「ゼロリスク社会」の罠 :佐藤健太郎

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「リスクがある」というと、なんだかとても怖い気がする。しかし、考えて見るとこの世
の中はリスクだらけだ。地震などの天災リスクや自動車事故などのリスクなどをはじめ、
最近ではテロのリスクや北朝鮮からのミサイルのリスクが高まっているともされている。
病気のリスクや食中毒などのリスクもある。リスクがまったくない状態というのは、考え
られないことなのだ。とかくすると、リスクがあるのか、ないのか、どっちなんだと、
「1か0か」のデジタル的な考えをしてしまいがちだが、問題なのは、リスクが「ある・
なし」ではなくて、そのリスクはどの程度のリスクなのかということだ。
 リスク対策には必ずコストがかかる。そして、何か利便を得ようとすると、必ずリスク
が伴う。我々は車を運転するとき、車を利用するときの利便性と、それに伴う交通事故の
リスクを天秤にかけながら、リスクより利便性を選択して車を運転しているのだというこ
とを忘れてはならないだろう。
 政府は、テロの可能性が高かっていると国民の恐怖感を煽り、「共謀罪」法案を強引に
通そうとしているが、今まで日本国内でテロは起こっていないし、国際的に見ても、最近
テロによる犠牲者の数が増える傾向があるというものの、自動車事故による死亡者数や自
殺者数に比べたらはるかに少ない。テロが怖いからと、自由であることの権利を差し出し
て、「共謀罪」のような国民を監視し自由を縛る法律の制定を許してしまってもいいのだ
ろうか。北朝鮮のミサイルが怖いからと、ミサイル防衛強化と称する防衛費の増加や敵基
地攻撃能力の保有や憲法9条の改正を許してしまってもいいのだろうか。そういうことを
許して得られるメリットと、許したことによって失ってしまうものの大きさとを、しっか
りと考えなくてはならいのではないかと思う。
 この著書の中でひときわ目を引いたのは、科学的に証明されたという寿命を延ばす方法
だ。現在のところ、寿命を延ばす方法で、科学的に証明されているものは、この方法しか
ないということだ。それは、意外と簡単な方法で、やろうと思えば、誰でも比較的に簡単
にできる方法だ。どんな方法かというと「摂取カロリーを通常の7割程度に減らす」とい
うことだ。これなら、やろうと思えば誰にでもできそうだ。しかし、美味しいものはつい
つい食べ過ぎてしまう。欲望にはなかなか打ち勝てないのが現実だ。

はじめに
・日本経済は、長引く不況に苦しんでいます。今までなら思いもよらなかったような大企
 業の倒産、若者の就職難、うつ病の増加といった、暗いニュースが次々と飛び込んでき
 ます。今の日本の、何が悪くてこのような事態に陥っているのか。筆者は日本人の「リ
 スク過敏症」が空くなからず影響しているのではと思っています。実際、今や何をする
 にもつきまとうリスクに、日本人はすくみ上がり、縮上がっているように見えます。を
・現代社会問題になっている医療崩壊なども、現場の医師の直面する過大なリスクが大き
 な要因となっています。当然ながら、現代医療は完全ではありません。人間がおこなう
 ものである以上、不可抗力による不幸な結果は必ず起こるものですし、医療事故の発生
 もゼロにはできません。しかし、これを不満とした患者からの訴訟が頻発し、多くの場
 合、マスコミも「医療事故」を叩く方向に回ります。この結果、現場の医師はリスクの
 高い救急医療などの現場を離れ、比較的安全な開業医を目指すケースが際だって増えて
 います。 
・いわゆる「モンスターペアレント」なども、これと同根の問題といえます。日本人の
 「お客様は神様」という意識は、今や明らかに行きすぎになっています。理があるかど
 うかは二の次、とにかく自分の利益だけを大声で主張した者の勝ち。こんなミニ暴君た
 ちに丁寧に対応するための社会的コストは、今や膨大なものになっていることでしょう。
・会社では、うかつなことを口走ればすぎにセクハラ、パワハラの声が飛んできます。
・このような流れを受け、今や企業では「コンプライアンス」が金科玉条となり、これを
 取り扱う「CSR部」は今や花形部門と聞きます。しかし、CSR部は、会社の利益に
 直接貢献する存在ではなく、むしろデフェンス的部署です。ストライカー(営業)でも
 司令塔(人事・総務)でもチャンスメーカー(研究開発)でもなく、デフェンダーが脚
 光を浴びているチームで、果たしてゴール(利益)は奪えるのだろうか。日本経済は長
 らく不況に苦しむのも、ある意味当然かと思います。
・アメリカなどでは、優秀な人材が会社を飛び出してベンチャー企業を興し、ITやバイ
 オなどの分野で新たな産業を創り出しています。これに対し日本では、この30年間に
 生まれて世界のトップレベルに成長した企業がほとんどありません。起業がリスキーで
 ありすぎる以上、社員は旧来の大企業にしがみつく他なく、少しずつ足場が悪くなるな
 かで、守りの戦いに徹せらざるを得ません。これは社会制度から日本人の気性にまでわ
 たる、極めて根の深い問題と思えます。
・日本人は、そもそもリスク管理を苦手とする民族なのかもしれません。明治になるまで
 対外戦争をほとんど経験せず、内々の話し合いで事を済ませてきた我々にとって、正面
 からリスクを取り上げるという行為は、かなり難しいことに属するのでしょう。
・また日本人は、「悪いことを口にすると、それが実際に起きてしまう」という、「言霊
 信仰」が心の奥底に染みついています。これが、リスクを語ることを無意識に回避させ
 るのかもしれません。いわゆる原発の安全神話などは、その典型的な例といえるでしょ
 う。悪いことは起きない、ゆえに対策などは必要ない、してはならないという意識が、
 あの過酷事故を呼んだという指摘は、あちこちからなされています。
・もちろん、避けられるリスクは避けるに越したことはありません。ただし、リスク回避
 の方向を誤り、無駄なお金を払って新たなリスクを招いているようなケースもなしとし
 ません。   
・健康や食の安全に関する事柄は、誰もが関心の深い事柄でありながら、ずいぶんといい
 加減な論調がまかり通っているように思えます。もちろん、安心な水や食べ物を求める
 心は誰しも同じです。しかしある面で、その心理は生産者を苦しめるばかりか、消費者
 自身の首を絞め、しかも実際には、必ずしも高いレベルの安全にはつながっていません。
 それがもたらす経済的、身体的損失は、今や計り知れないほど巨大になっているはずで
 す。    

人はなぜ、リスクを読み間違えるのか
・旅客機のハイジャックと高層ビルへの激突という、衝撃的な出来事を目の当りにした米
 国国民は、当然のように飛行機の利用を避けるようになりました。代わりに増えたのが、
 自動車での移動です。しかし実際には、もしテロリストが毎週1機ずつ飛行機を墜落さ
 せたとしても、月1回飛行機を利用する人が事故に遭う確率は、年間13万5千分の1
 にすぎません。これは車での年間交通事故死の確率6千分の1より、はるかに低い数字
 です。そして実際には、恐れていたハイジャックはその後1件も起きませんでした。
・推計によれば、飛行機を避けて自動車移動を選んだことによる交通事故者は、テロ後1
 年の間に約1600人ののぼったということです。テロによる、見えない犠牲者という
 べきでしょう。
・リスク認知因子10ヶ条
 リスクを人々が強く感じるようになってしまう10の要因
 ・恐怖心
  通り魔やストーカーに遭う確率は、実際には極めて低いはずですが、人は交通事故な
  どよりも、これらのリスクを強く感じとります。
 ・制御可能性
  自分の運転より他人の運転のほうが怖い。
 ・自然か人工か
  人は自然界に由来するリスクには寛大ですが、人工物には極めて厳しい。
 ・選択可能性
  不本意なリストラで職を失うよりは、自分の意志で退職するほうがよいと感じる人は
  多いでしょう。
 ・子どもの関与
  子どもが遠出する時などは、実際には大した距離でなくとも、親にとってみれば大変
  に心配になります。
 ・新しいリスク
  インターネットなど、新たなメディアが登場するたびに、その危険を指摘する声は必
  ず出てきました。そして、危険を叫ぶ声は、得てしてこれらを深く知っているわけで
  はない古い世代から上がっていたのではないでしょうか。
 ・意識と感心
  飛行機が怖くて乗りたくないという人はたくさんいますが、飛行機事故で亡くなる人
  の数は、全世界で年間千人前後であるのに対し、自動車での交通事故死者は日本だけ
  で年間5千人、さらに自殺者は年間3万人を超えています。航空機事故は、一度に多
  数の人が犠牲になるので大きく報道されて印象に残りやいのですが、実際には飛行機
  事故よりも、空港までの車の運転に気を配るほうが合理的なのです。
 ・自分の起こるか
  アフリカのある国の内戦で50万人が死んだという報道は、重大なことですが、あま
  り我々の関心を引きません。しかし同じ国で謎の感染症が発生して、50人が死んだ
  となれば、かなりの人がニュースに耳をそば立てるでしょう。
 ・リスクとベネフィット(利益)のバランス
  リスクに対して何らかの利益があれば、人はそのリスクを実際より低めに感じます。
  何の利益もない、あるいははっきりしないとなれば、誰もそのリスクを取りたがりま
  せん。
 ・信頼
  リスクについて説明する者に信用がおけなければ、リスクの感じ方は高まります。し
  かし昨今、安全情報に関する政府の発表は、まったく国民の信頼を得られていません。
・今回の福島第一原発における放射能のリスクは、見事にこの10項目をすべて満たして
 います。天災ではなく人災であり、子どもの健康が心配され、大きく報道されていて、
 食べ物なおを通じて自分の口に入るかもしれず、これを解説する政府や学者が信用され
 ていない。  
・人間、好きなものについては都合のよい解釈をしたがりますし、嫌いなものについては
 悪い評価を下したがります。当然ながら、ものごとに対する好き嫌いと、それが正しい
 か間違っているかはまったく別の問題でうs。しかし人間は、得てして「嫌いなもの=
 か違っている」と結びつけてしまいがちであり、公正な判断を下すことは極めて難しい
 ものです。      
・人間ならば誰にも、現実のすべてが見えているわけではない。多くの人は、見たいと欲
 する現実しか見ようとしないものだ。
・人間は、いったん自分の中にひとつの「見解」ができてしまうと、それに対する反証が
 出てきても「これは例外である」などといって無視したがります。逆に、有利な証拠が
 出てくるとこれを重視し、より自分の正しさを強く確信する方向に向かうのです。
・心の偏り(バイアス)のひとつに、「正常性バイアス」と呼ばれるものがあります。何
 か大きな異変が起こっても、「これはそうたいしたことではない、日常親しんだ状況の
 延長で読み解けるものだ」と人は思いたがり、リスクを過小に見積もってしまうのです。
 この「正常バイアス」は、大きな心理的動揺を避けるために、危険な情報を無意識に心
 から締め出そうとする、本能の働きによるものと見ることができます。
・人間は、経験豊富な事柄に関してはリスクを低く見積もってしまい、初めての事柄に対
 してはリスクを改題に評価してしまうという傾向があるのです。こうしたバイアスのか
 かった最たるものは、おそらく酒でしょう。コップ数杯飲んだだけで人格が変わり、喧
 嘩や交通事故、悪くすれば殺人事件の引き金にすらなる。こんな飲み物が他にあるでし
 ょうか?酒を禁止してほしいなどと主張するつもりはありません。しかし、よく危険性
 を指摘される食品添加物や残留農薬に比べても、酒のリスクは決して小さくないことは
 頭にいれておくべきかと思います。
・近年の医学の発達、なかでも予防接種の開発と抗生物質の登場は、かつて大流行したペ
 ストやスペイン風邪などの感染症の脅威をほぼ一掃しました。感染症に対する勝利は、
 人類の歴史の中でも大きな出来事であったと思われます。しかしこのことが、感染症の
 脅威を忘れさせてしまいました。たとえば近年、風疹やはしか、おたふくかぜなどの
 「感染パーティー」というものが一部で流行しています。ある病気にかかった子どもが
 いたら、親たちがその家に自分の子どもを連れて行ってパーティーを行ない、わざと感
 染させるというものです。これによって、予防接種などではなく「自然な形で免疫を獲
 得」することが、正しい病気の対策であるという理屈です。しかし風疹やはしか、おた
 ふくかぜは、2〜3日寝かせていれば治るだけの病気ではありません。子どもでは基礎
 疾患がなくても重症化し、難聴などの障害を残すことがあります。また患者が増えれば、
 当然、無関係の他人に感染させてしまう可能性が高くなり、公衆衛生の面から見てはな
 はだ迷惑な話です。
・現代において、リスクの見積もりを狂わせる何より大きな要因は、マスコミの報道に他
 ならないでしょう。マスコミにとって情報は商品であり、多数の人の買ってもらえるも
 のでなければ商売が成り立ちません。したがって、マスコミがリスクを実際より大きく
 報じ、感情に訴えて危機を煽ろうとするのは、いわば本能にも似たものです。
・このセンセーショナリズムは、近年の放射能報道に端的に表れています。福島や茨城の
 野菜から数十ベクレル放射能が検出されたという話はニュースになりますが、福島県民
 の内部被ばく量は極めて低い数値に収まっていたという調査結果は、残念ながら大きく
 報道されません。人々にとって悪いニュースこそが、マスコミにとっては価値のある良
 いニュースであり、人々にとって良いニュースは、マスコミにとっては都合の悪いニュ
 ースなのです。
・「○○は安全だ」というより、「○○が危険だ」という方がずっと楽です。「安全」と
 言ってしまって、後から危険性が発覚した場合には責任が発生しますが、「危険」と言
 っている分には可能性があるのだから警告を発したまでだ」で通ってしまいます。
・マスコミによって大きく報道されることは、リスクを過剰に認識させてしまうケースば
 かりではなく、逆にリスクを軽く見積もらせる方向に働くこともあります。東日本大震
 災後、人々の津波に対する警戒感が低くなってしまったという意外な調査結果が出てい
 ます。震災前の2010年に行なわれた調査では、「危険な津波の高さはおdのくらい
 と思うか」という質問に対して、「10cm〜1m」と答えた人が7割以上を占め、こ
 の高さなら避難すると答えた人が6割に上りました。ところが東日本大震災後に行なわ
 れた同様の調査では、10cm〜1mの津波が危険と答えたひとの割合は45.7%に
 低下し、この高さの津波がきたら非難するという人は38.3%へと減少しました。そ
 して危険な津波の高さは「5〜10m」と答えた人が3.7%から20.2%へと大幅
 に増えたのだそうです。しかし実際には、高さ50cmの津波でも人は立っていられま
 せんし、1mなら木造家屋が半壊、2mなら全壊します。津波というものに対する認識
 を、我々は再度、改める必要があるでしょう。
・リスクというものは、放っておくと勝手に拡大し、とめどなく膨張していく性質があり
 ます。リスクを下げる、あるいは一定に保つためには、それなりのエネルギーや労力を
 つぎ込む必要があります。
・あるリスクを削減するには、コストが必ずかかります。当然コストを無制限にかけるわ
 けにはいきませんし、莫大な費用を投じたところで、リスク削減には結局限度がありま
 す。あるリスクを避けようとすると、別種のリスクが発生してくるという、「トレード
 オフ」が起こるからです。交通事故の危険を避けるなら、家に閉じこもっているのが一
 番いいでしょうが、運動不足になって病気のリスクが高まるでしょうし、そもそも生き
 てくためのお金が稼げません。我々は生活のため、交通事故その他のリスクを取って、
 給料や社会生活といった利益を得ているのです。大げさなことを言うようですが、人生
 は「どのリスクを取ってどの利益を得るか」という選択の連続だともいえます。
・化学における分析実験には、「定性分析」と「定量分析」の2つがあります。分析した
 いものの中に、ある物質が含まれているかどうかを調べるのが定性分析、どれだけの量
 が含まれているのかを調べるのが定量分析です。現在のリスク判断は、そこにリスクが
 あるかないかという、「定性的」な判断しかなされていないことが多いように思われま
 す。 
・リスクがどうやってもゼロにできないなら、何らかの形で付き合っていくよりありませ
 ん。要は、あるものによって引き起こされるリスクと、それによってもたらされるベネ
 フィット(利益)を計量し、後者が上回るときにこれを採用するということになります。
 といても、リスクやベネフィットはものさしで測るように単純に数値化できるようなも
 のではありませんから、比較は簡単ではありません。まして、日本は強烈な減点法文化
 が根付いている国です。ベネフィットの方には、なかなか目が行きません。
・小さな失敗を過剰に叩く文化は、必ず失敗の隠蔽を呼び、問題の根を深くします。また、
 失敗を許さない社会は、新しいチャレンジをしにくい社会でもあります。「完璧ではな
 いが、魅力のあるもの」を許容できないおかげで、日本はずいぶんと損をしているよう
 に思います。
・ただ知識だけを詰め込んで、自分の頭で考えないのでは、学んだことが生きてきません。
 逆にしっかりした知識を身につけることなく、自分の考えだけですべてを判断しようと
 すれば、危うい方向へ行ってしまう。

「天然」大好き、「化学」は大嫌いの罠(真実はグレーの中に)
・身近にも、有毒な植物は意外にたくさん存在しています。たとえば、アジサイは、ある
 飲食店が葉を天ぷらにして出したところ、客が食中毒を発病したという事故が起きてい
 ます。スズランもまた、可憐な見かけに反して心臓に作用する毒を持っており、死亡例
 もあるとのことです。ワラビはプタキロシドという強い発がん物質を含み、そのままで
 は大変危険です。{加熱によってプタキロシドは分解しますので、ゆでて食べる分には
 問題ありません)。
・医薬になる化合物は、当然、体内で一定時間とどまってくれなければならないのですが、
 生体の代謝システムというものは実によくできているもので、人が苦労して合成した化
 合物を無慈悲に分解し、あっという間に排出してくれます。市販されている多くの医薬
 は、毎日二度三度と飲まなければなりません。体内残留時間を少しでも長くするよう、
 様々な工夫を凝らした医薬ですら数時間で排出されてしまうからこそ、こうして何度も
 服用する必要が出て切るのです。「化学物質だから人間の体で処理できない」などとい
 う言説が、大手を振って大マスコミに流れてしまっている現状は、なかなか憂慮すべき
 ものがあります。  
・化合物の生理作用は、個々の物質ごとに慎重に検証する必要があり、天然や合成といっ
 た大ざっぱなジャンル分けで論じることは不可能なのです。
・炊いたご飯や焼いた魚は「自然な食品」と思われていますが、いうまでもなく、自然界
 のどこを探してもこんなものは存在していません。調味料を加えて煮たり焼いたりした
 時点で、食品内部では様々な化学反応が起こって、自然界には存在しない物質がいくつ
 もできているのです。  
・人工の危険な化合物の代表と思われているダイオキシンは、実のところ、人類誕生以前
 から存在していた「天然物」であることが実証されています。何しろ、塩分を含む有機
 物が不完全燃焼すれば発生するのですから、海辺で火事でも起きれば、必ずそこにはダ
 イオキシンができていたはずです。
・「安全な食品」「危険な物質」というのは、白か黒か、100か0かというようにくっ
 きり区別できるものではありません。脂肪や食塩などは体に必要なものですが、とりす
 ぎれば様々な危険をもたらします。銅やセレンなどの元素はかなり強い毒性を持ちます
 が、微量は摂取しないと生命維持に差し障ります。ビタミンAはもちろん体に必要な物
 質ですが、過剰摂取すると吐き気やめまい、子どもであれば骨格異常さえ引き起こすこ
 とがあります(通常の食生活をしている分には、過不足の心配はまずありません)。
・どんなものであれ、食べるものには必ず何らかのリスクがあります。食べたものが消化
 分解されてエネルギーに変わっていく過程では、必ず活性酸素が発生し、DNAや各種
 重要分子を傷つけてしまいます。食事をするということは、いってみれば、生きるため
 に必要な栄養やエネルギーを取り入れる一方で、少しずつ与えられた命を削っていく過
 程でもあるのです。   
・現在、寿命を延ばすことができると科学的に証明された方法が一つだけあります。それ
 は、摂取カロリーを通常の7割程度に減らす、「腹七分目」に食べることだそうです。
 酵母のような微生物から、サルなどの高等生物に至るまで、この方法によって生存期間
 が延長することが様々な実験で確かめられています。これはひとつには、食べ物を消化
 分解する過程で体内に発生する、活性酸素の悪影響を選らせるからともいわれます。食
 物を摂取するということは、「極めて弱い毒を一生食べ続けること」であるという考え
 方も、成り立たなくはなさそうです。
・近年「保存料ゼロ」を謳った清涼飲料水が発売され、人気を呼んでいるようです。しか
 し実のところ、今まで発売されたほとんどの清涼飲料水には、保存料は含まれていない
 のです。商売のやり方としてどうかと思いますが、それだけ保存料は嫌われているとい
 うことなのでしょう。いろいろな化合物が保存料として使われますが、ソルビン酸類は
 その代表的なもので、世界で広く使われています。ソリビン酸のLD50は10.5g
 /kg、つまり丼一杯ほど食べないと死に至ることはありません。それでいて、例えば
 かまぼこの場合なら、0.1%も添加すれば十分に効果を発揮しましから、極めて安全
 性の高い添加物の一つです。かまぼこに含まれるソルビン酸で体に害が出るには、かま
 ぼこ数百kgを食べる必要がある計算です。
・しかし各種の添加物バッシングにより、ソルビン酸類の使用量は減少の一途にあり、こ
 の20年でほぼ半減しています。それで食中毒が激増したというわけでもないのだから、
 いいではないかと言われそうですが、実は目立たない問題が起きています。賞味期間が
 短縮して、破棄される食品が増えることです。
・現在の社会情勢の中でさらに深刻なのは、保存料を減らすために冷蔵が必要になり、こ
 れが膨大な電気を消費することです。原子力発電所の停止により、化石燃料の輸入額が
 年間4兆円にも達しているなか、看過してよいことではありません。
・ソルビン酸の使用量が5%減るごとに、約190億円の経済的損失が発生しており、こ
 れは5千名分の雇用に相当するということです。
・近年、「カビの生えないパンは添加物が入っているから危険。カビの生えるパンこそ、
 自然で安全なものだ」という類の主張を目にします。しかし各種のカビが作る毒には強
 烈な発がん性を持ったものがあり、長期的な摂取は潜在的な危険があります。カビなん
 か取って食べればいいと言われそうですが、目に見えるようなカビが生えた食品は、顕
 微鏡レベルで見ればすでに全体がカビだらけであり、かなりのマイコトキシンが生成し
 ていると見るべきです。「カビは危険」というごく当たり前の常識を、我々は再認識す
 る必要があるでしょう。      
・食品添加物バッシングでよく持ち出される論理が、「個々の添加物についての毒性は厳
 しであったく調べられていても、それらが複合的に作用する可能性が見逃されている」
 というものです。実際のところ、こうした化合物同士の複合的作用が起こって生体に害
 をなした具体的なケースは、筆者の知る限り今までありません。
・もちろん、添加物には大変な種類があり、使われる環境も様々ですから、危険な量の副
 産物ができる可能性は絶無ではありません。しかし、これは何も添加物だけの話ではな
 く、自然界に存在するあらゆる物質にそうした可能性があり、すべてにこだわっていた
 のでは食べる物がなくなります。少なくとも現在の日本で、食品添加物のためになくな
 ったという話はありません。交通事故では年間5千人、自殺者は3万人発生しています。
 添加物対策で力み返るより、先に手を打つべき分野が他にいくらでもあると思われます。
・要するに、「危険なものを体に取り入れる」イコール「アウト」ではないのです。危険
 かどうかはあくまでも量にもよるのであり、極めて少量ならどんなものでも大丈夫、量
 を過ごせばどんなもものでも毒です。
・残念ながら、食べるだけで健康になれる魔法のような食品などは、この世のどこにも存
 在していません。また、一回食べただけで健康を害するほど危険な食品も、今の世の中
 そうそう出回っているわけではありません。
・食品リスクを回避する秘訣は単純で、いろいろなものをバランスよく食べることに尽き
 ます。危険な食品を口にする可能性は常にゼロではありませんが、いろいろな食品を少
 しずつ食べていれば、悪い食品に当たった時のダメージを最小限に抑えられます。
・資産全額を単一の投資方法に投じるのではなく、株式投資・銀行預金・金貨などに分け
 て保持し、リスクを分散するのと同じことです。
 
ゼロリスク症候群という罠−メタミドホス禍から学ぶ
・我々の口に入ってよいと決められた農薬の量は、動物が一生の間、毎日食べ続けても大
 丈夫であった数値の数百分の一のレベルとなります。つまり何らかの原因で、基準値を
 多少超えた食品を一度や二度食べてもまず大丈夫であるよう、基準値は極めて厳しく設
 定されているわけです。
・その気になって分析すれば、多くの「有害物質」が我々の身の回りから検出されます。
 しかし、我々の体はこれを問題なく処理しているため、何ら健康に影響は起きません。
 これはなぜかといえば、我々の体には、ある程度の化合物を処理して無害化する防御機
 構が備わっているからです。
・基準値を低いラインに定め、あるリスクを厳しく排除しようとすることは、一見安全の
 ためのようでいながら、必ずしもトータルでの安全性を高めるとは限らないのです。
・残念ながら、現在の化学物質に関する報道は、ほとんどが、「○○が検出された」とい
 うだけの、定性的なものにとどまっています。しかし、検出されたというだけでは、実
 際のリスク判断はほとんど意味をなしません。その物質がどのくらいの量含まれている
 か、どのくらいの量をとり入れる可能背うがあるか、定量的データがあって初めて、ど
 の程度のリスクがあるかという判断が下せます。そしてそのリスクを、メリットと比較
 してみて、リスクの方が大きければそれを回避する、という手順を踏まなければなりま
 せん。   
・過剰なリスク削減を目指すためのコストは、最終的に何らかの形で自分にもはね返って
 きます。一人一人が定量的に考え、リスクを判断する努力を続けていかなければ、この
 時代は乗り切れません。ケンブリッジ大学のジョン・エムズリーは「1万分の1は受け
 入れるが、現代人の生き方ではないか」という提案をしています。例えば、自動車事故
 で死亡する確率は6千分の1ですが、みなそれを理解した上で車に乗っています。つま
 り我々は、すでにこのレベルのリスクを受容して、この車社会に生きているともいえま
 す。

「発がん」の恐怖ーという罠
・「消費者の安心」とはなんでしょうか?何か問題が持ち上がったら有無をいわさず製品
 をすねて回収し、余計な言い訳などせずに平身低頭して社長が謝罪し、弁済にこれ努め
 ればよいのか?正しく安心するためには、「何となく気持ちが悪いから排除する」では
 なく、きちんとリスクを知ることが不可欠です。
・「発がん物質」というのは極めて特別な恐ろしい存在で、ごく微量でもとり入れてしま
 うと、瞬時にがんを発症するようなイメージがあります。そんものなど、少しでも体内
 に入れるなんてとんでもない、と思うのが人情というものでしょう。しかし実のところ、
 発がん物質はまったく特別なものではありません。
・多くの植物は害虫から身を守るため、「天然の農薬」ともいうべき成分を作っており、
 そのかなりの部分が発がん性であることが知られています。また、そのままでは大丈夫
 だけれど、体内で代謝を受けて発がん物質に変化するものもあり、魚の焼き焦げの主な
 発がん物質ベンゾピレンなどがこのタイプです。こうしたリスクを完璧に避けて生活す
 ることは、事実上不可能なのです。
・がん細胞とは、要するに細胞分裂の制御機構が壊れ、異常な増殖をするようになった細
 胞のことです。細胞の増殖には様々な歯止めがかかっていますが、遺伝子に傷がつくな
 どの原因で、このストッパーが壊れるときがあります。発がん物質といわれているもの
 の多くは、この「遺伝子を傷つける物質」なのです。こうした事態が重なり、ついに増
 殖の制御が利かなくなると、がんが発生します。がんはいろいろな機能が壊れて(ある
 いは働きすぎて)いるものの、根本的には同じ自分の細胞であり、同じ体の一部です。
 これがかんの治療をやっかいにしている大きな原因です。
・遺伝子に傷つくのは、食品中の発がん物質のせいだとは限らず、日光やウイルス感染な
 どによっても起きています。正常な細胞分裂の過程でさえ、一定の確率でコピーミスが
 起こりますから、発がん物質を一切シャットアウトしたとしても、がんを完全に逃れる
 わけにはいきません。いわば、かんは多細胞生物の宿命ともいえる病気なのです。
・いくら頑丈な鎧に身を固めていても、長い間、敵の攻撃を雨あられと浴び続けていれば、
 徐々にダメージを受けますし、そえrが蓄積すれば、いつか致命的なラインに達します。
 これと同じで、発がん物質をたくさんとっていれば、長い年月のうちにはがんを発生す
 る確率は高まってゆきます。がんが若い人に少なく、高齢者に多いのはこのためです。
 いわばがんは「時間が引き起こす病気」であり、長い寿命を持つ多細胞生物にとって避
 けられない宿命なのです。
・発がん物質は、避けれれば避けるに越したことはないのですが、先ほど述べたように完
 全な回避は不可能であり、無理に避けれようとすれば、体に必要な食品、がんを防いで
 くれる食品までとれなくなる可能性もあるでしょう。結局、すべてばバランスの問題な
 のです。   
・「危険」と「安全」という言葉はワンセットの反対語として使われますが、実は両者は
 非対称な関係にあることがわかります。「危険がある」「リスクがある」という言い方
 はありますが、「安全がある」という言葉はありません。「危険」は目に見える存在で
 すが、安全は具体的な「もの」ではなく、リスクを次々に取り去っていくと、遠くにぼ
 んやりと見てくる何かなのでしょう。
   
「狂った油」「血液ドロドロ」の罠ートランス脂肪酸について、ひと言
・マーガリンなどの含まれ、心臓病などの原因になるとされている「トランス脂肪酸」が
 それです。ネットなどでは「狂った油」「食べるプラスチック」などのおどろおどろし
 ん形容が飛び交っていますが、そんなに恐ろしいものなのか。残念ながら、この物質に
 関しては非常に多いようです。
・マーガリンは、もともと固形のバターの代用品として考案されました。その実態は、植
 物由の主成分である不飽和脂肪酸に対して化学反応を行ない、二重結合をなくして飽和
 脂肪酸に変えたものです。これによって油が固まりやすくなり、サラダ由のような液体
 からマーガリンのような個体に変わるのです。ところがこの不飽和脂肪酸を飽和化する
 反応の進行が不完全であると、二重結合の向きが一部変化し、トランス配置に変わって
 しまったものが残るのです。こうしてできるトランス脂肪酸は、マーガリンに含まれる
 脂肪酸の数、一部の製品では十数にも達します。そしてこのトランス脂肪酸をとりすぎ
 ると、動脈硬化や心疾患の原因になるということが指摘されているのです。このため
 WHOでは2003年に、トランス脂肪酸を全エネルギー摂取量の1%以下に抑えるよ
 う各国に勧告を出しました。たとえば、ネットなどでは、トランス脂肪酸を指して「自
 然界には存在しない”狂った油”である」などという記述がかなりの数見られます。
 しかし実際には、自然界にも少ながらぬ量のトランス脂肪酸が存在しています。たとえ
 ば、牛や羊など反芻動物の脂には、5程度のトランス脂肪酸が含まれています。
・トランス脂肪酸の恐怖を謳うサイトなどでは、「通常の不飽和脂肪酸と異なり、分解代
 謝されないので体内にどんどん蓄積してゆく」などという話も出ています。しかし、こ
 れもまったく根拠はなく、トランス脂肪酸もシス体と同じく消化分解されて、エネルギ
 ー源となることがわかっています。おそらく、「自然でない油」という思い込むから生
 まれた誤解なのでしょう。もし「代謝されない」というのが本当なら、昔から多量の牛
 肉を食べてきた西洋人は、体中トランス脂肪酸だらけになっていたはずです。
・不飽和脂肪酸は液体なので血液の流れをサラサラに保つが、トランス脂肪酸は融点が高
 く固まりやすいために血液をドロドロにしてしまう、などといった解説をする「専門家」
 もいます。何だかもっともらしく聞こえますが、血管の中を流れているのは脂肪ではな
 く、水を主成分とした血液です。血液の粘性は赤血球や白血球などの量によって決まる
 ものである、ごくわずかな血中脂肪の融点などが直接影響するものではありません。そ
 もそもこの「血液サラサラ」という概念自体、わかりやすいだけで医学的にあまり意味
 はないとの批判もあります。
・いくつかの研究で、トランス脂肪酸の多量摂取によって、いわゆる悪玉コレステロール
 が増え、動脈硬化や心疾患の危険が高まることが確かめられているからです。また、認
 知症や早産のリスクを高めるなどの報告もあり、そうなるとなかなか穏やかではありま
 せん。ただし、それらが我々日本人にとって、いったいどの程度危険なものなのか、大
 いに議論の余地があるように思えます。というのは、トランス脂肪酸が最初に問題視さ
 れたのは、日本よりはるかに脂肪摂取量の多い欧米であったからです。アメリカでは、
 成は平均して1日5.8gのトランス脂肪酸を摂取しています。WHOの勧告は、「ト
 ランス脂肪酸」の摂取量を、1日の総エネルギーの1%以下とする」というもので、こ
 れによればアメリカ人の場合、トランス脂肪酸を1日2.2g程度に抑える必要があり
 ます。しかし、日本人の場合、現在のトランス脂肪酸摂取量は1日1.5g、総エネル
 ギーの0.7%にすぎません。ことさらに努力するまでもなく、日本人はWHOの基準
 を初めからずっと下回っているのです。もちろん、日本人もこの基準を超える人はいる
 でしょうが、そうした人は、ことさらにトランス脂肪酸を気にするより、まず高脂肪の
 食生活を改めるべきでしょう。
 
「改めまして、放射能基礎講座」−放射能の恐怖、という罠
・チェルノブイリの原発事故では、爆発によって原子炉の蓋が吹き飛んだために大量のプ
 ルトニウムが放出され、半径30kmほどが1平方メートル当たり数千ベクレルという
 強度の汚染を受けましたが、福島原発事故のケースでは、原発の建物内でさえ、プルト
 ニウムは数ベクレル/平方メートル程度に過ぎません。
・現在の線量を見る限り、たとえば関東などでは、普通の生活で高度な外部被爆を受ける
 心配はほとんどないと思われます。放射能物質が雨で降り注ぎ、高めの数値を示してい
 る「ホットスポット」でも、放射性物質gたまっていそうな場所、たとえば雨どいの下
 や側溝などを不必要に触らないといった配慮をしていれば十分でしょう。福島の高い空
 間線量を示している地域では、もちろん相応の外部被爆を警戒する必要があります。
・食品などからの内部被爆も気を付ける必要がありますが、現在市場に出回っている食品
 は、かなり厳しい検査を受けています。問題は、自分で山から山菜などを採ってきたり、
 家庭菜園で野菜などをつくって食べたりしている場合です。特にキノコやイノシシなど
 で、かなり高濃度にセシウムを貯えたものが見つかっており、注意が必要でしょう。こ
 のあたりは、長期にわたって油断ができそうにはありません。
・ベクレル(Bq)は、放射能物質の量の単位で、「1秒間に何個の原子が崩壊して放射
 線を出しているのか」を表します。福島第一原発から放出された放射性物質は、現在ま
 でに90万テラベクレルと見積もられています。テラは1兆ですから、9の下にゼロが
 17個つく数になります。恐ろしいうらいの膨大な数字で、とても実感がわかない話で
 す。では、この物質量はどのくらいでしょうか?実は、数百グラムから数キログラム程
 度と見積もられてるのです。イメージとしては、洗剤1箱から2箱分ほどの粉末が吹き
 出し、各地に飛び散った状態と想像すればよいでしょう。
・もちろん福島第一原発で漏れた放射能物質は、量として少ないから大丈夫、というほど
 単純な話ではありません。1原子レベルの放射性物質でさえ検出できてしまうほどのエ
 ネルギーを持っているからこそ、放射線は恐ろしいというのも事実です。ただ、飛び散
 った放射性物質がどれくらいの量であったか、実際のスケール感を把握しておくことは
 非常に重要だと思います。
・シーベルト(Sv)は、放射線の「人体に与える影響」を図るために考案された単位で
 す。外部被爆、内部被ばくに分けてそれぞれの方法で人体に与える影響を計算すること
 になっています。一口に放射線といっても、アルファ線・ベータ線・ガンマ線ではそれ
 ぞれ人体に与える影響が異なります。単にどれだけの強さの放射線を浴びたか、どれく
 らいの量の放射線物質を体内に取り込んだかだけで、人体への影響を語るわけにはいき
 ません。そこで、シーベルトという単位を使って、放射線の人体への影響を測ることが
 考案されました。シーベルトの値を求めるときには、外部被爆と内部被爆を別個に扱っ
 て、健康への影響を見積もる方法が定められています。外部被爆の場合は、浴びた放射
 線の強さと時間からシーベルトの値が求まります。内部被爆の場合は、それぞれの核種
 が出す放射線の種類、体内での動くなど、様々な要素を考慮してシーベルトの値を求め
 ることになっています。言ってみれば、ベクレルという単位は、コインの枚数だけを数
 えているようなもの、シーベルトは、これは500円、これは10円と区別して集計し、
 全体の金額を出すようなイメージです。
・「シーベルト毎時」(Sv/h)というものもよく出てきますが、これは放射線の強さ
 を表す単位です。1シーベルト毎時の強さの放射線を1時間浴びると、1シーベルトの
 被ばくをします。 
・シーベルトという単位ひとつで、人体に対する害をすべて語れるわけではありません。
 同じ累計1シーベルトであっても、一度に1シーベルトの放射線を浴びた人と、毎日1
 ミリシーベルトの放射線を1000日間浴び続けた人では、前者のダメージのほうがず
 っと大きくなります。DNAには自己修復機能がありますので、少しずつのダメージな
 らす修復できますが、一度に強い放射線を浴びて一気にあらゆる機能を破壊されると、
 こうはいかなくなります。
・核実験最盛期の60年代には、日本人は毎年1ミリシーベルト以上、死の灰由来の被爆
 をしていたという推計もあります。これは、福島第一原発事故で多くの日本人が被爆し
 たよりも多い量ですが、当時生きていた人は特別健康被害が出たわけではありません。
 もちろん、今回とはいろいろ状況が異なるので、これをもって「原発事故での被爆は問
 題なし」と結論してしまうわけにはいきませんが、ひとつの安心材料にはなります。
・放射性物質が厄介なのであるのは、人工的に分解したり消し去ったりすることができな
 い点です。毒物などは、結局原子がつながってできたものですので、このつながりを破
 壊しれば(燃やす、薬品で結合を分解するなど)毒性は消え去ります。しかし放射性元
 素は、原子核内部の変化であり、人間はここに手を触れられません。したがって、どこ
 か遠くへ運び去るか、分厚い遮蔽材料で閉じ込めてしまうかして、自然に消えていくの
 を待つしかないことになります。
・ヨウ素131が特に問題視されるのは、チェルノブイリ原発事故などで「実績」がある
 からです。人間の喉のところには、甲状腺と呼ばれる器官があり、チロキシンなどのホ
 ルモンを分泌しています。このチロキシンには、人体の作る化合物としては珍しく、ヨ
 ウ素が含まれています。このため、体内に取り込まれたヨウ素131は、チロキシンの
 材料として甲状腺に運ばれ集まり、そこで放射線を発します。放出されたベータ線やガ
 ンマ線は、周囲のDNAを傷つけ、遺伝子情報を破壊してがんの原因となります。実際
 に、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故では、これによって、通常珍しい病気
 である甲状腺がんが子どもの間に多発しています。
・放射線の影響は、子どもに対して強く表れます。子どもの方が細胞分れるが盛んに行わ
 れるために、DNAのミスコピーががんに発展しやすいこと、ヨウ素の取り込みが盛ん
 なことなどが原因と考えられます。
・実際に、どのくらいの放射線を浴びると、確定的な影響が出てくるのか?もちろん個人
 差がありますが、一挙に250ミリシーベルトを浴びると、吐き気や目まいなどの「放
 射性宿酔」という病状が現れてくるとされます。500ミリシーベルトから1シーベル
 トで白血球の減少などがみられ、5シーベルトを超えると、脱毛・下痢・出血の病状が
 現れます。6シーベルト以上で生命の危険があるとされ、1999年、東海村JCOで
 の臨界事故で亡くなった2人は、それぞれ推定6〜10シーベルト、16〜20シーベ
 ルト程度を浴びたと考えられています。この時、もう1人、1〜4.6シーベルト程度
 の放射線を浴びた作業員がいましたが、3ヶ月ほどの治療を受けた後、無事退院してい
 ます。
・長期間にわたり、積算で100ミリシーベルトの放射線を浴びると、成人においてがん
 で死亡する確率が0.5%程度高くなるとされており、これが今のところ、人体への影
 響がはっきりと確認された最低ラインとなります。では、これ以下では影響があるので
 しょうか?今のところ、あるともないともはっきり言えません。ただしこれは、積算
 100ミリシーベルト以下でのリスクが極めて小さくなるため、統計的にデータが出せ
 なくなるためです。   
・あまり大きく取り上げられていませんが、東日本大震災の際、東京湾深く、しかも富津
 岬の陰に位置する木更津市を高さ2mの津波が襲い、係留してあった船などを沈めてい
 ます。また、東海・東南海・南海連動型地震が発生した場合、20m級の津波が阪神地
 区を襲うという予測もあります。 
・高層ビルが建ち並んでいる大都市がM8クラスの巨大震災に襲われる事態を、まだ人類
 は経験していません。東日本大震災で、東京都区部の震度は5強に過ぎませんでしたが、
 推定500万人以上の帰宅難民が発生し、大きな混乱を生じました。
・今回、露呈した原発のもろさは、テロリストの標的になるリスクをも顕在化させました。
 この点、たとえば原発大国であるフランスなどは、原発周辺に地対空ミサイルを配備し、
 職員が身を盾にして銃弾を防ぐような凄まじい訓練を、ふだんから行っているとのこと
 です。エネルギーの確保は、それだけの覚悟を持って取り組むべき課題といえます。