしく、当時は事々に軽蔑の目を向けていた原家の家来や
 女中たちまでもが、今では、すっかり「奥さま」に手なずけられてしまっているそうだ。
・原が、お登喜の方と密通したという噂なぞ、根も葉もないことだと、万之助は考えてい
 る。自分の場合をふりかえってみても、原のしたことが痛いほど胸にしみてくるのだ。
 その原を自分が斬るなぞというのは、思っただけでも厭であった。
・これが人間の情というものだ。政治家としての原八郎五郎は大きらいだが、人間として
 の原は好きだということになる。感情というものは、すべての規律や権威をのり越えて
 しまうものであり、規律や権威に感情が迷い込むと、その力は、たちまちに弱くなって
 しまうということを、万之助は、つくづく感じないわけには行かなかった。
 
五 
・児嶋右平次が、お登喜の方を斬りそこねて逃亡してから七日目に、十二人の討手が松代
 城下を出発した。その中に、森万之助がふくまれていたのは皮肉である。これは、原一
 派が万之助をお為派の一人だと思っていないということになるわけだ。
・出発の前夜、「なるべくは、あなたが児嶋右平次さまと出合わぬよう、みのは祈ってお
 ります」と言った。
・おみのが松代へ来たとき、武兵衛は、「ときに嫁女、おぬしは、万之助のどこが気に入
 ってくれたのじゃ」と訊いたことがある。「はじめてお目にかかりましたとき、万之助
 さまは、わたくしという女を、金で買うた女だという眼で、ごらんになりませぬでした
 もので、それが嬉しくて・・・」うなじを、真っ赤にしてふるえながらも、はっきりと
 言ったものである。
・娼婦とは金で買うものだから玩弄するものだという観念があるかぎり、娼婦の愛をうけ
 ることは出来ない。 
・万之助が、はじめて女を知ったのは、松代城下・長国寺前にある娼家においてである。
 相手の女は越後・塩沢生まれで、せんといった。この女から、万之助は真情のこもった
 もてなしをうけたものである。とても金で買った女とは思えなかった。まごころのこも
 った女体をはじめて知った男の幸福というものは、それが良家の子女であれ、娼家の女
 であれ、本質的には少しも変わりがないのである。
・女にとっても男にとっても、はじめての相手いかんによって一生の異性観というものが
 無意識に決定される。万之助にとって、せんという女を知ったことが、とりも直さず、
 おみのとの交情へつながっているのだ。
・森万之助は、虫倉六郎・中州才蔵という二名の藩士と共に、中仙道へ向かうことになっ
 た。 
・その日も、雨であった。ぼんでん村の外れにある「いつぬき川」を渡り、合渡へ出よう
 としていた。「いつぬき川」は徒歩渡りである。三人とも袴はつけず、裾を高々とから
 げた着物の上に合羽をつけ、笠をかぶっていた。
・霧のようにけむる雨の幕につつまれ、ぼんやりと見える中州才蔵が叫ぶと同時に、黒い
 影が中州へ躍りかかるのが見えた。岸へのぼりかけた中州が、悲鳴をあげて川水へ落ち
 込むのを 万之助も虫倉も、はっきりと見た。
・「児嶋だ!右平次だぞ」抜刀した虫倉が左手で笠をはねのけ、川水をもどかしくはねあ
 げながら突進した。 右平次は逃げようともせず、川へ飛び込んで来て虫倉六郎を迎え
 撃った。あっという間もなかった。絶叫をあげて、虫倉は川水の中へ倒れ伏している。
・「右平次。いかに上意とは言え、おれは、おぬしを斬れぬ」「逃げろ。早く、逃げてく
 れ」
・「それでもお為派か。おい、森万之助。きさまは、つかみどころのない奴だ。意気地な
 しだ」児嶋右平次は身をひるがえし、向う岸にたちこめる雨の中へ駆け去ってしまった。
 

・森万之助は、中州・虫倉両人の死体を合渡の宿へ運び込み、その始末をしてから、その
 まま行方不明となった。
・真田家江戸屋敷へ、万之助の手紙がとどいたのは、その年も暮れようとする或る日であ
 った。駒井理右衛門宛の手紙なのである。
 「殿の御上意をうけつつも、児嶋右平次を斬れなんだ私であり、同じように、原様をも
 斬れなんだ私であります。俸禄を食む資格のない私は、二度とふたたび、松代の地を踏
 むまいと心にきめております」
・駒井理右衛門は、万之助の手紙を一読してむずかしい顔つきになった。国もとの老父や
 妻に対して、万之助は一言もふれてはいなかった。
・もちろん、使命を放り捨てて脱藩をしたわけであるから、森家のものは、すべて「押し
 こめ」というかたちになっている。門の扉は釘づけにされ、見張りの足軽が三名ずつ交
 替で森家に詰めている。もし万之助が立ち戻ることがあれば、捕縛の上、しかるべく処
 刑されるわけだ。
・駒井理右衛門は、万之助が旅の空の下で書いてよこしたあの手紙を、そのまま、江戸か
 ら松代へ、すなわち原八郎五郎へあてて送りつけたのである。原は、この万之助の手紙
 を読むと、すぐに、森武兵衛と嫁のおみのの釈放を命じた。真田家で言う「追い放ち」
 である。これで万之助の罪は消えたわけだが、同時に、森家は浪々の家となったことに
 なる。
・武兵衛が、おみのを連れて松代城下を立ち退こうという前夜に、原八郎五郎からの使い
 のものが、ひそかに森家をおとずれ、「原様よりの餞別でござる」金包みをおいて行
 った。あけて見ると金三十両が入っている。
・二年後の宝暦元年十二月、原八郎五郎は藩主・真田信安の怒りにふれ、解職と同時に知
 行召し上げとなって、実兄の原郷左衛門へ「お預け」ときまった。これは、原とお登喜
 の方の姦通の事実が判明したからであった。お登喜の方は、すでに流産をしていたが、
 罪状判明すると共に江戸へ送られ、その身柄な町方へ「追い討ち」となった。
・駒井理右衛門は、家老の恩田民親と力を合わせ、幕府閣僚にも運動をし、合わせて藩政
 の改革を押しすすめた。 
・真田信安も、すっかり目がさめたかたちだが、そのときすでに遅く重患の床につき、ま
 もなく歿した。宝暦二年四月である。
・宝暦四年の秋になると、嫡子の豊松がめでたく家督をつぎ、伊豆守に任ぜられて、幸弘
 と名乗って、名実ともに真田の当主となった。
・執政の座には恩田民親がついた。
・児嶋右平次は、堂々と帰参した。新藩主・幸弘からもねぎらわれて、役目ににつき、の
 ちには昇進して郡奉行をもつとめたという。
・森武兵衛は、おみのと共に、浅草諏訪町伊勢屋儀兵衛という紙問屋の裏の長屋に、ひっ
 そりと暮らしつづけ、宝暦四年の師走に病歿をした。この後、おみのは伊勢屋方へ住み
 込み、女中働きをはじめた。
・宝暦五年三月。森万之助が、ひょっこりと真田の江戸藩邸へ、駒井理右衛門をたずねて
 来た。六年ぶりのことである。
・「おぬしの望み通り、血を見ずして事は成ったぞ」くわしく、駒井は万之助に、あれか
 らの出来事を語ってきかせた。
 ・「さて・・おぬし、親父どのと女房どののことは何も訊かぬではないか?」「親父ど
 のは少々遅かった。なれど、女房どのは待ってござるぞ」「万之助。おぬしの眼に狂い
 はなかったようだな」
・今となっては、万之助が帰参するのに何のはばかることもなかったし、恩田家老も、駒
 井理右衛門も、しきりにすすめてくれたのだが、「おのれがおのれにあたえた恥は、今
 さら消えるわけのものではございませぬ」森万之助は、頑として応じなかった。