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 この本はバブル崩壊後の1994年頃に書かれたものであるため、時代背景に多少古さを感じるも
のの、筆者のバブル崩壊後の社会の予測と目指すべき方向については、今なお注目すべき事柄が多い。
 日本は、戦後の奇跡的成長と言われる高度成長期を経て不況時代へと突入した。大不況時代と呼ば
れるこの時代も、冷静に見れば、戦後の高度成長時代が特殊なのであって、それにすっかり慣らされ
た日本社会が、その後の社会を大不況と感じるだけなのである。高度成長期から停滞期に突入するの
は、豊かになった国の共通の現象のようである。
 これからは成長社会から満足社会への移行を目指すべきというのが筆者の持論である。満足社会と
はどんな社会か。それは人々がそれぞれ自分の好みを追求できる社会であるという。成長社会ではパ
ン(物財)を得るために、人々は自分の好みを押し殺して、規格にはまるように努力してきた。その
方がパン(物財)を得るには効率的だったからである。しかし、これからの社会は、自分の好みを前
面に出し、自分の好みによって生きられる、精神的に自由な社会の実現を目指すべきとのことである。
 考えてみると、戦後の日本はパン(物財)を得るために成長社会を目指したが、そのために、血縁
社会や地縁社会が崩壊し、職場(会社)だけで繋がる職縁社会が出来上がってしまった。この職縁社
会は、成長を目指す社会では効率的でよい社会システムであったが、心豊かな人間的な社会かという
観点からみれば、とても異様な社会である。成長が止まり斜陽化が始まった日本社会では、この異様
さが少しずつ姿を現してきているように感じる。毎年3万人以上の自殺者が出ているのも、その現れ
の一つのような気がする。職縁社会では、会社をリストラされると、心の拠り所を失い、人生の終わ
りのように感じるからである。
 このような異様な社会を脱するためには、職縁で繋がる社会ではなく、好縁で繋がる社会にしてい
かなければならない。自分の「好き」を通じて繋がる社会である。そのためには、これまで封印され
てきた自分の好みを早く再発見することである。自分が本当はなにが好きなのかを見つけるのは、以
外に難しい。自分の好きそうなことをいろいろやってみて、その中から本当に好きなことを見つけて
いくしかないだろう。そして、同じ好みを持つ人たちとの繋がりを広めて、好き者同士の交流を深め
ていく。幸せな社会とは、自分の好きなことができる社会なのだから。

はじめに
 ・戦後一貫して成長拡大を遂げてきた日本経済では、株や土地だけでなく、あらゆる施設や利権が
  将来はより有効に機能するという信念ができていた。このため、企業も個人も、将来の利用にも
  耐え得る高級で大きめの投資を早めにすることが有利だ、と考えた。つまり、先行投資への焦燥
  感が社会主観として定着し、これが現実の使用価値や投資利回りよりも高い時価を生み出してい
  たわけである。
 ・1970年代には有力な新商品がなかったため、日本の消費者の間には「欲しいものがない」現
  象が始まった。これを打開するために、官・業・学に言論界も加わって、高級化多様化宣伝が行
  われた。生活の「量」的拡大よりも「質」的向上が大切という主張を基に、一方では社会資本の
  充実が、他方では消費の高級化、多様化、ブランド化が必要だと宣伝されたのである。この宣伝
  で、官僚は権限意識を高め、技術者は自己満足を追求し、消費者は虚栄心を煽られた。この結果、
  日本中に過大な公共施設と過剰品質の商品サービスが溢れ返った。
 ・日本の経営者と消費者は、バルブ崩壊で利口になったといえるだろう。まだそれが目覚めていな
  いのは、国公債の発行と増税に期待している政府や自治体の官僚だけである。
 ・近い将来に景気が回復したとしても、低価格志向となった日本の消費者に再び高価な商品を求め
  る習慣が復活することはないだろう。一旦崩れた社会主観を再現することは、失われた信仰を復
  活するのと同じで、非常に難しい。
 ・日本の製造業が従来のような強い国際競争力を維持するためには、日本社会全体がローコスト化
  することが求められる。きわめて高い生活費で暮らす高賃金労働力を用いて、製造業だけが競争
  力を維持できた時代は終わったのである。
 ・日本社会全体をローコストする道は二つある。第一は、大幅な円安にして為替ルートを購買力平
  価に近づけることであり、第二はあらゆる分野の効率を向上して円高に合わせたコスト引き下げ
  を試みることである。後者の場合は、長期にわたって各種の物価が下落するデフレ現象を伴うの
  で、企業経営は相当に厳しい状況に追い込まれる恐れがある。一時的には、かなりの失業者も覚
  悟しなければならない。だが、それ後では、余裕ができた人材と資本と資源が新しい産業を生む
  可能性が大きい。つまり、日本人の生活水準が本当に向上するわけである。

「はじめのはじまり」の日々
 ・一つの時代の体制が崩壊してから、次の新しい体制が確立するまでには、約十年を要する。最初
  の四年は旧体制の破壊と清算に費やされ、次の二年間ほどは新体制の方向を模索する期間に当て
  られる。そして最後の四年ほどで、新体制の主流となるべき組織や人材、手法や産業が確立され
  る。
 ・日本は多くの低生産性分野を抱えながらも、製造業のずば抜けた生産量と国際競争力によって、
  経済大国の地位を獲得した。だが、今、その製造業の競争力が急速に低下している。その反面、
  流通、輸送、建設、情報、公務など、低生産性分野は目覚しい改善が見られない。特に情報ソフ
  トの立ち遅れは深刻である。米国では映像制作やデザイン開発に集まる過激な創造力を持つ個性
  が、日本では劇画とゲームソフトに集中している。日本の企業組織には、彼らを収容し活用する
  包容力が乏しいからだ。
 ・日本の製造業は今、一方では米国の巻き返しにあい、他方ではアジア諸国の追い上げを受けてい
  る。これをはねのけて繁栄を続けられるか、それともこれに代わる産業が育つか、いずれも容易
  なことではない。日本の将来を論じる場合、「経済大国の日本が」という前置きで語る人が少な
  くない。だが、その前置きも、今や怪しくなってきているのである。
 ・この国の中高年は、経済的には子育てと住宅ローンに、時間的には通勤と残業に、心理的には職
  場と同僚に縛られ、独自の消費文化を創る余裕を持たなかった。だが、若者の数が減少するこれ
  からは、若者文化が日本社会をリードするだけのパワーを持たなくなるだろう。
 ・高齢者用のものはいかにも少ない。高齢者専用の本も歌もないし、高齢者用衣服もない。スポー
  ツといえば、ゲートボールぐらい。施設といえば老人ホームぐらいで、高齢者公園もこの国では
  まだ設置されていない。欧米ではかなり普及しているレストランの「シニア・メニュー」すら、
  日本ではごく珍しい。
 ・英国や北欧、ドイツ、米国で出現している社会は、そんな理想図とはかなり違っている。そこで
  は、経済成長率は低下したが、高度な産業だけが集まっているわけではない。豊かな生活の周囲
  にはホームレスや貧しい移民が溢れている。倒産も失業も離婚も麻薬も多く、所得格差は拡大し
  ている。到底安定した状態とはいえないし、ますます言えなくなりつつある。
 ・高齢者介護や福祉事務にかなりの労働力が奪われるとすれば、生産的な産業に従事する人数は、
  より劇的に減るだろう。労働化率が世界最高水準(52%)にまで達した日本では、これからは
  むしろ家庭に留まる者が増えそうだ。どの家庭も共働きで、幼児も老人も養えない「火のない家
  庭」が増え過ぎることの不幸は、既に「北欧諸国で強く指摘されている。日本の労働化率は、既
  にその北欧に劣らぬ高さなのである。人口が減り、全体の経済規模が同じでも一人当たり所得が
  伸び、住宅を増やさなくても有り余る世の中。それは日本人の記憶にも想像にもない社会である。
 ・これからの数少ない若者たちは、競争と成長性の激しかった時代に育ったこれまでの日本人とは
  違った人生観を持つだろう。
 ・日本では、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等のマスコミを通じて一般大衆の楽しみと教養のために
  流される情報は年間約7兆円。書籍やビデオ、ゲームソフトを加えても10兆円に足りない。建
  設業の90兆円、自動車産業の60兆円にはもちろん、パチンコ業界の総売上16兆円にもはる
  かに及ばない。
 ・今後の情報化、ソフト化は、物財の生産流通や金融を離れて、人々の楽しみと教養のための価値
  創造が主流となるだろう。モノを造り売るためではなく、人々の持つ時間をより楽しくするため
  の情報やソフトが重要になってくるだろう。そんな産業と人材が育てられるかどうかが、成熟化
  した日本社会の盛衰を決定するに違いない。
 ・不況の長期化と深刻化によって、日本の企業でも終身雇用・年功序列の維持が難しくなり出して
  いることは、国民の多くが感じている。一方では、露骨に解雇とはいわないながら、出向や配置
  転換、隠微は肩たたきによる人員整理が実行されているし、他方では年俸制の導入や能力給の査
  定によって年功賃金体系が崩れ始めている。
 ・中高年が閉鎖的雇用慣行によって企業内に充満し、その地位と給与にふさわしくない仕事を行っ
  ている半面で、次代を担う若者たちが学生や研究生という名の潜在失業者として職場から疎外さ
  れているのでは、社会的損失も家計の負担も大きい。これでは家計は最悪に備えようとするため、
  需要と活力がそがれることになる。
 ・「現状死守」は、悲壮な決意のようでも、実は最も安易な決定である。一見は現実的で何か苦境
  を支えられそうに思えるが、実際にはすべての面で負け戦を繰り返すことになる。一旦、「現状
  死守」の体勢に入ると、どこもここも苦戦になるのでますます機動力は失われる。
 ・今、日本企業にとって必要なことは、戦略的後退によって経営機動力を回復することであり、そ
  のために大胆な見切りを行い、次代の攻勢的投資分野を発見することである。政府に求められる
  のは、企業と家計とが大胆な発想の転換ができる将来への透明性と流動性を拡大することだ。
 ・今日の政治には、官僚機構を抑制する実力も総合調整を実行する能力もまったく見られない。政
  治家たちが行っていることは、自らの「政治業界」の組織維持争いだけである。
 ・政治の外側にいる国民大衆から見れば、醜い権力闘争に明け暮れる政界の現状は、馬鹿らしくう
  んざりだ。しかし、ここしばらくの模索の時代にそれを否定するとすれば、恐るべき独裁に道を
  開くことになりかねない。いや、独裁よりも危険な官僚統制を招く恐れが大きい。今は馬鹿馬鹿
  しい政治に耐えなければならない時期なのかもしれない。
 ・組織の管理運営には、三つの制御手段がある。第一は予算管理、第二は人事管理、第三は士気制
  御だ。経費の削減や遊休資産の売却、設備投資の制御や重点配分は、予算管理の基本である。余
  剰人員の削減や再配置、新規採用の中止、欠員不補充などは人事管理に属する。斬新は発想を持
  つ若手を抜擢したり、外部の能力者を高いポストに入れるのも、その一つだ。
 ・求心力と忠誠心の強いばかりがよいとは限らない。求心力は発想と行動の閉鎖性を生み、忠誠心
  は機能組織に共同体化の危険をもたらす。成長一途の時代には絶対の善とされた「やる気」と
  「馬力」も、しばし無駄な経費と不利益な事業を作る。拡大意欲の半面には、縮小撤退を困難に
  する厄介な性癖が潜んでいるのだ。
 ・成長から成熟へ、分かりやすい求心力から分かり難い拡散へと変わるこの時期、時には、またと
  ころによっては、あえて士気を低下させることで、リストラクチャリングとエンジニアリングを
  実現する組織気質を醸成することが大切である。「やる気」と「馬力」を絶対の善とする組織風
  土から抜け出すリマイディングこそ、それに先行するべき課題だろう。

改革の秋ー未来に沿った臨機の策を
 ・解雇もないが中途入社も少ない閉鎖的雇用慣行に浸ってきた日本人は、解雇恐怖症、倒産驚愕症
  が根付いている。一度倒産、人員整理の雇用不安が現れれば、過剰な防衛本能から消費需要が激
  減する恐れが大きい。当然それは、さらに深刻な不況を招くことになるだろう。
 ・日本の総需要に占める消費の比重は、諸外国に比べると低いが、それでも総需要の六割に近い。
  これが伸び悩みから縮小したのでは、少々の公共事業を追加したぐらいでは追い付かない。「究
  極の需要」である個人消費が増えなければ、過剰設備の解消も企業経営の改善も、根本的にはあ
  り得ない。
 ・社会的には、第一に東京圏の過密過大化と、地方農山村の過疎という地域的な不均衡がある。次
  には、高齢者の急増と幼少年層の減少という人口の不均衡が進んでいる。そして第三には、強す
  ぎる職場社会と崩壊してしまった地域社会という人間関係に強弱の不均衡がある。
 ・日本人の大多数が最も信頼する職場社会には過剰雇用者が二百万人もいるという。大都市では鉄
  道も道路も大混雑だが、地方には広い空き家とガラガラの道路が珍しくない。大都市の都心には、
  バブル時代に買収された土地や建てられたビルが未利用のまま大量に放置されているのに、往復
  4時間以上もかかる遠方でせっせと住宅が新築されている。
 ・最近は劇場や多目的ホールがたくさんできたが、その利用率は低く、利用されている日も観客は
  概して少ない。このため観客用の売店や食堂は経営難でサービスは低下するばかりだ。衛星放送
  やCATVがいくつもできたが、魅力的な放送番組が少ないため、ほとんどが大赤字だ。つまり、
  ハード過剰、ソフト不足の不均衡が深刻になっているのである。
 ・これまでも政府の各省庁は、消費者拡大のための施策をたくさん行ってきた。少なくとも担当の
  官僚たちはそう主張し、そう信じている。だが、その内容は、消費者の安全に名を借りた規制と
  基準の強化であり、利用者の平等や公平を守るためと称する許認可の拡大であり、地域格差の是
  正を旗印とした地域の個性と誇りの消滅政策であった。
 ・供給者の縦割りに組織された官僚たちが消費者保護や生活充実を考えば、結果としては消費者の
  選択を狭め供給者を保護する規制強化策ばかりが出てくる。官僚自身の本能となっている権限意
  識に、供給者側の専門情報だけがつぎ込まれるからだ。
 ・消費者優先とは、官僚の保護と許可を得て国民が安全かつ安定して生きる社会では決してない。
  もしそうなら、消費者優先の生活大国の究極の姿は、「監獄国家」になってしまうだろう。
 ・消費者優先とは、消費生活の安全や安定ではなく、消費者自身の好みによる自由な選択ができる
  こと、そして、それによって国家や自治体の政治と市場に出回る商品や企業の盛衰が決められる
  こと、つまり消費者主権が確立されることなのである。
 ・したがって、消費者優先の生活大国においては、権限は限りなく多くの個人に分散されなければ
  ならない。生活者が自らの好みに応じて居住地を選び、そこで好みの職業に従事できる分散型の
  地域構造である。そして何よりも、各人が自らの好みや能力に応じて個性を発揮できる多様性を
  許容する個人主義的な社会である。
 ・もっとも、このことは、所得や生活水準の格差を是正する福祉政策を否定するものではない。自
  由競争市場であり、多様な個性を許容する消費者優先社会であればこそ、避け難く生じる所得の
  格差を、課税と福祉によって是正する必要が生じる。
 ・ここでの福祉政策は、あくまでも人間の生活を対象としたもので、組織や職場の地位を守るもの
  ではない。つまり、消費者の利益のために非効率な企業の倒産、価格の高い商店の廃業、不適任
  は教師や公務員の解雇は許容しなければならない。それによって所得を失う人々には、その生活
  を維持する福祉を行うべきだ。
 ・権利には、必ず責任が付きまとう。消費者の選択によって、国家や自治体の政治行政も、商品や
  企業の盛衰も決まる消費者主権を確立するとなれば、消費者一人一人が自分の選択に責任を持た
  なければならない。
 ・消費者が責任を持って選択できる社会条件の第一は、豊富で多様な情報があることだ。
 ・戦後半世紀近く、いや明治以来百二十年余り、官僚主導型の供給者育成体制を採ってきた日本に、
  そんな理想的な消費者優先社会が短期間でできるわけがない。多くの国民は役所の規制も指導も
  ない自由には、不安と戸惑いを感じるだろう。官僚と供給者の手から消費者が「主権」を奪い取
  るには長い試行が必要だ。しかし、豊かになった日本が本当に幸せな生活大国になるための未来
  展望としては、この方向を明確にすべきである
 ・目下の急務である不況対策においても、消費者優先の生活大国を目指す需要振興を考えるべきだ。
  それはつまり、多様な情報が多元的に発信される状況に近づけること、消費者大衆を対象とした
  広義の生活関連情報を拡充普及することである。
 ・全国各地から情報発信が増加し、多様なライフ・スタイルや旅行観光の選択が行われるようにな
  れば、日本人の生活はずっと楽しくなり、消費も大いに伸びるだろう。
 ・これまでの日本は、消費を抑え投資を促進し、少品種大量生産を拡大してきた。政府ばかりか地
  方自治体も公共事業や施設造りには熱心だが、情報発信にはいたって不熱心だった。これからの
  時代には、政府も自治体も、企業も学校も病院や文化施設も積極的に情報を発信すべきだ。それ
  が情報加工の技術と人材とを育てることにもなるはずである。
 ・今日の日本では、経営者は五年、政治家は十年、官僚は十五年、現実の世の中の変化から遅れて
  いる。個人の素質ではなく、組織構造と情報ルートのせいでそうならざるを得ない。これを避け
  るには、多様な情報網と敏感な感覚と厳正な倫理観を持つ必要がある。
 ・組織の階段を一つ一つ登り詰めてトップに至った人々こそ最も多くの成功体験を積んでおあり、
  社内の調和と周囲の評価を気にするタイプが多い。このため、自分では「なるほど大変だ、事態
  は深刻だ」といっていても、内心は「何とかなる」と考え、変革を先送りにしてしまう。
 ・死活の危機感と長期的責任感のない組織気質の中では、「現実的」という言葉が、目的達成の可
  能性ではなく、着手の容易さを指すようになってしまうのだ。これでは、経営者の動きは実際の
  世の中より既に五年遅れるのも無理はないだろう。
 ・政治家の中には、過激な情熱と自己顕示欲の持ち主が多いから、中には過剰反応をする者もいる。
  大衆の激情や組織の徹底主義が変化を加速、とめどない変革に入ることもある。反応の遅い政治
  が、時には現実社会を引っ張る革命勢力となることもあるのはこのためだ。
 ・歴史の中には、トップの改革意識にもかかわらず官僚機構が動かなかったため、変化に対応でき
  ずに消滅した王国や王朝の例はいくつもある。徳川幕府も、昭和の大日本帝国も、そのようにし
  て滅んだ。
 ・今、多くの企業は真剣なリストラに取り組んでいるが、その主要なものは投資の削減と人員の配
  置転換、まさに1990年にやるべきことだ。特に人員の配置転換の内容は、だいたいが本社管
  理部門や生産現場の工場から営業販売に移す、というものだ。これでは、生産コストを流通コス
  トに付け替えているに過ぎず、工場蔵出し価格は下がっても、国内の消費者価格は下がらない。
 ・ほとんどの企業経営者は、まだこの変化に対応した発想の転換を行っていない、ようやく一部の
  先覚者的な経営者が、商品規模と生産工程、流通ルートの変革による価格破壊に乗り出しただけ
  だ。
 ・長い間、日本の官僚は優秀だ、と言われて来た。今も、大部分の人々はそう信じている。だが、
  本当にそうだろうか。
 ・大蔵、通産をはじめとする各省のエリート官僚(いわばキャリア組)には、戦後の高度経済成長
  の指導者として日本を経済大国に育て上げた実績がある。大部分は一流大学を卒業して第一種公
  務員試験に上位で合格した人々だ。その上、彼らの長時間勤務と議論の精密さは人々を驚かす。
  欧米諸国の官僚に比べても、所管の法令や事例に詳しい点ではまず最高であろう。しかし、昭和
  初期の高級将校がそうであったように、これだけのことで、日本の官僚は優秀だ、とは言い切れ
  ない。特に国政の重要決定を任さられる能力と立場の人たちとはいえない。官僚は、各省庁別に
  組織され、それぞれの所管にのみ忠実であるように位置づけられて、教育されているからである。
 ・官僚のみならず、ビジネスマンも医師も政治家も、日本人は歴史や文化に対する知識が乏しいと
  よくいわれる。外交官や商社員で海外に駐在する人々でも、目下の仕事と日本からの来客接待用
  の観光コース以外は、駐在地の文化をほとんど知らない人も少なくない。このことが、外国人の
  日本と日本人に対する尊敬を妨げていることも、よく指摘されている。
 ・官僚機構というものが優れた組織的であり、組織として影響するものである以上、その組織的な
  行動と影響を評価しなければならい。この場合、個人の優秀さは、組織の中に埋没するだけでは
  なく、時には優れた個人の存在が、悪質な組織を美化し、世間の同情を集め、一段と悪しき影響
  を広げることにもなりかねない。

新しい政治の理念と対立の構図
 ・過去三十八年の間に、政策を不満として自民党を脱退した議員はほとんどいない。この党の中で
  重要だったのは、政権政策の差ではなく、選挙運動での金と応援体制の人脈、いわゆる「派閥」
  と、どの官庁に対応した部会を主要活動舞台にするかという「族」とである。このことは、自民
  党という政治家集団が、政見政策の立案組織ではなく、選挙と政権維持のための共同体だったこ
  とを示している。
 ・自民党が長期政権を保ち得た最大の理由は、「決断さえしなければ対立は生じない」という経験
  則を各議員が忠実に守ったことだ。
 ・国際協調を重視し、消費者主権の市場経済を目指すならば、当然政府の規制は緩和撤廃され、
  「弱い政府」にならざるを得ない。従って、「小さい政府」にもなるだろう。
 ・これに対して、あくまでも結果の平等を実現すべく「大きくて強い政府」を築き上げるとすれば、
  国内経済においても相当の規制統制が不可欠だ。巨額の税収を上げ高水準の福祉を実現するとな
  れば、経済と生活の各面にわたって政府が調査の目を配り、規制の手を入れなければならない。
  個人に自由な選択を許し、その結果生じる失敗や損失を政府が補償するとなれば、個人はますま
  す無責任となり、政府の財政支出は限りなく膨らんでしまうだろう。
 ・自由化は、効率化をもたらすとは限らないが、必ず多様化を生み出す。
 ・日本が国際協調を強め、消費者優先の市場経済を志向することは、同時に「小さくて弱い政府」
  のもとでルーズな社会を許容することでもある。

先楽後楽の発想
 ・困ったことにこの国には、今なお「勤勉貯蓄は善、娯楽と消費は悪」という石門心学的倫理観が
  はびこっているのである。
 ・現在の日本経済には、別に特殊なことが起こっているのではない。高度成長が限界に達し、高貯
  蓄高投資の成長構造が行き詰った時期には、いつの時代、どこの国でも見られる現象が繰り返さ
  れているに過ぎない。ただそれに、世界的な冷戦構造の消滅と将来の人口高齢化という長期的な
  構造変化が付加されている点が、要注意なだけである。
 ・今、日本がなすべきことは、冷戦構造の消滅と将来の高齢化社会に備えつつ、高度成長構造から
  の離脱を図ること。つまり消費性向を引き上げ、減退した投資に見合うまで貯蓄を減少させるこ
  とだ。やたらと公共事業を拡大して、民間投資の不足分を埋め合わすことでは、決して解決され
  ない。ましてや高齢化社会の恐怖を煽って増税と行政権限の拡大を図ることなど、あってはなら
  ない。
 ・内需拡大とやらで、公共事業費ばかり増えれば、建設業の比率は減らず、それを維持するために
  はまた公共事業を増やし、その支出を賄うのに増税をすることになる。つまり、高度成長構造か
  らの離脱とは逆の方向に進んでしまう。
 ・今、日本にとって必要なことは、高度成長型の建設主導型社会から徐々に撤退、消費充実の成熟
  型社会に移行することだ。このためには、建設業の整理縮小も避けられないし、その過程では、
  建設業の利益幅の圧縮も必要になるだろう。
 ・各省各地域が公共事業を求めるあまり、その事業別分配を変えられないようでは、公共事業のた
  めの公共事業、つまり予算を使うことだけを目的とした建設事業が増え、ただただ税金がばら撒
  かれてしまう。不急不要な事業をなくすためには、それが儲からないようにしなければならない。
 ・公共事業さえやっておけば、「将来の世代」の負担が軽減するとは言い切れない。公共事業で造
  られたモノが「資産」として国民経済に益するとは限らないからだ。場合によっては、公共事業
  で造られるモノ(施設)の維持運営に膨大な手間と費用がかかり、「将来の世代」により重い負
  担を強いることもあり得る。
 ・これからの公共事業は、より夢のある事業へと傾斜すべきだ。その第一は、「外に開かれた日本」
  のためのプロジェクト、例えば国際空港の建設である。第二は、本当に未来の高齢化・成熟化社
  会に役立つ施設と技術だ。例えば、将来の豊かな少子社会を考えれば住宅は過剰になり、戸数よ
  りも品質が問題になるだろう。そんな時代にも利用できる豊かな住居を造ることが、今は必要だ。

好縁社会のコンセプト
 ・三十代までは先輩上司の指導で力いっぱい働けばよかったが、四十を過ぎると自らの判断で目標
  を定め、後輩や部下を導かなければならない。三十代までの優秀社員は活力と馬力のある者だが、
  四十を過ぎれば効率よく仕事をこなす企画力と事の軽重を見分ける調整力が重要になる。頭もよ
  ければ意欲も満々だった有望社員が、管理職になって行き詰まるのは、記憶力と馬力に頼るあま
  り、中年以降に重要な能力を養わないためだ。
 ・東京一極集中を抜本的に改めなければ、この国土の開発余地はそれほど多くはない。ただし、こ
  れは日本国土の物理的は制約というよりは、人口や産業の配置にかかわる点が大きい。首都機能
  の移転が実現すれば、全国の開発余地は大いに広がるし、東京にも国際的な機能を追加する余地
  が生まれてくるだろう。
 ・この国の技術開発の余地の大きいのは、情報や組織管理などのソフト、それに行き詰まった日本
  式経営に代わるヒューマンウェアであろう。
 ・なにより問題は、官僚機構から大企業や業界同体まで、日本の巨大組織の多くが著しく硬直化し、
  人材と土地資源と情報の流れを悪くしている点である。この結果、日本は技術水準が高く労働の
  質がよいといわれながら、労働生産性は先進国の中では低い部類であり、事業の完成は世界でも
  最も遅い国となっている。
 ・自由市場経済を貫いた米国では、効率の高い製造業が国外に流出、高級高質の流通業やサービス
  業も衰退している。家電メーカーや自動車部品の工場が、東アジアやメキシコに移っただけでは
  ない。百貨店が次々と倒産してディスカウントストアに代わり、高級ホテルが寂れてモーテルが
  増えている。この結果、中流の所得が得られる職場が減少、低賃金の職場とそれを操る小数の高
  所得者と二極分化してしまった。しかもそこでは、低賃金に職場にすらあり付けない失業者やホ
  ームレスも大量に発生している。
 ・同じことがドイツやフランスにも拡がりだした。今、これらの国を悩ましているのは、技術者と
  ホワイト・カラーの失業増加、つまり高賃金の職場の減少である。中産階級の没落と失業者の増
  加は、米国に独特なことではなく、成熟化社会の一般的な現象らしいのである。
 ・中高年がやたらと若振るのは醜い。中年が若者と馬力を競うのは愚かだ。肉体的にも年を加え社
  会的立場も変化すれば、それ相応の考え方をしなければならない。その手始めは、より複雑な世
  界を理解し、多様な視点を持つことである。
 ・これからの日本では、結果としての数量だけではなく、それに至る速度と効率、今日の楽しみや
  便利さという時間的思考が重要になる。例えば、公共事業の完成に至る速さ、企業の利益質や理
  想像への接近度などが問題になるだろう。特に製品開発においては、追求する機能と美意識を実
  現するコンセプト・エンジニアリングの手法が重要になるだろう。
 ・何より重要なのは、われわれ自身が組織図の中の位置を求める空間的発想から、能力発揮と仕事
  の楽しさを求める時間的発想に変わることだ。人生にとっての幸せとは、究極的には好きなこと
  ができることだ。経済も政治も産業も文化も、そのための手段として活用すべきものである。
 ・日本や欧米などの先進国では一人当たりの生産力と消費量が何百倍になったというのに、大部分
  の人々は、今なお人生の大半をパンのために費やしている。経済の発展とともに、人間の求める
  パン(物質)の量も増大したからである。特に今日まで続いた近代工業社会は、物財の多さに幸
  せを感じる価値観を拡げ、それを満たすための社会の仕組みへと人々を追いたてた。結果として
  は、物財生産量は急増したが、パンのみに生きる人々の比率は減らなかった。
 ・技術は、今後も進歩するだろうが、社会的インパクトの逓減は免れまい。
 ・近代文明を生んだ欧米の思想は、欧米に見習うことが進歩であり近代化だと信じて来た日本の考
  え方とは大いに違っている。日本でも、十六世紀の戦国時代には過激なまでの独創力が発揮され
  評価されたが、十七世紀初頭に徳川幕藩体制が確立して以来、あらゆる事柄が様式化され、パタ
  ーン化された。先人のやり様を巧みに踏襲することが正統な流儀となり、個性は「くせ」といわ
  れて嫌われ、独創は「我流」と呼んで軽蔑された。明治維新は、絵画から柔術まで多くの流派を
  破壊したが、それに代わったのは欧米の近代文明を模倣する官僚主義、最初に欧米に知識や技術
  を導入した高級官僚や帝国大学教授を「家元」のようにあおぐ人脈の形成であった。
 ・ところが、自ら近代文明を生み出した欧米では、個性と独創、日本的にいえば「くせ」と「我流」
  こそが、人類の文明と経済を発展させる進歩の源泉として尊ばれて来た。先人の道に習う「流派」
  は、せいぜい「先生の偉業を伝えるレッスン・プロ」としてしか評価されない。
 ・地球と人間には限界がある。人類は地球の隅々にまで探査の手を拡げたが、資源と環境には限り
  がある。技術はますます進んだが、社会的効果は逓減する。人間が許容できる刺激と興奮には限
  界がある。企業が売り出す商品の性能と数量にも、消費者を喜ばす限度がある。
 ・世界の成熟化が進むにつれて、新しい創造を生み出さねばならないという焦る気持ちと、人々が
  本当に欲しいと思う楽しみとの間に、ギャップが生まれ出しているのだ。それでも創造だけが価
  格が高く、進歩だけが正義という近代工業社会に美意識に取りつかれた現代人は、新しいものを
  評価しなければならない、と苛立っている。いわば人間の限界が、人間をして自らの好みと感覚
  に不正直にしてしまったのである。
 ・本当の幸せとは、自分の好みが実現することだ。しかし、これは簡単ではない。好みを実現する
  ためには、お金もいれば、時間もいる。好みのモノとサービスと情報が簡単に手に入るだけの供
  給の多様さと選択の自由とが、社会的に実現していることも欠かせない条件だ。
 ・今この国で最も欠けているのは、多様な供給と多元的な情報発信である。
 ・幸か不幸か、大部分の人間は、自らに潜む個性を抑えて社会の統治統制に従うことができる。長
  い間、パンを得ることに苦労して来た結果、人間は生まれ落ちた瞬間から、本当の欲求から目を
  そらすように教えられることに慣らされた。
 ・近代教育の最大の特色は、まず読み書き計算などの一般知識を教え、そのあとで専門知識へと進
  むことだ。このことは、子供たちがまず、好き嫌いにかかわりなく、一定の勉学を強いられるこ
  とを意味している。つまり、本当の好みを主張すれば悪評を浴び、落伍者になる仕組みに押し込
  まれてるわけだ。
 ・大人になって職場組織に属し、家族を持って社会と接するようになれば、それがさらにひどくな
  る。この結果、人間はいつしか自分のしたいことを考えなくなり、世間の評判に自らを合わそう
  とする。「好み」よりも「有利」を選ぶのが習癖となってしまうのだ。
 ・今日の日本は、近代化が極端に行き渡った社会と言える。人間教育における学校の比重は大変大
  きいし、その学校の規格化と教育内容における没個性化も徹底している。この国の教師たちは、
  生徒の得手を伸ばすよりも、苦手をなくすことに熱中する。すべての人間を長所も欠点もない
  「まん丸人間」にすることが正義だと信じているのだ。
 ・景気の自律反騰とは何か。一言でいえば、消費者の「節約疲れ・貯蓄飽き」による消費需要の回
  復である。
 ・1990年から始まった今回の不況は内初型、バブル景気の崩壊と消費の低迷によって引き起こ
  されたものだ。従って、景気の回復も自律反騰に期待しなければならない。
 ・損得の予想に依存する需要は決して長続きしないが、欲求に基づく需要は長く続く。これは長期
  計画を誤らないためにも、再びバブルに陥らないためにも、覚えておいてよい格言だろう。
 ・官僚機構にはコストを引き下げようという真剣な努力も、価格引き下げによって需給均衡を回復
  しょうという自由経済の意識もない。彼らが望んでいるのは、責任を追及されるような明確な事
  件や事故がないことと、規制権限の拡大、天下り先の確保だけである。
 ・官が楽をするために民に窮乏を強いる「官楽民窮」の事例が積み重なれば、日本の消費者は再び
  節約のカラに閉じ籠ってしまうだろう。
 ・企業としては、給与の高い中高年を切って新卒者に代えたいだろうし、日本全体の生産効率から
  見ても、それが望ましい。だが、終身雇用などの閉鎖的雇用慣行が根付いているこの国では、そ
  れを実現するのは難しい。大部分の企業は、定年などの退職によって人員が減るのを待つ一方、
  新卒採用を厳しく抑えるだろうし、政府もそれを勧めるだろう。結果としては失業統計に表れな
  い留年学生や家事手伝いが増え、家計を圧迫し消費に水を差す形になりかねない。これでは、人
  員の適材適所の配置も妨げられるし、日本全体の効率化も進まない。
 ・これを避けるためには、終身雇用体制から徐々に脱却、人材の流動性を高め得る状況を制度の面
  で整えるとともに、社会的にも個人的にも流動化に備える発想と心理を養っていかねばならない。
 ・今、われわらが求めなければならないのは、職業においても消費においても、人間関係や居住地
  域でも、選択の自由が確保されると同時に、人間らしく生きる安心と楽しみとを保持できる制度、
  つまり国が、企業は組織ではなく、人間そのものを守る体制である。これが実現し実効を現すた
  めには、人間の方も変わらなければならない。一つの組織に所属することだけに存在感や誇りを
  持つのではなく、自ら正直な気持ちでの好みを追求できる心理を備えなければならない。名刺の
  肩書や胸のバッジではなく、自らの能力と経験とライフスタイルに自信と誇りを持たなければな
  らない。
 ・産業構造が変化し、技術と組織が変革するこれからの時代には、一つの才能が同じ職場で常に有
  用とは限らない。自分の有用性が低下した職場にしがみつこうとすれば、気がねと屈辱を味わう
  ことになる。自分の気持ちに正直であれば、その苦痛はバッジの効用や多少の所得の多さよりも、
  はるかに深いはずである。
 ・そんな苦痛に耐え続けたとしても、成長力の低下する成熟社会では、職場が無限に所得増加を保
  証してくれるわけではない。「人生八十年時代」といわれる長寿社会では、ほとんどの人が職場
  を離れたあとの長い人生を持つ。全人生を通じての幸せの総和を極大にするためにも、世評から
  離れて、自らの好みに正直であるべきだ。
 ・人間は経済的な繋がりだけで生きていけるほど心強くはない。モノや労働力の売買のほかに、情
  報の共有や娯楽の共同によっても結び付こうとする。何よりも自らの属する集団(組織)を誇示
  することで、社会的威圧を加えようとする習性がある。
 ・この国にはもともと宗教意識は薄いし、地域による言語や人種の差も乏しい。加えて、戦後の急
  激な経済成長で人口が激しき移動、血縁も地縁も崩壊したため、職場の縁以外に頼れるものとて
  ない会社人間の大群が生まれた。日本のサラリーマンが仕事熱心な会社人間なのは、企業忠誠心
  や勤勉の精神のせいではない。職場共同体に浸り切る安心感が欲しいからでもある。
 ・パンを求める場に心預けるのは、決して幸せなことではない。パンのために心を歪めることにな
  りかねないからだ。しかし、人類はこれまで、多くの場合、そうして来た。一つには貧しさのた
  めにパンにあり付けない不安があったからであり、二つには無知のために自らの心に正直になれ
  なかったからである。
 ・成長社会では、より多くのパンへの欲求をかき立てることで人々の不安を拡大し、規格化を実現
  するために人々の自らの好みに対する無知を助長した。成長は人々に共通の夢を与え、そのかな
  りを実現した点ではすばらしかったが、そのために人間の精神の自由を少なからず束縛したこと
  も見逃せない。
 ・近代工業社会に生きた人間は、自らの本心よりも世間の評価、なかんずく職場での評判を尊んだ。
  人口が増えず、資源環境に劇的な増加がなく、技術進歩の社会的効果が逓減するこれからの成熟
  化社会が、これまでの成長社会よりも優れた点があるとすれば、職場よりも自分自身の基準を大
  切にする自由が得られる点だろう。そのためには、それぞれの人間が、自らを尊ぶ精神の自由を
  意識して育てる必要がありそうである。
 ・近代工業社会の終焉は、職縁社会の崩壊をも意味する。これからは、それに代わる幸せ追求の共
  同体、好みの縁で繋がる社会が形成されるだろう。
 ・日本人の発想は「先優後楽」。まず働いて組織を育て企業を稼がせたあとでなければ、個人が楽
  しむのを許さない。だから最近の文明の利器を、早々と遊びに使うような不遜なことなど、思い
  もよらないかも知れない。行政や供給業者の態度にも、それが反映している。技術の開発と施設
  の充実には熱心だが、一般消費者への普及のための価格引き下げやおもしろおかしいソフト作り
  には関心が乏しい。つまり高価でも精巧さ正確さを求める資本財向きの発想なのである。
 ・日本は国民総需要に占める投資(設備投資、公共投資、住宅投資)の比率が諸外国に比べて非常
  に大きいが、それでも全体の六割近くは個人消費である。だから、新技術も新産業も、個人消費
  の分野で使われるようになると需要が急増、大量生産効果が発揮されて価格も低下する。
 ・仕事からはじまった日本の情報化には楽しさがない。「未来は情報化社会」といわれても、心と
  きめく響きがない。むしろ気ぜわしさと時代に遅れる危機感を覚えてしまう。それにもかかわら
  ず、「情報化」の言葉ばかりが先行したため、金融機関や商社、メーカーがやたらと情報機器を
  購入した。何となくそれが未来型の価値を生むような幻想にとらわれたからだが、結果としては
  物財の生産や流通、それにまつわる金融や不動産取引のコストをつり上げることになってしまっ
  た。
 ・血縁社会でも地縁社会でもなく、職縁に頼らねばならなくなった不安の工業社会で、自動車と持
  ち家とAVの面白さと騒々しい選挙運動に代表される米国式政治の透明性は、世界の中流階級に
  とってひどく魅力的であった。だから、こうしたアメリカン・ライフが知れ渡るにつれて、多く
  の国々が米国と同盟し、世界中の人々が米国に憧れるようになった。
 ・日本が来るべき知価社会で世界の一流国として尊敬と憧れの対象になるためには、楽しい知価創
  造、つまりおもしろい情報化を目指す必要がある。情報機器の発達と普及によって、それを可能
  にする機会は十分にあるはずである。
 ・人間の生存のための必要は共通しているが、好みを満たす欲求は千差万別である。人間が生存を
  目的として必要を追求している間は、たとえそれが豊かな生存であったとしても、共通の供給に
  よって充足することができる。近代工業社会が掲げた科学的客観性とは、主として豊かな生存を
  可能にする共通の必要を追求する尺度だった。職縁社会は、それを実現するためにできあがった
  社会形態といってもよい。
 ・これからの消費者は、多くの場合、自己の追求を満たすぎりぎりの物財やサービスを求めるだろ
  う。そのほうが、本当に自分の好みを満たす商品やサービスに、より多くを費やすことができる
  からだ。従って、単純機能の廉価品に囲まれた生活の中でも、時にはきわめて高級高価な商品も
  購入するだろう。
 ・これからの高齢化・成熟社会では、生産(所得)よりも楽しみ(満足)へと人々の感心は移行す
  るに違いない。人生の幸せは、所得の高さではなく、好みを満たす度合いだと感じる人々が増え
  るだろう。だが、ここでいう「好みを満たす」の中には、他人の同意と尊敬を得たいという自尊
  の願いが、大きな比重を占めていることを忘れてはならない。

未来の優良企業は「有想企業」
 ・今日、企業従業員の圧倒的多数が終身雇用と年功賃金を支持していることは、この制度に慣れ親
  しんで耐えられるようになった者だけが、まともな企業人として認められているからだ。日本で
  も、能力買い取り型の短中期雇用と応能賃金とが拡まれば、それに適した人材が企業従業員の中
  で重きをなし、それを賛美する声を上げるだろう。
 ・忠誠心重視の組織運営は、仲間の不利不名誉を隠す情報秘匿に陥り、しばしばトップの判断を誤
  らせ、傷を深める危険がある。何よりの問題は、全体の忠誠心を維持するために、不要となった
  仲間を切り捨てることができない一方、忠誠心が疑わしい外部者の能力を利用できないことだ。
  共同体は、共同体に忠誠心を持った者だけで運営されるからこそ、維持できるのである。
 ・高度成長経済なら、忠誠心を前提にした職場共同体的企業経営で多少の無駄を抱え込んでも、無
  理と馬力で解消することもできた。独創や個性が不要で、協調性が重要な規格生産なればこそ、
  不適材も活用できた。能力の劣る者でも、型にはめればそれなりに使えた。仲間意識で周囲が補
  うようになっていたからである。
 ・消費者の欲求が、物財の量よりも多様な質へと移れば、多様な個性と独創が必要になる。みんな
  が型にはまった協調性だけでは、消費者の欲求変化には対応できない。消費者が低価格を志向す
  れば、不適材を抱え込んで使うことも難しい。臨機に応じて外部の能力も使わなければならない。
 ・これからの時代には、企業も組織も、職縁社会型の忠誠心依存から、好縁社会にふさわしい好み
  で仕事をする人々の集団に変わらねばならない。
 ・企業は必要な能力を買い取るために従業員を雇い、能力にふさわしい賃金を支払う。従業員は能
  力を最大限に発揮できる好みの職場を選び、その成果にふさわしい対価(賃金)を要求する。そ
  れが好みの仕事なら、気が済むまで働くのもよい。好みと自己実現のために、仕事をするのは幸
  せなことだ。
 ・誰もが労働時間を短縮して余暇と取らねばならないわけではない。懸命に働いて高所得を追求す
  るのも、ゆとりを大切にして低所得に甘んじるのも、人間に許される選択の自由である。人間を
  終身雇用と年功序列賃金体系と退職金累進制度で職場共同体に縛り付けなければ安心できないと
  いうのは、本質的には従業員不信の発想ではないだろうか。
 ・本当に効率的な経営を行うためには、サラリーマンの職業倫理を信じ、その能力を存分に発揮さ
  せる適職を与えるべきだ。それができる企業こそ、職縁社会を越えて生き残る会社だろう。それ
  ができなくする制度や慣習があるとすれば、企業と従業員の間に浸み込んだ経営の「五五体制」
  の傷跡といわねばならない。
 ・もし日本が、国際的小国主義と消費者優先の市場経済と「小さい弱い政府」の巣ソフトな政治を
  目指すとすれば、供給者としての人間の場である職場は、消費者としての人間の好みを満たす
  「手段」の立場に留まるべきだろう。これからの企業経営者は、職場共同体の崩壊を恐れてはな
  らない。いやむしろ、それを積極的に推進してサラリーマンの職業倫理を信じる能力買い取り型
  の経営を目指すべきだ。そのためには、職縁社会に代わる好縁社会を活用する組織の気風を育て
  る必要がある。職場が好みの縁で繋がる場であれば、きわめて有利な人材収集と労務運営ができ
  るからだ。
 ・好縁社会では、あくまでも職場は仕事の場に留まらなければならない。ここで重要なことは、職
  場としてその企業を好む人々が、従業員として集う状況を作り出すことである。このためには、
  まずその企業が何を目指しているかが明確であること、つまり企業としての「理想」を透明に表
  示することだ。第二には、それを実現する手法、つまり「構想」を常に明確にしておくことだ。
  そして第三にはこの理想と構想とが、世間にありふれた建前ではなく、その企業独自の説得性の
  ある「独創」を伴っていることである。

おわりに
 ・社会主義崩壊後の世界を分ける四極の資本主義は、それぞれ違う。個人も家族も地域的連帯も捨
  てて、ただただ職場の縁で繋がる世の中を作り上げたのは、戦後の日本だけである。その結果、
  日本では、他の三極とは異なり、消費者の選択よりも政府官僚から企業管理職に至る管理者の基
  準に合わすことが重要な「管理された市場」が出来上がった。四極の資本主義はそれぞれ違うが、
  その違いは等間隔ではない。米英と西欧と東アジアには消費者主権の共通項があるが、日本には
  それが存在しない。長くこの国の市場が、高級高価を追求したのはこのためだ。自由主義を掲げ
  ながら「管理された市場経済」が長く続いた例はない。やはり戦後の日本は「奇跡的」だったの
  である。