誰を方舟に残すか :武田泰淳

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この作品は、1957年(昭和32年)に雑誌新潮に発表された短のようで、それほど有
名なものではないらしいが、現代にも通じる、なかなか面白いテーマだと興味を覚えて読
んでみた。
この作品は、旧約聖書を作者が独自解釈したものらしい。「ノアの方舟」のノアは、どう
して神様から選ばれたのか。その神様の選択の基準について、映画を例にして展開してい
る。
世の中は、すべての者が満足できるような選択基準というものはないと言えるだろう。ど
んなにすばらしい選択が行われたと思っても、一方では、必ずと言っていいほど、犠牲を
強いられる者が出てくる。合理的な選択だと思われても、そこには非情さが伴うものだ。
それゆえに、選択をする者は、その選択によってもたらされる批判を受けることを覚悟し
なければならない。この覚悟なくして、選択する者の資格はないだろう。
現在のコロナ禍にあるこの国においては、国のリーダーである首相は、いろいろな選択を
迫られている。国民に移動を自粛させてコロナを抑え込むことを優先するか、それともコ
ロナの感染拡大を承知で経済を回すことを優先するのか。
あるいは、重症者が増えすぎて人工呼吸器やECMOの台数が不足したとき、どんな患者
を優先するのか。PCR検査をどんな人に対して優先的に行うのか。はたまた、コロナの
ワクチンが完成したときに、どんな人たちを優先してワクチン接種を行うのかなどなど。
究極的には、人の命の選別を行うことにもなるのである。
どんなにすばらしい選択をしても、それに対して一部の者から必ず不満は出るだろう。し
かし、それは仕方がないことだと思う。問題は、誰が、どういう理由または根拠のもとに、
その選択をしたかということを、公に対して明確に示し理解を得る努力を全力でしたかど
うかではないだろうか。その選択の理由や根拠が理になかったものであるならば、「それ
なら仕方ない」と諦めることもできるだろう。しかし、理由や根拠が明確に示されなけれ
ば、人々の心の中にはいつまでも、何か不正なことをやっているのではないかと、不信感
が募り続けることになる。
今の安倍政権の問題は、この一点に集約されるのではなかろうか。誰が決めたのか明確に
しない。どんな理由や根拠でそう決めたのか明らかにしない。特定の取り巻きの人とだけ
で、十分な検討もしないまま、突然「決断」する。そして、それをリーダーシップと思い
込んでいる。これでは国民は不満が募るばかりではなかろうか。この作品を読みながら、
そんなことを考えさせられた。

・ノアの方舟の話は、現在にぼくらに一通りならぬ不安をあたえる。方舟に乗り込むこと
 ができた男女のほか、すべての人類が洪水で死滅してしまうということは、神様の思し
 召しだったにせよ、あまりにも思い切った、判決のように思われる。
・「大洪水」など、まあまあ当分はあるまいという予想もある。また、いつやって来ても
 不思議ではないという推定もできる。そんな「最後の瞬間」に、ノア一族になれるか、
 なれないか。ますます、普通の人間、ぼくらの仲間は「乗り込める組」ではなさそうだ。
・大洪水などあろうとなかろうと、人間は一度は死ぬのだから、そんなことを心配するの
 は、もちろんばかばかしい話だ。第一、みんなが(人類の99パーセントまで)死滅し
 てしまう時に、自分だけ生き残ろうとするほどの執念は、ぼくにはない。溺れ死ぬのを
 平然として待ち受ける覚悟などあるはずがないけれど、あきらめることなら、人なみに
 できるだろう。 
・本能的には、誰だって(資格はないにせよ)乗り込みたいだろう。そういう気持ちは、
 むしろ人間らしくて、決してあさましいと非難できない。先を争ってという、現象も起
 きるだろう。だが、洪水が始まってから、いくら先を争っても、ほんとうは無駄なのだ。
 と言うのは、どこで誰が「方舟」をこしらえているのか、普通人にはその建造場所や設
 計技師さえ、思いうかべることができないからだ。
・乗れる者だけが、方舟なるものの正体を知っているわけだ。どうして「彼ら」だけが知
 っていて、他の者は知らなかったのか。それは言うまでもなく、彼らは選ばれてあった
 からだ。なぜ、選ばれたのか。それは「神」の御心にかなっていたからだ。その神の御
 心という奴が、また彼らだけに素直に飲み込めていて、われら普通人にはぜんぜんつか
 めないのだ。
・小さな「洪水」は、しばしば発生する。それ故、世界のいたるで、一種の選定も、しば
 しば行われているらしい。

・アメリカ映画に、こんな内容のものがあった。南米の蛮地に、旅客機が不時着した。首
 狩り蛮人の生息する、大密林の中央である。飛行士が2人、若い婚約者が1組、老夫婦
 が1組、ギャングの大親分の、小さな男の子が1人、ギャングの子分が1人、政治犯人
 (死刑囚)が1人、その死刑囚を護送する刑事が1人、ギャングの情婦が1人。
・密林から脱出する路は、飛行機の破損を修理する以外にない。 
・総員合わせて11人。飛行機が修理されるまでに、ギャングの子分と、刑事は蛮人に殺
 されてしまう。残りは9人である。
・いよいよ出発となったが、壊れかけた飛行機には5名しか、収容できない。4名だけは、
 犠牲となって、密林に残らなければならない。
・意外なことに、この重大な決定をなす最高審判者は、政治犯人なのである。死刑囚はピ
 ストルを手にして、一人一人、「方舟」に乗るべき男女の名を指示する。彼の宣告する
 判決が、正しいという感じを観客に与えなければ、この映画は失敗である。審判者は死
 刑囚であるようであるが、実はスクリーンに見入る観客たちの感情と常識であると、言
 ってよい。  
・その感情と常識によれば、まず2人或いは1人の飛行士。これは「方舟」の操縦者であ
 ることから、選ばれなければなるまい。
・ギャングの大親分の男の子は、将来ギャングになるやもはかり知れないが、子供である
 からして、同情されて、選ばれる。
・次に2人の女性。婚約の男と一緒に不時着した乙女の方は、誰が見ても、けなげで好か
 れるタチであるから、問題はない。婚約の男という奴が、実に無能のなまけ者で、エゴ
 イストで、嫌われ者であるだけに、なおさら観客の同情は彼女に集中する。おまけに、
 彼女と若い飛行士の間には、清純な恋愛が芽生えているのだから、どうしても、乙女と
 若い飛行士は乗り込ませなければならない。
・もう一人のあばずれ女、ギャングの情婦の方は、選にもれるか、もれないか危い一線に
 ひっかかっている。これもしかし弱い(?)女性ではあるし、不時着してから心がけと
 働きぶりが良好だったから、飛行機の座席を与えてやってもよかろうと、感情と常識は
 判断する。その上、彼女もまた、中年の飛行士と、清純な恋愛を開始しているのだから、
 この一組も、無事に機上に押しあげてやらないわけにはいかない。
・もうこれで、定員に達した。あとの4人は、どうなるか。
・老人夫婦は、前の二組の男女に劣らぬほど、互いに愛し合っている。善良で優秀で、敬
 愛されるタイプの一組だ。ただ前の二組とちがっているのは、老齢であるという一点の
 みである。か弱いという特質から判断すれば、男の子より、二人の女性より、老夫婦の
 方が弱いと言ってもよい。もうかなり永いこと生きてきた人間だから、まだ少ししか生
 きてこない人間より、生きる権利が少ないなどと、算術みたいに計算できるかどうか。
・この老夫婦は自発的に権利を放棄する。「サキの長い方々を乗せてあげてください」と、
 辞退する。
・しかしたとえ、このような感嘆すべき申出が、老人夫婦からあったにせよ、それを承認
 するかしないかは、死刑囚ならびに観客の、感情と常識にかかっている。
・婚約の男の奴は、早いところ乗りたがって、見るもあさましいあばれ方をするので、死
 刑囚に射殺されてしまう。彼が射殺されても、観客が可哀そうにと思わないほど、エゴ
 イストむき出しであってくれたことは、死刑囚ならびに、見物人にとっては、まことに
 都合のよい、有難いことであったのだ。
・さて、老夫婦は死刑囚と共に、蛮人の包囲の中にふみとどまる。機上の「選ばれたる人
 々」も、見物人も、あっぱれな老夫婦の犠牲的な行為に涙をそそる。
・「まあまあ、それでもよかったわ」という、ささやきがきこえる。「まあまあ、あの二
 人で良かったんだわ」何があの二人で、よかったものか!
・死刑囚ならびに観客が、知らず知らずのうちにおちいっている、この審査基準は、たし
 かに人類の感情と常識にしたがっている。つまりこの映画を見て、いくらかでも共感を
 覚えつつあった我々は、「ノアの方舟に誰を載せるか?」という、「神様」の判断力に
 も似かよったものを無意識に、働かせていたわけだ。
・神様がノアを選ばれたのは、ノアが神様の「お役」にたつ人間だったからであろう。し
 て見れば、人類が選ぶべき「ノア」もまた、人類自身の役に立つ人間ということになる
 のだろうか。  
・現に、われわれは幼稚園のころからすでに、いかに自分が「役に立つ人間」であるかを
 立証しようとして、しのぎをけずっているのではないか。何千年も何万年も以前から、
 人類が続けざまに実行して、しかも好成績をあげてきた「役に立つ者」の情容赦のなり
 ふるい分けに、今さら異を唱えたところで仕方がないではないか。
・にもかかわらず、どこからか「ま、待ってください。ともかく、もう少し、そう決めて
 しまうのは待ってください」という、か細い声が聞こえてくるのである。
  
・「二十七人の漂流者」なる映画は、まことに奇怪な戦慄をあたえる作品だった。
・漂流船、ことに漂流するボートの指揮者は、はなはだつらい役目を引き受けねばならぬ。
 おまけにこの映画の製作者は、密林に不時着より、はりかに悲壮な悲劇を、より徹底的
 にくりひろげる。修理された飛行機とちがって、満員のボートは、絶えず漕ぎ続けなけ
 れば、危険なのである。嵐は、近づきつつある。
・それ故、このボートの乗員として歓迎される人間は、何よりもまず「漕ぎ続けられる強
 健者」でなければならない。男女の性別は問わない。悪人であろうと、善人であろうと、
 倫理的な区別は、漕ぎ続けている間は問題にならない。ただただ肉体的なエネルギーの、
 量だけが、ふるい分けの基準である。もし、この、恐るべき「基準」に従わないで、弱
 き者を収容する方針をとったならば、暴徒はたちまち転覆するか、救援のあてのない彼
 方に押し流されてしまうのである。
・意志強固なる指揮者は、ボートの安全を保持するために、一大英断を決意する。つまり
 「役に立たない人間」を棄て去ることだ。全員が溺死した方が、いいのか。それとも、
 半数を溺死させても、残りの半数を救った方がいいのか。そこで、彼は判断する。みす
 みす全員溺死とわかっているのに、なりゆきにまかせるよりは、むしろ弱い者に死んで
 もらって、せめて強い者だけでも、乗員の命を救った方が正しいと。
・この種の判断は、判断を下すのが困難であるのみならず、その判断を持ち続けるのが実
 に困難だと言わなければならぬ。
・指揮者は、けっして非人情な冷血漢ではない。それどころか、勇気のある正義漢なのだ。
 それにしても、負傷した婦人や、子供や老人から先に、次々と海中へ棄て去って行く現
 場を目撃するのは気持ちのよいものではない。ことに、病人や負傷者は、漕がないので
 はなくて、漕げないのである。
・明確そのもののように見えた「人類の御役に立つ」という基準までが、沈みかかったボ
 ートの中では、漠然たる、アイマイなものとなる。
・ボートが陸地にあがりさえすれば、きわめて「お役に立つ」重要人物さえ、今の今、漕
 げなければ、それでおしまいになる。たとえば、有名な原子物理学者までが、浮袋をあ
 てがわれて、ボートから放り出されてしまう。彼の類まれなる、人類にとって貴重な才
 能も、その瞬間のボートの進行には役に立たないからである。
・それにひきかえ、エゴイスティックで、口うるさくて、無能で、誰にも好かれない老軍
 人も、肉体が強健であるために、ボートに残される。いつもは軽蔑されている、あまり
 知能の程度の高くない黒人水夫も、棄てられないで残される。
・観客は、こころ乱れながら考える。「これは、なにがなんでも、ひどすぎることだ。普
 通だったら、絶対に反対しなくちゃならない、ひどいことだ。だが、普通のこととちが
 って、今の今、この瞬間だけは、こんなひどりやり方をする、指揮者の心中も察してや
 らなくちゃなるまい。このひどい決定が、正しいなどと、責任をもって主張するなんて
 ことは、荷が重すぎるから御免こうむりたい。しかしともかく、ある意味では、このひ
 どい事をやってのける指揮者が、男らしい男なんだと考えたって、それは差し支えない
 だろう」 
・結局、指揮者の指導よりしきを得たためか、ボートは暴風雨を突破して、汽船に救われ
 る。ただしこの皮肉な映画製作者は、この指揮者の前途に、もう一つワナを設けておく
 ことを忘れなかった。彼がすくい上げられた、その汽船には、指揮者が次から次へと棄
 ててきた「役に立たない」病人、負傷者、幼児、老婆、物理学者などが残らず、救いあ
 げられていたのである。広い海面から奇跡的に拾いあげられ、先着していたわけだ。
・汽船の甲板から、うらめしげな目つきで、ボートの指揮者を見おろしている「棄てられ
 た人々」の姿。また、彼らを見上げている指揮者の苦悩に満ちた、打ち砕かれたような
 顔つき。 
・指揮者は一体、正しかったのか、まちがっていたのか。ボートから棄てられた者も、ボ
 ートを漕ぎ続けた者も、救われたからには、それで彼らの未来と幸福を取り戻したわけ
 だ。しかし指揮者は?彼だけは、救われた瞬間から、未来と幸福を失ってしまったので
 はないか。
・最高の命令者、決定者として、「残す者」の選定をひとりでやってのけた、このけなげ
 な指揮者は、今では、反対に、棄てた者と残した者との両方から、批判され、裁かれる
 ことになったのだ。