イーロン・マスク 未来を作る男 :アシュリー・バンス

この本は、いまから10年前の2015年に刊行されたものだ。
イーロン・マスクと言えば、電気自動車のテスラ、そして宇宙開発のスペースX,さらには
SNSのXと、また最近は第2次トランプ政権ではトランプの大統領上級政治顧問となり、
連邦政府機関のコストと人員の削減の容赦のない大鉈を振るうという、まさに飛ぶ鳥も落
とす勢いである。
また、私生活では、2回の離婚を経験しているようだが、現在子供が14人もいるという。
どうしたことかこれは、二人の元妻との子供の数とは合わない。つまりは元妻以外の女性
との子供もいるようだ。
イーロン・マックスは、「第二のジョブズ」と言われるようだが、ジョブズ以上に型破り
ではないかと思われる。
だが、このイーロン・マックスとは、いったいどんな人物なのか。どのようにしてここま
でのし上がってきたのか。非常に興味深い。
この本を読んでわかったのは、マスクは、非常に幸運に恵まれた人物だということだ。
テスラにしても、スペースXにしても、崖っぷちにまで追い詰められて、もうダメだとい
うところで、なぜか幸運の女神が微笑むのだ。もちろん、それまでの想像を絶するような
努力もあるのだが、努力ばかりではここまで成功しなかったのではないのかと思える。
つまりは、”天才”+“情熱”+”努力”+”幸運”によってはじめてマスクの成功があるのだと
思った。

私がこの本を読んで、いちばん感心したのはテスラが展開するという「スーパーチャージ
ャー」という“充電スタンド”だ。
テスラ車のオーナーであれば、無料でこの充電スタンドで充電できるという。
つまりこれはテスラの車を買えば、あとは燃料代は無料だということだ。
しかしこれで、果たして経営が成り立つのだろうか。
いくらこの充電スタンドの電気は太陽光発電の電気を使うといっても、充電スタンドの設
置費用や維持費がかかるわけだが、その費用はどこから捻出するのだろうかと不思議に思
えた。
ところで、マスクは、「第二のジョブズ」というようなことを言われるようだ。
そこで、CatGPTに、イーロン・マックスとスティーブ・ジョブズとの比較を問うて
みたら、次のような回答が得られた。

イーロン・マスク vs スティーブ・ジョブズ──この2人、似てるようで実は全然違うタイ
プの「変革者」。
ざっくり言えば、
👨‍🚀 マスクは「未来をつくる人」
🍏 ジョブズは「体験を再発明する人」

それぞれの視点から掘り下げてみよう👇
🔥【共通点】どちらも超一流のカリスマCEO
特徴 ジョブズ マスク
ビジョン力 直感と美学に基づく サイエンスとロジックに基づく
経営スタイル 妥協なしの完璧主義、細部に命をかける 超効率志向、失敗OKの爆速実行型
社員への要求 鬼のように厳しい、感情的 論理的に厳しい、感情より成果重視
人を動かす力 熱狂を生む「現実歪曲フィールド」 論理と圧力で押し通すタイプ

🧠【違い1】ビジョンの性質:感性 vs 宇宙スケール
項目 スティーブ・ジョブズ イーロン・マスク
着目点 「美しいユーザー体験」「人とテクノロジーの融合」 「人類の未来」「文明の長期的な生存」
世界観 テクノロジーを“人間らしく”する テクノロジーで“人間を超えていく”
アイコン製品 iPhone、Mac、iPod テスラ、スペースX、Neuralink、X(旧Twitter)

🔍 ジョブズは「今あるものを再定義」する天才。
🛰 マスクは「今ないものをゼロから作る」狂気の天才。

🎯【違い2】リーダーシップスタイル
項目 ジョブズ マスク
言葉の力 カリスマ的スピーチで人を動かす データと論理で押し切る(ときどき炎上)
社員への接し方 感情的に厳しい、でも時に心を動かす 非情でロジック主義、情はあまり見せない
評価される能力 デザイン、プレゼン、美学、製品の直感 宇宙工学、AI、経営全般、スケールの大きさ

💬【性格・人格面の違い】
項目 ジョブズ マスク
性格 気難しいが情熱的、芸術家肌 冷静で計算的、でも“変人”気質
感情の起伏 激しい(怒鳴る、泣く) 一見クールだが、SNSで感情爆発あり
他者への共感力 強くはないが“心を揺さぶる力”がある 共感より論理。心より頭で動くタイプ

🔚 総括:どちらが「よりCEOの器か?」
観点 ジョブズ マスク
美しさと体験を極める力 ★★★★★ ★★☆☆☆
革新と技術スケール ★★★★☆ ★★★★★
組織運営の安定性 ★★★☆☆(晩年は改善) ★★☆☆☆
独創性とリーダーシップ ★★★★★ ★★★★★

🎤 結論:
ジョブズは「人の心をつかむCEO」
マスクは「人類の運命を変えるCEO」
方向性は違うけど、どちらも「時代に1人現れるかどうか」のレベルのリーダーだね。

このAIの回答を見ると、マスクとジョブズは似て非なる人物ということになりそうだ。
なお、スペースXについて、主な実績を上げると次のようになる。
 ・2012年:ISSに民間機として初のドッキングも成功させ、補給物資や実験装置
        を送り届けた
 ・2015年:ファルコン9の第1段により、世界初となる衛星打ち上げロケットの垂
        直着陸を達成した
 ・2018年:大型ロケットのファルコンヘビー運用を開始
 ・2020年:民間企業として史上初となる有人宇宙船の打ち上げ並びにISSドッキ
        ングを成功
民間企業でありながら、日本の宇宙開発事業団のはるか先を行っているようだ。
日本は国をあげてロケット開発をやっても、アメリカの一民間企業にも勝てないというこ
とか。なんともなさけない気がする。



イーロン・マスクの世界(「次の」ジョブズはこの男)
・なかなか本題に入らない。延々と雑談が続く。
 やがてマスクは「夜眠れないほどの大きな心配事がある」と打ち明けた。
 グールグ創設者のひとりでCEOの「ラリー・ペイジ」が、人工知能ロボット軍団を率
 いて人類を滅亡に追いやるのではないかと言う不安だった。
 「もう心配で、心配でね」
・ペイジとは親友でもあり、基本的には悪人ではないと信じているそうだが、それでも不
 安は拭えないという。 
 要するにペイジは善人ゆえに、ロボット軍団が人間の命令に従うはずと頭から信じ込ん
 でいる。だから不安なのだという。
 「楽観はできない。何かの間違いで恐ろしいものを作り出すんじゃないだろうか」
 とマスクは言う。
・2時間後、マスクはゆっくり立ち上がり、私をじっと見据えて、信じられないような一
 言を口にした。
 「僕は狂ってるかな」
 私も何と答えていいのかわからない。
 どういうつもりでそんなことを尋ねたのか。真意を測りかねていた。
・今かだから言えるのだが、取材を通じて長時間ともに過ぎして初めてこの質問の意味が
 分かったような気がする。 
 あれは私への質問というよりも、自問だったのだろう。
 あそこで私がどう答えたとしても、大した意味はなかった。
 私が信頼に足りる人物かどうかじっくりと考え、私の目をじっと見て、決断を下したの
 だ。
・スペースX本社に入ったとたん、左右の壁の巨大なポスターが目に飛び込んでくる。
 左のポスターは現在の火星だ。冷たい不毛の地である。
 そして右のポスターは海に囲まれた広大な緑の大地だ。人類が住める環境に変わった未
 来の火星が描かれている。
・この男は本気だ。宇宙移民の実現は、彼の人生の目的でもある。
 「どうせなら人類の未来は明るいと考えながら死にたいね。我々が持続可能エネルギー
 の問題を解決して、別の惑星でも生きていける文明を築き、人類が複数の惑星にまたが
 って活動する種に近づいているとしようか。それでも人間としての意識の消失という最
 悪のシナリオを回避できるなら、実にいいことだと思う」と語ったことがある。
・シリコンバレーの起業家は時代の先を歩んでいるとはいえ、所詮、現実の域を外れてい
 ない。
 ところがマスクは、シリコンバレーの居心地のいい世界とも一線を画し、常に波風を起
 こし、論争の的になっている。
 電気自動車、太陽光発電、ロケットなど壮大な夢を説き回っている。
 19世紀に人々の不安を煽って莫大な財産を築いた「P・T・バーナム」という興行師
 がいたが、マスクはそのSF版と言っていいだろう。
・実は当初、私はイーロン・マスクに決していい印象を抱いていなかった。
 人類の理想を科学で実現しようと熱っぽく語るような面々は、しばしば過激な自由主義
 思想の権化として今なお米国で絶大な支持を集める作家「アイン・ランド」の信奉者だ
 ったり、テクノロジー絶対主義者だったりする。
 「脳をパソコンにダウンロードしておき、こちらが寝ている間に、コンピュータにアル
 ゴリズムに沿ってあれこれ処理してもらえる日がくるかもしれない」などと本気で信じ
 込み、論理を超えた世界観が万人に対する唯一の答えと信じて疑わない連中だ。彼らと
 話していると、「人間というのは欠点だらけで、人間性などはいずれと淘汰される厄介
 な代物」という本音が見え隠れするから始末が悪い。  
・最初の頃、シリコンバレーのイベントでマスクをつかまえて話を聞いても、テクノユー
 トピア思想そのままの、教科書どおりの答えが返ってきて閉口したものだ。
 しかも、彼は地球を救うかのような触れ込みの会社をいくつも持っていたが、成果をあ
 げているようにはとても思えなかった。
・だが、私のようなあまのじゃく人間も、マスクの成果には注目せざるを得なくなった。
 2012年初めのことである。いよいよ後がないと思われた彼の会社が、次々に前代未
 聞の成果をあげ始めたのである。
・まずスペースXは、国際宇宙ステーションに物資補給用の宇宙船を打ち上げ、見事に任
 務を完了して無事、地球に帰還させた。
 またテスラモーターズは、セダンタイプの電気自動車「モデルS」を発売、自動車業界
 を震撼させた。 
 新規株式公開を果たした太陽光発電企業として注目を集めるソーラーシティの会長を務
 め、その筆頭株主でもある。
・本丸”マスクランド”を初めて訪れた者なら誰でも衝撃を受けるはずだ。
 スペースX本社正面玄関に入った瞬間、マスクという男の凄さを目の当たりにすること
 になる。
 こともあろうにロサンゼルス国際空港にほど近いこの場所に文字どおりのロケット工場
 を造ってしまったのである。
 どうせロケット1基造れる程度の工場などと思ったら大間違いだ。
 複数のロケットを一から製造できる設備を持っている。
・ちなみにこれはマスクランドの第1号ビルにすぎない。
 スペースXhaボーイングの工場だった建物をいくつか買い取っている。
 元は747の格納庫に使われていた建物の一部は、今ではテスラの研究・開発・設計ス
 タジオになっている。 
 セダンタイプのモデルSや第2弾となるSUVタイプのモデルXを生み出した歴史的な
 場所だ。
 外の駐車場には充電ステーションがあり、地元のドライバーが充電できるように無料開
 放している。
・自信に満ちた男だが、周りからはそう受け止められないこともある。
 実際、初めて会ったときも、マスクはなんとなくぎこちなく、人見知りする性格に思わ
 れた。
 母国である南アフリカ訛りが今もわずかに残り、そこがまた魅力でもあるのだが、少し
 しゃべっては、しばらく黙り込むような話し方はやはり気になる。
 多くのエンジニアや物理学者と同じく、マスクも正確な言葉を選びながら話すので、
 たびたび沈黙が訪れる。
 かと思えば、突然、何の説明もヒントもなしに、凡人には理解不能な、専門的な科学の
 世界に入り込んでしまい、こちらがお手上げになることも少なくない。
・マスクが言う。
 「インターネッとか財務とか法務に詳しい賢い人間が多すぎると思うんだ。そういうこ
 とも、イノベーションがじゃんじゃん生まれてこない理由なんじゃないかな」
・ドットコム・バブル崩壊後、2002年にグーグルが一気に力をつけるが、これは例外
 中の例外だった。  
 グーグルの出現以降、2007年にアップルがiPhoneを発表するまで、IT業界
 は次々と企業が生まれては消える”ゴミ捨て場”状態だった。
・やがてフェイスブックやツイッターが誕生する。
 それまでのIT業界はヒューレット・パッカードやインテル、サン・マイクロシステム
 ズのように、物を作り、大量の従業員を雇用するビジネスだった。
 続いて到来した時代は、大きなリスクを取って新たな産業を築き、斬新なアイデアを生
 み出すのではなく、消費者を楽しませ、単純なアプリや広告を垂れ流すという「楽して
 稼ぐ」方向に変わってしまった。
・初期のフェイスブックを支えたエンジニア、ジェフ・ハマーバッカーは「同世代の賢そ
 うな連中はみな、どうしたら広告をクリックしてもらえるかしか考えていない。本当に
 ロクでもない」と切り捨てる。シリコンバレーのハリウッド化である。
・大学卒業後の1995年、まずマスクはドットコム・ブームに乗っかる形でZip2と
 呼ばれる会社を起こした。
 生まれて初めての企業だったが、これが大当たりだった。
 その後、1999年にコンバックに3億7百万ドルで売却する。
 この取引で2200万ドルを手にしたマスクは、ほぼ全額を次の企業につぎ込んだ。
 後のペイパルである。
 2002年、イーベイが同社を15億ドルで買収したことで、ペイパルの筆頭株主であ
 るマスクはとんでもない資産を手にする。
・だがマスクはシリコンバレーにこもることなく、ロサンゼルスに向かう。
 スペースXに1億ドル、テスラに7千万ドル、太陽光発電のソーラーシティに3千万ド
 ルを投じた。
・スペースXは航空宇宙産業界のローコストサプライヤーとして名を上げたわけだが、
 それだけで競争に勝てるほど甘い世界ではない。 
 政治の世界、業界内のもたれ合い、資本主義を根底から揺るがしかねない保護貿易主義
 など、諸々のしがらみに対処するひつようがあるのが宇宙ビジネスだ。
・スペースXha、ペイロード(搭載物)を宇宙に運んだ後、地上の発射台に正確に帰還
 する再利用型ロケットの実験を続けている。
 この技術が完成すれば、あらゆるライバルに致命的な一撃をお見舞いすることになり、
 間違いなくロケット業界の有力企業が廃業に追い込まれる。
・テスラモーターズでマスクは車の生産・販売方法自体に新風を吹き込み、同時に世界的
 な燃料販売網を増強している。
 他社が先駆けるハイブリット方式はマスクに言わせれば「次善の妥協策」にすぎない。
・テスラがめざしたのは、誰もが欲しがっている「100%の電気自動車」である。
 むろん、技術の限界に挑まなければ実現しない。
 テスラは、ディーラー網を持たず、ウェブで直接販売する。
 そこでアップルのように高級ショッピングエリアに実物が見られるギャラリーを設置し
 ている。 
・販売後の保守点検で儲けるようなビジネスモデルは考えていない。
 電気自動車はオイル交換などの保守が不要だからだ。
・テスラが展開する充電ステーションは「スーパーチャージャー」と呼ばれ、米国や欧州、
 アジアの主要ハイウェイ沿いに次々に誕生している。30分も充電すれば何百kmも走
 ることができる。 
 しかも、スーパーチャージャーは太陽光発電装置によって運営されている。
 だからテスラのオーナーは、燃料補給に金を払う必要がない。
・ソーラーシティは、太陽光発電装置の設置や販売を手掛ける会社だ。
 マスクはソーラーシティのアイデアを打ち出し、会長に就任、従兄弟のリンドン・ライ
 ブとピーター・ライブが経営に当たっている。
 同社は従来の電力会社が太刀打ちできないほど安価に電力を供給し、自力で大手電力会
 社に成長した。 
・マスクランドを訪れるようになって以降、私には彼の成功の秘密が少しずつわかってき
 た。
 「火星に人類を送り込む」といったマスクの話は常軌を逸してるように思えるが、これ
 がグループ会社をまとめあげる独特のスローガンになっている。
 綜合目標として、何をするにせよ一貫した行動指針になっている。
 全従業員がこれを熟知しており、不可能を実現するために開けても暮れてもチャレンジ
 し続けていると自覚しているのだ。
・非現実的な目標を掲げ、言葉で従業員にプレッシャーをかけてこき使っても、すべては
 火星計画の一部だと受け止められる。
 そこが魅力だとマスクを慕う従業員がいる。
 逆にマスクを嫌う従業員もいるのだが、行動力や使命感に対する敬意から忠誠を守って
 いる。 
 シリコンバレーの起業家の多くは「社会的に意味のある世界観」が欠けているものだが、
 マスクには確たる世界観がある。
・誰にも真似ができないほど壮大な夢を追う天才だ。
 蓄財に現を抜かすCEOとは一線を画する。
 マーク・ザッカーバークの目指したものが、可愛い子供の写真を世界に披露できる場所
 だったとすれば、マスクは何を目指しているのか。
 人類を自滅行為や偶発的な滅亡から救うことだろう。
・マスクは元妻のジャスティンとの間に双子と三つの子供の計5人子供がいて、親権は双
 方が持つ。
 当時、マスクは2人目の妻である女優「タルラ・ライリー」と離婚したばかり。
・マスクはヒューズやジョブズとは比べものにならないくらい壮大な目標を持っているよ
 うだ。 
 航空宇宙や自動車のような、すでに米国が諦めかけていた産業にあえて打って出て、
 これまでにない素晴らしい産業に再構築しようとしている。
・確かにiPhone級の消費者向けヒット商品はまだ出ていないし、フェイスブックの
 ように10億人もの人々を虜にしたわけでもない。
 当面は金持ち向けのおもちゃを作り続けるだろうし、成長の兆しを見せるマスク帝国も、
 ロケットの爆発やテスラの大量リコールによって終わる可能性もある。
 とはいえ、すでにマスクを冷ややかに見ていた連中の予測を上回るだけの成果をあげて
 いることもまた事実だ。
・ソフトウェアの専門家で投資家でもあるエドワード・ジョンはマスクについて次のよう
 に指摘している。
 「シリコンバレーの進化形の立派なお手本ですね。お手軽なIPO(株式公開)ばかり
 に目がいってしまい、製品のわずかな改良を重ねることしか考えない経営者よりははる
 かにマシ。IPOも改良も否定はしないが、それだけではダメです。長期的にどう取り
 組んでいくか、どういう部分にテクノロジーを少しでも多く統合するのか、いろいろな
 形がある。動向を見極めなければならない」
・ジョンの言う「統合」とは、ソフトウェア、電子回路、先端材料、コンピュータ処理能
 力をバランスよく組み合わせることだ。
 そこにマスクは天賦の才能がある。
 マスクはこうしたスキルを生かして、驚異的なマシンとSF的な夢の世界への道を切り
 開く可能性がある。 
・その意味で、マスクは資本主義の権化とよばれた「ハワード・ヒューズ」よりも、
 むしろとマーマス・エジソンに近い。
 実際、彼は壮大なアイデアからケタ外れの製品を生み出す発明家であり、カリスマ経営
 者であり、実業家なのだ。
・マスクのおかげで米国は世界よりも10年早く未来の扉を開ける可能性がある。
 なにしろ太陽光発電による充電ステーションを数千カ所に設置して、電気自動車を走ら
 せる交通システムだ。その頃にはスペースXが毎日のようにロケットを打ち上げ、人々
 や物資を居住施設に輸送しているはずだ。
 火星旅行の準備も進んでいることだろう。
・最初の妻ジャスティンの言葉を借りればこうだ。
 「やると決めたら実行する人で、簡単には諦めない。それがイーロン・マスクの世界で
 あって、その世界に暮らすのが私たちなの」

少年時代 祖国・南アフリカの赤くて苦い記憶
・イーロン・マスクの名が初めて世に出たのは1984年のことだった。
 南アフリカの業界誌がマスクの開発したビデオゲーム「Blastar」のソースコー
 ドを掲載したのだ。宇宙が舞台のSF風ゲームだ。
・当時のコンピュータは、なにをするにせよ、まずユーザーが最初にブログラムのすべて
 の行を入力しなければならなかった。 
 Blastarはプログラムの命令数が167行あった。
 コンピュータサイエンス的な面では特に見るべきところはなかったが、当時の12歳の
 力量をはるかに超えた作品だったことは確かだ。雑誌掲載の謝礼は500ドルだった。
・このゲームを眺めるかぎり、マスクは子供のころからSF的な世界に憧れ、その頭の中
 は壮大な”制服願望”でいっぱいだったようだ。
 雑誌に掲載したゲームの説明文には、「死の水素爆弾とステータスビーム装置を積んだ
 エイリアンの宇宙船を破壊するのがミッションだ。スプライト(グラフィックの高速表
 示技術)とアニメーションが上手に生かされていて掲載に価すると判断した」とある。
 (ちなみに「ステータスビーム装置」なるものをネットで検索してみたが、どういうも
 のなのか手がかりさえない)
・10代半ばまで、マスクは空想と現実を区別できないほど頭の中で混在させていたよう
 だ。 
 この宇宙における人類の運命を、まるで自分の責任のように受け止めていたのだ。
 今日、彼がクリーンエネルギー技術の改良や、人類の活動領域を拡大するための宇宙船
 開発に没頭しているのもそのあたりにルーツがありそうだ。
・そんなマスクは14歳のとき、「人生の意味や目的を完全に失った」ことがあるという。
 才能ある青少年によくあることだが、彼もまた同じように宗教書や哲学書を読み漁った。
 いくつかの政治思想に興味を持った時期もあるが、結局、元の場所に戻ってきた。
・SF作家「ダグラス・アダムス」の「銀河ヒッチハイク・ガイド」を読んで、あるSF
 的な言葉に大いに感銘を受けたからだ。マスクは説明する。
 「本の中で『本当に難しいのは、何を問えばいいかを見つけることだ』とアダムスは指
 摘している。つまり問いが見つかりさえすれば、答えを出すのは比較的簡単なんだ。
 そして、質問したいことをしっかりと理解しるには、人間の意識の範囲と規模を広げる
 ことが大切だという結論に達した」
 「唯一、人生において意味のあることといえば、啓蒙による人類全体の底上げに努力す
 ることだ」とマスクは語る。
・イーロン・マスクは1971年に南アフリカ北東部の首都プレトリアに生まれた。
 マスク一家のように裕福な白人家庭にとって、当時の南アフリカでの生活は一種の堕落
 感が漂っていた。 
 何しろ黒人のメイドたちが何から何まで面倒を見てくれる。
 だから裕福な南アフリカ人はどうしても人生への情熱といった面が薄くなりがちになる。
・欧米とは比べものにならないほど時間感覚はのんびりしていた。
 彼らにとって「今すぐ」とは、はやくても5分後、ときには5時間後を意味する。
 アフリカの大地らしい、荒削りの生々しいほどのエネルギーがほとばしり、自由を謳歌
 する空気に満ちていた。
・だが、そんなのどかな日常も一枚めくれば、そこには悪名高きアパルトヘイト(人種差
 別政策)があった。
・長年、南アフリカは人種差別政策に関して他国から制裁措置を受けてきた。
 マスクは子供時代に海外旅行が楽しめる裕福な家庭に育ったが、その頃から自国に向け
 られた外部の目を意識するようになった。
 南アフリカの白人の子供たちは、この時期に自国が置かれた状況を知ることで、明らか
 な羞恥心を感じつつ、国の秩序自体に疑問を持つようになる。
 「人類の救済が必要だ」というマスクの信念は、その気になれば誰からも支持されたは
 ずだが、マスクは国内の眼の前のニーズに取り組むよりも、ほぼ一貫して人類全体に目
 を向けていた。 
・やがて、マスクの視線は米国へ向かうようになる。
 月並みではあるが、米国をチャンスの地と捉え、「人類救済」という夢に実現に一番近
 い場所と考えたからだ。
 実際にマスクが米国にたどり着くのは20代のころ。それは祖先伝来の地に戻る旅でも
 あった。
・マスクはとにかく好奇心旺盛で活発な子だった。
 目についたものは片っ端から何でも拾い上げる我が子を見ては、母のメイは早熟で頭の
 いい子だったと目を細めていた。 
 「よその子よりも物事に理解が早かったと思います」とメイは振り返る。
 ただ、息子がときどきボーッとなって心ここにあらずといった状態に陥るのには手を焼
 いた。
 話しかけても、遠くをぼんやりと見るような目つきで何も受け付けなくなってしまうの
 だ。
 あまりに頻発するので、両親も医師も耳が聞こえないのではないかと疑った。
 病院で聴覚検査を何度も受け、アデノイドの手術を受けることにした。
 子供の聴覚が改善する可能性があるからだ。
 ところが「何も変わらなかった」とメイ。
 その結果、聴覚のもんだいというよりも、頭の中の回路の問題らしいことがわかった。
・マスク少年がひとたびこの白昼夢のような状態に陥ると、ほかの子供たちは手に負えな
 くなる。 
 目の前で飛んだり跳ねたりしても、大声で呼びかけても、何事もなかったかのような顔
 をしているのだ。
 ただ、何か考えを巡らせている。
 周囲からすれば、しつけのなっていない子か、単なる変わり者にしか見えなかった。
 「あの子はちょっと違うだけなんですが、社会性がないところがあって。それで周りか
 ら見ると『何だコイツ』とトラブルになったんでしょうね」(メイ)
・もっとも当人にとってこの”白昼夢”状態は至福の瞬間だった。
 本人いわく「5~6歳のころ、外界と断絶して1つのことに全神経を集中させる術を身
 につけた」。 
 頭脳が極めてビジュアルに働く機能を利用し、心の目でイメージを細部まで明確に捉え
 ることができるのだという。
 今で言えば、コンピュータ上で設計図を描くようなものだ。
・本人の説明によればこうだ。
 「脳の中には普通ならば、目から入ってきた視覚情報の処理にしか使われない部分があ
 るが、その部分が思考プロセスに使われているような感じかな。とにかく、視覚情報を
 処理する機能の大部分が物事を思考する過程に使われていた。子供時代は頻繁にハマっ
 ていた」 
・コンピュータの場合、2つの大きな作業を別々のチップで分業している。
 1つはドラマやビデオゲームなどの映像を処理するグラフィックチップ、もう1つは汎
 用的な作業や演算処理を担うための演算処理チップだ。
 やがてマスクは、自分の脳がグラフィックチップと同じように機能しているのだと納得
 するようになった。
 とにかく、この世になるものが見える。
 それを頭の中で再現し、別のものと組み合わせたときにどういう変化が起こるか、ある
 いはどんな反応が生まれるのか、そんな想像を巡らせるようになった。
 「イメージとか数字の場合は、相互の関係や数学的な関連性を把握・処理できる。加速
 度とか運動量とか運動エネルギーなんかが物体にどういう影響を受けるのか、鮮明に浮
 かんでくるんだ」
・もう一つ、少年時代のマスクの性格の中でも印象的なのが、異常とも言える読書欲だ。
 小さい頃からいつも片手に本を持っていた。
 「1日10時間、本にかじりつくことも珍しくなかった。週末には2冊を1日で読破し
 ていた」と弟のキンバルが証言する。
 成長してもその癖は変わらない。
 2時に学校が終わると、そのまま書店に直行して本を読んでいた。
 両親が仕事から帰宅する6時ごろまで書店に張り付いていた。
 まずフィクションを読み、続いてコミックス、最後はノンフィクション、それが主な日
 課だ。
・「そのうち、学校の図書館でも近所の図書館でも読むものがなくなった。3年生か4年
 生のことだ。新しい本を入れてくれと図書館に頼んだこともある。仕方ないのでブリタ
 ニカ百科事典を読み始めたら、これがおもしろかった。いかに自分が知らないことが多
 いかがわかるんだ」
・少年時代のマスクには人の誤りを正さずにはいられないところがあり、相手の神経を逆
 なですることも多かった。
 自分の誤りを指摘してもらえたら嬉しいに決まっていると当時のマスクは本気で考えて
 いた。
 だからまわりの子供たちから煙たがられ、余計に孤独感を深めるのだった。
・しばらくの間、一家の生活は極めて順調だった。
 父エロルのエンジニアリング事業が成功したおかげでプレトリア屈指の大豪邸も手に入
 れた。 
 だが、まもなく一家はバラバラになる。
 両親が別居し、その年のうちに離婚に至ったからだ。
 メイは子供たちを連れて、南アフリカ東海岸のダーバンにある家族の抜爪に移ったが、
 数年後にマスクとの同居を選んでいる。
 「父が孤独でかわいそうだと思った。母が子供全員を引き取った後、父は一人ぼっちだ
 ったから。それは不公平だったと考えた」とマスクは言う。
・マスクの最初の妻で、5人の子供をもうけたジャスティンは、マスクが家庭の”ボス猿”
 的な立場に同情したから父親側についたのであり、心の葛藤があったとは思えないと分
 析する。
 ジャスティンによれば、子煩悩とか仲良し家族というよりも、むしろ一家そろって冷め
 て関係だったため、「マスクが父親とも母親とも深い関係だったとは思えない」と説明
 する。 
 ちなみに弟のキンバルも、「息子は父親と住むのが自然」という理由から、後に父との
 同居を選んでいる。
・父親エロル側の家系は南アフリカにルーツがあり、200年ほど前まで家系を遡ること
 ができる。
 エロルの母コーラ・アメリア・マスクはイングランドのインテリ一家に生まれ育った。
 「祖母は押しの強い性格で、行動力のある女性でした。私たちの人生も大きな影響を受
 けています」
 とキンバルが言う。
 特にマスクは、「おばあちゃん子」だった。
 「両親の離婚後は祖母が私の面倒を見てくれた。学校の送り迎えも、いえでゲームの相
 手をしてくれるのも祖母だった」(マスク)
・はたから見れば、一家の暮らしは豪勢に見えた。
 読書好きのマスクのためにたくさんの本をそろえ、本人が欲しいといえばコンピュータ
 でも何でも買い与えていた。
 父のエロルは子供たちを連れては何度も海外旅行に出かけた。
・キャンバルは「本当に楽しかった。いい思い出がいっぱいある」と振り返る。
 また、非常に知的で、子供たちには生きた教訓を授ける父親でもあった。
 マスクによれば、「父は有能なエンジニアで、あらゆる物体の働きに精通していた」。
 兄弟で父の仕事現場に呼び出され、レンガ積みや配管、窓枠の取り付け、電気配線を教
 え込まれた。 
 「楽しい時間だった」とマスクは語る。
・ただし、父親のしつけは相当に厳しかった。
 息子たちを座らせたまま、一方的に3時間も4時間も説教を続けた。
 口答えは一切許さない。
 厳しくしつけることに喜びを感じていたようで、子供らしい遊びの時間まで取り上げて
 いた。 
・マスクもキンバルも詳しく語ろうとはしないが、当時の父親との生活は簡単に言い表せ
 ないほど厳しいものだったようだ。
 2人とも、一種の精神的拷問を耐え抜くといった言葉さえ口にした。
 「精神的に本当に辛いしつけでしたが、そのおかげで私たちの今がある」とキンバルは
 言う。
・一方、2人の母であるメイは、エロルの話題を持ち出しただけで表情がこわばった。
 「あの人とうまくやっていける人なんているわけないわ。ほんとうにひどい人間だった
 から。当時のことは思い出すだけでも恐ろしい。お願いだから、もうその話題は勘弁し
 て。子供や孫もいることだし」と」名は口をつぐむ。
・マスクから「もう父親に連絡を取らないでほしい」と注文をつけられた。
 「父はとにかく変人」なので、彼の昔の話は当てにならないというのだ。
 ならばもう少し詳しく教えてくれと迫ると、マスクが重い口を開いた。
 「正確に言えば、まっとうな子供時代じゃなかったということ。いいことがまったくな
 かったわけではないが、幸せではなかった。惨めというのかな。父は、人の人生を惨め
 にする特技の持ち主。それは確か。どんないい状況でも、ダメにしてしまう。幸せな男
 ではないね。まあ、どうやったらあんな人間になれるのやら。あまりに厄介なので、申
 し訳ないが、これ以上は話せない」 
 マスクと最初の妻ジャスティンは、子供たちをエロルに会わせないと決めている。
・マスクが生まれて初めてコンピュータを目にしたのは10歳のころ。
 場所はヨハネスブルクのショッピングモールだった。
 見た瞬間「こりゃ、すごいぞ」って。
 人間の命令をプログラムできる機会の可能性に衝撃を受けた瞬間だった。
 「もう手に入れるしかないと思って、父にコンピュータを買おうよとしつこくせがみま
 したよ」 
・ほどなくして、コモドール社のコンピュータ「VICー20」がマスクのもとにやって
 きた。 
 1980年に発売されて人気を博した機種だ。
 5キロバイトのメモリーを搭載し、プログラミング言語「BASIC」の手引書が付属
 していた。
・「手引書は6カ月かけて全過程が学べるようになっていたんだけど、極度の強迫観念に
 駆られて3日間一睡もせずに格闘して全部終わらせてしまった。あんなに虜になったも
 のはなかった」 
 父親は技術者であったにもかかわらず、家庭用のコンピュータには否定的な態度だった。
・爆弾やロケットを手作りしようとしたこともある。
 米国では、エステス社の固形燃料推進型ロケット模型が愛好家の間で人気だが、当時の
 南アフリカにはそういう科学模型がなかったから、マスクは自ら化合物を作って容器に
 詰めていた。 
・遊びの次に彼らが考えた面白いことは「起業」だった。
 ゲームセンターを開業しようとしたのだ。
 親の知らない間に立地を選定し、機材をリースするところまではいったが、営業許可の
 取得に18歳以上の成人の参加が必要なことが判明。結局計画は頓挫する。
・数ある逸話の中でも武勇伝と言えるのは、プレトリアとヨハネスブルグを往復する旅だ
 ろう。
 1980年代の南アフリカは、かなり危険な国だった。
 特に両都市を結ぶ鈍行列車はヤバイ乗り物として悪名高かった。
 キンバルは、この旅が兄弟の成長に大きな役割を果たしたと語る。
 「成り行き任せで何とかなるような呑気な国ではなかったから、私たちに与える影響力
 も大きかった。こういう恐怖と背中合わせの体験のおかげで、リスクへの心構えができ
 た。職につけるかどうかなんて考えている暇もなかった。それどころではなかったから」
・少年時代のマスクは楽しいことばかりではなかった。
 深刻ないじめにも遭っていて、それが原因で中学校も高校も何度か転校している。
 ある日、弟のキンバルと一緒にマスクは構内の階段に座って食事をしていた。
 ある不良がマスクにつきまとうようになったからだ。
 「ああいう不良が意味もなくつきまとうから、いつも見つからないようにしていた。
 きっかけは大したことじゃない。集会のときにうっかり彼にぶつかったんだ。すると、
 異様に怒り出した。それだけのことだ」
・その不良は薄李漢つけてきて、会談に座っていたマスクの頭を蹴飛ばした。
 マスクは階段を転げ落ち、踊り場に倒れ込む。
 そこに数人が寄ってたかって殴る蹴るの暴行を加えた。
 そのうちのリーダーはマスクの顔を床に叩きつけた。
 「本当にイカれた連中でね。私は気を失ったんだ」
・一部始終を見ていたキンバルは、血の気が引く思いだった。
 すぐに階段を降りて、マスクを抱き起すと、兄の顔は血まみれだった。
 「まるでボクシングの試合後みたいな表情だった」とキンバル。
 すぐに病院に運び込まれた。
 全治1週間だった。
 2013年の記者会見で、当時の殴られた後遺症のために隆鼻術の手術を受けたことを
 明らかにしている。   
・マスクは、この執拗ないじめに3~4年も堪えた。
 だが、不良たちはマスクと比較的仲の良い友人にまで手を出し、マスクと遊ばないよう
 に脅す始末だった。
 「友達を利用して、逃げ回る私をおびき出したこともあった。本当に汚いことをしやが
 る」
・話しているうちにマスクの目には熱く込み上げるものがあり、声を震わせていた。
 不良たちが静かになり、陰湿ないじめから彼がようやく解放されたのは高校時代も後半
 のことだった。 
・当時のクラスメートは、マスクについて「おとなしくて目立たない生徒」だったと述懐
 する。
 クラスに優秀な生徒は4~5人いたが、マスクはそういうタイプではなかった。
 スポーツに興味がなかったため、クラスでは浮いていたという。
 別のクラスメートは、「正直言って、億万長者になるような片鱗はうかがえなかった。
 リーダーになるタイプでもなかったし、まさかこんなふうになるとは、本当に驚いてい
 る」と証言する。
・変わった人物という印象はあったようだ。
 友達のテッド・ウッドは、休みの日に科学模型のロケットを学校に持ち込んで打ち上げ
 ていたマスクの姿を今も覚えている。
 理科の授業中、太陽光エネルギーを支持し、化石燃料を激しく批判してクラスメートを
 驚かせたこともある。
 南アフリカといえば、ある意味、天然資源を掘り起こすことで利益をあげていた国だ。
 そんな中で、こういう発言をすることは神を冒涜するような行為だったはずだ。
 「何事についても確固たる意見の持ち主だった」とクラスメートは振り返る。
 長年、マスクと連絡を取り合っていたクラスメートのテレンシー・ベネイによれば、
 高校時代にも「他の惑星に入植する」といった夢を語っていたという。
・マスクは学校で飛び抜けて成績優秀だったわけではないが、実験的なコンピュータ教育
 プログラムに積極的に参加した。
 様々な学校から選ばれた生徒が集まって、BASICやCOBOL,Pacalといっ
 たプログラミング言語を習得する制度だ。
・母のメイによれば、高校時代はビデオゲームのプログラムを作って、大人を驚かせるこ
 ともあった。 
 また、驚異的な記憶力の持ち主だったが、学校で与えられた勉強にはまるで興味が無か
 ったため、学校の成績はあまる良くなかったらしい。
・17歳を迎えたマスクは、カナダを目指すことにした。
 彼の説明には2つのパターンがある。
 短いバージョンでは、「米国に一刻も早く行きたかったので、親戚を頼ってカナダに渡
 り、そこから米国に移動することにした」という説明だ。
 もう1つの説明は、より社会的な意識の高さが垣間見えるものだ。
 「当時、南アフリカには徴兵制があったが、もし徴兵されれば否が応でもアパルトヘイ
 トに関わらざるを得なくなる」という理由だ。とにかく徴兵を逃れたかったというのだ。
・マスクはこの壮大な冒険の旅に出る直前、プレトリア大学に籍を置いている。
 大学では物理と工学を専攻したが、学業に情熱を燃やすこともなく、わずか5ヵ月で中
 退してしまう。  
 当人に言わせれば、大学生活は「カナダの入国書類が揃うまでの暇つぶし」だった。
 徴兵制から逃れるために学生の身分を確保していたにすぎない。
・一方、南アフリカは、「イーロンのような人間にとっては監獄みたいな場所」とキンバ
 ルが言うように、起業家精神あふれる者にとってはチャンスの乏しい国だった。
・ある日、”脱獄”のチャンスが訪れる。
 母メイのカナダ国籍を子供にも与えられるように法律が改正されたのだ。
 早速マスクはカナダ国籍取得の申請に乗り出した。
 カナダ政府の承認が下りるまでおよそ1年。ついに同国のパスポートを手にする。
 まだ、インターネットもない時代だ。航空券を手にするまでの3週間がどれほど長く感
 じたことか。  
 航空券を受け取ると同時に、マスクは躊躇なく旅立った。
 祖国に永遠の別れを告げた瞬間だった。
 
新大陸へ 壮大な冒険の始まり
・カナダへの大脱出は、考えに考え抜いた末の行動ではない。
 モントリオールに大叔父がいることは知っていたので、とりあえず海を渡り、運を天に
 任せたのである。
・1988年6月、カナダに降り立ったマスクは公衆電話を探し、電話番号案内で大叔父
 を探そうとするも失敗する。
 続いてコレクトコールで母親に電話したところ、残念な知らせが入ってきた。
 マスクの出発前にメイが大叔父に手紙を送り、マスクの移動中に返信があった。
 なんと大叔父はすでに米国ミネソタ州に引っ越していたのだ。
 行き場を失ったマスクは、ユースホテルを探した。
・計画を変更することにした。
 メイの親戚はカナダ各地に散らなっている。その親せきを頼ることにしたのだ。
 バスを乗り継ぎながらカナダの真ん中にあるサスカチュワン州を目指した。
 祖父の家があった地だ。
・それから1年間、マスクはカナダ全土でさまざまな肉体労働を経験することになった。
 従兄弟の農場で野菜の栽培、収穫に精を出し、そこで18歳の誕生日を迎えた。
 バンクーバーでは、チェーンソーによる木の伐採術を身につける。
 職業安定所では、これまでになく厳しい仕事に出会う。
 高額報酬の仕事を求めたところ、製材所のボイラー室の清掃を支持された。
 「防護服を着て、体がギリギリ入るくらいの細い通路に潜り込んだ。シャベルで砂やド
 ロドロした残留物を取り出す。もちろん湯気が出るほど熱い。これを通路から外に出す
 のが仕事。逃げ道はほかになし。通路の反対側で誰かが手押し車で待っている。内部に
 30分以上いると暑さで確実に死ぬね」
・マスクがカナダで頑張っているところ、弟や妹、そして母親もカナダ行きを考え始めて
 いた。やがてマスクはカナダで弟のキンバルと合流する。
・1980年、マスクはオンタリオ州にあるクイーンズ大学に入学する。
 州内にはウォータールー大学という理工系の名門大学もあるが、マスクによれば「クイ
 ーンズのほうが可愛い女性が多かったから」だという。
・勉強以外は、キンバルと新聞を読む時間が多かった。
 会ってみたい人を探すのが目的だった。
 新聞で面白そうな人を見つけては、いきなり電話して「ランチをご一緒したい」と申し
 出るのだ。
・ノバ・スコシア銀行の役員ピーター・ニコルソンは、今でもマスクからの電話を覚えて
 いる。
 「アポなしの依頼には応じたことがなかったのですが、なかなかガッツのある若者だと
 思い、この時ばかりは受け入れたんです」
・ニコルソンによれば、兄弟の印象は自己表現に長けていて、礼儀正しかった。
 ただ、カリスマ性があって愛想もいい弟のキンバルと比べて、マスクは少々オタクぽく、
 ぎこちなさが目立った。
 「彼らと話しているうちに、どんどん引き込まれていったのを覚えています。確固たる
 信念を感じました」とニコルソンは回想する。
・それからほどなくして、マスクはニコルソンの娘クリスティを自分の誕生日パーティー
 に招待した。集まったメンバーは15人ほど。
 クリスティに会うのはこれが初めてだった。
 「彼は『僕は電気自動車のことばかり考えてるんだ』と言い出したんですよ。私を見つ
 けて『電気自動車のこと、考えたことある?』ですって」とクリスティ。
 「ともかく印象的でした。明らかに個性的で、そこに魅力を感じました」
・ほっそりとしたブロンドヘアーのクリスティは、まさにマスクのタイプだった。
 マスクがカナダにいる間、2人は連絡を取り合っていた。
 交際するまではいかなかったが、たびたび長電話する仲だった。
・やがてマスクは大学の同級生、ジャスティン・ウィルソンと深い関係になる。
 脚線美にブラウンのロングヘア―のジャスティンは、セクシーで女らしさにあふれてい
 た。年上の男性と恋仲だったが、彼氏を捨ててこの大学に入学した。
 そんなジャスティンは、すぎにマスクの目に留まった。
・学生寮の前で待ち伏せし、偶然を装って彼女にぶつかった。
 そして以前にパーティーで会ったことがあると話を切り出した。
 ジャスティンはカスクのデートの誘いを受け入れた。
・ある日、ジャスティンが学生センターにこもってスペイン語の勉強をしていると、溶け
 かかったチョコチップ・アイスクリームを手にしたマスクが立っていた。
・当時、ジャスティンは、小説家のような繊細な男性との情熱的なロマンスを夢見ていた。
 だが、好きになったのは、強引で夢多きオタク青年だった。
・大学時代、2人はくっついたり離れたりしていたが、マスクはつき合いたい一心でがん
 ばっていた。  
 「彼女は恋愛にも積極的な娘さんで、格好いい男の子たちとたくさんつき合ってたから、
 イーロンにはまるで関心がなかったの。大変だったと思います」とメイ。
 ほかの女性に気持ちが傾いたことも何度かあったが、結局、ジャスティンが本命である
 ことは変わらなかった。
・だが、当のジャスティンはマスクに対してそっけない。
 マスクはめげずにしつこく思いをアピールするしかなかった。
 「とにかく電話をかけ続けてくるの。イエスと言うまでこんな調子だから。まるでター
 ミネーターみたいね。いったん狙いを定めたら、『お前は俺のもの』と思い込んでる。
 じりじりと迫ってきて・・・最後は根負けしたんです」
・クイーンズ大学はマスクの肌に合っていたようだ。
 少しでも知らないことがあれば徹底的に勉強し、自分の知能を認めてくれる人々を探す
 場になっていた。 
・当時、彼がのめり込んでいたエネルギーや右仲などの話題を持ち出しても、笑ったり冷
 やかしたりする学生はいない。
 だから自分の夢に反応してくれる人間を探しやすかった。
 この大学という環境が大きな救いだったのだ。
・当時、マスクは寮内で小遣い稼ぎにパソコンや周辺機器を売っていた。
 「注文に合わせてゲーム機とか簡単なワープロを作ることもあった。値段も店より安く
 してね。後はコンピュータが起動しなかったり、ウイルスに感染したりしたときは直す
 サービスもしていたし。とにかくいろいろな問題を解決していたよ」
・1992年、クイーンズ大学の2年生を終えるタイミングで、マスクは奨学金を得てペ
 ンシルバニア大学に編入する。 
 アイビーリーグの名門校なら、さらにたくさんのドアを開けることができると考えた末
 の決断だった。 
 また、二重専攻にもチェレンジした。
 ペンシルバニア大学のビジネススクールであるウォートンスクールで経済学を学び、
 さらに物理学の学位も取った。
・もともと、マスクは太陽光発電や新エネルギー利用に関心を持っていたが、ペンシルバ
 ニア大学時代にその関心は一層深まった。
 1994年12月、授業でビジネスプランを作成することになった。
 そこで作ったのが、「太陽エネルギー利用の重要性」と題した小論文だ。
・この小論文では、素材の改良や大規模太陽光発電所の建設を背景とした太陽光発電技術
 の隆盛を予測している。
 太陽電池の仕組みやこれを効率化する多彩な化合物について調査結果を披露し、最後に
 「未来の発電所」なる図面で締めくくっている。
・これによれば、1基全長4kmの巨大なソーラーアレイ(複数の太陽電池モジュールを
 大量に並べたもの)2枚を宇宙空間に翼のように広げた構造物で、発電した電気をマイ
 クロ波ビームで地球に送り、地球側では直径7kmのアンテナで受け取る仕組みだ。
・次に書いた論文では、学術文献や書籍を電子的にスキャンして、OCR技術で文字を認
 識し、あらゆる情報をデータベースに一元化する技術について取り上げた。
 現在の「グーグルブックス」や「グーグルスカラー」に相当する。
・3つめの論文は、やはりマスクのお気に入りのテーマであるウルトラキャパシター(電
 気二重層コンデンサ―)に関するものだ。
 この論文で新たな蓄電方式を披露しているのだが、これはその後に真楠が追求する自動
 車、飛行機、ロケットにも適したものだった。
・シリコンバレーの研究所による最新調査結果を挙げたうえで、「膨大な電力を蓄積する
 新手法としてウルトラキャパシターは、電池や燃料電池の開発以来の出来事である。
 さらに、ウルトラキャパシターは、キャパシター(蓄電器)としての基本特性を保持す
 るため、同じ重量のバッテリーと比べて100倍以上も速くエネルギーを送ることがで
 き、高速充電も可能だ」と書いている。
・大学失業後の進路に真剣に考えるようになったころ、一時期、ビデオゲーム業界も候補
 だった。  
 世どものときからゲームに夢中だったし、ゲーム会社でのインターン経験もあったから
 だ。
 だが、自分が人生をかけて追いかけるほどでもないと悟る。
 「コンピュータゲームは大好きだけど、じぶんで素晴らしいゲームを開発できたとして、
 それが世界にどれほどの影響力を持つのか冷静に考えてみた。まあ、大したことはない
 だろうと、心の底から好きなことではあっても、生涯の職業として人生をかけることは
 できないと判断したんだ」
・この時期のマスクが壮大な夢を描いていたことは多くの人々が覚えている。
 実際、本人も過去のインタビューで認めている。
 クイーンズ大学やペンシルバニア大学に通っていたころ、こうしたアイデアに思いを巡
 らせていたが、結論はいつも同じだった。
 つまり、「インターネット」「宇宙」「再生可能エネルギー」の3つの分野こそ、今後、
 大きな変化を遂げる分野であり、自分が影響力を発揮できる市場だと見ていたのだ。
 
初めての起業 成功への第一歩を踏み出すまで
・1994年夏、マスクは弟のキンバルと全米をまわる長旅に出発した。
 「本物の米国人になりたかった」のだという。
 2人で資金を出し合い、70年代のポンコツのBMW320iを手に入れた。
 ギラギラとした太陽が照りつける8月、サンフランシスコから2人の旅が始まった。
・折しもインターネットの世界では、ヤフーのようなディレクトリー型サイトが登場し、
 ネットスケープといったウェブブラウザが開発され、一般人でも手軽にウェブを利用で
 きるようになった時代だった。 
・ほどなく2人はネットに夢中になり、ウェブ上で何かビジネスを立ち上げたいと考える
 ようになった。
・新学期の始まりとともに長旅は終わり、マスクは大学に戻った。
 旅行中に考えついた一番のアイデアは「医師のオンラインネットワーク」だった。
 電子カルテといった大掛かりなものではなく、医師同士で情報交換できるような場を提
 供するビジネスだった。
 「医療の世界は横のつながりが希薄だと思ったんです。私が事業プランを作って、営業
 も担当するつもりでしたが、結局、途中で気が変わって実現には至りませんでした」と
 キンバル。
・夏の旅に出るまでマスクはシリコンバレーでインターン生として過ごした。
 勤務先はピクナルリサーチ。
 メンバーは科学者中心で、電気自動車やハイブリッド車の革新的な動力源としてウルト
 ラキャパシターの活用方法を研究するベンチャーということで前評判も高かった。
・大きなエネルギーを放出できるウルトラキャパシターはレーザー光線兵器にも利用でき
 るし、ミサイルの玄源としても有望そうに見えた。
 マスクはたちまちこの会社の仕事に惚れ込んだ。
・夜はパロアルトに本拠を置くベンチャー、ロケットサイエンスゲームズに移動する。
 当時としては最先端のビデオゲームを開発していた会社だ。
 それまで一般的だったカートリッジから大容量にCD-ROMにゲームソフトの記憶媒
 体を移行させた会社としても知られる。
・マスクは、この会社でのインターン経験を通じて、人材と働き方の両面でシリコンバレ
 ー流を学んだ。
 オフィスでは、24時間いつも誰かが働いている。
 昼のインターンを終えたマスクが夕方5時に出社しても、誰も変だとは思わない。
 同社の立ち上げに関わったオーストラリア人のエンジニアのピーター・バレットが回想
 する。
 「イーロンには、ごく簡単なコードを書く雑用係として来てもらったんです。まったく
 物怖じしない性格でした。しばらくしたら、もう誰も彼にいちいち指示しなくなってい
 たと思います。自分で考えて必要なものを作るようになっていたんですね」
・マスクに与えられていた作業は、さまざまなパソコンやゲーム機でジョイスティックや
 マウスを使用可能にするドライバーというソフトの作成だった。
・ドライバーのインストール作業はユーザーにしてみれば苦痛でしかないが、ドライバー
 の制作作業もまた退屈な仕事だった。
 独学でプログラミングを身につけたマスクは、腕に自信があったし、もっと面白い仕事
 をしようと考えた。
 「当時は1つのことしか処理できなかったので、複数の処理を同時並行できる技術を探
 りたかったんだ。例えばCDの動画データを読み出しながら、同時にゲームを作動させ
 るとかね。アセンブリ言語で実現するには厄介な作業だったんです」とマスクが説明す
 る。
・マスクの目には、シリコンバレーがチャンスの宝庫に映った。
 求めていた場所がそこにあった。
 在学中は2年連続で夏休みをシリコンバレーで過ごし、ペンシルベニア大学卒業後は迷
 うことなく西海岸を目指した。
・当初マスクは、スタンフォード大学の大学院で材料工学と物理学の博士号を取得し、
 ウルトラキャパシター関係の研究をさらに深めるつもりだった。
 だが、わずか2日でスタンフォードを中退する。
 インターネットに秘められた魅力にとりつかれたからだ。
 キンバルを誘ってシリコンバレーに拠点を移し、ウェブで一旗揚げようと誓い合う。
・インターネットビジネスの可能性に初めて気づいたのはインターン中だった。
 ある日、電話帳皇国の営業マンがオフィスにやってきて、従来の電話帳に掲載すると同
 時にネット上にも広告を出せば集客効果が高まると説明していた。
 だが、消費者がどうやってオンライン広告を見つけるのかを担当者に問われて、しどろ
 もどろになるなど、あまり」ネットに詳しくないようで四苦八苦していた。
 それを見ていたマスクは、キンバルと連絡を取り、企業のオンライン事業支援はビジネ
 スになるのではないかと話し合った。
・時は1995年。インターネットが急速に一般に広まり始めた年だ。
 さっそく兄弟でZip2というベンチャー企業を立ち上げることにした。
・Zip2のアイデア自体は単純なものだった。
 当時の飲食店や商店は、インターネットの可能性など理解していなかった。
 そこでマスクらはレストランやブティック、美容院などを訪問しては、インターネット
 利用者に店の存在を知ってもらうチャンスだと訴えた。
 Zip2は検索対応のディレクトリー(企業リスト)を作成、所在地の地図も連動させ
 た。 
 セールストークは「最寄りのビルのピザ屋さんの場所と店までの道順がわかったら便利
 ですよね」。
 今で言えば、イェルプとグーグルマップを融合させたようなサービスだったが、誰も思
 いつかなかったのだ。 
・Zip2は、カリフォルニア州パロアルトにあるアパートの小さな部屋で産声をあげた。
 3階建てだがエレベーターはなく、トイレはすぐ詰まる。
 たまたま階下のオフィスでサービスプロバイダーを運営していたレイ・ジルアードに掛
 け合い、高速インターネット回線を確保した。
・ジルアードによれば、オフィスの入り口に近い壁にマスクがドリルで穴をあけ、イーサ
 ネットケーブルを通し、会かの手すりに沿わせて階下まで引いたという。
・Zip2のサービスの基本的なプログラミングはすべてマスクが手がけた。
 一方、飛び込みの営業は火と当たりのいいキンバルの担当だった。
 起業の名称と所在地の情報は、サンフランシスコのベイエリアにある企業のデータベー
 スを低料金で利用した。  
・次にマスクが目をつけたのは、初期のGPSナビ向けにデジタルマップと位置情報のサ
 ービスを提唱していたナブテックという企業だった。
 マスクの交渉が功を奏し、無償提供という驚くような条件でサービス利用契約を締結し
 た。
 マスク自身が同社の地図データベースと位置情報データベースを統合して基本的なシス
 テムを構築・運用する見返りとして、無償提供が実現したのである。
 その後、おもな都市部以外にもサービスエリアを広げ、家庭のパソコン向けに道順表示
 の見栄えや機能を提供するため、Zip2のエンジニアチームが初期のデータに新規地
 図データを追加していった。
・創業から3ヵ月間は、2人ともオフィスに寝泊まりしていた。
 室内には小さなクローゼットがあったが、ここにすべての衣類を収納し、シャワーは近
 所のYMCAで済ませていた。
・ようやく2人は二間のアパートを契約する。
 ベッドなど買わず、床にマットレスを置いて眠った。
・Zip2は、当時としてはIT時代を先取りした最先端のインターネット企業ではあっ
 たが、実際には昔ながらの飛び込み営業頼みのビジネスだった。
 とにかくネット上での宣伝にメリットがあることを説得して、未知なるものに金を出さ
 せなければならない。 
・従業員の士気が落ちなかったのには理由がある。
 マスクがZip2のソフトを常に改善し、同社のサービスが実証実験のレベルから実用
 的な製品レベルへと進化を続けていたからである。
 見た目が印象的なウェブサイトづくりを心がけ、いかにも重要なサービスという雰囲気
 を出すなど、マーケティングのセンスもあった。
・マスクはごく普通のパソコンを大きなケースに収めて車輪付きの台に載せ、さも大型コ
 ンピュータであるかのように装った。 
 事業に興味のある投資家が来社した際には、この張りぼてを披露し、Zip2のサービ
 スが小型のスーパーコンピュータ上で運用されているように見せかけた。
 「投資家連中はみんな『すごい』と驚いていましたよ」とキンバルは笑う。
 マスクの異常ともいえる会社一筋の姿勢が投資家の心を打った。
・1996年初めZip2に大きな転機が訪れる。
 ベンチャー―キャピタルのモエ・デビドウ・ベンチャーズがマスクらの手がけるインタ
 ーネット版イエローページに関心を示したのだ。
 マスクのプレゼンテーション能力はまだ荒削りだったとはいえ、見事に思いが通じ、
 同社は300万ドル(約3憶6千万円)の投資を取り付けた。
 この資金調達を機に正式に社名をZip2に改称(元々の社名は「グローバルリンク」)
 し、広いオフィスに移転して有能なエンジニアを採用し始めた。
・経営戦略も変更した。
 当時、Zip2はウェブ上でも屈指の道順案内システムを構築しており、この技術を洗
 練させて、対象範囲を地元ベイエリアだけでなく全米規模に拡大していた。
 一軒一軒飛び込み営業で自社サービスを細々と売り歩くのではなく、パッケージソフト
 として開発することでまとめて新聞社に販売しようと考えたのだ。 
・新聞社はこのソフトがあれば、不動産会社や自動車ディーラーの広告、人材募集などの
 案内広告をオンライン上で掲載できるようになる。
 当時の新聞社はネットが新聞業界に及ぼす影響など、まともに理解できていなかったか
 ら、技術が社内にあるはずもなかった。
・一方、Zip2にとっても、自社だけのサービスへの広告掲載を細々と営業して回るよ
 りも最初から全米規模で膨大な案内広告を扱っている新聞社に対して、ネット配信する
 ためのソフトを売り込むほうが、利益は大きいと睨んだのだ。
・ビジネスモデルの転換と経営体制の変化は、やがてマスクの人生を大きく変えることに
 なった。  
 まずベンチャーキャピタル側がマスクに技術責任者の職に専念するよう求め、経営面は
 リッチ・ソーキンという男を雇って新たなCEOに据えた。
・オーディオ機器メーカーのクリエイティブラボに勤務していたソーキンは、事業開発部
 門で数々のITベンチャーへの出資を手がけてきた人物だった。
 それだけにZip2の投資からの目には、ウェブ関連に明るいベテランと映った。
 マスクはこの新しい経営体制を受け入れたが、Zip2の経営権を手放したことに怒り
 が収まらなかった。
・技術担当バイスプレジデントのジム・アンブラスという男は、ヒューレット・パッカー
 ド・ラボやシリコングラフィックス(SGI)での勤務経験があり、外部からの初の資
 金調達を機に、鳴り物入りで採用された優秀な人材だ。
 当時、ハリウッド関係者の間で高度な映像処理用コンピュータに定評があったSGIか
 ら精鋭技術者を次々に引き抜いてしまう。
・マスクは、独学のプログラマーとしては傑出していたが、SGIから引き抜いたような
 精鋭らの腕前には及ばなかった。
 彼らはマスクが書いたZip2のソフトのソースコードを一瞥するや、大部分を書き直
 し始めた。
 マスクにしてみれば不愉快きわまりないが、力の差は歴然だった。
 精鋭チームは、プログラミングの作業態勢を機能ごとの分業制に改め、さらに現実的な
 締め切りを設定するようになった。
・Zip2を創業し、会社の成長を見守る中でマスクは自信を深めていった。
 高校時代の友人、テレンシー・ベネイは、マスクに会いにカリフォルニアを訪れたとこ
 ろ、彼の性格の変化にすぐに気づいたという。
 そのころマスクの母親はアパートを借りていたが、大家がかなり意地悪だったらしい。
 そんな大家に強く抗議するマスクの姿があった。
 ベネイが当時を振り返りながら説明する。
 「『そんなに誰かをいじめたいなら、僕をいじめたらどうですか』と毅然とした態度で
 迫っていたんです。その威圧感にほんとうにびっくりしました。何しろ僕が覚えている
 イーロンは、ちょっとオタクっぽくて、いつもおどおどしていて、感情の起伏が激しか
 ったんです。だからからかわれやすかったんですね。ところが、あの日に見たイーロン
 は自信に満ちていて常に冷静でした」
 また、他人への批判的な態度も意識的に抑えようとしていた。
・もっとも、無茶な仕事を要求したり、無遠慮な批判をぶつけたりで、若いエンジニアた
 ちを怒らせる癖は完全に消えたわけではなかった。 
 Zip2のクリエイティブディレクターだったドルス・ダウンズが次のようなエピソー
 ドを教えてくれた。
 「新しいサイトの打ち合わせのとき、技術的な変更について、誰かが無理だと文句を言
 ったんです。そうしたらイーロンがその社員に向かって『どう思われようと、俺の知っ
 たこっちゃない』と吐き捨てて出て行っちゃった。イーロンの辞書に『不可能』という
 言葉はないし、周囲の人間にも同じ考え方を期待しているんです」
・オフィスでもマスクの猛烈ぶりが炸裂する。
 ベンチャーキャピタルのような投資家が来社するときは、従業員全員を集め、デスクで
 受話器を持たせて、さも忙しい雰囲気を演出させた。
 ゲーム大会などのイベントがあれば、特別チームを結成して参加させる。
・ソーキングをCEOに迎えてからのZip2は新聞社を取引先に持つようになり、業績
 は大きく伸びた。
 ニューヨーク・タイムズ、ナイトリッダー、ハーストといった大手メディア企業が続々
 と同社のサービスを契約した。  
 中には、サービス契約だけでなく、Zip2に5千万ドルの資金提供を申し出た会社も
 ある。
 ちょうどクレイグリストのような無料のオンライン案内広告サービスが登場し始め、
 新聞各社はなんらかの手を打つ必要があったのだ。
 「『インターネットとかいう厄介なものが登場したぞ』というのが、新聞社の本音でし
 た。新聞社としては、不動産や自動車、娯楽などの案内広告や求人紅黄を1つでも多く
 とりたいので、Zip2がその受け皿になると見てくれたんです」
・「マスメディアをパワーアップ」をキャッチフレーズにビジネスを展開していった
 Zip2は巨額の利益を稼ぎ出し、急成長を遂げだ。
 たちまち本社オフィスが手狭になり、女子トイレの入り口までデスクを置く状況になっ
 ていた。 
・1997年、順調に発展するZip2は、カリフォルニア州マウンテンビューにある広
 くてきれいなオフィスに移転する。
 だが、同社が新聞社の裏方的な立ち位置に甘んじている状況にマスクは苛立っていた。
 直接消費者に面白いサービスを提供できたはずなのだから、「都市名+com」のドメ
 インネームを確保して消費者向け情報サイト運営に乗り出すべきだと提案したのだった。
・ところが、新聞社からの収入が安定している現状に慣れきっていたソーキンや他の取締
 役は、新規事業には消極的だった。
・1998年4月、Zip2は一か八かの大型取引を発表する。
 競合するシティサーチとの合併で、3億ドルの案件だ。
 新会社はシティサーチの名前を引き継ぎ、ソーキングがトップに就任することに決まっ
 た。 
 契約上は対等合併だが、実態はやや違った。
 シティサーチはすでに全米各地で地域情報を提供していたうえ、Zip2の優秀なエン
 ジニアチームをサポートできる敏腕営業・マーケティングチームを抱えていた。
 その意味でなるべくしてなった合併だったのだ。
・ただ、合併後はいくつもの難題が伴う。
 互いの帳簿の精査もあるし、重複する職務があれば社員の解雇もありうる。
 そんな中で財務内容の説明についてシティサーチ側に誠意が感じられなかったり、
 Zip2側の役員の間では解雇への不安が渦巻いていたりするなど、暗雲がたれ込める。 
・Zip2のある一派は合併案件自体の白紙撤回を主張し始め、マスクも合併支持から反
 対に転じた。
 だが、曽0キングの合併決行の意志は固かった。
 1998年5月、結局、合併は中止となり、マスコミは大型合併が迷走の末に暗礁に乗
 り上げたと厳しい論調を繰り広げた。
 マスクはZip2の取締役会に対してソーキング追放を迫り、自身のCEO復帰を要求
 したものの、取締役会は拒絶する。
 それどころかマスクは会長のポストを失ってしまう。
 ソーキンの後釜として取締役会が指名したのは、モア・デビドウとベンチャーキャピタ
 ルを運営するデレク・プローディアンだった。
・ソーキンは、この間にマスクが見せた一連の言動に不快感を示し、後に取締役会がマス
 クを降格させたことにも触れ、取締役会も同じ意見だったと指摘している。
 「反発や責任のなすり合いがひどかったですね。イーロンはCEO復帰を求めていまし
 たが、『君が最初に作った会社だ。誰かに買ってもらって、その利益を元手に2社目、
 3社目、4社目を作ればいいじゃないか』と言ったんです」とプローディアンは振り返
 る。 
・この合併案刑が立ち消えになったことでZip2は苦境に立たされた。
 資金は減るばかりだった。
 マスクは依然として消費者向け市場への進出にこだわっていたが、プローディアンは投
 資がかさみすぎると難色を示した。
 折しもマイクロソフトが市場に猛攻撃をかけていたうえに、同様のベンチャーも続々登
 場し始めていた。
 Zip2の技術陣はすっかりやる気を失い、もう競合他社には勝てそうにないと不安を
 口にしていたころだった。
・1999年2月、PCメーカーのコンパック・コンピュータが突然Zip2買収を持ち
 かけた。
 現金3憶7百万ドルによる買収だ。
 結局、ベンチャーキャピタルのモエ・デビドウは20倍のリターンを手にし、マスクは
 2200万ドル、キンバルは1500万ドルを確保した。
・あらためて、マスクにZip2時代を振り返ってもらった。
 「社員と一緒にもと良い状況をつくることができたはずだった」というのが彼の答えだ。
 「それまで自分は、組織らしい組織を率いた経験がなかった。チームスポーツでキャプ
 テンを務めたことも、人を管理したこともない。組織に力を発揮させるにはどうすれば
 いいかなんて考えもしなかった。みんなが自分と同じように行動してくれるはずという
 思い込みからして間違っていた。仮に似たような行動をとってくれたとしても、こちら
 の真意が伝わった結果とは限らない。もう1人の自分がいたとして、なんらかの指示を
 しても、半分も伝わればいいところだろう。そんなもう1人の自分が結論にたどり着く
 わけがない。だから『こう話したら、彼らにどんなふうに聞こえるのだろうか』と常に
 自問自答することが大切だ」 
・Zip2時代、社員が帰宅して翌朝出社すると、マスクが担当者に相談もなしに開発中
 の製品に手を入れてしまっていることがあった。そういう対立的なやり方は社内の空気
 を悪くするばかりだった。
 「Zip2の技術者はみんな優秀だった。ただ、なんというか、私の号がうまくプログ
 ラムをかける場合もあったんだ。だからちょっと覗いて、ダメな部分を直してあげた。
 彼らだけに任せていたらイライラするでしょ?だから私が手を入れる。私がやったら、
 (ソフトは)5倍高速に動作したよ。以前、誰かが量子力学の公式を使って量子確率を
 計算したことがあったが、間違っていた。『おいおい、どうしたらそうなるんだ?』と。
 それで直してあげたんだが、それがきっかけで私を嫌うようになったらしい。そのとき
 悟ったよ。間違いは直してあげるのは当たり前だと思っていたけど、それが原因で本人
 の働きぶりが悪くなるとはね」 
・こうしてドットコム・バブルを生きながらえたマスクは、幸運だったし、真面目でもあ
 った。
 アイデアをサービスに仕立て上げ、バブルの崩壊に巻き込まれることなく、しっかり利
 益を上げたうえで無事に抜け出した。
 マスクがCEOであることに疑心暗鬼に陥る人々も少なくなかったが、マスクに言わせ
 ればそんな連中のほうが間違っていた。
 いずれにせよマスクは確かな結果を出し、自分の言わんとしたことを証明してみせたの
 だった。

ペイパル・マフィア 栄光と挫折とビッグマネー
・Zip2売却によってマスクは新たな自信をつかんだ。
 ”シリコンバレー”という難問を見事に解き、わずか27歳にして、当時、誰もが憧れた
 ”IT長者”の座も手に入れた。
・次に手がけるベンチャーは、急激に膨らみ始めた野望に応えられるものでなければなら
 ない。
 そこでマスクは考えた。
 莫大な金が動き、かつ非効率な部分が大量に残っているのはどの業界か。
 その分野を自分の才能とインターネットで解決しようとしたのだ。
・ふと思い出したのが、ノバ・スコシア銀行でインターンをしていた日々だった。
 インターン時代に彼が得た最大の収穫は、「銀行には金があるが、無能な連中ばかり」
 ということだった。
 だからこそ膨大なチャンスがあると踏んだのである。
・その後、マスクはずっとインターネット銀行の設立を検討していた。
 1995年にはインターン先のピナクルリサーチでもはっきりとその話題を持ち出して
 いる。  
 大学生だったマスクが同社の研究員たちを相手に「金牛のネット化は避けて通れない」
 と自説を披露しても、彼らは「ウェブのセキュリティを確保して消費者の信頼を勝ち取
 るまでに何年かかると思ってるんだ?」と冷ややかだった。
 それでもマスクは、自分なら巨額の投資をしなくても金融ビジネスに風穴を開けられる
 と信じて疑わなかった。・ピナクルの研究員らが指摘したように、当時はまだネットで
 本を買うことさえ躊躇する時代だった。
 買い物にクレジットカード番号を入力するだけならまだしも、銀行の口座番号までネッ
 トで入力するなんてとんでもないという雰囲気だった。
・マスクが狙っていたのは、ネット上に本格的な金融機関を作ることだった。
 普通預金口座、当座預金口座はもちろん、証券や保険まで取り扱う総合金融機関である。
 技術的には不可能ではなかったが、ネット銀行を一から立ち上げるとなると規制地獄が
 待っている。 
 相当な楽天家でも手を焼くだろうし、ちょっと冷静になればばからしくて手を引きたく
 なるほど厄介な世界だった。
・だが、そんなことでひるむ男ではなかった。
 なんとZip2の売却が完了する前に、この壮大な計画を実行に移してしまう。
 Zip2の優秀な技術者をあの手この手で引き抜き、新たなベンチャーに引っ張りこん
 だ。
 また、銀行でのインターン時代に知り合った関係者の一部にも、この話を持ちかけなが
 ら反応を探っていた。
・1999年1月Zip2が売却先を探しているころ、マスクは秘かにネット銀行計画を
 本格始動する。
 2月にコンパックへのZip2譲渡が正式発表された。
 その翌月、マスクは金融ベンチャーのX・comを立ち上げる。
・カナダでバックパッカーになってから10年足らずで2200万ドル(やく26億4千
 万円)の資産を抱えたマスクは、ルームメイト3人とのアパート共同生活を抜け出し、
 170㎡の高級マンションを購入、リフォームして暮らすようになった 
 100万ドルしたマクラーレンのF1スポーツカーと小型プロペラ機も手に入れ、飛行
 機操縦士の免許もとった。
 いわゆるIT長者という新しいセレブの誕生となった。
・マスクが買ったマクラーレンは、フロリダに住むオーナーから手に入れたものだ。
 実は、この同じクルマに、あの「ラルフ・ローレン」も目をつけていた。
 ラルフ・ローレンのように何でも持っていそうな大金持ちでも、特殊なイベントやたま
 に休みのドライブにために手に入れておきたくなるほどのクルマなのだ。
・だがマスクの目的は違う。
 これでシリコンバレーを走り回り、X.com本社前に路上駐車する。
 伝説の名車が鳥の糞だらけになっていたり、スーパーの駐車場に放置されていたりする
 姿を見て、友人たちはショックで言葉も出なかったらしい。
・通常、投資かというものは、運よく転がり込んだ金を数カ月もしないうちに新規ベンチ
 ャーにつぎ込む場合、あれこれ節税を考えるものだ。
 だが、リスクに慣れっこと言われるシリコンバレーの企業からの間でも、マスクが自ら
 の莫大な資産をネット銀行のような不確定要素の多い案件に賭けたことは衝撃的だった。
 マスクがX.comに投じた金額は、ざっと1200万ドル(14億円強)。
 その後、税金を払って彼の手許に残るのは400万ドル(5億円弱)だった。
・元Zip2役員で、一緒にX.comを立ち上げたエド・ホーが言う。
 「そんなところも、マスクが普通の人間とは違う点です。自分のリスクなんて顧みない
 男なんですよ。ああいう賭けに出るとしたら、莫大なリターンが来るか、それともホー
 ムレスになるかのどちらかですからね」
・これほどの大金を投じる決断は、当時でも異常な行動だったが、今考えれば余計にマス
 クの特異性が目立つ。
 インターネットバブルの勢いで1999年に成功したIT企業の大半は、いったん信用
 を確立したら、手元の巨額の資金はしまっておき、その信用力で資金を集めて次のベン
 チャーに投じたものだ。
・漠然とではあるが、マスクは既存の銀行に不信感を抱いていた。
 銀行の経営は最悪で、自分ならもっと上手にできるという自信だ。
 彼のそんなブライドや自信に触発されるものがいる一方で、偉そうなヤツだだとか不謹
 慎な輩との印象を抱くものもいた。
・だが、X.comの立ち上げで、いよいよマスクの独創性、粘り強さ、対決姿勢、そし
 てリーダーとしての端緒が浮き彫りになる。
 そして同時に、自分が作り上げた会社で、壮大な夢半ばにして主悪から引きずり降ろさ
 れるという辛酸を嘗めることになる。
・マスクはX.comの立ち上げに併せてドリームチームと言える、錚々たるメンバーを
 揃えた。
 エド・ホーは技術担当、金融のベテランとしてはカナダ出身のハリス・フリッカーと
 クリストファー・ペインを招いた。
 この4人が共同創業者に名を連ね、マスクは、巨額の先行投資を担ったことから筆頭株
 主となった。
・立ち上げに参加した4人は、銀行業界が時代遅れという見方で一致していた。
 何しろ、インターネットの時代に、わざわざ銀行の窓口に足を運ぶのは時代錯誤に見え
 た。確かにそうかもしれない。
・ただ問題は、そこにある「現実」だ。
 銀行業の経験がないマスクは、本を1冊買って業界の仕組みを勉強し始めた。
 参入について調べれば調べるほど、この業界が規制でがんじがらめになっていて、
 ネット銀行の設立に巨大な壁がたちはだかっていることがわかった。
・「4~5ヵ月経っても、打開の糸口は見えなかった」ホーが振り返った。
 最初から強烈な個性のぶつかり合いもあった。
 マスクはシリコンバレーのスーパースターとして頭角を現し始めたところで、いつも記
 者に囲まれていた。
 フリッカーにはそれがおもしろくない。
 X.comは、金融のプロとして一旗揚げる好機になるとみて、わざわざカナダがから
 出てきたのだ。
 彼は自分が組織のトップに立って、もっと従来型の金融機関として事業を進めたかった
 ようだ。
 「銀行業を一から考え直す」などとマスコミに豪語するマスクを見て、馬鹿げていると
 感じた。
 当時についてフリッカーは「マスコミに大風呂敷を広げすぎた。イーロンに言わせれば、
 この業界はまともなビジネス環境じゃないんだから、常識的な発想ではダメだと」
 大げさに煽るマスクの言動にフリッカーは我慢ならなくなる。
・創業から5ヵ月後、事件が起こった。
 フリッカーがクーデターを起こそうとしたのだ。
 「『CEOを自分にやらせろ。そうでなければ、ここにいるスタップを全員引き連れて
 新しい会社を起こすぞ』と言うんだ。そういう脅しにどう対処していいかわらなかった
 ので、『ご自由に』と答えた。そうしたら本当にそうなっちゃて」とマスクは肩をすく
 める。 
 マスクはホーや有力エンジニアの慰留に努めたが、みんなフリッカーについて行ってし
 まった。マスクの下には忠実な社員が数人のこっただけだった。
・会社存亡の危機とあって、マスクはX.comの資金調達に奔走した。
 セコイアキャピタルの投資家マイケル・モリッツが支援を表明してくれた。
 また、シリコンバレーでエンジニアをスカウトとして回った。
 クーデターから数日後の1999年8月1日、若きコンピュータサイエンスのエキスパ
 ート、スコット・アンダーソンがマスクのビジョンに共感して入社する。 
・毎週のようにエンジニアが入ってきた。
 ビジョンも日を追うごとに現実味が増してきた。
 ついに銀行業務と投資信託業務の免許を取得し、バークレーズと提携を結んだ。
 11月にはX.comのソフト開発部隊が世界初のオンライン銀行の開発に成功する。
 1999年の感謝祭の前日、ついにX.comが銀行サービスを開始した。
・斬新だったのは、送金サービスだ。
 送金先のメールアドレスを入れるだけで送金が完了する。
 従来の銀行では大型汎用機で支払処理を完了するのに数日かかっていたことを考えれば、
 革命的だった。
 開業からわずか2~3カ月で実に20万人以上がX.comで講座を開設したのだった。
・ほどなくしてX.comに有力ライバルが現れる。
 マックス・レブチン、ピーター・ティールという頭の切れる若者コンビが、コンフィニ
 ティというベンチャーで決済システムを開発していたのだ。
・コツはこの2人はX.comのオフィスの一部、といっても物置のようなスペースを借
 りていた。 
 ここでパーム社の「パイロット」という、当時人気の携帯端末間で赤外線通信による送
 金システムを開発中だった。
 そんな小さなスペースが、その後、ネット金融革命を巻き起こす一大拠点にあるとはだ
 れが予想しただろうか。
 そのサービスこそが「ペイパル」である。
・両社は互いに似たような機能を競い合い、顧客の獲得合戦に明け暮れることになった。
 この世界では、先に大きくなったほうが勝つからだ。
 宣伝に巨額の予算をつぎ込んだ。
 その一方で、犯罪に新たなチャンスを嗅ぎつけたハッカーたちとの戦いにも莫大なコス
 トを費やした。
・2003年3月、異常な浪費合戦を繰り広げていたX.comとコンフィニティが我に
 返り、むしろ手を結んだほうがいいのではないかと気づく。
 コンフィニティはペイパルという花形サービスを持っていたが、新規ユーザーへの特権
 として1日10万ドルも使っていたため、手元資金が底をつきそうだった。
 かたやX.comは贅沢な資金があり、はるかに高機能な金融サービスを取り揃えてい
 た。
・このため、合併でゆうりな条件を多にしたのはX.comだった。
 マスクは合併後の新会社となる新生X.comの筆頭株主に躍り出る。
 合併契約締結からほどかくしてX.comはドイツ銀行やゴールドマン・サックスとい
 ったスポンサーから1億ドルを集め、100万ユーザー突破を大々的にアピールして見
 せた。 
・もっとも合併後は社風のする合わせに苦労した。
 すれ違いがあちらこちらで発生したのだ。
 オフィスこそ一緒になったものの、双方とも目も合わそうとしない。
 ブランドひとつとっても、マスクはX.comの擁護に回ったが、大方の社員はブラン
 ドとなっていたペイパルを支持した。
・技術的なインフラの設計に関しても意見は分かれた。
 レブチン率いるコンフィニティ出身グループは、リナックスのようなオープンソース型
 のソフト開発を支持したが、マスクはマイクロソフトのデータセンター用ソフトのほう
 が生産性が高いと評価していた。
 こんなことで揉めるなんて、部外者にとっては馬鹿馬鹿しく見えるが、エンジニアにと
 っては宗教戦争のようなものだ。
 特にコンフィニティ出身者らから見ればマイクロソフトは時代遅れの悪の帝国であって、
 リナックスこそ新たな民衆のためのソフトだったのである。
・合併から2ヵ月後、ティールが会社を辞めてしまった。
 レブチンもまた、技術面での意見の食い違いが原因でいつ会社を去ってもおかしくない
 状況だった。 
・ユーザー数が爆発的に増える中、X.comのシステムの処理が追いつかなくなり、
 元々同社が抱えていた技術上の問題は悪化の一途をたどっていった。
 週に1回はウェブサイトがダウンした。
 マスクはほぼすべてのエンジニアに新システムの開発に着手するよう命じたが、主力の
 エンジニアチームは開発作業に追われ、不正対策が手薄になっていた。
・X.comの人気が高まり、取扱額が急増するにつれ、問題は悪化していった。
 不正は増えるばかり。
 銀行やクレジットカード会社への手数料支払いも増える。
 似たようなベンチャーとの競争も激しくなる。
・X.comには送金サービス以外に柱となるビジネスモデルがなかったから、損失を相
 殺したり、手持ち資金から利益を生み出したりすることは難しかった。
・当時X.com最高財務責任者で、現在は著名なペンチャーキャピタリストのロエロフ
 ・ボサは、「マスクが問題の実態を役員にきちんと伝えていなかったのではないか」と
 疑問を呈する。  
 実際、度重なる危機に対するマスクの判断については、疑問視する声が社内でも高まっ
 ていた。
・シリコンバレーでは、昔からえげつないクーデターがあちらこちらで勃発していて、
 一種の名物のようなものだが、そんな歴史の中でも最悪と言われるクーデターが、
 X.comで発生した。
・ある晩、同社の社員が何人か地元のバーに集り、マスクを追い出す作戦を練っていた。
 彼らは結局、ティールの復帰とCEO就任を取締役会に働きかかることで合意した。
 マスクと直接対決するのではなく、あくまでも共謀者たちはマスクの背後で動くことに
 したのだった。 
・マスクとジャスティンは2000年1月に結婚していたが、仕事が多忙すぎて新婚旅行
 どころではなかった。
 それから9ヵ月後、2人は資金調達のために投資家を訪問する出張に出発する。
 旅の後半にハネムーンとしてシドニーに寄り、オリンピック観戦を楽しむという計画だ
 った。
・その初日に事件は起こった。
 2人がフライト中に、X.comの役員らが採り叱り各界に不信任動議を提出したのだ。
 マスクの息がかかった社員が不穏な動きを察知したが、時にすでに遅し。 
・ようやく一連の出来事がマスクの耳に入り、すぐに次の飛行機でパロアルトに戻った。
 マスクは取締役会に再考を促したが、すでに新体制が動き出していることを知るや、
 冷静さを取り戻した。
 創業当時からマスクと苦楽をともにしてきた社員の多くにとって、なんとも後味の悪い
 結果となった。
・そんなことをされたら黙っていないマスクだ。
 だが、今回ばかりは信じられないほどの自制心を見せた。
 会社の相談役としての立場を受け入れ、投資かを引き上げることもしなかった。
 むしろ、ペイパルの筆頭株主として自らの投資額を増やしたほどである。
・それから数ヵ月はマスクの未来を決める重要な日々となった。
 ITバブルはあっと言う間にはじけ、多くの人々が何とか株を処分して売り抜けようと
 した。
 イーベイの役員がペイパルの買収を打診してきたときは、ほとんどの社員が一刻も早い
 売却を求めた。
 だが、マスクとモリッツは取締役会に対し、安易に買収提案には乗らず、売り渋って価
 格を吊り上げるように求めたのである。 
・ペイパルの年間売り上げは2億4千万ドルほどあったから、独立企業として上場も視野
 に入る状態だった。
 マスクとモリッツのじらし作戦は十分に根拠があったのだ。
・2002年7月、マスクらの読みどおり、とうとうイーベイは15億ドル(約1800
 億円)でどうかと持ちかけてきた。
 マスクら取締役会は提案を受け入れる。
 この売却でマスクは2億5千万ドル(約300億円)を手にする。
 税引き後で1億8千万ドルだ。 
・ペイパルの一件は、マスクにとってプラス面もマイナス面もあった。
 取引の余波でリーダーとしての評判は落ちたものの、それまでマスクを軽く見ていたマ
 スコミが初めて真剣に注目するようになった。
・マスクの知ったかぶりで対立的な言動や自己中心的な性格は、常に周囲との深い溝を生
 み出していた。 
 自分の言動を意識的に抑えようと努力はしていたが、それでも投資家や経営豊富な役員
 を相手に言い負かすことも少なくなかった。
・Zip2でもペイパルでも、取締役会は、マスクがCEOの器ではないと断定した。
 また、マスクの売込み方法には大げさなところがあり、自分の会社の技術を実際以上に
 大きく見せたり、大風呂敷を広げたりする点も批判的になりやすかった。
 特にマスクを悪く言う人々は、こうした批判を必ず口にする。
・マスクには、確かに人々の好みや技術トレンドを読むことにかけては、天賦の才能があ
 る。それはZip2のサイトを始めたときから明白だ。
 みんながインターネットなる存在を前に何をどうすればいいのか頭を抱えていた時代に、
 マスクはすでに明確な目的を掲げた計画を打ち出していた。
・事実、ディレクトリー広告(案内広告)、地図、業界特化型サイトなどの原型となる技
 術の青写真をいくつも描き出していた。
 日にいずれもウェブの世界の柱となった技術である。
 人々がようやくアマゾンやイーベイでのショッピングに警戒感を持たなくなってきたと
 ころに、マスクは早くも本格的なネット銀行を立ち上げるなど何歩も先をいっていた。
・後になってみればわかるが、マスクの自由な発想は、Zip2やペイパルの実務的で慎
 重な手法に勝っていた。 
 もしもマスクの望みどおりにZip2が消費者向け市場を狙っていたら、地図作成・位
 置情報とレビューの有力サイトになっていた可能性もある。
 ペイパルにしても、出資者らが売り急いだ感は否めない。
 マスクが求めたように、もう少し独立系でいるべきだった。
 X.comの経営陣がもう少しマスクに寛容だったら、当初から彼が提唱していたすべ
 てを制するネット銀行」を実現できていただろう。
 結果論だが、そういえる根拠はいくらでもある。
 マスクの目指すゴールが、ある時点では馬鹿げているように見えても、本人は夢を信じ
 て疑わず、十分な時間さえあれば実現する可能性が高いことは、これまで見てきたとお
 りだ。 
・X.comのドタバタも重なって、甘い新婚生活どころではなくなった。
 ハネムーンも前述の事情で延期となった。
 ようやく状況が落ち着いてきたのは2000年の年末である。
・マスクは数年ぶりに休暇を取ることになった。
 2週間の旅行を計画、前半はブラジル、公判は南アフリカの動物保護区に滞在するプラ
 ンだった。 
 ところが、アフリカでマスクは熱帯熱マラリアに感染してしまう。
 同種の病気による死亡の大半を占める、きわめて重症のマラリアだ。
・旅行中は何ともなかったのだが、年が明け、旅行先からカリフォルニアに戻ったところ、
 マスクは体調を崩す。数日後に病気でみてもらったところ、ことの重大性に気づいた医
 師が救急車を呼び、大病院に救急搬送された。
 おまけに、この病院で誤診と治療ミスが発生、マスクは生死をさまようことになった。
 「たまたまマラリアの治療に詳しい医師がほかの病院から来ていたので助かった」
 とマスク。
 医師はマスクにこう告げたという。
 「あと1日遅かったら、手遅れだったでしょうね」
 その後、マスクは集中治療室で10日間、生死の間をさまよった。
  
宇宙を目指せ 露見事業に乗り出すまで
・2001年6月28日、マスクは30歳の誕生日を迎えた。
 起業したあの頃の日々をマスクは「ガラスを食べ、地獄の底を覗き込む毎日」と形容す
 る。
 今では、そんな日々も遠い昔になり、シリコンバレーも歳をとった。
 マスクによれば、当時は見本市の会場で毎日暮らしているような感覚だったという。
・マスクの中で、一獲千金を狙った食うか食われるかの子輸送から抜け出したいという思
 いは日増しに強くなっていた。
 ついに夫婦はこの地を離れ、南へ向かう決断をした。
 ロサンゼルスで新しい生活を始めようとしたのである。
 マスクを虜にしたのは、ロサンゼルスの華やかさや大きさだけではない。
 ロスは宇宙への魅力を感じさせる街でもあったからだ。
・ペイパルを追われて以降、マスクは少年時代に夢中になった右仲戦野宇宙旅行への思い
 を再び強くしていた。 
 そして突然、「インターネットのサービスなんてやっている場合ではない」と悟ったの
 である。
・マスクの中で何かが大きく変わろうとしていた。
 周囲の友人たちもその変化をはっきりと感じ取っていた。
 「あの頃は、みんなハードロックカフェあたりでぶらぶらしていたのに、イーロンは古
 びたソビエト製ロケットの取扱説明書を読んでいたんです。ネットオークションで売っ
 てそうな古いそうな古いシロモノですよ。しばらくすると宇宙旅行について語りだし、
 世界を変えてみせると言いはじめました」
・マスクが移住先にロサンゼルスを選んだのはやはりそれなりに意図があったようだ。
 マスクにとって、ここは宇宙への入り口、少なくとも宇宙産業への入り口だった。
 1920年代にロッキードがハリウッド工場を設立して以来、ロサンゼルスは宇宙航空
 産業の中心地となっていた。 
・ただし、宇宙への夢といってもマスクは、具体的に何をしたいのかがまたはっきりして
 おらず、ともかくロサンゼルスに身を置き、航空宇宙分野で世界トップクラスの関係者
 らの近くにいたいと考えたようだ。
 何かアイデアが浮かべば、知恵を貸してもらえるかもしれないし、次の起業に必要な人
 材も豊富にいるからだ。
・マスクが宇宙分野で初めて接したのは、NPO「火星協会」の面々だった。
 「火星の探査・植民」を目的に掲げる同協会では、2001年に資金調達のためのパー
 ティーを計画した。
 裕福なメンバーの自宅を会場に、会費500ドルの食事会を開く予定だった。
・招待状を一斉に会員に送ったところ、1通の返信が会長のロバート・ズブリンの目に留
 まった。 
 名前がイーロン・アスクとあるが、誰も招待した覚えがない。
 「5000ドルの小切手が入っていたんですよ。だからみんな驚きました」
・ズブリンはマスクについて調べてみたところ、大変な資産家とわかり、食事会に先立っ
 て彼と会ってみることにした。 
 ズブリンは、初めて会うマスクの前で、協会が火星の苛酷な条件を再現するために北極
 圏に設立した研究センターや、マウスを乗せた宇宙船を地球の人工衛星軌道に送る実験
 プロジェクトなどについて説明したという。
・食事会の時間が訪れると、ズブリンはマスクをVIP席のテーブルに案内した。
 会長のほか、映画監督で宇宙マニアの「ジェームズ・キャメロン」、NASAの宇宙科
 学者で火星に造詣の深いキャロル・ストーカーといった面々がテーブルを囲んでいた。
・マスクは、自分のアイデアについて意見を聞いたり、有力者の連絡先などをおしえても
 らったりしていた。
 ストーカーの夫はNASAの宇宙エンジニアで、火星地表の水を探査する装置の開発に
 取り組んでいた。その話を聞いてマスクは大いに興奮していた。
・マスクは火星協会を気に入り、理事に名を連ねるようになった。
 砂漠地帯にある教会の研究所には10万ドル(約1200万円)を寄付した。
・やがてマスクの野望は、火星協会の目標を超えるまでになった。
 マウスを人工衛星軌道にのせるなどというちっぽけな夢ではなく、直接火星に送り込も
 うというのである。さっそく、そのコストをざっくりと見積もったところ、1500万
 ドル(約18億円)だった」
・マスクは、宇宙のことを考えれば考えるほど、探査の重要性をひしひしと感じるように
 なった。
 なのに、一般大衆が未来への夢や希望を忘れかけていると悲観するのだった。
・もっとも、普通の人間なら、宇宙探査など時間とエネルギーの無駄と見るだろうし、
 そんなことを真剣に語るマスクを冷やかしておしまいだ。
 だが、マスクは惑星間旅行を大真面目に考えていた。
 一般大衆の気持ちを盛り上げ、科学や新天地への侵出に胸をときめかせ、技術の可能性
 に情熱を燃やしてほしいと考えるようになった。
・マスクは宇宙産業でかなり充実した人脈を築きあげていた。
 その中から優秀な人材を誘っては高級ホテルのサロンで会合を開いていた。
・集まりに誘われた科学者や業界の権威者は、2000万ドル(約24億円)くらいの予
 算で技術的に実現できる壮大なイベントについて知恵を出し合った。
 マスクは火星協会の理事を辞し、自ら率いる組織「火星移住財団」を立ち上げる。
・宇宙関連でおもしろい案件があれば喜んで金を出すという男の出現に、専門家らは色め
 き立った。   
 マウスを宇宙に送り込んで子作りさせる意義や実現性を実に楽しそうに議論した。
・だが、ディスカッションが進むうちに、別のプロジェクトを進めるべきだという声が高
 まった。 
 「火星オアシス」と呼ばれるプロジェクトだ。
 このプランによれば、マスクがロケットを購入し、無人制御温室的な施設を火星に送り
 込むという。
・マスクらは、その時点で、すでに宇宙空間対応の植物栽培室の開発に取り組んでいた。
 短時間で組み立て可能にし、火星の表土を使えるようにすれば、植物栽培に利用できる。
 火星で初めて酸素を生み出されることになる。
 いかにもマスク好みのシステムで、仰々しくもあり、実現の可能性もある。
・マスクはこの設備にのぞき窓をつけ、地中に内部の様子の映像を送ろうと考えた。
 地球上から植物の生育状況がモニターできるのだ。
 また、火星の植物と並行して、全国の子供たちにも自分で同じ植物を育ててもらう栽培
 キットを配布する。
 こうすれば、火星の植物が地球上の植物よりも成長が早いといったことがわかるなど、
 話題づくりにもなる。
・宇宙の専門家たちを最も悩ませたのは、マスクの予算だった。
 サロンでの会合後、マスクはこのプロジェクトに2000万~3000万ドル(約24
 億~36億円)を想定しているように見えた。
 だが、ロケット打ち上げだけでもそのくらいかかるのは、業界の常識だった。
・解決しなければならない技術的な課題も山積していた。
 そもそも、火星の表土を施設内に取り込むという仕組み自体、構造的に難しいだけでな
 く、表土に毒性があるなど、あまりにお粗末なアイデアだった。
 そこで代替策として持ち上がったのは、栄養豊富なゲル状物質を土の代わりに使うアイ
 デアだ。
 だが、これは「火星で栽培」という本筋からはズレて詐欺みたいだという声で消えてい
 った。
・そんなとき、ある科学者が非常に体制の強い「カラシ菜」の種子を発見し、これなら火
 星の表土を処理すれば、生き延びるのではないかと考えた。
 「あのカラシ菜が育たなかったら、イメージは最悪だったでしょうね。火星に死の菜園
 なんて騒がれたら、まったく逆効果ですから」
・だが、そんなことでたじろぐようなマスクではなかった。
 ボランティアで参加してくれていた指揮者らをコンサルタントとして迎え入れ、栽培施
 設の設計を依頼する。 
・正確な打ち上げコストを調べるため、ロシアにも足を運んだ。
 マスクは大陸間弾道ミサイル(ICBM)の中古整備品をロシアから購入し、打ち上げ
 ロケットに利用しようと考えていた。
・そこで、米政府などから機密案件も含めさまざまな仕事を請け負っているジム・カント
 レルに支援を仰ぐことにした。
 人工衛星の取引が不調に終わり、1996年にスパイ行為を働いたとしてロシア政府に
 自宅軟禁されたこともある人物だ。
・2001年10月、マスクとカントレル、さらに大学時代からの友人アデオ・レッシの
 3人でモスクワに旅立った。
 今回、レッシはマスクの付き添い役だ。
 親友が冷静さを失いそうになったら注意するお目付役である。
・当初、マスクの友人たちは、ロケット爆発の映像を集めたビデオを見せ、なんとか説き
 伏せて金の無駄遣いを阻止しようとした。
 だが、マスクの決意は固かったため、レッシがロシアに同行し、マスクの暴走をくい止
 めようとしたのだった。 
・カントレルが語る。
 「真剣に心配してましたよ、彼は。『イーロンのやっていることはおかしい。慈善事業
 だか何だか知らないけどイカれてる』とね。それでもロシアには同行してくれたんです
 よ」
・もちろん違法なワケではない。
 ソ連崩壊後のなんの縛りもなくなったロシアに足を運び、潤沢な資金を持つ金持ちが自
 由市場で宇宙ミサイルを堂々と買おうというだけの話だ。
・マスク一行にはロケット科学者のマイケル・グリフィンも合流し、4ヵ月の間にロシア
 側関係者と3回会談した。 
 ロシアに宇宙関連企業との会談の機会を何度か持った。
・マスクはICBM3基を購入するのに2000万ドルで十分と踏んでいた。
 ウォッカで酔いがまわった勢いもあり、マスクが単刀直入にミサイルの価格を尋ねた。
 1基800万ドルというこたえが返ってきた。
 2基で800万ドルでどうかと食い下がる。
 「相手方はじっとマスクを見据えながら、『若造、ダメだ』というようなことを言いま
 した。そんな金は持ってないだろうと言いたげでしたね。
・この時点で、マスクは愛想を尽かした。
 ロシア側に本気で取引に応じる気がないか、ITバブルの成金から撮れるだけ金をふん
 だくってやろうというつもりなんだろう。
 そう判断したマスクは、怒りの表情で会議室を後にしたのだった。
・マスク一行のムードは最悪だった。
 2002年2月も終わろうという真冬。
 表に出てタクシーを拾い、雪と埃にまみれた空港にまっすぐ向かった。
 タクシーの中では誰も口を開かない。
 人類の夢に向けて楽観しきっていたマスクだったが、人間の性に腸が煮えくり返る思い
 と失望感でいっぱいだった。   
 マスクの予算で賄えるロケットはロシア製以外になかった。
・飛行機の中でも悲愴感が漂っていた。
 「モスクワを飛び立つときは、いつもほっとするんですよ。ちょうど飲み物が運ばれて
 きたので、とりあえず、グリフィンと2人で乾盃したんです」とカントレル。
・そのとき、マスクはすぐ前の席でパソコンのキーボードを懸命に叩いていた。
 しばらくしてマスクが後ろを振り返り、表計算らしき画面をカントレルらに見せながら
 言った。  
 「こういうロケットなら自前で作れるんじゃないかな」
・すっかりアルコールが回っていたグリフィンとカントレルは、そんな途方もない妄想に
 付き合う気力もなかった。 
 宇宙まで支配しようと血迷った億万長者が最後には財産を失ってしまうといい話をよく
 耳にするが、なるほどこういうことかと妙に納得するのだった。
 ほんの1年前、テキサスの不動産・金融王が航空宇宙関連企業を設立し、広大な実験場
 に莫大な資産をつぎ込んだ末に会社を畳んでいる。
・カントレルは、「やれるもんならやってみな」と思ったが、イーロンは「本気なんだ。
 この計算結果を見てくれ」と、パソコンの画面を2人に見せた。
 2人は唖然とした。
 ロケットの製造、組み立て、打ち上げに必要な材料コストがびっしりと書き込まれてい
 る。
 マスクの計算では、小さめのロケットを製造し、小型人工衛星や実験用搭載物の打ち上
 げを専門に手がければ、既存の打ち上げ会社よりも安く抑えられるという。
・マスクのいうロケットの理論上の性能特性も驚くほど細かく記入されていた。
 マスクは航空宇宙産業や物理学について何ヵ月も勉強していた。
 カントレルからロケット工学の専門書を何冊も借りていた。
 情報をむさぼるように取り入れていた子供時代と同じ状態に陥っていた。
 異次元の世界で沈思黙考を繰り返した末に、あのロシア企業よりもはるかに安価に造れ
 るはずという結論に達していたのである。
 もうネズミや植物はどうでもいい。
 ロケットを安く造って人々に宇宙探査の夢を抱いてほしい。そうマスクは心に誓った。
・ロケット製造企業に莫大なリスクがあることは、むろんマスクも重々承知していたが、
 過去の失敗組と違って、成功できるはずと考える理由が少なくとも1つあった。
 その鍵を握るのが、「トム・ミューラー」という人物だ。
・ミューラーは、アイダホ州の町で育った。
 誰もが知る相当な変わり者だったという。
 ほかの子供たちは冬でも森の中で元気に遊んでいるのに、ミューラーは温かい図書館に
 こもって本を読んだり、自宅で「スター・トレック」のビデオを見たりする日々を送っ
 た。
・機械いじりの好きな子でもあった。
 ある日、小学校への道すがら、壊れた時計を見つけ、修理を始める。
 毎日、歯車や全マンなど部品を少しずつ修理し、ついに時計は再び時を刻み始めた。
 芝刈り機を興味半分でバラバラにしてしまったこともある。
・やがて彼の興味はロケットに移る。
 通販キットを買っては、小型ロケットの政策に興じた。
 それからほどなくして、キットではなく自分で部品をそろえて作るようになった。
・12歳のとき、スペースシャトルの模型を作り上げた。
 数年後には、理科の宿題で、父親が仕事に使う酸素アセチレン溶接機を借り、ロケット
 エンジンを試作した。  
 冷却方法としては、コーヒー豆の缶に水を満たし、その中にエンジンを逆さに設置した。
 さまざまなアイデアによって各地の科学コンテスト優勝し、国際イベントにも進出する
 ようになる。
・ミューラーは、おっちりとした性格で、学生時代から友人らに発煙弾の作り方を教えて
 いた。 
 大学卒業後、ヒューズ・エアクラフトに入社し、人工衛星製造を担当していた。
・その後、1980年代後半にTRWスペース・エレクトロニクスに移る。
 当時はロナルド・レーガン大統領が戦略防衛構想(いわゆる「スター・ウォーズ計画」)
 を提唱したこともあり、これに影響を受けた宇宙マニアらは実体弾兵器のような、あり
 とあらゆる攻撃手段を夢想していた。 
・TRW勤務時代には、多種多様な推進燃料の実験をし、同社製TR-106エンジンの
 開発を指揮している。
 このエンジンは液体酸素・水素燃料を使った巨大な装置だった。
・プライベートでは、「反応研究協会」(RRS)に所属するアマチュアのロケット愛好
 家数百人らとの交流があった。 
 ロケットの開発・打ち上げの推進を目的に1943年に設立された団体だ。
 週末ともなると、ミューラーはRRSのメンバーとともにカリフォルニア州モハーベ砂
 漠に出かけては、手作りの装置の実験に励んでいた。
・このRRSでもミューラーは突出した存在で、実際に作動する装置を作り上げる腕前で
 あった。 
 職場の石頭の上司に却下されたような奇想天外なアイデアも、この場で実現性を確かめ
 ていた。
 そんな彼の最高傑作とも言えるのが、本体重量36kgながら約6トンの重量を運ぶ推
 進力のあるエンジンで、アマチュアによる世界最大の液体燃料ロケットエンジンとして
 高い評価を受けた。
・2002年1月、ミューラーは、ジョン・ガービーの工房に出入していた。
 当時、ガービーは航空機製造大手のマクドネル・ダグラスを辞め、自分でロケットづく
 りを始めたところだった。
 ガービーの工場はクルマ6台分ほどのスペース。
 毎日、ミューラーとガービーがこもって、36kgのエンジンを改良していた。
・作業中、ガービーが「イーロン・マクスという男がそのうち来るよ」と言った。
 アマチュアロケット愛好家の世界は実に狭い。
 ガービーの工房にミューラー設計のエンジンがあるから見てこいと勧めたのは、あのカ
 ントレルだった。 
・ある日曜日、マスクは身重のジャスティンと連れ立って工房にやってきた。
 ミューラーは、36kgのエンジンを自分の肩にひょいと担ぎ、支持構造をボルトで留
 めていた。
 たまらずマスクは質問を次々と浴びせかける。
 マスクの質問攻勢は止まらない。
 結局、2人の会話は数時間も続いた。
 次の週末にはミューラーがマスクを自宅に招き、話し合いを続けた。
 間違いなくロケットの裏表を知り尽くした人物がここにいるとマスクは確信した。
・その後、マスクは普段から交流している宇宙関係の専門家にミューラーを紹介し、その
 顔ぶれにミューラーは感激した。
 過去にロケットベンチャーのビールエアロスペースなどからも仕事のオファーがいくつ
 かあったが、その馬鹿げた構想に嫌気がさして断ってきた経緯がある。
・だが、彼の目から見て、マスクは明らかに違っていた。
 自分のやりたいことをしっかりと理解しているうえ、能力もやる気もある優秀なエンジ
 ニアチームを作っていた。  
・ボーイングやロッキード、あるいはロシアの企業が保有する巨大ロケットと違って、
 トラックほどもある人工衛星は運べない。
 だが、低価格衛星の市場なら、マスクのロケットで十分参入できる。
 むしろ、昨今のコンピュータ技術や電子技術の進歩を考えれば、今後増えてくる小型ペ
 イロード(搭載物)には最適ともいえる。
・2002年4月、マスクは一般向けの宇宙PRイベントに見切りをつけて、商業宇宙ベ
 ンチャーの設立に専念することにした。
 カントレル、グリフィン、ミューラーに加え、ボーイングかれは航空宇宙エンジニアの
 クルス・トンプソンを引き抜き、
 「このメンバーで会社を起こしたい。賛成なら一緒にやってほしい」
 と宣言する。
 (グリフィンは参加したかったが、「東海岸に住みたい」という要求をマスクが認めな
 かったため最終的に参加を見送った)
・2002年6月、スペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)
 が誕生した。 
 航空宇宙業界の中心地であるロサンゼルスの公害の古い倉庫を買い取り、拠点とした。
 巨大な作業場といった雰囲気で、北側にオフィススペースがある。
・デスクは1ヵ所にまとめず、ところどころに点在させた。
 設備を設計したコンピュータサイエンティストやエンジニアが、実際の作業にあたる溶
 接工や機械加工スタッフの近くに座ることになる。
 従来の航空宇宙企業では、製造現場のスタッフでさえ部門ごとに垣根がある。
 まして現場のスタッフと本社のエンジニアは何千キロも離れたところにいるのが普通だ。
 工場を土地代と人件費の安い場所に置くためだ。
・スペースXは自前でエンジンを開発し、他のロケット部材は他社から供給を受ける。
 高品質で低コストのエンジンを開発し、組み立てプロセスを見直すことで、どこよりも
 速く安くロケットを製造する方針を掲げた。 
 また、同社の設立には、ロケットビジネスに対する米国の新たな挑戦という意味合いも
 あった。
 マスクは、宇宙産業がこの50年ほどまったく進歩していないと感じていた。
 航空宇宙会社間の競争など存在しないも同然で、彼らは最高性能の製品をきわめて高価
 格で作りたがる。
 本来ならホンダのアコードで目的にかなうところを、打ち上げのたびにフェラーリを
 作っているようなものだったのだ。
・マスクは、スペースXが手がける露見と第1号を「ファルコン1」と命名した。
 映画「スター・ウォーズ」のミレニアム・ファルコンにちなんだ名だ。
 300kgのペイロードを宇宙に運ぶコストが3000万ドル(約36億円)と言われ
 た時代に、ファルコン1では635kgのペイロードを690万ドル(約8億2800
 万円)で運ぶとぶち上げた。
・本人の性格のなせる業なのだろうが、正気とは思えないほど短期間で実現する目標を立
 てた。  
 設立間もないころ、スペースXの説明会で、第1号エンジンを2003年5月に、第2
 号を6月に、さらにロケット本体を7月に完成させ、8月にはすべてを組み立て終わる
 と発表したのだ。
・さらに、9月には発射台を準備、11月に最初の打ち上げを実施すると明らかにした。
 つまり、会社設立からわずか15ヵ月である。
 おまけに、火星旅行も10年後には実現できる見込みだという。
 これも世間擦れしていない楽天家のマスクが、理詰めで純粋に計算した結果なのだ。
・当時、米軍の一部では、宇宙に対応した攻撃態勢を求める声が上がりつつあった。
 いわゆる「即応型宇宙システム」である。
 軍は、ソフトによって設定変更が可能で、かつ、短期の準備期間で打ち上げられるよう
 な安価な小型衛星を求めていた。  
・手軽に宇宙に手が届く環境を欲しがったのは軍だけではない。
 科学界も同じだ。
 定期的に実験装置を宇宙空間に打ち上げてデータを取得するサイクルを確立したかった
 のだ。
 医学界や消費財、メーカーも無重力が身体や製品特性に与える影響に関心を寄せていた。
・ただ、そういう安価な打ち上げ手段が民間から出てくる可能性は皆無に近かった。
 米国でもソ連でもロケット爆発の例は数えきれないほどある。
 1957年から1966年までに、米国だけで400基以上ものロケットを軌道に乗せ
 ようとしているが、そのうち100基近くが爆発している。
 宇宙に何かを運ぶためのロケットは、気が遠くなるほどの莫大な税金を投じつつ、
 試行錯誤を繰り返しながら開発された軍事ミサイルに、手を加えたものがほとんどなっ
 た。 
・スペースXは、ビーイングやTRWといった企業でロケット開発プロジェクトに立ち会
 ってきた少数精鋭のスタップをがっちり確保していた。その意味で一日の長があった。
 もっとも、そう何度も爆発させられるほど資金的な余裕はなかった。
 せいぜいファルコン1の打ち上げは3~4回が限界だった。
・2002年7月、大胆な計画にマスクは心を躍らせていた。
 ちょうどイーベイが15億ドル(約1800億円)でペイパル買収を決めた時期である。
 おかげでマスクには巨額の現金が転がり込み、スペースXに1億ドル(約120億円)
 以上を用意できるようになった。
 これだけの巨額の初期投資があれば、さすがに誰もスペースXの支配権を巡ってマスク
 と戦おうとは思わない。
・だが、こうしたすべてが、マスクにとって、どうでもよくなるような事件が起こった。
 生後わずか10週面にして、初子のネバダ・アレキサンダー・マスクが天国に召された
 のである。  
 夫婦で赤ちゃんを寝かしつけ、しばらくして様子を見に来たときにはすでに呼吸は停止
 していた。
 医師によれば、SIDS(乳幼児突然死症候群)だった。
 「看護師が蘇生措置に駆けつけたころには、すでに酸欠状態が長引いた影響で脳死状態
 に陥っていました」
 「私たちは2ヵ月もしないうちに体外受精専門病院に足を運ぶことで、ネバダの死を乗
 り越えようとしていました。
 とにかく早くまた妊娠できるように2人で計画していました。
 それから5年もしないうちに双子が生まれ、さらに三つ子にも恵まれました。
・ネバダの死を受け、マスクはスペースXに全身全霊を傾け、会社としてのハードルを一
 気に上げることにした。 
 というのも、宇宙関連の部品供給業者と打ち合わせをするたびに、見積もりがとにかく
 高く、納期も遅いことを思い知ったからだ。
 元々、こうしたサプライヤーが製造する部材を組み合わせてロケットを完成させる予定
 だったが、現実的な判断を下さざるを得なくなった。
・まもなく同社はウェブサイトで次のように発表した。
 「わが社では、ファルコンロケットを一から自社開発することにいたしました。すべて
 自社開発することによって難度は上がり、必要な投資も膨らみますが、宇宙に近づくた
 めのコストを改善するためには避けて通れない道であります」
・マスクが招いたスペースXの幹部には、選り抜きの一流どころが名を連ねていた。
 ロケットエンジン開発のミューラー、業務担当副社長のクルス・トンプソン、ロケット
 試験の専門家・ティム・バザー、機械系シニアエンジニアのスティーブ・ジョンソン、
 航空宇宙エンジニアのハンス・コエニグスマン。
 また、マスクは、航空宇宙分野の経験が豊富なグウィン・ショットウェルを同社初の営
 業担当としてスカウトした。  
・忘れてはならないのが、メアリー・ベス・ブラウンだ。
 スペースXとテスラを知り尽くし、マスクの忠実な補佐役となった伝説の女性秘書であ
 る。
 映画「アイアイマン」は、マスクがモデルとなったことで知られるが、主人公のトニー
 ・スタークと秘書ペッパー・ポッツの関係が、まさにこの2人だったのだ。
 何と言っても彼女は、マスクの機嫌を読む才能に優れていた。
・スペースXの描く夢が広く世の中に伝わるようになると、ボーイングやロッキード・マ
 ーティン、オービタル・サイエンスといった大企業からも、リスクを厭わないトップエ
 ンジニアたちがこぞって同社に移籍するようになった。
・スペースXが最初に取り組むことになったプロジェクトの1つが、ガスジェネレーター
 の製造だ。
 高温ガスを生成鶴小型ロケットエンジンとは違う装置である。
 ミューラー、バザーのほか、若いエンジニアらがジェネレーターを組み立て、これをト
 ラックに積んで「モハーベ砂漠」に運んで実験する。
 昔はロサンゼルスから160kmも離れた砂漠の一角だったが、スケールド・コンポジ
 ッツやエックスコアといった宇宙関連企業が集まり拠点となった。
 宇宙関連プロジェクトの多くは、「モハーベ空港」周辺に集中していた。
 周囲には関連企業の作業場も多く、最先端の航空機やロケットがあふれていた。
 スペースXにとってはうってつけの環境だった。
・一方、ミューラーは、開発を進めていたエンジン「マーリン」と「ケストレル」の3次
 元コンピュータモデルを完成させた。
 マーリンは、ファルコン1を地上から発射させる際に使用する第1段エンジンで、その
 後、宇宙に誘導するための第2段エンジンがケストレルである。
・スペースXは、試行錯誤を続けながら少しずつ生産性を高めていった。
 2002年末の購入時には空っぽだった倉庫は、わずか1年で本格的なロケット工場へ
 と姿を変えていった。
 完成したエンジンをロケットに取り付け、着々とロケットは完成に向かって行ったのだ
 った。
・このときスペースXにはすでに顧客がついていた。
 マスクによれば、第1号ロケットは2004年早々にバンデンバーグ空軍基地から打ち
 上げる予定だった。  
 このロケットで運搬するのは、国防総省の依頼による「タックサット1」という衛星だ
 った。
・2003年12月、ファルコン1の試作品を一般公開することにした。
 7階建てビルに匹敵する高さのファルコン1を特殊トレーラーに載せて全米をまわり、
 最後に連邦航空局の構内に展示するというプランである。
 その後の記者会見では、最新技術を駆使した高性能・低コストロケットのメーカーが誕
 生したことを印象付けようとした。
・殺人的なスケジュールにあわせて本物のロケットを造らなければならないエンジニアチ
 ームにとっては、そんな思熱り騒ぎはどうでもよかった。
 週に100時間以上働く彼らはその仕事だけで精一杯だ。
 だが、本物そっくりのモックアップ(実物大模型)を制作したいと考えたマスクは、
 エンジニアを集め、モックアップ制作を指示する。
 ホルマンが言う。
 「くだらない仕事だと思いました。何の役にも立ちませんし。イーロンの中では政府有
 力者の後盾を得るのに欠かせなかったのでしょうけど」
・そのホルマンは、イベント用のロケット試作品を造りながら、マスクと働くことの良さ
 も悪さも味わった。
 ある日、試験場で眼鏡をなくしてしまったホルマンは、しかたなく古い度付きメガネを
 かけていたが、エンジン下に潜って作業をする際にレンズ表面に傷をつけてしまい、
 あまり使いものにならなかった。 
 かといって、仕事が多忙でメガネ店に行く時間もなく、イライラするばかりだった。
 長時間労働、使い物にならないメガネ、宣伝のための模型造りなど、我慢は限界に近づ
 いていた。
 ある晩、工場で同僚に不満をぶちまけたが、その近くでマスクがすべてを聞いていたら
 しい。
 2時間ほどして、マスクの秘書役のブラウンがレーシック手術専門病院の予約カードを
 持ってきた。
 ホルマンが病院を訪れると、すでにマスクが手術代の支払いに同意していた。
・ワシントンでのイベントは大盛況だった。
 その数週間後、スペースXからあっと驚く発表があった。
 まだロケットの打ち上げもしていないのに、2つめのロケットの打ち上げ計画を発表し
 たのだ。 
 ファルコン1と並行して、ファルコン5の開発にも着手するという。
 この名称は、エンジン5基を搭載していることに因んでおり、4トン以上の搭載物を地
 球の低軌道まで運搬する能力がある。
 理論上は国際宇宙ステーションの補給ミッションをこなせるとあって、NASAとの大
 口契約も視野に入ってくる。
 また、マスクの安全性へのこだわりを反映して、ファルコン5は、5基あるエンジンの
 うち3基が故障しても、ミッションを遂行できるという触れ込みだった。
 これほどの信頼性は過去に実現されたことがない。
・仕事だろうが、業務外活動だろうが、常に向上・改善を社員に求めるのがマルク流だ。
 古参のエンジニアであるブランデン・スパイクスは、マスクの自宅で使うゲーム用PC
 の制作まで仕事として請け負っている。
 PCの処理能力を極限まで引き出すと、クルマのエンジンと同様にCPUがかなりの高
 温になる。
 普通のPCではCPUにラジエーターをつけたり、ファンで風を当てたりして冷却する
 がマニアの域に達すると、ファン程度では間に合わない。
 そこでPC内部にパイプを引き込んで冷却水を循環させ、CPUやメモリーの発熱を抑
 える水冷式が好まれる。
 当然、ゲームマニアのマスクのPCも水冷式だ。
・エゴ丸出しのマスクの姿勢は彼の強みでもある。
 そもそも、まだ打ち上げも成功させていない段階から、自分が宇宙産業を制したかのよ
 うに振る舞っているのも、彼の性格があってこそだ。
 だが、社員との関係において、イーロンのどこかに問題があることは確かなようだ。
・社員がファルコン5の設計の問題点とおもわれる点を指摘したり、ファルコン1を早く
 開発するための実用的な提案をしたりしても、無視されることがしばしばあった。
 あるエンジニアは私にこう語ってくれた。
 「経営者以外の誰もが会社の宝だと思っていた優秀なエンジニアが、身に覚えのないこ
 とで責められて仕事場を追われたり、ばっさりクビになったりしています。
・スペースXがロケット打ち上げを目指す2004年が到来した。
 ミューラーのチームが手がけるマーリンエンジンは最高の効率を誇るエンジンとなった。
 マスクの期待よりやや遅れたものの、無事、打ち上げに必要な試験もパスした。
・2004年秋、ついにエンジンはすべての必要条件をクリアした。
 ミューラーのチームはみなほっと胸をなでおろしたが、他の社員にとってはこれからが
 地獄だった。 
・実際、問題が山積していることがすぐに判明する。
 航法や通信、その他もろもろの管理を担う電子回路などの「アビオニクス装置」を巡っ
 て大混乱に陥った。
 ロケットのメインコンピュータとやりとりするためのフラッシュメモリーといった些細
 なものに障害が発生した。
 ロケットの管理に必要なソフトも厄介な問題の発生源となった。
 結局、こうした問題がすべて片付くまで半年かかった。
・2005年5月、スペースXは、290km離れたバンデンバーグ空軍基地までロケッ
 トを移送して点火試験を実施、発射台での5秒間の燃料試験に成功した。
・バンデンバーグでの打ち上げはスペースXにとって非常に都合がよかった。
 ロサンゼルスに近く、発射台もいくつか用意されていたからだ。
 ただし、空軍にとっては迷惑な客だった。
 空軍は、新参の企業には冷たい。
 発射場の管理者が積極的にスペースXを支援することもなかった。
・10億ドルの軍事用スパイ衛星をバンデンバーグから打ち上げるロッキードやボーイン
 グにしてみれば、スペースXの存在は目障りでしかなかった。
 何よりも商売の邪魔になるだけだし、大事な輸送機の近くでうろうろされては迷惑なの
 だ。
・スペースXが試験段階から打ち上げ段階に移行する際、順番を守るよう忠告された。
 その場合、打ち上げは数カ月先になるという。
 すぐに別の発射場探しが始まった。
・一般に赤道直下は地球の自転遠心力を効率よく利用できるため、発射場としては最適と
 される。 
 そこでショットウェルとハンス・コエニグスマンは壁に地図を張って、赤道上の地名を
 追った。
 彼らが「いいね」と思った場所があった。「クワジェリン環礁」だ。
 太平洋西部のマーシャル諸島に属し、グアムとハワイの間では最大の島である。
 過去に米海軍が数十年にわたってミサイル試験場として使っていた場所とあって、
 ショットウェルの反応も上々だった。
 さっそく陸軍に打診したところ、喜んで受け入れるとの返事を得た。
・エンジニアがここでも悩んだのは、「マスクが何に金を出し、何にノーと言うか」だっ
 た。 
 ファルコン1の成功に不可欠と考えられる、20万ドル(約2400万円)の機械を買
 いたいと言っても、まずマスクは却下する。
 ところが、工場のフロアを光沢のある素材にして見栄えをよくするためなら、20万ド
 ルでもポンと出す。
・格納庫から発射台までロケットを輸送しやすくするため、180mほど舗装してほしい
 と要望したときも、マスクは頑として首を縦に振らなかった。
 おかげで、エンジニアらは、まず木製の厚板を敷き、その上を車輪付きの台にロケット
 を載せて運んだという。
 最後尾の車輪が通過したら、後ろの厚板をすぐ一番前に持っていくという、古代エジプ
 トさながらの原始的な作業の繰り返しだった。
・何よりも状況全体が滑稽だった。 
 ロケットのベンチャー企業が、人里離れた南の島にこもり、人類の夢をかなえようと難
 しい課題に挑んている。
 ところが、打ち上げ方法を知っている人間は会社の中に一握りしかいない。
・ロケットが発射台まで運ばれ、数日間、垂直に立てておく。
 この間に技術的なチェックや安全チェックをするわけだが、ここで往々にして新たな問
 題が発生する。 
 エンジニアはあれこれ手を尽くすが、やがて潮風による損傷をさけるため、再び水平に
 倒して格納庫に戻す。
・スペースXの工場で別々に働いていた推進力チーム、アビオニクス担当チーム、ソフト
 担当チームが太平洋の島に結集し、いきなり混成チームを結成するわけだ。
 究極の見よう見まねだから、失敗の連続になる。
・クワジェリン島に始めて到着してから約半年後の2005年11月、満を持して打ち上
 げのタイミングを持っていた。 
 マスクは弟キンバルと共に自家用機で乗りつけた。
・11月26日、発射の準備が整い、軍は6時間の発射時限を与えた。
 だが、発射前のチェックで大きな問題が見つかる。
 液体酸素タンクのバルブが閉まらないのだ。
 応急処置をとったが、燃料漏れが多すぎ、発射時限までの発射はあきらめるしかなかっ
 た。
・その後も「準備が整っては、直前に問題発見、延期」の繰り返しだったが、やがて
 2006年3月24日、すべてのシステムが整った。
 発射台のファルコン1が点火され、ついに空に向かって舞い上がった。
 だが、わずか25秒後に制御不能となり、地上に落下してしまう。
・マスクや経営陣は、今回の爆発について、あるエンジニアの責任だと断定した。
 名前こそ挙げなかったものの、このエンジニアが打ち上げ前日に作業をした際、燃料パ
 イプの部品を適切に閉め忘れたために亀裂が生じたのだという。
・そのエンジニアとはホルマンだった。
 怒ったホルマンは、すぐにロサンゼルスの本社に戻り、マスクに直接文句を言おうとし
 た。  
 ホルマンは部品をしっかり閉めた記憶がある。
 NASA来た立会人も背中越しにその作業を見ていた。
 怒り心頭のホルマンが本社に怒鳴り込もうとすると、秘書役のブラウンが彼を制止し、
 ますくとの面会を断念させようとした。
 だが、ホルマンも「ああ、そうですか」と引き下がるわけにはいかない。
 マスクのオフィスの前で押し問答になった。
 結局、マスクには会えないまま、その場はおさまった。
・後に爆発後の破片を分析した結果、問題の部品には確かに亀裂があったが、これは現地
 の潮風に何ヵ月も晒された末に腐食したことが原因だった。
 今も多くの幹部は当時のホルマンらの扱いを悔やんでいるという。 
・打ち上げ失敗後、マスクは半年以内の再チャレンジを希望したが、新たなロケットを完
 成させるには膨大な作業が必要になる。
 結局、再チャレンジが巡ってきたのは、1年後だった。
 2007年3月15日、点火試験に成功。3月21日、ファルコン1がついに宇宙に旅
 立った。
 3分後、第1段が切り離され、2つめのエンジンに点火し、第2段が軌道に乗る。
 コントロールルームは大歓声に包まれた。
・だが、突然、ロケットが空中分解して爆発した。
 エンジニアらはすぐに問題点を把握した。
 推進剤が減ってくると、タンク内を動き回り、タンクの壁に当たる。
 これでロケットはバランスを崩し、穴が空いてエンジンが露出すると、激しい空気抵抗
 によって炎に包まれたのだ。
・当初、マスクが掲げた目標時期からすでに4年近くが経過し、資金は急激に底をつき始
 めていた。  
 それでもマスクのビジョンにはいささかの影響もないようだった。
 
100%の電気自動車 テスラモーターズという革命
・当時はまだ地球環境問題の解決策となるクリーンテクノロジーの動きは見られなかった
 ものの、太陽光エネルギーや電気自動車に実験的に手を出す企業はあった。
 J・B・ストラウベルは、そんなベンチャーを見つけては、交流を持つようになった。
 やがて自宅のガレージでも友人を集めて同じような実験に着手するようになった。
 「ゴミ同然のポルシェ」を20万円ほどで手に入れ、電気自動車に作り替えた。
 つまり電気も歌―を制御するコントローラーを自作し、充電器も一から開発し、クルマ
 全体の動作を担うソフトも自ら書き上げたのである。
 このとき、4分の1マイル(日本風で言えばゼロヨン)を17.38秒で走り、電気自
 動車の世界記録を打ち立てている。
・2002年ごろ、はストラウベルスタンフォード大学の修士課程を修め、ローゼン・モ
 ーターズという会社で働くことに決めた。 
 だが、会社は倒産。
 ストラウベルは、創業者ハロルド・ローゼンについていくことにした。
 ローゼンは「静止衛星の父」と呼ばれる高名なエンジニアだった。
・ある日、ストラウベルは大学時代の仲間と話しているうちに、ある疑問が浮かんだ。
 クルマに積んだリチウムイオン電池を太陽光で充電する方法はすでに経験済みだが、
 ノートPCなどに使われている、いわゆる「18650リチウムイオン電池」を使った
 らどうなるか興味がわいたのだ。
 18650は、単三電池と同じ形状のセル(電池の最小構成単位)をひとまとめにした
 ようなもの。 
 「これを1万本連結したらどうなるだろうと思ったんです。単純計算だと電気自動車で
 1万km走行可能なんです。興味津々でした」
・プロジェクトを進めるには資金が必要だ。
 ストラウベルは、見本市などに顔を出しては、めぼしい企業に企画書を配り歩いた。
 だが、誰1人として見向きもしない。
 そんな日々が続いていたが、2003年秋にイーロン・マスクと巡り合った。
 お膳立てをしたのは、ハロルド・ローゼンだった。
 まず電気飛行機のアイデアを持ち出してみた。
 だが、マスクは食いつかない。
 そこで、ついでのプロジェクトだった電気自動車のアイデアも披露してみた。
 すると、マスクは乗り出すように話を聞き始めたのだった。
・マスク自身、電気自動車についてはずっと考えていた。
 マスクの構想は電源にウルトラキャパシターを使うものだったが、リチウムイオン電池
 の進化の凄まじさを耳にして、大いに興奮していた。
 マスクは1万ドルの出資を約束した。
・マスクから、電気自動車の研究開発を手がける「ACプロパルジョン」という企業を紹
 介された。1992年創業で、電気自動車の最前線を走っていた会社だ。
 ACプロパルジョンには「tzero」という最高級スポーツカーがあった。
 ただし、量産車ではなく、愛好者向けのキットという扱いだった。
・ストラウベルは、同社社長のトム・ゲージに「マスクと一緒にtzeroに試乗したい」
 と依頼した。
 予想どおり、マスクはこの車に一目惚れだった。
 それまでの電気自動車といえば、スピードが遅くておもしろみもないというイメージだ
 ったが、これは違った。
 すっかり惚れ込んだマスクは、キットではなく、量産してはどうかと資金提供を持ちか
 けたが、なかなか色よい返事はもらえなかった。
・このころ、「リチウムイオン電池駆動のクルマ」というアイデアに惚れ込んだ起業家が
 北カリフォルニアにも2人いた。マーティン・エバーハードとマーク・ターペニングで
 ある。  
 2人は1997年にヌーボメディアという会社を立ち上げ、電子ブックリーダー草創期
 に「ロケットイーブック」を開発している。
 この業務を通じて、最先端のデジタル家電の世界に精通し、ノートPCなどのリチウム
 イオン電池の小結的な進化も知っていた。 
・エバーハードは才能あふれるエンジニアだが慈善活動にも熱心で、地球温暖化対策にも
 早くから真剣に向き合っていた。
 そのため、ガソリン車に代わる代替策には敏感だったのだ。
 まずは水素燃料電池の可能性を探ったが、いまひとつだった。
・そんなとき、ACプロパルジョンが提唱する「100%電気自動車」というアイデアに
 は大いに興味をそそられた。
 エバーハードは2001年にACプロパルジョンを訪れ「50万ドル(約6千万円)」
 出すので、鉛蓄電池ではなく、リチウムイオン電池版を作ってもらえないか」と頼んだ
 が、受け入れてもらえなかった。
 そこで、自ら会社を起こし、リチウムイオン電池の電気自動車を開発しようと考えた。
・当時、カルフォルニアではトヨタのプリウスが発売され、環境問題に敏感な富裕層を中
 心に広がりを見せていた。 
・2003年7月、エバーハードとターペニングは新会社「テスラモーターズ」を立ち上
 げた。数ヵ月後、イアン・ライトというエンジニアが入社する。
・テスラ社が考えたプランは、ACプロパルジョンからtzeroの技術のライセンス供
 与を受け、英国のスポーツメーカー、ロータスの「エリーゼ」のシャーシ(車体を支え
 る台)を車体に採用するというものだった。
・エバーハードとターペニングの頭の中には、最初からイーロン・マスクの名前が浮かん
 でいた。  
 ACプロパルジョンのトム・ゲージからエバーハードに電話があり、マスクが電気自動
 車分野で投資先を探していると聞かされたため、彼らはマスクへの売込みを決意する。
・さっそくエバーハードがマスクに会ったのが金曜日。
 その週末には、出張先にいたターペニングにマスクから財務モデルに関する質問が山の
 ように寄せられていた。
 「答えても答えても、質問が止まらないんです。月曜日にはエバーハードとマスクに会
 いに行きました。その結果、マスクが『OKだ、乗った』と快諾してくれました」
・テスラ創業メンバーは、理想的な投資家に巡り合えたと手応えを感じた。
 技術に精通していて、自分たちが何を作ろうとしているのかを的確に理解してくれたか
 らだ。 
 また、石油一辺倒になっている米国の現状を変えたいという大きなゴールにも共感して
 くれました。
 「マスクにとっては単なる投資ではなかったんです。この国のエネルギー構造を変えた
 いと言っていました」
 マスクは650万ドルを出し、筆頭株主になると同時に、会長の座を確保した。
 後にこのマスクによる支配の構図が、エバーハードとの権力争いに発展する。
・出資が決まってからほどなく、マスクはストラウベルとテスラ創業メンバーを引き合わ
 せた。 
 ストラウベルはテスラの噂を耳にしていたが、最初はその計画にかなり懐疑的だった。
 自分以上に電気自動車に深く食い込んでいる人間がこの世にいるわけがないとの自負が
 あったからだ。
・とにかくストラウベルはテスラのオフィスを訪ねた。
 そこから話は早かった。2004年5月、ストラウベルの入社が決まった。
・ハングリー精神旺盛な若いエンジニアをそろえ、走りながら考える。
 そんなテスラに財産があったとすれば、18650リチウムイオン電池が非常に優れた
 電池で、今後も進化を続けると誰よりも早く見抜いていたことだろう。
 そこに、ちょっとした努力と知性が組合わされば十分ではないか。
・バッテリーパックの設計では、きわめて最先端の研究がおこなわれた。
 何百ものリチウムイオン電池を並列に接続することなど、いまだかつて誰も挑戦したこ
 とがなかったからだ。 
・まず、70個のバッテリーを強力接着剤で束ねて大きな塊(ブリック)にした場合、
 発熱量と電流はどうなるのかを確認した。 
 続いて、このブリックを10個並べて配置し、さまざまな空冷、水冷の方式をテストし
 た。
 実用可能なバッテリーパックが完成したところで、ロータス・エリーゼのシャーシーを
 12cmほど広げ、本来エンジンがある車体後方部分にクレーンでバッタリ―パックを
 ゆっくりと配置した。
・この作業が始まったのは200410月のことだ。
 そして3ヵ月後の2005年1月には、たった18人でまったく新しいクルマを完成さ
 せてしまったのである。 
・数ヵ月後、2台目を作り終えたところで、エンジニアらは、もし大きな欠陥があれば心
 して立ち向かわなければならないと話し合った。
・2005年7月、いっそのことロードスターの電池が発火したらどうなるか実際に確か
 めてみてはどうかということになった。
 電池20個をテープで束ね、導火線をつけて着火した。
 「ペットボトルロケットがいくつも打ちあがったみたいだった」
 とライアンズは目を丸くする。
 だが、ロードスターに積むのは20個どころではない。
 7000個近い。
 その規模で爆発が起こった場合を想像すると、エンジニアたちはゾッとした。
・そもそも電気自動車のメリットの1つは、引火しやすいガソリンを使わずに済み、内燃
 機関という名前どおりエンジン内で無限に続く爆発工程から人々を解放することがあっ
 たはずだ。 
 いくら金持ちでも、さらに危険になるような代物に高い金を出すわけがない。
 裕福な有名人がロードスターを購入して炎に包まれでもしたら最悪の事態だ。
・テスラ本社で実施された最初の爆発実験の模様は、ビデオに収められた。
 その後、爆発実験は消防署管轄の爆発実験場に移された。
 爆発実験を繰り返すうちに、電池内部の仕組みがだんだん明らかになってきた。
・やがて、電池の1つが万が一発火しても別の電池へと火が広がらないようにする配列方
 法を編み出し、爆発自体を阻止する方法を開発した。
 ここまで来るのに何千個の電池を爆発させただろうか。
 だが、それだけの価値はあった。
 まだ創業初期段階ではあったが、後にライバル各社と一線を画することになる電池技術
 の発明の瞬間が近づいていた。
・2006年5月、社員数が100人に達した。
 この時点でできあがった試作車「EP1]はロードスターのブラックバーションだった。
 文字どおり本物のクルマとあって、投資家への説明にも説得力がある。
 ベンチャーキャピタルの多くがその斬新なクルマに感銘を受けた。
 テスト走行の間に、エンジニアらが巨大な扇風機で車に風を送って冷やしている姿はご
 愛敬だったが、そんな滑稽なシーンも忘れるほど、インパクトは大きかった。
・2006年7月、テスラはレッドバージョンのEP2も完成させ、赤・黒2色そろえて
 サンタクララのイベントで披露した。
 発表会にはマスコミが殺到した。
 イベントで挨拶に立ったマスクは「これまでの”100%電気自動車”が実にお粗末だっ
 た」と述べ、ロードスターへの自信のほどをうかがわせた。
 イベントには当時カルフォルニア州知事だった「アーノルド・シュワルツェネッガー」、
 もとディズニーCEO「マイケル・アイズナー」といった有名人が姿を見せ、ロードス
 ターの試乗を楽しんだ。
 とはいえ、何かと繊細なクルマで、操作方法を完璧に把握しているのはストラウベルら
 数人だけ。
 オーバーヒートを回避するため、5分ごとに2台を入れかえながら試乗を続けた。
 テスラ側の発表によれば、ロードスターの価格はおよそ9万ドル(約1080万円)、
 満充電での走行距離は約402kmである。
・ともかくロードスターは自動車業界の台風の目となった。
 電気自動車を巡り、支持派と反対派から宗教戦争のような過剰反応が巻き起こった。
 見た目も格好よく、走りも速い電気自動車とあって誰もが熱狂した。
・テスラでは、創業当初からエンジニアの間でエバーハードの即決即断力が高く評価され
 ていた。  
 実際、状況分析に時間が取られ過ぎるようなことはなかった。
 ある攻略方法でチャレンジして失敗しても、まだ時間があるなら新しいやり方で再挑戦
 すればいいからだ。
・ロードスターの開発遅れが発生したのは、マスクがあれこれ変更を命じたためだ。
 マスクはとにかく快適性にこだわり、シートやドアに至るまで変更に次ぐ変更を要求し
 た。
 ボディーのカーボンファイバー化を優先し、ドアの電子センサーを採用したのもマスク
 の求めに応じたものだ。
 こうすれば指で触れるだけでドアを開錠できる。
・2007年半ばにはテスラの社員数は260人に増え、もはやテスラの前に不可能かに
 見えた。 
 だが、そこに待ち構えていたのは、倒産を覚悟させるほどの苛酷な状況だった。
・テスラ経営陣が初期にしでかした最大の失敗は、トランスミッションシステムの想定ミ
 スだった。 
 テスラのエンジニアは、モーターから車輪への力の伝達機構であるトランスミッション
 を2速式でいこうと決めていた。
 1段目のギヤは時速0-60マイル加速で4秒未満を達成、2段目のギヤで時速130
 マイル(時速約209km)にまで加速する。
 このトランスミッションの設計・製造を英国の専門業者に委託した。
 「ところが最初に納品されたトランスミッションはわずか40秒しかもちませんでした」
 1段目のギヤから2段目に切り替わるところでスピードを処理しきれずに壊れてしまう
 のだ。
 モーターとうまく連係できなければ、やがてはクルマに致命的なダメージが生じる。
・CEOエバーハードは、そのころ、環境保護技術の分野で有名なベンチャーキャピタリ
 スト、「ジョン・ドーア」の公演を聴く機会に恵まれた。
 ドーアは「自らの資産と人生を投じて地球を温暖化から救いたい、それが子供たちの世
 代のためにできることだから」と訴えた。 
 感動したエバーハードは、すぐにテスラの本社に取って返し、社員の前で同じ思いを与
 えた。
・だが、この程度のことで自らのイメージをがらりと変えることはできない。
 多くのエンジニアの間には、CEOとしてのエバーハードの能力はもはや限界という思
 いが依然として残っていた。
・一方、古参の社員はエバーハードの技術的なセンスを常に評価していた。
 だが、残念ながら、技術以外の面に配慮が行き届かなかったのも事実だ。
 研究開発段階から量産段階へ会社を導く能力に疑問符が付いていた。
・法外な製造コスト、欠陥トランスミッション、非効率な下請け業者などの問題が重なり、
 テスラの雲行きがあやしくなっていた。
 熱狂的な客はすでに多額の前金を払って納車待ちだった。
 だた、納車予定日がずるずると延期になるばかりで、一度は胸をときめかせたファンが、
 テスラ、そして経営者のエバーハードに背を向け始めた。
・エバーハードとマスクは、クルマの設計面を巡って長年衝突があったが、たいていはう
 まく乗り越えてきた。
 だが、ワトキンスがあぶり出したロードスターのコスト問題をめぐって悪化した2人
 の関係は修復しようがなかった。
 マスクには、エバーハードの経営がでたらめだったために、部品コストの増加を見逃し
 たように見えた。   
 取締役会を欺き、事態の深刻さを覆い隠したエバーハードの行動は背信行為だというの
 が、マスクの見立てだった。
・ある日、街を歩いていたエバーハードの携帯電話が鳴る。
 電話の相手はマスク。
 わずか一言、二言の会話で終わった。CEO解任の通告だった。
・2007年8月、テスラ取締役会は、エバーハードを降格させ、技術担当役員に任命し
 た。これが会社の問題を余計に悪化させることになる。
・数ヵ月経ってもエバーハードの怒りは収まらない。
 割を食うのはテスラの社員だ。
 あたかも両親が離婚秒読み段階で、どちらかにつかなければならない子供のような思い
 で事態を見守っていた。   
 12月には、修復不能な状態となり、ついにエバーハードは会社を去ることになった。
 テスラの公式発表では、経営諮問委員会への就任を要請したが、本人が固辞したことに
 なっている。
・2007年が幕を閉じても、テスラには依然として問題が山積していた。
 カーボンファイバーのボディーは見た目こそ美しかったが、塗装は困難を極めた。
 ボディーパネルには、見てすぐわかる継ぎ目が出ることもあった。
 2段トランスミッションの採用は難しいという現実にも対応させざるを得なかった。
 1速トランスミッションでも、優れた時速0ー60マイル加速性能を実現するためには、
 モーターやインバーターから設計し直し、重量も削る必要があった。
・エバーハードが更迭された後、取締役会は暫定CEOにマイケル・マークスを任命した。
 マークスは手始めに社内の各部門の聞き取り調査を実施し、問題点のあぶり出しを始め
 た。また、現場では生産性の基準をそろえるため、全員が同じ時間に出社するといった
 基本規則を導入した。
・マークスの戦略が功を奏し、エンジニアらも社内政治に振り回されることなく、ロード
 スター開発に安心して専念できるようになった。 
 だが、今度はマークスの掲げるビョジンがマスクと乖離し始めていた。
・ある日、マークスが工場内を歩いていると、リフトにダイムラーの小型車「スマート」
 が置いてあることに気づいた。 
 マスクとストラウベルが勝手に電気自動車の超小型版の可能性を探るミニプロジェクト
 を進めていたのだ。
 「マイケルの耳に入っていなかったため、『この会社のトップは誰だと思ってるんだ?』
 と腹を立てたんでしょう」
・マークスは、何よりまず、大手自動車メーカーに資産として売却できるレベルまでテス
 ラモーターズを事業として作り込みたかった。
 フレクトロニクス経営時代、グローバルな巨大サプライチェーンを手がけ、その難しさ
 を嫌というほどわかっていたからだ。
・つまり彼の目には、テスラは限りなく将来性のない会社と映っていたのである。
 たった1つしかない製品もロクに完成させられない。
 コスト管理はなっていない。納期も守れない。それでいてエンジニアが本業そっちのけ
 で副業のような実験に明け暮れている。
 マークスが将来を期待していないのも無理はなかった。
・かたやマスクは事業譲渡を前提とした資産価値向上には関心がなかった。
 自動車業界に風穴を開け、電気自動車の価値を世の中に広めたくて始めた会社だ。
 新しいアイデアや計画に華麗に飛び移るシリコンバレー流とは違い、じっくり深堀した
 いのだ。 
・路線の違いを憂慮したマスクは、一か八かの賭けに出ることにした。
 2007年12月、マスクは新しいCEOにジーブ・ドローリを起用する。
 その一方で、マスコミの悪評をなくそうと、インタビューにも精力的に応じ、2008
 年初めの出荷を約束した。
 何か緊急事態が発生すればマスク自らが動き出す。こうした対応は、スペースXでも同
 じだった。  
 マーケティング面では、マスクは毎日グーグルでテスラの話題を検索していた。
 もし都合の悪い記事でも見つけようものなら、自社の広報部門にハッパをかけて何とか
 して「訂正」させようとした。
・身内にも容赦なかった。
 ある社員が妻の出産に立ち会うためにイベントを欠席したことがあった。
 マスクは即座にこの社員にメールを送り付けた。
 「言い訳にならない。本当にがっかりした。何を優先すべきか考えたことがあるのか。
 私たちは世界を変えようとしているし、歴史を変えようとしている。やるか、やらない
 のか、どちらかはっきりしてもらいたい」
・マーケティング部門の人間がメールで文法ミスなど犯そうものならクビだ。
 ある元役員は「異常なほど威嚇的になることがありますが、本人もどこまでやったらい
 いか加減がよくわかっていないんです。だから次は誰が血祭りに上げられるか、よく噂
 していましたね。ボコボコにしますけど、すぐにクビにしないのであれば、信頼できる
 社員かどうかを試しているんですよ。自分と同じくらい型破りな人間かどうか知りたい
 んです」  
・多くの社員は技術面の課題克服を半ばゲーム感覚で楽しんでいたが、燃え尽きてしまう
 者も見られた。
 たとえば、創業者を除けばもっとも古株の社員だったイアン・ライトは、大衆向けの電
 気自動車など、結局は無理だと考えてテスラを去り、電気自動車の中でも配送トラック
 を専門に手掛けるメーカーを自分で立ち上げてしまった。
 バーディチェフスキーも若き天才エンジニアとして社内で重要な役割を果たしていたが、
 やはりテスラを離れ、電気自動車向けの革命的な新型バッテリーの開発を目指すベンチ
 ャーを起こした。
 創業者の1人、ターペニングは、エバーハードなき後のテスラが面白くなくなったと感
 じていた。
・だが、テスラの最大の問題は、技術屋マーケティングの工夫でなんとかなるようなレベ
 ルではなかった。
 2008年を間近に控え、資金が底をつきそうだったのだ。
・マスクがこの四面楚歌の状況からテスラを救うには、全財産を失い、精神的に崩壊する
 くらいの覚悟が必要だったのだ。
 
苦悩の時代 生き残りをかけた闘い
・ファルコン1の2度目の打ち上げが失敗し、2億ドル(約240億円)近い資産が水の
 泡となって消えている。
 テスラも納車時期の延期が重なり、マスクの輝きが急速に失われ始めていた。
 シリコンバレーでは、マスクに資産は大丈夫かと噂が飛び交い始める。
・事態が急激に悪化し始めたのは2007年末からだ。
 会社や個人の評判ががた落ちになる中、家庭生活にも影響が出てきた。
 夫婦には双子がいたが、2006年末には三つ子が生まれた。
 その直後からジャスティンは欝の症状に悩まされるようになった。
・2007年から2008年へと変わるころ、マスクの生活はますます慌ただしくなる。
 テスラはロードスターの大部分を作り直すことになり、スペースXは依然としてファル
 コン1の次の打ち上げに備えて大勢のスタッフがタワジェリンで待機していた。
 どちらのビジネスもマスクの資産を狂ったように呑み込んでいく。
 やくなくマスクは現金を作るためにマクラーレンなどの金目の資産を売り払い始めた。
 ただし、写真に対しては仕事でベストを尽くせと激励するだけで、人員圧縮に走ること
 もなく、むしろ社員の雇用を徹底的に守り通した。
 同時に、両社で大きな買い物がある場合はマスクが自ら決裁を行い、「支出と生産性の
 バランスを取れ」と社員には常に指導した。
・マスクの頭の中はテスラとスペースXでいっぱいだった。   
 当然、家庭での張りつめた関係は余計に悪化する。
 5人の子供たちの世話にはベビーシッターを雇っていたが、イーロン自身が家庭で過ご
 す時間はほとんどなかった。
 1週間、休みなく働き、ロサンゼルスとサンフランシスコを行ったり来たりの生活が続
 く。
・ジャスティンには変化が必要だった。
 自分は金も権力を手にした夫に囲われているだけの存在なのかもしれない。
 そう考えると、憂鬱になるばかりだった。
 彼女はもう一度、イーロンと対等なパートナーに戻りたかったのだ。
 だが、そもそも家丁の試算や経済状況さえ、妻にはまともに知らされていなかった。
 きわめて近い親友の一部は、マスクがかなり困窮した状況に陥っていることをつかんで
 いた。
・2人はすぐには離婚を公にしなかったが、9月になってジャスティンはブログで「私た
 ちは走り終えました。若くして結婚し、限界まで頑張ってきましたが、すべてが終わっ
 たんです」と記し、結婚生活にピリオドを打ったことを報告したのだった。
・こうしたプライベートな話が公になることは、マスクにとって新たな危機でもあった。
 長い年月をかけて築き上げてきたイメージが崩れ去ろうとしていたからだ。
・有名人でおなじみのドロドロ離婚劇が始まり、お約束の、慰謝料をめぐる戦いが勃発し
 た。  
 ジャスティンは慰謝料として、自宅・土地・建物・生活費・養育費に加え、600万ド
 ル(約7億2千万円)の現金、マスクが保有するテスラ株の10%、スペースX株の5
 %、さらにロードスター1台を要求した。
 ペイパル時代に、ジャスティンはマスクの求めに応じて結婚生活契約書にサインしてい
 る。
 だが、彼女に言わせると、当時は契約書の内容をきちんと確認する時間も気持ちもなか
 ったという。
・世間はジャスティンに肩入れした。
 マスクのような億万長者にとって妻の要求は無茶ではないはずなのに、どうして抵抗し
 ているのか理解できなかったのだ。 
 結局、ジャスティンが自宅・土地・建物、現金200万ドル(約2奥千万円)、月8万
 ドル(約960万円)の生活費、養育費17年分、ロードスター1台で手を打つことに
 なった。
・離婚訴訟を起こしてから数週間ほど、マスクは憔悴しきっていた。
 心配した親友のビル・リーが彼を元気づけようと考えた。
 気分一新すべくロンドン旅行に誘った。
・リーはマスクをクラブに誘った。
 顔の広いリーがプロモーターの友人と連絡を取り、やがてプロモーターがとびっきりの
 美女たちを連れてやってきた。
 その1人が22歳の新進女優「タルラ・ライリー」だった。
 マスクはその美しさにすっかり虜になってしまう。
 ただ、ライリーのほうは一目惚れだったわけではない。
 マスクは次の日のディナーにライリーを誘い、彼女も受け入れた。
・ライリーは、英国の田舎育ちで、初めてマスクに出会うほんの1週間前まで家族と一緒
 に暮らしているような”お嬢さん”だった。
 当日、マスクはリーと、ライリーは女優友達のタムシン・エガートンを誘って約束のレ
 ストランに現れた。  
 ライリーはマスクが自分をどう紹介するか様子を窺っていた。
 すると、マスクは自分が5人の子持ちであること、離婚係争中であることを明らかにし
 た。食事後、ライリーとマスクは街に出て、カフェで改めて2人だけで話をした。
 そこでライリーは自分がアルコールを一切口にしない絶対禁酒主義であると説明し、
 アップルジュースをオーダーした。
 2人は互いに惹かれ合い、やがて恋愛感情が芽生えて行った。
・マスクが米国に帰ってからも、2人はメールで連絡を取り合う。
 数週間後、ライリーはロサンゼルス行きのチケットを予約する。
 ライリーがカルフォルニアに滞在したのはわずか5日間だったが、マスクの動きは早か
 った。気がついたときには、ビバリーヒルズのペニンシュラホテルのベッドの上にいた。
・その時点までは、ライリーは両親を心配させるようなことも一切ない、よくできた娘だ
 った。
 学校の成績もよく、役者の仕事もよくこなす。
 火と当たりのいい優しいその性格から、友人からは「白雪姫」と形容されるほどだった。
 その白雪姫が、米国のホテルのバルコニーから両親に電話をかけて、14歳も年上の男
 といきなり結婚すると言うのである。
 しかも、その男は最初の妻との離婚訴訟を開始したばかりで、子供は5人もいて、先の
 見えない会社を2つも持っている。
 知り合ってまだ数週間という彼と、はたしてどうなって愛を育むのかもわからない状態
 での決断だった。
・2008年の7月下旬に入り、ようやくマスクは、年末までは、辛うじて何とかなりそ
 うな現金が手元にあることを確認する。
 スペースXもテスラも給与払いのために一定の現金が必要になるのだが、世界の金融市
 場の混乱や棚上げになっている投資案件もあるから、どこから金が転がり込んでくるの
 か定かではなかったのだ。
・ファルコン1の3度目の打ち上げ話が持ち上がった。
 マスクにとっては最も差し迫った課題だった。
 普通の会社であれば目の前の最重要案件にひたすら専念するだろう。
 だが、スペースXは違った。
 ファルコン1をエンジニアチームとともにクワジェリンに送り込む一方で、別のエンジ
 ニアチームは、エンジン9基を搭載するファルコン9の新規開発プロジェクトを続けて
 いたのである。
・ファルコン9は、将来的にはファルコン5の後継となるもので、退役予定のスペース・
 シャトルに取って代わる候補と目されていた。
 スペースXが穏当にロケットを打ち上げられる会社なのかは実績もなく不明だったが、
 それでもマスクはNASAの大型契約をかくとくするために全力を挙げて取り組むこと
 にしたのだ。
・2008年7月、ファルコン9の点火試験に成功し、380トン以上の運搬能力がある
 ことが証明された。
 その3日後、今度はクワジェリンのエンジンチームがファルコン1の燃料補給を完了し、
 ペイロードには空軍の衛星のほか、NASAの実験装置も積み込まれた。
・スペースXでは、170kg相当の搭載物を軌道に運ぶ計画だった。
 打ち上げに失敗した前回からロケットに大幅な変更を加えてきた。
 従来の会社なら、こんなことをして余計なリスクを増やしたくないはずだが、
 「技術を進歩させると同時に適切に動作させようと努力するのがスペースXの仕事だ」
 とマスクは主張し続けた。
・2008年8月、最初の発射寸前にストップがかかったものの、同日、再度発射のチャ
 ンスがやってくる。すべて順調に推移している。
 点火されたファルコン1が轟音とともに空高くぐんぐんと舞い上がる。
 ウェブの中継で打ち上げを見守っていたカルフォルニア本社の社員の間から歓声が上が
 った。
 とことが、ロケットの第1段と第2段が切り離された瞬間に異常事態が発生した。
 またしても爆発したのだ。
 後日の解析の結果、切り離しの瞬間、新エンジンの推進ミスで第1段が第2段に衝突し、
 ロケット上部とエンジン自体が損傷したのだ。
・またもや失敗、多くの社員がうちひがれた。
 そこにマスクが現れる。「また頑張ろう」と励ました。
 「もうすぐじゃないか。今度こそいける。こんなことでへこたれるな。すぐに冷静にな
 って、何起きたのか見極めて、下人を取り除けばいい。そうすれば失望は希望と集中に
 変わるんだ」
・実際、この3度目のチャレンジは、いわばドミノ倒し的にアクシデントが重なった末の
 失敗だった。
 ロケットの第2段が適切に推進しなかったために、前回の失敗の原因となった燃料のス
 ロッシング(振動)問題が解決できたかどうか確認するチャンスも失ってしまった。
 この不安を抱えながら4度目の打ち上げに立ち向かわなければならない。
 マスクにとっても、いよいよ後がない状態に追い込まれた。
・資金面で5度目の挑戦はありえなかった。
 すでにロケット事業に1億ドルをつぎ込んでいたマスクには、テスラの問題もあるため
 余裕はなかった。
 だが、次で決めれば、米国政府からはもちろん、民間部門からの信用も高まる。
 そうなれば、ファルコン9、さらにはもっと野心的なプロジェクトにも道が開かれるだ
 ろう。
・4度目の打ち上げに向けて要求と期待はいやが上にも高まる。
 それがプレッシャーとなって、つまらないミスが相次いだ。
 ファルコン1のボディーをクワジェリンに送る際にはバージ船を使うのだが、マスクも
 エンジニアも興奮しすぎて、はるか海原をのんびりやってくるロケットを待つ余裕がな
 い。
 そこでマスクが軍事用の貨物航空機をレンタルし、ロケット本体をロサンゼルスからハ
 ワイまで空路で運び、そこから船でクワジェリンに持ち込むことにした。
 だが、与圧した機内は機外よりも気圧がずっと高めに設定してある。
 そんな場所に、厚さが3ミリ程度しかないロケットのボディーを置けばどんな影響が及
 ぶのか考える者はなかった。
・ハワイに向かう途中、機内のスタッフは貨物から奇妙な音が聞こえてくるのに気づいた。
 「音に驚いて振り返ると、ロケットのボディーが潰れかけていました。慌ててパイロッ
 トに高度を上げるように指示しました」
・ハワイに到着するまでに機内で対策が打てる時間は30分しかない。
 エンジニアらは、本体をぴったりと大手いたシュリンク包装にポケットナイフで切れ目
 をいくつも入れた。  
 次に、航空機備え付けのメンテナンスキットを見つけ、レンチで露見殿ナットをいくつ
 か緩めた。
 こうすることでロケット機体内部の気圧と飛行機機内の気圧のバランスを取ったのであ
 る。
・到着後、すぐにロサンゼルスの役員に問題を報告した。
 ロサンゼルスは深夜3時だったが、役員がすぐにマスクに事情を説明する。
 修復には3カ月かかると思われたが、マスクが応援チームを現地に派遣し、2週間で事
 なきを得た。
・2008年9月、ついに4度目にして最後かもしれない打ち上げの日がやってきた。
 ファルコン1が発射台に立てられた。
 今度は実質的な搭載物はない。
 軍も民間企業もまた爆発するのを見たくなかったからだ。
 そこで163kgのダミーのペイロードを搭載した。
・点火。ロケットは轟音をあげながら空へまっすぐに上昇していく。
 スペースX本社では歓声が上がる。
 第1段が切り離され、第2段に点火、すべてが順調に進む。
 「よしっ、完璧だ!」
 幹部が大きな声で叫んだ。
 ファルコン1は、無事、ペイロードを軌道に投入することにとうとう成功したのだ。
・ここまで来るのに6年かかった。
 マスクの計画よりも4年以上の回り道。500人の社員で粘り強く取り組んだ末につか
 んだ勝利だった。
・その日の午前中、マスクは重すぎるプレッシャーから逃れるため、弟キンバルや彼の子
 供たちを誘ってディスニーランドを訪れていた。
 午後4時の打ち上げ時刻に間に合うように早めに切り上げ、スペースXのトレーラーに
 設置したコントロールルームに入った。発射2分前だった。
・マスクはコントロールルームを出て工場に入ると、まるでロックスターのような歓迎を
 受けた。 
 「こんな素晴らしいことがあるでしょうか」
 マスクが口を開いた。
 「この地球上で達成できたのはわずか数カ国しかありません。普通は国家レベルの事業
 なのです。民間会社がやるようなことじゃない。いまは胸がいっぱいで、何を申し上げ
 たらいいか、わかりません。しかし、私の人生で最高の日であることは間違いありませ
 ん」
・祝宴が終わり、マスクは現実に戻った。
 心配の種は危機的状況にあるスペースXの財務だった。
 ファルコン9の開発が続いているうえ、カプセル型の有人宇宙船「ドラゴン」の開発に
 もゴーサインを出したばかりだ。
・マレーシア政府から衛星を軌道に乗せる商業打ち上げの契約を獲得したが、打ち上げも
 支払いも2009年半ば以降の見通しだ。
 この間、スペースXは自力で資金を調達するしかない。
・ともかく目の前の課題は資金繰りだ。
 マスクはスペースXとテスラについてざっと計算してみたところ、生き残りのチャンス
 はどちらか1社しかないことがわかった。 
・リーマン・ショックがきっかけとなり、2008年後半には世界経済が失速、同年の終
 わりにはついにマスクの資金が底をついた。
 マスクは、長時間労働や食事の偏りで体重が大きく変動した。
 目の下にクマはできるし、マラソンを走り切った選手のような表情を浮かべていること
 もあった。 
・やがて夫婦は資産家の友人スコールから数千万円ほど借金せざるを得なくなった。
 ライリーの良心も自宅を抵当に入れてもいいと言い出す始末だった。
 もはや自家用ジェットでロサンゼルスとシリコンバレーを行き来するような余裕はない。
 格安航空会社を使うようになった。
・月に400万ドル(約4億8千万円)を食いつぶすテスラには、新たな資金調達の手当
 てをしないかぎり、2008年を乗り切るのは難しそうだった。
 裕福な友人らから借金しては社員の給与支払いに充てていた。
・2008年12月、マスクは2つの会社を救うため、行動を起こす。
 ちょうどNASAが宇宙ステーションへの補給の契約を結ぼうとしているとの情報が飛
 び込んできた。  
 スペースXの4度目の打ち上げが成功しているだけに、十分、チャンスはあるとマスク
 は考えた。
 契約を獲得できれば、10億ドル(約1200億円)は堅い。
 急遽、「宇宙ステーションにカプセルを届けるのはスペースXしかない」というキャン
 ペーンを展開することにした。
・マスクは、手持ちの株などを売却してなんとか2000万ドル(約24億円)を捻出し、
 テスラの投資家にも併せて同等の出資を頼み込んだ。
 投資家側は要請を受け入れ、2008年12月に契約書を交わす運びとなった。
 だが、ここでマスクはある問題を発見する。
 投資機関の1つ、バンテージポイント・キャピタル・パートナーズが署名した書類のう
 ち、ページが1枚抜けていたのだ。
 マスクは、バンテージポイントの共同創業者であるアラン・サルツマンに電話をかけ、
 説明を求めた。
・そのうち彼らの狙いが見えてみた。
 サルツマンはテスラを倒産に追い込みたかったようだ。
 いったん会社を潰し、マスクからCEOの座を取り上げ、改めてテスラに資本注入して
 乗っ取ろうと狙っていた。
 そのうえで、テスラを大手自動車メーカーに売りとばすか、電気ドライブトレーンやバ
 ッテリーパックを販売する専業企業に変えるつもりだった。
・マスクはこの危機を乗り切ろうと、さまざまな方策を考えた。
 そしてマスクは賭けに出る。新たな大きなリスクを背負い込む形を選んだのだ。
 なんとマスクは、今回要請した投資を、出資ではなく、有志に変えたのだ。
 つまり「株式による資本投下」ではなく「借り入れ」を選んだことになる。
 株式ではない以上、バンテージポイントも邪魔はできない。
・結局、マスクは投資家に対し、「スペースXから新たに融資を受けて、それを今回の増
 資に充てる」という無茶な方針を伝えた。
 融資するスペースXも、予断を許さない状況だったのだから、まさに綱渡りの苦肉の策
 だった。だが、最終的にはこの作戦が当たる。
 このタイミングを逃せば、テスラは本当に倒産していただろう。
 手元に現金がほとんどなかった同社にとって、クリスマスの給料日に多額の現金などと
 ても用意できなかったはずだ。  
・さて、金を貸す側のスペースXでは、マスクや役員は12月中ずっと脅怖に包まれてい
 た。
 マスコミの報道によれば、NASAとの契約先候補として一番可能性が高いとされてい
 た。
 ところが風向きが怪しくなってきたからだ。
・スペースXの共同創業者と言ってもいいような立場だったマイケル・グリフィンは、
 すでにNASA長官に就任していた。
 だが、マスクの攻撃的なビジネス手法を良しとしないグリフィンは、職業倫理面では彼
 のことを微妙な人物とみていたフシがある。
 真偽は定までないが、「グリフィンはマスクと巣メースXに嫉妬していた」と断定した
 報道もあった。 
・ところが2008年12月、奇跡の一発逆転が起こった。
 NASAの職員らが長官のグリフィンに働きかける形で、「次期調達先をスペースXに
 せよ」と迫ったのである。
 その結果、スペースXは12回分の補給契約を獲得し、総額16億ドルにのぼる現金が
 転がり込んだ。
 スペースXもテスラも生き残ることができ、マスクは涙を流して喜んだという。
・マスクについて、ベイラー・エクイティCEOのグレイシャスは、
 どんなに厳しい状況でも生き残ってきた。しかもただ生きながらえたのではない。働き
 続け、集中し続けた」と評価する。
 厳しい危機に見舞われても集中し続ける能力は、たしかにマスクの強みに違いない。
 「普通の人間ならば、あれだけのプレッシャーにさらされたら、どこかで判断ミスを起
 こすでしょう。イーロンはそんな状況でも明快で長期的な意志決定が下せる人間です。
 難しければ難しいほど、彼は力を発揮するんですよ」
 
軌道に乗せる 火星移住まで夢は終わらない
・ファルコン9は、スペースXの主力商品になった。
 全長68m、直径3.66m、総重量490トンの巨大なロケットである。
 その名のとおり、エンジンを1段目に9基搭載する。
・かつては「宇宙産業の大ぼら吹き」と言われたスペースX,今やもっとも安定感のある
 ロケット打ち上げ事業者として一目置かれる存在となった。 
 ほぼ月に1回のペースで打ち上げるようになり、企業や国家の依頼で人工衛星や国際宇
 宙ステーションへの補給物資を宇宙に運んでいる。
 クワジェリンでのファルコン1打ち上げがベンチャーの仕事だったとすれば、バンデン
 バーグでのファルコン9の打ち上げは強大な宇宙企業によるビジネスだ。
 価格面では、ボーイングやロッキード・マーティン、オービタル・サイエンシズといっ
 た米国のライバルを圧倒している。
 また、ライバル各社が部品調達をロシアなど海外の下請け業者に頼っているのに対して、
 スペースXは米国内で一からすべて自前で作り上げている。
 これは顧客にとって大きな安心材料だ。
・低コストを売り物にしたスペースXの登場を受け、米国は再び世界の商業ロケット市場
 で有力プレイヤーとなった。
 1回の打ち上げ費用は6000万ドル(約72億円)と、欧州や日本には真似のできな
 い低価格を実現している。
 比較的低価格を打ち出すロシアや中国にも負けていない。
・宇宙への運搬手段としてロケットが不可欠の人工衛星市場は、過去10年で年600億
 ドルから2000億ドル以上に急拡大している。
 事実、多くの国々が偵察衛星や通信衛星、気象衛星の打ち上げを専門企業に委託してい
 る。  
 企業もテレビ放送やインターネット、無線、気象、ナビゲーション、画像処理といって
 分野で宇宙利用が活発になっている。
・地球に関する探索能力を売りにした新しい衛星メーカーも登場している。
 例えば、衛星を使ってアイオワ州の農地の映像をズームすれば、トウモロコシ畑の収穫
 期がいつ頃か手に取るようにわかる。
 カリフォルニア州内のウォルマート全店の駐車場の状況からクリスマスシーズンのショ
 ッピング需要をはじき出すこともできる。
・今後、宇宙産業での中国の役割はますます大きくなる見通しだし、ロシアは宇宙関連プ
 ログラムの感性化に500億ドルを投じる方針を打ち出している。
 このため宇宙関連では、米国はあまり親しくないこの2つの国と取り引きせざるを得な
 いのが現状だ。 
・とりわけ、スペースシャトル退役後、宇宙飛行士を国際宇宙ステーションに送り届ける
 事業は全面的にロシア頼みとなっていた。
 その費用は宇宙飛行士1人当たり7000万ドル(約84億円)だ。
 この流れを断ち切り、再び有人飛行を自国で実現するとすれば、現時点ではスペースX
 が最も有力な候補と考えられる。
・現にスペースXは、宇宙産業で強大な影響力を行使できる存在にまでなっている。
 彼らは年に数回の打ち上げで納得しているわけではないし、かといって生き残りのため
 に政府丸抱えになる気もない。
 マスクは、製造面の技術革新と発射台の進化に取り組み、打ち上げコストの大幅削減を
 実現しようとしている。
 特にマスクが力を入れているのは、ペーロードを宇宙に送り届けた後、地球に帰還し、
 最後に海に浮かべたパッドに正確に着陸する試験だ。
 最終的には元の発射台にもどってくることも視野に入れているという。
 まだ海上着陸試験の失敗が続いているが、スラスター(姿勢制御用装置)を逆噴射して
 軟着陸させ、ロケットを再利用する方針は変わっていない。
・スペースXでは、今後数年以内に価格をライバル各社の10分の1以下に抑えたいとし
 ている。 
 ロケットの再利用が可能になれば、価格のさらなる引き下げはほぼ間違いないし、
 ライバルに対する優位性も確立できる。
 同じ飛行機を何度もフライトに使用できる航空会社と、フライトのたびに飛行機を廃棄
 している航空会社があったら、そのコスト差がれきぜんとあることは一目瞭然だろう。
・スペースXは現在も非上場で、筆頭株主はマスクだ
 スペースXはマスクそのものだ。その強みだけでなく、弱みもマスク自身にある。
 スペースXのあらゆる取り組みを見ていると、マスクの異常なこだわりや熱意がそのま
 ま投影されている。
 スペースXha、いわば”マスク教”そのものなのである。
 社員はマスクを畏れ、崇拝している。マスクに人生も捧げている。
 うるさ型の厳しい経営スタイルは、とてつもなく大きな夢を語るからこそ成り立つ。
・スペースXが複雑なシステムを進化させた例は枚挙にいとまがない。
 同社の工場には不気味な巨大装置がある。
 「摩擦攪拌接合法(FSW)」という方法で溶接する機械だ。
 この装置のおかげで、ファルコンロケットのボディーに使う巨大な板金の溶接が自動化
 できるようになった。 
 「金属が弱くなる」との理由から、これまで航空宇宙業界では避けられていた。
・だがスペースXでは、はやい時期からマスクがFSWの習得を現場に指示していた。
 そもそもこの方法は従来の溶接よりも接合部分ははるかに強くなる。
 実際、多くの企業が小さな部分にはFSWを利用してはいたが、ロケットのボディーの
 ように巨大な構造には使ったことがなかったのだ。
・スペースXは試行錯誤の末、巨大な薄板でも接合できるように工夫し、結果的にファル
 コンの大幅軽量化につながった。
 すでにこの装置とノウハウはテスラに技術移転されており、テスラの軽量化、強化に生
 かそうとしている。
・この技術が有効とわかるや、ライバル各社は一斉にFSWに飛びつき中にはスペースX   
 から専門家を引き抜こうとする動きも見られた。
 特になりふりかまわなかったのは、アマゾンの創業者「ジェフ・ベゾス」が設立した航
 空宇宙会社「ブルーオリジン」だ。
 同社は、世界トップクラスのFSW専門家であるスペースXのレイ・ミレクタを引き抜
 き、マスクとの仲違いを引き起こした。
・マスクとべゾスは宇宙に興味を持つ経営者同士、意気投合する面もあったが、子の一件
 で2人の関係はギクシャクし、火星旅行の夢について会話することもなくなった。
・マスクと長くつき合っていると、ドンでもない情報量を吸収する能力があることに気づ
 くはずだ。完璧と言ってもいい記憶力なのだ。
 子どものころに本を貪るように読み、どんどん頭に入れていたエピソードは以前も紹介
 したが、現在でも同じように知識を簡単に身に付けてしまう。
 驚愕の才能の持ち主である。
・スペースX創業からわずか数年後で、マスクは航空宇宙分野の専門家になっていた。
 同じ分野の、技術に精通したCEOでも太刀打ちできる者はまずいないほどレベルをあ
 げていた。 
・どんなに高度な製品開発でも平気で無茶苦茶なスケジュールを設定してしまう。
 これはイーロン・マスクの欠点の1つだ。
 ここまで容赦ない経営者はそう多くはない。
・イーロン・マスクは”よく言えば”根っからの楽天家だ。
 すべての物事が何ら失敗なく順調に進み、全員がマスク並みの能力を持って取り組めば
 「きっとこうなるはず」という大甘の想定で目標時期をはじき出す。
・楽天的なマスクのスケジュールに対抗すべく、現場のエンジニアらは様々なサバイバル
 テクニックを編み出さざるを得なかった。
 マスクは折に触れてプロジェクトの達成方法について詳細な計画書を提出させる。
 そこで月間予定や週間予定にまで落とし込んだ計画書をマスクの元に持って行く。
 すると、マスクは1日単位、1時間単位にまで落とし込めという。
 ひどいときには分単位で出せと要求する。しかも遅れれば、容赦ない。
・意思決定の速さもマスクの特徴の1つだ。
 それを身をもって感じたのが、エンジニアのケビン・ワトソンである。
 彼はNASAのジェット推進研究所(JPL)に24年勤務し、さまざまなプロジェク
 トに関わった後、2008年にスペースXに転じた。
 JPLでは耐久性を高めた特殊なコンピュータを購入することになっている。
 当然、価格も高い。
 ワトソンはこれが気に入らなかった。
 もっと安価でも同じような性能のコンピュータを自作できるはずだといつも考えてい
 た。
 マスクの面接で、スペースXにはそういう発想こそが求められているとわかった。
 マスクは1万ドルいかでロケットのアビオニクスシステムを開発したいという。
 宇宙産業の常識から言えば、異常としか思えない価格だ。
 普通はゆうに1000万ドルを超えるからだ。
 採用面接の場で、ワトソンはその不可能を1万ドルで実現してみせるとマスクに約束し
 た。 
 採用決定後すぐに開発に着手した。
 結局、数ヵ月後にワトソンらのチームは、既製のコンピュータと自前開発のシステムを
 うまく組み合わせ、本当に安価なアビオニクスシステムを開発した。
 コストは1マンドルをわずかに超えてしまったが、マスクの要求にはほぼ応えることが
 できた。
・NASAでは住ケースXのエンジニアは「ガレージの連中」と陰口を叩かれていた。
 ベンチャーの技術力を軽視した表現だ。
 だが、スペースXが記録的なスピードで基本機能を完成させてしまう。
 NASA所定のテストも一発でクリアするクオリティの高さだった。
・マスクはたとえ相手が政府高官であろうと、トンチンカンなことを言っていると思えば
 徹底的にとっちめるという。 
 非常に優秀な人物をつかまえてバカ呼ばわりしているのを見たときには信じられない思
 いだったと振り返った高官もいた。
・ここでもマスクの尻ぬぐいをするのは、社長のショットウェルだ。
 客の前でのマスクのぞんざいな態度もショットウェルの見事なフォローがあるからこそ、
 事なきを得てきた。
 同社が奇跡的な営業力で業績を飛躍させることができたのもショットウェルの存在あれ
 ばこそだ。
・結局、有人飛行に関してはスペースXとボーイングが4年にわたるNASAのコンペを
 制した。
 2017年までに国際宇宙ステーションへの有人飛行を実現するための宇宙船開発とロ
 ケットによる運搬ミッションだ。
 スペースXは26億ドル、ボーイングは42億ドルの予算を獲得した。
 どちらも退役となったスペースシャトルの置き換えとなる有人飛行の後継機を担う。
・2010年6月、スペースXはファルコン9を初めて打ち上げ、見事に地球の軌道に乗
 せることに成功した。
 その年の12月にはドラゴン宇宙船を搭載してロケットを打ち上げ、ドラゴンを地球の
 軌道に乗せた。 
 その後、ドラゴンは無事、太平洋上に着水して、回収された。
 これは民間企業としては初の快挙だった。
 そして2012年5月、スペースXは、クワジェリンの打ち上げ成功に続く重要な瞬間
 を迎えることになる。
・5月22日、フロリダ州ケープカナベラルのケネディー宇宙センターからファルコン9
 が青空に向かって飛び立った。
 宇宙空間でファルコン9から送り出されたドラゴン宇宙船は、ソーラーパネルを開き、
 小型ロケットエンジンを噴射して国際宇宙ステーションへと進み始める。
 午前7時前、ドラゴンは宇宙ステーションに接近、ステーション側がロボットアームを
 駆使して補助カプセルの受け取りに成功した。
 国際宇宙ステーションとのドッキングは、民間企業としては史上初の快挙である。
 この数ヵ月後、スペースXはNASAから新たに4億4000万ドルを獲得し、ドラゴ
 ンによる有人飛行に向けて取り組むことになった。
・2014年5月、マスクはスペースX社本社に報道関係者を招き、NASAからの受託
 事業について公開した。
 ここで発表されたのは、新型宇宙船「ドラゴンV2」だ。
・さらにマスクは、このドラゴンV2が「ミッション完了後に地球上のどこにでも着陸で
 きるようになる」と発表した。  
 洋上着陸が不要になるし、再利用も可能になるということだ。
 「これが21世紀の宇宙船のあるべき姿です。推進剤を再補給すれば、また飛べるので
 す。
 これまではロケットも宇宙船も使い捨てでした。そんなことをしているかぎり、本当の
 意味での宇宙に行き来できていることにはならない」
・社員にはそれなりの給料が支払われていいたが、彼らの多くはもっと大きなリターンを
 期待していたのだ。
 それはスペースXの上場だ。上場すれば、彼らの持ち株は大化けする。
 ところが、マスクはすぐには上場する気がなかった。
 「上場はまだまだ先のことで、火星へのミッションがある程度固まるまではありえない」
 というマスクの意向が社員の耳に届くと、社内には不満の声が上がり始めた。
・そんな空気を察知したマスクは、すぐに全社員宛にメールを送った。
 「火星輸送システムのプロジェクトがある程度軌道に乗る前に巣メースXを上場さえる
 ことには懸念を深めています。 
  火星移住に必要な技術の開発は、今でも、そして今後もスペースXの基本目標である
  ことに変わりありません。株式公開することによってその可能性が小さくなるのであ
  れば、火星が確実になるまで控えるべきです。テスラやソーラーシティでの経験を踏
  まえると、スペースXをあえて上場させる気にはなりません。特に我々のミッション
  が長期にわたるものであることを考えれば、なおさらです。
  過去に上場企業の勤務経験がない方は、上場する方が望ましいと考えていることでし
  ょう。しかしそうではありません。上場企業の株は、特に技術に大きな変化が到来し
  た場合、大きく変動します。経営に関わる理由もあるし、単なる経済情勢上の理由も
  あります。やがて社員は株価の動きに一喜一憂することに気を取られ、素晴らしい製
  品を作り出さなくなります。
 また、市場の裏をかいてスペースX株を「最高のタイミング」で売却できると思ってい
 る、おめでたい方々に言いたい。並みいるヘッジファンドマネージャーより本当に腕が
 いいなら、スペースXwの価格を心配する必要はありません。他の上場企業の株に投資
 して莫大な資産を作ればいいだけではありませんか」

リベンジ 21世紀の自動車を世に出す
・2012年半ば、自動車業界に衝撃が走った。
 テスラモーターズがついにセダンタイプの電気自動車(EV)「モデルS」の出荷を開
 始したからだ。
 100%エレクトリックの5人乗り高級車(補助シートを使えば7人乗り)で、1回の
 充電により約481km走行できる。
 時速96kmへの加速は4.4秒だ・
 ラゲッジスペース(トランク)は後方に加えて、ボンネット内にもある。
 エンジンを使わないからこそ、このスペースがトランクとして生きるのだ。
・それだけではない。外からドライバーが近づくと、ドアハンドルが光りながら外側にせ
 り出し、ドライバーが車内の入ると、再びドアハンドルがボディーに収まる仕組みだ。
 ドライバーはキーを回すどころか、イグニッションボタンを押す必要もない。
 センサー内臓シートがドライバーの重量を検知すると自動的に始動する。
 充電は全米や世界各地にあるテスラの充電スタンドで無料でできる。
・従来のクルマやハイブリッドカーはエンジンをはじめ、可動部分が何百、何千と無数に
 ある。
 エンジンで作られた力はクラッチやギヤなどを通じて車輪に伝わる。
 こうした仕組みでは、ガソリンを推進力に変換する効率は10~20%にとどまり、
 非常にエネルギー効率が悪い。
 一方、モデルSは稼働部品がわずか十数点。バッテリーパックからエネルギーがそのま
 まモーターにおくられて車輪を回すため、60%程度のエネルギー効率を実現している。
 このセダンの場合、燃費はおよそリッター42.5kmのガソリン車に相当する。
・納車後は、ガソリン車ではないし可動部品も少ないから、オイル交換もチューンアップ
 もない。 
・こうした先進性やITをふんだんに駆使した設計は、テクノロジー好きな富裕層に大い
 に受けた。 
 従来の自動車メーカーは、モデルSを目先だけの小細工と捉え、一時の流行と受け流し
 ていた。
 だが、そんな冷ややかな態度も長くは続かなかった。業界は次第に深刻な脅威と受け止
 めるようになっていくのである。
・発売から数ヵ月後の2012年11月、モデルSが自動車専門誌「モータートレンド」
 の「年間最優秀自動車」に満場一致で選ばれた。
 ポルシェやBMW、レクサスなど、錚々たるライバルを抑えての受賞だった。
 重要なのは、「最優秀EV」ではなく「最優秀自動車」だった点だ。
・モデルSの発売から1年後、テスラは四半期で5億6200万ドル(約674億円)を
 売り上げ、マツダ並みの力を持つに至った。
・2009年6月に創業者の1人、マーティン・エバーハードがマスクを名誉毀損や契約
 違反で訴え、会社追放の部隊蔵を明らかにしたのだ。
・このゴタゴタでマスクは「熱意溢れる発明者を会社から追い出すような弱い者いじめの
 金の亡者」というレッテルを貼られている。
 裁判でもテスラ創業時に創業者であるかのように振る舞ったと指摘された。  
・ほどなくして、2人は和解に応じ、非難合戦にピリオドを打つ。
 エバーハードは当時の声明で、「テスラ共同創業者としてのイーロンによる会社への貢
 献は並々ならぬものだった」と評価した。
 エバーハードにとって、この一筆を発表するのはさぞ苦痛だったのだろう。
 今も両者は犬猿の仲だが、エバーハードはテスラ自体に恨みはない。
 彼の持つテスラ株は大化けしているし、ロードスターも手放していない。
 彼の妻もモデルSのオーナーだ。
・マスクのイメージは世界的に成功を収めた起業家とはほど遠く、シリコンバレーあたり
 のいつもの大風呂敷を広げている鼻持ちならない連中の1人にすぎなかった。 
 テスラという会社自体、やがては淘汰されていくかに見えた。
 だが、世の中は面白い。
 経営破綻寸前といわれたテスラが息を吹きかえすのである。
 2008年から2012年にかけてテスラは2500台を販売した。
 当初の計画を達成したのだ。
・マスクによって命を与えられ、マスクの個性をそのまま映し出すようになったと言って
 もいいだろう。 
 それは、インテルしかり、マイクロソフトしかり、アップルしかりだ。
 いずれも創業者の強烈な個性がそのまま会社に投影されている。
・次にてがけるべきは、ロードスターの応用版ではない。
 最新の電気自動車技術を駆使して一から作り上げるのだ。
 後のモデルSとなる開発コードネーム「ホワイトスター」である。
 すでにホワイトスター用バッテリーパックの重量は590kgとわかっている。
 このため、重心が低くなり、ハンドリングに優れたクルマになる。
 また、安定性を高めるため、エンジンなどの重い部品はなるべくクルマの重心に近づけ
 ておく方がいい。 
 レーシングカーではエンジンを中央に置くことが多いのはこのためだ。
・従来のクルマは大きなエンジンが前方にあり、中央に人が乗り、後方に揺れのあるガソ
 リンがあり、条件は悪い。
 その点、モデルSはすべてを重心の近くに集っていることで、ハンドリング、走行性能、
 安全性のすべてにプラスとなっている。
・テスラはフィスカーのようなハイブリッド車も検討していた。
 充電後は80~130km走ることができ、その後はどこにでもあるガソリンスタンド
 で給油できる。
 ガソリンで走行中はバッテリーの充電が可能になるため、走行距離の心配がなくなる。
・テスラのエンジニアはハイブリッド車の試作車を完成させ、コストや性能を調査した。
 そしてその結果、ハイブリッドは妥協の産物にすぎないという結論に達した。
 「ハイブリッド車は高価格になるのに、性能は100%の電気自動車ほど良くなりそう
 にない。やはり電気を目指した以上、初心に立ち返って100%電気を追求し、過去は
 振り返らないと決めました」
・マスクは常に「できるだけ内製化しろ」と社内に指示していたという。
 普通の自動車メーカーならば外部の業者に研究開発を頼ることが多い。
 だが、研究開発予算が乏しいテスラは、そういう外務業者よりも優秀な人材を雇うこと
 で対応していたのだ。
・マスクは、大型タッチスクリーンの搭載を求めた。
 タブレット型コンピュータの流行りに乗っかったわけではない。
 iPadが発売される前のことである。
 タッチスクリーンの機能は近い将来、一気に普及すると考えたのだ。
 いわば巨大なiPhoneで車の全機能を集中制御しとうとしたのである。
・2人でノートパソコンを抱えて車に乗り込み、横にしたり縦にしたり、画面のサイズを
 あれこれ変えながら、最適なサイズを探った。
 最終的に縦置きの17インチに落ち着いた。
 グローブボックスの開閉とハザードラップ以外は、このスクリーンから操作できるよう
 にした。 
 この2つの操作は、法令で物理的なボタンの装備が義務付けられていたからだ。
・バッテリーパックはかなりの重量になるため、他の部分をどう削ればクルマを軽量化で
 きるか、いつも頭を悩ませていた。
 マスクのアイデアは、「鋼板ではなく軽量アルミニウムでボディーを作る」というもの
 だった。 
 とはいえ、当時の北米の自動車メーカーがアルミニウムのボディーパネルを製造した例
 はなかった。 
 アルミニウムは大型プレスで加工すると裂けやすい。
 また、汚い線が入りやすく、なめらかに塗装するのが難しいとされる。
 「欧州ではジャガーやアウディが一部の車種にアルミニウムを使っているが、市場全体
 から見れば5%未満、北米ではゼロだった。最近でこそフォードがF-150でアルミ
 ニウムを多く使ったモデルを発売したばかりだけど、それ以前は、テスラだけだったん
 だ」とマスクは説明する。
・2009年1月、デトロイトのモーターショーでテスラはそれまでポルシェが出店して
 いた区画を格安で確保した。
 景気低迷のあおりで多くのメーカーが出展をあきらめたからだ
 テスラはロードスター、電気パワートレーンだけのシンプルな展示で、余計な飾りは一
 切つけなかった。
・テスラの展示した技術はきわめてクオリティが高く、それだけでも十分に来場者の注目
 を浴びていた。   
 ほどなくしてダイムラーが興味を示した。
 メルセデスAクラスをEVにしたらどんなふうになるのかを見てみたいということだっ
 た。
 ダイムラーの役員は1カ月ほどしたら詳細を詰めにテスラを訪問したいと語っていたが、
 テスラのエンジニアチームは、訪問前に試作車2台を完成させてダイムラー幹部らを驚
 かせてやろうと考えた。
 訪問当日、何も知らない幹部らは、テスラでこれから話し合うはずの「AクラスEV版」
 を目の当たりにし、バッテリーパック4000個を即座に発注した。
・2009年5月、状況が一気に好転し始めた。
 モデルSの発表会があり、ダイムラーが10%の資本参加を決めて5000万ドル(約
 60億円)を出資する。
 さらにダイムラーと戦略提携を結び、テスラがダイムラーの小型車スマートにバッテリ
 ーパック1000個を供給することになった。
・2010年1月、ついにエネルギー省から4億6500万ドル(約558億円)の融資
 にゴーサインが出た。
 テスラもここまで大きな金額が政府から出てくるとは思ってもいなかった。
・2010年5月、さらなる幸運が訪れる。
 景気後退の嵐の中、GM本体の経営が危うくなり、2009年にNIMMIの合弁工場
 から手を引く。
 残ったトヨタも直後に完全閉鎖の方針を打ち出した。5000人の労働者は失業だ。
 突然降ってわいた話は、これ以上ないほどの吉報だった。
 会社の近くで49万㎡の工場が手に入る。
 またとないチャンスだ。
 最後のカローラの生産が終了して1ヵ月後の2010年4月、テスラとトヨタは、提携
 と工場の譲渡を発表した。   
 テスラは、4200万ドル(やく50億4000万円)で工場の大部分を取得し、トヨ
 タは5000万ドル(やく60億円)を出資することになった。
 生産設備も含め工場は実質的にテスラのものとなった。
・2010年6月、ついにテスラは上場を果たす。公開価格を41%上回り2億2600 
 万ドル(約271億円強)の資金を調達した。
・資金の心配がなくなったところで、マスクはエンジニアチームの強化とモデルS開発の
 本格化に着手した。 
 モデルSの開発にくわえて、メルセデスとのプロジェクトやトヨタのRAV4のEV化
 もある、
・開発は強行スケジュールで進められた。
 寒冷地テストを2週間で完成させ、すぐに次のチームがパワートレーンのチューニング
 に取り組むといった感じだから、アルファ版のチェックはわずか15台ほどで終わった。 
・そのペースの速さに、メルセデスやトヨタの関係者は唖然としていたという。
 大手ならアルファ版で200台、さらにベータ版になっても数百~数千台を使う。
 それがテスラでは15台ほどで衝突試験からインテリアデザインまで終わらせてしまう
 のだから、信じられないものも無理はない。
・こうしたスピード経営は、テスラにもスペースXにも共通してる。
 マスクの高度な要求に応えるには、こうするしかないのだ。
 いちいち会議を開いて、なんの代替案もないまま問題点を報告するよりは、優秀なエン
 ジニアがその場で対処したほうが話は早いのである。  
・マスクのデザインを見る目はときには異常でもある。
 心は心理学者であり、その振る舞いはエンジニアなのだ。
 きわめてビジュアル志向で、普通の人なら「いいな」と心の隅で感じるだけで忘れてし
 まうようなことも、明確に覚えていていつも思い出せるという特技がある。
 しかも自分の思いをすぐに言葉にする能力も高い。
 だから、自身と確信を持って意見を言うし、消費者の共感も得やすいのだ。
・テスラはSUVのモデルXも開発していた。
 マスクは、ロサンゼルスのオートショーでは、フォン・ホルツハウゼンと一緒に会場を
 歩きながら、SUV車に3列シートの2列目や3列目への乗り降りが面倒だと2人で問
 題点を指摘し合っていた。
 親が後部ドアを開けて子供を乗せたり、チャイルドシートを装着したりするとき、体を
 ひねって無理な態勢をとらなければならない。
 この後部座席への乗り降りがスムーズなSUVを発表すれば、大きな人気を集めるはず
 だ。 
・ライバル各社のクルマを大量に取り寄せ、モデルXと比べて他社のクルマがいかに面倒
 なシート配列なのかマスク自身が説明してみせた。
 ホンダが北米で展開する高級車ブランド、アキュラのSUVでは、マスクが2列目に座
 ってみせた。
 7人乗りを謳ってはいるが、マスクの膝がシートの背もたれにつっかえて、顎にあたる
 ような状態だった。これでは座れない。
 「小人の国の洞窟みたいだ。外見だけ大きく作っても意味がない。車内を大きく作るこ
 とが大切なんだ」と言い切った。
・こうやって次から次へとライバル各社のクルマの問題点を指摘していった。
 「他社のクルマがどのくらいダメなのか知ることが大切だ」とマスクは自説を語った。
 マスクの口からこういう言葉が飛び出した瞬間、驚いた。
 9年かかってどうにか3000台を生産した男が、毎年数百万台量産している自動車メ
 ーカーをコケにしているのだから、ある意味、滑稽な光景でもあった。
・だが、マスクはいつも純粋な視点で語る。
 デザインと技術を選ぶときは、理想形のクルマに少しでも近づける方向で考えなければ
 ならない。 
 ライバル各社がどのくらいダメなのかは、マスクが決めることで、常に二者択一だ。
 妥協せずに優れたものを作ろうと努力するか、しないかしかないのである。
 努力しなければ、マスクは遠慮なく失敗とみなす。
 外部の人間には理不尽か馬鹿げていると映るが、それが彼の哲学なのである。
・穏やかな時間はすぐに終わり、まもなくテスラの新たな戦いが始まった。 
 モデルSの生産台数は、その時点では週に10台程度にとどまっており、まださばきき
 れていない受注が数千台残っていた。
 すぐに株価が下がると見ていた空売り筋も当てが外れて大弱りだった。
 懐疑派は、モデルSの血管が大量に出てテスラ人気が翳り、オーダーのキャンセルが相
 次ぐと見ていた。
 また、テスラが採算を確保して的確に量産体制を確立できるかどうか不安視する声も多
 かった。
・2012年10月、大統領選の有力候補とされたミット・ロムニーは、バラク・オバマ
 大統領とのディベートで、テスラを「負け組」と名指しし、こき下ろした。
・懐疑派がテスラの失敗は近いと予想する一方で、マスクのハッタリも負けてはいなかっ
 た。 
 BMWより収益益を高め、世界一儲かる自動車メーカーになると怪気炎をあげたのだ。
 そしてテスラの擁護派も懐疑派も驚くような発表をする。
 テスラが秘密裏に充電スタンド・ネットワークの第1弾を構築中だというのだ。
 カルフォルニア州、ネバダ州、アリゾナ州にある6ヵ所の充電スタンドを明かにしたう
 えで、さらに数百カ所の設置を進めると約束した。
 世界規模で充電スタンド網を構築し、モデルSオーナーが長距離ドライブを安心して楽
 しみながら高速充電できる環境を整備するという。
 しかも、充電は無料だ。
 テスラのオーナーであれば、近いうちに燃料代をまったく気にすることなく、全米を自
 由自在に走り回れるようになるとマスクは断言した。
・充電スタンドの場所に迷うこともない。モデルS搭載のコンピュータが最寄りの充電ス
 タンドまで誘導するほか、マスクとフォン・ホルツハウゼンがデザインした巨大な紅白
 のシンボルを充電スタンドに設置するという。 
 テスラではこうした受電スタンドを「スーパーチャージャー」と呼ぶ。
・テスラはモデルSの予約を大量に抱えていた。
 予約金として5000ドルを預かっていたにもかかわらず、なかなか実際の販売につな
 がらない。 
 生産が遅れているわけではない。
 単に本契約にこぎつけられないのだ。
 原因ははっきりしなかった。
 内装に関するクレームがあったり、テスラのフォーラムや掲示板で初期の欠陥について
 いろいろ触れられていたりしたから、これが購入に二の足を踏ませているのかもしれな
 い。
・また、10万ドル(やく1200万円)という価格は決して安くはないが、ローン金利
 優遇のような支払い軽減の措置は一切なかった。
 しかも将来の中古市場も不透明だった。
 中古市場でも有望なクルマを手にできればいいが、下手をすればゴミになる代物に10
 万ドルを出すことになる。
 おまけに中古で出回ることにはバッテリ―パックの容量も低下しているはずだ。
・当時のテスラサービスセンターもひどかった。
 初期のクルマは信頼性が低く、客が押しかけてセンターがさばき切れないような状態だ
 った。 
 こうした状況が口コミで広がり、おそらく予約客は、しばらく様子見を決め込んでいる
 のだろう。
・2013年2月半ばにはテスラが再び危機状態に陥った。
 すみやかに予約を販売に転換できなければ、工場を遊ばせることになり、莫大なコスト
 が経営を圧迫する。
 生産の停滞を嗅ぎつけられでもしたら、テスラ株は急落し、予約客の警戒感がこれまで
 以上に高まり、相場師を喜ばせることになる。
・サービス問題の対応には元ダイムラー役員のジェローム・ギランを招いた。
 成績が並以下の幹部、少々成績がよかったくらいで部下を大量に昇格させた幹部を容赦
 なくクビにした。 
・そして万一、自分自身の力が及ばなくなった場合を想定し、最終的な”保険”をかけよう
 とした。
 4月上旬、マスクは友人でグーグル創業者の1人の「ラリー・ペイジ」に連絡をとった。
 マスクは、テスラが今後数週間を乗り切れるかどうか心配していると語ったという。
 実は工場閉鎖も検討せざるを得ない状態だった。
 マスクはこうした実情を包み隠さずペイジに説明し、「最悪の事態になったらテスラを
 買収してほしい」と頼み込んだ。そして2人は固く握手した。
・マスク自身、売却は望んでいなかった。
 あくまでも最悪の場合にテスラの将来に道筋をつけておきたかったのだ。
・だが、マスク、ペイジ、そしてグーグルの弁護士が買収の詳細を詰めているときに、
 またしても奇跡が起こった。
 マスクが無理やり営業に変えた500人の”営業部隊”が大量の契約を獲得し始めたのだ。 
 その時点で、銀行にはわずか数週間分の現金しかなかったが、2週間程度でかなりの台
 数をさばけたため、第1四半期の決算を無事乗り切った。
・同四半期のモデルSの販売台数は4900台だった。
 この発表を受けて、それまで30ドルだったテスラ株は7月には130ドルに急騰する。
 決算発表からわずか数週間後には、政府からの借り入れ4億6500万ドル(約558
 億円)を禁裏も含めて前倒し完済してしまったのである。
 突然、莫大な現金が転がり込んだ一方、空売り筋は巨額の損失を被ることになった。
・マスクは水を得た魚のように一気に動きを速めた。
 まず広報部門に対してここで気を抜くなとハッパをかけ、週に1度はテスラ関連の発表
 を出すよう指示した。 
 さすがにそのペースを守るのは難しかったが、次から次へと発表を絶やさないようにし
 た。
 マスクは記者会見を立て続けに開いては、モデルS購入ローンの開始、充電スタンドの
 拡充、販売店のオープンなど、新しい話題を提供した。
・ある記者発表会でマスクは「テスラの充電スタンドは太陽光発電を採用し、余剰電力は
 スタンド内のバッテリーに蓄えている」と明らかにした。
・さらにモデルSの秘密の機能も明らかにした。
 ステージ上にモデルSが用意される。
 クルマの真下辺りのフロアが大きく口を開けた。
 マスクが語りだす。
 「実はモデルSの車体の下からバッテリーパックをあっという間に交換できます」
 それまで一切明らかにされていなかった機能だ。
 今後、充電スタンドで、時間がない場合に選べるオプションとして、バッテリーパック
 自体を交換する有料サービスが始まるという。
 新しい満充電のパックに交換する。この間、わずか90秒
・その後も数ヵ月にわたって数々の試練がマスクを悩ませた。
 まず、ニューヨーク・タイムズがテスラの電気自動車や充電スタンドについて辛辣なレ
 ビュー記事を掲載した。 
 まもなく、数台のモデルSが衝突事故に巻き込まれて引火したというニュースも飛び込
 んできた。
 あろうことか、マスクは執筆したレビュー担当記者を探し出し、クルマから取り出した
 データを見せて、レビュー自体が間違っていると訴えた。
 さらに休暇中に自ら筆をとり、反論文を書いた。
 引火の一件についても、マスク同様の対応を取った。
 プレスリリースで、「モデルSは米国さいこうの安全性を誇る」と宣言したうえで、
 車体底面にチタンシールドとアルミニウムプレートを追加することでゴミや汚れを防ぎ、
 バッテリーパックの安全性も維持すると説明した。
 結果的には、火災事故も、時々現れるひどいレビュー記事も、テスラの売る上げや株価
 にはまったく影響なかった。
・テスラは2014年10月にも記者発表会を開催し、自動車業界における新たな大物と
 してマスクの地位は揺るぎないものとなった。
 このとき発表したのは、モデルSの前輪側と後輪側にそれぞれモーターを搭載した
 「4輪駆動」の高性能版だ。
 時速60マイル(約96km)への加速は3.2秒と、セダンでありながらスーパーカ
 ー並みの性能を達成した。
 新しくオートパイロット機能も備えた。
 レーダーで障害物を検知すると警告を発し、GPSで誘導する。
・大手メーカーにはテスラの快進撃を止める術はなかった。
 マスクは、ライバルメーカーがうっかり見落としていた部分を見事に実現した。
 いや、わかっていても対抗手段がなかっただけかもしれない。
・それはテスラというブランドをライフスタイルにまで高めたことだ。    
 テスラが売っているのはクルマだけではない。
 イメージを売り、未来への足を踏み入れている感覚を売り、ブランドとのつながりを売
 っているのだ
 同じことを何十年も前から実践してきたのがアップルである。
 いわゆるアップル信者でなくても、同社のハードやソフトを使ってみれば、その世界観
 に引き込まれるはずだ。
・テスラは、いわゆる「年式」(型式年度)という考え方を取り入れていない。
 2014年式とか2015年式というふうに呼んでいないのである。
 これも、マスクがクルマをモノではなくライフスタイルと捉えている証拠だ。
 だから「2014年式の在庫一掃セールをやって、次の新型を作る」というような発想
 がない。
・テスラの場合、ほとんどの機能をソフトのアップデートという形で全オーナーに提供で
 きる。
 だから既存のモデルSオーナーも満足できるのである。
・モデルSオーナーにしてみれば、電気100%のライフスタイルは面倒が少ない。
 ガソリンスタンドに行かず、夜中に自宅のコンセントから充電すればいい。
 すでに携帯電話で慣れ親しんでいる習慣だ。
 プラグをコンセントにさすだけで、すぐに充電が始まる。
 モデルS付属のソフトで充電のスケジュールを組んでおけば、電力料金の安い深夜など、
 していした時刻から充電を開始することも可能である。
・オーナーはガソリンスタンドが無縁になるばかりか、自動車整備にわざわざ出かける必
 要もほとんどなくなる。
 従来ならオイル交換やらトランスミッションオイル交換をしないと可動部分の摩耗など
 につながる。  
 ところが電気軌道者は仕組みがシンプルなため、この手の保守が不要になる。
・ロードスターもモデルSも、回生ブレーキシステム(回生制動)と呼ばれる技術を採用
 し、ブレーキ寿命を延ばしている。
 停止や発進の際に、従来のようにブレーキパッドと摩擦力でスピードを抑えるのではな
 く、モーターを逆回転させてスピードを落とす仕組みだ。
 この逆回転のときに発電し、バッテリーに蓄える機能もある。
 停止と発進が多い市街走行で電気自動車の走行距離が延びるのはこのためだ。
 それでもテスラは、年に1回の検査を推奨しているが、これも早い段階で部品の摩耗が
 ないことを確認するのが目的だ。
・保守に対する考え方自体、従来の自動車業界と大きく異なっている。
 ほとんどのカーディーラーは収益の大部分を点検・修理に依存している。
 ディーラーから見れば、これは会員制サービスのようなもので、顧客がサービスセンタ
 ーに年に何度も、そして何年も足を運ぶほど売り上げも伸びるのである。
 ディーラーがテスラの直販制度をなんとか止めさせようと躍起になっているのは、こう
 いう事情があるからだ。
   
次なる野望 イーロン・マスクの「統一場理論」
・マスクの従兄弟にあたるライブ兄弟はとにかくテクノロジー好きだった。
 2人は顧客のコンピュータシステムを遠隔管理し、アプリケーションのアップデートと
 いった作業を自動化するソフトを開発した。
 2人はエバードリュームというベンチャーを立ち上げることになった。
・ライブ兄弟は、太陽光エネルギーのエキスパートになろうと心を決め、ビジネスチャン
 スに目を光らせた。 
 太陽光エネルギーや業界動向について勉強を始めて2年。研究レポートを読み漁り、
 関係者にあって話を聞き、さまざまな会合にも足を運んだ。
・そして転機が訪れる。
 「ソーラーパワーインターナショナル」という業界の会議・展示会に参加したときのこ
 とだった。 
 ソーラパネルにもっと消費者の手が届きやすくするためにはどうしたらいいかと尋ねた
 ところ、口々に「パネルの価格が下がるのを待つべきだ。と答えるばかりで、まったく
 当事者意識が感じられなかった。
・当時、一般家庭でソーラーパネルを導入するのは容易なことではなかった。
 パネルを手に入れて、設置業者を探すにはよほどの知識がないと無理だったのだ。
 まず代金を全額前払いしなければならない。
 そしてもてる知識を総動員して、自分の家はソーラーパネル導入が割に合うだけの日照
 が得られるかどうか判断しなければならなかった。
・ライブ兄弟はソーラービジネスをもっと単純明快にしようと、2006年にソーラーシ
 ティという会社を立ち上げた。
 他社と違って、ソーラーパネルは自社生産しないが、それ以外はすべて自前で対応する
 ことにした。  
 秀逸だったのは、彼らが開発したソフトである。
 顧客の仮定の電気料金や自宅の位置、日照条件を分析し、ソーラーパネル導入が割に合
 うかどうかを判定するというものだ。
・ソーラーパネルの設置も外注せずに社内の専門チームが担当した。
 また、独自のローン制度も用意し、客がパネル購入費用を全額前払いしなくてもいいよ
 うにした。 
 月額固定料金に悩む必要もない。
 引越しのときは、次の住民に契約を引き継いでもらっていい。
 リースが終了したら、もっと性能の良い新しいパネルに切り換えることができる。
 この制度づくりにアドバイスしたマスクは、同社の会長兼筆頭株主になった。
 彼のとっては3つ目の会社、それがソーラーシティだ。
 6年後、ソーラーシティは全米最大のソーラーパネル設置業者に成長する。
・ソーラーシティが成長を続ける間、シリコンバレーは莫大な資金をグリーンテクノロジ
 ー(環境負荷の少ない技術)系の企業につぎ込み、そのほとんどが惨憺たる結果だった。
・散々な目にあったベンチャーキャピタルも多い。
 それもそのはずで、グリーンテクノロジーに投資した理由が、「立派なことをしている
 と思ったから」で、商売として成立するからではなかった。
 新しい蓄電システムに始まり、電気自動車やソーラーパネルに至るまで、グリーンテク
 ノロジーの世界は、採算度外視で、政府出資や優遇措置がなければ市場も成立しない状
 態だったのである。 
・ソーラーシティは、ほかのマスクの会社と同様に、世界観こそにじみ出ているが、
 ビジネスチャンスあふれているようには見えない。
 マスク自身は、ずいぶん以前から「太陽光は意味がある」と判断している。
 太陽光エネルギーが地球の表面を1時間照らす量は、あらゆるエネルギーの消費量1年
 分に相当するという。
 ソーラーパネルの効率は安定したペースで向上している。
 将来、太陽光が人類にふさわしいエネルギー源になるとすれば、未来は意外に早くやっ
 てくるのかもしれない。
・2014年に入ってソーラーシティは、それまで以上にその野望をはっきりと見せるよ
 うになった。
 まず蓄電システムの販売に乗り出した。
 この装置はテスラとの提携によって開発されたものだ。
 テスラの工場で製造されたバッテリーパックが冷蔵庫のような金属製ケースに収容され
 ている。
 これがあればソーラーパネルを増強できる。
 いったん蓄電しておけば、夜間や不測の停電時でも安心して電力が利用できる。
 また、電力消費量がピークに達して自宅のソーラーパネルの電力だけでまかないきれな
 くなった場合でも、通常の電力に頼ることなく、蓄電しておいた電力を使えばいい。
・2014年6月、ソーラーシティは太陽電池メーカーのシレボを2億ドル(約240億
 円)で買収した。
 これが戦略の大転換につながった。
 以後、ソーラーシティはソーラーパネルの外部調達を終了する。
 一般的なパネルは、太陽光を電力に変える変換効率が14.5%程度だったのに対し、
 シレボの太陽電池は18.5%もあった。製造方法を最適化すれば24%も不可能では
 なかった。
・2015年末には同社の設置済みソーラーパネルの総発電量は2ギガワット相当となり、
 年間発電量は2.8テラワット時に達する見通しだ。
・とはいえ、ソーラーシティの発電量は全米の年間エネルギー消費量から見れば、ほんの
 わずかでしかない。
 電力大手と肩を並べるには、まだまだ道のりは長い。
 しかし、マスクがソーラー業界は言うに及ばず、エネルギー産業全体で同社を支配的な
 勢力に育て上げる腹づもりであることは疑いの余地はない。
・それだけではない。マスクの頭の中には、最終的に企業同士を相互に結びつけ、一体的
 な世界を生み出すという、いわば”統一場原理”がある。ソーラーシティはその重要な柱
 でもあるのだ。  
・テスラがバッテリーパックを製造し、ソーラーシティが顧客に売る。
 シーラーシティはソーラ―パネルと使って、テスラに充電スタンドを供給する。
 テスラ社のオーナーは無料で燃料供給できるようになるという連鎖である。
・すでに世界のリチウムイオン電池供給量のかなりの部分はテスラが使用しているが、
 モデル3生産が本格化すれば、さらに多くの電池が必要になる。
 2014年に、マスクが「ギガファクトリー」なる世界最大のリチウムイオン電池工場
 の建設計画を発表したのも、こうした需要増を見込んでのことだ。
・ギガファクトリーでは6500人が働き、当面はテスラの電気自動車とソーラーシティ
 の蓄電装置に使うバッテリーの生産に全力を挙げる。
 ギガファクトリーの建設に当たっては、長期的に電池製造パートナーとしてパナソニッ
 クと手を組むが、工業の運営や生産業務の調整はテスラが担う。
 ギガファクトリーが製造するバッテリーパックは、現行品よりも大幅な低価格化と性能
 向上が見込まれ、モデル3の目指す3万5000ドルという価格が達成できるだけでな
 く、電気自動車で800km以上の走行距離実現に道が開かれるという。
・人類の進歩に貢献すると考えられる技術であれば、マスクはとことん追求する。
 同時に、その技術が名声と富をもたらした。
 だが、マスクの究極のゴールは、人類を国際人ならぬ”惑星人”にすることである。
 つまり地球にとどまらず惑星をまたにかけて活躍する種に進化させたいのだ。
・馬鹿げていると笑い飛ばす人もいるだろう。
 しかし、マスクの存在理由はまさにそこにあるのだ。
 人類が生き残れるかどうかは、別の惑星でのコロニー建設にかかっており、これを実現
 すべく人生を捧げようとマスクは決心したのだから。
・近い将来、スペースXは有人飛行の実験を開始する。
 216年までに有人飛行実験を実施し、翌年にはNASAの委託を受けて国際宇宙ステ
 ーションに宇宙飛行士を送り込む計画だ。
 人口衛星の開発・販売にも乗り出すという。宇宙ビジネスでは特に実入りのいい事業と
 される。  
・マスクによれば、打ち上げプロセスのかなりの部分を自動化し、燃料補給から点火まで
 コンピュータによる安全措置を組み入れて実行できるようになるという。
 同社では、月に数回の商業ロケット打ち上げを希望しており、そのためにも自社専用打
 ち上げ基地が必要だという。
 もちろん火星に行くには、さらなる技術とノウハウの蓄積が欠かせないことはいうまで
 もない。
・だが、マスクははるか遠くを見据えていた。
 「1日に何度も打ち上げる方法も研究しなければならない。長期的に大事なのは、火星
 に自立型の基地を作ることだから、火星に自立型の都市を建設するには、膨大な量の設
 備や百万単位の住民を運ぶ必要がある。とすると、いったい何回打ち上げることになる
 のか。火星までは長旅だから1回に100人がいいところだろう。1万回で100万人。
 じゃあ、1万回の打ち上げをどのくらいの期間でやらなければならないかといえば、2
 日に1回しか打ち上げられなければ、50年以上かかる」
・マスクの解説は熱を帯びる一方だ。
 「火星飛行の場合は、毎回、宇宙船を打ち上げて待機軌道に置き、タンクに推進剤を補
 給する。その推進剤で軌道に向かえばいい。でもタンカー型の宇宙船を打ち上げて推進
 剤を補給しておかないと、高速で火星にたどり着けなくなる。6ヵ月ではなく、3ヵ月
 で大量のペイロードを届ける必要がある。
 火星に関して詳細なプランはないが、これは不可能ではない。大型のブースター、宇宙
 船、タンカーを組み合わせたメタンののみのシステムだ。
 スペースXなら、2025ごろには火星まで大量の人間と貨物を運べるブースターと宇
 宙船の開発を終えていると思う」
・「火星に人を送る場合、1人当たりのコストを採算ラインに乗せることが大切だ。
 1人当たり10億ドル(約1200億円)なら、火星にコロニーを作るどころではな
 い。100万ドル(約1億2000万円)とか50万ドル(約6000万円)とかなら、
 自立型の火星コロニー建設には十分可能性があると思う。
 地球上で全財産を売り払って火星に移住することに興味を持つ人は十分にいる。観光で
 はない。かつて新世界を求めてアメリカ大陸に渡った人々と同じだ。移住して、そこで
 仕事を持ち、会社を作っていくわけです。輸送の問題さえ片付けば、機密構造のグリー
 ンハウスに暮らすことは、さほど難しくない。ただ、現地にたどり着けなければ、話に
 ならない」 
・「最終的には火星を温暖化させないと、地球のような惑星にはならないが、そこまでの
 計画は持っていない。再考の条件が整っていたとしても、非常に長い期間がかかるだろ
 うね。まあ、よくわからないが、100年とか1000年といった単位だろう。
 私が生きている間に火星が地峡のような星になる可能性はゼロだ。いや、ゼロではない
 かな。0.001%くらいあるかもしれないね」
・火星に降り立つ件について、新たえて当人に尋ねたところ、マスクは次のように話して
 くれた。 
 「私が死んでもスペースXが問題なく運営していけるとわかれば、真っ先に火星に行き
 たい。行きたいが、行く必要はない。大事なのは、私が火星に行けるかどうかではなく、
 数多くの人々がいけるようにすることだから」
・火星どころか、彼は生涯、宇宙に行かないかもしれない。
 「自分の参加が賢明だとは思わない。ボーイングのトップが新しい航空機のテストパイ
 ロットを務めないのと同じ理屈だよ。スペースXや、将来の宇宙探査にプラスとは思え
 ないし、飛行が始まって3~4年したらありえるかもしれないけどね。正直言って、
 自分が宇宙には全くいかなかったとしても、それはそれで構わない。大事なのは、人類
 が生き延びられるかどうかだ」 
・普通の人間がマスクのこういう話をどこまで真剣に受け止められるか定かではない。
 なにせ、ほんの数年前まで、マスクはあやし気なロケットやロボットをでっちあげる。
 少し変わった途中と同類とされていた。ほとんどの人々がそう思っていたはずだ。
 ところが、一つ、また一つと偉業を達成していくうちに、いつも大風呂敷を広げている
 大ボラ吹きから、シリコンバレーで最も尊敬を集める大物へとその評価は変わっていっ
 た。
・友人、ピーター・ティールは、次のように語る。
 「イーロン・マスクを間近で見ていて一番驚いたのは、野心あふれる優秀な人材を見つ
 け出しては入社させてしまう彼の才能です。宇宙産業でトップレベルの頭脳集団が彼の
 もとで働いている。テスラも同じです。本当の機械工学の才能があってクルマづくりに
 興味があるなら、絶対にテスラに行くべきです。これまでにない面白いことができる場
 所は、全米でもあの会社しかないのですから、スペースXもテスラも、有能な人材の実
 力を極限まで引き出し、すばらしい成果をあげるというビジョンを掲げています」
・2013年8月、マスク信者たちを熱狂させる出来事があった。
 マスクが「ハイパーループ」なる、まったく新しい次世代交通システムの構想を発表し
 たのである。
 イメージとしては、チューブを張り巡らせ、書類などが入った専用カプセルを圧縮空気
 や真空圧で高速に送る「エアシューター」という仕組みが昔からあるが、あの巨大版で
 ある。
・ハイパーループの場合、減圧されたチューブ内を、乗客を乗せたカプセルが高速で行き
 交う。過去にも同じようなアイデアが発表されたことはあったが、マスクの計画には独
 自のポイントがいくつかあった。
 チューブ内では、ポッドと呼ばれるカプセル型の乗り物が空中浮上したまま進む。
 ポッドは電磁パルスで推進力を得る。必要に応じて、チューブ内に設置されたモーター
 でさらにポッドのスピードを高める仕組みだ。
 ポッドの速度は時速800マイル(約1287km)。ロサンゼルスからサンフランシ
 スコまでの600kmをわずか30分で結ぶ。
・マスクはこのハイパーループ構想を長い間温め、プライベートで友人たちに語っていた。
 彼によれば、このアイデアはカリフォルニア州が進めている高速鉄道計画に対する反感
 から生まれたという。 
 「600億ドル(やく7兆2000億円)もかける割に、超特急としては1マイル当た
 りのコストは世界一高く、スピードは世界一ノロいんです。間違いだらけの計画なんで
 すよ」
・当時、マスクがハイパーループ構想を披露してみせたのは、一般の人々や議員に高速鉄
 道の最高を促したかったからだ。
 実際に実現する気はなかった。
 課題の解決や全身につながる独創的なアイデアはいくらでもあることに気づいて欲しか
 ったのだ。うまくいけば高速鉄道は中止になる。
・現場の社員の間からは、さまざまなマスク像が聞こえてくる。
 彼の近くで仕事をしてみたいが、方針がコロコロ変わるし、いつなんどきクビを宣告さ
 れるかわからないので恐ろしいという。
 元社員が語る。
 「あの人は信義と人間関係みたいなものが完全に欠落しています。みんな長年、彼のた
 めに辛抱強く働いているのですが、よく考えずにゴミ屑同然にクビにされた人はたくさ
 んいます。たぶんほかの社員に対する見せしめ的な意味もあるんでしょう。人間関係を
 すっぱり忘れることがでるのだと思います。彼の下で働いている人は、戦争のための弾
 薬みたいなものです。ボロボロになるまで使われて、目的を達せしたらお払い箱なんで
 すね」 
・そういう言動を誰よりも目にしてきたのは広報部門だろう。
 マスクは広報用の文書などを自分で書こうとする。
 広報部門に能力がないために、こんなことになってしまうのではない。
 マスクが広報に何かを始めると指示するときには、だいたい開始数分前なのだ。
 広報はこの思いつきになんとか対応しようと一生懸命取り組む。
 しかも、ミスは許されないし、最高レベルの結果を要求される。
・極度のプレッシャーと不意打ちの連続に、数週間、数ヵ月で辞めていく広報部員も少な
 くない。必死にひがみついて数年がんばる社員もごくわずかにいるが、最後に燃え尽き
 るのか、あっさりクビを宣言されておしまいだ。
・マスクの冷酷な一面が如実に現れた例がある。
 事件は2014年初めに起こった。
 マスクの秘書で右腕でもある、あのメアリー・ベス・ブラウンがクビになったのである。
 ブラウンは10年以上にわたってマスクを支えてきた。
 スペースXとテスラでのマスクのスケジュールを調整し、広報的な仕事も担い、ときに
 は経営上の意思決定にも関わってきた。
 そこで彼女はスペースXの上級幹部と同じ待遇の報酬にしてもらえないかとマスクに願
 い出たのだ。
 マスクは「2~3週間仕事を休んでくれ」と言った。
 その間に、彼自身が彼女の仕事を自分でやってみて、どのくらい大変なのかを吟味する
 という。 
 数週間後、ブラウンが職場に復帰すると、マスクから「もう来なくていい」と首を宣告
 された。
 今後のスケジュール管理はショットウェルのアシスタントに一括して任せるのだという。
・マスクに言わせれば、彼女はマスクの代理人的な立場にどっぷり浸かり過ぎて、生き甲
 斐を失っていたという。
 別の関係者は、ブラウンと元妻ライリーの衝突があって、これが根本的な原因だと指摘
 していた。 
・理由はどうあれ、ひどい話ではある。
 彼女は唯一信用できる人物だったはずだ。
 マスクがあっさりとブラウンをクビにしたことに、これがマスクの冷酷なやり方なのか
 とスペースXとテスラの車内は騒然となった。
・マスクの行動は、神経心理学で言う「ギフテッドチャイルド」(先天的に極めて高い能
 力を持っている英才児、天才児)に一致する。
 ギフテッドにもいくつか段階があるが、もっとも能力の高いギフテッドの行動に非常に
 近いのだ。 
 ギフテッドの人々は、子どものころに突出した知力を示し、IQテストも最高点に達し
 てしまうという。
 こういう子供たちが、世の中を見回してあらを見つけては、頭の中で論理的な筋道を立
 てて誤りを訂正することは、決して珍しくない。
・マスクは、自らに課せられた使命の緊急性を本当に理解しているのは自分だけだと思い
 つめることがある。
 そんなときは、周囲から見ると、彼に感情がないかのように感じられるのだ。
 なにしろ彼の頭の中では大変なことになっているのだから、他人よりも少々鈍感で辛抱
 強さがなくなるのも理解できなくはない。
 社員としては、持てる力を発揮して最善を尽くして問題快活を支援するか、足手まとい
 にならないように彼の視界から消えるかどちらかしかない。
・マスク本人は、こうした傾向があることをまったく隠し立てしない。
 彼の目の前の小さな損得勘定に振り回されてたくない。
 そんなことよりも、長年彼を悩ませてきた重大問題の解決に全身全霊で取り組みたいの
 である。それが電気自動車であり、宇宙だった。
・彼の行動にも同じ思想が流れている。
 2014年、マスクはテスラの全特許をオープンソース化すると発表した。
 アナリストらは、これが一種の売名行為なのか、それとも何らかの魂胆や落とし穴があ
 るのか。神意を測りかねていた。
・マスクにとっては実に単純明快な決定だった。
 みんなにもっと電気自動車を作ってほしい。みんなにもっと電気自動車を買ってほしい。
 ただそれだけだったのである。
 マスクの頭の中では、人類の未来は電気自動車にかかっているのだ。
 オープンソース化で他社も電気自動車を簡単に生産できるようになれば人類のためにな
 る。ならば無償提供すべき、という考え方なのである。
・マスクは、「もっと子供がほしい」とよく口にする。
 「もし優秀な人々が子供を持たない風潮が何世代も繰り返されれば大きな問題だ。
 欧州も日本もロシアも中国も人口構造の内部崩壊に向かっている。資産も角礫もある富
 裕層は総じて出生率が低い。優秀な人々だけが子供を持つべきと言っているわけではな
 い。優秀な人々も子供を持つべきだと言っているんだ。少なくとも人口置き換え水準は
 維持しないと人口は減るばかりだからね。特に、優秀な女性たちがまったく子供を産ま
 ないか、産んでも1人なんだ。そう聞けば、とんでもない危機であることがわかるでし
 ょう?」

エピローグ
・マスクの私生活はこれまで以上に地味になっている。
 再婚相手のタルラ・ライリーとの離婚を発表したことも記憶に新しい。
 マスクによれば、彼女はロサンゼルスの派手な生活を嫌い、英国で質素な生活を送りた
 いとせがんだようだ。
 マスクは「(彼女の考えを改めさせようと}何度も説得したが、譲らなかった。心境が
 変わる可能性もあったが、すぐには無理だった」と明かしてくれた。
・マスクは、本当に「たゆまぬ追求」という言葉が似あう人物との思いをあらためて強く
 した。しかも、その追及の精神は、我々の想像をはるかに超えたレベルなのだ。
 ここまで熱い思いで何かを追い続ける人を私は見たことがない。
 一心不乱に夢を膨らませ、ハイパーループや右仲インターネットといった度肝を抜く構
 想を次々とぶち上げる。 
・本人は、人類の歴史を変えるのだという強い自負の念があってのことだと思っているか
 ら、周囲の人々の気持ちを感じ取れないことも多い。
 だから冷淡で気難しい人間というイメージを持たれやすい。
 だが、実際のマスクは、実は人一倍思いやるがあるのではないか。
 個人の欲望やニーズを探るのではなく、「人類全体のためになりたい」と真剣に考えて
 いるからだ。
 荒唐無稽な右仲インターネットなる構想を、本当に実現してしまう人間がいるとしたら、
 恐らくはこういうタイプの人間なのではないだろうかと私は思う。
・2007年4月、ジョン・オライリーという物理学者がある訴訟を起こした。
 マスクがZip2の創業にあたり、オライリーのアイデアを盗んだというのだ。
 オライリーは、Zip2のアイデアが自分ものだとして賠償を求めた。
 裁判は約2年に及んだ。
 オライリーの主張を支持する人々の証言も得たが、裁判官は、オライリーの会社が解散
 に至った背景と、この告訴のつながりに関して法的根拠があいまいだと指摘した。
・結局、2010年に判決が言い渡され、オライリーに対して、マスクが裁判のために支
 出した12万000ドルの費用に支払いを命じた。
 だが、マスクはいまだにオライリーに対して支払いを要求していないという。
・その後、オライリーは探偵よろしくマスクについて調べているうちに、はるかに興味深
 い彼の過去に関するネタをつかむ。  
 マスクは、ペンシルバニア大学を1995年に卒業したと述べているが、同大が実際に
 学位を与えたのはそれから2年後の1997年だったのである。
 私も同大学に問い合わせたが、確かに1997年5月に経済学と物理学の学位を取得し
 たと記録されていた。
・また、マスクは1995年にスタンフォード大学から物理学の博士課程への進学を許可
 されたことになっているが、これについてもオライリーがスタンフォード大学に事実関
 係を照会している。
 大学院入学事務局ディレクターからは、「いただいた情報に基づいて調査しましたが、
 イーロン・マスクに関する記録は当事務局では確認できませんでした」という返事が来
 た。
・実際、裁判でマスクのスタンフォード大学在籍証明を提出するよう迫ったところ、
 マスク側の弁護士は「甚だしく厄介」な要求だとして、提出を拒んている。
・学歴詐称疑惑については、マスクから2009年6月付の文書が送られてきた。
 スタンフォード大学入学事務局の大学院入学事務担当ディレクターからの文書だった。
 「工学部の同僚からの特別な要請に基づく、スタンフォード大学の入学事務局データベ
 ースを調査した結果、汽船は1995年に材料工学の大学院プログラムに出願し、入学
 を認められたことを確認しました。ただし、貴殿が入学手続きを完了しなかったため、
 スタンフォード大学は正式な証明書を発行することはできません」