靖国問題 :高橋哲哉

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靖国神社の問題は複雑だ。そこには、いろいろな人々の感情が、複雑に絡み合っている。
そしてその人々とは、日本だけの人々ではないということだ。日本の首相が、靖国神社を
参拝すると、中国や韓国などのアジア諸国から抗議が発せられるが、そこには忘れること
ができないそれらの国の人々の、かつての日本が行った行為に対する、怒りや憎しみがあ
るからである。
そもそも靖国神社とは、どういうものだったのか。そこには、家族を失って悲嘆の涙にく
れる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦ってくれる兵
士を調達できない、戦死者とその遺族に、最大の国家的栄誉を与えることによって、自ら
国ために「名誉の戦死」をしてくれる兵士を、動員するシステムとして存在していたとい
う事実がある。つまり、靖国神社は、戦前の「国家主義」「天皇主義」と直接結びついて
いた神社であることを、忘れてはならない。
日本の首相の靖国神社参拝に賛成する現代の人々は、日本の首相が靖国神社を参拝する行
為は、かつて靖国神社が果たした「戦争への動員」の役割を復活させる行為と諸外国から
受け取られてもしかたがないという歴史的背景があることを、知らなすぎるのではないか。
昨今の中国や韓国との関係が、危機的とも言える状況にあるのも、その発端は、安倍首相
の強引とも言える靖国参拝だ。隣国の感情を逆撫でしておきながら、関係が悪くなったら
「集団的自衛権の行使」で対抗しようというのは、あまりにも浅はかではないのか。まる
で、悪知恵のはたらく、悪ガキの行ないではないのか。

感情の問題
・日本の首相が行なう靖国神社参拝に対して、中国・韓国等アジア諸国の政府やメディア
 から発せられる抗議の背後には、日本の植民地支配や侵略戦争の犠牲となった戦死者の
 遺族やその子孫にあたる人々の怒りや哀しみ、すなわち「感情」の膨大な存在があるこ
 とを想起しなければならないだろう。日本の側に「遺族感情」や「国民感情」があるな
 らば、アジア諸国の側にも、仮に感情の量を比べることができるとしたら、おそらくは
 その何倍にもあたる「遺族感情」や「国民感情」がある。
 靖国問題をめぐっては、さまざまな感情が入り乱れて存在している。遺族の感情ですら
 決して一様ではなく多様である。日本側の遺族感情とアジアの人々の遺族感情が、それ
 ぞれ一枚岩としてあって単純に対立しているわけではない。
・靖国問題の根底にあるのは、戦死した家族が靖国神社に合祀されるのを喜び肯定する遺
 族感情と、それを悲しみ拒否する遺族感情とのあいだの深刻な断絶であり、またそれぞ
 れの側に共感する人々のあいだに存在する感情的断絶であるとも言えるだろう。
・日中戦争から太平洋戦争に至る時期、靖国神社では数千から万の単位で大量の戦死者を
 合祀する臨時大祭が繰り返された。その際、北は樺太から西は満州、南は沖縄・台湾か
 ら遺族が選ばれて国費で東京に招かれ、戦死者を「神」として合祀する臨時大祭に列
 席した。それらの遺族が両側を埋め尽くす靖国の参道を霊璽簿(戦死者の名簿)を載
 せた御羽車が神官たちに担がれて本殿に移動し、祭主としての天皇が同じ道を通って参
 拝した。
・靖国神社は、大日本帝国の銀国主義の支柱であった。より深層において、当時の日本人
 の生と死そのものの意味を吸収し尽くす機能を持っていた。「お国のために死ぬこと」
 や「お天子様のために」息子や夫を捧げることを、聖なる行為と信じさせることによっ
 て、靖国信仰は当時の日本人の生と死の全体に最終的な意味づけを提供した。靖国信仰
 はまさしくそのような意味での「宗教」であり、「国家神道」という概念の内実をどの
 ように規定しようと、それは「お天子様」すなわち「お国」を神とする宗教であって、
 天皇その人にほかならないとされた国家を神とする宗教であった。
・日清・日露の戦争で勝利し、植民地帝国となって、「列強」の仲間入りをしたとはいえ、
 その過程で膨大な数の「壮丁」が戦死した。にもかかわらず、多くの日本人が戦争と国
 家への「擬似煩悶」に陥らず、また陥ることができないのは、日本人がすでに「国家教」
 の信者だからである。また、だからこそ「国家教」への「「殉教者」が死後みな「神」
 として祀られる靖国神社が存在するのだ。
・当時の日本で「お国」と呼ばれる絶対者、「お天子様」と呼ばれる絶対者が提供する意
 味づけほど強力な意味づけはなかった。日本の「国家教」と呼んだものは、日本人の戦
 死の意味を、ひいては「お国のために」自らを捧げるすべての日本人の生と死の意味を、
 国家という神=絶対者が保証する態勢にほかならなかったと言える。
・家族を失って悲嘆の涙にくれる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために
 命を捨てても闘う兵士の精神を調達することはできない。戦死者とその遺族を最大に国
 家的栄誉を与えることによってこそ、自ら国のために「名誉の戦死」を遂げようとする
 兵士たちを動員することができるのだ。日清戦争と「台湾戦争」の後で、各地方で戦死
 者の招魂祭が営まれていたが、それでは不十分である。帝国の首都東京に全国戦死者の
 遺族を招待して、明治天皇自らが祭主となって死者の功績を褒めたたえ、その魂を顕彰
 する勅語を下すことこそ、戦死者とその遺族に最大の栄誉を与えること。
・戦死者を出した遺族の感情は、ただの人間としてのかぎりでは悲しみでしかありえない
 だろう。ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化
 してしまうのだ。悲しみから喜びへ。不幸から幸福へ。まるで錬金術によるかのように
 「遺族感情」が180度逆のものに変わってしまうのである。
・遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないよ
 うにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによ
 って、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになることが必
 要なのだ。「多少の費用は惜しむに足らず」。すなわり、莫大な国費を投入しても、全
 国各地から遺族を東京に招待し、「お国」と「お天子様」とがいかにありがたい存在で
 あるかを知らしめ、最高の「感激」を持って地元に帰るようにしなければならない。こ
 れこそ、靖国信仰を成立させる「感情の錬金術」にほかならない。
・大日本帝国が天皇の神社・靖国を特権化し、その祭祀によって軍人軍属の戦死者を「英
 霊」として顕彰し続けたのは、それによって遺族の不満をなだめ、その不満の矛先が決
 して国家へと向かうことのないようにすると同時に、「君国のために死すること」を願
 って彼らに続く兵士たちを調達するためであった。そしてその祭、戦死者であれば一兵
 卒でも「おまいりして」くださる、「ほめて」くださるという「お天子様」の「ありが
 たさ」、「もったいなさ」が絶大な威力を発揮した。
・靖国信仰から逃れるためには、必ずしも複雑な論理を必要としない。一言でいえば、悲
 しいのに嬉しいと言わないこと。それだけで十分なのだ。まずは加速の戦死を、最も自
 然な感情にしたがって悲しむだけ悲しむこと。十分に悲しむこと。本当は悲しいのに、
 無理をして喜ぶことをしないこと。悲しさやむなしさや割り切れなさを埋めるために、
 国家の物語、国家の意味づけを決して受け入れないことである。「喪の作業」を性急に
 終わらせようとしないこと。とりわけ国家が提供する物語、意味づけによって「喪」の
 状態を終わらせようとしないこと。このことだけでも、もはや国家は人々を次の戦争に
 動員することができなくなるだろう。戦争主体としての国家は、機能不全をきたすだろ
 う。 
・靖国の論理は戦死を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに
 転換させようとするものである。靖国の言説は、戦死の美化、顕彰のレトリックに満ち
 ている。
・天皇であれ皇后であれ、親であれ妻子であれ、それこそ「当たり前の人情」を持ってい
 れば、戦士はまず悲しみとして経験されるだろう。だが靖国の論理は、この「当たり前
 の人情」である悲しみを抑圧し、戦死を喜びとして感じるように仕向けるのだ。戦死の
 不幸は幸福に、その悲劇は栄光に転換されなければならない。そうでなければ国家は、
 新たな戦争に国民を動員できなくなるだろう。戦死することを「目的」として戦場に
 赴く将兵はいないとしても、戦場でひたすら「無事生還」を願っているような将兵を靖
 国の論理は認めない。それが求めるのは、国家による賞賛と国民による「感謝と尊敬」
 を約束されているために、生命を捨てても勝利を得ようとする「「忠勇義烈」の将兵な
 のだ。
・靖国の祭り(祀り)は、それは本質的に悲しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」
 や「哀悼」ではなく、戦死者を賞賛し、美化し、功績とし、後に続くべき模範とするこ
 と、すなわち「顕彰」である。靖国神社はこの意味で、決して戦没者の「追悼」施設で
 はなく、「顕彰」施設であると言わなければならない。

歴史認識の問題
・国家は、戦争に動員して死に追いやった兵士たちへの「悲しみ」や「悼み」によってで
 はなく、次の戦争への準備のために、彼らに続いて「お国のために死ぬこと」を名誉と
 考え、進んでみずからを犠牲にする兵士の精神を調達するために、戦死者を顕彰するの
 だ。靖国信仰は、戦場のおける死の悲惨さ、おぞましさを徹底的に隠蔽し、それを聖な
 る世界へと昇華すると同時に、戦死者の遺族の悲しみ、むなしさ、わりきれなさにつけ
 こんで「名誉の戦死」をいう強力な意味づけを提供し、人々の感情を収奪していく。
・日本軍の戦争によって生じた膨大な数の死者・被害者が、日本国民の外にいるからであ
 る。日本国民の外に、哀悼の対象である日本軍戦没兵士が参加した戦争によって殺され
 た。日本軍戦没兵士の何倍もの数の死者が、そして被害者がいるからである。これらの
 死者・被害者との関係抜きに、日本国民だけでの哀悼の共同体、「哀悼の共同体」にと
 どまるならば、その哀悼や「哀悼」の行為そのものが、外からの批判を免れないことに
 なるだろう。日本軍戦死者たちの参加した戦争は、日本の「他者」に、日本の「外」に
 どれほどの死と被害をもたらしたのか。靖国神社に合祀されている戦死者たちの戦争が、
 とりわけアジア諸国に、また、日本の植民地支配下にあった諸民族に、どれだけの死と
 被害をもたらしたのか。それを問うことができなければ、自国の戦死者への追悼や哀悼
 も、他者からの批判に耐えられず、その正当性は根底から瓦解してしまうだろう。
・「A級戦犯」とは、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)において、「平和に対する
 罪」、すなわち侵略戦争を指導した罪のゆえに被告とされた28名のことである。これ
 らの人々は、明らかにいわゆる「戦死者」とはいえない。しかし靖国神社は、同じく戦
 死者とはいえないB・C級戦犯についても合祀を行なっている。日本の敗戦後、戦時中
 に交戦法規違反を犯したとして、国の内外で連合国によって5千人以上の人々が起訴さ
 れ、そのうち1千人近くが刑死したB・C級戦犯裁判が行われたが、靖国神社はこれら
 の刑死者を「昭和殉難者」として、すでに1970年までにその合祀を終えていたので
 ある。
・今日の日本では、「A級戦犯」合祀問題は中国や韓国との間の問題であり、「外交問題」
 であるかのような印象が広まっている。中には、「靖国問題は中国や韓国による批判か
 ら生まれたもので、それ以前には何も問題はなかった」というような「論」まで見受け
 られる。しかし、そうした印象や「論」は誤っている。
・靖国神社への「A級戦犯」合祀が、なぜ、批判の対象になるのか。それはまず、彼らを
 「英霊」=「護国の神」として顕彰することが、彼が指導した戦争を侵略戦争ではなく
 正しい戦争として正当化することにつながる、と考えられるからである。
・それでも1980年代前半までは、中国政府も韓国政府も沈黙を守ってきた。80年代
 に入って「戦後政治の総決算」を唱えて登場し、新国家主義の路線を追求した中曽根康
 弘首相の動向が、日本軍国主義の復活を強く警戒する中国政府の許容限度を超えたので
 あろう。以後、中国政府は一貫して、A級戦犯が合祀されている靖国神社に日本の首相
 が参拝するのはかつての日本の侵略戦争を正当化することになる、と強く反発してきた。
・東京裁判は、戦勝国が日本の戦争を一方的に断罪した「勝者の裁き」であるから、「A
 級戦犯」処罰も容認できない、と論じる人は国内に少なくない。たしかに、東京裁判は
 事実として「勝者の裁き」であった。しかし、ナチス・ドイツを裁いたニュルベルク国
 際軍事裁判も、「勝者の裁き」であったが、だからといって、ナチス・ドイツの指導者
 たちを断罪したことが誤りであったということはできない。日本の「A級戦犯」につい
 ても、個々の裁判の妥当性をめぐっての議論はあるうるとしても、国民を戦争に動員し、
 アジア諸国の人々に甚大な被害をもたらした責任が不問に付されてはならなかったこと
 は明らかだ。
・東京裁判の重大な問題性は、そこで裁かれたものよりも、むしろそこで裁かれなかった
 ものの方にある。「勝者の裁き」であるゆえに、東京大空襲から広島・長崎への原爆投
 下に至る、米国自身が犯した重大な戦争犯罪が裁かれなかったのはもちろんである。し
 かしまた、「A級戦犯」が裁かれたのに、彼らが仕えた君主であり、一貫して帝国陸海
 軍「大元帥」すなわち最高司令官であり続けた昭和天皇が不起訴になったのも、ソ連・
 中国・オーストラリアなどの訴追論を押さえ込んだ米国の意志によるものであったし、
 731部隊のような日本軍の戦争犯罪が裁かれなかったのも、米国の意図によるもので
 あった。さらに、日本の植民地支配から解放されたばかりの朝鮮は、「日本の交戦国で
 はなかった」として戦勝国と見なされず、「勝者の裁き」に参加することもできなかっ
 た。
・東京裁判を「勝者の裁き」として拒否し、「A級戦犯」断罪を容認できないと主張する
 なら、戦後日本国家を国際的に承認させた条件そのものをひっくり返すことになってし
 まう。
・中曽根首相が二度と参拝を繰り返さなかったのは、アジア諸国とりわけ中国の意向に配
 慮したからであったのはまちがいないが、それは「A級戦犯」合祀を問題視する中国の
 主張が、こうした経緯に照らして無視できないことを自覚したからでもあっただろう。
・中国政府が批判を開始したのは、「戦後政治の総決算」を唱えて新国家主義を打ち出し
 た中曽根首相が公式参拝したときであって、「A級戦犯」合祀が公けになったときでは
 なかった。中国政府お批判は、日本の一宗教法人・靖国神社が「A級戦犯」を合祀した
 こと自体にではなく、そうした戦犯が合祀されていることが明らかになっている靖国神
 社に、日本の首相が公然と参拝するという現在の政治行為に向けられていると考えるべ
 きであろう。
・日本軍国主義が発動した侵略戦争は、アジア・太平洋地域の各国の人民に深い災難をも
 たらし、日本人民自身もその損害と被った。靖国神社には「東条英機ら戦犯が合祀され
 ている」ので、首相の参拝は「日本軍国主義」により被害を深く受けた中日両国人民を
 含むアジア各国人民の感情を傷つけることになるであろう。つまり、侵略戦争を指導し
 た「日本軍国主義者」以外の日本「人民」は、中国「人民」と同じように、日本軍国主
 義の被害者であったというのが、中国政府の立場なのだ。
・日本側でこれに対する政治的に「合理的」な反応として考えられるのは、「A級戦犯分
 祀論」である。「分祀」とは、いったん合祀された霊魂を分割して、一部を他所に祀る
 ことを意味する。実際、中曽根内閣は、中国の批判を受けてA級戦犯分祀に動いた。し
 かしながら、中曽根内閣によるA級戦犯分祀の企ては失敗した。第一に、靖国神社が明
 確に拒否した。靖国神社の「教義」からして、いったん神として祀ったものをはずすこ
 とはできない、ということである。第二に、A級戦犯合祀者の遺族のうち、東条家が拒
 否した。 
・靖国神社が同意しないのに政府が政治的合理性によって分祀を強制すれば、これもまた
 政教分離の憲法原則に違反することになってしまう。 
・では、分祀は不可能なのか。そうではないであろう。処刑された7人の遺族のうち6人
 の遺族がいったんは分祀を了承したのだから、7人の遺族がすべて了承することもあり
 得ないとは言えない。また、靖国神社は他の神社と異なり「座がひとつしかない」から
 「いったん祀られた魂ははずでない」というのは、まさに他の神社と異なり明治初期
 に靖国神社という装置が発明されたときの産物であって、日本の神社神道の古来の伝
 統ではないのだから、自分たちで作ったものを自分たちで修正することが不可能であるは
 すはない。 
・A級戦犯分祀論は靖国問題における歴史認識を深化させるものではなく、むしろ反対に
 その深化を妨げるものだということである。靖国問題をA級戦犯分祀論として語ること
 は、一見すると戦争責任問題を重視しているように見えるけれども、実際はまったく逆
 で、戦争責任問題を矮小化し、そしてそれだけでなく、より本質的な歴史認識の問題を
 見えなくしてしまう効果をもつ。 
・A旧戦犯を排除した靖国神社に昭和天皇が参拝し、「英霊」たちを慰撫する。それはA
 級戦犯に主要な戦争責任を集中させ、彼らをエケープゴートにすることで昭和天皇が免
 責され、圧倒的多数の一般国民も自らの戦争責任を不問に付した東京裁判の構図に瓜二
 つなのである。 
・一方では、「大元帥」として帝国陸海軍最高司令官であった昭和天皇の責任、そして天
 皇制の責任が問われることなく免責され、他方では、有無を言わせず戦争に動員され、
 戦死したという点では被害者と言えるけれども、実際に侵略行為に従事したという意味
 では加害者であった。一般兵士の責任もまったく問われずに終わってしまう。さらにま
 た、天皇の権威によって天皇の神社として、それらの兵士を動員することに決定的な役
 割を果たした「戦争神社」靖国陣屋の戦争責任もまったく問われないことになる。 
・「誰かが責任を負わなければならないから、A級戦犯に負ってもらう」というのは、あ
 まりにご都合主義的な責任の押し付けである。A級戦犯分祀論が戦争責任の矮小化につ
 ながることは明らかであろう。
・「戦争責任」とは何か。戦後日本社会でこの言葉は、最も狭くは米国との戦争に敗北し
 た責任を意味し、もっと広く理解される場合でも、東京裁判で裁かれた責任、東京裁判
 で問われた責任という意味を超えることはない。
・靖国神社の「戦争」として、日中戦争とアジア太平洋戦争だけを考えるのでは、「靖国
 神社忠魂史」に記された、それ以前の日本の戦争のすべてを忘却することになる。「靖
 国神社忠魂史」のような資料が重要なのは、そこに靖国神社の戦争のもうひとつの歴史
 が、つまり日中戦争とアジア太平洋戦争以前の日本の無数の戦争の歴史が、それらすべ
 て「聖戦」とする靖国神社の立場から記述されているからである。
・とりわけ注目したいのは、「靖国神社忠魂史」に記された日本植民地主義の歴史である。
 植民地獲得と抵抗運動弾圧のための日本軍の戦争が、すべて正義の戦争として記述され、
 そこで死亡した日本軍の指揮官と兵士が「英霊」として顕彰されてきたことが一目瞭然
 である。
・植民地支配のための日本の戦争を栄光の戦争として顕彰し、靖国神社の「英霊」たちを、
 植民地帝国確立のための「尊い犠牲」として顕彰している点で、きわめて貴重な資料と
 いえる。
・靖国神社の死者の圧倒的多数を占めるアジア太平洋戦争期の「英霊」たちは、「国を護
 る」ために戦死したと言われるが、彼らが護ろうとした国とは、それ以前の多くの戦争
 によって構築された植民地帝国にほかならなかったのであり、それ自体が日本軍のアジ
 ア侵略の産物にほかならなかったのである。
・靖国神社には、台湾・朝鮮の植民地支配と弾圧の加害者として戦死した日本人による植
 民地支配の被害者であった台湾人・朝鮮人とが、まったく同格の「護国の神」として合
 祀されているのである。これが、植民地支配の被害を実感する台湾・朝鮮の遺族にとっ
 て、屈辱的ではいはずはない。
・合祀通知書のことを知った在日台湾人が東京で開かれた集会で、「赤紙一枚で日本の戦
 争にかり出されて死んだ同胞に補償もせず、白紙(合祀通知書)一枚で処理されるなん
 でどんでもない」と、台湾出身者の合祀取り下げを訴えた。
・靖国神社の植民地主義的本質は戦後何十年経過しても何ら変わっていない、と言わざる
 を得ない。「戦死した時点では日本人だった」という理由で、旧植民地出身のすべての
 戦死者は、永遠に植民地統治下の「日本人」として宗主国の「捕囚」であり続けること
 になる。「内地人とおなじように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加し
 てもらった」というのだが、これほど独善的で傲慢な理論もないであろう。それは、植
 民地支配者が被支配者に対して持つ独善と傲慢以外のなにものでもない。 
・靖国神社と日本は、植民地から「半強制的に」戦争に動員し、戦後長く戦死通知も遺骨
 の返還も行わず、遺族の知らぬ間に一方的に合祀した人々の合祀取り下げを拒否してき
 たのみならず、そうした植民地支配の被害者を、加害者と一緒くたにして日本の「神」
 として祀り続けているのだ。

宗教の問題
・いわゆる靖国派の人々は、靖国神社こそ日本の戦没者追悼の中心施設だという。しかし、
 「追悼」とはなにか。それは文字通り、死者の死を、後から「追」って、「悼」むこと
 にほかならない。ところで、死者の死をまっ先に悼む者、追悼する権利を持つのは、な
 んといってもまず遺族であろう。一般に、遺族が遺族として死者を追悼する権利を否定
 することは誰でもできない。
・家族の追悼に関して、特権的立場に立つ遺族が、死んだ家族が特定の公的追悼の対象と
 さえることを拒否したらどうなるのか。死んだ家族を深く「悼む」からこそ、死者が特
 定の集団によって追悼対象とされることを拒みたい、拒否したいと思ったら、どうなる
 のか。靖国神社はこのような遺族の思い、遺族の感情をにべもなく無視する。靖国の合
 祀は「遺族の申し出て取り下げるわけにはいかない」というのだ。
・要するに、靖国神社の論理によれば、合祀はもっぱら「天皇の意志」により行われたも
 のであるから、いったん合祀されたものは、「A級戦犯」であろうと、旧植民地出身者
 であろうと、誰であろうと、遺族が望んでも決して取り下げることはできない。遺族の
 感情は無関係であり、完全に無視するということなのだ。
・この「天皇の意志」には、戦死者の遺族への哀悼も共感も一切存在しない。ただ、天皇
 の軍隊の一員とし敵と戦って戦死した者たちの「大き高き勲功」を讃え、永遠にそれを
 顕彰するとの「意志」がみられるのみである。
・天皇の意思により合祀は行われたのであり、遺族の意志にかかわりなく行われたのであ
 るという。もしそうであるとするなら、無視されているのは合祀絶止を求める遺族の意
 志・感情だけではない。戦死した家族の合祀を求める遺族の意志・感情も、いわばたま
 たま「天皇の意志」に合致しているにすぎないのである。本質的には、無視されている
 ことに変わりはないのだ。 
・つまり、靖国神社は本質的に遺族の意志・感情を無視する施設である。それが尊重する
 のは「天皇の意志」のみである。靖国神社への合祀を名誉と感じる人々の遺族感情が尊
 重されているように見えるのは、それがたまたま「天皇の意志」に結果として合致して
 いるからであり、いずれにせよ靖国神社は、「天皇の国家のために戦争で死ぬことは名
 誉である」、「戦場で死ぬことは幸福である」という感情を押しつけてくるのである。
・靖国神社はこうして、明治天皇の勅命によって創建された「天皇の神社」としての本質
 を、敗戦後60年が経過した今も変わらず維持しつづけている。植民地主義にせよ、天
 皇制にせよ、靖国神社は旧日本帝国のイデオロギーがそのまま生き続けている場所なの
 だ。
・日本国憲法第20条は、一般に政治と宗教が結びつくことを禁止した「政教分離」を規
 定している。これによれば、特定の宗教団体、しがたって靖国神社のような「宗教法人」
 が国と特別の関係に入ることは、許されないことになる。この憲法の規定はいうまでも
 なく、戦前・戦中に神社神道が「国家神道」となって事実上の国教になり、それに対す
 る忠誠が、日本国民、植民地の人も含めて天皇の「臣民」すべてに強制されたことに対
 する反省から来ている。
・1991年に出た岩手靖国訴訟・仙台高裁判決において、「天皇、内閣総理大臣の靖国
 神社公式参拝は、その目的が宗教的意義をもち、その行為の態様からみて国またはその
 機関として特定の宗教への関心を呼び起こす行為というべきであり、しかも、公的資格
 においてなされる公式参拝がもたらす直接的、顕在的な影響及び将来予想される間接的、
 潜在的な動向を総合考慮すれば、公式参拝における国と宗教法人靖国神社との宗教上の
 かかわり合いは、我が国の憲法の拠って立つ政教分離原則に照らし、相当とされる限度
 を超えるものと断定せざるを得ない。」という断定が下された。
・1997年、愛知県議会が知事の靖国神社参拝の際の玉串料の費用を、何年にもわたり
 あわせて十数万円支出していたことの違憲性が問われた裁判で最高裁判所大法廷は、
 「地方公共団体が、特定の宗教団体に対して、本件のような形で特別のかかわりを持つ
 ことは、一般人に対して、県が特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団
 体が他の宗教団体とは異なるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものと 
 いわざるをえない。」と憲法違反の判決を下した。
・首相の公式参拝は、そえは国際的な注目を浴びるので、「国」すなわり日本政府と「特
 定の宗教団体」靖国神社が特別の関係にある、という印象を全世界に与えてしまうこと
 になるだろう。
・靖国神社が特に戦没者のうち軍人軍属、準軍属のみを合祀の対象とし、空襲による一般
 市民の戦没者などは合祀の対象としていないことからすれば、内閣総理大臣として第二
 次世界大戦による戦没者の追悼を行なう場所としては、宗教施設たる靖国神社は必ずし
 も適切でないというべきであろう。
・靖国神社を「特殊法人」化して憲法上の政教分離原則をクリアしようとする試みは、か
 つて大々的に行われて失敗に終わっている。
・靖国神社は宗教法人人格を放棄して特殊法人になったとしても、伝統的な祭祀儀礼を継
 続するかぎり宗教団体であり、したがって憲法違反を犯さずに国営化することはできな
 い。また、靖国神社自身が伝統的な祭祀儀礼を変更したり廃止したりすることは想像し
 がたい。そしてもしも政府あるいは政治が、特殊法人化を押し付けたりすれば、それは
 A級戦犯分祀を働きかけるよりもはるかに重大な政治の宗教介入になり、それ自
 体が憲法上の政教分離原則に違反することになる。
・靖国神社は国家機関であったが、神道形式で祭祀儀式を行なう神社であり、宗教的施設
 であった。神道が宗教であり神社が宗教であるならば、靖国神社も必然的に宗教であっ
 た。ところが、神道が宗教であったか、神社が宗教であったかといえば、法制度上そう
 ではなかった。
・明治政府は当初、「神社は国家の宗祀にて一人一家の私有すべきものに非ず」などとし
 て神道国教化政策を推進するが、仏教界等の反発にあって挫折する。その後、明治政府
 がとったのは、「祭教分離」によって「祭政一致」を実現するという一種の迂回路であ
 った。「祭教分離」とは、神社神道を「国家の祭祀」とし、仏教、キリスト教、教派神
 道等の「宗教」から区別することをいう。
・「祭教分離」は、仏教やキリスト教と対立せずに神社神道を事実上の国教とするための
 巧妙な仕掛けとなった。仏教やキリスト教を「宗教」として認めて一定の「信教の自由」
 を与える。他方、神社神道は「国家の祭祀」であるから、どんな「宗教」を信じる者も
 日本国民であるかぎりその下にあり、その祭祀儀式を受け入れなければならない。

文化の問題
・靖国を「日本の文化」と捉える見方は、奇説珍説の類を含めて数多い。「わが国の歴史」
 や「伝統」に訴えて、靖国神社参拝を根拠づけようとする議論は少なくない。
・お盆や初詣では日本の「習俗」である。だが、そうだとしても、お盆や初詣でから靖国
 神社、靖国参拝を説明することは明らかに飛躍がある。お盆や初詣でにおける死者との
 関係は、広く「ご先祖様」一般との関係であるが、靖国における死者との関係であり、
 しかも特殊な戦死者との関係である。第一に、戦死者との共生感が靖国という形をとら
 なければならない必然性はない。靖国神社に参拝しなければ、お盆に戦死者を思い、正
 月の初詣で戦死者を思うことができないわけではまったくない。兵士の慰霊や追悼にも、
 さまざまな形がありうる。それが靖国という形をとるのは、戦前・戦中においても、戦
 後の首相の参拝においても、「文化論」を超えた国家の政治的意志が働いたからである。
・第二に、文化としての「死者との共生感」を言うなら、なぜ靖国は日本の戦死者の中で
 も軍人軍属だけを祀り、民間人の戦死者を祀らないのか。靖国はそのおびただしい死者
 の中から、日本軍の軍人軍属のみを選び出して合祀し、軍人軍属より多数にのぼったと
 言われる民間人の死者にも目もくれない。
・靖国神社には一般の民間人戦死者は合祀されない。広島、長崎の一般被爆者、東京大空
 襲をはじめ空襲による一般戦死者など、数十万人の民間人戦死者は靖国の死者とはされ
 ないのだ。戦争の死者との「共生感」、「死者の魂と生者の魂との行き交い」を言うな
 ら、なぜ、日本の戦死者のなかから、民間人の死者を排除してしまうのか。
・靖国のように、戦死者のなかでも軍人軍属、戦士の死者のみを遇するという決定をした
 のは、これまた「文化論」を超えた国家の政治的意志である。
・靖国神社は、日本軍に敵対した外国軍の戦死者を決して合祀しない。
・靖国は敵側の死者を祀らないのは、外国人の場合だけではない。「自国の戦死者」であ
 っても、敵側の死者は祀らないのが靖国である。同じ「日本人」の戦死者でも、時の
 「政府」の側すなわち天皇のいる側に敵対した戦死者は排除するというこの「死者の遇
 し方」は、戊辰戦争の帰趨を決した会津戦争の戦死者への対極的な扱いに対応している。
 会津藩戦死者3千人の遺体は、新政府軍によって埋葬を禁じられた。
・靖国神社に「天皇の軍隊」の敵側の死者が祀られた例は一つとして存在しない。靖国神
 社がこのように敵側の戦死者を排除するのは、まさに「文化」を超えた国家の政治的意
 志によるのである。 
・靖国神社の死者との関係は、特殊な戦死者との関係である。すなわち、戦争の死者から
 敵側の戦死者を排除し、さらに自国の戦死者から一般民間人の戦死者を排除した後、日
 本の軍人軍属(および日本軍の協力者」の戦死者との関係である。

国立追悼施設の問題
・靖国神社はいまなお、かつての日本の戦争と植民地支配がすべて正しかったという歴史
 観に立っている。
・日本の場合、政府が戦争責任をきちんと果たし、日本国憲法第9条が遵守されれば、こ
 の条件は満たされる。日本が過去に行った戦争について「国にその責任を取らせ」る必
 要がある。しかし私たちは、まだそのことに成功していない。日本の国家は、敗戦後半
 世紀以上経っても、戦争責任の明確な認知に基づく歴史認識を確立していない。
・首相が繰り返す靖国神社参拝そのものが、内外から日本政府の戦争責任認識への疑いを
 招いている。