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この本は、「スノーデン 日本への警告」という本のなかで紹介されており、興味をおぼ
えて読んでみた。内容は世界核戦争後の超監視国家が描かれている。国家の支配層である
党が「思考警察」という組織を通じて人々を四六時中監視しているという国家だ。そして
党の方針から逸脱する人間は、ある日突然姿を消すこととなる。その突然姿を消した人間
はその後どうなるかは誰にもわからない。
監視は「テレスクリーン」と呼ばれる受信と発信を同時に行なう装置によって行われる。
テレスクリーンは至るところに設置されている。監視されるのはテレスクリーンによるだ
けではない。親しい友人や家族からも監視されることになる。特に子どもは、自分の親が
逸脱行為をしていないか監視するよう党から徹底的に教え込まれている。子どもが自分の
親を「思考警察」に告発し、親が突然姿を消すというケースは特別なことではないのだ。
党はすべての過去の記録を徹底的に消し去り、党に都合のいい記録だけを残す。つまり、
「過去をコントロール」し「現在をコントロール」する。さらに「未来をもコントロール」
するのだ。
支配者である党の方針に疑問を持つことはおろか、人間としての自然な感情や愛情なども
持ってはならない。性の本能すら党に支配されるのだ。
特に興味深いのは、このような国家では、常に他国との戦争を続けていることである。な
ぜならば、戦時下にあるという常態は、支配者にとって非常に都合がいいからである。戦
時下にある、つまり危険な状態に置かれているという人々の意識が、少数の特権階級に全
権を委ねることは当然であり、生き延びるためには不可欠な条件であると、人々に思わせ
てしまうからである。このことは、現実の世界を見ても同じようなことが行われている。
独裁者のいる国では、必ずと言っていいほど戦争に対して前向きだ。戦争ということを前
面に出して国民の危機感を煽り、独裁体制の強化をはかるという手法を用いている。
そして、このことは我が国でも言えることである。北朝鮮からのミサイルの脅威を煽り、
それを集団的自衛権行使容認や憲法九条改正の理由に利用している。さらに言うならば、
これは企業経営者においてもよく使われる手法である。経営悪化を理由に社員に対して危
機感を煽り、経営陣への忠誠心と仕事のさらなる効率化を極限まで追い求め続ける。この
結果、国においては一般国民が、企業においては一般社員が、ひたすら国や企業の言うが
ままに動かされる、奴隷化ともいうべき状態に飼いならされていくのだ。このことをしっ
かり認識しておかなければならない。そんな思いにさせられた小説であった。

第1部
・はるか遠方ではヘリコプターが家々の軒先をかすめるように降下し、しばしアオバエの
 ように空中に留まったかと思うと、再び弧を描いて飛び去る。警察のパトルールで、人
 々の窓を覗きまわっているのだ。しかしパトロールはたいした問題ではない。「思考警
 察」だけが問題だった。
・テレスクリーンは受信と発信を同時に行う。声を殺して囁くくらいは可能だとしても、
 それ以上の音を立てると、どんな音でもテレスクリーンが拾ってしまう。さらに金属板
 の視界内に留まっている限り、音だけでなく、こちらの行動も捕捉されてしまうのだっ
 た。もちろん、いつ見られているのか、いないのかを知る術はない。どれほどの頻度で、
 またいかなる方式を使って、「思考警察」が個人の回線に接続しているのかを考えても、
 所詮当て推量でしかなかった。誰もが始終監視されているということすらあり得ない話
 ではない。しかしいずれにせよ、かれらはいつでも好きなときに接続できるのだ。自分
 の立てる物音はすべて盗聴され、暗闇のなかにいるのでもない限り、一緒手一投足にい
 たるまで精査されていると想定して暮らさなければならなかった。
・党の三つのスローガン
 ・戦争は平和なり
 ・自由は隷従なり
 ・無知は力なり
・それぞれ4つに分割された政府の全機構の職能を担う省。「真理省」は報道、娯楽、教
 育及び芸術を、「平和省」は戦争を管轄。「愛情省」は法と秩序の維持を担当し、「潤
 沢省」は経済問題を引き受けていた。
・彼のやろうとしていること、それは日記を始めることだった。違法行為ではなかったが
 (もはや法律が一切なくなっているので、何事も違法ではなかった)しかしもしその行
 為が発覚すれば、死刑か最低25年の強制労働収容所送りになることはまず間違いない。
・「人民の敵」ゴールドスタインは、変節者、脱落者であり、ずっと昔には(どれほど昔
 のことか、誰もろくに覚えていなかった)党の指導者の一人で、「ビック・ブラザー」
 と並ぶ地位にあったが、その後、反革命運動に加わり、死刑を宣告されたものの不思議
 にも脱出したまま姿をくらましていた。彼は第一級反逆者であり、党の純潔を汚した最
 初の人物だった。党に対するそれ以降の犯罪はすべて−裏切り、破壊活動、異端行動、
 逸脱行為の一切−彼の教えから直接生まれたものだった。
・日記を続けようが続けまいが同じこと。どちらにしろ「思考警察」に逮捕されるだろう。
 罪を犯したのだ。たとえ紙に文字を書かなかったとしても犯したことになる。それは他
 のすべての罪を包摂する本質的な罪、「思考犯罪」と呼ばれる罪なのだ。「思考犯罪」
 はいつまでも隠し通せるものではない。しばらくは、もしかすると数年間でも、うまく
 逃げおおせるかもしれない。しかし遅かれ早かれ、連中によって必ず逮捕されるのだ。
・それは決まって夜のことだった。逮捕劇は必ず夜に行われた。突然、眠りから無理やり
 引き剥がされ、荒々しい手に肩を揺すられる。目の眩む光を当てられる。ベッドのまわ
 りには輪になって並んだ冷酷な顔。この犯罪の場合、まず裁判ではなく、逮捕も公表さ
 れない。ただ人の姿が消えるだけ、決まって夜に。登録簿から名前が削除され、その人
 間がそれまで行ったことすべての記録が抹消される。それまでの存在が否定され、つい
 には忘れ去られる。
・戦争犯罪によって収監されたユーラシアの捕虜が、その日の夕方、公園で処刑されるに
 なっているのを思い出した。それはつきに一度ほど行われる、人気の見世物だった。
・ああした子供たちを抱えていたのでは、あの哀れな女性は恐怖の人生を送るに違いない。
 これから一年、いや二年、子どもたちは昼夜の別なく、非正統派の兆候が見えないどう
 か母親を監視するだろう。最近の子どもはほとんど誰もが恐ろしい。特に最悪なのは、
 「スパイ団」のような組織によって、かれらが体系的に手に負えない小さな野蛮人へと
 変身し、しかもそれでいながら、党の統制に対する反逆心などは少しも生まれないこと
 だ。それどころか、子どもたちは党と党に関係するもの一切を諸手をあげて礼賛する。
 かれらにとっては華々しいゲームなのだ。かれらの残忍性はことごとく外に、国家の敵
 に、外国人、反逆者、破壊工作者、思考犯に向かう。30歳以上の大人なら他ならぬ自
 分の子どもに怯えて当たり前だ。それも無理はない。「タイムズ」が一週間とおかず、
 盗み聞きの巧みな小さな密告者−一般に「小英雄」という呼び名が使われている−が疑
 わしい発音を小耳にはさんで、「思考警察」に両親を告発したという記事を載せている
 のだ。
・他の誰もが党の押し付ける嘘を受け入れることになれば−すべての記録が同じ作り話を
 記すことなれば−その嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンは言
 う、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールする
 ものは過去をコントルールする」と。
・政治犯の場合、裁判にかけられたり、非難告発が公表されたりすることはめったにない
 からである。数千人に及ぶ大粛清で、反逆者や思考犯が公判で浅ましい自白をし、後に
 処刑されるといったことは、特別展示のようなもので数年に一度行われるのがせいぜい
 だった。より日常的には、党の不興を買った人間はただ姿を消し、以後まったく消息不
 明になる。その人間がどうなったか、手がかりはまったくつかめなくなるのである。
・逮捕されれば例外なくこうなるという決まったものではない。釈放され、一、二年は自
 由の身を許され、その後で処刑されることもある。時折見られることだが、ずっと前に
 死んだと思い込んでいた人間が何かの公判の席に幽霊のように姿を再び現して、何百と
 いう人間を罪に巻き込む証言をした挙句に、今度は永遠に姿を消したりもする。
・自由という概念がなくなってしまったときに、「自由は隷従なり」といったスローガン
 など掲げられるはずもない。思考風土全体が変わるんだよ。実際、われわれが今日理解
 しているような思考は存在しなくなる。正統は思考することを意味するわけではない。
 その意味するところは思考する必要がないこと。正統とは意識のないことなのだ。
・異常性を感じさせるもの。何か隠し事をしていると感じさせるものはすべて危ない。何
 しろ、顔に不適切な表情を浮かべること、それ自体が罰せられるべき罪なのだ。
・その女との一晩は、ほぼ二年ぶりの放埓だった。もちろん売春婦を相手にすることは規
 則で禁じられていたが、それは、気が大きくなったときには破ってみたいと思う程度の
 規則だった。危険ではあったが、生死にかかわるほどではない。売春婦と一緒にいると
 ころを見つかったら、強制労働収容所での五年間を覚悟しなければならないが、他の犯
 罪に手を染めていない限り、それ以上の罰を受けることはない。
・貧民たちの居住区はすすんで身体を売る女たちであふれていた。ジン一瓶で身を売る女
 たちさえいた。プロール(どん底階級)たちはジンを飲んではいけないことになってい
 るのだ。党も暗黙のうちに売春を奨励している気配さえ窺える。完全に抑圧することは
 できない本能のはけ口というわけだった。単なる淫蕩は、人目につかない場所で楽しま
 ずに行なわれ、また貧困にあえぎ軽蔑の的であるどん底階級の女を相手にする限り、た
 いして問題にならない。許しがたい犯罪というのは党員同士が不特定の相手と交わるこ
 とだった。
・党の狙いは、単に男女間にコントロールのきかない忠誠心が成立することを阻止するこ
 とだけではない。公言されてはいないが、真の目的は性行為からすべての快楽を除去す
 ることなのだ。敵視されるのは愛情よりもむしろ性的興奮であり、それは夫婦間であろ
 うとなかろうと同じだった。党員間の結婚はすべて、任命された専門委員会の承認を得
 なければならない。そして、基準は一度も明言されていないが、当事者たる男女が肉低
 的に惹かれあっているという印象を与えてしまうと、決して承認は得られなかった。公
 式に認められている結婚の目的はただ一つ、党に奉仕する子どもを作ることだけである。
 性交は、浣腸と同じように、いささか不快な軽い処置であるとみなされるべきなのだっ
 た。
・党は性本能を抹殺しようとしていた。あるいは、それが不可能であれば、性本能を歪め、
 汚そうとしていた。彼にはその理由はわからなかったが、それが当然の帰結であるよう
 に思われた。そして女性に関して言えば、党の努力は大筋において成功しているのだっ
 た。    
・もし希望があるなら、プロールたちのなかにあるに違いない。なぜなら、かれらのなか
 にのみ、オセアニアの人口の85パーセントを占める、あのうようよと溢れかえるほど
 の無視された大衆のなかにのみ、党を打倒するだけの力が生み出されるからだ。党が内
 側から崩壊することはありえない。党の敵対勢力は、もし何らかの形で存在するとして
 も、まとまることはおろか、互いに確認することもできない。
・プロールたちは、どうにかして自らの力を意識さえすれば、陰謀を企む必要などないだ
 ろう。かれらはただ立ち上がり、馬がハエを振り払うように身震いするだけでいい。そ
 の気になれば、明日の朝にでも党を粉砕することができるだろう。必ずや、遅かれ早か
 れ、かれらはそれに思い至るだろう。
・革命前のプロールたちは資本家によって徹底的に虐げられ、餓死寸前まで搾取され、酷
 使されていた。女たちは強制的に炭坑で働かされ(実のところ、今でも女たちは炭坑で
 働いている)、子どもたちは6歳で工場に身売りされていた。
・現実にはプロールについてはほとんど何も知られていない。多くを知る必要はないのだ。
 かれらが働き、子どもを作ってさえいれば、その他にどんな活動をしようが、それは重
 要ではない。かれらは自分たちにとって自然と思える生活様式、昔の先祖が送っていた
 生活様式へ立ち返っていたのだった。生れ落ちると極貧の環境の育ち、12歳で働きに
 出る。美しさと性的欲望に彩られる束の間の開花期を経て、20歳で結婚、30歳で中
 年に達し、大多数は60歳で死ぬ。きつい肉体労働、家庭と子どもの世話、隣人とのつ
 まらぬいざこざ、映画、サッカー、ビール、そして何よりもギャンブル、それがかれら
 の心を占めるすべてである。かれらをコントロール下に置くことは難しくない。「思考
 警察」のスパイが数人、つねにかれらとされいげなく交わっており、偽りの噂を広め、
 危険人物と化す可能性があると判断される人間に目をつけたら抹殺するだけのこと。
 プロールたちが強い政治的意見を持つことは望ましくないのだ。かれらに必要なのは素
 朴な愛国心だけ。それに訴えれば、必要なときにはいつでも、労働時間の延長や配給の
 減少を受け容れさせることができる。
・プロールの場合、道徳にかかわるすべての問題についても、先祖の行動規範に従うこと
 が許されていた。党の唱える性的な厳格主義もかれらには強制させなかった。不特定の
 相手との性交渉も罰せられず、離婚も許されていた。
・「初夜権」などと呼ばれるものがあるが、子ども用の教科書では触れられないだろう。
 これは資本家全員に認められた権利で、かれらは法律によって、自分の持工場で働いて
 いる女性なら誰とでも同衾できるというものだった。
・党の掲げる理想は何やらひどく大げさで、恐ろしげで目が眩むようなものー鋼鉄とコン
 クリート、怪物じみた機械とぞっとするような武器であふえた世界であり、兵士と狂信
 者が完璧なる一致団結のもとに行進し、誰もが同じ思想を持ち、同じスローガンを叫び、
 絶えず働き、戦い、勝利し、迫害する国家であり、三億の人間が同じ一つの顔を持つこ
 となのである。
・何もかもが霧の中に消えているのだ。過去が消され、その消去自体が忘れられ、嘘が真
 実となる。
・党は2足す2は5であると発表し、こちらもそれを信じなくてはならなくなるだろう。
 遅かれ早かれ、そうした主張がなされるのは避けがたい。党というものの立場の必然的
 要請がそれを要求するのだ。経験の妥当性ばかりか外部の現実の存在そのものまで、党
 の哲学によって暗黙のうちに否定されているのではないか。異端のなかの異端とは常識
 に他ならない。そして恐ろしいのは、党の考えに同調しないため殺されることではなく
 て、党の考え方が正しいかもしれないということ。
・党は目と耳から得た証拠を拒否するように命ずる。それこそが党の最終的な、最も本質
 的な命令である。
・自由とは2足す2が4であると言える自由である。その自由が認められるならば、他の
 自あすべて後からついてくる。
・原則として党員に余暇というものは存在せず、ベッドに入っているときは別として、一
 人だけでいることは許されない。仕事中、あるいは食事中や睡眠中であるとき以外、党
 員は地域住民とのレクレーションに参加することになっていた。何であれ孤独趣味を暗
 示しそうな振舞いを見せるのは、一人で散歩に出かけることさえ、つねにいささか危険
 だった。   
・頭に浮かぶのは、「思考警察」に連行された後に自分の身に何が起こるか、ということ
 だった。すぐに殺されることは想定の範囲内だ。しかし、死ぬ前に(こうしたことは誰
 も口にしないが、誰もが知っている)告白というお決まりの手順があって、これを免れ
 るわけにはいかない。とこにはいつくばり、大声で憐れみを乞い、骨が音を立てて折れ、
 歯が砕かれ、髪にはべっとり血糊がつく。どうしてこんなことに耐えなくてはならない?
 最後はいつも同じなのだ。一生のなかから数日なり数週間なりを切り取ることがどうし
 てできないのか?探索の網を逃れたものは一人もいないし、例外なく誰もが告白してい
 る。「思考警察」に手を染めたが最後、所定の期日までに死ぬことが確実なのだ。
 
第2部
・一人の人間への愛情だけではなく動物的な本能、単純な相手構わぬ欲望、それこそが党
 を粉砕する力なのだ。彼は彼女を落ちた釣鐘草の散らばる草の上に押し倒した。彼はオ
 ーバーオールをどかして彼女の滑らかな白い横腹をしげしげと見つめた。彼は思った。
 昔は男が若い娘の肉体を見て魅力的だと感じると、それで話は終わった。ところが今は
 純粋な愛情や純粋な欲望を持つことができない。どんな感情も、すべてが恐怖と増悪と
 混じり合っているために、純粋ではないのだ。二人の抱擁は戦いであり、絶頂は勝利だ
 った。それは党に対して加えられた一撃、それは一つの政治的行為なのだ。
・彼女は党の標榜する性の厳格主義に潜む隠れた意味を理解していた。それは、性本能が
 党のコントロールの及ばない固有の世界を作る出しから、できればそれを破壊しなくて
 はならないというだけに留まらない。より重要なのは、性的不自由はヒステリーを引き
 起こすのであり、ヒステリーは戦争熱と指導者崇拝へと変換できるがゆえに望ましいも
 のだという点にある。「セックスをすると、エネルギーを最後まで使い切るわ。その後
 は幸せな気分になって、すべてがどうでもよくなる。連中はそうした気分にさせたくな
 いの。どんなときでもエネルギーではちきれんばかりの状態にしておきたいわけ。あち
 こちデモ行進したり、歓呼の声を上げたり、旗を振ったりするのはすべて、腐った性欲
 の現れそのものよ。」
・性の本能は党にとって危険なものであり、党はそれを逆手にとって利用したのだった。
 親としての本能についても同様の手を使っていた。家族を現実に廃するわけにはいかな
 い。そこで実際、ほとんど昔ながらの愛し方で子どもを可愛がることが奨励される。一
 方、子どもたちはと言えば、組織的に親に反抗するよう仕向けられ、親をスパイして、
 その逸脱行為を報告するよう教え込まれている。家族は事実上、「思考警察」の延長と
 なったのだった。誰もが親しく自分を知っている密告者に昼夜を分かたず囲まれて暮ら
 さなければならない、という仕組みができているのだ。
・こうした今の状態がいつまでも続くわけがないということが、迫りくる死という事実が
 身体を横たえているベッドと同じくらいはっきりと感じられる時もある。そんなときに
 は、もうどうなってもいいと一種捨て鉢の性衝動に駆られて、二人は離れるものかと身
 体を合せる。地獄落ちの決まっている人間が、時計が残り時間5分を告げたときに、最
 後の快楽の一片に飛びつこうとするのと同じだった。
・正統の意味をまったく理解していなくとも、正統と見える振舞いをすることがどれほど
 簡単であるかがよくわかるのだった。ある意味では、党の世界観の押し付けはそれを理
 解できない人々の場合にもっとも成功していると言えた。どれほど現実をないがしろに
 しようが、かれらにならそれを受け容れさせることができるのだ。かれらは自分たちが
 どれほどひどい理不尽なことを要求されているのかを十分に理解せず、また、現実に何
 が起こっているのかに気づくほど社会の出来事に強く関心を持ってもいないからだ。理
 解力を欠いていることによって、かれらは正気でいられる。かれらはただひたすらすべ
 てを鵜呑みにするが、鵜呑みにされたものはかれらに害を及ぼさない。なぜなら鵜呑み
 にされたものは体内に有害なものを何も残さないからで、消化されないまま身体を素通
 りするからだ。
・党がどんな恐ろしいことをしてきたかと言えば、単なる衝動、単なる感情などとるに足
 らないものであると思い込ませる一方で、同時に、物質世界に対する人間の影響力を根
 こそぎ奪ってきたのだ。ひとたび党の支配に絡め取られたら最後、何を感じようと感じ
 まいと、何を行おうと行うまいと、文字通り、何ら違いがなくなってしまう。蒸発とい
 うことになれば、その人の存在も行動も二度と話題にならなくなる。歴史の流れからき
 れいさっぱり取り除かれてしまう。
・かれらも人の心の中にまで入り込めない。もし人間らしさを失わずにいることは、たと
 え何の結果を生み出さなくても、それだけの価値があると本気で感じられるならば、か
 れらを打ち負かしたことになる。
・かれらの監視は昼となく夜となく続いているが、取り乱すことなく冷静さを忘れずにい
 れば、出し抜くことができる
 だろう。その抜け目のない賢さをもってしてもなお、かれ
 らは他人の頭のなかを覗きこむ術を見るけるには至っていない。
・「愛情省」の内部で何が起きているのか、誰も知らないのだ。だが、見当はつく。拷問、
 薬漬け、神経反応を記録する精密器械、不眠と隔離と質問攻めによる緩やかな衰弱が待
 ち受けているのだ。     
・目指すのは生き延びることではなく、人間らしさを失わないことである。
・世界が三つの超大国に分裂することは、二十世紀半ば以前に予測可能であり、実際に予
 見されていた。ロシアがヨーロッパを、アメリカ合衆国が大英帝国を併合して現存する
 三大国のふたつ、ユーラシアとオセアニアは、その時点ですでに存在していたのである。
 残るひとつのイースタシアは、さらに十年にわたって混迷極まる争いを経た後に、よう
 やく明確な国家機構として出現した。この三つの超大国の国境は、恣意的に定められる
 箇所もあれば、戦争の勝敗によって変化する箇所もあるが、一般的に地理上の境界線に
 従っている。まずユーラシアはヨーロッパ大陸およびアジア大陸の北部全土、すなわち
 ポルトガルからベーリング海峡までの地域を指す。そしてオセアニアは、南、北、中央
 アメリカ、イギリス諸島を含む大西洋の島々、オーストラレーシア、アフリカ南部から
 成る。イースタシアはこの二大国よりも小さく、西の国境線は曖昧であるが、中国とそ
 の南に位置する国々、日本列島、広大ながら絶えず国境が変化する満州、モンゴル、チ
 ベットから成り立っている。これらの超大国は、敵味方の組み合わせを様々に変えなが
 ら、永遠の戦争状態にあり、ここに25年間もそうした状態にあった。しかしながら、
 今や戦争は二十世紀前半の数十年間にみられた死にもの狂いお破滅的な闘争ではなくな
 っている。それは、相手を破壊しえない。純粋なイデオロギー上の相違によって分裂し
 ているわけでもない国同士の間で繰り広げられる、限定的な目的しかもたない闘争であ
 る。 
・浮かれたような戦争ヒステリーは、この三つの超大国すべてにおいて絶え間なく見出さ
 れ、強姦や略奪、児童虐殺、全人口の奴隷化、熱湯責めから生き埋めにまで及ぶ捕虜へ
 の報復といった事態が日常茶飯事となり、それが敵側によってではなく、自国が行った
 場合には称賛の対象となる。だが、物理的な意味では、戦争に巻き込まれるのはほんの
 少数で、その大半が高度な訓練を受けた専門家たちであり、死傷者の数は比較的少ない。
 戦闘が実際に行われる際には、一般人にはその場所さえ定かでない境界線の曖昧な地域
 か、航路上にある戦略拠点を護衛する浮動要塞の周辺で繰り広げられる。文明の中心地
 では、戦争とはもはや、消費財が絶えず不足し、時折轟音をたてて落ちてくるロケット
 弾によって数十人程度が死ぬといったことを意味するに過ぎない。実際のところ、戦争
 の性格は変わってしまった。
・現在における戦争の性質を理解しようとするならば−数年毎に敵味方の組み合わせが変
 わるものの、それは常に同じ戦争だ−先ず第一に、決定的な勝敗をつけることが不可能
 だという点を押さえておかなければならない。三つの超大国はいずれも、たとえ残りの
 二国が連合したとしても、完全に征服されることはありえないだろう。三つの国の力は
 互角であり、各々の国に備わった自然の防壁は、強力過ぎるからである。ユーラシアは
 広大な陸地によって、オセアニアは大西洋と太平洋によって、イースタシアは住民の生
 殖力と勤勉さによって、それぞれ護られているからである。次に了解すべきは、物質的
 な意味において、もはや争いの原因がないという点だ。自己充足的な経済が確立し、生
 産と消費がかみ合うよういなった時点で、従来の争いの主原因であった市場の奪い合い
 に終止符が打たれ、と同時に、資源を得るための競争はもはや死活問題ではなくなった。
 とにかく、三つの超大国はすべて非常に広大であるため、必要な資源のほとんどが、自
 国内で調達可能である。戦争に明白な経済的な目的があるとすれば、それは労働力をめ
 ぐる争いだ。
・三つの超大国のいずれかが、赤道付近のアフリカか中東諸国、あるいは南インド、イン
 ドネシア諸島を支配することになれば、それはまた、低賃金で骨身を惜しまず働く何億
 もの苦力を好きに使えるということでもある。この地域の住民たちは、半ば公然と奴隷
 の地位にまで貶められており、絶えず交代する支配者の手から手へと渡り、軍備を増強
 し、領土を拡大し、更なる労働力を支配するために、多量の石炭や石油と同じように消
 費されては、再び軍備増強、領土拡大、労働力確保が追及されるといったふうに、この
 流れが無限に続いていくのである。超大国間の争いが、この係争地域の外にまで広がる
 ことは決してなかったという点は注目に値する。
・赤道付近に暮らす被搾取民たちの労働力は、現実問題として、世界経済にとって必ずし
 も必須という訳ではない。彼らは、世界の富に対して、なんら寄与するものではない。
 彼らが生み出すものは何であれ、戦争のために使われるものであり、戦争を行なう目的
 というのはいつでも、別の戦争を行うための有利な位置を占めることにあるからだ。奴
 隷人口は、その労働力によって、絶えざる戦争状態のテンポを速めている。だが仮に彼
 らが存在しなくても、世界の社会構造と、その社会構造を維持する過程に本質的な変化
 はないだろう。
・今日の世界は、1914年以前の実際の世界と比べると、全てに潤いがなく、食料も乏
 しく、荒廃した場所であるし、まして、その当時の人々が思い描いていた未来像と比較
 すれば、その荒廃ぶりが一層甚だしく感じられることは言うまでもない。20世紀初頭
 に人々が想像した未来社会は、信じがたいほど豊かで、時間にも余裕があり、秩序が保
 たれ、効率的で、ガラスと鋼とコンクリートでできた、きらきら輝く、清潔この上ない
 世界であった。
・1950年代に核戦争がもたらした惨状は、いまだ完全に修復されてはいない。にもか
 かわらず、機械に本来備わっている危険性は、依然存在しているのである。機械が初め
 て出現したときから、人間が行う単調な肉体労働の必要性は消滅し、それ故、人間が不
 平等に身を置く必要性も大方なくなったという事実は、思考力のある人々にとっては明
 白であった。もし機械が、人間の肉体労働と不平等をなくすという目的のために慎重に
 使用されたのであれば、飢えや過重労働、不潔、文盲、病などは数世代のうちに除去で
 きたであろう。現実には、そのような目的のためには使用されず、いわば自然の成り行
 きで、ときには分配しない訳にはいかない富を生み出すことによって、19世紀末から
 20世紀初頭にかけでの約50年の間、機械は平均的な人々の生活水準を間違いなく引
 き上げてきたのだった。 
・すべての人間が短時間だけ働き、食料には事欠かず、浴室と冷蔵庫のある家に住み、自
 動車や飛行機すら所有するような世界が実現していたならば、そこでは最も明白であり、
 また最も重要でさえあるかもしれない不平等の形態は、既に消滅してしまっていただろ
 う。そのような状態が一般的になれば、富は一切の差異を生み出さなくなるだろう。個
 人の財産や贅沢という意味での富は平等に分配され、一方で、権力は相変わらず少数の
 特権階級が握っているといった社会を想定することはもちろん可能である。しかし実際
 問題として、そのような社会が長きにわたって安定を保つことはありえない。なぜなら、
 もし万人が等しく余暇と安定を享受できるなら、普通であれば貧困のせいで麻痺状態に
 置かれている人口の大多数を占める大衆が、読み書きを習得し、自分で考えることを学
 ぶようになるだろう。そうなってしまえば、彼らは遅かれ早かれ、少数の特権階級が何
 の機能も果たしていないことを悟り、そうした階級を速やかに廃止してしまうだろう。
 結局のところ、階級社会は、貧困と無知を基盤としない限り、成立しえないのだ。
・問題は、世界の実質的財産を増やさずに、如何にして産業の車輪を回し続けるかであっ
 た。物質は生産されねばならない、が、それらは分配されてはならないのである。これ
 を実現するには、最終的に、絶え間なく戦争を行うという手段に訴えるしかなかったの
 だ。
・戦争に不可欠な行為といえば破壊であるが、それは必ずしも人命に限らず、人間の労働
 によって作りだされた製品の破壊である。戦争とは、大衆に過度な快適を与え、それに
 よって、ゆくゆくは彼らに過度な知性を与えてしまいかねない物質を、粉々に破壊する、
 もしくは成層圏に送り込む、あるいは海の底に沈めるための一手段である。
・原則として、戦争の続行は、民衆の必要をかろうじて満たした後で余剰があった場合、
 その余剰もすべて消費し尽くすように必ず計画される。実際には、民衆の必要物は常に
 少なめに見積もられ、結果、生活必需品の半分は慢性的に不足に陥っている。しかしこ
 の現状は好結果とみなされる。上位層の人々をも窮乏の瀬戸際あたりの留め置くのが、
 政策上の企みである。なぜなら、窮乏が一般的という状態では、わずかな特権でも一層
 の重要性を帯び、かくしてある集団と別の集団との区別はさらに明瞭になるからだ。
・この社会の雰囲気はというと、包囲された都市のそれであり、つまり、馬肉の塊程度の
 所有物で、貧富の差が決まってしまうのである。それと同時に、戦時下にある、つまり
 危険な状態に置かれているという意識があるため、少数の特権階級に全権を委ねること
 は当然であり、生き延びるために不可欠の条件であると思えてしまうのである。戦争と
 いうものは、いずれ判明するだろうが、単に必要な破壊行為を成し遂げるだけではない。
 それを心理的に受け入れやすいやり方で成し遂げるのである。
・ここで気にかけるべきは、大衆の士気ではない。彼らの場合、堅実に働いてくれさえす
 れば、その心的状態など、取り上げるにあたらない。問題となるのは、党そのものの士
 気である。最も地位の低い党員ですら、有能で勤勉、ごく限られた範囲内であれば知性
 を働かせることさえ期待されるが、彼はまた同時に、信じやすく、無知で狂信的でなけ
 ればならず、恐怖、増悪、追従、勝利の興奮が、彼らの支配的な感情でなければならな
 い。別言すれば、彼らは戦争状態に適した精神構造を持っていることが必要なのだ。戦
 争が現実に起こるかどうかは問題ではないし、決定的な勝利の可能性がない以上、戦況
 が優勢であろうが劣勢であろうが、問題ではない。必要なのは、交戦状態の存在だけな
 のだ。 
・オセアニアでは、法律というものは一切存在しな。見つかれば確実に死を意味する思考
 や行動も、正規に禁じられてはいない。無限に繰り返される粛清、逮捕、拷問、投獄、
 蒸発は、実際に手を染めた犯罪行為に対する罰として科せられるのではなく、単にひょ
 っとしたら将来のどこかの時点で罪を犯すかもしれない人々を一掃しようとしたにすぎ
 ない。党のメンバーは正しい意見だけでなく、正しい本能を有することが要請される。
・党のメンバーは私的感情を一切持ってはならないが、同時に熱狂状態から醒めることの
 ないように求められる。異国の敵や自国の裏切り者に対する憎しみ、勝利に対する歓喜、
 党の権力と叡智を前にしての自己卑下といった具合に、常に熱狂のうちに生きることを
 求められている。  
 
第3部
・君は現実とは客体として外部にある何か、自律的に存在するものだと信じている。さら
 にまた、現実の本質は誰の目にも明らかだと信じてもいる。自分に何かが見ていると思
 い込む錯覚に陥ったときには、同じものが他の誰の目にも自分と同じように映っている、
 と君は勝手に想定するわけだ。しかし、現実は外部に存在しているのではない、現実は
 人間の精神のなかだけに存在していて、それ以外の場所にはないんだよ。ただし、個人
 の精神のなかにではない。個人の精神は間違いを犯すことがありうるし、時間が経てば
 結局は消えてしまうものだ。現実は党の精神のなかにのみ存在する。何しろ党の精神は
 国民全体の総意であり、不滅なのだからな。党が真実であると考えることは何であれ、
 絶対に真実なのだ。党の目を通じて見ることによって、はじめて現実を見ることができ
 る。 
・過去に行われた宗教上の迫害については読んだことがあるだろう。中世には異端審問が
 行なわれた。それは失敗だった。異端を撲滅しようと始められたが、異端を永続させる
 結果に終わったのだ。何しろ異端者を火あぶりの刑に処するたびに、他の何千人もの人
 間が蜂起したのだからな。なぜそうなったか?異端審問所が敵を公開処刑したからであ
 り、そしてまた、まだ懺悔していないうちに処刑したからなのだ。実際、懺悔していな
 いから殺したのだ。自分の真の信念を捨てようとしないという理由で人が死んでいくこ
 とになった。当然ながら栄光はすべて犠牲者のものになり、すべての不名誉はその人間
 を火あぶりにした審問者が被ることになった。後に、20世紀になってから、全体主義
 者が登場した。ナチス・ドイツにロシア共産党だ。ロシア共産党は異端者に対して、か
 つての異端審問官以上に残忍な迫害を加えた。しかも、自分たちは過去の過ちから学ん
 だと思っていたのだ。確かに、殉教者を出してはいけないということくらいは知ってい
 た。犠牲者を公開処刑に送る前に、周到に準備して犠牲者の尊厳を打ち砕こうとした。
 拷問を加え、仲間から隔離することによって屈服させたのだ。犠牲者たちは結局、さも
 しくへつらう卑劣漢になり下がって、言われた通りい自白し、自分のことを悪しざまに
 言い、哀れっぽく慈悲を乞うまでになった。それなのに、ほんの数年もすると、また前
 と同じことが起きた。死者たちは殉教者となり、その堕落ぶりは忘れ去られたのだ。
・昔の異端者は最後まで異端者であることを止めず、異説を高らかに唱え、それに狂喜し
 ながら、火刑場に向かった。ロシアの粛清の犠牲者でさえ、銃殺場に向かう通路を歩き
 ながら、頭蓋のなかには反逆心をしっかり保持していることができた。しかしわれわれ
 はまず脳を完全な状態にし、それから撃ち抜くのだ。昔の専制君主は「汝、なすべから
 ず」と命じた。全体主義の命令は「汝、なすべし」だった。われわれの命令は「汝、こ
 れなり」なのだ。
・党は利己的な目的で権力を追求しているのではなく、大多数の利益のためである。党が
 権力を追求するのは、人間が全体として意志薄弱で臆病な生物であった、自由に耐える
 ことも真実と向き合うこともできないから、自分よりも強い他者によって支配され、組
 織的に瞞着されなければならないためである。人類は自由と幸福という二つの選択肢を
 持っているが、その大多数にとっては幸福の方が望ましい。党は弱者にとって永遠の守
 護者であり、他者の幸福のために自らの幸福を犠牲にしてまで、善を招き寄せようと悪
 を行なう献身的な集団なのだ。
・党が権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。他人など、知ったことではな
 い。われわれはただ権力にのみ関心がある。富や贅沢や長寿などは歯牙にもかけない。
 ただ権力、純粋な権力が関心の焦点なのだ。純粋な権力が何を意味するのかはすぐにわ
 かるだろう。われわれが過去のすべての寡頭政体と異なるのは、自分たちの行っている
 ことに自覚的だという点だ。われわれ以外の寡頭制は、たとえわれわれと似ていたもの
 であっても、すべてが臆病者と偽善者の集まりだった。ナチス・ドイツとロシア共産党
 は方法論の上ではわれわれに極めて近かったが、自分たちの動機を認めるだけの勇気を
 ついに持ち得なかった。 
・権力を放棄するつもりで権力を握るものなど一人としていないことをわれわれは知って
 いる。権力は手段ではない、目的なのだ。誰も革命を保障するために独裁制を敷いたり
 はしない。独裁制を打ち立てるためにこそ、革命を起こすのだ。迫害の目的は迫害、拷
 問の目的は拷問、権力の目的は権力、それ以外に何がある。
・他人を支配する権力はどのように行使されるか。相手を苦しめることによってだ。苦し
 めることによってはじめて行使される。服従だけでは十分でない。相手が苦しんでいな
 ければ、はたして本当に自分の意志ではなくこちらの意思に従っているかどうか、はっ
 きりとわからないだろう。 権力は相手に苦痛と屈辱を与えることのうちにある。権力
 とは人間の精神をずたずたにし、その後改めて、こちらの思うがままの形に作り直すこ
 となのだ。われわれの創り出そうとしているせかいはどのようなものか。それは過去の
 改革家たちが夢想した愚かしい快楽主義的なユートピアお対極に位置するものだ。恐怖
 と裏切りと拷問の世界、人を踏みつけにし、人に踏みつけにされる世界、純化が進みに
 つれて、残酷なことが減るのではなく増えていく世界なのだ。われわれの世界における
 進歩は苦痛に向かう進歩を意味する。昔の文明は愛と正義を基礎にしていると主張した。
 われわれの文明の基礎は増悪である。われわれの世界には恐怖、怒り、勝利感、事故卑
 下以外の感情は存在しなくなる。他のものはすべてわれわれが破壊する。何もかも破壊
 するのだ。革命前からの生き残りというべき思考習慣はすでに打ち壊されつつある。こ
 れまでわれわれは親子間、個人間、男女間の絆を断ち切ってきた。今では誰も妻や子や
 友人を信用できなくなっている。しかし将来は、妻や友人といったもの自体が存在しな
 くなるだろう。
・性本能は根絶され、生殖行為は配給カードが更新されると同じで、年に1回行われる形
 式的な手続きになるだろう。オルガスムも存在しない。